解決編


「……隠しきれなかったわね。そうよ。あたしがあなたの幼なじみの森下彩子よ。そして、今回の事件の黒幕」

彼女は……ついに「摩耶めぐみ」の仮面を脱ぎ捨てた「森下彩子」は、私をまっすぐに見た。開き直りの表情がそこにある。
でも私は……その、ある種冷たい表情を受け入れることができなかった。

「どうして……! 無事に帰ってきてくれたと思ったら、こんな……」

「かっこつけるんじゃないわよ!」

……彩子は叫ぶ。おとなしかった彼女をこんなにも変えてしまったものは、5年の歳月か、それとも憎しみか……。
でも、私も負けてはいない。どうしても、この疑問だけははっきりさせておきたかった。

「教えてよ! なんでこんなことしたの!?」

「いいわ、話してあげる。ここまで来ちゃったものね」
彩子はあっさりと言い、冷ややかに私を見つめた……。

 

 

「……嫌いだった。この町も、ここで過ごした想い出も。だからあたしは、自分を一度殺して生まれ変わろうと思って、5年前にこの町を出た。でも、ただじゃ死んでなんかあげない。そのときから決めてたの。あたしにひどい想い出を染みつけた連中への復讐をね」
復讐……昔の彩子なら、絶対に考えなかったこと。
……いや、考えてはいたのだろう。ただそれを、私や幸広くんには悟らせなかっただけだ。

「あたしは兵庫へ飛んで、そこでいろいろ仕事をしたわ。お金になることなら何でもね。お金はあればあるだけ後の計画に幅が出るもの。それからあたしは、絶対秘密がもれない病院で顔を変えて『摩耶めぐみ』となった。いつもあなたの引き立て役だったあたしが、やっと美人の主人公になれたのよ。……どう? 綺麗でしょ」
そう言って彩子は、自分の……今の自分の顔をいとおしそうに撫でた。……でも私には、やはり昔の顔の方が魅力的に思えた。昔の顔には、派手さはなくても優しさがあった。今の顔には、それがない。

「……それから2年ほどして、神戸のクラブで働き出したあたしは、自分でも信じられないほどの高収入を得られるようになった。その頃から、この町のことを調べ始めたの。復讐の対象がどんなことをしてるのか、ね。……ひどいものだったわ。みんな、あたしが死んだかもしれないってのに、そんなことすっかり忘れて呑気に暮らしてた。おまけにやつらの親たちは、牧場の仕事をしてながら馬たちをぞんざいに扱って……。許せなかった。自分より目下の存在のことなんか知ったこっちゃない、って親の考えが、いじめをする子供を育てたんだと思うとね」
復讐。うなずいてはいけない話だということはわかっていた。だけど、否定するのはいじめを肯定するようで、結果的にうなずいてしまった。
「それで考えついた方法が、その親たちが管理している馬を盗んでやることだった。そうすれば牧場は困るし、親たちは責任を問われるし、上手くいけば家庭を崩壊させることもできるかもしれないしね。盗んだ馬たちは、あらかじめ別名義で作っておいた牧場で大切に育てて、やがては観光牧場としてオープンさせて乗馬用の馬として使おうと考えた。彼らも、ひどい世話係のもとを離れられて嬉しいはずよ。……と、これがあたしの計画だった。でも、実現させるにはあたしひとりの手じゃ足りない……。そんなときだったわ。お客さんとしてお店に来た佐々木さんと知り合ったのは」
「佐々木さん……ブロードファームの佐々木伸明さんね」
「そうよ。彼はいわゆるヤクザ屋さんで、4人の舎弟を持つ地位にいた人なんだけど、どういうわけかあたしに一目惚れしちゃったみたいで、『お前のためなら何だってする』ってしつこかったのよ。……チャンスだと思った。あたしは、彼の女になることを条件に、この計画を手伝わせたの。彼に断れるわけなんかなかったわ。彼は舎弟4人を連れて組を抜けて、ここ桜川町で牧場を始めた。あたしはスナックを開店して、つながりを隠そうとした。名前にちょっとしたこだわりは入れたけど……ね」
……幸広くん。その名前が、私の脳裏をかすめた。
彼は今、この町のどこにいるんだろう。悲しい真実も知らずに……。
「あとはあなたの知ってる通りよ。あの5人は捕まっちゃったけど、佐々木さんはあたしのことを警察に話すはずはないし、あとの4人も彼に服従してるから、あたしが黒幕だってことは絶対にバレない……はずだったのにね」

「どうして……?」
私は、ついたずねていた。
「どうしてって……まだわからないところがあるの?」
「あるわよ。なんで自分の実家や私の家からも馬を盗んだの? あとの5件はまだわかるけど……」
「理由なんて同じよ。復讐。あたしは、こういう自分を生み出した親がまず許せなかったの」
「私の家の事件も復讐なの!? そんなのってないじゃない! 私たち、親友だったのに……!」

「あなたのことなんか、昔っから嫌いだったわ!」

……風が流れた。
今の私は例えるなら砂の山で、ただそれだけで、すべてが崩れてしまいそうだった……。

「上辺だけみんなにいい顔するもんだから、誰にでも好かれて! あなたみたいな子に、幸広くんまで……」
「幸広くん……?」
私がその名前を出すと、彩子は不意にうつむいて、足元を見つめながらつぶやいた。
「……幼なじみとしては、もう思い出すこともないと決めていた名前だわ……」
それまでの自分を殺す、それは想い出のすべてを棄てること。そう……大切な幼なじみの存在でさえも。

「あたし、ずっと昔から彼のこと、好きだった。……それなのに理絵、あなたはいつだってあたしたちの間に入って邪魔ばっかり! あたしも遊びに混ぜてあげてるなんて偉そうにして、実際は自分の得意なことばっかりやって、何もできないあたしを笑ってたじゃない!」
「笑ってなんか……」
「いない、って言うんでしょ? いい子ぶりたいあなたは。でもね、あなたがわがままなのは事実よ! あたしが主役のお嫁さんごっこのときだって、たまには自分がお嫁さんやりたいとか言って、あたしの小さな幸せを奪おうとしたじゃないの!」
そんなことしたかな、と思った。でも、「忘れてしまった」ことこそが彩子のこの憎しみを生んだのかもしれないと考えると、記憶を疑うのも苦しい。
「幸広くんも幸広くんよ! いろんな策略使ってやっとの思いで彼とふたりきりになれても、彼の口から出てくるのは『理絵ちゃんも一緒ならよかったのに』『理絵ちゃんは何してるのかな』そんな言葉ばっかりだった! しかも、あれだけ『騎手になんかならないで』って頼んだのに、あなたの言うことを聞いてこの町を出てっちゃった……。今だって信じられない! なんでよ! なんでいつもあたしじゃなくてあなたなのよ! しかも、あなたとだけ『5年後の記念日に帰ってくる』なんて約束までして……!」
彩子の叫びが、想い出の場所を包み込む……。
「あたしが幸せになれないなら、あなたの幸せも壊してやる。それもまた、あたしの生きる理由になったわ。どうせあなたは気付かなかったでしょうけどね。でも、喜んでくれるでしょ? あたしたち、親友だものね。何だって一緒がいいって言ってたもんね。その気持ちはあたしだって同じよ! それを叶えてあげたあたしに感謝しなさい! あーっはっはっはっはっは!!」

 

 

……そのとき。

 

 

「やっぱり、ここだったか……」

後ろから声がした。高笑いしていた彩子が、ハッとして顔を上げる。
振り返ると……いた。やりきれない顔をした幸広くんが、そこに……。

……時を超えて、今、再び3人がこの場所に集まった。
それぞれに想いは変わってしまっても、確かにあの頃の3人が……。

幸広くんは、私と彩子の間にまわった。そして、彩子を見つめる。
その瞳に映る姿は、誰のものなのか……。
答えは、2秒としないで出た。

「彩子ちゃん……君は、彩子ちゃんなんだろ?」

「……そうよ」
彩子は、幸広くんの顔をしっかり見て答えた。

「そうか……お帰り。また会えて、嬉しいよ」
「そんなこと言わないで。あたしはもう、昔のあたしじゃないんだから……」
そう言ってまたうつむいた彩子に、幸広くんはささやいた。

「……例え昔の君じゃなくても、ぼくは、君に生きていてほしかったんだ。それが叶って……それだけで充分だよ」

「幸広くん……」
彩子は、うつむいたまま彼を呼んだ。
「あたしに、生きててほしかったの?」
「当然じゃないか。……弱気になったこともあったけど、最終的には『生きている』と信じられた。君の部屋を調べたときに……」
「あたしの部屋……」
「理絵ちゃんが話したよな、『Happiness』で。……君の部屋には、プライベートな物が何ひとつなかった。君は自分でそういった物を処分してから失踪した……それを意識したとき、ぼくはふたつの可能性を考えた。ひとつは君が自殺した可能性。そしてもうひとつは……それまでの自分を棄てて、どこかで違う人間として生きている可能性だ。そのどっちかしか考えられないなら、ぼくは迷わず後者を選ぶよ」

「……どうして、『摩耶めぐみ』があたしだって考えたの?」
彩子は、私とふたりだけのときの強気な態度はどこへやら、完全に小さくなって聞いた。
「最初にその可能性を考えたのも、君の部屋だった。なんでかはよくわからない。直感かな。……その後、あの橋の上で君と会ったよな。ぼくはあのとき、君にもぼくたちみたいな想い出があるのかどうか聞いたけど……あれには、その考えをそれとなく探ろうとした意味もあったんだ」

……私は幸広くんを追って振り返り、国道が通る橋を遠く見上げた。
あのとき彩子は「つらい想い出しかなかった」と言った。
しかも、「好きな男の子がいたのに、その子は性格の悪い子が好きだった」と……。

「君にもいろんな、しかも深い事情があったんだろう。そうでなきゃこんな事件まで起こさない。そこは同情する。……でもぼくにはただひとつ、絶対に君を許せないことがある」
私は幸広くんに向き直った。……彼は、厳しい顔をしていた。
「ブロードファームの倉庫に監禁されたとき、ぼくを閉じ込めた部屋だけはつっかい棒も何もしないで逃げられるようにしてあったのに、他の3人の部屋は完全にふさがれていた。しかも、ぼくの部屋に近い出口だけが開け放ってあった……。犯人はぼくだけを逃がそうとしている、それがわかったときに、ぼくは君がこの事件の黒幕なんじゃないかって初めて考えたんだ」
……彩子は無言だった。
「君は、ぼくが弱気なことを知っていた。他の3人の部屋より先に出口を見つけたら、すぐにでもそこから逃げ出すとにらんだんだろう。それで、ブロードファームの連中に出口を見張らせておいて、ぼくが出てきたらすぐ火を放つ手はずだったんじゃないのか?」
火を放つ……その言葉に、私は背筋が凍る思いだった。
「結果的には、ぼくのなけなしの勇気が勝った。ぼくは出口を素通りして理絵ちゃんを助けて、栄一郎さんと哲くんも助けて……その間に山崎さんが来てくれて、全員無事だった。だけど……」
幸広くんの表情が、おそらく彼の人生で一番というほどに険しくなった。
「もしぼくが負けていたら? いくら自分が直接手を下すんじゃなくても、3人もの人を殺すところだったんだ。『ぼくたち』って言葉の中にいつも一緒にいる理絵ちゃん、君をいつも大切に思ってくれていた栄一郎さん、君の過去とは何の関係もない哲くん……その3人を、情け容赦もなく……」

「……怖かったわ……」

彩子は、力なく河原に座り込んだ。
「今さら何を、って言われるかもしれないけど、怖くてたまらなかった。正真正銘、本当の話よ。お店で知らせを待っている間、ずっと思ってた。あなたが出口を素通りしてくれないかな、何とか失敗してくれないかな、って……。体中が震えて、手足が冷たくなって……それから、ここで3人一緒に遊んだことを思い出して、頭から離れなくなっちゃった……」

……私は、憎しみのあまり間違った道を選んでしまった幼なじみの親友が、哀れでならなかった。
恨まれて、だまされて、殺されかけて……それでも私には、彼女を憎むことは到底できなかった……。

「彩子」

だから私は、彼女を見下ろさないように、自分もしゃがみ込んで呼んだ。
「な……何よ」
「あなた、さっき言ったわよね。私のこと、ずっと嫌いだったって。……確かに私、誰にでもいい顔するようなとこあるし、あなたが私をそんな風に思ってたことだって、全然気付かなかった。でも……でもね……」
私の言葉に誘われてか、幸広くんも一緒にしゃがんだ。昔、3人で河原の石を積んで遊んだときのように……。
遠い記憶に想いを馳せながら、私はつぶやいた。

「それでも私、あなたが大好きだった……」

「ぼくだって、君が大好きだった……」

ふたつの言葉が、彩子に届いた。

……彩子は、すっと立ち上がった。
そして、自分の携帯を取り出し、目を閉じて小さく言う……。

「……山崎さんを呼ぶわ」

「そうだね……やっぱりそれがいいよ」
幸広くんが追って立ち上がる。
そして、私が最後に立ったとき、彩子は続けた。
「だけど、ひとつだけお願い」
「お願い?」
「そこを掘る話よ……」
彩子は、例の水銀灯の下を見下ろした。……私も、幸広くんも、見下ろした。
「そこを最初に掘るのは、あなたたちであってほしいの」
言って彩子は水銀灯の裏にまわり、例の除雪用スコップを手にして再び現れた。持ってきていたらしい。
「そういえば忘れていた。ここには、いったい何が……?」
スコップを受け取りながら、幸広くんがつぶやく。
「言わせないで」
彩子はそれだけ口にし、あとは携帯と向き合った。

「山崎さんですか? ……あたしは、森下彩子です。ご心配かけました……」

……そんな声を聞きながら、幸広くんは無言のまま、河原をゆっくりと掘り始めた。
私は、それを見守っていた。
彩子は電話を終えると、逃げることもせず、そのまま河原に立ち続けていた。
私たちの方は見ずに……。

 

 

埋められていたのは、大きな木の箱だった。5年の間に腐りかけていたが、まだ穴は空いていない。
私と幸広くんは、ふたりでその箱のふたを取り去った。
すると……。

「これは……」

中身は、彩子の部屋から消えたという、プライベートな物たちだった。
手紙、年賀状、小学校と中学の卒業アルバム……そして、普通のアルバムもある。
私は、何を考えるともなく、5〜6歳の頃のアルバムを取り出して開いた。

……ある春の日、私と幸広くんと彩子、そしてその家族でお花見をしたときの写真が貼ってあった。
元気な私は大きく、控えめな幸広くんと彩子も小さく、それぞれの楽しさを笑顔で表現している。
彩子も幸広くんも私も、まだ悩みや苦しみを知らなかった時代。
「記念日」に憧れ、疑問のひとつもなくそれを創ることのできた時代……。

ふと幸広くんを見ると、彼は見覚えのある小さな箱を手にしていた。
それは……5年半前に彼がくれた、あのマグカップの箱だった。
「それ……」
「リボンがかかったままだ。彩子ちゃん、開けてなかったんだ……」
確かに、リボンは解かれた形跡もなく、しっかり箱の外側を守っている。
「……彩子、きっと怖かったのよ。この中身を見るのが……あなたが遠くへ行っちゃった証を目の当たりにするのが」
「そうか……。だからあのメッセージも届かなくて、ぼくがもう絶対に帰ってこないと思い込んで……」
幸広くんは、ゆっくりと目をこすった。
「もしぼくが、メッセージを箱に入れないで外側につけていたら、こんなことにはならないですんだのかな……」

「……これは?」
あなたのせいじゃない、と安易な慰めを言う前に、私は木箱の隅に入っていた袋を見つけた。
そっと開けてみると……。

「……!!」

中にあったのは、注射器だった。
それも、内側には真っ黒に変色した血がこびりついている。

……私には、この大きな木箱全体の意味が、ようやくわかった。
これは……彩子が自分を「殺した」あとに建てた、彼女自身の「墓」だったのだ。

彩子は5年前の記念日の夜、「森下彩子」を思わせる品々を持って家を出ると、この注射器を使って、自分の腕あたりから血を少し抜いて国道に落とした。死んだと思わせるためだ。
それから、私的な物と注射器をこの河原に埋めた。桜川中の生徒が見たのは、そのときの彩子だったんだろう。
そして、この町を出た……。

想い出の品々を、捨てないでこの「想い出の場所」に埋めていたこと。
この町を出たのが、私たちの大切な、あの「記念日」だったこと……。

彩子は、この町が嫌いだったと言った。私のことも嫌いだったと言った。
でも……例え気付いていなかったとしても、彼女は確かにこの町が……そして私のいる想い出が好きだったのだ。
私は今、それを確信した。

 

 

「……何だか、ほっとした気持ちだわ。あなたたちにそれを見てもらえて」
彩子が、私たちの後ろに来た。
そして……。

 

 

「ありがとう。……幸広くん……理絵……」

 

 

ついに、口に出してそう言ってくれた……。


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