坂下門外の変とは
−勅涕和歌集(慶応3年12月)、殉難全集(明治2年)より−
*殉難全集は、城兼文編。城は、『新撰組始末記』を著わした西村兼文です。
平山兵介 ひらやま・ へいすけ |
水戸 脱藩 |
<文久2年1月15日 坂下門で闘死 22歳> 「わかれては またあふことの かたければ 益荒男の 袖ぞ露けき」 「呉竹の うきふし繁き 世なれども 緑の色は 変へずやあらなむ」 |
河野顕三 かわの・ けんぞう |
下野 医者 |
<文久2年1月15日 坂下門で闘死 25歳> 「斃れても 亦起きぬらん 我がこころ しこのたふれし 尽くるときまで」 「白髪の 老を見すてて 国のため つくす真ごころ 神ぞしるらむ」 |
河本杜太郎 かわもと・ もりたろう |
越後 | <文久2年1月15日 坂下門で闘死 23歳> 「感慨男児 不思家。 悲時 心緒乱如糸。 風雲 豈無相逢日。 潜匿 唯須待斬蛇。」 |
黒沢五郎 | 常陸 | <文久2年1月15日 坂下門で闘死 30歳> 「たぶれらを きため尽して 後にこそ つゆのいのちを などをしむらむ」 |
川辺佐次衛門 | 水戸 脱藩 |
<文久2年1月15日 長州藩邸で自決 31歳> 「五更月落 凛悲風。 別母捨児 奈此忠。 皇国存亡 人不識。 斬除奸賊 報天公」 |
児島強介 | 宇都宮 商人 |
<文久2年6月25日 江戸獄中で病死 26歳> 「ひた守り 今は守らぬ ことしあらば 塵に芥に ならんこの身は」 母・益と妻・操との贈答歌 思ふふしありて草臣へおくる 母 「女にこそあれ 我もゆくべき 道をゆきて やまと心は 劣らぬものを」 思ひをのぶるといふことを 妻 「絶えて世に のぞみなき身は 天皇に 君が事へん ことをのみこそ」 別れに望みてよめる 母 「かくぞとは 思ひさだめし ことながら さすがに憂きは 別れなりけり」 返 草臣 「別れうき 習ひはあれど 大丈夫の しのぶは国の みためなりけり」 再び草臣に 母 「剣太刀 いよいよとぎつつ 大丈夫の 清き勲を 後に知られよ」 |
大橋訥庵 | 江戸 儒者 |
<文久2年7月12日 預け先宇都宮藩で病死 47歳> じゅんび中 |
石黒簡斎 | ? | <文久2年8月6日 江戸獄中で病死 27歳> 「あなうれし 我が大君の 御こころも やがてやすまん 年と思へば」 |
<参考文献>『勤皇文庫 第五編 詩歌編』(大正10年)、『維新志士勤皇詩歌評伝』(昭和13年)、『志士詩歌集』(昭和17年)
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<小伝>