<大政奉還まであと1日>
慶応3年10月13日(1867.11.8)。徳川慶喜は在京40藩の重臣を二条城に召集し、大政奉還の是非を諮問しました。(詳細はいずれ〜) 慶応3年10月13日(1867.11.8)。元治元年禁門の変で、官位を剥奪されていた長州藩父子に官位復旧の宣旨がくだりました。(詳細はいずれ〜) このとき新選組は中山忠能(明治天皇の祖父)邸を監視していたにもかかわらず、宣旨をもった岩倉具視の子供を見逃してしまいました。 <中山忠能が長州藩主親子の官位復旧の宣旨を長州の広沢兵助に授けようとしたとき、新撰組浪士らしきものが中山邸の門前に徘徊し、諸藩の人間が門に出入りするのを偵察しているという密報があった。そこで、急に中山は、岩倉具視に宣旨を広沢に授けることを託した。岩倉は子供の八千代丸を中山邸にやって宣旨をうけとらせた。八千代丸は子供だったので嫌疑をさけることができたからである>(『岩倉公実記』意訳はヒロ) 慶応3年10月13日(1867.11.8)、薩摩藩(島津久光父子)に討幕の密勅が降りました。(実際に手渡されたのは翌14日であり、長州藩への密勅と同時でした。) |
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