ここのページは、お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!! と、お父さんに呼びかける Snowmen Camp Club のメッセージです。 ================================= HP:マザー牧場「ごちそうサマーキャンプ」 キャンプじぃじは、ここでキャンプスタッフをやります。 ぜひ、お越し下さい。 キャンプじぃじ、お勧めの一冊! 「家族・親子 アウトドアー・キャンプ入門」 赤井 健一 監修 1,480円+税 HP:土屋書店 刊 僕の作った「親子キャンプ」ハウツーDVDは、どうやら「敷居」が高すぎるようだ。 もっともっと親子でキャンプを気楽に始めるのにちょうどいいハウツー本です! これで、小学校四年生までにたくさん子供と遊ぼう! そういう子育てをしよう! にほんブログ村 サイクリングは、水泳に次ぐ全身運動、老後の体力づくりに最高! 「キャンプじぃじの子育て論」 「教育」と「子育て」の違いを知って、心の強い子に育てよう! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に、 ● 木曜日には、「ビデオマンの日記」・・・・ビデオ屋を目指す方へ、 ● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」・・・子育て真っ最中の方へ ● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」・・・・老後の提案 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 13/6/30(日)朝 キャンプじぃじの日記 個人事業のビデオ屋の集いがある。 かれこれ15年ぐらい前に立ち上げた。 そのときに、僕はその集いの「会報」を請け負った。 その後で、「ビデオサロン」という雑誌で「個人事業でのビデオの仕事」を紹介してもらう。 もちろん、僕の「卒業ビデオアルバム制作」も、そのときに取り上げてもらった。 そのときに、会員数がグッと伸びた。 そのころ僕は、しきりに(今でも)「営業」の強化を呼びかけて、 実際に飛び込み営業をした人が今、生き残ったと思える。 しかし、その集いは、次第に「機材」へと傾斜していく。 それで、僕は、そこを辞めた。 でも、結局、重なる仕事を助けてくれるブレーンが必要で、 この集いに戻った。 僕が、 辞めてから戻るまでの5年間、僕の代わりに会報の発行を担当した方が、 急逝された。 それで、昨日「お別れ会」で焼香をしに行った。 まだ70才ぐらいだった。 でも、70才でもビデオ屋を現役でできる証しでもあった。 これは、僕にとって希望だ。 だれでもいつかは、必ず死ぬ。 頭では、分かっていても、この問題を先送りしてみんな生きている。 しかし、その方の「死」は、 その集いのメンバーに「明日はわが身」を否が応でも知らしめた。 僕は、子育てが終わって、極めて浮ついて生きているよな。 真剣に今、「生きている」ことの意味を見出すことをしたいと思った。 もうすでに時間の限りがある。 僕の場合、 「親子で工作」のボランティア活動が、これから「生き甲斐」になるだろう。 僕の「心の成長」の最後だ、しっかりやりたい。 13/6/29(土)朝 キャンプじぃじの日記 幼稚園のお泊まり保育をビデオで撮っていて、 「親から離れて自分のことは、自分でしなければならない」という環境が、 いかに子供の「自立」に効果があるかは、 毎年、もうかれこれ27〜28年、撮り続けていてよく分かる。 それなのに、 なぜ、20才で「自立をした一人の大人の社会人」という「自立」が無視されるのだろうか? 幼児期の「自立」には、敏感なのに、 なぜ「20才の自立」が疎かにされるのだろうか? 小学校四年生までに、子供は、たくさんお父さんと遊ぶ体験が必要なのに、 「物」や「お金」を手に入れるためかどうかは、知らないけど、 父親が子供と遊ぶことができなくて、 それでいて、子供が30才も過ぎているのに親が子供を庇護するのはなぜだろうか? たぶん「幼い」ことが原因のような気がするんだな。 「成長」し続ければ、「歳相応」の「心」になるはずだ。 「歳相応」の「心の成長」が止まってしまうので、「幼い」大人が出来上がる。 幼稚園の、あんなに小さな子が、自分の力の限りの「自立」を果たすのに、 なぜ、大人(日本の法律では、20才)が幼いのだろうか・・・・・ 「教育」と「子育て」の違いが分からないんだろうね、きっと。 僕は、 学習障害を指摘された子を「自立」させるのに必死に子育てに取り組んだ。 この子が金持ちにはならないだろうけど、 自分の人生を自分なりに、自分の力で生き始めたよ。 なぜ、障害がない子を「自立」させられないのだろうか・・・・・ 「心のトラブル」は、「自立」させない子育てにあると思えるね。 このことに早く気付いたお父さんが、とってもいい子育てをすることだろう。 「家長」として、頑張って欲しい。 「物」で虚勢を張るのは、幼いよね。 そう言う僕も、長男を育てていた頃は、非常に僕自身が幼かった。 当然の結果を招いた。 13/6/28(金)朝 キャンプじぃじの日記 奥日光五日目の朝。 毎年、この仕事は、初日がものすごく長く感じて疲れるのだが、 今年は、アッという間に五日間が過ぎてしまった。 やはり、 「子供に飯を喰わせなければ」という生き物本来の使命感が無くなったから、 身が軽いということなのだと思う。 でも、気楽だけど、 自分の子供たちがいなくなって、 無味乾燥した人生でつまらないな。 そういうことで、一番かわいい盛りの子供たちと、 こうして大自然の中で遊ぶのは、 なんだか、僕自身が子供になれてとっても楽しい。 昨日、また奇跡的にキャンプファイヤーの時間のときにだけ雨が上がってできた。 子供たちの嬉しそうな顔を見ていると、 この世の総ての幸せがここにあると思えるね。 ここ日本では、 家や物を買うために家族と過ごさないのが「当たり前」になっているような気がする。 僕は逆だと思うなぁ・・・・・ 風呂のない二間のボロアパート住まいの貧乏でも、 自分の子供たちとタップリ遊べた僕の人生は、 今、寂しいけど、とっても豊かなんだがなぁ・・・・・・ 商売を縮小して、その分、 僕は、自分の子供たちとキャンプやサイクリングがたくさん出来て、 せっかくの一生、 心豊かに生きることが出来て、心の底から大満足なんだがなぁ・・・・・・ その上で、自分のやりたい仕事で生計が立てられて、 なんてラッキーなんでしょうか。 自分でビックリ仰天する心の豊かさなんだがなぁ・・・・・ そう言えば、 今年は、去年よりたくさんサイクリングが出来たので、 体も軽い。 「物」ではなくて「生き方」にこだわって、僕は本当に良かった。 子供たちにぜひこのことを伝えるべきだと思う・・・「心の豊かさ」。 13/6/27(木)朝 ビデオマンの日記 ここは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 奥日光、四日目の朝。 昨日の夜、頑張って初めに二泊三日のお泊まり保育をしていった班の編集を上げた。 オーサリングはまだ。 現場編集をしている。 なぜ出来たかと言うと、 夜の12時まで編集を頑張っただけではなく、 昨日、一日中雨で宿に缶詰だったからだ。 今いる子供たちの初日の外の「絵」がない。 さて、どうしようか・・・・・ 考えても、どうにもならない。 今日の天気が晴れるのを祈るばかりだ。 さて、昨日の一日のところの編集をこれからやるので、 おしまい。 13/6/26(水)朝 キャンプじぃじの日記 奥日光、三日目の朝を迎えた。 今日、二泊三日のお泊まり保育をした子が帰って、 次の子供たちがやって来る「入れ替え」の日だ。 その二つのグループの活動がかぶっているところの取材が難しい。 僕の体は、一つ。 活動は同時に二つ・・・・・・ 「撮り方」なんかで悩んでいたら、こういう取材はできない。 昨日は、予報ではザザぶりの雨になるはずだったが、 奇跡的にキャンプファイヤーをやることが出来た。 夕方から確率高く雨だというので、 冗談で僕が明るい内にキャンプファイヤーをやればいいじゃないと言ったら、 通じてしまって、午後の3時半にそれをやることになった。 しかし! その準備で外に出たところで雨。 苦肉の策で、大部屋で「ランプファイヤー」を提案した。 宿の人にテーブルを借りて、そこにガスボンベ式のランプを灯す。 それだけでは面白くないので三脚結びをしたものをテーブルにセットした。 多少の演出効果はでそう。 それで、夕食になったところで、雨が上がって、普通にキャンプファイヤーができた。 なんだか、天気に振り回された。 幼稚園のこのお泊まり保育は、 子供の「自立」が主目的だ。 子供なりの「自立」がそこにある。 その「自立」の成長振りが、先生や親に感動を与えてくれる。 ボーイスカウトの世界では、このお泊まり保育のことを「舎営」と呼ぶ。 幼稚園ぐらいの年齢のビーバースカウトでは、 BSでは、舎営をやってはいけないこになっている。 舎営は、カブスカウトになってからやる。 幼稚園は、BSより派手だな。 幼稚園のお泊まり保育を僕が始めて撮ったのは、 確か、昭和61年だ。 何年やり続けてきたことやら・・・・・・ 子供の「自立」ぶりが面白くて辞められなくなった。 13/6/25(火)朝 キャンプじぃじの日記 今、奥日光にいて、幼稚園のお泊まり保育の二日目の取材となった。 子供たちがまだ眠っている4時半。 僕は、宿の周りの点描を撮りに出た。 朝焼けの空、 宿のバックの山に朝日が当たる、 花、 早朝のこういう点描が僕は、好きだ。 一仕事、文字通り、朝飯前にこなしてBGMにユーミンを聞きながら、 寒いぐらいの澄んだ空気を僕の肺いっぱいに詰め込んで、 ここに書き込んでいる。 なんだか、秘境にこもっている作家気分になれる。 昨日は、予定していたキャンプファイヤーができなかった。 子供たちは二泊するので、今夜にもうワンチャンスがある。 もうここの仕事は、20年を越した。 最初に撮った子が、ここで先生をしている。 聞くところ何人もいるそうだ。 人生の時間軸が滅茶苦茶になるな。 とっても不思議な仕事だ。 さぁ、今日はこれから光徳沼へ遊びに行く。 一日、そこで過ごす。 ビデオ屋さんは、仕事をしているのか、遊んでいるのか、 まったく分からなくなる。 面白いね、たまんない。 13/6/24(月)朝 キャンプじぃじの日記 昨日、恒例になった「日曜晩餐会」をやった。 最近、知り合ったカメラマンの言いだしっぺで、 昔、スキーを年に40日もやっていたころの古い知り合いを招いた。 僕より一回り年上の方だ。 そのカメラマンと年上の人は、ソフトボールで知り合ったらしい。 巡り巡っての再会となった。 そのカメラマン、年上の人、古い友人二人、大家のおばぁちゃん、僕とばぁば、 よくも、まぁ、このボロアパートの狭い一室に集まったものだ。 古い友人が持ってきた、昔の写真をPCのスライドショーで見ながら多いに騒いだ。 古い友人たちは、もう40年以上の付き合いになる。 若かったなぁ・・・・・髪の毛がふさふさしていた。 人生を振り返るのは、年寄りの特権だ。 本当に僕は、その年代、年代、を夢中になって生きてきた。 20才代は、スキーを最低でも1シーズン、30日していた。 30才代は、命がけで今の商売を立ち上げた。 40才代は、カブスカウトの活動を年に70日もやった。 50才代、 そうだなぁ・・・・・ やっぱり「親子で工作」のボランティア活動だな。 マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」のスタッフも 今年、8回目だそうだ。 本当に「簡単」「気楽」「快適」とは、まったく縁のない人生を送ってきた。 それで思うんだ。 今の子供たちも、必死に、命がけで、思いっきり、生きて、 自分の人生に価値を積み上げて、人生の充実感を得て欲しい。 チャレンジャー。 今日から、幼稚園のお泊まり保育の取材をする。 二泊三日のお泊まり保育を二つこなしてくる。 あの小さな子たちにとって、それこそ宇宙旅行に匹敵するチャレンジだ。 だからこそ面白い。 キャンプファイヤーも毎回大盛り上がりだ。 ハイキングも最高。 遊びに行くんじゃないよ、仕事だよ、仕事。 いざ、出陣だ! 13/6/23(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告 6月22日(土)「親子で工作」を道満グリーンパークで実施 朝はよく晴れていたが、その後は曇り空の一日で過ごしやすかった。 2〜3組の親子が入れ替わり来て、概ね13〜14組の参加者だった。 多すぎず、少なすぎず、丁度いい活動になった。 水鉄砲が以外に難しかったようだ。 一番最初に来た二人のお父さんたちは、 子供と一緒に作ることができなくて、 結局、子供が暇になっていた。 それで、後半戦には水鉄砲を勧めなかった。 しかし、そこに珍客到来。 親子ではなく、たまたま通りすがりのおじさんが訪ねてくる。 その水鉄砲を見て、 ボーイスカウトのリーダーですと名乗り出た。 よくよく聞くと、 ビーバー隊(幼稚園年長〜小学校二年生ぐらい)の副長だそうで、 近々、活動で水鉄砲をやる予定だそうだ。 そこで、僕はこう言った。 「伝統的な作り方の、ピストンにタオルを巻く方法では、 結局出来ても、子供の力が足らなくて、そのピストンを押す ことが出来ない。 そこで、こうしてそこをスポンジで作れば、水が漏れるけど、 遊ぶ事ができていいですよ。」 そのビーバー隊の副長が感心するので、僕もBSのリーダーをやっていたことを伝えた。 妙な連帯感がある。 そういうことで、見本に水鉄砲の一本を差し上げた。 後半に来たお母さん。 何を作ったかは覚えていないけど、 「子供の工作」について僕の考えを言ったら、熱心に耳を傾けてくれた。 子供のレベルにあった工作をすること。 難しすぎるとすぐ嫌になってしまうから、 その子にとってちょっと難しい程度の工作をたくさん体験させましょうと伝えた。 その工作の過程で、出来上がるまでそのことに集中する。 途中で嫌になっても、自分で完成させない限り出来上がらない。 出来なければ、それで遊べない。 だから、嫌になっても何とか頑張って作ろうとする。 そこに「忍耐」が身に付くものだ。 今は、欲しければ何でも買って済ませてしまうから、 出来上がったおもちゃしかないから、 「作る面白さ」「作る大変さ」をこうしてたくさん子供に体験させましょう。 と、こんな意味のことを僕は言った。 これ、今の子育てに共通する。 教育を金で買って済ませてしまうという、 「大学さえ出せば子育てをした つ・も・り」は、 子育ての「面白さ」「大変さ」を親が体験できないでいるでしょう。 ここのところをよく考えて欲しいね。 本当にそうだ。 小さい内は、そうした小さいものを工作させて、 中学生ぐらいでは、テーブルや椅子、SCC的には大形テント・・・「竹ハウス」なんかが作れるようになれればいいと思う。 キャンプで必要な物は、ほとんど現場で工作できるようになれればいい。 子育ても、親自身が取り組めるようになれればいい。 お父さんが直接子供と関わって、子供とたくさん遊んで子育てをして欲しい。 そして、高校生ぐらいでは、親の責任のもと、 子供にソロ・キャンプを体験させると「自立」のリハーサルに非常にいい。 「自立」は、子供が勝手になるものではなく、 子供が「自立」出来るように親が育てるものだ。 そして、中学生以上では、子ども自身にキャンプ場の下見をさせる。 計画書を作らせて、予算を立てさせ、 それで、実行、感想文作成という流れを何回も体験させるといい。 僕は、こうして学習障害の子を自立させた。 ましてや健常の子なら、もっと凄い成長がそこに起こることだろう。 スローガンではなく、 本当の「自主・自立」は、こうすることで子供に身に付く。 僕は、これを実践して、今の子育てに最も欠けていること・・・・・「自立」 に向けての子育てに非常に有効なものだと確信している。 ただ、 これをいきなり訴えても「敷居」が高すぎることが分かった。 そこで、上記でも紹介している本、 「家族・親子 アウトドアー・キャンプ入門」 を工作物の見本を陳列しているテーブルに置いて、 何人かのパパやママに見てもらって、 さらに、この本を紹介する名刺を作っておいて、それを差し上げた。 ぜひこの本を買って親子でキャンプをするように訴えた。 僕の活動は、このことで「質的」に非常に向上した感じがする。 マザー牧場での「ごちそうサマーキャンプ」でも紹介してみたい。 ここを読んで下さるお父さんも、ぜひこの本を手にとってみて欲しい。 小学校四年生ぐらいまでは、 この本で親子キャンプをしよう。 レジャーキャンプとは違う「子育てのための親子キャンプ」が分かるはずだ。 13/6/22(土)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、今日予定をしている「親子で工作」の準備と、 明後日からの出張の準備をした。 ♪ じゅんび じゅんび かたきぞ じゅんび ♪ 本日、 「親子で工作」を戸田市の道満グリーンパークで行います! 「水鉄砲」と「マイ箸」の材料を強化しました。 お近くの方は、 ぜひお越し下さい。 13/6/21(金)朝 キャンプじぃじの日記 明日、「親子で工作」のボランティア活動を、 戸田市の道満グリーンパクで予定をしている。 前回、大入で過去最大の参加者を得たが、 どうやら明日は、天気が雨っぽい。 気合を入れて準備をしたのだが・・・・・・・ どうなることやら・・・・・ 日曜日には、恒例の「日曜晩餐会」がある。 昔、スキーで一緒に遊んでいた僕より一回り年上の人が来ることになっている。 ただ、夕食を囲むだけのことだけど、 次第に盛り上がりだした。 ばぁばは、このために一所懸命に調理をしなければならない。 二人だけでは、どんどん手抜きになっていくので、 こういう「刺激」がばぁばにあった方がいい。 そして、明後日には、幼稚園のお泊まり保育の仕事で出張が始まる。 もうこれの時期になってしまった。 トラブルメーカーの子供たちがいなくなって、 滅茶苦茶、身軽なので時間がもの凄い勢いで過ぎていく。 僕の20才代は、サラリーマンで広告物の「営業」を学んだ。 昨日も、大家のおばぁちゃんとその話になって、懐かしい。 間に合うはずのない納期の仕事を、みごとにこなしたりした。 近所のおばちゃんたちを総動員して商品の最終仕上げを徹夜でしたものだ。 大家のおばぁちゃんが、そこでの社会勉強が今、役立っていると言ってくれた。 そんな昔話で大笑いできるほど、 僕は、20才代をこういうふうに「成長」させてもらえた。 僕の30才代は、今の商売を立ち上げることだった。 本当に必死に技術を身に付け、営業をして顧客を確保していった。 そのときの努力が実って、今「半隠居生活」を楽しんでいる。 40才代では、「仕事」より「子育て」に力を入れるという「方向変換」を実行した。 「卒業ビデオアルバム」の制作を半分に減らして、 カブスカウトのリーダーをやった。 そのときには、活動日数がとても足らなく感じたが、 後から記録を調べたら、年に70日も活動をしてしまった。 僕は、40才を過ぎてからロープワークを覚えた。 そして子供に地面を掘って、そこでウンコをする体験をさせるために、 僕自身も率先してやった。 自分の子が高校生になった時には、 ソロキャンプを体験させたり、 下見、計画、実行、感想文、と「仕事」の流れをキャンプを通して体験させた。 僕は、このことをとおして、本当の子育てができるようになった。 本当の子育て・・・・・ 「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てること。 僕の今、50才代は、自分の子育てを応用して、 「子育ての面白さをお父さんに伝える」という目標がある人生を送りだした。 これが「親子で工作」の活動だ。 要するに、僕は、その年代、年代、にハッキリとした違いのある「成長」を得ることが出来た。 こういう「人生の価値」を積み上げるためには、 「心の成長」が不可欠だ。 せっかく生きているのだから、思いっきり生きた方がお徳というものだ。 違うかね? 「物」で喜んでいては、幼いと思うよ。 「成長」だよ、子供も大人も「成長」にこそ感動がある人生を作れるものさ。 13/6/20(木)朝 ビデオマンの日記 ここのコーナーは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 昨日、同業者の集いがあった。 自分の仕事っぷりを発表する「映写会」があった。 僕のような個人事業でのビデオ屋では、 映像の勉強はしないで、 カメラを買ったところで開業という輩が多い。 彼らの仕事は、「舞台もの」か「ブライダル」が中心だ。 それで、機材の品番だけは、やたらに詳しい。 「画質」だけに興味がある様子だ。 学校の成績だけに関心があって、 子供を自立に向けて育てることを無視した子育てということに、 どことなく共通するものがある。 それは、「見えるもの」だけしか分からないということだ。 ビデオ屋がこんなことを言うのもおかしいけど、 「見えないもの」に僕は、こだわっている。 それは、 このHPにある別項の僕の「映像論」だ。 僕は、これに基づいて仕事をしている。 これは、僕の30才代の「成長」だ。 その時に書き上げた。 そういうことで、 基本的な基礎技術が分からないで商売をしている人が多い。 逆に言うと、 それだけいい加減で商売が出来るいい仕事とも言える。 そういう中で僕は、硬派だろう。 でもね、基礎技術をシッカリ学ばなければ「商売を継続」することはできないんだな。 僕は、同業者にマルチカメラの技術の基本が分かるように発表をした。 学び取れる同業者が何人いることだろうか・・・・ 「学んで成長」できない人は、 結局この仕事で長く食べていくことができない。 バカバカしいほど当たり前のことだ。 これは、あらゆる仕事で同じことが言える。 「基礎技術」を学びそれを「応用」して、 独自の分野を切り開いて、同業他社との「差別化」を図る。 機材という「物」で喜んでいるビデオ屋は、早晩行き詰る。 この30年間にたくさんそういう人を見てきた。 「能力主義」とは、こういうものだ。 僕は「卒業ビデオアルバム」制作というものを切り開いたけど、 作るのが難しくて真似っこしそうな人がなかなか現れない。 「簡単」に儲かる仕事で、カメラという「物」で商売をしたくてしょうがない様子だ。 どうにかならないかなぁ・・・・・ 子育てを金を払って他人任せで処理する・・・・・ どことなく共通するものを感じるなぁ・・・・・ この国は、世界を相手に独自の技術、商品化をし続けなければ喰っていけないんだけどね。 いいのかなぁ・・・・・ 13/6/19(水)朝 復活サイクリストの日記 今年の春のサイクリングシーズンには、ずいぶんと自転車に乗れた。 空梅雨のおかげもある。 そういうことで、昨日も雨が降っていなかったので、 ペダルを踏んだ。 たぶん、これから暑いのと仕事が込み入るのとで、 もう秋になるまでは走れないだろう。 最後のチャンス。 末っ子がかわいかったころ、 その子と手を握って毎日のように散歩をしたコース。 葛西用水。 どうもここが今、マイブームだ。 そこを走りたいがために自転車に乗っているという感じがする。 そこを過ぎたら後は、気の向くままに走る。 最初は、この間の「思川」をもう少し先まで行こうと思った。 でも、なんか、それでは芸がない。 どうしようか、考えている内に、 利根川に架かっている「目吹橋」を越した。 どうしようか・・・・筑波山か? 小休止を兼ねて地図を見る。 「霞ヶ浦」、 そう言えば、若い頃から行ったことがない。 「目吹橋」から「霞ヶ浦」までは、道が込み入っている。 直線では行けない。 どこをどう走ったのか、 ともかく国道R-6だけは避けて走る。 途中で、お昼になる。 お店がお勧めの定食を注文したら、すごい量だ。 南雲ドクターの本を読んだけど、 実際には、僕は、一日一食ではない。 でも、その本の影響で昼と夜、食べる量を意識的に減らした。 これはもう、一年近くなるだろうか。 そのお陰で、胃袋が小さくなったのか、以前のような「量」は食べられなくなった。 たぶん、僕が20才代のときには、昨日の定食の量では物足りなかっただろう。 でも、 今の僕には、食べ過ぎになった。 お店を出て、走り出したのだが、 一番のローギャーでのトロトロで漕ぐ。 ほとんど、小走り程度の速度。 当然のことながら、ケツが痛くなる。 小一時間、そんな走りをしていても、「霞ヶ浦」が近くなってきた。 そして、いつもの走りに戻った時に、 「霞ヶ浦総合公園」に着いた。 そこの水のみ場で、タオルを使って顔を洗った。 とっても気持ちいい。 そこに風車小屋の展望台があったので、登ってみる。 「霞ヶ浦」は、沼なのかそれともでかい川なのか、 地元の人は、ここを「海」と呼んでいる。 確かに、その表現が一番シックリいく。 それほど大きい。 昨日は、ネーミング通り、霞んでいた。 ここは、「白魚」で有名だ。 これには時期があって、「生」は地元でなければ食べられない。 干してあるものでもいいから欲しいと思っても、 どこにも「お土産屋さん」は、見付からなかった。 「ネイチャーセンター」なるものがあって、見学をした。 時折、ここで「工作教室」を開催している様子だ。 でも、一回に参加できる人数は、10名となっていた。 僕の「親子で工作」の方が派手だな。 ジャージ種のアイスを売っていた。 普通の牛乳は、ほとんどが「ホルスタイン」だ。 ジャージは、濃くてうまいが量が少ない。 それのアイスということで、普段、食べないものを食べた。 最初の一欠けらが、僕の虫歯の穴にスッポリと入った。 シビレル〜〜〜〜。 観光にしては、とっても地味だったので、 そこからもう少し先へ自転車で行こうと思ったが、 今度は、腹一杯のお昼を消化して、眠くなる。 南雲ドクターの忠告が身に染みた。 意気消沈。 JR「土浦」から大人しく輪行で帰る。 車中、猛烈な睡魔。 乗換えがあるから、なんとしても起きていようと思っていたが、 コックリと居眠りをしてしまった。 まぁ、それでも、どうにか無事帰還を果たした。 走行距離、80`だった。 来週から幼稚園のお泊まり保育で忙しくなる。 今期は、一杯走ることができて良かった。 さぁ、仕事を頑張るぞ。 オッス。 13/6/18(火)朝 キャンプじぃじの日記 今度の土曜日には、「親子で工作」のボランティア活動を予定している。 前回、過去最大の参加者数で、受け入れでパニック状態になってしまった。 そこで、 今回は準備万端にしたい。 万一、またたくさんの親子が参加をした場合を考えて、 工作物に「水鉄砲」と「マイ箸」を強化する。 どちらもハケがいい。 前回の「枝笛」は、よほど暇なときだけにすることにした。 昨日は、そういうことで、 午前中、料理教室に通って、 午後から「さぎ山野営場」を借りている地主さんに挨拶をした後、 「親子で工作」に使う材料をキャンプ場で揃えた。 水鉄砲に使う筒にする竹と、それのピストンにする細い竹、 マイ箸の材料の「もうそう竹」の太いところ、 これらをキャンプ場から持ち帰って、水で洗って、 レンタル倉庫にしまった。 水鉄砲のピストンに使うスポンジなども百均で十分な量を買い足した。 後は、当日、晴れて千客万来を祈るばかりだ。 来週には、仕事で5日間の出張が待ち受けている。 これの準備もしなければならない。 とうとう、「幼稚園のお泊まり保育」のシーズンが到来だ。 そしてまた、マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」のスタッフをやる。 夏だ! 13/6/17(月)朝 キャンプじぃじの日記 風疹の流行が問題になっているでしょう。 数日前に紹介した、南雲ドクターの本にも、 そうした子供のうちにかかってしまえばいい病気のことに触れていた。 ワクチンを多くの人が受けやすくしろと要求しているとラジオから流れている。 南雲ドクター曰く、子供のうちにその病気にかかればいいものを、 それを避けて子育てをしてしまうことに問題を見出していた。 実は、このことについては、 別のお医者さんも同じことを言っていたのを聞いたことがある。 働く意欲がない人をどう就職させることが出来るのか、 こういう問題も、 さらに「優しく」国に問題解決を迫っていないだろうか? 初めから、よく働く人になるように子育てをしておけばいいはずだ。 「満たされ過ぎ」に育てて、将来、よく働く人になるとは、 僕には思えない。 「甘やかす」子育てで、将来、社会を堂々と生きていく人になるとは、 到底、僕には思えない。 僕の長男は、「社会人」になれないで、ふてくされて生きているようだ。 僕は、子育てで非常によくない「甘やかす」ことをしてしまった。 僕は、「親の本当の愛情」と「甘やかし」の区別ができないでいた。 これこそが、本質的な問題だった。 子育てが悪くて、非常に悲しい思いをするのは、本人もそうだが、 「親」だからね。 「教育」は金で買えても、「子育て」は、親自身が取り組まない限り「子育て」にならないからね。 しかもその「子育て」の「基本」をシッカリ親が学んで取り組まないと、 僕のように歳をとってから、悲しい思いを引きずって生きることになるからね。 今朝、 僕は、長男が帰って来た夢を見た。 13/6/16(日)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、一般道で35`離れた取引先まで取材に行った。 梅雨なのに、 天気がいいので自転車で行った。 しかも一般道ではなくて、川の土手沿いを走っていったので、 往復で93`走った。 往復で一般道よりも20`以上多い。 しかも、土手の上は、車止めなどの障害物や砂利で突っ走れない。 行きは、ファミレスで朝食をとったので、どのくらいの走行時間だか分からないが、 帰りは直行で帰ったので掛かった時間が分かる。 3時間10分だった。 朝、 歩いて1分のところにあるコンビニで、 お茶とオニギリを買って、4時半に出発しようとした。 コンビニで買い物をして、そこを出ようとしたときだ。 僕よりも前にお客さんがそこを出た。 僕よりもだいぶ早く出たのだが、 ドアーを開けて待っている。 やたらに親切だと思い、お礼を言った。 そうしたら、 僕の自転車を見て、話しかけてくる。 僕は、「これ、お好きなんですか?」と自転車を指して言う。 僕と同じぐらいの年恰好のおじさんが、昔、若い頃に走ったという。 趣味が合うというのは、 人と人のチューニングが合う。 彼が、どこまで行くのか尋ねるので、 杉並区の方だと僕が言った。 ただ、一般道ではなく川の土手をつないで神田川に出て行くと伝える。 そうしたら、それから得意になって道案内をしてくれる。 僕は、もう出発したいのだが、ちょっと困ってしまった。 それで、駐車場を見ると、タクシーが一台だけ停まっていた。 道にやたらに詳しいので、 僕は、そのおじさんに、車を指差して、「あれ、運転手さん?」 と尋ねた。 彼は、その「道」のプロだった。 渋谷からお客さんを乗せて、ここ越谷まで来たそうだ。 尽きぬ話題に終止符を打って、僕はペダルを漕ぎ出した。 「綾瀬川」「荒川」「隅田川」「神田川」を経て目的地の近くのファミレスで朝食。 この間のロケハンの効果で、 一箇所だけミスコースしたが、順調に修復。 景色がとってもいい。 背中にカメラの重さがなければ、「仕事」をウッカリ忘れそうだった。 実際に、 キャンプ場整備で仕事を何日も穴を空けたことがある。 僕は前科者だ。 ヤバイ。 仕事を済ませて、帰りはその逆を行く。 帰りも一箇所だけミスコースをする。 行きも帰りも、「堀切」で迷っている。 ここを征服すれば、このコースの完成だ。 こうして僕は、「遊びの進化」を楽しんだ。 何を着ようか、何を食べようかと、思い煩っていたのでは「心の成長」がない。 「心の成長」がないとどうなるのか、 心の成長が止まってしまうと、幼いままの大人になってしまう。 ここに婚期を外したり、働く意欲がない人がでてくる本当の原因があると思う。 モンスターペアレント、ヘビークレイマー、といった社会人として問題をかかえるようになってしまう。 そういう子育てをしないようによく考えよう。 「心の成長」には、「辛いこと」「苦しいこと」「嫌なこと」などなどを「乗り越える」ことが必須だ。 こういう心を強く鍛えることを取り除いてしまうことを「甘やかし」と呼ぶのでしょう。 親の本物の「愛情」は、 子供に丁度いい、そうした「大変なこと」を体験させるものだ。 これを具体的にステップアップしながらしやすいのが「キャンプ体験」だと思う。 サイクリングも、 やり方次第では、同じだ。 僕は、子供が反抗期になった頃には、 子供に「ソロキャンプ」を体験させたが、 同時に、自転車の乗り方を少しずつ教えて、 キャンプ場までの移動は、サイクリングをさせた。 子供は、毎回ミスコースをしていたようだが、 ちゃんと目的地に着いたし、帰ってきてもいた。 ここなんだな、「自立」の訓練はね。 僕はこうして、学習障害を指摘された子を自立へと導いた。 それは、本当に僕自身、命がけで取り組んだ。 僕は自分の子を愛していたから、できた。 13/6/15(土)朝 キャンプじぃじの日記 山林をキャンプ場として貸してくださっている地主さんに挨拶をするために「草加せんべい」を昨日の午前中に買った。 生地から自家製の店で、ウッカリ午後買いに行くと売切れたりしたことがある。 小宮せんべい本舗 昔ながらの素朴な味で、僕が大好きなものだ。 それで、昨日は午後から「アウトドアー読書」を楽しむべく、 本屋さんへ行って本を物色した。 本屋さんでうろうろしていて、いつの間にかアウトドアーの棚にいる。 そこで見つけた雑誌がある。 「家族・親子 アウトドアー・キャンプ 入門」 監修:赤井 健一 土屋書店刊 1,480円+税 「はじめに」に書かれてあることにとっても興味を覚えて買った。 そして、 江戸川の土手にそれを持っていって読む、というより見た。 イラストが多く、初心者に分かりやすく工夫してある。 タープやテントの設営などの技術的なところを端折って、 いかに初心者にその面白さを伝えられるのかをよく読んだ。 非常に参考になった。 マザー牧場での「ごちそうサマーキャンプ」に持って行って、 興味のある方に読んでもらおうと思う。 たいがいの雑誌は、「物ありき」で、 グッズ紹介で構成されているが、 これは、まったく違う。 親子キャンプ初心者に、最初には「散歩」を勧めていたり、 グッズを買わずにレンタルがあることを紹介している。 これは、 僕の「物中心の弊害を訴える」ことに非常に近い考え方だ。 それで、この本は、僕を多いに喜ばしてくれた。 ぜひ、 若いお父さんに買って手元に置いて欲しい一冊だ。 イラストの多いハウツー本なので、 江戸川でコーヒーを二杯飲んでいるうちに読みきった。 それで、優雅にキャンプ用の椅子にもたれて昼寝をした。 午後四時ごろになって、なんとなく目が覚める。 そこに足元でガサガサと音がして何かが動いた。 蛇! それも二匹! 僕は、蛇の職別ができない。 だからそれがマムシかどうかが分からない。 唯一分かるのは、「ヤマカガシ」だけだ。 これは、本物を何回も見たので覚えた。 エラが張っていないのと、薄く青いところがあるので、 たぶんだが、「シマヘビ」のような気がする。 それにしても、目覚めにいきなり二匹の蛇がでたものだから、 僕は、飛び起きた。 体長の長いヤツは、スゴイ勢いでそこを去っていったが、 体長1メーターぐらいの小さいヤツは、 いつまでもそこをうろついていた。 そこで、尻尾を足で踏んづけてやった、でも逃げない。 ベロをペロペロだして、そこにいる。 本当に蛇はグニャグニャとよく曲がっているよな。 年老いて固くなった僕の体と大違い。 5分以上眺めていただろうか、 そのうちにノサノサと蛇が去って行った。 マムシを職別するために本物を見てみたいとは思うけど、 決してアウトドアーで遭遇したくないな。 でも何が起こるのか分からないのがアウトドアーだ。 あぁ、ビックリした。 今日は、これから一般道で35`離れた取引先に取材をしに行く。 天気が微妙だが、自転車で行けそうだ。 川沿いに行くかどうかは、現場判断だ。 お終い。 13/6/14(金)朝 キャンプじぃじの日記 一昨日、 梅雨だと自転車に乗れなくなるので、 一冊だけだが、 本を買って「雨プロ」用に用意しておいた。 それで、一昨日、時よりの霧雨。 それで、その用意した本をボロアパートの中で読もうとしたのだが、 気が乗らない。 それで、この間、どうしてもやる気のないビデオ編集を玄関の前でしたのだが、 それが非常に、やる気のない僕にいい効果があったので、 同じく、 外でなら本を読むだろうと考えた。 いい考えだ。 アウトドアー読書。 でも、玄関の前ぐらいだと、本を読むだけだからインパクトがない。 そこで、 江戸川の土手で、コーヒーを沸かしながら、それを飲みながらの読書をすることにした。 ボーイの隊長に貰った「JETBOIL」と、チョコ、飴、 ドリップコーヒー、 そしてコンビニで天然水を買って、それを実行した。 僕の車は、そうとう前の日産「キューブ」だ。 幼稚園の先生に、廃車するけど、欲しいならあげるというので貰った。 その時にその車は、7万`を走っていた。 この車、今、トリップメーターは、ほぼ14万`を指している。 色は、とっても素晴らしいピンク色。 この車のハッチバックを開けると、それがそのまま「屋根」になる。 トランク部分が、丁度いい高さのテーブルになる。 そこにキャンプ用の椅子をセットすれば、 完璧なデイキャンプができる。 江戸川の自然を眺めながら、僕は本を読んだ。 環境がいいので一気にその本を読んだ。 「空腹が生き方を教えてくれる」 南雲 吉則 著 サンマーク出版刊 1300円+税 僕は、前著「『空腹』が人を健康にする」も読んだ。 ドクターは、要するに「食い過ぎ」に警鐘を鳴らしているわけだ。 今回読んだ本は、そこから一歩バージョンアップして「生き方」にまで触れる内容になっていた。 基本は、「食い過ぎ」がいかに良くないのかをドクターらしく科学的根拠を挙げている。 そして、「腹がすいている」からこそ「生きる力」になると結論付けている。 僕は、ここに多いに共感を覚えた。 まったく別の本。 「断捨離」 やました ひでこ 著 マガジンハウス刊 1200円 こちらは、「日用品」を捨てることで、生きていくのに本当に必要なものが見えてくる、という内容だ。 そして、本当に必要なものは、実は、少なくて済むというもの。 もう一冊、「ブータン、これでいいのだ」御手洗 瑞子 著 「物」が溢れかえっているここ日本とは違って、非常に粗末な「物」でも、 とっても幸せに暮らしているブータン人の普段の生活を紹介している。 そしてこの僕。 僕は、普段の生活はそのままでもいい、 ただ、せめて子供が小さい内からの子育ての中で、 この「物」が少ない環境のキャンプを、親子で楽しんでもらいたいと、 ここで訴えているわけだ。 これは、世の中にある無数の趣味の一つということではない。 南雲ドクター、やましたさん、御手洗さん、 に共通する・・・・・・・ 「物が溢れるばかりにあるので、『心の成長』が止まる」 ということを訴えたい。 物質的繁栄は、人の心を幼稚にする、僕は、こういうことだと思う。 5才は、5才なりの、 20才は、20才なりの、 30才は、30才なりの、 40才では、40才の成長があるからこそ、 そこに人生の充実感が味わえるのさ。 だから生きている限り「成長」こそがキーワードなんだ。 分かって欲しい。 ここで言う「成長」とは、「心の成長」を指す。 13/6/13(木)朝 ビデオマンの日記 このコーナーは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 来週、同業者の集いで、作品発表会がある。 それぞれのビデオ屋がその仕事ぶりを披露する。 実は、僕は勘違いをして一ヶ月前に見本のDVDを持って行った。 僕のメイン商品である「卒業ビデオアルバム」と、 趣味でハマッテいるサイクリングのスライドショーの2点を持って行った。 来週が本番だった。 「卒業ビデオアルバム」を商品化しているのは、 その集いでは僕だけで、他の参加者にあまり参考にならない。 このドキュメンタリーは、カットをつないで作る面白さがあるのだが、 もう15年以上アピールしているけど、 誰も間根っこで始める人がいない。 手間の割りに儲からないからだ。 理由は簡単。 そこで、考え直して、幼稚園の発表会における「一人3カメ」と小学校における「二人3カメ」を紹介する事にした。 「舞台もの」は、大方の方が関わっているから、参考にはなるだろう。 こういうことで、昨日、その見本を作った。 「EDIUS」でのマルチカメラモードのモニター風に、 モニター上部に「マスター」を 下部に横3つの画面がそれぞれのカメラモニターに配置して、 どのカメラの「絵」がマスターに使われているのか、 またそれぞれのカメラの動きが分かるようにした。 「一人3カメ」は、僕はもう何年も前から導入しているけど、 1本は、基本的に「引き絵」であまり操作をしないが、 残り2本は、バンバン動かす。 そういう操作をリアルタイムに見ることが出来る。 将来、僕と同じ仕事を始めたい方にも研修で使えるようにした。 興味のある方は、 「ビデオナー ビズネット」で検索してみてください。 13/6/12(水)朝 復活サイクリストの日記 僕の住んでいるところにある「綾瀬川」、 ここから「荒川」へ出て、 そこから「隅田川」に乗り換えるところを覚えるために、 昨日、ロケハンをした。 「隅田川」から「神田川」へは、もう分かったので、 そこのところをコースにマスターしたかった。 「堀切」というところが要だ。 そこの地図を持って、自転車を漕いだ。 「綾瀬川」と「毛長川」の位置関係は、もう分かった。 昨日は、「綾瀬川」の左岸を走った。 右岸に比べて、砂利道やブッシュが多いのだけど、 ツーリングの雰囲気が出ていていいことが分かった。 ただ、途中で土手がフェンスで遮られている。 しょうがないから、自転車を持ち上げて、そのフェンスを渡して、 僕は、よじ登って越した。 一度、こういう思いをしたところは、体が覚えてくれる。 余談だが、 昨日の夜は、最近よくいく居酒屋さんへばぁばと行ったのだが、 そこの板さんと最近、仲良くなった。 板さんだから「包丁一本」で店から店へ渡り歩いて、 修行をしたらしい。 僕も、零細のビデオ屋からビデオ屋へ渡り歩いて、 今の基礎技術を盗み取った。 今の若い人は、「与えられ過ぎ」で育てられて、 貪欲な「成長願望」が少なくなっているように思える。 なに不自由なく育てると「意欲」のない人になってしまう。 いくら最高級の「教育」を買って子育てをしても、 生きる意欲がなければ話しにならない。 おぼっちゃまに育ててうつ病を起こしたら、どうにもならない。 「体験で覚える」 どんな技術職でも、これが基本だ。 そこの板さんと、そういう話しをしていて息があった。 さて、 そうして「綾瀬川」から「荒川」、そして地図を見ながら「隅田川」に出ることが出来た。 「隅田川」から「神田川」の合流地点を確認して、 昨日のロケハンは終了。 そこまで25`であることが分かった。 あとは、フリーだ。 せっかくだから海を見に、「隅田川」をさらに下っていく。 たいした距離もなく、レインボーブリッジが見えてくる。 しかし、その先にどうにも行けない。 そこを越せば海が見えるはずだが、 うろうろと走ってみたのだが、ダメ。 そうこうしているうちに、雨が降ってきた。 運よく、そこに駅があった。 「うみほたる」という路線の「新豊洲駅」だ。 大分前に、ここの無人運転の電車が開通をして話題になった。 そのときには、 そんなものに乗りたくはないと思っていたけど、 昨日は、もう結構な雨で、それに乗る以外に選択肢はなかった。 370円で新橋までの切符を買う。 本当に、無人運転をしていた。 すごく違和感がある。 栃木県の田舎の方に「無人駅」があるが、 そこでも「無人駅」だった。 ただ、こちらは切符を買って、改札口を通過しなければホームに出られない。 車窓からの眺めに驚いた。 雨模様でシットリとした東京のビル。 ところどころに自然が、そのビルや高速道路、橋、の間を彩っている。 とても面白く綺麗だった。 子供のように窓にへばりついているのは、田舎物の僕だけだった。 370円の観光としては、とっても安上がりだと思う。 無人運転で興味がなかったのは、僕の偏見だった。 そういうことで、電車を乗り継ぎ、 東武線の「西新井駅」で、ホームにある「西新井ラーメン」を久しぶりに食べた。 僕は、ここが好きだ。 昨日、初めてそのラーメンに「大盛り」があることを知った。 もちろん、それを食べた。 そうしていたら、どうやら雨が上がってきたようなので、 その駅で降りて、自転車を輪行袋から引っぱり出して、 いざ、乗ろうとしたら、また雨が降り出す。 そこからは、もうボロアパートまで近いので、 一般道で、 ウインドーブレイカーを羽織って走った。 僕のこれは、防水ではないので、ビショビショになる。 ところが、間もなく雨があがりアスファルトがドライになる。 これなら土手を走れると思い、「谷塚」あたりで「綾瀬川」にでた。 越谷に帰ると、まったく路面が濡れていなかった。 濡れている僕が、なんだかバカみたい・・・・・ どこかで「みたい」が余計だ、という声がした。 気のせいか? 聞こえるんだよ、読者の思いが。 さて、そういうことでビショビショのウインドーブレイカー、 輪行袋、最近買い換えたハンチング、手袋、ザック・・・・・ これらの内、 ハンチングと手袋は自分でぬるま湯で手洗いをしたけど、 残りは、ばぁばが仕事から帰って来たときに洗濯をさせた。 それで、昨日は夕食を居酒屋さんへ食べに行ったわけだ。 高い洗濯料になった。 そこの板さんは、修行で店を渡り歩いたということだが、 子供と遊ぶ事が人生で重要だと気付いて、 「仕事」は、そこそこに子供と一緒に野球をやったそうだ。 子煩悩だな。 ぜひ多くのお父さんにも気付いてもらいたい。 建物や車や、その他「物」を手に入れるのが目的の人生ではなくて、 子供とたくさん遊ぶ事で親子で「心の成長」を目指すことをね。 人生の本当の豊かさは、そこにあるんだよ。 そして面白いのさ。 僕もそういうことで、 今の商売を縮小して、具体的には、 卒業ビデオアルバムの制作を一時、10件こなしていたところを半分にして、 カブスカウトの活動を年に70日もやったさ。 ものすごく面白かった。 さぁ、若いお父さんも、 子供の手を握ってデイキャンプをしよう。 13/6/11(火)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、納品をしたり、編集をしたり、 痛風の薬をもらいに行ったり、 まじめな一日だった。 空梅雨だ。 おかげでずいぶんと自転車に乗れた。 歳をとると、疲れが三日後、四日後にでてくる。 それで、 疲れていて大人しくしていた。 昨日の夜、ばぁばと二人きりでの夕食だった。 だいぶ慣れたが、お通夜だ。 そこで、行儀が悪いけど、食べている最中にサイクリングのスライドショーを見た。 ばぁばに9タイトルの中から選ばしたら、 ばぁばが写っている、 「お花見サイクリング」「巾着田〜川越」「鎌倉・江ノ島」 をPCで再生をした。 たて続けに見ると、こういうのは眠くなる。 最後のタイトルでは、ばぁばの目が閉じそうになっていた。 今のところこれは、写真をパンしたりズームしているところにBGMを被せているだけだ。 アドビの「Encore」で作っている。 今度、これをビデオ編集のタイムラインに載せて、 そこにナレーションを入れたらどうだろうかと思いついた。 大昔に流行った「金高かおる世界の旅」ぽくナレーションの掛け合いというのは、どうだろうか。 でも相手がばぁばじゃ、気乗りしないな・・・・ それでは、ナレーションをポエム風にいれるというのは、 どうかな? 僕に、「詩」のセンスがあるかどうか、疑問だけど、 やってみる価値はありそう。 サイクリングの「絵」に合わせた「詩」か。 過去にこういうのを見たことがない。 前例が、僕にはない。 「言葉」は、映像に出来ない表現があるんだな。 それは、形容詞だ。 暑さ、寒さ、も表現しやすい。 傾斜も実は、「絵」だと難しい。 こういう「絵」の不得意なところを「言葉」でミックスすればいいのかも。 なんだか、面白そう。 僕の遊びは、いつもこうして「進化」していく。 とっても面白い人生だ。 「詩」か・・・・・難しいけど面白そう。 逆だ、難しいからこそ面白い。 子育ても同じ。 13/6/10(月)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、暑かった。 作務衣では、暑っ苦しいので「じんべい」を今年初めて着た。 そこに今年は、たくさん自転車に乗ったので、 疲れが溜まっていたようだ。 午後からは、ばぁばと二人、ごろ寝をした。 いつもの銭湯に入って、昨日は「日曜晩餐会」の日。 僕と、ばぁばと、大家のおばぁちゃんと、うつ病の古い友人で夕食を囲んだ。 それで一日が終わった。 古い友人が帰り際、みんなで食べるのが楽しいと言っていた。 ヤッコサンに家庭の味を楽しまさせることが目的だから、 とってもいい効果があるようだ。 昨日の牧師先生の言葉が心に残る。 「ヒトの世話をして人になる」 そんな意味のことを言っていた。 ボーイスカウトのリーダーで学ぶことは、 「一切の見返りを期待しない」ことがボランティア活動で重要ということだ。 「見返り」を貰うどころか、それを「期待」してもいけない。 これを僕は、習った。 牧師先生の言葉と重なる。 まぁ、こういうことで僕は、「親子で工作」のボランティア活動を続けてきた。 昨日の友だちではない別の古い友人は、 そういう僕を見て、なんでそんなにまでして活動をするのかと言う。 分かりやすく説明をすれば、 「天国に貯金」をしているのだが、 余計に分からなくなるだろうか・・・・・。 僕は、今の商売を手に入れて、それで今のところ生活をし続けることができた。 この間、孫の手を握って竹とんぼを作ることも出来たし、 「自分の消費」も日用の糧で多少はいるけど、 それが目当ての人生では、惨めに感じるんだな。 自転車もそうだ。 ただ、自転車に乗っているだけでは、どこか物足りない。 デジカメでサイクリングのツーリングの面白さを伝えられたらいいと思いながら、 サイクリングをすると、俄然、意欲が沸いてくる。 「自分の消費」より、 「誰かのため」の方が、心のどこかで喜びが沸き起こるんだ。 たぶん、散々、僕の四人の子のために必死に今の仕事に取り組んできた、 それの習慣が残ったのではないだろうか。 そのころは、 子供の写真をビジネス手帳に挟んで、 それを見て、命がけの挑戦に勇気がもらえた。 それで僕は乗り越えることが出来た。 これを30年もやってきたのだから、それの習慣が残ったのだろう。 「子供のため」 これが僕の心に「ボランティア」を根付かさせてくれた。 子供存在は、大きい。 自分の子とたくさん遊ぶ事は、 結局、僕を「父親」に育ててくれたのだ。 このことに若いお父さんが早く気付いた分、いい子育てをすることだろう。 だから僕は、「親子で工作」のボランティア活動にますます夢中になってしまうのさ。 僕は、ここに本物の幸せを感じるんだ。 13/6/9(日)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、一般道を行けば、35`の距離のところへ自転車で取材に行った。 もう何回か、帰り道に「神田川」沿いに走って、「地理勘」が少しずつ身に付き始めた。 そこで、昨日は、行きに、 「綾瀬川」を上っていって、どこかで「神田川」に出て、 それで目的地へ行こうと考えた。 「行き」は、取材開始の時間的制約がある。 「間に合わない」は、許されない。 ちょっと緊張感が漂うな。 その「綾瀬川」を下っていたはずなのが、 いつの間にか「毛長川」を上っていた・・・・・ ミスコース。 ここのロスタイムを挽回するために「谷塚」あたりから一般道「昭和通」を行く。 一般道は車がうるさい。 でも、しょうがない。 秋葉原を過ぎたところに「神田川」がある。 そこからは、それに沿って上って行く。 この間の「野川公園」での取材では、そうして上って行っていたら、 いつの間にか「善福寺川」になってしまったので、 昨日は、意識的に「神田川」の右岸を追いかける。 それで、 「神田川」と「善福寺川」の合流地点がどういうものかを見極めることが出来た。 一歩前進だ。 こうして「学習」するのが面白さの一つだ。 最近、自転車用のナビが売られるようになった。 それだけサイクリングが流行っている。 一瞬それが、欲しくなってパンフを取り寄せたが、 それに頼ったのでは、僕の「遊び方」に反することに気付いた。 だいたいそのナビのパンフには、車の一般道を基準にしていると書かれてあった。 僕は、その「一般道」を避けたいのだから、 僕の走りには、あまり役立ちそうにない。 それで、こうしてアナログチックに「試行錯誤」を繰り返して「覚える」ことをしている。 子育てでも、子供にこういう「試行錯誤」を元気にトライさせるといいと思う。 「失敗体験」とそれを「乗り越える勇気」を子供に身に付けさせるといい。 こういうことで、 「失敗しない子育て」こそが最も「失敗しやすい子育て」になるものだ。 面白いことを言うでしょう。 それだけ「子育て」は、難しいということさ。 さて、「神田川」から「中野街道」に、奇跡的にスムースに出られた。 僕が普段、こちら方面へ行く時にいつも寄っているファミレスが、 この道沿いにある。 時間的に迫っていたら、朝食抜きで直行ということになるが、 十分に時間があったので、 そこで「蟹雑炊」を注文した。 そうしたら、なかなかオーダーがでてこない。 20分過ぎても出てこない。 結局、それで時間が押してしまった。 急いで現場へ行って、 カメラを用意して、間一髪、ギリギリセーフで1カット目を撮ることができた。 バカなことをしていると自分で思った。 帰りは、「善福寺川」から「神田川」、 そしてその先がどうなっているのか知りたかったので、 川沿いには走れなかったけど、 それに並行をしている一般道を走ってみた。 「隅田川」にあっけなく合流した。 僕は、もっとドラマチックな「絵」を期待していたのだが、 とっても地味に合流していた。 それからは、この「隅田川」を上って行く。 この川は、行き過ぎると「鹿浜」方面へ行ってしまう。 だから、どこか途中で北上しなければならない。 なんとか、綾瀬川に出られないだろうか・・・・・ そういう目論見で走っていたのだが、 結局よく分からなくて、国道R-4に出て荒川を越した。 それでも「綾瀬川」に出たくて、 川を越してから東へハンドルを向ける。 それらしきどぶ川があったので、それを上っていたら、 それは、「伝右川」という名が付いていた。 なんでしょう、これ? それで、その川沿いに走れなくなって一般道にでたら、 そこから「綾瀬川」が見えた。 ラッキ〜〜〜だ。 僕は意地になってこの「綾瀬川」で帰ることが出来た。 走行距離94`だった。 このルートの完成を目指すぞ! 「遊び」は、こうして「進化」させるところに面白さがある。 「人生」という遊びも紆余曲折するからこそ、ダイナミックなドラマが生まれて面白いものだ。 13/6/8(土)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、雨が降る、雨が降る、というので、そのつもりでいた。 しかし、ばぁばが出勤のころには、まだ雨が降っていなかった。 そこで、 これは神様からのプレゼントだと思い、 早速、ツーリングの用意をして外へ出たら、 パラパラと雨が降り出した。 残念。 まぁ、もともと大人しく今年度の「卒業ビデオアルバム」の編集を始めるつもりだったから、 部屋に入ったのだが、 「気分」は、お外。 それで、ヒョンナことを思いついた。 それは、「アウトドアー編集」だ。 前から、さぎ山野営場でビデオ編集をしたら、きっとはかどるだろうと思っていた。 でもそれを実行するためには、高出力の発電機と電圧安定器が必要だ。 お金に余裕が出来たらの先送りの懸案にしてある。 しかし、思いつきは、突然やってくる。 なにも、さぎ山野営場まで行かなくても、玄関の前でもアウトドアーではないか、とね。 そこで、それを実行した。 暑くもなく、寒くもなく、風が天然扇風機で心地いい。 早速、機材を引っぱり出して、 キャンプ用のテーブルと椅子を使って編集する。 最高だよ、これ。 時間が、アッという間に過ぎて、お昼になる。 大家のおばぁちゃんがいたので、一緒にラーメン屋さんへ行った。 気分最高なので、僕は、餃子、ラーメン・・・それと・・・・ 生ビールもやっちゃった。 午後からも昼寝をしないで快調に編集をこなした。 これ、気温と風がよければ今後の編集スタイルに決定だ。 ランプの灯りの下でも雰囲気がいいかも・・・・。 あれだけ、一日天気がよかったけど、 最初に「未遂」があったけど、 大人しく編集できたのは、他にも理由がある。 それは、これから35`離れた取引先の取材を、 地球環境保護対策で、自転車で行くからだ。 神田川沿いを走りたいので、実際の距離はもうちょっと多い。 しかも、景色がいいからゆっくり走るので、 到着まで3時間を見込んで、 ファミレスでゆっくり朝食をしたいので、 かかる時間に、計4時間を見込む。 ゆえに、もう今、朝5時には出発しなければならない。 お終い。 13/6/7(金)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、曇り空で暑くなかった。 自転車を磨いて、変速機も直してもらったので、 午後からその調子をみるために試乗した。 試乗だからね、あまり走らない。 ウッカリ輪行袋を持って行くと、どこへ行ってしまうか分からないので、 ちゃんと、それを持たずに出かけた。 末っ子が小さくてかわいかった時に毎日散歩をしたコース、葛西用水。 ここのところ、ここが気に入って、ここを走りたくてしょうがない。 それでまた、「葛西用水」「元荒川」「逆川」へと行く。 越谷の野鳥の公園のところから、 古利根川に出るのだが、 そこを上って行くと、大変なことになるので、 逆に下ってみた。 右岸を走ったのだが、途中からどうにも川沿いに走れなくなる。 そこをしつこく川を追っていたら、 いつの間にか「中川」になった。 ここをさらに下っていくと、「あぁ、ここにでたのか」という馴染みのあるところに何回も出た。 大分前、 三番目の子と末っ子が所属をしていたボーイスカウトの団専用のキャンプ場にも行った。 噂によると、護岸工事で、今は使えなくなったそうだ。 僕のその二人の子は、ここで「飽きるほど長くキャンプをする」ことをさせた。 毎日、僕が水をタンクに入れて持って行ったものだ。 それで今、タンクがいくつもある。 そこから、国道R-298号の側道に出て、葛西用水路に戻り、 今度は、ここを上って周回コースを走った。 初めて、葛西用水路の川下側を走った。 車道から自転車・歩行者の道がクッキリと分けられていて、 とても綺麗に整備してあった。 ここを目当てにまた走るのもいいと思う。 こうして、走行距離たったの20`で、試乗を終えた。 ここのところ、暑くなったり涼しかったり、 体の調子が狂いそうだ。 なんだかだるいので、玄関の前でキャンプ用の椅子にもたれて昼寝をした。 だいぶ、サイクリングのスライドショーが増えた。 今現在、9タイトルだ。 一番最初のものと、ABBAの曲を使ったものは除いている。 ABBAのもののときに、これは興味のある方に差し上げたり、 いつかは、ネットに載せてもいいと思い、BGMに著作フリーを使うようになった。 ここらへん、ビデオ屋だ。 自転車を修理してもらった店にも3タイトルをあげた。 自転車でのツーリングの魅力が伝わればいいと思う。 僕のような歳で、 ロードを買って頑張って突っ走るのは、体によくない。 そうではなくて、歳相応な「走り」があることを伝えたい。 サイクリングは、水泳に次ぐ「全身運動」なのだそうだ。 無理なく楽しむべきだよね。 この間の大震災以来、本当に「年寄りサイクリスト」が増えた。 ぜひ、そういう方にアピールできたらいいね。 スライドショー、今度はどこを走って作ろうか・・・・・ これを考えるのも楽しい。 13/6/6(木)朝 ビデオマンの日記 このコーナーは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 H24年度の卒業ビデオアルバムは、 来週の月曜日に最後の一件を納品できる段取りになった。 今日当たりに、パッケージを終了したい。 ここの書き込みを読んで下さる方は、 まったく僕が働いていないように思われるかも知れないけど、 それなりには、仕事をこなしているんだ。 日用の糧を得るために働いている。 定年退職がない。 生きている限り働く。 でもこれが生き甲斐に直結していて、とってもいい。 僕の仕事は、 一日中働くということは、年間にあまりないけど、 毎日、まったく仕事に関したことをしない日ということも少ない。 たいがい、午前中取材をしてから、 午後、遊んでいることが多い。 こういう人生を随分やってしまったので、 もう一般社会人に更正する事は極めて難しい。 よくこう言われる。 「サラリーマンから自営にはなれるけど、 一度自営を味わってしまうとサラリーマンには戻れない」 ただし、その「自営」で喰えるようになれた場合に限るけど、この話し。 「自営」で成功をするためには、 ビデオ屋に限らず、そこには確実に押さえなければならないことがある。 「売れるものが作れる」こと それを「売り込んでいく」ことができること 「売れるものが作れる」は、そういうものを仕入れるということもあるだろう。 どちらにしても、上記の二項目は必須だ。 そして、そのことで利益を得て、 初めて「商売」が成立する。 「商売」は、生き物だ。 その年代、年代、で変わっていくものがある。 例えば、僕の商売では、 VHSからDVDにメディアが変わった。 編集も、デッキ・トゥ・デッキ、からPCに変わった。 でも「編集方針」は、平成3年度から変えていない。 世の中が変わる分、それを乗り越えていくわけだが、 そこには、作戦が不可欠となる。 これが、 「理念」 「戦略」 「戦術」 になる。 「編集方針を変えない」のは、僕の仕事の「理念」「戦略」にあたる。 どういう機材を使うかが「戦術」だ。 こういうことで、「機材」で商売ができると思ってしまう、 商売の初心者は、いつまで経っても商売を立ち上げることができないわけだ。 そこに「理念」「戦略」が欠けているからだ。 決して、そういう状態では、商売を一瞬ぐらいは出来ても「継続」しない。 こういう人を僕は、この30年間にたくさん見てきた。 さて、僕の商売は、もともと「能力主義」の世界だ。 「能力主義」が当たり前。 何時間働いたから、ギャラ下さいという仕事でも、 その「ギャラ仕事」をとってくるというのは、「能力」次第だ。 この「能力主義」だが、 かれこれもう30年以上前から、「日本型の終身雇用」が終焉し、 日本も「能力主義」になると言われていた。 そして、正に今、音を出してそれが崩れ落ちようとしている。 こういう目には見えない大きな、それこそ「革命」が今、起こっている。 このことをシッカリと頭にいれていないと、 もともと「能力主義」である「自営業」では、長く継続して喰っていくことができない。 ここのところをどう学べるのか・・・・・・ 僕は、これを教えることが出来るよ。 実際にやってきたことを、語れるし、今も出来るし、教えることが出来る。 本気の「自立」を目指す元気で若いビデオマン、 僕の仕事に興味があったら、ぜひ挙手をお願いします。 13/6/5(水)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、暑かった。 午後から、一昨日のサイクリングでドロだらけになっている自転車を磨いた。 ついでに、 それほど汚れてはいなかったけど、チェーンを灯油で洗った。 それで、変速機を直してもらいに、 自転車屋さんへそれを持って行った。 そして、その暑さ。 玄関の前で、キャンプ用の椅子にもたれながら、 ABBAの曲を聴きながら、 チーズをほおばりながら、 ・・・・・ビールを呑んじゃった。 そのまま爆睡。 玄関の前で、安上がりなものだ。 サイクリングだって、お金のかかる遊びではない。 キャンプだって、僕のようなやり方・・・・・・ 豪華なキャンプ用品を使わずに、 竹で工作して 椅子、テーブル、タンクの台、簡易ベッドも作った、 大型のテント−−−「竹ハウス」も、 全部手作り。 安上がりだ。 だけど、手間はかける。 「ハードウエアー」と「ソフトウエアー」の関係が分かるだろうか? PC本体が「ハードウエアー」で、 それで、仕事が出来るようにプログラムされたものが「ソフトウエアー」だ。 スキー用品が「ハードウエアー」なら、 スキー教室が「ソフトウエアー」。 自転車が「ハードウエアー」なら、 それで上手にサイクリングする技術が「ソフトウエアー」。 キャンプ用品とキャンプ場が「ハードウエアー」なら、 キャンプ技術が「ソフトウエアー」。 「ヒト」自体が「ハードウエアー」なら、 「生き方」が「ソフトウエアー」。 僕の仕事では、 カメラが「ハードウエアー」で、 「卒業ビデオアルバム」の制作技術が「ソフトウエアー」。 僕は、何をやるのでも、この「ソフトウエアー」にこだわる生き方をしてきた。 そういう人間の営みの内、 「子育て」がもっとも熱い「ソフトウエアー」だな。 「ハードウエアー」でも、 それを作る技術は、「ソフトウエアー」となる。 それで、竹でキャンプ用品を作るのは、面白いのさ。 面白い。 「ソフト力」 実は、これが「能力主義」に勝っていくものだ。 結構、いい話をしたでしょう。 「消費」で喜んでいては、幼いよね。 さぁ、子供の「心」を強く育てよう。 親子キャンプで子供の心を少しずつ鍛えていこう。 まずは、デイキャンプをシッカリとやってみよう。 13/6/4(火)朝 復活サイクリストの日記 チャンスを逃さない。 不平不満が多い人は、目の前にチャンスがあっても、 それを掴み取ることが出来ない。 何でもそうだ。 結婚でも、仕事でも、遊びでも・・・・・ 「生きる条件」の多い人は、自らチャンスを逃してしまう。 そんなことがあってはいけないと思い、 昨日の気候のよさを逃すことなくサイクリングをした。 どこへ行くか、いろいろ迷ったが、 行きは全走で、「思川」を目指すことにした。 この「思川」は、鮎つりで有名なんだね、この間、テレビを見ていてそれの「解禁」が話題になっていた。 灯台元暗し。 末っ子がかわいかったころ、毎日散歩をしたコース・・・・・ 「葛西用水」がとっても雰囲気がいい。 それで、ここをデジカメに収めたく、行きは全走することにした。 「葛西用水」、「元荒川」、「逆川」、「江戸川」へと行く。 「江戸川」は、野田橋を渡って千葉県へ行く。 そこからひたすら左岸を走る。 「関宿」に着いたのだが、昨日は月曜日。 そこの博物館がまたお休みだ。 「休館」という看板を撮った。 そこから利根川に出るためには、後戻りしなければならない。 一般道に出て、利根川を越す。 そこからすぐに「渡良瀬川」になり、「思川」に出た。 やっとここらへんの位置関係が分かるようになった。 いつだったか寄ったことがある「おもちゃライブラリー」をバックに自転車を撮った。 前回、そこから駅に向かって帰ったのだが、 昨日は、その先を行く。 砂利道の土手を走る。 バランスを崩しそうになりながらも、ガンガンと走る。 変速機も酷使する。 それで、とうとう、また変速機の調子が悪くなった。 これで三回目。 どうにかいじくれば変速をしなくはないのだが、 面倒なので、ほぼ固定ギャーで走る。 歳の割りに派手な走りだ。 川の土手は、いくらでもあるのだが、時間の方がリミットになってきた。 そこで、川とお別れをして、最寄の駅を目指す。 ここらへん、まったくの当てずっぽうだ。 「家中」という駅に着いた。 そこで、自転車をバラして輪行袋に入れる。 ナント、そこは無人駅だった。 たぶん、電車の中の車掌さんに切符を買うのだろうか、 それとも、自動の整理券を発行しているのだろうか、 慣れないことだが興味はあった。 しかし、それの体験はできなかった。 時計を見ると、15:14 だ。 発車時刻表を見ると、15時台に電車は一本もない。 それどころか、16時台には、40分にならないと電車が来ない・・・・・ こういうストラッグルをデジカメに収めるために、 僕は、多少の演技をして写真を撮った。 でも現実は厳しい。 そこで今度は、輪行袋から自転車を引っぱり出して、 「家中駅」を後にペダルを踏み出す。 逃げるようにそこから走って、「栃木駅」に到着。 それでやっと輪行で帰ることが出来た。 デジカメに収めた写真は、122枚。 スライドショーに編集できる枚数は、最大で99枚だ。 風呂上りにビールを呑みながら、写真の取捨選択をしながらスライドショーのDVDを作った。 ばぁばがPCを覗き込むので僕は、 「企業秘密を覗くな」と言ったら、 ばぁば、 「見え、見え、」とだけ言う。 でも顔が、 「あたしは働いてんのに、一人で遊んでんだから」という音声を発していた。 まぁ、これでまた一つコレクションが増えた。 走行距離105`。 チャンスを逃さない、 開き直り、 生きる術だ。 13/6/3(月)朝 キャンプじぃじの日記 昨日も「日曜晩餐会」をやった。 大家のおばぁちゃんに、ちゃんとドレスを着てくるように言ったのだが、 普通の格好をしてきた。 日本酒の差し入れをくれた。 もともとは、うつ病の古い友人がもう随分前から働くことができなくなって、 一日中、犬の散歩以外やることがなさそうなので、 せめて一週間に一度ぐらいは、 ヤツの顔を見て様子を伺うために始めた。 僕がうつ病に関した本を読みあさったのは、 コイツのお陰だ。 でも結局、それを直す手立ては見付からなかった。 何冊かのそれの本の中には、こういうフレーズがあった。 「親が変われば、子が変わる」 これは、子育てでもまったく同じことが言える。 小さい子供は、従順だ。 だから、親の言いなりに、いくらでも「詰め込む」ことができるし、 実際に、それだけは上達する。 しかし、そういう「詰め込み」は、反抗期と共に怪しくなる。 それは、本人の本当の感心ごとではないからだ。 それより、 その子の興味関心が何であるかを探り、 そこを伸ばしてあげると、 たとえ反抗期でも、本人が好きなことだから夢中になって取り組みやすい。 僕の子は、みんな学校の成績が悪かった。 最下位。 これは、障害ではなくても、そういう傾向のトラブルが原因だ。 本人が悪いわけではない。 そこで僕は、「頭」を鍛えるのではなく、 「体」と「気持ち」を鍛えるべく「親子キャンプ」をやった。 これは、本人の「好み」ではなかった。 それで、 末っ子の場合、高校生で柔道の部活に入るように僕が勧めた。 なんとなく、それが本人にあっている感じがしたからだ。 正解だった。 たまたま柔道部の顧問の先生が優秀な指導者で、 末っ子は、産まれて初めて柔道をやりだして、一年ぐらいで県大会に出場させてもらえた。 簡単にそのときには負けたようだが、 僕はしきりに「たった一年の練習で県大へいくなんてすごい」と誉めた。 そのことで自信をつけさせたかった。 そのときの柔道着は、奥の部屋にハンガーに吊るして飾ってある。 この間、末っ子が帰って来たときに、それを着て見せていた。 「自信」につながっていた証拠だ。 僕の「親子キャンプ」は、ハッキリとした目標があった。 最も重要な目標は、「自立」に向けてステップアップさせることだった。 初めは、デイキャンプでキャンプ技術を身に付けさせて、 次第に、手作りのキャンプグッズでキャンプが出来るようにさせた。 それで、 一週間以上の長いキャンプ。 最後は、ソロキャンプ。 下見から計画書作成、実行、感想文、という「仕事の流れ」をさせた。 ここの目当ては、 「工作」で手先を器用に使えるようにするための訓練。 そして「手作りのキャンプグッズ」を使うことで、 市販の「豪華なキャンプ用品」ではなくてもキャンプができるようにさせること。 どんなことでも「工夫」をして乗り越えること。 これを身に付けさせたかった。 将来、収入が少なくても、少ないなりに「工夫」して生活ができるようにさせたかった。 ここに関しては、今現在、良好な効果があったと思う。 末っ子は、自立した。 ここに失敗したのが、うつ病の古い友人だ。 「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件になる」 と、しきりにここに書き込んでいるのは、 ヤツがモデルになっている。 「親」の普段の生活の「意識」や「深層心理」は、 恐ろしいほどに子供の「心」に反映される。 いくら最高級の「教育」を金で買っても、 「親の意識」が悪ければ、最低の「子育て」になる。 「子育て」が上手に出来なければ、実社会を元気よく堂々と生きていけないさ。 ちょっとしたことで、簡単に自殺をしてしまう人になりやすいだろう。 いくら、最高級の「教育」でも、「生きる」ことにそれでは意味が無い。 「幸せは、それを感じ取る能力」 よく言い当てたものだ。 僕の言葉ではない。 収入が少なくても、「幸せ」を感じ取る能力を、 僕は、可能な限り高めたかったんだ。 これについては、僕は、信仰奨励を子供にした。 子供は、まだ分かっていないだろうが、 「宗教が生きる上で非常に重要らしい」ぐらいのことは、薄々と感じている様子だ。 これは、一生涯をかけて学んでいけばいい。 こういうふうに、「親子キャンプ」で子供をしごいた。 「生き方」・・・・・生きていく工夫・・・・は、キャンプ用品を手作りさせることで、 信仰奨励は、キャンプでの「夜話」で行った。 本当に僕は、自分で出来る限りをつくして、子育てをした。 でもそれが出来たのは、 僕の四人の男の子のうち、下二人だ。 上二人は、僕が「父親」としての「意識」が悪かったのでグレた。 まぁ、それの反省で僕は、「子育て」を真剣に取り組んだのだが・・・・・・ でも、最近、次男坊が急に生活態度がよくなった様子だ。 神様の奇跡以外、これはなにものでもない、と僕は強く感じる。 僕は、「人の取り組み」の中で、「子育て」が最も難しいと思う。 僕は、脱サラをして、今の商売を手に入れたが、 これよりもはるかに「子育て」が難しかった。 これは、子供の一部の能力を高める「教育」ではない。 子供を、 「自立をした一人の大人の社会人」に育てることが、「子育て」だ。 それで、とっても難しい。 しかし、難しいからこそ、ものすごく面白いものだ。 この面白さに気付いて欲しい。 ある人がこう言った。 「子育ては、ある一線を越すと快感になる」 ぜひ、これに気付いて欲しい。 13/6/2(日)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、「巾着田〜川越」方面へオートサイクリングをした。 越谷から荒川を越したところに車を置いて、 そこから国道R-16の裏道を川越方面へ自転車を漕ぎだす。 そうしたら、間もなく 「伊佐沼」という沼に着く。 「沼」にしては大きく美しかった。 いったい「沼」と「湖」は、どこが違うのだろう。 いやいや、「水溜り」と「沼」の違いはいったい何だ? 木道の橋があって、そこをばぁばと二人で走った。 もちろん、修理したばかりのデジカメで、そこをカッシャ。 昔、僕は、一般道しかサイクリングをしなかった。 ともかく、「距離」を走ることをしていた。 だから、昨日のコースの延長線にある「正丸峠」や「奥武蔵グリーンライン」には、 迷わず、R-16、県道15号を突っ走った。 だから、その「伊佐沼」の存在は、まったく知らなかった。 歳をとり、 距離という「量」ではなく、ツーリングの面白さという「質」を、 今、楽しむようになった。 それで、一般道は極力避けて脇道を走る。 それだからこそ、こういう発見がある。 歳とともに、「遊びの進化」をさせるのさ。 この「遊びの進化」は、僕が作った「親子キャンプ」のハウツーDVDの一つのタイトルにもなっている。 興味のあることだからこそ遊べるのでしょう。 それを追求していく。 ここに「学習」があって「成長」のチャンスが生まれる。 僕がビデオ屋になったのも、 もともとは、スキー仲間をビデオで撮っていたことと、 それで次男坊を撮ったら、とっても刺激的に面白かったことが組み合わさって、 今の仕事をしているわけだ。 その二つの要素が、 つまり、 スキー仲間をビデオで撮ること、 自分の子をビデオで撮ること、 この「組み合わせ」で新たな「仕事」が生まれたわけだ。 同じように遊んでいたスキー仲間は、 ただ、レジャーとしてスキーを楽しむ範囲でしか、人生を捉えることができなかった。 だから、何も残らない。 僕は、遊びの中に人生を構築する感じで、遊びを真剣にやった。 ここだ。 僕は、真剣に「遊び」を追及した。 「遊び」を「進化」させるとは、こういう意味のことを僕は言っているんだな。 さて、 その沼から川越を通過して、「巾着田」へ向かう。 もちろん、可能な限り「裏道」を走る。 ほとんどが住宅街だったが、 途中から川の土手を走った。 こういうの、普段の僕のツーリングで鍛えたテクニックだ。 大雑把には方向を方位磁石で確かめながら、 脇道を楽しむ。 僕は、商売をしているでしょう。 当然そこには、「理念」「戦略」「戦術」を使い分けることで、 生き延びてきたんだ。 「方向」が、つまり「理念・戦略」に当たる。 脇道をどう走っていけるのか、これが「戦術」になるわけだ。 日本人は「戦略」が下手だと言われている。 これからは、「能力主義」がますます強くなるから、 サラリーマンといえども、この「戦略」が捉えられないと生き延びられなくなるよ。 そういうことをシッカリと「家庭教育」で父親が子育てできるかどうか・・・・・ 僕が今、一番の課題にしている「遊び」だな・・・・「親子で工作」 サイクリングで、 ときどき、迷子になって「軌道修正」するところなんかは、 まったく商売と同じ感覚だ。 それで、面白い。 まぁ、そういうことで、袋小路に何回も迷い込みながらも、 「巾着田」に着いた。 ここは、昔、そうとうの昔、韓国人を集めて開墾した農村だという。 巾着のように川が「U」の字に曲がった地形を利用して稲作をした。 とっても知恵あるものだ。 それで有名になったらしい。 水車小屋、資料館、ポニーをなぜか飼っていて、そういう観光をデジカメに収めた。 随分とそこで時間を食ってしまったので、 帰りは、素直に県道15号で川越へ向かう。 川越の蔵屋敷も、昔は突っ走っていたので知らなかった。 つい最近だ、「小江戸」を発見したのは。 もうタイムリミットが近かったので、 ばぁばにほんの少しだけ、そこの観光をさせて、 大家のおばぁちゃんにお土産を買った。 今夜、いつもの「日曜晩餐会」があるので、 「巾着田」のそばのお土産やさんで、 うつ病の古い友人と僕には、地酒を買った、楽しみ。 そこで、 ばぁばが「焼きねぎと秩父みそ」の瓶詰めを見つけた。 これで、一杯。 たまんないね。 さらに、ばぁばが「竹の子」を見つけて買った。 今頃のものは「もうそう竹」ではない。 なんの竹だろう? ばぁばは、これを皮ごと焼いてみると言っている。 これも楽しみだ。 「遊びの進化」 こうして、人生全体を「進化」させて「成長」するのさ。 ここにこそ、人生の「充実感」が生まれる。 それで、「幸せ」を感じるね、「物」ではない。 13/6/1(土)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、久しぶりに「見沼代用水路コース」をサイクリングした。 あまりに、たくさんここを走ったので少々飽きていたのだが、 ヤッパリいいね、ここ。 サイクリングコースとしての完成度が高い。 ズット、コースが桜並木になっていて、 若草色から濃い緑色になってきた桜の葉っぱが、 暑い日差しをさえぎってくれて、とってもクール。 気持ちよかった。 その周回コースを走ったあと、 さぎ山野営場を整備した。 草刈機で生え出した笹を刈り、 ブロアーで吹き飛ばす。 サイトの引越しで、今度のサイトは、明るくなった。 連絡がないけど、 もしかしたらBSで使うかも知れないので綺麗にした。 帰ってきて、 注文用紙をプリントしているうちに眠くなって昼寝をしたら、 もう午後の3時過ぎ。 DVDの表紙もプリントをして一日が終わった。 こういうの、「スローライフ」と呼ぶのかな? 今までが凄まじい人生だったので、いいんじゃないかね。 これを初めから求めていたんじゃ、「成長」がないと思うよ。 「命がけ」で自分の人生に挑戦をした者への神様からのプレゼント。 このことを子供たちに伝えたいね。 「命がけ」で生きること。 さて、 これから、ばぁばと二人で、小江戸「川越」へオートサイクリングをする。 デジカメが修理できて、これでまたスライドショーを作りたい。 13/5/31(金)朝 キャンプじぃじの日記 僕は、辛い味が大好きだ。 日曜日のお昼に寄るインド人のカレー屋さんでは、 「ベリー・スパー・ホット」を注文する。 その日によって辛さが違う。 初めは、体調の違いによるものかと思っていたけど、 どうやら作る人によって違うらしい。 あまり辛くない時には、うちのばぁばでも食べられる。 しかし、気合の入った辛さでは、 食べている最中に、舌が痛くてしびれてくる。 終いには、涙が出る。 この刺激が「うまい」というより「面白い」ので通っている。 その辛さは、夜になっても胃袋が熱く感じるほどだ。 でも、インド人は、これを毎日食べているんだよね。 その店から西へ1`ほど行ったところに、 「タイ料理」屋さんがある。 ここの何と言ったかは忘れたが、スープが凄まじい味だ。 強烈なすっぱさに、思いっきりの辛さ。 「味」というより「刺激物」だ。 これを飲むというか、すすると、 確実にお腹の調子が悪くなる。 でも、現地の人はこれを毎日飲んでいる・・・・のだろうか? 「刺激」は、慣れるとどんどん強くなる。 酒も、だんだんと強くなっていく(アルコールを分解できない体質の方は、別だが)。 ここ日本では、 「子育て」以外の刺激がものすごくたくさんある。 豪華な物を手に入れることや、派手なレジャー、 名誉欲や権力欲・・・・・・ いくらでも強烈な「刺激」がある。 そして、それにどんどん慣れて、もっと欲しくなる。 ついには「子育て」が遠くに見えて分からなくなる。 勢い、金を払って他人任せの「子育て」で処理したくなる。 僕の目には、今の日本の子育てが、こういうふうに見えてしまうんだ。 親子で、粗末な装備の「親子キャンプ」をやってみよう。 そうしたもろもろの「刺激」から一時離れてみよう。 それら「刺激」をはぎ落としてみよう。 目の前の自分の子と遊ぶ事こそが、最も「幸せ」の本質があることに気付くはずだ。 「子供と遊ぶ」ことが「面白い」と感じるようになってこそ、 「子育て」が「クリエイティブなもの」になっていく。 若いお父さんを観察していると、 「子供とどう関わればいいのか分からない」という父親が少なからずいることに気付いた。 子供と遊ぶ「技術」を身に付けるのではない。 「子育て」以外の刺激を、ともかく一度捨てることで、 子供が愛おしくなるのさ。 そうすれば、ともかく「子供と一緒」にいるだけで楽しくなる。 この時期は、子供が小学校四年生ぐらいまでだけだからね。 子供は、「生もの」で、すぐに反抗期に近付いて、 「かわいい」から「大人への訓練」へと親の心を換えていく時がくるからね。 小学校四年生。 ここまでにたくさんお父さんが遊べるかどうか・・・・・ このことこそが、その親子の本当の「幸せ」に直結すると思うよ。 このことに若いお父さんが気付いてもらいたいので、 戸田市にある道満グリーンパークで、 「親子で工作」のボランティア活動をしているのさ。 昨日は、今月、6月22日(土)に予定している「親子で工作」の活動の準備をした。 「枝笛」と「竹とんぼ」は、参加する人が少ない時にはいいのだが、 混雑した場合、やる僕の方がパニックになる。 前回、今まで体験したことがないほどの親子の数で、 それが分かった。 また混雑をすることを考えて、 「水鉄砲」と「マイ箸」を主力工作物にすることにした。 「マイ箸」は、すでに太いもうそう竹を手に入れた。 「水鉄砲」は、昨日、プロトタイプを二つ作ってみた。 ピストンにする細い棒を、竹屋さんで大量に仕入れた。 あとは、水鉄砲本体の竹をさぎ山野営場にある資材の竹から、 いいものを選んで、別にストックしたい。 木のメダルも、30ヶ作った。 分かるかなぁ? 僕は、若いお父さんが自分の子と小さい工作物を作る、その嬉しそうな顔をイメージして準備をしているんだ。 「楽しい」というより、僕はそのことで「幸せ」を感じるのさ。 若いお父さんも、 嬉しそうな自分の子供の顔をイメージできるようになれればいいね。 13/5/30(木)朝 ビデオマンの日記 このコーナーは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 「卒業ビデオアルバム」の最後の一件が、 昨日、やっとマスターが上がった。 今年度の取材は、タイトル、普段の様子、春の遠足、 と進んでいる。 そして、夏の「お泊まり保育」の申込用紙の打ち合わせを始めた。 この仕事は、年中、その時期にあるイベントを撮っていく。 いろいろなものがあって、それが面白い。 そうして取材した素材を、まとまりのあるものに編集をするわけだ。 この「まとまり」というところが「編集」の本質だ。 昔から、「編集」というと「特殊効果」のことだと勘違いしている人がいる。 違う。 「まとまり」こそが重要だ。 とくに、この「卒業ビデオアルバム」制作において、 10年、20年、後に見てもらうことを考えたとき、 チャラチャラとエフェクタがあると、そこが臭くなる。 このことをシッカリと捉える編集方針を僕は、している。 「目先」の面白さではなく、「思い出の本質」を僕なりに追求する。 こういうところに、「価値」を作っていきたい。 こういうことへの理解力がある若いビデオマンがいないかね? 地味な仕事だけど、長く継続できるところがとってもいい仕事だよ。 「営業」がシッカリとできる元気な人。 好奇心が旺盛で一生涯「学ぶ」ことができる人。 「実行力」がある人。 ビデオ屋ではなくても、こういう人に育てることが、 これからの日本社会で必要じゃないだろうかね・・・・・・ 「能力主義」社会では、こういう人が生き延びるんでしょう。 13/5/29(水)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、午後も曇り空だったので、 ラッキーで自転車に乗った。 最初のコースは、一昨日と同じ。 それで、「新方川」は、パスして、「古利根川」を走った。 前回、ここをドンドンと上って行くと、川を見失ってしまったが、 そのときには、川の右岸を走っていた。 そこで、昨日は左岸にへばり付いて走った。 そうしたら、いつしか「葛西用水」と名前が変わる。 久喜市に入って、この用水路沿いにみごとに花が咲いていた。 「コスモスふれあいロード」とフェンスに表示してある。 通りすがりの人に尋ねたら、 その花は、「ポピー」だそうだ。 本当にみごとに満開。 川沿いに2〜3`にわたって咲き乱れていた。 ばぁばにも見せようと思い、携帯で写真を撮ったが、 「あたしは働いているのに、一人で遊んでいる」と、言われかねないのでナイショにした。 たぶん、秋にはコスモスが咲くんだろうね。 それも見てみたい。 そこから先は、非常につまらなかった。 行けども行けども、ちっとも面白くない。 それでも、もしかしたらこの先に何かあるかも知れないと思い走り続ける。 とうとう、羽生に着いた。 時間的にタイムリミットが近かったので、そこから輪行で帰った。 走行距離は、58`。 気晴らしには丁度良かった。 子供を連れて電車でここへ行くのもいいと思うよ、若いお父さん。 「久喜市 コスモスふれあいロード」 13/5/28(火)朝 復活サイクリストの日記 デジカメでサイクリングを撮ることにハマっていたが、 とうとう、それを酷使し過ぎて壊れた。 レンズの中にゴミが入っているので修理に出したら、 レンズ自体に故障が見付かったそうだ。 液晶画面もキズだらけ。 とても買ってから10ヶ月のものとは思えない。 それで、昨日は、デジカメなしでドロップバーを握った。 「葛西用水」から「元荒川」「逆川」へと行く。 身近にこんなに景色がいいところがあったんだな、とっても気に入っている。 越谷の野鳥の公園のところにも、そこに沿って川がある。 「新方川」だ。 今回、そこを行ってみた。 大分前に一度、走ったことがあるような気がする。 ところどころを見た覚えがある。 ソコソコいい景色で、雲があるおかげで「カンカン照り」の暑さがなく気持ちよかった。 「せんげん台」あたりで東武電車を越す。 やはり、一度、走ったことがある。 そこからがとっても雰囲気が良くなった。 土手沿いの並木が、涼風を誘ってくれていた。 なんて気持ちのいい空気なのでしょうか。 しばらく行くと街中にでた。 そこで「春日部 湯元温泉」に着く。 ここらへんで川は、どぶ川みたいになってしまう。 さらにそのどぶ川に沿っていくと、ついにそれを見失ってしまう。 どこをどう探しても見当たらない。 そこで方位磁石を頼りに北上する。 「方角」さえ一定していれば、ともかく大雑把には前へ進むことになる。 そうしていたら、「共栄学園」の門に着いた。 この学校に沿って、半周するように、さらに北上する。 そうしたら「隼人堀川」という川に出た。 ずいぶんとカッコいい名前だ。 これに沿って北西に向かって走る。 途中で、オニギリを買って持って走ることを忘れていたことに気付いた。 そこで、一旦、街中に出ようとしたところに、 「はらっパーク宮代」という公園に着いた。 大分前だが、仕事でこの近所に来た時に見つけた公園だ。 事前に申し込むと、ここでバーベキューができる。 それで、ここのパンフレットをもらったことがある。 でも、結局ここで火起こしをしたことがない。 そこから間もなくローソンを見つけて、そこでオニギリとお茶を買って、「隼人堀川」に戻った。 川に沿ってグングンと行く。 そうしたら、大きい川にそれが合流したようだ。 橋があるたびに、その川の名前を見付けてみようとしたが、見当たらない。 いくつかの橋を越していったら、石碑があって、 「八幡の渡しと八幡橋」というタイトルで、それを詳しく説明してあった。 それでその川が「元荒川」であることが分かった。 その「元荒川」を上っているはずだったが、 なぜか、どういうわけか、下っていた。 方位磁石が南を指していた。 こういうことで、「元荒川」を下って行って、最初のコースに戻った。 周回コースを走ったわけだ。 本当は、行けるだけ行って、輪行で帰るつもりだったが、 いつの間にか、帰ってしまった感じになった。 全走で、たった64`の距離だった。 お昼にラーメンを食べても、午後一時に帰ってしまった。 物足りなかったけど、午後から青空になったので、 無理に走ると熱中症の恐れがあったな。 昨日は、それで 昼寝をしたあと、仕事の編集をした。 部屋の中にこもるのが嫌いな性格なので、 この編集が辛いよ。 サイクリングは、春と秋がベストシーズンだ。 最近、冬場のサイクリングもできるようになった。 夏場は、熱中症があるので、off だ。 ただ、僕が若いころは、夏には「ナイト・ラン」を楽しんでいたものだ。 日中、昼寝をして夜中、走る。 よく、鎌倉方面を走ったものだ。 横浜あたりから、生温い空気と、ヒンヤリと気持ちい空気とが、 交互に漂っていたのを覚えている。 「人」がいるところは、空気がよどんでいるのが分かる。 衛星写真で、日本の国を見ると、 だいたいが綺麗な緑色をしているが、 ところどころに赤茶色で、まるで怪我をしたようなことろがある。 「人」がいる都会だ。 地球にとって「人」は、悪性の「カビ」に見える。 「人」は、地球と自然とを支配したつもりでいるけど、 ひどく高慢なことでしょう。 そのしっぺ返しが、異常気象なのじゃないのかい? コンクリートの壁の中で「自然保護」を訴えるのには、 どこか、ウソっぽく思えてしょうがないな。 せめて、普段の生活の中で、この大自然を体に感じさせるのがいいと思う。 サイクリング、キャンプ、アウトドアーを子供にタップリ体験させるといい。 ハイキングもいい。 自然の中で散歩でもいい。 子供を建物の中に閉じ込めないようにしよう。 子供の肌にこの「自然の空気」を覚えさせよう。 過度な「快適」が必要なくなる。 13/5/27(月)朝 キャンプじぃじの日記 急に暑くなったからだろうか、体がだるい。 軽い風邪でもひいているのだろうか、かったるい。 昨日は、僕とばぁばと大家のおばぁちゃんの三人で午後2時には、いつもの銭湯に入った。 それで、僕は玄関の前の日陰で、キャンプ用の椅子にもたれて昼寝をした。 セブンでビールを買ったのだが、 そのときにくじを引かせてもらった。 なんと、風邪を引いたときの滋養強壮のドリンクが当たった。 玄関の前で、ビールとそれを飲んだら、もうグッスリだ。 心地いい風が天然扇風機になっていた。 昨日は、「日曜晩餐会」の日だった。 僕とばぁばとうつ病の古い友人、大家のおばぁちゃん、で会食をするのだが、 そこに末っ子が帰って来た。 次男坊に小さくてかわいかったころの写真を送ったのだが、 末っ子も写っていたので、PCでスライドショーにして、この子にも見せた。 三番目の子と四番目の末っ子では、7才も違う。 だから、末っ子は、兄弟みんなにかわいがられていた。 おかげで、末っ子らしい特徴をシッカリだしている。 ノンビリ屋。 上三人は、食事の都度、熾烈な「競争」があったが、 末っ子には、その体験がない。 みんなで乾杯をした。 大家のおばぁちゃんに貰った越谷の銘酒を末っ子の手土産にあげた。 末っ子に教会に集っているかどうか尋ねた。 通っているそうだ。 僕は、自分の宗教を身に付かさせるということが、子育ての最大目標にしていた。 そして、 「自立をした一人の大人の社会人」という普遍的な子育てにおいては、 「自立」までができたと思う。 「一人の大人」かどうかは、その宗教をどれだけ学べるかで決まる。 僕は、「子育て」を本当に命がけで取り組んでよかったと思う。 幼稚園の世界で、年上の子が年下の子の面倒を見させるというものがある。 専門的には「異年齢交流」と呼ぶ。 一般的には、「タテ割保育」と呼んでいる。 実は、ボーイスカウト運動でも同じだ。 BSでは、「少人数異年齢交流」だ。 一つのグループが、だいたい6名で、年の違う子にして編成をする。 この異年齢交流では、 年上の子に年下の子が面倒を見てもらうので、大人が指導するのとは違う成長が下の子にでる。 子供は、「真似っこ」でいろいろなことを覚えたり、学習するのだが、 子供同士で何かに取り組む時、下の子は、その「真似っこ」がとてもしやすいからだろう。 また、逆に、年上の子は、年下の子の面倒をみることで、 実は、「年上の子」も非常に心が育つ。 自分以外のことの「お世話」を覚えるからだ。 子育てをほったらかしにすると、 子供は、「自分以外のこと」を学べないことが多い。 「自己中心」の人は、そうして育ってしまう。 末っ子は、ボーイ隊(だいたい中学生)のころ、 僕が隊長をしていたカブ隊(だいたい小学生の頃)の面倒をたくさんみさせた。 末っ子は、兄弟の中でアンカーなので、 「年下の面倒」をみる体験は、家庭内では不可能だ。 それで、この子にたくさんカブ隊の子の面倒をみさせた。 いい体験をさせることができたと思う。 兄弟が多い家庭では、自然にこの「異年齢交流」が子供の中で起こる。 昔は、 7人、8人、という兄弟が多かった。 僕より上の年代だ。 そこでは、「自分以外」を家庭内で普通に子供が身に付けていた。 しかし、日本の経済の高度成長期で、兄弟が少なくなった。 その高度成長期にあわせて、「自己中心」の人が増えたようだ。 今やそれが進化して「モンスター・ペアレント」が出現するようになった。 経済発展は、人の心を衰退させているような気がする。 さて、こうして僕は意識的に四人の僕の子のうち、 下二人は、「信仰奨励」と「異年齢交流」をガンガンとやって育てた。 下二人は、僕が努力した分の効果が、どうやらあったようだ。 本当に今、安堵。 今度は、その下二人が、上二人へ、どうその「心の成長」の影響をさせることができるのか・・・・・ このことを幼稚園の世界では、「逆タテ」と呼ぶが、 「年下の子が年上の子へ良い影響を及ぼす」ということに僕はチャレンジだ。 これは、スーパーテクニックが必要だろう。 難しい挑戦だからこそ、面白い。 人生のあらゆる局面で、「大変だけど面白い」を掴み取って成長していくものだ。 僕は、言うだけではなく実践をする。 僕の「生き方」を子供が見ているからだ。 13/5/26(日)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、花粉で鼻がかゆく、クシャミが出るだけではなく、 どうやら夏風邪をひいているらしいことが分かった。 だから昨日、あんなに天気が良かったのに、 一日ボロアパートの中で編集をした。 おかげで随分と出来上がった。 そういうことで、話題がナッシング。 僕は、貧乏だが「貧困」ではない。 風呂のないボロアパート住まいの貧乏人だが、 日用の糧を得るために働いて、食べることはできている、今のところ。 しかし、今朝の読売によると、 その「貧困」に当たる子の割合が、先進国の中で4番目に高いのだそうだ。 その割合は、6人に1人だそうだ。 驚いた。 この国が成り立つためには、国際競争力をこれからも、もっと高めなければならない。 食料も資源もエネルギーも輸入に頼っているわけだから、 これは避けようがない。 こういうことで、これからは否が応でも、もっと「能力主義」が押し寄せてくる。 たとえ、会社勤めでもこれからは、この「能力主義」に応じてサラリーが貰えるということになる。 こういうバックゾーンで、「ブラック企業」が出てきたわけだ。 しかし、 この「ブラック企業」は、日本型雇用である「終身雇用」を期待する個人が多いことで成り立つと、 これに詳しい本に書いてあった。 と、いうことは、 「一生涯安泰」を求める人の心に付け込んで「ブラック企業」が成立する事になるわけだ。 これは今の現実だ、よく覚えていて欲しい。 それで、ここの書き込みでは、このことに注意してもらいたく 人生は、「物」でも「一生涯安泰」でもない「必死に成長」することにあると、言いたいわけだ。 個人が、それぞれ「必死に成長」する。 誰でも神様にもらった何かの能力を必死に引き伸ばすことができる。 それが何かは、本人が命がけで探す他ない。 このことで「能力主義」の社会を生き延びていくことができるだろう。 目先の「学校の成績」だけよければいい、といった育て方では、 とても、個人の能力を引き伸ばすことができそうにないよね。 分かって欲しいね、このことを。 早くこのことに気付いてもらいたい。 「能力主義」に日本がなるとは、もう30年以上前から言われてきたことだ。 「ぬるま湯」の生き方を改めないと、 どういう職種でもふるい落とされる運命を味わうことになるだろう。 さて、こういう日本社会の歪が、日本の「貧困」になっているんだろうね。 「働きは三流、消費は一流」 こういう人が墜落するのは、明らかだ。 たぶん、こういう「働きは三流、消費は一流」が根底にあって、 子供が被害にあっているのではないだろうか? よく分からないけど、そんな気がする。 「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって最低限の生きる条件になる」 この条件が多いと、「働きは三流、消費は一流」の人になりやすいだろうと想像できる。 僕は、ボロアパート住まいの貧乏人だ。 「働きは二流、消費も二流」だからこそ、生き延びることが出来たし、 今、老後を楽しめるようになった。 ここをシッカリと見て欲しい。 「働き」が三流なら三流の消費、二流なら二流の消費で十分に幸せを握り締められるように子供を育ててあげればいい。 いいですか、 僕には、学習障害を指摘された子がいるけど、 今、この「働きは三流、消費も三流」で「我慢」するのではなく、 人生を「工夫」して「自立」をして生きているんだよ。 ここをよく見て欲しいね。 それは、本人に悩みも多いだろうけど、 その「悩み」を「真剣に成長」するエネルギーに変換できるように、 僕は、励ましているつもりだ。 そういうことで、この間の連休には、励ましに御殿場まで子供に会いに行ったのさ。 分かるかな? ブラック企業は、「一生涯安泰」や「物」にしがみ付くその心に付け込むのさ。 「幸せは、それを感じ取る能力の問題」 これをよく考えてみて欲しい。 僕は、「働きは二流、消費も二流」でバランスよく生きてるよ。 でも、「生き方」は、とってもスペシャルに感じているさ、ベリースペシャルだ。 子供たちとの思い出・・・・最高だ。 サイクリング・・・・・・・・最高だ。 「親子で工作」のボランティア活動・・・・・・最高だ。 自分の「消費」で頭がいっぱいの人をとっても気の毒に思う。 若いお父さん、「消費」ではなく「成長」を目指そう。 子育てでも「父親の成長」を目指そう。 13/5/25(土)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、午前中、ちゃんと編集をした。 仕事をした。 お昼に古い友人と待ち合わせをして会う。 今度の「親子で工作」に使う材料を貰うためだ。 ヤツは、造園の会社に勤めていて、 そこに「もうそう竹」がいっぱいある。 「マイ箸」を工作するために、肉厚のある「もうそう竹」が欲しい。 そこで、貰いに行ったわけだ。 良さそうな竹を見つけて、それを切り出した。 長さを3メーターぐらいに竹を切り、枝を払う。 昨日のあの暑さの中で作業をしたら、 暑さにまだ慣れていないので、もう僕はグッタリした。 切り出した竹を、さぎ山野営場に保管して、 ボロアパートに帰って、昼寝をした。 それで、一日が終わったようなものだった。 ばぁばが勝手に仕事を休んでいたので、 早めに銭湯に行き、早めに夕食、ということにした。 夕方になっても、結構、気温が高かったので、 玄関の前でいつものように、キャンプモードで「暑気払い」を楽しむことにした。 せっかくだから、うつ病の古い友人を誘って、 僕の「調理」の腕前を披露する。 大家のおばぁちゃんも誘った。 随分と遅れて、最近知り合ったカメラマンも来た。 ただ、ランプの灯りが雰囲気を出していた頃になって、 急に気温が下がる。 キャンプ場だったら、焚き火で暖をとるところだが、 昨日は、玄関の前で、それができない。 宴たけなわだったけど、寒いのでお開きにした。 自然は、気温、湿度、風、がコロコロと変わる。 それに合わせて、どう生活が出来るのか、 そういう遊びだ。 特に、日の出、日没、この時間帯は、その変化が大きい。 また、そのころの大自然の風景が一番面白い顔をする。 自然の中に溶け込む、そんなことが面白い遊びだ。 玄関の前では、そこまではちょっと無理だった。 「親の最大限の豪華や贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」 本当にそうだと思う。 この「生きる条件」を大自然は、心からはぎ落としてくれる。 そういう感じがしていい。 13/5/24(金)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、「卒業ビデオアルバム」の最後の一件を編集しようと固い決意を持って、 とりあえず、 外の空気を吸いに自転車に乗った。 固い決意だから、午前中だけと決めていた。 輪行袋を持って行くと、 またどこまで行ってしまうのか、自分でも分からないから、 固い決意で、輪行袋を「持たずに」行った。 末っ子がかわいかったころの散歩コースに「葛西用水」がある。 ここがとってもコンパクトだが、「自然」の感じが出ていていい。 そこを行く。 元荒川の中洲に出て、久伊豆神社を越したところに、用水路がある。 「逆川」というらしい。 元荒川と立体交差をしている。 ここを上って行く。 越谷市の野鳥の公園のところで、野田街道に出る。 ここまでは、この間走ったのと同じだ。 この間は、そこから「古利根川」を行ったが、 昨日は、何てったって「固い決意」があったから、江戸川に向かった。 そのまま野田街道を走っても面白くないので、脇道にそれる。 たいがい、こういうのは何が何だかサッパリ分からなくなる。 その通りになった。 方位磁石を頼りに、知らない川の土手を走る。 ブッシュだらけで、ローギャーでも草の抵抗がすごかった。 こういうところでトラブッたら大変だ。 まず通行人は、数ヶ月に一人ぐらいの割合だろうから、 自力でそこを脱出できなかったら・・・・白骨死体になれそう。 まぁ、 たいして、ビビらなくても、すぐに野田街道にまた出た。 江戸川に架かっている野田橋を渡る。 そこに「キッコーマン」があって、僕の大好きな醤油の匂いがプ〜〜〜ンとしてくる。 江戸川の土手では、ずいぶんと同業者のサイクリストに、 すれちがったり、追い越されたりした。 少なくても20人以上いた。 仕事もしないで、ずいぶんと余裕があるものだ。 僕は、違うよ。 固い決意で編集するさ、午後から。 まもなく「運河」に出る。 ここの運河沿いにある公園は、僕の子供たちとたくさんの思い出がある。 最近、 四人の僕の子のうち、放蕩息子をしていた次男坊が落ち着いて、 僕の孫を連れてくるようになった。 だから、その運河にある公園に行っても、感傷的にならなくなった。 ただ、「懐かしい」という気持ちが沸き起こるだけで、涙は出ない。 人の「気持ち」は、条件によってまるっきり反対の感情が出るものだ。 自分でビックリしたね。 浮き橋が二本、架かっていて、どちらも自転車を担いで渡った。 昨日、気付いたのだが、その浮き橋は、新しく架け直したようだ。 手すりがアルミになっていた。 また江戸川に戻って、三郷へ向かう。 そこから、固い決意で川とお別れして、越谷に戻った。 朝の10時半には、ボロアパートに戻った。 走行距離は、46`だった。 気晴らしサイクリングでは、丁度いい。 ちゃんと仕事をしようと帰ってくるんだから、僕もやっと大人になれた感じがした。 偉いよなぁ・・・・・自分で言おう。 編集用のPCを立ち上げたりしているうちに、11時になった。 僕は、何か特別なことがない限り、 この時間にラーメンを食べる。 それで、習慣のとおりにした。 ラーメン屋さんから帰ってくると、うつ病の古い友人が古い写真をメモリーに入れて持ってきた。 その写真をノートPCに移した。 いくつかの写真を見る。 懐かしい。 1シーズンに40日もゲレンデに立っていた頃のものや、 僕の子が小さくて可愛かったころの写真、 ばぁばも、おブスちゃんには変わりはないけど、それなりに若くてピチピチしていた。 美人じゃなくても、こうして男をうまいこと騙して、子供を産むことができるのさ。 産むは、産むは、男の子ばかり四人も産んだ。 これだけ産んだのだから、さぞかし満足な人生だろう、そう思うね。 メモリーを古い友人に返した。 ヤッコサンも帰って行った。 懐かしい写真がPCに写っている。 僕は、編集をしなければならないのに、 それをそっちのけで、たくさんの写真から、次男坊に関係があるものを選び出していた。 やっと、落ち着き始めた次男坊の心を、この写真で決定的にしたい。 そう思い付いて、写真を選んで色補正をした。 忘れていた。 次男坊もかわいかった。 その次男坊をビデオで撮って、BGMを映像につけたら、 それが面白くて、面白くてしょうがなかったものだ。 こんなに自分の子のビデオ映像が面白いのだから、 これが売れると思ったのがきっかけで、僕は今の商売を始めたんだな。 かなり難しい挑戦だったが、 今、それで喰っている。 自分にあったいい商売をしていると思うね。 次男坊のおかげだ。 次男坊が写っている写真を、USBに入れた。 ばぁばにこれを次男坊に送ってもらう。 こんなことをしていたら、 結局、商売の編集は、タイトルを作るまでしか出来なかった。 いや、違う、 あの青空があったにも関わらず、タイトルまで仕事をしたんだから、 僕は、大人になったものだ。 ふざけた人生だ、自分で思うね。 子供たちにも、僕と同じように「思いっきり」生きて欲しい。 せっかく生きているのだから、 思いっきり生きて欲しい。 必死に、夢中になって、思いっきり生きて欲しい。 そうして、自分の成長を味わって欲しい。 13/5/23(木)朝 ビデオマンの日記 このコーナーは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 昨日、ビデオ屋、同業者の集いがあった。 その中の一人が、体調を崩している。 個人で商売をしていると、こういうときのダメージが大きい。 それでも、撮影を代わりの人にお願いして、 なんとか仕事をこなせていると言っていた。 「後継者育成」 僕にもこの重大な課題があるのだが、 具体的ないい方法が編み出せないでいる。 「特定少数」に向けた個人事業のビデオ屋。 自分で商売をしたいという強い意志がある方、 若い方、 組織に縛られない自由な人生を手に入れるのに、 最高です! 子供が好きだったら、僕と同じ仕事がとっても面白いですよ! ぜひ、お便りを下さい。 13/5/22(水)朝 キャンプじぃじの日記 昨日の夜、玄関の前で調理実習をした。 キャンプ用の小さいテーブル、椅子、 タンクとそれを置く台、ランプ、 オピネルのナイフに、 レザーマンの「WAVE」、これのノコギリで生姜をおろす、 折りたたみのまな板、 それで、「ささみの酒蒸しと三つ葉のワサビ酢和え」と 「厚揚げのごま油揚げ」を作る。 前者は、「ささみ」が1パックに大量に入ったものしか売っていなかったので、 「豚肉」少量パックで代用した。 練りワサビではなく、粉ワサビを使ったのだけど、 分量が少なくて、イマイチパンチ不足になった。 後者の、 「厚揚げ」の方は、僕の創作だ。 ゴマ油にラー油を混ぜて、それで、サイコロに切った油揚げをさらに揚げる。 フライパンに蓋をして揚げる。 すると、表面がカリカリに揚がって、ピリッと辛くなる。 もちろん、シッカリと水切りをしてから揚げた。 それにネギの千切りとおろし生姜、醤油で味付けをする。 これ、もう何回もやっているけど、ハズレがない。 酒のつまみに最高だ。 こんなことを玄関の前でやっているから、通行人にはきっと僕を「変人」に思うだろうね。 でも、昨日のように暑かった日は、外のクールな空気がとっても気持ちいいんだ。 やらない限り、これが分からない。 一歩、ドアーから出た新鮮な空気は、 外に出ない限り、その気持ちよさは分からない。 この空気は、サイクリングでも味わえる。 これもやらない限り分からない。 「子育て」もやらない限り分からないことがたくさんある。 僕は、学校の成績が最下位の自分の子を育てるのに、必死だった。 頭が悪いんだから、体を鍛えて「体験で身に付ける」という子育てをした。 こういう目標がハッキリした子育てを「親子キャンプ」でやった。 それで、子供は自立して行ったよ。 見栄えのいい仕事ではなくても、 自分の力で、自分の人生を歩みだした。 そう育つよう、たくさん「親子キャンプ」をやった。 雪の中のキャンプも、このためにやった。 市販のシートと竹で大型テントを張ることもやった。 その他のキャンプグッズも、すべて竹で工作をして使った。 こういう体験を子供にさせた。 「豪華なキャンプ用品ではなくてもキャンプができる」こと、 「子供自身が設営、調理、など生活面のすべてをしなければならない」こと、 「ドジれば、自分が痛い思いをする」こと、 こういう体験をキャンプで、僕は自分の子を育てた。 それで気付いたことがたくさんある。 その一つに、 いくら「教育」を詰め込んでも、 「子育て」が悪ければ、 子供はこの実社会を堂々と生きていくことが出来ないということだ。 他にもたくさん気付いたことがある。 これは、 本当の「子育て」をやらない限り分からない。 ぜひ、そういうものがあることに若いお父さんに気付いてもらいたい。 僕は、趣味だけで玄関の前で調理をしているのではないさ。 僕の「ソロキャンプ」のグレードアップが目的なんだ。 結構、真剣に取り組んでいる。 本当の子育て、何だと思う? それは、 「自立をした一人の大人の社会人」に自分の子を育てることだ。 13/5/21(火)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、料理教室に行った。 「ささみの酒蒸と三つ葉のワサビ酢和え」 を去年の今頃に作ったのを思い出した。 これ、酒のつまみにもいい。 ただ、昨日はちょっと二日酔い気味。 材料の酒の匂いが鼻についた。 月に一度の料理教室だから、家で復習をしなければ身に付かない。 去年の今頃は、 意識して調理実習をしようと気構えていた。 気負っていたから、どこか「〜〜しなければならない」という意識があった。 それが、つまらなくしていた原因だろうと思う。 でも今は、よほどでない限り、一週間に一度も調理実習をしない、ということはない。 「キャンプ・モード」での調理実習が習慣化したようだ。 この「習慣化」というのが面白く「成長」できるポイントだろう。 子育てもそう。 ともかく、若いお父さんは、子供の手を握って散歩をしてみよう。 「子育て」を気負っていると、心が疲れて長続きしない。 そうではなくて、 その子との思い出をたくさん作るんだ、こういう風に気持ちを持つといいだろう。 中学生になって、父親と手を握るなんて、あり得ないでしょう。 小さくてかわいい内だけだよ。 それの延長線に「子育て」がある。 小学校四年生あたりでは、 例えばキャンプだったら、 それまでに「デイキャンプ」をたくさんしていれば、 ここらへんで初めて「一泊キャンプ」をやるといい。 これは、子供の体力、心の成長を考えた場合、 最初の一泊キャンプは、小学校四年生ごろが丁度いいからだ。 この「丁度いい」体験を子供に与える。 この意識が「子育て」さ。 先走って、何でもかんでも詰め込むように子供を振り回すのは、 余裕がないから、どこかに「歪」が生まれやすい。 ここをよく考えよう。 子供は、吸収力があるから「先取り」をさせると、確かにできる。 しかし、 それの「歪」が生まれやすいこともぜひ覚えて欲しい。 学校の成績も同じことだ。 詰め込み教育の弊害をよく考えよう。 そういう「目に見える」ことに先走るのではなくて、 「自立をした一人の大人の社会人」に遅くても20才には、成長できるように、 このことをシッカリと目標にもって欲しいな。 その目標のために、小学校一年生では、それに適した「体験」を 小学校四年生では、それに適した「体験」、 中学生では、それに適した「体験」、 ここでは、実社会がどういうものなのか、子供に感じ取らせるといい。 家庭教育を何もしないでいると、子供は、 「生きているのが当たり前で、遊ぶ金を稼ぐために仕事をする」 例えば、こういう風に思ってしまったりしやすい。 なぜ社会で働くのか、そういうことを子供に教えるのが父親の役目だ。 親子キャンプで、焚き火を囲んで子供に話し聞かせるといい。 オヤジの「夜話」。 僕もこれをやったよ。 13/5/20(月)朝 キャンプじぃじの日記 昨日の夜は、恒例の「日曜晩餐会」をした。 僕とばぁば、大家のおばぁちゃんにうつ病の古い友人、 そこに、「親子で工作」の活動を一緒にしていた古い友人、 コイツは、引越しをしてその活動に来られなくなった。 こういう面子でワイワイとやった。 うつ病の古い友人以外で、いつもの銭湯に浸かる。 そして、みんなで乾杯をした。 大家のおばぁちゃんが、僕の友人に越谷の銘酒を買ってくれた。 一人は、遠くに住んでいるので宅急便で送ったが、 昨日の二人には、手渡しをした。 この酒は、とってもフルーティだ。 若い女性向けの味。 銭湯に一緒に浸かった友人が、どうしても僕が作った「つくね」を食べたいというので、 (本人のコメントでは、僕がどうしても食わせたいと言っていた) みんなの前で、キャンプモードでそれを作って振舞った。 結構、おいしいと食べていたな。 僕の調理が始めて「うけた」瞬間になった。 それで、今日は、「和食基本コース」の料理教室に行く。 先月、 一年間の授業が終わって、修了証書を貰った。 今日から、新たに一年の料理教室が始まる。 古い友人がいるのは、とってもいい。 僕は、普段ここに「物」では幸せにならないと書いているけど、 そうなんだよ、 「物」ではなく、こうして「人」との関係で人生の豊かさ、 幸福、充実感、が得られるのさ。 それで、最も身近な「人」が自分の子だ。 今、 子供がいないので、本当に軽い人生を送っている。 でも、やっぱり子供と一緒に生活をしていたころが懐かしい。 とっても懐かしい、滅茶苦茶大変だったけど・・・・ 若いお父さん、 子供とたくさん遊ぼう、もったいないぞ。 反抗期からは、真剣に「自立」を目指して子供を鍛え始めなければならない。 それまでが、とってもかわいい。 それを逃したら、「かわいい」わが子は、二度といないと思った方がいい。 シッカリと反抗期には、親に反抗させて「自立」させるんだよ。 そういうことで、 だから、小学校四年生ぐらいまでは、ともかく一緒にたくさん遊ぼう。 できたら、「親子キャンプ」で、親子で成長しよう。 「野性」に親子でなろう。 13/5/19(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告 5月18日(土) 戸田市、道満グリーンパークで「親子で工作」 天気が良かったので、「ボーズ」ということはないだろうと思っていた。 ばぁばがリーフレットを持って、 それぞれのサイトに「営業」をして歩いた。 それに「午後から」と書いてあるが、たまに何かの都合で午前中に工作をしたいとお客さんが来ることがある。 それで、お昼をコンビニ弁当にして11時には食べて待機をした。 でも、反応ナッシング。 12時をちょっと過ぎてもナッシング。 まさかの「ボーズ」か? 材料を気合を入れてたくさん持って来たのに、 工作用に小さいテーブルを三つも買って強化したのに、 万力まで用意したのに・・・・・・ 僕は、簡易ベッドに横たわった。 そこに一組目の親子が来る。 「待ってました」、嬉しいね。 最初に何を作ったのかは忘れた。 その一組目の親子の後、ドドッと、来るは、来るは・・・ 僕とばぁばの二人でこなせるのは、だいたい一日10組ぐらいだ。 マックス15組。 そのマックスをはるかに越えてお客さんが来た。 そういう状態のところに、 さらに7〜8組の親子がやって来る。 タープの下は、親子でごった返して、入りきれなくて場外工作をする親子もでる。 後で、削りかすを拾うのが場外では大変だから、 ブルーシートの上で作ってくださいと僕が言っても、 誰が見てもそれはムリ〜〜〜。 この事態は、一体どうなるのだろうかと、僕は開き直って人ごとのようにその場を眺めた。 でもお客さん同士で、適当に譲り合って、怒鳴りだす人はいなかった。 安堵。 大変なのは、お土産の「木のメダル」だ。 最初から15〜16ヶは用意してあったが、 すぐなくなって、ばぁばが少なくとも「木のメダル」が20ヶ足りないと騒いでいる。 電動ノコギリで僕は、それを切り出した。 でも、まったくの想定外の事態だ、電池をそれほど用意していない。 すぐに、電動ノコは、役立たずになる。 しょうがない、普通のノコギリで、それを必死に切り出した。 それを作っているうちに、 こっちでは「枝笛」の作り方、 あっちでは「水鉄砲」の作り方、 どっちでは「・・・・」の作り方・・・・・・ を教えに行かなければならない。 パニック状態だった。 なんと、気合を入れて用意した工作の材料がほとんど品切れ。 こんなのもう8〜9年、これをやってきたが初めてのことだ。 3時前には、「親子で工作」の小さなのぼりと、SCCの旗とポールを下げて店じまいをした。 それでも、 「工作」に燃えてしまった、お父さん一人と、別のお母さん一人が残って作っている。 二人とも「枝笛」だ。 これは、僕が作ると一個、15分ぐらいで出来るけど、 ナイフの扱い方を知らない人だと、滅茶苦茶時間がかかる。 お父さんの方は、最初の一個目に失敗して、 その後に二つも作っていた。 結局、撤収が済んだのは、午後4時でタイムリミットになった。 あの人の多さには、ただ、ただ、たまげたの一言だった。 僕の商売もこのぐらいに繁盛すれば、蔵が建つんだがなぁ・・・・・ まぁ、こうしたボランティア活動が楽しめて最高の人生だ。 僕は、最近、ボランティア活動こそ、究極の「遊び」だと感じるようになった。 子育てが終わって、「何かしてあげる」相手がいなくなる。 その代償に、どこかの「親」がなっているわけさ。 「自分の消費」に夢中で、そのことで頭が一杯の状態ではなくて、 「自分以外」の人のために何かができる喜びというものがある。 若いお父さんもぜひこれを身に付けるといい。 「自分以外の人のため」 これは、思いっきり自分の子を自分自身で育てることで身に付くと思うよ。 この世で最高の遊びは、これだな、ボランティア活動。 心に余裕がなければできない遊びだ。 13/5/18(土)朝 キャンプじぃじの日記 「子育ての面白さをお父さんに伝える」 今日は、これのボランティア活動を戸田市の道満グリーンパークで行います。 「親子で工作」 ドングリを使った工作 ドングリフィギュア、ドングリネックレス、ドングリトーテンポール 竹を使った工作 竹トンボ、水鉄砲、箸、 その他の材料での工作 ペットボトル風車、コマ、枝笛、 工作するテーブルや、万力などを増やしてパワーアップしました! 活動は、午後12時〜3時半まで行います。 13/5/17(金)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、車の免許の「違反者講習」を受けに大宮まで行った。 一日がかりだ。 実車講習もあった。 大昔、40年前をなんとか思い出して走る。 駐車している車を避けるのに、いちいちウインカーを出す。 そんなことをする一般ドライバーは、まずいない。 制限速度、30`/hを制限速度どおり走る。 アクセルを踏まなくても、若干、オーバーする。 妙な緊張感が漂った。 視力検査や、性格診断もあった。 性格診断は、けっこう僕の特徴を現していた。 どういう気持ちを持つか、40問の問いに答えるものと、 機械によるものがあった。 機械のものは、面白い。 おもちゃのハンドルがあって、 目の前のモニターにどう反応するのか、 それで僕の機敏さや、器用さ、性格までも調べるものだった。 問いに答えるものは、昔、免停をしたときにもあったが、 機械のものは初めて見た。 「運転適性診断」なるものをもらった。 5つの所見があり、どこにも「反応動作が早い」と書かれてある。 確かに僕は、セッカチだ。 最後のものがみごとに僕の性格を表現していた。 「・・・・機敏に処置できるといえますが、なにかに夢中になったり、気をとられると注意に偏りがみられ、見落としが多くなったり、反応に遅れが出ています。」 本当にそうだ。 ばぁばと知り合ったときにも、 僕は、おっぱいしか見ていなかった。 結婚させられてから、顔や性格に気付いたが、時、すでに遅しだった。 「・・・何かに夢中に・・・」 僕は、基本的に夢中になれるものしかしない。 だから、仕事も面白くないとしない。 いくら編集がたまっていてもだ。 困ったもんだ。 また気に入らない仕事も超苦手だ。 よく今まで生き延びてこられた、これが奇跡でなくて何が奇跡だろうか。 総合所見は、「3」普通ということだった。 それで、「・・・・反応動作の速すぎは、むしろ行動のバランスをくずします・・・」 とあった。 本当に僕はセッカチだ。 昔、やはり車の免許の関係のテストを受けたときにも、 ランプが点いたらスイッチを押すというテストをしたことがある。 あまりに早すぎる反応に試験管が疑いをもって、 再テストを受けた。 しょうがないよ、僕の性格はこの身に染みこんだものだから、 どうにもならない。 セッカチは、僕の特徴さ。 その性格のお陰で、ナイスショットをゲットできていると思えば、 最高じゃないの・・・。 だれでも、どんな性格でも、メリット、デメリットがあるものさ。 ばぁばは僕とまったく反対だ。 いつもモタモタしている。 だから僕はいつもイライラさせられる。 サイクリングを一緒にしているときも、 インカムで「いつまでモタモタしてんだ、さっさと漕げ、モタモタ、モタモタ」と僕が言うと、 ばぁば自身も「モタモタ、モタモタ、モタモタ」と言う。 反省している様子はない。 開き直っている。 こんな調子で僕は、一生涯ばぁばのモタモタにイライラさせられるんだな。 僕の好きな本にはこうある。 「耐えられない艱難はない」 この言葉を頼りに、一生涯耐えていくのか・・・・・ それにしても、ばぁばのモタモタ、モタモタ、モタモタ・・・・・ 13/5/16(木)朝 ビデオマンの日記 このコーナーは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 昨日も幼稚園の遠足を取材した。 越谷市の隣の川口市にあるグリーンセンターへ行った。 自転車で行ったのだが、 途中、綾瀬川に寄り道しても往復で24`しかなかった。 今日も幼稚園の遠足の取材があるのだが、 車の免許の「違反者講習通知書」なるものが届いて、それが今日ある。 それで、うちのばぁばに取材させることになった。 昨日の遠足も、雨天の場合、今日に延期だった。 万一、そうなった場合に備えて、カメラマンをキープしておいた。 こうして段取りをするのも仕事の上で重要だ。 特に、年末や年度末でのハンドリングは、 「プロの腕前」が必要になる。 このために、同業者の集いに復活した。 この仕事は、趣味でビデオカメラが好きで始めようとする人が多い。 しかし、 そういう人で商売が立ち上がったことはまず、ない。 個人事業での「ビデオ屋」を立ち上げるノウハウは、明確にある。 「売れるものが作れること」 「自分で営業をして顧客確保できること」 当たり前のことだ。 でも、これが出来なくて商売を立ち上げられない人がいる。 どういう「気持ち」を起こせるのか、 プロになるためには、この「志」こそを強く持てるようにトレーニングすればいい。 これは、ビデオ屋に限らず、あらゆる商売の基本だろう。 子供のうちから、この商売の基本を教わっていれば、 会社にしがみ付く必要がなくなると思えるね。 これからの日本社会は、ますます「能力主義」になる。 否が応でも「能力主義」にならざるを得ない。 何の特技もなく、ただ大学さえ出せば子育てをしたつもりの親がいるけど、 そういう子育てでは、これからの「能力主義」で堂々と生きていけないと思えるね。 日本型雇用・・・・「終身雇用」は、確実に終焉する。 この現実をシッカリと見据えるべきだね。 13/5/15(水)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、東京、野川公園へ幼稚園の遠足の取材で行った。 天気がいいし、風も穏やか、当然、自転車で行った。 今回、初めて「行き」で、神田川に沿って走ることにした。 東京、昭和通りから神田川に沿って走る。 そこまでは、一般道でつまらないけど、 やはり川沿いは、どこでも面白い。 もう何回か、神田川に沿って走っているので、だいたいの感じが分かってきた。 そう言えば、最近、「見沼代用水路コース」を走らなくなってきたな。 分かり過ぎるとつまらなくなる。 まるで恋愛みたいだ、あまり経験がないけど・・・・・ 神田川を完全にトレースすると、「井の頭公園」へ行ってしまう。 そこで、途中から真東へ一般道で走るつもりだった。 しかし、神田川からさらに北よりにある「善福寺川」にいつの間にか行ってしまった。 まぁ、とっても美しい風景なのでいいのだが、 「行き」は、時間制限がある。 一応、昨日は、仕事をしなければならない。 当てずっぽうで、軌道修正。 「人見街道」に出る。 これがバス通りなのに狭くてややこしい道だ。 今までこの取材は、車で行っていたが、間違ってもこの道は使わない。 車の場合、国道R-20で行き、途中から北上する。 とっても分かりやすい道を使う。 さて、「野川公園」は、「東八道路」沿いにある。 非常に狭い「人見街道」から、やっとの思いで「東八道路」に出る。 しかし! 車と自転車では、道の「見え方」が結構違う。 もう何回も車で「野川公園」へ行っているが、駐車場が見当たらない。 焦る。 3時間で行くだろうと思っていたところ、もう4時間も掛かってしまった。 幼稚園の子供たちを乗せた観光バスの到着時間が迫ってくる。 「野川公園」自体は、そこにあるのだが、駐車場が見付からない、なぜ? 神隠しか? 焦る。 そこで通行人のおじさんに尋ねてみた。 道の反対側を僕は、ウロウロ、行ったり来たり、していた。 無事、観光バスより早く「野川公園」に着く。 それから、僕はお仕事をした。 「卒業ビデオアルバム」用の取材で気楽なものだ。 親子で遠足。 僕にも、このころのかわいい子と一緒に行った思い出がある。 いいよな、楽しいね。 本当の幸せがそこにある。 それを撮るのも楽しい。 お弁当を広げてみんなで「いただきます」をしていた。 取材はそこまで。 昨日の予定では、一時間前に現場到着をするので、 近所のファミレスで朝食をして、コンビニでお昼のオニギリを買うつもりでいたが、 ミスコースでそれらが出来なかった。 そういうことで、 昨日は、初めて「野川公園」の売店でカレーを食べた。 帰りのコースのレパートリーがないので、また神田川沿いで帰ろうとした。 その時だ。 公園から出て、すぐに綺麗な川を見つける。 車でも見えていたはずだが、気が付かなかった。 「気付く」というのは、こういうものだ。 家や車、便利な物で、きっと幸せになる、と、思っている間には、決して見えない「本物の幸せ」。 でも、ちょっとしたことで、そうではないことに気付けば、 子供との思い出こそが、生きていて一番の宝物であることが分かるようになる。 「消費」に夢中になっているうちに、子供が大きくなってしまうよ。 小さい内の我が子との思い出を、作り損ねてしまうよ。 子供との遊び方が分からないお父さんが多いということもあるんだろうね。 そこで、僕は、「子育ての面白さをお父さんに伝える」ボランティア活動をしているわけだ。 「親子で工作」をしているわけだ。 さて、見つけてしまったその川は、「野川」という。 なるほど、「野川」にある公園だから「野川公園」と呼ぶのか、今までまったく気付かなかった。 もちろん、「野川」沿いに下って行く。 どこまでも行けば、いつかは海に出る。 面白そうだからそれを目指した。 「野川」もとっても美しい。 東京とは言っても、都心ではないから自然がタップリ。 砂利道もなく軽快にペダルが踏める。 気分最高! どこまでも、どこまでも、川沿いに走って行ったら、いつしか「多摩川」になっていた。 仲原街道を越して、国道1号も、15号も越して、 ついに、「羽田空港」に着いた。 そこから海に出ても、たかが知れている光景だろうと思って、 モノレールの「天空橋駅」から輪行で帰った。 そこのホームで知ったのだが、「橋」という漢字を中国語だともっと簡単な画数で表示するんだね。 本家の方が、簡単というのが面白い現象だと思った。 走行距離は、88`だった。 ほぼ一日走っていたような感じがしたが、意外と走っていなかった。 それだけ「景色」を楽しんだからだろう。 若いころは、ともかく突っ走っていたね。 一日に150`は走らないと、走った気がしなかったものだ。 だいたい、一日に200`ぐらい走れば、とっても満足していた。 年に一度、越谷市から日光中禅寺湖までの往復250`を走ったものだ。 途中に「いろは坂」のトライがあった。 でも、今は、距離は走れない。 「ツーリング」を楽しむサイクリングだ。 「量」から「質」を楽しむサイクリングになった。 「歳」は、こうして楽しんでとるといいさ。 「若い頃と同じ」では、そこに「成長」がないでしょう。 13/5/14(火)朝 キャンプじぃじの日記 昨日の夜には、調理実習をした。 玄関の前で、それの準備をキャンプ用品でする。 ランプ、椅子、テーブル、コッヘル・・・・・ 昔は、テーブルと椅子は、普通の大きさのものを揃えて使っていた。 それらは、まだあるけど、今はあまり使わない。 今は、もっとコンパクトな椅子、テーブルを使っている。 「キャンプ遊びは、『豪華』『贅沢』を払拭するもの」 という僕の意識があって、 市販品のキャンプ用品は、なるべく質素にすることにしたからだ。 その市販品のキャンプ用品だって、 なるべくなら使わずに、それらを工作してキャンプをするのが、 僕の基準だ。 だから、大型のテントを竹とシートで作る「竹ハウス」を編み出した。 椅子もテーブルも、タンクを置く台も、 さらに、簡易ベッドも、ハンガーも、 それら全部竹で工作したものが、さぎ山野営場にある。 それで、こうして手作りのキャンプ用品でキャンプするのが、 なんだか分からないが面白い。 豪華なキャンプ用品を使わなければ気がすまないキャンパーが気の毒に思えてくる。 これは、普段の生活でも同じだ。 大抵の人は、僕の貧乏生活を「みじめ」に見ている様子だ。 そして、「物」でランクが低い「人」と思っている。 なぜそれが分かるかと言うと、 それは、よその子供の様子で分かる。 末っ子がまだ、自立できなくていたころ、 僕の取引先の幼稚園を卒園して、中学生になっても僕のところにやって来る子がいた。 その子は、しきりに僕のこのボロアパート住まいを言葉で見下していた。 例えばこうだ。 「おじさん、なんで貧乏なの? 我慢して家を買いないよ。」 さらに、その子は、末っ子にも見下したような言葉を掛けていた。 そういうことで、 末っ子は、かなりその子が苦手だったようだ。 でも、僕の指示で相手をさせられていた。 末っ子は、こういう体験を何回もその子のお陰でした。 その反動もあって、末っ子は一時「物」の豪華さが人生の豊かさと思うようになった。 末っ子が、高校生の頃だ。 車の免許を取る目的でアルバイトを許可した。 しかし、稼いだ金でブランド品を買ってしまっていた。 高校を卒業するころになって、免許を取る金がない。 僕は、「許可違反」を厳しく末っ子に問い、 高校卒業とともに、末っ子を住む当てもなく、仕事の当てもないまま、 放り出した。 何回か、放り出す時期の延長を末っ子が求めてきたので、 それは、要求のまま認めた。 そして、住み込みの建築関係の仕事について、僕から独立していったという経緯がある。 その後で、 末っ子は自分の意思で自衛隊に入った。 普通、歩兵さんには、すぐ入れるものが、そのころ民主党政権で、 それが「狭き門」になっていて、末っ子は「入隊浪人」をしていた。 でも、建築関係の仕事で食つないで、希望通りに今、そこで働いている。 いつだったか、 このエピソードを使って、僕は末っ子にこう説教をした。 「どうだ、『物』を生きる目標にしてはならないことが分かったか? 『物』を目当てにした生き方をしたから、お父さんの怒りを買ったんだぞ。 『物』ではなく『生き方』を考えろ。 人生を作っていくんだ。 人生をデザインしていくんだ。 『成長』そのものを目指して生きるんだ。」 末っ子は、分かったような、分からないような、だが、 同年代の子の中では、多少、「物ではなく成長」を意識してくれているだろうと思う。 これはあくまで僕の希望的観測でしかないけど・・・・・・ このことを子供に教えるためには、 僕自身がこの貧乏を堂々とやっていなければならない。 そして、ただ貧乏をせざるを得ないのではなく、 「生き方」は、スペシャルであることを子供に見せつける必要がある。 子育ては、親自身で「良き見本」を子供に見せて真似させることにある。 だから「親なりの子が育つ」わけだ。 父親の心が成長した分、子供の心が成長するということさ。 13/5/13(月)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、いつも日曜日のお昼には寄るインド人のカレー屋さんへ行った。 毎週のように行くのだが、 本当に一週間が一日のような速さだ。 昨日の暑さだから、そこで「キング・フィッシャー」和名で「カワセミ」というビールを呑んだ。 それで、帰って、自転車のチェーンを石油で洗ったりしていたら、 眠くなった。 キャンプ用の椅子にもたれかかり玄関の前で居眠りをした。 そこに、 次男坊が、潮干狩りへ行った帰りだと、あさりを持って来た。 孫、二人を連れて来た。 一緒に銭湯へ行って、夕食を食べに行こうと誘ったのだけど、 疲れたから帰る、と、帰ってしまった。 夜は、「母の日」だったので、 最近、通っている店に行く。 僕と、ばぁば、大家のおばぁちゃんと、うつ病の古い友人。 そこに最近知り合ったカメラマンの五人で呑んだり、歌ったりした。 カメラマンで食っていくのに、本当に必死だった今までと違って、 と言うより、まるで真反対の「軽い人生」だ。 初めにこの「軽い人生」を求めた人、「一生涯安泰」を求めた人は、 僕の歳で、窮屈な人生を歩みやすいと思うな。 必死に、命がけで、「求める」人生を歩んだので、今の僕の「軽い人生」がある。 これは、真理だな。 「求めなさい、そうすれば与えられる」 これは昨日、聞いた説教だ。 人生を能動的に「求める」生き方をして本当に良かった。 あぁ、また呑みすぎた、二日酔いだ。 お終い。 13/5/12(日)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、雨で編集が進むはずだった。 でも「編集」以外のことが気になってしょうがなかった。 これは、人の性だな。 次の土曜日には、「親子で工作」を道満グリーンパークで行う。 「コマ」と「水鉄砲」を新たにレパートリーに加えることにした。 水鉄砲は、民芸品で売っていた物をバラして、 材料にスポンジを使うということを知った。 それで、百均で材料を買ってみた。 さぎ山野営場にある竹置き場から、竹を持ってきたのだが、 中が腐っていて使い物にならない。 材料として良好な竹を見つけ出して、そのプロトタイプを作りたい。 そこまでやった。 「コマ」は、切り株をスライスした物に、万力をボルトで固定して、 それを使って一個作った。 コマ本体の質量の中心に穴を空けるのは、実質的に無理だ。 とりあえず中心に穴を空けて、そこに竹を削った棒を刺し、 それを回しながら、重いところを削る。 分かりやすく言い換えれば、「ホイールバランス」を削ることでとる。 ナイフで怪我をしやすい加工だ。 この方法でコマを一個、作ってみた。 万力を使って、「木のメダル」も切り出した。 電動ノコギリで軽快に切り出す。 僕の作業は、「機械化」が進んでいる。 でも、これをやり過ぎると、現場では「親子で工作」での「工作」の意味が無くなってしまう。 「便利」の裏腹が、「器用」さを奪い取るものだからだ。 ここ、非常に重要だな。 編集もしないで遊んでいる僕が言うのも気が引けるが、 「子育て」以外のことに夢中になりすぎていないだろうか? これを若いお父さんに気付いてもらいたい。 これこそが「親子で工作」のボランティア活動の狙いだ。 父親自身で子育てをしてもらいたい・・・・この願いで活動を続けてきた。 本当の幸せは、そこにあるんだよ。 家や車といった「物」を買うことに、 豪華な身なりや、派手なレジャーに、 そうした「消費」は、「嬉しい」かも知れないけど、本当の幸せではないのさ。 「嬉しい」のと、本物の「幸せ」は、似て非なるものだ。 この違いを知って欲しい。 子供の「心の成長」にこそ、親の感動や幸福感が生まれるものだ。 これは、凄まじいと言えるほどの刺激的な「幸せ」だ。 子供の「心の成長」。 気付いてもらいたい。 13/5/11(土)朝 キャンプじぃじの日記 昨日も、僕の仕事に関係ない幼稚園の年少組と年中組の遠足に同行した。 僕のやることは、 ブルーシートを持って公園での場所取りと、救護係りだ。 入場門に並んで、開門と同時に台車に積んであるブルーシートを運ぶ。 そうしたら、 別の幼稚園の若い先生がダッシュで僕を追い越し、場所取りをしに行く。 なんだか、歩いていてはいけない雰囲気になって、僕も走った。 でも慌てなくても、毎年陣取っているところは、確保できた。 後から、幼稚園の子供と親がやって来て、 そのブルーシートの上に荷物・・・お弁当を置いて公園内へ遊びに行った。 それからは、暇だ。 カラスにそのお弁当を荒らされないように番をする。 昨日も暑かった。 熱中症が一番の危険要因だ。 僕は、救急用品に「OS-1」を用意した。 それの必要はなかったが、 もともと具合が悪かったらしい子が、グッタリとサイトに戻ってきたので、 簡易ベッドで休ませた。 他は、大丈夫だった。 帰り際、転んで膝を擦りむいた子がいた。 ペットボトルの天然水で傷口を洗って、「キズ、パワーパッド」を貼って処置をした。 まぁ、救護班は暇なほうがいい。 幼稚園に帰ってきて、今度は観光バスが幼稚園前で親子を降ろす。 その間、片面通行になるので僕は、「誘導」の仕事をした。 随分と前、 子供が四人いて、米だけでも一週間に30`を消費していた頃、 ビデオの売り上げだけでは足りなくて、この「誘導」のアルバイトで食いつないだことがある。 何でも体験で覚えておくものだ。 その片面通行の誘導は、お手の物だった。 無事、遠足が終了して、僕は、さぎ山野営場へ行った。 「親子で工作」のレパートリーに「コマ」を加えることにしたが、 それを万力で固定できるようにしたい。 そこで、サイト開墾で出た切り株を厚さ10pぐらいにスライスをしたものを万力の台座にしたい。 チェーンソーでそれを切り出した。 そして、ホームセンターへ行って、万力を買ってきた。 ハンドドリルも、また壊れたので新品を調達した。 これで三つ目だ。 六角軸のドリルセットも買った。 1.5oから5oまでの10本セットだ。 工作意欲を誘うな。 「親子で工作」では、なるべく「手作り」を親子で体験させたい。 だから、穴あけは、基本「キリ」を使わせる。 しかし、 「コマ」は、精度良く中心に穴あけをしなければならないので、 万力と、ハンドドリル、その歯を用意した。 次回、「親子で工作」は、5月18日(土)です! ぜひ遊びに来てください。 詳細は、このHPの別項を参考にしてね。 13/5/10(金)朝 復活サイクリストの日記 今度の土日は、雨だそうだ。 編集は、その日にとっておくことにした。 いい考えだ。 雲一つない青空、穏やかな風、これを見逃したら一生涯、悔いが残る。 ということで、目的地がないまま近所の「葛西用水路」に沿って自転車で走り出した。 ここは、 末っ子が小さくてかわいかった頃、毎日その子の手を握って散歩をしたところだ。 「葛西用水路」を上って行くと、越谷市役所の前にある「元荒川」に出る。 この間、この「元荒川」を走ったが、ずっと上流から走った。 この「元荒川」の中州を走る。 久伊豆神社のところに出る。 そこに「元荒川」とクロスしている用水路がある。 名前は知らない。 この用水路沿いがとっても美しい。 ここを行く。 北越谷あたりを過ぎたところに公園がある。 ここの「ジャブジャブ池」に子供が小さい頃よく連れて来たものだ。 夏の暑い日に、子供がジャブジャブやった。 気持ちよさそうだったな。 さらにその用水路を行くと、大きい川に出た。 「大落古利根川」だそうだ。 初めてこの川沿いを走る。 とっても広々としていて、ノンビリと走る。 時間が止まっている。 水面がすぐそばまで上がっている。 雨が降ったわけでもないのに、水面が土手一杯になっている。 大丈夫なのかね? そういうことだからか、釣り人がそこ、ここ、で竿を振っていた。 ずいぶんと長い間、ノンビリとその川を上っていった。 おかげで、ケツが痛くなる。 自転車という乗り物は、一所懸命にペダルを踏むことで、 お尻が浮くように出来ている。 だから、そうしてノンビリと走ると、サドルにお尻がどっしりと乗るので痛くなるわけだ。 鷲宮あたりでこの「古利根川」を見失った。 うろうろ探していたら、今度は「中川」に出くわす。 この間は、この川の右岸を走ったが、昨日はたまたまここの左岸に出ていた。 川は、右岸、左岸、ではまるで景色が違う。 昨日の左岸では、そこを管理している市町村が金がないのか、 ずっと砂利道のダートコースだった。 ケツが痛くなったところに追い討ちだ。 それで、右岸に出た。 一度見た風景だから、安心感がある。 その分、ワクワク感がない。 お腹がすいてきた。 前回寄った道の駅「きたかわべ」のあの蕎麦が頭に浮かぶ。 人間、目標があると俄然ハッスルする。 そこから早いのなんのって、アッという間に「きたかわべ」に着いて、 天ぷら蕎麦を食べた。 さて、そこからどうするか、地図を見て作戦を練る。 この間、利根川を上っていって、「伊勢崎」を目指したが、 強烈な向かい風で断念した。 心残り。 それで、それを制覇すべく利根川を上って行くことにする。 いい景色だが、いつまで経っても同じ「絵」。 いささか飽きる。 サイクリングを楽しむというより、意地で「伊勢崎」を目指した。 だいたいの見当で、川から街に向かって走る。 方位磁石を頼りに、「伊勢崎駅」を目指す。 昨日は、暑かった。 風を切って走っている分には、心地いいのだが、 信号待ちで停まると暑い。 暑さに慣れていないから、若干の「夏バテ」気分になった。 ボトルの水が空々、喉も空々。 やっと「伊勢崎駅」に着いたのだけど、駅前に何もない。 見事に何もない。 街に戻って、飲み物を物色する。 あの暑さだ、ビールでしょう。 やっと見つけた小さな雑貨屋さん。 「スーパードライ」ののぼりに誘われて店内に入ったのだけど、 それは品切れ。 「麦とホップ」しかない。 選択のしようがない。 それを二本とポテトチップを買って、 「伊勢崎駅」のホームで、補給をした。 予想通り、なかなか電車がなかったので、ホームでその二本を飲み干した。 やっと来た電車に乗って僕は、爆睡したね。 こうして、輪行で帰った。 走った距離は、114`だった。 最後がつまらなかったな。 もう「伊勢崎」はいいや。 でも途中のサイクリングいは、とっても美しかったし気持ちよかった。 いつものように銭湯の湯船に浸かると、 日焼けで、腕がヒリヒリした。 なんていい老後なんでしょうか。 「卒業ビデオアルバム制作」という仕事を目指して、 ボチボチ30年。 「一生涯安泰」ではなく「必死」に生きてきたご褒美だな。 子供たちにも、「気楽な人生」ではなくて、 「必死に成長」する人生を味わって欲しい。 そういう人生の先の「生きる豊かさ」を手に入れて欲しい。 「物」で空威張りする人生は、陳腐さ。 「物」ではなく「生き方」にこだわって欲しいよなぁ・・・・・ せっかく生きているのだから、その充実感を味わって欲しい。 13/5/9(木)朝 ビデオマンの日記 このコーナーは、ビデオ屋さんに向けて書き込むものです。 最近、サイクリングで写真を撮って、それをスライドショーにすることにハマッている。 僕は、幼稚園の「卒業ビデオアルバム」制作が本業だ。 これを作るのに、どういう「絵」をどういう順番で組み合わせていけば、 どういう「意味」ができるのかを計算して編集をする。 そして、編集でどんな「絵」が必要か、取材現場で考えて撮っている。 この技術を使ってそのスライドショーを作る。 これは、まったくの趣味だ。 でも、ビデオ屋が作るスライドショーは、まったくの素人さんが作るものと、ちょっとだけ違いがあるかも知れない。 「絵」を組み合わせる。 ここに面白さを作る。 これの基本が、このHPの別項にある。 これからビデオ屋を目指す方は、ぜひ、ここを良く学んで欲しい。 この基本をシッカリと学ぶのと、 そうではないのとでは、見た印象に大きい違いがでると思うよ。 人生、何事も基本だ。 これを学べるビデオ屋になろう。 「機材」という「物」に心が向かうのではなくて、 どう作るのか、その作る「基本」を命がけで学んだものが、 結局、長く生き延びるのでしょう。 商売の基本も同じこと。 商売の基本は、「営業」にある。 「機材」という「物」でプロには、決してなれない。 ともかく「人」に会う営業のスキルを身に付けなければ、 ビデオ屋に限らず、すべての商売を立ち上げることはできない。 いいですか、 ネットで顧客をつかむことができなくはないけど、 そういう顧客は、「ネット」で浮気されるからね。 DMで顧客をつかむことができなくはないけど、 そういう顧客は、「DM」で浮気されるからね。 こういうことで商売の基本「営業」、 そしてこの仕事を制作する基本、 真剣に学んだものが勝つのさ。 機材という物で酔っ払っていては、決してプロにはなれない。 僕は、そういうことで「和食基本コース」の料理教室に通いだしたのさ。 人生、何事も基本だ。 13/5/8(水)朝 キャンプじぃじの日記 この間、御殿場へ行ったときのこと、 「秩父宮記念公園」というところを三番目の子に案内してもらった。 そこで、クラフトコーナーがあって、 僕は、カブトムシのフィギア、 ばぁばは、松ぼっくりのおばけ、写真かけ、こま、と欲張って作っていた。 その内の「こま」が「親子で工作」で出来そうなので、 レパートリーに加えることにした。 ただ、これはハンドドリルで中央に穴を空けなければならない。 それで、 材料を固定する万力が必要になる。 また、 この間、中川をサイクリングをしたときに、 名前は忘れたが道の駅に寄った。 そのときに、工芸品のお店があって、 そこで、 セミの形をしたおもちゃを紐でくるくると回すと「ミンミン」と音がするものを買った。 それと、 水鉄砲、木のおたま、も買った。 セミの形のものは、そのセミから音が出るのではなく、 それを回す紐が棒のところで擦れて音が出るものだった。 紐が触れている棒の部分に「ガラス」が吹き付けられていた。 とてもこれは、「親子で工作」には、作れない。 水鉄砲は、マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」での水遊びの時に、 僕は、「マイ水鉄砲」を使っている。 弁には、タオルを巻いて作るのだが、 子供には、難しすぎるし、ポンピングが硬くて、 小学校高学年でなければ使うことが出来ない。 それで、売っている水鉄砲は、どういう風に作ってあるのか知りたくて買った。 それをバラして調べてみた。 なるほど、 弁を作るのに、スポンジを利用して、それをガーゼのような生地で覆うものだった。 ポンピングのトルクが非常に軽い。 これなら、マザー牧場でのキャンプで、子供が使える。 しかも、これも「親子で工作」のレパートリーに加えることが出来る。 これから、その弁の材料を見つけ出す。 商品開発だ。 「親子で工作」のボランティア活動のパワーアップを目指すぞ。 次回、「親子で工作」は、 5月18日(土) に実施予定をしています! ぜひ遊びに来てください、 13/5/7(火)朝 復活サイクリストの日記 本当に昨日は、編集をするつもりだったんだ。 でもせっかくの青空だし、風もないし、気温も上々。 ちょっとだけ、江戸川あたりまで自転車で行って、気分晴らしをしようとしただけだった。 江戸川に出る前に「中川」がある。 いつもあまりに身近すぎて素通りだった。 それで、昨日は、なぜか、ふと気になってしまった。 中川を上って行くとどうなるんだろうか・・・・? ほとんど、そのころには「編集」という言葉を失っていた。 歳だからしょうがないんだよ、こういうの。 気が付いたら面白くなってしまった・・・・・ もう暑くてTシャツで走ったね、昨日は。 途中で「中川」を見失う。 そのときに「北川辺」の道の駅に着いて、そこでお昼にした。 この間、食べ切れなくて残してしまった「そば」を食べた。 そのときに「編集」を思い出したんだ。 帰らなくっちゃ。 いつもの駅「やぎゅう駅」から輪行で帰って来た。 67`走った。 帰ってきて、この間のSCCのキャンボリーに参加をした次男坊の放蕩息子の家族写真を飾るためにカメラ屋さんへUSBを持って行く。 サービスサイズを2枚、2Lを一枚、A4を一枚とそれを飾るフレームを買った。 その写真には、今までの「不良」がどこに行ったのか、 まるで何もなかったかのように、 放蕩息子の家族と、僕とばぁば、大家のおばぁちゃんが写っている。 早速、その写真を飾った。 サービスサイズは、僕のビジネス手帳に納めた。 良かった。 とっても良かった。 残すは長男だ、トラブッてるのは。 それで、今度は調理実習の準備をした。 気温が高いので玄関の前でやる。 ここならいくら煙が出ても大丈夫だからだ。 食材を近所のスーパーではなくて、品揃えのいいところへ車で行った。 それで買出しから帰ってくると、 今度は、何の前触れもなく、四番目の末っ子が帰って来ていた。 この子は、まだ21才だ。 一年ぐらい前に、週に一度ぐらいに帰って来ていた。 そこで僕は、こう言った。 「いつまで、ママ、パパ、って帰ってくるんだ。 みっともない」 こう冷たくあしらった。 それからというもの、近寄らなくなった。 昨日も夕方に来て、一緒にお風呂にも行かないし、泊まらずに夜、帰ると言う。 僕は、大急ぎで玄関の前で料理を作り、ビールでその子と乾杯をした。 デジカメで写真を撮るつもりだったが、スッカリと忘れた。 そこに次男坊と連絡が取れる。 音信不通ではなくなった。 SCCキャンボリーのときの写真をUSBで送るから住所を教えろと言ったら、ちゃんと「住所」がある。 電話を末っ子に渡して、兄弟で会話をさせた。 子供たちに振り回される連休だった。 編集も、停滞したままだった。 たぶん、今日はやると思える。 たぶんだが、編集・・・・・ 13/5/6(月)朝 キャンプじぃじの日記 疲れた。 まさか、こんなに人が集まるとは、まったく思っていなかった。 30人の人が活動するために用意した24畳の竹ハウスも、 人がいると狭く感じた。 僕が持っているキャンプ資材は、総動員だった。 それを設営して、撤収のほとんどを一人でこなした。 夜には、「反省会」、 朝は習慣で4時半には目が覚めてしまう。 疲れるは、眠いは、俗に言う遊び疲れ。 何にもやる気がしない。 心身ともにエンプティ。 たぶんこれだったら、今日は大人しくこれから編集が出来るだろう。 とにかく、「動く気がしない」という今がチャンスだ、この編集。 今年はどうしたのだろうか、 30年以上で初めて子供がいない夫婦だけでの一泊旅行をしたり、 放蕩息子の一人が急にまじめになって、 そのお陰で、初めて孫と一緒に竹とんぼを作ったり、 夢の中にでもいる気分だ。 神様のお誘いが近いのだろうか、そんな気さえする。 今、天国へ行けば(行ければの話しだが)僕の人生は、ハッピーエンドになる。 それにしても、青空だな・・・・・・・手招きをしている・・・・・ でも、編集をしなければ。 なんてふざけた人生を送ってしまったのだろうか、いい国だ、日本は。 「物」や「見栄」を捨てれば、人生はとっても愉快になる。 問題は、どうしても「物」にしがみ付くから、 「生き生きと生きる」ことができないんだよね。 若いお父さんに、これをどうしても伝えたい。 13/5/5(日)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、隣の新しいサイトで、ボーイ隊が二泊目のキャンプをするというので、 僕もついでに一人で旧BS本部サイトに泊まった。 第三回キャンボリーの後片付けで、昨日は一日が終わる。 24畳の「竹ハウス」の撤収をこれから朝食のあとでする。 でかい、これ。 竹のポールが16本ある。 これをどこに保管するのか・・・・・ キャンプサイトにあるSCCの倉庫でも、レンタル倉庫でも、 もう一杯でポールを入れるスペースがない。 そこをなんとか、どうにかしなければならない。 このどうにかするところが「工夫」ということになるのさ。 普段の生活で、「快適」「簡単」「気楽」を子供が浴びるように過ごしていると、 この「どうにかする」が「面倒」という気持ちになりやすくなる。 そして、 「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件になる」 その「生きる条件」が多いと、「工夫」して生きることがますます困難になる。 「物」ではなく「人間関係」で子供が幸せを感じるように育てたいものだ。 昨日の夜は、BSのリーダーと反省会をした。 料理教室で覚え始めた調理の腕前を披露した。 でもリーダー達には、「疲労」になったしまったようだ。 厚揚げをごま油とラー油で炒めて、表面をカリカリにしたものに、 ネギの千切りと生姜のおろしあえ。 生姜は、ツールナイフのノコギリでおろした。 これは僕の創作だ。 ベーコンとピーマン炒め。 にんじんを拍子切りにしたものを味噌マヨネーズを付けたサラダ。 シイタケのお吸い物。 残念ながら、反応はいまいちだった。 これでメゲナイ根性、これが「生きる力」だ。 キャンプは、「生きる条件」を削り落とす遊びだ。 そして「野性」にリセットしてくれる。 普段の生活で、快適なら快適なほど、子供にキャンプ体験させて欲しいな。 子供をどんな条件でも、元気良く生きられる人に育てよう。 13/5/4(土)朝 Snowmen Camp Club 活動報告 5/3(金) 第三回SCCキャンボリー実施 子供たちで食材の買出し、調理、配膳、をすることを目的にしたデイキャンプを実施。 ついでに、僕の古い友人などを誘ったら、 大人が22〜23人ぐらい、 子供が7〜8人ぐらいが集まった。 24畳の「竹ハウス」が手狭になるほどだった。 そして、 この間作った折りたたみの椅子は、 テーブルの脚にも使ったので、それの25脚では足らなくなり、 道満グリーンパークでの「親子で工作」のボランティア活動で使う椅子も使うほどだった。 中学一年生の女の子に「子供隊長」を任命して、 その子に子供たちを仕切ってもらった。 幼稚園で言うところの「タテ割活動」だ。 小学校1〜2年生の男の子約3名は、まったく役立たずだった。 活動を何回か重ねて、そのうちに年齢が上がれば、 見違えるようになる(だろう)はずだ。 12時前には、カレーを食べられる予定が、一時間押しになった。 全員で「いただきます」をしたのだが、食べる時だけ静かだった。 まぁ、大盛況というところだ。 ところで、昨日は、その活動に次男坊の家族が参加した。 この子は、結婚したのだが、家出をしていた。 一時行方不明。 それがどういう風の吹き回しか、 元の鞘に戻った。 何がどうしたのかは、まったく知らないが「まじめ」になった。 そこに、この間「長男をしょっぴく懸賞金」の前払いの効果があったようだ。 次男坊が女房と子供二人を連れてきた。 僕は、初めて、 次男坊の家族と一緒に遊ぶ事が出来た。 孫の手を握って竹とんぼを一緒に作った。 表現できない・・・・・・ もう今、死んでもいいと思うほどの人生の充実感を味わった。 僕の四人の男の子のうち、グレて手の付けられない上二人のうち、 次男坊は、やっと落ち着いた。 残すは、長男のみ。 間違えなく「子育て」には、基本がある。 その基本中の基本は、こうだ、 子育ては、「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てること。 僕は、四人の男の子のうち、上、二人を育てる時に、 この意識がなかった。 下、二人は、僕の子育ての悪さの反省から、 「子供の自立」を強く意識して育てた。 その具体的な方法が「親子キャンプ」だったわけだ。 脱線していた次男坊も、昨日は、この「親子キャンプ」で復活したわけだ。 子育てを強く意識した「親子キャンプ」は、ただの遊びではないさ。 真剣に取り組めば、 非常に効果があることを、僕は自分の身で体験した。 ぜひ、「レジャーキャンプ」ではなく、 子育てのための「親子キャンプ」で子供の心を育てて欲しいね。 「自立」を無視した子育てではなく、 シッカリ子供を自立に向けた育て方をして欲しい。 「自立」させるためにいろいろな「教育」があると考えて、 子育てを他人任せにしないで、父親自身で子供を育てよう! 13/5/3(金)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、粘り勝ち。 わざわざ朝早く仕事をしに都内の現場へ行ったのだが、 雨で中止だろうと思っていた。 しかし! 雨が止んで、しかも園庭に水はけが良くなるように、 つい最近になって砂を敷いてあった。 それで、予定通りに取材が出来た。 しかも、青空の下で、24畳の「竹ハウス」のフライのみバージョンも設営できた。 素晴らしい。 極めて順調な人生を送った。 今日は、これから「第三回SCCキャンボリー」を実施する。 さぎ山野営場のすぐ近所に教会があるのだが、 牧師先生の奥さんが、そこで塾をしている。 その塾に通う子供たちに、 「子供がカレーを作って食べる」 というデイキャンプを実施する。 子供が買出しをしている間、親は、竹でスプーンを作ることにした。 前回も「カレー作り」を一度した。 そのときには、集めた予算で子供が食材を買いに行ったのだが、 カレーのものしか買ってこなかった。 それで、いざそれを食べようとした時に、 子供が「何か飲み物が欲しい」と言った。 僕は、 「それを買うのも予算の内だったでしょう。」と冷たくあしらう。 それで、子供たちには水で我慢させた。 「失敗」をとおして体験させて「生きる術」を学ばさせる。 僕は、昔、カブスカウトのリーダーをしていたので、 こういうの得意なのさ。 さぁて、今日は、どうなるのかな? 13/5/2(木)朝 ビデオマンの日記 昨日は、取材も出来たしサイクリングも楽しめた。 帰りのコースは、善福寺川〜神田川沿いで、とても都内とは思えない自然を堪能したね。 最高だった。 今朝は、雨。 越谷市では、パラパラとも降っていなかったが、 途中、戸田市あたりでは本降りだった。 そして、今朝も昨日と同じ現場で取材があるので、新宿に着いている。 ここから、数キロのところが現場で気象条件は、ほぼ同じ。 今、朝の6時半ね。 ここに書き込み始めたときには、路面がまだ乾いていたが、 雨脚が強くなりウエットになった。 今日の取材も屋外なので、 この分では、NGだな。 ただ、中止の確認は8時にならないと出来ないので、 これからファミレスで朝食だ。 昨日、今日、と、取材は「卒業ビデオアルバム」用のものだ。 昨日の取材は、 楽しく遊ぶ子供と担任の先生を追うもので、タイトルに使う。 取材は、約20分。 撮りは、約8分回った。 上がりは、タイトルだからだいたい1分だ。 今日の取材は、サッカーをしているところ。 僕が作る「卒業ビデオアルバム」では、 だいたい全体の中ごろに1分ぐらいのイメージビデオを挿入している。 BGMを付けて、スロー再生の映像で、「幼稚園での楽しかった思い出」を象徴できるようにする。 階段での踊り場のように、一息つくシーンとして作る。 サッカーを撮るのはここだけで、他はプールでこれを作っている。 作品のアクセントだな。 だんだんと雨が強くなってきた。 雨が止んでも、地面がグチャグチャでは、サッカーができない。 完全に中止だ。 あぁ、渋滞を避けて朝5時10分には、ハンドルを握って走って来たのだが、 今日の取材は、「空振り」だ。 僕のやり方の「卒業ビデオアルバム」制作は、 今までの映画とは違う新しい分野のドキュメンタリー作品だ。 「不特定多数」に見せるものではなく「特定少数」の人が見るものだ。 ここに今までの映画とは、決定的に違うものがある。 販売単価は、6,000円。 普通の映画DVDでは、ソコソコ高いものでしょう。 でも「少数」だから、これでもキツイ単価だ、制作をするのに。 昨日、今日、と作品の「味付け」にこだわる取材をしているわけ。 行事をつないだだけの「アルバム」ではない価値をこうして作る。 僕は、子供がいなくなって「仕事のある隠居生活」をしているけど、 「安泰」で何もする事がない老後ではなく、 こうして、仕事のある余生は、「生きる刺激」があっていい。 とってもいい。 それにしても、ここまで来て「空振り」か・・・・ 残念。 雨の影響は仕事だけではない。 今日はこれから、さぎ山野営場に、 初のでかさ、24畳の大きさの「竹ハウス」のフライのみバージョンを建てなければならない。 雨の中の設営かよ・・・・刺激的! 13/5/1(水)朝 復活サイクリストの日記 僕の住んでいる越谷市から、35`ほど行ったところの取引先がある。 そこに、 今日、取材をしたいのだが、 雨は降っていないけど、路面がウエット。 幼稚園の園庭で、楽しそうに遊ぶ子供と先生を撮りたい。 でも園庭もグシャグシャでは、そこで遊ばないだろう。 ただ、35`離れていると、気象条件は若干違う。 もしかしたら、ドライかも知れない。 さて、取材が出来るかどうか・・・・・ でもなぁ・・・・ そこまで行ってNGじゃ、ちょっと不愉快だ。 どうしようか・・・・・ 発想の転換。 そもそも今日は、そこまで自転車で行くことにしていた。 撮れなくても、サイクリングにはなる。 まぁ・・・いい意見だよ。 |