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藤堂平助の評判

「壬生浪士内藤堂平助と申すもの、別而盛んなる壮士の由。・・・度々の鎮静のみぎりもいつも先駆けいたし候者の由。即右池田屋に真一番に斬込候・・・兼ねて魁先生と呼ばれ候ほどの者の由。藤堂和泉の守の浪人にて・・・実は、和泉の守妾腹の末子とやらの噂の者に御座候由。いたって美男士の由御座候」(薩摩藩士某の記した『京師騒動見分雑記録』−『新選組のすべて』の引用箇所より)

<ヒロ>
薩摩藩は当時、新選組に敵対していたわけではありませんが、会津藩のようなスポンサーだったわけでもありません。その薩摩藩にまで、藤堂の雷名と和泉守の妾腹だという噂が届いていたのが興味深いです。なお、藤堂は妾腹を詐称していただけだという人がいますが、そう断定する根拠はありません。
「藤堂氏、一名南部興七郎、江戸の人なり。経済に達し、撃剣を能くす。伊東氏の門子なり」(藤堂とも交友のあった西本願寺侍臣城兼文(西村兼文)編纂の「近世殉国一人一首伝」 )

<ヒロ>
『江戸語の辞典』をみると「経済」は、「財産・家計」を指すようです。もちろん「経世済民」とも考えられますが、藤堂が建白書を多数起草したという話もききませんし、管理人のイメージとしては、やはり世俗的な金回りに明るいという感じ。なお、藤堂が伊東の弟子だったことは、衛士でやはり伊東道場に出入りした加納鷲尾も「寄り弟子」というように証言しています。「寄り弟子」は聞きなれない言葉ですが、千葉周作を描いた時代小説に「寄弟子」は内弟子(身を寄せる弟子)だという風に使われているものがあります。『古語辞典』(旺文社)には、語感の似た「寄り子」という言葉があり、これは室町・戦国時代に「寄り親」(大名に直属し、配下に「寄り子」を統率した有力家臣)の下についた武士をさすそうです。
「藤堂平助は小兵でございますけれども、中々剣術はよく使いまして又文字もございます」(元御陵衛士・阿部隆明(阿部十郎)談 『史談会速記録』90)

<ヒロ>
「文字」は学問のこと。この藤堂は「小兵」だが、服部が「大兵」というのに並んで使われています。
「藤堂平助もまた有名の智勇ともに衆に秀でたる人にして、その初めには近藤勇の四天王ともいわれたりし人なるが、後に新選組を脱し去りて・・・伊東の左右の手となりたる人士也という」(元桑名藩士・小山正武談 『史談会速記録』104)

<ヒロ>
小山は、会津藩士・山浦鉄之助が藤堂の親友であったとも語っています。このほか、油小路事件直後の現場の様子や衛士・服部武雄の見事な闘いぶりについても証言しています。(前半の「近藤の四天王」は有名ですが、その後「伊東の左右の手」になったことが無視されているのが、なんとも^^;。)。
「(近藤への不平分子は)近藤ともっとも古き関係を有しているにかかわらず、品行のことから始終近藤に叱られる、ことに近頃はまったく疎外されてしまったような藤堂平助」(結城無ニ三の子・結城礼一郎著『旧幕新撰組の結城無ニ三』)

<ヒロ>
『旧幕新撰組の結城無ニ三』は無ニ三の子である礼一郎が無ニ三の孫(礼一郎の子ども)に「おじいさま」がどんな人物だったかを物語ることを目的として書かれており、物語調になっています。事実誤認も多いです。藤堂に関する記述も、無ニ三から聞いた話なのか、礼一郎の想像なのか判断がつきにくいです。ただ、品行不良という点ついては、子母沢寛も触れていたり、西村兼文の『新撰組始末記』では「藤堂平助は、美濃国の博徒水野弥太郎に結び、農兵数百人、号令次第差し出す約を堅め、かつその勢いを盛んにして士力を増殖せんと思惟し」と博徒との関連も指摘されるので、事実なのかもしれません。このほか、同書では、長州官位復旧の沙汰がでたときに中山忠能邸を見張る役目に、近藤に命じられた藤堂がついたと記していますが・・・??(そのうち、覚書にでもUPします)
油小路の闘いの前、藤堂は「若い有為の材」なので助けたい−と近藤が言ったという。(永倉新八の実歴談を記者まとめた『新撰組顛末記』)

<ヒロ>
『旧幕新撰組の結城無ニ三』では藤堂は近藤に疎外されていたとされるので、かなり印象が違う・・・。どちらの資料も脚色が混じっている可能性が大いにあり、信憑性は??なのですが・・・。なお、近藤が藤堂を助けたいと言ったとされることは、永倉の伝記類に残るだけで、近藤がほんとうにそういったかどうかという傍証はありません。管理人は否定的です。
江戸っ子で品行は不良だったが人物がしっかりしていた。(出典不明。子母沢寛『新選組始末記』)

<ヒロ>
『旧幕新撰組の結城無ニ三』が出典なのかもしれないし、そういう風説があったのかもしれません。虚構である可能性もありますし。
(1999.9.18、2003.11.22)

史資料類は成立年代順(だいたい)に並べました。
直接引用は「」内で、残りはパラフレーズです。

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