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膳所事件 編

関連:「河瀬太宰妻節死附隊士暴行之事」@御陵衛士館(新しいウィンドウが開きます)

<詩歌>

河瀬太宰定 膳所
藩士
<慶応2年6月6日 京都の獄中にて斬刑  >
河瀬氏は元膳所藩にして、后、文才を以て三井寺に奉仕す。慶應元年丑五月、長州家再征の為めに、将軍家茂公進発の期に、同志数十輩と其の無辜なることを議論に及び、曲直の事を明らかにせんと欲し、中途に於て発覚し、卻って縛に就く。其の妻某忽ち自害し、定は京獄に繋がる。同二年寅六月六日断頭せらる。(一人一首伝)

    辞世
「吾今死干國、素志終不伸、已矣従容去、九泉多知己」
(吾今圀に死す。素志終に伸びず。已(や)みぬ、従容として去らん。九泉知己多し)
(一人一首伝)
増田仁右衛門 膳所藩士 <慶応元年10月21日 刑死、26 歳>
増田氏は膳所藩にして頼鴨香i=頼三樹三郎)の門子なり。前同盟の士にして、露るるに及び、縛に就きて幽閉せらる。慶応元年丑十月二十一日、同志保田信解、阿閉権之丞、田河藤馬允、横島錠之介、高橋作弥、大羽俊蔵、高橋雄太郎、渡邊惣介、深栖俊介、森喜右衛門と共に刑に就く。年二十六。(一人一首伝)

   述懐
「往時茫々夢一新、是非今日向誰陳、春郊会酔吟詩客、秋峰唯思採簟人、伝信難看黄耳到、攘夷安得赤亦心伸、飄然見遂初年心、漁水樵山慰老親」
(往時茫々として夢一に新なり。是非は今日誰に向つてか陳べん。春郊会つて酔ふ吟詩の客。秋峯唯思ふ採簟の人。伝信看難し(みがたし)黄耳の到るを。攘夷安ぞ(いづくんぞ)赤心の伸ぶるを得ん。飄然として遂げ易し初年の心。水に漁し山に樵して老親を慰む)
(一人一首伝)
保田信解
(信六郎)
上の2名以外の詩歌が探せませんでした。もし見つければ追加します。ご存じの方がいらっしゃれば、連絡帳にご一報いただければ幸いです。
阿閉権之丞
田河藤馬允
横島錠之介
高橋作弥
大羽俊蔵
高橋雄太郎
渡邊惣介
深栖俊介
森喜右衛門

 <参考文献>『勤皇文庫 第五編 詩歌編』(大正10年)、『維新志士勤皇詩歌評伝』(昭和13年)、『志士詩歌集』(昭和17年)
旧字は一部当用漢字に直しています。

<小伝>

じゅんびちゅう。

<参考文献>『維新志士勤皇詩歌評伝』、『勤皇文庫 第五編 詩歌編』
『徳川慶喜』(中公新書)、『幕末維新人名辞典』(新人物往来社)、『明治維新人名辞典』(吉川弘文館)
『幕末維新 新撰組・勤皇志士・佐幕戦士たちのプロフィール』(新紀元社)


01/6/8

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