第3章 夕食だ!


真理と向かい合ってテーブルに着くと、早速フランス料理風のディナーが運ばれてきた。
ぼくたちのテーブルの担当スタッフは、もうひとりのバイトの篠崎みどりさん。スキー焼けした肌と髪がよく似合う、丸顔で中肉中背の女性だ。
名前の通り緑色のエプロンを着け、その下はジージャンにジーパン。髪型がポニーテールなのと童顔なせいで子供っぽく見えるが、真理が昨日こっそり教えてくれたところによると、彼女はこれでも27歳だそうだ。
気の毒なことだが身寄りはなく、この『シュプール』にずっと住み込んでいるらしい。

「ひどい吹雪だけど、予報はどうなってるの?」
ナイフを手にしたところで、真理はみどりさんに質問した。予報は確か今夜一杯吹雪らしいと小林さんが言っていたはずなのに、彼女はそれを信じたくないのだろう。誰に聞いても天気が変わるわけじゃないのにな、とぼくは思った。
「予報? ああ、明日スキーができるかどうかって話ね。……ちょっと微妙なとこね。吹雪は止むかもしれないけど、この調子じゃ道の除雪に時間がかかりそう」
「除雪車とかないんですか?」
スキーウェアを着てスコップを持ち、一生懸命に雪をかき分けるみどりさんを想像して、ぼくは思わずたずねていた。
「あるけど、それでも大変よ。ここから歩ける距離に家なんかなかったでしょ? 除雪車じゃ歩くような速さだもん。いつ道が通れるようになるかわかったもんじゃないわ」
この放り投げるような話し方が、みどりさんの特徴のひとつだ。
「じゃあ明日は、運が悪ければずっとここにいるしかないの?」
「そういうことになるのかな。そうならないでほしいんだけど、あたしも」
みどりさんが窓の外を見やる。不満そうな真理がそれに続いたので、ぼくも同じことをした。
いつのまにか、ちらついていただけの雪は吹雪に変わっていた。駐車場にある自分の車のことが気になったが、帰ることなどまだ気にする必要はない、とそれを押し込めた。
「それより、まだひとり到着してないお客さんがいるのよね。さっきからそれが心配なのよ」
「え!? この吹雪の中、こっちに向かってる人がいるの!?」
真理が素っ頓狂な声を出す。
「そうなのよ。迷って遭難、なんてことにならなきゃいいんだけど」
「そうね……」
ぼくは、自分の都合だけで「吹雪になれ」などと思っていたことを初めて悔やんだ。
「ま、たぶん大丈夫でしょ。じゃあ、ごゆっくりね」
しかしみどりさんは、その問題をいとも簡単に片づけると、お盆を抱えてキッチンに戻っていってしまった。どうも彼女は、あまり物事を深く考えないタイプらしい。

 

 

おいしい食事を楽しんでいると、突然真理がぼくの肩越しに向こうを見やり、「ん?」と声を出した。
「どうしたんだ?」
「ううん。……あの人、何なのかなーって思って」
真理が視線で示した方を、そっと振り返ってみる。
――すると、黒い塊が視界に入ってきた。
黒いトレンチコートを着て黒い帽子をかぶり、黒いサングラスまでをもかけた男が、隅のテーブルにひとりで座り、黙々と食事をしていたのだ。
「何なんだろう」
なるべく見ない方がいいだろうと思って、ぼくは視線を真理に戻してから考え出した。
「ヤクザ……?」
真理が、ぼくにしか聞こえないような声でそっとささやく。
「まさか。ヤクザがひとりでペンションになんか来るわけないよ」
とりあえずそう答えてはおいたが、ヤクザなのでは……という考えはぼくにも芽生え始めていた。
あの帽子の下に麻薬が隠してあるかもしれない、コートのポケットに拳銃が入ってるかもしれない……悪い想像はいくらでもできてしまう。
「叔父さんはどう思ってるのかしら」
「小林さんがお客さんを疑うなんてことをするはずないよ」
言ってはみたが、もし何かトラブルがあった場合、責任を被るのは小林さんなのだ。彼も多少は気にしているのでは、と考えるしかなかった。
「そうかしら……」
真理はまた窓の外を見ながらため息をつく。あのサングラス男の正体がわからないせいか、それとも吹雪のせいか。たぶん半分以上後者の理由なんだろうな、とぼくは思った。

「ねえ、真理」
そんな真理にいつもの笑顔を見せてほしくて、ぼくは話題を変えることにした。
「ん?」
「ここの料理は、全部小林さんの領域なの?」
たずねると、真理は少し考える素振りを見せてから答えた。
「そういうわけでもないんじゃないかな。味付けなんかは全部叔父さんだけど、例えばサラダをちぎったりお皿を用意したりなんていう簡単なことは、叔母さんや俊夫さんたちも手伝ってるんじゃないかしら」
「ああ」
ぼくは納得した。確かに、これだけの量を小林さんひとりで全部準備するとなると、大変な労力と時間がかかる。
「叔父さんは料理が大好きでね、このペンションを始めたのも自分の手料理をみんなに出したかったからなのよ」
真理の顔に、笑みが戻ってきた。
「昔はあの香山さんの会社で働いてたのよ。でも、どうしても夢が棄てられなくて、いきなり脱サラしてペンションだもの。それを認める香山さんも香山さんだし、つきあう叔母さんも叔母さんよね」
「香山さんはそういうの大手を振って応援しそうな人だから、わかるよ」
それに今日子さんは小林さんを信じてついてったんだよ、と続けようとして、照れくさいのでやめた。
「まあね」
「……でも、あの若さでよくこんな立派なペンションが持てたね」
立派といっても大きいという意味ではない。しっかりした、という方だ。
「それはね、実は叔父さんのお父さん……あたしのお父さんのお父さんでもあるんだけど、とにかくあたしのお祖父さんが、このあたりの山とか土地をたくさん持ってたのよ。だから、経済的な苦労は全然なかったみたい」
――真理の話を聞いて、ぼくは頭の中が真っ白になった。
真理のお父さんが小林さんの兄なら、彼は絶対に次男の小林さん以上に裕福なはずだ。ということは、この真理も……。
「ん? どうしたの?」
案の定、真理はぼくがなぜ呆然としているか気付いてない。
お金持ちのお嬢様に、根っからの庶民のぼく。身分違いの恋なのかもしれないな……。

 

 

結局、そんな気分のまま食事は終わり、ぼくたちは談話室に行くことになった。
しかし――食堂を出ようとすると、香山さんのテーブルの様子が何やらおかしいのに気付いた。
春子さんが、額を押さえて苦しそうにうつむいていたのだ。
「どうなさいました!?」
その様子に気付き、顔色を変えてすっ飛んできたスタッフは、食堂の入口のあたりにいた俊夫さんだった。
「春子が、いきなり具合悪い言いよって……おい、小林くん呼んできてくれや」
「は、はい!」

俊夫さんはキッチンに飛んでいき、小林さんだけでなく、今日子さんやみどりさんまで連れて4人で戻ってきた。
「春子さん! 大丈夫ですか!?」
小林さんは春子さんの顔をのぞき込み、焦る気持ちを必死に抑えるかのようにたずねていた。やはり、自分の作った料理を食べた直後にこんなことがあると、気が気ではないのだろう。
「ううん……大丈夫よ。ちょっとだるいだけだから……」
春子さんはそのまま動かず、まったく力が入っていないか細い声を出す。

ぼくは瞬間的に、あのサングラス男が何か悪さをしたのではと考え、隅のテーブルを見た。
しかし、そこにはもう誰もいなかった。
いや、彼だけではなく、いつしかあのOL3人組も食事を終えていなくなっている。

「小林くん。衛生管理はしっかりしとるんか? 何や落ち度があったんやないやろな」
「そんな……そのようなことは……」
小林さんは「決してそのようなことはございません」と言いたそうに見えたが、そう言ってしまった後で自分の料理に問題があったことが明らかになったら困るせいか、弱気にそう答えるだけだった。
「あなた……いいのよ。少し休めば治ると思うから」
「せやけど……」
香山さんは納得のいかない様子だったが、本人が平気だと言っている以上、それより先は責められないようだった。

春子さんは、香山さんとスタッフのみんなに付き添われて自分の部屋に戻り、そこで休むことになった。


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