第9章 決死隊
しばらくして、俊夫さんがふと口にした。
「……犯人が外部のやつで、ふたりを殺して逃げたんだとしたら、当然車でだよな。駐車場に行って調べてみるべきじゃないか? 車を停めてあった形跡があるかどうかとか」
なるほど、とぼくは思ったが、小林さんがそれに反対を唱えた。
「やめておいた方がいい。迷ってここに戻れなくなる危険もあるし、犯人が必ずしも駐車場に車を停めたとは限らない。第一この吹雪じゃ、そんな形跡があったとしてもとっくに消えているだろう」
彼の言うことも納得できるが、俊夫さんは反論した。
「しかしオーナー、それじゃここで警察が来るまで待ってろっていうんですか? いつ来てくれるかわからないんですよ。この天気じゃまず明日にはなるでしょう。それまでの間に犯人がここに戻ってこないって保証がどこにあります? せめて、犯人が逃げたのかどうか、それだけでも確認するべきだと思いますけど、俺は」
「いくら犯人とはいえ生身の人間だぞ。この吹雪の中、ペンションの外で『いつまた忍び込んでやろうか』などと呑気なことを考えていられるはずがない。屋内に私たち以外の人間がいなかったんだから、犯人は無理して逃げたんだと考えるしかあるまい。そんな当たり前のことを確認するためだけに外に出る必要などないだろう」
「しかし……」
勢いも説得力も小林さんの方が強かったが、ぼくは俊夫さんの意見の方に賛成だった。
警察に来てもらえないばかりか、電話線も切れてしまい、もし今後何かがあってももう助けを求めることはできない……。
だから、ぼくたちだけで姿の見えない犯人から身を守らなければならない。
そのためには、できる限りのことをする必要があるのだ。
「……小林さん、ぼくも外を調べた方がいいと思います。犯人が逃げた形跡をちゃんと確認すれば、内部犯人説を完全に否定できるんですよ」
ぼくはそう主張した。
「しかし透くん。それじゃ、もし形跡がなかったらどうなるんだ? 君の言っているのとは逆に、私たちの中に犯人がいるということを認めなくてはいけなくなるんだぞ」
小林さんは不安そうに言った。確かにその通りだし、そう認めたくないのはここにいる全員に共通する気持ちだろう。
が、認めたくない、ですまされる問題ではない。
「でも、だからといって調べないですまそうっていうのは、あまりにも無責任じゃないですか?」
ぼくは半ば意地になってそう返した。
直後、今度はどう反論されるのか、と予防線のように思ってしまったが、意外にも小林さんは、ぼくの言ったことに鋭い反応を示した。
おそらく「無責任」という単語が入っていたせいだろう。やはりオーナーである以上、すべての責任が彼のところに行ってしまうのだ。無責任だと非難されることが、彼にとっては一番つらいに違いない。
「……わかった。君の言うことは正しい。外を調べに行こう」
「ええ。ぼくも行きます」
小林さんが認めてくれると、ぼくは立ち上がった。さっきペンション内の探索に同行しなかったのだから、今度は行くべきだと思ったのだ。
「俺も行く」
言い出した本人である俊夫さんも、当然名乗りを上げる。
「ぼくも行こう」
続いて美樹本さんも立候補した。
女性だけで待つのを亜希ちゃんがまた拒んだので、寒さに弱い香山さんが残り、ぼくと小林さん、俊夫さん、美樹本さんの4人で外を調べに行くことになった。
ぼくと美樹本さんは2階の自分の部屋に戻り、小林さんと俊夫さんは1階の奥の部屋に行って、それぞれ上着と手袋を持ってきた。
そして、それを着込んで玄関に下り、狂ったように乱舞する吹雪の中へと足を踏み出した……。
……何も見えない。
ペンションから1メートルほど離れると、窓からもれる部屋の明かりもその力を失い、建物がどちらにあるのかさえわからなくなってしまった。
「こりゃだめだ! はぐれないようにするには手をつないで歩くしかない!」
轟音の中から、ようやく小林さんのそんな声だけが聞き取れた。
直後、誰かの手がぼくの左手に触れた。男同士だとかそんなことも気にせず、ぼくは命綱につかまるかのようにその手をしっかりと握った。
手袋をしているのでよくわからないが、大きくがっしりしている。俊夫さんか美樹本さんらしかった。
一生懸命にその人物の顔のあたりを見ると、白い闇の中にうっすらとひげ面が浮かんだ。……美樹本さんか。
やがて右手も誰かの手に触れたので、そっちも握る。今度は小さめの手で、小林さんであることが間違いなかった。
「……透くんか!?」
「そうです!」
すぐ隣にいるというのに、白いカーテンの向こうに見え隠れしてしまうような状態の小林さんに、ぼくは叫び返した。
「私は小林だ! 君の左側には誰かいるのか!?」
「美樹本さんがいると思います!」
「美樹本さんに聞いてくれ! 左側に俊夫くんがいるかどうか!」
「わかりました!」
隣同士でも、こうして精一杯の声を張り上げないと話ができない。小林さんがぼくをはさんで美樹本さんに直接質問することは到底無理だった。ぼくは小林さんに答えると、左側の美樹本さんに叫んだ。
「美樹本さん! 左側に俊夫さんがいますか!?」
「ああ! いるよ!」
そう返ってきたので、ぼくは今度は小林さんに叫び返した。
「いるそうです! 大丈夫ですよ!」
「わかった! じゃあ、私が部屋の明かりを見ながら歩くからついてきてくれ! 壁沿いに裏手の駐車場まで行こう! そう左側に伝えてくれ!」
小林さんの位置からは、まだ明かりが見えるらしい。
「はい!」
小学生の頃にやった伝言ゲームみたいだが、あんな生ぬるいものじゃない。ぼくは一生懸命にメッセージを左の美樹本さんに伝えた。
彼がさらに左の俊夫さんに同じことを叫んでいるのがわかる。
右手がひっぱられた。小林さんが歩き出したようだ。
ぼくは一歩を踏み出すと、左手をひっぱって美樹本さんにそれを伝えた。彼も、そしてその向こうの俊夫さんも歩き出す。
小林さんにひっぱられるままに、ゆっくりゆっくり一歩ずつ足を動かしていく。すねまで簡単に雪に埋まってしまうので、歩くだけでもひどく大変だ。
途中、角を曲がった。右まわりだ。ぼくは内側から2番めなのでまだよかったが、一番外側の俊夫さんはどれほど大変だろう、と思った。
ふたつめの角を曲がると、吹雪と轟音がいきなり弱まった。建物の影になったからだろう。
ぼくはそれを感じるやいなや、あたりをざっと見まわした。そうして他の3人の存在を確認しないと、不安でしょうがなかったのだ。
今度は、美樹本さんの向こうの俊夫さんまでしっかり見えた。そして、小林さんの向こうの建物も。
「駐車場はこの先だ。行くぞ」
小林さんが叫ばずに言う。それもちゃんと聞こえるようになっていた。
手を取り合ったまま固まって移動していくと、やがて駐車場とそこに停められた車たちが見えてきた。
ほとんど雪に埋もれてしまっているが、建物についているライトのおかげで、かろうじて形くらいはわかる。
まず、ぼくの車が確認できた。
その隣には丸っこい小さめの車。あのOL3人組のだろうと思った。
そして高級そうな大きい車。きっと香山さんのだろう。
その横にはRV車……。
「このRVは誰のですか?」
ぼくはみんなに向かってたずねた。
「ぼくのだよ」
答えたのは美樹本さんだった。
彼がここに来たのは一番最後だったことを思い出し、タイヤの跡が見えるかどうか一生懸命に目を凝らしてみたが、その影すら見えない。
これでは犯人が逃げた形跡など探しても無駄な気がしたが、ここまで来てそんな文句を言っても始まらない。
美樹本さんのRVの向かいには、ぼくが今日ゲレンデへ行くために借りた、小林さん所有の4WD。その向こうに巨大な車体を見せているのは、除雪車のようだった。
これで全部かと思ったが、もうひとつその隣に車があるのが見えた。特にこれといって強調する特徴のない、ごく普通の車だ。
「この車は……?」
「田中さんのじゃないか?」
俊夫さんが答えた。なるほど、と思い、ぼくはその車をじっと見た。
この中を調べれば田中さんが殺された原因がわかるような物が何か見つかるかもしれない、と一瞬考えたが、すぐそれはあきらめた。車のドアを開けるには、田中さんの部屋までキーを探しに行かなければならないからだ。それだけはどうしてもごめんだった。
「……レンタカーだ」
小林さんがぽつりと言ったので、ぼくは彼を振り返った。彼は空いている右手で車のナンバープレートについた雪をこそげ落とし、そこを眺めていた。
ぼくも見てみると、確かにプレートに書かれたひらがなは、レンタカーにしかない「わ」だった。その上には「名古屋」と書いてある。
「名古屋ナンバー……小林さん、田中さんの宿帳の住所はどこだったか、覚えていますか?」
「ああ、確か名古屋だったと思う。この車は田中さんが乗ってきた物に間違いないようだ」
小林さんの返事を聞いたところで、俊夫さんのつぶやきが耳に入った。
「……別の車が置いてあったような形跡はないな」
そういえば、本来の目的はそっちだった。
ぼくは今さらながら駐車場をざっと見まわしてみたが、確かに彼の言う通り、そんな跡はまったく残っていない。雪で消えたと考えてしまえばそれまでなのだが。
「道路の方にまわってみたらどうでしょう? 犯人が車をここに停めなかったとしても、道路なら逃げるときに必ず通らなければならないわけですし」
ぼくは意見を出した。
「そうだな」
「よし、じゃあ今度はさっきとは反対側を通って正面に戻ろう。ついてきてくれ」
そう言って小林さんはまた歩き出す。
寒さのためか恐怖のためか、ぼくたち4人はここにいる間もみんな手を放さずにいたので、そのまま彼についていくことになった。
建物の影を出ると、また吹雪が強烈に戻った。
さっきと同じように、両隣の小林さんと美樹本さんしか見えなくなる。
そうしてようやく角を曲がった。空間が歪んでいるのでなければ、ここがさっき出てきた正面玄関の側になるはずだ。
小林さんは建物から離れる方向に歩き出した。ぼくの記憶でも、確かにそっちに道路があった。
ぼくたちも必然的についていく。
彼は少し歩いて立ち止まると、その場にしゃがんだ。
そして、右手で地面の雪をこすり始めた。積もった雪の下に何か跡がないかどうか調べているのかもしれない。
ぼくにはどうするのかわからないが、ここに住んでいて雪に慣れている彼がそうしているのだから、きっと何か判断する方法があるのだろう。
3分ほどで彼は再び立ち上がり、そしてぼくに向かって叫んだ。
「ペンションに戻るぞ! そっちに伝えてくれ!」
「わかりました!」
小林さんが何かを見つけたのでは、と思ってたずねたかったが、それは戻ってからでいい。とにかく今は、この真っ白な地獄から抜け出したかった。
さっきと同じ要領で、美樹本さんに伝言を叫ぶ。そして彼が俊夫さんに。
小林さんが動き出したので、ぼくも動く。
思わず急ぎ足になり、転びそうになって慌てて速度を緩める……。
そんなことを続けているうちに、彼が玄関ポーチの階段を上がるのがわかった。
つまずかないように気をつけて、ぼくもそれに続く。
やがて、小林さんが玄関のドアを開けるのがわかった。
ああ、やっと中に戻れる……ぼくは小林さんの前に立つかのような勢いで中に飛び込んだ。
続いて美樹本さんが、最後に俊夫さんが入ってきてドアを閉める。
吹雪から守られ、互いの姿もしっかり見えるようになった。地獄からの生還だ。
ぼくたち4人は、二重になった入口ドアの間にいた。すぐにでも内側のドアを開けて中に上がりたい気持ちだったが、その前に小林さんにたずねた。
「小林さん……何か見つけられたんですか?」
が――彼は厳しい顔でうつむき、ただつぶやき続けるだけだった。
「こんな……こんなことがあっていいのか……」
「どうしたんですか?」
「誰かが逃げた形跡など、どこにもなかった……」
どんな思惑があったのかは自分でもわからないが、ぼくはそれを聞いて、思わず残りのふたりの方を振り返っていた。
美樹本さんは疲れきったような表情しかしていないが、俊夫さんは小林さんと同じような顔をしていた。
きっと彼も雪の下を調べていたのだろう。そして小林さんと同じ結論に達した……。
――そうだった。
誰かが逃げた形跡がなかった以上、犯人はぼくたちの中の誰かだとしか考えられない。
小林さんが――いや、彼だけでなくペンションにいるみんなが一番恐れていた結論が、現実のものとなってしまったのだ。
……しかしそうすると、アリバイはどうなるんだろう。
犯行時刻をごまかしたのだろうか。
それとも、何か巧妙なアリバイトリックが……?
ぼくは考えたが、使えそうな推理は何ひとつ浮かんでこなかった。
吹雪の中をさまよい、精神的にひどくまいっていたおかげで、思考能力が大きく低下していたのだ。