第7章  無実


……気がつくと、そこは病室だった。
あたりは明るい……。
頭を動かすと、時計が目に入った。8時を少し過ぎている。

「朝……?」

「……理絵ちゃん!」

突然飛び込んできたのは、栄一郎さんの顔と叫びだった。

「よかった……目が覚めたのね」
彼の隣には、めぐみさん。

「え……私は、ここは……」
「……昨夜、どうも何者かに頭部を殴られたらしくてな。119番通報が遅かったら、助からなかったかもしれない」
背中側から声がしたので、振り返ってみると、山崎さんだった。

そうだわ……だんだん思い出してきた。
私は、あの想い出の河原で殴られて、そして気絶したんだった。

……河原……?

そういえば……あのとき最後に見た顔は……!

私は、慌てて病室を見まわした。
……幸広くんの姿はない。
まさか……まさか本当に彼が私を……!?

……ううん、絶対にそれはないはず!
だって、あの幸広くんだもの。
小さい頃から、一度だって私を裏切らなかった幸広くん。
暴力の大嫌いな、平和主義者の幸広くん。
そんな彼が、私を殴ったりするはずない。
例え誰かに思考を操られていたりしたとしても、彼だけは、絶対に……。
私は、あくまでも彼の無実を信じ続けた。

「……ところで、君」
山崎さんの声が、私を現実に引き戻した。
「はい……」
「一応聞いておくが……犯人の顔を見たか?」

「……見ませんでした」
私はそう答えた。
幸広くんの顔は見たけど、犯人の顔は見ていない……。
それが確信から出た考えなのか、それとも自分を傷つけないための甘い理屈なのか、私にはわからなかった……。
「そうか……」
山崎さんは首をひねった。

 

 

それから私は、室内の3人に詳しいことを聞いた。
今日は9月20日、水曜日。今、幸広くんは札幌へ戻って馬に調教をつけているそうだ。警察に捕まってるんじゃなくてよかった。
また、私の両親と哲くんはうちで仕事中だという。私がこんなになっても、馬たちを放っておくわけにはいかないのだ。

……3人の話によると、私が『Happiness』を飛び出してすぐ、幸広くんが私を追いかけたらしい。
それから栄一郎さんと哲くんも店を出たが、彼らは私や幸広くんを追うことはせず、それぞれマーメイドファームと私の家へと帰ったそうだ。

そうしてみんながバラバラになってしばらくした頃、栄一郎さんと哲くんの携帯、そして『Happiness』店内の電話が鳴った。
それは幸広くんの携帯からで、私があの河原で倒れていたことを知らせる内容だった……。
幸広くんはその前に、110番と119番もしてくれていた。おかげで私は助かったのだ。

……とすると、私が見たのは間違いなく幸広くん、それも私を追いかけてきて助けてくれた幸広くんということになる。
やはり、彼は無実だった……。
私はほっとした。

「……しかし、なんで君は河原なんかへ行ったんだ? 夜も遅い時間に……」
山崎さんがたずねてきた。
「あそこは、私と幸広くんと彩子、3人の想い出の場所なんです。それで、何か彩子の事件に関する手がかりでもないかと思いまして……」
……それ以上のことは、言えない。あの水銀灯の下を掘り返す、なんて言われたら大変なことになる。
「そうか……。そこで君が襲われたとなると、単なる通り魔的犯行ではない可能性が高いな。やっぱり、昨日もらったあのリストから考えられる通り、当歳馬盗難事件と彩子ちゃん失踪事件はつながっていて、そのつながりを調べようとした君を消そうと……いや、襲っただけですませているから、脅しをかけようとしたってあたりかな」
「……ところで山崎さん。私のこの頭、どの程度のケガなんですか?」
話をそらそうとして、私は聞いた。
「ああ、大丈夫だ。大したことない。コブ程度の傷だ」
「コブ程度……? それでこんなに長く気絶するものなんですか?」
と栄一郎さん。
確かにそれは引っかかった。さっき見た時計から計算すると、だいたい12時間は気を失っていたことになるのに。
「不思議な話だがな。……もしかすると犯人は、殴ったあとで理絵ちゃんに薬でもかがせたかもしれん」
山崎さんは腕組みをし、私を見た。
「理絵ちゃん、気を失う前に何か妙な臭いがしたとか、そういうことはないか?」
「ありません」
私は即答した。
「ずいぶんあっさりと答えるな」
「だって、ミステリーで読んだことありますけど、薬ってかがされたらすぐ気を失うんでしょう? 私、殴られて倒れ込んで、絶対犯人の顔を見てやるって意地で顔を上げたらそこに幸広くんが……あっ」
しまった。
「平賀くんの姿を見ていたのか?」
「は……はい、隠しててすみません」
「まあ、さっき犯人の顔を『見ませんでした』って言ったときのためらい方からして、そうなんじゃないかとは思ってたがな。大方、彼を犯人だと思って、でも信じたくなかったんだろう」
山崎さんは苦笑いした。……何だかんだ言っても、やっぱり刑事さんだ。私の考えなんか、とうの昔に読んでいる。
「とにかく、君が平賀くんを見ていたなら、気絶時間の長さの謎も解けるな。人間ってやつは、ひどくショックなことがあると、その恐怖が体に染みついて残っちまうのを防ぐために、気を失ったりするようにできてるんだ。子供だと、その機能が上手く働かなくてトラウマになったりもするわけだが」
「へえ……知らなかったわ。人間って結構用心深いものなのね」
めぐみさんが感心した。
私は、蝶が怖いという彩子のトラウマを、何気なく思い出していた。
「そうそう、理絵ちゃんのケガのことだが、昼前の検査で異常が認められなければ、午後にはもう帰れるそうだ」
……さっきは「119番通報が遅かったら助からなかったかもしれない」なんて言ってたのに。本当に、言うことが大げさだわ。
私は、ちょっとだけ笑った。

「……じゃ、あたし、そろそろ帰るね。ゆっくり休んで、早くよくなって」
めぐみさんが言った。
「そうだな、じゃあ我々も……」
「はい」
山崎さんと栄一郎さんがうなずき合う。
「ありがとうございます。ご心配かけてすみません……」
私が言うと、3人は「お大事に」と出ていった。

 

 

……少し、眠ったらしい。
私は目を覚ました。時計は10時を過ぎたあたりだ。

あら……?

そのとき私は、ベッドサイドに花束があるのに気付いた。
真っ赤なバラの花束。
誰かしら……?

幸広くん……。
やはり、真っ先に浮かんだ名前はそれだった。
今札幌にいるはずだから、可能性が低いのはわかっているけど……。

栄一郎さん……?
彼が一番確率高そうだ。
哲くんはおよそ花を持ってくるタイプじゃないし、山崎さんはもっと想像しにくい。

でも……。

やはり、私の頭の中は幸広くんで一杯だった。
私のために札幌から飛んで帰ってきて、ここに来てくれた。私が眠っているのを見て、これだけを置いて帰っていった……そう信じたかった。

栄一郎さんには悪い気がするけど、私はその花束を胸に抱えて思った。

……ありがとう、幸広くん。

 

 

そして、午後……。
私は、何事もなく退院となった。
両親だけでなく、みんなが迎えに来てくれた。
栄一郎さん、哲くん、めぐみさん、山崎さん、そして……。

「理絵ちゃん……!」

幸広くんも、飛んできてくれた。
心配してくれたのか、その綺麗な瞳の下には涙の跡が……。

無実……幸広くんは無実。その涙は、そう主張していた。

……でも、待って……。
私は気付いてしまった。

思い出してみれば、『Happiness』を出るときめぐみさんに行き先を聞かれた私は、「想い出の場所です」としか答えなかった。それがどこなのかは、昨夜はもちろん、それ以前にも誰にも教えていない。
そして今朝、山崎さんは「私がなぜ河原にいたか」を聞いてきた。
つまり、「想い出の場所=桜川の河原」であることを、幸広くんもまた、他の誰にも話さなかったというわけだ。もし話していたら、私が気を失っている間に、誰かしらがそのことを山崎さんに言っただろう。
そうすると……。
山崎さんの推理「私を襲った犯人は単なる通り魔ではない」が正しいとすれば、「あのときの私の行き先=想い出の場所=桜川の河原」の式をただひとり知っていた幸広くんこそが……ということに、どうしてもなってきてしまう。

……でも、そんなのって……。

「……理絵ちゃん?」
考えにふけっていた私を、その幸広くんが呼んだ。

「あ……そういえば、私を見つけて助けてくれて、ありがとう」
私は、心を隠して笑った。
この言葉を聞いた彼が何を思うのか、悲しく気にしながら……。

「こんなに早々と退院できるなんてね。もちろんよかったけど、それは立場なし、か」
めぐみさんが、私の心とはまるで別の笑顔を向けてくる。
「それって……?」
私は、気分を変えるために彼女の話に乗ることにした。……彼女は、私が抱えている例の花束を見ていた。
「ほら、それよ。後でこっそり病室に忍び込んで置いといたの、あたしなのよね」
「あ……これ、めぐみさんだったんですか」
男の人しか浮かばなかったのが、恥ずかしくなった。男の人が私のためだけに持ってきてくれたかもなんて、なんて思い上がりだったのかしら。
「そうよ。誰だと思ったの?」
「いえ……いいんです。ありがとうございます」
私は、あえてその名前は伏せておくことにした。

誰よりも大切なはずなのに、まだ心の底では信じきれていないことに気付いてしまった、その名前は……。


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