スノーメン タイトル



ここのページは、お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
と、お父さんに呼びかける Snowmen Camp Club のメッセージです。

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子供が小学校へ通う前に、ぜひ読んで欲しい一冊!
「お父さんだからできる子どもの心のコーチング」
菅谷 裕子 著  PHP文庫刊 552円+税

「キャンプじぃじの子育て論」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に、
● 木曜日には、ビデオ屋を目指す方へ、
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」で
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」で
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12/12/31(月)朝 キャンプじぃじの日記

この時期は、呑みすぎになる日が多いね。

古い仲間。
高校のクラスメイトは、もう40年前の友達だよ。
今は、共通の遊びがなくなって、
年に一度、会うだけになってしまったけど、
それでも、若かった頃のバカ騒ぎが懐かしい。

昨日は、
10人ぐらい集まったようだ。
みんな生き方は、♪じんせい〜〜、いろいろ〜〜♪

サラリーマンは、5人。
自分で商売をしているのは、僕を含めて3人だ。
うちのばぁばと、友人が女房を連れてきた。
一人は、うつ病で仕事をしていない。

歳の差婚で、20才ぐらい違うのが二人もいる。
うち一人は、子供がまだ、4才と5才というのがいる。
その子達が成人する頃まで、生きていられるんだろうか・・・・

それを思うと、「女房と畳は、新しいほどいい。」なんて言葉があるけど、
子育ての大変さを思うと、
僕は、もういいや、そんな気持ちになったな。

僕みたいに子育てのために雪中キャンプは、
ちょっと出来ないだろうね。

雪中キャンプをすれば、いい、ということではないけど、
子供と一緒に大自然の中で、大自然と闘って、
大自然に学んで、
キャンプが出来たのは、とってもいい思い出になっているんだ。

この雪中キャンプに誘ってくれたのは、
昨日の仲間の一人だった。

「体験」って、大変で、辛くて、苦しい、ほど、
後で、ものすごくいい思い出になるものだ。
気楽で、簡単、そんなことは、忘却の彼方へなくなっていく。

仲間の中で、僕が一番の貧乏人だけど、
子供と一緒のたくさんの「体験」は、
何にも替えられない僕の宝物だな。

ワイルド感タップリで面白かった。
カブスカウトの隊長をして、年に70日も活動をしたっけなぁ。

僕は、人生を思いっきり遊びまくった、そんな感じだ。
そういう馬鹿げた人生を送ったのは、僕だけだ。
みんな、建物を手に入れるという、普通の人生を送った。

でもね、子供がいなくなれば、
僕は、この二間のボロアパートで十分なんだがな。
豪華な「物」や「レジャー」より、
僕には、もっと面白いものがある・・・・・・

そうさ、今日もさぎ山野営場の引越しのためのサイト開墾でワイルドに生きるのさ。
草刈機と、チェーンソーと、ブロアーと、一輪車と、
山道具を使って開墾だぁ!
なんで僕の人生は、いつもこうなっちまうのかなぁ?

妙に面白いさ。


12/12/30(日)朝 キャンプじぃじの日記

椅子は、僕のノルマ分は作り上げたよ、昨日やっとの思いで。
さぎ山野営場にまだ10ヶ分ぐらいの材料があるけど、
BSの方でも作るはずだ。

もう、うんざり。
工具やら材料やら、8万ぐらい使っちゃったよ。
あぁ、また貧乏な正月を迎えるのか・・・・・

これから、さぎ山野営場のサイト開墾をしなければならないけど、
今日は、日曜日だし、雨模様だから、
商売の編集をこれから少し始めるさ。

今夜は、「 Snowmen Camp Club 」の前身である
「スノーメン・スキー・クラブ」の忘年会だ。
ほとんどが高校のときのクラスメイト。

ピークで 40日/1年 ゲレンデにいた。
少なくても 30日/1年 、平均して 35日/1年 、スキーをしていたわけ。
冬のシーズンは、もちろんのこと、
五月の連休には、山形の月山へ、
七月には、信州乗鞍へ、ここは、今はマイカーで上がれなくなってしまった。

そこで僕は何をしていたのかと言うと、
スキー旅行の企画運営と、車の運転と、
初心者相手にボーゲンを教えていた。

このスキーサークルは、
僕の脱サラで休止した。 僕が28才の時だ。
それまで、毎年、毎年、スキー・バムをしていたわけ。

僕自身のスキーが、上達したのはこのサークル活動をお終いにして、
新潟の浦佐スキー場の「特別講習会」を受けてからだ。

当時、基礎スキー界で頂点にいた平沢という先生には、
こういう関係で知り合った。
彼をビデオでも撮ったことがある。

SAJの級は、受ける場所によって内容がまるで違う。
浦佐スキー場での検定は、教程どおりにバッチリやることで知られている。
中途半端な、スキーの指導員では、ここで一級が落ちると言われているところだ。

僕は、やっとの思いでここで二級を取得した。

どんなことでも、
本物の「基本」を学ぶことがいかに重要かを、僕はこのときに知った。

だから料理教室も「和食基本コース」を受講しているのさ。
子育てのための親子キャンプは、「ボーイスカウト」で覚えたのさ。

どんなことでも「自己流」は、
途中から変な癖が出て、まったく伸びないものだ。

子育ての「基本」とは、何だか分かる?
それは、日本では、「20才では自立」できるように子供を育てることさ。
その「自立」を無視した子育てが非常に多い。

ここに、心のトラブル−−−ニート、うつ病、自殺者、
また、結婚できないということも、
「自立」だけが問題のすべてではなく、
問題のほとんどの「温床」になっていると、僕には思えるんだ。

「自立」ができていない人をよく観察してみよう。
40才になっても、50才になっても、60才になっても、
心の持ち方に「幼さ」があるものだ。

つまり、心の成長が止まったままということさ。
それで、人生を窮屈に生きてしまう。

自分の人生を自分のイメージで創っていく、
デザインしていく、
面白くしていく・・・・・・

自立しない限り、こういう風には生きて行けないものなんだ。

今日の夜、古い仲間に、
今年、出来た僕のボランティア活動の報告をしようと思う。

戸田市の道満グリーンパークでの「親子で工作」の活動、
幼稚園での園庭で行った「流しそうめん」、
さぎ山野営場での「灯篭つくり」、

僕の「子育ての面白さをお父さんに伝えるボランティア活動」は、
ほんの少しずつだが、
僕のイメージに沿って着実に前進している。

何年かかっても諦めないさ。
少なくても、僕の子供が僕の生き方を見ているからだ。


12/12/29(土)朝 キャンプじぃじの日記

ここのところ、子供たちが帰ってきて、
大酒をあおっていただけではない。

さぎ山野営場に開いたキャンプ・サイトのところを
地主さんが、どうやら売ってしまうらしい。
そこで交渉をして、
別のところを借りられるようにした。

お引越しだ。
また、ボーイスカウトのリーダー、スカウトたちと一緒に雑木林を開墾した。
草刈機で地面をならして、太い木を伐採したりした。
当分、ここの整備に手間が掛かる。

それだけではない。
BSのリーダーがどこからか貰ってきた、組み立ての椅子。
昨日までに、20ヶ近く作り上げ、
今日、残り6ヶを作って一段落する。

このために、電動ドリルの他に、電動のノコギリまで買って、
大量生産した。

通りすがりのおばあちゃんが、この椅子は売り物かと尋ねるので、
違うよと言ったら、欲しそうな顔をしていたので一個あげた。
よっぽども嬉しかったのか、
「言ってみるもんだね」と言っていた。

また別のおばあちゃんは、並べておいて売ればいいじゃないかとしきりに言っていた。
たいがいの通りすがりの人たちの視線を浴びながら、
結構、必死に作り上げていたのさ。

山の開墾でか、椅子作りの電動ノコでか、
左腕があがってしまったのと、
右首筋が痛い。

仕事の編集は、一時ストップしたままだし、
読んでみたい本は、このノートPCの脇に四冊も「積ん読」状態だし、
正月返上で取り組まなければならないだろうな。

こうして僕が夢中になって生きているのを子供たちが見ている。


12/12/28(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、四人の僕の子のうち、
放蕩息子、次男も帰って来た。
長男を除いて、三人の子供と、うつ病の古い友人、
大家のおばぁちゃん、7人で晩御飯を囲んだ。

長男を、しょっ引いて来たものに、懸賞金3万を支払うと子供たちに伝えた。
イマイチ、反応が少ない。
懸賞金を5万に引き上げると言い直した。

一昨日は、夜中の3時まで子供相手に呑んでたんだそうだ。
全然覚えていない。
すごい二日酔いだった。
昨日は、その迎え酒。 

今朝は、放心状態。
お終い。


12/12/27(木)朝 ビデオマンの日記

ビデオ屋

これで食べていこうと思うのなら、
「商売」について真剣に学ばなければ、決してうまくいかない。

同業者の集いに参加しているけど、
この商売で「喰える」のは、ほんの少しの人しかいない。
その内の一人が僕だ。

それで、この商売を真剣に僕から学ぼうという人もいない、今のところ。

まったく別件だが、
僕は、父親の子育てについて、ここに書き込み続けているけど、
どこかで、誰かが読んでいるらしいけど、

直接、そのことを学ぼうと僕のところに来る人はいない、今のところ。

よほど、僕は信用できないらしい。

でもね、
僕は、今の商売で「喰えたらいいな」ではなく「喰ってきた」んだよ。
子育ても、
昨日の夜、四人の男のこのうち、三番目と末っ子が帰って来た。

この子達は、「自立」を果たした上で、帰って来た。
日本舞踊にある「親子連獅子」の子獅子が谷底から這い上がって帰って来た。

末っ子は今、陸上自衛隊で歩兵をしているけど、
なにやら、自分の気に入ったものに挑戦しているらしい。
自分で、自分の人生のイメージをもってそれに挑戦しているらしい。

昨日の夜、
二人の息子に、ここに書き込んでいるようなことを説教したさ。

三番目の子は、ずいぶんと僕の言っていることが分かっている様子だ。
末っ子に質問してみた。
「自衛隊とお父さんと、どっちが厳しいか?」

末っ子は、迷わず「お父さん」と答えた。
でも、そうだからこそ、きつい訓練に今、耐えられるのだろう、
と聞いてみた。
複雑な顔をした。

三番目の子もこの間まで、歩兵さんをやっていたけど、
今は、介護の仕事を始めている。
同じ質問に、「比べようがない」と答えた。

設問に「比べようのない質」があることを指摘した。
こういうことに気付くのは、結構難しい。
この子、発達障害があるんだよ。

その子が、学者並の分析をしているんだよ。
たしかに、暗記の「学力」は、劣るけど、
「人生を考えて実行する」能力は、ソコソコある。

親バカを言ってしまった。
でも、「自立をした大人の社会人」になったと思える。

その二人が、帰って来た。
猫が喜んだ。
ばぁばが嬉しそうだ。
正直に言えば、僕も、本当に幸せだ。

商売も、子育ても「基本」がある。
この基本を外してうまくいくことは、まずない。
僕に学んでくれるビデオマンなり、若いお父さんがいないのは、
僕自身に「信用」がないからなんだろうな。

諦めないぞ。
いつかはきっと、その信用を勝ち取って、
商売の基本、子育ての基本、を伝えてやるさ。
僕に不足している「人間性」を学ぶぞ、僕のチャレンジだ。

まだ、昨日の夜の酒が残って、支離滅裂、失礼しました。
人生、最高! 超面白い。

子供の成長には、感動させられるよ。
あぁ、おかげで二日酔いだ〜〜〜。
子供の成長に感動しっぱなしだ〜〜〜〜〜。
最高!


12/12/26(水)朝 キャンプじぃじの日記

普段の生活は、そのままで、

子供に十分な「不自由」「不便」「大変」な思いを面白く体験させるのが、
キャンプなのさ。

そこにお父さんの「子育て」が加われば、
「子育てを強く意識した親子キャンプ」という遊びになるのさ。

これは、「家庭教育」だから、年に一度くらいでは効果はない。
年中、何回も実行する事で教育効果が出る。

小学校低学年では、デイキャンプをたくさんする。
日帰りだから装備も簡単でいい。
その分、回数を多くするのさ。

小学校高学年までに、タープ設営、火起こし、調理、段取り、
撤収、そういう作業を子供が出来るようにお父さんが教えるのさ。

それらが出来るようになったら、テントを張って一泊で親子キャンプをする。
子供がある程度作業が出来るようにしてから泊まるのさ。
その上で、
今度は、子供自身でテントを張れるようにするのさ。

お父さんは、子供が危なくないかどうか見守る。
やれば分かる。
この時点で子供の成長に感動するさ。
お父さんの心の中に熱いものが込み上げるよ。

これが子育ての面白さだ。

中学生では、キャンプグッズを手作りする。
テーブル、椅子、タンクの台、ゴミ入れ・・・・・・

ここら辺でキャンプの回数は減るけど、キャンプのグレードを上げるのさ。
お父さん自身がまずその工作物を覚えて、
それから子供にそれを教えるのさ。

お父さん自身で子供に教えるというところが重要だ。

自分の子がたくましく見えてくるよ。
大自然の中で、自分の子が重要なパートナーになるさ。
そして、
キャンプ場の下見、計画書作成、実施、感想文と会計報告、
これを子供にさせるのさ。

子供が「大人」に向かって成長する様子が手に取るように分かるよ。
ここでもお父さんは、感動するだろうな。

こうして子供を小さい内から少しずつ親子キャンプで育てることが出来たら、
高校生では「ソロキャンプ」を体験させよう。
お父さんも同じ現場へ行くが、
サイトをうんと離せば子供がソロキャンプを体験できる。

お父さんもソロキャンプになるね。
お父さんは、安全対策と資材運搬のために、現場にいる。

僕は、このとき、子供には自転車で移動させた。
子供にサイクリングも教えたんだ。

それが無理だったら、電車・バス・徒歩、の移動を子供にさせるのさ。
今は、携帯電話があるから、緊急の連絡が取れる。

こうして子供を「自立」に向けて育てるのさ。
やれば分かるさ。
子供が大人に向かって育っていく様子が、よく分かるさ。

こうして親子キャンプをたくさん子供が体験できていれば、
普段の生活で「質素」で十分に生きられるようになるさ。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって最低限の生きる条件になる」

生きる条件が多ければ、多いほど、子供は不自由な人生を歩みやすい。

でも、
そうしてお父さんと一緒に大自然の厳しさをタップリ体験をして育った子は、
「自立」と「質素」を身に付けるのさ。

大自然の浄化作用とでもいうのか、子供の心を強くしてくれるんだ。

僕は、こうして僕の子を育ててみて、
その効果がすごかったからこそ、
若いお父さんに勧めているのさ。

もっとすごいことがある
この時にお父さんの本物の「愛」が子供に伝わるのさ。
子供は、一生涯を通してお父さんの「愛」が心に灯って強く生きていくことが出来るようになるさ。

お父さん自身で子育てをするからこそ、
お父さんは、人生の本当の感動が味わえるのさ。

しなけれりゃ、分からない・・・永遠に・・・・・
やれば分かる、子供との本当の絆が。

子供を他人任せに育てるのは、いいことではないよね。


12/12/25(火)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、28才の時に脱サラをして今の商売を始めた。
今から29年前のことだ。
その時に三番目の子が産まれた。

子供が多くなったので、稼ぐためにも商売を始めて「一攫千金」を目指したんだな。
最初は、結構、下種な発想だったのさ。
でも、物事どんなことでも真剣にその「道」を追求していくと、
自分でたまげるほどの「学び」をしていくものだ。

僕は、サラリーマン時代には、「営業」全般を体験で学んだが、
それ以外は、今の商売をとおして人生を学んだ。

命がけで学んでいくと、それは、下手くそでも自分の人生の肥やしになる。
どんなことでも、必死に学ぶところに
人生の価値が創られていく。

ところが、
なぜ、働くことも、学ぶこともしないニートが増えているのか、
なぜ、「一生涯安泰」の人生を求めたがるのか、

僕には、それがなぜか理由がハッキリ見えるのさ。

簡単なことだ。
「満たされ過ぎ」

「簡単」「便利」「気楽」を子供のころから浴びるように生きていて、
「真剣に生きる」ことが出来るようになるはずがない。

でも、
それに溺れるように日々を暮らしていると、このことが見えなくなるものだ。
歯をむき出して怒り出すほどに、見えなくなる。

僕は、一攫千金を目指して、そのことには失敗をした。
人生の途中で、子供がグレるという最悪の事態になったときに、
僕は、目が覚めた。

それで、そのときに「商売の拡張」を止めて、
「子育て」に専念をした。
そのことで、自分でたまげるほどの「学び」があった。

それだけではないさ。
とっても大変だったけど面白かったんだな、子育てが。
それで、
「一攫千金」を夢見た自分自身が恥ずかしくなったのさ。
このことに気付かされた。

ところで周りを見渡すと、
多くの父親も同じように物質主義であることに気付かされたね。
「物の富」を追って、子育てが疎か・・・・・・

僕と同じドジを程度の差こそあれ、みんなしている・・・・
そういう社会に今、生きている。
「豪華」「贅沢」こそが人生の「価値」だと信じて疑うこともない。

僕の子がグレてしまったように、
ニート、自殺者、うつ病、の多さは、ここにある。
「物の豊かさ」は、「心を貧弱」にするものだ。

今日は、イエス様の誕生日。
馬小屋にある馬の餌箱という「貧乏の象徴」のところに産まれて置かれた。
他にも聖書には、たくさん「富むことのない者」に寄り添うシーンがタップリある。

「幼子にしたのは、イエス様にしたこと」
こんな意味のことも書いてある。
子供の育ち具合は、その社会を間違えなく投影しているさ。

どうしたら、「生き生きと生きる」ことを子供たちが歩めると思う?
「今の生活ぶり」を改めない限り、
今までどおりに、ニート、自殺者、うつ病、という不幸はなくならないでしょう。

それだけではないさ。
エネルギーの問題も、地球温暖化の問題も、
みんな、「豪華」「贅沢」の裏腹にある。

高卒の僕でも分かる簡単なことだ。
でも、人生を命がけで「学ぶ」ことをしなければ、
博士でも分からない。

この不思議なところに、滅茶苦茶面白さがあるね、人生はね。
僕の宗教との出会いは、今の商売を立ち上げようと必死でもがいていた時のことだった。
苦しかった、辛かった、死にもの狂いだった、
そういうときに、そういうときだから、
宗教を学ぶ気になった。

「快適」だったら、その必要はないだろう。

今日は、
もっとも貧乏なところで、イエス様が生まれた記念日だね。
全世界でお祝いしている。
これは、事実だ。


12/12/24(月)朝 キャンプじぃじの日記

メリークリスマス!

今日も教会でキャンドルサービスを楽しみに行く。

昨日の夜、戸田市の道満グリーンパークで一緒に「親子で工作」
のボランティア活動をしてきた古い友人から電話があって、
いつもの銭湯に一緒に入った後、そのキャンドルサービスに行きたいと言う。

今夜は、僕とばぁば、大家のおばあちゃんと古い友人一人、
四人で教会へ行く。

古い友人は、浄土真宗だ。
大家のおばあちゃんは、仏教系新興宗教に関係している。

でも二人とも宗教を「信仰」しているわけではなく「所属」しているだけの様子だ。
まぁ、教会に行っても、
「所属」しているだけの人は、案外多い。
そういう僕も人生のほとんどは、「所属」しているだけだな。

自分の持てる最高の宝物を神様に捧げなさい。

僕は、貧乏人で献金はたかが知れているけど、
「自分の最高の宝物」は、何だろうか・・・・・・
これを随分前に考えた時に、
行き着いたのが「父性教育の重要性を訴える」ということに気付いたんだな。

でもこの言い回しは、硬すぎるので別のキャッチにした。
いろいろ考えたのだけど、
「お父さんに子育ての面白さを伝える」に統一する事にした。

これで活動の仕切りなおしだ。
このボランティア活動だけは、僕の「宝物」を捧げているところになるだろうね。
だから僕の信仰は、この活動の最中だけと言っていいかもね。

フルタイム「信仰」を持ち続けるのは、牧師先生ぐらいなんだろうね。
凡人の僕には到底できないさ。

こんなもんでもOKさ。
米粒より小さい種ほどの信仰でも、神様はちゃんと受け取ってくれる。
そう聖書に書いてあるからだ。

そんな小さな、小さな、まったく個人的なボランティア活動でも、
もうすでに僕の心を豊かにしてくれている。

「自分の消費」で頭が一杯の不幸な人生より、
「自分以外」の子供たちのことを考えて、
「お父さん自身で子育てをするように」活動できるのは、とっても幸せなことだ。
昨日の、教会でのメッセージもそんなようなことを牧師先生が言っていた。

この僕のオリジナルのボランティア活動は、
僕の心をとっても豊かに暖かくしてくれて、
そうそこに快感さえあるので、今まで続けられたんだよ。
確かに神様のクビキは、負いやすい。

だって面白いんだから。


12/12/23(日)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、さぎ山野営場の近所にある小さな教会の、
キャンドルサービスに出席する。
明日は、普段お世話になっている教会でのキャンドルサービスがある。
キャンドルサービスの「はしご」だ。

今日は、日中、さぎ山野営場でボーイスカウトが、
山の整備活動があるらしい。
お昼に、何か、振舞うというメールがあった。
餌で釣られてしまうんだな。

こういうことで、一日中、さぎ山野営場にいることになった。
ばぁばも連れて行くので、
今日は、見沼天然温泉「小春日和」に入ることにした。

住んでいる越谷市から車でたった30分のところだが、
完全に「旅行」だ。
こんなに近くでの旅行というのが、不思議と言うか、
面白いと言うか・・・・

旅行ってどういうことだろうか、
それを考えさせられる。

飛行機に乗れば、たった2時間で韓国へ行ける。
でもあまりに簡単なので「旅行」という感じがしなかった思い出がある。
(僕は、飛行機が大嫌いなので、過去に一回しか飛行機に乗ったことがない)

若いころ、年にスキーを40日もしていたころ、
国道17号線は、「いつもの道」だった。
「旅行」をしていた気分はなかった。

それよりも前、ばぁばにつかまる以前、サイクリングに夢中だった頃、
関東平野は、僕の「庭」だった。
ヤッパリ旅行をしている気分はなかった。

でもここ数年、サイクリングを趣味で復活してからは、
「輪行」で旅行気分タップリになった。

自分の知らない何かがありそうな「移動」が旅行ということなのかな?
そういうことなのかな?
今日は、いったいどういう人生になるのだろうか・・・・
とっても楽しみな日だ。


12/12/22(土)朝 キャンプじぃじの日記

ボーイスカウトのリーダーが、どこからか貰ってきた組み立ての椅子、
それの設計図通りに作るのは、
手間が掛かりすぎて大変なので、
まったく違う構造のものを作ってみた。

それのプロトタイプを隊長に見せて、了解を得て
今、量産態勢に入った。

そのために、電動ドリルも買った。
これ、すごいね。
今まで手動のドリルで工作をしていたのだけど、
あまりに簡単に穴が開くし、木ネジが入っていく。

それで、キット10セットの箱に残り一個となったが、
完成、成功したのはたったの5ヶ。

敗因は、ドリルで垂直に穴が空けられなかったことだ。
やっとの思いで、垂直に対して、1°〜2°ぐらいの誤差で空けられるようになった。

これでまた僕のテクに一つ加わったな。
電動ドリルで真っ直ぐに穴を空ける・・・・というテク。

遊びから学べるものは、とっても実用的なものが多い。
ゆえに、子供にもっと、もっと、もっと、たくさんアウトドアーで遊ばせるべきだ。

その中に「生きる工夫」が身に付くものがあるさ。
僕は、風呂のない二間のボロアパートに住んでいる貧乏人だが、
しかし、
この環境でも「人生を工夫」して、とっても面白く人生を歩んできた。

本当のことを言うと、
貧乏だからこそ、面白い人生を創れた。
なぜかって?

僕は、若い頃から「何かしでかす」予算は、「最大限」がモットーだったからだ。
古い友人の一人は、それをこう表現してくれる。
「スキーさえしなければ、家の一軒は建っただろうに」

僕にしてみれば、たったその一軒の家のために、
人生をつまらなくしたくなかったのさ。

さて、18vの電動ドリルで椅子の量産を開始するか。
とりあえず、玄関の前に、それの10ヶ入りが他に1箱ある。
やっつけてやるさ。


12/12/21(金)朝 キャンプじぃじの日記

週刊誌だから、面白おかしく書いていることを考えても、
ウソではないと思える記事を見つけた。

週刊現代「20年後に生き残れる会社」前編

講談社 刊 420円

数日前にここに、パナソニックとソニー、それに対するトヨタ
について僕が感じたことを書き込んだけど、
ほぼ同じようなことを、この週刊誌で特集している。

ぜひ読んでほしい。

少しでも学校の成績をよくして(本当の学力ではなく、ただの丸暗記)、
少しでも偏差値の高い高校、そして有名大学へ、
それで、名の通った一流企業に就職して「一生涯安泰」を目指す子育て。

そこまでは、いかなくても、同じ路線の「知識偏重」の子育てで、
なんとか、「一生涯安泰」させる子育て。

そもそもその「一流企業」に「一生涯安泰」を求めることがこれからは、
無理だということを言いたいね。
この時代の変化をよく考えて欲しい。

未だにバブル経済のころの「就職観」が根強いと僕は思う。
早く、その感覚から脱却しないと、子供の人生は非常に窮屈なものになってしまうよ。

「資格」で一生涯安泰、というのも、心のもち具合は、
「企業」にそれを求めるのと同じだ。

要するに「自立」した心に育てられていないということに問題があるのさ。

20才では、親から「自立」ができて、その体験をシッカリ握り締めることができていれば、
「会社」や「資格」に極度に依存しなくても済むようになれる。

少なくとも、僕は、そうして生きてきて、貧乏だが、
人生を思いっきり生きることができた。
自分のイメージで自分の人生をデザインできた。
ここにとっても気持ちいい「自由」を味わった。

「自立」を果たせずに、30才、40才、になってしまうと、
もう自立のチャンスを逃してしまう。
そうなると、そこの会社にしがみ付くしかなくなる。
こういう生き方は、とっても不自由でしょう。

会社にとっても、そういう「一生涯安泰」の人材は、
早晩、お荷物扱いを受けやすくなってしまうものだ。

こういうことをよく考えて子育てをして欲しい。
このことに気付いてもらうのに、
この週刊誌のこの特集は、とっても参考になると思うね。

後編も出るそうだ。

人生を工夫する能力

人生をデザインする力

人生を思いっきりプレーする元気

人生を創造できる発想

これらすべて「心の育ち」なのさ。
子育てを強く意識した「親子キャンプ」で子供の心を鍛えることが出来る。
少なくとも、
僕は、これを実践して、障害のある子を自立させたのさ。

僕は、子育てを他人任せにする事なく、
自分の手で、「親子キャンプ」という手間をかけて、
子供と遊んだ。

若いお父さんに、ぜひ真似っこして欲しい。
子供を心の底から愛する喜びを感じ取って欲しい。

物ではないところの
本当の人生の豊かさが見えてくるさ。


12/12/20(木)朝 ビデオマンの日記

歳をとると、本当に無理が利かなくなる。

最後に納品をしたものが、ミスだらけになってしまった。
とりあえず、正月の間、納品したもので楽しんでもらって、
正月明けそうそう、直したものを再納品する事になった。

トラブルの具合が、どうみても「睡魔」が原因だ。
老いていく自分をどう、うまく使いこなしていくのか・・・・・
こういう「学び」をひしひしと感じるね。

幼い人は、「自分の老い」を「学ぶ」ことができない。
この歳になると、どう人生を歩んできたのか、
どれほど「人生の学び」をしてきたのか、
その違いがハッキリと出る。

一番取引が長かったところを先日辞めた。
大分前から、売り上げが下がり、
ここ1〜2年は、論外の売り上げにまで落ちた。

どうやら、保護者の中にコピーガードを外して、
他の保護者にばら撒いている様子だ。

クラスによって極端な販売数量の変化がある。
そもそも購買力がないところは、全体的に売れない。
長年この商売をしていると、
こういうところで、そこの保護者の「質」が分かるものだ。

保護者の質が落ちたらもうお終いだ。
そういうことで、そこを辞めた。
10年ぐらい前にも、やはり10年近く取引していたところを同じ理由で辞めたことがある。

幼稚園なら、どこでもこの商売が成立するわけではない。
機材に夢中の初心者業者には、どうしてもこのことが分からないらしい。
「画質」で売れると思っている。
商売を的外れに捉えているね。

売れなくなった取引先を整理し、
その分、他の仕事を丁寧に作る・・・・・
自分の老いの分、こういう作戦で、行動で、対応する。
そうでないと、今ある別の取引先を失いかねない。

聖書には、
腐った片足のたとえ話がある。
いくら、もったいなくても腐った片足をそのままにしていたら、
毒が全身に回り、全部がダメになる。 つまり死んでしまう。

だから、その片足は、切り落とす。
これは、理にかなったものだ。

またこういう話しもある。
よい実は、よい木に生る。
悪い木から、よい実は生らない。

これもとっても分かりやすい。
こういう言葉を聴いて、僕は、決断してきた。

それがどういう結果を招くのかは、神様次第。
でも、それで、
僕の今の仕事がある。
とっても不思議な体験をした。
アメイジンググレイスの歌詞どおりだったよ。

特定の自分の宗教がないようだったら、
クリスマスには、最寄の十字架のある建物の中で、
本物のキャンドルサービスを体験してみよう。

若いお父さんの心のより所になれればいいね。
どうか、そういう方が招かれますように。

また、他の宗教でも、
その教えで、「心の成長」がありますように。
そのことで間違えなく子供の心も育つでしょう。


12/12/19(水)朝 キャンプじぃじの日記

納品できた。
どこの幼稚園もたいがい明日、終業式だ。 間一髪で間に合った。

でも、すごいでしょう。
そういう中、「灯篭作り」の活動や、
料理教室に行ったんだよね。

生きる、やる気、生きる面白さ、

物や金では得られないのさ。
そうだなぁ・・・・・
若い頃からの「生きる感覚」というようなものがあるのさ。

僕の今の商売だって、
「一生涯安泰」では、決して得ることが出来なかった。
人生を冒険してみたい・・・・こういう生きる感覚があったからこそ得られた。

そしてその気持ちは、
僕が高校生の頃にはあったのさ。
だから、高校生では、

「自立をした一人の大人の社会人」

になれなくても、これを強く意識できた者が、
その後の人生を面白く創っていくことができるんだな。

子供に、「一生涯安泰」を求めさせるのは、
「一生涯工夫しない人生」を押し付けるようなものさ。

結果として、働こうとしなくなりやすい。
たぶん、うつ病の温床となるものだろう。

「生きる」って、「命がけで生き延びよう」とするものだと思うよ。
そこに大いなる「成長」が起こる。
これこそ、この「成長」こそが「生きている充実感」になると、
僕自身の人生を振り返ってみて確信できるね。

「一生涯安泰」の人は、一生涯、これを知らずに死んでいってしまうんだろうな。
気の毒だ。

「快適」「簡単」「便利」を浴びるように子供を育てたら、
「必死に生きる」ことをしなくなりやすい、このことを分かって欲しいね。

せっかく生きているのだから、
命がけで「自分を創る」体験をして生き生きと生きて欲しいね、
これからの子供たちにはね。

さぁ、今日からまた隠居生活が戻ってくる。
さぎ山野営場に、この間の「灯篭作り」の後片付けをするのと、
降り積もった落ち葉の整備、
BSの隊長がどこからか持ってきた「組み立ての椅子」の材料の引き取り、
などなどしなくっちゃ。
仕事より忙しそう・・・・・

そうそう、その椅子を大量生産するために、
とうとう、昨日、電動ドリルを買ったよ。
これだけは、「買っても使わない」代表格だから、
今まで欲しくても買わなかったんだな。

でも、その必要性ができたので買ったさ。
しょうがないよな。
「物を手に入れて喜ぶ」んじゃ、幼いよな。
何か、自分に矛盾を感じるな・・・なぜだろうか・・・・

どうせ買うなら、パワーのある「18v」のヤツを買ったさ。
早く作りてぇ〜〜〜。
もしかして・・・・ビョウキか?


12/12/18(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、午前中、料理教室に行った。
月に一回しかないから貴重なんだ。
それで、午後、年内納品を済ませた。

そして、昨日の夜中に頑張って、もう一件の年内納期のものを、
今日、できる見通しとなった。
勝利が近し!

僕は、もう老後の人なのにこの慌しさは、いらない。
売り上がらない仕事は、整理する。
このことによって、売れ筋を丁寧に作ることができる。

時代の変化、商売の変化、老いに向かう自分の変化、
変わらないものなど、宗教以外にないさ。

この「変化」に気付き、その対応を学び、実行−行動できることが
これから生き延びるのにどれほど重要なことだろうか・・・・
「一生涯安泰」の人にはできないでしょう。

とくに最後の「行動力」が「安定志向」の人は、出来ないでしょう。

学校の成績ではないところの、
こういう「実力」を子供に身に付けさせることが、
いかに必要か分かってほしいね。

「学び」は、本人がどうしても「必要」に感じたときに
何歳でもできるものだ。
「学び」の意欲こそ、子供の「習慣」として身に付けさせるのが本当の子育てさ。

でも、かなりの子育てが、
小学校四年生で「学ぶ意欲」「生きる意欲」を失う育て方をしているでしょう。

精神を鍛えるべき年齢−−−中学生以降は、
こういうことで部活があるのでしょう。
間違っても夜遊びで享楽を覚えることではないよな。

その間違えが、あまりに多くないだろうか?

若者は、多いに悩み、考えて、行動する、
このことで人生の基盤が作られるのでしょう。
「安全」「快適」「気楽」ではないよね、必要な体験は。

子供が本当の自立を果たせるかどうか・・・・
こういうことで、父親次第だ。


12/12/17(月)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

昨日は、さぎ山野営場で「灯篭作り」の活動ができた。

参加者は、

子供は、小学校5年生の女の子が二人、

中学校二年生の男の子が二人、

父親が一人、母親が一人、

塾の先生夫婦、その知り合い、

受け入れは、僕とばぁば、途中から古い友人一人。

進行は、順調のはずだったが、女の子の作業が遅れて、
作り上げることが出来なかった。
そこで、大人が作った灯篭を「借り」ることになった。

前回、カレー作りに参加をした女の子達だったが、
どうやら、「工作」に興味関心がない様子だった。
それで、女の子同士のお喋りで作り上げられなかった。

男の子、二人は、一所懸命に作っていたのと対照的だった。
まぁ、BSの活動と違って、普段からの「訓練」を受けていないので、
こんなものなのかも知れない。

時間配分で、工作が押した分、キャンプファイヤーで、
「ジャンケン列車」と「アブラハム体操」の二つだけにして、
つじつまを合わせて、夕方5時半終了の予定を守った。

今回、お父さんに「紙芝居」をやってもらったところが、
この活動の趣旨に最もそったものになった。

総論としては、まずまずの活動が出来たと思う。
次回の活動は、
子供たちのリクエストで、「餅つき」をすることになった。
これから、それのレンタルを探してみようと思う。

もし、レンタルが出来なかった場合、別の活動をすることにした。
実行日だけは、集まったみんなで決定した。

次回、SCC活動は、H25年1月3日(木)だ。
さぎ山野営場を開墾して、ぼちぼち丸三年、
今年は、「カレー作り」とこの「灯篭作り」の二つの活動ができた。

これらは、定例化を目指して、来年は、「餅つき」の実施を目指して
いよいよ、キャンプ・クラブらしくなりそうだ。
その他にも、夏にまた幼稚園の園庭を借りて、
「流しそうめん」を成功させたい。

目指すは、

「お父さんに子供との遊び方を、体験で知ってもらう」だ。

「父性教育の重要性を訴える」という言い回しは、
硬すぎるので改めることにした。
昔、カブスカウトの活動に夢中になったことがあったが、
それを思い出す面白さだ。


12/12/16(日)朝 キャンプじぃじの日記

年内に納品できるかどうか・・・・・・
きわどいけど底が見えてきた。

そこで、今日は、さぎ山野営場で「灯篭作り」を実施する。
こういう遊びは、「別腹」だ。

予定では、

午後2時にさぎやま野営場集合で、
旗揚げをした後、さっそく灯篭を作る。
SCCサイトにある竹ハウスの中で作る。

そこには、焚き火台で炭を焚いて、ほんの少しだが暖がとれるようにする。
そして、湯を沸かして、子供たちにココアを振舞う予定だ。
「キャンプ」の雰囲気を出すための演出さ。
凝っているでしょう。

そして、暗くなる4時半ごろに、
SCCサイトから、BS本部サイトまでの7〜8メーターばかりの通路にその灯篭を並べて灯す。

BSサイトには、キャンプファイヤーと紙芝居の準備をしておく。
そして、大人も子供も、その並べてある灯篭の道を行く。
この灯篭には、行きには、自分の名前が、
帰りには、自分の夢が書かれてある。

ファンタスティックでしょう。

昔、カブスカウトの活動でこれをやったことがあるんだな。
灯篭の道を行って、ミニ・キャンプファイヤーをした後、
お父さんに紙芝居、一話を上演してもらう。

「灯篭」を親子で作るところが、活動の目当てだが、
この紙芝居を父親にやってもらうのも、そのお父さんにとっていい子育て体験になるはずだ。

どうか、目当てが達成できますように・・・・


12/12/15(土)朝 キャンプじぃじの日記

歳をとると、徹夜ができない。
やっても間違えを起こして、結局やり直すことになる。

「年内納期」と言うと、なんとなく28日を想像するでしょう。
僕の場合、20日なんだよ。
ともかく、間に合わせなくっちゃ・・・・・

お終い。


12/12/14(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、一昨日、プロテスタント教会付属の幼稚園で、
ページェントを撮っていた。

今日もクリスマス会を別の幼稚園で撮る。
ここは、前には、ページェントをやっていたけど、
宗教の幼稚園ではないので、止めてしまった。

降誕劇ではなく、例によってサンタが主役の日本では普通のクリスマスだ。
なんでこうも日本人って宗教観がデタラメなんだろうか・・・・

復活祭あたりで花祭りがあるけど、
それを祝うのは、仏教の幼稚園しかない。
なんか、へんじゃないかい?

宗教を学んだからといって、信仰が芽生えるわけではないけど、
宗教について無知なのは、
全世界的には、恥ずかしいことなんだがね。
日本人の幼さは、こういうところにあると思うな。

無宗教という新手の新興宗教のような気がする。
クリスマスには、最寄の十字架の建物の中で、
本物の牧師先生なり、神父さんがいるところで、
キャンドルサービスを体験してみようか。


12/12/13(木)朝 ビデオマンの日記

映像の仕事で、
昔は、「映画」か「テレビ放送」しかなかった。

しかし、今、同業者の中には、ネットを使った「配信」に夢中の人がいる。
それをどう商品化できるのかは知らないが、
それが出来ること自体が、
もうすでに「映画」「テレビ放送」以外のビデオビジネスが増える予感がする。

ただし、仕事単価は相当安くなるだろう。

僕の仕事は、今のところ「DVD」というメディアに吹き込んで売るものだ。
こういうのを「パッケージ・メディア」と呼ぶ。
テレビ放送関係者が、昔、こういう仕事を見下して呼んでいたものだ。

この「パッケージ・メディア」の特徴は、
基本的に、メディアを買った人しか見ることが出来ない点にある。
これは、個人情報を守ることが比較的容易だということだ。

この特徴は、僕の仕事にジャストフィットしている。
だから、「卒業ビデオアルバム」制作において、
パッケージ・メディアは、基本のスタイルであり続けるだろう。

ネット配信では、その点が、足かせになる問題として必ず起こるだろう。
HPに動画を載せるのだって、同じことだ。
それに使うBGMは、著作フリーでなければならない。

ビデオ映像を取り巻く仕事は、
僕の仕事がもう20年以上続けられたことでも分かるように、
確実に裾野を広げている。

ただ、商売として確立させるためには、相当の研究が必要だ。
そして、技術力も不可欠だ。

ところで、
これからの日本社会は、どうすればいいのだろうか?・・・・

無責任な政治家は、バブル経済を復活させるような、根拠がまったくない虚構を挙げて票を取ろうとしているけど、
それは、あり得ない。

たぶん「大量生産」では、
早晩、中国やインドに抜かれるだろう。

「良質少量生産」
これが僕の仕事の目指すところだ。

もうすでに、日本は、国として「成熟期」を過ぎつつある。
ヨーロッパでは、日本と比べてゆっくりした経済発展をしていき、
「文化」を守ってきた。

アメリカは、どうだろうか・・・・・
もともと「文化」が浅いから、都合が悪ければ、
既成観念をぶち壊すという「文化」が起こったような気がする。

日本は、そのアメリカの真似っこをして日本の「文化」を捨て去っていないだろうか。

ヨーロッパのように「文化」を継承しつつも、
アメリカのように既成概念を越す「ソフト力」。
ここらへんが、これからの日本に必要なことだろう。

こういうバックゾーンの中で、
写真の「卒業アルバム」は、日本独特の「文化」であることが分かるでしょう。
それの「ビデオ版」が、
「卒業ビデオアルバム」制作なんだな。

この仕事が、いつか「文化」と呼ばれるようになれればいいよなぁ。
その日まで生きていられれば、とっても幸いだ。

若者に、「一生涯安泰」ではなくて、
この仕事に興味がわいて、ぜひトライしてもらいたいのだが・・・・・

難しい仕事をこなすためには、どういう仕事でも

「強い心」

が必要だ。 「一生涯安泰」の心で冒険は出来ない。
冒険ができない人は、「飼い猫」や「カゴの鳥」と同じでしょう。
大空を自由に飛ぶことができないさ。 不自由な人生さ。

自分の命を掛けて取り込むことができる人・・・・・・
そういう人材が、これからの日本を創っていく存在になることに間違えがない。

そういう命がけの人を育てることが、この日本に必要でしょう。


12/12/12(水)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、「12」のぞろ目だ。

何かあるのかな、何にもないのかな?

日本社会の閉塞感は、
「今までどおり」という意識の中にあると思うな。

例えば、車だったら同じ排気量でいかに「パワー」を出せる車を作れるのか、
そういう「物作り」だった。

携帯音楽プレイヤーだったら、いかに「小さい」ものが出来るのか、
そういう「物作り」だった。

昨日、同業者の集いがあったが、
相変わらず「画質」にしか興味を持てない人がいた。

こういうのって、
「学校の成績は、良ければ良いほどいい」という発想に似ている。

イタリアの自転車メーカーで、「ビアンキ」というのがあるけど、
とっても面白い商品開発をしている。
都内を走ると「ビアンキカラー」の自転車をよく見かける。
うちのばぁばが乗っているのもビアンキ社製の「ママチャリ」だ。

でもよく見ると、フレームのパイプをつないでいる「ラグ」と呼ばれるものが、
「飾りラグ」だったり、
前後のブレーキが「カンチブレーキ」だったり、
そもそも、車重が軽く出来ている。

変速ギャーが少ないけど、十分にあって、サイクリングができるものだ。
日本人でママチャリでサイクリングをする発想をもてないけど、
うちのばぁばは、これで鎌倉あたりで「オート・サイクリング」をたまにしている。
あそこの街にとっても似合う自転車だ。

見た目は、まったくの「ママチャリ」。
日本人だったら、この車種は、
「いかに安く作れるのか」という商品開発をしているでしょう。

商品開発の「発想」がイタリヤ・ビアンキ社は、とってもユニークなのさ。
それで、売れている。

この「発想力」こそが、これからの日本経済を活性化させるものになると思うな。

既成概念を取っ払って、
ユニークな商品開発ができる会社なり、個人の育成。

ここにこれから日本が生き延びる道があると思うな。

事実、そういう商品開発が出来ている会社は、元気がいい。

そうだなぁ、例えばユニクロとか、
アップルのスマホとか、
ようするに商品開発における「発想力」でしょう。

ソニーやパナソニックの閉塞感は、
今の日本人の「発想力」のなさを象徴しているように見えるね。

トヨタのプリウスは、これからの「物作り」を示唆しているでしょう

昔は、あったと思うんだけどね・・・・・・
ソニーもパナソニックも、創始者にはあった。

みんな「一生涯安泰」にあぐらをかいているからじゃないのかね。
「大量生産」という既成概念でしか物作りができないでいる。

僕の仕事は、今から20年以上前に、
「子供をビデオで撮る商売」という今までになかったものを目指した。

「映像の仕事」と言ったら、
テレビ関係か、映画、そういう「マス・メディア」しかなかったころに、
「個人を写す」仕事を目指した。

だから競争相手が少ないから、今まで生き延びることが出来たのさ。
けっして、僕の「ウデ」でもなく「機材」でもなかった。

「大量」ではなく「少量」を扱うという「発想」だった。
これなら、個人で出来るからだ。
「隙間産業」さ。

こういう「発想力」というのは、「一生涯安泰」の人にはできない。
「一生涯成長」を目指す人生でなければできない。

これからの日本社会を堂々と生きられる人に育てたいのなら、
ビデオ屋が「画質」にしか興味がないというものではなくて、
「学校の成績」さえ良ければいいということではなくて、

「遊び込む」習慣を子供に身につけさせるのさ。

ここで言う「遊び」とは、享楽のことではない。
テレビゲームのことではない。
もっと健全で前向きな趣味のようなものさ。

その中には、「親子キャンプ」もあるんだよ。

この遊びで直接学校の成績がよくなることはないけど、
「生き延びる力」が身に付くのさ。
そうだからこそ、「人生をデザイン」できる人になれるのさ。

子供自ら自分の人生をデザインできるように育てる。

若いお父さんに、早く気付いてもらいたいね。


12/12/11(火)朝 キャンプじぃじの日記

教育改革・・・・か、
子供に「学ぶ意欲」を起こさせるようにするのが重要だろう。
とくに、小学校四年生から、
「面白い授業」こそが子供の意欲を引き出すと思うね。
「授業時間」という「量」ではなくて、
「質」の高い授業が必要だろう。

この間、文化省の調査で「発達障害」の子がクラスに二人ぐらいの割合でいるという調査結果を出したそうだ。
この「発達障害」と断定できるのは、
その特徴をたくさん持っていないとされない。

実際は、その特徴を持っていても、
それが少ないと「健常」ということになり、
その障害の特徴は、「個性」ということになる。

僕の持論だが、その障害の特徴が一つもない人なんて、
たぶん、この世にいないだろう。

もう一度言う、
発達障害の特徴の一つや二つ、いやそれ以上に誰でもがある。
このことをよく考えよう

学校の成績がよくないのは、かなりの確立でこの「障害の特徴」があると思う。
ここだ、
だれでも何らかの「障害の特徴」があるのに、
「暗記が得意」な子だけが有利な授業形態・・・・・・

旧態依然の「暗記」だけを重視する授業・・・・・

これでは、あらゆる子供に学習意欲を起こさせることはできない。

もっともっと、子供の本当の成長について、
よく考えられる人が多くなって欲しいね。
とくに何かのリーダーは、このことをシッカリ学んで欲しい。

「教育」だけではなく、
今、「子育て」の取り組み方にとんでもない問題を抱えているのになぁ・・・・・・
未だに「暗記」だけに注目する教育では、
これから厳しさを増す日本社会で生き延びる人は、育たないよ。

「教育」と「子育て」の違いを、ぜひ分かって欲しいね。
そこから考えようよ。

心を強く育てることが出来なければ、
これからの日本社会を堂々と生きていけないよ。


12/12/10(月)朝 キャンプじぃじの日記

発表会の撮影だけ処理しているのなら、楽勝なんだが、
卒業ビデオアルバム用の取材も毎日のようにあって、
それの処理をする時間がない。

そういう日々を送っている。
キャプチャーと言って素材の取り込みの作業の間は、暇なわけ。

今年デジカメを買って、
それを持って自転車でツーリングに三回出かけた。
つまらないところは、電車で移動する「輪行」という遊びだ。

デジカメ自体に「スライドショー」の機能がついていて、
しかもBGMを被せられて、
帰りの電車の中で「撮れたて」の写真をプレビューしたら面白いのなんのって・・・・・

それで、キャプチャーで暇な時間に、
その写真をPCに取り込んで、
アドビの「Encore」というソフトで本格的なスライドショーを作った。

BGMには、僕の大好きなABBAを入れた。
だいたい3分強。 そこにツーリング、3タイトルを入れた。
それぞれのタイトル画以外は、チルト、パン、ズームを写真の中でやって「動画もどき」にした。

面白いよ、これ!
このテクニックを使って、写真で「卒業ビデオアルバム」を作る業者がいるのさ。

僕も一回だけ、それっぽいものを作ったことがある。
手間が大変すぎて、懲りた。

そもそも、僕が28才で子供を撮る「ビデオ屋」を目指しだしたのも、
自分の子をビデオで撮って、そこにBGMを被せたら、
滅茶苦茶面白くて、それがヒントになり始めたんだな。

僕の人生のデザインのヒントは、自分の子にあった。

純粋に何か面白いと感じたこと・・・・・・
音楽でも、絵画でも、文章でも、
または、スポーツでも、登山でも、
そうだなぁ、サイクリングでも、
「面白い」と感じるところに、その人の人生を造り上げるチャンスが潜んでいるものだろう。

それを本気で取り組んで、「仕事」にするのには、
命がけで学び、必死に行動をしなければ成就しない。

ここだ。
命がけで学び、必死に行動。

僕が今の商売を立ち上げる時に、自己啓発のセミナーを受けた。
要するに、「命がけで学び、必死に行動する」ということを
「知っている」のではなくてそれを「実行」することを、
そこで学んだ。

それは、
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」で、
子供が夜遊びで享楽癖をつけさせてしまうのとは、まったく逆の「心構え」だ。

もちろん、大学で「必死」に学んで人生の土台を築く子もいる。
しかし、そういう子は、大学で高校の補修をするということは考えにくい。

「見栄え」で子育てをしたらとんでもないことになるさ。

「命がけで学び、必死に行動」できる人に育てることが、
最も重要じゃないかい?

そのためには、子供に「満たされ過ぎ」を与えてはいけないのさ。

「自立」そして「成長」を子供に強く意識させるのさ。

こういう「成長」を20才でできれば、
その後、30才では、30才ならではの「成長」が出来るようになる。
40才では、40才ならではの「成長」が出来るようになる。

こういう風になるように子育てをしようじゃありませんか。
子供がそうして生きていけば、きっとその子は「生きる充実感」をタップリ味わうことができるさ。

これを本気で願い育てるところに「親の本当の愛」があると思うな。


12/12/9(日)朝 キャンプじぃじの日記

一昨日、幼稚園で餅つきがあり、その取材をしていた。
こういう卒業ビデオアルバム用の取材は、
だいたい、15〜20分ぐらい撮影すれば十分に間に合う。

ポイントを狙って少しだけ撮る仕事だ。
それで、インターバルに何をしていたかと言うと・・・・・

まず、セイロ用のカマドが3基、
それとカマドに湯を付け足すためのカマドが1基、
合わせて4基のカマドで火起こしをする。

お手伝いの学生が、たいがい、まったく知らないので、
その後の手順、餅のつぶし方、突き方、返し・・・・
を教える。

最初の一ウスをデモして見せてから、取材に入るのさ。
そして時々、作業の様子を見に行く。

一昨日は、最後のウスの仕上げを突きたくなってやったね。
お手伝いのお母さんの中にも突いてみたいと言う人が出て、
みんなで応援した。

本人は、返しの人に「手を打ったら御免なさい!」と宣言をしていた。
周りに笑いを振りまいていた。
でも、その怪しい突き方は、まんざらウソっぽくなかったな・・・・

この三年間で、さぎ山野営場で薪割りを覚えたので、
特に「木割り矢」を3.5`のハンマーでブチ当てたりしたので、
「餅つき」の杵は、おもちゃだ。

あぁ、面白かった。
発表会の仕事だけでもパニ喰っているのに、
こういう取材も毎日のようにあるんだな。

大変なんだよ。
僕は仕事熱心でしょう・・・誰にも言ってもらえない・・・・
自分で言っちゃおうか。

今日は日曜日だというのに、今日も発表会を撮る。
若いお父さん、
休みだったら、
子供の手を握って、繰り出せ、フィールドへ!!


12/12/8(土)朝 キャンプじぃじの日記

さらに、さらに、忙しい。

どこかで読んで下さっている読者様。

じぃじも生き延びるのに必死です。

これが「生きる」ということですね。

お互いに頑張りましょう。


12/12/7(金)朝 キャンプじぃじの日記

仕事が忙しくて、遊べていないと、ここの書き込みは説教が多くなる。

さらに忙しくなると、無言になる。

お終い。


12/12/6(木)朝 ビデオマンの日記

僕の場合、今の商売を立ち上げようとしていた初期の頃は、
ギャラ仕事で食いつないでいたから、
ごくたまに有名人を撮ることがあった。

その中で一般には知られていなかったけど、
杵屋七蔵という師匠のかばん持ちもしたことがある。
三弦に興味があったのではなく、
ビデオ屋を志すのに「芸界」を知るためだった。

その師匠は、家元制度で血筋はなかったが、
当時の家元と並んで人気があったようだ。

そういうことでほんの少しだけ芸界を覗き込んだ。

芸能界と芸界は、まったく違う世界だ。
テレビタレントと映画俳優の違いと言えば分かりやすいかもね。

そういうことで、歌舞伎も数回だが見た。
歌舞伎では、藤間流、市川流、そして中村流などなどがある。
その中村流の勘三郎さんが亡くなったそうだ。

昨日、銭湯のロビーにあるテレビを見て知った。
そのときに古典舞踊で有名な「親子連獅子」の舞がテレビに映し出されていた。

この舞は、正しく「父親の子育て」がテーマのものだ。
その舞をとおして、どう子育てをするべきか、
先人が舞いに託して伝えてくれている。

その舞は、
父親の獅子が、子育てのために子獅子を谷底に自ら突き落とすことで始まる。
子供に「大変」「苦しい」「辛い」ことを体験させるためだ。

ここの書き込みで散々書いてきたことは、実は、
昔の人が子育てをこうしなさいと伝えてきていることを書き込んでいるんだな。

子獅子は、谷底でもがく。
でもうまく谷底から這い出ることが出来ない。
ふてくされてみたり、いろいろな表情を子獅子が見せる。

そうして「悩みぬいて」しかもそれで「嫌になってもどうにもならない」ということを悟る。
自分の持てる「生命力」で、命がけで壁をよじ登る。
舞では、その谷底の壁が大道具にはないのだが、
そういう景色を連想させてしまうのだから、
古典芸能はすごい。

このシーンは、「子供の自立」とそのプロセスを描いている。

方や、親獅子の方はと言うと、
子獅子の舞に沿って隣でカットバックしている。
自分で子供を谷底に突き落としていながら、心配でしょうがないという舞をする。

これ、僕、良く分かるんだ。
僕も子育てで子供に「ソロキャンプ」をやらさせたのだが、
末っ子は同じ現場に安全対策で出向いていたが、
三番目の子の場合、完全にソロをさせた。

三泊四日だったか、自転車で移動させてソロキャンプを体験させた。
どこをどう過ごすのか、自分で計画を立てて、実行させたことがある。

僕にとってこれがその子を谷底に突き落とす体験になっていた。
本当に心配でたまらない思いをしたさ。

でも考えてみたら、僕自身は、20才のころは関東平野を庭のようにしてサイクリングをしていたんだよね。
その僕が、そんなことで心配になるなんて、自分でへんだと思うね。
親獅子の気持ちがよく分かる。

舞では、子獅子が奇跡的に谷底から這い出ることに成功する。
そのときには、子獅子に長い大人の毛になっていて、
そして、親獅子と共にその祝いの舞になっていく。

素晴らしい。
本当に子育ては、こうでなくてはならない。
子供を甘やかしている今の子育ては、ハッキリと言いたい、間違っている。

僕は、若い内にこの舞を見て、子育ての概念を学んだような気がする。
ここに「自立」をしつこく訴えているのも、この舞の影響だ。

僕は、ビデオ屋を目指していたが、
付随したことで芸界を少しだけ覗き込んだ。

僕自身、そのころ必死で谷底を抜け出すように、
あの手、この手、で修行をしたのさ。
それで今がある。

「金を追って芸を磨かず」とは、安芸に走る芸人のことを指して言う。
長く生き延びられる「ビデオ屋」になるためには、
あらゆる修行が不可欠だ。

「簡単」「気楽」「便利」にビデオ屋を立ち上げようとする人が、
ビデオ屋家業で長く仕事ができた試しがない。
ビデオ屋も芸界同様の「修行」を命がけでしたものが勝つのさ。

当たり前だ、この世界は、ビデオ屋家業は、
「成功報酬」であることを肝に銘じて知るべきさ。

たとえ、会社員であっても、これからもっと厳しくなる日本社会では、
「親子連獅子」をシッカリ見て学んだ父親の子が、
これから堂々と生き延びていくことだろう。

「一生涯安泰」を心にしている怠け者は、
いずれ窮屈な人生を余儀なくしていくものだ。
「アリとキリギリス」でも同じことを伝えているんだよね。

僕には、ハッキリとこれが見えるんだがなぁ・・・・・
気付いてもらいたいよ。

今、幼稚園の発表会を「一人3カメ」という技法で撮っているが、難しい。
修行は、まだまだ続いている。
人生、「一生涯成長」だ。


12/12/5(水)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、テレビを普段まったく見ないから知らなかったけど、
今年の流行語で、
「ワイルド」というフレーズがあったんだって?

さぎ山野営場に行けば、それの本物を体験できるさ。
ただの虚勢ではなく、本当の「ワイルド」なキャンプ体験が出来る。

子供たちに、「野性」を体験させて、
生物体本来の「生き延びようとする力」を身に付けさせたいね。

「生きる力」は、厳しい大自然の環境で鍛えられると思う。
そういう子育てをしてみて、
本当にそうだと思う。

「快適」な生活空間だけで子育てをするのは、
「ヒト」を人工飼育するようなものに感じてしょうがないのさ。

人間だって生物だ。
生物として本来の「生きる様」があると思う。
それの原点をタップリ体験させる・・・・・・

「生きているのが当たり前ではない」
ことを大自然の中で身をもって体験し理解させ、身に付ける・・・・・
子供のうちにシッカリ、
この生きる感覚をよみがえさせることの重要さがあると思うな。

快適すぎる生活だけで成長すると、
「生きているのが当たり前」の感覚で人生を歩むのではないだろうか・・・・・
そんな気がする。

野良猫と飼い猫の違い・・・・・・
家にいる猫は、生まれたときから「ペットフード」だけで育てられたらしく、
それしか食べられなくなってしまっている。

可愛そうに思って、いろいろなもの、刺身や肉など、
を与えようとしても、匂いを嗅ぐだけで食べようとはしない。

やっと、「しらす」と「のり」は、食べられるようになったが、
その「しらす」も最近は食べなくなった。

僕は、昔、カブスカウトの活動をしていたころ、
出来合いの食材を電子レンジで「チン」をした食事しか与えられていないだろうと思える女の子を思い出す。

民宿で、普通の日本食が出たときに(とっても美味しかった)、
その女の子は、どの食品もまったく食べられなかったということがあった。
ビックリ仰天したね。

まるで、僕の家にいる猫そのものではないかい?
「ヒト」も人工飼育でそうなってしまうのさ。
恐ろしいことだよ、「ヒト」を人工飼育するのは。

僕の子は、発達障害を専門家に指摘されたが、
そういう「癖」は、そのままだが、
ともかく今のところ「自立」を果たして社会で生きている。

生物としての「生きる力」に目覚めた結果ではないかと、
僕は、本当に思うんだな。

さぎ山野営場よりもっとワイルドな「雪中キャンプ」もやった。
年中、「親子キャンプ」を体験させた。
テーブルも椅子も、可能な限りキャンプグッズをキャンプ場で竹を使って工作をした。
何年も、何年も、「子供の心を鍛える」ことを目的に「親子キャンプ」を実行した。

なんて言うか、
大自然の「浄化作用」みたいなものが、
子供の心を鍛えてくれる。

そういう感じがするし、
「親子キャンプ」を実践してみて、
真っ直ぐに生きようとし始める効果があったことには間違えないと実感するのさ。

そのままだと「自立」が困難な子が自立をした。
「親子キャンプ」は、僕にとっても辛い体験であったけど、
それだけの効果があったから、とっても嬉しいのさ。

でもどうだろうか・・・・・・
何の障害もなく「自立」できるはずの子を「自立させない」子育てが、
なんて多いのでしょうか。

僕の目には、今の日本の子育てがこう見えているんだよ。

いくら「教育」を金で買って詰め込んでも、
これからもっと、もっと、厳しさを増す日本社会で生き延びていくことが出来ないんじゃないかい?

早く、若いお父さんにこのことに気付いてもらいたいのさ。


12/12/4(火)朝 キャンプじぃじの日記

「豪華」「贅沢」に頼らなくても十分に幸せ・・・・・

「幸せを感じ取る能力」を鍛えられれば、

人生は、充実するさ。


逆に、
自分の「消費」のことで頭がいっぱいだと、
「自分のこと」以外に心を通わすことが出来ない。

そして、不思議なことだが、本人の「心の成長」がみごとに止まる。
結果として「幼稚な大人」になってしまう。
ますます「窮屈」で「欲求不満」の連続の人生を歩むことになってしまうのさ。

どんなに「豪華」「贅沢」でも満足できない不幸な人は、
こういうふうに生きているんだな。


「幸せを感じ取る能力」が鍛えられると、
自分以外のことにも「思い」が起こる。
それだけの「心の余裕」が生まれるのさ。

一番分かりやすいのが、
子供が出来ると親は、その子のことを思うようになるでしょう。
その時に親は、とっても幸せを感じるでしょう。
親は自分以外の「自分の子」を思うようになれる。

こういうことさ。
でもなぜか、子供の成長と共に親の
「見栄」や「欲」がムクムクと大きくなってしまう・・・・・

「自分の子さえよければいい」

結局、こういうのも「自分」のことで頭がいっぱいなのと同じさ。

それで自ら子育てをするのが大変なのか、おっくうなのか、
自分の欲望で心がいっぱいなのか、
「教育」を金で買って他人任せで済ませようとする・・・・・

他人任せで、「子育て」をしたつもりになってしまう・・・・・
学問に興味がない子を、
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」をしてしまう。


幼児期だけではなく、
子供が自立をして社会人になるまで「子育て」があるさ。

子供には、甘やかすことなくタップリ愛情を親が子に示す。

ここで言う「甘やかす」とは、こうだ。

「子供自身が出来るはずのことを親が手を出し、口を出してしまうこと」

例えば、一歳で歩き始めの時に、転んでは起きることを繰り返して
「転ばない」ことを学ぶけど、そのときに歩行器で簡単に歩けるように
してしまうこと。

二歳ぐらいでは、オムツの不快感を親に訴えるということをとおして、
排出の自覚を子供が次第に持ち始めるのに、
「快適」過ぎる紙おむつで、その「不快感」を奪ってしまうこと。

4〜5才では、自分の身の回りのこと、
衣類の着脱、ブラウスのボタンつけ、そんなことが出来るころなのに、
親が服を着させてしまうこと。

小学校高学年からは、「心を鍛える」べき年齢なのに、
「快適」「簡単」「気楽」を浴びさせるようにして生活をすること。

中学生で「簡単」に生きられるように「詰め込み教育」に突っ走って
それでもう大丈夫と教えてしまうこと。

本当は、「実社会で必死に働いて生きていく」ということを
しっかり自覚させなければならない年齢だ。

高校生では、いよいよ「自立をした一人の大人の社会人」を目指せるようにしなければならないのに、
「子供の自立」を無視してしまうこと。

そして、20才は、日本の法律で「大人」なのに、
まるで小学生のように子供を庇護してしまうこと。
これが最もひどい「甘やかし」だ。

そうして甘やかされた子が、後に心のトラブルを起こすリスクが非常に高くなるのさ。

こういうことで、ここ日本では、
うつ病などの心の病気や、ニート、自殺者が多くなってしまったのさ。
つまり「心の成長」が疎かになっているんだ。
先進国病なのかねぇ?

「幸せを感じ取る能力」は、
子供のときから少しずつトレーニングをしていかなければ身に付かないものだ。
どうそれを鍛えるのかというと・・・・・・

適度な「辛いこと」「苦しいこと」「大変なこと」などの実体験で鍛える。

それを子供の「心の成長」に合わせて次第に強く、
「辛いこと」「苦しいこと」「大変なこと」を味あわせる。

その結果として、少しぐらいのことでくじけない強い心に育つのさ。
その「強い心」があるからこそ、
他人への思いやりができる人に育っていく。

その人は、周りの人々にますます感謝される人材へと成長していく。
こういう風に人生ができているのさ。

欲求不満に対する心の強さを「フラストレーション耐性」と言うが、
これが鍛えられるように子供を育てるのが、親の務めだよ。

金を払って他人任せに育てることではないさ。
「自立」がシッカリできていれば、
その子は、そのときに必要な勉強を必死でやるようになれる。
そしてそういう学びは、その子に身に付くものになる。

少なくても僕は、高卒だが、
「自立」ができていたので、その後たくさんのことを「必死で学ぶ」ことをしたさ。

若いお父さん、
「子育て」を必死に学び、実行できるかな?
他人任せの子育ては、これから厳しさが増す日本社会で堂々と生きていけなくなるよ。

「自立」そして、
「フラストレーショ耐性」を鍛える・・・・・・

そう育てれば、子供は子供なりに「必死に学び生きていく」ことができるさ。
すべては、「心の育ち」なのさ。

「自立」と「フラストレーション耐性」は、
子育てを強く意識した「親子キャンプ」で具体的にできるんだよ。
学んでみようか! やってみようか!


12/12/3(月)朝 キャンプじぃじの日記

本気で今の子たちが生きていく時代を考えて欲しい。

「物」の豊かさも、「食べ物」の豊かさも、
「着る物」の豊かさも、
全部、今の日本経済が世界的に強いからある。

本気でこのことを考えて欲しい。

国力は、「経済力」と「軍事力」で決まるらしい。
ある学者は、それに「文化」を付け加えていた。
これが全世界の「常識」らしいよ。

その経済力が中国やインドに抜かれるのは、
どうやら時間の問題ということだ。
今現在の強国・・・・アメリカでさえ中国には神経を尖らせている。

そのアメリカも、将来的にはGDPが世界第三位まで落ちるという。
今の子供たちが生きているうちになるかも知れない。

こういうことを考えて欲しい。
そういう時代を強く生き抜く・・・・・・・

でも、どう?
日本の若者の急激な人口減。
働く気のない若者・・・ニート・・・の増加。

本気でこのことを考えて欲しい。
働く気がないのは、大方「満たされ過ぎ」だからでしょう。
そして、たぶん「生きる条件が多い」のだと思う。

つまり、今の「消費生活」に問題があると思えるのさ。

「物を手に入れることが人生の目的」

ではなくて、

「自分の人生を創っていく喜び」

これを子供たちに身に付くように出来ないだろうか・・・・・・

どんなに「貧乏」でも、そこに自分の「人生の豊かさ」を作り出せる力。

どんな問題にも立ち向かっていく力。

これらが「強い心」ということだ。 虚勢を張ることではないさ。

「根拠の無い自信」のことではないさ。

シッカリ自分の「仕事」を確立し、自立した精神で生きていける。

本気でこのことを考えて欲しい。
今、大企業でも、日本という国が危なくなるような時代では、
いとも簡単に潰れてしまうだろう。

そのときに、「会社の歯車」しか出来なかったら、悲劇だ。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」で、
子供が夜遊びで享楽だけ身に付けてしまったら、
どうなるのかよく考えよう。

それで自立しなかったら、どうなるのか熟孝して欲しい。

ブータン王国は、その点、
小さくて貧乏な国でも日本より、
よっぽども将来を見据えた国家戦略を持っていると思う。
見習うべきことがいっぱいあると思う。

「家族と一緒に過ごせないなんて不幸」と思っているブータン王国の父親に学ぶべきことがあると思う。

「物の豊かさ」だけを追い求めている人生で本当にいいのかどうなのか、
それが本当の「幸せ」なのかどうなのか、
考えて欲しい。
ただの虚勢かも知れないよ。

子供は、父親から「生き方」を学ぶものだ。
これからを生きていく子供たちの「心の育ち」を考えて欲しい。


12/12/2(日)朝 キャンプじぃじの日記

本気で今の子供たちが生きていく時代を考えて欲しい。

日本国内ではなく、

世界を相手に生き延びられるように子供を育てるべきでしょう。

特に男の子は、古今東西、その家族を食べさせていく存在だから、

そのことを良く考えるべきだ。

「英語」ができるというようなことではなく、

たくさんの「教育」を詰め込むのではなく、

「生き延びる」ための「強い心」に育てる。 「強い心」だ。

それで初めて、
自分の人生を創っていく感覚を身に付けさせることができるのさ。

これがこれからの子育てで最も重要なことになるさ。

16才〜20才という「心を鍛えるべき年齢」で、

「快適」癖、「消費」癖、「享楽」癖、

を覚えてしまったら、「人生をデザイン」するために

命がけで学ぶ人に成長できなくなる・・・・このことを覚えて欲しい。

僕が高校生の時代、今から40年前で、すでに三流大学のことを、
「レジャーランド」と呼ばれだしていたのさ。
学問に興味のない子が、
大学で夜遊びにふけって「享楽」癖を身に付けることを指して非難されていた。

今、そういう人材こそが企業のお荷物になって、
リストラの恐怖に怯える人生を送っているのではないだろうか。
人生を甘く見たツケは、必ず本人に回ってくるものだ。

初めから、
若い内から、
「自分を創っていく」ことに命がけで生きていれば、
僕のように、たとえ貧乏でも、
十分に人生に充実感を味わうことが出来る。

こうだ、「物を手に入れるのが目的の人生」ではなく、

「人生の充実感を得られる自分を創っていく」「自分を創る」

こういう子育てをぜひ目指して欲しい。

「普通に育てる」「教育の詰め込み」は、

子供にとって何の意味もなくなるさ。

そうではなく、「子供の個性を引き伸ばす」子育て。

僕の子のように頭が良くなければ、
「体」で勝負できるように育てられる戦略を親が持てるかどうか、

また、子供が音楽好きなら、その個性をどれだけ伸ばすことを親が出来るか、

ウロチョロ動き回る個性なら、
どうその強烈な行動力を有機的に育てることを親が意識し、できるかどうか、

親自身が「子育て」を本気で学べば、
子供の個性に合わせた育て方を編み出せるだろう。

ぜひ、「子育て」と「教育」の位置関係を明確に覚えよう。
「キャンプじぃじの子育て論」
これを良く見て欲しい。

こういう学びをサボった親から、
他人任せの親から、
堂々とこれからを生き延びられる子は、育ちにくい。

「心を強く育てる」
どんな個性でも、これこそをシッカリと育てられるようにして欲しいね。

これからの日本社会では、「命がけ」で学んで働く男が求められるのさ。

そういう子育ては、
「子育てを強く意識した親子キャンプ」で出来るさ、やってみようかすぐに!
今日、子供の手を強く握って、繰り出せ、デイキャンプ!!

親子で北風と戦ってこよう!


12/12/1(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は一日、offっていた。
明日から年末に向かって、納期とのデッドヒートに突入する。

そこで、昨日の内に痛風の薬をもらいに行った後、
サイクリングの仕切りなおしをした。
病院や薬屋さんに行ったので出発が遅かった。

パンクをしたチューブなどと壊れたインフレーターは、
ウッチャリ!
新品を買って自転車に取り付けた。

見沼代用水路コースのショートカットを走る。
極めて順調、問題なし。
サイクリングは、こうでなくっちゃ。

イチョウの木にまだ葉っぱがくっ付いていた。
たいがい11月の中旬には落ちるものなのに、遅い。
そのぐらいかなぁ、思い出すのは。
あまりに順調であっけなく走ってしまった。

ボロアパートに帰っても暇だから、
さぎ山野営場の中で立ち枯れしている「ヒノキ」の細いヤツを4本倒した。
今月予定している「灯篭作り」でのミニ・キャンプファイヤーの薪にしたい。

今からでは乾燥しないだろうけど、
薪を組むときに下のものに使いたい。
大概の薪は、短くて、それだけで組んでもカッコよくないからだ。

久しぶりに斧で薪割りに夢中になった。
「手斧」でやっつけるほどの細さのものも、普通の斧で割った。
結構、難しいよ。

さぎ山野営場では、通称「いぬしで」という木が生い茂っている。
これは、すぐに大きくなるらしく、
日照権を独り占めする。
それでだろうか、「ヒノキ」がノンビリ伸びるものだから、
太陽の日を浴びることができなくて枯れてしまうようだ。

そこら中に「ヒノキ」が立ち枯れをしている。
でも、
枯れていても薪割をすれば、「ヒノキ」の香りがする。
いい香りだ。

ヒノキの香りで「温泉」をイメージするのは、僕だけだろうか・・・・
たぶん、普通の日本人なら大概思い出すだろう・・・・温泉

僕は、そのあと、SCCサイトや、地主さんの趣味の神社、道路、
をブロアーで整備したあと、
誘われるように、見沼天然温泉「小春日和」にウキウキしながら行ったさ。
とっても素直だ。

夜には、ばぁばと銭湯に行くので、体は洗わなかった。
ただひたすら、天然温泉の露天風呂に浸かる。
そのうちに、コックリをこいでいた。

刺身が食べられた時もそうだが、
こうして温泉に浸かって贅沢なひと時を楽しめるなんて、
日本人でよかったなぁ・・・・と思うね。

小一時間は、露天風呂で寝ただどうか、ウッカリのぼせる寸前だった。

ボロアパートに戻って、ストーブに足を放り投げてまた居眠りしたさ。
なんだか、ミカンが食べたくなったが、睡魔に負けた。

ばぁばが帰ってくるまで横になっていた。
昨日の銭湯は、露天風呂が硫黄温泉風の日だった。
ここでもまた温泉気分。

普段の生活の場なのに、十分に温泉旅行をした気分になった。
オッと、
一番最初にサイクリングをして気分も体もリフレッシュしたからこそだ。
ウッカリ自転車のことを忘れていた。

サイクリング、最高!


12/11/30(金)朝 復活サイクリストの日記

子供がいなくなった時点で「仕事のある隠居生活者」になった。

だけど、今年は、春と秋が短すぎだったよな。
ちっともサイクリングができなかった。
おかげで、またお腹の周りにお肉が着きだした、突きだした、感じだ。

それでも、昨日は気温が低くて寒かったけど、
青空で風がなくいい感じのサイクリング日和だったな。

これから、普通のビジネスマンに近い状態で仕事が忙しくなり、
風邪をひくわけにはいかないので、
体力作りに見沼代用水路コースを自転車で走ることにした。

ところが・・・・
僕の人生は、いつも「想定外」だらけ。
そう言えばこのフレーズを流行らせた人は、今頃どうしてんのかねぇ?

走り始めは、冬用の手袋でも指がかじかんだ。
でも、日差しのあるところでは、久しぶりにサイクリングの快感に浸った。
いい感じだ。 古い趣味は本当にいい。
何にも気兼ねが要らない。

しかし、事件はすぐに起こった。
そんなに無茶な走りはしていなかった。
ポタリングをしていた。

しかし、後輪のチューブがバースト。
700cでは、滅多にパンクをしないのについていない。

早々、後輪を外して新品チューブに取替えをする。
タイヤ自体に損傷はない。
タイヤの裏側に異物が刺さってもいない。

バーストしたチューブを見ると、
どうやらリムと何か硬いものに挟まったらしく、
サイド面に二箇所裂けたように穴が開いていた。

まったくついていない。

新品チューブに交換して、
これもまた、たぶん初めて使うインフレーター(携帯ポンプ)で空気を入れる。
僕は、普段、7気圧にして走っているので、
限りなくそれに近付けようと頑張ってポンピングした。

そうしていたら、ナント、ナント!
バルブが折れた!、?、
インフレーターのノズルに折れたバルブがみじめにくっ付いている。

こんなの若い頃からのサイクリング経験で、初めてだ。
生まれて初めて、こんなのを見た。
・・・・・もう二度と見たくない。

こんな「想定外」は、「想定外中の想定外」だ。

今度は、その新品のチューブを取り除いて、
パンクをしたチューブを修理して、それをタイヤに収めた。

初めからパンク直しをすればよかった・・・・でもまさかの出来事だしなぁ・・・・

僕は、ブツブツ言いながらまたインフレーターで空気を入れる。
ナント、ナント、ナント・・・・・
今度は、そのインフレーターの中の弁が壊れてまったく使い物にならなくなった。

インフレーターの弁が壊れるなんて・・・・・
初めて使うものなのに・・・・ひどすぎる!
これも生まれて初めてのことだ〜〜〜。

推定、3気圧程度に空気が入ってはいたので、
そこから一般道に出て、さっさと帰る事にした。
そうしたら、今度は「迷子」。

泣きっ面に蜂、そこにマムシだ!

700cは、タイヤが細い。
だから最低でも、5気圧以上空気を入れないと、すぐタイヤが潰れて、
リムでチューブを切ってしまう。
このトラブルの最初のように・・・・・
ちゃんと走る前に空気を入れたんだがなぁ・・・・・

しかも、本来パンパンに空気が入っているので小石など刺さらずに、
はじき飛ばしてパンクしにくくなるというものだ。

推定3気圧では、いつまた異物を踏んでパンクをするか分からない。
いつものコースを走っていたのに、
なんて心細いことだっただろうか。

もし、万が一、またパンクをしたら・・・・
一日をかけて歩いて車まで戻る。
タイヤ、チューブ、リム、を犠牲にして、パンクをしたまま走り続ける・・・・・

そんな非常事態を「想定」して走った。
結局、迷子になって結構な距離を走って、なんとか車まで無事戻れたさ。

歳の割りに、若くて未熟な人生を楽しんださ、トホホホ・・・


12/11/29(木)朝 ビデオマンの日記

「大きくなったら何になりたいの?」というインタビューは、
3件撮った。

これから冬の発表会のシーズンだ。
毎年の事ながら、年内納期との戦いが始まる。

さて、これからの日本がどうなるのか、
子供たちの生きていく道しるべを考え出したら止まらない。

「made in Japan」の製品が普段の生活からどんどん少なくなっていくこの事実を直視してみよう。

衣食住という生命に直接関わるものでは・・・・・

着る物は、そうとうのものが中国製だろうと思えるし、
食べ物は、自国自給率の低さが指摘されて久しい。
住宅用の木材は、かなりの量が輸入材だと聞く。

そして、一番怖いのがエネルギー、
ほとんど輸入に頼っている。

そういう中、トヨタのプリウスが良く売れているな。
「車」としての「性能」ではなく、
「エコ」という付加価値が世界中で認められた。

僕は、ここだと思う、日本のこれからの「物作り」はね。
これをビデオ屋に応用すると、

「画質」という「性能」だけではなく、
「どう面白いのか」という付加価値の高い仕事を目指すのが世の中の方向に合致するだろう。

そういうことで僕は、発表会を数年前から「一人3カメ」で撮り始めた。
保護者が一台のカメラで撮るものと、
明らかにその違いが分かる。

「卒業ビデオアルバム」と「お泊まり保育」は、
商品開発の時点から「編集精度」にこだわってきた。

僕は、よく素人さんにこう言う。
僕が作ったものは、
「特殊効果」を使わずに、何のストレスも感じないまま、
映像の世界に見る人が溶け込んでいけるようにしています、と宣伝する。

それは、映画製作手法を取り入れているから出来る。
詳しくは、このHPの別項を参照して欲しい。

どう「付加価値」を創出できるのか・・・・・
大げさだけど、これからの日本の「商売」でも生き残りのキーワードになるさ。

そういう風に考えると、
今一番ヒットした「スマホ」は、本来 SONY が初めに作るべきだった。
大企業になり、昔の SONY らしさがなくなってしまった。

「一生涯安泰」組の社員が多くなったからだろうか・・・・・
自分の「首」を掛けた商品開発ができないでいる。

ここだ、「一生涯安泰」の社員が増えた・・・・・

僕の仕事は、「能力主義」よりもっと厳しい世界だ。

「成功報酬」

これが僕の仕事の本質だ。

ボクサーの「ファイティング・マネー」に近い。

もう30年近くこの「成功報酬」の世界で生きてきて、
「一生涯安泰」だなんて・・・・
なんてトボケた人生観なんでしょうか、と思ってしまうのさ。

これからの子供たちに伝えたいね。
「ジャンパン・ドリーム」ができる素敵な国に住んでるんだよ。

自分をシッカリと見つめて、自分を創っていこう!
命がけで学んで、実行して、自分をデザインしていこう!
「消費」で喜んでいたんじゃ、できないよな、「自分作り」。

「消費」ではなく、目指せ「成長」!

そのためには、少なくても20才では、
「自立をした一人の大人の社会人」になるべきだよ。
幼稚な大人では、人生を開拓できないさ。

「赤信号、皆で渡れば怖くない」という日本人は生き延びることが出来ないぞ。
「自立」だ。
まずは、「自立」から始まる。


12/11/28(水)朝 キャンプじぃじの日記

「伸び続ける子が育つ お母さんの習慣」

高濱 正伸 著  青春出版社 刊 1300円+税

「伸びる子・できる子の親の日常」

金盛 浦子 著  さくら舎 刊 1300円税別

この二冊の本の表題で分かるとおり、
子供の「育ち」は、親次第なんだな。

他人任せで子供に、いくら一流の教育を受けさせても、
子供の「心」は決して強く育たない。

僕の言い方はきついけど、
似たようなことが書いてある。

これからの日本の社会を生き抜くためには、
「強い心」が必須になるのさ。
厳しさがドンドン増す社会情勢で生き延びられるのは、
「心が強く育った子」だということが分からないかな?

「知識の詰め込み」教育をして、
少しでもいい大学へ、そして「一生涯安泰」の大きい会社に就職できるのか・・・・

確かにバブル経済のころは、
それがうまくいったようにも見えたことがあったけど、
今や、そういう人材こそがリストラの嵐に合いやすいのでしょう。

ここを良く考えて欲しいんだ。

「一生涯成長」

両著のキーワードは「伸びる」だ。
つまり「成長」なわけさ。

親が成長しなければ、子はそれを真似っこするのさ。
親が成長すれば、子はそれを真根っこする。

表現は違うにしろ、どちらの本にもこれが共通しているよ。

親の「成長」とは、「子育てを学ぶ」ということさ。

どちらの著作にも「発達障害」についての考察がないのが残念だけど、

若いお父さん、
ぜひ、この二冊を読んで「子育て」を学んで欲しいね。

結構、ここの書き込みに共通しているものがあるよ。
僕は、高卒で学問がないから、本を書かないけど、
その分、
「親子で工作」という活動をとおして、
父親に子育ての「勘所」を実際の体験で感じ取ってもらえるようにしている。

次に予定しているものは、

12月16日(日) 「親子で灯篭作りに挑戦」

やる気のあるパパ!
さいたま市まで車で移動できる方なら、どなたでも参加できます!

日中、灯篭を作って、夕方4時半にその灯篭が並べてある道を歩き、
キャンプファイヤー会場まで行きます。
そして、そこでミニキャンプファイヤーと紙芝居を楽しみます。

灯篭は、行きには自分の名前が書いてあり、
帰りには、自分の夢が見えるようにします。
ファンタスティックでしょう。

夕方5時半には、現場解散です。
夕食で家族みんなで、
この体験話で盛り上がって欲しいという企画です。

ご希望の方は、メールをくださいね。


12/11/27(火)朝 キャンプじぃじの日記

ここで、子供たちのこれからの「生き延び方」を考えている内に、
少しずつだが、僕の中にまとまりつつある。

まず、社会背景を考えよう。
「バブル経済」は、もうここ日本では起こらない。
これが大前提だ。

そしてもうすでに「年功序列」ではなく「能力主義」になっている。

しかし、心のどこかでまだ「バブル経済」と「年功序列」から抜け出せていない。
だから「一生涯安泰」に親も子も殺到するのだろう。
問題なのは、この「意識」だろうと思うようになった。

子育ての意識が古いまま・・・・

ここに注目をしてみた。
こういう古い意識だからこそ、

「普通に大学さえ出せば子育てをしたつもり」になってしまうのだろう。
「高校」が事実上ほぼ全員が行くようになって、
それの延長線上に「大学」を考えるようになった。

また、大学も乱立をして希望者は全員どこかに入れるだけのキャパになった。
それで、「みんな行くから大学に通わせる」という無目的の親が増えた。

しかし、子供はそこで夜遊びをして享楽を覚えてしまう。
学問に興味のない子ほど、これがひどいだろうことは想像に難しくない。

子供の意識に「何かのプロになる」というものがないでしょう。
そして、遊び癖がついて、いざ就職しようとすると、
そこは「能力主義」という現実社会で、子供が右往左往してしまう。
こういうことではないのかね?

もちろん、大学で真剣に学び、人生の基礎を作り上げる賢い子はいる。

しかし、今やそういう志のある子は、極めて少数派のような気がする。
大学で高校の補習をする・・・・・
これの実在が僕のこの思いに至らさせるのさ。

それで、これは僕の実践でもあるけど、

中学生では、実社会−−−「能力主義」で働いて生き延びることを強く意識させる必要がある、と思うようになった。

高校生では、大学には行かずに何かの「プロ」を目指すという選択肢をしっかり持つためにも、
「自立をした一人の大人の社会人」を強く意識させる必要があると考えるようになった。

この人生の目標を持つことで、
16才〜20才で、心をシッカリ鍛えなければならないこの時期に、
何らかの「大変」「苦しい」「辛い」という人生のトレーニングに欠かせないことを元気良く乗り越えるのでしょう。

ここだ、人生をこれから作っていく上で、
欠かせない心のトレーニング・・・・・・・・
なんらかの「大変」「苦しい」「辛い」体験。

子供本人に「目的意識」がなければ実行できない。

僕の子は、頭が良くなかったので「体力」で「生き延びる」という戦略をとって育てた。
また僕自身、高校を卒業して18才で自立を果たし、
「自分の責任で、自分の思った通りの自由」を味わって生きてきた。
それで選択肢に、「みんなそうだから」という気持ちは起こらない。

ここだ、「みんなそうだから」という自主性の欠けた気持ち、
これが「一生涯安泰」に殺到したがることにつながっている。
そういう人生観の子こそが、これから非常に生きにくくなってしまう。

僕には、このことがハッキリと分かるんだがなぁ・・・・

「知識」「暗記」が得意な子は、遺伝的要素がある。
しかし、この「知識」「暗記」だけでは、決して堂々と現実社会を生きていくことは出来ない。
ペーパーテストで喜んでいたら、
落とし穴に落ちるのは、ハッキリしているのだが・・・・・

「人生を工夫する力」「人生をデザインする力」
そういう「ソフト力」が、
これこそが「生きる力」となり、自分の人生を開拓していけるのさ。

まだまとめきれないものがあるけど、
大雑把には、こういうことだろうと考えるようになった。

若いお父さんは、どう思う?

それでも「普通に」かい?


12/11/26(月)朝 キャンプじぃじの日記

「親子で工作」のボランティア活動は、
もう7〜8年以上続けてきた。

その時に古い友人がコック長を勤めてきた。
手打ちのうどん、そばもやった。
香辛料から作るカレーもやった。
アイディア、調理は、全部その古い友人がしてきた。

しかし、ヤツは最近、隣町に引越しをして活動に来なくなった。
そこで、僕は自分自身で「調理」を覚えることにしたのさ。
必要に迫られてのことだ。

この間の「芋煮会」は、僕の「調理デビュー」だったんだな。

指を怪我しながらの「必死」の挑戦だったのさ。
笑わないでくれる・・・・

「必要に迫られて必死に覚える」

こういう状態の時に本当の「成長」が起こるものだ。
僕は、高卒で学問がないけど、
社会人になって、

「営業」を初めに学んで、
そこの会社で「仕事の段取り」を覚えた。

また遊びだけど、スキーやキャンプを散々やって、
「企画力」が身に付いた。

ボーイスカウトのリーダーを務めることで「子育て」を学んだ。
今の商売では、たくさんのことを学んだ。
このHPの別項「卒業ビデオアルバム制作」に書き込んだどおりだ。

さぎ山野営場を借りられるようになって、
「山仕事」を覚えた。
草刈、チェーンソー、木割り矢、斧・・・・
それらのメンテ。

そして、今、調理を勉強中なのさ。

人と比べてどれだけ「知っている」のかという受験にしか使えない「勉強」とは違うものだ。
そこには常に「実践」が伴っている。
そして、こういう体験が伴う「学び」こそが、
大人への「成長」につながっていくものだ。

さて、若いお父さん、
これからの日本の時代を、どう子供が生き延びていけるのか、
今日、深く考えてみようか。

そして、そのためにはどうしたらいいのか、実践しよう。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」
で子供が夜遊びで享楽を覚えてしまっては、堂々と生きていくことができなくなるよ。

中国やインドに抜かれるのは、もう、時間の問題でしょう。
世界経済の中で、日本が後退していくことを考えて、
子供に「必死に生きる」力を身に付けさせられるかどうか、
よく考えてみて欲しい。

本当に自分の子を愛しているのなら、
これは切実な問題になるはずだ。

子供の心を鍛えよう!


12/11/25(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

昔、カブスカウトの活動を夢中になってやっていたことがあるけど、
それを思い出すような面白さだった、昨日は。

そもそも僕の古い友人が「さといも」を手に入れたので、
それで「芋煮会」をしようというのが始まりだった。

まったく別件で、ボーイスカウトの方で、
さぎ山野営場を整備するという活動がそれに重なった。

さらに、12月に予定している「灯篭作り」の活動の打ち合わせをするために、
さぎ山野営場の近所で塾をしている方も「芋煮会」に誘った。

まったく異なるグループが一同に集まった。
それで、僕は、「芋煮会」の準備と調理を請け負った。

さぎ山野営場に着いたのが朝の9時。
それから、調理場などのセッティングから始めて3時間後の12時には、
食べられるようにしなければならなかった。

いかにすべての作業を早くできるか・・・・・・

そこで「さといも」の皮むきをナイフでやるのではなく、
一度蒸して皮を柔らかくして手でむくことにした。

ズンドウ鍋に、ザルを逆さまに置き、そこにザルが少し出るぐらいまでに水を張る。
そして、別のザルに「さといも」を入れ、
それを逆さまのザルの上に置いた。

2バーナーにズンドウ鍋を置いて加熱。
これで、芋を蒸した。
作戦は成功で、蒸された芋の皮は、面白いようにむけた。

ただ、ところどころ皮がむけない所があった。
それで、キャンプ用の折りたたみの包丁でそこを切り落とした。

いくつか、そういうところが出てきて、
面倒だから、包丁を振りかざして「エィッ」とばかりやっつけた。
そうこうしている内に、その折りたたみの包丁のロックが外れて、
それの歯が僕の人差し指と中指を目掛けて「折れたたみ」をした。

前日の夜に、その包丁を料理教室で習ったとおりに、
最高レベルで研いであった。

気持ちいぐらいに僕の指は、「スパッ」と切れたね。
もうチョッとで、人差し指の骨まで切るところだった。

バンドエイドの「キズパワーパッド」の大き目のもので、
そこを被い、さらに100均で買った、コンドームのように薄いゴムの指サックで保護した。

止血できないままでも、
これでとりあえずの応急処置をした。
サックの先に血が溜まってプックリと膨らんだが、
空気に触れていないので固まることはなかった。

そのまま作業を続行する事ができたさ。

コッヘルに水を張って、昆布を入れて戻した。
そして、30分以上経ってから、火にかけて、昆布を取り除き、
そこにかつを節を入れて、すぐ火を落とし、ダシを作った。

それは、3g作った。
今度は、焚き火にある大鍋にそのダシを入れた後、
食材を放り込んで、砂糖、酒、みりん、を入れる。
計量スプーンなんて使わない。

「いい加減」で、丁度いい加減にする。

味見をしながら、醤油を加えて、最後に塩で締めくくった。
ね、僕が最近料理教室に通いだした理由が分かるでしょう。

こうして僕は、生まれて初めて10人前の「芋煮」を作ったのさ。

昨日は、調理だけではないさ。
まず、スカウトたちに整備の手順を教えて、
教えながら、こう僕は、言った。

「いいか、この道路のところの整備は、我々のキャンプに関係がない。
 しかし、ここを綺麗にするのは、地主さんの願いだ。
 これからも気持ちよくキャンプ場を借りる上で、
 ここの整備は、非常に重要なわけだ。
 それだけではない。
 ここを綺麗にする事で、この近所にいる方々にも気持ちよくして
 もらう狙いがある。
 借り初めのころ、ここでキャンプをする事に反対する人たちがいた。
 でも、ここを綺麗にし続けることで、
 今では、逆に通行人に感謝されるようになったのさ。
 分かるか?
 自分の遊びに関係ないということではなくて、
 いろいろな人たちに好感をもってもらうために、重要な整備だ。
 そういう気持ちで張り切って作業をするように。」

思い出すなぁ・・・・・
こうして子供の心を育てていくのは、快感そのものだ。
これが「体験教育」の真髄さ。
子供たちに「志」を持たせたのさ。

さらに、昨日は、その塾の先生と12月の「灯篭作り」の打ち合わせをし、
僕の活動の趣旨・・・
・・・・父親に子育ての勘所を体験させてその面白さを伝える・・・
「父性教育の重要性を訴える」ということもしたのさ。

盛りだくさんのことをしたさ。

昨日は、予定通り、午後4時には、僕のサイトの撤収が終わり、
スカウトたちの整備も終了をした。

そこに一人のママが四人の女の子を連れてやって来た。
どうやら、塾の先生に聞いて「芋煮」を目掛けて来たようだった。
まったく想定外の出来事。

その子供の中に、前回の「カレーパーティ」の活動に参加をして、
そのノリでやってきたらしい。
その子たちは、僕の活動をとっても楽しみにしてくれている様子だ。

そこで、12月の「灯篭作り」には、ぜひ来てねと伝えた上で、
特別にお正月にも何か企画を立てようと約束をした。

子供がこうしてノリノリになってくれるのは、とっても嬉しい。
昔のカブスカウトたちを思い出す。
それをまた再現できそうだ。

そういうことで、こっちの方が、楽しみでしょうがないさ。
自分の子がいなくてもこれで大丈夫。
寂しくなんてないさ。
「豊かな人生」ってこういうものなんだな。
心がワクワクするんだ、この歳でも。


12/11/24(土)朝 キャンプじぃじの日記

これからの日本社会は、どうなると思う?
政治家は、「夢」も描けていないような気がするね。

今までは、「優秀な製品」を作って売ることで日本が成り立っていた。
でも、もうすでに「made in Japan」の製品は、
僕の生活の中でどんどん少なくなっている。

まだ、
その基幹部品は「made in Japan」らしいが、
これも時間の問題のような気がするけど、どう?

こういう大きな変化をよく考えようか。
早くこのことに気付いた方がいいよね。
自分の子の時代がどういうものになりそうなのか・・・・・

それに合わせて「子育て」を考えてみよう。

「物」は、「快適」「簡単」「気楽」「便利」を実現した。
しかし、
その反面、
「消費は一流、働きぶりは三流か、しない」人が増えたでしょう。
「一生涯安泰」に殺到する「仕事の感覚」でしょう。

「命がけで働く」ことが「不幸」の象徴になったのだろうか?
たぶんそうではなく、
「命がけ」がじんま疹が出るほどに嫌なことになった・・・・・

「快適」の中で生活をし続ければ「命がけ」が出来なくなるのは、
簡単に想像できるでしょう。

「享楽」に溺れた生き方を「幸せ」と感じてしまいやすいことが、
簡単に想像できないかな?

「命がけ」で働く後進国に抜かれるのは、時間の問題、
そう僕には思えるんだけどね。
そうなったら、「日本製」の必要が世界中からなくなる。

日本国の倒産・・・・・・

東洋のエジプト・・・・・

大学がいいかどうかという話ではない。
そこで夜遊びをして子供が「享楽」を覚えて、
普段の生活では「快適」という環境に問題がある。

非常に問題がある。

そして、その快適なまま、稼いだ月給は全部お小遣い。

そうしているうちに、もうおばさんなのに自分のことを「女子」と呼ぶようになる。

男の子だったら、30才になっても自分の生涯の仕事が確立できない。

僕は、これが多いと感じるなぁ。

とっても幼い。

今日は、ベンチャー・スカウトが、さぎ山野営場を整備しに来るらしい。
この子達に多いに「働く」ことをさせたい。
汗をかいて労働をさせたい。
きつい肉体労働を体験させたい。

「快適」ではなくても元気良く生きられるようにさせたい。

その子たちに、
その後のご褒美に僕は、「芋煮鍋」をこれから作るのさ。

料理教室に通っている僕の「ウデ」をみんな過大評価して期待をしている。
そこの先生まで結果報告を要求している。
プレッシャーだな・・・・・どうなることやら・・・

僕は、生き方に「成長」を求め続けてきたのだけど、
それで面白い人生になったのさ、貧乏だけどね。


12/11/23(金)朝 キャンプじぃじの日記

さぎ山野営場に「竹ハウス」という竹と市販のシートで組み上げた大型テントが常設してある。
この間、もう二年以上建ちっぱなしで老朽化したものを、
ベンチャー・スカウトたちが新品で建て直してくれた。

この「竹ハウス」は、
最近では、BSのリーダたちが本部として使うようになってきた。

そこで、一昨日に、そこにハンガーかけを設置した。
工作物での「物干し」の小さいものだ。

そして昨日は、落ちていた枝で、「ハンガー」を10ヶ作った。
枝分かれしているところを逆さまにして、それを「フック」に見立て、
シュロ縄でそれと長さ25センチの真っ直ぐな小枝を結びつけて作った。
結び目をきつくするので、指が痛くなった。

さらに、
BSの隊長が「組み立て式」の椅子を手に入れたということで、
サンプルで一つ、貰った。

正真正銘の「組み立て式」だ。
セットは、角材とネジるいの材料と「組み立て説明図」ではなく、
「設計図」が入っていた。

どこかの学生の「工作訓練」用のものらしい。
設計図によると、折りたたみにならないものだ。

そもそも材料だけのセットなのだから、
それを無視して、まったく違う構造の「折りたたみ」の椅子を作ることにした。

普段、道満グリーンパークでの「親子で工作」で使っているハンドドリルでボルトの穴を空けた。
11.5φのドリルの歯をそのハンドドリルに取り付けたら、
それが悲鳴を上げたね。
ギャーの歯飛びを起こすようになってしまった。

一度、歯飛びを起こすと、ハンドドリルの寿命だ。
これで、これ、二個目。
とりあえず、ごまかし、ごまかし、使った。

昨日は、午前中取材をこなしたあと、
ラーメンをかっこんで、
午後すぐから工作に取り掛かったが、
「ハンガー」と「折りたたみの椅子」が完成した頃には、
外が真っ暗になってしまったさ。

それで、この「折りたたみの椅子」の材料は、
ナント、40脚分あるんだそうだ・・・・・・

隊長は、「少しずつ作っていけば大丈夫」とか、なんとか、言って、
暗に、僕にほぼ全部を作らせるつもりらしい。

とりあえず、昨日作ったものをプロトタイプということで隊長に見せて、
それでよければ「大量生産」するハメになりそうだ。

僕は、サラリーマンのころから、なぜか「内職仕事」が多い。
その頃は、「営業職」だったのだが、
結局、納期が迫ってきて、広告物の最後の仕上げを家にもって帰って、
近所のおばさんたちをかき集めて徹夜で「内職」をやった。

それで、間に合うはずのない仕事を、
自分で言うのもなんだが、間に合わせてカッコいい仕事をしたものだ。
それで歳の割には、高給取りだったのさ。
でも会社からのその月給というギャラは、スキーで全部使っちまった。

僕の今の仕事は、営業から撮影、編集、パッケージ、納品集金、
までと全部の行程をこなすから、
当然のことながら、そこに「内職」がある。

でもなぜ、「遊び」でもこうして「内職」がつきまとうのかねぇ・・・・・
さぎ山野営場の整備だってそうだ。

それも今度は、「折りたたみの椅子」を、
40脚も作るハメになりそうとは・・・・・・

それで思い出したが、
今日は、スカウトたちが、さぎ山野営場整備をすると言うので、
落ち葉をそのままにわざわざしたのだが、
天気予報では、「雨」だ。

スカウトたちは、本当にそれをやってくれるのかねぇ?
頼むから、やっておくれ!
お願いだから・・・・・・やって!

正直に言って、僕の「遊び」は、「労働」になってるんだよ。
ブロアーと熊手を持って・・・・労働でしょう。
立ち枯れした木をチェーンソーで倒して・・・・・労働。
木割り矢と斧で薪割をして・・・・労働だ。

面白いけどね。
変な人生だと自分で思うさ。
労働が遊びだなんてね。

子供がいないから暇なんだよ。


12/11/22(木)朝 ビデオマンの日記

今年度の卒業ビデオアルバムの子供たちへのインタビュー、
「大きくなったら何になりたいの?」は、
先週、その一件目を撮って、それのチェック用DVDを送った。

そして、
来週の月曜日にそれの撮り足しをする段取りだ。
それで、今日は、その二件目を撮る。

春の遠足、夏のお泊まり保育、秋の遠足、運動会、冬の発表会、
そしてこのインタビュー。
僕と同じような「卒業ビデオアルバム」を制作する業者が少ないけどあるようだ。
でも大概、撮るのは、年間の行事だけらしい。

僕は、これの商品開発初期から、
それら「行事」に対してのカットバックとして、
園生活の普段の様子を重視してきた。

実は、本当は、この普段の様子の方が子供の成長を見るのには、重要だ。
そこにそこの園のカラーがハッキリ出る。
よく観察をすると、
同じ園でもクラスによって担任の先生のカラーが反映されているのが分かる。

子供は、どういう大人に接しているのかで、
個性が出来上がっていく様子が良く分かるのさ。

でも幼児期には、まだその個性は確定しない。
子供の個性がほぼ出来上がるのは、小学校四年生あたりだ。

自分の子を見ていて、本当にそう思うし、
子供の心理の本にもだいたい同じことが書いてある。

子供の個性は、遺伝的要素と、
子供が出合った大人の「真根っこ」で出来上がっていくのさ。
僕は、この仕事を通して、ハッキリとこのことが分かる。

だからこそ、若いお父さんに訴えているのさ。
子供の「心」にこの世で最も影響を受けるのは、「親」だということをね。

親が小心者であれば、子供もそうなりやすいし、
親が怠け者であれば、ヤッパリそうなりやすい。
親が物に執着した生き方をすれば、子供もそうなりやすい。
親が見栄っ張りであれば、子もそうなりやすい。

反対に、
親が、これからの日本社会を見据えて、
どう子供が生きていけるのか真剣に考える人なら、
子供は、自分の人生を戦略的に思考できる様になるだろう。

とくに、子供が人生を戦略的に考える力は、父親次第だ。

余談だが、日本の政治家は、この「戦略的に考える」ことが苦手だ。
日本人の特徴をよく現している。
これじゃ、これからもっと、もっと厳しい日本社会になるのに生き延びられないんじゃないのかね。
とっても心配だ。

「普通に大学さえ出せば子育てをしたつもり」という気持ちの父親だと、
子供は、自分の能力を最大限に出して生きるといった大変なことは避けてしまう。
子供が、「簡単にうまくいくこと」ばかりを追い回しやすくなるのさ。

そうでしょう、父親が「簡単に子育て」をしてしまうことを真根っこするのさ。
父親が「子育て」を学ばない分、子供も学ばないものだね。

父親が「人生を戦力的に考える」ことが出来るように成長することが子育てで不可欠だよね。

子供が高校生になって「自立をした一人の大人の社会人」を強く意識できるように
父親が家庭教育できていれば、
子供は、必死に自分の人生を考え、実行をするようになる。
そして、子供は、その時に必要な「勉強」を死にもの狂いでするようになる。

「自立」と「自主性」は、切っても切れない関係だ。

父親が、「子供が自分の力で人生を考え実行をする」ように仕向けるのには、
途方もなく大変な努力を要するが、
そう仕向けることが出来てしまえば、
その後は、子供本人が必死に生き始めるので、とっても楽チンなものだ。

本当に楽チンだ。
僕の子は、まったく親に見向きもしなくなった・・・・・
まぁ、ちょっと寂しいけど、
子供が自ら自分の人生を作っているのかと思うと嬉しいさ。
今頃、何をしてんのか、サッパリ知らないけどね。

父親が本物の「オヤジ」に成長した分、子が育つ。

間違えなくそうだ。

父親なりの子が育つ。


12/11/21(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、午前中仕事をした後、
午後には、見沼代用水路コースのショートカットを自転車で走った。

今年は、葉っぱが落ちるのが遅い。
サイクリングコースにやっとさくらの葉っぱが落ちだした。
これから、この落ち葉との戦いになる。

自転車に乗った後、
さぎ山野営場の道路とSCCのサイトだけを整備した。

予定だと、今度の金曜日にスカウトたちがさぎ山野営場を整備する事になっている。
だから、落ち葉をわざわざ残している。
しかし、天気予報では雨だ。

SCCの「芋に会」は、そういうことで次の日の土曜日に延期したが、
BSのさぎ山野営場整備は、
予定通りに行うと言う。

万一、朝から雨が降って、整備してくれなかったら、
どうなるのだろうか・・・・・・

ひぇ〜〜〜。
溜まりに溜まった落ち葉は・・・・・
一体、誰が・・・・・・・

そんな恐ろしいことを考えるのは止めよう。
今日は、BSが活動しやすくするのと、
土曜日の「芋に会」の準備で、さぎ山野営場に入る。

枝で「ハンガー」を作るのに、材料を切り出したい。
ついでに、竹ハウス内に「ハンガーかけ」を設置する。

自営業は、生きている限り稼がないと生きられない厳しさがある面、
リストラには縁がない平和な人生がこうして楽しめる。

もっと僕のように「自営業」を若者が目指せばいいだろうになぁ。
「ナントか屋」
自分の手で、自らの力で、人生を作っていく面白さを満喫できるんだがなぁ・・・・・

気楽ではなくなった会社員か。
あんまりメリットがないように僕は思うな。

リストラは回避できても、
定年退職で仕事がなくなるなんて、気の毒に思うよ。
もっと人生には、選択肢があるのにね。

「一生涯安泰」なんてみみっちい生き方ではなくて、
「一生涯成長」のダイナミックな人生が作れるんだがなぁ。

自分の責任を使って生きるのは、刺激的で面白いさ。
一歩、間違ったら喰っていけなくなる緊張感がある。
これが刺激的なのさ。 野生的で面白い。
サビの効いた人生さ。

そう言えば、「サビ抜き」でないと寿司が食べられない若い人がいるな。
食生活に「生き方」が反映するんだろうかねぇ。
強い刺激は、一切がNGな人。 やわな人。

「快適」の末の弱々しい心の人。

実社会では、仕事でいくらでも「いじめ」があるものだ。
そういう若い人は、生きていけるのかね?
そういう人が、すぐいじけてしまうんだろうなぁ、きっと。
簡単にふてくされてしまうんだろうなぁ。

ところで、
政治家が「安泰」を求めて疾走するなんてねぇ・・・・・・
まぁ、今の日本人らしいけど・・・・・
日本人の代表らしいけど・・・・・
保身に走る政治家に反省してもらいたいね。

「一生涯安泰」をみんなでしたらどうなってしまうのだろうかねぇ・・・・
世も末、じゃないかい?
このままじゃ、日本がやばいよな。

なんとか、これからの時代を堂々と生き抜く人を育てるべきだよね。
そのためには、若いお父さんに奮起してもらわないとね。
きっとまだ古典的な日本男子がいると思うさ。

自分の消費で頭がいっぱいではなくてさ、
実行力、行動力のある男。 いるはずだ。


12/11/20(火)朝 キャンプじぃじの日記

なんでも日本の車産業の半分は、海外で生産をしているそうだ。
最新のデジカメも「MADE IN CHINA」

基幹部品は、まだ日本製らしいが、
パソコンのかなりの製品は、台湾製だ。

山仕事で使う手袋で、最近、フィット感最高のものを買ったが、
今までのものより価格が三倍もする。

この手袋には、「North Carolina U.S.A」と書かれてある。
しかし、「MADE IN CHINA」だ。

これは古い友人に聞いた話しだが、
アメリカの軍服も「MADE IN CHINA」があったそうで、
それに気付いた高官が激怒したとか・・・・

「産業の空洞化」

これは、もう止まることのない世界経済の中での日本の流れだ。
こういう背景で日本の「仕事」がどうなっていくのか、
若いお父さん、
よく考えて欲しい。

ともかく子供を「一生涯安泰」という怠け心に育てたら、
最悪の事態になるということに気付いて欲しい。

精神的に「年功序列」という古い慣習がまだ残っているけど、
もうとっくに「能力主義」になっているという事実に早く気付いて欲しい。

「働く実力」が問われているのに、

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」

では、このあと20年、30年、と経ったときにどうなるのか考えて欲しい。

28年前、僕が28才の時に脱サラをしたが、
こういう風に考えていた。

これからは、「ハード」ではなく「ソフト」の時代になる。
当時それは、コンピューターのソフトを指していたが、
とても僕には、それは無理な話だった。

でも「ソフト」の本質には、まだいろいろある。
「ソフト・ウエアー」を調べたら、「応用技術」とか「利用技術」と訳されていた。

僕は、スキーが大好きで新潟県の「浦佐スキー場」に何回も通った。
そこは、標高700bぐらいの山だ。
スキー教室の先生がこう言っていた。

「ここは、2月のトップシーズンでも雨が降る。
ハード的に最低のスキー場だが、
ソフト面で最高のスキー場を目指す。」

そこは、
西の八方か東の浦佐か、
と言われるほど「スキー教室」では、名高いスキー場だった。

僕に出来る「ソフト」の仕事は、どういうものか・・・・
こういう風に考えて脱サラをしたんだよ。

スキーが大好きで、仲間をビデオで撮るためにカメラを買った。
ボーナス全部を使って買った。
当時、VHSの普及率が25%ぐらい。
その25%のさらに数%ほどの人が家庭用ビデオカメラを買っていたという時代だ。

それで、たまたま僕の次男坊をビデオで撮って、
それをスロー再生してBGMを被せた。
もう、病気なったように毎日会社から帰って、それを見た。

そのときに僕は、「自分の子供」が写ったビデオの魅力に気付いたのさ。
それでこう考えた。
テレビ放送という「マスメディア」ではなく、
「自分の子供」というパーソナルなビデオ映像がこれから爆発的に増えるだろう。

当然のことながら、それのサービスが仕事で成り立つはずだ。
しかもこれは「ソフト」だ。

こういう設計図だったんだよ、僕の初期の今の仕事はね。
ただの「趣味」から始めたわけではないんだ。

そこでこう明文化をしたのさ。
「子供をビデオで撮って売る商売」を目指す。

手書きのポスターを作って、壁に貼り付けたさ。
それは、今でもそこに張り付いている。
「志」を目に見えるようにした。

それで、その仕事が幼稚園にあるということに気付くまで
何年もかかったが、
その仕事が「卒業ビデオアルバム制作」にまでたどり着くのに、
何年も、何年も、かかったが、
今、それで生計を立てることが出来た。

「ソフト・ウエアー」を追求し続けたのさ。

それで、若いお父さんに訴えたいのさ。
これからの子供たちの時代は、
もっとこの「ソフト・ウエアー」で勝負をしていかねばならないとね。

だけど、こういう「ソフト・ウエアー」の仕事は、「技術」だから簡単にはできない。
それを子供にマスターさせるためには、
「命がけの修行」が不可欠だ。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」
で、
子供が夜遊びで享楽を身につけてしまったら、
その苦しい修行に耐えることができないでしょう。
ここなんだよ、よく考えて欲しい。

「ソフト・ウエアー」

どんな仕事があると思う?
「調理」「大工仕事」「日本舞踊」「落語」・・・・・
もちろん「スキー教室」や僕の仕事もそうさ。

そう「文化」さ。

ただ、これを商売として立ち上げるためには、
「命がけ」で取り組まなければ上手にはできないものだ。

日本社会が「高度成長」するときには、「物」にこだわった経済だけで済んだが、
それはもうすでに、中国や台湾、韓国、に仕事を奪われたのさ。
生き残るためには「ソフト・ウエアー」に注目せざるを得ないんだよ。

こう考えて子育てを実行しよう。

いかに子供の「心」を鍛え上げることが重要かが分かるさ。

「暗記」ではないところの「心」のトレーニング。
子育てを強く意識した「親子キャンプ」は、これを鍛え上げることが出来るのさ。
僕は、この方法論で障害のある僕の子を育てたのさ。

だからこそ、「キャンプじぃじの子育て論」を真剣に推し進めているのさ。
若いお父さんに、分かって欲しいのさ。
これからの日本社会を堂々と生きていけるように子供を育てて欲しいのさ。

初めに「心」ありき、「志」ありき、さ。


12/11/19(月)朝 キャンプじぃじの日記

ここの書き込みは、
30才代の若いお父さんを想定しているんだな。
これは、ズット変わることなくその年代を意識し続けるさ。

だから、そうでない人・・・・・
もう人生が「見えている」人や、女性には、
読んでもらいたくないことも書くさ。

今日は、さらに若いお父さんに的を絞りたい。

僕は、今、56才だ。
もうこの歳になると、自分の人生が「見えてくる」。
どう生きてきたのか、それの「答え」が現れるんだな。

僕と同じ年代の人のことを考えてみて欲しい。
名のある大企業に勤めることが出来ても、
「伸びる人」と「迷惑な人」の差が、ハッキリとでてくるころだ。

松下幸之助は、たしか、
8割の「出来の悪い人材」を2割の「優秀な社員」でまかなっている、
こんな意味のことを言ったと聞く。

前者は、「一生涯安泰」組だ。
どこかの政治家と同じ「保身主義」で自分の責任を回避する。

後者は、たいがい「会社員」ではあっても、
いつでもそこを辞める覚悟を持って事業を引っ張る人たちだ。
「自分の責任」を積極的に使って大胆な仕事をする。
「自己責任」を利用して伸びる男。

僕は、個人事業で生計を立てているけど、
「やり手」の社員は、僕と同じでたぶん、
会社の中で「個人事業」ができているんだろうと想像しているさ。

何が言いたいのかというと、
企業の中でも「自立」ができている社員が大きく伸びる確立が非常に高いということだ。

今、僕の年代こそが、「リストラ」におびえて生きている人が多いんだろうね。
気の毒だけど、そういう「生き様」だったのさ。
・・・・「一生涯安泰」という「生き様」。

若いお父さんに伝えたいことは、
今、
このことを真剣に考えて欲しいのさ。

「一生涯安泰」は、「怠け者」の「生き様」になってしまうのさ。
そうではなく、
「一生涯成長」をこれから真剣に考えて実行をして欲しいんだ。

実は、そういう父親から、
「一生涯成長」できる子が育ちやすいと想像できるからだ。
「父親なりの子が育つ」ものさ。

特に男の子は、「父親をモデルに生きる」ようにできているから、
ぜひ若いお父さん自身が、
「志の高い男」になってもらいたいのさ。

最近買った「SONY」の最新のデジカメをよく見たら、
「MADE IN CHINA」と記されてあった。
これからの日本社会は、「バブル崩壊」で悲しんでいる場合じゃないよ。

もっと厳しい日本経済の局面を迎えそうだよ。
「そんな仕事を僕がやるわけがない」なんて、
のぼせ上がった人から、「リストラ」の対象になりやすいということが分かるでしょう。

どんな生き方でも、「一生涯成長」をしたヤツが自分の人生を作り上げることができるのさ。
このフレーズをよく読んでね・・・・「自分の人生を作り上げる」、
僕の年代で、それがハッキリと現れてくる。

「物」ではなく「人生の豊かさ」・・・・
つまりね、「生きる充実感」を得ることを目標に「一生涯成長」を目指して欲しい。

「やる気ばかりは、銀行へ行っても貸してくれない」

子育てで、
「志」のある若いお父さんこそが、
子供たちに、ためになるメッセージを伝えられるものだろう。

そうね、子供が中学生ぐらいになったらキャンプで焚き火を囲んで、
「夜話」で人生を語れる父親になることだろうな。
僕は、そこに多いに希望を持っているさ。

親子で元気良く生きようぜ!
厳しい大自然の中で、「生き延びようとする心」「生きる力」が鍛えられるさ。


12/11/18(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、
道満グリーンパークに行くだけ行ったが、
朝の9時には、パラパラと雨が降り出し、断念。
撤収して帰った。

思うようにはならないけど、
思うと叶うこともある・・・・・・

「ナナフシ」
不思議な虫だ。
小枝に化けよう、化けよう、と思っているうちに、
小枝にそっくりになった。
いったいいつからそう願い続けたのだろうか。

可憐に咲く花。
花は眼がないのに、なぜその色を知ってんだろうか?
なぜ花びらの形を知ってるのだろう・・・・・
とっても不思議ではないか。

それぞれの花は、それぞれの色と形で蝶の気を引く。
いったいいつから、そう願い続けたのだろうか・・・・・・・
だいたい、他の花と違う色と形をなぜ知ってるんだろうか・・・・・
とっても不思議ではないか。

僕は、自分の仕事を、してみたい仕事を願った。
叶った。

「絶対にそんな仕事はない」と言われ続けたが、
叶った。

自分で歩んだ道だが、滅茶苦茶不思議ではないか。
間違えなく、自分の力以外の不思議なパワーで今の仕事を手に入れることが出来た。

思ったら叶った。

だから、子供たちよ、志を高く上げよう!

もっと、もっと、もっと、高く上げよう!

諦めるな、一年や二年で諦めるな。
「ナナフシ」や「花」のように諦めずに「思う」。
祈りを持って願う。
心の底から祈るのさ。

最後にこう付け足すんだぞ「御心のままに、感謝します。」
神様は、最後のそのフレーズが大好きだからさ。

さぁ、志を高く上げよう。

君の志、君の人生の旗を高く上げよう。

旗は、高く揚げれば、揚げるほど、「風当たり」が強くなる。
反発される。
抵抗がある。
そういうストラッグルは、君の志が「本物」だから起こるのさ。

旗は、高く揚げれば、揚げるほど「風当たり」が強くなる。
だからこそ、旗はカッコよくたなびくのさ。
人生は、こういうふうに出来ている。

さぁ、子供たちよ、志を高く上げよう・・・・・・・

生きるのは、乗り越えるところに意味が出来るのさ。

これを若いお父さんが早く気付いて子供に教えられればいいよな。
僕のこの願いは、諦めなければ、
きっといつか叶うでしょう。

父親自身でシッカリと子育てをして欲しい。


12/11/17(土)朝 キャンプじぃじの日記

本日は、SCCの「親子で工作」の実施日だ。

戸田市の道満グリーンパークで行う。
しかし!
予報では、90%の雨・・・・・・・

ただ、今、朝の5時半だが降ってはいない。
行くだけ行ってみることにする。

今年は雨にたたられて、この「親子で工作」は、
3回しか出来なかった。
でも、それぞれにお父さんが参加をしてくれたので充実はした。

しかも、
今年は、幼稚園で「流しそうめん」の「親子で工作」ができたのだから、
「中身」は、非常に濃かったな。
僕のボランティア活動で、大きく一歩前進をした。

若いお父さんに「本物のオヤジ」になって欲しい。
そういう「大人の成長」をして欲しい。
子供たちに「生きる意味」「生き方」「生きる価値」を教えられる「本物のオヤジ」に成長して欲しい。

今日は、「親子で工作」が雨で実行できそうもない分、
お祈りをするさ。

お子さんを心から愛することができますように・・・・
子供を自立に向けて育てることができますように。


12/11/16(金)朝 キャンプじぃじの日記

「金を払っているのだから、『いただきます』と言わなくていい」

ある父親がそう言ったそうだ。
メディアで、これが取り上げられて「父親の幼稚ぶり」に驚いた。
そういう父親に育てられる子が気の毒でしょうがない。
悲劇だ。

「頂きます」というのは、
他の命を、私の命のために「頂きます」という意味で、
考え方に仏教が関係している。
金を払ったかどうかという問題ではない。

似たようなことは、他にもある。
「メリークリスマス!」
これは、イエスキリストの「誕生日おめでとう」という意味だ。

インド人は、「ヒンズー教」という日本神道のような「多神教」だ。
その内の「ガネーシャ神」は、商売の神様だそうだ。
日曜日のお昼に寄るインド人のカレーやさんで知った。
そこの奥さんが、この間、その神棚にお香を焚いていた。

しかし、どう?
キリスト教ではないのに、「メリークリスマス!」は、おかしいでしょう。
例えば、ニューヨークでユダヤ人は、決してこれを言わないと聞く。
当たり前だ。

12月25日に「メリークリスマス!」と馬鹿騒ぎをして、
12月31日に「除夜の鐘」、
そして、1月1日には、「初詣」。

このデタラメの宗教観は、おそらく日本だけではないのだろうか。
全世界的に、自分の信じる宗教は「一つ」というのが「常識」なのだがね。

この時期になって、クリスマスソングがそこら中で流れていて、
この幼稚な宗教観に驚きをもってガッカリするのは、僕だけだろうか?

聖書には、「富と神の両方に仕えることは出来ない」と書いてある。
宗教がない分、「物」に執着するというのは、説明が成り立ちそうだ。

自分の生きる指針・・・それが宗教だ。
宗教を無視するのが正しいという「教え」がどうやら日本に蔓延しているように見える。
「生きる指針」を持っていないから、「物」に執着する、こういうことなのだろう、きっと。

大人が「幼稚であってはならない」。
冒頭のような幼稚な父親であって欲しくない。

ぜひ、ご家族の伝統的な宗教を家長である若いお父さんが、
うわべだけではなく、その真理をぜひ学んで欲しいものだね。

確かに「物」は、
「快適」「簡単」「便利」「気楽」を実現した。
しかし、その分、「大人を幼稚」にもしたと思えてならないんだな。

もし、特定の宗教がないのなら、
クリスマスには、本物の「キャンドルサービス」を教会で体験されるといいと思うよ。

そこには、本物の「神父」さんなり「牧師」さんがいるさ。
日本の結婚式場にいるのは、ほとんど偽物ね。
僕は、「ビデオ屋」だ。
舞台裏を散々見たさ。 バカバカしかったよ。

「宗教を無視するのが正しい」と、宣教し歩く人には、気を付けた方がいい。
それは「無宗教」という名の過激な「新興宗教」だ。
年末を迎えるに当たって、ぜひご一考を。


12/11/15(木)朝 ビデオマンの日記

「卒業ビデオアルバム」制作での一番の特徴は、
子供一人ひとりに「大きくなったら何になりたいの?」
というインタビューがあることだろう。

今年は、すでに一件それを撮った。
そして、来週にももう一件撮る予定だ。

昔は、三学期に撮ったものだが、
インフルエンザで撮れない子が多くて
「撮り切れない」という危険回避でこの11月にするようになった。

今まで20年以上、いったい何人の子にインタビューをしたのだろうか・・・・
もうすでに、初期の頃の子供が、取引先の幼稚園の先生をしている。
歳を喰ったわけだ。

さて、このインタビュー、
一回で全員が撮れるというのは、過去に一回か二回あるかどうかという程度だ。
「長期のお休み」「インフルエンザ」「何らかの障害」などなどで、
インタビューが難しい子がいる。

そういう子をどう撮れるのか、
ここが「ウデ」だ。
そこに不可欠なのは、「子供を見る力」さ。

普通の子でもリテイクをして泣き出してしまうこともある。
子供の表情を瞬間的に見て、判断をしなければならない。

そうそう子供の心理を当てられるものではないが、
その確度をいかに高くできるかどうか、
これがこの仕事の本質的な「ウデ」さ。

この間、幼稚園の先生との会話で、
先生が撮った映像に、異年齢交流をしているところを偶然撮れたと言う。
僕は、それを見る前に「それはフレームの隅に小さく写ったのでしょう」と言った。

実際に見させていただいたら、
僕が想定していたよりは大きく写ってはいたけど、
やはり、その目標となる子供の周りにたくさん関係のない子が写っていた。

このHPの「上手に撮ろう子供のビデオ」のページで、
第4章のところに「フレームを考える」があるが、
そこを読んで欲しい。
つまり、被写体を「無駄なく撮る」のがカメラマンの「ウデ」なわけだ。

「卒業ビデオアルバム」制作というドキュメンタリーを作る上で、
「子供を見る力」つまり「視点」と、
この「無駄なく撮る」という「取捨選択」こそが、
プロのカメラマンとして鍛えるべきことなんだな。

新しく買ったカメラで喜んでいる内は、結局、素人さ。

「生き方」でも家や車といった「物」に執着する人は、
「子育て」を疎かにするなどの問題を起こしやすいが、
ビデオの仕事でも、カメラなど「物」に執着する人は、上手にならないのさ。

なんでこうも「物」に執着するのだろうか・・・・・・
たぶん心の底で「簡単」「便利」「気楽」「快適」を無意識の内に渇望しているからではないだろうかね。

「物」への執着心から解放されて、
「子育て」も「カメラマンのウデ」も上手になるんだろうな、きっと。
「物」に執着しない心に子供を育てることが出来れば、
その子は、きっと、自分らしさを多いに発揮した人生を送ることだろう。

そういう子が僕の仕事を引き継ぎをしてくれたらいいよなぁ・・・・・
「一生涯安泰」の子には、無理だろうし、興味を示さないだろう。

僕の仕事は、「子育て」になぜかリンクしてんだよね。
不思議だなぁ・・・・・


12/11/14(水)朝 キャンプじぃじの日記

学問を真剣に、命がけで学ぶ気がない子を大学に通わせるのは、
「心の成長」ということを考えた場合、
非常に良くないと思うよ。

大学が乱立して、まったく学ぶ気のない子でも入学できるようになってしまった今、
「親の見得」で子供を大学に通わせて、
子供がそこで夜遊びなどで享楽を覚えてしまう弊害があまりに大きいことを訴えたいね。

高校生では、

「自立をした一人の大人の社会人」を強く意識させることが、

その後のその子にとってどれほど重要なことでしょうか。

そして、高校生から、
子供自身で自分の人生を必死に「悩み」「苦しみ」「考える」ことの大切さを訴えたいね。

大学生、18才〜22才、この時期に遊んでしまうのか、

自分自身を真剣に見つめることをするのとでは、

その後の「人生の豊かさ」がまるで違ってしまうよ。
それは、「物の豊かさ」ではない。
「人生の充実感」と言ったようなものだ。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」

今の日本の子育てで、非常に問題がある意識だと思うね。
その子が、30才、40才、になったころに「心のトラブル」のそれこそが温床になると僕は思うなぁ・・・・・

どうして、学ぶ気のない子を大学に行かせたいのか・・・・・
「簡単」「便利」「気楽」「簡単」
に子育てを済ませようという気持ちで起こるのではないかな?

父親が手抜きの子育てをしたので、
そういう「アンチョコ」に頼るのではないのかな?

けっしてそういう子育てでいいことはないと思うな。

僕は、高卒だが、

その時に必要を感じたことを学び続けてきたよ。

18才では「自立」をして社会勉強を、

結婚するまでは、「自分探し」を、

「一生涯を通してやりたい仕事」を編み出すという人生の学びを、

子育てでドジを踏んで、「子育て」を学んだ。 これは必死だった。

どれだけ必死に自分の学びをしつづけられるのか、
そういう「心」を鍛え上げることが、青年期に必要だ。

これからの社会を生き抜くためには「やわな心」の子こそが、
生きにくくなるんだぞ。
それで、日本では自殺者が多いのさ。
些細な人生のトラブルに負けてしまう。

早くこのことに気付いてもらいたいんだ、若いお父さん!

「一生涯安泰」を子供が求めるようでは、NGだ。

「一生涯成長」できる子に育てよう!


12/11/13(火)朝 キャンプじぃじの日記

このHPに「キャンプじぃじの子育て論」を掲載したら、
YAHOO の検索ワードで下記の結果となりました。(11/13早朝現在)

「父性教育」約858,000件 一位

「キャンプじぃじ」約5,540,000件 1・2フィニッシュ

「卒業ビデオアルバム」約3,380,000件 一位

「ビデオマン」約20,200,000件 三位

検索で上位に載るような操作は一切していません。(と、言うかできない)

僕の子育て論に注目してくださった方々に感謝いたします。
ぜひこれをタタキ台にこれからの子育てのあり方について、
多いに論議して欲しいですね。

僕は、若者に「苦しい」「辛い」「大変」な思いをさせて、
心を鍛えて成長していくことを強く願っています。
そのためには、少なくとも20才では、「自立をした一人の大人の社会人」になるべきだと考えています。

これは、僕自身の実体験を振り返って思うことであり、
世間を見渡してみて、日本人の20才があまりに幼稚なのを見て、
緊急を要して今、ここを読んでくださっている方々に考えて欲しいことです。

そしてこれを具体的に行えるものの一つとして、

子育てを強く意識した「親子キャンプ」の発展、推進をこれから目指します。
ハードウエアーもソフト面も揃いました。

若者も「志を高く上げよ!」


12/11/12(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、うちのばぁばと二人で教会に行った後、
いつものカレー屋さんに寄った。

この間の遠足の時に、幼稚園の経営者に、
カレーは、ものすごいカロリーでオデブになると聞いた。
それでもつい、習慣とは恐ろしいもので、カレー屋さんに行ってしまった。

僕は、お医者さんにメタボの忠告を受けてはいるが、
別に気にはしていないのだが、
うちのオデブをどうにかしなければ、
歳とともにすぐにそれがもとで具合が悪くなる。

でも店に入っちまったものは、しょうがない。
そんな気分だったので、
なんとなく僕は、カレー以外の物を注文した。

「ほうれんそうのにんにく炒め」
これは、ほとんど和食だった。
ただ、炒めた唐辛子が入っているところが、インドぽかった。
でもそれは、炒めてあるせいか、ちっとも辛くない。

海外にいる雰囲気にしたかったので、
自転車だったし、
僕は、メキシコのビールを注文。
驚いたね、これはビンビールなのだが、
それの中にレモンが入れてあってビンのまま飲むものだった。
味は、レモンに消されてちっともビールの苦味がなくなってしまっていた。
あまりに「刺激」がなさ過ぎる。

そこで、インド風せんべいにサラダのようなものをトッピングした「マサラパパド」を注文した。
唐辛子の強烈な辛さ。
そこで、「キング・フィッシュ」訳して「カワセミ」という名のビールを注文。
これにはグラスが付いてきた。

「ヒ〜ヒ〜」言いながら、そのビールで胃袋に「マサラパパド」を流し込んださ。
ばぁばは、普通にカレーのセットを食べていた。
いい気になって、インド風の鶏肉も食べていた。

店に入る時の、あの後ろめたさはどこへ行ったものやら・・・・・
結局、たらふく食べてしまった。

馬鹿ばかしいよね。
消費の話なんか、まったくくだらない。
ならば、人生は感動あるものにしようか、お互いにね。

何を食べよう、何を着よう、と思い煩ってはいけない。
そういう消費で頭がいっぱいじゃ、しょうがないよな。
ネタ不足、お粗末。


12/11/11(日)朝 キャンプじぃじの日記

企業の求人があるにもかかわらず、
大学を卒業して就職をしない子が、
なんでも20万人いたとか・・・・・
ラジオで流れていたのを聞いたので、本当かどうか分からない。

こんな状態で日本経済がいつまでも繁栄するわけがないと思うね。
こんな就職観で、あと20年、30年、し続けていていいことがあるわけがない。

うつ病になった古い友人は、
三流大学を二年も留年してどうにか卒業をしたけど、
雇ってくれる「一流企業」などあるはずがない。

当然、「三流」でしょう。
それなのに本人は、大学で享楽を覚えてしまったことは脇において、
「そんな仕事をオレがするわけがない」と言っていた。

何の実力もないのに「気分だけは一流」なんだな。
根拠の無い自信は、どうして生まれたのだろうか・・・・・・

これを考えている内に、
僕は一つの答えを得たのさ。

それは「心の成長」だ。
反抗期からは、子供の「心」を鍛えるべき年齢だ。
なんらかの厳しい体験が不可欠だ。

ここね、「なんらかの厳しい体験」が大人になるために不可欠だ。

そして、高校生ぐらいでは、
「自立をした一人の大人の社会人」を強く子供に意識させる必要がある。

そのことによって、本人がそれを目標に生きだすからだ。
そのことで、子供が
多いに悩み、苦しみ、考える。
これを自発的に実行をする事で、「大人」に育つのさ。

だけどどう?
親の最大限の「豪華」「贅沢」そして最大限の「快適」な生活は、
子供の心の成長から、この重要なプロセスをすっかりと削除してしまった。

「快適」が当たり前、
「豪華」が僕にとって当然、
「贅沢」でなければ、人生じゃない。

こういう心の子供が育っているのでしょう。
それで、
「そんな仕事をオレがするわけがない」に行き着くのさ。

僕の古い友人は、そうしてうつ病になったのさ。
僕の目の前で起こったことだ。

方や、、
僕は、
高校生の時にどうやったら自分探しができるのかを考えていた。
答えは、どうやっても見つからないので多いに悩み苦しみ、もがいたのを覚えている。

そこで、「社会」が分からないのだから、
それが学べるところに就職をしよう、そう決心をした。
そう決心をしたからこそ、
就職斡旋をしてくれた先生に、
「僕に、社会勉強をするための6年間だけ勤める会社を探して欲しい」
と願ったのさ。

その先生は、僕が強くそう言うので、
生徒に見せるつもりがなかった募集表を引き出しから引っ張り出して、
こう言った。
「この会社は小さい。一生勤めるのには無理な会社だが、
  それでよければ、こういうのがある」

どう?
僕は、卒業生約200名中、ただ一人、名もないその小さな会社に勤めることが出来たのさ。
ここを強調したい・・・・誰も見向きもしない小さい会社だったのさ。

でも僕の期待通りの社会勉強が出来たと思うよ。
仕事は、広告物の営業だった。
今だから言えるけど、僕は「美津濃」「日立家電」「TDA」「新宿タカノ」といった名のある会社を担当したのさ。

そういう会社の「広告」の仕事をするのは、
多いに社会勉強になったさ。
後に、僕が脱サラできたのも、この社会勉強ができたからこそうまくいったんだ。

こうして振り返ると、
高校生で「自立をした一人の大人の社会人」を強く意識させる事が、
いかにその後で、大人に向かっての「心の成長」に不可欠なものかが分かるんだな。

ぜひこのことを若いお父さんに気付いてもらいたい。
そして、
子育てを他人任せにしたら、悲劇の始まりになりかねないよ。

小学校四年生ぐらいまでは、
単純に親子で「触れ合う」ことのできる遊びをたくさんした方がいい。
そのスキンシップを通して、父親から子供に「愛情」が伝わるほどに「遊び込む」ことが必要だ。

そして、小学校高学年から何か「難しい」ことに親子で取り組む。
このことで子供が、父親をモデルに育っていくのさ。
子育てを他人任せにしていたら、ここがスッポリと抜けてしまうよね。
「父親を生きるモデル」にして子が育つ。

そして反抗期では、「辛い」「苦しい」「大変」な体験をタップリさせる。
そして子供自身でそれを乗り越えさせる。

「ヒト」の育ちにおいて、こういうストラッグルは、絶対に必要だ!!!

これを年齢に合わせてできる遊びとは・・・・・
そうさ、子育てを強く意識した「親子キャンプ」があるのさ。

小学校四年生ぐらいまでは、
親子でデイキャンプをたくさん体験する。

このときに、その作業を少しずつ子供に教えていくのさ。
元気な子だったら、「僕にやらさせて」と積極的に作業をやりたがるよ。
体験学習の意欲が旺盛なものだ。
最高の家庭教育になるさ。

小学校高学年では、ロープワークをマスターさせて、
キャンプグッズを工作するのさ。
テーブル、椅子、立ちカマド、焚き火台にセットする三脚・・・・・

こういう工作には、あらゆる「教育」がブレンドされているんだぞ。
手先の器用さを鍛えるのは、言うまでもない。
大脳新皮質を多いに鍛えるさ。

工作材料を必要な長さに切ったり加工したりするときには、
実は「数学」や「物理」を学んでいる。

工作物が出来上がるまでは、「忍耐」が必要になって、それが鍛えられる。

上手に出来ない・・・・「失敗体験」もたくさん乗り越えられる。

それの完成、ここで「成功体験」が味わえる。

どう?
これを大自然の中で、自分の子と楽しんでみなよ。
本物の「人生の豊かさ」をお父さん自身が得られるよ、やれば分かる。

そうして子供を育てることが出来たら、
そこで初めて親子でテントを張ってキャンプをするんだ。

こうして子育てをしていれば、現場ではほとんどの作業を子供が出来るようになっている。
しかも、キャンプグッズは手作りだぜ!
市販品を買って喜んでいるのが、幼稚に見えるさ。
「子供の成長」を若いお父さんが目の当たりに見ることができる。

若いお父さん、
そのときに涙が出るからタオルを用意しておきな、ハンカチじゃ、間に合わないさ。

だいたい小学校の終わりから中学生で「泊まる」キャンプをする。
それまでは、親子でデイキャンプで「訓練」するのさ。
「年齢に合った活動」、これが要だ。

若いお父さんにやる気があるのなら、
高校生でアドベンチャー・キャンプに挑戦できるさ。

僕は、やったね。
僕は、ホームセンターで買った安物のシュラフで、
子供は、冬用の羽毛のシュラフで「雪中キャンプ」をやったな。
その他にも冬季キャンプ、猛暑の中の夏季キャンプ・・・・・
やったね。

その時に、焚き火台で薪を焚いて、「オヤジの説教」を子供に聞かせた。
「オヤジの説教」は、せいぜい5分ぐらいがマックスだよ。
長いのはNGだ。
前もって子供に何を伝えたいのか、僕は用意して「オヤジの説教」をした。
酔っ払ってでもやったさ。

いよいよ子育ての仕上げをしたいのなら、
子供に「ソロ・キャンプ」を体験させる。
「自立」のリハーサルさ。

安全対策で、父親も現場にいる。
お互いにサイトを目一杯離せば子供に「ソロ・キャンプ」を体験させることが出来る。
当然、父親も「ソロ・キャンプ」だ。
子供に「オヤジもソロ・キャンプをやっているんだ」という「良き見本」を示すのさ。

僕は、こうして発達障害の子を自立させたのさ。
必死だった。
脱サラより命がけだった。

でも死んで持っていける「子供との思い出」がタップリできて、
今しみじみ思うと、これが本物の「幸せ」だ。
「物」や「金」、ましてや「快適」なんかに
感動のある人生は作れないのさ。

まずは、若いお父さん自身が「本物のオヤジ」に成長する事を目指そうか。
そして、
コンクリートの壁の中で子供を「人工飼育」するのではなく、
大自然の中で子供に「野性」体験をさせて、
「生きようとする力」、「生きる力」を鍛えよう!

今日、その第一歩を始めよう!


12/11/10(土)朝 キャンプじぃじの日記

一昨日、昨日、今日、
こんなに天気がいいのに仕事だ。
この一番のサイクリングシーズンだというのに仕事。
実に残念な人生を余儀なくされている。

念願の「復活スキーヤー」も遠のいてしまったし・・・・
歳をとるというのは、
こうして「ダメ」が増えていくものか・・・・・

しょうがないよな、もう半世紀以上、人生を使っちまったんだから。
車だったら、とうに廃車だ。
でかい船でもオンボロだ。

こうして自分自身が「オンボロ」になっていくことを自覚できるのだから幸せさ。
いい歳をして、まるで高校生レベルの幼稚な年寄りは、
たくさんいる。

そういう人は、自分が「オンボロ」になっていくのを楽しむことが出来ない。
どんどん不平不満が募っていく。
これこそ、本物の「不幸」というものさ。

「歳相応の心の成長」

こういう目には見えない生きる面白さがあるのさ。
「幼稚な大人」は、一生涯これを味わうことなく死んでいく。
「心の成長」が高校生レベルのまま人生を終わらせてしまう。
気の毒さ。

高校生では、
「自立をした一人の大人の社会人」
を、しっかりと自覚できるように育てられなかった人が、
この不幸を味わうことになる。

もうすでに高校生の時点で「心の成長」が幼く育てられてしまう。

若いお父さんがこの悲劇に気付くことができるかどうか・・・・・
自分の子を本気で愛していたら、
きっと、分かってもらえるはずだ。

「歳相応の心の成長」
「強い心に育てる」

日本はこれから確実に「経済小国」を迎えるのに、
そういう時代を生き抜いていかねばならないのに、
「幼稚」では、地獄だろうな・・・・・・

今の日本の子育てで最も恐ろしいことは、「幼稚」だ。
子供たちを確実に不幸に陥れてしまう。

さぁ、どうすればいいと思う? 若いお父さん?

そうさ、
今日、子供の手を握って大自然の中で遊ぼう!
学校の成績ではないここにこそ、子供の心を育てるチャンスがあるのさ!

僕が、
発達障害の子を自立させられたのは、
「親子キャンプ」の効果がとっても大きかったことを身をもって体験したんだ。
それで、ここで、訴えているのさ。

「幼稚であってはならない。 幼子のように素直になりなさい。」


12/11/9(金)朝 キャンプじぃじの日記

「親子で工作」のボランティア活動を一緒にやっていた古い友人は、
造園屋さんに勤めている。

さぎ山野営場を借りられるようになったのは、
ヤッコサンのおかげだ。

それで昨日、ソイツにもうそう竹を一本貰いに行った。
マザー牧場で貰えるものより小ぶりだが、
いつでもすぐに貰える。

取引先の幼稚園の発表会で、
それを「楽器」として使いたいというので、
竹を切り出して、そこへ持って行った。

夕方に持って行ったのだが、
そこにPTAの会長さんに出くわした。
彼女は、6人も子供がいるそうで、
そのことだけでも敬服しちゃうんだな。

「今日は何をしにきたのですか?」と尋ねるので、
その、もうそう竹のことを話した。
僕は、それに続いて
「餅つきの手伝いもするし、子ども会の手伝いもするし、
  御用があったら、何なりとお申し付け下さい」と伝えたさ。

本当に、僕は幼稚園で「流しそうめん」もやったし、
講演の手伝いもしたし、
今日だって、芋ほりの遠足の取材だけど、
幼稚園の経営者は、僕の「お手伝い」の方を期待しているのさ。

僕は、いったい何屋なんだろうか・・・・・・
まぁ、おかげで面白い人生だけどね、子供にまじってね。

♪さみしさ〜 まぎらす このさけを〜〜〜♪
じゃなくて、このこどもたちよ〜〜〜〜
平和な男さ。
いざ、芋ほりに出陣だ!


12/11/8(木)朝 ビデオマンの日記

この間、同業者の集いがあった。
実際の仕事ぶりを上映し、
それの質疑応答をするものだった。

上映する人は度胸がいいね。
「撮影技法」では、参考にならないけど、
ビジネスのあり方として参考になった。

上映した内の一つに「運動会」があった。
これは、僕の仕事にかぶる。

園児数が僕の取引先と同じで、
販売数量もほぼ同か少ない。
それで、3人3カメをパラ撮りしていた。

ビジネスとしては、間抜けな話しだ。
「雨天順延」を無視して、無駄なコストをかけている。
実際に順延になってわずかながらのギャラの上乗せをしたそうだ。

だいたい、一度でも「マルチ」にしたら、
それをし続けなければならないということも考えていない。
ビジネスとしては、下手くその見本だね。

もう一つ、これはカルチャーショック。
舞台ものの撮影で二人3カメだった。
これもパラ撮りだ。

ただ、どのカメラも「オール・オート」である点に仰天した。
本人曰く「失敗を恐れて」のオートだそうだ。
その結果、色味はバラバラ、絞りもバラバラ。
とてもプロの仕事とは言えない。

それでももう20年商売をしてきたと言うのだから、
驚きだ。
目が覚めるようなカルチャーショック!

確かに、色味が真っ青でも、舞台の主催者が気にしないという体験を僕もしたことがある。
エレクトーンの発表会で、
ステレオ録音のRLを間違えて吹き込んで出荷しても、
一件もクレームが来なかったという体験もした。

上映したこの二例の特徴は、
お客さんのニーズの対応の仕方だ。
前者は、ビデオ屋の独りよがりで、ニーズ以上のことをやって喜んでいる。
後者は、ニーズに合っていて無駄なコスト(プロとしてのプライドはないが)を省いている。
しかも、後者は単価が1万円だそうだ。

僕は、商売が下手だよなぁ・・・・
つくづくこう思ったね。


12/11/7(水)朝 キャンプじぃじの日記

僕の取引先の幼稚園を卒園してから、
ときどき僕のボロアパートを尋ねてくる男の子がいる。
もう中学二年生だ。

もう来なくなるだろうと、うちのばぁばと話していたら、
ついこの間も来た。

「反抗期」絶好調の様子だ。
父親の言葉掛けには、ほとんど答えないと言っていた。
家族と顔を合わせたり、話したりもしたくないそうだ。

それでいて、僕のところに一時間以上いただろうか、
ずっとべらべらと話し続けていた。
話し相手が欲しかったんだろうね。

僕のこのHPの「子育て論」にあるように、
小学生の間に、子供と父親がシッカリと「関わり」のある遊びをしてこないと、
こうして反抗期では、まったく子供が「聞く耳」を持たなくなりやすい。
反抗期の子をコントロールできなくなりやすい。

しかも、その子の家庭環境は、
自慢の「持ち家」以外は、非常に良くない様子だ。
その子の母親は、離婚していない。
そして父親は再婚したようだ。

こういう環境は、僕自身の体験で分かるが、
「反抗期」が暴走しやすい。
両親の離婚は、子供に致命的な心の傷を作りやすい。

でも、その子は、僕のところにやってきたりする分、
心が外に向かっているから、引きこもりはしなさそうだ。
場合によっては、「反抗期の暴走」が内向きになる場合もある。
一歩も部屋から出ないという「暴走」もある。

その子はさらにどうやら「注意疾患多動症」の傾向が強くあるという問題もかかえている様子だ。
学校の成績は、下から両手で足りそうな順位らしい。
「行けそうな高校がない」という欲求不満を持っている。

これだけ、材料が揃ってしまうと、
非常に危険なんだよね。
半年ぐらい前にも、家出騒ぎを起こしている。

でも、僕のところに来るのは、その子にとって
隠れ蓑にしているから、
僕の得意の「親子キャンプ」をその子にしてあげることが出来ないんだな。
活動の了解を取り付けることが出来ないからだ。
元カブスカウトの隊長の腕を振るうことができないのさ。

ただ、その子が来た時に、
ひたすら否定せず話しを聞いてあげるだけだ。
まぁ、それだけでも多少の心の「安定剤」になっているのだろうかね。

父親が「持ち家」という「物」だけにこだわり、
子供と遊ぶ事がなかった、非常によくない実例になっている。
いくら幼稚園で「最高」の教育を受けても、
父親がこれじゃ、最低の「子育て」なのさ。

「子育て」と「教育」の位置関係が分かるかな?

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」
こういうのもとっても多いと思う。
僕の古い友人でうつ病のヤツがそうだ。

子供は、「心を鍛える」べき年齢で、夜遊びなんかで享楽を覚えてしまう。
こういう子育ては、
その子の父親とたいして変わらないんだな。

「持ち家」という「物」も、
学びもしない「大学」という「親の見得」も、
どちらも本当の子育てには、なっていない。
それで、ニートやうつ病、といった心のトラブルが多いのさ。

大学という教育が、いいとか、悪いと言いたいのではない。
子育ての本当の目標「自立をした一人の大人の社会人」を無視して、
大学を卒業させるというたった一つの「教育」が目的になっているのさ。

つまり、
「目的」と「手段」を取り違えている。
ここに根の深い問題があるのさ。

「父性教育の重要性を訴える」
この気の遠くなるような難しい挑戦にどこまで切り開いていくことが出来るのだろうか・・・・・
まぁ、僕は道なき道を行くのが好きだから、
「足跡」ぐらいは付けることができるでしょう。

とてつもなく時間が掛かることだろうね。


12/11/6(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、ダラダラと編集をしている内に居眠りをした。
曇り空でうすら寒いから、自転車に乗る気にならない。
同じく、料理教室の復習もする気が起こらない。
消去法でしかたなしに編集をしていたから憂鬱な日だった。

そういう日だったが、
なぜか知らないが、うちのばぁばが早く帰ってきて、
いつもの銭湯も前倒しで行った。

それで、二人でお通夜のような夕飯が終わったのは、
夕方の7時。

いつもより1時間以上早い。
たいがい、夕飯の後にはバッタンキューで寝るのだが、
さすがに昨日は、7時に寝る気がなかった。
だいたい昼寝もしたから余計に眠れるはずがない。

そこで、歩いて2分30秒ほどのところにあるカラオケ屋さんに二人で出向いた。

そこには、70才を越したおじぃちゃんやおばぁちゃん達がいた。
こう書くと、老人ホームの光景を思い起こすでしょう。

たまげたよ。
マイクを持った彼氏、彼女たちは、どこにそんなエネルギーがあるんだと、
自分の目を疑ったさ。
中には、その店の「歌姫」が「都はるみ」のように熱唱をしていた。

よく、幼稚園に取材しにいくと、
子供たちに「生きる元気」を貰ってくるが、
昨日の夜は、僕よりはるか年寄りのじぃちゃん、ばぁちゃん、に元気を貰ったさ。

僕の人生の未熟さを思い知らされた。


12/11/5(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、「親子で工作」のボランティア活動を一緒にしてきた古い友人に久しぶりに会った。
隣町に引越しをして、
そのボランティア活動に来なくなり、すっかり疎遠になっていた。

一昨日の夜、大家のおばぁちゃんと夕食を囲んでいた時に、
さぎ山野営場に蚊がいなくなったかねぇ、と暗に行きたがるので、
昨日は、その古い友人と大家のおばぁちゃん、
そして僕とばぁばの四人で、さぎ山野営場に「焚き火」を楽しみに行った。

珈琲とチョコ、そんなものだけで、
焚き火を囲んで、四人でひたすら「ボ〜〜〜〜」っとする時間を楽しんだ。
キャンプ版「禅」のような、ただひたすら「ボ〜〜〜〜」っとする。

大家のおばぁちゃんは、小鳥達のさえずりと木漏れ日に大喜びだった。
僕は、さぎ山野営場の利用率アップのパンフを作るために、
最近買ったデジカメで、
竹ハウスや、手作りのテーブル、簡易ベッド、
雨水をためる水槽や五右衛門風呂のドラム缶、テントサイトなどを撮った。

そんなゆったりした時の流れの中で、
古い友人が「芋煮会」をしようと提案する。
こういうのは、即決する。

芋は、その古い友人が農家で貰ってあると言う。
日取りは、11月23日(金)に決定した。
ヤツは、今年の古い友人たちの忘年会の幹事もやることになっている。

夜には、その四人にうつ病のヤツも加わって、
いつもの店「みさき」でソイツに芋煮会を誘った。

大家のおばぁちゃんのちょっとした一言で、
こうして「遊び」が進化していったのさ。
こういうのって、「クリエイティブ」の原点だと思うんだよね。
一つの「発想」が次々にさらに「思いつき」を細胞分裂のように生み出していく。

「学校の成績」という「暗記」だけを強化した子育てでは、
こういう「思いつき」「創作」「冗談」が身に付かない。
答えが合っているのか、間違っているのか、
その二つだけの世界・・・・・

音楽や美術といったクリエイティブは、
「暗記」だけの子育てでは身に付かない。

これは、僕の勘だが、
発情できない、それが苦手になってしまう人、
婚期を外してしまう人は、
もしかしたら「成績」だけで育てられる弊害でなるような気がする。
なんとなく当てはまりそうな気がするんだな。

人の成長に「反抗期」「発情」「自立」は、
正常な心の育ちの上での通過点だ。

人生「一生涯成長」をするのに必要な力・・・・・・
こういう能力は、成績に関係ない「遊び」で鍛えられるものだ。
少なくても僕の場合は、
スキーやサイクリング、キャンプを通して「企画力」が身に付いたのさ。

その「生きる力」で今の仕事を僕は、開発できた。
重要なことではないかい?

これは、
「物」を手に入れて喜ぶような薄っぺらな喜びではない。
充実感タップリの人生を作り上げる感動の喜びだ。
「創意工夫」これは、「遊び」で鍛えられるものさ。

子供たちにこれを伝えたいよなぁ・・・・・・
さぁ、若いお父さん、
子育てのための「親子キャンプ」で人生を「工夫」できる子に育てようよ。


12/11/4(日)朝 キャンプじぃじの日記

中学生では、

「社会人」になるということを強く子供が意識できるように育てる。
口先で言うだけではなく、子供に体験させて分からさせる。

高校生では、

「自立をした一人の大人の社会人」を子供が強く意識できるように育てる。
口先で言うだけではなく、子供に体験させて分からさせる。

一人の「人」が成長していくのに、
これが本来の子育ての目標であるべきさ。
もちろん、これを目標に掲げたからと言って、
自動的にそうなることはない。

ここに「父親の子育て」が不可欠になるのさ。
子供の自立は、この「父親の子育て」によって実現すると思うな。
今現在の子育てでは、ここが欠けている場合が多いのさ。

男の子。
大学さえ出せば、子育てをしたつもり・・・・・・
企業の人事は、そんな育てられ方をした子供を見抜けないわけがないでしょう。
真剣にここのところをよく考えてみよう。

どんな職種でも、「自ら先頭を切るように働き、企業の役に立つ男」を求めている。
大学で享楽を覚えてしまった人材は、雇ってもらえないのさ。
真剣にこのことを考えて欲しいね。

冒頭の家庭教育を父親に受けていれば、
子供は、遊んでなんかいられないことに気付くはずだ。
子供は、自分自身の将来について真剣に悩み、苦しみ、
自らその答えを見出そうとする。
ここに「生きる力」が子供に身に付くのさ。
子供が「快適」では、いつまで経っても自分の人生を真剣に考えたりはしないのさ。

女の子。
結婚さえすれば「自立」をした・・・・・・
残念ながら、「自立」と「結婚」は、まったく関係のない話しだ。
結婚できても、自立をしていない人はたくさんいる。
では、女の子には「自立」がそもそも必要ないのか・・・・・・

そんなことはないでしょう。
「自立」出来ていない女性が、もし、父親不在の家庭環境で子育てをしたらどうなるでしょうか?
男の子に「自立」を教えることが出来ないよね。

「物の豊かさ」は、「自立」をしなくても済むほどに「快適」を実現した。
しかし、
どう考えてもこれからの世界的な情勢の中で、
日本の国を支えていくのに「自立」できていない人材は、
企業ばかりでなく、あらゆる人間の営みに支障があると思えるのさ。

本当の子供の「自立」を家庭教育でできるかどうか・・・・・・
まずは、このことの重要性に父親に気付いてもらわないとな。
子供の「自立」だよ、自立!

若いお父さん次第なんだよ、この問題はね。


12/11/3(土)朝 キャンプじぃじの日記

「ヒト」はね、オオカミに育てられれば、
オオカミになってしまうんだよ。

オオカミに育てられた子の実話を知らないかな?
産まれたばかりの「ヒト」の子を
ナント、優しいオオカミのお母さんがおっぱいをあげて育てるという信じられないような実話のことさ。

その子は、後に人間に発見されて、
「ヒト」として生きるように教育されたが、
残念なことに、「ヒト」として生きることが難しかったそうだ。

もし、男の子が「男のモデル」を自分の父親に
「見て学ぶ」ことが出来なかったとしたら・・・・・・・

父親がいても、「父親不在」の環境であったとしたら、
男の子が母親にベッタリとして育ったとしたら・・・・・・

メスのような男が育ちやすいことが分かるでしょう。
実社会という大海原を元気良く冒険する雄に育ちにくいのが分かるでしょう。

若いお父さん、
こういうことで、今日、息子を連れてデイキャンプから始めよう!
自分の息子に「野性」を体験させて、
雄雄しい男の子を育てようじゃありませんか!

人生、「七転び八起き」でしょう。
転んでも、転んでも、起き上がって生き延びることが出来る強い心の男の子を育てよう!

今日、普段の「快適」をかなぐり捨てて、
大自然の中で息子と一緒に遊ぼう!

僕は、そうやって子育てをしてとっても面白かったよ。


12/11/2(金)朝 復活サイクリストの日記

昨日、
今週では、やっとツーリングに出られた。
自転車を輪行袋に詰めて、
電車に乗ったら、
それは、「新栃木」行きだった。

僕は、そのズッと手前の「南栗橋」行きにでも乗れれば幸いだと思っていたから、
そこまでの切符しか買っていなかった。

でもせっかく「新栃木」まで電車が連れて行ってくれるというのに、
途中下車するのは、もったいない。
そこで、ルート変更をして「鬼怒川温泉」方面まで足を延ばすことにした。

「新栃木」駅で乗り換えて、「鬼怒川温泉」を目指した。

昔、僕が高校を卒業してすぐのスキーシーズンでは、
その「鬼怒川温泉駅」まで電車で行って、
そこから当時は、国鉄バスに乗り換えて、
「鶏頂山スキー場」に毎週の日曜日に通ったものだ。

そこで、午前中、SAJのスキー教室でスキーの基本を習って、
午後からフリースキーを楽しんで帰った。
当時は、人工降雪機がなかったので、雪が消えるまで通った。

そんな思い出がある駅を目指した。
でもその先に二つ駅があって「新藤原駅」が終点になっていた。

思い出の駅にするのか、終点まで行ってみるのか・・・・・
過去に引きづられているのもなんだかしゃくだから、
「新藤原駅」まで行くことにした。

僕は、最近買ったデジカメで、
「新藤原駅」の駅舎をバックに、輪行袋に入っている自転車を撮った。

そこで、自転車を引っ張り出して、ツーリングを始めた。
でもダメ。
まだそこは、紅葉真っ最中というわけではなかったけど、
景色が良すぎる。

ちょっと走っては、デジカメで僕の愛車を「バシャ」。
またちょっと走っては、「バッシャ」。
ちっとも前に進まない。

カエデが真っ赤になっているところで「バッシャ」。
僕は高いところが大嫌いだが、
鬼怒川を眼下に見下ろす、景色は最高、
でも立ち位置は、断崖絶壁のところから自転車を「バッシャ」。
ウソだと思われるかもしれないけど、
本当に「アジサイ」が咲いていて、そこでも「バッシャ」。
ちなみに「バッシャ」は、デジカメのシャッター音で擬音だ。

結構、撮影が嫌いではないことを僕は知った。

鬼怒川温泉街をそんなことをしてやっと通り過ぎたら、
その後は、つまんないコースだった。
うっかり、脇道なんかに入っていったら、
山道は、とんでもないところまで誘ってくれる。

だから大人しくうるさい車と一緒に一般道を走った。
途中で腹が減ったので「ロースカツ」の看板がある店ののれんをくぐった。
メニューは、全部で8つしかない。

僕は、「ヒレカツ定食」を頼んだ。
出てきた料理の量のすごさったら、ありゃしない。
大学生でも腹一杯になるほどだった。
結局、ご飯を少し残してしまった。

サイクリング中に「腹一杯」にしては、NGなのに、
またやっちまった。
そういうことで、しばらくはノロノロと走らざるを得なくなった。

ノロノロと走るということは、
うるさい車に追い越されるのが面白くない。
さらに余計なものを見付けてしまう。

当然の結果として、面白そうな脇道に僕は行ってしまうわけだ。
山と田圃ののどかな風景。
その風景画の中をのんびりと走っていく。
最高だね。

ただ問題なのは、どこを走っているのかサッパリ分からないことだ。
得意の方向だけが頼りの走りだが、
山道では、直線の道はあり得ない。
僕の好みの方向ではないところへ、行かさせられる。

僕のツーリングのイメージでは、
鬼怒川温泉から南下して「栃木駅」を目指し、
さらに南下して「渡良瀬遊水地」まで行って、そこから輪行で帰る、
というものだったが、
どこをどう走ったのか、僕は「宇都宮」に向かっていた。

それも旅の醍醐味だと思って軌道修正する事にした。
そうしたら、随分と長いトンネルになって、
その後、豪快なダウンヒルが待っていた。

久しぶりに涙がボロボロ出るダウンヒルだった。
スリル満点、爽快感満点。
サイクリングは、これだから止められないのさ。

宇都宮は、でかいね。 初めてこの街の中を走った。
看板に「JR宇都宮駅」があったので、
それに従って、行って、そこに着いたのだが、
「東武宇都宮駅」の標識は、どこにもない。

JRの駅にタバコを吸えるポイントを案内する看板があった。
やっとそこで「東武宇都宮駅」は、かなり離れていることを知った。
そこから、
「東武宇都宮駅」を目指してペダルをこいだのだが、
どこにもその駅を案内する看板がない。
僕は、宇都宮で思わぬ迷子をすることになった。

やっとの思いで、目指す駅にたどり着き、
そこから輪行で帰路に着いた。
今度は、電車の中で居眠りをしないよう一所懸命起きていた。

無事、「新越谷駅」に着いたが、もう真っ暗になってしまっていた。


12/11/1(木)朝 ビデオマンの日記

今度の土曜日に、今シーズン二つ目の発表会がある。
今、「一人3カメ」をしているが、
その内の1本は、この間買ったカメラで、ハイビジョンだ。

残り2本も買い替えが進めば、
「一人3カメ」でのハイビジョン撮影ができるようになる。
同業者では、すでにハイビジョン撮影をしているけど、
ブルーレイでの出荷は、2割程度らしい。

僕の予想では、ブルーレイでの出荷は、
少なくとも後、2〜3年は経たないと出荷の「過半数」にならないだろうと考えている。

これは、僕の「勘」だが、
S-VHSと同じで僕のような幼稚園の仕事では、
ヒョットしたらブルーレイでの出荷は、
このまま低迷するような気がする。

ほんの一部のマニア以外の
一般消費者は、それほど「画質」を求めてはいないからだ。
それより、
子供の記録としてのそのイベント自体の「面白さ」の方がよっぽども「購買力」になっている。

イベント自体の「面白さ」は、取引先の問題なので、
ビデオ屋にはどうにもならない。

そういうことで、
この発表会も、現場でどれだけ「盛り上がる」ことがあるのかどうか、
それが販売数量に直結する。

DVDをブルーレイにしたからといって、
販売数量が増えるということは、まずない。

そのイベント自体に魅力があって、
ダビングをされないようにすることが、売り上げアップに最も効果的だ。

これは「仕事」だ。 趣味ではないから、
こういうマーケッティングをシッカリと見据える能力も商売だから不可欠だ。


12/10/31(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の夜は、「持ち家」を得るために家族が不幸な人の話しを聞いた。
とくとくと話を聞いた。

父親の収入に見合わない家を買って、
仕事で目いっぱいで、一切子供の面倒を見なかったそうだ。

そして母親は、不足分を補うためにパートで働く。
子供たちは、アパートにいた頃の方が楽しかったと言っているそうだ。
でもローンが残っているので、
二人とも働き続けるしかないんだと言っていた。

子供たちを自立させることができたら、
そこまで無理して買った家は、意味がなくなるだろうに、
「物」に執着するがゆえの不幸を絵で書いたような話だった。

もしかしたら、
そこまで無理をした家だからこそ、
子供を自立させないで、せっかくだからいつまでも親子でそこに住んでいたくなるものなのだろうか・・・・
僕の生き方では、信じられない人生を聞いた。

さて、今日は午前中、仕事をしたら
久しぶりに、さぎ山野営場を整備しなくっちゃ。
たぶん、「雪景色」ならぬ「落ち葉景色」なんだろうなぁ・・・・・

僕だって大変なんだよ、
でかいおもちゃ・・・・キャンプ場という「物」のおかげでね。
でも楽しいけどね。


12/10/30(火)朝 復活サイクリストの日記

僕は、高校を卒業して、すぐ自立をした。
その時に、街で一番安い家賃のアパートに住んだ。

「住む」という消費より、僕は自分探しに夢中だったな。
そのときにサイクリングを始めた。
そして、おおいにハマッタね。

今、使っている自転車の車種は、
道路で競技をするための「ロードレーサー」だが、
走り方は、「ファスト・ライディング」、
「快走を楽しむ走り」だ。

このファスト・ライディングには、実は、専用の車種がある。
「スポルティーフ」だ。
一番最初は、これを買って走った。

でも自転車やさんに競技用のタイヤ「チューブラー」を勧められて、
ホイールごと交換をした。

自転車で走るときの抵抗には、3つある。
「風の抵抗」
「位置エネルギーの抵抗」
「タイヤの摩擦抵抗」
だ。

このうち、「タイヤの摩擦抵抗」が驚くほど、それまでと違って低くなった。
まるで、アスファルトを「滑る」ような感覚を感じた。
でも、
フレームの設計とホイールとの相性が悪くて、
すぐパンクをしてしまう。

それで、ロードレーサーの新品に買い換えた。
それからは、冬のスキーシーズン以外は、自転車で関東平野を走り回ったんだな。

夢中になって走った。
ただ、気持ちがいい、それだけのことで走った。

いつだったか、こんなことをしていて「自分探し」になるのかと、
自問自答をしていたこともあった。
でも答えを見つけることより、
走る快感にひきつけられていたね。

それが、歳をとった今、僕にとってかけがえのない趣味に復活したのさ。
「自分探し」
実は、その時に僕は、「自分らしさ」を一所懸命に作っていたんだな。

夢中になれる何か、
これを若者がつかみ取れるかどうか・・・・・・
「一生涯安泰」ではなくて、
「一生涯成長」できるかどうか、これが生きていてとっても重要だとつくづく思う。

子育てが終わって、
今もまた街一番の安アパートに住んで、
今度は、「父性教育の重要性を訴える」活動を個人で細々とし始めた。

僕の心の中の奥底で、こうしろと言っているのが聞こえるのさ。
これは、僕の子供のときの体験が強く影響をしているようだ。

小学校低学年で、散々ドライブやアウトドアーの遊びをしてくれた父親の存在。
小学校で3回、中学校で3回の引越し。
両親の離婚。

これらの体験が、僕にこの活動をさせているように思えるね。
人生を豊かにするもの・・・・・

間違えなく「物」ではなくて「夢中になれる何か」を掴み取ることだ。
僕は、これを確信できるんだ。
そして、若いお父さんの子育てに、これを伝えられれば、
僕は、とっても嬉しいのさ。
そういうことで、これからも「夢中になって」「親子で工作」の活動をしたいね。

こんなことをいつも考えながらペダルを踏んでいたりするのさ。
僕は、サイクリングをしている最中に、
景色を忘れて考え込んでいたりする。 これも面白いのさ。
もっとも今は、ポタリングしかできないけどね。

あぁ、妙に仕事があって、ドロップバーを握ることができない日々だ。
いい時期なのになぁ、残念。


12/10/29(月)朝 キャンプじぃじの日記

江戸時代の初期に、ヨーロッパから宣教師が尋ねていて、
当時の江戸の暮らしを記録していたそうだ。

それによると、
大変粗末な生活だが、とっても幸せそう。
と伝えている。

今、日本人で、
ブータン王国の人々の暮らしぶりを見てきた人も同じことを言っている。
ただ、都市部では「近代化」して「ブータン」らしさがなくなりつつあるという。

分かりますか?
「物」の豊かさは、「快適」「簡単」「気楽」「便利」な生活を実現してきた。
しかし、
そういう環境で育つ子供たちは、それを「当たり前」にしてしまうんだな。

その「当たり前」を手に入れられないので犯罪をも起こす。
「貧困」で、犯罪を起こすのとは、次元が違うでしょう。

犯罪までにはいかないにしても、
こういうことで、
今や、「死」の恐怖で騒ぐのではなく、
「快適」を脅かせれるのでモンスターをするようだ。

フラストレーション耐性は、こうして「物」によってどんどん低くなってしまうものだ。
だからこそ、
こういうことだから、
「不便」「大変」「辛い」体験を子供のうちにシッカリとしておくことが必要になるのさ。

厳しいスポーツなどでもそれを体験させることが出来る。
子育てが目的の「親子キャンプ」でも、
もちろん、「不便」「大変」「辛い」をタップリ体験させることが出来る。

「親子キャンプ」だったら、お父さんに見守られている安心感が子供にあるから、
そういう厳しい生活環境でも耐えられるさ。

それだけではないんだ。
その時に子供は、父親を見ながら「生き方のモデル」を学んでいく。
とくに男の子は、父親の「雄」ぶりを見て男らしく育っていくのだろう。

「メス化」した男が多いと巷でよく耳にするよね。
それは、父親がいても「父親不在」の家庭環境で、
男の子が父親の「雄」ぶりを学習できなかったからだと思えるね。

こういうことで、

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件」
にしてしまいやすいのさ。

そして、

「父親が育った分、子供が育つ」
とは、父親自身が子育てをすることで「父親として育つ」という意味で、
本当の「オヤジ」だからこそ、子供の心を強く育てることが出来るのさ。

超辛口の聞きたくもない書き込みだけど、
誰かがこれを訴えていかないと、
ますます日本男児が「メス化」してしまうよ。
そのことによって、この国が滅亡しかねないよ。

世界の歴史でも「文明」が栄えては、滅びることを繰り返してきたよね。
ソロモンでさえ、初めのころは神様に支えられていたようだけど、
結局「物の栄え」は、滅亡をした。

これは、「人類の性」なんだろうね。
でも、日本人には「もったいない」の文化があるから、
ヨーロッパやアメリカとは違う「価値」を持っているじゃないですか。

昨日の夜も、
古い友人でうつ病のヤツともうじき90才になる大家のおばぁちゃん、
そして、子育てを終わった老夫婦の四人で鍋をつついたんだよ。
ボロアパートの中でね。
江戸時代の庶民の生活を再現できたさ。


12/10/28(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

昨日は、戸田市の道満グリーンパークで「親子で工作」のボランテイア活動をした。

大成功!
7〜8人のパパが釣れた。
それにママも含めると、いったい何人の親がいたのか分からない。

何人かのパパに「ペットボトル風車」の作り方を教えた。
最後に、車軸をグリップの木に90°の確度で「角結び」で固定するのだが、
「巻き結び」が難しかったようだ。

でもここのところが、キャンプ技術の伝達で要なんだよね。
パパに子供の手を握らせながら、
こうして普段も子供と遊びましょうと訴えた。

パパの中には、「枝笛」に挑戦していった人もいた。
後で、気付いたのだが「竹とんぼ」も見本で置いておけばよかったな。

お客さんのピークでは、てんてこ舞いをした。
これだけパパが集まってくれると、
僕もやりがいがあるというものだね。

ただ、ここのところ、いい気になってビールを呑んでいたら、
また通風が出てきて、ビッコを引きながらタープの下を歩き回ったのがチョッと辛かったな。
昨日の打ち上げは、そういうことで「グレープフルーツ・ハイ」にした。


12/10/27(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、車に撮影機材とキャンプ資材とが入れ替わりをした。
仕事をしているような遊んでいるような・・・・・
遊びなのに仕事みたいな・・・・

自分でよく分からない。

今日は、これから戸田市の道満グリーンパークで、
「親子で工作」のボランティア活動をしにいく。

僕は、「オリジナル」が大好きだ。
仕事である(はずの)「卒業ビデオアルバム」制作は、
今までなかった仕事を開発できたし、
今日のボランティア活動も、
「父性教育」の重要性を訴えるという目標のあるもので、
僕のオリジナルだ。

小さい仕事、小さい社会奉仕、
でも自分のオリジナルのところがとっても気に入っているのさ。

YHOOで仕事でのニックネーム「ビデオマン」は、滅多に一位にならないけど、
「キャンプじぃじ」は、ここのところずっと一位だ。

今朝、念のために調べたら「1・2フィニッシュ」を決めていた。
どこかで誰かがここを読んで下さっているらしい。
どうもありがとうございます。

このボランティア活動は、もう何年やってきたことだろうか。
マザー牧場でのキャンプスタッフが、今年7回目だったそうで、
それより前から始めた。

そして、今年は、これを幼稚園の園庭でも行えたところに、
僕の活動の飛躍があった。
参加をした父親が、一度に10名というのは、今までの中で、
僕にとって、記録的数字なんだよ。

とっても小さい活動でも、
僕にとっては、浮き上がるほどの嬉しさだったのさ。
さぁて、今日は、何人のお父さんが釣れるのかな?

いざ、出陣だ〜〜〜!


12/10/26(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、車に満載した撮影機材を小学校に仕込んだ。
そして、
今日は、そこで合唱を撮ったら、
速攻で帰って、その機材をしまって、
今度は、「親子で工作」のボランティア活動をするために、
キャンプ用品を車に満載する。

今年は、この活動が雨で中止になることが多い。
明日は、ぜひ晴れて欲しいのだが・・・・・
そのために幼稚園の遠足の時にたくさんドングリも拾ったんだがなぁ。

石原都知事がここのところ、最後のご奉仕か、
最後の大暴れか知らないが、世界的に注目度が高い。

YAHOOで「父性教育」を検索すると、
このHPと首位争いをしてきたが、
ここのところ、僕は二位だ。
相手がでかすぎるよな。

僕は草の根で、父親に子供との関わりの場を作って、
子育てを父親自身で楽しむことを訴えていきたいね。
若いお父さん、一人ひとりに「父性教育」の重要性を訴えたい。

目指せ! マザーテレサのような「その一人を」の精神を。
明日、晴れますように。


12/10/25(木)朝 ビデオマンの日記

夏のお泊まり保育の仕事も終わり、
秋の運動会も済んで、
次は、発表会のシーズンだ。

明日、その一つ目、小学校の合唱を撮る。
この仕事は、もう17〜18年ぐらい続いてある。

体育館のステージではなく、フロアーに全校生徒が、
「コ」の字形に集まり合唱をする。
これまでは、体育館の中の二階の廻りにあるギャラリーから撮れば、
だいたいの子の顔が撮れた。

しかし、今年はそうではなくなった。
ステージに向かって馬蹄隊形のように「コ」の字形になる。
サイドのギャラリーからでは、
手前のグループが背中になってしまい顔が撮れない。

ステージの上には、ゲストが座るので、
そこに陣取ることもできない。

どうやって、子供の顔を全員撮れるのか・・・・・・
これが僕の商売だ。

ステージ、下手花道に引き絵無人を1本、

フロアーで、
三脚を目いっぱい上げて僕の頭よりカメラが高くしたものに、
ドーリーを付けて、子供にカメラが寄って、俯瞰で顔を撮るのが1本、

そして、同じくフロアーで、
三脚を低くして、台車に載せて、
MC(子供)や、指揮者(子供)、そして逃げの絵を撮るのに1本、

計3本をパラレルで撮ることにした。

うまくいくかどうかは、やってみなければ分からない。
二人、フロアーでドーリーするのだが、
「邪魔だ」とクレームが付くことが予測される。

でも、いろいろ考えたが、これが一番顔が撮れる方法だと決定した。
このために、
1本、カメラを買って、三脚のドーリーも買った。

カメラは、どちらにしても「16:9」の画面サイズのものを3本揃えていかねばならないので、
その1本に今年の予算外だが買った。
おかげで、スキーブーツが買えなくなった。
ションボリ・・・・・・

ドーリーは、まったくこの件に関係なく、
どちらにしても必要だったので買ってあった。
いい勘をしていた。 来年にはもう一つ買いたい。
台車でドーリーは、やっぱり、いただけない。

インカムは、二人のカメラマンが、それぞれドーリーをするので有線では無理だ。
うちのばぁばと二人でサイクリングをする時に使うので買った
おもちゃのワイヤレスインカムを使うことにした。
至近距離なら使える。

音声は、MCはラインで、伴奏、ピアノ、はマイクを仕込んで
方チャンに、
もう方チャンは、被写体にカメラが寄るので、
そのままカメラマイクを使うことにした。
それらを編集でバランスさせる。
このことで、ミキサーを管理しないで済むようにする。

3本のカメラの絵は、「音声」でシンクロさせる。
下手花道にある1本のところにミキサーを仕込んで、
その1本は、そこからラインで、

台車ドーリーは、それほど動かないのでこれも有線で、
そして僕が振る「顔撮り」ドーリーの1本には、
ワイヤレスマイクを利用して無線でカメラに音声を送る。

なにせ、二人3カメの予算なので、やりくりが大変だ。

さて、今日は、こういう作戦でこれらを現場に仕込む。
極めて珍しい撮影方法だと思う。


12/10/24(水)朝 キャンプじぃじの日記

明後日、小学校の合唱を撮る。
発表会の撮影の一番最初の仕事で、
倉庫の一番奥にしまってあった三脚などを引っ張り出したりしていた。

準備をしている内に、事情でカメラを買わなければならなくなる。
そういうことで1本、買った。
昨日の夜、届いた。
ギリギリセーフ。

でも、おかげでスキーブーツが遠のいた。
ノルディカが欲しかったのに・・・・・・
スキーがしたいんだ、僕は。

ところでこのカメラ、
扱い方が、まるっきりPCみたいだ。
だいたい取り扱い説明書がCDの中にPDFで入っている。

僕は、今現在、4:3の画面サイズで作っているが、
それに対応しているらしいということで買った。
しかし、
どうすればいいのか・・・・サッパリ分からない。

いろいろいじくってやっとそれができた。
そのほか、すぐ使えるようにしていたら夜中になってしまった。
普段、9時前にオネムの僕は、
たまに夜更かしをすると、ボ〜〜〜っとする。

アッ、いつもボーっとしているか・・・・
今日中に全部の機材チェックをしなければ・・・・・

いつも思うのだが、
発表会の機材準備と、キャンプの資材準備は、
「物」が違うだけで同じような感じがするんだな。

それぞれの活動のイメージを思い浮かべて、
それで必要なものを割り出していく。
どちらも準備物が多くて忘れ物をすると大変なことになる。

作業の全体像をイメージする・・・・・・
子育ても、全体像を掴み取るのさ、若いお父さん!

子供が、幼児期、学童期、反抗期、自立。
それぞれのシーンに欠かせない父親の子育てがあるのさ。

子供と関わることで、子供に愛着が生まれるよ。
それが次第に本物の「愛」に昇華するものさ。
ここ、大切ね。
「関わる」ことが何より大切なんだよね。


12/10/23(火)朝 キャンプじぃじの日記

子供は、「家庭環境」に最も強い影響を受けて育つ。

この当然で当たり前のことを、ぜひ分かって欲しいね。
いくら幼稚園で最高の教育を受けても、
超難関中学校へ通っても、
どんなに有名大学に行けても、

「生き方」「生きる意味」「生きる価値」

といった子供のパーソナリティは、家庭環境で出来上がるのさ。
当たり前でしょう。 
そうでなければ恐ろしいことになる。
例えば、お隣の国では、国によるコントロールがあるよね。

そういうことで、
子供の「心のトラブル」は、たいがい家庭環境によって起こると言っていい。

障害のある子が心のトラブルを起こしやすい傾向があるが、
それでも、
そういう子を育てる家庭環境の違いで育ち具合は、まるで変わる。
これは、僕の体験談だ、ハッキリと言おう。

だから若いお父さん!

子育てを他人任せにしてはいけないよ!

父親自身が主体的に子育てをするからこそ、
子供の心が大人に育っていくんだからね。

子供を「自立」に向けて育てることが出来るのは、
その子の父親だからね。

今の日本を見てると、
「心の育ちが遅い」つまり「幼稚な大人」が多いと僕は感じるんだな。
それが、子供の心の育ちをも影響をしていると思う。

若者が「一生涯安泰」を求めてる就職観は、
「人生の冒険」を否定する悲しい生き方だと思うね。

本来、「生きる」というのは、冒険のはずだ。
その冒険に学び、体験し、さらに感謝し・・・・・・

僕は、「卒業ビデオアルバム」制作という、
28年前には、そんな商売は、あり得ないと言われた商売を目指して、
今、それで生計を立てている。

こういう人生の冒険を元気良くできる若者を育てられなければ、
日本は、資源もエネルギーも輸入に頼って成り立っているのに、
潰れるでしょう。

そうでもなければ、すべて「地場産業」で成り立たせるのか・・・・
ブータン王国のように・・・・・

物質主義が染みこんだ日本では、悲しいけどそれも無理さ。
緩やかな経済発展を実現するためには、
「冒険できる若者」を育てるしかないと思うんだよね。

若いお父さんの子育て次第で、この国の将来が決まる。


12/10/22(月)朝 キャンプじぃじの日記

子供が、中学生になったら、

「実社会」を強く意識させて、
「反抗期のエネルギー」を家庭内にこもらないようにする。
そして、お父さん自身で子供に、

「生きる意味」「生きる価値」「生き方」が語れるようになろう。

子供が高校生になったら、

「自立をした一人の大人の社会人」を強く意識させて、
自分の人生は自分自身で開拓できるように、
お父さんの言葉で、
子供の心を育てよう。

ここで、
「自立をした一人の大人の社会人」
の意味を説明したい。

「自立」は、辞書で調べたとおりだ。
目標は、子供が20才になったときということになる。
世界的には、18才だ。

「一人の」・・・・
「自立」を強調したくて修飾した。


「大人の」・・・・
子供の精神的な「成長」を果たすことを意味している。

「社会人」・・・・・
子供が実社会で生きていく術のすべてを少しずつ身に付けていけるようにすることを意味している。
子供が目指す仕事で、「社会人」の学びはいろいろあるだろう。

「自立」が理念だとしたら、
「大人」が戦略で「社会人」が戦術という位置関係だ。

だから、最後には子供が親から「自立」していくことが最大目標になるのさ。
親から自立をした子は、自分の力で生きていく。

こういうステップをしっかりと頭の中でイメージして欲しいね。
そのために、
小学校では、子供の心をどう育てればいいのか考え実行をするのさ。
就学前は、たくさん子供と遊ぶ「思い出」を作るべき年代だよ。

「子供の遊び」は、直接「成績」に関係ないように思えるが、
実は、心が成長をしていく上で不可欠なものだ。
大自然の中で、外遊びで、どれだけ子供が遊べるのか・・・・・

子供は、子供の遊びを、遊びこむほどに心が育っていくものだ。

子供を「生き物」としての本来の姿・・・・「野性」体験こそが、
生き延びようとする源になるのさ。

「生き物」本来の能力・・・・・・それが「生きる力」だ。

子供を建物の中に閉じ込めて育てては、だからよくないよ。
建物の中の「快適」が子供の心を弱くしてしまうのさ。

このこと、気付いてもらえれば、実はとっても簡単な原理なのが分かるさ。


12/10/21(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、幼稚園で「こども祭り」を取材していた。
ついに、仕事をネタにするようになったのか・・・・・・

取材は、小一時間で済むものだったが、
それ以外に仕事をしていた。

ウインナーを焼くコーナーがあったのだが、
何でも、今まで借りていた業務用のガスコンロが、
事情で借りられなかったと言う。

そこで、なぜか僕に相談があった。
「谷口さん、たしかキャンプ用のバーナーがあったよね」

確かにある。
一台は、所有権は古い友人だが、使用権は僕にあるコールマンの2バーナー。
そして、コールマンの何かの周年記念に出たアルミボディの2バーナーで、
2台ある。

そして、この間の流しそうめんのために買った、ズンドウが2ヶ。
ついでに、手洗い用のタンクとそれの台。

それらで、ウインナーを湯がいて、焼けるようにした。
その数、600本あったそうだ。
その作業は、役員のお母さん達がやったのだが、
ガソリン補給、ポンピング、火力調節、
これらは僕がやらなければならなかったんだな。
それで、取材をサッサと終わらせて、バーナーの管理を、
ウインナーがはけるまで見ていた。

2台の2バーナー、それぞれ途中でガソリンを補給した。
ポンピングもそれぞれに数回やった。
そのうち、ポンプの弁が壊れて修理もした。

かなり大き目の鉄板が熱で反り上がったね。
ガソリンだからすごい火力だ。
キャンプ技術だって、こうして仕事になってしまうのさ。

そうさ、僕はここのところ夏休みにマザー牧場でキャンプスタッフの仕事だってしてるのさ。
よく働いているよなぁ。 働き者だ。
誰にも言ってもらえないので・・・・・自分で言おう。


12/10/20(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、朝方、曇り空だったが、すぐに秋の澄みきった青空になった。
仕事は、offれていたので、ツーリングに出た。

今までにないコースにしたかった。
それで、目吹橋から利根川を上って行き、
渡良瀬遊水地を目標にして、
そこから輪行で帰る・・・・・

デジカメを充電しながら、こういうコースを考えた。
満充にするまで時間がかかりそうだったから、
ソコソコで切り上げて出発をした。

デジカメを持って行くというのがまだ習慣化していないんだな。
準備不足のおかげで、出発が9時近くになってしまった。

越谷市から吉川市へ向かってペダルをこぎだす。
その途中に桜並木がある。
でも、そこの下は走れない・・・・と思っていた。

たまたま信号待ちでその道の脇に停まった。
いつも車でよく通る道だが、
自転車だと視点が変わり「見え方」が違ってくる。

何気なく、そのさくら並木の道を見たら、
そこの交差点から、並木の下が走れるようになっていることに気付いた。
「気付く」というものは、こういうものだよね。

若いお父さんも、子供と遊ぶという「人生の豊かさ」に気付けるかどうか、
世の中のあらゆる「お楽しみ」「仕事」よりも子育てが一番重要だと気付けるかどうか・・・・
ちょっとしたきっかけで分かるのかも知れないね。

ラッキーな気分でその桜並木の下を走って行った。
そういたら、いつの間にか知らない道になって、チョッピリ迷子。
得意の方角だけを頼みに「野田橋」を目指す。

すぐに野田橋を渡って、次は利根川に掛かっている「目吹橋」を目指す。
片側一車線の道路に大型トラックが突っ走っていく。
昔は、まったく気にならなかったが、
今は、こういううるさいサイクリングは極力避けている。
でも、そこでウロウロと脇道に出て迷子をするわけにもいかず、
しかたなしに、ガタガタ歩道を走る。

すると、目吹橋の寸前で、その歩道に「すすき」が生い茂って道をふさいでいた。
すすきを掻き分けるようにして「歩道」を走る。
アドベンチャーだな・・・・

目吹橋を渡って土手を上流に上って行くと、
すぐに「鬼怒川」になってしまう。
そこで、橋を渡らずに土手を走って行った。

うるさかった道路から解放されて、見渡す限り広々とした風景の中を走る。
トンビが目の前を旋回していた。
餌なんかないと分かると去って行った。
また、イナゴがそこら中でHをしていた。

デジカメで撮ろうとも思ったのだけど、
毎回それを撮るのは、あまりに芸がなさ過ぎると思いなおして止めた。

広大な景色の中を走るのは、
なんだろうか、時間まで止まっている感じがするんだよね。
のどか、まったくこのフレーズそのものを楽しんだ。

そうこうしているうちに、お城が見えてくる。
何でしょうか? 趣味の悪いラブホ?
とりあえず、デジカメでそれをゲット。

近付いていくと、どうやら人間のHの場所ではないことが分かった。
そこは、
「千葉県立 関宿城博物館」だった。

企画展「醤油を運んだ川の道」が開催されていた。
常設展示では、川の氾濫と昔の人々の様子を、
3D映像や模型で展示をしていた。

企画展のパンフによると、
河川交通網の整備に伴い、醤油の大消費地・江戸と生産地が直結したことで、
千葉県が、醤油生産量の全国一位となる基礎が築かれた。
なのだそうだ。

野田市に「キッコウマン」があるけど、何回か幼稚園の遠足で入ったな。
お土産に醤油がもらえた。
たしか、房総半島にも別の醤油ブランドがあったような気がする。
「カネ・・・」なんとかというブランド、なかったけかなぁ・・・・

関宿城博物館を後にして、さらに利根川の土手を上って行く。
栗橋に出て、橋を渡る。
そこからは、もう何回か走ったことがあるルートだ。

あの、橋の色が水色で遠目に見て、とっても綺麗な橋がある。
その橋をバックに自転車をデジカメで撮った。
橋のバックに山並みがあり、
それらが丁度いい感じになるように、望遠で撮る。
サイクリングと撮影ごっこの組み合わせだ。

あっけなく渡良瀬遊水地に出て、
道の駅「きたかわべ」でデカニギリではなく、天ぷらそばを食べて、
東武線「やぎゅう駅」から輪行で帰路につく。

ほどよい疲れと暖かい電車内で、僕は爆睡した。
着いたところは、「北千住駅」だった・・・・・
トホホホホ・・・・・・


12/10/19(金)朝 ビデオマンの日記

昨日は、一日雨模様だった。
それで一日、編集をしていた、暗く・・・・・
さらに夜には、同業者の集いに参加をした。
仕事をしてるなぁ。

子供がいたころは、「暇」が恐怖に思えたものだ。
でも今は、欲を張らずに生活が出来ればいい。

「気持ち」が変わるとすべての物事が今までとは違って見える。
「視点の違い」というレベルではない。
まったく逆に見えることがある。

好きな仕事を適量こなして、
残りの人生を楽しめるなんて、思いもよらないことが起こっている。

昨日、「復活スキーヤー」の宣言を同業者の中でやはりスキーが好きな人にした。
はたして実現するのか・・・・・
ブーツが軽く10年を越しているので、NGなんだが・・・・

二日酔いほどではないけど、呑みすぎだ。 お終い。


12/10/18(木)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の朝日新聞、朝刊の二面に、「学習障害」についての記事があった。

スピルバーグも僕の子と同じ障害があったんだな。
同じ障害でも、そのレベルにはいろいろあるし、
また他の障害の合併の度合いもある。
まったく「同じ」ということではないだろう。
彼の場合、アスペルガーも傾向としてあると僕は思う。

それでも、その障害を乗り越え社会で活躍できている例として、
同じ障害の人々の、それは希望になるでしょう。

そういうことで、その記事を僕の子にエールの言葉を添えて送ったさ。

学者によって若干の違いがあるけど、
学習障害も含めた「発達障害」は、概ね1割と言われている。
記事には、「読み書き」が困難な割合が小学生で、8%とある。

こういう調べ方では、なぜそれが困難なのか、
その原因が分からないから、
それがそのまま「学習障害」を指すとは限らない。

「発達障害」と、専門家が判断するためには、
相当の数のチェック項目をクリアーしなければ「障害」とは言わない。
そのチェック項目の特徴が、規定より少ないと「健常」と判断される。
でも、その特徴は間違えなくあるのさ。

こういうのを「個性」と呼ぶのさ。
だから、僕の持論だが、
「発達障害」の特徴の一つや二つは、必ずみんな持っているのさ。

また、学校の成績がいいからと言って「障害」ではないと思ってはいけない。
アスペルガーの子の中には、異常なほど学校の成績がいいこともあるようだ。

そういう子に限って言えば、
「暗記」が得意だから「詰め込み」教育がいいこともあるかも知れない。

しかし、大概は、小学校低学年までは、
「自分の好きな遊びを思いっきり楽しむ」体験が不可欠なんだよ。

でも、「成績」に執着したがる親が、
他人任せな子育てに突っ走っているんだよね。
ここに今の日本の「子育て」の問題点があるのさ。

見ててみな、そういう育て方は、
小学校四年生あたりでエンコするから。
「心」が育てられていないから、息切れを起こすから、
絶対とは言えないものの、
そういうリスクが非常に高いのさ。

なぜ「自分の好きな遊びを思いっきり楽しむ」体験が必要かと言うと、
そのことで「自主性」を身に付けられるからだ。
しかもあらゆる子の個性にピッタリ合った育ちになるのさ。

そういうことで、
「障害」の子に「詰め込み」教育をやってしまったら、
「二次障害」をかなりの確度で起こすんだぞ。

だから、僕の子は、
小学校に入る前に専門家にそれを指摘されアドバイスを受けていたので、
小学校の間は、
ズッと、路地で友だちと遊ばせたものだ。
成績は、最悪のまま、外遊びをたくさんさせたのさ。
ここ重要ね、「外遊び」「友だちとの関わり」を毎日体験させた。

僕は、子供が
学校の成績は最悪であっても、あせるなというアドバイスをもらっていたのさ。

そして、中学生でボーイスカウトの活動を体験させながら、
直接僕が関わる「親子キャンプ」をして育てた。
とってもいい結果を得たと思う。

その子は、22才で僕のところから自立をしていった。
ハンディキャップを考慮したら、結構早い自立であっただろうと考えている。

でもどう?
子供が、30才を過ぎても自立をさせる気がない親が、
なんて多いのでしょうか?
「子育て」の根本的なところで間違っているよね。

それで、僕は、これを訴えだしたわけさ。

子育ては、
「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てる。

それは、日本では、20才が基準になっているんだよ。
他の多くの国では、18才だ。

スピルバーグは、ユダヤ人だ。
この間読んだ本では、ユダヤ人の教育では旧約聖書を暗記させて、
もっと早く「大人」扱いするようだ。
そういう子育てで世界の富をわずかな民族が握っているのさ。

まぁ、それがいいかどうかは分からないけどね。
新約聖書では、
「金持ちが御国に入るのは、
    ラクダに乗って針の穴を通るのより難しい」とある。

さて、それでも
たぶん、ここの読者の方のほとんどの方が
自分に関係が無い話しだと思われているだろうな・・・・・

もう一度言うよ、
発達障害の特徴の一つや二つ、いやもっとかも知れないが、
必ず誰でもあるものなのさ。

だから子供の「個性」をシッカリと父親が把握できていないと、
「二次障害」を起こしやすいのさ。

しかも「自立」を無視した子育てをして、
いいことなんか何もないからね!

「自立」を無視した子育ては、子供に非常に窮屈な人生を与えてしまうんだよ!
ひどい場合、心のトラブルの元になるんだぞ!


12/10/17(水)朝 復活サイクリストの日記

ここの書き込みには、仕事のことをあまり書かないから、
毎日、仕事をしていないように思われてしまいそうだ。
僕は、自営業なので、
ほとんど毎日、どうかしたら土日だって仕事をしている。

ただ、朝から晩まで仕事をしていることは、滅多にないだけだ。
当然のことながら一日の中に「自由時間」がタップリあって、
その空き時間にサイクリングや、さぎ山野営場の整備をしているんだな。

「怠け者」に思われても困るから、
一所懸命にここで弁明しよう。

ということで、昨日は、午前中、仕事をしていた。
朝からズッと雲一つない晴天なのに仕事があった。
残念。

それでも午後から見沼代用水路コースのショートカットを自転車で走ったさ。
コオロギや小鳥の合唱を聞きながら、
キンモクセイの香りを嗅ぎながら、
秋の爽やかな空気を浴びながら、
自転車で走った。

気持ちよかったなぁ。 もう最高の気分だ。
ショートカットなのですぐに周回をしてしまった。

今日は、夕方から雨だそうだ。
こういう日は、細々とした仕事と、雨でなければやりそうもない編集に取り組もうかな。
ね、ちゃんと仕事もしてるでしょう。

晴れないかなぁ・・・・・自転車がウズウズしてるのさ。


12/10/16(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、料理教室「和食基本コース」を習いに行っていた。
今回、非常に興味があったのは、
包丁の研ぎ方だ。

僕は、キャンプで使うナイフ、斧、ナタ、木割り矢、
などの刃物を自分で研いでいる。
チェーンソーやツールナイフにあるノコギリも目立てをする。

どういう道具も自分でメンテするからこそ自分のものになるものだ。

それで、昨日の料理教室が始まる前に、
包丁の研ぎ方を教えてくれるというので、
早めに行った。

何に興味があったかと言うと、
それは、今までやってきた研ぎ方と真逆なことをするところだった。

僕は、「歯」を体の外に向けて、
ミネを指で押すようにして研ぐ。

しかし、そこでは、歯を砥石に押し付けるようにして、
ミネの方向へ研ぐ。

まったく逆方向なんだな。
一昨日、古い友人と大家のおばぁちゃん、僕とばぁばで夕食を囲んだ時に、
大家のおばぁちゃんに包丁の研ぎ方を聞いてみた。

なんでも、子供のころ、親だかなんだか、職人だったそうだ。
それで、研ぎ方は、僕と同じだった。

どうやら、刃物の研ぎ方には「流派」があるらしい。

物事、どんなことでも最初に覚えたことに人間は、執着しやすい。
このことを「初期ペイント」とか言う。
最初に覚えたものを、「正しい」と思いがちなものだ。

そういうことがあることを僕は知っていたので、
あえて、その包丁の研ぎ方に「学ぼう」と思ったのさ。
意外に自分の心の中に葛藤が起こるものさ。

でも分かったよ。
その研ぎ方でのポイントは、刃をシッカリと押さえ込むことだと分かった。
僕のキャンプ技術のノウハウの一つにしたさ。

子供のころに教えてもらったことは、
その人にとって、だから、それが「基本」になってしまうものなのさ。
若いお父さんは、子供に何を教えられるのかな?

新しい「物」を手に入れて「幸せ」だね、なんて教えたら、
その子は、一生涯を通して「物」に執着しやすいよ。

僕の父親は、僕が小さい頃、
テントを張って寝るのが好きだったようだ。
「キャンプ」の思い出は、実はあまりない。

一番印象深いのは、
印旛沼で「バカ貝」を夜中に獲った時のことだ。

ゴムボートに、そこに、父親はテントを張った・・・・・
どこをどうやったのかは、分からない。
ペグが打てなかったことだけは確かだ。

僕はその時あたりで「自在結び」を教わった。
僕がカブスカウトのリーダーになり、
スカウトにロープワークを教えるために、いろいろなワークを学んだ。
その時に、僕のその「自在結び」は、ちょっと間違っていたことを知ったのさ。

でもね、嬉しかったね。
僕は、父親に教わっていたことに喜びを感じたのさ。
正しいかどうか、そんなことではないさ。
自分の父親に教わっていたことこそが、子供にとっての「喜び」なのさ。

子育てを他人任せにしては、いけないよね。
分かるよね、若いお父さん。
こういうことなのさ。

自分の子を、お父さん自身で「メンテ」するからこそ、
その子が自分の子だと思えて愛せるのさ。
分かるよね。

今の日本の教育で最も不足しているところ・・・・


12/10/15(月)朝 キャンプじぃじの日記

夏休み中にあるマザー牧場のキャンプスタッフの仕事が終わって、
それからは、日曜日には大人しくしている。
午前中に礼拝を守り、
その帰り道にあるインド人のカレー屋さんでカレーを食べて、
大家のおばぁちゃんを連れて早めに銭湯へ行く。

そして、夕方の6時には、古い友人でうつ病のヤツと、
大家のおばぁちゃん、そして僕とばぁばの四人で夕食を食べる。
この判で押したような日曜日を繰り返しているんだな。

大家のおばぁちゃんは、もう少しで90才になる。
僕の四人の子供たちを見てきた。
ジョークが上手で頭の回転がいい。
だから会話がとっても面白いのさ。

うつ病の古い友人は、中学の時からのヤツだ。
コイツのおかげで僕は、うつ病に関してたくさんの本を読んだ。
結局、直すことが出来なくて、それが重症化した。

二人とも社会的弱者なんだな。
そこに子供がいなくなって寂しい老夫婦が揃って夕食を囲んでいるのさ。
でも、とっても穏やかで楽しいさ。

いつまで続けられるのか分からないけど、
日曜日は、極力、この平穏な日を楽しんでいきたいな。
僕が大人しくしていることを楽しむだなんて・・・・・
随分とくたびれてきたものだ、ポンコツだな。

でもこの安らぎは、なんとも言えず幸せそのものなんだよ。
「隠居生活」を満喫しているのさ。
この国は、いい国なんだな。
おかげで「ビデオ屋」で喰ってこられた。
外国じゃ、無理だろうね、この仕事。

日本では、写真の「卒業アルバム」という文化が根付いている。
だから、僕の仕事が成り立った。
「思い出」をとっても大切のする文化が日本にはある。

大震災の後で、たくさんの家族写真を拾い集めて、
持ち主に届くようにとボランティアをしていた人たちのニュースが流れたね。
そこまでにして「思い出」を大切にする。

ならば、父親が子供と遊ぶ「思い出」を粗末にできるはずがないさ。
ただ、今、「物」を手に入れることに心が奪われていて、
ウッカリと子供と遊ぶ事を忘れているだけさ。

僕は、このことに気付いてもらえるように、
これからの人生を使っていきたいんだな。
自分の子育ての反省の意味をこめてね。

大家のおなぁちゃんと古い友人。
子供との思い出。
「物」との関係ではなく、「人」との関係にこそ
人生の喜びがあるのさ。

その上に、神様との関係があると、昔、教わったな。
なるほどね。


12/10/14(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、今秋最後の運動会の取材があった。
越谷市から東京のその現場まで片道35`。
往復70`。

素人さんは、この距離を自転車で走るというと、
たいがい「えええ〜〜」と驚くけど、
サイクリングの距離としては、初心者の長さなんだな。

天気もいいし、当然昨日は現場まで自転車で行った。
ミニツーリングの気分でね。

ただし、朝の9時半から午後2時までは、
運動会の取材で働かなくてはならない。
しかも、ちょっと重いカメラを背負って自転車に乗るのは、
「五十肩」にきつかった。

仕事をしているような、遊んでいるような。
逆かな・・・・
遊んでいるような、仕事をしているような。
自分でよく分からない人生を送っているのさ。

片道大体2時間かかる。
帰りは午後2時に走り出せるはずだが、
万一3時を過ぎると暗くなってしまう、この時期はね。

ライトを取り付けてもいいのだが、
そこまでして走りたいとは思わない。

たいがいのツーリングでは、必ず輪行袋を持っていて、
何かトラブッたら輪行で帰るのが昔からの僕のスタイルだ。

それで、
「輪行」が目当てではなくても、だから昨日は、輪行袋を帰りが遅くなった場合に備えてボトルゲージに入れて持って行った。

「備えよ常に」だ。

この書き込みも、参考になることがあるでしょう?
えっ? バカバカしい?

くだらないと思って読むから、つまんないのさ。
ありがたく読めば、まるで新興宗教のような効果があると思うよ。
気持ち次第で、そこらへんが違ってしまうものだ。

さて、今日は日曜日。
心を素直にして、説教を聴きに行かなくっちゃね。
「幼稚であってはならない。 幼子のように素直になりなさい」か・・・・


12/10/13(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、R-298沿いにある仕事場まで、ばぁばを送った後で、
そのまま幼稚園の芋掘り遠足の取材に行った。
かなり早く・・・2時間前には現場に着いてしまうので、
自転車を車のキャリアに載せて行った。

一年ぐらい前だろうか、自衛隊の朝霞駐屯地の裏側を通り抜けて「黒目川」に沿ってサイクリングを何回かしていた。

そのときの帰り道で「野火止用水」を見つけた。
昨日の現場にかなり近いらしいことは、知っていた。
そこで、取材現場に車を置いて、そこから「野火止用水」を探しにサイクリングをした。

本当にすぐそばに「野火止用水」があった。
前回、お団子屋さんで団子を食べたのだが、朝が早かったせいか、やっていなかった。
ちょっと残念。

それで、その団子屋さんを後に、「野火止用水」沿いにペダルをこぐ。
すぐに関越自動車道に出て、その用水路が途切れる。
前回は、ここでもう急いで帰らなくてはならないので、
R-254に向かって走り、帰った。

でも昨日は、暇だったんでいろいろ見物をしていたんだな。
そうしたら、「野火止用水」を観光案内する看板を見つけた。
それによると、
関越自動車道を越した先にまだそれの続きがあることを知った。

もちろん、そこを目指して行ったさ。
とってもいい感じだ。
巾1メーターぐらいしかないだろうその用水沿いに、
大木が連なっていて、自転車より散歩の方が景色を楽しめる。
そこで、ローギャーでゆっくりと走って楽しんださ。

たいした距離がなく、ついに街中に出てしまった。
折り返して、また用水沿いに戻っていく。

その途中に、「平林寺」がある。
でかいお寺だ。
時間がまだあったので、500円の参観料を払って中に入った。
その境内を横断するように「野火止用水」があった。
でも、なぜか水は枯れていた。

参観料を払った時にもらったパンフを見てみた。
そこは、臨済宗だった。

「平常心是道」

パンフによると、
「一般に平穏な少しも外物に動じない落ち着いた心」
と解釈されるが、
禅宗では、日常の心、すなわち、惜しい、欲しい、憎い、かわいい、
などの煩悩そのままが平常心であり、それに徹して生活をしてゆくことが道であり、禅の神髄である。
なのだそうだ。

浄土真宗では、四苦八苦するのは煩悩があるからだ、と教えてくれた。
また、日蓮宗でも、煩悩から解放されて悟りを得られるらしく、
その修行僧をビデオで撮ったことがある。
その修行は、世界三大荒修行の一つなんだそうだ。

また、念のため辞書を引くと、
「煩悩」[仏]人間の身心の苦しみを生み出す精神のはたらき。
肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。
これらを仏道の修行によって消滅させることによって悟りを開く。
と、あった。

どうやら禅宗では、そこらへんの解釈や考え方が、
確かに一般とは違うようだ。

僕は、昔、カブスカウトのリーダーをしていたころ、
スカウトを連れて、禅宗の一つ、曹洞宗のお寺へ行って、
座禅の体験をさせてもらったことがある。

そのときには、ここまで突っ込んだ解説はなかったな。
でも、子供たちは、その雰囲気だけでもビッシッとしたものだ。
間違えなく、子供の心に響く何かがあった。

僕のサイクリングは、こういう発見があっていつも面白いのさ。

とっても身の引き締まる思いをして、
車まで戻って、自転車をキャリアに載せて、
何食わぬ顔をして、そのあと仕事をしたさ。

でも、昨日のそのお寺は、心に残ったな。
浮ついた僕の心を浄化してくれたのだろうか。
合掌。


12/10/12(金)朝 キャンプじぃじの日記

第三回SCCキャンボリー

「灯篭」をお父さんと子供のペアで作って、
それを灯す・・・・・
そして、簡単なキャンプファイヤーを楽しんで、
最後にキャンプじぃじの紙芝居を上演。

さぎ山野営場の近所にあるプロテスタント教会の塾に通う子供たちに案内をして募集する事になった。
スケジュールのすり合わせで実行日が変更になった。

12月16日(日)午後2時現場集合
         午後5時20分解散予定

ここの読者の方でも参加が出来ます。


12/10/11(木)朝 ビデオマン&復活サイクリストの日記

こんな表題は初めてだ。

この間、「やぎゅう駅」まで輪行して、
そこから渡良瀬遊水地、思川へ行こうと思ったのだが、
失敗。
一日迷子をした。

それで、昨日はそれの再挑戦をした。
前回、道の駅「きたかわべ」に早く着きすぎたので、
「南栗橋駅」まで輪行をして、その道の駅に向かった。

渡良瀬遊水地から思川に出るのがとっても難しい。
だから、渡良瀬遊水地をパスして、
直接、思川を目指せば、かなり簡単そうなんだな。

でもなぜそのコースを取るのかというと・・・・
道の駅で売っている「デカニギリ」が目当てだ。
人間、食い物を目指す欲求は、すさまじい。
そして、展望台からの眺めだ。

昨日は、「南栗橋駅」から道の駅「きたかわべ」まで、
途中でミスコースもあり時間がかかった。
そこに着いたのは、もう11時を過ぎていた。

目当てを達成し、
僕は、テラスで「デカニギリ」と「から揚げ」、「燻製たまご」をほおばった。
ここの燻製たまごは、殻のまま燻製にしてあって、
中身がほんのりと燻製の味にできていた。
アウトドアーの雰囲気にとっても合っていて美味しかった。

箱根の「温泉卵」は、殻ばかり真っ黒なわりに、
味は、普通のものとあまり変わらないのとは、全然違う。

早めのお昼にしているところに、
定年退職のサイクリストのご一行様が来た。
7〜8人ぐらいは、いただろうか。
その歳で、レーシングスーツとは、いかがなものか・・・・
ただ、「若さ」は、そのお陰で僕より確かにあったな。

この間、「流しそうめん」を記録するために、
僕は、初めてデジカメなるものを買ったのだが、
それを僕は、道連れにしていた。

仕事でもないのに「レンズ」を持っていたんだな。
ここが、今までになかったことで、「ビデオマン」モードだった。

展望台で景色を楽しんで、
渡良瀬遊水地の中の道を縦断し、
今回、東へ東へルートをとって走った。
どこをどう走ったのかは、まったく分からなかったけど、
なんとか、「思川」に出ることに成功をした。

その土手から山々が見える。
それをバックに僕は、自転車を撮った。
バックを大きくしたかったので、デジカメの工学ズームで望遠にして撮った。
ね、仕事モードだったでしょう。

土手を走っていくと、
そこら中で、いなごがHをしていた。
うらやましいなぁ・・・・
そこで、それもデジカメで撮った。

被写体に寄ってワイドレンズで撮るのは、失礼だと思い、
これも望遠レンズを使った。
こういうのを「レンズで寄る」と言うんだよ。
なんか、仕事モードなんだよね。

意気揚々で土手を走って行った。
ところが、途中でその土手がカットアウト(映像用語)。
しょうがないから、迂回をする。

そうしたら、そこに「おもちゃライブラリー」というものに出くわした。
隣に幼稚園があるし、気になってしまう。
なんとなくビデオマンの「営業」モードでそこの中に入ってみた。
なんか、仕事をしているみたいなんだよね。

その中は、まったく幼稚園状態だった。
そこにいた先生に挨拶をして、
いったいここは、どういう施設なのかを訪ねた。
親切に施設のパンフをいただいて、中を案内してもらった。

「白鴎大学」の付属の施設で、お隣の幼稚園もそうだと言う。
それで、木のおもちゃを子供たちに提供をしているようだ。
そして、案内を受けているうちに、工房があると言う。

俄然、僕の興味の対象となったのは、言うまでもない。
小さな部屋だったが、そこには旋盤やら工具やら、
きちんと整理してあった。

僕に工具を見せたら、大変。
エロ雑誌より興奮してしまうんだな。 悲しい性だ。

僕は、その先生に
「工作物のボランティアやりますので、ぜひ誘ってください」
と言って、名刺を渡そうと思ったら、それがない。
そこでYAHOOで「卒業ビデオアルバム」を検索してくだされば、
僕のHPがでます、と伝えた。

そこの玄関をバックに自転車をデジカメで撮った。
これもバックにある「おもちゃライブラリー」の文字を出すために望遠で撮った。
そのために、僕は、フェンスのところまで身を引いて撮った。
完全に仕事モードだ。

そこからまた思川の土手を上って行くと、
すぐに、「白鴎大学」があった。

空を見上げると、ちょっとヤバイ雰囲気になったんだな。
土手を早めに切り上げて、東武電車を目掛けてコースを取ることにした。
しばらくして、
左手に、どこかの新興宗教のお城か、ホテルか、
瓦屋根のでかい建物が見えてきて、そこに着いた。

看板を見たら、ビックリ仰天!
そこは、「栃木市立国府南小学校」だった。
校舎には、「100周年」の横断幕がかかっていた。

もちろん、僕はそれをバックに自転車をデジカメで撮った。
建物全体が写真に入る「引き絵」と校門のところのアップ、
その瓦屋根がせり上がったところのアップを最大望遠で撮った。
これ、いいシャレードだ。

サイクリングをしているんだけど、デジカメのお陰で仕事モード。
変な体験をした。
ついでに帰りの輪行での電車の中で、
輪行袋に入っている自転車を撮った。

ストーリーが出来上がったさ。
それで、デジカメをプレビューして見たんだな。
結構な上がりで。

と、よくカメラを見たら「スライドショー」の機能が付いているんだ。
しかも「BGM」を被せられる!
驚き。
早速、やってみた。
面白いよ、これ。

ビデオ屋なのに何を感動してるんだと、読者の皆さんは思うでしょう。
そんなもんなんだよ、僕は。

イナゴのHが妙に物語にアクセントを作ってくれているんだな。
結構、傑作さ。 何回も電車の中でプレイバックした。
うっかり、声を出して笑ってしまった。


12/10/10(水)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、さぎ山野営場に車を置いて、
朝の7時50分には、ペダルをこぎだして、
見沼代用水路コースを一周、サイクリングをした。

初めは、Tシャツ、長袖のワークシャツ、そしてウインドブレイカーを羽織って丁度良かったな。
いつも休むところ、
広々とした田圃に、R-16とJRが遠くに交際して見えるところで、
ポカリとカロリーメイトを補給した。
そこで、ウインドブレイカーを脱いで丁度よくなった。

10時半ごろ、車に戻って、
今度は、さぎ山野営場の整備に取り掛かった。
着替えに持っていたポロシャツで、暑くなった。

気温の変化がかなり大きい日だったようだ。

野営場の整備は、ついこの間もしたばかりだが、
もう落ち葉が溜まって道端を覆っている。
これからは、この落ち葉との戦いが11月の中旬ぐらいまで続く。

十分に肉体労働をして、
いつもの銭湯の露天風呂に浸かっていたら、
また、両肩が痛い。

どうやら、ついに慢性化をしてしまったのだろうか・・・・・
まぁ、散々使ったのだから、いつかは故障するのはしょうがないね。
五体満足しているうちに・・・・・
もっとサイクリングを楽しもうか。


12/10/9(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、なんとかギリギリで「竹ハウス」の建て替えが終わった。

僕が一人でやっていたら、たぶん三時間程度の作業だ。
だけど、スカウトに教えながらだから時間がかかった。

それだけではない。
二人の高校生のスカウトたちだったのだが、
その一人は、昼夜逆転の生活で、
とっても眠そうだった。
ほとんど、戦力にならない。
そういうことで 6時間以上かかった。

僕がその二人を観察できた範囲では、
二人とも「快適」な普段の生活で「プアー」なところがない。
たくさん、ボーイスカウトでキャンプ体験を積み上げれば、
ずいぶんと「動き」が鋭く早くなるだろうと思える。

年に数回のキャンプでは、とても「身に付く」までには至らない例だな。

昼夜逆転の子の父親は、国家公務員だそうだ。
それで、ボーイスカウトに子供が来ているのだけど、
父親自身は、ボーイスカウトに任せっぱなしの様子だ。

つまり、
「子育てを他人任せ」の見本のような親子さ。
たぶん、父親は、真昼間の子供の眠そうな様子を把握できていないのだと思う。

知っていたら、もうちょっと父親らしい子育てをするだろう。

BSの活動を直接、僕はやりたくない理由がここにある。
「子育てを他人任せ」で親が平気。
それでいて気に入らないことがあると怒鳴り込んでくる。

本当に、僕がカブスカウトのリーダーをしていた時に
些細なことで怒鳴り込んできた母親がいる!
モンスターペアレント!

もうこれ、ウンザリ。
父親がシッカリと自分自身で子育てをしようと思い、
それに取り組まないことに母親が暴走する一番大きな原因があると思うな。

その国家公務員の息子にこう僕は言った。

「君は、昼夜逆転の生活で、昼間、眠いんだよ。
 その調子で社会で働けると思うかい?
 夜早く寝られるようにしようか。
 
 夜 9時には寝られるように目標を持とう。
 急には、無理だ。
 一日当たり、10分づつ早くして眠るのさ。
 そうすれば、目標の9時に寝られるようになるさ。

 夜中に3時間勉強をするより、朝、30分勉強をしたほうが頭に入るものだぞ。」

高校生では、「自立をした一人の大人の社会人」を強く意識させるべき年代だ。
子ども扱いにしては、いけない年齢だ。
僕のこの忠告は、本来、父親がしなければならないものだぞ。

若いお父さん、
子育てをシッカリ自分自身で取り組もうな。
どんなに立派な家に住んでいても、
国家公務員であっても、
他人任せの子育ては、非常によくない。
後で悲しい思いをするのは、父親自身だよ!

「快適」に溺れる大人、
そしてそれを「生きる最低限の条件」にして育ってしまう子供、
根の深い問題だ。

厳しい大自然を相手にキャンプをして、子供を「野性」に戻そう!
野性だからこそある「生きる力」を取り戻そう!


12/10/8(月)朝 キャンプじぃじの日記

結局、昨日は天気も良くなってボーイスカウトも
さぎ山野営場に来たのだが、
スカウトたちは、自分の作業で手いっぱいだった。
今朝早く野営場に出向いて、少し発破をかけないといけないな。

「竹ハウス」の建て方ををスカウトに教える・・・・・
とってもいいアイディアだ。

将来、ジャンボリーでスカウトが「竹ハウス」を建ててデビューする。
それで、そこら中のボーイ隊で「竹ハウス」を採用するようになる。
最高に面白い夢だ。

自分の子が巣立っていなくなって、
こうして自分の夢を作っていかないと、
生きていて張りがなくなるのさ。

「父性教育の重要性を訴える」も、

「卒業ビデオアルバム」制作の後継者を育てることも、

今のところ、夢のまた夢だけど、諦めるものか!
思い起こせば、僕は今の仕事で生計を立てるということは、
ヤッパリ、夢のまた夢の時期があった。

その時の夢は、
脱サラをしてから 7年後に「現実味」を持つようになり、
9年後には、実現をした。

どんな夢でも諦めないで、いかにそれに近付けるのかを
あの手、この手、を使って生きていくことが出来るかどうか、
これが「夢」を具現化する方法だ。

こういう生きる力の原点は、間違えなく「自分自身の自立」
そして「成長願望」の掛けあわせで起こるのさ。

これを若いお父さんにも気付いてもらって、
シッカリと子育てをしてもらいたいんだな。

親子キャンプで子供に「野性」を体験させて、
生きることへの意欲を起こさせよう!
このことが「生き生きと生きる」ことにつながるのさ。

そして、子供なりに「夢」を持つことができれば、
「真剣に学ぶ」ことや「夢中になって行動する」ことを身につけるのさ。

「快適」「簡単」「気楽」「便利」な生活環境では、これが育ちにくいのさ。
そういう環境では、子供は「生きているのが当たり前」と覚えてしまうよ。
そして「生きる条件」をたくさん持ちやすいのさ。

「ハングリー精神」を子供が身に付くように育てよう。


12/10/7(日)朝 キャンプじぃじの日記

あぁ、雨が降ってしまった。
午後からは、天気が回復するのだろうか・・・・・

「竹ハウス」の建て替えをボーイスカウトにやってもらって、
その構造と組み立て方を教えたいんだがなぁ・・・・

準備万端なんだがなぁ・・・
僕の子供たちとの共同開発、それが「竹ハウス」さ。
お願い、晴れて。

ジャンボリーでこの「竹ハウス」がデビューする事を夢見てるんだがなぁ。
ところでこの「ジャンボリー」という言葉は、
ボーイスカウトのものなのを知っているかな?

どこの国にもない言葉で、ボーイスカウトの大会を意味する造語なのさ。

「キャンプファイヤー」を囲んで子供たちが歌ったり踊ったりするよね。
これも、そもそもは、
ボーイスカウトの創始者、ベーデン・パウエルがブランシー島で、
少年達と焚き火を囲んでたんたんと夜話を聞かせたことが始まりなのさ。

それで僕も真似っこをして、自分の子を連れて親子キャンプをするときには、
焚き火を囲んで子供に夜話を聞かせた。

今の派手なキャンプファイヤーの原点をやったんだな。
あの雰囲気の中では、反抗期の息子も耳を傾けたものさ。
僕も「オヤジ面」ができて、面白かったなぁ。

若いお父さんも、
子供が思春期になったらやってみようか!

だから、それまでは、
デイキャンプでタープの張り方や、飯の作り方をシッカリとお父さん自身で子供に教えようか。

タープを張る、飯を作る。時期になったら夜話を聞かせる・・・・・
これが生物としての「ヒト」の育て方としてとっても「自然」なスタイルだと思うね。
父から子へ、人生を伝えるのさ。

やって欲しいね。

僕は、自分の子がもういないので、
よその子に「竹ハウス」の建て方を教えるのさ。
生きていて、これが僕の楽しみなのさ。


12/10/6(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、一辺が 180pの長さのシートを四箇所、
タコ糸で縫う、縫う、縫う。
おかげで、指が痛い。

さぎ山野営場の整備も済んで、
あとは、この三日間の天気さえよければ、
ボーイスカウトに「竹ハウス」の建て替えを教えることができる。

たしか、この二〜三年でこの日本で「世界ジャンボリー」があるはずだ。
その時にスカウトがもしこの「竹ハウス」を立ててくれたら飛び上がるほど嬉しいな。

最近のボーイスカウトの活動は、
全般的にスッカリとレジャーキャンプ化してしまった。

市販のキャンプ用品が便利すぎていて、
それを使いだしている。

昔は、通称「Aテン」という面倒なテントを張って、
フライシートの下では、
「立ちカマド」「テーブル」など工作をして、
スカウトたちがキャンプをしていた。

そうなのです。
僕がキャンプ用品を竹で工作するのは、「スカウト流」なのです。

それが、本家が工作をしなくなってきている。
だから谷口家オリジナルの工作物「竹ハウス」を逆輸出したいんだな。
スカウトのキャンプを原点に戻すべきだ。

そもそも、子供にキャンプ体験をさせるのは、
「不便」「大変」「辛い」
といったことを体験させ、それを乗り越えて、そこにどう面白くできるのか工夫させるところに「教育」的価値があったのに、
それを、「便利」「快適」「簡単」にしてしまった。

若いお父さん、
そうなんだよ、そういう「快適」を子供が浴びるように、当たり前に、育ってしまうと、
だから「フラストレーション耐性」が育たないのさ。
人生の逆境の時に「人生を工夫」する能力が育たないのさ。

こうだから出来ない。
あぁだから出来ない。
そうだと出来ない。
これを連発する大人になってしまうんだよ。

斬新なアイディアで人生を開拓していく・・・・・
僕は、そういう生き生きとした人を育てて欲しいのさ。

そして、そういう人材を輩出する社会にならなければ、
この日本は、浪費しか出来なくなって潰れちまうよ。
本当に、そうなる前に、
「生きる力」を子供に身に付けさせよう。

そのシンボルに「竹ハウス」をスカウトたちが建てられるようになれれば・・・・
そういう夢を描くだけでも僕は、とっても嬉しいんだ。

子供の心を育てるのは、
つまり、

「快適」を追い回す怠け者になるのか、
物事に対していつも挑戦できる積極的な人になるのか、

小学校四年生ぐらいまでにその心が身に付くのさ。
分かってほしいね。

そして、
その時期までにどれほど父親とたくさん遊べたかどうかで、
そのあとにある「反抗期」を上手に乗り越えられるものなんだな。

不活発な大学生が多いと思わないかい?
ハングリー精神が身に付かなかったのさ。
「快適」に溺れた育てられ方をしたのさ。

そういう学生を企業が雇うわけがないでしょう。
よく考えようね。


12/10/5(金)朝 キャンプじぃじの日記

さぎ山野営場の整備を天気を縫うようにしてやっているのだが・・・

ボーイスカウトの子と一緒に今度の連休に「竹ハウス」の建て替えをしたいのだが、
天気も晴れて欲しいけど、
整備もキチッとできていなければならないんだ。

落ち葉や落ちた枝などは、一通り処分できたのだが、
それだけでも大変だった。
しかも、
昨日の風で、たぶん落ち葉がまたひどいんだろうなぁ・・・・

それで、
この間の台風の被害が意外に大きい。

その「竹ハウス」の周りのシートが縫い合わせてあったのだが、
台風の風雨で縫い目から裂けていた。
それも何箇所も裂けていた。

建て替え当日にスカウトにそれを縫わせていたのでは、
たぶん時間が足らなくなるだろう。
スカウトたちには、それの基本構造と建て方自体をバッチリと教えたい。

だから、
そのシートを今日中に撤収して直しておきたいんだな。
一辺が約180p、それが何箇所も裂けている・・・・・
そこをタコ糸で縫う。
しかも手縫いで縫う。
僕は、縫製屋さんに変身さ。

それでもって、落ち葉の処分もまた初めからやり直し・・・・か?
そんな作業量を今日、一日でするの?
あぁ、
おもちゃにしては、でかすぎるよなぁ・・・・キャンプ場。

でも、ともかくやらなければ、終わらない。
宝くじも買わなければ当たらない。
それで僕は、貧乏なのかなぁ・・・・
遊んでんじゃないさ。

そう言えば、明日は運動会の撮影があった。
行かなくっちゃ。

まったく隠居生活とは言えないよな。


12/10/4(木)朝 ビデオマンの日記

個人事業のビデオ屋で生計を立てられるのは、ほんのわずかな者だけらしい。
結局「営業」が出来ないから、何年経っても商売が立ち上げれないのが原因だ。

今から20年ぐらい前では、「業務用のカメラ」を持っている、
ということで結婚式の仕事にありついていた人がたくさんいた時代もあったが、
そのほとんどは、普段はサラリーマンだった。

欲しいカメラをローンで組んで手に入れて、
そのローンの支払い分を「結婚式の撮影」で稼ぐといった具合だった。
だから、その仕事で喰っている者は、それの元締めぐらいだけだった。

それでも商才があるか、僕のように修行を積み上げるか、
どうにか食べられるようになったビデオ屋がいる。
最近では、
昔と桁外れに機材が安く、性能も良くなって、商売を始めやすくなった。

そこで昨日、ネットで「幼稚園 ビデオ撮影」を検索をしたら、
YAHOOで、「624,000」件でた。
内容を見ると、ほとんどが幼稚園の発表会か、そのほか舞台もののようだ。

「お泊まり保育」を謳っているビデオ屋さんもチラチラとはあった。
でも「卒業ビデオアルバム」を営業品目にしているところは、
見つからなかった。

ちなみに YAHOOで「卒業ビデオアルバム」を検索すると、
ここのところ、実は、このHPがトップででる。

どういう意味かというと、
舞台ものの撮影は、商売が成り立ちやすく、
僕の目指してきた「卒業ビデオアルバム」は、
作るのに大変で、商売としての魅力がない、ということだろう。

しかも、
この仕事は、まる一年かけてやっとできるものだから、
手間が掛かりすぎる。

それで敬遠されるのだろうね。

でも逆に「作る面白さ」は、舞台ものの仕事の比ではないさ。
モンタージュやシャレード、インサート(編集上の)など、
いろいろなテクを使って作り上げる面白さがあるのさ。

ビデオ屋をやってみたいと思う、20才代のそこのお兄さん!
お願いだから、お弟子さんになっておくれ。

僕は、「営業」も教えるよ!


12/10/3(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、さぎ山野営場の整備をした。
台風の後なので、ブッ散らかっている。
とりあえず、道路に面したところを綺麗にした。

山の中は、今日、やりたいのだが、どうも天気が良くない。
今度の連休には、
ボーイスカウトと一緒に、SCCサイトにある「竹ハウス」の建て替えをやりたいので、
それまでに整備を完了しなくてはならないんだ。

どれもこれも、全部、天気次第。

今日の午前中の幼稚園の取材も天気次第。

天気を操っているのは、神様なんだよなぁ・・・・・
僕の神様は、残念ながら「ご利益」なるものがないんだな。
どうしようか・・・・

どうなるのか、考えない。 なるがままに遊ぶ。 仕事をする。

これでいいかな?


12/10/2(火)朝 復活サイクリストの日記

と、いうことで、昨日はツーリングに出た。
「台風一過の青空」の文字通りの天気だったね。

東武日光線の「やぎゅう駅」まで輪行して、
そこで自転車を組んで、道の駅「きたかわべ」に向かう。

ところがまだお店が開いていなかった。
朝の9時半。
久しぶりのツーリングだから嬉しくて急いで出かけたから、
過去最速で着いてしまった。

厨房のおばさんらしい人がいた。
僕は、物欲しそうな顔をして「デカニギリ」が欲しいんだけどなぁ、
と言ったら、
5分ぐらい待ってな、と言いながら厨房に入っていった。

その時に僕は、「中はシャケね」とでかい声で注文をしたんだな。
本当に5分後に出来たてのあの「デカニギリ」が僕の手元に届いたさ。
それとお茶をレジまで持って行ったのだけど、
誰もいない・・・・

奥のほうで掃除をしていたおばさんに、
大声で、「これ下さい!」と言って、やっとそのおばさんが僕に気付いた。
本当にのどかだよね。

そもそも開店していないのに、店の中に入れること自体、のどかだ。

いつもだったら、展望台から景色を眺めるのだけど、
そういうことで、シャッターが閉まっていて、登れなかったな。

お気に入りのお弁当を持って、
渡良瀬遊水地の真ん中の道を自転車をこいで行ったさ。

広大な景色を見るのは、とってもいい。
僕のチマチマした心を大きく広げてくれるのさ。

仕事で行き詰ったときに、
こういう広大な地球を眺めては、元気をもらったものだ。
サイクリングは、ただ趣味というより、
僕の人生を支えてくれたと言えるのさ。

そして、
来年の夏の肉体労働に向けて、こうして自主トレをしてるのさ。
仕事熱心だよなぁ。
誰も言ってくれないから、自分で言おう。


12/10/1(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、草加市の市民祭りで、
僕の取引先がそれのパレードに出るので、それの取材で行った。

草加と言えば、「草加せんべい」で有名なところだ。
もともとは、昔、むかし、
米の質が悪くて、日光街道で団子を売っていたのだけど、売れなくて、
売れ残った団子を平らにしてつぶし、
それを焼いたものが、大流行になったと聞く。

デメリットが商機につながった例だ。

集合場所は、草加小学校だった。
いつものように早めに行って、ロケハンをしたんだな。
そうしたら、出店の一つに「あげゆばまんじゅう」があった。

最近、サイクリングで見つけた、
東武日光駅のロータリーにある、なんでも日光のお土産 No1 とかいうまんじゅうだ。
もちろん、一つ買って食べたさ。
間違えなく、日光駅にあるものだった。

それで、
思いっきりサイクリングをしたくなったな。
早くツーリングに出たい。

そのパレードにボーイスカウトも並んでいた。
先頭に、今、付き合っている団の子が横断幕を持っていた。
もちろん、スカウトに話しかけたさ。
そこに隊長がやって来たね。

今度の連休に、さぎ山野営場に建っている「竹ハウス」の建て替えをやることになった。
その話しかけたベンチャー隊の子と一緒に作業ができそうだ。
これもとっても楽しみだ。

ボーイスカウトのロープワークには、「南京結び」がない。
それを教える。
「南京結び」によく似たものに「トラッカーズ・ノット」というのがあるけど、
ここ日本では、ヤッパリ、南京結びが一般的だ。

その作業の前にも、また運動会の撮影がある。
どうにか晴れてもらって、なんとしても「順延」がないように・・・・
晴れますように・・・・・
お願い、晴れて。

ヤッパリ、子供がいるからこそ人生が面白いんだな。
若いお父さん、
毎日タップリとわが子に触れような。
そのことだけでも、心の中に「父親」としての自覚がモリモリと沸いてくるものさ。
これが幸せでなくて、なにが幸せなのか・・・・
物や金では、ないことが分かってくるさ。