第16章 夜の向こうから


ぼくたちは、そのまま真理の部屋に直行した。
自分の部屋に戻って着替えやパジャマを持ってこようかとも思ったのだが、やはり真理と一緒に朝まで起きていてあげたい。
ドアにしっかり鍵をかけ、小林さんに言われた通り、ふたりで力を合わせてベッドのひとつをドアの前に移動させた。これでとりあえずは安心だろう。

「ねえ、透……」
真理が不安そうに呼ぶ。ドアにつけたベッドの上に座っていたぼくは、もうひとつのベッドの上の彼女に答えた。
「何?」
「……俊夫さんは、どうして殺されたんだと思う?」

突然の質問に、ぼくは考え込んでしまった。
殺人事件が連続して起こったなどという事実から見て、春子さんと田中さんの事件に関する何かに感づいたため、彼らを殺した犯人に口封じのために殺されたと考えるのがやはり一番自然なのだが、アリバイから考えて、被害者3人を3人とも殺せた人は誰ひとりとしていないのだ。
さらに、それぞれの事件でアリバイが怪しい人たちは、啓子ちゃんを除いて、ジェニーを例の物置に閉じ込めることができなかった。
そうすると、何とか犯人扱いできそうなのはOL3人組になるが、彼女たちにあんなひどい殺人ができるとはどうしても思えない。
……しかし、それならそもそもこのペンションにいる人たちは、みんな人殺しになんか見えない。
責任感の強い小林さん。
おとなしそうな今日子さん。
俊夫さんを失ったことで深く傷ついているみどりさん。
率先してたくさんの推理を出す美樹本さん。
春子さんを殺されて怒り悲しむ香山さん。
そして、姿なき犯人に脅えるOL3人組――。
だが、それでも犯人は彼ら8人の中にいるはずなのだ。

「……この事件って、みんなのアリバイがしっかりしすぎてるわよね」
考えていて先の質問に答えなかったためか、真理は自分から話し始めた。
「だからやっぱりあたしも、透が言ってるように、春子さんと田中さんを殺した犯人と、俊夫さんを殺した犯人は別だと思うのよ」
……悲しげな口調だった。なぜだろう、と少し考え、そしてその正体がわかった。
「真理……まさか……」
「だって、そう考えるしかないじゃない!」
夜中だというのに、真理はそれも気にかけずに大声で叫んだ。そんな彼女の姿が、余計に悲しい。
真理は、小林夫妻のどちらか、あるいは両方が俊夫さんを殺したと思っているのだ。
ぼくも考えていたことだから、彼女がそう思っても不思議はない。しかし、彼女にとって彼らは、血のつながった叔父さん夫婦だ。当然そんなことは信じたくないだろう。
信じたくないのに、そうとしか考えられない――。
そんな真理の気持ちは、ぼくなどには到底想像がつかなかった。
「俊夫さんの事件は別物だとすると、彼が殺された理由は口封じじゃないってことになるわ。そうなると、動機を持ってるのはここの人たちだけじゃない。見ず知らずのお客さんが俊夫さんを殺すなんてこと、考えられないもの……」
確かにそうだ。しかし……。
「……さっきあたし、みどりさんに、俊夫さんが好きだったかどうか聞いたでしょ? あのとき、もし『好きじゃなかった』と答えてくれたら……ううん、そうでなくても、明らかに嘘だと思えるような言い方で『好きだった』と答えてくれたら、あたしは多少強引でも彼女を疑い続けることができたわ。……でも、彼女のあの態度が演技だなんて思える?」
ぼくは、はっきりと首を横に振った。
あれは演技などではない。100%本物の涙と悲しみ、そして強さだと言い切れる。
「……あたし、自分がものすごく醜いと思う。叔父さんと叔母さんを信じたいばかりに、みどりさんに疑いをなすりつけようとしたなんて……」
真理は、うつむいたまま自責するばかりだった。

ぼくは、そんな真理の隣に移動し、腰を下ろした。自分で役が足りるかどうかはわからないけど、少しでも安心してくれればいいと思って。
「真理。……小林さんたちには、ジェニーを物置に閉じ込めるような時間はなかったんだ。変なこと考えるのはやめなよ」
「でも、それは春子さんと田中さんを殺した方の犯人がやったことだとしたら……」
「いや、ぼくはやっぱり、3人を殺したのは同じやつだと思うんだ。俊夫さんが殺されたのは、きっと口封じのためさ」
「どうして? 犯人が違うって最初に言い出したのは透じゃない」
「確かにそう言ったよ。でも、考え直したんだ。美樹本さんだって言ってたじゃないか。このペンションにいるたった10人の中に、互いに全然無関係な人殺しが何人もいるなんて信じられないって。信じられないし、不自然だよ」
何とか真理を安心させようと言い始めたことだったが、しゃべっているうちに本当にそう思えてきた。
「だって、アリバイが……」
「それが一番の問題さ。でも、きっとアリバイ工作か何かがあったんだ。誰のアリバイも疑わなかったら、それこそ、ぼくたち以外全員が犯人だった、なんて結論に行っちゃうんだぞ」
「そんなことって……」
……どうやら、真理を安心させるという目的は失敗に終わってしまったようだった。

「……ねえ、本当にこのペンションにいる人の中の誰かが犯人なの?」
真理の疑問は、一番根本的なところまで回帰した。
「それは間違いないよ。あの小林さんが、外部のやつが侵入できるくらい戸締まりを怠っていたなんて考えられない」
あえて小林さんの長所を強調するように言ったのだが、真理の瞳から不安が消えることはなかった。
やはり小林夫妻犯人説を覆せないでいるようだ。

――ぼくは真理の肩を抱いた。彼女はそれを拒まなかった。
みどりさんは今、ひとりの部屋で何を思っているんだろう――ぼくはなぜか、そんなことを考えていた。

 

 

寄り添ったまま何十分か――いや、ほんの数分かもしれない――経ったとき、壁の向こうからシャワーの音が聞こえてきた。
こんなときによくシャワーなんか浴びる気になれるな、とぼくは思ったが、真理の着眼点はぼくとは違っていた。
「……隣、誰の部屋だったかしら」
「さあ……」
宿泊客が部屋に入るところはほとんど見てないし、見ても誰がどこに入ったか気に留めていなかったから、わからない。
が、隣が今生きている誰かの部屋であることは間違いなさそうだ。
ぼくは、自然と耳を傾けていた。隣人の出す音から行動を、そしてその正体を判断しようとして。

シャワー音は5分ほどして止み、やがてバスルームのドアを開閉する音が聞こえた。
しかし――それから少しすると、なんと隣人は入口のドアを開け、廊下に出たのだ!
「透……!」
真理が驚いて、かすれた声を上げる。ぼくは目を見開いたまま、ただ真っ白い壁を見つめていた。
足音は廊下を踏みしめるようにゆっくり歩き出したが、そこで聞き取れなくなってしまった。
階段を下りていったのか、あるいはどこかの部屋に入ったのか。

「隣の人……どこに行ったのかしら」
「わからないけど、あの足音からして結構体重のある人っぽいな。正体は香山さんか美樹本さんだと思う」
ぼくが言うと、真理の顔色が変わった。
「まさか、そのどっちかが犯人で、また誰かを殺すために出ていったなんてこと……」
「違うよ! そんなことあるわけないよ!」
不吉なことを考えさせまいと、ぼくは慌てて否定した。
「だって……だって! 犯人じゃない人が、こんな怖い夜に歩きまわれると思う?」
が、言われてみればその通りだ。
隣人が犯人で、また誰かを殺すために出ていった可能性は、極めて高い――そう考えるしかなかった。

「じゃあ……ぼくがちょっと見てくるよ。誰かが殺されるかもしれないってわかってるのに、放っとくわけにいかないもんな」
そんな勇気が自分にあるのかどうかわからないが、狙われている誰かをこのまま見殺しにするわけにもいかない。
それに、例え自分が死ぬことになろうとも真理だけは守ろう、と決意したはずだ……。
それを思い出すと、不思議と怖いことなどなくなった。
しかし、真理は叫んだ。
「やめて! そんな危ないことしないで!」
――その刹那、ぼくのなけなしの勇気は消え、背中をはい上がってくるような恐怖が再び蘇ってしまっていた。やはりぼくの心のどこかには、彼女に止めてもらいたい気持ちがあったのだろう。

「……わかったよ」
ぼくは、真理の肩を抱く腕に力を込めた。
震える彼女を体で感じ、自分の弱さを痛感した。
しかし、その反動で心が強くなるようなことはなく、こんなぼくにいったい何ができただろう、と思ってつらくなるだけだった。

 

 

……時の流れを感じなくなり、空間が歪んだ。
ぼくと真理は、そうして寄り添ったまま、いつしか眠ってしまったようだった。


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