幕末日誌(過去ログ整理) 事件開国開城(マクロな歴史) HP内検索 HPトップ
★文久2年春の島津久光率兵上京(こちら)〜慶応4年春江戸開城までの幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?追っかけ中。(和暦は月の満ち欠けに呼応し、たとえば15日は満月となります) ★折々の草莽たちの詩歌をご紹介(このページを開くたびににランダムに表示されます) |
|
|
元治元年(1864) |
◇9月頃(10〜11月初旬まで頃)【江】伊東甲子太郎、近藤に会って新選組加盟について話合う ◇10/5(11.4)【京】新選組隊士篠塚峰三除隊 ◆◇10/11(11.10)【江】近藤勇、松本良順を訪ねて攘夷の無謀を知る/将軍進発の道程を発表 ◇10/12(11.11)【江】近藤、入隊(希望)者を会津藩に報告(伊東らは入隊者ではなく希望者) ◇10/14(11.13)【江】近藤、松本良順を訪ねて診察を受ける ◇10/15(11.14)【江】近藤、新入隊士とともに江戸出発。伊東ら10名江戸出発(伊東の和歌) ◇10/16(11.15)【江】伊東の同志・大村安宅、神奈川の関所を避けて間道に入る(伊東の和歌) ◆10/23(11.22)【水】武田耕雲斎ら天狗党、慶喜に嘆願するため西上開始。 ◇10/27(11.26)【京】近藤・伊東ら京都に到着 |
慶応2年(1866) |
◇9/26(1866.11.3) 【京】伊東・篠原、近藤・土方に分離を論じるという(疑問あり) ◇9/27(11.4)【京】篠原激論して分離を認めさせるという(疑問あり) |
慶応3年(1867) |
◆10/5(1867.11.1)【京】大久保一蔵(利通)、中御門経之に「討幕続行」約束/近藤勇、大政奉還の写しをみせてくれるよう後藤に頼む。 ◆◇10/6(.11.2)【京】芸州藩、幕府に大政奉還の建白/陸援隊への新選組間者村山謙吉、新選組に誤認逮捕・釈放の擬装工作/大久保・品川、岩倉・中御門と会談(王政復古の詔勅と職制案) ◆◇10/8(11.3)【京】芸藩武力討幕に戻る(薩・長・芸の挙兵同盟)。西郷・大久保、討幕の宣旨を請う趣意書を中山忠能・正親町三条実愛・中御門に提出/新選組、永井尚志の警護につく。/ ◆◇10/9(11.4)【京】岩倉具視、「王政復古議」密奏/長州出兵延期の使者上洛/坂本龍馬、入京。陸援隊屯所訪問/近藤、薩摩・十津川挙兵計画を会津藩に報告/ ◆10/10(11.5)【京】徳川慶喜、老中板倉勝静を通し、大政奉還について春嶽の意見を問い合わせる。 ◆10/11(11.6)【京】薩摩、即時挙兵の見合わせ。(薩土盟約への回帰)/幕府、在京諸藩重臣に13日の登城を命ず ◆10/12(11.7)【京】慶喜、老中・有司に大政奉還の決意を告げる/老中、布衣以上の幕臣に布達/松平定敬・板倉、在府老中に慶喜の決意を報知/近藤ら、大政奉還は尾張・越前の陰謀と誹謗する ◆◇10/13(11.8)【京】春嶽、大政奉還自重論を説く/徳川慶喜、二条城に重臣召集。大政奉還の是非を諮問/薩摩藩小松帯刀ら、慶喜に謁見。老中板倉、小松らに大政奉還勅許周旋を依頼/長州へ官位復旧の宣旨。新選組、中山忠能邸を監視するが失敗 ◆◇10/14(11.9)【京】討幕及び会津・桑名討伐の密勅が薩摩・長州に/慶喜、大政奉還の秦上/薩摩藩小松ら、二条斉敬摂政に大政奉還勅許を迫る/薩摩藩井上石見、左大臣近衛忠房に勅許を入説/朝議、大政奉還勅許を決定/近藤、正親町三条実愛訪問。/この頃、新選組・見廻り組、土佐藩士をつけねらう ◆10/15(11.10)【京】薩摩藩小松帯刀、召しだされ、大政奉還後の善後策に意見を述べる/大政奉還の勅許(岩倉をのぞく倒幕派公卿は満足)/ ◆10/16(11.11)【京】慶喜、沙汰の疑義を確認。諸大名に上京の勅命/岩倉、大久保に対して会津・桑名の薩土芸藩攻撃の動きを知らせる ◆10/17(11.12)【京】慶喜、予備会議開設の建議/江戸城中の大評議/久光の率兵上洛を促すために小松・西郷・大久保、京を発つ/新選組、小松・西郷らを大坂まで後をつける ◆10/18(11.13)【京】慶喜、徳川への委任権限8か条の伺。/岩倉具視、中岡慎太郎と薩摩藩邸を密訪し、吉井・伊佐治と会談/坂本、望/清平宛書簡。幕吏が狙っているので薩藩邸へと吉井にいわれたが断る。藩邸にはいりたいのでよろしくとの内容。 坂本、/真院を訪問? ◇10/19(11.14)【京】近藤、正親町三条実愛を再び訪問 ◇10/21(11.16)【京】討幕密勅の中止の沙汰書が中山から薩摩藩吉井幸輔へ。/【江】幕府、大名・旗本らに総登城を命じて大政奉還を伝える/土方、新入隊士ら30人とともに江戸を出立する/【薩長】小松帯刀・広沢兵助ら三田尻到着。兵助、密勅を長州藩主に。 ◆10/22(11.17)【京】朝廷、伺に対して諸大名上京までは日常業務8か条は従来通りと返答/尾張慶勝、容保に守護職引退を勧告/【薩長】帯刀・吉之助、長州藩主父子に謁見。久光父子のいづれかの上京を決定。 ◆10/23(11.18)【京】紀州・会津・肥後・津始め10万石以上諸藩士会合して「両三藩」について紛議。 ◆10/24(11.19)【京】慶喜、将軍職辞表を提出。 ◆10/26(11.21)【京】外交・内政これまで通りの沙汰/【薩】小松・大久保・西郷、鹿児島到着。久光父子に率兵上京を入説。 ◆10/27(11.22)【京】徳川慶勝、率兵せず入京。 ◆10/30(11.25)?【京】慶喜、仏公使ロッシュに大政奉還を通告する直書を送る。/【長芸】長州・芸州世子の会見。 ◆11/1(11.26)【京】容保、慶喜に進退伺い。/【長・芸】長州・芸州の討幕出兵の協定(1) ◆11/3(11.28)【江】紀州藩、在府諸藩と協議。 |
|