第4章 悲しい推理
翌日……9月19日火曜日の午前中。
いつものように馬房の掃除をしていると、そこへ哲くんがやってきた。
「お嬢様、幸広さんがお嬢様をたずねてきています」
「えっ、幸広くんが? すぐ行くわ!」
何の用事かわからなかったけど、待たせるわけにもいかない。私は厩舎を飛び出した。
外に出ると、確かに幸広くんがそこにいた。
遠い昔「理絵ちゃん、遊ぼう」と誘いに来たときと同じ構図で向かい合う。ここでこうして顔を合わせるのは、果たして何回めになるだろう。
「おはよう。どうしたの?」
「いや、厩舎作業でも手伝えたらと思って来たんだけど……いいかな」
「えっ、そんなあ、悪いわよ」
幸広くんの申し出に私はそう答え、そして思い出していた。
6年前、私たちが中学3年のときにも、こんな風に「仕事をさせてくれ」とうちに来たことがあった。彼の家は牧場ではなく、また彼のお父さんも馬とは無関係な仕事をしているため、競馬学校を受験する前に馬に慣れておきたい……と頼み込んできたのだ。
結局そのとき、私は手伝わせてあげたかったのだが、父が「14歳以下を働かせると労働基準法に引っかかる」とかで認めてくれず、仕方なくふたりでそのまま遊びに行ってしまったという想い出がある。
「いいんだよ。ぼくだってもう成人式やったんだ」
「あら」
彼も同じことを思い出していたらしい。それを知って、私は何だか無性に嬉しくなった。
「それに、仕事が早く終われば、それだけ事件を調べる時間が長くなるだろ?」
「それはそうね」
結構彼も探偵やる気になってるみたい。
「わかったわ、ありがとう。じゃ、こっち来て手伝って」
私は納得し、幸広くんを厩舎の方へ連れていった。
人手が増えたおかげで、仕事はすべて昼前に終わった。そのお礼として、幸広くんには昼食を出すことにした。
父は「また馬を盗まれたらかなわん」と外を監視し、母は洗濯をしに行った。そのため、今リビングのテーブルを囲んでいるのは、私と幸広くん、そして哲くんの3人だけだった。
「午後から調査か。何を調べに行こうかな……」
「そのことなんですけど」
幸広くんのつぶやきに、哲くんが反応した。
「桜川中学校へ行ってみてはいかがでしょうか」
「桜川中へ……?」
桜川町立桜川中学校。そこはこのへんで唯一の中学で、私や幸広くんや彩子、栄一郎さん、そして古くは父の母校でもあった。例の想い出の河原のすぐ横にあり、ここから歩いて20分ほどの距離だ。
「ええ。実はさっき、盗まれた7頭の当歳馬の間に何か共通点がないか調べてみたんです。そうしたら、それらの当歳馬を直接世話している人たちには全員、桜川中学校を同じ年に卒業している息子さんや娘さんがいることがわかりまして」
「えっ……!」
私と幸広くんは、同時に身を乗り出した。
「つまり、ぼくたちの同級生……?」
うちや彩子の家が狙われているわけだから、その推理は正しい。
「そういうことになってくるんですよ。ですから、学校まで行って詳しいことを調べてみては、と思うんです。ぼくはこの町の人間じゃないですから、直接出ていくわけにもいきませんしね」
「そうだな……」
幸広くんがうなずいたところで、私はひとつ思いついた。
「ねえ、哲くん」
「はい?」
「その『直接世話している人たち』のリストを見せてくれないかしら。私や幸広くんなら、その名前に何か思い当たるものがあるかもしれないから」
「わかりました。今すぐプリントアウトしてきます」
哲くんは素早く椅子を立ち、自分が寝泊まりしている部屋へと駆けていった。
……。
「……幸広くん」
沈黙に耐えられなくて、私は幸広くんを呼んでいた。
「あ……うん、何?」
「どういうことなのかしら。私たちの同級生の親の管理馬ばっかり狙われているっていうのは……」
「……わからない。理由はあるんだろうけど……」
もちろん、彼が知っているわけはないだろう。無駄な質問をしてしまったようだ。
哲くんは5分ほどで戻ってきた。
「はい、これがリストです。世話係の名前の他にもいろいろと書いてあります」
そう言って、私に1枚の紙を差し出す。
私と幸広くんは、一緒にそれをのぞき込んだ。
「……こ、これは……!!」
私たちは、目を見開いて驚くしかなかった。
事件 | 発生日 | 牧場名 | 当歳馬の母馬名 | 同・誕生日 | 同・性別 | 世話係の氏名 | 息子または娘 |
1 | 7月15日 | 森下牧場 | マリーレナ | 3月4日 | 牝 | 森下賢司 | 長女・彩子(失踪) |
2 | 7月22日 | マーメイドファーム | フレイグランス | 3月1日 | 牝 | 石橋孝二郎 | 長女・沙織(20) |
3 | 8月9日 | 桜川中央農場 | ヴァルキリーハート | 5月9日 | 牝 | 堀江優子 | 次女・さつき(21) |
4 | 8月16日 | 桜川野田牧場 | ロマンシングガール | 3月15日 | 牡 | 野田太 | 長男・翔(21) |
5 | 8月24日 | 伊藤牧場 | リバーサイド | 3月23日 | 牝 | 横山一哉 | 三男・祐三(21) |
6 | 9月9日 | 長尾ファーム | ドリームエメラルド | 5月1日 | 牡 | 長谷川洋介 | 次女・京子(20) |
7 | 9月18日 | 上島牧場 | サンクチュアリ | 4月17日 | 牡 | 上島雅之 | 長女・理絵(20) |
1件めの彩子と7件の私を除く、5人の同級生の名前。
石橋沙織、堀江さつき、野田翔、横山祐三、長谷川京子……。
それらはまさしく、中学時代に彩子をいじめてばかりいた非行グループのメンバー5人の名前だったのだ。
……まさか。
私の内部に、暗く、悲しく、重い想像があふれて止まらなくなる。
あの5人グループは、中学を卒業してからもいじめをやめていなかった。
もし5年前の記念日に、彼らのうちの誰かか全員が、ついに彩子を殺してしまったとしたら。
あるいは、いじめに耐えかねた彩子が自殺してしまったとしたら……。
そうなると、それを知った誰かが彼らに復讐しようとした……というシナリオが成り立つ。
そして、その犯人は、彩子を好きだった男の人、あるいは森下牧場の誰かということになる。
彩子を好きだった男の人……。
そう、もしかしたら、栄一郎さんや幸広くんという可能性も考えなきゃいけなくなる。
栄一郎さんはマーメイドファームの息子、幸広くんはジョッキー。お金に不自由はしてないはずだから、何者かに犯行を指示することもできる……。
でも、まさかそんなこと……。
それに、問題点も残る。
この推理だと、うちや森下牧場が狙われた理由が説明できない。特に森下牧場は、最初の被害者なんだから。
……だけど、カムフラージュのためなら?
うちに限っては、彩子が死んだのは彼女を守りきれなかった私にも責任がある、と犯人が判断したなら?
……やめよう。
そもそも、彩子が生きてる可能性だってあるんだから。
国道の血痕だけじゃ、死んだと断定はできない。何らかのきっかけで血を落としただけで、今もどこかで生きてるかもしれないのだ。つい最近だって、長く行方不明だった女の子が、10年近く経って発見されたって実例があったじゃないの。
幸広くんは昨日「ぼくは彼女が生きてる方に賭ける」と言ってくれた。その気持ちは私も同じ。
だから、もっと楽しいことを考えよう……。
彩子……。
もし彩子が帰ってきたら、また幸広くんも加えた3人で過ごしたいな。
馬を見て、海を見て、桜を見て、ふたりで幸広くんの応援に行って……。
長い空白を埋めるように、ずっと。
だから……。
だから帰ってきてよ、彩子……。
……私を現実に引き戻したのは、インターホンの音だった。
「はーい」
スリッパをパタパタさせて、母が玄関に飛んでいく。
そして、このリビングに顔を出した人は……。
「おう、そろってるな」
山崎さんだった。
「こんにちは、昨日はどうも。今日は何でしょう?」
私が聞くと、山崎さんはまじめな顔で答えた。
「今日は、関係者たちの免許証をチェックしてまわってるんだ。それで、一応君たちのもと思ってな」
「え……は、はい」
幸広くんは、慌ててジャケットのポケットをまさぐり始めた。
私と哲くんは、すぐに自分の免許証を取りに走る。
私と幸広くんと母が、普通免許。
父は、馬運車を運転するための大型免許。
そして、哲くんは年齢的にバイクのみ。
……それが、今うちにいる全員の免許証だった。
「……あ、ちょっと待ってください」
用事を終えて帰ろうとした山崎さんを、幸広くんが呼び止めた。
「ん……どうした、平賀くん」
「さっき3人で話してたんですけど……この事件は、彩子ちゃんの失踪事件と関係があるかもしれませんよ」
「何だって!?」
山崎さんが大声を上げる。驚くのも無理ないだろう。自分が前に担当していた事件と今担当している事件がつながっている、というのだから。
「実は……」
そこで私たち3人は、哲くんが持ってきたあのリストを見せて、そこの名前と彩子との関係について詳しく説明した。
「よし、早速その方面からの可能性を捜査会議で持ち出してみよう。あ、これもらってくよ。協力ありがとう。それじゃ!」
それだけ残し、例のリストをわしづかみにすると、山崎さんは風のように去っていった。
「……行っちゃったな」
「そうですね……」
幸広くんと哲くんが、何とはなしに顔を見合わせた。
「あの人、いつもあんな感じなのよ。行動的なんだけど、ちょっと無計画なの。悪いけど哲くん、もう1枚印刷してくれる?」
私は、少し笑いながら言った。
「お安いご用です。どうせならおふたりに1枚ずつ差し上げますよ。調査のお役にも立つでしょうしね。少々お待ちください」
そうして、哲くんは再び自室へと消えた。
「……それより、これからどうしよう」
幸広くんがつぶやいた。
「哲くんの言った通り、桜川中へ行ってみましょうよ」
「そうだね。久しぶりに顔を出したいって気持ちもあるし。林先生はまだいるのかな」
「いるわよ。あなたを見たら、きっと懐かしがるわ」
林貴子先生は、私たちの恩師で数学の先生だ。
いつも生徒に「永遠の20歳」と言っていたが、卒業アルバムに生年月日が載ってしまい、年がバレた。その結果、今年で32歳。
哲くんが戻ってきた。
「はい、これです。お持ちください」
「ありがとう。私たちはこれから、あなたの言う通り桜川中に行くことにしたわ」
「それじゃ行ってらしてください。ぼくは、もう少しパソコンから手がかりを引き出せないか、がんばってみますから」
「じゃ、夜になったら『Happiness』でね」
「はい」
こうして、私と幸広くんは、懐かしい桜川中へと出かけていったのだった。