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慶応3年10月8日(1867年11月03日)
芸藩武力討幕に戻る(薩・長・芸の討幕挙兵同盟成立)。
大久保・西郷・小松、討幕の宣旨を請う趣意書を中山忠能らに提出
新選組、老中板倉勝静と大目付永井尚志の護衛を命じられる

大政奉還まであと6日。

慶応3年10月8日(1867.11.3)、晴れ。薩摩藩・長州藩・芸州藩の討幕挙兵同盟が成り、討幕の宣旨降下が要請されました。

この日、薩摩藩士の邸に集まった人々は以下の通り。
 薩摩藩:大久保一蔵(利通)・西郷吉之助(隆盛)・小松帯刀
 長州藩:広沢兵助・品川弥二郎
 芸州藩:辻将曹・植田乙次郎・寺尾生十郎

三藩有志の会議上、芸藩が武力討幕に戻ることが確認されました。三藩会議後、一蔵は広沢・植田とともに、中御門経之邸に赴き、中御門及び中山忠能に面会して、同盟の要旨を伝えました。

さらに、一蔵は西郷・小松と連署して、討幕の宣旨降下を請う趣意書を中山忠能・正親町三条実愛・中御門経之に提出しました。

慶応3年10月8日(1867.11.3)、晴れ。新選組は老中板倉勝静と若年寄格永井尚志(大政奉還の上表文の起草者)の護衛を命じられました

「8日に御登城、御帰館後、御沙汰これあり候には、今日召出され、おおせ聞かされ候には、せんだって原市之進不慮の死をとげ候ところ、このご万一右体の儀これあり候は、必至と相すまず儀、伊賀、玄番あたり、わけて案じられ候。よっては登城往来の節、新撰組の内においてなりとも、警衛いたし候様いたしたくとの御沙汰に候間、新撰組へ申し聞かすべく旨、おおせ聞かされ候に付(後略)」(書き下しはヒロ)

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この日、東下中の土方歳三は日野の佐藤家をおとずれています(『橋本家日記』)。隊士募集に東下したついでの訪問です。
<参考>『徳川慶喜公伝』、『維新史』、『新選組日誌』(新人物往来社)収録の史料
2000.11.3

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