スノーメン タイトル



ここのページは、お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
と、お父さんに呼びかける Snowmen Camp Club のメッセージです。

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キャンプじぃじ、子育てにお勧めの一冊!
  「家族・親子 アウトドアー・キャンプ入門」
          赤井 健一 監修 土屋書店刊 1,480円+税
  「父親という病」 岡田 尊司 著 ポプラ社刊 1,400円+税
小学校四年生までにたくさん子供と遊ぼう! そういう子育てをしよう!

動画■●●●アウトドアーのドキュメンタリー●●●

最新作ご案内 動画■「14 流しそうめん」
                      (BGMは、著作フリーを使用しています)

「教育」と「子育て」の違いを知って、心の強い子に育てよう!
         ページ■「キャンプじぃじの子育て論」  

〜子育てを意識した親子キャンプ〜
動画■「初級編」 動画■
「中学生の心を育てる親子キャンプ」
動画■「自立に向けた親子キャンプ」
動画■「遊びの進化」 動画■「雪中キャンプ」 動画■「親子キャンプ」
動画■「刃物と火力の取り扱い」 動画■「けんちん汁&餅つき」
動画■「14 カレー作り」 動画■「14 流しそうめん」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○ 新連載「お弟子さんの日記」 毎週火曜日に掲載
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に、ページ■「活動予定」
● 木曜日には、「ビデオマンの日記」・・・・ビデオ屋を目指す方へ、
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」・・・子育て真っ最中の方へ
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」・・・・老後の提案
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14/8/31(日)朝 キャンプじぃじの日記

三男坊が昨日、御殿場へ帰って行った。

ばぁばを仕事場まで迎えに行って、
いざ銭湯へ、そして夜の儀式を、と思っていたところに、
今度は、四番目、末っ子が帰って来ていた。

まったくガキどもが好き勝手なことをしているんだな。
バラバラと帰ってくる・・・・・
一度に済ませて欲しいよ。

末っ子に一人で帰って来ても、
兄弟がいなければつまらないだろう、と教えた。

末っ子に「カラオケに行くか?」と尋ねたら、「大丈夫」と答えた。
まぁ、お弟子さんもそうだが、
この「大丈夫」という意味は、「結構です」ということだ。

どちらにしても日本語は、「YES」なのか「NO」なのか曖昧だ。

内心、カラオケなんかには、行きたくなかったからホッとした。
行ってたら、三夜連続になっていた。
二日酔いが治らないままだったので、昨日の夜は9時には寝た。

なんでも、今夜は、末っ子が居座り、そこに次男坊が帰ってくるらしい。

アルコール中毒になりそうだ。
今晩は、そこに恒例の「日曜晩餐会」が重なる・・・・・・


14/8/30(土)朝 キャンプじぃじの日記

反抗期は、子供が親から自立をしようと羽ばたく練習みたいなものだ。

だいたい中学生ぐらいからそれが起こる。
俗に言う第二反抗期だ。

もし、それがなかったとしたら・・・・・
その子は、親に対しての依存が強いことを示す。
自立を諦めてしまった心の状態だ。

それはその子が、30才、40才になって心のトラブルを起こすといった具合にでてくる。

逆に、
十分な反抗期を経て、親から自立を果たすと、
30才ぐらいで落ち着いて、自立をしていながら親の顔を見に戻ってくる。

こういうことで、三男坊が帰って来た。

この子が昨日、僕が手作りをした「卒業ビデオアルバム制作」というタイトルの本を読みたいと言い出した。
結構本気で読みだして、止まらないので、
ビニールをかぶった新品を一冊あげて、後で読めと僕が言った。

「反抗期」が過ぎて、自分の親を見つめようとする行為だろう。
ちょっぴり嬉しかったな。

それから、三男坊、ばぁば、と僕の三人で越谷レイクタウンにある映画館へ行った。
ジブリ作品の「思い出のマニー」を見た。

僕は今まで子供たちとは、キャンプ、サイクリング、で、外遊びしかしてこなかった。
親子で映画を見るのは、初めての体験だ。

ジブリ作品は、考えさせられる内容の濃いものだ。

今朝、三男坊を駅まで送っていくときに、
僕は、こう言った。
「マニーの親は、西洋風に暮らしていて、物は豊かだったが、
  まったく子供であるマニーと遊ぶことをしなかった。
  これって、今の親を風刺している気がするな。
  『物』だけの豊かさで、マニーは、親の愛に飢えていた。
  子供を親自身の手で育てる気がない・・・・・・
  子育てを他人任せ。
  作品は、ここに視点を当てていたな。」

三男坊は、僕にキャンプでしごかれていた、心を鍛えるためにね。
そうとう辛い思いをあえて体験させた。
そこに「反抗期」が加わって、
スプリングのように僕の手から逃げるように自立をしていった。

僕は、そのときに「燃え尽き症候群」を味わったものだ。

それが、僕を慕うように帰ってくるようになった。
ジブリの作品で、マニーが親の手間で育てられなかったことを三男坊に話したら、
照れくさそうに、「お父さんは、すごい」と車の中で言っていた。

子供の心の中に、僕の背中が焼き付いたようだ。
僕が死んでも、子供の心の中で僕は生き続けることができそうだ。

本物の幸せって、こういうものだ。
決して「物」では得られない。

それでも、子供と遊ぶことより家や車といった「物」を目当てに生きたいかい?

そんなことはないよね、薄々感じているよね。
あとは、実行あるのみだよ、若いお父さん!


14/8/29(金)朝 復活サイクリストの日記

昨日の天気予報では、時々小雨。

最高気温が22℃〜23℃。
涼しい。
この涼しいというチャンスを逃すわけにはいかない。

そこで、ペダルを踏んだ。
コースは、いつもの古利根川だ。
ただ、土手の上ではなく、川に沿った一般道を走った。
泥だらけにならないためだ。

走り始めから弱い雨が降っていた。
たぶん、いつか雨が上がるだろうという期待で走った。

ところが、古利根川に出て、しばらくすると、
車のワイパーが動き出すほどの降りになる。

マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」のために買ってきたゴアテックスのレインジャケットを羽織った。
これ、こういうサイクリングの時の武器だな。
そもそも、走り初めに雨が降っていても強気のサイクリングをやろうと思ったのは、
この武器があったからだ。

天気が小康状態になり、ジャケットを脱いで走る。
風がとっても気持ちいい。
ミンミンゼミが力なく鳴く。
その分、コオロギが元気よく合唱をしていた。

お腹がすいてきた。
川沿いから街中へ入る。
赤っぽい建物を見付けた。 ラーメン屋さんぽい。

ピンポ〜〜ン、だ。

「中華飯店」の看板も見えてきた。
店の前に着くと・・・・・・・
「貸店舗」の看板があった。

腹減った〜〜〜!

裏道に入ると、すぐに「うどん、そば、ラーメン」の看板を見付けた。
あまり期待できない味だな。
ダシ味のラーメン。

もうお腹が減っていたので贅沢は言えない。
そこに入った。
入ってすぐに目に飛び込んだメニューが「馬刺し」だった。

まさかの展開だ。
いつ死んでしまうか分からない。
好物を目の前にしてそのチャンスを逃したら、後悔することになる。

それを注文した。
当然、泡の出る麦茶も・・・・・
ちゃんとラーメンんも食べた。

店から出るとまた雨模様になっていた。
泡の出る麦茶でとっても幸せな気分、戦意喪失。

そこでいとも簡単にサイクリングを断念して隣町の春日部駅から輪行で帰ることにした。

ところが、駅に着くと雨がまた上がった。
そのままボロアパートに帰っても、やることがない。
部屋にこもっていたら病気になりそうだ。

そう思った瞬間、Uターンをしていた。

そこからは、アスファルトがずっとドライだった。
風がとっても気持ちがいい。
その「気持ちよさ」を得るためにペダルをこぐ。

その結果、渡良瀬遊水地に着いた。
いつもの「やぎゅう駅」から輪行で帰った。

夕方には、三男坊が帰って来て、
僕の子供のスタンダードコース・・・・カラオケで夜中まで騒いだ。

そこのマスターが「民謡」が好きらしく、
三弦の生演奏を何曲もしてくれた。
この店に猛烈にはまりそう。

余生を送る身、残るビッグイベントは自分の「死」ぐらいだ。
その前に、人生をエンジョイしたいな。
そして、「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動を軌道に乗せたい。

僕の神様は、どこまでも僕を応援してくれている。
せっかくの人生だ。
思いっきり生きるのがお得さ。


14/8/28(木)朝 ビデオマンの日記

ここはビデオ屋を個人事業で始めたい方に向けて書き込みます。

日本は、「大量生産」で国が栄えてきた。

これをベースにせざるを得ないのだろうか?

たぶん、当面は、大企業の「大量生産」が日本をけん引するのだろう。

でも、でかいプロジェクトで、
例えば、日本の新幹線の車輛が輸出されているのでしょう。
「大量」ではないよな。

例えば、今、国産の旅客機を開発しているのだそうだ。
車のような「大量生産」ではない。

この間、ビックリしたのは、
日本の食材が輸出されていて、
牛肉だけではなく野菜が海外で売られているそうだ。
現地の何十倍の価格になるそうだ。

これも「少量」だけど、商売が成り立っているらしい。

「映像」の仕事で大量生産と言えば、「TV放送」や「映画」になる。
不特定多数を相手にした、
いわば「大量生産」だ。

それに対して僕の仕事は、「卒業ビデオアルバム」だが、
「特定少数」のもので「少量生産」となるわけだ。

この「少量生産」に合わせた「映像論」が下記のものになる。
書いた時代が古いので、今のPC編集では合わないところもあるが、
「作り上げる」ことは、今でも同じことが言える。

ページ■「卒業ビデオアルバム制作」

これに基づいて「卒業ビデオアルバム」を20年以上作り続けてきた。
そして、これに基づいて、今、お弟子さんに教えている。

これ、この仕事の「基本」だよ、基本。


14/8/27(水)朝 キャンプじぃじの日記

新たに動画をアップしました。

動画■「自立に向けた親子キャンプ」


14/8/26(火)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、埼玉県にある「武蔵嵐山」というところまで輪行で行った。

そこに住むカメラマンに取材テープを引き取りに行った。
そのついでにサイクリングを楽しもうと思ったわけだ。

天気予報では、二日前では一日曇りだったが、
前日に予報が変わって、ところどころ「弱雨」になった。
テープを撮りに行くとカメラマンに伝えてあるので、
たとえ雨でも行かなければならない。

JR武蔵野線で「北朝霞」まで輪行。
そこから川に沿って北西へ向かうはずだったが、
土手を間違えて所沢へ行ってしまった。

軌道修正を一般道ですることにして「川越」に向かう。
川越の街中で雨が降り出した。

自転車は、断念して、川越から「武蔵嵐山駅」まで輪行。

カメラマンと落ち合って、取材テープを引き取り、
別件の打ち合わせもやった。
僕は、仕事熱心だ。

そうこうしているうちに雨が上がったので、
ハイキングで行けるところにある月川荘キャンプ場まで自転車で走った。

ここは、末っ子が高校生になり、
「自立」の訓練で「ソロキャンプ」を体験させた思い出の場所だ。

これをデジカメに収めて、僕のドキュメンタリーのコレクションにする。

今日中あたりにこれをアップしますので見てください。


14/8/25(月)朝 復活サイクリストの日記

今日は、これから、
幼稚園のお泊まり保育を僕の代わりに撮ってくれたカメラマンのところへ取材テープを引き取りに行く。

武蔵嵐山というところに住んでいて、とっても景色がいい。

当然、自転車で行くのでこれでお終い。


14/8/24(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、雑多にいろいろなことがあった。
「日記」にまとめきれない。

「人間関係」という視点でまとめると・・・・・

僕には、四人の男の子がいるが、
育て方が悪くて上二人は、グレた。

それで猛省して下二人は、「子育てを強く意識した親子キャンプ」で、
「自立をした一人の大人の社会人」になんとか育てた。

昨日は、そのグレた次男坊が帰って来た。
離婚、自己破産、といまだにろくなことをしていないのだが、
反抗期は過ぎて、オヤジである僕に対しては大人しくなった。

それで、昨日は、玄関の前で祝杯をした。
古い友人でうつ病のヤツも誘った。
大家のおばぁちゃんももちろんお茶で乾杯をした。

そうしているうちに、
僕の取引先の幼稚園を卒園した子がやってきた。

この子は、小学生、中学生、になっても僕を訪ねて来ていて、
とうとう高校生になっても来た。
この勢いだと、成人して僕と乾杯をしそうだ。

次男坊とばぁばと僕の三人でからおけ屋さんへ行った。

次男坊が呑み潰れてしまった。
やんちゃが潰れた。
30才を過ぎてすっかり「おっちゃん」になってしまったようだ。

呑み潰れた次男坊を運ぶのに、タクシーで帰った。
重たいのなんのって・・・・・・
僕よりガタイだけはでかい。

たぶん、中学を卒業して勘当の身になって、
はじめて僕のボロアパートで寝たと思う。
いびきをかいて今、寝ている。

昨日の夜、カラオケで騒いでいるときに、
この次男坊が孫を連れてくるようなことを言っていた。
本当だろうか・・・・・

なんだか「じぃじ」を実感するなぁ。


14/8/23(土)朝 キャンプじぃじの日記

政府がしきりに「成果による報酬」をアピールしている。

これは、時代の要求だ。
避けて通れなくなる。
「一生涯安泰」の意識の強い人が多ければ、多いほど、
日本という国がヤバくなるからだ。

なんらかの能力のある人に、
それにふさわしい賃金を払わないと、
優秀な人がどんどんと海外へ逃げてしまうでしょう。

いや、もう能力のある人は、逃げてしまったよ。

これは、企業でも同じことが言える。

これからは、日本の企業も「能力主義」にならざるを得なくなるでしょう。

このときに「一生涯安泰」を親から教わった人が、どうなってしまうのか、
真剣に考えた方がいい。

これを無視するかどうかは・・・・自己責任だな。

「年功序列」は、もうとうに終わっただろうと思っていたら、
まだその悪習は残っているらしい。
なにせ、僕は、30年前に脱サラをしたので、
今のサラリーマン事情は、よく知らなかった。

しかし、いつまでも「ぬるま湯」の企業なり国が存続していられないだろう。

僕は、思うね。
自分の持っているパフォーマンスを最大限に引き出すためには、
その仕事にどれだけ「興味」があるのか、それで決まるでしょう。

これは、僕の体験だ。

人それぞれ「興味」は、違う。

社会的に健全な「興味」を子供が持てるように育てられる親から、
社会で活躍できる人がでてくるでしょう。

「一生涯安泰」なんて陳腐なことを子供に教えてはいけないよね。
父親次第だな。

自分の命を燃やし切ることができる「生きる力」を子供に身に付けさせる、
テレビゲームではなく、社会的に有意義な何かに夢中になれる、
こういう心を育てるべきでしょう。

普段の快適すぎる生活では、こんな心は、育ちにくいよ。
大自然の厳しさを味あわせることで、「生きる力」が養われると思うね。

「心を鍛える」のだから「気楽」「簡単」「便利」では、無理でしょう。
このことが、そんなに難しい話しだろうか?

僕は、高卒だけど、ハッキリとこのことを認識して子供を育てたけどなぁ・・・・
それで、子供の障害を乗り越えて
「自立をした一人の大人の社会人」に育ったよ。

父親次第だな、やっぱり。


14/8/22(金)朝 キャンプじぃじの日記

僕が自分の人生を開拓してきた最初の動機は、
高校生のうちに「何か商売をしたい」という強い気持ちだった。

「一生涯安泰」

をまったく求めていなかったからこそ、
「自分のしたい仕事」に純真になれたのだと思っている。

もう一度言いたい。
「自分のしたい仕事に純真」だった。

「楽に生きる」「金をたくさん手に入れる」
「見栄えのいい生活をする」

こういう気持ちは、高校を卒業する「前」からなかった。

ここに何回も書いている
「学問に興味がなく学ぶ気もない子を大学さえ出せば子育てをしたつもり」
とは、僕のことを言っている。

僕は、学問に興味がなく自分が好きでもないことを学ぶ気もなかった。
だから、大学へ行きたいとは、まったく思わなかった。

実社会に出て、社会を学び、
その上で自分のしたい仕事を見付けようと、高校生のうちに強く思っていた。
「自分の仕事」に対して純真だったでしょう。

だから、初めに名のない小さい会社に勤めた。
最初から6年以内に辞めるつもりでいた。

その会社のパンフは、高校の進路指導の先生の机の引き出しの中にあった。
その先生は、子供に見せるつもりがなかったからだ。

しかし、僕が熱心にとりあえず社会勉強をするために丁度いい会社を教えて欲しいと願ったので、
その先生は、「一生涯務めるところではない」という条件付きで、
その会社の案内を僕にくれたのだった。

大正解だった。

僕は、初めから「一生涯安泰」を求めなかったからこそ、
とってもいい社会勉強ができる会社に勤めだした。

そこで広告物の営業をした。

売り込み、見積もり合わせ、企業エゴ、工程管理、
納品、集金、

こんな商売の全部の流れを覚えることが出来た。
だからこそ、今、商売を立ち上げることが出来て継続することもできたのだ。

僕は、高校生のうちに 「自立」 を強く意識していた。

これが僕の人生の原動力となったのだ。

僕が遅くとも20才では、親から自立ができるように
子供を「自立に向けて訓練をする」ことを勧めているのはこのためだ。

今まで生きてきていろいろな人を見てきた。

25才を過ぎても「親から自立」を果たせなかった人は、
その後、自立が困難になるということを見い出せた。

そういう人は、例えば会社に、例えばパートナーに
極端に依存する傾向があると感じる。

その依存が思ったように「応えてもらえない」ときに心のトラブルを引き起こしやすくなるのでしょう。
ある人は、うつ病に、ある人はニートに・・・・・・

「自立を無視」する子育ての恐ろしさがここにある。

僕は、18才で自立を果たしたので、人生を思いっきり生きることが出来た。
ボロアパート住まいの貧乏人だが、
この「思いっきり生きた」という満足感に比べれば、貧乏なんて些細なことだ。
何の問題もない。

ぜひ、お子さんを

「自立をした一人の大人の社会人」

になるべくなら子供が18才で果たせられるように子育てをするようにしよう。
子供を本当に愛しているのなら、
「親の利便」「親の見栄」「親の都合」ではなく、
「子供の人生は、自分で作っていく」ことができるように育てられるはずだ。

学校では、このことにまったく触れることはないでしょう。
学校教育には限界があるのさ。

僕は、障害のある子を
「自立をした一人の大人の社会人」
に育てることに成功をした。 とっても難しかったんだよ。
でも、僕は、自分の子を愛していたから実行をした。


14/8/21(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

ビデオ屋に限らず、どんな商売でも「需要」がなければならない。

僕がちょうど30年前に、10年務めた会社を脱サラした。
脱サラをする前の一年間は、
個人でできる商売を探した。

面白そうなものがまったくなかった。

そこで、
「自分の興味」の延長戦に何かないか、考えた。

当時では滅多に持っていない家庭用のビデオカメラがあった。
これは、スキー仲間を撮るために買ったものだった。

カメラ自体には、まったく興味がなかった。
ともかく仲間を撮って宿でそれを映すと、大いに盛り上がって、それを楽しんだ。

僕には、すでに子供が二人いた。
それで、そのカメラで自分の子を撮った。
次男坊を撮って、スロー再生したものにBGMを被せて編集をしたら、
それが面白くてたまらなくなった。

毎日、会社から帰っては、それを見た。

そこで、なぜ、ここまでにインパクトがあるのか考えた。
たぶん、スロー再生が非現実的だから、
子供の「見え方」が変わるのだろうと思うようになった。

それにしても、たまらなく毎日それを見ていた。

まさか、その時点でそれを商売にするなんてまったく思っていなかった。
でも何か気にかかったのだろう、
僕は、その時点での「家庭用ビデオカメラ」の購買理由を調べてみた。

30年前のことだ。 ネットなんかない。
広告関係の専門誌で調べた。

そうしたらこういう数字を手に入れた。

当時、VHSのデッキの普及率がもう少しで25%を越しそうだという頃だった。
このVHSの普及率が25%を超えたら、爆発的ヒット商品になると言われていた。

今はもう見かけない「街の電気屋さん」が、
「洗濯屋のけんちゃん」というタイトルのアダルトビデオを見込み客に見せては、
そのVHSを売りまくっていた。

家庭用のビデオデッキの普及は、このアダルトビデオのお蔭だった。

さて、そういう頃に、
家庭用のVHSの普及率のさらに一割程度に「家庭用ビデオカメラ」が普及したというデータをとった。

そして、その「家庭用ビデオカメラ」の購買理由は、
ダントツ「子供の成長記録」だった。

僕は、飛び上がって喜んだね。

自分の子をビデオで撮る体験もあったので、
「間違えなく、家庭用ビデオカメラは普及する」ということ。

そして、
ビデオカメラがない人に、
「自分の子をビデオで撮ってもらう『サービス』が商売として成り立つ」日が来るということ。

僕は、当時、広告物の営業をしていたので、
そういう社会体験をしていたので、これを思い付いたわけだ。

その時点では確かに「子供をビデオで撮って売る商売」は、まったくなかった。
しかし、
必ずいつかは、これが商売として成り立つと僕は確信をした。
それで、何にも当てにするものがないまま脱サラをした。

零細のビデオ屋を何件も渡り歩いているうちに、
次第に技術を盗み取っていった。

脱サラをしてから7年後、僕は「卒業ビデオアルバム」の処女作を完成させた。

これを見本に、そこら中に営業展開をして、
食べられるようになれた。

こういう僕の経緯でハッキリと言おう。

「需要」がなければ商売にならない。

魅力のある商品を、猛烈に営業をしていって初めて仕事が取れる。

この二つを外して、商売を立ち上げて継続することはできない。

新しいビデオカメラを買って、何かそれで商売ができるかも・・・・
こんな妄想を抱いている間は、ど素人だ。

さて、僕は、昔からやることが10年早すぎると言われ続けてきた。
次のチャレンジは、
商売ではなく

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

これだ。

全世界のダントツヒットし続けている本に
「人は、パンだけでは生きていけない。」とある。

これは、人は「自分の消費」だけでは生きていけない動物と僕は理解している。

一番欲しいものは「愛」でしょう。 本物の「愛」。
それに近いものが、「夢」だろうと僕は思っている。

自分の子を「愛」すること。

「自分の子を愛した」思い出を残すこと。

僕は、自分の体験で、ここにこそ生きている本当の価値を見いだせたのさ。

その本にはこうも書いてある。
「小さい人にしたことは、つまり、神様にしたのだ」

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

僕の最後の時間の余生をこれに託したいのさ。
ゾクゾクする面白さがありそうだ。

こういうことで「物」中心の人生を送っている人が、
僕には、気の毒に見えるのさ。
悪気はない。

「夢」は、自分の意志で、自分の志で、作っていくものだ。
僕にとって「夢」のない人生なんて惨めだ。

ここで言う「夢」とは、物を手に入れたり派手なレジャーではないとこは、
分かってもらえるよね。


14/8/20(水)朝 キャンプじぃじの日記

ビデオの編集では、全体の時間が短いほど難しいものだ。
それによく似ていて、夜のキャンプファイヤーも、
短いと難しい。

「ごちそうサマーキャンプ」は、
「夜のお楽しみ」を、しおりでは案内をしていない。

しかし、夜7時50分から、牧場の方で打ち上げ花火がある。
そこまで徒歩で移動をしなければならない。

そして、前回、僕の「じぃじの紙芝居」の時間割は、
夜8時20分から40分の20分間をいただいた。

紙芝居だけなら、何話か上演すれば時間丁度に終わらせることができるが、
それでは、能がない。

僕は自分の子が小さいときにも、自分の子を相手に「アブラハム体操」をしてきた。
キャンプでの夜の過ごし方には、こだわる。

マザー牧場のキャンプ場は、キャンプファイヤーが禁止されている。
それで、ランプを使った「ランプファイヤー」を紙芝居の前にやった。

一昨年から「じゃんけん列車」でランプの周りに集まる。
このことで、知らない人同士がお隣さんになるという目当てがある。

そこで定番の「アブラハム体操」をやった。
いろいろな踊りがあるが、これが一番間違えなく盛り上がるので、
大分前からやっている。

それで、子供たちが発散した後で紙芝居をすると、
いきなり紙芝居よりも、子供たちの見入るインパクトに違いがありそうだ。

普通のキャンプファイヤーは、だいたい40分だ。
それを半分の20分で最大の効果を狙うわけだから、
一切の無駄が許されない。

僕のランプファイヤーの行程では、「起承転結」を心掛けている。

そのサビが紙芝居になるわけだ。

今年は、「モンゴルの白い馬」を上演した。
ちょっと悲しい話しだった。
持ち時間20分、尺はピッタリに収めた。

子供たちには、どう伝わったのだろうか・・・・・

子供の心を育てる。

ある人がこう言った。
「子育ては、ある一線を越すと快感になる」
僕は十分にそれを越してしまった。

「子育て」をこれから始めるお父さんにもぜひ、
これを越してもらいたいね。
「子育ての面白さをお父さんに伝ええる」活動を決して諦めずに続けるさ。

僕の人生は、
誰が見ても「物」や「消費」や「見栄」が目当てで生きていないでしょう。
ここに人生の本当の「豊かさ」があるのさ。

実行をすれば、これがよく分かるさ。
子供の心の成長は、父親次第だ。


14/8/19(火)朝 お弟子さんの日記

 携帯電話が壊れました。

前々から予兆はあったものの誤魔化しながらなんとかもたせていました。
しかし、それはあまりにも突然の出来事でした。

みるみるうちに電池が減っていき、
充電器を差し込んでも減っていきました。
と言いますか充電器を認識しておりませんでした。

そして、とうとうご臨終・・・。
ウンともスンとも言いません。

これはプロに頼むしかないとショップに駆け込み昔使っていた携帯電話(ガラケー)に取り敢えず移し替えられないか相談することにしました。

ところが、その対応をとったとしても意外と手数料等がかかるということ、
機種変更はそれはそれで料金がかかるということがわかりました。
(そもそもiPhoneなので機種変も限られた機種でないと対応できないそうです。)

携帯電話が壊れなければ来月発表されるであろうiPhone6への機種変更を考えていただけにこのタイミングでの他機種への変更は何とかして免れたい・・・という考えで頭はいっぱいでした。

選択肢は3つ。

@多少の手数料はかかるが過去の携帯電話(ガラケー)に切り替えるか(手数料かかるし記録されている連絡先は4年程前のもの)

A手数料・機種代金を支払い連絡先は今のままiPhone以外に機種変更

BiPadを契約(手数料なし、月々の通信料として1900円弱、連絡先等は今のままメール・LINEも使用可能、しかし電話は出来ない)

前々からタブレットの購入を考えていたことと予算的な都合により何の迷いもなくBを選びました。

アップルの発表会が9/19、
かなりの高確率でiPhone6が発表されるとネット上で囁かれています。

恐らく発売は9/20前後、電話なしの生活はかなり不便ですがメールとLINEは生きてるのでそれを信じやり過ごしてみせます!!


14/8/18(月)朝 キャンプじぃじの日記

今まで、マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」は、
1シーズンに5回、やっていた。
それが三回に減った。

僕にとって体力的に助かったのだが、
今年は、第二回目が台風接近で中止になり、イベントが二つだけだった。

5回に慣れていたから、それがたったの二回では、物足りないよ。
なんだか、夏がなくていきなり秋になってしまった感覚だ。

最終回は、60家族が参加をした。
社員も含め僕も未体験ゾーンだった。
無事に運営できて、ホッとしている。

さて、今日は、久しぶりに「和食基本コース」の料理教室へ行くんだ。
隠居生活をしながらも、それなりの「成長」を目指すのさ。

人生の「成長」は、若いころからの「習慣」だと思うね。
若いうちから「消費」ばかりに目が向く生活をし続けていたら、
この習慣を手に入れることができないと思う。

子供には、「成長の習慣」を身に付けさせるべきではないかね。
そのためには、
父親が子供と遊ぶ「習慣」を率先して身に付けるといいと思わないかな。

子供の心の成長は、父親次第だ。


14/8/17(日)朝 キャンプじぃじの日記

マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」の第二回目で
最終回の朝を迎えた。

昨日の夜は、打ち上げをした。
それで、今朝はこれから60家族分のスープを作る。
ズンドウ鍋、6ヶを使って作る。

その他にマザー牧場特製のウインナーをゆがくために
ズンドウ鍋を3つ、
計9ヶの鍋をたき火で沸かす。

おしまい。


14/8/16(土)朝 キャンプじぃじの日記

今、朝の5時。
マザー牧場のキャンプ場にいる。
例によってヒグラシにたたき起こされた。

昨日は、「ごちそうサマーキャンプ」の準備をしていた。
それで一日中、想定外だらけだった。

24畳の広さの「竹ハウス」、シャワー棟の目隠し、
いつものそれらの設営が、お昼の12時をちょっと過ぎてしまった。

それから僕のお楽しみの「かん七」へ行ったら、
お盆休みで超多忙ということで、一般客は午後一時からという看板が玄関にあった。
ポチのオアズケだ。

そこで、近所のスーパヘ、
昨日の夜のつまみ、今朝の朝食、今日の打ち上げなどの買い出しをした。

僕は、このキャンプスタッフを今回で9シーズンだが、
お盆ということで、一般客がすでに30張りぐらあった。
去年もお盆休みに来たが、たしか4〜5家族ぐらいだったから、
その多さに驚いた。

それが想定外の始まりだ。

いつもだったらとてつもなく広いキャンプ場を僕が占有してきたのに、
ごちゃごちゃとテントがある。

それで、いつもだったら、
受付のおじさんが夕方の5時には、はけて、僕がカギを預かり
「君津の湯」へ入りに行っていた。

ところが・・・・・
予約をしたとぼけたお客さんがその5時を過ぎても来ない・・・・
それで、やっと来たかと思ったら、
そのおじさんたちがテントを張ってあげている。

何をしに来たんだろうか・・・・・

そして今度は、そのおじさん、現金を〆ようとしたところで、
何百円か合わないと言い出した。

僕は、おじさんからカギを預からなければ「君津の湯」へ行けない。

とうとう、夜の7時を過ぎてしまった。
「君津の湯」は断念してシャワーを浴びることにした。
気分が落ち込んでいるとろくなことがない。

シャワーを浴びていたら、タオルを持ってくるのを忘れていた・・・・
トホホホ・・・・

しょうがないから、作務衣の下だけを履いてテントに戻ったさ。

話はまだ続く。
食材仕入れで、昨日のつまみを物色していたら、
カニがあった。
それだけだったら高いからパスしていたはずだ。

でも、甲羅をさばいてあって「カニみそ」が見えてしまった。
たまらなくうまそう。
痛風に最悪でも、決死の覚悟でその「カニみそ」食べたさで買ったさ。

「君津の湯」がシャワーになったけど、そのカニにかぶりつきながら
昨日の夜の儀式は、厳粛に、口数まったくなく執り行った。

500mlのビールもどきでは、足らない。
痛風に非常によくないことを知りつつもそれを2本呑んだ。

それでも、カニがまだあるのでグレープフルーツの焼酎割を。
そうこうしているうちに呑み過ぎた。

うとうとしていたら、
いつの間にか居眠りをしていた。
それで、シ〜ンとしているはずのキャンプ場に
なにやら気配を感じて目が覚める。

お客さんの中に、風でテントが潰れたのがあって、
社員が救援に来ていた。

結局、僕も手伝う羽目になった。

おいおい、今回の「ごちそうサマーキャンプ」は、
はたして無事にこなせるのかよ?
とっても不安。


14/8/15(金)朝 復活サイクリストの日記

今、朝の6時20分、袖ヶ浦にいる。
これからマザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」のスタッフをやりにいく途中だ。

昨日、久しぶりに自転車に乗った。
「見沼代用水路コース」を滅茶苦茶久しぶりに走った。

一日曇り空で、太陽が隠れていたのでできた。

どこまでもある桜並木のトンネルの中を走った。
木陰を走ると、さらに涼しくて気持ちよかった。

家族連れのパパが、ザリガニ釣りに夢中になっていた。
たぶん、子供たちに釣らさせようとしているうちに、
パパ自身が夢中になったのだろう。
よくあることだが、「子育て」を忘れやすい新米パパだな。

別のところで、
一人のパパが椅子に座って、
二人の男の子がザリガニ釣りをしているところを後ろから見守っていた。

子育て上級のパパだな。

ボーイスカウトの世界では、
子供たちがテント設営から調理まで、
キャンプのあらゆることが出来るように育てる。

テーブルや立ちカマドなどを、
竹で工作して、それを使ってキャンプする。

そして隊長は、その上級パパのように、
スカウトたちを後ろから見守るだけになる。

このことを「隊長の安楽椅子」と呼ぶわけだ。

子育てを強く意識した「親子キャンプ」で、
お父さんがこの「パパの安楽椅子」に座れるようになれたらいいね。

ここのところ、何タイトルも「親子キャンプ」の動画を YouTube にアップしたが、
そういう視点でこれらを見て欲しい。
僕が椅子に座っている越しに、
子供たちのキャンプ生活を見守っているカットがあるでしょう。

子供が高校生になった時には、僕は、子供に「ソロキャンプ」を何回も体験させた。
本物の「自立」へのリハーサルだった。

子育てで、「自立」をシッカリと見据えようよ、
これこそが、今の日本の教育で最も「無い」ものだろうと思うよ。
これからの日本社会を堂々と生きていくためには、

「自立をした一人の大人の社会人」

に育てることが、極めて重要になってくるさ。


14/8/14(木)朝 ビデオマンの日記

今まで30タイトルを越す動画を Youtube にアップしたが、
大方、ドキュメンタリーだ。

昨日、子育てを強く意識した「親子キャンプ」の「初級編」をアップしたが、
これは,
ドキュメンタリーの手法を応用したフィクションだ。

二組の親子にギャラを支払って出演をしてもらった。

動画■「初級編」


14/8/13(水)朝 お弟子さんの日記

 お久しぶりの日記となります。
2回ほど書くのを忘れてしまっていたのは流してもらえるとありがたいです。。。

7月に幼稚園のお泊まり保育の指導員と撮影をさせて頂きました。
指導員は5ヶ園ほど参加させて頂いたのですが、
元々の目的は「子供の扱いに慣れる」ということでした。

お泊まり保育から戻ってから初めてのブライダルの撮影時に早速その成果が形として発揮されました。
披露宴に5歳〜10歳ほどの子供5名が列席していたのです。

その子供たちからお祝いのコメントをもらおうと思い撮影に入りました。
今までの僕なら親御さんに声をかけ細かいことは親御さんに任せてただカメラを向けるだけだったでしょう。

しかし、この時は何も考えることなくスムーズに子供たちを並ばせ「こんな風にやるんだよ」と簡単な指示を出し出来るだけ自然な笑顔とコメントを撮ることが出来ました。

その場にいた映像のスタッフもそのスムーズさに「流石」と言ってくれるほどでした。
これはこれで一つの「成長」でしょう!

そして現在お泊まり保育で撮影した映像を編集している真っ最中であります。

撮った映像を見ることで自分の荒削り感・抜け目が浮き彫りになり、
まだまだだなと痛感しております。

ですが、今の実力はここまで、これも経験なのだと半分開き直って編集しております。
ネガティブは良くないですから。
性にも合わないですし・・・。

納品までに必要なものとしてナレーション録りが残っております。
取りあえずは映像をまとめ9月の頭に行う予定です。

そこで谷口さんの元へ来て1年が過ぎある程度のことを一通り経験させて頂きました。
ここからはストイックにアグレッシブにスキルアップしていくのみです。

1月には2度目の営業も待ち構えています。
来年の今頃はどうなっているか・・・寝坊しないで頑張ります。


14/8/12(火)朝 キャンプじぃじの日記

一気に子育てを意識した「親子キャンプ」の4つの動画をアップしました。
レジャーキャンプとの違いを分かって欲しいですね。

動画■「雪中キャンプ」 動画■「遊びの進化」
動画■「親子キャンプ」 動画■「刃物と火力の取り扱い」

これを参考に子供を

「自立をした一人の大人の社会人」に育てましょう。


14/8/11(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の読売新聞に「稼ぐ力」とでていた。
経済産業省に「稼ぐ力創出研究会」が設置されるのだそうだ。

人材のスキルアップ

稼いだ利益を賃金や配当で従業員や株主に還元する

要するに政府の言う「成果主義」のことでしょう。
僕は、脱サラを30年前にして、今の仕事を始めたが、
これは「能力主義」の世界だ。

これがこれから、日本全体に浸透をしていく。

これは、日本が全世界を相手に商売をして生き延びていく上で、
避けることのできないものになる。

当然、「雇用」もこれからは、
否が応でもこの「成果主義」「能力主義」に沿ったものになる。
学問に興味がなく、学ぶ気もない子を
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」で育てられた人材は、
弾き飛ばされる時代になる。

僕は、自分の子の障害を乗り越えさせて、
子供本人の力で、
「自立をした一人の大人の社会人」になれるように育てた。

けっして、「稼ぎ」は、良くないが、
それでも、「自立」を果たして、自分の力で世の中を泳ぎだした。

子育てを強く意識をした「親子キャンプ」の効果が出てきた。
それがどういうものだったのか・・・・・

少しずつ、YouTube にアップしていこうと思います。
乞うご期待


14/8/10(日)朝 キャンプじぃじの日記

知識教育で子供の心が育つということは、まずない。

子供の心は、父親が育てるものだ。

父親次第。

子供の心を育てる必要条件と言うものがある。

それは、

その子に丁度いい

「辛いこと」「苦しいこと」「嫌なこと」「悔しいこと」

これを子供に体験させて、それを乗り越えられるようにすることで

子供の心が強く育つ。

子供の心を育てる上で、だから、

「気楽」「簡単」「便利」「快適」は、

弊害があるんだよ。

その最たるものが、テレビゲームかも知れないと僕は、思うな。

子供に丁度いい「艱難」こそが、子供の心を強くするのさ。

「強く」するのだから、そこには「負荷」が不可欠だ。

子育てを強く意識した「親子キャンプ」は、こういうことで効果が高いんだ。

これは、気晴らしのレジャーではない。

だから、僕が「親子キャンプ」をガンガンやっていたころは、

僕も命がけだったさ。

それで、僕も成長をした。


14/8/9(土)朝 キャンプじぃじの日記

マザー牧場「ごちそうサマーキャンプ」第二回目は、
台風接近のため中止。

昨日、気合を入れて朝8時からマザー牧場のキャンプ場で24畳の「竹ハウス」を設営していた。
ちょうど、それが出来上がったところで、
担当者から中止を知らされた。

まぁ、極めて常識的だと思う。

でも、「中止」の判断がない限り僕は、実行に向けて取り組んでいた。
いつもより、シッカリと確実に竹ハウスのロープを張った。

土砂降りの中の作業を想定して、
ゴアテックスのレインジャケットを石井スポーツで買って用意した。
このためだけに買った。 38.000円もしたんだよ。
これ、他に何に使えるんだろうか・・・・・・

設営が済んだ「竹ハウス」を今度は、早速撤収を始めた。

そしてせっかくだから、午前中の作業目標である「かん七」へお昼を食べに行った。
「かん七」ののれんをくぐったのは、11時55分だった。
24畳の「竹ハウス」の設営、撤収がいかに要領がよかったかが分かって、
自分で驚いた。

この技術が落ちないように、訓練をしたんだな。

「かん七」で「回らない寿司」を食べた。
オヤジさんが、今日のウニはあまりよくないから、
なにか別のものを入れてあげる、と、言うので僕は思わず「えんがわ」を頼んだ。
それが二貫でてきた。
ラッキー。

さてどうしようか・・・・
そのまま帰ったのでは、僕らしくない。
富津岬は、さんざん行った。

そこで「大貫海岸」へ行くことにした。 初めてのところだ。

「かん七」からは、すぐにそこに着いた。
小さい海岸で、海の家が一軒だけあった。

とりあえず、海の地平線を見たかったので、
堤防に行く。
それの先端に着いた。

そうしていたら、タグボートが何やら引っ張って来る。
長方形の船に巨大なユンボーを積んでいるのが来た。
あの小さなタグボートがどうして、あのバカでかいものを引っ張れるのだろうか?
見ていてとっても不思議だ。

僕は、今、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」というボランティア活動を
ばぁばと二人で始めたが、
僕のこの挑戦の本質は、父親の「子育てがおっくう」という感情だと感じている。

まぁ、父親の意識改革と言うことになるのだが、
このとてつもなくデカイことを、ばぁばと二人でやって、どこまで効果があるのか・・・・・

とても無理だからやらないのではなく、
これに気付いた僕だからこそやるべきだ。
神様が与えてくれた仕事だ。
正直、こう心に言い聞かせて、自分自身を奮い立たせている。

この活動の「タグボート」に生きているうちになれるのかな?
微妙だな。
まぁ、できなくてもこの挑戦には生甲斐を感じるようになった。
僕の生き様のストラッグルになっている、人生の「面白さ」だ。

「気楽」「簡単」「便利」ではないところに、
僕の生き方らしいものがある。

さて、その巨大なユンボー、それの船長らしき人が何か僕に言っている。
聞き直したら、
どうやら「ここを掘るから釣りをしても魚がいない」ということを言っていた。

僕は、釣りではなく見学をしていると大声で答えた。

巨大なユンボーを操って、そこら中に先端を海に投げ入れている。
何か探っている様子だが、なかなか作業に入らない。
船員たちが甲板で煙草を吸っている。

「旋回内立ち入り禁止」の看板の下で、船員がポカリを呑んでいる。
その看板、ちょうど頭を蹴飛ばすところにあるのだが、
船員たちは、その看板が行ったり来たりしているところに陣取って座る。

その看板を見てもいないのに、看板ギリギリで座る。
何もそんなことでスリルを味わなくてもいいだろうに、よっぽども暇なんだな。

そういう僕も、「子供をビデオで撮って売る」商売をしてみたい、
と、思い付いて脱サラをした。
今からちょうど30年前のことだ。

船員たちの意味のないスリル、僕の挑戦、
全然関連はないけど、
「人の好奇心」が共通していると思うね。

その巨大なユンボーがそこら中に、先端を入れては出して、
これを繰り返しているうちに、
さっきのタグボートが、今度は、大きな船をまた引っ張ってきた。

箱のような構造の船で、それを巨大なユンボーの船に着けた。
そこで、僕は、今までの作業の意味が分かった。
海の底の深さを見ていたのだ。

その箱の船が来てからは、船長自ら操って、
海の底の砂をかき出しては、その箱の船に砂を入れだした。

一回のその砂の量が凄まじい。
見ていて豪快だ。
しばらく僕は、その作業を眺めていた。

いい加減に見ているのが飽きて、
大貫海岸へ行く。
一軒しかない海の家に入る。
僕は、そこでミルクのかき氷を注文した。

頭が痛くなる。

小さい子がいる親子連れを、ボーとしながら眺めた。
僕も、小さくてかわいかった僕の子と手を握って海に入ったものだ。
遠い昔の話し。
「思い出」って何だろうか・・・・・・・

忘却。

でも、こうして思い出せれば、幸せがよみがえる。

僕の仕事の本質だな。

僕は、いつの間にか、幸せそうな親子を見ながらうとうとと居眠りに落ちた。

キャンプが中止にならなければ、見ることがなかった光景を僕は楽しんだ。
人生の楽しみ方さ、何がどう転がってでも、
そこに人生の豊かさをいくらでも味わうことができる。

「物」で空威張りしている限り、これが分からない。

「物」で「幸せだね」なんて子供に言ったらよくないよな。

「物」中心の人生だから、子供に目が向かないんだろうな、きっと。

それで、子育てがおっくう・・・・・

子供は、親次第で心が育つものさ。


14/8/8(金)朝 キャンプじぃじの日記

今、朝の7時だ。
袖ヶ浦にいる。

牛丼屋さんで朝食をいつものとおりにとったのだが、
時間があり過ぎる。
どこかのファミレスで時間つぶしをしようと思ったら、
その牛丼屋さんの向かいにデニーズがあった。

まぁ、こんなもんだ。
そこから書き込んでいる。

マザー牧場の社員に頼んで、今日は、朝の8時に鍵を借りられることになっている。

今回の「ごちそうサマーキャンプ」は、
過去最大の参加者数ということだ。
しかも、台風の影響があるかもしれない。

そこで、昨日、ゴアテックスのレインコートを買いに行った。
僕は、幼稚園のお泊まり保育の仕事で、
ポンチョは使うが、レインコートは、僕の仕事では使わない。

雨の中での作業は、僕は、昔からしない。
子供をキャンプでしごいていたときには、
子供にはレインコートを与えたが、僕は一切作業をしないのでポンチョで十分だった。

しかし、今回は、雨の中での作業を思いっきりやらなければならなくなりそうだ。

さてさて、どうなることやら・・・・・


14/8/7(木)朝 ビデオマンの日記

お弟子さんに、昨日、こう質問をした。

「僕のところに来るようになって一年経った。
  去年の君は、この一年間に体験できたいろいろなことを
  想像できたかい?」

まったく、想像外のことだったとお弟子さんが言う。
さらに付け加えて

「自分が想像できなかった新たな世界を知る。
  これこそが『成長』のだいご味だ。
  生きる面白さだ。
  また、『成長』にこそ生きる感動があるものだ。」

お弟子さんは、自分の実体験をとおして、
僕のこの言葉が理解できたらしい。

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

という僕の活動も、
若いお父さんに活動、実体験をとおして
理解してもらいたい。

そして、子供を
「自立をした一人の大人の社会人」に育てて欲しい。

お弟子さんを僕が受け入れた一番の理由は、
彼が親から「自立」をしていたことだ。

フリーランスで生き延びていくのに、
「自立」は、絶対条件になる。

僕は、お弟子さんにこうも言った。
「これからは、サラリーマンと言えども『自立』を果たした男でないと
  生き延びていくのが難しくなる。
  日本という国が厳しい国際競争で生き延びていくためには、
  『自立』を果たした男の人材が不可欠となる。」


14/8/6(水)朝 キャンプじぃじの日記

今度のマザー牧場での「ごちそうサマーキャンプ」では、
過去最大の参加者になる。

いかにスムースに無事にこなせるのか、
天気が悪そうだが、そうした外的要因にどう対応していけるのか、

チームワークの良さが要だな。

社員5名、外部の僕が1名、体育大学の女子大生5名、の編成だ。
前回は、その女子大生たちは、3年生が多かった。
動きも非常に良かった。

今度の学生は、ほとんどが一年生だそうだ。
たぶん、この子たちの動きの良さで、運営が決まるのではないだろうか。

何が何でも成功させて終わらせる。
この一点を見つめて頑張るんだな。

僕が商売を立ち上げてきたときと、「気持ち」は、まったく同じだ。

人生を「命がけで取り組む」能力。

「気楽」「簡単」「便利」
これらを子供の内から浴びるようにして生活をして、
果たして「真剣」に生きる人になれるだろうか?

それほど難しい質問ではないでしょう。

「不便」「大変」を子供も親も体験する、これが非常にいい。

これは、「ごちキャン」の閉村式での僕のスピーチだ。


14/8/5(火)朝 キャンプじぃじの日記

佐世保で女子高校生が同級生を殺す事件があって、
週刊誌が飛びついている。

その背景の一つに「発達障害」が指摘されている。
犯罪の統計上、重大犯罪に「発達障害」の人の割合が多いことが分かっている。

僕の子もその「発達障害」のうちの「学習障害」がある。
発達障害に限らず、障害のある子を育てるのは、
容易ではない。

さらに、ここをよく聞いてほしいのだが、
「発達障害」とまでもいかなくても、
そういう傾向がある人・・・・こういう存在があることを知っていて欲しい。

専門家に「発達障害」と診断されなくても、
その傾向を持っている人・・・・・・・
このことを「個性」と呼んでいるんだよ。

そしてこれは僕の持論だが、
たぶん誰一人として「発達障害」の傾向がまったくないということはない、
と、僕には思えてしょうがない。

このことを本当によく理解をしてほしい。

父親が自分の子と「たくさん直接」関わって遊ぶことで、
自分の子の「個性」を少しずつ把握できるようになれる。

だから
このときに、父親が「他人任せ」に子育てをしていたら、
父親は、自分の子の個性を理解できるはずがない。

学問に興味がなく学ぶ気もない子を
「大学さえ出せば、子育てをしたつもり」をやってしまうわけだ。
こういう場合、子供は大学生活で享楽を身に付けやすい。

「命がけで働く」

ことができない人に育ちやすいことが想像できるでしょう。

「辛いこと」「大変なこと」を避けて、
「気楽で、簡単に、楽しい」ことを追い求めて生きるようになりやすいでしょう。

こういうことで、
例えば「晩婚化」の問題も、本当の理由はここにあると僕には思える。
父親が子供の個性を把握できていない、深刻な問題だ。

僕の子は、障害を指摘されて、
それからと言うもの、暗中模索で、どうこの子を育てればいいのか大いに悩んだね。
その時に知ったのがボーイスカウトだった。

この活動では、「子育てのウンチク」がビックリするほどの著作である。
僕は、読みあさったね。

それで分かったのが、子供を育てるうえで必要な教育には、

「家庭教育」「学校教育」「社会教育」

の三つがあることだった。
その中で「家庭教育」が「他人任せ」になっているこの現実を見てしまった。

さらに「家庭教育」の中でも「父親」の存在がほとんどないということも知った。
これは、家庭に父親がいても、
「父親」の家庭教育ができていないということを意味する。

「父親の家庭教育」

これは、子供に「生きる意味」「生き方」「生きる価値」を教えて、
子供を、
「自立をした一人の大人の社会人」に育てることだ。

ここまで分かったので、僕は、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」という活動を始めたわけだ。

これは、実際に自分の子供とたくさん遊んできた者でなければできない。
「知識教育」ではないからだ。

もう一度、言おう、「知識教育」だけで子供は育たない。

つまり、「体験」で子供の「心」を育てるものということだ。
具体的には、

子育てを強く意識をした「親子キャンプ」が非常に効果的だったことを僕は体験で知っている。

これは、とっても「大変」だ。
慣れないと滅茶苦茶「めんどう」に感じられるかも知れない。

でも、それを実行できるかどうかは、「父親の本物の愛」で決まることでしょう。

「父親の本物の愛」
これは、子供が小学校四年生ぐらいまでに、
父親自身で、たくさん、たくさん、子供と遊ぶことで、
父親の心に芽生えていくものなんだよ。

だから子供が幼稚園に通っている内に、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」重要性があるわけだ。

今日の授業はここまで。
頑張ってね、お父さん!


14/8/4(月)朝 キャンプじぃじの日記

キャンプ明けで、ボロボロだ。

卒業ビデオアルバム用のちょい撮りがあるけど、
動くのが辛い。

仕事をさっさと済ませて、
今日は、一日マッタリを決めたい。

お終い。


14/8/3(日)朝 キャンプじぃじの日記

子供のいるキャンプは、夜の過ごし方次第だと思う。

マジックをやる若者が、昨日の夜、飛び入り参加をしてくれた。
そのあと、「じゃんけん列車」で大きな輪になり、
定番の「アブラハム体操」、
そして、紙芝居をやった。

紙芝居は、今年、新作を買って、「モンゴルの白い馬」を上演した。
そこそこ盛り上がっていたと思う。

さて、これから、僕は、朝のスープ作りの係りだ。
ズンドウ鍋で作る。
お客さんの中には、これを楽しみにしている方がいるらしい。
頑張るぞ〜〜〜。


14/8/2(土)朝 キャンプじぃじの日記

歳をとって、普段でもどうにかすると4時半ぐらいに目が覚めることがある。

でもここ、マザー牧場のキャンプ場では、
決まって4時半に「ひぐらし」が一斉に鳴き出して、
それが起床ラッパとなる。

本当にうるさい。

とっても綺麗だよ、景色。
薄い水色の青空に、かなり高いところに帯状の雲がある。
それがまだ太陽が出ていないうちに、淡いオレンジ色に染められている。

今、朝の4時50分、ひぐらしが鳴きやんだ。
今度は、小鳥たちが鳴き出す。

昨日の夜は、
前日準備を終えて、「君津の湯」に入って、
近所のスーパーで買い出しをした。

昨日のビールのつまみ、今朝の朝食、今夜のつまみを仕入れた。
それで、スーパーから出て、ロックアイスを買うのを忘れたことに気付いた。

まぁ、それは途中のコンビニでも売っている。
ところが、早くビールを呑みたい一心で
車をすっ飛ばしていた。

それですっかり、そのことを忘れていた。

サイトに戻って、さぁビールを呑むぞというときに、ロックアイスがないことに気付く。
また、買い出しに車を転がしたよ。
こういうことで、夜の儀式が遅くなった。

「おあずけ」を食らった分、演歌を聞きながら儀式をたっぷり挙行した。
ちょっと呑み過ぎた。

淡いオレンジ色の雲が白色に輝きだした。
ここの朝は、涼しくて気持ちがいい。

さぁ、マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」の一回目のスタートだ。
キャンプは、子供がいるから面白い。
早く来ないかな・・・・


14/8/1(金)朝 キャンプじぃじの日記

今、マザー牧場のキャンプ場にいる。
朝の9時半、晴天の下にいると暑い。 汗がダラダラ出る。
でも、炊事棟の屋根の下でこれを書き込んでいると、
風が吹いてとっても気持ちがいい。

越谷市とでは、同じ暑いのでも、随分違う。

さぁ、これからシャワー棟の脇に24畳の「竹ハウス」設営、
シャワー棟の前に目隠しのシート張り、
物干しの設営、
これらを頑張ってやるぞ。

それで、君津市にある「環七」という寿司屋さんで上握りを食べるんだ。
人間、目標があるからこそハッスルできるんだよね。


14/7/31(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

この間、お弟子さんの顧客開拓で飛び込み営業を60件廻った。
それでいくつか僕が廻った時との違いがあった。

まず、玄関にインターホンが設置されているところが多くなったことが挙げられる。
中に入りにくくなったというデメリットがあるが、
件数を多く廻りたい初期の飛び込みでは、
逆に、玄関先までで中に入らなくて済むので早いというメリットがあった。

僕の新規開拓の時には「自分たちで撮るから業者はいらない」という断り文句はなかったが、
何件かそういうふうに断られた。

僕も2〜3年前に、商品をコピーをしてばら撒く保護者がでてきて、
こちらから「取引停止」を宣言して止めたところがあったが、
どうやら、他の同業者でも、ふざけたところを切っているらしい。

「売れなければビデオ屋が撤退する」ということだ。
この「世間」の常識が理解されつつあるのだろう。

商売は、「生き物」だ。
時代とともに環境が変わり、それに合わせて仕事を変え続けていく。

この「変え続ける」というところに、その商売の「成長」があるわけだ。
それを研究し続け、学び続ける者が生き延びられるようにできている。

だから機材で喜んでいるアマチャンは、
決して商売を立ち上げることができないわけだ。

また逆に、特に僕の仕事では、「変えない価値」というものもある。
「作風」がこれに当たる。

「変えるもの」「変えないもの」これの「使い分け」を見極めるのも
その商売の能力になる。

商売を継続するということは、とりもなおさず「生き延びる能力」だ。
そこに僕は、大自然界の厳しさを感じる。
「安全」「快適」「簡単」ではない世界・・・・・・
「野性的」な者が生き延びる。

僕の商売ではなくても、
この「野性的」な「心」が育った人が生き延びる・・・・・
これが「成果主義」「能力主義」になる。

日本という国がこれから生き延びるためには、こういう人材が不可欠だ。
こういう人材に育てられる「子育て」が非常に重要だと、僕は思うね。

そこで最も必要なのが「個人の自立」ということになる。
これに気付いた父親が、いい子育てを始めるだろう。


14/7/30(水)朝 キャンプじぃじの日記

長男の夢をまた見た。

僕には、四人の男の子がいるが、
育て方が悪くて、上、二人がグレた。

次男坊は、ここのところ小康状態で居所も分かっているので、
心配はないのだが、
長男は、音信不通が続いている。

それで、ときどき夢に登場するわけだ。

下二人は、僕自身が子育てに対して猛省して、
自分なりに取り組み直したので、特に、今のところ問題はない。

上、二人と、下二人は、どう育て方が違うのか・・・・

その一番大きいところは、

僕自身が子供の「様子」をよく「観察」をして、
子供の「個性」をシッカリと把握できたかどうかによる。

具体的には、下二人は「子育て」を強く意識をした「親子キャンプ」をやった。
上二人は、ただのレジャーキャンプをしていた。

子育てがついおっくうなので、金で適当に済ませようとしたら、
後でとんでもないシッペ返しがあるかも知れないよ。

特に、学問に興味がなく学ぶ気もない子を
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」をやってしまったらいいことはないだろう。

僕の古い友人でそう育てられたことが原因で、
今、重度のうつ病になったヤツがいる。

子供の「心」を真剣に育てよう! 若いお父さん!!
僕と同じドジを踏むなよ。

子供に「生き方」「生きる意味」「生きる価値」を
お父さん自身の言葉で子供の「心」をシッカリと育てよう。


14/7/29(火)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園のお泊まり保育が終わり、
準備の大変な「流しそうめん」も無事にこなし、
いよいよ、今度の週末からマザー牧場での
「ごちそうサマーキャンプ」のスタッフを連続3回をこなす。

体力勝負の夏、はたして生き延びることができるのでしょうか・・・・
普段、サイクリングをしていなかったら、
たぶん、こなせないだろうね。

これから、その「ごちキャン」の準備だ!
お終い。


14/7/28(月)朝 キャンプじぃじの日記

「流しそうめん」は、要するにそうめんを食べるだけのことだ。

でもこのための準備となるととっても大変。
高さ150pのタンクの台も、
数日前に竹とロープワークで作る。

それで、幼稚園で一回だけの「流しそうめん」では、ちょっともったいないと思って、
昨日の夜、
ボロアパートの前でもやった。

昨日の恒例の「日曜晩餐会」を「流しそうめん」で行ったわけだ。

僕とばぁば、大家のおばぁちゃんとうつ病の古い友人、
道満グリーンパークでの「親子で工作」を手伝ってくれていた古い友人、
最近知り合ったカメラマン、
近所にいる、僕になついてくれている4才の男の子、
向かいの家に住んでいる夫婦、

これで賑やかにやった。

カメラマンの方は、昔、「広島焼き」の店をやっていたことがある
その道のプロだ。

そこで、流しそうめんのあとに、それを披露してもらった。

向かいの家に住むだんなさんは、僕と同じ料理教室に通っていたことをその時にしって、
大いに盛り上がった。
世界文化遺産に登録をされた「和食」の基本コースを習っていることで盛り上がった。

勢いが付きすぎて、そのカメラマンとカラオケに行ってしまった。
彼とは、三晩連続で呑んだ。

遊び疲れた。


14/7/27(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

暑かった、昨日は本当に暑かった。
全国で熱中症で11人死亡したそうだ。

「流しそうめん」の活動は、そういうことで様子を見ながら、
まくりまくった。

父親と子供のペアに、竹で「マイ 箸」「マイ カップ」を作ってもらい、
父親に自分の子の「世話」を体験してもらった。

太く4mのもうそう竹を半分に割るのも親子で作業をしてもらった。

子供は、男の子二人と女の子一人で、三人いた。
女の子は、活動中ずっと元気だったが、
二人の男の子は、熱中症ぎみで何回か具合悪そうだった。

僕はすぐに気付いたのだけど、それぞれのパパには分からなかった様子だ。
「子供を見る力」というものがあるのだけど、
たくさん子供と遊ぶことでそれの能力が高まるんだな。

北越谷にジャブジャブ池があって、そこに子供を連れて行くといいとか、
草加公園にも人工の川があって、そこがジャブジャブで子供が遊べること、
そんなことをお父さんに教えた。

ともかく子供が幼児期のうちに、父親が「子供と遊ぶ習慣」を身に付けて欲しい。

これが後に「父親の愛」になって子供に伝わっていくようになる。

「物」なんかで空威張りをしていては、この「父親の愛」が伝わらない。
虚栄心が子供に伝染をしていくものだ。
カブスカウトの活動を年に70日もやってしまった、「元オヤジ」の父親に対しての「小言」だ。

僕は、「じぃじ」に昇格したんだよ。
「成長」は、生きる感動だ。


14/7/26(土)朝 キャンプじぃじの日記

本日、幼稚園の園庭で「流しそうめん」をやります。

昨日、このためにそこであの猛暑の中、準備をした。
そのときに、参加者のママが子供を連れて幼稚園に来ていた。

前回の「カレー作り」に参加をしたお父さんと子供のママだ。

10組募集のところ明日は、3組の応募だったことをそのママに言ったらビックリしていた。
「子育ての面白さをお父さんに伝える」
という活動趣旨を言うと、多くの父親が引いてしまうからだと説明をした。

一昨年のこの活動では、「流しそうめん」ということ自体に興味があって、
10組の応募があった。

去年は、この活動趣旨をシッカリと説明をしたら5組の参加者だった。
それで、今回は3組になった。

そのママにこう推論を話した。
「要するに、多くの父親は、『子育て』が面倒なんでしょう。
  この『面倒』というのが壁なんです。」

このことは、戸田市の道満グリーンパークで、
「親子で工作」の活動をすればよく分かる。

多くのサイトでは、親子連れだが、
ほとんどの場合、父親が設営を楽しんで、子供にやらさせない。
そして、たいがい父親がビールを呑みながらバーベキューをして酔っぱらう。

子供は、暇つぶしに持ってきたおもちゃで遊んでいる。

こういう光景を見ることができる。
そこに父親が率先をして子供と遊ぶ姿は、ほとんどない。

そういうところで「親子で工作」をやると、
たいがいは、ママと子供だ。
最近になって、父親も来るようにはなったが、良くて親の半分ぐらいだ。

要するに「面倒」なわけだ、子育てが。

僕の活動は、この父親の「面倒」という気持ちにチャレンジしていると言っても過言ではない。
根の深い問題だよ。

それでも、今日は、3人のパパが来る。
嫌がれようと何だろうと、「父親の子育ての重要性」をアピールしたい。

これからの日本社会は、政府主導で「女性の社会活用」が推し進められるらしい。
ママまで「子育てがおっくう」になる恐れがある。
とてつもなく、根の深い問題だ。


14/7/25(金)朝 ビデオマンの日記

今年は、お泊り保育の仕事を一件やめたのだが、
それでも疲れが溜まった。

歳とともに仕事量は、できなくなっていくことを実感する。

仕事ではないが、明日、「流しそうめん」を幼稚園の園庭を借りて行う。
これの準備は、数日前からした。
今日、園庭に24畳の「竹ハウス」を設営し、
高さ150pのタンクの台を持ち込む。

そして、来週の金曜日からマザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」が
3回、立て続けにあって、そのスタッフをやる。
これは、仕事だ。
これの準備を始めなければならない。

こういう中、先週行った箱根でのお泊り保育のDVDは、
今、それの盤面印刷をして、来週の月曜日に納品を予定している。

お弟子さんにもしつこく言っていることだが、

「納品の速さ」は、商品の付加価値として欠かせないものだ。

仕事のある隠居生活は、メリハリがあって本当にいい。
20才の若いころから「生き方」にこだわってきて、夢中になって生きた。
それで今がある。

若いころに「気楽」な人生を送っていては、人生を作り上げることはできない。
自分の人生をデザインすることができない。

「自分の人生」は、作り上げていくものだ。
言葉を変えると、「人生、一生涯成長」をしていくということだ。

30才では、30才の、
40才では、40才の、
50才では、50才の「成長」というものがある。

「物」などに気を取られているうちにこの「成長」がどこかで止まってしまう人がいる。
これを幼稚と呼ぶわけだ。
気の毒だよ。

ビデオ屋で、いい歳をした人が、
「ビデオで何か仕事ができるかも知れない」というピンボケをしていては惨めだ。

こういうことで、僕は、たまたまお弟子さんができて、
僕の仕事の「継承」を目指すことができるのは、とってもありがたい。
これが僕の今の「成長」になる。

僕自身で開拓をした仕事を、
今度は、若い人がこの仕事で食べられるようにする。
とってもありがたい僕の成長だ。

お弟子さんにこうも教えている。

「一生涯成長」

ここに生きる感動がある。


14/7/24(木)朝 キャンプじぃじの日記

「流しそうめん」は、そうめんをゆがいて、
割った竹の中を流して食べるものだ。

これだけでは、「子育て」にならない。

お父さんと子供のペアで、4mのもうそう竹を半分に割る。
ナタをハンマーで叩きながら割っていく。

竹を適当な長さに、のこぎりで切って、
ナタで箸を作る巾で割る。
これを子供の手をお父さんが握ってやる。

その割った竹を、ナイフを使って削っていく。
これも子供とお父さんが一緒に作業をする。

もうそう竹を節のところを切って「マイ カップ」を作る。
これは簡単だが、親子でのこぎりを使う。

こうして、父親と子供が「触れ合う」ようにして工作するところが、
「子育て」になるんだ。
特別に難しいことを父親が言う必要はない。

「工作」を親子で楽しむだけで、子供が幼児期では十分だ。

でも、子供が小学校高学年から中学生ぐらいになると、
こんな程度では子供が喜ばない。

そこで、
24畳のシートで作った「竹ハウス」という大型テントを用意する。
高さ約150pのタンクの台を竹で工作をしておく。
子供が大きくなったら、親子でこういう大きい工作にチャレンジをしてもらいたい。
それの実物をビジュアルに、その時に集まったお父さんに見てもらう。

「親子で触れ合う」「工作を楽しむ」「屋外の活動をする」

これが、今度の土曜日の活動の目標だ。
「食べる」ことが目的ではない。

お父さんたちに「子育て」の勘所を感じ取ってもらいたい。
そして徐々に親子で難しい工作に挑んで欲しい。
さらに、それで親子キャンプをやってみて欲しい。

さらに、
子供が中学生ぐらいになったら、
そういう親子キャンプの夜話で、「オヤジの小言」をお父さんが語って欲しい。

子供を
「自立をした一人の大人の社会人」にこうして育てていって欲しい。


14/7/23(水)朝 キャンプじぃじの日記

次は、「流しそうめん」の企画を成功させる。

幼稚園の園庭を借りて今年で3回目だ。
古い友人に頼んで、今日、モウソウ竹を2本貰いに行く。
それを幼稚園に搬入したい。

それと、高さ約150pのタンクの台を竹で工作をする。

金曜日に最終設営をする予定だが、
それを手伝ってくれるという者も現れた。
最近知り合ったカメラマンだ。

僕の活動は、友達に支えられている。

このこと自体、僕の人生の豊かさになっている。
「物」の豊かさは、それを手に入れたときにだけ「嬉しく」なるが、
それは、時間の経過とともに色あせる「喜び」だ。

僕は、遊び友達に「人生の豊かさ」を追い求めた。

これを子供に教えることができるお父さんを、
探し求めていきたい。
そういう心のある父親の「輪」を構築出来たら、とっても素晴らしい。
僕の夢だ。


14/7/21(月)朝 キャンプじぃじの日記

自己責任

僕の仕事を開拓していく上で、この自己責任の感覚は不可欠だ。
またこの仕事は、「成功報酬」でもある。

これは、野生動物の生きる感覚でしょう。
「保証」なんてない。
自分の力で「生き延びる」世界だ。

だからこそ、生きていて「充実感」があるんだ。

なんとなく生きているのではなく、
思いっきり生きている感じ。


30年前に大学の教授がこんなことを言っていたのを思い出す。
心理学の教授だった。

「谷口君、戦争中にはうつ病患者はいないんだよ。
  みんな生き延びるのに必死だから、うつ病は起こらないのさ。
  生きているのが当たり前の社会にうつ病がおこりやすい。」

それから30年、このことは本当に当てはまると思うようになった。
子供のうちから「快適」「簡単」「便利」を浴びるようにして生活をしていたら、
心のトラブルを起こしやすいと思うね。

「快適」「簡単」「便利」ではなかった僕の仕事。
だからこそ生きる充実感がタップリと味わえたんだ。

こういう「生きる元気」を子供たちに教えたいものだね。

具体的にどうすればいいのか・・・・・
そうです!
子育てを強く意識した「親子キャンプ」がとっても効果的です。
僕は、自分の子のために実践したよ。


14/7/20(日)朝 キャンプじぃじの日記

今年の幼稚園のお泊り保育の仕事で、撮影は、全部終わった。

肉体的に、精神的に、とっても大変なんだけど、
今年も面白かった。

今、気付いたのだけど、この面白さは、
正しく「子育て」の面白さと同じなんだな。

ボーイスカウトの活動も、
僕のボランティ活動の「親子で工作」も、
8月にやるマザー牧場での「ごちそうサマーキャンプ」も、

よくよく考えてみたら「子育て」の面白さそのものなんだよ。

その面白さの根底にあるのが「成長」ということだ。

そう言えば、今、お弟子さんがいるが、
彼を食べられるレベルでこの商売を立ち上がらさせるのも、
「子育て」と同じ面白さがある。

なんとか、うまくやる・・・・
大変で難しいのだが、そこに感動があることを体が知っているんだな。

「物」を手に入れて「嬉しい」なんてペラッとした喜びとは、全然違う。
テレビゲームで暇つぶしができて楽しいのとも、
たぶん、まったく違う。

そういう僕の脳みその回路が出来上がったんだろう。
僕の四人の男の子と遊んで暮らしているうちに、
僕の心がそう育ったのだろう。

とっても、心が豊かなのさ、ボロアパート住まいの貧乏人でも。

「幸せは、それを感じ取る能力」なんだよ、本当にそうなんだ。


14/7/19(土)朝 キャンプじぃじの日記

今朝は、幼稚園のお泊まり保育の仕事で箱根にいる。

ここの幼稚園の職員に、
僕が昔、卒業ビデオアルバムでの子供へのインタビューで、
「大きくなったら何になりたいの?」などを撮った子がいた。

ナント、4人もいた。

僕の仕事は、人生の時間軸がなくなるような不思議なものだ。
これをとってもサプライズで体験をした。

さて、お泊り保育の仕事の最後、頑張るぞ。

どうも、お弟子さんの口癖が移ったようだ。


14/7/18(金)朝 キャンプじぃじの日記

まぁ、お弟子さんを指導して今月でちょうど一年になる。

カメラという「物」ではなく、
子供を「見る力」を徹底的に鍛えてきたつもりだ。

この「見る力」があるからこそ、幼稚園での撮影ができるわけだ。

父親も同じ。
家とか車といった「物」や刺激的な何かの遊び、(ギャンブル、女遊び、etc,)
そういうことに父親の関心が強ければ強いほど、

「自分の子供を見る力」

が相対的になくなる。
自分の子供の「個性」を見抜くことができなくなる。

それで、「金を払って子育てを他人任せ」で簡単に済ませることをしてしまうのだろう。

子供が、30才、40才、ぐらいになった時に、
そのしっぺ返しがあることを知って欲しいね。

親が幼稚であってはならないでしょう。

自分の子とたくさん遊ぶことで、「父親が本物のオヤジに成長」できるものなのさ。

さて、今日はこれから箱根へ幼稚園のお泊まり保育を撮りに、
行ってきま〜〜〜す!

自分で本当に面白い仕事をしていると思うよ。
他人の子でも「子供を見る」のは、面白いんだよ。


14/7/17(木) お弟子さんの日記

いよいよお泊まり保育の現場に来ました!

撮影の前に先ずは幼稚園のお泊まり保育を企画している所で指導員として
子供たちと一緒に遊びました。

前日に自己紹介の映像を見させて頂きました。
指導員の方たちのテンションが非常に高く、
このテンションに自分はどのように合わせていくか不安はありました。

しかし恥ずかしさを感じることはなく面白い自己紹介をすることができました。
子供たちも楽しんでくれたみたいで子供の接し方というものがわかってきたような気がしました。
ですが、ただ楽しむだけでは指導員とは言えません。

遊び方の説明や注意点など、
安全に楽しく遊ぶために細かなところまで気を使わなければいけません。
子供たちのテンションを落とすことなく盛り上げながら説明もしながら話さなければいけない。
そこにかなりのプレッシャーを感じました。

ベテランの指導員のやり方を見てはいましたが、
同じことを僕ができるはずもなく、
とても歯がゆい気持ちで指導員2日間を終えました。

そしていよいよ撮影当日を迎えております。
細かい部分を上げれば練習をやり込めておらず不安な点も多々あります。

お泊まり保育の流れは指導員として見たのでイメージはできますが
撮影側となると見方も動き方も大きく変わってきます。
ここまで来たからにはやるしかありません。

精一杯やります。
と、意気込んでいた矢先
宿泊先に忘れ物をしてしまいました。
相変わらず自分でもこういうところは成長してないなと思い知らされました。



14/7/16(水)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、お弟子さん、二ヶ園目の幼稚園を午前中世話をして、
三ヶ園目の幼稚園を受け入れる日だ。

バイトスタッフには、女子学生もいる。
お弟子さん、カッコいいところを見せようとしてドジっていないだろうかね?

夜、スタッフで盛り上がることがある。
若いから一晩中呑む兵もいる。
それに付き合わされて、フラフラだったりして・・・

何かの間違えで、いい仕事をしたかも知れない。

明日、お弟子さんは、一ヶ園のお泊り保育をビデオで撮る仕事をする。
初仕事だ。
最初なので、僕がディレクターをしてあげることになっている。

はたして、どうなったことでしょうか、明日分かる。


14/7/15(火)朝 キャンプじぃじの日記

お弟子さんは、今日、初めの幼稚園のお泊りの指導を終えて、
次の幼稚園の受け入れをする日だ。

二ヶ園目の指導をする。

現場は秩父なので、たぶん、川遊びが中心だろう。
場合によっては、ハイキングをするかも知れない。

子供たちをお風呂に入れて、夕食、
そしてキャンプファイヤーを昨日、できたのかな?

お弟子さんの「お泊りデビュー」がどうだったのか、
気になってしょうがないね。

これの指導員を体験してから、これのビデオを作る。
このことによって、
「映っている」だけではないビデオが作れるはずだ。
この僕の持論を証明して欲しいんだな。

そして、僕流の商売を何が何でもお弟子さんに「追試」してもらって、
これからの仕事として確立させたいね。

「卒業ビデオアルバム」の普及を夢見てるのさ。

人生は、こうやって楽しむと豊かだ。

キーワードは、「成長」さ。
お弟子さん、そして僕の成長だ。


14/7/14(月)朝 キャンプじぃじの日記

今日、お弟子さんが幼稚園のお泊まり保育での
「指導員」デビューをする。

子供の成長記録が「卒業ビデオアルバム」だ。

子供に興味関心があってこそ、「子供」について調べたり
学んだり、観察することができるようになれる。

自分の追い求める「被写体」があってこそ、
その分野での「カメラマン」になれるものだ。

はたして、お弟子さんは「子供」に対する「目」が成長できるだろうか?

「オヤジ」
これも同じだ。

自分の子供とたくさん遊ばない限り、その子の「個性」を感じ取ることができない。
簡単、便利、で子育てを「金を払って他人任せ」で済ませて、
どうやって自分の子の「個性」を見抜くことができるのでしょうか。

自分の子を自分で育てて初めて本物の「オヤジ」に父親が成長できるものだ。

家や車といった「物」が欲しくて仕事で忙しい父親が多くないだろうか?

僕は、そんな「物」から解放されて自分の子と遊んだ。
カブスカウトの活動を年に70日もやった。
それで、ボロアパート住まいの貧乏人なのさ。

これは、僕の勲章さ。 「物」中心の人生でなかった証拠だ。

それで、僕の子は自立をしていった。
今度は、お弟子さんの「成長」を見守ることになった。

ちょっと大きめの子供だ。
本当にデカイ。 身長が183センチもある。

人生の豊かさは、「物」にはない。 「人間関係」こそにある。
しかし、
時にして「人間関係」で自分の心が傷つくことがある。
それも「豊かな人生」の一部さ。

「人間関係」で最も近いものが「兄弟」でしょう。

僕は、自分の子供に、

動画■「中学生の心を育てる親子キャンプ」

これのDVDを送った。
兄弟で励ましあってこれからも生きていって欲しいという僕の願いを込めて。


14/7/13(日)朝 キャンプじぃじの日記

疲れが、ドドッとでた。
歳をとると、数日後にこうして疲れが出る。

今日は、一日マッタリ。
大家のおばぁちゃんと、古い友人、僕とばぁばで
「日曜晩餐会」の日だ。

刺激的ではないが、本当の幸せを感じるね。

物を手に入れて「嬉しい」という刺激的な喜びではない。
派手なレジャーで「嬉しい」のとも、まったく違う。

物が豊かになり生きるのが「当たり前」になった。
それでどうなったのだろうか?

「刺激的」な喜びを追い求めるようになったのではないだろうか?

「刺激的」な喜びは、その時だけで醒めてしまう。
必ず醒めてしまう。

麻薬と同じだ。
その時だけドーパミンがドバーっとでるので嬉しい。
それを繰り返すようになる。

そうれを繰り返しているうちに「本当の幸せ」からドンドンと離れていく人生になっていく。
これが端的に表れるのが、

「子育て」だろうね。

仕事に、レジャーに忙しいので、
「金を払って子育てを他人任せ」で快適に子育てを済ませよう・・・・・
親は、自分の子供の「個性」を観察することなく、子育てを簡単に済ませてしまう。

子供は、本来自分の持っている「個性」を伸ばす機会を失うよ。

それだけではない。

子育てをとおして親が「成長」するチャンスも失う。

それでも、ドーパミンがドバーっとでる刺激的な何かを追い求めてしまう。
今の日本での生活では、
麻薬的刺激だらけと言っていいだろう。

不自由で、快適ではなく、簡単でもない、キャンプ生活。
今の日本でこそ、このキャンプ体験が親子で必要なのではないかな。
大自然の中で本来の「生き物」にリセットするべきではないかな。

「生きているのが当たり前」ではないことに、気付けると思うよ。


14/7/12(土)朝 キャンプじぃじの日記

越谷市に戻ってきた。

蒸し暑くてグッスリ眠れなかった。
そこに、
携帯電話が地震の警報で鳴り出した。

疲れてるのに寝られないよ。
しょうがないから、今回のお泊り保育の処理を始めた。

予定では、今度の月曜日の朝8時に幼稚園へ納品をする。
早いでしょう。


14/7/11(金)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園のお泊り保育の第一ラウンドの最終日。

撮影をしながら、現場で即編集をしている。
普段は、夜の9時前に「おねむ」になっている僕が、
昨日の夜は、12時近くまで編集をした。

体が疲れただけではなく、眠い。

普段、夕食は、ビールのつまみを食べる程度なのに、
毎晩、旅館飯。
お腹がプックリと膨らんだ。
本当に重い。

でも、毎日、硫黄温泉、最高だったさ。
空気も澄んで気持ちがいい。
なぜか、帰りたくなくなるんだ、いつもそう、最終日。


14/7/10(木)朝 ビデオマンの日記

幼稚園のお泊まり保育の取材は、今日で4日目。
あと、明日一日撮ったら第一ラウンドが終わる。

好きでやっている仕事だが、年々きつくなるね。

この商売を目指して30年以上、
このお泊り保育を撮るようになって、たぶん、28年だか、29年になる。
やっぱり止められないんだ、面白くて。

今年は、お弟子さんの「お泊りデビュー」ができそうだが、
仕事に「魅力」を感じることができれば、
たぶん、一生涯やり続けることができるだろう。

そういうことで、お弟子さんは来週の初めから、
このお泊り保育の「指導員」を5件ぐらい体験する予定だ。

このことによって「ただ映っている」ものではなく、
見ていて「面白い」ものを作れるようになれるだろう。

新しいカメラを買って、
それで「何か仕事ができる」かも知れないという永遠のアマチュアとは、
まったくの違いが出るはずだ。

「被写体を知り尽くす」

これが「見る」という根本だ。
そして、「見る」以上にビデオで撮ることは、
被写体を観察する、知る、調べる、という行為だと思う。

若いお父さんも、自分の子供の「個性」が見抜ければ、
その子にとって丁度いい教育をすることでしょう。
そのためには、

小学校四年生までにたくさん、自分の子と遊ぶ必要があるんだな。

自分の子と遊ぶことで「個性」が分かっていれば、
中学生の反抗期も、

反抗期を取ってしまうのではなく、
自立をするのに丁度いい具合に反抗させることができるのさ。

この「反抗期」が浅かったり、なかったり、した人が、
30才、40才、になって心のトラブルを起こしやすくなるんだよ。
このことをよく知っていて欲しい。

何かの「物」で幸せだね、なんて教えて「物」ばかりを
与え続けると、この反抗期が浅くなるんだよ。
気を付けよう。

「幸せは、それを感じ取る能力」なんです。


14/7/9(水)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園のお泊まり保育の取材で、奥日光にいる。

昨日の夜、キャンプファイヤーがギリギリセーフでできた。
結局、僕はこれが好きでこの仕事をやり続けてきた。

このキャンプファイヤーは、元々はボーイスカウトからきている。

ボーイスカウトの創始者、ベーデン・パウエルという人が、
今から100年以上前に、
人里離れた小島で中学生ぐらいの子供を集めて実験キャンプをした。

子供たちだけで上手にキャンプができるかどうかの実験だった。

そうしたら、子供たちは、自分たちで役割分担をして、
自主性を身に付けた。
そのときに、パウエルが夜、薪火を囲んで子供たちに人生のウンチクを語ったと言う。
歌も踊りもなかったようだ。
夜話だけだったそうだ。

これが次第に進化をして、キャンプファイヤーだけが
日本の学校に広まったわけだ。

ここ奥日光でハイキングをすると、
ときどき、小学生の「移動教室」に出会う。
その中には、チーフを首にかけて同じ学校の生徒の識別にしているところがある。

このチーフを「仲間意識」にさせるところも、
ボーイスカウトからきている。

さて、ベーデン・パウエルの夜話は、どういうものだったのだろうか?
僕なりに再現したものが、

動画■「中学生の心を育てる夜話」

自然の厳しさで子供の「心」を鍛えよう!


14/7/8(火)朝 お弟子さんの日記

 お世話になっているブライダルの映像会社へ週1・2回のペースで社内の仕事をお手伝いしに行かせて頂いております。

行き始めてからかれこれ1年半近く経ちました。
ほぼ毎回同じ作業を行っているのですが最近少し不満に思う事が出てきました。

あるテロップの位置が本来あるべき位置からかなり下がった状態で作成されていたので「これは修正しなければいけないのでは?」と作成した社員さんへ聞いてみたところ・・・、
「これは作る人によって違うからそのままで良いよ」と流されました。

チェックの仕事をやってきてこのテロップの位置がずれたものは見たことがありません。
僕は社員ではないのでこの場面でどうこう細かく言うことはできず、
社員さんから言われたとおりそのままチェックを終わらせ納品作業を進めました。

自分の意見が流されたということはどうでもよく
「作る人によって違うから・・・」のワードがどうしても頭に引っかかったまま今に至ります。

その商品は会社のものであって社員個々のものではありません。
個性が求められるものではないはずです。

「チェックをしている僕の役割は何の意味があるのでしょうか?」という意見を別の社員さんへ話をしてみました。
しかし、「どうなんでしょうね・・・」と言われるだけで何の結論も出ませんでした。

そもそも事の発端である社員さんは会社で中堅の位置に当たる方です。
元々営業の人間で制作に携わるようになったのはつい2ヶ月ほど前の話です。
映像制作自体が未経験。

知識や技術に関しては制作部の中で下の方と言って間違いないでしょう。
立場やプライドがあるとは思いますが、
素直に他の意見を聞き入れる事も必要だと思います。

物作りは凝った物を作ろうとすればそれなりに手間ひまが掛かってしまいます。
それを商売にするとなればコストカットをするのも当然の事です。

ですが、「コストカット=怠ける」ではないということを今回の事で深く考えさせられました。
見る人は基本的に完成した映像しか見ることができません。

僕たちは視聴者の目の代わりになっているようなものです。
「視聴者は何を見たがっているか?」考えなくてもこのような意識がないと良い映像は作れないと僕は思っています。

自分だけやっていれば・思っていれば良いとは考えず、
同じ映像制作に携わっている人間としてどうにかこの意見をわかって欲しいと思った出来事でした。


14/7/7(月)朝 キャンプじぃじの日記

今日から5日間、幼稚園のお泊まり保育の取材に行ってきます。
仕事もある隠居生活です。
お終い。


14/7/6(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、弱い雨模様で自転車に乗りたくてもできなかった。

若いころは、昨日ぐらいだったらヘッチャラだったが、
この歳では、そこまでの元気がない。

それでもって、気持ちだけは昔のまま。
インドアーが嫌いな僕は、
雨のボロアパートの中、やることがなかった。

読みたい本もないし、調理実習する気にもなれない。

そこで、スーパー銭湯「健美の湯」に行った。
入浴剤だが硫黄温泉になっている。
いい香りだ。

ここは、年に何回かしか行かなくなった。
それで、昨日、打ち立ての生蕎麦があることを知った。

いつの間にやら、蕎麦打ち台が設けられていた。

硫黄温泉に浸かって、打ち立ての蕎麦をいただいた。
結構、群馬までの温泉旅行をした気分になった。

午後一時頃、帰って来て、そのままごろ寝をした。
泡の出る麦茶を飲んだわけでもないのに、
もう、まぶたが重くて、重くて、
気付いたら、ばぁばを仕事場まで迎えに行く時間になっていた。

そもそも、このばぁば一匹から僕のドンチャン騒ぎの人生が始まったんだよね。
昨日は、そういう僕の人生の疲れを取る一日だったようだ。

明日から幼稚園のお泊まり保育の仕事で奥日光へ行く。
ここは、本物の硫黄温泉だ。 楽しみ。


14/7/5(土)朝 復活サイクリストの日記

一昨日のサイクリングのドキュメンタリーをアップしました。

動画■「14 勝浦」

ここにでてくるお店は、もう何回かマスメディアに取り上げられたそうだ。

さかな処「さわ」

http://www2.ocn.ne.jp/~sawa/


14/7/4(金)朝 ビデオマンの日記

PCがXPからW-8に乗り換えるのに一苦労したよ。

まず、プリンターが動かなかった。
それを動くようにするのに悪戦苦闘をした。

それで、紙の印刷は、なんとか出来るようになったが、
DVDの盤面印刷が思うようにならない。

盤面印刷をするためにソフトを買った。
しかし、それでもうまくいかない。

ソフトメーカーに問い合わせて、
言われたようにしてもNG。

そこで、ソフトメーカーにPCの設定でどこが間違っているのか、
PC画面をプリントしたものをメール添付で送った。

操作に間違えがなかった。

ソフトメーカーも、必死でトラブルを考えてくれたようだ。
それで、W-8にプリンターが一応「対応」しているが、
プリンターの方をバージョンアップしなければならないようだということを、
ソフトメーカーに教わった。

それで、そうしたら問題解決をした。

次は、DVDの「オーサリング」作業に問題が出た。
「アンコール」というソフトでオーサリングをしている。
しかし、このソフトは、XPでしか動かない。

なんでも今のこれのバージョンは、「レンタル」になっていて、
毎月課金されるのだそうだ。
僕は、毎日のようにオーサリングをしているわけではないので、
それでは高すぎる。

XPでの「アンコール」で、壊れるまで使うことにした。

ところが外付けのDVD-Rを焼くレコーダーが壊れた。
それでまた、最新のレコーダーとこのXPの相性が悪いというトラブルが起こった。

おかげで、昨日の夜は、サイクリングで疲れていたのに、
泡の出る麦茶を飲んで頑張って問題解決に挑んだ。

何が何でも、幼稚園のお泊まり保育の仕事に、もうそれを使うので、
問題解決をしなければならない。

今朝、一番でそれが解決できたかどうかの最終チェックをした。
OKのようだ。

もう、真っ青だよ、PCトラブルは!

生き延びるために「必死」になる。
これは、生物体として必須だと思う。

でも、快適な生活を「当たり前」に生きている今の高校生では、
これが弱くなったようだ。
ある人、僕より年上の方がこう言っていた。
「今の高校生は、車の免許を取ろうとしない子が増えたらしい。」

それの理由は、
必要がないからというより「面倒」だからだと言う。

確かに、ボーイスカウトのリーダーをやれば分かるが、
子供たちがやたらに「おっくうぅ」を連呼する。

自分たち自身で食事を作っていかなければ、
いつまで経っても食べられないことが分かって、
初めて子供たちが調理を始める。

こういう体験をリーダーは、何回もする。

戦争は、肉体的な「死」の悲劇を引き起こす悲惨なものだ。

どうだろうか?
この平和ボケの日本では、
精神的な「死」が起こっていないだろうか?

「快適」に溺れるように生活をしているうちに、
子供たちは、「心の成長」の「死」の悲惨を繰り広げている。
これは、戦争と肩を並べて深刻な問題だ。

快楽を求めてセックスは、喜んでするけど、
子育ては、「おっくうぅ」の人がいないだろうか?

金を払って子育てを他人任せで済ませようという人がいないだろうか?

それでは、いくら歳をとっても「自分の消費」しか、
思い浮かべられない人になってしまいやすいだろう。

30才になっても、40才になっても、50才を過ぎても、
「自分の消費」以外に考えることができない人・・・・・・

たぶん、こういうことでモンスターペアレントが登場をしたのだろう。
些細なことで大騒ぎをして「我慢」がまったくできない人。
「自分の消費」「自分の利便」しか考えることができない。

精神的に幼い、まるで園児と同じかそれ以下の「心」の具合の人。

「心の成長」が止まってしまった人。

そういう人に子供が育てられるわけだ。

「おっくうぅ」を連呼する子供が増えるのは、必然の結果だろう。

「生き延びる」力がなくて本当に大丈夫?

「快適」を「当たり前」にして毎日を暮していると、
だからうつ病などの心のトラブルも起こりやすいのさ。

しかも親が手間暇かけて育ててくれた実感がない・・・・
親の「愛」を感じられなかったら、
さらに心のトラブルは、起こって、それこそ「当たり前」だろうね。

これからのグローバル社会、
「成果による評価」
「能力主義」の社会で、「おっくうぅ」で本当に大丈夫?

子供を
「自立をした一人の大人の社会人」に育てることをシッカリと目標に持つべきでしょう。

ビデオ屋をやるのだって、自立ができていなければ、無理だよ。話しにならない。

僕のお弟子さんは、この点、有利だ。自立をしている。
僕と同じ、18才で自立を果たしている。


14/7/3(木)朝 復活サイクリストの日記

今、朝の5時ちょうど。

ばぁばが目覚ましで起きたところ。

ばぁばがグチグチと言い出す前に、電撃的に

目指せ! 勝浦サイクリング!

と、いうことでお終い。


14/7/2(水)朝 キャンプじぃじの日記

痛風の薬を貰いに病院へ行った。

前回、採血と尿をとってもらって、
その結果が出た。

毎度のことながら、酒を控えるようにと、
でも、ギリギリ許容範囲だけどと付け加えて、
柔らかく、やんわりとドクターに注意される。

何か腑に落ちないことがあったらしく、
ドクターが、何かスポーツをやってるのかと尋ねるので、
僕は、サイクリングが好きで時々走っていると答えた。

しつこくどのぐらい走っているのかと聞くので、
その時によって距離はまったく違うと答えた。

それでもまだこれを話題にするので、
僕は、オートサイクリングと言って、車で景色のいいところまで行って、
そこから自転車に乗る遊びをしていると言った。

それらを全部、PCのカルテにドクターが書き込んだ。
僕は、このことにビックリした。

僕の「ギリギリの健康」とサイクリングに何か関連があるのだろうか?
ドクターは、面白そうな被験者でも見つけたのだろう。

本当のことを言うと、
オートサイクリングは、ばぁばと走るときだけで、
僕が今一番のお気に入りは、「輪行」だ。

電車で移動をして、そこから自転車を輪行袋から取り出して、
サイクリングをする。
時々、帰りの輪行で泡の出る麦茶を飲んだりしたりして・・・・・

それでも、サイクリングは、健康にいいんだろうかねぇ?


14/7/1(火)朝 お弟子さんの日記

 まだ読み切っていない本「竜馬がゆく」を読んでいて感じたことがあります。
竜馬が20歳を迎え江戸での修行が1年8ヶ月を過ぎたところで大地震が起きたところまで読みました。

このあたりの竜馬は後に深く関わってくる人物数人と出会ったりします。
そして、竜馬の考えがちょくちょく出てきたりもします。

よく「本は色んなことを教えてくれる」等と聞きます。
他人の実体験や感想を読むことで知識として得ることができることなのだろう思っていました。

しかし、最近になってそれはどこか違うのではと思ってきました。
僕の感じたこととしては、登場人物に感情移入することによって「自分だったら・今の時代で例えると」といったようにイメージすることで一人では出すことのできなそうな一つの考えを生み出せる手段にもなるのではないかということです。

「竜馬がゆく」を読んでいると坂本竜馬は日本を変えるために考え・動いておりスケールがでかすぎるので比べるところではありませんが、
そんな風に男ならでかいことを成し遂げてやろうという気持ちにもなってきます。

これが読書の醍醐味なのでしょうか?

 7月はお泊まり保育の撮影と子供の扱い方を学ぶためにお泊りの現場へ指導員として何度かお邪魔することになっております。

坂本竜馬やあの時代の若者は全力で目的を成し遂げるために突っ走っていたと思います。
僕も僕の勝ちへ向かって突っ走らないと。
コケない程度に・・・。