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やおい作品への利用(悪用)は絶対にやめてください。前例があり、深く傷ついています。
有馬新七 ありま・しんしち |
薩摩 藩士 |
<文久2年4月23日 伏見寺田屋にて闘死 37歳> 「梓ゆみ 春たつかぜに 大君の 御代引きかへす 時は来にけり」 「なる神の 持てる斧われ 得てしかも 醜のまこ臣 討ちてし止まむ」 (殉難前章) |
橋口壮輔 はしぐち・ そうすけ |
薩摩 藩士 |
<文久2年4月23日 伏見寺田屋にて闘死 22歳> 八幡山を伏しをがみて 「皇(すめらぎ)の 御代を 昔に返さんと 思ふ心を 神も助けよ」 (殉難遺章) |
西田直五郎 にしだ・なおごろう |
薩摩 藩士 |
<文久2年4月23日 伏見寺田屋にて闘死 25歳> 「大君の 御代かはるべき ときを得て やがて雲井に 名をやとどめむ」 「しこ草の まにまにしげる 野辺なれば 秋のにしきの おもかげもなし」 (殉難前章) |
森山 新五左衛門 |
薩摩 藩士 |
<文久2年4月24日 藩命にて自刃 20歳> 「浮雲を はらひ清めて 秋津州の やまと島根に 澄める月見む」 (殉難前章) |
田中河内介 たなか・ かわちのすけ |
中山家 家士 |
<文久2年5月1日 播磨灘で護衛の薩摩藩士により斬殺 48歳> 「大君の 御旗の下に 死してこそ 人と生まれし 甲斐はありけれ」 (殉難続章) |
田中左馬介 たなか・ さまのすけ |
河内介 息子 |
<文久2年5月1日 播磨灘で護衛の薩摩藩士により斬殺 18歳> 春夜 「春宵寂寞眠難得。風払花林香露迷。 深院沈沈人去後。半輪落月此窓西」 (殉難続章) |
海賀宮門 かいが・みやと |
秋月 藩士 |
<文久2年5月7日 細島で薩摩藩士により斬殺 29歳> 「夏の夜の みじかき床の 夢だにも 國やすかれと むびこそすれ」 (殉難拾遺龍之巻) |
是枝 柳右衛門 これえだ・ りゅうえもん |
薩摩 町人 |
<元治元年10月13日 配流先の屋久島で病死 48 歳> 「薩摩山 今日を限りと 越え来れば 雪の白たま 袖にこぼるる」 「さつまがた 遠きさかひに ありとても 操を人に ゆづるべきやは」 「ももとせの 半たのしく 暮らしけり のこりは御世に たてまつりてむ」 「隼人の さつまのこらの つるぎ太刀 抜くと見るより 楯はくだくる」 (有節録) |
<参考文献>『勤皇文庫 第五編 詩歌編』(大正10年)、『維新志士勤皇詩歌評伝』(昭和13年)、『志士詩歌集』(昭和17年)
佐幕派もとりあげたいのですが、手持ちの資料からアップしているので当分、尊皇派が中心になると思います。
<小伝>
じゅんびちゅう。 |
<参考文献>『維新志士勤皇詩歌評伝』、『勤皇文庫 第五編 詩歌編』
『徳川慶喜』(中公新書)、『幕末維新人名辞典』(新人物往来社)、『明治維新人名辞典』(吉川弘文館)
『幕末維新 新撰組・勤皇志士・佐幕戦士たちのプロフィール』(新紀元社)
01/6/8