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「禁門(蛤御門)の変」 編

「今日の幕末京都」禁門(蛤御門)の変勃発

<詩歌>

久坂玄瑞 長州
藩士
<元治元年7月19日 鷹司邸で自刃 26歳>

「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
         (振気篇、慷慨詩歌集)

「秋深し山の峯の楓葉の 過ぎていゆしきこの君あはれ」
「いくそ度くりかへしつつわが君のみ 言し読めば涙こぼるる」
「とりはける太刀の光はもののふの 常にみれどもいやめづらしき」
「おく山の雪は消えたり百敷の 軒旗の梅は咲きにけらしも」
「山桜薫りを千世にとどめよと うえにし君がこころ知らるる」
「山桜花もろともに散りはてし 常陸男の恋しきろかも」
「ゆく川の過ぎにし人の跡とへば ますら猛男も涙ぐましも」

         (防長正気集)
寺島
忠三郎
長州
藩士
<元治元年7月19日 鷹司邸で自刃 23 歳>

先生の駕すでに東に行きなむ頃五月雨の頻に降る折から
慕はしく思ひ侍りて
「道々もさぞかしやらん五月雨の 雲は東もふるさとの雲」
         (坊長正気集)
原盾雄 久留米
<元治元年7月19日 鷹司邸で自刃>

「おほみため捨つるいのちはをしまねど こころにかかるふるさとのこと」
入江九一 長州
藩士
<元治元年7月19日 戦死 27歳>

「のちの世も今もむかしをてらすらん 物おもふ身は月ぞまばゆき」

松陰先師の墓下に梅花を挟むとて
「年を経て変らぬ梅の花の香を 手向くるさへも心愧し」

憶弟
「客夢浮沈す国を去るの船。
今宵何れの處にか愁眠を着けん。
憐む可し弟や纔(わずか)に袂を分てるに、
已に是れ阿兄は倒懸に在り」

徐遮
「一たび母命を思へば悲しみに堪へす。
方寸の鬼籌も忽ち絲の如し。
恩義何ぞ報效を謀るに遑(いとま)あらんや。
起って膝下に帰りて痴兄と為らむ」

         (坊長正気集)
上記2首は獄中にあったとき詠まれた歌
来島
又兵衛
長州
藩士
<元治元年7月19日 御所公卿門前にて戦死>

甲子の元朝に
「此の首をとるかとらんか今朝の春」
         (殉難前章)
中村
恒治郎
筑前人 <元治元年7月19日 御所公卿門前にて戦死 23 歳>

「かねてよりつかふる君の命ぞと おもひし我が身いまぞささぐる」

         (殉難前章)
真木保臣
和泉守

久留米
神官
<元治元年7月21日 天王山で自刃 53歳>

「おくれなば色もさくらにおとるらむ いそぐぞ梅のにほひなりける」
「百敷の軒のしのぶにすがりても 露のこころを君に見せばや」
「よしといひあしといはれて難波江に みだるるものは身のたぐひなる」
「ひとたびは玉とみられて咲くからに 
ちりぬるものと(ぞ?)みのたぐひなる」
         (殉難前章)
「かかる身となりてさこそと思ふ哉 たぐへて見んはかしこかれども」
         (志士正気集)
廣田
精一郎
宇都宮
藩士
<元治元年7月21日 天王山で自刃 27歳>

「色香をもおしまで花のちればこそ やまとごころと人やいふらむ」

         (殉難前章)
松浦八郎 久留米
<元治元年7月21日 天王山で自刃>

「露の身は武蔵の野辺にきゆるとも 魂はまもらむ九重の庭」
         (殉難前章)

 <参考文献>『勤皇文庫 第五編 詩歌編』(大正10年)、『維新志士勤皇詩歌評伝』(昭和13年)、『志士詩歌集』(昭和17年)
佐幕派もとりあげたいのですが、手持ちの資料からアップしているので当分、尊王派が中心になると思います。
会津藩などの死者の詩歌のご存知の方がいらしたら是非教えてくださいませ。

<小伝>

じゅんびちゅう。

<参考文献>『維新志士勤皇詩歌評伝』、『勤皇文庫 第五編 詩歌編』
『徳川慶喜』(中公新書)、『幕末維新人名辞典』(新人物往来社)、『明治維新人名辞典』(吉川弘文館)
『幕末維新 新撰組・勤皇志士・佐幕戦士たちのプロフィール』(新紀元社)


01/6/8

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