ここのページは、お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!! と、お父さんに呼びかける Snowmen Camp Club のメッセージです。 ================================= キャンプじぃじ、お勧めの一冊! 「家族・親子 アウトドアー・キャンプ入門」 赤井 健一 監修 1,480円+税 HP■土屋書店 刊 僕の作った「親子キャンプ」ハウツーDVDは、どうやら「敷居」が高すぎるようだ。 もっともっと親子でキャンプを気楽に始めるのにちょうどいいハウツー本です! これで、小学校四年生までにたくさん子供と遊ぼう! そういう子育てをしよう! にほんブログ村 動画■●●●サイクリングのドキュメンタリー●●● (BGMは、著作フリーを使用しています) 「教育」と「子育て」の違いを知って、心の強い子に育てよう! ページ■「キャンプじぃじの子育て論」 動画■「けんちん汁&餅つき」 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ○ 新連載「お弟子さんの日記」 毎週火曜日に掲載 ● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に、ページ■「活動予定」 ● 木曜日には、「ビデオマンの日記」・・・・ビデオ屋を目指す方へ、 ● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」・・・子育て真っ最中の方へ ● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」・・・・老後の提案 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 14/2/28(金)朝 キャンプじぃじの日記 昨日、何屋さんをやっているのか、いつも分からない人から電話があった。 「谷口さん、10万ぐらいのビデオカメラを買おうと思うのですが、 どこのメーカーがいいのでしょうか?」 僕は、 「今のビデオカメラは、「業務用」と謳っていても、 中身は、みんな民生機だよ。 とくに「絞り」は、昔のレンズの機械式ではなさそうだ。 メーカーは、ソニーは、青みが強く、パナソニックは、グリーンがのりやすい。 ビクターは、赤味に傾く。 これらは、好みの問題だ。 だいたい、機材は、「仕事に合わせてチョイスする」ものだ。 どんな仕事に使うのかでカメラが違うでしょう。」 一昨日のここへの書き込みと同じことを言った。 新しいカメラがあれば、仕事が貰えると思っている典型的な例だ。 たぶん、5年経っても、10年経っても、カメラマンでは食っていけないだろう。 「的外れ」 これに早く気付けばいいのにね。 子育ても、父親が、 「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てることを、 目標にすることに気付いた分、 見当違いな育て方をしないで、 その子にとって丁度いい子育てをすることだろう。 そもそも父親自身で子育てをする気がない人は、どうにもならない。 父親自身で子育てをしたいけど、どうすればいいのか分からない。 こういう心ある父親は、だいたい10%未満らしいことが分かった。 その10%未満でも、心ある父親を探し出して、 「子供の個性」について理解をしてもらい、 それにあった接し方を提案したい。 そして、どういう「個性」であっても、 「子育てを強く意識した親子キャンプ」の有用性を訴えていきたい。 この三月に、来年度の僕のボランティア活動の「年間プログラム」を、 ここに発表をしますので、 若いお父さん、ぜひ、ご参加をください。 子供が小学校四年生までが、父親と遊びたい盛りです。 これを逃したら、子供の一番かわいい時期を味わうことができませんよ。 その時に、どう接したらいいのか、僕なりに提案をします。 14/2/27(木) ビデオマンの日記 昨日は、お弟子さんにカメラマンの「心得」のようなことを教えた。 それは、「視点」を教えるために不可欠だ。 その「心得」とは、 「見る」ということは、それを「知っていく」ということ他ならない。 「知る」ということは、被写体を「調べる」「研究する」ということにつながっていく。 だから、取材前に、 その取材の「目当て」をシッカリと「調べて」、 「何を」「どう」撮ればいいのかを考える。 そしてその「目当て」通りの「絵」をゲットする。 何年かかってもカメラマンのプロになれない人に多いのは、 ここだ、「被写体に対しての専門性」。 こういうことを学びもしないで、新しいカメラに心を奪われている。 そして、「営業」を、いかにしないで仕事を得ることができるのか、 そんなことばかりを追い求めている。 「的外れ」 こんな調子では、カメラマンで喰っていけない。 そもそも「的外れ」では、職種的に致命的だ。 カメラマンの仕事の中心にあるのは、 「視点の勉強」をどれだけ深く広くできるのか、 ここにあるからだ。 だから、お弟子さんには、機材を買うことを考えるな、と教えている それで、昨日の取材は、僕と並列をしてお弟子さんも撮影の練習をした。 他の人と比べてではなく、 彼自身が、初期のころと比べて明らかに上達した。 このプロセス、まったく子育てと同じだ。 子育てで最も重要なことは、 「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てることだ。 このことは、古今東西、変わらない普遍的な子育ての目標だ。 つまり子育てにおける「視点」ということ。 決してカメラマンとして喰っていけないミステイクは、 その「視点」を外して「カメラにこだわる」ことだ。 子育てでは、 「自立をした一人の大人の社会人」という目標を失って、 親が自分の「消費」で頭がいっぱいの状態のことを指す。 その結果、子育ての「心構え」が「的外れ」なので、 「ひきこもり」や「ニート」「うつ病」などの心のトラブルを子供が起こす。 こういうことが、今、ここ日本で起こっている。 ある調査では、ひきこもりは、150万人もいるという。 「物」がいくら豊富でもこれでは、「幸せ」ではないでしょう。 子供の心が育たないので、 それを学校でやりだしている。 学校の先生は、本来「読み、書き、そろばん」を教えるのが本業なのに、 「家庭教育」や「社会教育」まで押し付けられてしまった。 僕は、高卒だが、 大学を出ても、誰もこの矛盾に気付くことができないでいる。 例えば、先進国であるヨーロッパでは、 国によって違うだろうけど、「心の成長」は、「宗教」で教わっている。 成熟した大人の国、 例えばドイツで、フランスで、イギリスやイタリアでは、経済では、ちょっと怪しそうだが、 国民の心は、宗教で学ぶのが「常識」でしょう。 ここの「常識」が、今の日本では、極めて低く感じる。 それは、「無宗教が正しい」という「教え」があることで分かる。 「的外れ」 被写体の研究もできないでプロのカメラマンを目指すこと。 「自立」を無視して子育てをすること。 この的外れに「気付く」ことができる人が、 「技術職」で生き延びることができて、 これからの能力主義の日本の社会を思いっきり生きていくことができるだろう。 14/2/26(水)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、先週の発表会のDVDの見本を届けに35`離れた取引先まで行った。 もちろん、一般道ではなくて川沿いに行ったので、 走った距離は、もっと多い。 途中の浅草付近に、ドラ焼き屋さんがある。 そこの看板に「天然ドラ焼き」とあった。 ドラ焼きに「天然」があるということは、「養殖もの」もあるのか? 「快適な生活」でなければ生きていけないという 「ヒト」の養殖ものは、よく見かけるけどね。 「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件になる」 そうして女の子が育てられると、 やたらに「条件」の多い人になることは、簡単に想像できるでしょう。 そういう子が結婚して、旦那は大変だ。 一番多いのは、「給料が安い」だろうね。 決して旦那様の給料で満足しない母親になるのではないかね。 なんとなく三名ぐらいのお父さんがうなずいたような気が、今、した。 とっても気の毒だけど、離婚だけはなんとしても避けて欲しい。 もうウンザリしているのかも知れないけど、それだけは避けよう。 たぶん、サラリーを全部叩いて買った家へ、 このことで帰りたくないんでしょう。 その気持ちはよく分かるよ。 だから、安い居酒屋へ寄りたくなるんでしょう。 この気持ちも本当によく分かる。 せっかく大枚を払って買った家へ帰りたくないんでしょう。 本当によく分かるよ、その気持ち。 でもしょうがないよな、鬼嫁には目をつぶって帰ろうか。 せめて、お子さんが女の子だったら、 間違ってもそういう女性にならないように育てよう。 そのために、家へ早く帰って、 娘に「質素」で十分に「幸せ」を感じられる人に育てようよ。 「幸せは、それを感じ取る能力」 だから、こういう能力を子供に身に付けさせよう。 具体的には、 不便なキャンプ、「親子キャンプ」を子供にたくさん体験させるといいのさ。 女の子だって、元々は自然の中に生きる生物なんだよ。 野性にリセットして、天然ものに子供を育てようよ。 こうして、 「生きる条件」がやたらに多くならないように育てようよ。 そう育てられた女性は、男に逃げられることはないでしょう。 きっとそう育てられた娘のところに、その子の旦那は喜んで帰るさ。 幸せじゃないですか。 違うだろうか、どう? 14/2/25(火)朝 お弟子さんの日記 今週も幼稚園とはかけ離れた内容になります。 知人繋がりで食育についてお話を聞くことが度々あります。 現代社会の作物は非常に栄養が少なく、 考えられないほどの量の薬品が使われています。 その食材は本当身近なところ、 ファミレスやスーパー、殆どの食品がそうだと言ってもいいほど出回っているそうです。 動画URL・・・http://buzznews.asia/?p=1668 動画の観点はまた違ったメッセージを伝えようとしておりますが、 狂った食世界が普通になってしまっている現状を伝えようとしていることは一緒です。 ウガンダなどでは食べたくても食べられない人達がたくさんいると聞きます。 それなのに先進国では必要以上に消費してしまうことがごく当たり前。 スーパー等では大量に作ることにより「沢山の商品=人気の売れている商品」というイメージを狙い購買促進へ繋げていたりします。 売れればまだ良いかもしれませんが、 売れ残ったものはなんの躊躇もなく廃棄される。 世界で生産される食料の3分の1は廃棄され、 8秒に1人が飢餓で苦しんでいるというデータがあります。 世の中矛盾だらけです。 まだ明確なビジョンは思いつきませんがビデオアルバムを作っていく事と並行して、 この食の現状を伝えていけるような映像を作っていきたいと考えるようになりました。 その前に先ずは幼稚園。 土台を固めて、自分のやりたい事・伝えたい事を膨らませていきます。 14/2/24(月)朝 キャンプじぃじの日記 道満グリーンパークでの「親子で工作」の活動は、 たぶん、ぼちぼち10年ぐらい続けてきた。 初めは、「父性教育の重要性を訴える」という理念だったが、 表現が硬すぎるので、 「子育ての面白さをお父さんに伝える」 というふうに替えてみた。 表現は変えたが、理念自体は同じだ。 「親子で工作」の活動は、たまたまそこに居合わせた親子を相手にしてきた。 なかなか趣旨を伝えられなく、 また、何かの新興宗教か何かに間違われたのか、 「父親の子育て」についての理解まで程遠いものがあった。 でも諦めずに続けた。 そうしているうちに、プライベートのキャンプ場を借りられるようになった。 今年の一月でまる四年間借りることが出来た。 「さぎ山野営場」だ。 まったくこれらに関係なく、 キャンプ場のすぐ近所に小さい教会があると、古い友人に教わって、 興味本位で尋ねてみた。 そうしたら、そこで塾をやっていて、そこの塾に通う子供たちがいることが分かった。 そこで、牧師夫妻に親子でデイキャンプを楽しむ企画を提案した。 それが二年前の「カレー作り」になった。 その後、散発的に「さぎ山野営場」でデイキャンプを企画した。 参加をする子供たちも面白がって来る。 また、まったく違うことで、 取引先の幼稚園で「流しそうめん」を企画しやらさせてもらえた。 こちらは、初めから「父親」をターゲットにして参加募集をした。 一昨年、参加者は父親約100名中、10名の参加。 去年は、父親100名中、5名の応募で一名事情でキャンセルだった。 「父親の子育て」に興味を持つ父親の確率が、 このことで10%未満ぐらいらしいことが分かった。 「父親の子育て」の意識が、ここ日本では、非常に低いと感じた。 そこで、道満グリーンパークでの「親子で工作」と さぎ山野営場でのデイキャンプ、 幼稚園での「流しそうめん」の活動を組み合わせて、 今年、 年間プログラムを立てて活動する事にした。 来月にこのHPで公開します。 3つの活動の一元化を図ることで、 「子育ての面白さをお父さんに伝える」 ということを「伝わりやすく」していきたい。 僕の子育てで味わった面白さや感動を若いお父さんたちに伝えていきたい。 僕の余生で、こんなに価値のある挑戦は、もうないだろう。 だから、夢中になっているんだ。 僕の天国への貯金だ。 こういう気持ちが僕の「心のよりどころ」になっている。 昨日、越谷にある久伊豆神社という地元の人がたくさん参拝をするところを、 暇つぶしで、ばぁばと散歩をしようとした。 参道に入ろうとしたときに、 その隣にお寺があることに気付いた。 なんとなく、お寺があるな、とは思っていたのだけど、 そこは、散歩をしにくいので、神社の参道の方を、いつもは二人で散歩をしてきた。 でも昨日はなんとなく、二人で、そのお寺の方を訪ねてみた。 「天嶽寺」だ。 浄土宗。 二人で境内を行く。 そこで、「浄土宗檀信徒信条」というもがあるのを見つけた。 その中に、 「心のよりどころとして念佛の道を歩み、 感謝と奉仕につとめましょう」 「誠実と反省につとめましょう」 「平和と福祉につとめましょう」 と載っていた。 僕はこれらの中で「心のよりどころ」というフレーズに惹かれた。 クリスマスに騒いで、除夜の鐘を聞きにお寺へ行って、 初詣に神社へ行く・・・・・ こんなデタラメではなく、 自分の心が向く自分の「心のよりどころ」として、 一つの宗教を学んで欲しいね。 昨日、名古屋で歩行者に向かって車で突っ込み、 無差別殺人をやった者がでた。 秋葉原での似たような事件を思い出した方も多いと思う。 「心のよりどころ」 これを無視した子育て、生活習慣、 これの恐ろしさが出たのだと僕は思う。 僕は、こういう心のトラブルは、無宗教だから起こるものだと考える。 「心のよりどころ」を宗教ではなく「物」に求めるのが「物質主義」となるのでしょう。 せっかく生きているのに、 これでは「心豊か」に生きることは、できないよね。 何か一つ、自分の家族のために真剣に宗教を学ぼう。 子育てに、子供の心に、大いに役立つ。 こういうふうに生きるのが本当の「大人」なのではないかな。 14/2/23(日)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、一日中、発表会のビデオ編集をしていた。 自営業なので、目が覚めてそのまま仕事をする。 「通勤時間」がないので正味一杯の労働をした。 朝の5時半ぐらいから、夕方の5時過ぎまで、たっぷり働いた。 住んでいる場所で、こうして長時間PCに向かうのは、 そのこと自体が苦痛だ。 そもそも部屋の中にこもること自体が苦痛。 そこで、昨日は妙案を思い付いた。 部屋が明るいので気が散る。 工具なんかが見えたりしては、いけないわけだ。 大昔、 テープ巾が1inのビデオ編集室で仕事をしたことがある。 そこでは、機材のオペレーターは、そこの社員がやる。 僕は、編集点を細かく指定するだけだ。 その編集室を借りるのは、一時間で2万5千円だった。 う〜〜〜と、なんて考え込んだら、一万円札がバラバラと飛んでいく。 だから、仮編集をしたものを持って行く。 そこの編集室のことを、今頃になって思い出した。 そこは、余計なもが見えないように暗かったんだよ。 今まで何でこのことに気付かなかったのだろうか・・・? 「気付く」というものは、こういうものだ。 若いお父さんにも気付いてもらいたいよ、 自分の子供とたくさん遊ぶからこそ、その子が愛おしくなるのさ。 愛おしいからこそ、 僕は、子供の成長のために、カブスカウトの活動を年に70日もしてしまった。 面白かったんだよ。 感動が一杯あったんだよ。 自分の消費で頭が一杯の状態が、 こういうことで非常に惨めであることが分かったのさ。 自分の子とたくさん遊ばなければ分からないことが、 とってもたくさんあるのさ。 これに気付くことが出来るかどうか・・・・ここが問題だ。 30年近く前にその編集室でのことを思い出すことが、昨日できた。 それで、部屋を暗くして編集をした。 おかげで、一日中、部屋にこもることができたということでした。 小学校四年生までに、父親がどれだけ自分の子と遊べるのか、 その関わり具合で、 その後の反抗期に大きい影響が出る。 そして、子供の「自立」に向けて子育てが出来るようになれる。 「気付く」 ちょっとしたことで、気付くことができるのだが、 心を澄まして、非常に素直でなければできないもの・・・・・ 「気付き」 14/2/22(土)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、目当てどおりに生の枝をタップリっとゲットできた。 善福寺川の公園で、いくらでも拾えた。 「親子で工作」 この活動では、「ペットボトルの風車」「ドングリ人形」 「枝笛」「水鉄砲」「竹とんぼ」「糸電話」「ドングリのネックレス」 など親子で小さいものを工作して遊ぶ。 そして工作が終わったら、親から子へ木のメダルで表彰をする。 ここの「表彰」のところに「子育て」を感じ取ってもらえばと思っている。 子供が中学生ぐらいになって、 父親が子供に人生のウンチクを語って欲しい。 これが今、最も子育てで不足している「教育」だ。 もう一度言う、今、この日本で最も不足している教育は、 「父性教育」なんだ。 これを語れる父親になるためには、 父親自身の「心の成長」が求められる。 父親が自分自身の「消費」で頭が一杯だと、「心の成長」はできない。 だから、子供が中学生になる前に、 子供と一緒に遊ぶことで、「親子」で少しずつ「心の成長」を目指して欲しい。 子供が小学生の内に、父親が「心の成長」を少しずつ、少しずつ、身に付けて欲しい。 シッカリと子供が小学生の内に、たくさん父親自身で子供に関わって欲しい。 これが「親子で工作」のボランティア活動の理念だ。 14/2/21(金)朝 キャンプじぃじの日記 幼稚園の発表会の仕事で、 朝4時起きで35`離れた現場に通って、今日で四日目、最終日。 眠い。 朝4時半にボロアパートを出れば、一時間で現場近くに到着する。 そして、今がそうだが、ここの書き込みに小一時間かけることができる。 朝5時に出発では、ここへの書き込みの時間的予算は、30分ぐらいで厳しい。 朝5時半出では、書き込みは無理になる。 朝6時にノソノソと走り出すと、渋滞で辿り着けなくなる。 こういうことで、この四日は、4時起きだった。 毎日、書き込んでからファミレスで朝食だ。 ご飯の朝メニューは、いくつもないので選びようがない。 今日も、そこで食べてから「ご出勤」だ。 昨日の現場入りは、ちょっと遅めに8時前ぐらいにした。 客入りが9時ちょっと過ぎ。 それまでにカメラを三脚に乗せて、カラーバランスを調整する。 開演10時ちょっと過ぎ。 普通、開場から開演までは、30分だが、諸事情で一時間ぐらいそれがある。 待機が長くて、それで眠くなる。 そこで、昨日は、僕の大好きな「善福寺川」へ散歩に出た。 風がないので、冷たい空気が、逆に心地いい。 20分間歩いて、それで現場に帰れば、40分の散歩になる。 いつもは、そこを自転車で走って楽しんでいるのだけど、 「歩き」だと、同じ場所でも「見え方」がガラリと違う。 この間の豪雪は、越谷ではたいしたことがなかったが、 この善福寺川にある公園では、結構な雪が積もったらしい。 ところどころに雪の残骸が積んである。 そして、よっぽどもの雪の量が降ったらしく、 ところどころに枝が落ちていた・・・・・ 僕は、こういうところに敏感に反応してしまう。 僕のボランティア活動「親子で工作」などで、 工作のあとで、親から子へ木のメダルで表彰してもらっているのだが、 その木のメダルに丁度いい太さの枝を見つけた。 直径が10センチぐらいの木の枝。 あったよ。 二本、頂戴をした。 そこで、昨日は、帰ってから編集をしている間に、 電動ノコギリの電池を4個、フル充電したんだな。 今朝もそこで物色する。 今度は、「枝笛」を作るのに丁度いい太さの枝がターゲットだ。 SCCのキャンプ場「さぎ山野営場」にも木がたくさんあるが、 脚立で届かないところに、いい枝がある。 だから、こうして雪が降ったり、台風が来たりしたときに、 枝が落ちて、 工作に丁度いい「生木」が手に入るというわけだ。 開演時間を忘れずに、いい枝をゲットしなければ。 問題は、ここだな・・・・ 「忘れないように・・・・忘れないように・・・・・」 これ、先生が子供たちにかける暗示の言葉。 振り付けもある。 両手で自分の頭をポンポンとたたく。 14/2/20(木)朝 ビデオマンの日記 ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 僕の住む越谷市から35`離れた都内の取引先まで、 四日間、朝早く行って発表会を撮らなければならない。 初日は、仕込みで早く行った。 それで、今朝はその三日目だ。 収録は、それぞれたったの一時間。 今、現場近くでここに書き込んでいる。 もうすっかり、この書き込みも習慣化した。 「一人3カメ」の手法でこの発表会を撮るようになって、 もう4〜5年になるだろう。 ある意味では、1カメで撮る方が難しい。 パンとズームだけて、全部の子の顔を撮りつつ、 全体の様子も、大雑把には分かるように撮らなければならないからだ。 その点、3カメあると、かなり余裕がある。 いざとなったら、1本を引き絵にして、顔のだ列を P in P で作ることも出来る。 しかし、一人で3本のカメラをオペレートすること自体は、 結構難しい。 同時に2本のカメラを動かす。 さすがに僕の手は二本しかないので、同時に3本のカメラを動かすのは、 物理的に出来ない。 でも、2本は、同時に動かす。 ここの技術は、もう何年も手掛けてきても難しい。 今、これをお弟子さんに教えているが、 実戦配備ができるようになるまでは、 相当の練習量が必要だろう。 だからこそ、この技術が同業他社に差別化が出来る営業面での武器になる。 とくに、手広く幼稚園の発表会を撮っている業者では、 一人ぐらいのカメラマンがこれで撮れても、 何人ものカメラマンにこの技術で撮らさせることは、極めて困難だろう。 こういう風に、 この仕事は、「個人事業」が向いているわけだ。 個人事業ならではの「商品開発」をこうして構築していくといい。 これは、非常に重要なポイントだ。 個人事業ならではの技法の開発。 「一つのまとまりのある作品」 これを目指して、幼稚園のお泊まり保育や卒業ビデオアルバムを作り続けている。 これは、運動会や発表会などの記録の仕事とは、世界が違う。 「起承転結」をうまく構成できるかどうかが、要の仕事だ。 ビデオ初心者の人は、この違いを理解できないことが多い。 この仕事のスタンスは、ドキュメンタリーだ。 だから、基本的に「やらせ」はできない。 チャップリンの初期の映画のように、 「絵」だけで「起承転結」をするためには、どうしてもフィクションになるでしょう。 そのチャップリンだって、最後には強烈なメッセージを込めようとしたときには、 「言葉」を使わざるを得なかった。 だから、このドキュメンタリーの完成度を上げるためには、 「言葉」が不可欠になるわけだ。 お弟子さんには、「絵」だけではなく「言葉」に強くならなければ、 いいものが作れないと教えている。 それの訓練で「お弟子さんの日記」を書かせているわけだ。 上手かどうかよりも、「書き続ける」ことを、今、目指させている。 僕自身も「言葉」に強くなるために、 ここに書き込んで毎日トレーニングをしているわけだ。 「絵」と違って、「言葉」には、 形容詞が使える。 「考え方」というのも表すことができる。 感情を言い表すことができる。 これらのことで、作品に膨らみができるわけだ。 ビデオ屋家業は、一生涯勉強の積み上げになるものだ。 だから面白い仕事なんだな。 ここにこの仕事で生きてきて、自分でビックリ仰天する人生の充実感がある。 「一生涯安泰」なんて生き方が非常に陳腐に見えるわけだ。 せっかく生きているのだから、完全燃焼したい。 こういう風に生きられるここ日本は、本当にとってもいい国だ。 こういう生き方ができるいい国だ。 それなのに、 いつ、リストラされるのか分からなくてビクビクしながら生きなければならない会社員に、 どうして、そこまでこだわるんだろうね? どうして、そういう子育てをするのだろうか? たぶん、そこに「気楽」を見出したいからじゃないのかね。 気楽な人生で、充実感は味わえないというのに。 自分の能力を 100%引き出して生きる。 これを追求したら個人事業が面白いと思うね。 自分の好きなように「商品開発」ができる。 僕は、こういうことで10年勤めた会社から脱サラをした。 そして、今年で脱サラ30年になった。 死ぬかと思ったよ。 スリル満点。 超ハイリスク。 だから面白かったのさ。 こういう元気な若者が、これからは延びる時代だ。 学校では、これを教えてくれないさ。 14/2/19(水)朝 キャンプじぃじの日記 僕には、四人の男の子がいるが、 育て方が悪くて、上、二人はグレてしまった。 下二人は、強く「子育て」を意識して育てたら、 人様に見せびらかすような立派な人には、ならないけど、 「自立をした一人の大人の社会人」 に成長をした。 上、二人もキャンプやスキー、サイクリング、 で平均的な日本人以上に僕は、子供と遊んだ。 しかし、 そこに「子育て」の意識が、僕に低かったので、 グレてしまったんだな。 子供の「個性」を把握できなかったことが、 一番悪かった。 下、二人、 とくに三番目の子は、小学校に入るときに専門家に「学習障害」を指摘された。 そこで、 僕は、本当に必死にその子の「自立」を目指して子育てをした。 そういうことで分かったことが、 末っ子も「障害」までには、ないけど、 そういう傾向が強いことも分かった。 「覚える」ということが極めて苦手な症状だ。 商売で「理念」「戦略」「戦術」を使い分けて実行をしてきたので、 今の商売を立ち上げて、継続できたが、 今度は、子育てにこれを応用した。 「理念」は、 何が何でも「自立した一人の大人の社会人」に子供を育て上げることだ。 「戦略」は、 頭が悪いのだから、体と心を鍛えていく。 ということだった。 具体的な「戦術」は、 ボーイスカウトの活動に参加をさせて、 シッカリと宗教に根ざして生きていけるようにする。 こういう作戦を立てて実行をした。 こうして、下、二人の子育てを始めた。 ところが、 入団したボーイスカウトでは、あまりキャンプをやらない。 転団をした。 次の団では、リーダー不足なのでリーダーをやって欲しい。 できなければ、団の存続ができない。 と、一年足らずで宣告される。 まさかの展開だ。 こういうことで、僕はリーダーの資格を得るために三泊四日の「リーダー研修」を受けることになる。 それは、ボーイスカウト流のキャンプを実際に体験しながら、 夜には、その理論の講義があった。 ここがBSの凄いところだ。 「なんとなく」ではなくシッカリとした裏付けのある「子育て」を学ばさせてもらった。 関連書籍も豊富だ。 僕は、自分の子の障害を乗り越えるために必死に学んだ。 こういうことで、僕は、カブスカウトの隊長をして、 年に70日もの活動をしたわけだ。 とっても大変だったけど、 実は、とっても面白かったんだな。 見る見る、もう手に取るように子供の成長振りが味わえた。 感動をさせられた。 これを少しでも若いお父さんに伝えられたらいいと、 今のボランティア活動を始めたわけだ。 しかし、 そのカブスカウトの活動で、子供は伸びていったのだが、 結局、親がズッコケていたので、その後、その子たちは、 あまり芳しくなかったようだ。 こういう僕の体験があるので、 「父親が成長した分、子が育つ」と、ここで訴えているわけだ。 いくら最高級の「教育」を子供に受けさせても、 父親がNGだと、結局、子供を上手に育てることが出来ない。 このことは、僕自身にも言えることだ。 BSと僕の「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動の違いは、 BSは、あくまで子供の訓育が目標になっているのに対して、 僕のボランティア活動は、 「父親の成長」 が本質的な目当てというところにある。 中身は、BSのパクリだ。 この間、幼稚園の餅つきの活動をビデオで取材していた時の話し。 僕は、この活動の流れを保護者に教える役目もやっている、もう何年も。 お父さんに杵の使い方や、カマドでの火起こし、セイロでの蒸し方、 そんなことを教えている。 保護者の方の中には、僕がビデオ屋だということを知らない人もいる。 それで、 あるママが僕のところに寄ってきてこう尋ねるんだな。 「あのぉ、もしかしたらボーイスカウトか、山屋さんですか?」 そのママは子供をBSに入れているので、勘付いたらしい。 そのぐらいに、僕の活動は、BSをパクっている。 別に僕のオリジナルではないわけだ。 幼稚園に通う子供を持つ父親に、 最初に覚えてもらいたいのは、 「子供と遊ぶ習慣を身に付ける」 ということだ。 これに丁度いい本を上記に紹介をした。 もう一度、案内をしよう。 「家族・親子 アウトドアー・キャンプ入門」 赤井 健一 監修 1,480円+税 HP■土屋書店 刊 子供が小学生の内に、父親が子供と遊ぶ習慣を得ることで、 その後の子供の「反抗期」を上手に乗り越えながら、 父親自ら子供に、 「生き方」「生きる意味」「生きる価値」 を教えることができるようになれる。 子供が中学生になって急に「オヤジの説教」を聴かされても、 子供は、見向きもしないだろう。 だからこそ、小学校四年生までに、いかに父親が子供と遊ぶのか、 それが非常に重要になると僕は、自分の体験で考えたわけだ。 子供が中学生ぐらいになったら、遊ぶ「量」は、少なくなるが、 「質」の高い遊びを父親と一緒にすると、とってもいい。 具体的には、 中学生ぐらいでは、子供にキャンプの 「下見」「計画書作成」「実行」「感想文」 この流れを身につけさせる。 高校生ぐらいでは、自己責任のもと、 子供に「ソロキャンプ」の体験をさせて「自立」のリハーサルをする。 こういう風に僕は、下の二人を育てた。 けっして、見栄えのいい僕の子ではないが、 下、二人は洗礼を受けて、社会人になった。 14/2/18(火)朝 お弟子さんの日記 幼稚園の撮影とは関係のない話ですが、 先日東京藝大の方が制作された就職活動についてのアニメーションを拝見させて頂きました。 内容を簡単に説明すると、 兎に角就職内定を貰う為にあの手この手で会社へアピール(その際個性等は一切殺し一般受けする見た目・回答)。 何社も受け続けた挙句、 ただ内定を取る為だけの就職活動に変わっていく様を描いた作品でした。 僕は今フリーのビデオカメラマンとして食っていく為に勉強・バイトをさせて頂いております。 友達・後輩とやりたい事についてたまに話すことがありますが、 やりたい事がないという者が本当に多いです。 僕は物心付いた頃からやりたい事がないということがなく、 何故そのような感覚になるのか、 何の為に働いているのかと疑問を抱きます。 今、就職活動に明け暮れている人達全員が同じとは思いませんし、 それぞれの考えがあって行動している人もいると思います。 しかし、殆どの学生がただ就職をしなきゃと考えているこの現状は非常に異常的。 個性の時代とよく言いますが社会が個性を殺しているのではないかと思えます。 全ての学生が学生時代にやりたい事が固まるという事もありえないし、 それぞれのタイミングがあると思いますし、 「就職が決まらない=落ちこぼれ」のような世間の考えは変えるというかもう一つ別の視点を持つべきなのではと考えさせられました。 僕は元々専門学校へ入り卒業ビデオアルバムを作りたいという夢がありました。 それは一番楽しい時期である時代の思い出を形にしてあげたいという考えのもとに思い描いている夢です。 ついでの話ですが、 この夢が叶って僕の作った映像を見ながら「あの頃にこんなことがあったから今の仕事を選んだ(やりたい事が出来た)」と思ってもらえたら、 なんてことも考えたりしました。 何をすれば変わるかはわかりませんが、 不景気がこんな状況を作ってしまっていることは確実。 好景気というものを自分の肌で感じてみたいものです。 師匠から一言・・・・・・ 夢は大事だ。 しかし、大概の人は、ただの消費のことを「夢」と思っていることが多い。 お弟子さんのように、「志」を持つことが本当の「夢」なんだな。 「景気」がよくなれば「夢」を持つことができるというのは、違うだろう。 景気が良くなればなるほど「物質主義」に陥るものだ。 日本もかつて、バブル景気というものがあったが、 その影響で、この「物質主義」が根付いたと考えることができる。 敗戦で何もない生活になった。 そこに昭和30年頃、テレビ放送が始まった。 そこに映し出されたのは、アメリカの豪華な生活ぶりだった。 貧しかった日本人は、それがどうしても欲しくて、 「物」を手に入れることが「人生の目標」になってしまった。 こういうことさ。 今、「国民総幸福」を掲げた「ブータン」でも似たような現象が起こっているらしい。 それは、 「スマートフォン」だ。 これの普及で、全世界の「豪華・贅沢」をブータンの若い人が知ってしまった。 それで、都市部に若者が集まり、 「金を稼ぐ」ことに人生を使い出したそうだ。 「豪華」「贅沢」「快適」 という禁断の実を食べてしまった。 これの魔力に引き寄せられるのは、人類の性だろう。 禁断の実を食べることで、裸(物がない)であったのを知ってしまった。 ブータンの人々の生活は、「物」は粗末でも「心」が豊かだった。 それが崩れ落ちようとしている。 あと50年もしたら、 ブータンでも日本のように親殺し、子殺し、が始まるかも知れない。 だからこそ、これに気を付けて生きていくべきでしょう。 ここだよ、「夢」を描く力は、 この魔力に気付いて、それに気を付けて「自分探し」をすることさ。 今の若い人たちに「夢」が描けない本当の理由は、 その若者は、父親に、 「生きる意味」「生きる価値」「生き方」 を教わらなかったことが原因でしょう。 「物質主義」に陥った家族の悲劇の連鎖ではないだろうか。 お弟子さんは、自分の夢を叶えようとして今、生きている。 もうこのこと自体に、お弟子さんの「生きる意味」が興っているでしょう。 幸いなことではないですか。 14/2/17(月)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、一日マッタリした。 そして、筋肉痛の腰を直すために、 いつもの露天風呂にタップリと浸かった。 昨日の書き込みは、その浸かり方を紹介したが、続きがある。 そうして、腰と内臓を十分に温めて、 次に、また全身湯に浸かる。 これは数分だけだ。 そして、ゆっくりと水風呂に入る。 すると、体の表面が縮こまって汗が出なくなる。 このことで湯冷めをしなくなる。 さらに、上がり湯は、銭湯にある薬湯に入る。 そして、また水風呂で〆る。 これで、骨までとろけそうになるんだな。 軟体動物の気分。 それで、昨日は「日曜晩餐会」をした。 僕とばぁば、大家のおばぁちゃんと古い友人の四人で夕食を囲んだ。 今年は、機材を買い換えなければならなくて、 「事業の再構築」をする。 個人事業のリストラ・・・・・・・ 自分を首にするのか? 確かに、一番金がかかっている気がするが・・・・・ まぁ、現実的ではないな、自分を首にするのは。 そこで、 今まで晩酌の初めの「スーパードライ」を「端麗」にした。 毎日のことだから、結構、効果が期待できる。 「晩餐会」の割りに極めて質素な乾杯となった。 それで、乾杯のあとの祝杯は、 セブンで売っている「とうもろこしの焼酎」だ。 4gもペットボトルに入っていて、二千円でお釣りがくる。 個人事業のリストラは、考え深いものがあるな。 14/2/16(日)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、ボロアパートの前の雪かきをした。 あの作業、文章だとたった一行かよ・・・・ 積もった雪に雨が浸み込んで、もの凄い重たさになっていたんだ。 風と雨の中を、朝飯を食べたあとで、一番の作業をした。 腰が痛くなってきた。 ギックリ腰になりそうなぐらいまで、肉体労働をした。 3時間ぐらいやっただろうか。 お昼を食べて、今度は、さぎ山野営場へ行く。 途中で、何かのイベントで使うらしいマーキーテントが雪で潰れていた。 おぉ、リアルな映像だ、キャンプ場での被害がとっても心配になる。 さぎ山野営場に着いて、最初に目に写ったのが、 太さの直径が10pぐらいの枝が道路に落ちていた。 とりあえず、邪魔なので脇へ寄せる。 「竹ハウス」は、この重たい雪で・・・・お陀仏・・・・ そんな悲観論が僕の心を襲う。 雪を踏みしめ、踏みしめ、キャンプ場の中へ入って行く。 無事だ! 「竹ハウス」は、倒壊寸前だったが、無事だった。 よく耐えた。 感動したよ、本当に。 この「竹ハウス」は、構造的に優秀であることが証明された。 僕は、その倒れる寸前のところを写真に納めた。 すぐ、それに積もった雪を降ろさなければならない。 概ね15pぐらいの積雪だが、雨を吸って、もの凄い重たさになっている。 内側から、フライシートを押して、雪を払おうとしたが、 あまりの重たさに、持ち上げることが出来ない。 よくあの重たさに耐えたものだ。 「竹ハウス」よ、お前は立派だ。 フライシートの隅から少しずつ、雪を落とす。 雪が「ドシャ、べチャ」という音を立てて落ちる。 端の方から雪を落とすことで、やっと全部を落とし終えた。 竹ハウスのポールは、名前のとおり竹を使ってできている。 梁も竹製だ。 この梁の方がダメージを強く受けていたが、折れてはいなかった。 ロープ類は、全部緩んでいた。 当然だな。 後日、大補修が必要だ。 次に、ボーイスカウトのテントの倉庫を見る。 こちらも、倒壊せずに建っていた。 しかし、フライシートの上に、半分折れかけた枝がのしかかっていた。 とりあえず、雪を落としたあとで、 その枝を取り除く作業を考えた。 それは、太い木の枝で、7〜8メーターぐらいの高さからぶら下がっている。 さぎ山野営場にある脚立ではまったく届かない。 さて、どうしようか・・・・ 問題解決能力が問われる。 一番簡単な方法・・・・ それは、その枝を何回も揺さぶって根元からちぎり切ることだった。 その枝の根元は、だいたい直径が20pほどだった。 それが半分、折れている。 そこを、何回も、何回も、枝を揺さぶった。 僕は、枝の先を持って、キャンプサイトを行ったり、来たり、 まるで猿回しみたいに動き回った。 ヘトヘトになりながらなんとか、その枝をちぎり切ることができた。 道路に落ちた枝と、その枝を運べるようにチェーンソーで適当な大きさに切る。 その時に、「親子で工作」に使えそうないいところを選んで、 車に積んだ。 その他のものは、廃棄だ。 車で帰ってきて、駐車場に入れようと思ったら、 今度は、そこに積もった雪が邪魔になった。 そこで、車が切り返しもできるように一面の雪払いもした。 もうエナッジ、完璧エンプティ。 いつもの銭湯の露天風呂に浸かって、息を吹き返す。 まず、全身でタップリと湯に浸かる。 うっすら汗が出てきたところで、 「腰湯」と言って、上半身を湯から出す。 それで、しばらくすると、汗がドクドクと出てきたところで、 今度は、湯から足も出す。 腰の部分だけ湯に浸かる。 これは、昔、スキー帰りの新潟の法師温泉だったかで覚えたものだ。 「足」がラジエーターになってのぼせない。 冬の間は、これでしばらくすると足が冷える。 そこで、かかとまでを湯に浸ける。 ここらへんの微調整が、プロの技だ。 たっぷり30分は、湯に浸かっただろうか、 腰に「バンテリン」をタップリ塗り付けて仕上げた。 それでも、今朝は、腰が重い。 今日も、バッチリ「腰湯」をして直そう。 年度末の慌しさの、中休みのはずだったが、 ちっとも休めなかった。 でかいおもちゃだよ、「さぎ山野営場」は。 今年は、ここを活用して、 「子育ての面白さをお父さんに伝える」 ボランティア活動に精を出すさ。 人生は、こうして面白く作っていく。 「物」で虚勢を張ることではないんだな、豊かな人生というものは。 14/2/15(土)朝 キャンプじぃじの日記 年度末の慌しさが続くが、 今日と明日だけは、中休みになった。 また雪が積もってきた。 さぎ山野営場にあるテントの倉庫や、「竹ハウス」が潰れていないかどうか、 見に行かねばならない。 昨日も、所沢からの帰り道に、そこに寄った。 それらに少し雪が積もりだしていたので、落としてきた。 そして、雪かき用のスコップを二本、倉庫から引っ張り出して 持って帰って来た。 ボロアパートの前の雪かきもしなければならない。 大人にとって雪は、いい迷惑だが、 子供にとっては、滅多にない雪遊びのチャンスだ。 親子で繰り出せ! 親子で雪遊びをしよう! それこそが、僕ぐらいの歳になった時に、「目減り」のしない「思い出」の宝物になるんだよ。 面倒くさがらずに、 立ち上がれ! 若いお父さん! 14/2/14(金)朝 キャンプじぃじの日記 今朝は、所沢にいる。 昔、取引をしていた幼稚園で発表会があり、 それのお手伝いで来た。 僕の住む越谷市から、あまりに遠いので知り合ったカメラマンに譲ったところだ。 だから、手伝わないといけないわけ。 ここに来るのに、大きな橋を渡る。 今日は、大雪になるようなことを天気予報で報じていたので、 降り出す前に、 そこを通過したかった。 もし、万が一、大雪の中をこの橋を渡るような事態になったら、 現場に辿り着けなくなる恐れがある。 それで、今朝は4時起きだったよ。 現場付近のファミレスの駐車場に今いて、 ここに書き込みをしているが、 ただ今、朝の5時20分。 普段は、タップリ2時間かかる道のりを、 たったの50分で来てしまった。 集合時間は、8時。 それまで何をしてようかね・・・・・・ 僕の仕事は、「成功報酬」だ。 雪で辿り着けなかったので、撮れませんでした、 なんていうのは、許されない。 風邪で具合が悪いから、休みます、 なんていうのも許されない。 結果として、ちゃんと撮ることができなければ、 喰って行く事が出来ない。 かなり昔、こんなことがあった。 千葉県の浜金谷でのことだ。 幼稚園のお泊まり保育を撮っていた。 夏風邪をひいて、具合が悪くなった。 そこで薬局へ行って、ビタミンCを下痢をするほど大量に飲んだ。 翌日もフラフラ、でも撮影が出来たよ。 体が動いた。 これが職業の厳しさだ。 これからの「能力主義社会」では、 サラリーマンと言えども、 こういう「プロ意識」が必要になる。 今までは、そこまでいらなくても、これからは、 これからを生き抜く子供たちには、この根性が必要になる。 子供の「心」を鍛える子育てが必要でしょう。 これは、虐待でも、いじめでも、いやがらせでもない。 子供の様子をよく観察をして、 その子にとって丁度いい、 「辛いこと」「大変なこと」「苦しいこと」などの負荷を与える。 しかも、お父さんが直接子供に関わる。 そして親子で乗り越える。 ぜひ、本物の「愛」をお父さんが示してもらいたい。 学問に興味がなく、学ぶ気もない子を大学に通わせるのは、 親の「愛」ではないぞ。 それは、親の「見栄」だ。 その結果は、子供が享楽を覚えて、命がけで何かに取り組むことができなくなる。 プライドばかり高くなって、何の実力もない人になってしまうぞ。 最悪、心のトラブルを起こしやすくなる。 これが、日本の今の「ひきこもり150万人」の原因でしょう。 普段の生活で「快適」を浴びるようにしていれば、しているほど、 「親子キャンプ」で心を「野性」にリセットしよう。 親子で「野性」に戻ろう! 今度の休みには、日帰りで雪中キャンプだ! こういう遊びが、子育てを強く意識した「親子キャンプ」だ。 これを実行するかどうかは、父親の本物の「愛」があればできるだろう。 僕は、 面倒くさがらずに、こういうことでカブスカウトの活動を 年に70日も実行をした。 14/2/13(木)朝 ビデオマンの日記 ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 僕は、今の仕事を立ち上げる前、 写真屋さんに一年間、勤めたことがある。 そこで、写真の「卒業アルバム」の仕事を目の当たりに見た。 その仕事の流れを覚えることができた。 この体験で、僕の目指す仕事は、 「卒業ビデオアルバム」であることが具体的に分かった。 それまでは、 漠然と「子供をビデオで撮って売る商売」までしか分かっていなかった。 目標がハッキリと定まる。 「理念」が固まる。 「志」が強固になる。 これで初めてそれを勝ち取るための作戦を練ることが出来る。 これが「戦略」「戦術」だ。 「目標」「理念」があって「手段」を考えることができる。 そして、「実行力」は、その人の「心」の強さでできるものだ。 「強い心」、これは自立していないとつかめない。 これが、「能力主義社会」で生き延びる骨組みだ。 「何でも撮ります」 という「志」のない人が、長くカメラマンで飯を食べられることは、 まず、あまりない。 カメラマンは、追っかける「被写体」について、 「詳しく知りたい」 という「気持ち」が強くあってできる仕事だ。 これをお弟子さんに教えている。 昨日は、彼に、こういうことで被写体である子供、 これの環境を僕の「子育て論」で説明した。 いくら他人が子供を伸ばしても、 父親がズッコケていたら、結局その子は、うまく育たないと教えた。 僕がカブスカウトで体験をした話を具体例に語った。 人気テレビ司会者が、父親としての子育てを疎かにしたので、 豪華な家を手に入れることはできても、 子供がドラ息子になって問題を起こし、 そのことで、 その人気テレビ司会者は、仕事が干されたという具体例で説明をした。 要するに、 仕事も、子育ても、 上記の「骨組み」を外してうまくいかないということだ。 これからは、中小企業も、サラリーマンも、 「一生涯安泰」では、生きていけない。 この「骨組み」を身に付けて「人生を冒険」する元気な人が生き延びる時代だ。 そこに求められる最初のものが・・・「自立」だろう。 「自立をした一人の大人の社会人」 これは、能力主義の社会で生き延びる必須になるでしょう。 「カメラ」は、仕事をするための「手段」だ。 仕事によって使うカメラ、つまり手段は違う。 手段である「カメラ」を手に入れることが「目的」の人は、 仕事を上手に立ち上げることはできないだろう。 「大学」は、子育ての一つの「手段」だ。 子供の個性によって必要な「教育」は違う。 手段である「大学」が「目的」の人は、 上手に子育てができないだろう。 「目的」と「手段」を履き違えている人は、ビックリするほど多い。 なぜ? 結局この話しは、最後には、「自立」に行き着く。 14/2/12(水)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、関東平野のこの積雪で、さぎ山野営場にある、 テントの倉庫や「竹ハウス」というシートと竹で作った大型テントなどに被害がないかどうか見に行った。 ついでに自転車を持って行った。 テントは無事だった。 だが、薪置き場の一つが崩れていたので、 積み直した。 あとは異常がなかった。 そこで、サイクリングを楽しむことにした。 さぎ山野営場に隣接する「見沼代用水路コース」を走り出す。 前回同様、初めに寒さで手がしびれてくる。 ペダルを漕いで体が温まると、それが直る。 そして、次には、足が冷たくなって痛くなる。 コースに残雪、というか氷が残っているところがあった。 200メーターばかり自転車から降りて歩いた。 ランナーが追い越して行く。 氷の上で横滑りしながら危なっかしく走って行った。 前回、寄ったラーメン屋さんは、お休みだった。 なぜこれに今まで気付かなかったのかが分かった。 シャッターが閉まっていると目立たない。 しかも、お昼時にそこを通過する事があまりなかったからだ。 途中で小雪がパラついてきた。 昨日は、車でさぎ山野営場まで行ったので「オートサイクリング」になる。 この場合、何があっても車まで戻らなければならない。 輪行(電車を使ったサイクリング)では、 気分次第で最寄の駅から帰れるが、オートサイクリングでは、 そういうわけにはいかない。 空を見ると、どんよりした雪雲が漂っている。 ちょっとヤバイ。 ひやひやしながら走る。 しばらく走っているうちに、雪はやんだ。 安堵。 見沼代用水路コースは、周回コースだ。 丁度、さぎ山野営場の真反対ぐらいのところで、また雪が降ってくる。 今度は、本気っぽく降る。 そこで、その周回コースをショートカットして車まで戻った。 さぎ山野営場での被害がどうなのか分からなくても自転車を持って行ったこと。 それの被害が少ないのでサイクリングが始められたこと。 サイクリングの途中で状況に合わせて進路変更をしたこと。 その場、その場を臨機応変に行動をした。 この「臨機応変に行動」ができるようになるためには、 あらゆる状況を体験していてできるようになる。 僕は、若かった頃、年に40日もゲレンデにいた。 そこまで9人乗りのワゴン車を転がしていた。 「スノーメン・スキー・クラブ」と名乗って仲間を連れて行っていた。 企画を立てては、雪道を車で走っていた。 そして、初心者にスキーを教えていた。 いろいろなトラブルに見舞われもした。 こういう体験を10年ぐらい僕は、してきた。 それで、「臨機応変」に行動ができるようになったのだと思う。 その応用で、カブスカウトの活動を年に70日できた。 また、今の仕事も立ち上げ、継続できたと思う。 「スノーメン・キャンプ・クラブ」での活動でも、同じだ。 企画力、行動力、問題解決能力、 これらがダイナミックに生きて行く上で、いかに重要であるのか、 どうやって、これを「身に付ける」ことができるのか、 これが「心の成長」だ。 学校は、もっと「知識教育」に精を出すべきだ。 本業を疎かにして、 この「心の成長」を学校がやり過ぎている。 「心の成長」 これは、父親の仕事であり、それを学ぶのが宗教のはずだ。 学校が、 「家庭教育」と「社会教育」をも始めてしまった。 親も、これを当て込んで「家庭教育」をサボるようになってしまった。 学校が、この分野をやればやるほど、家庭教育が疎かになっていく。 文部科学省は、結局「机上論」を振りかざしているように見えてしょうがない。 学校の現場では、 本業の「知識教育」の上にさらに「家庭教育」「社会教育」を先生がやらさせれているのでしょう。 「家庭教育」は、「家庭」で行うのが本当でしょう。 父親自身で子育てをするのは、本来、当たり前でしょう。 僕は、ここに日本の今の子育ての問題点が見えているんだがね。 それで僕は、始めたのさ、 「子育ての面白さをお父さんに伝える」 というボランティア活動を。 これは、「社会教育」になるのさ。 僕がもし、自分の「消費」のことしか頭にない幼稚な状態だったら、 この活動はできない。 自分の事以外に関わることができる能力。 これがボランティアだ。 この能力は、実は、僕が自分の子供とたくさん関わってきたので、 僕自身の「心」が育ってできる。 僕は、「自分の子」という自分以外の人のために、 命がけで取り組んだ。 子育てをした。 学習障害を専門家に指摘されて、必死に子育てに取り組んだ。 その子は、自立を果たした。 こういうことで、僕は、自分以外のことができるようになった。 つまり、子供に僕の「心」を育ててもらえた。 子供の存在は、体は小さいが、その影響は馬鹿でかい。 こういうものがあるんだよ。 父親自身で一所懸命に子供と関わることで・・・・・ 父親が育つ こういうプロセスがあるんだよ。 学校が何でもかんでも請け負ったら、 父親が育たないでしょう。 もう一度言う、学校が「家庭教育」までやっているので「父親が育たない」。 本当の指導者は、 このことに気付いて、真剣に考え、行動するべきだ。 僕は、今年、年間プログラムを立てて行動するよ。 学校が「家庭教育」「社会教育」までもやり過ぎている。 とうとう、学校でダンスを教えるそうだ。 本末転倒もいいところだ。 これでは、これからの「能力主義」の世界を子供たちが生き延びることは難しいよ。 どう思う? 若いお父さん。 14/2/11(火)朝 お弟子さんの日記 発表会のリハーサル撮影を終えました。 合計で2日間立ち会わせて頂きましたが感想を簡単に言うと「疲れたぁ」でしょうか。 リハーサルですが本物に向かってカメラを回すことが初めてだったこともあり、 頭の中のイメージ通りに動こうとすることで非常に無駄な力が入っていたような気がします。 立ち仕事は慣れているつもりだったのですが、 足もパンパンになっていましたし・・・。 内容については濃く体験できたのではと思います。 合唱・演奏・オペレッタ、 満遍なくそれぞれの撮影手法を反復して実技し、 2日目には完璧とまでは言えませんが、 基本的な動きは頭に叩き込むことができました。 今シーズンの残りの発表会は見学のみになってしまいますが、 居眠りせずに後ろでイメトレに励もうと思います。 ただでさえ経験が少ない上に次は来年になるのかと思うと感覚が薄れてしまわないか少々不安な部分もありますが、 復習と所々でのチャンスでその感覚を鈍らせないように心掛けます。 そして次に照準を合わせるは夏のお泊まり保育です。 恐らく自分が最初に扱っていくことになるであろう商品ということもあり、 さらに本腰を入れていかなければなりません。 谷口さんが仰ってましたが、 「若い頃に苦労した人間ほど歳をとったときそれが風格に出る」。 自分もそんな大人になれるよう・・・ なるように仕事は勿論、勉強ももっと気合入れていきます。 14/2/10(月)朝 キャンプじぃじの日記 参加者の皆さんに了解を得て、 上記に ■「けんちん汁&餅つき」 これをアップしました。 スノーメン・キャンプ・クラブの活動内容が分かりやすく伝えられていると思います。 ここの文章だけの書き込みでは、 「子育て」というと、面倒で、何か難しいことをすぐに始めなければならないように思われてしまいます。 子供が小学校四年生ぐらいまでは、 ともかく、たくさん父親が子供と一緒に遊べばいいんです! 父親がどれだけ子供と直接関わることができるのか・・・・ これが初めに重要なんです。 そのことで、自分の子の特徴、個性、を父親が分かればいいのです。 たくさん子供と遊んでいれば、 そのうちにその子にとって一番いい「成長」がなんであるかが、 次第に見えてくるでしょう。 「金を払って他人任せ」 では、自分の子を父親がよく観察できないでしょう。 これに気を付ければいいんです。 子供が小学校高学年以上は、 お父さんのアイディア次第で子育てができるでしょう。 子供の心を育てる一つの方法 これが上記にアップした「けんちん&餅つき」に、 たくさんヒントがあると思います。 お父さん自身で他人任せではなく直接、子育てに関わることで、 父親自身が、実は、「成長」するのです。 ここが最も実践して欲しいところです。 これからの「能力主義」の日本社会を子供が生き延びるために、 ぜひ、父親自身で子育てをして欲しい。 14/2/9(日)朝 キャンプじぃじの日記 あの大雪の中、予定通り発表会を撮れた。 それで、猛ダッシュでそれを編集中。 本日は、これにて失礼。 14/2/8(土)朝 キャンプじぃじの日記 大雪だ。 おかげで、今日、予定をしていた発表会が延期になりそう。 おぉ、僕の人生は、いったいどうなるのでしょうか・・・・・ 僕の四人の男の子のうち、まだ末っ子が産まれていなかったころ、 大雪が降ったので、 三人の僕の子を連れて江戸川の土手へ行ったことがある。 まるで子犬が雪の上を喜び転げ回るように、 まったくそのとおりに、 子供たちが楽しそうに雪遊びを始めた。 兄弟がじゃれあって、転げて、雪を投げて・・・・・ 僕には、男兄弟がないから、それを見て羨ましくもなった。 とっても幸せな一時だった。 でも僕自身が父親として幼稚だったので、 上二人は、それからグレてしまった。 僕は、「子供の特徴」を把握する事が出来ないでいた。 僕は、平均的な日本の父親よりも上二人の子と遊んだ方だと思う。 決して子供に「孤食」させなかった。 それでも、僕は、上二人を上手に育てられなかった。 僕は、ダメオヤジだ。 心の底から反省をしたな。 それで、下二人は、ボーイスカウトに入れて、自らリーダーを務めた。 僕は、この時に初めて「子育て」の具体的な方法を学んだわけだ。 「キャンプ」は、目的ではない。 これは、子供の心を強く育てるための「手段」だ。 闇雲に子供にキャンプをさせても、 「子育て」の目当てがシッカリないと「子育て」にならない。 つまり、僕の上の二人の子もキャンプ体験をたくさんしたが、 「子育て」の目当てが、あやふやだったので、「子育て」になっていなかった。 「子育て」を単純にして説明をすると・・・・・ ともかく小学校四年生までは、親子で大自然の中、 たくさん遊ぼう。 デイキャンプで十分だ。 このことで、自分の子の「個性」を、特徴を、お父さんが把握しよう。 小学校高学年では、いよいよ泊りがけのキャンプに挑戦しよう。 このときに、あらやる作業を少しずつ子供にさせていこう。 キャンプ生活を子供自身でできるように少しずつ、作業を教えていこう。 父親にこれを教わることで、 子供は、お父さんにアイデンティティを持つようになる。 だから、他人より自分の父親であることが重要なわけだ。 中学生では、キャンプの 「下見」「計画書作成」「実行」「感想文」 これができるように教えていこう。 これは、大人になった時に、 何かのプロジェクトに参加をするときに大いに役立つでしょう。 「暗記」だけで育てられたのとは違う「実行力」が育つことでしょう。 僕は、この効果で学習障害の子を自立へと導いたんだ。 ここを他人任せにしては、「親の愛」が欠けることになるのさ。 父親自身で、これを実践できるかどうか、 面倒くさがらずに、実行できるかどうか、 「父親の愛」が問われる。 ここ日本の家族に、決定的に不足しているのは、ここだよ。 父親自身で、このときに子供に「生き方」を教えるのさ。 高校生ぐらいでは、子供に「ソロキャンプ」を体験させると素晴らしい。 ただし、これは、父親の技量が問われる。 僕は、危険回避のため、 子供と同じキャンプ場に行って、 子供のサイトからできるだけ離して、僕自身も「ソロキャンプ」をした。 このことで子供の「自立」のリハーサルをした。 子育ての目標は、 「自立をした一人の大人の社会人」 に育てることさ。 これを目標に子育てをしよう。 こういう雪の日こそ、子供と遊ぶチャンスだよ、若いお父さん。 凍傷に気をつけてね。 14/2/7(金)朝 復活サイクリストの日記 若い頃に覚えた趣味は、本当にいい。 一昨日、猛烈な寒波があったが、 その中をサイクリングした。 コースは、「見沼代用水路コース」だ。 前回、このコースに出るまでも自転車で走ろうとして、 途中で雨が降り出して断念した。 そこで、一昨日は、 もう一度このコースに出るまでも一般道を自転車で走って「全走」をした。 コースだけでは、42`。 そこまでをも走ると58`あった。 車の往来がある一般道は、面白くないので、 大分前からコースに隣接している「さぎ山野営場」まで車で行って、 そこからの周回コースを楽しむようになった。 しかし、一昨日は、全走をした。 寒かったよ。 初めは、手が寒さでしびれて、そのうちに痛くなって感覚が薄らいだ。 凍傷になるかと思った。 でも、自転車で走っているうちに、 体が温まってきた。 それでだろう、血流がよくなって、手の痛みも治まった。 しかし、逆に、足が痛くなる。 ペダルを漕いでいるので、体以上に風を切っている。 靴下ホカロンをしていても、どんどんと足が冷える。 ついに、足の方が感覚がなくなる。 そうこうしているうちに、前回寄ったラーメン屋さんに到着。 迷わずそこで、ラーメンを注文した。 オーダーが出てくるまで、その店にあった石油ストーブで足を温めた。 そして、熱いラーメンのスープでも温まって、 息を吹き返した気分になった。 そこからは、気温が少し上がったようで、快適にサイクリングを楽しめた。 僕は、言うだけではない。 実践をする。 こうして、歳をとっても北風と戦ってきた。 自然のこうした厳しさに身を晒すことは、とってもいい。 僕の心が「野性」にリセットされる。 これは、本当にこういう気持ちになれる。 僕は、脱サラをして個人事業で30年間、生き延びてきたが、 常に自分を「野性」にリセットすることで「能力主義」の世界を泳ぐようにして生きてきた。 ここに何回も書き込み続けているが、 サラリーマンと言えども、これからはこの「能力主義」になる。 この時代の変化を父親が感じ取って、 これに合わせた子育てができるかどうか・・・・・・ こういうバックゾーンが「子育ての面白さをお父さんに伝える」という活動に僕を駆り立てる。 僕は、商売をしているから、こういうことに敏感になったのだろう。 早く気付いて欲しい、この「能力主義」を。 僕は、危機感を抱いているのさ。 「子育ての面白さをお父さんに伝える」 これの活動を、 今年度(H26年4月〜H27年3月)の年間プログラムを作成中だ。 このHPで公開をする。 年間プログラムにするのは、初めてのことで、 僕の活動の大きな前進だ。 なんとしてもこの初年度を成功させたい。 そして、親子でこの大自然の厳しさや美しさを味わってもらって、 親子で「野性」を取り戻して欲しい。 ソニーの赤字が1100億円だと今朝の読売が伝えている。 昔は、斬新なアイディアで急成長をし「東芝」と肩を並べたけど、 たぶん、大企業になって「一生涯安泰」の社員が増えて、 形式主義になり、商品開発が硬直化したのだろう。 僕には、そう思える。 恐ろしいことだ「一生涯安泰」を求める社員が多いことは。 ソニーを立ち上げる前、 確か、「井深」という社長だったか、彼は東芝に面接をしていたとか聞いたことがある。 ボーイスカウトの総長も勤めたらしい。 彼のハングリー精神でソニーが出来上がっていった。 もう一度言うよ、「ハングリー」だ。 しかし、「一生涯安泰」の心の社員で閉塞感が漂ってしまったのだろう。 俗に言う「大企業病」だ。 ソニーは、5000人のリストラをするそうだ。 こういう大企業にぶらさがってきた中小企業も嵐の海だろうね。 この間、ラジオを聴いていて、感心する事を言っていた。 それは、 これからの中小企業は、大企業から「自立」し、 大企業では出来ないことに活路を見出せというものだった。 「大量生産」から「小ロット」の仕事。 まったくそのとおりだ。 中小企業の「自立」だ! 僕の仕事は、「映像」を売るものだが、 テレビ放送という「大量」ではなく、子供という個人を撮って売る「小ロット」のものだ。 これは脱サラをするときに気付いた僕の「戦略」だ。 僕は、そのとき、28才だった。 僕は、高卒だよ。 自分の人生を命がけで、「真剣力」で、戦略を練った。 僕は、ハングリーだった。 日本の農業もこれからは、全世界の中での「自立」が求められることになった。 つまり、 農業も「能力主義」の波が押し寄せているわけだ。 これは時代の波だ。 逆らうことは出来ない。 だからこそ言い続けているのさ。 これからは、サラリーマンといえども「能力主義」になると。 僕は、お弟子さんにこう教えた。 僕の作り方の「卒業ビデオアルバム」制作は、 会社組織ではコストが掛かりすぎて作れない。 個人事業だからこそ、これを作ることが出来る。 隙間産業。 ここに活路を見出すものだ。 これは、30年間やり続けてこられた重要な「戦略」だったでしょう。 こう教えた。 中小企業も、農業も、僕のように「戦略」をシッカリと練って実践をして、 商品開発を、そしてそれを商品化して元気よく生き延びよう。 そしてサラリーマンでも、こういう意識を強く持ってこれからの時代を生き延びよう。 これは、「保身」に走ることではない。 誰にも真似のできない「スキル」を身に付けていくことだ。 僕は今でも、北風と戦って「野性」にリセットしてきた。 建物の中でヌクヌクと生活をしていれば、いるほど、 繰り出せ! 親子でフィールドへ!! この休みには、公園でデイキャンプをしよう! 「快適病」を親子で払拭しよう。 14/2/6(木)朝 ビデオマンの日記 ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 今、お弟子さんには、技術的なことを実技で教えている。 しかし、 最も重要なことは、実は「心構え」を覚えることだ。 昔から、この仕事は、100%能力主義の世界だ。 そこで、この間、僕の造語で「真剣力」を上げるためにも、 今のバイト生活で苦しいことを「乗り越える」必要があると教えた。 この「苦しい」「辛い」「大変」を乗り越えれば、乗り越えるほど、 この「真剣力」に磨きがかかる。 特に新規開拓時の営業では、この「真剣力」こそが勝利への切符だ。 「真剣力」 これの真反対の心の状態が、「一生涯安泰」ということになる。 こういう気持ちの人は、個人事業を立ち上げることはできない。 ところで、今のこの日本は、もうすでに「能力主義」になっている。 だからこそ、何回もここに書き込んでいるんだ。 これからは、サラリーマンと言えども「能力主義」になる。 これからの日本社会を堂々と生きていくためには、 「一生涯安泰」の気持ちから「真剣力」へと心を成長できた者が、 充実した人生を手に入れることができるだろう。 そういう「子育て」ができた父親に、 力強く生きていく子供が育つだろう。 お弟子さんは、こういうことで今「真剣力」を上げている真っ最中だ。 「真剣力」 これがあれば、「志」が強固になる。 つまり「理念」が、ただの「お題目」ではなく「真の目標」にできる。 このために「戦略」と「戦術」を考えて行動できるようになれる。 このプロセスで、漠然とした「ビデオの仕事で生計が立てられればいいなぁ」 という一生涯のただの「憧れ」から、 何が何でも「成功」させるパワーとなるわけだ。 「理念」「戦略」「戦術」の使い分けと実行ができることで、 成功率が飛躍的に高くなるというわけだ。 僕も、こういうプロセスでこの30年以上をビデオに関わって喰ってきた。 何事も「心」の「成長具合」で決まる。 これは、僕の体験で断言できる。 勘のいい読者の方なら、もうお分かりでしょう。 これからの日本社会で子供が生き生きと生きていくためには、 この「能力主義」に勝ち進んでいくだけの「強い心」が不可欠になる。 これを具体的に子育てをする一つの方法として、 子育てを強く意識した「親子キャンプ」があるのさ。 この遊びは、子供だけではなく父親自身も「心の成長」が起こるものだ。 それで、 「父親が成長した分、子供が育つ」 と訴えているわけだ。 幼い父親からは、それなりにしか子供が、子供の「心」が育ちようがないでしょう。 このことに気付いた父親が、本物の「子育て」をすることだろう。 そして、 このプロセスを理解できて個人事業を立ち上げることができるでしょう。 14/2/5(水)朝 キャンプじぃじの日記 この間、中学三年生の男の子が来たが、 この子を見ていて、本当にこうだと思う。 人生の価値観は、父親を見て子供が覚える。 子供を他人任せにしている父親がいるけど、 子供は、それを見て、その「他人任せ」を覚える。 建物という「物」を人生の価値にして父親が生きていれば、 子供は、その父親の「心」を見て、それを覚える。 ならば、 父親が「愛」をもってシッカリ子供を 「自立をした一人の大人の社会人」 に育てることを自ら行えば、 子供は、「自分以外」のことを身に付ける。 僕は、これを確信するよ、その子を観察していて、 つくづくこう思う。 あらゆる、総ての「物」は、生きていくための「手段」でしかない。 この「手段」を人生の「目標」にしてしまうのは、 「目標」と「手段」の取り違えだ。 どれだけ父親が子供に「人生の本当の目標」を教えることが出来るのか、 「父親の成熟度」こそが、 これからの「能力主義」の社会で堂々と子供が生きていけるようになれるのかの鍵になる。 ここが「父親の子育て」の最も重要なところだろう。 これをお父さんが身に付けるためには、 子供が小学校四年生ぐらいまで、どれだけ一緒に遊んだのか、 それの「質」と「量」で決まるのだろうと思える。 それは、レジャーランドへ連れて行くことではなく、 父親と子供が一緒に、直接、交流することだ。 こういうことで、子育てを強く意識した「親子キャンプ」は、 非常に効果的だ。 これは、僕の体験談だ。 「物」や「レジャー」を生きる「目標」にするのではなく、 子供の「心」を育てることを人生の「目標」にすれば、 いつかきっとお父さんの人生に、 ビックリ仰天する感動が、子供によって味わえるだろう。 せっかく生きているのだから、この本物の感動を「目標」にしようか。 14/2/4(火)朝 お弟子さんの日記 今日は、いよいよ発表会リハーサル撮影です! その機材のセッティングを行いに昨日、現場へ行ってまいりました。 今後、商品を作ることが急務と以前書きましたが、 セッティングは商品を作る上での第一段階であり要にもなってくる部分でもあります。 やってみてつくづくまだまだだなと痛感させられておりますが、 やってみることで「あ!なるほど!」と気付かされることが多く脳みそのシワがどんどん増えているのではと感じております。 出来るだけ現場に立ち会っていかないと・・・。 他業者との差別化を図る手段として一人3カメの技術を学んでおります。 マルチカムの特性を活かせる動きが出来るか等の不安点も多々ありますが、 それよりもワクワクが大きく実に待ち遠しいです。 取りあえずは資料を見て予習あるのみです。 頑張ってきます! 14/2/3(月)朝 キャンプじぃじの日記 昨日、中学三年生の男の子がやって来た。 僕の取引先の幼稚園で知り合って、 それからというもの、何かにつけて遊びに来る。 小学生の時に、 クラスメイトの半分以上を連れてきたこともあった。 昨日は、高校受験をして、それが受かったので嬉しくて来たようだ。 僕の子と同じで、「覚えることが苦手」だ。 だから、本人の意識でサボっているわけではないのだが、 暗記が出来なくて学校の成績がよくない。 それで、ふてくされてしまう。 「覚えるのが苦手」というのは、遺伝的なその子の特徴だ。 これが「障害」の域まで強ければ「学習障害」となる。 僕は、この学習障害のわが子を自立できるように育てた。 僕は、必死に子育てに取り組んだ。 それで、今、僕の子は自立を果たして元気よく働いている。 「学習障害」そのものが悪いのではない。 これを、父親がシッカリと認識し、 「子育てを他人任せ」にしないで、自らシッカリと子育てに挑めば、 ちゃんと、 「自立をした一人の大人の社会人」に育つ。 問題は、父親が子育てに関心がないこと。 だから、こういう子にミスマッチな育て方をしてしまう。 それで、子供がふてくされてしまう。 このことを、 「二次障害」と呼ぶ。 この二次障害で、その子は、 何回かお巡りさんのお世話になってしまった。 父親は、「金を出して子育てを他人任せ」をしてしまったのだろう。 いろいろな塾には、通ってはいた。 こういう父親こそが 「大学さえ出せば子育てをしたつもり」をやってしまいかねない。 建物だけは立派だが、離婚をして、 このことでも、その子の心が歪んでしまっている。 僕のところに来るのは、心のわだかまりを晴らしたいからだろうと思える。 だから、 僕は、無理に「それではダメだろ」なんて言わない。 「ふむふむ」と話しを聞く。 その子は、話しを聞いてもらえたので、少しは気が晴れて帰っていくわけだ。 その子が小学校の頃は、頻繁に来た。 中学生になっても、時々来た。 それだけ、家庭内に「居場所」がない証拠なのだろう。 その子の話しでは、一時期、「拒食」になっていたらしい。 でも最近では、カップラーメンぐらいは食べているという話しだ。 「卵かけご飯」が美味しいとも言っていた。 この子は、口からでまかせも言うので、本当かどうかは分からない。 どちらにしても、 父親自身が「建物」ということにしか人生の価値を見出せないことに、 子育てがうまくいかない本質的な問題があると、僕は思う。 「物」だけにこだわって「愛」が感じられない生活。 かわいそうな子だ。 その子の会話は、 立派な一軒家を買って、そこに住むこと。 働いてたくさん金を稼ぐこと。 この二つの話が中心になっている。 これは、 「父親の心の投影」だろう。 「父親が成長した分、子供が育つ」 これを説明するのに、とってもいいケースになっている。 昨日は、高校が受かったので、 お祝いに、僕とばぁばとその子で、チーズケーキとコーラで乾杯をした。 「愛」に飢えているんだろうね。 14/2/2(日)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、越谷から35`離れた取引先まで、 申込用紙を届けに自転車で行った。 時間制限がないので、「綾瀬川」「隅田川」「神田川」「善福寺川」 に沿って行く。 途中、寄り道でスカイツリーの真下にある川まで出て、 そこを走って「隅田川」に行った。 でかいね、スカイツリーは。 本当に地震で倒れないのかね、倒壊しないということにとっても不思議さを感じる。 僕は、高いところが大嫌いだから、間違ってもそこを昇りたいとは思わない。 そうして、行きは45`走った。 帰りは、土曜日の都内なので道がすいていて、 一般道で、新宿を抜けて防衛省の前を、 それでまた神田川に出て、それに沿って走った。 神田川が隅田川に合流したところに、小さなお店がある。 前から気になっていたので寄ってみた。 本当に小さい。 僕の前に二人のお客がいたが、 その二人が店内に入っていて、それで一杯。 僕は、その二人が帰るのを待って、やっと店の中に入れた。 なんとなくお土産に良さそうな「生のり佃煮」を二つ取り上げて、 買おうとしたら、 迷うことなくそれを選んだのをお店の人が見ていて、こう言う。 「これは、冬の間だけの販売です。 とっても人気があります。 自転車でお越しですか?」 神田川を下ってきたことをお店の方に伝えて、 これから隅田川を上って行くと、僕は言った。 老舗のようだよ、この店は。 ■小松屋 隅田川で浅草に着いた時だ。 昔、駅前で戦争で負傷した人を装ってハーモニカを吹いて物乞いをしているのを見かけたことがある。 そのメロディが聞こえてきた。 そのハーモニカを演奏しているのは、下手をするとホームレスぽいジィちゃんだった。 相棒がいて、 相方は、発泡スチロールのケースを太鼓代わりに、 消火器のブリキのケースをシンバルにみたてて、 枯れた枝をスティックにして伴奏していた。 とっても息が合っていて面白い。 人だかりも出来ていた。 僕は、なぜか自転車から降りずに、スタンディングして見入ってしまった。 その二人は、物乞いをしている様子ではない。 見事なストリートパフォーマンスだ。 容姿は、みすぼらしいのだけど、楽しんでいる。 人生の楽しみ方を知っている。 僕は、そこにとっても共感した。 ボロアパート住まいの貧乏人を僕は、やっているけど、 人生の喜びは、そんなところにあるわけではない。 「今、生きている」だけのことにどれだけ夢中になって面白く生きられるのか、 つまり 「幸せは、それを感じ取る能力」ということだ。 僕は、ここに共感した。 旅って、面白い。 自転車のツーリングは、これだから止められない。 人生の旅も、「見栄え」に囚われなければ、 派手な車ではなく自転車だからこそ、 面白いんだな。 走行距離は、85`でした。 春のような暖かい青空の下、とっても気持ちのいいサイクリングができた。 14/2/1(土)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、お弟子さんに午前中、稽古を入れたあと、 新規の取引先まで申込用紙を届けに行った。 そこは、 僕が住んでいるところから西へ17`ほどの所だ。 それで、気晴らしにいい距離なので自転車で行った。 冬のスタイルで出発したら、暑いのなんのって・・・・・ 北西の風が強烈に吹いていて、 向かい風なのだが、それでも暑い。 ウインドブレイカーも脱いで、ワークシャツになって走った。 安物のスキー手袋の中で、手が蒸れた。 寒さもこの一ヶ月ぐらいなのだろう。 もうじき、サイクリングのトップシーズンになる。 その前に、年度末で仕事がデッドヒートになる。 毎年、毎年、この時期には、死にもの狂いに仕事をこなさなければならない。 「隠居生活」返上だ。 でも、仕事のある老後は、とっても充実していていいよ。 昨日の夜、隣に住む大家のおばぁちゃんを囲んで夕食をした。 僕の家族を30年以上見守ってきてくれた。 四人の男の子、僕の脱サラ、今の仕事の開拓、 そして最近、お弟子さんが学びに来ていること、 全部、見守ってきてくれた。 それどころではない。 僕の古い友人や、そいつらの人生をも見てきた。 それで、昨日、おばぁちゃんがこう言う。 「谷口さんは、豊かな人生を送った」 僕もそう思う。 ただ、まだ死んではいないけどね。 僕にはまだ夢があって、それを適えたい。 お弟子さんを育てて後継者をこの世に残すこと、 スノーメン・キャンプ・クラブの活動をもっと活発にして、 「子育ての面白さをお父さんに伝える」 ことに成功すること、 僕の四人の男の子を守ってもらえるように毎日のお祈りをすること、 お祈りができる相手がいるのは、この世での最高の幸いだ。 「物」を手に入れたり、ただの「消費」は、 本物の「夢」ではないでしょう。 「夢」には、自分の人生を飛び越した「希望」があるものだ。 これがあると心が熱くなるものだ。 一昨日、雨が降り出し輪行で帰ってくるときに、 電車の中である広告を見かけた。 「漁師の仕事! まるごとイベント」 2/8sat 東京国際フォーラムB5ホール 漁師の仕事か、なんだかカッコいいではないですか。 僕が若かったら、挑戦するだけの価値はあると、その時に思った。 僕が最近、 子供たちとカラオケに行った時に歌う曲「オヤジの海」が頭に浮かぶ。 「大学さえ出せば子育てをしたつもり」 という、真の人生の目標がない生き方ではない。 人生の目標がハッキリしている。 だからカッコいい。 「就社」ではないところがカッコいい。 これからを生き抜く子供たちに、これを教えたい。 どういう仕事でも「命がけで生きる」ことを。 「一生涯安泰」なんて陳腐な生き方をしていたら、 結果として窮屈な人生になってしまうだろう。 カッコいいなぁ、漁師。 ■http://www.ryoushi.jp/ 「能力主義」の世界では、個人がどういう特技に精通しているのかが問われる。 そして、生き方に「理念」「戦略」「戦術」をもって挑戦し、勝利する男が求められる。 「就社」という的外れな生き方をする人は、「能力主義」の社会では、 生き延びられなくなる。 つまりリストラだ。 これに怯えて生きることになる。 もう一度言いたい。 日本は、もうすでに「能力主義」になっている。 この社会を堂々と生きていける人に子供を育てよう! 14/1/31(金)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、天気予報では雨が降ると言っているのだが、 空を見ると、どうにかもちそうな雰囲気だった。 そこで、デジカメで撮影をしないで、 サイクリング自体を楽しむことにした。 万一のことを考えて、折りたたみの傘を準備する。 コースは、「見沼代用水路」にした。 ただし、「さぎ山野営場」からの周回ではなく、 自宅からの「全走」をして運動になるようにする。 僕は、もう歳を喰って距離を走れないし、早く走ることもできない。 だから、走り方は、「ポタリング」と言って「自転車での散歩」の早さだ。 ペダルを漕ぐピッチは、1分間に70回転ぐらいをキープする。 この回転数にムラがないようにするのが、ベテランだ。 若い頃は、ギャーチェンジが面倒だったので、 3〜4段ぐらいのギャーしか使わずに走ったものだが、 まぁ、体力があったのでできたのだけど、 こういう走りは、膝に負担が大きくかかっていた。 それでだろうと思うが、歳をとって膝が時々ズキズキと痛くなることがある。 若い頃の無茶は、歳をとって出てくるものだということを実感する。 だから、今は無茶はしない。 というより、出来ない。 そしてギャーは、最ものローギャーから発進する。 後ろのギャーのことを「スプロケット」と呼ぶが、 何年か前にこれを「ロード用」から「ツーリング用」に替えた。 (クロスレシオからワイドレシオにした) だから、これのローギャーは、とっても軽い。 取り替えた当初、 このギャーに慣れていなかったのでフロントアップさせてしまってコケそうになったこともある。 こういうことで、0km/h発進だけは早い。 綾瀬川の土手を自転車で上って行く。 そこから分岐している「一の橋放水路」に沿って走る。県道103号線に出て、 そこを西へ向かう。 すると「見沼代用水路コース」の最南端、「見沼通船掘り」に着く。 そこからいつもの周回コースを走って行った。 とっても快調。 景色も慣れすぎてはいても、とってもいい。 上記にある「お花見」のスライドショーは、このコースだ。 とってもいいでしょう。 「さぎ山野営場」のあるところを通り過ぎて、大宮方面へ向かう。 このコースは、ほとんど全部「見沼代用水路」に面している。 行きは「東縁」、それで最北端に着くと、そこから「西縁」を走る。 この「東縁」と「西縁」の分岐点で一休みするのが僕の習慣だ。 そこから、JR東北本線と国道R16号線の立体交差が見える。 まるでジオラマのように小さく車や電車が通過して行くのが見える。 その手前に田圃が広がっている。 今は、まったくなにもないけど、時期がくるとまた田植えが始まるだろう。 とってものどかな風景を楽しむことが出来る。 「西縁」からちょっとだけ離れてJRを越さなければならない。 そこで、お腹が減った。 12時を過ぎていた。 いつもは、ここは、調子よく素通りするところだが、 昨日は、こういうことで僕の「目」がキョロキョロしていた。 そのときに、出前から帰って来たカブを発見。 なんと、コース上にラーメン屋さんがあった。 もうこのコースを何十回、いやひょっとしたら百回に近いぐらいに走ってきたが、 そこにラーメン屋さんがあることに、まったく気付かなかった。 ビックリした。 前回のランで、ラーメンが食べられなかったので、 その店に入り、迷わずラーメンを注文した。 うまかったよ。 そのラーメン屋さんに入る前までは、 冬の冷たい空気だった。 ただ風がないから、走ると暑くなった。 ラーメンを食べて店から出てビックリ・・・・ 生温く春先のけだるさだ。 僕は、防寒着を脱いでワークシャツになった。 こういう気温の変化は、ちょっとヤバイ。 それでもペダルは、快調。 こういう生温い空気で思い出した。 若い頃、よく夏には「ナイトラン」と言って夜中を走ったものだ。 日中は暑すぎるので夜中走る。 その時の生温さによく似ていた。 その空気の中、風が強くなってくる。 ヤバイ。 もうじき「見沼通船掘り」が近付こうとしてきたときだ。 ポツン、と雨粒が僕の顔に当たった。 ヤバイ。 それが「ポツ、ポツ、ポツ」と連続しだす。 超ヤバイ。 これから幼稚園の発表会で忙しくなるから、風邪をひくわけにはいかない。 サイクリングを断念して輪行で帰ることにした。 最寄の駅に飛び込む。 「東浦和駅」だった。 そこから二駅「南越谷駅」まで輪行して、そこから自転車で無事帰着。 路面は、30%のウエットになっていた。 今、お弟子さんに稽古を入れているので、 僕は、自由な日がメッキリ減ったので、こうしてチャンスがあるときに自転車に乗らないと、 乗りそびれてしまう。 せわしないよな。 今日は、そのお弟子さんに稽古を入れる日だ。 なんだかとっても豊かな余生を楽しんでいるような気がする。 風呂のない二間のボロアパート住まいの貧乏人だけどね。 14/1/30(木)朝 ビデオマンの日記 ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 ここのところお弟子さんには、しつこいくらいに 「理念」「戦略」「戦術」 の違いとそれの使い分けについて教えている。 これは、商売を立ち上げるのにも、それの継続にも、 また、一本のまとまりのあるビデオ作品を作るのでも、 もっと言えば「生き方」にも応用できるものだと話している。 特に日本人は、これが分からない人が多すぎる。 それどころか「目的」と「手段」の違いさえも分からない。 僕の歳以上になっても、これが分からない。 僕は、こういう人を目の前で何人も見た。 だから、ビデオ屋の場合、機材やエフェクタで仕事がもらえると思ったりしてしまう。 それはありえない、たまたまのまぐれ当たりでなら起こりえるけど、 それで商売を「継続」させることは出来ない。 商売の入り口である「営業」を、 この「理念」「戦略」「戦術」を使い分けて、 実行しない限り商売を長く継続する事ができない。 逆に言うなら、元気よくこの「理念」「戦略」「戦術」を使い分けて、 「営業」を実行するのなら、 リストラに怯える日々の生活から解放されて、 本物の「自由」が味わえる人生を手に入れることができる。 でもそれは非常に厳しい世界だ。 完全な「能力主義」であり「自己責任」が伴う。 だからこそ本物の「自由」なんだな。 これが怖くて「一生涯安泰」のサラリーマンに殺到するわけだ。 お弟子さんが、学校でそれを教わることはないのか、という質問を僕にした。 よく考えて欲しい。 もちろん、学校の先生の中には、「子供の成長」に命がけで考える方もいなくはないと思える。 しかし、たいがいは公務員という「一生涯安泰」を求めて学校の先生になっただろうとも想像できる。 それが、いいかどうかではない。 繰り返す、その仕事も重要だし不可欠だ。 しかし、そういう人たちが、 自分の人生を使って成功するかどうか分からない冒険を教えることができるかどうか、 よく考えれば分かるでしょう。 学校の先生の仕事は、子供に「知識」を教えるのが本業だ。 かれらの本業は、「知識教育」だ。 これはどこの国でも同じだ。 だから、 彼らに商売の立ち上げ方や、その継続について、 自分でやったこともないことを教えることができるかどうか、 よく考えれば、その答えが出るだろうと教えた。 「理念」「戦略」「戦術」についての説明は、 自分の身を危険に晒すことをしたことがなければ机上論でしかなくなる。 お弟子さんが、それではどこでこれを学べるのかと尋ねるので、 商業大学や、ビジネススクール、商工会議所、などで教わるだろうけど、 ただの机上論しか教えることができないのではないだろうかと僕が言った。 松下幸之助の塾なら、かなりの線で学べるかも知れないけど、 一般的ではない。 この日本社会では、 「会社に勤める」ということを「絶対的価値」にして教育していると僕には見える。 そこに「個性」は、埋没させられる。 僕は、このことについてこう思うな、 それは、「会社員」という現代版奴隷制度だとね。 そこでは、僕のような「個人事業」は、「間違った」生き方と教えているでしょう。 ちゃんと、どこでもいいから大学を卒業して、 どこでもいいから名の通った会社に勤めて そしてその会社のどこの部署でもいいから「一生涯安泰」に生きて欲しい。 この一つの生き方だけしか実質的には、肯定されていないように見えてしょうがない。 子供の個性で「会社員」が向いていなくても、 無理やりにでも「大学さえ出せば子育てをしたつもり」を子供に押し付けているように見える。 それで、学問に興味がなく学ぶ気もない子を大学に通わせて、 結局、 そこで4年間、享楽を子供が身に付けてしまう。 これで、 命がけで働いて生きる人が育つのだろうか? また女の子なら、そう育てられるので結婚できなくなっていると、 僕には思える。 これからは、日本の農業でも「能力主義」になろうとしている。 ましてや一般企業でこの「一生涯安泰」の人材をどこまで受け入れるだろうか? 「一生涯安泰」の気持ちで生きようとする人が、 非常に生き苦しい時代にもうなっているでしょう。 それでも、「一生涯安泰」の呪縛に囚われている。 なぜ? それは、あまりに快適な生活に溺れるようにして育てられたことに関係していると、 僕は、考えている。 そう育てられるから、「人生の冒険」を快適ではないから絶対に避けたくなるわけだ。 これの延長線に「ひきこもり」や「うつ病」という心のトラブルがあるというのに、 それでも「一生涯安泰」でなければ気がすまないのだろう。 「人生の冒険」 これを教えられるのは、その子のお父さんでしょう。 14/1/29(水)朝 復活サイクリストの日記 一昨日、デジカメで動画を撮ってみたくて、自転車に乗った。 僕が住んでいるすぐ近所に「葛西用水路」がある。 ここがとっても面白い。 末っ子が小さくてかわいかった頃、よくお手手をつないで散歩をしたコースだ。 ここを動画で撮ってみたかった。 そして、元荒川、逆川、古利根川、へと川のハシゴを撮ってみたかった。 自転車の走行シーン以外は、写真で描写をする。 デジカメで自己録再で見ると、とってもいい。 早く編集をしてみたいね。 これのタイトルは、「古利根川」にする。 古利根川をところどころ撮ったところで、バッテリーがエンプティに。 そこまで40`もない。 今度は、一度走り出したサイクリングをもっとしたくなる。 そこで、「絵」は、春日部駅から輪行で帰ったように作るために、 春日部駅をバックに自転車をバラしたところを写真で撮って、 また、古利根川まで戻って、その続きを走った。 古利根川の土手は、とっても広々としている。 のどかだ。 その中に溶け込むように走る。 そうしているうちに、お腹がすいてきた。 ラーメンが食べたい。 土手を走っていて、ラーメン屋さんに出くわせる確立は、 ノンアルコールビールのアルコール含有量と同じだ。 そこで事態解決のために一時川から離れる。 「東武動物公園駅」に着いた。 たぶん、東口だと思うが、まったく店らしきものがない。 シャッター街。 いつかは「津々浦々」景気よくなってお客さんが戻ってくるのだろうか? ラーメン屋さんを探し続ける。 そうしたら、大きなショッピングモールがあった。 小魚がこれに食われたらしい。 僕のように個人事業で生き延びるためには、 個人事業でなければ作れないものを売るようにしなければならない。 資金力で作れるようなものは、早晩、でかい魚に食われてしまう。 こういうことを考える能力がこれからの社会を生き延びるのに非常に重要だ。 つまり「戦略」を編み出せる能力だ。 「一生涯安泰」の気持ちで親がいたら、子供がこれを身に付けることができない。 会社組織では作れない、資金力では作れない、 そういうものを個人事業では作る。 これが「卒業ビデオアルバム」制作だ。 僕は、これで20年以上喰ってきた。 さて、そこの街をしばらくウロウロしたのだが、 ラーメン屋さんに出くわしそうもないので、 国道4号線に出る。 ここを走っていれば、いつかきっとラーメン屋さんがあるはずだ。 人間は、目標があると俄然ハッスルをする。 一件あった、「定休日」だった。 焼肉屋さんや、蕎麦屋さん、そういうのはあるのだがラーメン屋さんがない。 遠目に「山田うどん」の看板が見えてきた。 最近、ここでラーメンを扱うようになってきた。 僕は、勝利を味わえたね。 その店に入って、メニューを見たら、ラーメンがない。 店員に聞いたら、「当店では扱っていません」だって・・・・・ まさかのどんでん返しの敗退。 しょうがないから、「カキの丼セット」を注文した。 まぁ、旅にはいろいろなことが起こる。 国道は、面白くないので、真北に向かって小さな道を行く。 方向さえ真っ直ぐだったら、いつかは利根川に出るはずだ。 また、そういう小さい道だからこそ、面白い発見がある。 そこに住む人の空気みたいなものが感じられる。 これもサイクリングの醍醐味だ。 そうして走っていたら、また国道4号線に出た。 それの側道をしばらく走る。 なんとか、国道から離れたいと思っているところに、 方向は北で、それる道があった。 そこを行く。 作戦通り、利根川の土手に出た。 それで「栗橋」に着いて、川を渡り、いつもの「渡良瀬遊水地」に到着。 いつもの「やぎゅう駅」から輪行で帰った。 帰りの電車の中は、暖かくて、僕は爆睡した。 この時期にしては風もなく、気晴らしサイクリングが調子よくできた。 僕は、貧乏人だが、貧困ではない。 貧乏人だが、こうして人生を面白く生きてこられた。 金にも、物にも、会社にも、束縛されずに、 本物の自由を味わって生きることができた。 これからの日本社会は、「能力主義」だ。 能力に応じた収入になる時代だ。 だからこそ、もう一度言う。 「一生涯安泰」の意識を子供に与えないようにしよう。 貧困では困るが、貧乏でいいじゃないか、 それより思いっきり生きて充実感のある人生を子供に教えたいものだ。 どう思う? 若いお父さん? 14/1/28(火)朝 お弟子さんの日記 今月でサラリーマンを辞めちょうど1年が経ちました。 振り返ると濃く長く良くも悪くもあり、面白い1年でした。 まだまだスタートラインから数歩進んだあたりかと思いますが、 やりたい事をやるという事は本当に難しく大変だと感じております。 勉強不足だった自分が浮き彫りになり、 今年で27歳になるのかと思うとピッチを上げて物事取り組まないといけないと焦りを感じはしますが、 どこかのんびりしてしまうのも事実です。 危機感が足りないのでしょうか? 兎にも角にも、今はバイト頑張って、 出来るだけ谷口さんのところで勉強して、最低限休んで次のステップに進むだけ。 いよいよ来週は一人3カメによるリハーサル撮影当日を迎えます。 頂いた資料でイメトレに励んでおりますが、百聞は一見に如かず。 きっとあたふたしてしまうだろうというイメージばかりが先行してしまいます。 この勉強を始めてからというもの、 カメラを触りたい、撮りたい・・・という欲求が高まってきており(良い事?)自分にとっての成長期なのかなと感じます。 改めてもっともっと精進していきます! 14/1/27(月)朝 キャンプじぃじの日記 デジカメで撮った動画をどうやって編集できるのか・・・・ 詰まる話し、僕の持っているノートPCがXPでしかも古いバージョンなので拡張子の変換ができないことが分かった。 この3月に新しいノートPCを買う計画なので、 それを待って、日光サイクリングの動画を編集する事にした。 仕事で使っているPCもあるが、 こちらはまったくネットにつなげていないので、そのことで拡張子が変換できない。 写真の利点と、動画の面白さの融合。 なんだか、自分で想像できなかった新たな表現スタイルが作れそうだ。 もしかしたら、これって凄いことなんじゃないだろうか? 早くこの手法の作品発表をここでしたい。 ワクワクするな。 面白そうでしょう。 「工夫」の力、「デザイン力」、「創作力」、 こういったソフト面の能力を学校では、なかなか教わることがないと思う。 塾でも教わることがない。 さぁ、どうやってこういう能力を子供が身に付けられると思う? その前に、親自身が「一生涯安泰」の意識で生きていると、 それが子供に伝わって、 子供は、リスクのあることに挑戦しなくなる。 まずは、この意識を親が変えることから始めるといいだろう。 人生を思いっきり挑戦して生きる。 ここに「工夫」「デザイン」「創作力」が育まれるからだ。 「暗記」とはまったく違う軸での教育だ。 この能力で自分の人生をもデザインしていけるようになれる。 せっかく生きているのだから・・・・・・ 14/1/26(日)朝 復活サイクリストの日記 と、いうことで昨日は、越谷駅から東武日光駅まで輪行をした。 (輪行:自転車をバラして専用の袋に入れて、それを持って電車で移動) 東武日光駅からは、鹿沼までのダウンヒルだ。 つまり、ほとんどペダルを踏まなくてもスピードが出る。 それでとってもペダルが軽いというわけだ。 こういうのをはたしてサイクリングと言えるかどうか、 インチキ哲学者であるキャンプじぃじには、説明がつかない。 そうだなぁ・・・・・ 電車というちょっと長めのリフトに乗ったんだな。 片道千円ちょっと、ゴンドラよりはるかに安い。 ゲレンデは、日光の杉並木の旧道だ。 車の往来がないマニアックなコースだ。 ここを滑るように 700c のタイヤで転がっていく。 石畳や、砂利道の上を滑走する。 スリル満点。 行きの電車の中で、ふと、持参したデジカメで動画が撮れることを思い出した。 動画だけで、ツーリングを表現するのは、仕事モードで大変になる。 そこで、旅行の行程は、今までどおり写真で撮って、 自転車での滑走シーンを「見た目」で動画を撮ったら面白そうだと思い付いた。 人生の面白さは、こうやって作っていくのさ・・・・工夫だ。 思い付いたら、無性にやりたくなる。 行きの電車の中で気付いたので、 早速、車窓からの眺めをビデオで撮る。 ここにナレーションをかませるんだ。 それは、こうだ。 「越谷駅からこうして東武日光駅まで輪行しています。 東武日光駅を降りると、白銀の世界ではありませんが、 鹿沼までの長いダウンヒルを自転車で滑走できるのです。 ペダルを踏まないサイクリング、不思議な世界をご覧ください。」 もう、どんどん構成が頭に浮かんでくる。 東武日光駅を降りた。 ここに日光名物の「あげまん」がある。 あのぉ、まんじゅうを揚げたんで、そう言うのね。 それを一つ、ほおばって、 違う店でお土産に「たまり漬け」を買う。 ここらへんは、写真で収める。 東武日光駅をバックに、自分の顔をデジカメの動画で撮りながら 「東武日光駅を降りました。 これからダウンヒルを楽しみます。」 と、僕が言う。 ・・・・ついにここの書き込みに「ト書き」が出た。 ここのところを正確に台本にすると・・・・ 谷口、東武日光駅をバックに、自分の顔を自分でデジカメで撮りながら 谷口「東武日光駅を降りました。 これからダウンヒルを楽しみます。」 と、言う。 ついに、台本作法まで登場だ。 なんだっけ?・・・・ そう、駅を降りてお土産を買ったところまできた。 それから、写真で杉並木の道の脇にに自転車をセットして、 そこをデジカメで望遠を使って写真で撮る。 太くてたくましい杉の木を重ねるように撮る。 ほとんど、ト書きだな。 次に、デジカメの動画モードで、 カメラを胸と腹の中間に右手で持って、 「ハンドル越しの走行風景」を撮る。 さっそくプレビューして見た。 迫力あるよ、面白い絵だ。 これ、止められない。 途中、ふと、見上げると日光の山に雪が積もって雄大にそびえているのが見えた。 そこで、その山頂のアップを撮る。 インサートカットに使える。 その山がバックに入るように、自転車を写真で撮った。 一般道から、旧道の石畳への Y字路がある。 ここは、説明が必要だ。 写真でその分岐点に自転車を置いて撮る。 写真は、ナレーションに合わせて自由に尺が作れるので便利だ。 ナレーションは、こうだ。 「ここから、一般道より、旧道へ向かいます。」 動画は、その分岐点より、ずっと前から回して、 そのまま、その Y字路を左方向の旧道へ走っていく。 ちょっと、時間軸がずれるが、 写真とナレーションが、ちょっとした伏線になる。 なんだか、仕事をしてんのか、遊んでんのか、サッパリ分からなくなる。 そうして、石畳の上を自転車で走って、 動画で「見た目」を、 そして、走りながら僕の顔を撮ってリアクションを、 ペダルをこがないで走る自転車を表現するのに、 足元アップを、撮った。 ところどころ、写真で「つなぎ」の絵も撮っていく。 途中で、杉並木をバックに、オニギリを食べる僕を、 タイマーを使って写真で撮った。 そうこうしていたら、ついにデジカメのバッテリーがエンプティに・・・・ なんか、尻切れトンボになってしまう。 そこは、ごまかしのテクニックで、 動画の走行シーンに何かナレーションを入れて、 それで、言葉で意味を作って、最後に小さな、とっても小さな滝をバックにした自転車で〆れば、 けっこういけるだろうと構成して、撮影を断念した。 旧道は、たいした距離がないけど、こうして撮影ごっこをしながら走ったので、 けっこう時間を喰った。 一般道で鹿沼を目指す。 ところどころ、ペダルを踏まないといけないところがある。 それでも、アスファルトの上でダウンヒルを楽しむこともできた。 鹿沼に着いたら、もう編集がしたくてたまらない。 ほんの少しだけ、市内を観光をして、 そこから輪行で帰った。 走行距離、たったの37`。 ボロアパートに帰ってすぐPCを立ち上げる。 僕は、初めて「M2TS」の拡張子を扱った。 これを編集するためには、拡張子をAVIにしなければならない。 それで、やっとの思いで、それをしたら、 「絵」がボロボロ・・・・・・ 音もボロボロ・・・・・・ デジカメで自己録再する分には、とっても綺麗なんだが・・・・・ どうしよう・・・・・ 今日は、これのつづきを人生で楽しむ。 「おつかれさまでした〜〜〜〜」 14/1/25(土)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、幼稚園で「卒業ビデオアルバム」の一コマである「インタビュー」の撮り足しをしていた。 これは、子供一人一人に「大きくなったら何になりたいの?」というインタビューを先生にしてもらうものだ。 前回撮ったときにお休みだった子、やり直しの子、を撮っていた。 そのときに、ある男の子が、 「大きくなったらビデオマンになりたい」と答えた。 胸キュン・・・・・・ でも20年後、その子が社会に出て活躍しだすころには、僕はこの世にいないかも知れない。 人生は有限だ。 ここ日本は、あまりに「物」が豊か過ぎて「快適」を当たり前にして生きているでしょう。 ちょっとでも都合が悪いと大騒ぎをする。 そのぐらいに「快適」が当たり前だ。 だから今、生きているのは、当然で、とっても当たり前のことにしていないだろうか。 実際は、いつ、何で、死んでしまうのか分からない。 本当は、「生きる」って、常に「死」のリスクを背負っていて、 たまたま今、生きているんではないかね。 何か病気をしたときに、これを感じないだろうか。 今、生きているのは、本当は、奇跡なんだ。 そう、思ったときに、今日という日を自分にとって価値のある日に作り上げたくならないだろうか。 僕は、いつ死んでしまうのか分からない人生だからこそ、 生きている内に、精一杯生きよう、そう中学生ぐらいの時には思っていた。 だから「一生涯安泰」を追い求める生き方は、嫌いだった。 せっかく生きているのに、そういう生き方では、人生がもったいない。 こう思った。 それでビデオ屋になったのさ。 そんなことや、 僕の仕事をその子に教えてあげたいのは、山々だが、 そんなには僕は、生きていないだろう。 もうちょっとその子が早く産まれて出会っていれば・・・・・ まぁ、すべて僕の運命だ。 神様のシナリオに逆らうことはできない。 今日というこの日を思いっきり生きるさ。 こういうことで、さぁ、出発だ! 今日のこのチャンスを逃すものか、思いっきりペダルを踏むぞ! なんてことはない、頭は、サイクリングで一杯なだけ。 子育てが終わると人生が超軽〜〜〜〜い。 ペダルも軽〜〜〜い。 14/1/24(金)朝 キャンプじぃじの日記 やっとの思いで、 サイクリングのスライドショーを上記のとおりネットにアップできた。 昨日までに9タイトルをアップさせたが、あと2タイトルある。 小さくて軽いデジカメを買ったので、 サイクリングの最中に写真が撮れるようになった。 初めは、二年前にやった幼稚園での「流しそうめん」を記録するためにデジカメを買った。 その目的のためだけカメラを買ったので、 使う当日にその使い方が分からないというミスを犯した。 もともと僕は、サイクリングが好きで走っていた。 それで、何の気もなしにそのデジカメをある時に持って行った。 いい景色を写真に収めたいという気持ちは、誰にでもあると思う。 僕は、若い頃は、ともかく距離を走っていたので景色なんか見ないし、 見えても、興味がなかった。 しかし、歳をとって距離は走れない。 そこで、ロードでツーリングをするようになった。 今度は、「旅」が目的で「景色」は、重要なファクターになった。 それをデジカメで撮ってみた。 いい調子で走っているのに、景色がいいからといって、自転車から降りて、 撮影をするのは、初めはかなり面倒だ。 それでも、何カットか撮って、輪行で電車に乗って帰る時に、 それをプレビューした。 ついさっきまで走って見た景色が、即日見られることに感動した。 (僕にとって写真は、フィルムの感覚だからだ) その電車の中で、カメラをいじくっているうちに、 なんと、スライドショーができるだけではなく、 そこにBGMをかぶせられることが分かった。 ビックリしたね、それでサイクリングのスライドショーにハマッたわけだ。 何回か自転車のツーリングを写真で撮っていて、 だんだんと自転車から降りて写真を撮るというのが面倒でなくなっていった。 しかも一本のスライドショーを作るのにだいたい100カットあればテンポのいいものが作れるというのも分かってきた。 上記にアップしたスライドショーで、カットの少ないものは、初期に作ったものだ。 仕事柄、どんな絵をつなげば、どういう感じになるのかは分かっているので、 「撮り方」自体は、慣れたものだ。 それで、だんだんとスライドショーを作るのが目的でサイクリングをするようになった。 とりあえずある11タイトルをアップするが、 全部、去年に作ったものばかりだ。 去年は、スライドショーを作るために、 ロケハンサイクリングまでするようになった。 それが今日、アップする「養老渓谷」だ。 今朝は、都内の仕事で朝早く新宿でこれを書き込んでいるけど、 帰ったら、いの一番でそれをアップしたい。 サプライズの絵が入っている。 「ヒト」は、好奇心が強いので二足歩行を始めたという説がある。 「一生涯安泰」という気持ちは、人生に閉塞感が起こるよ、当然の結果として。 そうではなく、 せっかく生きているのだから「ヒト」らしく好奇心を高めて、 自分の人生をデザインした方が、断然お得でしょう。 僕は、そういう感覚で脱サラをしてビデオ屋になった。 これからを生き抜く子供たちも、 元気よく「好奇心」を燃やして、例え僕のように貧乏でも、 堂々と人生を作っていって欲しいね。 そのためには、「子育ての面白さをお父さんに伝える」ことが一番効果的だと考えるようになった。 これも、僕の「好奇心」でやり始めたのさ。 14/1/23(木)朝 ビデオマンの日記 ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 「卒業ビデオアルバム」の制作を職業にする。 このためにここに書き込み続けている。 「何でも撮ります」は、「何にも撮れません」ということだ。 仕事で「撮る」という行為には、そこに「専門性」が問われる。 この「専門性」がないというのは、何を撮るのでも素人の撮影だ。 被写体を知り尽くす。 これが「撮る」という職業で必須になる。 極論を言えば、カメラなんかなくても「被写体を見る目」があれば、 立派なカメラマンだ。 「舞台もの」を撮るのだって、 日本舞踊ならその世界を知っていなければ撮れない。 吹奏楽を撮るのに楽器を知らないで、どうやって撮れるというのでしょう。 このように「被写体」についての「研究」がカメラマンに不可欠だ。 「何んでもいいから撮影の仕事が欲しい」 まぐれ当たり、一発屋、ならあるかも知れないが、 商売を立ち上げ、継続する事はできない。 今、僕のところに学びに来ているお弟子さんは、 この点、「卒業ビデオアルバム」を作りたいというハッキリした動機を持っている。 非常に重要なことだ。 この間、同業者(ビデオの仕事で食べられている人は少ない)の集いで、 その会の「理念」がハッキリしないので、 会のサブタイトルが的外れであることを指摘した。 ビデオで「記録」する仕事でさえまだ出来ない人たちが、 「制作者」と名乗っている。 僕には、ただのおごり高ぶりでしかない。 「理念」「目標」「志」 こういった大局をハッキリ、シッカリ、強く、掲げてこそ、 それを成就させる作戦・・・「戦略」が立てられ、 それを実行・・・・・・・・「戦術」の行使ができるものだ。 特に商売の入り口に当たる「営業」には、この 「理念」「戦略」「戦術」は、不可欠だ。 商売を立ち上げ、継続するためには、これを踏まえなければ成功しない。 ところが「機材」にしか目が向かない人がいる。 機材は、仕事をこなすための手段だ。 機材は、仕事によって使うものが違ってくる。 何を撮るのかがハッキリしないで、手段の機材がいいかどうかなんて分かるはずがない。 とっても当たり前のことだ。 こういう人たちは、 たぶん、5年経っても10年経っても、商売を立ち上げられないでしょう。 「目的」と「手段」の履き違い。 もういい歳をしているのに、こんな調子では気の毒だね。 「目的」がなく「手段」である機材にしか興味がない・・・・ これ、アマチュアでしょう。 子育てもこういうミスマッチが多いでしょう。 子供を育てる最大の目標がないまま、 手段である「教育」を追い回す。 「大学さえ出せば子育てをしたつもり」 こう育てられるから、 いつまで経っても「目的」と「手段」の違いが分からない人になってしまうのでしょう。 「目的」と「手段」の違いを知って、行動する能力。 商売では、「理念」「戦略」「戦術」の使い分けと「実行」。 これを身に付けることが本当に大切だ。 生きていく上で、これを身に付けることが本当に大切だ。 日本社会がグローバルになればなるほど、 「生き方」に「理念」「戦略」「戦術」の使い分けと実行が不可欠になる。 僕は、今日、新規開拓で獲得した新規の幼稚園へ打ち合わせに行く。 僕は、「何でも撮る」ビデオ屋ではなく、 幼稚園が専門のビデオ屋だ。 そして「卒業ビデオアルバム」の制作は、ただの「記録」ではなく、 一つのまとまった作品に「制作」をする仕事だ。 14/1/22(水)朝 キャンプじぃじの日記 今朝の読売にデカデカとJR北海道の記事が載っていた。 ひどい事件だった。 どうだろうか、この事件の根底に「一生涯安泰」があったのでは ないだろうか? 自分の保身だけに突っ走る「心」の社員。 ならば、子育てでそうではなく 「自立をした一人の大人の社会人」を目標に 「自分の人生を開拓する」人を育てる重要性が分かってこないだろうか。 オウム教の裁判もここのところ大々的に報道されている。 この間、ここに書き込んだように、 「無宗教こそが、こういう危ないオカルト宗教を産む」 と、僕には思える。 この二つに共通していること、 「心の成長」 ということだ。 本物の「オヤジ」に成長するためには、 自分の子の「心」を成長させることで、父親が育つものだと、 僕は、確信するな。 本当に、父親自身で子育てをしない限り本物の「オヤジ」に成長できない。 「オヤジ」に成長した実感を得られた時、 たまげるほどの喜びが心の底から沸いてくる。 これが「子育ての面白さ」の本質だ。 もう生きる感動と言っていい。 「物」を手に入れて「嬉しい」という感情とは、まったく次元が違う。 これにぜひ気付いていただきたい。 そしてこれからを生き抜いていく子供たちの「心」を強く育てて欲しい。 14/1/21(火)朝 お弟子さんの日記 疲れと寒さのせいか寝坊をしてしまいます。 でも、それは言い訳。 気が抜けている自分の責任です。 今年は自分にとって環境が大きく変わる年にしなければなりません。 再度ふんどしを締め直し精進致します! 先週はインタビューの撮り足しに同行しました。 お休み等で撮影が出来なかった子がいたからです。 インタビューについてその様子を観察していると谷口さんの子供たちへ対する接し方が凄い事に非常に気付かされます。 出来るだけ一発で撮影を成功させる為に楽しく、 尚且、必要以上に感じさせない緊張感を持たせる対応。 僕も実際にカメラを回させてもらいましたが、 画角を気にし過ぎて子供たちへの対応にまで気が回りませんでした。 これぞ経験が物を言うということなのでしょうか? このシーズンを抜ければいよいよ卒園式を迎え、 ビデオアルバムの総仕上げの為の作業が始まります。 現場に入る度に「早く自分のお客さんが欲しい」という感情が強まってきます。 とは言っても商品を作る技術を身に付けることが急務な自分にとって、 それを考えるのはまだまだ先のこと。 気持ちばかりが前に前に行ってしまいます。行動しないと・・・。 来月の頭に発表会のリハーサルを3カメで撮影するというお話をとある幼稚園に許可して頂きました。 中々ここまでしてくれることはないらしく、本当に感謝です。 精一杯勉強させて頂きます!! 14/1/20(月)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、恒例の「日曜晩餐会」の日だった。 これは、大家のおばぁちゃんと古い友人、僕とばぁばの四人の楽しみで続けている。 90才を越すそのおばぁちゃんにドレスを着てくるように いつも言っているのだが、正装したためしがない。 昨日は、古い友人が親戚に不幸があったのか、 栃木県へ行って参加できないとメールがあった。 それで、三人での夕食だった。 いつものメンバーでないと、何か歯車が合わない。 人間関係というものは、微妙なバランスがあるものだと思い知らされた。 漫才での、ボケと突っ込みと言うか、 会話のやり取りに知らず知らずの内にそれのパターンが構築されていた。 それで、一人いないと何か会話にメリハリがなくなる。 大家のおばぁちゃんが帰ってすぐ、最近知り合ったカメラマンが来た。 仕事での付き合いはないけど、 サイクリングやさぎ山野営場での活動で、よく来る。 まぁ、僕の呑み相手だ。 新しい呑み屋の情報は、彼が持ってくる。 僕のこの癖の強いのんべぇに根気よく付き合ってくれる。 そういうことで、また呑み過ぎた。 お終い。 ps, 遊んでくれる相手がいるのは、幸せなことだ。 幼稚園へ仕事で行くと、 小さい子が「アッ、ビデオマンだ」と言ってなついてくれる。 とっても幸せなことだ。 その子たちが大きくなって社会で活躍する頃には、僕は死んでいないだろう。 お弟子さんに、何が何でも今のこの仕事を継承しなければならない。 14/1/19(日)朝 復活サイクリストの日記 昨日は、 さぎ山野営場に車を置いて、そこから「見沼代用水路コース」をサイクリングした。 久しぶりだ、このコース。 周回で42`ある。 そして6割りぐらいが桜並木だ。 とっても美しいコース。 でも、散々ここを走って飽きてしまった。 慣らし走行に丁度いい。 前回、「慣らし」のはずが思わずヘビーになったので、本当の慣らしをした。 風がなく澄み渡った青空。 空気は冷たいので、走って風を切ると「冬」だ。 冬装備で走る。 気持ちいい。 とっても気持ちいい。 アッという間に走り切って、今度は薪割をさぎ山野営場でした。 この間、古い友人と薪用に倒したヒノキがそのままだった。 さらにその前にもヒノキを一本倒してあった。 計2本分のものがあった。 古いほうを初めにやっつける。 乾燥が進んでいて、「生木用」の斧では刺さるだけで割れない。 乾燥用の斧で調子よく割っていった。 もう一本の方は、まだ「生」だ。 これを乾燥用の斧で割ろうとすると、刃が立たずに、それが弾んでしまう。 さぁ、それを割ろうとしたら、ちょっと長すぎて割り切れない。 長さが50p以上あって、一気に割れない。 古い友人がこの長さにしたのだが、 あまり薪割をしないので、丁度いい長さが分からなかったらしい。 そこで「木割り矢」の登場となる。 たいした太さではないけど、斧でダメならこれだ。 これも久しぶり。 1.5`の木割り矢を3.5`のハンマーで、ブッ叩く。 最初の一発を外した。 「カッキーン」という金属音で木割り矢が飛ぶ。 怖ぁぁぁ〜〜。 二発以降は、体が思い出した。 あの破壊力、快感だ。 ついに、薪割り台まで破壊してしまった。 気温が低くても風がなく穏やかだったから汗が出てくる。 とうとう、僕はTシャツ一丁で薪割をした。 サイクリングをして、薪割をした後のいつもの銭湯の露天風呂は最高だ。 さらにその後のビールのうまいことったら、ありゃしない。 最高。 僕は、若いうちから部屋に閉じこもることが嫌いだった。 ともかく、冬には毎週スキーをして、 それが off の間は、全部サイクリングをしていた。 こうして僕は、アウトドアーが身に付いた。 それは「生きる習慣」になった。 だから、ボーイスカウトのリーダーになるための三泊四日の研修キャンプも面白くてたまらなかった。 その癖は、こうしてじぃちゃんになっても止められない。 子供のうちから、部屋に閉じこもった生活をズットしていて、 しかもその中でヌクヌクと快適を浴びるようにしていたら・・・・・・ ひきこもりにならない方がどうかしている。 子供には、大自然の厳しい空気に晒すことが非常に大切だ。 僕の時代では、親に 「子供は風の子、外で遊びな」と言われて、木枯らしが吹く中、外遊びをしたものだ。 だからこそ、僕は部屋に閉じこもるのが嫌いになった。 だからこそ、僕は活発になった。 だからこそ、僕は会社に囚われないで、自営業を始めた。 子供のときの体験は、その人の一生涯の過ごし方を決めると思う。 ここだ、 今の子育てで、「外遊び」をあまりに軽視し過ぎているでしょう。 学校の成績だけに注目する子育てが多いでしょう。 それで子供を部屋の中に押し込めて育てている。 その結果が、ひきこもり150万人なのではないかね。 ひきこもった方が、「楽」なんだよ。 僕は、部屋の中では、窒息死しそうだ。 一週間の入院を2年前にしたが、 病室に閉じ込められるということで死ぬ思いをした。 さぁ、繰り出せ親子で大自然の中へ!! 子供を「もやしっ子」にしてはいけない。 こういうのが父親の子育てになるのさ。 さぁ、今、子供の手をギュッと握って、近所の公園へ行こう! さぁ、行こう! 親子で北風と戦ってこよう! 14/1/18(土)朝 キャンプじぃじの日記 昨日、末っ子が突然帰って来た。 この間の正月に、この子の兄弟が集まったのだが、 その時の写真をA4の大きさの中に組み写真にして、 フレームに収めたので、これを取りに来いと言ってあった。 この子は、今、自衛隊で歩兵さんをしている。 最下階級だ。 初めのころ、週の休みに毎週帰って来ていた。 そこで僕は言った。 「いつまでママに会いに来るんだ、みっともない。」 その途端に寄り付かなくなった。 本人の意思で自立をした瞬間だ。 この二年ぐらいは、こういうことで帰らないようになった。 実は、彼女が出来たらしい。 寂しいからこそ、パートナーが欲しくなるものだ。 満たされ過ぎた生活で寂しくなければ、必死にパートナーを探すことをしなくなる。 これが晩婚化の原因で大きいでしょう。 さて、その末っ子は、今22才だ。 昨日の夜、末っ子とビールを呑みながらこう僕は言った。 「お父さんは、お母さんにうまいこと騙されて犠牲的精神で生きてきたからこそ、 お前が産まれたんだ。 感謝しろ。 そのうまいことごまかされたのは、丁度お前の歳の時だ。 それ以来大変な思いをした。 子供たちもみんな頭が悪いし、本当に大変だった。」 末っ子は、ノーコメントだった。 続けて「ここに帰ってくるというのは、お父さんの説教を覚悟で来たんだろう?」 ノーコメントだが、にやけた顔をした。 暗黙の了解を得たので、ビールで酔いが回ったことだし、 僕は、絶好調になった。 「いいか、人生は作っていくものだ。 作らない限り出来上がらない。 今を楽したら人生を作り上げることが出来ない。 いったいどうやって自分の人生が作れるのか、必死に探し求めるんだ。 聖書には、『狭き門を叩け』とある。 みんなが殺到する『広い門』ではなく『狭い門』、 しかも入りにくい門。 そこを必死で叩いて開けてもらうんだ。 お父さんも、そうして28才の時に誰も見向きもしない今の仕事を目指した。 28才のときにやっとお父さんは、見付けることが出来た。 お前が生きていること自体に神様にとって重大な意味がある。 それが何か、必死に探せ。」 「生き方」を子供に教えるのは、父親ならではの仕事だ。 こうして僕は、今でも、「オヤジ」の仕事をした。 若いお父さんは、小さな自分の子の手をギュッと握って、 繰り出せ! 大自然へ! 北風と親子で戦ってこよう。 子供が小さい内は、たくさん大自然の中の体験が必要だ。 僕の末っ子のように「言葉」で教えられるのは、 そういう大自然の中の体験を親子で積み上げてきたからこそできるのさ。 僕は、ますますエンジンがかかる。 「いいか、自分と物との関係 自分と人との関係 自分と神様との関係 この中で自分と物との関係で幸せになれると思って、 小遣いを無駄遣いしたので、 お父さんの怒りを買って追い出されたときのことを思い出せ。 もう分かったな、『物』を拝むんじゃない。 あらゆる被造物を拝んではいけない、聖書にあるとおりだ。」 父親自身が、自分の楽しみや消費のことで頭が一杯で、 「オヤジ」として成長ができていないと、 子供にこうして「生き方」を教えることができないよね。 僕は、今から10年前に「キャンプじぃじ」を名乗りだした。 まだ、50才になる前だ。 青臭い「じぃじ」で、子供たちは「おじさん」と僕を呼ぶんだな。 そこで僕は、「おじさんではない、じぃじだ。」と矯正するのだが、 子供は、正直だ。 それでも「おじさん」と僕を呼んだ。 僕は、「オヤジ」をやっとここにきて卒業できて、 子供たちに「じぃじ」と紹介すると、 面白がって僕を「じぃじ」と呼ぶようになった。 それで、やっと「おやじ」の上の「じぃじ」に昇格できた。 「子育ての面白さをお父さんに伝える」 ことを目標に次の人生を燃やすステップに至ったわけだ。 生きるのは、面白いよ。 若いお父さんは、今日、子供の手をギュッと握って親子で大自然の中へ繰り出そう。 ここから「おやじ」を目指して成長しよう。 14/1/17(金)朝 キャンプじぃじの日記 「子育て」以外の楽しさに夢中だった僕は、ダメおやじの頭だ。 だからここで、同じドジを踏まないように若いお父さんに訴えているわけ。 日本の今は、「子育て」以外の楽しさが溢れかえっている。 僕は、スキーとサイクリングに夢中だった。 それで、「子育て」を疎かにしてしまった。 それが何であれ、 父親が「子育て」以外に夢中になっていて、 子供の育ちがいいわけがないことを、分かって欲しい。 一番多いのが、家や車といった「消費」だろうと思える。 自分の楽しみで頭が一杯の日々の生活。 自分の消費で頭が一杯の日々。 これでは、「おやじ」になれないでしょう。 僕もなれなかった。 「生き方」が狂っていた。 この「生き方」を教えてくれるのが宗教だ。 仏教と日本神道は、まったく違う宗教だ。 これをゴッチャにしてはいけない。 ほとんどの場合、「うちは仏教」で、しかも日本神道にも所属している感覚なのだろうと思える。 結局、どちらも「信仰」するほどには、学ぶ気がないのが実情ではないだろうか。 つまり、本質的には、無宗教。 僕の三番目の子がこう言った。 「快適に過ごしていたら、信仰は必要ない。」 本当にそうだ。 中国では、経済発展の裏側で、ハッキリ言えば搾取され続けている人々がいる。 ごく一部の富裕層が贅沢をするために、自国民の貧困層を搾取するように労働させている。 これは事実だ。 その貧困層で、国家が認めないキリスト教信者が増えているそうだ。 国家に都合がいいキリスト教は、ローマカトリックに認められていないという。 中国人の本当のクリスチャン、 その数、一説には1億人。 (1月10日 読売朝刊) 日本の人口は、1億3千万人だ。 快適ではない中国の人々が熱心なクリスチャンなんだそうだ。 僕の三番目の子が言ったことに真実を感じる。 昨日、オウム教の平田被告の初公判が裁判員裁判であったと大きく報道された。 なぜ、無差別テロを起こしたのか、その動機が分からない。 これが世界でも希で、不気味な犯罪となった。 実質、無宗教の今の日本だからこそ生まれたオカルト宗教だと、僕は思う。 無宗教だからこそ、自分勝手に生きる恐ろしさが生まれるのでしょう。 「生き方」を教えてくれるのが、本来の宗教だ。 自分の、家族の、宗教をシッカリと学んでいれば、 こんなオカルト宗教が出てくるはずがない。 オウム教が問題なのではないでしょう。 それが生まれた「無宗教」に問題があると、僕には思えてしょうがない。 快適な生活に溺れていたら、宗教なんか必要がなくなる。 そこにこの不気味なテロが起こる原因があった。 僕は、こう分析する。 子育てを強く意識した「親子キャンプ」の生活は、快適ではない。 普段の生活で、快適を浴びるように子供が過ごしていたら・・・・・ そうであるなら、あるほどに、 快適ではないキャンプ生活を子供に体験させるべきでしょう。 子供にとって辛いだけのキャンプでは、長続きしない。 その快適ではないキャンプ生活をどう面白く出来るのか、 これを工夫する能力こそが、 「幸せは、それを感じ取る能力」 これを鍛えることになるんだよ。 分かってもらいたい。 さぁ、この休みには、子供の手をギュッと握って、繰り出せ親子で大自然へ! 北風に親子で戦ってこよう! 僕も、戦ってるよ。 これで、親子で野性にリセットしよう! 14/1/16(木)朝 ビデオマンの日記 ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 時代は、もうすでに「能力主義」になっている。 この変化に気付くことができないと、 商売も子育ても、たぶん学校の先生も、10年後に後悔をすることになるだろう。 これは、世界を相手に日本が生き延びていく上での必然だと思う、「能力主義」。 「年功序列」 この習慣の名残で「一生涯安泰」という意識がある。 今から30年前、しきりにこれからの日本社会は、 この「年功序列」から「能力主義」へ移行するとマスコミで言われていた。 それが今、どうでしょうか? 「年功序列」をやり続ける企業がどれだけあるでしょうか? それでもなお、「一生涯安泰」の妄想を抱いて、「教育」が成り立っているのではないかな。 少しでも学校の成績を良くして、少しでもいい大学を出て、少しでも有名な会社に勤める。 こういう「就社」観が根強く残っていないだろうか? 昨日、お弟子さんにもこの「能力主義」について話した。 彼は「適性検査」について尋ねる。 そもそもこの「適性検査」ということ自体が、本人の「自主性」に欠けた話しではないだろうか。 僕が生きてきたこの「ビデオ屋」は、 この世界は、もともと「能力主義」だ。 目標に向かってそれが出来るのかどうか、 出来なければNG。 NGの多い人は、淘汰される。 これが「能力主義」だ。 こういう「生き方」に慣れると、「一生涯安泰」にしがみ付く弱々しさがハッキリと見えるんだよ。 そしてその過去(年功序列)の妄想を引きずった教育。 間違ってもあと10年はもたないでしょう、こういう「生きる感覚」はね。 ここは、「個人事業」と「能力主義」がキーワードの書き込みをしてきた。 この「個人事業」は、「大企業に勤める」という価値観とは、正反対のものだ。 仮に大企業に勤めることができても、 そこは、社内で「能力主義」になることが当然になるだろう。 たぶん、もうすでになっていることだろう。 とても「一生涯安泰」というわけにはいかなくなる。 ここだ、大企業の内部は、「能力主義」にならざるを得ない。 このことをよく考えるべきだと思う。 ならば、いっその事、「個人事業」で堂々と「能力主義」で生きていった方が、 とっても伸び伸びと生きていける。 これは、僕の体験だ。 僕は、28才の時に今の商売を目指して脱サラした。 当時の僕のサラリーは、固定で35万だった。 今から30年前の話しだ。 それを捨てた。 僕は、高校のときから「一生涯安泰」という意識は、まったくなかった。 だからこそ、自分の人生を自分の力で開拓をすることができた。 子供にこれを教えるべきではないだろうか、 「自分の人生は自分で開拓をする」 高校生では、この「能力主義」を徹底的に教える教育。 そのことで強く生き延びることができるように育てる必要性。 つまり「自立」だ。 「能力主義」では、 自分の人生に100%の自己責任が問われる。 当たり前だ、だからこそ本物の「自由」がある。 この本物の「自由」は、何物にも代えられない人生の価値がある。 「生き方」に勝ち抜いてこれを手に入れない限り、分からない価値だ。 個人事業のビデオ屋、 100% 能力主義の世界だ。 僕は、この「能力主義」の世界についてこれからも語り続けて、 「生き延びる意欲」のある人に刺激を与えていきたい。 たぶん、「一生涯安泰」を望む方には、不愉快きわまることだろうけど、 僕は、黙ってはいられない。 これからを生き延びていく子供たちにも、これを伝えたいからだ。 個人事業のビデオ屋は、完璧な「能力主義」の世界だ。 だから、機材や、たいしたこともないテクニックだけでは生き延びられない。 「自立をした一人の大人の社会人」が求められる。 「一生涯安泰」を望む心を企業の面接官は、鋭く見抜いている。 中学生では、この現実社会を意識させて、 高校生では、「能力主義」を身に付けさせたいものだ。 はたして、お弟子さんは、この「能力主義」をどこまで目覚めることができるのでしょうか。 快適な生活に溺れていては、身に付かない能力主義。 大自然の厳しさは、だからいい。 それを体験する事で、否が応でも大自然の中で「能力主義」が体験できるさ。 お弟子さんは、富士登山にハマったようだ。 大いに結構。 14/1/15(水)朝 サイクリストの日記 一昨日、やっと自転車に乗れた。 週に二回、自転車に乗ると、とっても体が調子よくなる。 でも、ここのところ二ヶ月近く乗ることができなかった。 久しぶりなので、慣らし走行をしようと、 概ね60`ぐらいの距離を走ることにした。 すぐ近所に流れている「葛西用水」から「元荒川」へ、 「逆川」を経て、一般道で「江戸川」へ、 そのまま「利根川」「渡良瀬川」、そして「渡良瀬遊水地」という慣れたコースを走り出す。 江戸川に出るまでは、慣らし走行でとっても楽チンに走っていた。 ドロップバーを握りながら、 「ヤッパリ、サイクリングが最高!」と感じながら、とっても幸せな気分。 ところが、 そう、ここで「ところが」がなくっちゃ人生にならない。 江戸川に出たとたんに猛烈な北風。 いいストラッグルだ。 とってもいい。 本当に涙が出た。 ついでに鼻水も出た。 ローギャーで、「アンクリング」というペダルのこぎ方にして北風と戦う。 何日か前のここの書き込みに、お父さんに向けて「お子さんと一緒に北風と戦ってこよう」と訴えた。 僕は、評論家ではない。 自分でやりもしないこと、自分でしたこともないこと、 そんな知識だけのことをここで若いお父さんに勧めたりはしない。 自分で体験をして、とってもよかったからこそ、お勧めしている。 僕は、思いっきり北風と戦った。 安物のスキー手袋は、中で手が蒸れるので薄手の綿の手袋もしていた。 それでも、指先が寒さでしびれてくる。 靴下ホカロンをして、マウンテンバイク用のシューズを履いて、 さらに、ブーツカバーをしても冷たさで足が痛くなる。 涙がツーーーっと、鼻水もズルーーーっと、出た。 道の駅「さかい」に着く。 温かいラーメンを食べた。 こういう寒さに震えるときのラーメンは、うまい。 温かさがとってもありがたい。 スープも全部飲み干した。 お父さん、だから子育てにこういう体験が必要なんだよ。 子供が普段の生活で「快適」を浴びるように生活をしていれば、しているほど、 こういう「厳しく辛い」体験が必要だ。 そして、これを乗り越える。 サイクリングという遊びが、僕は好きで面白いから、辛くても平気で乗り越えられる。 子供に「面白い」と感じさせながら「辛い」「苦しい」「大変」を乗り越えさせる。 これが、子育てを強く意識した「親子キャンプ」だ。 さて、僕は、さらに北風と戦う。 お店から出て、また厳しい北風の中に出るのは、ちょっと辛い。 ヌクヌクとお店で過ごしたから、現実の厳しさが身に染みる。 大自然の厳しさで、 人生を歩む「辛さ」と同じプロセスが体験できる。 これを子供が何回も、何回も、何回も、体験する事で、 生きていく上でのあらゆるストラッグルに元気良く挑戦できるようになれるのでしょう。 こうして、子供の心を強く育てるといいでしょう。 分かってもらえただろうか? 僕も元気良くペダルを踏んだ。 ロギャーでアンクリングをして漕いだ。 でも面白かったよ。 江戸川の土手は、工事でところどころ走れなく一般道に出た。 土手の補強工事だそうだ。 途中で小休止したところに看板があって、それを読んだ。 ブルドーザーに無線とGPSが取り付けてあり、 リアルタイムで、土手に積んだ土を固める圧力が分かるそうだ。 すごいハイテクだ。 それを読んでいたので、工事現場が気になってしょうがない。 北風のおかげで、速度がゆっくりだから、余計に現場を見てしまう。 あったよ、そのブルドーザーが。 アンテナと、そのGPSのやり取りをするらしい特徴のある機器がブルドーザーに取り付けてあった。 こういうふうに面白く走って行った。 江戸川から利根川へ、そして渡良瀬川に出て、道の駅「きたかわべ」で、 温かい蕎麦を食べた。 もちろん、汁も全部いただいた。 「やぎゅう駅」から輪行で越谷へ帰った。 走行距離、予想通り63`でした。 「慣らし走行」ではなく、結構ヘビーなランでした。 作務衣に着替えて、 何食わぬ顔をして休んでいたところに、ばぁばが仕事から帰ってくる。 ばぁば、帰って来るなり「どこへ行ってたのよ、バレてんだからね。」だと。 僕は、「企業秘密」とだけ言った。 どうやら、隣に住む大家のおばぁちゃんのルートでバレたらしい。 子供じゃないんだから、どこでなにやったっていいじゃないの・・・・まったく。 自営業の一番の楽しみでしょう・・・・「自由」。 見張られていたら、面白さ半減だよなぁ・・・・・ 14/1/14(火)朝 お弟子さんの日記 一月も半分が過ぎそうですが、 今のところ今年の目標「言い訳をしない」は継続出来ていると思います。 幼稚園がお休みということもあり天気の良い日は公園へ足を運び遊んでいる親子を題材にして撮影の練習を行っております。 初めは幼稚園から飛び出た環境に戸惑いはしましたが、 それは思ったほどの問題ではありませんでした。 時間制限を設け、意味を作りながらの撮影練習。 現場取材を意識した練習です。 やればやるほど様にはなってきているとは思います。 ですが、あくまでもプロとしてのレベルへのスキルアップが目標であり、ちょっと上手くいったからといって満足している場合ではありません。 今日は今年初の取材です。 谷口さんの話によるとレベルの高い取材力が必要になってくるとのこと。 しっかりと話を聞き出し意味のある映像を撮ってまいります。 14/1/13(月)朝 キャンプじぃじの日記 今日は、成人式だ。 僕の時代で越谷市では、 成人式を「満20才」から学年で20才に変更された年に僕はこれを迎えた。 僕は、3月生れなので、次の年に成人式があると思って、 スキー宿に予約を入れていた。 その変更に気付いたのが、たしか、1〜2週間前で、 僕は、予約がもったいないので、この成人式は、スキー場で過ごした。 今、思うと僕のそのころは、青臭かったなぁ。 冬にはスキーフィーバーで、それ以外はサイクリング三昧をしていた。 ともかく、18才で自立をしてアパートに住んでいたが、 日曜日にアパートにいることは、年間をとおしてまずなかった。 自分の遊びで頭が一杯だった。 それで、長男が24才の時に産まれた。 人の「心」は、急には変えられない。 脱サラをする28才まで、「スキー狂」が続いた。 正確には、日数こそ少なかったが、脱サラをしても数年は、スキーに携わっていた。 まぁ、こういう訳で僕は、子育てに関して無関心だった。 当然の結果として、子供の育ち具合に支障がでた。 僕は、「ダメおやじ」の頭だ。 ろくでもない父親だった。 僕の四人の男の子のうち、上二人がこういうことでグレた。 子供は、小さい内は、親に従順だ。 だいたい小学校四年生ぐらいまでは、単純にかわいい。 しかし、 それを過ぎると子供に「自我の芽生え」がでてくる。 反抗期の前の「子供の変化」だ。 こういうものがあることを僕は、まったく知らなかった。 「子供の育ち」に無知、無関心だった。 さらに、僕自身、さした努力もなく普通に高校へ行けたから、 子供も普通に高校へ行くだろうと思っていた。 これは、何の根拠もないことだ。 僕の子は、「学習障害」ではなくても、そういう傾向があって、 学校の成績は、皆、最下位だった。 少し頑張れば、成績がよくなるものだと思っていた。 とんでもない間違えをしていた。 「学習能力」は、かなり遺伝的な要素で個人差が大きいということを後で知った。 上二人の僕の子は、父親である僕が「子育て」についてまったくの無知である上で、 しかも、 子ども自身、サボっているわけでもないのに授業についていけないということに僕が気付けないという、 二重のミステイクをした。 その結果、当然のように上二人の子の育ち具合が悪くなった。 この二人は、未だに「生き方」に問題がある人生を送っている。 僕は、大いに反省したね。 それで、僕は、下二人をボーイスカウトに入れて、自らリーダーを務めた。 頭が悪いのは、上二人と同じだが、 結果として「生き方」に大きい違いがでた。 下二人は、「自分の責任」を強く意識して生きられるようになった。 僕は、子育てを失敗した体験と、 頭が悪くても出来る限りの努力で、子供をシッカリと自立に導くこと、 この両方を体験した。 それで、ここで訴えているわけだ。 「子供の育ち具合は、父親で決まる」とね。 父親の子育てには、 子供に「生き方」や「生きる意味」といった人生の「理念」を教える役目がある。 そして子供を自立させるための「訓練」は、父親だからこそできるものだろう。 母親は、どうしても子供を自分の「所有物」にしてしまう傾向が強いからだ。 ぜひ、若いお父さん、 僕と同じドジを踏まないためにも、シッカリと「子育て」について学ぼう。 とくに、初めに、「子育て」と「教育」の違いをハッキリ認識して欲しい。 そして、子育ての目標は、ぜひ、 「自立をした一人の大人の社会人」に子供が育つように目指して欲しい。 僕は、今、自分の気に入った仕事のある隠居生活を楽しんでいるけど、 上、二人の子供の育ち具合で、悲しい思いもしている。 僕の歳で、子供の育ち具合で悲しい思いをしたくなかったら、 ぜひ「子育て」を学ぼう。 そしてこの成人式には、子供の自立に成功できることを心からお祈りします。 14/1/12(日)朝 キャンプじぃじの日記 ここのところ、サイクリングが出来なくて、 ここの書き込みも、能書きばかりになっている。 どうせなら、もっと・・・・・・ 日本はね、これから新しい物やサービスをシッカリと商品化をしなければ国自体が潰れる時代になった。 これは、どういうことかと言うと、 「一生涯安泰」の人材は、あらゆる職種で敬遠される時代ということだ。 新しい物やサービスを産み出す能力。 この時代は、 夢中になって命を燃やし切るようなエネルギーで商品開発が出来る人材が求められる。 子供に、 18才から22才まで、大学で享楽を覚える人生を歩まさせて、 そういうチャレンジャーが育つかどうか、 よく考えた方がいい。 もちろん、名の通った大学で、命がけで学問を学び、 その能力を社会で応用できる人に育てれば、素晴らしい仕事をこなすだろう。 こういう人材は、昔から、ほんのわずかだ。 「卒業ビデオアルバム」 この仕事は、僕の作り方では、未だに非常に珍しい。 たいがいは、写真のスライドショーのことを言っている。 たまに動画で取材をするものもあるらしいが、 「一つのまとまりのある作品」ではなくて、ただ行事をつなぎ合わせたもののようだ。 僕は、「一つのまとまりのある作品」をH3年度に商品開発をして、もう23年になる。 市場が小さかったことを痛感した。 僕は、この仕事を始めた時には、もちろん、一攫千金を目指したが、 市場規模が小さかった。 これが分かったので、僕は人生の方向変換をした。 どうせなら、この仕事で思いっきり生きることを目指そう、 つまり、目標を「金」ではなくライフワークにした。 それで、僕は「生き方」にこだわるようになった。 人生の大きな方向変換、僕は、ここに神様を感じた。 分かるかな? 人生の「理念」「戦略」「戦術」、を僕はこうして使い分けて実行をしてきた。 僕は、この仕事の商品開発の段階で、 「理念」と「戦略」の方向変換をした。 さて、 この仕事の商品開発を始める前、 脱サラをしてからの7年間は、「暗中模索」を字のとおりに人生を送っていた。 僕には、「一生涯安泰」という概念は、まったくなかったので、 挑戦できた。 ここだ、新しい商品開発に「一生涯安泰」の人は、無用だ。 その7年間、 僕の目の前に巨大な壁が立ちふさがっていた。 何をどうすればいいのか、サッパリ分からなかった頃。 子供もいたので気が気ではなかった。 だからこそ、僕は、必死、命がけ、 この精神状態のとき、「潜在能力」を僕は、自分に引き出していた。 「火事場のクソ力」だ。 よくカラーの夢で、大空を飛んだ。 僕は、高いところが大嫌いなのにそれを見た。 なかなか飛べなくて、あわや、目の前に車が突っ込んできて、 それを避けるように空を飛んだこともある。 克明に今でも思い出すことが出来る。 こういう「人生を燃やし切る」状態の時に、新しい商品開発が出来る。 僕は、脱サラをして7年後に、悲願の「卒業ビデオアルバム」の処女作を作った。 嬉しかったなぁ、本当に嬉しかった。 それ以来、これを作り続けた。 僕は、「金」ではなくこれをライフワークにしたので継続出来た。 もちろん、僕の作ったものを買わない取引先は、サッサと辞めてきた。 それで、風呂のない二間のボロアパート住まいの貧乏人になった。 これは、僕の勲章さ。 「金」や「物」を目的にした人生ではなかった証拠だ。 それで、これを基調にここに書き込みを始めたわけだ。 僕は、また、目の前に馬鹿でかい壁が立ちふさがった。 「子育ての面白さをお父さんに伝える」 これは、今現在の父親の「意識改革」になってしまう。 こんな、気の遠くなるような目標を掲げた。 もちろん、「金儲け」でやっているわけではない。 これも僕のライフワークにする。 あの7年間の真っ暗闇の中、今の仕事の商品開発をしてきたことと比べると、 今度は、「やり方」が見えている。 今、僕は、SCCの年間プログラムを計画している。 さぎ山野営場での活動は、そこの近所の塾に通う親子が中心だ。 これをさらに強化して、 取引先の幼稚園にもご協力を頂き、体制作りを実行する。 すでに根回しは、進んでいる。 今年の「流しそうめん」の活動は、7月26日(土)に行うという仮決定まで進んでいる。 お子さんをこれからの時代を堂々と生き延びていけるように育てようではありませんか! 間違っても「一生涯安泰」を求めたら、大変なことになってしまうでしょう。 子供が自ら、自分の人生を作って行けるように、 自分の人生を思いっきりデザインしていけるように、 「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てましょう。 そのためには、父親の教育が不可欠なんです。 それに応える活動を、SCCで目指します。 ぜひ、ご参加をください。 年間プログラムは、この3月に、このHPでも発表できるように頑張ってます。 僕は、実行をしています。 14/1/11(土)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、お弟子さんに「表現」をするということは、「意味」を作ることだと教えた。 その「意味」が伝わらなければ、「ひとりよがり」になってしまう。 いかに、その「意味」を伝えることが出来るのか・・・・・ こうしたらどうか、あぁしたらいいのか・・・・ こういう工夫を積み重ねることが、つまり、 デザインというものになるんだな。 初めから上手な人は、滅多にいない。 みんな「意味」を伝えようと、思い悩み、もがき苦しみ、べそをかきながら、 やっとの思いで、少しずつ、少しずつ、 それらしきものが出来るようになっていく。 僕は、今から30年前に「子供をビデオで撮って売る」商売を思いついた。 そして、この商売をめがけて脱サラをした。 世の中に、そんな商売はまったくなかったころだ。 目をつぶると、真っ暗闇の中、はるか彼方に小さな点の光のようなものが見えた。 よく見た。 たぶん、夢の中で見たのだろう。 僕は、「思い出」をビデオに残す「意味」を追求した。 もちろん、自分の子供たちもビデオで撮った。 そもそも、次男坊をビデオで撮って、そこにBGMをかぶせたら、 それが異様にかわいくてたまらない。 これがきっかけで、この商売を目指した。 僕の心の中に「一生涯安泰」という概念はなかった。 今のこの商売を手に入れるために、ありとあらゆることを試した。 ここだ。 僕は、こうして自分の人生をデザインした。 それで、生きていてとっても充実感がある余生になったわけだ。 僕が生きている「意味」をこうして、少しずつ、少しずつ、 べそをかきながら作ってきた。 「嫌なこと」「苦しい」「辛い」「悲しい」・・・・ それらを乗り越え、乗り越え、作ってきた。 人生をよく登山に例えられる。 まったくそのとおり。 エスカレーターで山を登ったら、「登山」の「意味」はなくなる。 「苦しい」からこそ「登山」だ。 その人生の苦しさゆえに、人は、「信仰」にすがりたくなる。 快適な毎日を過ごしている人に「信仰」は、必要ない。 これは、僕の四人の男の子のうち、三番目の子が言った言葉だ。 この子は、学習障害で、何かにつけて「生きにくい」ことを味わい続けている。 それで、三番目の子は、「信仰」にすがって生きるようになった。 ナント、その「意味」さえ心で理解できるようになった。 「成長」って、凄い。 この子は、僕よりもはるかに「心の成長」がある。 この正月は、この子が急に家族で集まろうと言い出したので、 僕の四人の男の子のうち、三人に会えることができた。 そのときの何枚もの写真を、PCで一枚のA4の大きさにまとめて、 写真モードでプリントアウトした。 百均で、フレームを買って、その組み写真をそれに収めた。 それを部屋に飾った。 嬉しさが、倍増する。 これが「思い出」を残す「意味」だ。 この間の大震災のあと、そこ中に散らばった家族写真を拾い集めて、 持ち主の手に帰るようにしていたボランティアの様子がニュースで流れた。 こういう価値が「思い出」だ。 僕が、今の商売を目指すことが出来たのは、自分の子がいたからだ。 今は、おじさんになってちっとも可愛くない僕の子。 可愛いときがあったんだな。 とっても可愛かった。 その姿が、写真やビデオに残っている・・・・可愛かったころの僕の子たち。 もう可愛くない・・・・僕の子たち。 今は、たくましくなった。 これが「成長」だ。 生きるのって、とっても不思議な現象だね。 僕のボロアパートの部屋に、たくましい(はずの)僕の子がスキーをしている写真が飾ってある。 ヘッピリ腰で滑っている僕の子たち。 長男だけ音信不通だ。 14/1/10(金)朝 キャンプじぃじの日記 僕は、ビデオ屋だ。 仕事柄「意味」については、常に考えている。 「卒業ビデオアルバム」には、たくさんのシーンがあって、 それぞれのシーンに「意味付け」をしていくのが仕事だからだ。 それぞれのシーンに「視点」を持たせると言い換えることができる。 お弟子さんは、この「意味付け」が今現在、非常に苦手な様子だ。 結婚式の撮影に夢中だが、この仕事には「意味」が必要ない。 「華美」にできればいい仕事だ。 それの癖が付いてしまったのだろうか? 都内の結婚式は、ほとんどがキリスト教式だが、 そもそも、本物の宣教師なり牧師なり神父が、 信者でもない赤の他人の結婚式を、一番忙しい日曜日にホテルにいるわけがないでしょう。 そもそもその結婚式自体に「意味」がない。 偽者の宣教師と、信者でもないペアが「アーメン」だって・・・・・ 僕には、バカバカしくてとても撮れない。 本当に日本人は、「意味」が大嫌いだと感じる。 これだから、「子育て」の本当の「目標」、 「子育ての意味」をまったく考えることができないのだろう。 「大学さえ出せば子育てをしたつもり」をやってしまうわけだ。 子供が勝手に「自立」できるものではない。 たいがいは、子供自身で自立をするのは、難しい。 だから、 子供が自立できるように育てる のが親の責務で、 「自立をした一人の大人の社会人」に向けて子育てをするのさ。 「自立」を無視した子育てをして、僕ぐらいの歳になった時に、 子供の育ち具合で悲しい思いをしやすくなるよ。 子育てを金を払って他人任せにしているうちに、とんでもないことになるよ。 ある調査によると、ひきこもりは、150万人もこの日本の今、いるそうだ。 「心の成長」というものがある。 20才では、20才らしい心の成長、 30才では、30才らしい心の成長、 40才では、40才らしい心の成長というものがある。 いきなり、60才らしい心の成長を果たすことは、決してできない。 周りを見てみよう。 60才なのに自分の「消費」の話ししか出来なくなってしまった幼稚な年寄りが多いでしょう。 「20才では、自立」できるように子供を育てなければ、 そのまま幼稚な大人に、さらに幼稚な年寄りになってしまうよ。 いくらたくさんの「物」を持っていても、 非常に窮屈な人生を歩むことになってしまうさ。 幸せなことではないよね、こういう人生は。 本物の「自由」には、「自己責任」が必ず伴うものだ。 本物の「幸せ」には、「苦しい」「辛い」「悲しい」「大変」を乗り越えることで「心の成長」が起こり、 「幸せは、それを感じ取る能力」が高まることで得られるように出来ている。 「20才で自立」という訓練を受けずに、 「快適」「簡単」「便利」を浴びるようにして子供が過ごしていたら、 一生涯、自立ができなくなりやすい。 これが、「ひきこもり」の大量発生のプロセスでしょう。 さぁ、若いお父さん、 子供の手をシッカリ握って、この休みには、北風と戦ってこよう! 親子で、大自然の厳しさを全身に浴びて、感じて、戦ってこよう! たぶん、子供の方がへっちゃらで、お父さんがビックリするだろうな。 僕は、「意味」が苦手なお弟子さんに稽古を入れるさ。 これ、本当に大変だ。 14/1/9(木)朝 ビデオマン日記 ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。 大方の日本人は、仏教と日本神道の区別ができない。 これは、何を意味するのだろうか? たぶん、「意味」に無関心になるように育てられたからだと、 僕は、思う。 さらに言うなら「先祖代々」は、儒教の教えだ。 仏教が中国に伝わる時に、この儒教が仏教に混じって日本に伝わったとされている。 「輪廻転生」に、「先祖代々」は、どう考えても「世界観」に矛盾がある。 こういうふうに「意味」を考えないから、何事もごちゃ混ぜで平気になってしまったのだろう。 こういうことで「意味」を置き去りにしてしまった。 だから「目的」と「手段」の違いをどうしても理解できない人が多いのだろう。 子育てでの「目標」は、何だか分からないまま、手段である「大学」にこだわる。 「大学」という「手段」が、目的化してしまう。 かなりの日本人が、これを平気でしているでしょう。 何の疑いもなく、この本末転倒をしている。 この「目的」と「手段」の違いが分からないから、 もうちょっと高度な、 「理念」「戦略」「戦術」の使い分けと「実行」ということも、 当然のことながら、 「まったく」に近い状態でできない。 僕は、今、お弟子さんにこの違いをしつこく教えている。 「ビデオ屋」で「商売」をすることが「目的」だ。 しかし、大方のビデオ屋は、「機材」が目的で「商売」したがる。 「機材」は、「手段」だということを、機会あるごとに教えている。 「場面」の「目的」が何であるのか、明確にする。 今、お弟子さんは、ここに躓いている様子だ。 一つの「カット」の「目的」、 一つの「場面」の「目的」、 一つの「作品」の「目的」、 これらのこを「視点」とも言う。 日本人の生き方の悪い癖・・・・「視点が定まらない」ということだろうと思う。 だから、クリスマスに大騒ぎをして、除夜の鐘を聞きに行き、初詣をすることに何のためらいもない。 全世界的に、非常にみっともないことだというのに。 今朝の読売に「道徳教育」について記事が載っていた。 そもそも「宗教」がごっちゃな国民性だから、 何を基準に「道徳」なのか、定まるはずがない。 こんな簡単なことが分からないこと自体、悲しいことだ。 例えば、アメリカにはあらゆる宗教がある。 しかし、「道徳」の基準は、特定した宗教観に根付いている。 大統領の就任式をよく見れば、このことが分かるはずだ。 仏教と日本神道のごっちゃ・・・・・ これこそが、日本人の心のトラブルの根源だと最近考えるようになった。 一つの宗教を信仰することこそが、 生きていく上で非常に重要なことなのに、仏教と日本神道を区別ができない。 そう育てられた若者に、 どうやって「目的」「視点」を教えればいいのだろうか・・・・・ 非常に難しい課題だと感じている。 「目的」と「手段」の履き違いが「当たり前」の国・・・・ これで、どうやって「グローバル」に対応できるのでしょうか? 「ビデオ屋」は、もともと「能力主義」の世界だ。 この「能力主義」を身に付けなければ生き延びることはできない。 「理念」「戦略「戦術」の使い分けと「実行」は、必須だ。 この家業は、もうすでに、当の前から「世界基準」なんだな。 お弟子さんには、「世界の常識」から教える必要がありそうだ。 僕は、ここで特定した宗教の宣伝をしていないよね、 一つの宗教を信仰する重要性を訴えたんだよね。 「無宗教」は、全世界の「非常識」だ。 これが分からなければ、何をどういう表現でも「的外れ」にしか表すことができない。 「表す」ということ自体の「意味」が分からないからだ。 「目的」が定まってこそ、それに向かって表現できるし、 生きていくことが出来る。 人は、パンだけでは生きていけないものだ。 「生きる」ことを通して、だれでも本当は、大切なものを現しているんだよ。 14/1/8(水)朝 キャンプじぃじの日記 グローバル このために小学生から英語を習わせる。 確かに、英語で話せることは、グローバルに必要だろうけど、 それだけで、世界に通じる人に育つとは、まったく思えない。 コミュニケーション能力を高めるために「英語」を習う。 まったくナンセンスなことだ。 コミュニケーションを確かなものにするためには、 「物事に対しての洞察力」こそが不可欠でしょう。 つまり「物事に対する意味を理解する能力」と言い換えてもいい。 大切なのは。「意味」なのであって、「言語」ではない。 たぶん、教育現場では、トンチンカンな的外れもいいところの事態になりかねないだろう。 なぜなら、日本人は、何をやるのも、 そもそも「本来の意味」が大嫌いだからだ。 意味を無視して、何か新しいことをすれば、間違えなく混乱を招く。 何をするのでも、そこには意味があって、 この意味を十分に理解して行動をする。 この習慣を身に付けさせることこそが、「グローバル」で不可欠ではないだろうか。 意味を知らなくても行動をしてしまう・・・・・日本人。 僕は、このことを考えていたら、あることに気付いた。 それは、「形式主義」だ。 日本人の根底にこびり付いているのは、「形式主義」だ。 「大学さえ出せば子育てをしたつもり」 これも、形式主義ゆえの「意味を無視して子育てという行動」をしてしまうのだろうと分析した。 昔、「国鉄」があった。 それが「JR」に変わったときのことだ。 それまでそこで「一生涯安泰」を決めていた人が多かった。 そういう人たちからだろう、やたらに自殺者が出たという事件と言うか、 社会現象が起こった。 「形式主義」「一生涯安泰」「大学さえ出せば子育てをしたつもり」 ここには、明らかに日本人の共通の「心構え」の特徴が現れていると思う。 そして、このことこそが、最も「グローバル」になれない要素だろう。 グローバル・・・・世界基準・・・・・世界の常識。 これと、 昔から日本人の特徴の「井の中のかわず」、 相反するものがあるでしょう。 若者に「世界の常識」を身に付けさせるためには、 チャラチャラとした海外旅行ではなく、 「世界の常識」が分かるような危険な旅を体験させる必要があるのかも知れない。 今朝、ラジオで沖縄方面の小島に住むおばちゃんが、こんなようなことを言っていた。 「こちらの方では、正月が長くある。 一月一日には、初詣をして、旧正月には、仏様を、旧暦の正月には、ご先祖様に・・・・」 仏教と日本神道は、まったく違う宗教だ。 また「先祖代々」は、「儒教」の教えからきている。 こういう「意味」をまったく無視した話しを公共放送で流す国なんだよ。 恥ずかしい話しだ。 これで、どうして「グローバル」になれるのだろうか? 世界基準、全世界の常識では、「宗教は一つ」が、常識中の常識だ。 僕は、朝からガッカリした。 グローバル・・・・ここでは「能力主義」が常識だよ。 「形式主義」の感覚の人は、生きて行けない場所だ。 さぁ、若いお父さん、こういうことを良く考えてみて欲しい。 うやむやにしないで、本気でこの「グローバル」について熟孝して欲しい。 もうすでに日本でも「能力主義」になっている、この現実に目を向けて、 こういう社会を子供がどういう「心構え」で生きていけばいいのか、 本気で考えて欲しい。 「形式主義」と「能力主義」は、真逆なものだからね。 日本では、「年功序列」という雇用形態があった。 これは、「形式主義」と儒教の「目上を敬う」ものが混ざってできたものに、僕には思える。 「能力主義」に年齢は、まったく関係ない。 ともかく「形式主義」からの脱却を急ぐべきだと思うな。 これからの社会を子供が生き延びていくんだよ、本気で考えよう・・・「意味」。 そうでないと、その時、その時、の「感情」だけで物事を判断してしまう人になってしまうよ。 14/1/7(火)朝 お弟子さんの日記 明けましておめでとうございます。 早速ですが、今年の目標は「言い訳をしない」。 今まで『自分は自分は・・・』と指摘等を受けても中々受け入れきれていない面が非常に目立っておりました。 こんな調子では成長もへったくれもないということにやっと気付き、 自己成長の為、この節目に気持ちを入れ替えさせて頂きます。 過去に、お世話になっている先輩から「守破離」という言葉を教わったことがあります。 意味は、師匠に言われた型を「守る」ところから修行が始まり、 その後、その型を自分と照らし合わせて研究することによって、 自分に合ったより良いと思われる型をつくることで既存の型を「破る」。 最終的には師匠の型、 そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、 自分自身と技についてよく理解している為、 型から自由になり、型から「離れ」て自在になることが出来る。 今、自分自身は「守」の位置、基本をみっちり教わっている真っ最中です。 今年は何としてでも「破」へ! やりたいことをやる為には、やるしかない。 普通の環境にいては経験の出来ないことばかりの今の環境に感謝しつつ、 今年は結果を出して親孝行をスタートさせますので、 どうぞ皆さんよろしくお願い致します! 14/1/6(月)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、餅つきの用品一式を幼稚園に返すために、 一時保管をしていた、さぎ山野営場にそれを引き取りに行った。 ついでに、この間、倒した樫の木の薪割をした。 ボーイスカウトの所有物であるリアカー、一杯分の木を薪割した。 薪割りは、餅つきの時に、薪をさらに細かく割るのに手斧を良く使うが、 普通の斧は、久しぶりだ。 普通の斧と言っても二種類ある。 一つは、乾燥したものを割る斧、これはホームセンターで売っている。 もう一つは、生の木を割る斧、これは、根っこを切るのにも使う。 「生木用」だ。 ホームセンターでは、売っていない。 ネットで買った。 この「生木用」の斧でバシバシ割って仕事をした。 タップリ一時間以上の仕事をした。 二時間、薪割をしたこともある。 とっても飽きた。 だいたい、30分以内なら、薪割りは、ストレス解消のスポーツだが、 一時間以上は、完璧な仕事だ。 太いものは、真ん中を狙わずに、端を打つ。 それだけ正確に割ることが出来るようになった。 たぶん、本格的な薪割りは、一年ぶりぐらいだと思う。 でも、 こうして久しぶりにやっても「体」が覚えている。 あらゆるスポーツ選手が「理論」的な「知識」で合理的に練習をすると思う。 もし、これをしなかったら、いろいろな故障や怪我をしてしまうだろう。 でも「知識」的だけで覚えたものなら、決して何事も上達をしない。 ここのところが、「知識教育」と「体験教育」の違いだ。 この二つのバランスが良くて、初めて「身に付く」ということになる。 何をするのでも「基本」があって、 それを何回も何回も積み重ねるように練習をすることで、それが身に付き、 それの「応用」がたくさん出来るようになることを、 僕は、「知っている」のではなく「分かっている」 これは、昔、散々スキーをやっていて、痛いほどによく分かった。 スキーの世界では、「基礎スキー」というものがある。 これを本格的に学べるのは、 関東平野付近では、新潟の「浦佐スキー場」しかない。 その他のスキー場にも、SAJのスキー教室があるが、 この「浦佐スキー場」のコピーだと思って、それほど大きい間違えではない。 おおむね、この「浦佐スキー場」での「2級」は、他の「1級」に匹敵をする。 ここでの「1級」は、 若い内に相当滑り込まないと取れない。 一説には、普通のスキー場にいる指導員が、ここでの「1級」に落ちることがあると言われている。 そのぐらいに難しく、基礎中の基礎を学べるスキー場だ。 そこで、僕は、何回もそこの「特別講習会」を受けた。 略して、特講だ。 やっとの思いで、僕は浦佐で「2級」を取れた。 そこでは、 ありとあらゆる練習法が、メニューが、あって、特訓をする。 こうして僕は、関東平野の産まれで、歳が遅くなってからだが、 本格的な基礎スキー学んだので、スキー初心者なら教えることができるようになった。 「基礎」を学ぶ癖。 僕は、これを「基礎スキー」で覚えた。 これは、人生を歩む上で非常に重要だ。 「卒業ビデオアルバム」の制作でも「基礎」「基本」がある。 今日あたりから、お弟子さんに特訓を始める段取りだ。 また、薪割にも「基本」がある。 これの応用で「餅つき」を今、し始めた。 だから、薪割を覚えたこの数年より前は、僕は、餅つきが下手だった。 薪割りでは、初めに「斧」を覚えるが、 それに慣れたら「木割り矢」を使ってみる。 1.5`の鉄の塊のクサビを、初めは、2.7`の鉄のハンマーで叩いた。 少しでも外すと、そのクサビが「カーーン」という金属音で飛んでいく。 積んである薪に突き刺さったりする。 十分に殺傷能力があるんだ。 結構、怖いよ。 だから真剣に、命がけで、この「木割り矢」で薪割をしたものだ。 このことで、僕は、薪割りの「基本」を覚えた。 さらに今では、この2.7`のハンマーを、3.5`にバージョンアップして使えるようになった。 こうして、「応用」が出来るようになった。 今、僕は「和食基本コース」の料理教室に通いだした。 月に一回だけのもので、予習も復習もしないので、 なかなか上達していないけど、 それでも、「芋煮会」やこの間の「けんちん汁&餅つき」の活動で、 本格的にダシを僕は、とれるようになったし、 包丁の使い方を教えることができるようになった。 雪道での車の運転にも「基本」がある。 FF車とFR車では、転がし方が違う。 マニュアル車とオートマ車でも転がし方は、ちょっと違う。 それらを僕は、使い分けることが出来るようになった。 何事にも、この「基本」「基礎」が必ずある。 子育ての「基本」。 これの最も初めにあるのが、 「子育て」と「教育」の違いをハッキリと把握する。 ことにあると、僕は痛感するな。 闇雲に「大学さえ出せば子育てをしたつもり」で手抜きの子育てをしていると、 僕ぐらいの歳で悲しい思いをするよ! どんなことにも必ず「基本」「基礎」がある。 「生き方」だって同じことだ。 14/1/5(日)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、古い友人から 「あまりに暇だから焚き火をしよう」という電話があって、さぎ山野営場へ行った。 この間の「けんちん汁&餅つき」の片付けがまだ少し残っていたので、 レンタル倉庫に寄りながら行った。 そうしたら、ヤッコさん、ハッスルしていて、 もうすでに焚き火台に薪をくべて火起こしを済ませていた。 しかも、その火起こしは、落ち葉でやったと言う。 僕は、子供に教えるためになら面倒でも古典的な火起こしをするけど、 そうでない限り、バナーでやってしまう。 よっぽども焚き火を楽しみたかった様子だ。 僕は、さぎ山野営場にある枝で組んだ長テーブルの補修をした。 天板を固定する紐が緩んで外れかかっていた。 二人で焚き火を囲んで、マッタリ・・・・・・ とっても不思議な空間が現れる、時間の流れがなくなったような不思議な一時。 気が付けば、お昼時になっている。 コンビニで弁当を買って、また焚き火を囲んでそれを食べた。 コイツは、高校生の頃からの友人だ。 昔話のネタは豊富にある。 午後三時ごろになって、 薪用にいい木を倒そうと、どちらともなく言い出す。 もっと早く気付けば、太いものを倒せたが、持ち時間が30分ぐらいしかない。 倒しやすい細めの、ヒノキと樫の木をそれぞれ一本ずつ倒して薪置き場に運んだ。 僕は、サイト開墾で木をたくさん倒してきたが、 薪のために木を倒すのは、初めてだった。 それで、いい木を物色するのも初めてだった。 どこらへんにどんな木があるのか、このことで僕は、初めて認識をした。 薪には、フサフサですぐ燃え尽きてしまう、通称「いぬしで」が6〜7割りぐらい。 ヒノキが2割り程度、薪にはとってもいい「樫の木」は、滅多にない。 その樫の木は、僕の持っているチェーンソーでは、まったく歯が届かない太いものが結構あることが分かった。 物事に対する「視点」が変わると、こうも見える物が違ってくるものなのか、 改めて、このことにビックリした。 この「さぎ山野営場」は、今日あたりで開墾満4年になった。 でかいおもちゃだ。 ここを有効利用するのには、どうしたらいいものか、いろいろ考えてきた。 でも、考えるより、すでに塾に通う子供と保護者を相手に去年は、三回も活動をした。 案ずるより生むが易し 正しく、もうすでにそのヒントを実行していた。 SCC の年間プログラムの素案を、その塾をやっている牧師夫妻に送って、 これからそれをまとめようと思う。 素案では、戸田市の道満グリーンパークでの「親子で工作」を、 去年は、7回だったものを5回に減らして、 その分、「さぎ山野営場」での活動を増やすことを提案した。 これが軌道に乗ったら、エキサイティングな活動が展開できそうだ。 僕は、昔、カブスカウトのリーダーをして、年に70日も活動をしていた。 そのころの悪い癖がウズウズしてきた。 僕は、その古い友人にいつもこう言っている。 「キャンプは、子供がいるからこそ面白い」 若いお父さんにこの面白さを伝えたい。 この活動は、 「子育ての面白さをお父さんに伝える」 ことにある。 かなり現実味がでてきたでしょう。 歳をとっても、ますます人生が面白くなってきた。 来年は、「復活スキーヤー」もやるぞ。 ノルディカを買って! 14/1/4(土)朝 キャンプじぃじの日記 昨日は、遊び疲れ。 一日のんびりしていた。 仲間が集まって呑んだこと、 カラオケで騒いだこと、 観光をしたこと、 スキーをしたこと、 これら全部「消費」だ。 僕だって普段の生活でまったく「消費」がないわけではない。 ただ、それらが目的の人生を送らないだけだ。 人生の目的。 これは宗教を学ばない限り、決して分からない。 「宗教」と言うと、それだけでたいがいの日本人は、「関わってはいけないもの」という意識が強いでしょう。 クリスマスで騒いで、除夜の鐘を見に行き、初詣・・・・・ 要するに宗教に関わりたくないのに、どこか無視できないという深層心理なのだろうか。 大方の日本人にとって「仏教」は、 葬式の時だけのイベントになってしまったように見える。 今朝の読売の「国際面」にイスラム教についての記事が載っていた。 アメリカでイスラム教の勢力が伸びているという。 これは随分前のことだが、ロンドンにもイスラム教のムスクができたとイギリス人が言っていた。 記事では、ミャンマーでもそのことで「高まる緊張感」なのだそうだ。 たぶん、日本でも、本気で仏教を学ぶ人がこのまま少ないと、 イスラム教の進展は、時間の問題のような気がする。 日本の仏教は、大きく分けると古い仏教と、仏教系新興宗教の二つがある。 この内、後者は、比較的熱心に「信仰」がある様子だが、 前者の方が衰退しているように僕には見える。 その内の「浄土真宗」の幼稚園と取引をしていたので、 親鸞聖人については、そこの園長先生に職員室で特別講義を僕は受けていた。 僕は、面白そうな話ならばとっても興味深く聞くので、 その園長先生も得意満面に語っていた。 だって、いきなり「お盆会」は、先祖崇拝で、本当は浄土真宗ではいけないことになっている。 と、聞かされて、いったいそれはどういうことか知りたくなるのは、僕だけではないはずだ。 まぁ、詳しい説明は、直接お寺で聞いて欲しいが、 そういうことなので、浄土真宗では、本堂の敷地内にお墓がないのだそうだ。 このことが「正しい」かどうかを僕が言いたいのではない。 仏教でもそれぞれの宗派での「教え」があるわけだから、 それを本気で学ぶべきだと、僕は思う。 そのことで、「人生の目的」が次第に分かってくるはずだ。 「消費」ではなく「成長」こそが人生で重要なことがハッキリと分かってくるはずだ。 浄土真宗では、「煩悩」があるから「四苦八苦」すると教えてくれている。 「煩悩」とは、「欲望」のことを指すそうだ。 それで、「日本昔話」で、 「欲望」むき出しのじぃちゃんなりばぁちゃんが罰を受けて痛い思いをするという話しが多いわけだ。 根底に宗教があるのでしょう。 でも、その宗教観を無視するのが「正しい」とする人がこの日本では、多くなった。 いくらたくさんの知識を持っていても、 宗教を無視して生きていて、いいことはないだろうに。 「信仰の自由」というのは、「信仰を無視する」ことではないよな。 何か一つ、本当の信仰を持つことで、強く生きていくことができるようになれる。 ここだ、強く生きていくためには、「信仰」が必須だ。 「強く生きる必要がない」育て方、これが多いと思う。 このことを証明出来ることがある。 今の日本人の「一生涯安泰」への強烈な渇望は、「強く生きる」ことができないことの裏返しでしょう。 これからの日本企業にとって「一生涯安泰」の人こそ、いらない人材になるというのに。 これからは、ますます「能力主義」になる。 このことを真剣に考えてみよう。 日本の古い仏教の衰退と、イスラム教勢力は、 反比例するだろう。 僕には、そう思えてしょうがない。 もともとシッカリと自分の宗教を持っていれば、 目新しいものに飛びつくことは、まず、ないはずでしょう。 どうなることやら・・・・・ 一番恐ろしいことは、「無宗教」でしょう。 そういう人こそが、危ないと思うな。 このことに気付いてもらいたいよ。 全世界的には、「無宗教」は、軽蔑の対象というのが「常識」だ。 ぜひ、家長である父親が、それぞれの家族に伝わる宗教を本気で学ぶべきだね。 これこそが父親の一番大きな「成長」となるだろう。 仏教と日本神道は、まったく別の宗教だからね、そのことぐらいは把握しておいて欲しい。 14/1/3(金)朝 復活スキーヤーの日記 僕には、四人の男の子がいて、 長男だけは、音信不通。 残り三人とこの正月は、遊んだ。 普段は、この三人も滅多に連絡はない。 男の子だから、一度「自立」を果たすと、 もう「オヤジ」に干渉されたくなくなる。 これは、僕も高校を卒業してすぐ「自立」をしたから、 この気持ちはよく分かる。 僕は、18才で自立したので、思いっきり自分のイメージで生きてこられた。 「自立心」が旺盛になった。 だから、脱サラをして商売を始めることができたと思う。 ここで「20才では、子供を自立させる」と訴えているのは、 僕の体験上、遅くとも20才で自立を果たせないと、歳をとればとるほど、 「自立」が困難になることを良く知っているからだ。 これは、「知っている」と言うより、僕には、よく「分かっている」ことだ。 たぶん「ヒト」という生物である限り、 「20才で自立」できるように育てることは、「自然の理」であると強く思う。 実際は、「20才で自立」は、ちょっと遅いと僕には感じる。 本当の自立、そしてその上で、 僕の子供たちも、自分の人生を「作る」感覚で生きていって欲しいね。 自分の人生を自分でデザインして生きていって欲しい。 他人には、それが下手ッピに見えても、 自分の力精一杯に自分の人生を作っていって欲しい。 「一生涯安泰」なんて、そんなみみっちい人生を歩まないで欲しい。 ダイナミックに、「大変だけど面白い」人生を作り上げて欲しい。 これが僕の子への願いだ。 さて、一昨日は、息子二人とばぁばと僕は、御殿場の安宿に泊まった。 三番目の子は、自分のアパートからその安宿に出張をしてきた。 僕は、レンチャンの騒ぎでくたびれて寝たが、 息子三人とばぁばたちが、僕の部屋の上で夜遅くまで騒いでいた。 木造のその安宿なので、そこら中に声が響く。 しょうがないから、たぶん夜中の一時ごろ、ばぁばに携帯で「静かにしろ」と注意した。 昨日は、三番目の子の提案で御殿場のスキー場へ行った。 「Yeti」「イエティ」というスキー場に行った。 僕は、このために「小賀坂」の195センチの板を前もってチューンしておいた。 久しぶりにチューンナップ用品を引っぱり出した。 スプレー式の「ワックスリムバー」も、中身が入っていて使えた。 エッジを研ぐヤスリも、固形ワックスも、 これは、僕は「黄色」と「赤」を半々にして使うのが好きだ。 関東平野や新潟あたりでは、気温が高いから、 これのミックスで、ちょっとひっかかるけど、二日ぐらいはもつ。 ワックスを溶かして伸ばす専用のテコもあったが、 これは、すぐ温度が下がって使いにくい。 かなり旧式のアイロンがあって、 これがバッチリ熱くなって、よくワックスが伸びる。 スクレパーで余分なワックスをはがし落として、コルクで磨いた。 手馴れたものだ。 僕は、趣味が高じて、脱サラしたての頃、スキーショップで店員のアルバイトをしたことがある。 ビンディング付けや、チューンナップは、「仕事」でやった。 用具の底の方に、滑走面をリペアするテコやリペアも入っていた。 昔の僕は、かなり気合を入れてスキーをしていたことを思い出した。 おぉ、ゲレンデが僕を呼んでいる・・・・・・ 白銀の大自然が呼んでいる・・・・・ 大自然の懐の中で遊ぶのは、とっても愉快だ。 板のチューンは、こういうわけで完璧だった。 しかし、「テクニカ」のレーシングブーツは、もうすでに25年以上経っている。 ボーイスカウトの活動で10年ぐらい前にスキーに行ったときには、 まだブーツが大丈夫だった。 でも、昨日、ゲレンデについて、いざブーツを履こうとしたら、 バリバリと音を立ててそのブーツが分解した。 まぁ、プラスチックの耐用年数は、6年ぐらいだから当たり前だな。 「ラング」だったら、もっとすぐにプラスチックが割れるだろう。 こういうことで、僕は、ブーツだけレンタルをせざるを得なくなった。 借りられたブーツは、「リアエントリー」しかない。 これ、話しにならない。 よくこんなのを履いてスキーができるよなぁ・・・・・ 僕にしたら、「リアエントリー」でボーゲンをする方がよっぽども器用だ。 靴の中で僕の足が泳いでいる。 それでも、板がキョロキョロと落ち着かないまま、僕はスキーをした。 そこのゲレンデは、緩斜面が2コース、中斜面(と言ってもせいぜい15〜18度ぐらい)が1コースの小さなものだった。 それでも、狭山よりはよっぽどもマシだ。 何本か、子供たちとその緩斜面を滑った。 三人の子は、どれもボーゲンしかできない。 そこで、「プルーク・ウエーデルン」を子供に教えた。 末っ子がすぐ勘をつかんだ。 まだ22才、若い証拠だ。 あと二人はもう、30才。 オジンだから覚えが悪かった。 滑りなれたところで、子供一人ひとりの滑りをデジカメで撮った。 僕は、バックスキーで撮ってあげたのだけど、 被写体の速度が遅すぎるので、立ったまま撮っても同じだった。 最後に息子三人の「トレーン」を撮った。 三番目の子だけ、中斜面に行くと言うので、 やっと僕は、「風を切って」スキーを楽しむことが出来た。 大パラで、風を切った。 ブーツさえよければもっと面白いだろうに、 来年は、ノルディカのレーシングブーツがどうしても欲し〜〜〜い。 かえって、欲求不満になるスキーだった。 帰ってきて、末っ子を駅まで送るときに、こう僕は言った。 「人生は、作るものだ。 作らなければでき上がらない。 当たり前だ。 人生を作っていくんだ。 どう作ればいいのか真剣に考えるんだ。」 僕は、ちゃんと今でも子育てをしたよ。 14/1/1(水)朝 キャンプじぃじ 謹賀新年 昨日は、三番目の子が住んでいる御殿場まで行くために、 次男坊と末っ子が集まって来た。 それで、たまに行くカラオケ屋さんへ行こうと思ったら、 お休み。 それで、フラフラと親子で夜、町を徘徊していたら、 タイ人のスナックに辿り着いた。 小さな店なのに 元お姉さんのタイ人が4人もいて、 「おもてなし」をしてくれた。 そこで、親子でカラオケで騒いだ。 しかも、しばらくして、うちのばぁばも来た。 「しらけど〜り、とんでいく、みなみのそら〜へ、みじめ、みじめ」 その元お姉さんが隣に座ってくれたのに、 別の客の相手を始めた。 こういうシチュエーション、若いお父さんもあるでしょう? 余計なときに現れるわけよ、ばぁばが・・・・・ まぁ、こいう訳でまた呑みすぎた。 今朝は、 子供たちが考えた予定では、朝7時に出発とあるが、 すでにその7時を数分過ぎて、朝飯もまだ。 いったい、これからどうなるのでしょうか? PCを持って行かないので、明日はここの書き込みはお休みです。 |