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3. 会津藩と彦根藩(番外)−坂本龍馬暗殺の密談?
井戸端掲示板でご紹介したネタですが・・・

【10月2日付け読売新聞より】

慶応3年(1867年)11月15日の坂本竜馬暗殺に、彦根藩が関与していたことを示す密書が京都市内で見つかった。実行犯の兄が事件直後、同藩の重臣と会談しようとしたことが書かれている。彦根藩は当時、十五代将軍・徳川慶喜を大政奉還後の新政府の要職に就けようと奔走しており、専門家は「徳川外しの構想を持つ竜馬が邪魔だったのでは」と、彦根藩が暗殺の謀議にも加わった可能性を示唆している。

京都で密書見つかる

京都市東山区の霊山歴史館が、約十五年前に市内の収集家から寄贈された史料を調べていて見つけた。密書は、事件翌日の16日付で、暗殺の実行犯とされる見廻組与頭、佐々木只三郎の兄で会津藩重臣の手代木直右衛門が、彦根藩金奉行の石黒伝右衛門にあてたもの。手代木は、京都守護職となった会津藩主とともに入洛。京都の治安維持にあたる見廻組の<黒幕>として、佐々木に竜馬襲撃を命じたといわれる。
 
内容は、「ごく内密に伺いたい(相談したい)事件があり、(石黒の)旅宿を訪ねたが出仕中で留守だった。ご苦労をかけて恐縮だが、万亭(京都・祇園)で待っているので来てほしい」というもので、文面から、手代木はこの密書を、京都の彦根藩邸に託したとみられる。

藩主・井伊直弼を桜田門外の変で失い、勢力を弱めていた彦根藩は、徳川慶喜を新政府の要職につけることで復権を図ったといわれ、石黒はその中心にいた幕府側要人。密書からは、手代木が石黒に暗殺を報告し、急いで事後策を練ろうとしたことがうかがえる。

木村幸比古・霊山歴史館学芸課長は「会津藩主にまで責任が及ぶのを恐れ、そのことを会談で協議したとも考えられる」と話している。密書は、10月24日から同館で展示される。


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びっくりしましたよ〜。手代木が見廻組の黒幕で、しかも佐々木に坂本襲撃を命じたという資料なんてありましたっけ・・・^^;。見廻組の直接の上司は所司代のはずなんだけれど(当時の所司代は容保の実弟の桑名候だから容保に関係なしとはいえないけれど)、あれぇ^^;?

■会津藩公用人手代木が坂本暗殺指示?!

手代木と坂本暗殺を結びつけそうな資料は確かにあるんですが、わたしの知る限り、手代木家私家版「手代木直右衛門伝」(大正12、1923)というもので、

『手代木翁死に先たつこと数日、人に語りて曰く坂本を殺したるは実弟只三郎なり、当時坂本は薩長の連合を謀り、又土佐の藩論を覆して討幕に一致せしめたるを以て、深く幕府の嫌忌を買ひたり、此時只三郎見廻組頭として在京せしが、某諸侯の命を受け、壮士二人を率い、蛸薬師なる坂本の隠家を襲ひ之を斬殺したりと。蓋し某諸侯とは所司代桑名侯を指したるなり、桑名候は会津候の実弟なりしを以て、手代木氏は之が累を及ぼすを憚り、終生此事を口にせざりしならん』(出所:市居浩一「「完全検証・龍馬暗殺」を検証する」(「幕末史研究」第31号)引用部分より孫引。太字はヒロ)

だと思うんですが・・・。確かに、某諸侯を桑名候としているのは著者の推測であり、会津候である可能性もないとはいえないけれど・・・。

いくら佐々木が元会津藩士で手代木の実弟だからといって、所司代を飛ばして会津から直接命令を受けますかねえ・・・。所司代から報告を受けていたということはあるかもしれないけれど。それに・・・会津や桑名ってその頃、薩長同盟や大政奉還をもくろんだのが坂本だって知っましたっけ^^;?調べなきゃ・・・。(手代木伝がかかれたのは、日露戦争時に明治皇后の夢に現れたとして坂本が有名になった後のことなんで、慶応3年当時は知らなかった可能性があると思う・・・。そもそも「坂本が薩長同盟をひとりでやった@勝海舟」をアヤシイという説もありますし。アヤシイといえば、夢の話もアヤシイという人もいますね・・・^^;)

■手代木と石黒の密会

会津藩公用人の手代木と彦根藩金奉行の石黒が内密に会ったとして、そのアジェンダが坂本・中岡暗殺の件だと断定できるんでしょうか?この時期の重要事件といえば大政奉還。新聞記事にも指摘されている通り、彦根藩は徳川の権力存続に奔走していたようで、11月11日、大垣藩とともに在京譜代諸侯の代表として、大政奉還後も万事徳川家から執達があることを願う建白書を提出しています。手代木はもちろん幕権復活論者。徳川逆転復活のシナリオを相談していた可能性だってあると思うし・・・。そりゃぁ、暗殺事件が話題に上がらなかったとはいえないと思うけれど、だからって、竜馬暗殺に彦根藩が関与していたとまでいうのはどうでしょう?

■坂本が徳川外しの構想?!

専門家の方の話だというけれど、これは、違うんじゃないでしょうか^^;?「新官制擬定書」っていう新政府構想の内大臣に慶喜が擬されていたはずですよね(ちなみに、坂本自身も西郷・大久保らと並んで新政府参議に擬されていて、坂本が西郷に向って「世界の海援隊でもやろうか」といったという有名なエピソードは作り話だとわかるそうですヨ)。

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うむ・・・ちょっと・・・先走り^^;?

PS:中岡の慎ちゃんはいったい〜?!

坂本と一緒に中岡慎太郎という大物(陸援隊長)も暗殺されているし、討幕といえば坂本龍馬より、陸援隊の中岡だと思うんですけれど・・・薩長同盟だって中岡も周旋してるし・・・新聞記事に中岡の名前がまったくないのはなぜ〜?(マイナー応援団の管理人は、中岡に肩入れしております。海援隊はワードで一発変換できるのに、陸援隊はできないしネ^^;笑)。あれ・・・なんだか、この文章の一部が龍馬伝説に疑問!〜みたいになってますけれど、司馬さんの「竜馬がゆく」は大好きなんですよ、念のため^^。

(2002/10/26)





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