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桜田門外の変(安政7年3月3日)とは
桜田十八士(襲撃メンバー):
関鉄之介、稲田重蔵、山口辰之介、鯉淵要人、広岡子之治郎、黒沢忠三郎
斎藤監物、佐野竹之助、大関和七郎、森五六郎、蓮田市五郎、森山繁之介
海後磋磯之介、杉山弥一郎、岡部三十郎、広木松之介、増子金八、有村冶左衛門
−勅涕和歌集(慶応3年12月)、殉難全集(明治2年)より−
*殉難全集は、城兼文編。城は、『新撰組始末記』を著わした西村兼文です。
有村冶左衛門 ありむら じざえもん (桜田十八士) |
薩摩 藩士 |
<安政7年3月3日 薩摩藩から唯一襲撃に参加。大老井伊直弼の首級を あげるが重傷を負い、遠藤但馬守辻番所前で自刃 23歳> 「くろがねも とほらざらめや ますらをが 国のためとて 思ひ切る太刀」 「君が為め 尽す心は 武蔵野の 野辺の草葉の 露と散るとも」 「古郷の 花を見捨てて 迷う身は 都の春を 思ふばかりに」 |
佐野竹之介 さの・ たけのすけ (桜田十八士) |
水戸 藩士 |
<安政7年3月3日 重傷を負い老中細川邸に自訴。夕刻死亡 21歳> 「さくら田の 花とかばねは さらすとも なにたゆむべき やまとだましひ」 「しきしまの 錦の御旗 もちささげ すべら御軍の さきがけやせむ」 |
鯉渕要人 こいぶち かなめ (桜田十八士) |
水戸 神官 |
<安政7年3月3日 重傷を負い、老中脇坂邸に自訴途中 増山対馬守邸前で自刃 51歳> 「君がため 思ひをはりし 梓弓 ひきてゆるまじ やまとだましい」 |
広岡千子治朗 ひろおか ねのじろう (桜田十八士) |
水戸 藩士 |
<安政7年3月3日 重傷を負い、辰の口で辞世を吟じた後、自刃 21歳> 「ともすれば 月の影のみ 恋しくて 心は雲に なりませりけり」 |
斎藤監物 さいとう けんもつ (桜田十八士) |
水戸 藩 神官 |
<事変首謀者の一人。重傷を負い、老中脇坂邸に自訴して斬奸状提出。 安政7年3月8日 吟味中に重創死 39歳> 「咲きいでて 散るてふものは 武夫の みちに匂へる 花にぞありける」 辞世 「君がため つもる思ひも 天つ日に とけてうれしき けさの淡雪」 |
高橋多一郎 たかはし たいちろう |
水戸 藩士 |
<事変首謀者の一人。事変に先立ち大坂へ向い、薩摩藩東上を待つが 挙兵はなく、潜伏先の大坂にて幕吏に包囲され、 安政7年3月23日 嫡子荘左衛門19歳とともに自刃 47歳 > 「志願未だ成らず、又春に遇ふ。 親朋、多くは是れ獄中の人。 弟兄昨日典刑に就く。愧負す、水城烈士の倫」 「別れても また逢ふことは 有磯海の みちひは汐の ならひとぞしれ」 「出でていなば 誰かは告げむ 我がやどの にほうさくらの 朝のけしきを」 四天王寺において血書の辞世 「鳥がなく 吾妻建男の 真ごころは 鹿しまの里の あなたぞとしれ」 |
有村雄助 ありむら ゆうすけ |
薩摩 藩士 |
<品川で襲撃成功の報を受け、薩摩藩挙兵をはかるため、 金子と西上するが、藩の追跡を受けて四日市で捕縛。国許に護送される。 安政7年3月24日 藩命により薩摩にて切腹 28歳> 「ぬま水の 底に沈める 蓮葉の きよき心を 誰かしるらむ」 「大君の 憂き御心を やすめずば 再び国に 帰らざらめや」 |
金子孫冶郎 かねこ まごじろう |
水戸 藩士 |
<品川で襲撃計画を指揮。襲撃成功の報を受け、有村と西上するが 途中、薩摩藩により捕縛。伏見奉行所に引き渡され江戸に護送される。 文久元年7月26日 江戸にて刑死 58歳> 「ます鏡 清き心は 玉の緒の 絶えてし後ぞ 世に知らるべき」 「君がため ひそみ行く身の 旅心 ぬるるもうれし 春の淡雪」 「いたずらに 迷ふも 伏見の旅衣はや もとのまま おとづれもがな」 「くにを思ひ 家をも捨てて もののふの 名を惜しむ故 身をば惜しまず」 |
森五六郎 もり ごろくろう (桜田十八士) |
水戸 藩士 |
<負傷して、老中細川邸に自訴。 文久元年7月27日 江戸にて刑死。22歳> 「いたづらに 散る櫻とや 言ひなまし 花の心を 人は知らずて」* 「露の身と おもへば 軽き花のゆき ちるべきときは やまとだましひ」 「白刃 飛雪と争い、仇を斬りて主恩に報う。 今朝吾が事畢れり。芳臭は人の言うに任す」 *金子孫治朗の詩歌だという説もある |
森山繁之輔 もりやま しげのすけ (桜田十八士) |
水戸 藩士 |
<負傷して、老中細川邸に自訴。 文久元年7月26日 江戸にて刑死 27歳> 「君がため 思ひをのこす 武夫の なき人数に 入るぞうれしき」 |
蓮田市五郎 はすだ いちごろう (桜田十八士) |
水戸 属吏 |
<老中脇坂邸に自訴。 文久元年7月26日 江戸にて刑死 29歳> 「世のためと 思ひつくせし ま心は 天つみ神も みそなはすらむ」 「いそがねど いつか嵐の さそひ来て こころせはしく ちるさくらかな」 |
黒沢忠三郎 (桜田十八士) |
水戸 藩士 |
<老中脇坂邸に自訴。 文久元年7月26日 江戸にて刑死 22歳> 「君がため 身を尽くしつつ 益荒雄の 名をあげとほす 時をこそ待て」 絶命詞 「狂と為し賊と為すも、他の評に任せむ。幾歳の妖雲一旦晴る。 正に是れ櫻花の好時節。櫻田門外血櫻の如し」 |
広木松之助 (桜田十八士) |
水戸 藩士 |
じゅんびちゅう |
関鉄之助 (桜田十八士) |
水戸 藩士 |
<事変後、薩摩藩同志との約により西下・入京するが 薩摩藩挙兵はなく、薩摩に向うが入国拒否にあう。越後に潜伏中捕縛。 文久2年5月11日 江戸にて刑死 39歳> 獄中の歌 「よそめには うしとおもひし ひとやさへ いまは身をおく 世となりにけり」 「かれ残る すすきに風の 音たてて 一むら過ぐる 小夜時雨かな」 寄花述懐 「かぐはしき 名のみのこらば ちる花の 露ときゆとも うれしからまし」 同じく獄に囚れてありける弟なる平澤秀武が許によみて遣しける 「めぐりあひて 姿は見えねど 声添へて こはまたいかに かかる涙ぞ」 「露の身も 草の獄に 起臥の 見むことかたき 世となりにけり」 *斎藤監物の歌という説もある 壬戊の弥生三日の朝斎藤文里等の人々を弔いはべりて 「花とちり 雪と消えにし あととへば はやみかへりの 春たちにけり」 萌え出る野辺の若菜の草ならでいかにおきふすひと やなるらんといひおこせたりしかへしに 「人とはば つげよ日かげの 草葉にも 露のめぐみは ある世なりきと」 |
<参考文献>『勤皇文庫 第五編 詩歌編』(大正10年)、『維新志士勤皇詩歌評伝』(昭和13年)、『志士詩歌集』(昭和17年)
『明治維新人名辞典』
<小伝>
じゅんびちゅう |