スノーメン タイトル



ここのページは、お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
と、お父さんに呼びかける Snowmen Camp Club のメッセージです。

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キャンプじぃじ、お勧めの一冊!

「家族・親子 アウトドアー・キャンプ入門」

赤井 健一 監修  1,480円+税
HP:土屋書店

僕の作った「親子キャンプ」ハウツーDVDは、どうやら「敷居」が高すぎるようだ。
もっともっと親子でキャンプを気楽に始めるのにちょうどいいハウツー本です!
これで、小学校四年生までにたくさん子供と遊ぼう!
そういう子育てをしよう!

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サイクリングは、水泳に次ぐ全身運動、老後の体力づくりに最高!

「キャンプじぃじの子育て論」
「教育」と「子育て」の違いを知って、心の強い子に育てよう!

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○ 新連載「お弟子さんの日記」 毎週火曜日に掲載
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に、
● 木曜日には、「ビデオマンの日記」・・・・ビデオ屋を目指す方へ、
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」・・・子育て真っ最中の方へ
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」・・・・老後の提案
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13/10/31(木)朝 ビデオマンの日記

「自分の殻」に閉じこもることが、とっても楽チンなものだ。

これが病的に閉じこもれば、「うつ」の状態になるのではないかね。

テレビゲームの世界に閉じこもる。

親の財産に閉じこもる。

根拠の無い自信(たいがい物や出身校などをかざすことが多いように思える)

に閉じこもる。

それでは、国際的に勝っていこうとする日本社会から弾き飛ばされるでしょう。


誰にも負けるものかという「商品開発力」

自分の殻から飛び出す「営業力」

この二つの掛けあわせで「商品化」できる。

「商品化」とは、利益が出ている商品のことだ。

おぼろげな「ウデ」や「機材」で、自分の殻に閉じこもっているから

商売を立ち上げることができない。

ここのところをシッカリと「心のトレーニング」が出来た者が、

ビデオ屋を立ち上げて、継続できるだろう。

このことは、実は、ビデオ屋に限らず、

これからの日本社会を子供が生き延びるためにも必須のものなのだが。

ともかく、日本社会の現在は、バブル経済ではないという事実を、

シッカリと意識するべきだ。

過去のバブル経済は、「ヒト」がインコのように飼いならされ過ぎて、

それを未だに尾を引いているように僕には、感じるんだな。

「普通にしていれば大丈夫」

こういう意識で飼いならされる子育て・・・・・

結果は、親が歳をとったところで出るさ。

「必死に生きる」

「命がけで生きる」

僕は、ここに「生きる意味」が隠されていると思うな。

「成長」とは、自分の殻から飛び出すことでしょう。


13/10/30(水)朝 復活サイクリストの日記

僕が自転車に乗る目的・・・・・
それは、「少しでも体力をつけてよい仕事をする」ということだ。

これは、「理念」に当たる。

裏の理念として「残された人生を少しでも有意義にする」だが、
どちらにしても、
具体的に簡単に言えば、「たくさんサイクリングをする」になる。

そのための戦略として、
年間を通して「サイクリングの量を増やす」ということを数年前から始めた。

若い頃は、スキーシーズンには、30〜40日もゲレンデにいたので、
サイクリングは、冬には、offっていた。
それで、冬場のサイクリングをどうすればいいのか知らなかった。

冬季サイクリングは、この間の冬に、そのスタイルが完成をした。

僕が若かった頃は、夏には「ナイトラン」と言って、
涼しい真夜中をサイクリングしたものだ。

しかし、今は、幼稚園のお泊まり保育や、
マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」のスタッフで忙しい。
こういうライフスタイルに合わせたサイクリングのあり方については、
今後の研究課題だ。

次に、「量」をこなすためには、
なんと言っても「面白い」ことが重要だ。

そこで、戦術として、「走り方」をオフロード中心にして、
「自然の景色」を思いっきり楽しむようにした。
そして、「スライドショー」を作るためにデジカメを使いながらのサイクリングを去年から始めた。

スライドショー作りは、ただ走ってお終いのサイクリングから、
ちょっとだけクリエイティブなものに進化して面白い。

これで、過去最高に面白いサイクリングを楽しめるようになった。

昔は、ひたすら「距離」を長く走ることしかしていなかった。
若いうちは、体力があり余っているから、それはそれで良かった。
でも、体力が落ちた今、
こうして自転車での「ツーリング」のあり方を開拓して面白がることができるようになった。

一つの成長さ。

さて、こういう訳で、昨日は午後から雨という予報だったが、
35`離れた取材現場まで自転車で出かけた。

数日前には、昨日は、一日を通して晴れるようなことを天気予報で言っていた。
そこで、
行きは、大人しく一般道を自転車で走って、
帰りに、川の土手沿いをサイクリングしようと計画をしていた。

ところが、午前中は、なんとか天気がもつが、午後から雨という予報に変わった。
そこで戦術も変更をしたわけだ。

「午後から雨だから自転車に乗らない」というのでは、
「戦略」的に問題がある。

分かりますか? ここのところが。

一番外せない目的、これが「理念」ね、
そして、その「理念」を勝ち取るための作戦が「戦略」。
「戦術」は、その時々の実行するための「作戦」だ。

僕は、人生でこれを使い分けて実行をしてきた。

だから戦略である「サイクリングの量」を確保するのに、
戦術で「雨だから走らない」というのは、筋が通らないでしょう。

ここなんだなぁ、
いかに「理念」「戦略」「戦術」の「使い分け」をして「実行」をすることが、
人生を作り上げるあらゆるシーンに欠かせないものか。

つまり、

「人生をデザイン」するのに完成をした絵に、これで目指せるわけだ。

これは「生き方」だけではないさ。
商売でも、遊びでも、子育てでも、何でも同じ。

「絶対に勝ち取る目標」
「そのための長期的作戦」
「長期的作戦を実行するための、今するべき作戦」

このリズムで事に当たる癖を僕は、知らず知らずに身に付けていた。

まぁ、そういうことで昨日は、
行きに土手沿いのサイクリングをして、午後から雨だったら輪行で帰るという、
「戦術」の変更をした。

よほどのことがない限り「中止」にはしない。

ここがただなんとなく生きているのと大きく違うところだ。

例えば、ボーイスカウトのキャンプだって、
よほどの「嵐」か「台風」でもない限り、
普通の雨だったらキャンプを中止する事は、まずない。

ここがレジャーキャンプと決定的に違うところで、
むしろ、雨の中をキャンプすることで子供の心を強く育てられるわけだ。

こういう考え方の延長線で、
僕は、子供を雪中キャンプに連れて行いったものだ。
これは、年に一回、計4回実施した。 いい思い出だ。

レジャーキャンプではなく、子育てを強く意識した親子キャンプをやった。

分かりますか?  ここの違いが。

こういうことで、昨日は、
一般道で35`のところを、55`土手を自転車で走って、
思いっきりサイクリングを楽しんで、
予報どおり午後から雨になったので、輪行で帰ってきた。

昨日の取材は、たったの一時間、収録は約20分だった。
これだけで、昨日という一日を費やしたら、もったいないでしょう。

サイクリングで移動する事で、この一日が「有意義」になったということさ。

僕は、「理念」「戦略」「戦術」を脱サラをして、
商工会議所の「販売士2級」の講習でこの言葉をハッキリと理解できた。

これは、それ以前に、実際には体験していたことだったから、
ただ、言葉を知って、より「明確」に「使い分け」て、それらを実行するようになった。

どうして、僕が講習を受ける前には、言葉では知らなくても実際には、
「理念」「戦略」「戦術」の使い分けと実行をしていたのだろうか・・・・

それは、僕が18才で「自立」を果たして「命がけ」で生きていたからこそ、
身に付いていたんだ。

「快適」に溺れるように若い頃を生活していたら、
決して身に付くことはない。

しっかり「自立」をしていたからこそ、その後に自分の力で人生を開拓する事ができた。

こうして、
若い内に、この「理念」「戦略」「戦術」を覚えたので、
なにをするのでもこれを応用していた。
だから、
いろいろなことに挑戦できた。

年に40日もスキーの企画を立てていたこと、
サイクリングの計画を年中していたこと、
「卒業ビデオアルバム」を商品化したこと、
カブスカウトの活動を年に70日したこと、
二回もキャンプ場開墾をしたこと、
子供が四人もできたこと・・・・・関係ないか、

最近では、和食基本コースの料理教室に通いだした。
サイクリングのスライドショー作りにはまった。

「親子で工作」のボランティア活動をやっていること、

こうして、僕は、
「会社に勤めて一生涯安泰」という目標の人生とは、真逆の生き方をした。

おかげで、超貧乏だけどね。 でも面白いさ。

子供たちにも教えたいよなぁ・・・・・・・

思いっきり生きることを。

お父さん次第だ。


13/10/29(火)朝 お弟子さんの日記

 発表会シーズンに入って来ました。

12月の中旬に実際の発表会本番で撮影練習をさせて頂けるということになり、
回数はまだまだ少ないものの三脚を扱えるようになる為、
谷口さんよりご指導を頂いております。

最初の頃と比べ、大分ましにはなってきたと思いますが、
ちょっと気を緩めるとズームを暴走させてしまいます。
体に染付けるというのは大変です・・・。

子供の頃「キャプテン翼」の主人公、
大空翼が言っていましたが、「ボールは友達」・・・、
今の僕には「パン棒は友達」といったところでしょうか?

翼くんは、登下校中は勿論、
寝る時まで肌身離さずボールを離さなかったのを覚えています。

余談ですが、道路でもお構いなしにドリブルやパスをしていた事を考えると、
もし今の時代にあのアニメが放送されたら、
「子供が真似したらどうする!」等というクレームで問題になるかもしれませんね。

さて大袈裟な表現かもしれませんがパン棒と友達になって、
自分の体の一部のように扱えるまでになれば動きに余裕が出ますし、
それによって被写体、または周りの目標物に集中する事が可能になってくることでしょう。

しかし、まだまだなのが現状、
微妙な力加減に悪戦苦闘中であります。

漆塗りのツルッツルな箸で小豆を皿から皿へ移すというゲームが昔テレビでありましたが、
まるでそんな感覚です。
頭で解っていても体がついてこない、
こればっかりは反復練習が効果的だと思いますが、それが一番苦手・・・

なるべく考えないように、とにかく練習中は良い意味で無心になり目の前の事に集中するのみです。
頑張ってパン棒と友達になります。
(ちゃんと人間の友達は沢山いますのでご心配なく)


13/10/28(月)朝 キャンプじぃじの日記

先週は、雨のおかげで自転車に乗れなかった。

今週は、その雨の影響で幼稚園の催事が今週に集中して、
また自転車に乗れない。

しかし!!
諦めない。

明日は、越谷市から35`離れたところの取引先へ取材に行く。
ここを普段お読みの方なら、これの意味が分かりますよね。

もちろん、当然です、明日の天気は「晴れ」です。

今まで使ってきたカメラが、6年以上使って調子が悪くなった。
それで、今までのものの後継機を買ったら、
これが今までよりデカクなって、しかも重い。

今までのカメラを入れていたザックでは、これが入らない。
そこで、
昔使っていたデイパックを引っ張り出して、そのカメラを入れてみた。

カメラを立てて入れれば入ることが分かった。
レンズを上に向けて、レンズフードを外せば入る。

ただし、ビューファインダーが出っ張っていて、
それがデイパックの底に当たって、カメラの重量がそこに集中して壊れそうだ。
そこで、そのビューファインダーを保護するために、
梱包材の、あの「プチプチ」を買って、
それをデイパックの底に敷いてみた。

いい感じだよ、これ。

実際に、昨日、近所の幼稚園の取材に自転車で行って、
そのデイパックにカメラを入れてみた。
試験使用した結果、OKだ。

僕は、研究熱心だと思うでしょう。
「成長」だよ「成長」。 何事も「成長」にこそ最高の面白さがある。

明日は、このルックスで片道35`のところへ取材に行く。

行きは、大人しく一般道を行く予定だ。
何回か、「行き」も川の土手沿いを走ったが、
到着時間が読めなくて、取材に間に合わなくなりそうなことがあったので、
一般道を、余裕を持って2時間半で行く。

帰りは、フリーだから、
「善福寺川」から「神田川」、そこから「隅田川」に出て、
「綾瀬川」の土手を走って帰る予定だ。

東京の中を走る割りに、自然が意外にあるコースだ。

趣味と仕事の両立に成功をしているさ。
バカバカしいほど面白い人生が手に入ったと思うよ。
「命がけ」で生きてきた、天からのプレゼントだ。

風呂のない二間のボロアパート住まいの貧乏人だが、
「生き方」にこだわった。
「必死」に生きてきた、これが天からの恵みだ。

「快適」に溺れるように育てられて、「気楽」「簡単」「便利」でないと、
不満だらけで騒ぎ出す人生と、まったく逆な生き方だ。

「快適」を与えて、ドラ息子になってしまったら、
お父さん自身も破滅する事があるよ。
見てみなよ、人気テレビ司会者のドラ息子を!

子供をどういうふうに育てたいと思う?
若いお父さん。

子供を厳しい自然の中でキャンプ体験をさせようか。
ビックリ仰天するような大自然の「美」を体験させようか。
大自然の「美」は、日没と日の出あたりが狙い目だ。


と、こういうことで、明日の朝の5時半には、愛車のロードにまたぐので、
ここの書き込みは、午後にします。
タイトルは、「復活サイクリスト」になるな。

と、思ったら、予定では「お弟子さんの日記」の日だった・・・・
彼をどうやって商売を立ち上げさせることができるのか、
なんたって本人は、超のんびりだからなぁ・・・・・


13/10/27(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、幼稚園の取材があったが、雨で、今日に延期になった。

それで昨日は、仕事はないし、サイクリングも出来ないし、
暇を持て余すしかないのか・・・・
せっかくの人生が、それでいいのか?


なんでも、「和食」が世界遺産に「無形」で登録されるとか、
僕は、もうすでに「和食基本コース」の料理教室に通ってるよ。

ということで、「調理実習」をすることにした。
もうじき、Snowmen Camp Club の活動で、「芋煮会」をやる。

まだ、それの準備物リストさえ作っていないのだが、
この間、料理教室に行ったときに、それのレシピが載っている本を買った。

「けんちん汁」「トン汁」「芋煮」、
それぞれ何がどう違うのか・・・・・
分かりますか?

微妙に違うんだな。

去年の今頃、さぎ山野営場で「芋煮会」をやった。
その時には、この「違い」が分からなかったので、「トン汁」の延長線で「芋煮」を作った。

そのレシピ本によると、「芋煮」は、
具材は、とっても少ない。
「サトイモ」「こんにゃく」「まいたけ」「ねぎ」そして「牛肉」だけだ。

ただ、「芋煮」というだけにサトイモをたくさん入れる。
4人前で、サトイモを8〜9ヶという分量だ。
そうだよな、「芋」が目当ての料理であることを僕は、改めて知った。

この間作った「芋洗い器」をさっそく使ってみる。
ヤッパリ、それほど芋の皮はむけなかった。
古い友人は、それを「板」ではなく「棒」にした方がいいと言う。
それで、もう一度「芋洗い器」を作ることにした。

とりあえず、昨日は、それで芋のドロを落とすことが出来るのが分かった。
そして、芋の皮は、僕の調理用ナイフ−−−オピネルのミネでこそげ落とした。

そして、最後にもう一度、その「芋洗い器」に芋を入れて、
フィニッシュした。
結構、この行程もありだな。

こういうことで、お昼に僕は「芋煮」を食べた。
このときに、5石(一合の半分)のご飯をコッヘルで炊いた。
もう何回かやってきて、昨日は、最高の炊き具合になった、バッチリだ。


なんだか、みみちい「成長」だなぁ・・・・・
もっとデカイ夢を見たいとも思うけど、もう残された人生もわずかだ。
仕事で体が動くのも、そうだなぁ・・・・あと10年ぐらい?
やっぱり、事実上の「隠居」生活しかもうできないのか?


僕がこれから「長期戦略」を掲げたとしたら・・・・・
それの成功を僕は、見ることが出来ない。

「自分が生きている間の戦略」を今、考えたら、
もうすでにそれは「戦術」でしかないことに気付いた。

「理念」「戦略」「戦術」の違いが分かりますか?

自立をして、この現実社会を堂々と生きていくためには、
それぞれの「個人」が、自分の人生にこの、

「理念」「戦略」「戦術」

を明確に使い分けて実行をしなければ、
「筋の通った一人の人生」を成就できないさ。

こういう大きい人生観をお父さんは持つべきでしょう。
違うかね?

僕は、もう人生の最後を仕上げるだけだ。

そうだろうか?

自分の人生だけを考えたら、どうしてもこういう思考になってしまう。
僕が死んだ後、今の子供たちのこれからの時代を考えたら・・・・・

僕は、生きていなくても、まだまだ長期戦略を考えることはできる。
ただ、僕自身で実行できなくなるだけだ。
ちょっと歯がゆいけど、
歳をとって余命わずかでも、そういう今の僕でも

ヤッパリ

「理念」「戦略」「戦術」

を考え続けた方が・・・・・面白い!

若いお父さんも、
自分の家族の「理念」「戦略」「戦術」をシッカリと考えよう。
若いお父さんは、ご自分の家庭では「総理大臣」だよ、
長期戦略を考えることをしなくっちゃな。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」、これじゃ、まずいだろう。

子供を「自立をした一人の大人の社会人」に育てよう。

これを訴え続けるのが、これからの僕のヤッパリ「理念」だ。


13/10/26(土)朝 キャンプじぃじの日記

僕には四人の男の子がいるが、
頭が良くなくても、それなりに自分の力で生き始めた。

ただ、長男だけが未だに更正できていないようで、
とっても悲しい思いをしている。
だから、ここで訴え続けているんだ・・・・・・


バブル経済は、とうに過ぎたんだがね。
でも親の気持ちだけは、
子供が「どこかの会社にさえ勤められれば、一生涯安泰」と思い続けていないだろうか?

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」
こういう子育ての方針で、本当に大丈夫だろうか、
真剣に考えよう。

その会社がいくらでかくても、
中国やインドといった新興国によって数十年後に潰れる可能性だってある。
そこまでいかなくても、リストラは、たぶんもっと激しくなるかも知れない。

子供自身がシッカリ「自立」をしていて、
何かの特技を子供自らつかもうとしていて、
それを子供が命がけで身に付ければ
例えその会社が潰れても、別の会社で生き延びることが出来るでしょう。

このことを考えるのが難しいだろうか。
親の子育てに対する意識が、このままで本当に大丈夫だろうか。

子供が自ら、自分の意思で、自分の持てる力精一杯で、
スキル・アップして生きることがいかに重要かを考えよう。

「生き延びる能力」があることに気付こう。

まるで、今、流行のゲームで遊ぶように、
子供が「楽をして稼ぐ」ことを考え始めてしまったら、
大変なことだと思わないかな。

「楽をして稼ぐ」ことができなくてニートをしだしたら、
大変なことだと思わないかな。

子供が自分の人生を、

「消費」で欲求を満たすのか、

それとも「成長」そのもに快感を覚えるのか、

子供が、このどちらを選んで生きていくのか、

どうやって、後者のような人を育てられるか・・・・・
親次第だ。

生涯、無難を追い求めるのか、

それとも、自分の人生を使って大冒険をするのか、

子供が、このどちらを選んで生きていくのか、

どうやって後者のような人生を子供が歩めるのか、
親次第だ。

消費に溺れる人生の人に「思いっきり生きた」体験は、難しいだろう。
無難を追い求めて生きた人は、「思いっきり生きた」快感を得るのは、難しいだろう。

「成長」を追い求め続けて、人生の「大冒険」にチャレンジした人のみに与えられる恵みがある。
親次第だ。

「子育てを他人任せ」
今の日本、本当にこの子育てでいいのかい?

お父さん次第だ。


13/10/25(金)朝 キャンプじぃじの日記

先週、今週、と、たて続けに台風が来たおかげで、
予定が狂いっぱなしだ。

仕事をしていないようで、仕事もしている隠居生活者。

主に午前中は、幼稚園での「卒業ビデオアルバム」の取材をしている。
特に、運動会のシーズン直後からは、
いろいろな取材が目白押しだ。

それで、たいがい午後は、フリーを楽しんでいる。

でも、雨。

シワ寄せが来週に集中してしまった。
「仕事の厳しさ」を感じるよ。
どうなることやら・・・・・・

この間も、台風のあとに「さぎ山野営場」を二日かけて整備したが、
今回は、被害の程はどうなるのだろうか、
落ち葉だけだったら、二日で整備が済むけど、
いったい、いつ、できるかなぁ。

このキャンプ場は、三年ぐらい前に開墾をした。
初めてチェーンソーなるものを持って、木をブッ倒した。
その後、根っこを引っこ抜く作業がまた大変だったけど、
面白かった。

地主さんが、そこの場所を売ってしまうというので、
別の場所を借りて、またキャンプ場の開墾をついこの間やった。

僕は、一生の間に二回もキャンプ場開墾を体験してしまった。


僕のサイクリングのスタイルは、自分でも変わっていると思う。

競技用のロードレーサーという車種で、
土手の砂利道、ブッシュを走る。
道なき道を走ることに快感がある。

自転車でオフロード突っ走ること、

キャンプ場開墾、

「卒業ビデオアルバム」の商品化、

これらには、共通点がある。
それは、かっこよく言えば「開拓魂」だ。
僕は、高校を卒業して、その時点で自立をしたが、
だからこそ、この「開拓」に快感を感じるようになったのだと思う。

茨の道をかき分け、かき分け、わが道を突き進む。

大変だけどね。
貧乏は覚悟しないとできないけどね。
ときどき、怪我をする事も覚悟しないとできないけどね。
決して「快適」からは、ほど遠いけどね。

「開拓」に快感が走って面白いのさ。

こういう元気な若者を育てなければ、これからの日本社会は、
閉塞感ばかりに襲われて、潰れてしまうよ。

僕は、最近、お弟子さんがどうやって商売を立ち上げることができるのか、
そんな「開拓」まで始めてしまったのさ。

僕は、口先で言うだけではない。 実行をする。

「消費」では、人生を開拓できない。 「成長」だ。 「自立」だ。

サイクリングのスライドショーは、
「多摩湖&狭山湖」を次に作る。

そのために、ルートを蛍光ペンで記した地図も用意した。
もちろん、土手のオフロードを行く。
早く、行きてぇ〜〜〜〜!

アッ、思い出した。
カブスカウトの隊長をして、年に70日もの活動を通して子育てをした「開拓」が人生で一番インパクトがあった。

僕の人生は、滅茶苦茶面白いのさ。
せっかく生きてるんだから、「完全燃焼」したいものだね。


13/10/24(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

お弟子さんには、「営業に関することは、一切秘密」と言ってある。
それ以外の技術面は、すべてオープンだ。

さて、ここに僕は、「営業」が最も重要だと書き込んでいる。
僕は、口先だけで言うだけではない。 実行をする。

前回の営業展開は、営業日誌によると、
H20年9月に展開を始めて、H21年1月に、まだ飛び込み営業を始める前に問い合わせを頂いて、
そこの園長先生に会って、名刺交換までした。

それで、営業展開は、「終了」と書かれてあるが、
結局、そことの取引までにはいたらず、結果として失敗に終わっている。

新規開拓の飛び込み営業を展開した直近では、
H16年1月に行っている。
もうかれこれ10年近く前だ。

その時には、名刺交換まで漕ぎ付けたところが、3件あり、
内一件と取引を始めることができた。
成功だ。

しかし、そことは二年ぐらい取引を続けたが、
結局、僕が廻りきれずに、僕の方から取引をお断りせざるを得なくなるという渋い人生を味わった。
こういう事情があったので、しばらくは営業展開を休止していた。

だが、今回は、久しぶりに本格的な営業展開を始めた。
作戦は、今年の三月から実行を始めて、
今、飛び込み営業の真っ最中だ。

普段、サイクリングはするけど、あまり歩かないので、
足が筋肉痛を起こした。

お弟子さんには、こう言ってある。
「いくら高価なカメラを買って持っていても、
 いくら飛び抜けた技術があっても、
 この「営業」に実行力が、それの作戦力がなければ、
 10年経とうが、20年経とうが、商売を立ち上げることが出来ない。」

難しい言い回しをしているが、これは、まったく当たり前のことだ。

そもそも「営業」ができないという人は、
さっさとどこかに勤めださないと悲劇を味わうことになる。

僕が出会ったカメラマンのほとんどがこの「営業」をしたくないと言い続けて、
結局、僕よりひどい貧乏をしている。

でも、その中で、数人が実際に営業展開をして、
商売を立ち上げることができた人が、
いないではない。

「営業」をガンガンできるかどうか、これは、実は「心の問題」だ。
自立できていなく、甘えている状態の「心」の人は、
営業ができない。

これは、僕のような商売を立ち上げることだけではなく、
自分の「人生」そのものを「開拓」できないことを暗示すると思う。
自分の人生を自らデザインすることができない。

「自立」出来ていない人は、
一生涯を通して「不完全燃焼」を味わいやすいものだ。
生きている充実感が極めて低そう。

「思いっきり生きた」という充実感がないまま歳をとり、終末を迎えるのか・・・・・・・

僕は、思いっきり、とりあえず今の営業展開の成功を目指すぞ。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」
ではなく、子供を、
「自立をした一人の大人の社会人」に育てることこそが、
本当の親の愛だと思うな。

僕は、障害のある子を自立させることに成功したが、
子供を育てるのだって、商売以上に僕は命がけで取り組んだ。

「快適」に溺れる生活をしていては、これが出来ないだろう・・・・
「命がけ」をだ。
僕は、高卒でもこの「命がけ」で生きてきたので、
とっても人生に充実感があるよ。

感謝せざるを得ない。


13/10/23(水)朝 キャンプじぃじの日記

あしなが育英会から機関紙が届いた。
これの会長である 玉井 義臣 さんの寄稿が載っていた。

僕が感じている今の子育てに対する「姿勢」の問題点の答えが、
書かれてあるように思った。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」

大学の存在がいいか、悪いか、ということを言いたいのではない。
そこに通う子供の「生きる姿勢」に問題があると思う。

そこで、四年間を享楽に過ごしてしまう・・・・・

もちろん、命がけで学問を学び、スキルアップする子もいるだろう。
でも、そういう子は、全体からしたら僅かなような気がする。

これを分かり易く説明するのに、
数年前、製紙会社のドラ息子が会社の金を横領してギャンブルにふけっていた事件がある。
また人気テレビ司会者のドラ息子の事例がある。

そこまで、極端ではないだろうけど、
「気楽」「簡単」「便利」で「快適」な生活に溺れるように生きている子供は、
多かれ、少なかれ、そういうドラ息子たちと同じ「傾向」があるのではないかな?

こういう精神状態の延長線に、働くのが嫌だという「うつ」が起こりやすいだろうことは、
簡単に想像できる。

あしなが育英会の機関紙には、
「人生と格闘する生き方」という表現が載っていた。

まったく僕もそう思う。
「気楽」「簡単」「便利」で「快適」を子供に与え続けて、
「格闘」できるように育つわけがないだろうことも、
簡単に想像できるでしょう。

まったく逆だ。
「大変」「苦しい」「辛い」・・・・・
これをその子にとって「丁度いい程度」で「心を強く育てる」ことが非常に重要だ。

心理学でいう「フラストレーション耐性」を鍛えなければならない。

体の筋肉は、「運動」という負荷を与えるからこそ、強くなる。
同じだ。
「心の強さ」も「大変」「苦しい」「辛い」などによって鍛えられる。

今の「暗記偏重」の子育てには、多いに問題があるでしょう。

車のエンジンの出力には、「馬力」と「トルク」という二つのものがある。
「知識」を「馬力」と例えたら、心の強さは、「トルク」にあたる。
どちらも、これからの日本社会を生き延びていくためには、必要だ。

「馬力」だけでは、「格闘」できないひ弱な人生を子供が送ってしまうさ。

昨日、僕はお弟子さんにこう言った。
「僕の仕事の技術は、訓練すれば、よほどのことがない限り身に付けられる程度
 のものだ。
 決して芸術家レベルの才能を必要としたものではない。
 ただ、自分の仕事は、自分で開拓し、自分の顧客を握りしめなければ生き延び
 ることができない。
 つまり、「営業力」こそ命がけで取り組むべき能力になる。」

「生き延びる」、そこには本当に間違えなく「人生と格闘する生き方」が不可欠だと僕も思う。

この「生きる感覚」がないがゆえに「ブラック企業」が台頭してきたわけだ。
「自分の身は、自分で守る」ことを身に付けていたら、
子供が万一、ブラック企業に入ったとしても、
「生き延びる」ことができるだろう。

一説によると、世界のこの競争力に日本が勝っていくためには、
大なり小なり、「ブラック」化は、避けられないのだそうだ。

「会社に入れば、一生涯安泰」

こういうのは、とうに過ぎ去ったバブル経済だから言えたことで、
これからの日本社会では、
「格闘する生き方」のスキルを子供に身に付けさせるべきだと思うね。

大自然の中の厳しさを借りて、
子供に「大変」「苦しい」「辛い」体験を積み上げることがいかに重要かを分かって欲しいんだ。

そう、子育てを強く意識した「親子キャンプ」の効用がこれだ。


13/10/22(火)朝 お弟子さんの日記

 これまで幼稚園に撮影の練習として入らせて頂き、
「人間関係」をテーマに撮影練習を行ってきました。

最近では「引き画」意識して撮る機会が少しずつ増えてきております。

ちょうどブライダルのカメラマン仲間との話でも話題に上がっていた事もあり、
自分自身もその点についてもっとスキルアップしたいと考えていた矢先ということもあっただけに、
非常に興味深く学ばせて頂いているところです。

「寄り画」は「引き画」と比べ、
寄るだけで見せたいものをわかり易く伝えられ、
尚且画に力が出るので、
僕のお世話になっているブライダルの撮影現場では慣れてない人ほど「寄り画」に頼りがちになってしまい、
同じような画の繰り返しの商品(エンドロール…披露宴の最後に上映します。)になっている場面をたまに見かけます。

映像にメリハリを付けるためにも様々な構図のカットを織り交ぜる事が良いエンドロールを作るために必要不可欠です。

僕も意識して以上の事を行っておりますが、
中々「これだ!」と言える引き画のカットを撮るのは難しく、色々悩まされます。

良い画を取る為に…一番はとにかく実践でしょう。

しかし、それだけだと自分の中でしか思いつかない事しか表現出来ないのではと思います。
いろんなものに触れる事。

谷口さんも仰っておりましたが「絵画」もその一つです。

過去に美術館へ何度か足を運んだ経験はありますが、
漠然とただ見に行っただけでした。

何をやるにも同じ事が言えると思いますが、
目的意識を持つ事が大事ですよね。

様々なものを違った視点から見る事を癖付けていき、
実践でどんどん試して見ようと思います。


13/10/21(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の夜は、恒例の「日曜晩餐会」をやった。

40年来の古い友人、こいつがうつ病になったので、
僕は、関連書籍をたくさん読むことになった。

結論から言って、親の「子育て」に問題があることが分かった。
それは、
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」という子育てだった。

そいつが来てから、しばらくして最近知り合ったカメラマンも久しぶりに来た。
大家のおばぁちゃんが、「最近、来ないねぇ」と心配をしていた。

彼は、子供と遊ぼうとはしているのだけど、
子供の「個性」がかなり偏っていて、思うようにいかない様子だ。
それでも、子供との関わりを持とうとしている。

「子育てがおっくう」という父親が多い中で、
彼は、自分なりに頑張っているのだろう。

なぜ、その子の個性が、そういう状態なのか、
僕なりに推論してみてあげた。
ぜひ、専門家に相談するように勧めた。

僕も、学習障害の子をどうやって「自立」させることが出来るのか、
商売よりもはるかに命がけで子育てに取り組んだものだ。

こういういろいろなことで僕なりの結論を出した。
それが、

「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てることこそが、

子育ての本当の目標だ。

ということだ。
世の中で、「偉い」と思われる人が、これを訴えていないことが多いと思う。
それは、たぶん、おそらくだが、
その人に「子供を自立させる」意識が低いからではないだろうか。

子供が、30才を過ぎても平気で親が庇護する家族が、
あそこにも、ここにもあったりする。

僕の場合、高校を卒業した時点で、「親離れ」をして自立した。
でも、
一般的には、子供自身で自立を果たすのは、難しいものだ。

だから、シッカリと子供が自立できるように親が子供を育てるべきだ。
子供を法律に基づいて、
「20才では、成人」できるように育てるべきだ。

この「成人」を真剣に考えてみて欲しいな。
「成人」は、「自立」が前提であるべきでしょう。
これを真剣に考えて欲しい。

母親は、どうしても子供を自分の「所有物」にしてしまいやすい。

だからこそ、父親が子供の「自立」に向けて子育てをするものなんだな。

うつ病の古い友人も、こういうことで精神的な自立を果たせなかったのが根底にあったので、
それで、うつ病が悪化したものと思える。

そのカメラマンには、

「「未熟な夫」に、もうガマンしない!」

山崎 雅保 著  二見書房 刊  1400円+税

この本をよく読むように貸し出した。

「父親が成長した分、子供が育つ」

ここで言う「成長」とか「育つ」とは、心のものだ。
「未熟な夫」・・・・言い換えると「幼稚」な状態の心では、
子供の心が育ちようがないでしょう。

子供とたくさん遊ぶ事で、父親が育つものだ。

そして、子供とたくさん遊んだ思い出こそが、
僕の歳で、「心の豊かさ」になる。
これを「幸せ」と呼ぶのさ。

昨日は、強い雨の中、二人の男が来たが、
僕から何かを得られれば幸いだね。

子供の「自立」だよ、「自立」。
これをシッカリと目標に持って子育てをしよう。
「親子キャンプ」、これいいよ。


13/10/20(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日のお昼には、ばぁばと大家のおばぁちゃんと僕の三人でラーメンを食べていた。

その時に、11月10日の「芋煮会」の話題になった。
「サトイモ」の皮をどうやって子供たちに安全にむけさせられるのか・・・・

去年の今頃、僕は「さぎ山野営場」で「芋煮会」のためにサトイモの皮をむいていた。
その時に、キャンプ用の折りたたみの包丁で指を切る怪我をした。
かなり深くズバッと切った。

普通にサトイモの皮を包丁でむくと、ヌルヌルしだして、
芋が滑りやすくなる。
小さい子では、それで怪我をする確度が高くなりそうだ。

そこで、大根、にんじん、などは、普通に包丁でむいたとしても、
このサトイモだけは、どうにか工夫をしなければならない。

こういう話題になった。

この間、ラジオを聴いていて、いいことを知った。
それは、
サトイモを包丁のミネでこすげ落とすやり方だ。
これなら、表面だけを削るのでヌルヌルしない。

そこに「ごぼう」をたわしでゴシゴシ洗うことを思い出した。
それでこの間、
僕の練習で「トン汁」を作り、そのときにサトイモをたわしで擦ってみた。
とってもいい感じなのだが、一個をむくのに時間が掛かり過ぎることが分かった。

この話しを僕がしたら、
ばぁばとおばぁちゃんが揃って「芋洗い器」を用意すればいいと言う。

ナンダ? それ?

二人にそれの構造を聞き出して、
ホームセンターで材料を買って作ってみた、その「芋洗い器」なるものを。

13gのポリバケツに板を十字にクロスさせたものを入れて、
それをバケツの中でグルグルと回すことで、芋の皮がむけるのだそうだ。

その三人で昨日の夕食を囲む時には、それが出来上がって、
ばぁばとおばぁちゃんに見せた。
構造的には、OKだそうだ。

本当にむけるのかよ、これで?
でもうまくいくようなら、子供たちが面白がって作業をしそうだ。

こういう準備をしていると、
大分前にやっていたカブスカウトの活動を思い出す。
年に70日も活動をしていた。
いろいろなことをやった。
とっても面白かったなぁ・・・・・・

三人で、そのころの話題に盛り上がったさ。
僕は、ここに人生の本物の豊かさを感じるね。

僕は、思うなぁ・・・・・「快適」に溺れる生活ではなくて、
自分の子供とたくさん遊んだ思い出こそが、
僕のように隠居生活になってからの人生の豊かさになるんだがなぁ・・・・・

中国の都市部で今、PM25とか言う大気汚染が深刻でしょう。
日本でもついこの間まで「光化学スモック」が問題になった。
「快適」をみんなで追い求めるから、こうして公害が起こるのさ。

エネルギーの無駄使いは、地球温暖化を招いている。

海水温が高くなって、北のほうで熱帯魚がいたり、
秋のサンマが下りてこなかったり、
北極の氷が凄い勢いで解けそうになっていたり、

そう、台風がたくさんできたり、
また台風が来るそうだ。

キャンプ遊びで、子供に「快適ではなくても面白く生活できる」ことを教えたいね。
「芋煮会」は、さぎ山野営場でのデイキャンプになる。
寒い屋外で、子供たちがこの「芋洗い器」で盛り上がるかな?

次の世代に、「エネルギー」や「物」の無駄使いが、
地球環境を壊している事を伝えて、
「質素だけど、人生がとても豊か」な生き方を教えていきたいよね。

粗末な生活でもとっても面白い。
これを「親子キャンプ」で子供に体験させよう。


13/10/19(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、一昨日、さぎ山野営場の整備をした。

台風の影響は、思っていたほどなくて済んだ。
しかし、大量の葉っぱが落ちて、
地主さんの趣味の小さな神社、サイト、道に沿ったところ、
そこに積もっていた落ち葉を処分した。

これから、落葉の時期だ。
木の枝には、たっぷりと葉っぱの在庫がある。
それがこれから降ってくる。

また台風が来ているそうだ。
僕の末っ子は、今、自衛隊で歩兵をやっている。
災害時に一番役立っているのは、この歩兵さんたちだ。

ランクが一番低い階級の自衛官が一番役立っている。
不思議でしょう。
でもこういうことって、意外にいろいろなシーンであるものだと思う。

僕も身分は低いけど、「子育ての面白さをお父さんに伝える」ことを諦めずに、
自分で出来る限りを尽くしていきたい。
これは僕のささげ物なんだよ。
喜んで取り組むさ。

将来、やる気ムンムンのお父さんが、この「さぎ山野営場」で、
子育てのための「親子キャンプ」をするために使ってもらいたい。
それを夢見て、
セッセと整備をするさ。

自分の子供と思いっきりキャンプ遊びをしたいと思うお父さんがどこかに必ずいる。
お父さん自身で、子育てをしたいと思っている人が必ずどこかにいる。

ぜひ、そういうお父さんに、さぎ山野営場を使ってもらいたい。
そのために整備をし続ける。
僕は、さぎ山野営場の歩兵さんだ。


13/10/18(金)朝 キャンプじぃじの日記

伊豆大島でひどい被害をもたらした台風。

一瞬にして建物がなくなったばかりではなく、
人命をも奪ってしまう恐ろしい災害だった。

この自然を相手に、人の力のなんと無力なことだろうか。

神様を信じるなら、なぜ、それを防げないのか・・・・・
そんな無神論者の声がある。
僕が頼りにしている神様は、「ご利益宗教」ではない。

だから、僕をここまで、ビデオ屋をやり続けさせてくれた優しい神様であると同時に、
とても恐ろしい力を持っていると思わずにいられない方でもある。

「怖い」存在があるからこそ、自分の悪さを反省する事が出来る。
自分の弱点を見つめ直すことができる。

「快適」「簡単」「便利」な生活に溺れるように生活していると、
この「恐ろしい存在」を忘れてしまうのだろう。

そう育てられた子供は、「神様にたいしての恐れ」を意識することなく、
高慢な人になってしまうのだろう。

本当に、恐ろしいのは、その高慢な「人の心」のような気がする。

「怖い存在」

いくら頑丈な建物であっても、それで、そのときに知らないふりが出来ても、
その恐ろしい力は間違えなく存在する。
どうか、神様を無視して高慢に生きる人々をお許しください。

できるなら、この数年の間に起こったいろいろな自然災害の体験を、
この国に住む人たちの「高慢」に気付かさせるための前向きなものへと昇華させてください。

そもそも、この異常気象は、
人類の「快適」を得るためのエネルギーの無駄遣いにあることを、
この事実を一人一人の胸に刻んでください。

東京の夜を、
毎日、皓々と照らしている無駄こそが、福島の原発を作り、
その原発に関係ない人々が犠牲になった事実に目を向けさせてください。

一番恐ろしいことは、「貪欲なまでに快適を追い求める人の心」であるこを思い知らせれました。


昨日の夜、僕の四人の男の子のうち、グレて手のつけようがなかった次男坊が帰って来た。

社会的な更正に向けて生き始めることができた様子だ。
何にもなくても、
風呂のない二間のボロアパート住まいの貧乏でも、
僕は、子供の「成長」ぶりに心から感謝できるし、
本物の「幸せ」を味わうことができた。

これだけで、十分だ。

なぜ、異常気象を起こすほどに「快適」に固執するのだろうか。
「もったいない」の文化があったはずのこの国は、
どうして無駄以外になんでもない「快適」をむさぼるのだろうか。

子供を、
自然の中で生活するこで、「不便」「大変」を体験させて、
「快適ではなくても面白い」ことを身に付けさせて、
無駄な快適を追い回さないように育てよう。

「物」で幸せにはならないさ。
「物」で得られるものは、「高慢」だと思えてしょうがない。

親子でキャンプ体験をしよう。
「無駄」が次第に見えてくるさ。


13/10/17(木)朝 ビデオマンの日記

ブライダルの仕事でも、
それの「元締め」ができるようなら、商売としてやっていけるだろう。

しかし、それのギャラ仕事では、いつまで経っても食っていくことはできない。
その仕事を「取る」・・・・つまりそのギャラ仕事の「営業」は、簡単だろうけど、
それで生計を立てることは、まず出来ない。

このことは、お弟子さんに初めから言ってあるのだが、
聞こえていない様子だ。

いくら経っても生活を改善できないのは、
生活出来そうもない仕事をしているということに、気付かないんだな。
ブライダルのギャラ仕事は、昔から「ブラック」に近いものだ。

もっと、現実的な「収益」を探して実行する「能力」が欲しいところだ。
ビデオに関係がなくても、もっと「収益」を実行しなければならないだろう。
これに気付かない様子だ。

これは、これから商売をしていく上で、
非常に重要なことだ・・・・「収益」。

幼稚園を相手にした商売でも、
売り上がるところと、そうではないところとある。

売れもしないところを相手にしても、「くたびれ儲け」になるだけだ。
これを身に付けなければ、生き延びることが出来ないでしょう。
プロデュースの能力。 これが「商売」だ。

その上で、よりよい物を作ろうという「創作力」が問われる。

「初めに営業ありき」

よく売り上がる顧客を獲得するためには、
それ相当の作戦と努力が必要になる。
簡単にギャラ仕事がもらえる気楽な「営業」では、ともかく食っていけない。

商売人としてまだ「未熟」だから、生活費を稼ぎ出せないわけだ。
早くこのことに気付いた分、早く商売を立ち上げることが出来る。

このことは、多くの今の若い人たちに言えることだろう。
「もらえるのを待っている」仕事では、いつまでも生活は苦しいものだ。
そういう受身の「生きる感覚」だから「ブラック企業」に引っ掛る。

「ブラック企業」の台頭は、弱々しい「生きる感覚」に育てられた人が多いから問題になってきたのさ。

サラリーマンではなく「商売人」を目指すのだから、

「仕事をもぎ取ってくる」感覚が必要だ。

仕事を
受身で頂くのではなく、能動的に勝ち取っていくという「生きる感覚」が欲しいね。

そうだなぁ・・・・「商売は、狩り」なんだよ。
いい絵を撮るのも「狩り」だ。

狩人になれるかどうか・・・・・
ライオンをよく見ればいい。
親ライオンに子ライオンが「狩り」を教わって生き延びられるようになるでしょう。

つまり、ここさ、「自立」するためには、
この現実社会で「自分の仕事を狩り」できるように成長することさ。

そこに不可欠なのは、「生き延びよう」という強い意志と、
ハングリー精神だ。

今の子供たちは、あまりに「快適」に溺れて育っているので、
これが身に付かない・・・・

それで、うつ病が多くなったと、僕には思える。

「生き延びよう」と「ハングリー精神」だ。

不便で、大変で、辛いこともある生活。
これが子供の心を強く育てる。

そうさ、子育てを強く意識した「親子キャンプ」のことだ。


13/10/16(水)朝 お弟子さんの日記

運動会のシーズンが過ぎ、
これからは発表会のシーズンへと入っていくというところですが、
専門学校とブライダルの現場でしか経験のない僕にとって扱ったことのない機材が一つずつ増えてきております。

やっていることは着々と移り変わっているのに、
スキルはというとまだまだついていけないのが現状。

谷口さんに何度も言われておりますが、
やらない理由はいくらでもあるわけで、
もっと自分のケツを叩いていかなければいけません。

仕事をする上で必ず期日がつきまとうものだと思います。
いくつもの期日が重なる時もあると思います。
しかし、その都合はあくまでも自分の問題であり、
相手(取引先など)には一切関係のないことです。

受けた以上は期日に間に合わせる。
その為に仕事を受ける・行っていく際の調整も仕事のうちといえるでしょう。

プロになるのは本当に難しい。
でもアマチュアレベルで終わりたくない気持ちが強い。
だからやるしかない!

とりあえず、やってやってやりまくる。それだけです。


13/10/15(火)朝 復活サイクリストの日記

前回、養老渓谷へ輪行したときには、
それが、ばぁばにバレないよう、うまくやったつもりだった。
完全犯行が成立したと思った。

しかし、隣に住むおばぁちゃんのルートで、ばぁばにバレてしまった。
ばぁばは、音声こそ出さなかったものの、
顔には、「あたしは働いてんのに、一人で遊んでる」という気持ちがにじみ出ていた。
おぉ、いやだ。

それで今回は、根回しをしておいた。

この間の土曜の夜には、「富ふじ」という店で食べた。
「親子で工作」の打ち上げをばぁばと二人でしたのだが、
奮発して、カニを注文した。

僕がそれのミソをつつきながら冷酒をチビチビやっているうちに、
ばぁばが身を全部食べてしまった。
でも、それが目当て・・・・ドッコイショをした。

次の日の日曜日の恒例晩餐会では、
ばぁばがボランティアで疲れたと言うので、
お寿司のテイクアウトを買ってきて、それで済ませた。
二重のドッコイショだ。

それで、昨日は堂々と朝早く輪行に出ることができた。

前回、養老渓谷のロケハンでは、
電車での移動に時間が掛かり過ぎることが分かったので、
朝5時半には出発して、
帰着は、夕方6時ごろと、ばぁばに堂々と告げて出かけたわけだ。

これで、前回より3時間を余計に現場で使える。
このために、僕は、随分と投資をした。
工夫って、こういうふうにするものなんだな。

さて、JR「五井駅」まで輪行して、そこで自転車を組み、
いざ、「大多喜」を目指して出発!

前回は、国道を走ったが、昨日は、「小湊鉄道」に沿った道を行く。
国道より断然、面白い。
線路に沿って、小川の土手を走ったり、農道を走った。

それを今回、本番なので、デジカメでバシバシと景色をもぎ取った。

途中から「養老川」に出くわす。
今度は、それの土手を走る。
これもデジカメでガンガンと撮る。

そうしているうちに、「牛久」を過ぎた。
国道を走っていなかったので、いつの間にか通り過ぎていた。

次のご馳走は、「高滝ダム」だ。

そこの周りをグルッと一周してみた。
期待したほど大きくはなかったけど、今回のツーリングにアクセントのある絵をデジカメに収めた。

そこからは、前回同様、県道81号線を走った。
千葉県は、小さなアップ・ダウンがいっぱいある。
ここもそうだった。

登り坂は、もう歳なのでローギャーで、ひ〜ひ〜言いながら、
でも、下り坂は、思いっきりダウンヒルを楽しんだ。
風を突っ切って走る。 快感だ。

そうしている内に、「養老渓谷」に着く。

前回、ここをスルーしたが、昨日は、朱赤の橋に自転車を担ぎあげて、
それを題材に、写真を撮った。
まるで僕の自転車がモデルにでもなったかように、
アングルを変えて何カットも撮った。

それから、渓谷にある遊歩道を行く。
自転車を肩に担いで、歩いて行く。
僕は、こういうことのために、
マウンテンバイク用のシューズを履いている。

シャッターを切りまくった。

そこの遊歩道を歩き終わって、お弁当を広げた。
「五井駅」で買った駅弁だ。 チラシ寿司。
旅情タップリでしょう。
これも写真に収めた。

そこから、今回は「大多喜城」を目指した。
タイムリミットが近付いてきていたので、わき目もふらずそこを目指す。
途中、ミスコースをして「大多喜城 ゴルフクラブ」に迷い込んだ。

この間のロケハンで、帰りの電車、違う、ディーゼル車が出発するのは、
14時30分であることを調べておいていた。

それの40分前にその城に着いた。
速攻で写真を撮って、急いで「大多喜駅」に向かう。

セーフ!
僕は、電車にはあまり興味がない。

でも、
前回、「にしはた駅」で出会った、その路線の職員に、
しきりに「レトロ車輌」が走っていることを僕に宣伝をして、
その運行表までくれた。

それで気にはしていた。
まったく偶然だが、そのレトロ車輌が駅に到着した。
僕は、いすみ鉄道のそれに乗ることが出来た。

そこら中で「鉄ちゃん」がカメラでその車輌をゲットしていた。

僕も、チャッカリ撮れてしまった。

車内を見回すと、乗車記念のグッズを売っていた。
それをバックに自転車の輪行袋を撮る。
ついでに、それを買った。
キーホルダーとコースターを買った。

そして、何気なく車内の広告を眺めていたら・・・・・

SONY のブラウン管のカラーテレビの広告を見つけた。
僕は、ビデオ屋のせいか、こういうものを無意識で見ているようだ。

それにしても、もうブラウン管は、生産していないはずなのに、
冗談で、SONY がそれを売り出したのか?

SONY がそこまで遊び心があるのなら、
スマホで負けるはずがないのに・・・・
なぜ?

記念品を買ったついでに、職員に尋ねてみた。
彼曰く「社長の趣味」で、昔の広告を吊り下げているんだそうだ!
滅茶苦茶、面白い社長だな。

もちろん、それをカメラでゲットした。
そして、昨日撮りたての写真をスライドショーにしてDVDを作ったが、
そこに、
その広告に「ん十年前の広告。 社長の趣味だそうだ」とテロップを入れた。

この馬鹿げた話しは、まだ続く。

今朝、昨日読めなかった読売の朝刊に目を通していたら、
ナ、ナント、
その社長が載っていた。 p.7経済面に出ている。

やっぱり相当の変わり者のようだ。

日本人でも、こんな「夢追い人」がいたんだ!

こういう元気のいい人が多ければ、多いほど、日本が明るくなる!

日本は、「高度成長期」から「成熟型社会」に移行している。

こういう社会を明るくするのは、こういう人だ!

「冗談」「ユーモア」「やんちゃ」

こういう人生のデザインを実行する人材こそが、日本を明るくする。

今回のツーリングは、自転車以外の刺激が強烈だったな。
生きているのは、なんて、面白いのでしょうか。

自分の人生を堂々とデザインする人を育てなければならない。
僕は、意を新たに決心したな。

「親子で工作」「親子キャンプ」だ!!


13/10/14(月)朝 復活サイクリストの日記

今、朝の5時10分。

これからサイクリングをしに行く。
目的地は、「養老渓谷」だ。

そう、この間のは、ロケハンね。
今日は、デジカメで景色をゲットして、
またもう一本、スライドショーを作る。

そういうことでお終い。


13/10/13(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

10月12日(土) 「親子で工作」のボランティア活動実施

子供の数で15名の親子が参加をしてくれた。
大入り満員。

一番最初に来たお父さんと息子が印象深い。
午前中に来た。
それで、ゆっくりと対応する事ができた。

竹とんぼを作りたいというので、
適当な竹を取り上げて、ここからここまでをノコギリで切る、
と説明をしたところで、
親子で「おぉ、そこから作るんだ」と驚きのリアクション。

お父さんの顔は、スッカリ腕白坊主になっていた。

それで、ナタを出して、その切った竹を割る説明でも、
親子揃って「おぉ、すごい」と感動してくれる。
続いて「ナタなんて初めてだ」と親子で喜んでいる。

この親子に、さぎ山野営場でチェーンソーを持たせて、
木を倒させたら、飛び上がって喜ぶだろうな、きっと。

その嬉しそうな親子の顔を見て、僕の方がもっと嬉しくなった。
今朝、起き掛けにその親子の顔を思い出して、
とっても僕は、幸せな気分だ。

それで思い出した。
あの嬉しそうな顔・・・・・・・・

随分と前、僕は、自分の子のあの嬉しそうな顔を見たさに、
たくさん、フィールドへ遊びに子供を連れて行っていた。

いつだったか、長男がまだ小学校三年生ぐらいの頃、
次男は、一年生、三男は、まだ就学前、
末っ子は、この世にまだいなかった頃・・・・・・

砂浜で、僕は、三人の息子を相手に「アブラハム体操」を踊っていた。
その時だ。
三番目の子が、あまりに嬉しくて、砂浜で転んだ。

転んでもその子が手足をバタバタやって踊り続けたものだから、
その子の口の中に砂が入った。

それでも、転んだまま踊り続けていたことがあった。
よっぽども嬉しかったんだろうな、そのことを思い出した。

子供の喜んだ顔を見るのは、幸せそのものだった。
それが昨日の嬉しそうな顔の親子にオーバーラップした。

その後、たくさんの親子が来て、
結構、昨日はお父さんも来ていた。
てんやわんやの忙しさになったが、
嬉しそうな親子の顔を見たさに、頑張ったよ。

あっちで、「竹とんぼ」、こっちで「箸」、そっちで「やじろべい」、
ごっちゃにいろいろなものを作っている中、
手間の掛かる「枝笛」も二組の親子が作り出す。
「ペットボトル風車」も作る親子がいた。

作り終わった親子に、「木のメダル」で子供を表彰させて、
上記のキャンプの本、「家族・親子 アウトドアー・キャンプ入門」
を紹介するカードを渡して、これからも親子でたくさん遊んで下さいと締めくくった。

昨日の夜、ばぁばと二人で打ち上げをしたときに、
その愉快なシーンを一つ一つ思い出しながら、酒のつまみにした。

とってもいい老後を楽しんでるさ。


13/10/12(土)朝 キャンプじぃじの日記


本日、

「親子で工作」 

を戸田市の道満グリーンパークで実施

します!



13/10/11(金)キャンプじぃじの日記

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

これは、僕が掲げたボランティア活動の理念だ。

このために、この間、幼稚園の園庭を借りて「流しそうめん」を実施した。
そして、このHP別項 「キャンプじぃじの子育て論」 を書き上げた。

その「流しそうめん」に参加をしてくださったお父さんたちに、
そこを読んでもらえるようにアンケートでお願いをした。

「男は働いているのだから子育ては母親に任せればいい」

僕もそう思ってしまった時があったが、それで子供がグレたので反省をした。
そこで、

「自立をした一人の大人の社会人」

に子供を育てるのが、本当の「子育て」であって、そこには父親の役割がある。
と僕は考えるようになって、これを訴えだしたわけだ。

具体的にどう父親が子育てをすればいいのか・・・・・

その一つの具体例が、

「家族・親子 アウトドアー・キャンプ入門」

赤井 健一 監修  1,480円+税

要するに子供とたくさん遊べばいいんだよ!
ただ、そこに「子供を育てる」という意識があればいいのさ。
目的をハッキリ「子育て」に強く意識して、「親子でキャンプ」を実行すればいい。

この間、読んだ本、

「「未熟な夫」に、もうガマンしない!」

山崎 雅保 著  二見書房 刊  1400円+税

に、こうあった。
それは、男の子でも調理などを教えて、家庭内の雑事を出来るようにして、
「自立」に向けて育てようと訴えている。

「キャンプ」は、生活そのものだから、
子供が大きくなっていくにしたがって、
「調理」「洗濯」生活空間である「タープやテントの設営、撤収」を子供に身に付けさせられる。

遊びながら、その本が訴えている「雑事」を子供に教えることが出来る。

ちなみに、そのキャンプの本の内容は、子供が小学校四年生ぐらいまでだ。
それ以上の年齢では、子供にとって刺激が少なくなる。

小学校高学年からは、僕が作った「親子キャンプ」のDVDの内容がワイルドでいいさ。
(中身は、ボーイスカウトのパクリだ)

さて、なぜ父親が子育てに関わらないのだろうか?
その本には、ズバリこう指摘している。

「子育てがおっくう」

それより、父親の趣味、酒、家や車といった消費、う○き、などなどに興味がある。
僕の耳にも非常に痛いよ、この指摘。

たしかにそうだ。
その結果、僕の場合、四人の男の子の内、上二人がグレた。
若いお父さん、子育てを自分でシッカリとやらないと、後でこうして痛い思いをするよ。

子供の育ち具合

シッカリ父親自身で子育てをしないと、
このことで非常に悲しい思いをするのは、父親自身だよ。

それだけではない。

この本によると、
熟年離婚、定年退職離婚、こういう札を母親が父親に突き付けるリスクが増えるそうだ。
カウンセラーが言っているのだから間違えないさ。

「子育てに興味がある父親」

この本で分かったことは、子育てに興味がない父親の方が圧倒的に多いのだそうだ。

たしかに、このことは僕も痛感する。

ブータン王国に住む父親は、揃ってこう言うという。

「夕方、家族との団欒を楽しめないのは、不幸だ」

「ブータン、これでいいのだ」
御手洗 瑞子 著 新潮社 刊 1400円+税

ブータン王国では、必然的に父親と子供との交流が毎日あって、
それが本当の幸せであることを知っているのさ。

ここ日本では・・・・
「物」「物」「物」・・・・・
このことのために、自分の消費のために、日本人の男はこう言い続けている。
「男は働いているのだから、子育ては女がすればいい」

「子育てがおっくう」
ではないさ、本当は面白いものなんだよ。
本当の幸せがそこにあるんだよ。

ブータン王国は、仏教国だ。
たぶん、
「煩悩(欲望)があるので、四苦八苦して不幸になる」
これを教わって、代々語り継がれているのだろうな、きっと。

さて、明日、「親子で工作」

のボランティア活動を戸田市の道満グリーンパークで実施予定です。
「子育ての面白さをお父さんに伝える」
ことを目指した活動です。
ぜひ、お越し下さい。


13/10/10(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

僕が脱サラをして今の仕事を目指し始めてから、
正確には、29年経った。

「卒業ビデオアルバム」を商品化できてからは、今年で23年。
初期の頃は、ギャラ仕事で食いつないだものだが、
自分の顧客を営業開拓して、
それで、安定した個人事業を経営する事ができるようになった。

「営業」ができないカメラマンは、いつまで経ってもギャラ仕事で、
極めて不安定な収入の人が多い。
そして、僕が出会ったカメラマンは、そのほとんどが営業できないでいた。


個人事業でも「経営センス」が問われる。
当たり前だ、商売なのだから。

僕が今の商売を始めたころに、
誘われて、商工会議所の「販売士2級」を学びに行ったことがある。

そこで、「理念」「戦略」「戦術」を教わった。

そして、それの使い分けと実践をしたからこそ、
「ギャラ仕事」から顧客をつかみ取り、商売の継続ができるようになった。

また、同じく初期の頃、ある企業の「自己啓発セミナー」を受けた。
「必死」「命がけ」「無我夢中」で取り組む「生きる姿勢」をそこで学んだ。
それで、商売を継続する事ができるようになった。

学校教育は、その基本が知識教育だ。
経済の大学や専門学校なら、これらを学べるはずだが、
意外にこうした事業についての生きたノウハウを学べないことが多い。
と、言うか、身に付かないことが多い。

何かへんだけどね。
なぜでしょうか?
たぶん、学習者が、切羽詰った状態ではないからだと思う。

僕は、触り程度でしかなかったけど、それらを真剣に学んだ。
「理念」「戦略」「戦術」の使い分けと実行。
そして「命がけで取り組む姿勢」をだ。

余談だが、
そのセミナーを受けていたので、後にカブスカウトの活動で、
駅前での募金活動では、
子供達にデカイ声を出させて、効果を出したことがある。

こういうことで、機材や、たいしたことのない「ウデ」で飯が食えると思っている間は、
決して本物のプロには、なれないことを僕は熟知しているわけだ。

同業者の集いでも、初期の頃は「営業」に力を入れて会合を重ねていたが、
いつの間にやら、
「機材」「たいしたことのないウデ」に傾斜してしまった。

しかも、その会はすでに「理念」が不在だ。
それで平気な自称プロたちが集まっている。
客観的に、もう末期症状だが、そこをどう乗り越えられるのだろうか・・・・・

基本にそって、「理念」の再構築、「戦略」の練り直しが不可欠だが、
彼らが気付くかどうか・・・・・

面白いから見てみようと思う。


13/10/9(水)朝 復活サイクリストの日記

一昨日に、やっとサイクリングができた。
先週は、ひどい二日酔いでツーリングのチャンスを逃してしまった。

新しい地図帳を買って、目標を定めていたが、
やっと、一昨日に実行できた。

今回の目標は、「養老渓谷」だ。
これは千葉県にあるところのものだ。

朝、JR「越谷レイクタウン駅」から、JR「五井駅」まで輪行をする。
「五井駅」で自転車を組み、そこからツーリングを始めた。

国道R-297の一般道で走る。
今回は、土手を初めから諦めた。
時間的にノンビリしていられないからだ。

クランクのところに前のギャーがあるが、
外側を「アウター」と呼び、スピードが出る。
内側は「インナー」と言って、スピードは出ないがトルクが出る。

普段、土手を走るのは、全部、インナーを使う。
砂利道では、そもそもスピードを出せない。
車輪が埋まるんじゃないかというほどのブッシュでは、
最も軽いギャーにしても、すごい抵抗があったりする。

でも、一昨日は、一般道を走っていたので「アウター」を使った。
ロードの本来の走りを楽しむことが出来た。

だんだんと街から田舎道にかわっていく。
次第にアップ・ダウンがでてきて、車の往来が少なくなる。

もう、歳なので上り坂は、ローギャーで、ヒ〜ヒ〜言いながらよじ登る。
下り坂は、ロードらしくダウンヒルを楽しむ。
そこに、コーナーリングが加わって、絶好調だ。

涙で前が見えなくなるほどではないけど、
一粒、二粒、ぐらいの涙は出た。

そうこうしているうちに、
「牛久」に着く。
これは、茨城県にもある地名だ。 一昨日は、千葉県のところ。

そこから、県道R-81 を走る。
「清澄養老ライン」という名前がついている。
これを行くとすぐ「高滝ダム」「高滝湖」に着く。

とっても美しいところで、ここだけをサイクリングをしても面白そうだ。
目標の「養老渓谷」より、ダイナミックに思う。

一昨日は、県道R-81 より別れて、この「高滝湖」に沿った道を走った。
ツーリングの楽しさをタップリ味わえた。

そこを過ぎて、県道R-81 に戻って走る。
山道をグニャグニャと走っているうちに目的地「養老渓谷」に着いた。
ここは、もう何回も来ているので、スンナリと通過する。

養老川に沿って走っていくうちに、国道R-465 に出る。
ここを左折して線路のある方へ向かう。

「にしはた駅」に着いた。
位置確認をするために、その駅のホームを見る。
当然のことながら無人駅なので、
そのままホームに出て、看板を確認した。

そこに、軽トラックで、その路線の職員の方が来た。
僕の自転車を見て、しきりに写真を撮るなら、
レトロ車輌が平日、走っているからと言って、それの運行表をくれた。

聞いてもいなかったのだけど、
それから、彼は、いろいろとこの路線について語りだした。

それで分かったのだけど、
「五井」から「大原」までを結ぶこの路線は、
途中で名前が変わる。

「五井」側を「小湊鉄道」という会社が、
「大原」側は、「いすみ鉄道」が運営しているそうだ。
それでその境目が隣の駅「かずさなかの駅」になるということを教えてもらった。

その職員は、いくらでも話しをしそうだったので、
キリのいいところで、挨拶をしてサドルにまたがった。

今回の最終地点「大多喜」に着いた。
僕は、初めてこの街を通過するのではなく、観光をした。
この街、自称「小江戸」なんだそうだ。

なんでも「大河ドラマ」のロケ地になったらしく、それを観光資源にしていた。
「大多喜駅」に向かう途中、「大多喜城」の天守閣が見えた。
いつか、これを目当てに来ても面白そう。

どうやら、「小湊鉄道」は、「養老渓谷」を、
「いすみ鉄道」は、この小江戸「大多喜」が観光資源として、
お互いに譲り合うことなく存続しているらしい。

今回の一番の目当ては、この二つの路線で走っている「ディーゼル車」に乗ることだった。

僕は初めてこれに乗った。
「大多喜駅」で自転車を輪行袋に詰め込んで、それに乗った。
よく「ガタゴト」と走るという具合に擬音を表現するけど、
本当に「ガタゴト」という音を立てながら、たった一両のディーゼル車が、
養老川を串で刺すように走って行く。

期待したとおりの面白い景色だった。

聞いていた通り、「かずさなかの駅」で乗り換えた。
相互乗り入れは、絶対にしないという雰囲気だった。

後は、JRに乗り継いで帰った。
ばぁばが帰ってくる時間より、僅かに早く帰還。

ばぁばより遅かったら大変だ。
こう言うに決まっている。
「あたしは、働いてんのに、一人で勝手に遊んでんだから・・・」
おぉ、嫌だ、このフレーズ!

間一髪、このセリフを聞かずに済んだ。
めだたし、めでたし。

走行距離は、60`でした。


13/10/8(火)朝 お弟子さんの日記

 先週末は幼稚園の運動会にて、実際に撮影をさせて頂きました。

勿論、僕の撮ったものが商品になるわけではなく、
練習の為に入らせて頂きました。

率直な感想を述べますと、「初めて過ぎて何がなんだかわからなかった・・・。」といったところです。

ブライダルの撮影と違いカメラを回す時間が異常に長く、
腕がカメラの重さに耐え切れなくなるのではと思う場面が多々ありました。
これも慣れれば多少はましになるのか?

それとも腕力の問題なのか?
とにかく想像以上にハードであります。

運動会に関しては今年は終わってしまうということなので来年まで実践に入ることが出来なくなります。
運動会に関してはとにかく過去の映像を見て勉強あるのみ・・・来年に備えます。

今後は発表会がメインとなる季節、
また違った撮影手法になるというお話です。

とにかく、覚えることがどんどん増えております。
谷口さんにも話をされましたが、
確かに今のペースではやる事一つ一つが中途半端で終わってしまう一方、
何かを変えなければいけない状況なのだと自分でも感じております。

生活の事ばかりが頭の中を埋め尽くしていて、
何が本当に自分にプラスなのかがわかっているようでそうでない状況、
本当の目的以外の事に追われてしまっている現状を変えなければいけません。

一旦整理します。

以前勤めていた会社の社長が言っていた言葉ですが、
「現状維持は悪」悪と言うとイメージが悪すぎますが、
確かにその通りだと思った言葉です。

現状維持=成長のストップ、今の生活を崩したくないという気持ちがマイナスの方向として自分の行動・考えに反映してしまっていたのではと思います。

心機一転というわけではありませんが、初心を思い返し、軌道修正致します。


13/10/7(月)朝 キャンプじぃじの日記

「「未熟な夫」に、もうガマンしない!」
山崎 雅保 著  二見書房 刊  1400円+税

この著者は、結構メディアでの露出が高いそうだ。
カウンセリングを本業としているらしい。
そのカウンセリングの仕事をとおして、問題点を指摘している。

カウンセリングに訪れる人のほとんどが、「母親」だそうだ。

カウンセリングを受ける動機のほとんどが「子育て」について。

つまり、母親が抱える最も大きな問題は、「父親が子育てをしない」、
ということになりそうだ。
これは、
僕もまったく同じことを強く感じる。

いかに父親に「子育て」に関われるようになれるか啓蒙するより、
「子育て」に強く感心のある父親を探して、
そのお父さんにどうしたら

「自立をした一人の大人の社会人」

に子供を具体的に育てられるかを伝えることの方が現実的だと、
僕は、つい最近考えるようになった。
これは、方法として正解のようだ。

そして、「子育てに感心のある父親」は、
僕が感じるのは、どうやら5%ぐらいらしい。
かなり少ないらしいことをこの本で確認できた。

この著者も、「子育てをすることで父親として育つ」
ということを訴えている。
まったく僕も同感だ。

そして、「子育てに関わらない未熟な父親」と手厳しく訴えている。
これは、
この本は、「母親」に向けたものだから、
母親の同感を得るためのフレーズにも思えるが、本質を突いていると思う。

なぜなら、僕は、ここの書き込みに、
「成長がないがゆえに、幼稚」と何回も書き込んでいるけど、
意味としては、まったくこの本の著者と同じことを僕は言っているからだ。

「ヒト」は、子育ての体験をとおして「大人」に成長できるもの、
これは、真実だ。

若いお父さんにとって、やるせない本だな。
間違っても読まないでしょう。
だから、ここでこのことを真摯に受け止めてみようか。

日本の子供が「自立」できない、
または「自立」を無視した子育て、
なのは、「父親」が子育てをしないことに関係をしている。

どうしても母親は、子供を自分の「所有物」にしてしまうから、
子供を「自立」させられるのは、
そう、若いお父さんの仕事なのさ。

「子育ては、ある一線を越すと快感になる」

と、言った哲学者がいる。
この「一線」を越せない父親ではなく、
実行をしてみよう! 自分で子育てをしてみよう!
さぁ、やろう! 「親子でキャンプ」だ!


13/10/6(日)朝 キャンプじぃじの日記

機関銃のように台風がやってきている。
モンスター・ペアレントは、誰に文句を言うのだろうか?

ショッキングなタイトルの本を昨日、買った。
「「未熟な夫」に、もうガマンしない!」
山崎 雅保 著  二見書房 刊  1400円+税

これから読むのだけど、冒頭、豊かな消費を追い続けるなとでてきた。
僕もここの書き込みに、
「消費」「ではなく「成長」を求めようと訴え続けている。

非常に共通点があるように感じる。

僕が感じているように、
「消費」で頭がいっぱいの人は、「成長」が止まるというのだろうか?

その結果として「未熟」、つまり「幼稚な大人」になるという図式が、
僕以外でも訴えているのだろうか?

この著者は、この物質主義になったこの日本社会をどういう視点で見ているのだろうか?
興味津々だ。

僕は今、「子供の心の成長」には、「父親の成長」が深く関わっていると、
考えるようになった。
それで僕の興味は、「子供」から「父親」へとシフトした。

結局その「父親」は、それを育てた「親」の影響を受けているわけだ。
なんだか、頭の中で回路がショートして火を噴きそう・・・・・

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

僕には、こう思えてしょうがない。
子供には、「貧乏でも幸せ」に生きられるように育てれば、いいんじゃないのかな。

「幸せは、それを感じ取る能力の問題」

「貧乏で幸せ」、そうブータン王国の人々の幸福感を子供に身に付けさせたい。

モンスター・ペアレントは、早晩、パートナーや自分の子供に
「クレームの嵐」を浴びさせるのでしょう。
これが不幸さ。
幼稚園に行くと多くなったね、こういう人。

「物」で「快適」が当たり前の消費生活、それに溺れるように生きている人。
まったく我慢ができない人。 自己中心。
「物」「物」「物」の人生。

パソコンでも、スマートフォンでも、新しい物をドンドンと買い換えていく。
そういう風潮の中、
僕は、未だにPCのOSは、XPだ。

今日の朝刊によると、僕と同じXPを使われているのが、20万台もあるそうだ。
PCでも道具を丁寧に長くこれだけ使い続けられている。

ということは、
「物」ではなく「子供」に強い関心があるお父さんが必ずいる。
少なく見えるだけで、きっとどこかに「子供の心を強く育てる」ことに関心がある父親がいる。

どうやって、そういう心ある若いお父さんを見つけ出すことができるのだろうか?
僕の目標が最近、ハッキリと見えてきた。


13/10/5(土)朝 キャンプじぃじの日記

雨が降ってしまった。

今日は、二件の運動会を撮る予定だった。
一件は、延期をしたが、
もう一件は、体育館で雨天決行だ。

今日は、ここでお弟子さんに運動会の撮影を体験させる。

僕の今の仕事のガイダンスを本にしたての初期には、
本が出来たてのホヤホヤだったこともあって、
その本を授業のように使って教えていた。

要するに「知識教育」にしてしまった。

その反省で、今は、まず「体験」ありきで教えている。
そして、その注意点が本のどこにあるのかを教えるようにしてみている。

その効果がどの程度なのか、これから分かる。
さて、そういうことで、いざ、出発。


13/10/4(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、ひどい二日酔いで一日寝ていた。
あんなに天気が良かったのに、サイクリングのチャンスを思いっきり逃した。

僕は、ナビを持っていない。
持ちたくもない。
だって、土手の上を走るのが大好きだからだ。
あぜ道を走るのが面白いからだ。

アナログチックに地図で「迷う」ことをサイクリングで楽しむ。
まったく想像し得ない何かがあったりする。

「合理的に目的地に着く」

このことに関しては、ナビがあったほうが正確だ。
しかし、あまりに便利すぎて、
それに慣れると「迷う」ことを克服する事ができなくなる。

ここ、非常に盲点でしょう。

僕の人生は、「間違え」だらけだった。
「失敗」だらけだった。

この「間違え」や「失敗」を乗り越えるところに「工夫」を身に付けることができたということを僕はよく知っている。

逆に「間違え」や「失敗」の体験が少ない人は、
この「工夫」を編み出す能力が低いだろうと思える。

そういうことで、僕は、自分の子育ての「親子キャンプ」では、
テーブルや椅子、テント、可能な限り竹とロープで作った。
それらを子供達にも作らさせた。

目当ては「工夫をする能力を高める」ことにあった。

それで、豪華なキャンプ用品を使わないようにした。

こういうことで、ナビや豪華なキャンプ用品は、なくて済んだ。
というより、「便利」なものは、あればあるほど「工夫」を学べなくなる。

これは、僕の仕事に対する態度でも同じだ。
「卒業ビデオアルバム」制作において、「特殊効果」は、基本的に使わない。
これをお弟子さんにも教えている。

「特殊効果」で「編集」したつもりでいると、
本質的な「絵作り」が下手くそになるからだ。
「絵」のデザイン能力が育たない。

これらの延長線でこういうことが言える。

「失敗しないように子育てをすることが、一番失敗しやすい」

普段から、子供に小さな失敗体験をさせることの重要性を親が把握できていないと、
これをやりやすくなる・・・・子供の塾漬け・・・・・
こういうことだ。

子供には、「適度」な「失敗体験」があることで「工夫」の能力が高くなる。
このことを親子キャンプで父親が実践できたら、
強い心の子が育つということが分かるでしょう。

僕は、そうして障害のある子を自立させたんだよ。


13/10/3(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

僕は、「卒業ビデオアルバム制作」というこの仕事のガイダンスを本にした。

もう17年も前のことだ。
取引先の幼稚園で、輪転機を借りて徹夜で作った。
p.130の手作りだ。

今、お弟子さんにこの本にそって教えているが、
この本の初期に教えていた人がいる。

僕は、この仕事の初期の頃、まだ自分の顧客がない頃、
都内の写真屋さんに勤めていたことがある。
写真での「卒業アルバム」を作る会社だった。

その時は、僕は29才だったそうだ。
そして、そのときに大学を卒業してその会社に就職してきた若者がいた。
その時、彼は、22才。

昨日、ソイツと呑んだ。
もうじき50才になってしまうそうだ。
彼こそが、僕のガイダンスで学んだ最初の一人だ。

昔話で愉快に呑んだ。
どうやって帰って来たのか、まったく分からない。
今朝、目が覚めたらもうすでに僕のばぁばは仕事に出かけたあとだった。

その昔、若者だったそのカメラマンに会うのは、
目的があった。

彼は、幼稚園のお泊まり保育の企画を立てているところと取引をしていて、
未だにそこのところのビデオ撮影をやっている。

僕は、自分の顧客を営業して開拓し、自分の顧客で飯を食ってきた。
それで、そことの取引は辞めたが、その後を引き継いでいた。

ずいぶんと件数は減ったらしいが、それでも夏のお泊まり保育のシーズンには、
10件ぐらいを撮っているらしい。 これの元締めをしている。

お弟子さんに来年の夏の幼稚園のお泊まり保育の撮影の実体験をさせるために、
適当なところを撮らさせて欲しいという僕からの依頼だった。

いろいろな幼稚園の名前がでてきた。
昔、僕が撮ったところばかりだ。
そう、僕はその当時、一夏に10件の幼稚園のお泊まり保育を撮っていた。
懐かしい。

その内の一ヶ園を僕のお弟子さんのために撮らさせてもらうことになった。
もちろん、僕は無償でその現場のディレクターをやる。
そこの園長先生は、よく知っている。

実は、今、取引をしている幼稚園の競合相手の幼稚園だ。
それで、普段は会うことができないが、
その昔、散々お世話になった。

来年の夏には、菓子折りを持って、その園長先生にお世話になった感謝を伝えようと思う。
心からの感謝を伝えたい。
なんだか、僕は、天国行きが本当に近付いてきた感じがする。

面白い人生だったなぁ・・・・


13/10/2(水)朝 キャンプじぃじの日記

僕には、四人の男の子がいる。

みんな頭が悪い。
こういう子たちを自立させて、自分の力でこれから生き残れるように育てるのは、
商売を立ち上げるよりはるかに難しかった。

本当に難しかった。

四人の子のうち、上二人はグレた。
ここから僕の「命がけ」の子育てが始まる。
それまでは、ここ日本の風習通りに子供に接していた。

「男は、稼いでいるのだから、子育ては女がやればいい」

とんでもない間違えを僕もしていた。

子育ての目標は、

「自立をした一人の大人の社会人」

に子供を育てることにある。

特に父親は、「子供の自立」についての子育ての要を背負うものだ。
これは、母親が非常に苦手な教育だからだ。

僕は、上二人がグレたので、下二人は、この「自立」に向けて必死に子育てをした。
頭が悪いのは、しょうがない。
それより「自立」を強く意識して、
「親子キャンプ」という遊びをとおして、子供を自立に向けて育てた。

下二人は、「反抗期」のバネのようなエネルギーで僕から、子供自ら自立をしていった。
僕は、日本舞踊の「親子連獅子」の舞を参考に、
「かわいい子には、旅をさせろ」という格言を実践した。
(ここで言う「旅」とは、卒業旅行のような浮ついたものではなく、
                子供が死んでも不思議ではない旅のことだ)

それで、僕は今、あまりに退屈な人生になってしまった。
サイクリング三昧の人生になった。
今日も雨かよ・・・・・自転車に乗れない。

一昨日の朝、
僕は、長男が帰って来た夢を見ていた。
年に何回か、これを夢見る。

僕の深層心理で、長男を育てることが上手にできなかったことが、
いかに「心の痛手」になっているのかが分かる。

上二人は、グレたが、長男だけは更正の見込みがないままだが、
次男坊が、今年、突然大人しくなった。
何がどうしたのかは、知らない。
ともかく、次男坊は、大人しくなった。

それで、今年は、急にその次男坊の子、つまり僕の孫に会えるようになった。
ついに、僕は孫からお葉書のプレゼントをもらえるまでになった。

まったく、僕の努力に関係ない。
僕にとって、これは奇跡以外何物でもない。

話しはまったくこれと関係ないが、
僕は、今の仕事の弟子が欲しかった。
これを強く意識して、僕は、今の仕事のガイダンスを本にした。
1996年5月のことだ。

この本をベースにこのHP別項に 「卒業ビデオアルバム制作」 を載せた。

これを見た若者が、今年、僕の弟子入りをした。
1996年より17年後に僕の悲願が達成した。

これも奇跡以外の何物でもない。

次男坊が大人しくなったこと、お弟子さんができたこと、
この二つの「奇跡」が今年は同時に二つも起こった。

これで、神様を信じるなという方が無理な話しだ。
本当に僕の人生は愉快に出来ている。
僕の人生は、喜劇そのものだ。

「物」で立派な人生にしたいと思う方が、それで気の毒に思うんだな。
たぶん、一生涯、神様に縁がないだろうな。

仏教でも「無欲」の境地に達することを、「悟り」と呼んでいる。
「欲望」が、その人を不幸にしているのさ。
欲望のことを仏教では、「煩悩」と言う。

この煩悩があるので、「四苦八苦」すると教えているんだな。
このこと、分かる?

自分の「消費」という煩悩で生きていると、
僕の長男のように、子育てを失敗するよ。
取り返しのきかない不幸を味わうことになるよ、若いお父さん。

僕は、未だに長男が帰ってくる夢を見続けている。
見てみなよ、人気のテレビ司会者のドラ息子を!
同じことをしてはダメだよな。

父親自ら子育てをするものだよね。


13/10/1(火) お弟子さんの日記

 先日、幼稚園の運動会にて撮影風景を見学させて頂きました。

自分の学生時代の話ですが、
勉強は大嫌いな体育好きのごく一般的な男子でありました。

学校行事で一番の楽しみは言うまでもなく運動会。
特に技巧走のような少し遊び心が加えられたものに積極的に参加しておりました。
そんな僕なので、運動会と聞くと内心ワクワクしてきます。

といっても今回は幼稚園の運動会。
事前に去年の映像を拝見しておりましたが、
見学する前の正直な意見としては、
何かしらグダグダする場面が目立つのではと思っておりました。

しかし、その予想は開始早々に覆され、
一つ一つのプログラムに驚き、感動までさせられてしまいました。
幼稚園の運動会にこんなにもパワーがあるとは・・・。

綺麗に揃った園児達の動き、元気いっぱいの声、
「お父さん・お母さんに良い所を見せるんだ!」という気持ちが体全体から飛び出ているようでした。

本当、純粋なんですね。子供って・・・。

今週末はいよいよ運動会の撮影練習です。
先日、谷口さんの撮影方法を真似ながら練習させて頂きましたが、ボロボロの結果でありました。
もうすぐキャリア30年を迎える谷口さんの口からはダメ出しの連続でした。。。
一に経験、二に経験、兎に角やってやって体に染み込ませること。
週末、張り切って行って参ります!


13/9/30(月)朝 キャンプじぃじの日記

どこの国でも「会社に就職して安定収入を得る」という人生を歩む人がいるものだ。

でも、ここ日本では、
「会社に勤めなければならない」という子育てを、
バブル景気がとうに過ぎているにも関わらず未だにしているように感じる。

だから「ブラック企業」が今、暗躍している。
詳しくは、

「ブラック企業」
今野 晴貴 著  文春新書 刊 770円+税

実際は、ここ日本でも「自営業」の人がたくさんいるのに、
「会社勤めが正しい生き方」を無理やりにでも刷り込む子育てではないだろうか?

それで、少しでも学校の成績をよくして、
どこでもいいから大学を卒業させて、
何でもいいから会社勤めさせる・・・・・・・つまり、子育て。

だからこの図式に「自立」は、無用となる。

僕の古い友人は、こういう風に育てられて、今、うつ病で働いていない。

僕は、自営業をしているけど、
すでに高校生のときには、何か自分で商売をしたいという願望があった。

僕の父親は、個人事業の町工場をやっていたので、
その影響だろう。

そして、そういう環境に育ったから、親も「会社勤め」にそれほどの価値を持っていなかった。
だから僕は、「自営業」に憧れた。

そうは言っても、何をしていいのか分からないので、
都内の小さな会社に就職した。
建物の中に閉じこもる仕事ではなく、
広告物の営業をした。

高卒でその会社に勤めて、とうとう10年も過ぎてしまった。
給料が良くて辞められなかった。

でも、僕の人生は、会社勤めにないということを、強く決心して今の商売を始めた。

代々サラリーマン家庭で育てられた人は、
そういう会社勤めの人生の方がシックリするだろう。

でも世の中、サラリーマン生活では、我慢できない人もいるはずだ、僕のように。
自分で事業をしたいという願望を持っている若者がいるはずだ。

そういう人生を歩むためには、「自立」は、絶対条件になる。
だって、会社に依存しない人生を送ろうというのだから。

だけど僕は、こう思うな、
これからは、「サラリーマン」と言えども個人がシッカリと自立していないと、
どういう職種でも「お払い箱」にいずれなってしまう。
つまり、自立できていない人は、リストラされやすい。

これは、時代の流れだ。
「能力主義」は、全世界の中で日本が生き残るための否が応でも、避けることは出来ない。
それでもまだ「自立」を無視した子育てをやるのだろうか・・・・・

会社組織の中で汲々とストレスを溜めて生きるより、
自営業で自由に生きていた方が、僕は面白いと思うけどね。

「見栄えのいい生活」を捨てて、
風呂のない二間のボロアパートに住む貧乏人をやる覚悟があれば、
本物の「自由」を手に入れることが出来ると思うよ。

思いっきり人生を冒険する事ができるさ。

「自立」「自己責任」「成功報酬」を身に付ければ、
野の鳥のように思いっきり自由に大空を飛ぶことが出来る。
気持ちいいさ。
僕には、カゴの鳥は、もうできない。

僕は、言うだけではなく、これを実践して、思いっきり「自由」を味わっている。
これに続く若者を育てられるかどうか、
チャレンジだな。

僕のように「スモールビジネス」で元気良く生きる若者が、
多ければ、多いほど、この日本が元気になると思うよ。

みみっちい人生観では、閉塞感が漂うばかりだ。

物やレジャーといった「消費」が目当ての人生ではなく、
「成長」そのものを追い求める生き方。

どこをどう生きても面白い。 自由だ。 気持ちがいい。

どこかで「集合と拡散」の話しを聞いたことがある。
会社という「集合」ではなく、個人事業という「拡散」がこれからの時代だと強く思うね。


13/9/29(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、幼稚園の運動会を撮った。
ただでさえ肉体労働のところに今までよりカメラが重くなって、
首から肩にかけて筋肉痛だ。

最近、ここのあたりが弱ってきたと思う。
サイクリングをしていて、
「足」が疲れる前に、この首と肩が痛くなる。

50肩か?・・・

でも僕はもうすぐ60才だが。
60肩なんていうのがあるのだろうか?

ここは、40肩や50肩が今までなくて済んできたとポジティブに考えようか。
どちらにしても、
そう遠くない日に間違えなく死んでしまうのだから、しょうがない。

この間、同業者が60才代で急逝した方がいた。
本当に人事ではない。

その前に、今の僕の仕事を継承できるかどうか。
昨日も、お弟子さんがこの運動会を僕がどう撮っているのか、
見学に来た。

今度の土曜日には、彼にこの取材の練習をしてもらう予定だ。

「卒業ビデオアルバム」だけで商売が成立するものではない。
こうして、運動会や発表会、夏にはお泊まり保育を撮って、
それを売って年間を食べていくことが出来るという商売だ。

お弟子さんが食べていくことが出来るように、
僕が育てられるかどうか・・・・
チャレンジだな。

一人、成功させることが出来れば、
もう何人かのエントリーがあるかも知れない。

面白そうだな。
これが僕の「成長」になるわけだ。
なんとしても、成功させて人生の感動を味わいたいね。

物やレジャーなんかの「消費」ではなく「成長」にこそ本物の「感動」がある。
子供にこれを身に付けさせたくないかい? 若いお父さん。

若いお父さん自身も自分で子育てをすることで「成長」できるさ。
ここなんだな、今の日本でなさすぎて不幸なところは。

分かって欲しいよ。
人生の最後で、子供とたくさん遊んだ思い出は、
質量が無いから、極楽浄土でも天国でも持って行くことができるんだよ。

と、いうことで感謝を捧げる日がもうきた。
一週間が早過ぎるよなぁ・・・・・・
この調子では、10年ぐらい生きていたとしても、一瞬にして過ぎてしまいそうだ。


13/9/28(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、お弟子さんの練習に付き合って、
なんとなく一日が過ぎていった。
あの青空、サイクリングに最高の日だったけど、とっても残念。

今日は、これから運動会を撮りに行く。
と、いうことでお終い。

こんなにいい天気なのに、早くツーリングに出たい!


13/9/27(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、さぎ山野営場を整備した。

台風の後もキャンプ場を整備した。
そのときには、地主さんの趣味の小さな神社とキャンプサイトを綺麗にした。

昨日は、さぎ山野営場に面した道路のところをやっつけた。
ほぼ一日がかりだ。

草刈機で、草を刈る。
それだけではなく、ドロがU字溝を埋めているので、
その草刈機で、ドロをほじくる。

こういう使い方がいいのか、悪いのかは知らないが、
スコップよりかなり効率よくドロを取り除けられる。

それからが大変だ。
熊手と、雪かきスコップ、ブロアー、これらで、
そのドロと大量の草を、山の目立たないところまで一輪車で運ぶ。

何回も、何回も、・・・何回も運ぶ。

腰と肩と腕が筋肉痛を起こした。

この「さぎ山野営場」は、主にボーイスカウトの活動で使っているが、
僕も年に何回か使う。

次回は、11月10日(日)に、さぎ山野営場の近所にある小さな教会の牧師夫婦が塾をやっていて、
そこの子供達を相手に「芋に会」をやる予定だ。

子供達自身で、買出し、調理、片付け、を行う。

僕の孫も来るかも知れない。
とっても楽しみだ。

レジャーではなく、子育てを強く意識した「親子キャンプ」をここで実践できたらいいといつも考えているのだけど、
子育てを自分でしたいと思うお父さんをどうやって見つければいいのかが分からない。

幼稚園の園庭を借りて「流しそうめん」の活動を、
今年、二回目を成功させたが、
これを恒例化させて、子育てに意欲のあるお父さんに使ってもらえたらいいと思う。

そこまで、その活動を盛り上げることが、とりあえずの目標だ。
父親が自分の子を自分の手で育てたいと思う人は、だいたい5%ぐらいいるらしい。
本当に少ない。

その少ないけど、心あるお父さんに「さぎ山野営場」を貸し出せたら・・・・
僕の夢だ。


13/9/26(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

最近、お弟子さんが「卒業ビデオアルバム」制作を学びだしたが、
本人は、一所懸命のつもりなんだけど、
僕から見たら、のんびりだ。
この調子では、この道のプロになれるのは、そうとう先になりそう。

まぁ、バイトで食いつながなければならないので、
睡眠時間を削って大変だろうけど、
でも、僕だって20才代では、無茶の連続だった。

「優先順位」と「やる気」

ちょっと無駄なことに気を取られている感じがする。

「優先順位」と「やる気」

サラリーマンではないので、これ次第だ、商売が立ち上がるのは。
「専門学校」レベルの「学び」から、
本気の「弟子」に目覚めれば、ターボチャージャーがかかるかも知れない。

個人事業なので、「営業」「制作技術」「この仕事独特の表現」といった非常に範囲の広いすべてを、「身に付ける」わけだから、
気が狂ったような「的を射た行動力」で成功できると思うな。

まだちょっと、「サラリーマン気質」が抜け切っていない感じがする。

それがどこまで「本気」を本人が引き出せるのか・・・・・
「心」の問題でしょう。

この商売は、一度軌道に乗ると、他の商売と比べて非常に息の長いものになる。
僕の歳で、
「仕事がある隠居生活」を楽しむことができる。

まぁ、20才代でこれを想像する事は、難しいかも知れないけど、
若いうちの「苦しい」「大変」「辛い」が報われる仕事なんだ。

でもね、そういうロースターターなお弟子さんなんだが、
「自立」は、果たしているんだな。
だから十分に勝てる見込みがある。

この仕事では、「自立」できていない人は、まったく話にならない。
この点、とっても有利だ。

子供を
「自立した一人の大人の社会人」に育てることは、こういうことで外せない教育だよね。

子供が勝手に「自立」できるものではない。

子供が「自立」出来るように育てるものなんだよ。

「自立」を無視した今の子育ては、根の深い問題だよね。


13/9/25(水)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、早朝雨模様だった。
でもそれが回復した。
路面はウエットだが、アスファルトだったら自転車で走れる。

僕は、チャンスを逃さない。
今までの人生で、これこそが僕の生きてこられたキーワードだ。

「チャンスを逃さない」

学校の先生に、これを教わることはまずないだろう。

学校の先生が悪いのではない。
彼らの仕事は、「知識の伝達」こそ重要だからだ。
知識教育だって、重要な教育に違いは無い。

ただ、この世に生きている限り「知識」だけでは、
決して「強く生きていく」ことはできない。
もう一度言う、「知識」だけでは決して「強く生きていく」ことはできない。

「苦しい」「辛い」「悲しい」「嫌な思い」ということをとおして子供の心が鍛えられることも重要だ。
つまり、「体験教育」が不可欠だ。

そういうことで、そこに「社会教育」と、
最も重要な「家庭教育」が必要なんだな。
学校だけでは、これを子供が「体験」できない。

僕は、子供が高校生の時に「雪中キャンプ」で子供を鍛えた。
このときには、僕自身も寒くて大変だった。
その他にも子供に「ソロキャンプ」を体験させたり、
たくさん「家庭教育」を実行したものだ。

実行力。
こういうことで、僕はチャンスを逃すことなく昨日、サイクリングをした。
「アスファルト」をキーワードに江戸川の土手を走ることにした。

「関宿」で、利根川に出られるのだが、
道の駅「さかい」でアイスクリームを食べて、
今までとは違う方針で「一般道」を使いつつもツーリングを楽しむことにした。

どこをどう走ったのか、サッパリ分からない。
車の往来が多くてうるさいところ、
これを極力避けて「方向」だけを頼りに自転車で走った。

江戸川から、一般道で北上し、グチャグチャと走って、古河の市役所前に着いた。
そこからさらに北上すると、否が応でも国道R-4に出た。

非常につまらない。
そこで、西へハンドルを向けると「思い川」に出た。
ここは、もう何回も走っているので様子が分かる。

それの土手を北上する。
その先もだいたい分かるので、途中で一般道に出て、さらに西へ向かう。
「太平山」が目の前に迫ってくる。
いいね、こういうの。

直線でこの山に向かうことが出来なかった。
クランクを繰り返している内に、「栃木駅」に着いた。

時間的に、もうリミットだったので、
駅のコンビニで「スーパードライ」を買って、
駅のホームで呑んだ。

これ、最高だよ!

電車の中で爆睡して輪行で帰った。
走行距離、80`でした。

若いお父さん、僕のようにいい老後を味わいたいなら、
今、他人任せにしないで子育てを自分自身で真剣に取り組もう。
そうすれば、天からのプレゼントがあるさ。

人気のテレビ司会者のドラ息子をよく見るんだな。
同じように「子育て」を放棄せずに、自分自身で子育てをしようか。

実行力だ、何事も。


13/9/24(火)朝 お弟子さんの日記

 先日、とある幼稚園にて撮影練習をさせて頂きました。

幼稚園に入ること自体、約20年ぶりでしょうか?
僕の行っていた幼稚園とは違って、質が飛びぬけて高く、
とてもキレイで広々としています。

初めての幼稚園での撮影、
当然の事ながら何を撮っても上手くいかないありさま・・・。

子供の動きってこんなにも予想し辛いんですね。
狙っているとどこかへ走り去ってしまったり、
いきなりレンズへ向かって手を伸ばしてきたり、
鼻を垂らしながら顔を突っ込んできたり、全く予想出来ません。

これまでブライダルの撮影を行ってきましたが、
谷口さんの仰るとおり全くの別物でありました。

場数を踏まなければ!

どこかの誰かが言っておりましたが「考えるな!感じるんだ!」・・・まさしくこれでしょう?
兎に角撮って撮って体に染み込ませるのみ。
「忙しい」を言い訳にしている場合じゃない。
空いた時間は勉強あるのみです!

今週末は運動会の撮影の見学。楽しみです。
谷口さんがどのように撮影を行われているのかを拝見させて頂くことは勿論、
今回の撮影練習に行った際に改めて思ったのですが、
単純に僕は子供が好きなんだなぁ。。。

がんばります!!


13/9/23(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、スーパー・スペシャル・ドジ、をやって外出禁止になっていた末っ子が、
その「御仕置」が終わって「シャバ」に帰って来た。

末っ子の携帯電話の料金を立て替えで僕が払っていたのを返しに来た。
昨日は、ちょうど「日曜晩餐会」の日だった。
僕とばぁば、古い友人に大家のおばぁちゃん、
そこに末っ子が加わって賑やかにやった。

僕がつい「末っ子だってかわいかったのに・・・」と言ってしまう。
大家のおばぁちゃんが「今だってかわいいじゃないの」と反論。
ばぁばが「毎日お父さんは、これを口癖にしてるのよ」と余計なことを言う。

こんな具合に楽しくやった。

末っ子が帰ってくるというので、ばぁばが舞い上がっていた。
すき焼きの他に肉料理を作って、
そこに大家のおばぁちゃんが焼き鳥の差し入れをしてくれる。

僕は、肉料理はあまり食べない。
だいたい、ビールのつまみに重過ぎる。

でも、末っ子は、それらをペロッと食った。
腹一杯になったと言って、さっさと帰って行った。

こんなのが昔、四人もいたんだよ。
30`の米が一週間しかもたなかったわけだ。
回転寿司のテイクアウトだって、三段の「お重」がみごとにその日に消えた。
1gの牛乳は、朝から2本、3本、を消費していた。

そして、僕のガキどもは、食い逃げをして行った・・・・・・
昨日の末っ子も、腹を満たしたら、サッサと帰って行った。

「オヤジ」は、割の合わない役どころだ。

おかげで、また末っ子がかわいかったころを思い出してしまう。
朝から一時間以上のお散歩を毎日した。
お手手をつないで、幸せだったな。
それで、キツイ仕事をこなすことができた。

幼稚園のお泊まり保育での出張で、僕がホームシックになっていた。
宿の部屋で、枕元に末っ子の写真を置いて我慢した。

末っ子は、産まれてすぐ、毎日、いや一日中僕と「チュー」をして過ごした。
時々、末っ子が「おかま」になったらどうしようと心配もした。

その末っ子が僕の「チュー」を拒否したのは、小学校四年生のときだった。
「気持ち悪い、いいかげんにしろ」と拒否した。

僕は、この時に、子供の心が大きく変化をする時期は、
「反抗期」ではなく「小学校四年生」であることを思い知らされる。
これに気付いて、
他の子やいろいろ調べてみると、確かに「10才」あたりが、
「自立」の始まりのようだ。

逆に言うと、その子の個性は、この年齢で固まってしまう。

小学校四年生までに、どれだけ父親と遊べるのか・・・・・
子供が「生き方」をこの年齢あたりまでで父親に模倣する。
このことが子供の「自立」に大きく関わっている。

こういうことを僕は、「知っている」のではなく「体験」をした。

それで、僕は今、若いお父さんに小学校四年生までにたくさん遊ぼうと訴えだしたわけだ。

子供が父親とたくさん遊ぶ体験が少ないと、
男の子なら、ドラ息子になりやすく、将来、必死に働くことができなくなりやすい。
女の子なら、高慢娘に育ちやすく、売れ残りの悲劇をしやすくなる。

そこに、毎日、毎日「快適」を与え続け、ついに子供がその環境で30才を過ぎると、
決定的となりやすい。

周りをよく見てみよう。
この法則が、絶対ではないが、よく当てはまっていることが分かると思う。

子供は、僕の子のように「食い逃げ」するのが元気な証拠だと思うね。
「心の元気」だ。


13/9/22(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、この秋最初の運動会を撮った。
カメラの調子が悪くなったので新しいもので撮った。
今までのより重くなって、
それを一日中、支えていたから、首から肩にかけて筋肉痛を起こした。

歳をとってドンドン体力が衰えていくのに、
労働条件が悪化した。

昨日の夜、
僕とばぁば、大家のおばぁちゃんの三人で夕食を囲みながら、
そんな話をしたら、
昔はもっと大きいカメラだったと、おばぁちゃんが言う。

確かに、一番最初の幼稚園のお泊まり保育の取材は、
「三管式カメラ」に「3/4Uマチック」というデッキを一人で担いで撮ったものだ。
でもそのときは、まだ僕は、20才代だった。
デッキのショルダーで肩の皮が、そのときにむけた。

次の年には、写真屋さんに勤めていて、お泊まりを撮った。
そのでかいカメラとデッキに、
さらに、ブローニーという集合写真を撮るカメラ、さらに35oのカメラを持たされて一人で撮った。

まるでチンドン屋だ。

子供に飯を食わせなければと、僕は必死で仕事をこなしていった。

他にもいくらでも「無茶苦茶な仕事」をこなしていった。
本気、命がけ、で仕事をこなしていった。
それで今がある。

障害のある子を自立に向けて育てる時には、
「商売の拡張」を断念して、
いや、むしろ縮小して「自立をした一人の大人の社会人」になるように子育てに神経を集中した。

その子は、自立を果たした。

このときにも僕は、本気、命がけで子育てに取り組んだ。

こういう人生の「艱難」を乗り越えてきたので、
僕は、「自分の消費」以外のことを考え行動できるようになった。
口先だけの綺麗ごとを言うのではなく、
僕は、本気で「親子で工作」の活動をしている。

とってもいい老後を迎えることが出来た。
「本気、命がけ」という「簡単」「気楽」「便利」ではない「生き方」をした。
それで、天からのこれがプレゼントなんだな。

感謝を捧げる日曜日がもうやってきたか・・・・早いなぁ・・・・


13/9/21(土)朝 キャンプじぃじの日記

この間、幼稚園で敬老感謝にちなんだ活動を取材した。

幼稚園にお年寄りを招待して、孫と一緒に遊んでプレゼントを貰っていた。
今年は、巾着とお葉書を貰っていた。

ちょっとうらやましい。

二日後、
ある幼稚園からハガキが僕のところに届いた。
葉書には、たぬきの折り紙が張り付いている。
それの上には、「ながいきしてね」、下には孫の名前が書いてあった。
僕にもプレゼントがあった。

僕は、子供に興味があったので今の仕事を始めた。
次男坊を家庭用のビデオカメラで撮って、そこにBGMをつけたら、
かわいいのなんのって・・・・・
それで「子供をビデオで撮って売る」商売をしようと決心して脱サラした。

家庭用のVHSの普及率がまだ25%程度のときのことだった。

僕には、四人の男の子がいるが、
上二人は、育て方が悪かったので、グレてしまった。

その次男坊の子、つまり孫からその葉書が届いた。
幸せとは、こういうものだ。 「物」で決して味わえない。

僕は、今の商売を目指してもう30年近くになる。
僕の興味は、「子供」から、「父親」に次第にシフトしだした。
そう「親子で工作」のボランティア活動をしだした。

それも、今年の夏には、幼稚園の園庭を借りて、
幼児を持つ父親をズバリ、ターゲットにした活動もできるようになった。
今年で、この活動は二回目。
来年も成功させれば、三回目。 「恒例化」を実現させる。

「歳相応の成長」

僕は、結果としてこういう人生を歩まさせてもらえた。
聖書にはこうある。 「成長させてくださったのは神である」
「人生の成長」は、自分の力だけでは達成できない。

この「自分の力だけではできない」ということを仏教では、「他力本願」と呼ぶわけだ。
良く間違えた解釈で、これを「他人任せ」と思ってしまう人がいるけど、
それは、仏教を知らないがゆえに間違えている。

「歳相応の成長」

仏教でもキリスト教でも、生きる本当の学びができるようになれるのも、
この「歳相応の成長」だな。

僕と同じ年代で「自分の消費」しか分からない人がとっても気の毒だ。


13/9/20(金)朝 復活サイクリストの日記

一昨日、秋晴れに誘われるまま自転車でツーリングに出た。

東武「羽生駅」から秩父鉄道に乗り換えて「熊谷駅」まで輪行した。
この秩父鉄道では、自動改札ではなかった。
単線をガタガタと走っていく。
車輌の一番前の運転席の車窓を子供のように眺めた。

単線だから、上り、下り、の車輌が駅で入れ替わるでしょう。
そのときに「右側通行」になっていた。
車の左側通行に慣れている僕には、不思議な感覚が起こる。
どうやらこれは、電車が「ワンマン」で運行する事に関係しているようだ。

「熊谷駅」から南下をすると、そこに「荒川」が流れている。
それの土手を「長瀞」方面へ走る。

電車での移動に時間が掛かってしまった。
それと、土手の上を走れそうにないので、道の駅「はなぞの」で荒川を断念。
国道R-254 で左岸から川を渡る。

R-254 は通称「川越街道」と言う。
それで、川越までは、この道を走ったことがあるけど、川越から北へには行ったことがなかった。
ちなみに地図を見るとそこのところは「小川バイパス」という名称になっている。

「小川バイパス」を南下する。
大きい道は、つまらない。
なるべく脇道を走る。

すると、「埼玉県環境整備センター」という施設に着いた。
そこに公園があって、貯水池らしきものがある。
ここを突き抜けようとしたが、袋小路でグルッと一周そこを回った。

方向を頼りに走っていくと、
今度は、「HONDA」のでかい工場らしきところに出た。
駐車場がたまげるほど広い。
一番遠いところに駐車をすると「HONDA」の建物まで20分は歩かなければならないぐらいだ。

毎日、雨の日も雪の日も、そこを歩いて通勤する人がいるんだ。
僕には、耐えられない。

そこからは、否が応でもR-254を走らざるを得ない。
トンネルをくぐった。
脇道が見えてきたので、そこを行くと「東武竹沢駅」に出た。
線路に沿って田舎道を行くと「小川町」に着く。

ここでお昼を食べて、さてどうしようか考える。
地図を見ると「嵐山町」が近い。
ときどき仕事をお願いするカメラマンが、ここに住んでいる。

それで、「嵐山町」に向かい、そこに流れている「都幾川」の土手を下って行く。
この川は、もう何回か走っているので様子が分かる。
この川は、しばらくすると「おっぺ川」に改名する。
風流な名称でしょう、これ。

この川をドンドンと下ると、「入間川」になって「荒川」に合流するが、
時間的に無理そう。
そこで、「おっぺ川」とR-254が交差をしていたので、
その国道で「川越」へ向かうことにした。

また「小江戸川越」の街に着く。
そこの駅から輪行で帰ることにした。
駅で自転車をバラして、輪行袋にそれを詰め込む。
それを担いで、改札口へ行くと・・・・・

そこは西武線「本川越駅」だった。
僕は、JRに乗りたい。
輪行袋から自転車を引っぱり出すのもおっくうなので、
輪行袋を担いだまま歩いて、JR「川越駅」を目指す。

そこは、狭いけど随分と流行っている商店街だった。
古めかしい倉がたくさんある「小江戸」の商店街に負けない賑やかさだった。
迷うことで、こういう発見をするものだ。

結構な距離を歩いて、やっとJR「川越駅」から輪行で帰ることができた。
走行距離は、77`でした。
電車での移動に時間が掛かるサイクリングだった。

日中、太陽サンサンの下では暑いけど、
木陰では、ヒンヤリと涼しくてとっても気持ちが良かった。
北風が厳しくなる前のこの秋のサイクリング・シーズンを逃してなるものか。

これからバンバン走りたい。
とってもいい老後を楽しんでいる。
子供がいないと、人生が滅茶苦茶軽い。

逆に、僕は、子育てを自分で思いっきりやっていたことを痛感するな。
カブスカウトのリーダーをして、その活動を年に70日もやった。
大変だったけど、面白かったな。

BSの活動とは別に、
「子育て」が目当ての「親子キャンプ」もたくさんやった。
大変だったけど人生で一番面白かった。

障害のある子がこれで自立した時には、僕は「燃え尽き症候群」になった。

豪華な物や大金をつかむために、
子育てを金で買って他人任せにしてはいけないよ。

人気テレビ司会者をよく見てみなよ。
子供がドラ息子になってしまったら、豪華も名誉も地位も、すっ飛ぶよ。

程度の差こそあれ、サラリーマンだって父親自身で子育てをしなければ、
ドラ息子、高慢娘、に育ちやすくなるぞ。

結婚しない人が多いのは、不景気が原因ではない。
父親が子育てをしないことに、本質的な問題がある。

子供は、父親と遊ぶ事で「生き方」を模倣するものだからだ。

子育てが済んでから、僕のように好き勝手にサイクリングをすればいいでしょう。
それまでは、子育てに精を出そうか。


13/9/19(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

本当に日本人は、「目的」と「手段」の区別ができない人が多い。
多すぎる。

子育てでの「目的」と「手段」では、
子育ての本質・・・「自立」を無視して、
子育ての「手段」・・・各種「教育」ばかりにこだわっている。

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」

ちょっと前では、製紙会社のドラ息子がカジノで会社の金、数億円を横領して使った。
そのドラ息子は、東京大学で法律だか何かを学んだんだそうだ。

つい最近では、人気のテレビ司会者のドラ息子が、お縄頂戴をして、
それの引責でパパが仕事を失うそうだ。

これも「自立」を無視して見栄えのいい「教育」だけにこだわった育て方をしていた。

商売では、どうだろうか?
ここに何回も書き込んでいるけど、

「理念」「戦略」「戦術」

の「使い分け」と「実行」がいかに重要かを訴えてきた。
「理念」が最終目標で、
「戦略」が中・長期的「目標」
「戦術」は、それを達成するための、どちらかと言うと、「実行力」に当たる。

これらの「使い分け」において、「優先順位」というものが起こる。

「理念」「戦略」「戦術」の違いが分からないと、
自分の日々の行動で、いつも「優先順位」が滅茶苦茶になってしまう。

ゆえに、合理的に商売を立ち上げることが出来ない、ということなんだな。

子供のうちから、「目的」と「手段」の違いをどう教えられるか・・・・・

親子キャンプで、
中学生以上になったら、子供自身でキャンプの「下見」「計画書作成」「実行」「感想文」を体験させることで教えることが出来る。

そのキャンプの活動で何が一番重要なのか、
そしてそれを成功させるためには、どう「計画」すればいいのか、
子供に考えさせ実行させるのさ。

僕は、こうして障害のある子を「自立」させたんだよ。
有効な「教育」ではなく「子育て」だ。
僕の本気の「家庭教育」だった。


13/9/18(水)朝 お弟子さんの日記

 「阿蘇 ラピュタの道」に行ってきました!
残念ながら天気が良過ぎたために雲海が一面に広がる景色を見ることは出来ませんでしたが、
眺めは最高!

阿蘇のカルデラを一望出来る大パノラマ、
山肌の緑は風に揺られ、
もののけ姫のワンシーンを見ているような感覚になりました。
デイダラボッチが出てきても不思議じゃないです。

見物客は僕達だけかと思っていましたが、
他にカップルやツーリングついでに景色を見に来ている方々が20人ほどいらっしゃいました。
けっこう有名なようです。

ラピュタの道が見えるポイントは急カーブの先端部分。
錆びたガードレールの外側に「ラピュタの道」と誰かが石で削って書いた文字が刻まれた大きな岩が転がっており、
記念撮影でみんなそれに上って撮影していました。
勿論、僕も上ったところを撮ってもらいました。
とにかく「気持ち良かった」の一言に尽きます。

夜明け前の星空も最高!
日が昇っても最高!幻想的なものは今回感じることはありませんでしたが、
なんといっても『開放感』をここまで肌で感じたことはありません。

当初、立入禁止区域と聞いておりましたが、
実際そんなことはなく車で現地まで行ける安全な所です。

熊本空港から車で約40分、
是非熊本にお越しの際はラピュタの道を見に行ってみては如何でしょうか?


13/9/17(火)朝 キャンプじぃじの日記

今度は、台風が各地に被害を与えた。

僕は、思うな、
いくら人工的に「快適」「簡単」「便利」「安全」を追い求めても、
この大自然の驚異には、決して勝てないとね。

結局、人生に何が起こっても「強く生きる」ということを身に付けなければ、
些細なことで行き詰ってしまう。
自殺をしたくなってしまう。

心を強く育てることの重要性に早く気付いたほうがいい。

人生を堂々と生きていけるかどうか・・・・
心の強さで決まると思うね。
僕のように、貧乏であっても「自由に生きる」ことができるようになるためには、
「飛び込み営業」ができる「心」が不可欠だった。

何事も、その人の「心構え」ですべてが決まる。

どんな苦境でも、その人の「心構え」次第で乗り越えることができる。

親子キャンプで、子供に自然の厳しさ、
そして大自然が見せてくれるビックリ仰天の美しさを味わさせることが、
いかに重要か、気付いて欲しいね。

ここ埼玉県には、全国で最も多い「塾屋街」があるという。
その割りに子供の学力は、全国で高くない。

データでは、「安定した家庭」が子供の学力に相関関係があるという。

その「安定した家庭」は、大自然と関係していると僕は、感じるな。

だって、「ヒト」も自然の一部だからだ。

子供の学力が高い県は、自然が豊かなところが多い。

これは、「大自然を肌身に感じて生きる」ことの重要さを暗示しているのではないだろうか、そんな気がする。


13/9/16(月)朝 キャンプじぃじの日記

この間、埼玉県越谷市で竜巻が起こった。

僕のところから北に6〜7`ぐらいのところだった。
変なことで全国に有名になった。

僕は昔、スキーのサークル活動をしていた。
1シーズンに40日もゲレンデにいたころ、
一緒に遊んでいた人が、そこらへんに住んでいる。

その竜巻騒ぎの後で、友人の又聞きで、
「窓が割れた」という被害らしいということを知ったけど、
まぁ、たいしたことがないらしいと思っていた。

ところが、最近知り合ったカメラマンによると、
屋根がすっ飛んだという。

それを一昨日の夜聞いたので、昨日、様子を見に行った。
本当に、屋根が飛んでいったのだそうだ。
そのときの様子を詳しく聞いた。

まさか知り合いに被害があったなんてビックリしたね。
でも、自然の驚異は、いつでも、どこでも、起こり得る。

いくら人工的に「快適」「安全」「便利」を得ても、
自然災害を食い止めることはできない。
これを改めて思い知らさせられた。

「快適」に溺れるように生きていて、
この「自然の恐ろしさ」を忘れて生きているでしょう。

今の子供は、親よりももっと「快適」に浸かって生きている。

「親の最大限の豪華、贅沢、は、子供にとって生きる最低限の条件にする」ものだ。

だからこそ、親子キャンプで、大自然を親子で、肌で、感じ取るべきだ。
自然の怖ろしさを、肌で感じて
「生きているのが当たり前」ではないことを子供達に伝えるべきでしょう。

また、逆に、大自然が見せてくれる「美」も子供達に見せたいよね。

地球の怖さ、美しさ、これを子供達に体験させよう。


13/9/15(日)朝 キャンプじぃじの日記

もう日曜日かよ。

一週間が、たったの一日に感じる。
昨日、幼稚園で二学期と三学期のスケジュールの打ち合わせをしていて、
三学期の卒園式の日取りを手帳に書き込んだ。

そのときに、思わず僕は、
「これで今年度も終わり」と言ってしまった。

子供がいなくなって、
子供達は、自分のドジは、自分で背負うようになった今、
とっても身が軽い。

そして「稼ぐ」目標も、自分が食べるだけとなって、気も軽い。

この「軽さ」が時間の感覚を狂わせているな。
自分に何かの負荷を与えなければ・・・・・・

人生に「成長」がなくなってしまう。

サイクリングで体力を上げたいというのは、こういう意味もある。
「親子で工作」という活動にも、自分への負荷という意味がある。
それでも、人生が軽い。

この「軽さ」にどこか不安を感じるぐらいだ。
そうであっても、
死ぬまでは、ちゃんと「一生」があるから、
まったく問題はない。

そこにユニセフから義援金の要請が来る。
シリアの子供達に緊急な支援の要請だ。

僕は、貧乏人なのでたいした金を持っていない。
だから、次の売り上げでどうにかしようと思う。
それでも人生が「軽い」。

「子供達に何が何でも飯を食わさせなければ」

という緊迫した目標で生きていた頃のあのパワーは、まったく出てこない。
寂しい人生だな。
楽すぎる。

「気楽」な今の人生に、非常に物足りなさを感じるんだ。

「何が何でも」という目標が、必要だな。
満たされ過ぎて、パワーが出てこないわけだ。
ここ日本は、あまりに「快適」「簡単」「便利」過ぎるな。
それに溺れて生きている。

それに比べて、
シリアの子供達か・・・・・・


13/9/14(土)朝 キャンプじぃじの日記

今朝は、都内の取材で新宿から書き込む。

この間、幼稚園の「なし狩り遠足」で松戸へ行った。
初めての現場だったので、うんと早く出かけた。
大正解、散々ミスコースをした。

初めてだから、取材前に下見をする。
仕事熱心でしょう。
農園に挨拶をして、車を置く場所を聞く。
畑の確認。
観光バスの駐車場所の確認。

これで子供達の動線を把握する。

それで、時間があったので、お昼を食べるところを物色した。
現場近くに回転寿司があった。
いいものを見つけた。 これでテンションが上がる。
とっても僕は、分かり易くできている。

その時だ。
その回転寿司の奥に「馬刺し専用」の店も発見した。
ただ、その日は月曜日で定休だった。
気合を入れて、いつかそこに買出しに行きたい。

これは、一ヶ月ぐらい前のこと。
同業者の集いで、王子に行った。
いつものことで、会合前に「ちょっと一杯」をした。
焼き鳥屋さんだ。

速攻つまみなるものがあったので、「やっこ」を注文する。
ナント、一丁でてきた。
豆腐で腹がいっぱいになりそう。

焼き鳥を何本か注文して、
しばらくして気付いたのだが、ここにも馬刺しがあった。
もちろん、注文をした。

王子へ行く時の楽しみが出来た。

僕は、それほど肉料理が好きではないが、
この、馬刺しだけは、目が無い。
「さしみ」が好きなんだな。

それで、昨日は、いつもの僕の習慣に反して、
「さんまのかば焼き」を夜、作った。
煮魚、焼き魚、より、もちろん「さしみ」の方が好きだが、
この間の料理教室で、これを習ったので復習をした。

玄関の前に、僕の調理用品一式を引っぱり出して、
ランプを灯して、その「さんまのかば焼き」を作る。
さんまを三枚にして、骨は、油で「カリカリ揚げ」にした。

うまかったよ。

できたら「さんまの刺身」も喰いたいよなぁ・・・・・・

人生何事も「好奇心」で「気付く」ものだな。


13/9/13(金)朝 復活サイクリストの日記

秋になった! と、思ったら、昨日は暑かった。

それでも青空に誘われるまま自転車に乗った。
週に二回、サイクリングをすると体の調子がよくなる。

フリーランスのカメラマンには「退職金」がない。
生きている限り働き続けなければならない。
そこに不可欠なのは、「ウデ」よりも「体力」だ。

それで、生き延びるためにサイクリングで鍛える。
僕は、仕事熱心だ。

でも、「仕事のある老後」は、別にこうしようと思っていたわけではないが、最高だ。
人気の無いカメラマンだから、暇がタップリある。
好きなだけサイクリングを楽しめる。

昨日は、「土手」ではなく「方向」にこだわった。

国道R-298 の側道は、意外と面白い。
一般道ではあるけど、ほとんど車の往来も無い。
そこで、この道で、西へ向かうことにした。

いつも戸田市の道満グリーンパークで「親子で工作」の活動をしているが、
このR-298 で行っている。
それの側道は、適当にアップ・ダウンの変化があって、
ALL並木道だ。
ここを走るのは、楽しい。

荒川を渡ると、その橋の上から富士山が見えるはずだが、
昨日は、湿気で霞んでいて見えなかった。
冬には、とっても綺麗に見える。

川を渡ってすぐ右手方向へ行くとそこには、「和光市駅」がある。
それのガードをくぐって行くと「樹林公園」に着く。
ここが名前の通り木立がとっても美しい。

公園を突き抜けて、道路を右手方向へ行くと、
自衛隊の「朝霞駐屯地」に着く。

何年か前に、
ここで、腰からぶら下げるサイドバックをお土産やさんで買った。
アウトドアーでの活動、幼稚園のお泊まり保育や、キャンプ場で、
とっても便利に使っている。

ここを通り過ぎてしばらくすると、T字路になる。
左手方向へ行くと、吊り橋が見えてくる。
しかも、下り坂で面白くて美しい。 旅行の雰囲気がたっぷりだ。

この橋の下に「黒目川」が流れていて、これの土手を上って行く。

街中なのだが、川の土手だけ自然がある。
いくつも道路を横断していく内に、川がなくなる。
小金井あたりで川を見失う。

何回か、ここを走っているので、この川にこだわらずに、
「久米川駅」を目指す。

駅の近くに「空堀川」がある。
これを上って行くと、線路で遮られる。
線路沿いに北へ向かう道がある。
「多摩湖自転車道」だ。

これを突き進むと・・・・・「狭山公園」に着く。
これが目当てだった。

狭山湖は、とっても広々としていてその周りの緑が美しいところだ。
これに隣接して「多摩湖」がある。

この前来たときには、狭山湖を一周廻ったので、今度は多摩湖をグルッと廻ってみた。
自転車専用道で面白かった。
途中のラーメン屋さんでお昼を食べる。

さて、そこからどうしようか・・・・
ラーメン屋さんで、たまたま持っていた地図を広げる。

前回は、そこから所沢へ出て帰ったが、あまり面白くなかった。
そこで、多摩湖から北へ向かって「川越」を目指すことにした。
「北西」に向かえば「飯能」に行けるが、帰れなくなりそうだ。

晴れていたので影で方向が分かる。
車が入れないようなところでも、「真北」を目指して走っているうちに、
県道「狭山川越道」に出た。

迷わずその一般道で小江戸川越に着く。
昨日は、初めて「川越大師 喜多院」に寄ってみた。
修学旅行らしい子供達がいっぱいいた。
そこの境内の店でソフトクリームを買って食べる。

どうしたんだろうか、最近、サイクリング中に甘いものを食べるようになった。

そこからは、帰り道だ。
国道R-16 は、車がうるさい。
それに沿った農道を行く。
途中、「伊佐沼」があって、そこをグルッと一週廻ってみる。

荒川を渡ると、あとは大宮の街に出るが、そこはまったくつまらないので、
「指扇駅」から輪行で帰って来た。

走行距離、87`でした。
暑さにバテたけど、それでも木陰の中は、とっても涼しくて気持ちよかったな。

いい老後を楽しんでいると自分では思ってるね。
人生の勝利を感じる。
「物」ではなく「生き方」にこだわる人生でとってもよかった。


13/9/12(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

僕は、脱サラをして今の商売を目指したが、
正確には今月で、ちょうど29年になる。

「子供をビデオで撮って売る」

まったくブレずにやってきた。
何をするのでも「目標」と「手段」を明確に分けて取り組んできた。

「理念」「戦略」「戦術」を使い分けて、実行をした。
これの積み重ねで今がある。

カメラマンで生き延びることが出来ない人には、共通点がある。

自分の目標がないこと。

「何でも撮ります」という人は、自分の目標、自分が撮りたい被写体がないことが多い。
「撮る」という行為は、被写体を研究するということに気付かないので、
いつまで経っても「素人」になってしまう。
「機材」があれば商売ができると思ってしまう人。

金を追って芸を磨かず。

日用の糧を得ることは、生きる上で外せない重要なことだが、
目先の「金」を追って、ビデオの本質的な表現性を学ばない人。
「画質」しか分からない人。
または、特殊効果が「表現」だと勘違いしている人。

そもそも「営業」が出来ない人。
これが出来ない人は、あらゆる商売に向いていない。
論外だ。
それで、これが出来ないカメラマンが、今まで圧倒的に多かった。

この「カメラマンで喰っていけない人」の根本は、
「心が弱い」ということだと思う。
精神的に弱すぎる。

このことは、「カメラマン」に限ったことではなく、
総ての技術職に通じることだろう。

これからの日本社会は、サラリーマンと言えども、
何かの「特技」がなければ、即リストラの対象となりやすくなるだろう。

どの企業も国際的に勝っていかねばならない環境で、
「何の努力も必要としないで、一生涯安泰」なんてあり得るはずがない。

でも、現実的には、未だに「偏差値」だけの「暗記主体」の教育で、
「どこでもいいから大学さえ出せば子育てをしたつもり」というふうに育てられていることが多い。

まず、自分がこういう育てられ方をしたということを認識する事から始めようか。

こういうことだから、自分の人生で、
「自己責任」「自立」「成功報酬」が分からないでいるということを理解しよう。

「カメラマン」で喰っていく前に、このことを勉強しよう。
結局、それが一番の近道になるものだ。

要するに「命がけで生きる」ということに尽きるな。

幼稚な心では、何も成功しない。
「命がけで心の成長を目指す」ことが出来た者が、生き延びられる。
学校でこれを学ぶことはできない。
なぜなら、先生は公務員だからだ。

「必死に生きていく」ものなんだよ、人生は。
「簡単」「気楽」「便利」から早く脱却しようか。

これが、カメラマンで喰っていくための鉄則だ。
このことを身に付けた上で、「技術」と「機材」があって商売ができるようになる。

子育ての目標は、
「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てることだ。

こう育てられた人は、自分の夢をかなえることが出来る。


13/9/11(水)朝 復活サイクリストの日記

チャンスを逃さない。

今朝は、雨模様だが、昨日の今頃は最高の青空だった。
このチャンスを逃すことなく自転車に乗った。

昨日、この秋、初めて長袖のワークシャツを来た。
と、言ってもほんの5分ほどだったが、
それでも、秋の涼しさを堪能したね。

今、マイブームの「葛西用水」「元荒川」「逆川」へと行く。
この「逆川」というのは、「元荒川」と立体交差をしている。
そして、短いけど、ここがとっても綺麗で走りやすい。
桜並木の木漏れ日がとっても美しい道だ。

昨日は、「快走」を楽しみたかったので、迷わずその先の「江戸川」の土手を走って行った。

僕の自転車の車種は、「ロードレーサー」という競技用の安物を使っているが、
本来、僕の走りは、この「快走」が目当てだ。
車種は、「スポルティフ」というのがある。

ロードとこのスポルティフで何が違うかというと、
泥除けの有無ぐらいだ。
日本では、スポルティフをなかなか市販していない。
ゆえに、ロードを使うわけだ。

切る風が、しびれる快感。
気持ちがいい。
「ヒト」が何回も同じ行動(僕の場合サイクリング)をとるは、
脳に快感が走るからだ。

若いころ、散々サイクリングをしているうちに、
僕の脳みそにこれで快感が起こるようにシナプシスの回路が出来上がった。

子供のうちから「豪華な物で幸せだね」と親に教化されると、
子供は、「物」で快感を感じるようになる。
「物」で幸せなんかになりゃしないけどね、快感は起こるようになる。

子供のうちからテレビゲーム漬けをしていると、
それでこの回路が出来上がりやすくなる。
「ゲーム脳」と呼ばれる依存症が起こる。


どういう行動で、脳みそにこの回路が出来上がるのかは、
その人の体験するものとその量で違う。


今の日本社会の「物質主義」は、こうして定着した。
自殺者の多い社会になった、本物の不幸だ。
この先、まだ「物」にすがって生きるように子供に教え続けるのだろうか?

親子キャンプで「質素」を子供に教えたいね。

昔の日本は、ブータン王国と同じで、「質素だが幸せ」が溢れていたと言う。
ヨーロッパの宣教師の記録に残っている。

「江戸川」から「利根川」に出るのには、どうしても一般道を走らなければならないところがある。
ちょっと前までは、これが分からなくてウロウロしていた。

昨日は、利根川に渡ったところにある道の駅「さかい」に寄った。
小腹が減ったのでオニギリを物色したがない。
そこで、
滅多に食べないカップ入りのソフトアイスを注文した。
レモン味だった。

自分で変な体験をしたと思いながらペダルを漕ぐ。
「利根川」から「渡良瀬遊水地」、「渡良瀬川」へと上って行く。

途中の道の駅「きたかわべ」に寄って、好物の「デカにぎり」をほおばる。
いつもは、「うめ」か「しゃけ」なのだが、
昨日は、「うめ」の代わりに「タカメ」を売っていた。
もちろん、それを食べた。 うまかった。

しばらく「渡良瀬川」の土手を快適に風を切って走る。
土手の上は、だいたい建物の4〜5階ぐらいの高さがある。
そこから見回す関東平野は、本当に広々としている。
360°の大パノラマ。

そこに切る風。
僕は、まるで大空を自由に飛んでいるかのような錯覚を覚える。
これ、快感でしょう。

そうこうしているうちにお昼になった。
土手の上に、普通は、食堂などない。
だから、それがある一般道へ行かなければならない。

県道「128号線」を走る。
そこでラーメン屋さんに入る。
都会にありそうな洒落た店だった。
そこは、「佐野市」だ。
当然「佐野ラーメン」を注文した。

お腹を満たしたし、さてどうしようか?
渡良瀬川の先は、もう行ったことがある。
面白そうなものがないかね・・・・そんな僕の気持ちに応えてくれて「旗川」に出くわした。
僕の地図にこれが載っていない、か、明記されていない。

旅情タップリの「旗川」の土手を走る。
こういうのは「快走」ではなく、どっちかと言うと「ツーリング」だ。
車種は、「ランドナー」を使う。
僕は、ロードの700cという細いタイヤでガンガンと土手を走る。
かわいそうな自転車・・・・・

すると、とうとう徒歩でもその先を行くことができなくなってしまう。
ちなみに、徒歩で行けたら、行っちまう、自転車を担いでね。
これは、クロスカントリーだ。

でも、昨日は、もう諦めざるを得なかった。
帰る時間も迫っていたから、
大人しく一般道へ出た。

しかし、そこがどこか、
どっちの方向へ行けば電車があるのかサッパリ分からない。
僕の得意技「当てずっぽう」で東へ向かう。

いい勘しているね。
東武電車の「ほりごめ駅」に着いた。
でも駅前に何もない。
みごとに無い。

駅から1〜2`ぐらい離れたところにセブンイレブンを見つけて、
そこでスーパードライのロング缶を買った。

「ほりごめ駅」は、例によって無人駅だった。
この間、「栃木駅」より北にある駅もそうだった。
勝手にホームへ行ける。

それで、そのときには気付かなかったのだが、
昨日は、「乗降車駅証明書」なるものの発券機を見付けた。
ホームに出るところの隅に目立たなくあった。

と、言うことは、この券がないと全線の料金が取られるのか?
おぉ、くわばら、くわばら・・・・
この間は、この券に気付かなかった。
ウッカリ、券無しで乗車するところだった。
電車が一時間以上来ないので、そこから乗らなかったけど、
乗らないでよかった。

そんな心の動揺を覚えつつ、「ほりごめ駅」のホームで、
スーパードライを飲み干した。
こういうの、最高にうまいんだ。

電車の中で爆睡して輪行で帰った。
人生のあらゆるシーンで「チャンスを逃さない」ためには、
自分の人生のあらゆる局面をポジティブに捉えることでできるものさ。


13/9/10(火)朝 お弟子さんの日記

 阿蘇山を皆さんご存知でしょうか?
世界一のカルデラが有名な熊本の活火山です。

カルデラとは火山活動によって出来た大きな凹地のことです。
因みにスペイン語でカルデラは「釜」「鍋」といいます。
そのカルデラのある阿蘇地方のとある場所に「ラピュタの道」と呼ばれる崖道を見下ろせるスポットがあります。

細長く切り出した崖道の先には、カルデラから溢れ出そうなほどの雲海が広がっており、その遥か先に阿蘇五岳がまるで宙に浮かぶ島「ラピュタ」のように見える事からこの名が付いたそうです。

熊本出身の僕も最近まで知りませんでした。。。
こんな情報を入手したからには見に行くしかありません!!

ちょうど来週末、熊本へ帰省するので、たとえ一人でも行ってきます!!
絶景を見られるチャンスが高いのは日の出の時間・・・午前3時出発予定です!

気になった方はネットで画像を検索して見てみてください。
きっと行きたくなるはずです!
結果報告はまた次週・・・行ってきます!!


13/9/9(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、大家のおばぁちゃんのバースデイパーティをした。
いつもだったら、「日曜晩餐会」の日だった。

そこに、僕の四人の男の子の内、放蕩息子だった二番目の子が突然、孫を連れて来た。
滅多に来ないので、
御殿場に住む三番目の子を誘ったら、この子も来た。

四番目の子、末っ子は、自衛隊に勤務しているのだが、
スペシャル・スーパー・ドジをして外出禁止だそうで、
電話をしても「居留守」だ。
何をしでかすか分からない子を国家が世話をしてくれるので、
とっても助かる。
長男は、未だに更正できていないままだ。

あと、古い友人二人、僕とばぁば、
こういう面子で、今月で店を閉めるというところで、パーティをした。
ちゃんと、バースデイ・ソングをみんなで合唱をしたさ。

まぁ、子供を見ていて、つくづく思うな。
「父親なりの子が育つ」とね。

子供がいるので、短期決戦だ。
孫がカラオケを始めた。
童謡のオンパレード。
かわいいね。

それで、息子たちに火が着いて、
大いに騒いだ。

それで、また呑み過ぎ。
お終い。


13/9/8(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

9月7日(土) 「親子で工作」を道満グリーンパークで実施

昨日の午前11時、
この時点で親子連れが公園にほとんどいなかった。
「ボーズ」か・・・・・

自転車を持って行っていたので、公園をグルッと見回りにいく。
いつも拠点にしているところから一番遠いところに、
子供の遊具があって、そこにちらほらと親子がいた。

この活動の営業マンは、ばぁばがしている。
そこで、その一番遠いところを重点的に「営業」しろと指示した。

午後12時半、
まだ誰も来ない。

そこに、その一番遠いところから、お父さんと子供がやって来た。
それから、少な過ぎず、多過ぎず、
親子がやって来た。

今回の親子は、いろいろと作っていく人が多かった。
親の数では、6〜7人だったが、
子供の数は、たぶん20名以上来た。
木のメダルが随分と減ったので分かる。
中には、一人のお父さんが子供を4人も連れて来ていた。

ばぁばの話しでは、
その中のお母さんが工作にハマって、そのパパが迎えに来ていたそうだ。

来ていた全員の親に、
上記の本の紹介カードを配った。
ぜひこれを機会に、多いに子供と遊んで欲しいものだ。

この間の、「流しそうめん」のアンケートでも、
「子供との遊び方が分からない」というものがあった。

そうなんだな。

「遊び方」さえ分かれば、きっともっと多くのお父さんが子供と遊びだすと思うんだな。

お父さんが子供とたくさん遊んでいる内に、
次第に「父親の子育て」が見えてくるものだ。
それのキッカケ作りを僕は、やっているわけだ。
マザー牧場での「ごちキャン」での僕の挨拶でもそうだ。

子供は、お父さんと遊ぶ事で「生き方」を身に付けていくんだな。

僕は、子供のころ、父親に「自在結び」を教わっていた。
それは、ちょっと間違っていた。
カブスカウトのリーダーをしていたときに、それが分かった。

でも僕は、その間違った結びを教わっていたことを誇りに思う。
父親の存在とは、こういうものだ。

昨日の夜には、ばぁばと二人で打ち上げをした。
僕は、「今までの活動で一番のんびりと充実していたよな」
と、ばぁばに言った。

僕の老後の過ごし方だ、これが。 面白い。


13/9/7(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、今日の「親子で工作」の準備をした。
朝の9時前には、車に資材を積み込むことができた。

それで、痛風の薬が切れたので、歩いて2分ぐらいのところにある病院へ処方箋を貰いに行く。
受付だけ済ませて、
そこで待っていてもしょうがないので、
僕の順番になりそうな小一時間後に、また来るとナースに伝えて、
部屋で編集をした。

薬を薬局でもらうのも、同じく、待ち時間に部屋で編集をした。
僕は、仕事熱心だ。

いつものように11時半には、お昼を食べた。
それで、12時前には、すべてが一段落をした。

そこで、雨が降りそうもないので、気晴らしサイクリングを興じることにした。

さて、午後からだけなので、距離的に制限がある。
今日の活動があるので、疲れるほど走ることができない。
どこへ行こうか・・・・・

ともかく、考える前に走り出した。

今、マイブームの「葛西用水」「元荒川」「逆川」
その先に、「新方川」、その先に「古利根川」、さらに先に「中川」、
そして「江戸川」がある。

最初の「新方川」にさしかかった時に、
この川を上って行くと、「せんげん台」に行き着く。
それでは下るとどこへ行くのだろうと思った。

なんでも、「ヒト」が二足歩行を獲得したのは、「好奇心」からだそうだ。

僕もたぶん「ヒト科」だな。
気になると見たくなる。
素直に自分に従った。

たいした距離を行かなくても「中川」にその川が合流した。
「中川」を一度下ってみたことがある。
R-298 のところまででその時は、その川を下るのを止めて、
その道沿いに走って「葛西用水」に出て、そこを上って帰ったことがある。

それでは、「中川」の R-298 の先は、どうなっているのだろうか・・・・・
当然のことながらの疑問が沸いた。

海まで行きたいと思ったが、上記の通りの制限がある。
「三郷」「八潮」を通り過ぎて、全走行距離を50`以内にしようと思った。

それで、もうここらへんが限界だろうと思ったところで、一般道に出る。
そうしたら、ちょうどそこのところに「環七」があった。
いい勘だ。

環七を西へ向かう。
「綾瀬川」を見付ける。
簡単だ。 高速の下。

ただ、今までこの「綾瀬川」の右岸ばかりを走っていたが、
高速の真下の左岸が、景色はよくなくても、走りやすいことが分かった。

同じ「綾瀬川」でも、そこへの進入方向が変わることで、
「視点」が違ってくる。
それで、今まで気付かなかったことをこうして見付けることがある。

なんでもそうだな。

「視点」を変えて見てみる。

新たな気付きが起こる。

これは、「工夫」の原点かも知れない。
「デザイン」の本質かも知れない。

「快適」「簡単」「便利」を当たり前にして、それに溺れて生きている人は、
その「当たり前」が脅かされるとすぐ文句を言う。
年中、不平不満を感じて生きている。

それで、結局、一生涯不満だらけの人生を送ってしまう。
モンスターとか、ヘビー・クレーマーと呼ばれる人がこれだ。
こういう人は、自分のパートナーや子供にも、「クレーム」を付け始める。
不幸の連鎖が始まるわけだ。

ちょと「視点」を変えると、そのほとんどの場合、
新たな発見があるのに、それを見出すことができないんだな、そういう人は。

どんなこと、総ての事象は、デメリットとメリットを同時に持っている。

「工夫」する能力が高ければ、
どんなに「不利」と思えることでも「メリット」に変換する事ができる。
僕は、これを「親子キャンプ」で身につけたような気がするな。

今の商売を立ち上げることで、この「工夫」をつかんだような気がするな。

「苦しい」こと、「大変」なこと、「辛い」こと、
これらを乗り越え、乗り越え、しているうちに、
「気付き」がシャープになっていったような気がする。

「気付き」は、最も偉大な「成長」だ。

そんな哲学的なことを考えながら、
「綾瀬川」を上って行き、無事、帰還した。
走行距離、43`でした。

結構、いい勘しているでしょう。

さて、これから道満グリーンパークに出向いて、
「親子で工作」のボランティアをやるぞ。


13/9/6(金)朝 キャンプじぃじの日記

明日は、Snowmen Camp Club 「親子で工作」の活動を、
戸田市の道満グリーンパークで行う予定だ。

マザー牧場でのキャンプ・スタッフを、今年で8シーズンやったそうだが、
それより古くから活動をしている。

もっとも、初期には、古い友人とばぁばとで、ただの気晴らしをデイキャンプでしていただけだった。

それを何回もやっているういちに、
物足らなくなって、通りすがりの親子に「工作」を教え始めたのが、
きっかけで、今の「親子で工作」の活動になった。

だから初期には、「自分達の楽しみ」だったわけだ。
それで、午前中は、キャンプ料理を面白がってやっていた。

ダッチオーブンで天ぷら、
同じくそれで「かぼちゃの丸焼き」、
手打ちうどん、
手打ちそば・・・・これは見事に失敗、
コッヘルセットで「餅つき」、

ともかく変わった料理をしていた。
そして、公園を散策していた。

ついこの間まで、一年ぐらい前まで、
古い友人もいたので、午前中は、そんなことをしていた。
でも、
僕とばぁばだけでこの活動を継続するようになってからは、
面倒なので「コンビニ弁当」だ。

「親子で工作」だけが目当てで活動するようになった。

そういうことで、「工作物」のレパートリーを増やすことになった。
子供の年齢によって、作れるものが違う。

幼稚園の子や女の子には、「どんぐり人形」が人気だ。
それ以上の歳の子には、
「マイ箸」、「ペットボトル風車」、「糸電話」、
「水鉄砲」、「枝笛」、

ただ、一度にたくさんの親子が来ると、
それらを教えきれなくなる。

だいたい、一回の活動に、10組の親子を相手にできるけど、
それ以上は、キャパ・オーバーとなる。
いつだったか、
軽く30組以上の親子が来た時には、パニック状態になった。

でもまったく一組も来ない「ボーズ」よりは、
パニックの方が面白い。

明日は、天気がよくなさそうだ。
ボーズかなぁ・・・・・


13/9/5(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、ビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

二学期が始まって、どこの幼稚園も運動会の練習で忙しくなる。

幼稚園の次年度の募集解禁が関東では、11月が多いようだ。
それで、その前の運動会は、
保護者に園をアピールする重要なイベントになる。

それで、どこでも運動会の練習は、園の存続をかけたものという意味がある。

しかし、
最近は、ちょっと様子が変わったらしい。
ネット上での評価というものが今までになく重要になってきた。

運動会での肌で感じる「園の様子」が、
まるで偏差値評価のような「見もしない」での園選びへ傾斜しているのだろうか。

これはあくまで僕、個人が受ける印象だが、
どうやら「利便」を追い求める保護者が特定の幼稚園に集まりやすくなってきたと、
僕は感じる。

方や、面倒でも「教育の質」を追い求める保護者が、やはり特定の園に集まりやすいように感じる。
つまり「園選び」の両極化が起こっているのではないだろうか?
こういう時代の変化がビデオ屋に何を意味するのか・・・・・

保護者の負担は大きくても「教育の質」を求めているところでは、
僕の作るDVDの評判は、一定していてガードを外してコピーを不法にばら撒くということが、無いに近い。

しかし、「利便」を追い求める保護者が集まったところでは、
異様にモンスターが多い。
そして、不法なコピーで売り上げが極端に落ちる。
これを最近、顕著に感じる。

前年度で、25年取引をしていたところを、こちらから取引停止した園があったが、
そこは、あまり園に関わらなくて済むという「利便」を評価した保護者が集まってしまったようだ。
その結果、極端に売り上げが落ちた。

どういうことか・・・・

自分の子がいないクラスの発表会のDVDを買う保護者が現れた。

その保護者のいるクラスでは、それが数枚しか売れなかった。
他のクラスより著しく販売数量がそのクラスでは、少なかった。
そのクラスの保護者が、他のクラスのDVDを買った。

これが何を意味するのか、推理すればだいたいのところが分かるでしょう。

ビデオ屋を始めたばかりの初心者の方は、
そこの幼稚園の「園児数」が多いほうが商売で有利だと思うでしょう。

それがそうでもないことがある。

今の風潮は、「教育の質」より「利便」を追い求める保護者の方が多くなりつつあるらしいからだ。

ここの書き込みでしきりに僕は、こう訴えている。

「子育てを他人任せにするな」

これは、「利便」を求める親が次第に多くなっているように感じる僕の危機感で訴えている。
「簡単」「便利」「気楽」に子育てを済ませようという傾向が次第に強くなっているように感じる。
これを追い求める保護者が多い幼稚園では、
DVDで何を作っても売れない。

こういう裏事情を踏まえた上で、営業展開をこれから始める。

それにしてもモンスター、「自分だけよければいい」という人には、散々嫌な思いをさせられた。
しかし、
昨日の「流しそうめん」の活動のアンケートで分かるように、
子育てに強い関心がある父親がいる園もある。

「子育て」と「教育」の違いを理解してくださるお父さんがいた。
僕は、こういうお父さんに育てられる子に日本の未来を期待したいね。

園児数が多いか、少ないか、ではなく、
どういうふうにDVDが売れるのか、そこの園のバロメーターになるだろう。

最近取引を始めたところでは、
そういう意味では、今までの業者より単価が高いにも関わらずよくDVDが売れている。
保護者の「質」だと思うね。


13/9/4(水)朝 Snowmen Camp Club 活動報告 2

8月31日(土)に行った「流しそうめん」の活動に参加された方からアンケートをいただいた。
ここにそれを載せますので、
ぜひ、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

というこの活動について、
または、子育てにおける父親の役割について、
ご一考ください。

Q この活動は、お父さんが子供と一緒に遊ぶことで、
  「お父さんの子育て」の楽しさを感じ取っていただきたく行いました。
  実際に参加をしてくださり、その点、いかがだったでしょうか?


A1 今回の流しそうめんは、弟も大変楽しみにしていました。
  本物の流しそうめんを体験できて良かったと思います。

A2 自分でお箸を作り、カップを作る事で、
  子供自身が、一番参加をした気持ちになったのではないでしょうか。
  自然とそうめんをたくさん食べていました。

A3 子供も喜んでおり、もっと子供と触れ合う機会を増やしていきたいです。

A4 子供が、
  「おいしい」とか「楽しい」と、食事をとることがなかなか難しいのですが、
  工作をして「お腹が減った」と言って、
  いつもの3〜4倍の量を夢中になって「おいしい」と言って食べていたので、
  とっても嬉しく感じました。

Q 谷口のHP「 http://www4.plala.or.jp/channel 」をご覧頂き、
  そこに「キャンプじぃじの子育て論」のページがあります。
  この活動は、この考え方に基づいて行っています。
  普段、この活動は、戸田市の道満グリーンパークという公園で行っています。
  「子育て」についてのお考えや、この持論についてのご感想などをお寄せ下さ
  い。

A1 今の子供達の環境は、本当に恵まれていると思います。
  欲しいものは何でも揃う、こういう環境が良いか悪いかは、
  正直判断できません。

  マザー牧場の「ごちキャン」も、延べ3回参加させていただきましたが、
  普段ではない生活が子供達を少しずつたくましくさせてくれる
  (我慢を覚える)のを感じます。

  また、キャンプを楽しみにしていますので、
  言葉はまとまりませんが、微力ながら応援をしたいと思います。

A2 そうですね。
  父親が関わる時間は、確かに少ないです。
  積極的に子育てに関わっていかねばと、考えさせられました。

A3 学校ばかりが教育ではなく、
  親の躾、常識、を身に付けさせる事が大切だと思いました。

A4 了解しました。

Q 「ニート」「ひきこもり」「うつ病」または、
  年間3万人以上と言われている自殺者など、
  「心」の問題がこの日本に多いのですが、多くの学者が「父親不在」の家庭環
  境を指摘しています。
  これをなんとか克服したく個人で力量不足ですが、活動をしています。
  ご意見、ご指導、なんでも結構です。 アドバイスをいただければ幸いです。

A1 確かに「父親」の存在は、大きいと思いますが、
  親としても「子」の存在は、大きいと、親になって感じます。
  特に震災後は、ひどくそう思うようになりました。

  仕事上、世間一般の週末(土・日)は、休みが取りずらく、
  嫁には迷惑をかけっぱなしですが、
  休日には、極力、子供と楽しい遊びや、寄り添うだけでもいいので、
  一緒にいたいと思います。

A2 すばらしい事だと思います。
  原因がハッキリしているようならば、父親の役割が重要でしょう。

A3 大人になると嫌なことや、我慢しなければならないことが沢山あるので、
  若い内に辛い体験をした方が子供のためになると思いました。

A4 素晴らしいお考えと、行動力に頭が下がります。
  私もなんとか子供との時間を作ろうと努力していますが、
  子供は、もっと遊んで欲しいのだと感じます。

  また、遊び方も難しく思う時があります。
  今日は、大変満足しています。
  お勧めいただいた本を買って、ヒントにさせていただこうと思います。

Q 最後に、難しい話は別にして、この「流しそうめん」を今後継続していくために
  何かいいアイディアがあったら、ご教授下さい。 ご協力ありがとうございまし
  た。

A1 参加人数が増えると大変ですが、年長さんに兄弟がいたら、
  プラス参加させてみては、いかがでしょうか。

  麺をゆでる等、段取りが大変だと思いますが、
  参加をしているお父さん達を使えば何とかなるかな?

A2 個人的には、道具の準備〜〜後片付けまでさせることが大切だと思いま
  す。

A3 汗をかくのでタオルを持参すればよかった。

A4 本日は、人数が少なかったので良かったと思いますが、
  人数が多いとしたら大変だと思いますので、
  ボランティアを募集されてはいかがでしょうか?

  また、工作物の見本や、材料を予め割ってある箸などあると良いかなと思い
  ました。

編集後記

頑張ってこの活動をして、本当に良かった。
参加をしてくださったお父さん達には、いかに「父親」の存在が子育てに必要か、
それを感じ取っていただけた様子だ。

ある哲学者の言葉・・・・

「子育ては、ある一線を越すと快感になる」

この「一線」は、たくさん自分の子と関わることを意味すると思う。
ぜひ、多くのお父さんにこの「一線」を越して欲しいと心から願っています。

マザー牧場の「ごちキャン」に三回も参加をしてくださったお父さんもいて、
熱いメッセージをありがとうございます。

「ごちキャン」での僕のメッセージをよく聞いていてくださって、
炎天下のあの肉体労働をして本当によかったと、
頑張った分だけの効果があって、とっても嬉しいです。

また、他のお父さん達も、「子育て」と「教育」の違いがあることに気付いてくださったようで、
とっても嬉しいです。
この活動を草の根でこれからも頑張っていきたいと意を強くできました。

本当に、ありがとうございました。
参加をしてくださったお父さん達に勇気をいただきました。


13/9/3(火)朝 お弟子さんの日記

 富士登山をしてからというもの、登山への興味が沸々と沸いてきた夏になりました。

今年は自然に多く触れることが出来た夏であり、
こんなに外で遊んだのは小学生以来かもしれません。

今月、少し遅めの夏休みをとる予定で熊本に帰省します。
その際、まだ暖かいうちに地元をもっと散策しようということでいろいろと調べていたら、非常に興味深い場所を見つけました。

『阿蘇 ラピュタの道』あのラピュタです。

けっして阿蘇がモデルになったわけではありませんが、
ミルクロードという道が阿蘇にあり、
そこから見える景色がまるでラピュタのように見えることから、いつからかそう呼ばれるようになったそうです。

僕も18歳まで熊本にいましたが、
全く耳にすることなく26歳になって初めてそれを知りました。

日の出の時間帯が一番のタイミングらしく、
状況が良ければ雲海が一面に広がり、長く突き出た山肌の一部がひょっこりと顔を出し、雲海を挟んで遠くに阿蘇五岳の一部が見える最高の景色を見ることが出来ます。

「いやぁ〜、行くしかないなぁ!」その写真を見た瞬間に決めちゃいました。
ただ気になるのがそこへ行くまでの道のりです。
途中までは車でいけるようなのですが、景色が見える場所は車両侵入禁止区域・・・、それはなぜか?

地盤がもろいからとの事。
その写真も載っていましたが、ちょっと冷や汗が出るほど崩れてます。
安易に考えているわけではありませんが、なんとかなるでしょう!

熊本といえばクマモン!というイメージが強いですが、
日本一・世界一のものが意外と多く、ラピュタの道のように自然にも恵まれている県なのです。

是非、次の旅行は熊本を選択肢に入れてみては・・・?
来てはいよぉ!待ってますばぁい!


13/9/2(月)朝 キャンプじぃじの日記

戸田市の道満グリーンパークで、「親子で工作」を一緒にやっていた古い友人。
今は、引越しをしてやらなくなった。

ソイツが、昨日、最近通っている店で呑もうというので、
いつもの銭湯に一緒に入ってから、
うつ病の古い友人、大家のおばぁちゃん、ばぁば、も連れてそこへ行った。

そうしたら遅い「夏休み」で、お休みだった。
しょうがない、
みんなが集まっていたので、いつも行く小料理屋に向かう。

そこで、「流しそうめん」の様子をデジカメで撮ったものをみんなに見せた。
その時の活動を「つまみ」にワイワイと呑んだ。

自分の子供がいなくなって、
この「親子で工作」の活動は、僕にとって最も大切な「自分以外」を味わえるものだ。

だから、
「やってやる」のではなく「やらさせてもらう」という感覚だ。

これが「ボランティア活動」の本質だ。
僕は、自分の子育てをとおして、これが身に付いた。

子育てを金を払って他人任せにしていたら、
「父親」が育たないんだな。

父親の心が育たなければ、その父親の子の心も育ちにくい。
こういうものがある。

僕は、商売を縮小して時間を作り、
カブスカウトの活動を年に70日やった。

目標どおり、子供たちは自分の力で自立をし、
僕は、今、「仕事のある隠居生活」を楽しんでんのさ。

「自分の消費」しか分からない惨めな人生ではなく、
ど貧乏だけど、心の底に本物の喜びが横たわっている人生を得ることが出来た。

子育てを他人任せにしていいことはないと思うよ。
さぁ、たくさん子供と遊ぼう、若いお父さん!

今度の土曜日には、戸田市の道満グリーンパークで、

「親子で工作」をやるよ。


13/9/1(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

8月31日(土) 親子で工作「流しそうめん」を実施

暑かった!
流す台に、もうそう竹の太いものを使うのだが、
それを半分に割って、中の節を取り除く作業を日向でいていたら、
熱中症ギリギリまでになった。

3〜4回、「竹ハウス」の日陰に避難をして、用意してあったポカリを飲んでは復帰するという状態だった。
その時だ。
年長さんの女の子が僕のところに来て、
「キャンプじぃじ、大丈夫?」と気遣ってくれた。

優しいね!
超かわいい!
僕は、息を吹き返したね。

ばぁばに聞いた話しでは、
その子は、パパにもポカリを注いで持って行ってあげていたそうだ。
羨ましいなぁ・・・・

こういうシーンこそが「幸せ」でしょう。
僕は、親子の「幸せ」のお裾分けをいただいた。

「流しそうめん」が目的ではない。
今回、活動の目的をハッキリ書いた申し込み用紙を配って、
参加者を募集した。

それは、こうだ。

「イベント概要

これは、「子育ての面白さをお父さんに伝える」ことを目的にしたボランティア活動です。」

「流しそうめん」は、そのための手段だった。
このことをちゃんと意識したパパが集まったので、
最後の僕の挨拶をよく聞いていてくれていた。

マザー牧場の「ごちキャン」と同じで、
上記のキャンプのハウツー本を紹介して、
「子供とたくさん遊んでください」と締めくくった。

ところで、どこかで見かけた顔のパパがいた。
そこは、もう20年以上取引をしている幼稚園だったので、
幼稚園の何かのイベントでよくお会いしていたのだと思っていたら・・・・

ナント、そのパパ、マザー牧場の「ごちキャン」に今年参加をしてくれていたそうだ。
ビックリ仰天、世間は狭い。

僕とばぁばの二人で撤収をして、
僕は、その「流しそうめん」の台、一式を今日使いたいというところへ持って行きセットした。

マザー牧場のキャンプスタッフと同様のレベルで、くたびれた。
でも、子育てを自ら行いたいと思うパパたちの喜んでいた顔を見ることができて、
僕は、とっても幸せな気分だ。 最高。

「人は、パンだけでは生きていけない。」
ここで言う「パン」とは、「消費」のことだと僕は思う。

心の底からの「喜び」が、生きる活力になる。
自分の子供がいなくなった今、こうして僕は、生きる活力を得ているのさ。

このことは、僕が死ぬまでし続ければ、
きっといつか、僕の子供たちも気付くだろう。
それを思うと涙が出そうだ。

子供たちへのメッセージ・・・・・