第8章 アリバイのない者は……


再び談話室に11人全員が集合した。
しかし、ペンション内に自分たち以外誰もいないのだと納得しても、安心などできなかった。この中の誰かが犯人である……その可能性が高まっただけなのだ。そう考え始めていたのは、おそらくぼくだけではなかっただろう。

「……この吹雪の中を逃げることはできると思いますか?」
ぼくは全員に向かってたずねた。
すると、ペンション側の人たちと美樹本さんの合計5人が、一斉に首を横に振った。
「無理だろう」
小林さんが、口に出して答える。
「でも、美樹本さんが来られたんですから、何とか可能なんじゃないでしょうか?」
「いや、ありゃ無理だよ」
美樹本さんは顔の前で手を振って否定する。
「ぼくも立ち往生寸前だったんだ。ここにたどり着けたのだってほとんど奇跡だよ。いくら捕まりたくないからって、自分が死ぬかもしれない危険を冒してこんな吹雪の中を逃げるとは思えないな」
「でも……だってこのペンションの中には、ぼくたち以外誰もいなかったんでしょう? そうすると、犯人はぼくたちの中にいるって結論に行っちゃいますよ」
言ってしまってから、まずいことを口にした、と後悔した。
……しかしそこで美樹本さんは目を閉じ、厳しい顔をしてうなずいた。
「ああ。……残念なことだけど、ぼくはそう思ってる」

全員が息を飲んだ。
「そんなことって……」
いくらか気力を取り戻し、小林さんの隣に立っていた今日子さんが、信じられないといった感じで口に手を当ててつぶやく。
すると、小林さんは彼女の肩を軽くたたいてから美樹本さんに詰め寄った。
「変なこと言わないでください!」
「しかしですね、小林さん。このペンション内にぼくたち以外の人間がいないことは、ぼくもあなたもたったさっき確認したばかりじゃないですか。それに、あなたも言ってるように、この吹雪では外に逃げることもままなりません。それなのに2階では、ふたりもの人が惨殺されている……。これらの事実から、その犯人はぼくたちの中にいると考えるしかありませんよ。現実を見つめてください」
が、美樹本さんの言い分はしっかりしていた。ぼくは彼の言うことが全面的に正しいと思った。みんなも、脅えながらも同じ思いのようだ。
そんな全員の態度を見て、小林さんも渋々自分の考えを改めたようだった。
「誰や、春子を殺したんは! 潔く名乗り出んかい!!」
香山さんが立ち上がり、顔を真っ赤にして大声で叫ぶ。
……が、もちろん名乗り出る者などいなかった。

 

 

「……アリバイを調べたらどうかしら」
少しして、真理がそう言った。
「え?」
「アリバイよ。少なくとも春子さんが殺された時間帯だけははっきりしてるんだから、そのとき現場……2階の客室に行けなかった人を除外していけば、無実の人は疑われないですむじゃない」
「確かに……しかし、春子さんが殺された時間帯っていうのは?」
小林さんがたずねる。
「8時半くらいに、みどりさんが春子さんの様子を見に行ったでしょ? そのときには春子さんは生きていた。そして、9時を過ぎたあたりで今度は香山さんが様子見に行って、春子さんが殺されているのを発見した。つまり、春子さんが殺されたのはだいたい8時半から9時の間ってことになるわ」
真理が説明すると、みんなその意味を理解したようだった。

「啓子……」
亜希ちゃんがふとつぶやいた。
そういえば、確か啓子ちゃんはあの時間、2階の自分たちの部屋でテレビを見ていたはずだ……それを思い出し、ぼくは思わず彼女の方を振り返ってしまった。……いや、そうしたのはぼくだけではなく、啓子ちゃん本人以外の全員だった。
「……ちょっと! あたしがやったっていうの? ひどい!」
「でもあんた、ひとりで2階にいたんでしょ?」
親しい友人でもためらうことなく疑う――そんな亜希ちゃんの態度に、ぼくは背筋が凍る思いだった。彼女の本質がこんななのではなく、恐怖に押されての発言なのだとは思うし、そう信じたいのだが。
「それならあたしの方にだって言い分があるわ」
自分の疑いを晴らそうと、啓子ちゃんは全員に向けて話し出した。
「2階に行ったのはあたしだけじゃないはずよ。みどりさんが春子さんの様子を見に行った、って真理さんがさっき言ったし、これ言ったら怒るかもしれないけど、香山さんだって春子さんを発見したとき、最初はひとりで2階に上がったじゃないの」
「あんた、わしが犯人や言うんか!?」
香山さんが眉をつり上げると、啓子ちゃんは叫んだ。
「その可能性があるってだけよ! ただ、あたしひとりだけを犯人扱いしないでほしいの!」
……全員が黙ってしまった。誰もが、みんなでそんな雰囲気にしてしまっていたことを恥じているのだろう。

「……あたしじゃありません!」
声のした方を見ると、みどりさんが小林さんをにらみつけていた。彼にじっと見られていたので、それに反応して叫んだのだろうか。
「オーナー! まさか、2階に行ったってだけでみどりを疑ってるんじゃ……」
俊夫さんがみどりさんをかばう。
「いや……そんなわけじゃないが……」
小林さんは言うだけ言ったが、疑っているのはほぼ間違いないところだった。そんな気持ちをみんなに見抜かれたと自分でもわかったのだろう、彼は冷静を装って苦し紛れに続けた。
「……それより、他の人たちのアリバイも確認するべきだろう」

 

 

――が、みんなで確認したところ、他の人たちには全員はっきりしたアリバイがあった。
ぼくと真理、可奈子ちゃんと亜希ちゃん、美樹本さん、俊夫さんの6人は、みどりさんが下りてきてから香山さんの叫び声が聞こえるまでずっとこの談話室にいたし、小林夫妻はおやつを探しに談話室を離れたものの、このペンションには2階への階段はここ1ヶ所しかないので、やはり犯行現場へは行けなかった。
春子さんと田中さん、どちらが先に殺されたのかはわからないが、後に死んだ方の人には一応アリバイはないことになる。つまり、どちらかがどちらかを殺し、その後で自殺したと考えられなくもない。が、あの死に方を見る限りとても自殺とは思えない。
やはり犯人は、啓子ちゃん、みどりさん、香山さんのうちの誰か……どうしてもそういう結論に行ってしまう。

「そんな……あたし絶対違うからね!」
啓子ちゃんは傷ついた表情で叫んだ。
「あたしだって違うわよ! あたしは春子さんの様子を見に行っただけよ。3分くらいで下りてきたわ。そんな短時間でふたりも人を殺すなんて、できるわけないじゃないの!」
みどりさんも負けじと叫ぶ。俊夫さんが彼女の肩に手を伸ばしかけたが、彼女はそれをやけになって振りほどいた。
「……確かにそうですね」
彼女の言うことはもっともだった。3分間でふたりの人をあそこまで惨殺することなど、できるわけがない。
「ほならわしもや」
香山さんも声を上げた。
「わしは2階に上がって部屋入って……春子を見つけたんや。すぐ叫び声上げて、ほんで小林くんが飛んできよった。そないなるまで1分と経っとらん。わしかて人ふたり殺す時間なんかあらへんかったわ」
「それもそうですね……」
ぼくはそれにも納得した。
しかしそうすると、残るは啓子ちゃんだけになってしまう。ピンクのワンピースを着たこのかわいい女の子が、ふたりもの人を切り裂いて殺したというのだろうか……?
それは、ぼくにはどうしても信じられないことだった。
「あたしは……あたしはずっと2階にいたけど、殺してないわ! あたしにあんなひどいことができるわけないじゃない!」
「そうよ! もう啓子を疑うのはやめて!」
可奈子ちゃんも啓子ちゃんをかばい始めた。
が――状況は啓子ちゃんに相当不利だった。2階でふたりの人を殺す時間があったのは、彼女ひとりなのだ。いくら信じられなくても、その事実は変わらない。

しかしそこでぼくは、彼女の無実――もし無実ならばの話だが――を証明できる質問を思いついた。
彼女のためにも、早速たずねてみることにする。
「……あなたは確か、テレビを見ていたんでしたね。その内容を話せますか?」
「ええ、詳しすぎるほど詳しく話せるわ。だってずっとテレビの前にいて一歩も動かなかったんだもの」
啓子ちゃんは自信たっぷりに答え、話し出した。

彼女が見ていたのは、『101本目のマヨネーズ』というトレンディドラマだそうだ。ぼくは見たことがないが、男の料理人と女性プログラマーが主人公の、山あり谷ありの恋愛ドラマだ。最終回の今日、ふたりは幾多の障害を乗り越え、劇的に結ばれたらしい。
啓子ちゃんが話してくれた内容はとても細かく、それは彼女が一度もテレビの前から離れなかったことをしっかりと証明していた。

「小林さん、彼女たちの部屋以外にテレビの置いてある客室はありますか?」
「いや、客室ではあそこだけだ。私たち夫婦の部屋と俊夫くんの部屋にもあるが、それは無関係だろう」
「では、このあたりではポータブルテレビなんかは使えますか?」
「無理だ。ここは山の中で電波をキャッチするのが難しいから、きちんとしたアンテナからケーブルをひっぱってこないとだめなんだ。同じ理由で携帯電話も使えないし、ラジオも入らない」
小林さんは、ふたつの質問に充分すぎるほどの答えを返してくれた。この分なら、啓子ちゃんも犯人リストから除外してよさそうだ。
「そうですか。……しかし、彼女のアリバイもそうして証明されたとなると、いったい犯人は誰なんでしょう」
「私たち以外の誰かに違いない」
小林さんはまたその説を主張し始めた。何人かの人がそれに賛成するようにうなずく。
「でも……」
反対者の美樹本さんはそれだけ口にしたが、何を続けたらいいかわからなくなったのだろう、また黙ってしまった。

本当に犯人が外部の人間だったらまだいいのだが、やはりぼくには、美樹本さんの内部犯人説の方が説得力があるように思えた。一度はみんなが納得した説だし、犯人がこの吹雪の中を逃げたなどとはどうしても考えにくい。
誰か、アリバイに穴のある人はいないだろうか?
ぼくはそう思い、自分や真理も含めた全員を頭に浮かべ、ひとりひとりアリバイを追いかけてみた。
しかし、2階でふたりもの人を惨殺する機会のあった人などは、誰ひとりとしていなかった。

……小林さんの言う通り、やはり犯人は外部の人間なのだ。
どこからか入ってきて、春子さんと田中さんを殺した後、またどこからか吹雪の中に逃げていったのだ……。
ぼくは無理にそう納得した。いくら考えにくくても、そう解釈するしかなかったのだ。


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