第9章  時の流れ


私と幸広くんが最初に訪ねたのは、1件めの被害者の森下牧場……つまり彩子の家だった。

「まあ、理絵ちゃんに……幸広くんじゃない!」
彩子のお母さんは、意外な姿に驚いた。
「お久しぶりです、おばさん」
「久しぶりね。……でも、彩子は今、うちにはいないのよ……」

「……知っています。今日ここに来たのも、そのことと無関係ではないのです」
幸広くんはそう言い、うつむいた。

……そして私たちは、彩子のお母さんにすべての事情を話した。
当歳馬盗難事件を追っていること。
調べてみたら、うちとここ以外の被害馬の世話係は、みんな彩子をいじめていたグループの親だったこと……。

「そうなの……。あの事件に、彩子が関わっているのね」
お母さんは、意外に冷静につぶやいた。長い年月の間に、悲しみも枯れてしまったのかもしれない……。
「それで、あの子と親しかった誰かが仕返しのために事件を起こしている……そう考えているのね?」
「……はい」
ためらいながらも、私はうなずいた。
「でも、あなたたち以外の友達なんていないに等しかったし……。あ、もちろんあなたたちを疑ってるわけじゃないのよ。そんなこと言ったら、私が一番怪しいものね」
お母さんは無理に笑った。

「おばさん……失礼ですが、ここが狙われた理由に心当たりはありませんか?」
幸広くんが聞く。
「わからないわ。彩子と親しい誰かが起こした事件なら、うちを狙うはずなんてないし……。なんでうちばっかりこんな目に遭うの? あの馬だって、確かに安い値段しかついてないけど……それでも……自分の子供のように大事にしてたのに……」
……お母さんは、とうとう耐えきれなくなったのか、涙声になっていった……。
どう言葉をつないでいいかわからず、私も幸広くんも黙っているしかなかった。

「……そうだわ。あなたたち、彩子の部屋を調べてみてくれる?」
しばらくして、立ち直ったらしいお母さんはそう言った。
「私たちが……ですか?」
「ええ。私にはわからなくてもあなたたちならわかる……そういう物があるかもしれないから。お願い、どんな手がかりでもいいから見つけて……」
「わかりました」
私が答えると、幸広くんもうなずいた。

 

 

そして私と幸広くんは、彩子の部屋へと通された。お母さんによると、行方不明当時のまま手を触れずに残してあるという。

……本当に、何度も遊びに来たあの頃のままだった。
壁に掛けられた5年前の9月のカレンダーが、この部屋に時の流れがないことを表している……。

「始めようか……」
「そうね……」
親友とはいえ自分以外の人の部屋をあら探しするのは後ろめたいが、事件解決のため、そして彩子のためでもある。
私たちは、手がかりを求めて部屋中を調べ始めた……。

 

 

……しかし、部屋中を調べまわっても、個人的な物は何ひとつ出てこなかった。日記、写真、手紙……そういった物が一切ないのだ。
日記はつけていなかった可能性を簡単に考えられるが、写真や手紙の1枚さえないというのは明らかにおかしい。手がかりのなさが逆に手がかりとなりそうな……私は、そんな妙な気持ちを感じていた。

「おかしいな……あれはどこへ行ったんだろう」
棚を眺めながら、幸広くんがつぶやく。
「あれって?」
「マグカップだよ。ほら、君にあげたのと同じの」
「ああ、あれね。そういえば彩子にも私と同じ手紙を残したって言ってたっけ。カップも同じなの?」
「うん。描いた絵までまるっきり同じ。差をつけちゃいけないと思ったから。……そっちにないか?」
「ちょっと待って」
私は、自分が開けていたチェストの中をもう一度改めた。
……が、ない。
「見当たらないわね……。もしかしたら、台所に置いて使ってたんじゃない?」
「あ、その可能性を忘れてた」

「どう、何か見つかった?」
そのとき、タイミングよくお母さんが部屋にやってきた。
「あ、おばさん。ちょっとお聞きしますけど、馬の絵が描かれたマグカップが台所か食器棚の中にありませんか?」
幸広くんがたずねる。
「馬の絵のマグカップ? ……いいえ、そういうのはうちにはないと思うけど」
「そうですか……」

マグカップを含めて、私的な物の一切がこの部屋から消えている……。
その事実は、ひとつの結論へと結びついてしまった。

彩子は失踪する前に、私的な物を自分で処分したに違いない。
それはなぜ?
……答えはただひとつ。
自分の身に何かが起こることを、前もって知っていたからだ。

そう、例えば「死ぬつもり」だったとか……。

そうすると、彩子はあの国道で……。
やっぱり、それを彼女と親しい誰かが最初に見つけて、あの河原に……っていうことになっちゃうの?

誰が……。

少なくとも、幸広くんじゃない。それだけは確実だ。あの時期、彼はこの町から遠く離れた競馬学校の寮にいて、里帰りは許されなかったんだから。
もはや、それくらいを救いとするしかなさそうだった……。

 

 

……数時間後。
私と幸広くんは、桜川中の前の国道から、一緒に海を見ていた。
ちょうど桜川が太平洋に注ぐ場所だ。川は、この国道の下を通って海へと流れていく。

彩子の家を出てから私たちは、その他の被害馬の世話係に聞き込みするために、マーメイドファームなど合計5つの牧場をまわった。
だが、その結果は散々だった。
何の手がかりも得られなかった、なんていうのはまだいい。
問題は、聞き込みをした5人……つまり彩子をいじめていた5人グループの親たちの態度だ。
自分が世話をしていた馬が盗まれたというのに、5人とも悲しみのかけらさえ見せなかったのだ。

安い馬でよかった、と言う人がいた。
この不況の世の中、どうせ血統の悪い馬なんか買い手がつかないんだから、維持費がかからなくなって逆によかった、と言う人がいた。
管理が行き届いてないと牧場長に怒られてひどい目に遭った、どうせ盗むなら自分の担当でない馬を盗んでほしかった、と言う人がいた。
そんなくだらないことを聞くな、時間の無駄だ……と怒り出す人もいた。
マーメイドファームの石橋氏などは、自分の娘の沙織が彩子をいじめていたのも無視して、そのことで胸を痛めている幸広くんに、「娘がファンだから」とサインと写真をせがんだりしたのだ。おまけに、幸広くんがそれを断ると、「ちょっと有名になったからって舞い上がってんじゃねえ、この野郎!」と罵倒する始末。
普段から穏やかで滅多に怒ったりしない幸広くんも、これにはすっかりキレてしまった。

「……あんなやつらに馬を管理させておくから、こんな事件が起きたんだ。自業自得だよ。正直、今後あいつらがどうなろうと知らないな」
幸広くんの怒りはおさまる気配もない。
「それはちょっと言いすぎよ」
耐えかねて、私は彼をたしなめた。
「……君はあんなやつらの肩を持つのか?」
「そうじゃないの。もちろん私だって許せないわ。ただ、そういう人たちに憎しみで対抗するのは間違ってるんじゃないかしら。対抗するなら、憎しみより正義よ。だから、私たちで事件を解決して見返してやりましょ。ね?」

「そうだな……ごめん。ちょっと熱くなりすぎてたみたいだ。目が覚めたよ。ありがとう」
やはり、彼は彼。
すぐに元に戻って、笑ってくれた。

私は、国道に架かる橋の欄干に手をかけて、下を流れる桜川を見下ろした。隣で幸広くんも同じことをする。
「……この川の水は、どこから来てどこへ流れていくのかな……」
そして、何気なくつぶやいてみる。

私が幸広くんや彩子と楽しく遊んでいた頃にこの川を流れていた水は、今はどこにあるんだろう。
案外、めぐりめぐって今また私たちの足の下を流れていたりするのかもしれない。

……人の縁は、よく水に例えられる。
それなら、彩子も水がめぐるようにこの町に戻ってきてくれないかしら……。
不意に、そんなことを考えた。

 

 

「あら。どうしたの、こんなところで」
しばらくして、私たちはめぐみさんに声をかけられた。
「あ、めぐみさん。ぼくたちは調査に出たついでです。あなたはなぜここへ?」
幸広くんが答え、そして聞く。
「ただの散歩よ。ちょっと、風に当たりたくなったの」
そう言うめぐみさんの顔には、店をひとりで切り盛りする女性のたくましさと、ほんの少しの安らぎを求める弱さとが、同居しているように見えた。
『Happiness』は、ここからうちとは反対方向に歩いて約10分。このへんがめぐみさんの散歩コースに入っていてもおかしくはない。

「それより理絵ちゃん、あなた体の方は大丈夫なの?」
めぐみさんは幸広くんの隣に立ち、私たちと同じように橋の欄干に手をかけると、言った。
幸広くんを真ん中にして、左側に私、右側に彩子。それが、いつしか決まっていた私たち3人の並び順だった。めぐみさんに彩子の役割を求めたわけじゃないけど、彼女が幸広くんの隣に立ったその瞬間、私は何だか長い長い空白が久しぶりに埋まったような錯覚を覚えた……。
「ええ。だから彼と一緒に調査に出たんです」
「本当に仲がいいのね、あなたたち。幼なじみ同士って無敵なのかな?」
めぐみさんは、色っぽい流し目を幸広くんに送った。
「あ、いや、その……」
どぎまぎして真っ赤になる幸広くんに、めぐみさんはくすっと笑う。
……と思ったら、彼女の目は次第に羨ましそうなものへと変わっていった。そういえば彼女は、わざわざこの町で店を開いたほどの幸広くんファンなのだ。もしかすると、彼女が彼に対して抱いている感情は、応援の気持ちというより、恋に近いものなのかもしれない……。

「……ねえ、よければでいいんだけど、あなたたちの小さい頃の話を聞かせてくれない?」
そして彼女の気持ちは、そういう言葉の形で飛び出してきた。
私は幸広くんと顔を見合わせ、その視線だけで「構わない」ことをお互いに確認した。
「いいですよ。……まず、何から話しましょうか……」

……そして私と幸広くんは、いろいろと懐かしい話をしていった。
ただ、どうしても彩子のことを抜きには語れず、さっき彼女の部屋で得た結論を思い起こして沈みがちになってしまう……。
それでも話し続けていった私たちに遠慮したのか、めぐみさんは「もういいわ」と言って話を止めた。
「ごめんね、つらい思いさせちゃって」
「いいんです。たまにこうして誰かに話すことで、忘れないでいられますから。これは、ぼくと理絵ちゃんが生きている限り、絶対に忘れてはいけない想い出なんです……」
「幸広くん……」
めぐみさんがせつなくつぶやくと、幸広くんは彼女から目をそらして、時の行方のような海の彼方を見ながら言った。
「……あなたにも、そういう想い出があるでしょう?」
私は、めぐみさんの返事を待った。彼女の昔の話はほとんど知らないから、興味があったのだ。
……ところが、彼女の答えはいいものではなかった。

「……あんまり思い出さないようにしてるの。だって、つらい記憶しかないんだもの」

「そんな……」
自分の質問を後悔したらしい幸広くんは、海を見たまま声を落とした。

「……あたしの故郷も、海の見える町だった」
そういえば、出身は兵庫県だと聞いていたけど……。
「海は大好きだったけど、想い出は最悪。友達のひとりもいなかった」
「好きな人とか、いなかったんですか?」
と幸広くん。
……気になるの……?
「いたわよ。でも、その男の子はあたしじゃなくて、かわいいだけで性格の悪い子の方が好きだったのよ。ひどい話よね」
「そんなことないと思いますけど……」
幸広くんが言う。
「……あなたたちにはわからないわね。あたしみたいな経験をしなきゃ。もちろん、あんな目には遭わないに越したことはないけど」

「……」

私たち3人は、それから黙って海を見続けた。
それぞれに抱えている懐かしい、あるいはつらい想い出を胸に……。

「……あたし、そろそろ帰ってお店を開ける準備をしなきゃ。あなたたちはこれからどうするの?」
場を動かしたのは、めぐみさんだった。
「ぼくたちも、彼女についていこうか」
幸広くんが私に言う。
「そうね。『Happiness』で、栄一郎さんや哲くんを待ちましょ」
私はそれに賛成した。

そして、私たち3人は『Happiness』へと向かった……。


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