第2章  事件の発端


うちに帰り着くと、パトカーの回転灯の赤い光が周囲を照らしていた。放牧地の方には、警官の姿がたくさん見える。すでに警察の捜査が始まっているらしい。
と、いうことは……。

「山崎さん!」

私は彼を見つけ、すぐ近づいていった。幸広くんも後ろからついてくる。
「おお、理絵ちゃんか。今回は大変なことになったな……」
いつものように、言わなくてもいいようなことを言う。
この人は、山崎照文さん。桜川署の刑事さんで、33歳で独身。例の彩子失踪事件を追っている間に、私や私の友達と仲よくなってしまった。
発生から5年が過ぎた彩子の事件はひとまず後まわしにして、今はこの「当歳馬盗難事件」を担当している。でも、まさかその事件がうちの牧場で起きて、こんな形で顔を合わせることになろうとは……。

「ところで……被害者とはいえ、やっぱり君も関係者であることに変わりはないんだ。少し話を聞かせてもらうけど、いいな?」
山崎さんの顔が、刑事さんの表情になる。
「ええ」
もちろん、捜査には協力しなければいけない。
「まず、いきなりだが、君は今までどこに出かけていた?」
「桜川の河原へ行っていました」
「河原? 何のために?」
「幼なじみに会っていたんです」
「幼なじみ……ああ、そっちの男の子だな。……あれ? その彼、どこかで見たことあるぞ」

……そこで私は今までの経緯をすべて話し、幸広くんのことも紹介した。
「平賀幸広です。初めまして」
「ああそうか! この町出身の騎手! いやはや、わからなかったなんて、地元民と親しい刑事の名が泣くな」
「いいんです。まだ減量も取れてない無名ジョッキーですから」
幸広くんと山崎さんは、すぐに打ち解けたようだった。そこはやはり男同士だからなのか、それとも気さくな山崎さんとおとなしい幸広くんでバランスが取れるからなのか。

「……今現在、どのあたりまでわかっているんですか?」
そう簡単に捜査状況を一般人に話すわけはないと思いつつも、私は聞いてみた。
「実行犯については、調べれば限定はされてくるだろうな」
「実行犯?」
「ああ。犯人は必ず大型免許と馬運車を持っているはずだからな」
「そうですね。いくら当歳とはいえ、今の時期はもうかなり成長してますから、普通の車にむりやり押し込めて……なんていうことはできないでしょう。そんなことをすればひどく暴れるでしょうし」
幸広くんが納得している。
「しかし、そこがまた問題でもあるんだよ。……理絵ちゃん」
山崎さんが私に顔を向けた。
「はい?」
「そうやって馬を盗むには、かなりの時間と手間がかかる。しかし、河原にいた君は除くにしても、この牧場の人たちは誰も事件に気付かなかった。おまけに、馬運車を目撃した人もいないし轍も残ってないと来てる。それが妙なんだよな……」
うちの牧場から国道までの道は舗装されていない。馬運車が通れば轍がつくことは私でも知っている。さらに、途中は放牧地ばかりで見晴らしがよく、馬運車のような大きな車が停まっていればいやでも目につく。それなのに、そのどっちもないなんて……。
考えながら、私は向こうを見た。
少し離れたところで私の両親が、さらにその向こうで牧夫の武内哲くんが、それぞれ別の刑事さんと話している。
うちの牧場で働いているのは、それに私を加えた4人だけだった。家族経営の牧場というのは、どこもそんなものだ。
今日の午後は、両親と哲くんが馬房の掃除をし、仕事が休日と決められていた私は部屋でマグカップと手紙を眺めて……という感じだった。
その間、馬たちはここに放牧していた。見張りはいなかった。
大きい牧場でも、見張り専門の人を置くところはまずない。
サラブレッドというのは「単価は高いけど盗む価値はない商品」なのだ。なぜなら、血統書がないと売買が成立しないからだ。盗んでもお金には替えられないため、盗もうとする人がいないのだった。特に当歳馬は、まだ人を乗せる調教もされていないし、使役馬とするにもパワーが足りないので、盗む価値はゼロと言ってもいい。
それなのに、最近は……。
この町では何か、とんでもないことが起きている。私はそれを強く感じていた。

山崎さんにいろいろな話をしていると、隣の牧場『ブロードファーム』の場長、佐々木伸明さんがやってきた。
ブロードファームは1年ほど前にできたばかりで、「広い牧場」という意味の名前にはまだまだ届いていないのが現状だった。従業員は30代の独身男性ばかり5人で、全員牧場の仕事は初めてだったらしい。それは佐々木さんも例外ではなく、よく私の父に、賢い経営方法などを聞いてくる。
「……あなたは?」
山崎さんがいぶかしげにたずねた。佐々木さんはいい人なのだが、人相はお世辞にもいいとは言えず、そのために今までに何度か無関係な事件で疑いをかけられたことがあるらしい。いつか、笑いながらそんな話をしてくれた。
「ああ、申し遅れました。私は隣の牧場の経営者で、佐々木といいます」
佐々木さんは、印象を変えようとしたのか、大げさなほどに深く頭を下げた。
「こちらの上島牧場さんには、日頃からお世話になっております。今回の一件で、せめて何かのお役に立てないものかと飛んできた次第です」
「そうでしたか。それでは、あなたからもお話を少々……」
そうして山崎さんは、佐々木さんに話を聞き始めた。私と幸広くんは、邪魔にならないように、少し離れたところまで移動した。

「ああ、お嬢様」

するとそこへ、刑事さんから解放された哲くんが近づいてきた。
哲くんは17歳。東京の中学を卒業してから「牧場で働きたい」と単身この町にやってきて1年半になる。仕事を的確にこなす、まじめな少年だ。
牧夫というとどうも、体力勝負は得意だけど頭を使うのは苦手そうなイメージを持たれてしまうことが多いが、彼はそうではなかった。非常に頭がよく冷静で、パソコンいじりを趣味に持ち、技術的レベルのかなり高いホームページも開設している。夢はパソコンで馬の血統と配合を研究し、史上最強馬を生産することだとか。
ただひとつ……「上下関係ははっきりさせるべきです」と言って、私のことを「お嬢様」と呼ぶのだけは、いまだにちょっと違和感があるんだけど。
「あっ……これは、どうも……」
哲くんは、私の横の幸広くんに気付いたらしい。
「初めまして、平賀幸広です」
「こちらこそ。武内哲と申します」
ふたりはあいさつを交わした。

「……いったいどこの誰が、どんな目的で、こんな事件を起こしているんでしょうか」
哲くんが、どっちにともなくつぶやいた。
「まったくね。何の得にもならないのに」
私は「盗む意味がない」ことを思い出して答えた。
「そうですよね。……しかも、さらに妙なことがあるんです」
「妙なこと?」
「サンクチュアリの仔は牡馬でこそありますけど、血統的には決して素晴らしいとは言えないですよね。実はぼく、前からこの一連の事件を個人的に調べていたんですが、他の事件でも、盗まれた馬はどれも、その牧場では血統的に劣る方の馬ばかりなんですよ。いくら盗んだ馬は正規のルートで売りさばけないとはいっても、わざわざ安い馬を選んで盗む理由があるんでしょうか」
「そうね。例えばその牧場に恨みがあって、盗んで困らせようとしたと考えても、それなら高い方の馬を盗むでしょうし。馬の値段が高くても安くても、盗む手間は変わらないわけだから……」
私は考え込んでしまった。
哲くんも考えていた。
幸広くんは、終始黙ったまま、牧場の敷地内をぼんやりと眺めていた……。

 

 

……夕方になり、山崎さんたち警察の人々は帰っていった。佐々木さんはブロードファームに戻り、両親は家の中に入り、哲くんも気を利かせて仕事に行ってしまい……いつしか、寂しげな夕暮れの中、私と幸広くんだけが残された。
「じゃあ、ぼくもそろそろ懐かしい実家に帰るよ。何だかいろいろあって、あんまり話せなかったね。明日はもっと楽しく過ごそう」
幸広くんがそう言って帰ろうとしたので、私はずっと聞きたかったことを質問した。
「あ、待って。幸広くん、いつまでこの町にいられるの?」
「金曜日……22日の昼までかな。今週末はこっち……札幌のレースで乗せてもらえるように、先生に頼んできたから」
「私たちの記念日のために?」
「うん。先生には渋い顔されたけど、これだけはって貫き通しちゃったよ。5年以上前からの約束だからね。……でも……」
明るく話していた幸広くんが、突然声を落とした。……その意味は、私にも手に取るようにわかった。

……でも、できることなら、ふたりじゃなくて3人で過ごしたかった……。

「水曜と木曜は調教のために朝だけ札幌に行かなきゃいけないけど、昼にはまたこっちへ戻ってくるつもりでいるんだ。次にこうして帰ってこられるのはいつになるかわからないから……」
幸広くんは、気を取り直して、必要なことを言った。
「そうね」
今度の土曜日曜で、今年の北海道での競馬開催はすべて終了となる。彼が騎乗するなら、札幌まで応援に行こうかしら……私はそう思った。
それまでに、この事件が少しでも進展するといいけど……。

「じゃ、本当に帰るよ。……当歳馬は必ず見つかる、ぼくはそう信じているから」
「ありがとう。それじゃ……あっ」
幸広くんを見送ろうとしたところで、大切なことを思い出した。
「どうした?」
「ねえ、ちょっと連れていってあげたいところがあるの。ついてきてくれる?」
「いいけど……どこ?」
「ここから歩いて30分くらいのところにあるスナック。そこのオーナーママがあなたの大ファンでね、是非一度来てほしいって言ってたのよ」
「うーん……。嬉しいけど、ぼく、酒はあんまり……」
「強くないの?」
「うん」
「それは気にしないで。あそこ、お客さんの半分くらいが『飲めない人』なの。みんな、おしゃべりとかを楽しみに行ってるのよ」
私がそう言うと、幸広くんはそっと笑った。
「そうなんだ。じゃあ……行かせてもらおうかな」
「そう来なくちゃ!」
答えを聞くやいなや、私は彼の腕をひっぱった。

 

 

私と幸広くんは、再び海岸沿いの国道を歩いて、スナック『Happiness』へと向かっていた。
北海道は広いので、歩いて30分などというのは庭のようなものだ。そこで生まれ育った私たちにとっては、疲れる距離ではない。

しばらく歩いたところで、私の足はふと止まった。
視線は、道の1ヶ所に釘付けになる。

……ここは、悲しみの場所だ……。

5年前の今日、彩子は行方不明になった。そしてその翌日……ここで血痕が見つかったのだ。
血液型は、彼女と同じAB型だった。
しかも、後のDNA鑑定の結果、その血は彼女のものに間違いない、と科学的に証明されてしまった。
その点から考えるとどうしても、彼女はもう生きてはいない可能性が高い、という結論に行ってしまう……。

……ううん、そんなことない。必ず、どこかで元気にしてるはず!
私は、あくまでもそう信じた。

「理絵ちゃん……?」

一緒に足を止めていた幸広くんが、私を呼んだ。立ち止まった理由が知りたい……そう顔に書いてある。

「……幸広くん。実は、彩子のことなんだけど……」

少しだけ迷ったあと、私はすべてを彼に話す方を選んだ。
彼にとっても、彩子は大切な幼なじみ。確かにつらい真実ではあるが、隠さないでありのままを伝えるべきだ。

「……そうか……」

すべてを聞き終えた彼は、やはりショックを隠せない様子でつぶやいた。
しかし……。

「……でも、ぼくは彼女が生きてる方に賭けるよ。君もそうだよな?」

「うん、もちろん!」
彼がそう言ってくれたのが心強くて、私はしっかりうなずいた。

「じゃあ、行こうか」
そうして、私たちはまた歩き出した。
あたかも、悲しみを振り切ろうとするかのように……。


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