和暦 | 天 皇 |
将 軍 |
薩摩藩の主なできごと | 幕末の主なできごと |
宝歴3 1753 |
仁 孝 |
家 治 |
薩摩藩に木曽川治水工事の幕命 | |
宝暦5 1755 |
治水工事責任者平田正輔自刃 重豪(11歳)25代藩主就任。(養母は将軍綱吉養女竹姫) |
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宝歴12 1762 |
重豪、一橋宗尹の娘保姫を夫人に。 | |||
天明7 1787 |
家 斉 |
重豪の娘茂姫、近衛家養女として将軍家斉夫人に。(のちの広大院)。重豪(43歳)、隠居。長男の斉宣(25歳)が26代藩主就任。 | ||
文化2 1805 |
斉宣、改革を宣言 | |||
文化5 1808 |
改革派の秩父太郎・樺山主税(近思録派)切腹。(近思録崩れ) | |||
文化6 1809 |
斉宣(37歳)、隠居。斉宣の長男斉興(19歳)が27代藩主。藩政は重豪(55歳)が輔佐。 | |||
文政7 1826 |
英国捕鯨船員、宝島上陸。 | |||
文政8 1825 |
斉宣の娘郁姫・近衛忠煕と結婚 | |||
文政10 1827 |
藩の借金500万両に | |||
文政11 1828 |
重豪・藩主斉興、調所広郷(ずしょ・ひろさと)に財政再建を命じる。 | |||
天保1 (1830) |
重豪、調所に天保2年から12年間に50万両の貯蓄等を命じる。 | 文政12年、徳川斉昭(30歳)、9代水戸藩主に。翌天保元年から天保の藩政改革に本格的着手。 | ||
天保2 1834 |
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天保3 1834 |
調所、家老格に。 | 長州藩天保の大一揆 | ||
天保4 1834 |
重豪、死去(89歳) | 徳川斉昭、幕府に海防を説く | ||
天保5 1834 |
藩債の250年賦償還(無利子)を決定 | |||
天保7 1836 |
調所、藩債の250年賦償還(無利子)を大阪商人相手に実施 | *全国で天保の大飢饉始まる。 | ||
天保8 1837 |
家 慶 |
7-米商船モリソン号、山川沖に。薩摩藩の砲撃により退去。この年、250年賦償還(無利子)を江戸で実施 | 2-大塩平八郎の乱、徳川家慶(45歳)、6-米商船モリソン号事件、12代将軍就任 | |
天保9 1838 |
調所、家老に。 | 長州藩主毛利敬親・初入国。村田清風、天保の藩政改革に着手 | ||
天保10 1839 |
蛮社の獄、水野忠那首席老中に <アヘン戦争勃発> |
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天保11 1840 |
高島秋帆、西洋砲術を幕府に進言 | |||
天保12 1841 |
閏1‐前将軍家斉(大御所)死去。 5-幕府、天保の改革に着手 10-渡辺崋山自殺 |
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天保13 1842 |
7-天保薪水給与令(異国船打払令の緩和) <清、英国と南京条約締結> |
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天保14 1843 |
英国艦、宮古島に来航。 | 水野忠那、失脚。阿部正弘、入閣。 長州藩村田清風、借財の37ヵ年賦皆済仕法発表。 |