俺は無我夢中で美樹本の顔面を殴りつけた。

……拳の先に鈍いような鋭いような衝撃を感じ、ハッと我に返ったときには、床に倒れ込み、顔を押さえてうめいているやつの顔が視界にあった。

自分の拳を、俺は放心状態で見つめた。
考えるより早く飛び出した、この拳。
俺は確かに、やつを殴り倒した。
みどりが殺されるはずだった一瞬を、別の出来事に変えたのだ……。

「こ……こいつ、女だと思って甘く見てたら……」
不意打ちを食らって倒れ込んだ美樹本が、俺の顔より下をにらみつける。やつは、自分がみどりに殴り倒されたと思ってるんだろう。俺の姿は見えないんだから、当然といえば当然だ。

……そういえば、みどりは無事か!?

俺はようやく考えがそこに及び、すぐさま振り返った。
そこには……信じられないといった表情で自分の両手を眺めているみどりの姿があった。

そのとき、階段を駆け上がってくる集団の足音が、俺の耳を突いた。

「篠崎くん! ……お、おい! これはいったい、どういうことなんだ!?」
叫んだのは、先頭に立っていたオーナーだった。そのすぐ後ろから、ママさん、香山夫妻、透くん、真理ちゃん、そして過去の俺と、談話室にいた全員が上がってくる。さらに、騒ぎを聞きつけたのか、部屋に閉じこもっていた3人のOLたちも廊下に出てきた。
「……みんな! 犯人はこいつよ!」
「何だって!?」
マヌケに叫んだのは、過去の……いや、もうこのシチュエーションは俺自身が経験したことじゃないから「もうひとりの」と表現した方がいいだろう……俺だった。俺自身、透くんが推理を披露するまで、こいつが犯人だとはちっとも気付かなかったから、もうひとりの俺が意外に思っても、何も不思議はないのだが。

みどりはみんなに、美樹本が使ったトリック……自分がコートとサングラスで田中になりすまし、彼が長く生きていたように見せかける……について簡潔に説明し、そしてやつのつけひげをはぎ取った。これが確かな証拠になる。
「ち……畜生っ!」
美樹本が吐き捨てると同時に、もうひとりの俺がやつに飛びかかった。
「お前が犯人だったのか! 後で警察に突き出してやる! この人殺し野郎!」
自分が捕まえたわけじゃないのに、正義のヒーロー気取りだ。どうせ、みどりにかっこいいところを見せたいとか、そんな気持ちからなんだろう。自分の姿は、はたから見ると結構情けないものだ。

ママさんが、奥の物置から洗濯用のロープを出してきてオーナーに渡した。
オーナーは、透くんともうひとりの俺の手を借りて、美樹本を縛り上げた。

「みどり……大丈夫か? こいつに変なことされなかっただろうな」
もうひとりの俺が、そっとたずねる。
「大丈夫よ。でも……」
「でも?」
真理ちゃんが続きを促したが、みどりは何も答えなかった。美樹本を殴った自覚がないことを不思議がっているのだろう。
「まあ、いいじゃないか。犯人は捕まえたし、一安心だ。もう下に戻ろう」
オーナーが言うと、全員が承知した。

縛り上げられた美樹本を、もうひとりの俺が担ぎ上げようとする。ひとりでは無理なことに気付いた透くんと香山さんが、それに手を貸す。
そうして、美樹本を含め、俺自身を除いた総勢12人は、談話室へと下りていった。

 

 

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