第17章 ひとり足りない!


……目を覚ますと、カーテンのすきまから明るい光が射し込んでいた。
起き上がり、窓際に行ってカーテンを開けてみる。
吹雪は止み、昨夜の恐ろしい殺人事件を忘れさせるかのように太陽が輝いていた。
夜が明けた――。
ぼくはその現実をかみしめ、そこからほんの少しの安らぎを見出そうとした。

――が、その企みは部屋の白い壁を見た瞬間に崩壊した。

この向こうの部屋の人物は、昨夜出歩いたはずだ。
彼(おそらく男だろうからこう呼ぼう)は今、隣で何をしているのだろう?
いや、それよりも……果たして彼が犯人なのだろうか?

「ううん……」
そのとき、そんな声を上げながら真理が目を覚ました。
自分がしていた腕時計を反射的に見ると、8時半少し前だった。
……何事もなければ、そろそろ朝食の時間になるはずだ。

「おはよう、真理」
「……おはよう、透」
真理は不安げな声を出しながらも、ぼくを見て微笑んでくれた。
「今、何時?」
「もうすぐ8時半だよ」
「夜が明けたのね……。みんな、どうしてるのかしら」
ベッドから起き上がり、真理は言った。
確かにそれはぼくもひどく不安だ。部屋の外に出たらひとり足りなかった、などということがあるような気がしてしょうがない。……が、余計なことを言うのはよそう。
「大丈夫さ。……ところで、朝ごはんなんかはどうなってるんだろう」
ぼくはわざと呑気な話題を出したが、真理はもう少し現実的だった。
「こんなときじゃ、みんな食欲なんかないんじゃない?」
「でも、用意はしてくれてると思うけどな」
言いながらぼくは、ふと最悪の想像をしてしまった。
もし隣人が夜中に1階に下り、小林夫妻を殺してしまっていたら……?
……いやいや、そんなことがあるはずはない。
ぼくはその不吉な想像を頭から追い払った。

ちょうどそのとき、部屋の電話が鳴った。ためらいつつも、部屋の主である真理が取る。
「はい……ああ、叔母さん!」
今日子さんだ。彼女は無事だったんだ――ぼくは、まずひとつ不安が消えるのを感じた。
「透? ここにいるわ。それより叔父さんは大丈夫なの? ……よかった!」
小林さんも無事だったようだ。
「そう。……じゃあ、行くことにするわ。やっぱり、閉じこもってるよりみんなでいた方が安全な気がするもの。じゃあね」
真理は電話を切ると、こっちに向き直った。
「朝ごはんの用意ができたって。ねえ、行きましょ」
「あ、ああ」
ぼくはほんの少しためらい、答えた。
確かに真理が電話で言った通り、そして昨日小林さんが言っていた通り、みんなでいた方が安全だ。
しかし――昨夜の隣人の不審な動きを知っているだけに、どうしても不安が完全には消えなかったのだ。
……彼は、いったい夜中にどこへ何をしに行ったのだろう?

ぼくは、真理と一緒にドアの前のベッドをどけ、廊下に出た。
そして階段へと向かおうとしたが――自然とふたりとも、隣室のドアに視線が向いてしまった。真理の部屋は端なので、隣はひとつしかない。
この向こうには……。
しかし、そこで立ち止まってドアをノックし、出てきた人物に「昨夜出歩いたでしょう」などと問いただす勇気はなかった。
ぼくたちには、1階に下りてから、この部屋には誰が泊まっているのかを小林さんに聞くくらいしかできないだろう。

 

 

階段を下り、無人の談話室を通って食堂に入る。
そこには、もうすでにOL3人組が来ていた。
眠れなかったのか、3人とも昨日と同じ服装のまま、疲れた表情で座っている。
彼女たちはひとまず無事だったらしい。

昨日の夕食のときと同じテーブルにつき、真理と話をすることもなく待っていると、みどりさんが朝食を運んできてくれた。
ベーコンエッグとサラダ、バターロールだった。
みどりさんも無事だったようだ。

ぼくたちから5分ほど遅れて、香山さんが入ってきた。
彼もまた昨日と同じ服装だったが、それは当たり前だ。着替えを取るためには、春子さんが惨殺されているあの部屋に入らなければいけないのだから。
香山さんもちゃんと生きている――すると、彼が昨夜出歩き、姿を見ていない唯一の人物、美樹本さんを殺したとでもいうのだろうか?
……いや、隣人が犯人だったとしても、あのとき誰かを殺しに行ったとは限らない。不吉なことは考えない方がいい。
ぼくはそう心に言い聞かせながら食事を続け、自然と美樹本さんが食堂に入ってくるのを待っていた。

――しかし、美樹本さんはみんなが朝食を終える頃になってもやってこなかった。
「美樹本さんはどうしたんだろう」
真理にたずねてみる。
「さあ……まだ寝てるんじゃないの?」
「でも、昨日の夜、寝たいって最初に言い出したのは彼なんだよ。だったら起きるのも早そうなものだけど」
不審な点についてぼくが指摘すると、真理は首をひねった。
「そういえば……そうよね」
ぼくは、自分の心の中に暗雲が立ちこめ始めるのを強く感じてしまった。
体を動かさずにはいられず、食堂を見まわす。
確かに、香山さんが来た後も、ナイフとフォークだけのテーブルがひとつある。
あそこに座るべき人物は、今何をしてるんだろう……。

「……美樹本さんは?」
キッチンの方から小林さんの声が聞こえてきたので、ぼくはそれに耳を傾けた。
「それが……電話しても出ないのよ」
「まだ寝てるんじゃないの?」
今日子さんとみどりさんも加わり、さっきのぼくたちと同じような会話が繰り返されている。
「でも……もう3回も電話したのよ。それで起きないなんて……」
今日子さんの不安そうな声を聞いて、ぼくと真理は思わず顔を見合わせた。
「……様子を見に行った方がいいんじゃないですか?」
とみどりさん。
「いや、我々だけでそんな行動に出たら、お客さんたちは納得しないだろう。……残念なことだが、ここにいる全員に犯人の可能性がある以上はな」
小林さんが苦しそうに言ったところで、真理がそっとささやいた。
「……ねえ、早く食事すませて、叔父さんたちと一緒にいた方がいいんじゃない?」
「そうだね」
ぼくもそれには賛成だった。彼らには美樹本さんの部屋の様子を見に行ってもらいたいし、真理の部屋の隣が誰なのかも聞かなければならない。

ぼくたちは朝食をすませると、食後のコーヒーももらわないで食堂を出た。

 

 

誰が言い出すわけでもなく、美樹本さんを除く宿泊客全員が談話室のソファーに集まった。
とりあえず「おはようございます」は言い合ったが、何か妙な気分だ……。
美樹本さんがいないことにはみんな気付いているようだったが、誰もそれについて誰かにたずねようとはしなかった。
たずねたところで、この中にその理由を知っている人――あるいは知っていても教えてくれる人――がいるとは思えないからだろう。

そこに、小林夫妻とみどりさんがやってきた。
「……あの、実は美樹本さんが下りてこないんです。どなたか、その事情をご存じの方はいらっしゃいませんか?」
小林さんはとりあえずたずねたが、やはり誰も名乗り出ない。
しかし、ぼくには隣人の謎という心当たりがある。それを聞いてみなければ。
「小林さん。ひとつ聞きたいことがあるんですが」
「何かね」
彼がぼくを見る。つられて、みんながこっちを向いた。
「真理の部屋の隣は、誰の部屋なんですか?」
「真理の部屋の……ああ、そこが美樹本さんの部屋だが」
「美樹本さんの部屋!?」
真理が大声を上げる。ぼくも目を見開いた。
昨夜出歩いたのは美樹本さんだった! ……しかし、どこへ行ったというのだ?

「どういうことなんだね?」
ぼくたちのリアクションがあまりにも激しいものだったためだろう、小林さんは深く掘り下げるような口調でたずねてきた。
「実は昨日の夜、ぼくは真理の部屋にいたんですが……夜中に隣の人が廊下に出る足音をしっかりと聞いたんです」
言うと、全員が息を飲んだ。
「美樹本くんが部屋から出たやて? せやけど、こないなときに……」
香山さんが目を細めたので、ぼくは続けた。
「だからぼくたちは、隣の部屋の人が犯人で、また誰かを殺しに行ったんじゃないかと心配してたんです。こんなときに夜中に出歩けるのは、犯人くらいのものですからね。でも、こうしてみんな無事でいるとなると……どういうことなんでしょう」
「あの人が犯人で、夜中に逃げたんじゃないの?」
真理がぽつりと言うと、小林さんは慌てて玄関に飛んでいき、そこを見下ろした。
「……彼の靴は残ってるぞ」
「でも、いざ逃げるとなったら、靴なんか置いてくんじゃないかしら。美樹本さんは大きな荷物を持ってたから、あの中に別の靴があったのかもしれないし」
真理が反論すると、小林さんは腕組みをして考え出した。

真理はどうやら、美樹本さんが犯人だといいなと思っているようだった。
……いや、彼女だけでなく、その思いはおそらくここにいるみんな共通のものなのだろう。
美樹本さんが犯人で、吹雪が弱まったのを見て夜中に逃げ出したのだとしたら、もうぼくたちには何の危険もないのだ。
警察が来る前に犯人を逃がしてしまったことにはなるが、自分が殺されるかもしれない恐怖と隣り合わせにならずにすむのだから、誰だってそっちを信じたいはずだ。

「……美樹本くんの部屋行って、荷物があるかどうか調べてみたらどや?」
香山さんが考えつつ言った。が、ぼくには気になる点があった。
「でも、靴を置いて逃げるくらいなら、荷物だって置いていくんじゃないですか?」
「アホやな。靴くらいならともかく、荷物丸ごと残しとったら、警察来て調べよったらすぐ身元わかってまうやないけ」
どうやら、香山さんの主張の方が正しそうだ。
「確かに……。では、やはり美樹本さんの部屋を調べた方がいいでしょうね」
ぼくは答えた。

――しかしそこで、意外な人が声を上げた。
「やめて!」
可奈子ちゃんだった。
全員が彼女を振り返る。彼女は、長い髪を両手で押さえつけるようにして頭を抱えていた。
「それって……それってみんな美樹本さんを犯人だと疑ってる態度じゃないの! 確かな証拠もないのにそんなこと言うのって、美樹本さんに失礼だと思わないの!?」
予想もしなかった彼女の言動に、全員がぽかんとなった。
派手で軽薄な印象を与える彼女だけど、案外博愛主義者的な面があるのかもしれない。
いや、いろんなことがありすぎて、意味もなくヒステリックになってるだけなのか?
「しかし……現に彼がこうして下りてこない以上、様子を見てくる必要があるじゃないですか」
小林さんが責任感だけで出したような声で言うと、可奈子ちゃんはまた叫んだ。
「あたしは美樹本さんの部屋に行くなって言ってるんじゃなくて、彼を犯人だと決めつけて話を進めないでほしいだけ!」
確かに、美樹本さんを犯人だと決めつけるような証拠は何もない。
彼はジェニーを物置に閉じ込めることができたくらいで、春子さんと田中さんの事件のときも、俊夫さんの事件のときも、アリバイが完璧だ。いずれのときも、彼が談話室から一歩も動いていないのを、ぼくはこの目で見ている。
……しかし、真理の部屋の隣が彼の部屋であった以上、彼が昨夜出歩いたのは事実なのだ。
彼が犯人でなかったとしたら、なぜ自分が殺されるかもしれないという不安もなく歩きまわれたのだろう?
そして、彼はどうして起きてこないのだろう?

「美樹本さんの部屋に行きましょう。彼が心配じゃないですか。転んで頭を打って気絶でもしていたら困りますし」
ぼくはみんなに向かってそう言いながら、そのセリフが最悪の想像を隠しきれていないことに気付いていた。
もしかして、美樹本さんも……。
その想像は、おそらく誰もが心の中に抱いていたことだろう。
「……透くんの言う通りだ。私たちには彼の安否を確認する義務がある」
小林さんがつぶやくと、みんなが納得した。

もう絶対にバラバラにならない方がいい、と小林さんが言ったので、嫌がるOL3人組までむりやり同行させ、ぼくたちは9人全員で美樹本さんの部屋に向かった。

 

 

「美樹本さん!」
小林さんが大声で叫んでノックをしたその部屋は、確かに例の隣室だった。
返事がないのを確認して、小林さんはマスターキーで鍵を開け、ノブをまわした。
ぼくはその瞬間、もし美樹本さんも春子さんや田中さんのように真っ赤に、あるいは俊夫さんのように紫色になっていたらどうしよう……と思って身震いした。
――が、その直後に目の前に現れたものを見て、ため息をついた。

部屋には誰もいなかった。
ベッドはきちんとしていて、寝た形跡も動かした形跡もない。
明かりや暖房もついたままだし、廊下から見た限りでは、どこといって不審な様子は見受けられなかった。

「美樹本さん!」
小林さんはもう一度叫びながら、部屋に足を踏み入れた。
今日子さんとみどりさん、香山さんがそれに続いたので、ぼくも真理と一緒に入った。最後にOL3人組もそろそろと入ってくる。

ぼくたち9人は部屋を見まわしていたが、誰ひとりとしてバスルームのドアやクローゼットのカーテンを開けようとはしなかった。
もしそこに美樹本さんの死体があったら……そんなことをみんな考えていたのだろう。
しかし、調べなければここに来た意味がない。

最初に動いたのは、やはり小林さんだった。
意を決したようにバスルームのドアに手をかけ、一気に開ける。そして、中に入っていく……。
……彼の叫び声などは聞こえてこない。
「あなた……」
今日子さんがそっと声をかけると、小林さんは首を横に振りながらすぐに出てきた。
「……いない。シャワーを使った形跡はあるんだが……」
昨夜聞いた音からも、それは確かなところだった。

自分も小林さんに続かないといけないと思い、ぼくはクローゼットのカーテンに手をかけた。
「開けますよ。いいですね?」
みんなに念を押したが、当然反対者などいるはずもない。
震える手をみんなに見破られないように、ぼくはさっとそのカーテンを開け放った。
……中には、山登り用の巨大なリュックと、カメラが入っているらしいジュラルミンケースがあった。美樹本さんの荷物だ。
「荷物は残っとるみたいやな……」
荷物の有無を気にしていた香山さんがつぶやく。
荷物が残っているということは……彼は逃げたのではないのだろうか? それとも荷物を置いて逃げたのか?
ハンガーにジャンパーが掛かっていないことに気付き、逃げたのかもしれないと一瞬思ったが、よく考えたら彼のジャンパーは乾燥室にあるはずだった。昨日外を探索した後、あそこに置いてそれっきりなのだ。

ぼくがカーテンを閉めると、途端に全員が動き出した。人が隠れられそうなバスルームとクローゼットを両方とも調べてしまったので、ここに美樹本さんがいる可能性はほとんどないと思って安心したためだろう。
……人がない勇気を出して調べてやったというのに、勝手なものだ。
まあ、こんな非常事態じゃ仕方ないのかもしれないな。

ぼくは、真理と一緒に再びバスルームに入った。
もちろん小林さんを信じていなかったわけではないが、どうしても他人まかせではなく自分で調べてみたかったからだ。
……それはやはり、結果的に彼を信じていなかったことになるのかもしれない。
「……ここ、叔父さんがさっき調べてたじゃない。何があるっていうの?」
真理がたずねてくるが、ぼくは答えられなかった。ただ、そのまま黙々とバスルーム内を調べていく。
――バスタブは確かに濡れていた。バスタオルも1枚使われている。
しかし、洗面台の石鹸やカミソリは使った形跡がなく、ゴミ箱にも何も捨てられていない。
「本当にシャワーを浴びただけみたいだな……」
真理に答えなかったことが胸に引っかかっていたので、ぼくは彼女に聞かせるようにそうつぶやいた。

そのとき……。
「きゃっ!」
後ろで真理が叫んだので振り向くと、彼女は顔に手を当てて天井を見上げていた。
「どうしたんだ?」
聞きながら、ぼくも彼女の視線を追う。
「水滴が落ちてきただけよ」
彼女の答えを聞いたのと同時に、天井にある50センチ四方ほどの切れ目が見えた。その正方形の内側に、水滴が点々とついている。
「……何だろう、あれは」
「あの板? あれを持ち上げると天井裏があるのよ。配線工事用よ」
「それはわかってるけど、どうして水滴が……?」
「うーん……美樹本さんがシャワーを浴びたときについたんじゃないの? 天井についた水滴って、集まって落ちるまでにすごく時間がかかるから」
……まあ、そんなものだろう。気にはなったが、大したことではなさそうだ。

これ以上バスルームにいても何もわかりそうにないので、出よう、と真理に言おうとしたが……。
そのとき、焦ったような声が外から聞こえてきた。
「ねえ、ちょっと!」
あの声はみどりさんだ。
彼女にそう言わせたものの正体を確認するべく、ぼくはバスルームを出た。真理もついて出てくる。

見ると、みどりさんはベッドの下をのぞき込んでいた。
「どうした、何かあったか?」
小林さんが、たずねながら同じようにのぞき込む。ぼくも自然と同じことをしていた。
……そこには、シャツやズボン、ブラシ、ボディシャンプー、何かよくわからないけど登山用具のような物などが、たくさん置かれていた。
「これって……これって、美樹本さんの持ち物じゃないの?」
みどりさんが震える声でたずねる。
小林さんはシャツをいくつかベッドの上に並べ、答えた。
「きっとそうだろうな」
「そうだろうなって……何冷静になってるんですか! じゃあ……じゃあクローゼットの中の美樹本さんの荷物、中身はいったい何なのよ!」
……まさか!
みどりさんの叫びがその意味を知らしめ、ぼくを含めた全員の顔から血の気が引いた――。

誰も身動きできないでいると、小林さんはゆっくりと立ち上がり、無言のままクローゼットの前に向かった。
小林さん――そう声をかけたかったが、口が開いてくれない。呼んだところで無意味だし、彼の耳には聞こえないだろうが――。

小林さんはクローゼットのカーテンを開け、マリオネットかロボットのようなぎこちない動きで、中のリュックをひっぱり出した。
……リュックは、ぎっしり何かが詰まっているといった感じにふくらんでいる。
改めて見てみると、こんなに大きかったのか――そんなことを思ってしまう。
何人かの人が顔を手で覆っているのがわかったが、ぼくはそれをしなかった。してはいけないような気がしていたのだ。

深呼吸を何度も何度もした後、小林さんは震えながらリュックを開けた。

――思った通り、美樹本さんはそこにいた。
彼は「どうしてもっと早く見つけてくれなかったんだよ」とでも言いたそうな切実な瞳で小林さんを見上げていた。
しかし、その瞳は動きも瞬きもしなかった――。
小林さんが、まるで自分が死んでしまったかのような青白い顔で振り返る。それを指のすきまから見たのだろう、顔を覆っていた人たちも息を飲むのがわかった。

「嘘でしょ……」
静寂が支配していた室内に不気味に響いたのは、可奈子ちゃんのつぶやきだった。
「嘘でしょ……ねえ、嘘だって言ってよ! こんな……こんなことって……いやあああぁぁぁぁぁ!!」
可奈子ちゃんはその場に座り込み、激しく泣き出した。
しかし、嘘だと言ってくれる人は誰もいなかった。

……彼女から発せられる悲しみのオーラは、俊夫さんを失ったときのみどりさんと共通するものを持っていた。
どういうことなんだろう――ぼくは可奈子ちゃんを見下ろし、哀れむと同時に不思議にも思った。
可奈子ちゃんと美樹本さんは、昨日の夜に初めて会ったふたりだ。フィーリングは合うようだったが、何しろ出会ってからまだ1日も経っていない。
愛していた人を失ったことによる悲しみではないはずなのに――。
単に博愛主義者だというだけでは片づけられないほどの激しさに、ぼくは首をひねるばかりだった。
昨日は恐れてばかりいた亜希ちゃんも、疑われて傷ついていた啓子ちゃんも、今は可奈子ちゃんの横にしゃがみ、彼女を慰めようと一生懸命になっている。
価値観の違いでケンカになることはないのかと余計な心配をしたこの3人の友情をこんな形で確認するなんて、皮肉な話だ……。

「透……ひどい……ひどすぎるよ、こんなの……」
真理が目に涙をため、ぼくの手を握ってくる。
ぼくはその手を握り返した。そうすれば彼女の涙が止まるような気がして、できるだけ強く。
――しかしそうしながらも、ぼくの視線はクローゼットの方に向きっぱなしになっていた。

そこでは、小林さんが美樹本さんをリュックからひっぱり出そうとしていた。美樹本さんが大柄な上に誰も手を貸そうとしないので、悪戦苦闘している。
ひどく非日常的な光景に、ぼくは目を背けるどころか、逆に視線をそらせなくなっていた。
本当は、警察が来るまでそのままにしておくべきなのだろうが、このままでは美樹本さんがあまりにもかわいそうだ――冷静な小林さんも、そんな感情に負けたのだろう。
そしてぼくも、それを決して責めるまいと思った。

……美樹本さんも殺されてしまった。彼は犯人ではなかった。
でも、それならどうして、彼は昨夜この部屋を抜け出したのだろう。
どうして、こうなってしまうことを予測できなかったのだろう――。

小林さんが、美樹本さんをリュックから出し終えた。
長時間窮屈に詰め込まれていたせいか、あちこちの関節が不自然な方向に折れ曲がっている。
脈など調べなくても、生きてはいないことが明らかだった。
俊夫さんと同じように首のまわりに絞められた痕跡があり、これが死因だろう。

「……みなさん」
小林さんは美樹本さんをベッドに寝かせると、部屋にいるみんなに重い口調で言った。
「談話室に戻りましょう。吹雪も止みましたし、あと私たちにできるのは、警察が来るのを待つことだけです」
それが正しいのは、全員がわかっているようだった。

入口に一番近いところに立っていたぼくと真理が、最初に部屋を出た。
そして、泣き続ける可奈子ちゃんと、彼女を両側から支える亜希ちゃんと啓子ちゃんが、香山さんが、今日子さんが、みどりさんが出る。
最後に小林さんが暖房と明かりを消し、ノブのボタンを押して出てきた。

ぼくたちは、階段を下りて談話室へと戻った。
全員が無言のまま……。


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