第3章  『Happiness』


「いらっしゃいませ……あっ!」

『Happiness』に入るやいなや、オーナーママの摩耶めぐみさんは声を上げた。
「理絵ちゃん! その人は!」
「ええ、その通りです!」
私は、ニコニコ顔で幸広くんを前に出した。
「平賀幸広です。応援どうもありがとうございます」
「あ、あたしは摩耶めぐみよ。しがない水商売の女だけど、よろしくね」
めぐみさんは、まるで少女のような声で答えた。
彼女は、1年前にここを始めた28歳。源氏名の通り兵庫県出身だそうだ。言葉は標準語だが、たまにアクセントに関西が入る。ボケとツッコミの役割分担ではツッコミだとか。
幸広くんの熱烈なファンで、店をこの町に開いたのもその影響らしい。店名『Happiness』も、表向きはすずらんの花言葉「Return of Happiness(幸福の復活)」から取ったことになっているが、本当は「幸広」の「幸」を訳しただけだということを、私は知っている。

「ねえねえ、理絵ちゃん」
呼ばれて顔を上げると、めぐみさんはいつしか、店の奥から持ってきたらしいカメラを手にしていた。
「彼とツーショット写真を撮りたいんだけど、シャッター押してくれない?」
「いいですよ」
私ははしゃぎまくるめぐみさんからカメラを受け取り、ファインダーをのぞいた。

……その狭い空間に幸せのすべてを封じ込めるように、シャッターを切る。

「わあ、ありがとう!」
めぐみさんはまた、その大人びた化粧に似合わない声を上げた。
「明日、早速現像して引き伸ばしてパネルにしなきゃ。それで、このお店に飾るの。ね、いいでしょ?」
「は、はい……」
完全にめぐみさんに押されて小さくなっている幸広くんを見ながら、私はカメラを返そうとした。
「あれ? 理絵ちゃんも彼と撮りたいんじゃないの?」
すると、彼女はいたずらっぽく笑った。
「え……私ですか?」
言われてみれば、このシチュエーションと私みたいな性格の人間が重なったら「私とのツーショットも撮って」となるのが普通だ。私は幸広くんの幼なじみで、一緒の写真がアルバムにたくさんあるから、思いつかなかった。
「いいじゃない。彼の方が撮りたいかもしれないし」
「え……あの、ぼくは……」
「いいからいいから。はいはい、並んで並んで!」

……結局、私と幸広くんはめぐみさんに押し切られ、そこに並んで立った。
そして、フラッシュが光った。

 

 

それから私たちはカウンターに並んで座り、いろいろと話をしていった。
めぐみさんは幸広くんにサインをしてもらってそれを店内に飾り、幸広くんの方は店名の本当の由来を聞かされて照れまくった。
そして、今日という「記念日」の話も……。

「そう、5年半越しの約束ね……。いいね、あたしそういうの好きよ」
「でも、できることなら3人でこの日を迎えたかったですね……」
と幸広くん。
「ああ、彩子ちゃんの話ね」
「ええ……」
「大丈夫よ。あたしの知り合いに、8年も行方をくらましてたのに、芸人になって帰ってきたのがいるから」
私たちは笑った。

「そういえば、理絵ちゃん」
「はい?」
「さっき別のお客さんが言ってたんだけど、あなたの牧場でも馬が盗まれちゃったんだって?」
「……ええ」
「本当、ひどいことする人がいるものね……。絶対、そんなのに負けちゃだめよ」
「もちろんです」
「その意気よ。……あ、いらっしゃいませ!」

入口のドアにつけられたベルが、チリンチリンと鳴った。誰か新しいお客さんが来たらしい。
そうね、この時間帯なら……。

やはりそうだった。
「あ……もしかして、栄一郎さん?」
幸広くんも、覚えていたらしい。
「ん? ……おお、誰かと思えば幸広くんじゃないか! 懐かしいなあ。どうしたんだい? まさか、この町のこの店にいるなんて」

篠原栄一郎さん、24歳。この桜川町最大の牧場であり、例の当歳馬盗難事件の第2の被害者でもある『マーメイドファーム』の跡取り息子だ。
私や幸広くん、そして彩子とも昔から親しかったが、私たちが3人同い年なのに対して彼は3つ年上のため、一緒に遊んだりはあまりしなかった。
私には、どうも彼は彩子が好きだったみたいに見えるのだが、彼のお父さん……つまりマーメイドファームの場長さんはなぜか私を気に入っていて、よく「嫁に来ないか」などと冗談半分に言ってくる。そのたびに違う断り方を探すのは、大変だけどちょっと楽しかったりもする。

 

 

「……なるほどね。それでこの町に帰ってきたわけか」
栄一郎さんは、私、幸広くん、めぐみさんの3人の説明で納得した。
「そうだ! 幸広くん、これも何かの縁だよ。君も事件を調べてみないか?」
かと思えば、突然そんなことを言い出した。彼は前々から、例の盗難事件を自分たちで調べようという計画を立てていたのだ。
「事件……?」
「ああ。あの許せない当歳馬盗難事件だよ。俺の牧場はまだしも、彩子ちゃんや理絵ちゃんのところまで被害に遭ったんだ。黙って見てるわけにいかないだろ?」
「それはそうだけど……ぼくなんかに何ができるかな。探偵をやれって言われても無理だろうし……」
「そんなの、やってみなくちゃわからないじゃないか」
弱気な幸広くんに、栄一郎さんは強く言った。
「俺は思うんだ。この事件は、直接馬に関わってる俺たちの方が、警察よりも真実に近いところにいるんじゃないかってね」
確かに、その通りかもしれない。
「そう思って、俺は今までずっと、自分たちで事件を調べる必要を感じ続けてきたんだよ。それで仲間を集めようとしてたんだ。いろんな方面から事件を追うことができれば……って。だから……さ」

「……わかった。ぼくも、ぼくにできるだけのことをやってみるよ」
栄一郎さんの力説に、幸広くんも心を打たれたらしい。
「そうか!」
「あたしも手伝うね。黙って見てなんかいられないもの」
カウンターの中のめぐみさんも、そう言い出した。
そして、私の答えもまた決まっていた。
「私も調べるわ」

「理絵ちゃん……」

栄一郎さんは私を見つめた。
……思わず息を止めた私に、彼はしっかりした口調で続けた。

「今回はつらかっただろうね。でも、俺がついてるから安心してくれよ」

「う……うん。ありがとう」

 

 

こうして、いきなり「民間調査隊」になってしまった私たちは、栄一郎さんが中心となって予定を立てた。
とりあえず明日は、それぞれ好きなように調べ、夜にまたこの『Happiness』に集まって、結果を報告し合う。
明後日以降もその繰り返しでいいだろうということになった。
仕事の都合上、幸広くんが協力できるのは金曜日の昼までという条件がついたが、それは仕方がない。

「そういえば、さっき牧場にいたあの人……なんて名前だったかな」
と、突然幸広くん。
「ほら、君を『お嬢様』って呼ぶ……」
「ああ、哲くんよ。武内哲くん。彼がどうかしたの?」
「そうだそうだ。その哲くんだけど、確か、彼も独自に事件を調べてるって言ってなかったか?」
「あ、そうだわ!」
私も、ようやくそれを思い出した。
「哲くんが? そりゃいい! 彼はインターネットの経験が長いし、ちょっとしたハッキングもできるから、きっと大きな戦力になるぞ!」
「じゃあ、帰ったら伝えておくわね」
明るい声を上げた栄一郎さんに、私は答えた。

そして、今日はお開きとなった。


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