第5章 コーヒータイム


それから少しすると、スタッフの全員がキッチンから出てきた。
小林さんが美樹本さんのためのおにぎりを、今日子さんがコーヒーカップとスプーンがたくさん乗ったお盆を、俊夫さんがコーヒーポットとシュガーポットを、みどりさんがもうひとつのコーヒーポットとミルクピッチャーを、それぞれ持ってやってくる。
「お待ち遠様」
小林さんが優しい口調で言った。

おにぎりが美樹本さんの手に渡ると、彼はすぐさまそれにかぶりついた。
遭難してから3日ぶりの食事、といった感じで何となくおかしかったが、笑ってはいけないとすぐに思い直した。彼は本当に、冗談にならないレベルで「遭難寸前」だったのだから。

「……あら? もうひとりの女の子は?」
カップの数と人数が合わないことに今日子さんが気付き、可奈子ちゃんと亜希ちゃんを見てたずねた。
「啓子なら部屋に戻りました。見たいテレビがあるとか何とか言っちゃって」
可奈子ちゃんがあきれたように答える。
が、今日子さんはそれを気にする様子もなく、俊夫さんやみどりさんと一緒にコーヒーの準備を始めた。

やがて、コーヒーが全員に配られた。
談話室にいたぼくたち客だけでなく、小林夫妻やバイトのふたりも合わせた全員だ。

ぼくはコーヒーをすすりながら、談話室にいる人たちを見まわしてみた。
真理、美樹本さん、可奈子ちゃん、亜希ちゃん、香山さん、小林さん、今日子さん、俊夫さん、みどりさん。ぼくを含めて10人だ。
これに2階にいる啓子ちゃんと春子さんを加えると、今夜このペンションにいるのは12人か――と考えたところで、あのサングラス男を忘れていたことを思い出した。
彼も含めて13人ということになるが、彼は今何をしているんだろう。なぜあんな恰好をしているんだろう。そもそも、ここに来たのはなぜなんだろう?
ぼくと同じようにそんなことを気にしている人がいないかどうか、もう一度全員を見まわしてみた。
しかし、誰ひとりとしてそんな素振りを見せている人はいなかった。
本来ペンションとは、客同士こうして共通のスペースに集って話すのが楽しいものだが、ひとりになりたい人は適度に放っておいてくれるので、出てこないからどうしたのだろう、と気にするようなことはあまりないらしい。
ぼくも気にしないことに決め、みんなと談笑して楽しい時間を過ごした。

 

 

鳩時計が1回鳴り、8時半になった頃、みどりさんが小林さんに何か耳打ちされ、ひとりで2階へ向かった。
まさかあの男を呼びに行ったわけじゃないだろうな、などと考えていると、彼女は3分ほどで下りてきて、小林さんに言った。
「もう少し休ませてくださいとのことです」
「ああ、そうか」
どうやら、春子さんの様子を見に行ってきたらしい。
ぼくは、反射的に香山さんの方を見ていた。彼も小林さんとみどりさんのやりとりを見ていたのだろう、「わしに言えばわしが見に行ったのに」とでも言いたそうな顔をしていた。
が、やはり小林さんはこのペンションのオーナーとして春子さんの様子が気になっているのだろう。
とりわけ、その原因が自分の料理にあったかもしれないとなると……。

やがてその小林さんが「みなさん、何かおやつのような物を召し上がりませんか?」と勧めた。
「あ、いただきます」
真っ先に答えたのは、またもや可奈子ちゃんだった。続いて亜希ちゃんが、美樹本さんが、そして真理とぼくがうなずく。まだ小林さんの衛生管理を気にしているのか、香山さんはまた返事が最後だったが、結局彼ももらうことにしたようだった。
「さてと……何があったかな」
「あっちの台所に、クッキーか何かなかったかしら」
今日子さんがフロントの奥を見やりながら答えた。あっちには小林夫妻やバイトの人たちのスタッフルームがある。おそらく奥には、食堂の隣のキッチンとは別の台所があるのだろう。
「そうだな。じゃあ、私はあっちを見てこよう。今日子はそこから何か持ってきてくれ」
「わかったわ」
小林夫妻はそろって談話室を去った。
今日子さんは美樹本さんが食べ終わったおにぎりの皿を持って食堂横のキッチンに入っていき、小林さんは奥の部屋へと向かう。
暖簾があるから中は見えないものの、キッチンのドアは開いたままで、今日子さんが棚を開けたり閉めたりする音がバタバタと聞こえてくる。
食べ物の置き場をひとつに決めてないのかな、とぼくは思ったが、きっとそれには何かぼくの知らない理由があるのだろう。例えば、貯蔵庫をひとつに決めてしまうと、何かの事故でそこが開かなくなったら飢え死にするからとか……。
……ちょっと無理があるか。

ぼくはくだらない考えを打ち消すべく、窓から外を見た。
吹雪はさらに激しさを増していて、今にこの分厚いガラス窓をぶち破って談話室に飛び込んでくるんじゃないか、などという心配までさせる。
「ひどいな、こいつは」
ぼくの視線を追ったのか、俊夫さんがぽつりとつぶやいた。
このあたりではしょっちゅうこんな吹雪になるのかと思っていたが、ここで働いている彼がそう言うのだから、この気象は例年にないことなのだろう。

 

 

10分ほどすると、奥の部屋から小林さんが戻ってきた。手には大きなクッキーのビンを持っている。
「どうも、遅くなりました。こんな物しかありませんが……」
彼がそう言った直後、今度はキッチンから今日子さんが出てきた。彼女が持ってきたのは、皿一杯に盛られた星型のチョコレート。
「わあ!」
可奈子ちゃんがチョコレートの皿を見て明るい声を上げた。そのかわいらしい見た目からか、どうもそっちの方が受けがいいらしい。わざわざ奥の部屋まで行ってきた小林さんに、ご苦労様と言いたい気持ちだった。

みんながそれらに手をつけ始める頃、2階から啓子ちゃんが下りてきた。もうテレビが終わる時間になったのか、と鳩時計を見ると、確かに9時ちょっと前になっていた。楽しい時間は、本当に短く感じられる。
「どうもー。あ、みんなはおやつ? いいなー。あたしの分は?」
「ないわよ、コーヒー頼んどいて勝手に部屋に戻っちゃうようなあんたの分なんか」
可奈子ちゃんが冷たく言い放つと、啓子ちゃんは「そんなあ……」と心から残念そうな声を出した。
「まあまあ、いいじゃないか。友達なんだろう? 許してあげなよ」
美樹本さんが、ふてくされた可奈子ちゃんを一生懸命になだめる。
しかし、そこで彼女はいきなりしかめっ面を歪め、普通の顔を通り越して、満面の笑顔へと変化させた。
「……あはははは! もう、こんなのふたりしてマジに受け止めるなんて! 冗談に決まってるでしょ!」
そして、大笑いを始める。
「おっと、こいつは一本取られた!」
大げさに両手を挙げ、美樹本さんも笑い出した。啓子ちゃんや亜希ちゃんまで同じ顔になる。
ぼくは何がおかしいのかわからなかったが、そんな4人のやりとりを見ているうちに微笑ましく思えてきて、結果的に笑ってしまった。
「まあまあ、とにかく座って。コーヒータイムはまだまだ終わっちゃいないさ」
ぼくと同じ理由で笑っていただろう俊夫さんは、座っていた階段から立ち上がると、ひとつ余っていたカップを取って、啓子ちゃんのためのコーヒーを注いだのだった。


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