第6章  想い出の場所


『Happiness』に入ると、いきなり幸広くんのパネルが私たちを出迎えた。昨日めぐみさんが撮ったものだ。本当に、早速パネルにしたらしい。
「いらっしゃいませ、ようこそ平賀幸広私設親衛隊事務局へ」
そのめぐみさんは、今までに見たこともないような笑顔で私たちの前に現れた。
私たちは、そろって苦笑いした。

店内には、めぐみさんの他には哲くんだけがいた。出かけるときいつも持ち歩いている愛用のノートパソコンを、カウンターの上に広げている。
「あ、お嬢様、幸広さん」
彼は振り返り、私たちに気付いた。
「何かわかった?」
「いえ。とりあえず、この日高全域の牧場の支出額を調べてみたんですが」
……見事なハッカーぶりだ。違法のような気もするが、事件解決のために目をつぶろう。
「なぜそんなことを?」
幸広くんが聞いている。
「盗んだ当歳馬たちを牧場で世話しているなら、公表されている管理数に合わない経費がかかっているはずでしょう」
「ああ……なるほど」
その論理的な考え方に、幸広くんは感心した。
「でも、不審な牧場は見当たりませんでした。これから他の地域のデータも調べてみようと思っていますが、もし牧場と無関係な会社か何かが費用を出していたらもうお手上げですよね。それに、そもそも世話すらされていない可能性も……」
「よせ」
幸広くんが、意外なほど強くたしなめた。その気持ちは私にもわかるようだった。哲くんは頭はいいのだが、どうも「人間味」がなくて取っつきにくい部分があるのだ。
「あ……申し訳ありませんでした」
それでもさすがに言いすぎに気付いたらしく、彼は深く頭を下げた。

「まあまあ。それより、あたしの話も聞いてよ」
仲裁するような形で、めぐみさんが明るく言った。
「ああ、そうでした。めぐみさんは今日、何をしたんですか?」
私が聞くと、彼女はカウンターの中からビデオテープを取り出した。
「あたしはこの店の前にビデオカメラをつけて、そこの国道を怪しい車が通らないかチェックしてみたの。ほら、これがそのテープ」
「いいですね、見てみましょう」
今度は、幸広くんと哲くんも統一見解を示した。
めぐみさんは、店の隅に置かれたカラオケ用のモニターにビデオをつないだ。

……ビデオには、確かに店の前を行き来する車が映っていた。ナンバーもはっきりわかる。
だが……それだけだった。
そもそも、何をもって「怪しい車」というのだろうか。仮にここに犯人の車が映っていたとしても、どれがそれだかわからない。
「……無駄だったみたいね。まあ、いざ犯人が捕まったときに物証にでもなればいいかな」
めぐみさんは自分でぼやいた。

そのとき、入口のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ……あっ、栄一郎さん」
やってきたのは栄一郎さんだった。
「こんばんは。おや、みんなでビデオ鑑賞会かい?」
「防犯ビデオだけどね」
めぐみさんはシニカルに笑う。
「それより、何かわかった?」
「うん……妙な動きをした牧場がないかとか、いろいろ調べてみたんだけど」

私は、栄一郎さんの話を聞くために振り返った。
幸広くんも私についてきた。
哲くんだけは、ビデオのチェックを続けている。やはりそれは理系人間だからなのか。

「実はさっぱりなんだ」
……しかし、栄一郎さんが続けて口にしたのは、そんな言葉だった。いきなり腰を折られた形になる。
「それじゃ、何の手がかりもなかったわけね?」
とめぐみさん。
「その方面からはね」
「ということは……他にも心当たりが?」
幸広くんが口をはさんだ。
「ああ。それぞれの事件の日、現場の牧場の近くで不審な馬運車を目撃した人がいないかの聞き込みをちょっとしてみたんだ。今日は収穫なしだったけど、明日もこの手で行こうと思ってる」
「盗むのには馬運車は使われなかったみたいよ。うちの事件では、轍の跡もなかったもの」
私は言った。
「それは君のところの事件に限ったことかもしれないじゃないか。調べてみる価値はまだあると思うな」
「そうね」

「特に問題はありませんでした」
そのとき、哲くんがビデオのチェックを終えてやってきた。
「そう。ご苦労様」
めぐみさんが彼に微笑みかけた。

「……そういえば、桜川中学校の調査はどうだったんですか?」
哲くんに聞かれて、私と幸広くんは顔を見合わせた。
「そうそう、君たちの調査の結果を聞いてなかった。桜川中へ行ったのかい?」
栄一郎さんも言う。

……私たちは、お互いに無言のまま困ってしまった。
確かに、私たちはかなり脈ありな情報と思われるものを得てきた。
しかし、それは……。

「……みなさん……私たちは……」
しばらくして、私は口を開く方を選んだ。
残酷な話だけど、黙っていてすむ問題じゃない。調査結果と推理をすべて話すべきだと判断したのだ。
「……一緒に行動したんだ」
すると、幸広くんが続けてくれた。
「哲くんが重要な手がかりを見つけてくれて、それをきっかけに桜川中へ行った……」

……そして私と幸広くんは、例のリストをみんなに見せて、調べてきたことと推理をすべて話した。
盗まれた当歳馬の世話係と彩子の関係について。
彩子が行方不明になった日の夜、あの河原で人影が目撃されていたこと。
そこへ行ってみたら、何年か前に掘り返されたような形跡があったこと。
つまり、彩子は5年前に殺されたか自殺したかして、彼女を好きだった男性などが遺体を最初に見つけた。その人が彼女を河原に葬り、5年の準備期間を経て、復讐のために今回の事件を起こしたのかも……と。

「……信じられないよ、そんな……」
一番大きく落ち込んだのは、栄一郎さんのようだった。普段の明るさが、見る影もなく消えてしまっている。
「私だって信じられないし、信じたくなんかないわ。でも、そう考えるしかなくて……」
私は、なるべく穏やかに言った。
「……そうだね、ごめん」
栄一郎さんの顔に、少しだけ笑みが戻った。
「でも……これだけは聞いてくれ」
「何?」
「その話、山崎さんとか警察の人にはしばらくしないでほしいんだ。もし、その河原を掘るとか言われたら……」
「ぼくは、彼に話して掘ってもらった方が進展すると思いますけど」
……そう言ったのは哲くんだ。その表情にためらいや哀れみはない。
「哲くん、君なあ……」
「彩子さんが出てきたらと考えると怖いのはわかります。でもそれは、真実から目を背けることでもありますよ。いいんですか?」
「でも……!」
「ねえ、哲くん」
情けなく顔を歪めた栄一郎さんを見ていられなかったのか、めぐみさんが口をはさんだ。
「あなたはそれが一番いいと思って言ってるんでしょうけど、そのために傷つく人もいるってこと、わからないの?」
「傷つく人……?」
「そう。つまり、あなたみたいな、私情に流されないで物事を処理できる人ばっかりじゃないってことよ」
「……はっきり言ってください。めぐみさんは、山崎さんに話すのには反対なんですか?」
「反対よ」
めぐみさんは、本当にはっきり言った。
「あたしや栄一郎さんだけじゃないわ。他の人がどう思ってるか、直接聞いてみることね」
そう言われた哲くんは、考えたように視線を私と幸広くんの方へ持ってきた。
「……お嬢様は?」
そして、聞いてくる。
「私も反対よ」
「幸広さんは……?」
「ぼくも……正直、反対だな」
哲くん以外、全員が反対ということになった。さすがにこれには彼も従わざるを得なくなったようだ。
「……わかりました。これだけの反対意見を説得する方が時間もかかりますし、結果的に事件の解決が遅れそうですからね」
彼らしい理屈を残して、ようやく「この推理は警察関係者には話さない」ことが決まったのだった。

「……山崎さんっていえば、昼に理絵ちゃんの家に来て、免許証の確認をしていったな」
幸広くんが思い出して言った。
「あら、あなたたちのところにも? ここにも同じ目的で来たわよ」
「俺のところにも」
すると、めぐみさんと栄一郎さんが続けた。
「俺なんて、なまじ馬運車の運転できるもんだから、いろんなこと聞かれたよ。山崎さんって、俺のこと疑ってるんじゃないのか?」
「それは災難だったわね。あたしは幸い何の免許も持ってないから、すぐ帰っていってくれたけど。変な罪をかぶせられないように気をつけてね」
「君はいつも優しいな……ありがとう」

……いいムードのふたりからふと目をそらして時計を見ると、いつしか夜の8時になっている。
そろそろ帰ろうかしら……。
そう思ったところで、心に引っかかるものを感じた。

そうだわ……。
あの河原で人影が目撃されたのは、たぶん今くらいの時間だ。
5年前の記念日、あそこで何が起きたのかしら……。

……ちょっと怖い気もするけど、今から行ってみようかな。
もしかしたら、昼間にはわからなかった何かがわかるかもしれない。

でも、みんなにどう言おう。
河原を掘る掘らないの騒ぎの後だし、ひとりであそこに行くなんて、上手く説明する自信ないな……。
仕方ない。
「……私、ちょっと用事があるので、お先に失礼します」
なるべくあっさり言い、椅子を立った。

「どこへ行くの?」
不審に思われてしまったらしい。
代表してめぐみさんが聞いてくる。

「……想い出の場所です」

私はそのまま『Happiness』を出た。

「あ……ちょっと!」
幸広くんの声を背にして……。

 

 

……幸広くんたちに追いかけてこられないように、走って河原までやってきた。
水銀灯のおかげで、周囲は意外に明るい。これなら、人影を見たという話も信用できそうだ。

……人影。
掘り返された跡……。

私はしゃがみ込み、地面を見つめた。

……彩子……。
ここを掘れば、あなたに会えるの……?

しかし、もちろん幼なじみの親友にそんなことはできない。
私はゆっくりと立ち上がった。

そのときだった。

 

 

!!

 

 

……な、何!?
私は突然後頭部に一撃を食らい、その場に倒れた……。
誰かが後ろから私を……!
誰……誰が……!?

絶対に見てやるわ!
私はすべての気力を振り絞り、懸命に顔を上げながら振り返った……。

 

 

……ゆ、幸広くん……!?

 

 

そ、そんな……。

そんな……!!

 

 

……驚きと悲しみの中で、その姿は、私の心を表すかのように揺らぐ……。

 

 

……なぜ……。

私の意識は、ゆっくりと闇に沈んでいった……。


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