第19章 涙の告白


全員が談話室に集合した。
ぼくも含めた9人の中に――殺人者がひとり。

「犯人は……誰なの?」
さっきよりはある程度落ち着いたみどりさんが、懇願するようにたずねてくる。
「根拠も話さないうちに、いきなり名指しにするわけにもいかないでしょう。まずはその人がどうやって春子さんと田中さん、俊夫さん、そして美樹本さんを殺したかを説明することから始めます」
「犯人はみんな同じ人なの? だって、アリバイが……」
不安げな真理に、ぼくは返した。
「いや、あれにはトリックがあったんだ」
「トリック?」
「そう。完璧と思えたアリバイも、実は完璧じゃなかったんだよ」
「どういうこと?」
「それをこれから話すんじゃないか」
みんなが注目しているのを確認してから、ぼくはゆっくりと話し出した。

「……まずぼくが話したいのは、春子さんと田中さんの事件のアリバイと、俊夫さんの事件のアリバイの『信憑性』についてです。美樹本さんの事件については、犯行が夜中なので、全員アリバイがないものと見なしていいでしょう」
文句を言う人はいなかった。
「春子さんと田中さんの事件、そして俊夫さんの事件のときにアリバイがある人は多いですが、そのアリバイは3つのタイプに分類できます。ひとつは、被害者が消える前から死体で発見されるまでの間、みんなの目の届くこの談話室にずっといたというもの。ひとつは、みんなと一緒にはいなかったけど、犯行現場に行けなかったというもの。そしてもうひとつは、犯行現場には行けたけど、殺す時間がなかったというものです。これらのうち、一番信憑性が高いのはどれだと思いますか?」
「そりゃあやっぱり……みんなと一緒にいたってやつじゃないかしら」
みどりさんが、積極的にぼくの推理に乗ってくる。
「そうですね。他のふたつはトリックで何とかごまかしも可能でしょうが、それだけはどうしても無理です。よって、それぞれの事件におけるみなさんのアリバイを、もう一度ここで整理してみましょう」
ぼくは探偵気取りで全員を見まわし、続けた。
「まず、春子さんと田中さんの事件です。あのときずっとここにいて動かなかったのは、殺されてしまった俊夫さんと美樹本さんを除けば、ぼくと真理、そして可奈子ちゃんと亜希ちゃんだけでした。小林さんと今日子さんはおやつを探しに行きましたし、啓子ちゃんは2階でテレビを見ていた。みどりさんは春子さんの様子を見に行き、香山さんは死体を発見する前、最初はひとりで2階に上がっている……」
反論される覚悟をしていたのだが、誰も何も言わなかった。
「では、次に俊夫さんの事件です。あのときにずっとここにいたのは、ぼくと真理、みどりさん、香山さん、そして今は被害者となってしまった美樹本さんです。小林さんと今日子さんはジェニーを探すために、可奈子ちゃん、亜希ちゃん、啓子ちゃんの3人はトイレに行くと言って、それぞれここを離れていたはずです。……さて、前の事件と合わせて考えてみてください。9人のうち6人は、どちらか、あるいは両方の事件の発生時刻にここにいたことになり、犯人リストから除外されますね。そして残った3人は……小林さん、今日子さん、そして啓子ちゃんになります」
ぼくが言い切ると、除外されなかった3人はそれぞれの反応を見せた。
小林さんと今日子さんは互いに顔を見合わせ、啓子ちゃんは傷ついた様子でうつむく。
「しかし、私たちは……」
小林さんが口に出したが、ぼくはそれをさえぎった。
「弁明は、ぼくの話が終わった後でいくらでもしてください。あなたが無実であるなら、反論に困ることはないはずですから」
あえて攻撃するような口調で言うと、彼はそれに納得してうなずいた。

ぼくは話を続けた。
「……では次に、ジェニーの話をしたいと思います」
「ジェニー? ジェニーが何か事件に関係してたっていうの?」
自分の疑いが晴れたためか、みどりさんはすぐ声を上げてきた。
「いえ、関係してたっていう言い方はちょっと違います。ぼくが話したいのは、ジェニーがなぜあの2階廊下の物置の中にいたか、です。どうしてだと思います?」
「そら、犯人が閉じ込めたんやて、君、自分で言うとったやろ」
と香山さん。
「ええ、最初はそう思っていました。でも、違ったんです。……ジェニーは、自分であの物置に入ったんですよ」
「そんなはずないわ! 物置の扉は閉まってたんでしょ?」
みどりさんが大声で反論する。
「そうです。ですから、ジェニーは扉ではないところから入ったんです」
「扉じゃないとこって……どこよ。部屋ならまだしも、物置だから窓もないし……他に入れそうな場所なんてないじゃない」
早く教えてよ、と急かすような口調でみどりさんはたずねる。
だからぼくは、彼女をなだめるようにゆっくりと答えた。
「床下ですよ」
全員が不思議そうな顔をした。
「……どういうこと?」
みどりさんがさらに突っ込んでくる。
「あの物置はきっと、床板を1枚外すと1階の天井裏に下りられるように細工してあったに違いありません。……いや、1階の天井裏からあの物置の中へ上がれるようにしてあった、と言った方が正しいでしょう」
「どうしてそんなことを?」
「……そうすれば、ここの階段を使わなくても2階へ行けるじゃないですか」
ぼくがためらいを隠して推理を話すと、全員の視線が小林夫妻の方に向いた。
「おそらくジェニーは、俊夫さんの部屋の2段ベッドの上に乗り、そこから隅にあるブレーカーの穴の天井板に飛びついて、ずらして天井裏に上がったんでしょう。さっき小林さんがブレーカーを見せるためにベッドの上の段に上がったとき、彼は膝をついて座っていましたが、それでも手が天井に届きました。それくらいの高さなら、猫は簡単に飛び上がれますからね」
「うむ……」
小林さんがうなる。
「……話を戻しましょう。ジェニーはそうして天井裏に上がった後、しばらくその暗闇の中をさまよい、ぼく以外の男性陣が物置を調べ終わった後あたりで上の床板が開くことに感づいて、そこに飛びついて開け、上がったんです。だからジェニーはあの物置にいたんでしょう」
「そんなこと……あるの?」
みどりさんはまだ質問を続ける。
「猫を甘く見てはいけませんよ。人間には到底わからないことでも感づきますから。それに、あなたが教えてくれたでしょう? ジェニーはたまに、風を通すためにドアを開けてある地下のワイン蔵に入り込んでしまうことがあると。すきまを見つけてはそこに入り込む癖のある猫なら、充分に考えられる可能性ですよ」
ぼくはジェニーに感謝し、そして、さらに口調を強くして続けることにした。

「さて、ぼくたちは先ほど俊夫さんの部屋を調べに行きました。ブレーカーの穴の天井板は閉まっていましたが、それはおそらく犯人が、俊夫さんを殺したときにでも気付いて閉めたんでしょう。あの穴は人間が通るには小さすぎますから、犯人があそこから2階に上がれたはずはありませんが、自分が使ったトリックを連想させるので閉めたんです。実際、俊夫さんはあの天井板がずれているのを見て、完全ではないにせよそのトリックに感づいたんでしょうから、そのままにしておいてはいつまた誰が見破るかわからない。それで犯人は、自分を問い詰めてきた俊夫さんを殺し、天井板を閉めた……」
ぼくは小林夫妻を見た。彼らは緊張した表情でぼくの話を聞いていた。
彼らだけでなく、誰も口をはさまなかったので、ぼくはまた話し続けた。
「ブレーカーの穴が無理なら犯人はどこから天井裏に上がったのか、と質問されるかと思っていましたが、誰も聞かないようなので、ぼくが自問自答します。犯人はどこから上がったのか? ……答え。このペンションのバスルームの天井には、例のブレーカーの穴よりもっと大きい、配線工事用の穴があります。あれなら、人間ひとりくらい充分に通れるでしょう」
さりげなく天井を見上げてから、さらに話を続ける。
「ぼくの推理だと、美樹本さんは昨夜、シャワーを浴びながらそれを確認したに違いありません。彼の部屋のバスルームの天井板には水滴がついていましたが、それはたぶん、彼が濡れた手で押し上げて天井裏を見たためなんだと思います。……昨日彼は、ジェニーを発見したあたりから、何かを考える素振りを見せ始めていました。きっと、あの時点ですでに床板のトリックを思いついていたんでしょう。それで『眠いから』と口実をつけて部屋に戻ることを望んだんです。自分の推理を裏付けるために……。彼は自室のバスルームの天井を確認すると、今度は、1階のバスルームも同じ構造かどうかを調べるために、俊夫さんの部屋に向かいました。そこには当然鍵がかかっていましたが、犯人を見つけるためなら、と彼は仕方なく鍵を壊して中に入ったんです。そしてバスルームを調べ、推理を完璧なものにした彼は、犯人のところへ行って問い詰め……だから、彼は殺されてしまったんだと思います」
誰もがぼくの話に聞き入っていて、口をはさもうとはしない。
ぼくは深呼吸をして、続けた。
「2階の床板を切り、1階の天井裏から上がれるようにする――こんな細工ができるのは、もちろんペンション側の人間だけです。よって、啓子ちゃんは犯人ではないでしょう」
ぼくはまた小林夫妻を見た。
――片方は覚悟を決めたような表情を、もう片方はわけがわからないといったような表情をしていた。

「……小林さん、今日子さん。あなたたちには、春子さんと田中さんが殺されたときにはアリバイがあります。でも、天井裏から上がることにより、ここの階段を使わずに2階へ行けたとすれば、そのアリバイはアリバイとしての役目をまったく果たさなくなるわけです。おわかりですね?」
返事がないので、ぼくは続けた。
「では、あなたたちのうちどちらがあんな恐ろしいことをしたのでしょう? ……ふたりの共犯だった、と疑ってしまえばそれまでですが、少なくとも春子さんと田中さんの事件に関しては、どちらが手を下したかが明確にわかります」
話しながら、ぼくは真理の様子が気になっていた。
……が、彼女を見ることはできなかった。こんな話をしながら彼女の方を向くのは、あまりにも無神経だ。
ぼくはつらさを押し込めて、彼女の存在を頭から追い払った。
「みなさん、あの事件の犯行時刻におけるふたりの行動を思い出してみてください。何をしていましたか? ……確か小林さんは奥の部屋に、今日子さんはキッチンに、それぞれおやつを探しに行ったはずです。奥の部屋にはもちろんバスルームもあるでしょうが、これだけでは小林さんが犯人だと断定はできません。ぼくはキッチンをよく見ていませんから、もしかしたらそっちにも、天井裏に行けるような穴があるかもしれませんのでね」
誰も口を開かない。相槌を打つ人さえいなかった。

「それよりも、問題は春子さんと田中さんが顔を切り裂かれていたことです。あの様子からすると、どんなに気をつけていたとしても、犯人はある程度返り血を浴びてしまったことでしょう。それなのに、あの事件の後で体のどこかに血をつけていた人など、この中にはひとりとしていません。……すると、考えられることはひとつ。犯人は、返り血を浴びてもいいように、あらかじめ装備を整えてから2階に上がったんです。別の服に着替えたかビニール袋をかぶったか、詳しいことはわかりませんが、身につけるのと犯行の後でそれを処分するのとで結構手間がかかるのは確かでしょう。そんなことをする余裕があったのは――誰の目も届かないところにいた、あなただけになるはずです」
ぼくは、その人物をまっすぐに見つめた。
「あのとき今日子さんは、キッチンの入口のドアを開けたままにしておやつを探していました。暖簾が掛かっているとはいえ、キッチンの入口はここからでもしっかり見えますから、もし彼女が犯人だとしたら、当然ドアは閉めておいたことでしょう」

――今日子さんは、呆然とした表情で隣を見た。
ぼくは、そんな彼女を悲しませないようにするにはどうすればいいだろうと考えたが、中途半端な同情などこの場面ではまったく役に立たないと思い直し、彼女から目をそらして、その隣に立つ人物の名前を口にした。
ゆっくりと、そして正確に。

「ペンション『シュプール』のオーナー、小林二郎さん。……犯人は、あなたです」

 

 

――永遠の一瞬が過ぎた後、全員が恐ろしそうに彼の方を向いた。
いや……真理だけは、そうしていたかどうか見ることができなかった。

「あなた……本当……なの!? どうして……」
今日子さんが口を押さえながら途切れ途切れにたずねると、彼――小林さんはうつむき、そしてつぶやいた。
「……すまない、今日子。でも、仕方がなかったんだ……!」
それを聞いて、ぼくも「彼が4人もの人を殺したのだ」と実感して背中が寒くなった。
……が、彼が自分を守るためにぼくたちに襲いかかってくるのでは、といった不安は、なぜかまったく湧いてこなかった。
それは今日子さんも同じらしく、彼の口から告白を聞いても、逃げたり飛びのいたりはせず、ずっと隣に立ち続けていた。
殺人は許されないことだが、彼をそんな恐ろしいことに走らせた事情とは、きっととても切実なものなのだろう。
ぼくはそう信じた。
「小林さん。……すべて、話してくれますね?」
殺人犯を前にして、不自然なほど冷静な態度が出てしまった。
しかし、小林さんには殺人犯特有の凶暴さなどは微塵も感じられない。そのためだろう。
小林さんはぼくの言葉に、はっきりとうなずいてくれた。

――しかし、そのときだった。
ぼくの右隣に立っていたみどりさんが、いきなり小林さんに飛びかかったのだ。
「オーナー! どうして……どうして俊夫くんまで……!!」
事情が事情だけに、誰もそれを止めることはできなかった。ぼくも、彼女が小林さんの首をぐいぐいと絞めつけるのを眺めているだけだった――はずだが。
「……みどりさん! やめてください!」
ぼくはついにそれを止めに入ることとなった。小林さんが、みどりさんの絞めつけにまったく抵抗を示さなかったからだ。
このままでは、小林さんは本当にみどりさんに絞め殺されてしまう――そう、ちょうど俊夫さんと同じように。
みどりさんを羽交い締めにして小林さんから離すと、彼女はそのまま泣き叫んだ。
「許せない……絶対、絶対に許さないんだから……!!」

叫びが向いた方をぼくは見た。
小林さんは床に座り込み、絞められた喉を押さえることもなく激しく咳き込んでいる。
今日子さんがそんな彼を助け起こそうとしたが、彼はそれを拒み、息を整えると、そのまま口を開いた。
「……今日子。私は、君の家を崩壊に追い込んだ徳永一族が許せなかったんだ。どうしても……どうしても許せなかったんだ……」
「徳永一族やて!?」
香山さんが素っ頓狂な声を上げた。ぼくは彼を振り返った。
「香山さん、知ってるんですか?」
「徳永は春子の旧姓や。あの一族はヤクザやさかい、いろいろ法に触れることをやっとるっちゅうのは、わしも知っとったんやが……」
つらそうに言う香山さんを横目に、ぼくは小林さんに確認を取った。
「春子さんの実家の一族が、今日子さんの家を崩壊に追い込んだんですね?」
「……ああ」
彼は暗い顔で答え、そしてがっくりとうなだれた。

「透くん! 放してよ!」
羽交い締めの中のみどりさんが暴れ、叫ぶ。しかし、今放したらまた小林さんに何をするかわからない。
「まだだめです」
ぼくは低い声でそう言った。
すると、途端に彼女は全身の力を抜き、ただ「俊夫くん……」とだけつぶやいた……。

そうして彼女が悲しい落ち着きを見せると、小林さんは話し出した。
「……今日子は20年前、両親を自殺で亡くしている。父親の経営していた会社を詐欺師につぶされたためだ。今日子はその詐欺師が憎くてしょうがないと言った。が、それが誰であるかさえわからない。……だから、決心したんだ。私がそいつを探し出し、かたきを討ってやると」
「あなた……!! 私のために、そんなことを……」
今日子さんは大きな瞳にたくさん涙をため、小林さんを見下ろした。……どのタイプの涙なのか、ぼくにはわからなかった。
「……田中さんは探偵だったんだ。自然散策の好きな彼と親しくなった私は、彼が自分の職業をこっそり話してくれたとき、今日子には内緒で打診してみたんだ。20年前に今日子の家族を破滅に追い込んだ詐欺師を調べられないかどうか。彼は、難しそうだと言いながらも引き受けてくれた」
小林さんは床に両手をつき、うなだれたまま話し続けた。
「そして昨日の3時、彼は報告に来た。その調査結果は、徳永一族の中の誰かに違いないということだった。彼の持ってきた報告書には、一族全員のデータがはっきりと書かれていたが……その中のひとりを見て、私はただ驚くしかなかった。春子さんがいたからだ」
そこで小林さんは顔を上げ、悲しげな瞳で香山さんを見た。
「……春子さんは香山さんと一緒に、昨日来ることになっていた。年齢などから冷静に考えれば、彼女が今日子の家族を破滅させた本人であるわけはなかったのだが……昨日の私は、狂った復讐心に心の底から捕らわれていた。とにかく、徳永一族の一員である以上、殺してやりたい……それしか考えられなかったんだ」
「そないな……そないな理由やったんか! 春子は何も悪ないやないか!」
香山さんが顔を真っ赤にして立ち上がったので、ぼくは慌てて叫んだ。
「香山さん! 今は小林さんの話を聞いてください! そうして話を進めないと、いつまで経っても彼の口からすべての真実は出てきません!」
すると香山さんは我に返り、また座った。

その間にも、小林さんの告白は続いている。
「……報告を聞いたその日に一族の者が来るなんて、ひどく皮肉なめぐり合わせだった。私には本当に時間がなかった。しかも、私が殺人を犯すことは、誰にも知られてはならなかった。私の犯行だと見抜かれたら、今日子は殺人者の妻ということになってしまう……それだけは耐えられなかった。復讐のことなど忘れさせて、彼女は私自身の手で幸せにしてやりたかったんだ」
ぼくは自然と今日子さんを見ていた。……彼女は顔を両手で押さえ、うつむいていた。
「だから私は、大急ぎでトリックを準備した。透くんの言った通り、例の物置の床板を切って、そこから出入りできるようにしたんだ」
小林さんは虚ろな瞳で2階を見上げ、さらに続けた。
「私は春子さんの夕食に、少しばかりの薬を盛っておいた。こんなペンションのこと、はっきりした睡眠薬などあるわけもないから風邪薬だったが、服用後に眠くなるタイプなら何でもよかった。彼女は体のだるさを訴え、2階でひとりで寝ることになった。……やがて私は、おやつを取りに行くと口実をつけて奥の自分の部屋に行き、返り血を浴びてもいいように服の上にスキーウェアを着てから、サバイバルナイフとマスターキーを持って、自分の部屋のバスルームから2階に上がった。そして春子さんの部屋に行って、眠り続ける彼女の首を憎しみを込めて絞め……それからナイフで切り裂いたんだ」
彼の顔には、深い後悔があった。
「……私はその場で我に返った。大変なことをしてしまったと気付くと同時に、田中さんの存在が頭に蘇ってきた。春子さんが発見されれば、彼は動機を持つ私が犯人であるとすぐに見抜くだろう。だから、彼の口も封じるしかなかったんだ。……私は田中さんの部屋の鍵を開け、いきなり踏み込んだ。彼は返り血を浴びた私を見て驚いただろうが、私にはそんなことをさせる余裕もなかった。ただ、いきなり彼の首を絞めて、同じように切り裂くことしかできなかった。あのときは精神がまともじゃなかったから、同じ人物の犯行だとわからせないように殺し方を変える、などという考えはまったく浮かんでこなかったよ……」
「……叔父さん! 本当にそんなことしたの? ねえ……本当にそんなひどいこと、したの!?」
ずっと黙っていた真理が悲痛に叫んだ。しかしその直後、今日子さんが叫び返した。
「真理ちゃん、やめて!」
ぼくには今日子さんの気持ちはわからなかった。
……いや、ぼくだけでなく、おそらくは彼女自身もわからないに違いない。

「俊夫くんは? ……俊夫くんはどうして殺したの!?」
小林さんの話が途切れると、みどりさんはぼくの羽交い締めの中から大声を出した。
「……透くんの推理した通りだ。ジェニーを探しに行った私は、まず自分の部屋を調べた。そこにいなかったから、俊夫くんは見つけただろうかと思って彼の部屋をのぞいてみた。そうしたら彼はバスルームにいて、天井を開けていた。さらに彼は、私を見るなり言った。『オーナー……まさかオーナーが……』と……。私には、いきなり彼を押さえつけてそこの洗濯ロープで首を絞めることしかできなかった」
「ひどい……ひどいよ! たったそれだけのことで……!!」
みどりさんはまた狂ったように暴れたが、ぼくはそれを必死で押さえつけた。
「……それであなたは、バスルームに目をつけられたくなかったから、天井板を閉めてから俊夫さんを引きずっていってベッドに寝かせ、ブレーカーの穴も見つけて元に戻したんですね」
「ああ」
ぼくが代弁すると、小林さんはうなずいた。

「美樹本さんはどうなのよ!」
今度は可奈子ちゃんが叫ぶ。
「それも透くんの推理通りだ。……彼は昨夜、話したいことがあると言って私の部屋に来たんだ。私は今日子を起こさないように、部屋から出て応対した。そうしたら彼は、はっきりと言った。『天井裏の通路は確認しましたよ。あなたが犯人だったんですね』と。私は黙っていた。すると彼はこう続けたんだ。『どんな事情があったのかわかりませんが、このままでは無関係な人たちがかわいそうです。みんなに真実を話して、自首してください』とな。懇願するような口調だった……。だが、そのときの私は、その懇願を受け入れることさえできなかった。見抜いてしまった彼を生かしてはおけなくなって、裏口の横に掛かっていたロープで彼の首を絞めたんだ」
それを聞くと、可奈子ちゃんは顔を押さえてすすり泣きを始めた。
「彼をリュックの中に詰めたのはどうしてですか?」
「……少しでも発見を遅らせようとしたんだろうが、自分でもよくわからない」

ぼくの問いに答えた後、小林さんは座り込んだまま、今日子さんに背中を向けた。
「今日子……」
そしてそのまま、4人もの人を殺すほど愛した妻の名を呼ぶ。
「私は愚かな男だ。なぜ、人を殺せば君をも失うことになると気付かなかったのか……。しかも結果的に、君にひどいレッテルを貼ってしまった。もう私には、何をしていいのかわからない。君とどう向かい合っていいのかもわからない……」

すると、今日子さんは顔を覆っていた手を放し、小林さんの背中をじっと見つめて小さく口にした。
「お願い……こっちを向いて。私を見て」
小林さんは、今日子さんの言う通りにした。
「……自首してちょうだい」
今日子さんが涙をこぼしながら、心から絞り出すような声で懇願する。
すると、小林さんも同じように瞳に涙をため、はっきりとうなずいた。
「私、いつまでもあなたを待ち続けるわ……」
「……いや、そんなことをしてはいけない。君はもう、私とは無関係な人間であるべきだ」
小林さんは首を横に振ったが……。
「いいえ……いいえ! 私はあなたの妻よ! これからも、変わらずに……」
今日子さんは、それを聞き入れなかった。
「私はずっと、あなたの夢につきあい続けてきたけど、それはあなたのそばにいたかったからなのよ……。だから私、その夢をつなぎながら、いつまででもあなたを待つわ……」
夢――それはきっと、ペンションの経営のことだろう。
「今度は、君がペンションのオーナーに……?」
小林さんが、ぼくの想像を裏付ける。
「ええ、そうよ。場所は変わるけど、私はどこかでペンションを続けるわ。また私に会えるようになったら、必ず……必ず戻ってきて……!」

――今日子さんも、小林さんも、他のみんなも、それぞれの理由で、ひとり残らず泣いていた。
やっと表情を見ることができた真理も、そしてもちろんぼく自身も。
そんな涙の渦の中で、小林さんははっきりと首を縦に振った。

「篠崎くん……」
1分ほどして、小林さんが呼んだ。
「な……何よ」
ぼくに羽交い締めにされているために涙を拭えないみどりさんは、自分の首を横に強く振ってそれを片づけ、強がるように答えた。
「警察が来るまで私をどうしておくか、君が決めてくれ」
「どうしておくか……って?」
「どうやって私の自由を奪っておくかだ。ロープで縛り上げてもいい。どこかに閉じ込めてもいい。殺すと言われても文句は言えん……」
ぼくは、自分の腕の中にいる女性が何を言い出すか、途端に不安になった。
彼女なら、本当に「殺してやる」と言うかもしれない……。
しかし彼女は、ぼくが予想していたよりは落ち着いた様子で言った。
「……警察が来るまで、地下室に入ってて。もちろん鍵はかけるわよ。逃げようなんて考えたら承知しないからね!」
小林さんがうなずくのを見届けてから、ぼくはみどりさんの羽交い締めを解いた。

――小林さんは、みどりさんが決めた通り、あの地下のワイン蔵に閉じ込められた。
その鍵は、ぼくの手で静かに揺れていた。

 

 

誰もが言葉を発しないまま、何時間が過ぎただろう。
不意にチャイムが鳴り、複数の人が入口のドアをたたく物々しい音と、誰かの呼び声がした。
「……小林さん! 小林さん! 警察です!」
自然と、ぼくの視線は今日子さんの方に向いてしまった。
……いや、ぼくだけではなく、彼女以外の全員が同じことをしていた。

全員の視線を受けた今日子さんは、涙を拭ってソファーから立ち上がり、ゆっくり玄関へと歩いていった……。


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