スノーメン タイトル



お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
「子育ての面白さをお父さんに伝える」 ことを目指します。

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最新作ご案内 動画■「15 灯篭作り&キャンプファイヤー」
                      (BGMは、著作フリーを使用しています)

「教育」と「子育て」の違いを知って、心の強い子に育てよう!
         ページ■「キャンプじぃじの子育て論」

〜子育てを意識した親子キャンプの動画〜

「プロローグ」 「初級編」 「中学生の心を育てる親子キャンプ」

「自立に向けた親子キャンプ」 「遊びの進化」 「雪中キャンプ」 

「親子キャンプ」 「刃物と火力の取り扱い」 「14 カレー作り」

「14流しそうめん」「14芋煮&手打ちうどん」「14けんちん汁&餅つき」

「15 灯篭作り&キャンプファイヤー」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○ 新連載「お弟子さんの日記」 毎週火曜日に掲載
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に掲載
● 木曜日には、「ビデオマンの日記」・・・・ビデオ屋を目指す方へ
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」・・・子育て真っ最中の方へ
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」・・・・老後の提案
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15/2/28(土)朝 復活サイクリストの日記

ばぁばのおかげで、まったくサイクリングが出来ない。

これが一番ひどい被害だ。

そこで、昨日は、打ち合わせに幼稚園へ行くのに、
自転車を使った。

一件は、越谷市より東北に位置するところ、
もう一件は、南にある。

全部で36`を走った。
足慣らしに丁度良かった。

久しぶりの外の空気だ。
やっぱり、サイクリングがいい。
ツーリングに早く出たいよう。

お願いだから、いいかげんに元気になっておくれよ、ばぁば。
もう、お部屋の中は、うんざりだ。

この間、雨の日に、ばぁばを連れて車で江戸川の土手に行った。
もうヒバリが鳴いていた。
ドリップコーヒーを車の中で沸かして、飲んだ。
狭い車中にコーヒーの香りが充満した。

早くサイクリングやりてぇ〜〜〜。

この間のハイキングは、楽しかったなぁ。
その気になれば、いくらでも家族だけで出来るんだがなぁ・・・・
それが、どれほど本物の幸せか、分かって欲しいね。


15/2/27(金)朝 キャンプじぃじの日記

子供を

「自立をした一人の大人の社会人」

に育てること。

できるかどうかは、100% 親の責任でしょう。
家庭教育の問題だ。

子供が勝手に自立できるものではない。

子供が自立できるように、家庭教育で子供を自立に向けて訓練するものだ。

その時に「父親の存在」が不可欠になる。

子育てを他人任せで済ませると、
ここのところで、とんでもない間違えを起こすことになる。
100% 親の「自己責任」になる。

テレビ界から干された、人気テレビ司会者のことを考えるといい。
鎌倉に豪邸があるそうだ。
彼の子供は、東京大学をでて、テレビ界で問題を起こして、
人気テレビ司会者は、干されたでしょう。

東京大学という「教育」がいくら最高でも、
「自立」に向けた子育てを家庭内でサボったという非常に分かりやすい例だ。

「家庭教育」

これこそが、子供が育っていく上での基本中の基本だ。
「子育てがおっくう」なんてやっていると、
とんでもないことになってしまうよ。

子育てを他人任せで済ませていると大変なことになってしまうよ。

「気楽」「簡単」「便利」に子育てをしていたら・・・・
後悔をすることになるよ。
自己責任だからね。

「母子癒着」に注意して、
子供を自立に向けて「訓練」する具体的な方法を提案する・・・・・
それが、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動の理念だ。

硬い表現では、これが「父性教育」ということだ。

2015年度の年間予定を来月には、このHPに掲載しますので、
ぜひ、お問い合わせいただき、ご参加をください。

理念は、硬いけど、活動は、面白くやってます。


15/2/26(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

どんなことでも「基本」がある。

いかにこの「基本」が重要であるのか、
僕は、このことを「基礎スキー」で覚えた。

「基礎スキー」とは、
ゲレンデを安全かつ面白くスキーをするためのスキルだ。
競技とは、別の分野として区別して確立をしている。

基礎スキーを学ばないと、上達をしない。
「自己流」は、決して上達をしない。
これを体験でよく分かった。

僕は、「卒業ビデオアルバム」の制作で、今まで生き延びてきた。
偶然に生き延びられたのではない。

そこには、「基本」があった。

それで、
この仕事の「基本」をまとめた。

ページ■「卒業ビデオアルバム制作」

これに基づいてお弟子さんを教えている。
それで、先日、彼が初仕事をこなしてきた。

トリガーミスらしいところが一つあったが、
基本通り撮ってきた。
だから、編集に手間取らなかった。

ここだ。

基本を学ぶことなく撮られた映像は、非常に編集しにくい。
と、いうより、編集のしようがない。

何が最も重要な基本なのか・・・・

それは、「視点」だ。

映像の勉強は、この「視点」を学ぶことと言っても過言ではない。
一生涯、これを学び続けるものだ。

この「視点」がどうあるのか、
そのことで、そこに「面白さ」や「訴える力」になる。

仏教で「浄土真宗」では、「説話」が盛んだ。
築地にある本願寺では、幼児に向けた「説話」が上手なお坊さんがいる。
その「説話」も、よく聞いていると、
「人の心をつかむツボ」という基本があることを僕は、知った。

キリスト教では、カトリックでは、あまり聖書の解説をしないけど、
プロテスタントでは、
必ず聖書を読んで、その個所の説教を牧師先生がする。

「説話」と同じで、上手な説教をする牧師先生は、
よく聞いていると、
「人の心をつかむツボ」をおさえていることが分かる。

そういう「説話」なり「説教」は、
「視点」がハッキリしていて、ブレずにしていながら、
いろいろなエピソードや、例え話や、体験談を盛り込んでいる。

それで、
当然のことながら、ビデオ制作もこの「視点」こそが重要なわけだ。

このことは、自分の人生を作るのでも同じだ。
「あれも、これも、」と付け足していく「生き方」に「視点」はない。

「ビデオ屋」で喰っていく・・・・これを目標にする。
こういうハッキリとした「視点」でこそ、この道で食べられるようになれる。
基本中の基本だ。

このことを「理念」とも呼ぶ。

子育ても、まったく同じ。
子供の個性を見抜きもしないで、あそこの塾、ここのスクール・・・・
こうして「あれも、これも、」と子供に詰め込み教育をすると、
いつか必ずその子は、潰れる。

結構、「先生」と呼ばれる人がこれをやりやすいようだ。

子供の個性を見抜いて、一点突破。
これに成功すると天才が育つ。
と、僕には思えてしょうがない。
バッハがそうだったらしい。

どんなことにも、人間の行うあらゆる行為には、「基本」がある。

この「基本」を外して上手になることは、まずない。

「自己流」は、決して上達をしない。

仕事も、人生も、子育ても。

何事も。

こういうことで、僕は、「和食基本コース」の料理教室に通いだした。
ばぁばが肺炎で寝ころんだのだが、役に立ったさ。


15/2/25(水)朝 お弟子さんの日記

 先日、一人で幼稚園の遠足の取材を行いました。

僕の取引先ではなく谷口さんの取引先です。
本来だと谷口さんの奥さんが取材されているのですが、
今回は奥さんの体調が優れないらしく急遽僕が代役としてお手伝いする流れとなりました。

当日、先ず幼稚園へ訪問し先生方へ挨拶。
そこからバスで遠足先へと向かいました。
道中は座席の最後部に座っておりました。

バスの中では到着までの1時間弱を先生たちが終始ゲームや歌で子供たちが飽きないように盛り上げていました。

去年の夏にお泊まり保育の指導員のバイトで僕もバスの中で似たようなことをやりましたが、
やはりプロは子供の心を掴むのが上手です。

そうこうしているうちに目的地に到着。
撮影スタートです。

谷口さんから事前に聞いていた通り先回りし子供達の顔を狙いました。

初めてというのはいつも何が起きるかわかりません。
予定では到着してからの移動と水族館で予備として1回、
合計2回顔を撮ればよかったのですが、失敗が重なり4回撮ることになりました。

内心「ミスったか!?」と思いましたが結果オーライです。

僕の中で一つ課題を持って今回の取材に挑んでおりました。
何度も谷口さんから指摘を受けていたことで、それは「取材力」です。

今までは谷口さんと一緒だからということでそれに甘えてか、
子供達の動き等を先生たちからではなく谷口さんから聞くことが主でした。

しかし、今回は一人です。
自分で先生から聞き出すしかありません。

バスを降りてからのルートは?
集合写真の後は?
何組から動くか?
お弁当の場所は?

○○はどこか? 等など

顔を撮るところで焦りはしましたが、
その他は問題なく撮ることが出来ました。

先生たちから情報を聞き出す時も僕の顔を知っていたこともあってなのか(心配でなのか)プラスαで情報をくれたりもしたのでスムーズに動くことが出来ました。

顔を覚えてもらう。

営業の大事さも実感できた一日でした。

来週は3回目の営業展開となります。
合わせて2回目に反応の良かった幼稚園にも再度顔を出します。

今回の取材でより自分の取引先が出来た時のイメージが湧いてきました。
早くやりたい一心です。

3回目の営業は40件と少なめですが、
営業先の地域はこれまでで一番雰囲気が良いかもしれません。
気を引き締めて飛び込んできます。


15/2/24(火)朝 キャンプじぃじの日記

たいがいの動物は、考えることを人間ほどできない。

「像」は、非常に愛情深いそうだ。
欲の皮が突っ張った「ヒト」より、はるかに友情が熱いそうだ。

「イルカ」は、言語があるらしいことを聞いたことがある。

「犬」の忠誠心は、立派だ。

「猫」の図々しさは、悪知恵に近い。

「インコ」は、上手に教えれば、10単語ぐらいを覚える。

それでも「ヒト」のように「考える」ことができない。
「ヒト」でも「考えることが出来ない」人もいる、うちのばぁばだ。
まぁ、しょうがない。 この条件で僕の場合は、生きていくしかない。

そういうレアケースは、別として、
たいがい「ヒト」は、考えることが出来る。

この「考えることが出来る」というところが、
「ヒト」として生きていくのに厄介になっている。

例えば・・・・「なんで生きているのかを考える」

僕の場合、両親が離婚をしたので、このことを
小学生高学年でしきりに考えていたものだ。
考えたからといって、答えが出たわけではなかった。

でも、「考える」癖は、僕についたようだ。

「なぜ?」

「どうして?」

「どういう訳で?」

僕は、理屈っぽいのだそうだ。
でも、僕にしてみれば、
「考える」ことをしなかったら「人間ぽく」ないでしょう。

たいがいの動物は、教わらなくても子供を自立させる。
しかし、なぜか「ヒト」という動物は、子供を自立させない。
とくに日本人は、子供を自立させる気がないと、僕には感じる。

「なぜ?」

僕は、ある本を読んでいて答えを得た。
それは、「母子癒着」というフレーズだ。

確かに、母親は痛い思いをして、大変な思いをして、
子を産むので、
母親は、子供を自分の「所有物」にしやすい。

だからこそ、その母親から子供を引き離して、
子供に自立の訓練ができるはずなのが、「父親の役割」だ。

こういうふうにこの間のハイキングで、
参加をしたパパに、歩きながら僕が語った。

たいがいの動物は、教わらなくてもこれが出来るのに、
「考える」ことができる「ヒト」の場合、
「言葉で伝える」ことをしなければならない。

神様の皮肉か?

そうではない。
これは、たぶん、「先進国病」だ。
「物」が豊かになり、「気楽」「簡単」「便利」で「快適」に
生きるのが当たり前になったので、

「子供の自立」という精神的に「辛い」ことを避けるようになった。

それで、
いくらでも「子供の自立」を避けて生きられるようになった。

僕は、考えているうちに、こういう仮説を生み出してしまった。

余計なことだ。
考えなくても、僕の子供は、もうすでに自立を果たした。

だが、よその子供が気になってしょうがない。

「自立」をシッカリと果せないと、
例えば、それがひどい場合、「マザコン」になってしまうでしょう。

それでは、これからの日本社会を生き抜いていけないでしょう。
国際競争力を問われるこれからの日本社会で、
堂々と生きていけないでしょう。

朝から、また余計なことを考えてしまった。

子供を自立させることができるかどうか・・・・

子供が勝手に「自立」できるものではない。

子供を自立に向けて親が訓練するものだ。

その訓練が出来るかどうかは、親の「自己責任」だ。
これが「家庭教育」というものだ。

この「家庭教育」が、「おっくう」に父親がなっている様子だ。

また、余計なことを考えてしまった。
もう止めた。

「14九十九里」


15/2/23(月)朝 キャンプじぃじの日記

今回のハイキングは、
戸田市の「道満グリーンパーク」で行っている
「親子で工作」
の活動に参加をしていただいた親子がキーマンになった。

この活動は、もう10年ぐらい継続をしてやってきたが、
このタイミングで「リピーター」さんができるとは、
僕にとって、本当に奇跡だ。

僕は、個人事業で商売をしている。
分かりやすく表現すれば、フリーランスのカメラマンだ。

今の商売を立ち上げられたのだって、
そして、この30年間をこれで生き延びたのだって、
今、思えば、やはり「奇跡」以外の何物でもないことが分かる。

「偶然」

こういうふうにも言えるけど、
「偶然」は、確率的に、そう何回もあるものではない。
人生において頻繁に「偶然」が起こるとしたら、
やはり、それは「奇跡」だ。

そう思うと、
人生のいろいろな局面でこの「奇跡」がいかに多かったことやら。

「夢中になって生きる」

ここにこの「奇跡」が近寄ってくるような感じがする。
初めから「奇跡」を期待することはできない。
思わぬ時に起こるものだ。

「思いっきり生きる」

そうしていると、本物の自由が手に入った。
そして、
自分にとって居心地のいい仕事で「人生の充実感」も手に入れた。

この本物の「自由」は、
「物に対する執着心」を捨てることで得られる。

著作「断捨離」 マガジンハウス刊 やました ひでこ著
これのことだ。

仏教では、「煩悩(欲望)があるので四苦八苦する」と、教えてくれる。

「気楽」「簡単」「便利」「快適」
このために「物」を手に入れたくなるのだが、
そうだからこそ、人生が極めて「不自由」になってしまうというわけだ。

しかも、「奇跡」は、起こりにくいようだ。

当然のことながら、
あらゆることで「自分の力」で「物」を手に入れることになり、
「四苦八苦」する。

仏様の力に任せて煩悩を捨てる・・・・・
このことを「他力本願」と言うと、お寺の幼稚園の園長先生に教わった。

ここ日本では、
「宗教を持たないことが正しい」という「教え」がある。

ぜひ、その教えを布教している人の人生をよく観察をしよう。

「自由」を得ているでしょうか?

「夢中になって生きている」でしょうか?

「思いっきり生きている」でしょうか?

これは、本人でないと分からないけど「人生に充実感」があるでしょうか?

宗教を学び、それに習って人生を作っていくことは、重要だと僕は思うね。

ならば、子供をどう育てればいいのか・・・・
学校の成績だけで育てればいいのかどうなのか・・・・・

「心の成長」が必要だよね。

宗教を学ぶ以外に、「心の成長」を得ることは、まず出来ないでしょう。
「道徳」を学校では、「教科」にすると言っているけど、
そんなレベルで「心の成長」が得られるのなら、
だれも苦労はしない。

「心の成長」
これは、「辛い」「苦しい」「大変」なことを、
子供のレベルに合わせて体験をし、それを「乗り越える」ときに、
起こるものだ。

親子キャンプの体験は、ここに重要な「家庭教育」が出来るんだよ。

これは、子供だけではなく親も「辛い」「苦しい」「大変」がある。

「親が成長した分、子が育つ」ものだ。

僕は、実行したさ、寒くて死ぬかと思った。
反抗期の子供と一緒に大自然の厳しさと戦ったよ。

「雪中キャンプ」

子供のためにと強く願ったのでできた。
「物を得る」のではなく「子供のため」にできた。
これも僕の奇跡だ。
本当だ。

注:キャンプ遊びは、自己責任の世界です。
   キャンプ技術が未熟なうちにヘビーなことをしないように。


15/2/22(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

大成功!

地味で面白くない活動・・・ハイキング

道満グリーンパークでの「親子で工作」に参加をしてくれた親子が、
友達を誘ってくれたおかげで、
3組の親子でハイキングが出来た。

奇跡以外の何物でもない。

ただ、この企画、幼稚園の年長さんを想定して、
「6.8`のコース」にしていたのだが、
3人の子供は、みんな年中さん。

僕は、仕事柄、一年中、幼稚園の年長さんを見る仕事をしている。

でも、この年中さんの様子は、あまり見てこなかった。
このぐらいの歳頃は、一年の違いが驚くほど大きい。

だから、引率には細心の注意が必要だった。

でも、元気のいい男の子たちだったので、
それほど心配するものではなかった。
手の焼ける子が一人でもいたら、大変なことになっていたかも知れない。

子供たちの様子は、見た通り、非常に分かりやすかった。

何が楽しいのか、初めは土手を走り回っていた。
大人と違って子供は、
全身から「生きている喜び」があふれ出ている感じだ。

年中さんなので歩く距離が短くなるように、
ほんの少しだけ、一人ずつ自転車に乗せて運んだ。
「荷物」になっている子供も、それ自体を面白がっていた。

子供は、何でも、どこでも、「遊び」にしてしまう天才だ。

つまり「生きる条件」が、元々は少ないわけ。
それが、次第に
「豪華・贅沢」や「気楽」「簡単」「便利」「快適」を体験しているうちに、

「寒いからハイキングなんて嫌だ」

と、こういうふうになってしまうのではないでしょうか?

でも、
昨日は、とっても穏やかな一日で暖かかった。
小春日和。

さぎ山野営場をベースに周回コースを歩いたのだが、
途中、子供が歩き疲れてしゃがみこんだ。
この「ちょっと辛い」を乗り越える体験こそが「ハイキング」の目的だ。

「飴玉」、これでいとも簡単に子供が乗り越えた。

非常に分かりやすい。 そして笑える。

さぎ山野営場を目の前にして、また子供がしゃがみ込む。
今度は、本当に疲れた様子だった。
ダダをこねている感じ。

僕は、遠目に見ていたので詳しくは分からないが、
親に励まされて、子供が復帰した。
ほんのちょっとだけ、抱っこをしてもらっていた子がいたが、
すぐ自分の足で歩きだした。

親が励ましたこと、

子供が自分の力で歩き出したこと

こうして「乗り越える」ことをした。
今度は、飴玉ではなかった。

このことで、
子供も親も、チョッピリ「心の成長」があったのではないでしょうか。

「大変」「辛い」「苦しい」
これらを乗り越えた時にのみ「成長」が起こるものだ。
これを今回のハイキングで味わってもらえたのではないでしょうか。

それにしても、年中さんは、かわいいね。

たき火を囲んでみんなでお昼のお弁当を食べて、
参加記念の「木のメダル」を子供たちは、親からもらって解散をした。

僕の理想のハイキングができた。

ただ、トコトコと歩くだけ。

そこには、レジャーランドのような「刺激的で楽しい」は、まったくない。

海外旅行のような「豪華・贅沢」もない。

テレビゲームのような「気楽で楽しい」もない。

面白くないハイキング。

でも、子供たちは、
最後のところで疲れ切ったのを「乗り越える」体験をした。

お金は、ほとんどかからない。

親が奮起をすれば、親子だけで、
いつでも、どこでも、すぐに取り組むことが出来る子育てだ。

参加をしてくれたパパに、ほんの少しだけだったけど、歩きながら、
僕の子育て論を聞いてもらえた。

これが根付けば・・・・・
頑張ります、この挑戦を諦めないで僕は、頑張ります。
パパも頑張ろう・・・・・本当の「子育て」を。


15/2/21(土)朝 キャンプじぃじの日記

これからの時代がどうなるのか、
このことを真剣に考えて、

「時代に合った子育て」

ができるかどうか・・・・・・

今日の読売の朝刊一面に「原発調査へ福島県産ヘリ」
という記事が出た。

日本もこれで大丈夫そうだと思った。

小型の電動無人ヘリだそうだ。
「電動」だよ、考え方によっては「家電」の分野に近い。

でも、2017年に年間4000台の生産を目指すそうだから、
「家電」としては、極めて少ロットだ。

どう?
だいぶ前に、ここに書き込んだけど、これからはこういう

「少ロット生産」



「高付加価値」

の商品開発ができることが重要だ。
そういう企業なり、個人事業が、
元気よく生き延びていく時代だろう。

実は、このことは、
今から30年前に僕が調べて分かっていたことだった。

「映像」の分野で「大量生産」のものは、
「テレビ放送」「映画」に当たる。

どうでしょうか?
この分野、今、閉塞感が漂っていないでしょうか?

「映像」の分野で「少ロット生産」なのが僕の仕事だ。
僕は、30年前にこれに気付いて、今の仕事を開拓した。
それで、この30年間を生き抜いた。

「時代を読む」

それに合わせた「子育て」を考える。

非常に重要ではないかね。

政府もベンチャー企業を後押しする方向にある。
大企業に勤めて「一生涯安泰」を求める子育てをしていたら、
これから今の子供の時代には、
そういう人材こそ必要なくなるのではないかな?

よ〜〜〜〜く考えよう。

ハイリスクをものともせずに挑戦できる
「心」が問われる時代になる。

「創意工夫」が出来る人材が求められる。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件になる」

「生きる条件」が多い人は、
非常に生きにくくなる時代だということが理解できないでしょうか?

「たとえどんな条件でも、その中で創意工夫が出来る」

こういう人材こそが、これからの日本を支えていくことでしょう。

ただ、トコトコと歩くだけ。
何にも楽しいことはないハイキング。

テレビゲームのような刺激やレジャーランドのような「気楽で楽しい」、
または、派手な海外旅行のように「豪華」でもない、
極めて質素な「ハイキング」。

あまりに地味で「面白くない」ハイキング。

こういう「条件」でも、「面白さ」を作っていけるかどうか・・・・
いきなりには出来ない。
何回も、何回も、反復練習しているうちに、分かってくる。

「気楽」「簡単」「便利」「快適」ではなくても、
そこに「面白さ」を見出せる能力。
こういう「条件」でも人生を面白く作ることができる「生き方」。

今日は、このことを目指す活動の第一歩を実行する。

SCC「6.8`ハイキング」


15/2/20(金)朝 キャンプじぃじの日記

今日も都内の現場近くのファミレスから書き込む。
眠い。

読売の朝刊に「中学生スマホに2時間」という記事があった。
あらゆる「便利」には、それの副作用がある。

僕は、ばぁばのお守りで一か月以上、
朝は、コッヘルで一合の飯を炊き、
昼食兼夕食では、毎日のように手打ちうどんを作った。

炊飯器でも一合を炊けるけど、面白くないでしょう。
手間のかかるコッヘルで炊くからこそ、
そこにテクニックが必要になり、それが面白い。

僕は、わざと、ほんの少しだけコッヘルの底に「オコゲ」を作った。
初心者は、そういう「オコゲ」をかき回してしまうが、
僕は、その「オコゲ」だけを残して、ご飯をお茶碗に盛る。

そして、「オコゲ」のところだけを、
上手にコッヘルから剥がすようにしてとる。

このときに、上手に「団子」状にして「オコゲ」をとって、
それに醤油をかけて食べるのさ。
出来立てホヤホヤの「焼きおにぎり」だ。

これが食べたくて、面白がって毎日コッヘルで飯を炊いた。
電気炊飯器では、これを味わえない。
あの「苦味」とゲンコツ煎餅みたいな「硬さ」がメッチャうまかった。

それで一か月以上、
何の苦労も感じることなく面白く朝食準備をした。
便利な電気炊飯器では、苦痛以外何物でもなかっただろう。

ここだよ、「便利」の副作用は。 そこには「工夫」がない。
「工夫」がないから「成長」が起こらない。
「便利」=「たいくつ」だ。

手打ちうどんは、僕とばぁばの二人分で中力粉100gで作った。
歳なので、なるべく炭水化物は、取らないようにしている。

量が少ないということは、それに加える食塩水の分量が微妙だ。
初めは、塩5gに水50gで作った。
これだと、ほんのちょっと緩いんだよ出来上がりが。

そこで塩5gで、水46g〜47gで作ってみた。
このわずか、1gの違いだが、出来上がりが変わってしまうという、
実験結果を得た。
いつか、これをさらに研究したいと思う。

グルテンの生成を早めるために、60℃の湯せんを5分するのだが、
副食を作っている間に、浸ける時間を忘れてしまった。

そこで、氷水で急速冷却をした。
これが、滅茶苦茶いい効果があって、それ以来、毎回このテクを使った。

面の太さにも、その硬さや弾力に関係することが分かった。

こうして、僕は科学実験をして遊んでいたので、毎回面白かった。

つい最近、ばぁばが少し復活して調理しだした。
それで、出てきた料理が・・・・・・うどん・・・だよ。
もう喰いたくねぇ〜〜〜〜。

こうして、僕は、
デメリットをメリットに変換させて人生を面白く作るのが大好きだ。

しかし、「便利」には、何の「成長」もない。

ちょっと前には、
「テレビの視聴が子供の成長に悪影響がある」という科学的なデータで、
「子供のテレビ浸け」に警鐘していたものだ。

今や、悪いのは分かっていても「タバコ」と同じで、
「子供のテレビ浸け」が市民権を得てしまった。
食事の最中にテレビを見るのは、「下品」だ。

僕は、父親にそう教わった。

親は、子供にテレビを見させていれば、
テレビが子守をするので「便利」だからでしょう。

「中学生スマホに2時間」

親が「便利」なんだよね、違うかね?

子育ても「金を払って他人任せ」にいくらでも出来る。
とっても「便利」だ。

親は、親としての「成長」の機会を失う。
違うかね?

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

自分で子育てをするのは、大変だよ。
僕のように、キャンプで子供を鍛えようとするのは、親が辛いし、苦しい。

でも、だからこそ、僕は「オヤジ」から「じぃじ」に成長できたのさ。
分かる?


15/2/19(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

今朝も、都内の幼稚園の発表会を撮るために、
現場近くのファミレスから書き込む。

お弟子さんと二回、飛び込み営業を展開した。
三回目も準備を始める。

二回の展開では、総件数で140ヶ園を廻った。
その内、脈があるところを二件、見出せた。

僕が20年前にやったこの飛び込み営業とは、
当然のことながら、今とは様子が違う。

一番違うところは、
断り文句に「自分たちで撮っていますから」というのが目立って多くなった。
昔には、このフレーズはなかった。

どうやら、
ビデオ屋が商売にならなくて、
撤退をしているところが多いということらしい。

僕も、売れないところは、ここ数年で何件も辞めた。
近々にも一件撤退をする。

僕の場合、子供が巣立っていなくなって、ばぁばと二人暮らしなので、
ガツガツと稼ぐ必要がなくなったから、気楽なものだ。
余生を楽しめ、との神様からのプレゼント。

ビデオが売れるところと、コピーしまくって売れないところ、
これがハッキリと現れた、こう僕は、分析をしている。
それで、
売れないところに、ある共通点を見出せた。

逆に売れるところにも共通点があることが分かった。

企業秘密なので詳しくは、言えないが、ヒントとして・・・・

「いくら教育的でも、子育てが下手では、何の意味もない教育」

そうでしょう、僕が売っているDVDをコピーしまくって、
中にはそれを海賊版で売って小遣い稼ぎをする人は、
犯罪意識がない。

万引きよりひどい犯罪だという意識がない。
「自分さえよければいい」という人だ。

こういう人が、どれほど最高級の「教育」を金で買っても、
「子供の成長に最も影響力があるのは、親の意識」ということを
まったく知らないでしょう。

その内に天罰が下るさ。 僕が非難するまでもない。
自業自得。

そういうところに、いつまでも付き合わないことが懸命だ。
それで、そういう人が多いのか、いないのか、
こういうことだ。

かなり、答えに肉薄したヒントでしょう。

間違えだらけの幼稚園選び・・・・
建物に気を引かれる人は、それなりに・・・
賢い人は、そこに集まる保護者をよく見よう。


15/2/18(水)朝 キャンプじぃじの日記

都内の幼稚園の発表会を撮るために、
かなり早く現場近くのファミレスで書き込む。
まだ6時前だ。

たっぷり時間があるので、
これから今度のハイキングの準備物のリストをチェックする。
大まかには、出来ているのだけど、それを詰める。

遊びの企画、準備は、それ自体がワクワクして面白い。

遊び全体のイメージを作って、
それぞれのシーンに何が必要なのかを考える。

僕は、脱サラをする前には「 Snowmen Ski Club 」を仲間と一緒にしていた。
シーズン中、活動日数が30日を下回ることがなかった。
ピークで40日、ゲレンデに立っていた。

その都度、スキー旅行の企画、運営、準備をしてきた。
僕を知る古い友人は、
「谷口は、スキーさえしなければ簡単に家が建っただろうに」と言う。

それは、人生の価値観の問題だ。
僕は、ともかく「夢中になって生きる」のが好きなんだ。
だから、夢中になってスキーをしただけのことだ。

遊びの企画、運営、準備、これの能力を僕は、この時に掴んだ。
その後、
カブスカウトの活動で、年に70日もやっちまったのだが、
初めから僕は、ビシビシとできた。

スキー遊びは、僕の「自分の消費」だった。
それで、その頃小さかった僕の子供に悪い影響が出た。
これだけ派手にスキーをしたから、

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

これを僕は、やってしまった。
当然の結果として、そのころ小さかった子供は、
たぶん、こう心に残したのだろう・・・・

「生きているのは当たり前で、
     働いて稼いだお金は、遊ぶためにある」

これを子供に植え付けてしまった。

派手な海外旅行でも、同じ効果があるだろう。
「刺激が楽しい」レジャーランドでも同じ効果を期待できるでしょう。

僕の四人の男の子の内、上、二人は、こういう心理でグレてしまった。
僕は、猛省したね。
それでカブスカウトのリーダーを自らやって、
僕の子の下二人を鍛えた。

「遊び」ということに関しては同じだが、
カブスカウトの活動は、僕の「自分の消費」ではない。

「自分以外の人」のため、というところに、
まったく違う目的意識がある。

この意識の違いは、実際に子供の成長具合にダイレクトに影響をした。

子供が小さい内に、若いお父さんがこの違いに気付いて、
「自分の消費」ではなく、
自分の子という「自分以外の人のため」にどれだけ、できるのか、

子育てを他人任せにせず、父親自らどう子育てができるのか、

「自立をした一人の大人の社会人」に向けて子育てができるかどうか、
こういう「親の意識」で、子供の育ち具合が決まるものだよ。

学校ではできない。
学校でいくら頑張って道徳を教科にしても、
子供の心は、そんなレベルでは、育たない。

子供の「生き方」は、確実に「親の心」に最も強い影響を受ける。

これは、「家庭教育」の問題だ。

僕の活動は、
若いお父さんに、これに気付いてもらいたくて実行をしている。

親が楽しいかどうかではない。

子供の成長に、何が、どう、役立つのかを考えられるように。
そして、親がちょっと辛くても、どれだけ実行できるのか・・・・

親が幼稚ではいけない。 親が大人でないとね。

子供は、父親に「生き方」を見出している。


15/2/17(火)朝 キャンプじぃじの日記

子供は、「遊びの創造」の天才だ。

本当に何もなくても、泥んこでも、
それを何かに見立てて「ごっこ遊び」を始める。

「おもちゃ」がないからこそ、「創意工夫」する。

ここだ。
完成をしたおもちゃを子供に与えればよく分かることだが、
そうした「出来合い」のおもちゃは、すぐ子供が飽きてしまう。

「おもちゃ」の素材を与える。
それで、どう遊ぶかは、子供次第。
こういう発想で生まれたのが「プレパーク」だ。

日本では、なかなか普及しない様子だ。
それは、
「創意工夫」より親が見て分かりやすい「点数」の付くものに
どうしても偏るからだろうと思える。

今度のハイキングも、初めから「親の人気」はないと思っていた。
それは、
親の「目」に見える「点数」にまったく関係ないからだろう。

「そんな暇があったら、勉強しなさい」
こういう心理があるのではないだろうか?

でも、この「創意工夫」を毎日、毎日、たくさん体験をした子供こそ、
将来、自分の人生そのものを「創意工夫」出来るのだろうと、
僕は、強く思う。

「遊びの進化」

「親の最大限の豪華、贅沢、は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

この「生きる条件」が多いと、
何かの課題を克服するのに、
「〜〜〜〜だから出来ない」だらけになってしまいそうだ。

「創意工夫」を身に付けた子供は、
「その条件下で、どれだけ出来るのかを工夫する」
ことが出来るようになれるだろう。

僕の仕事は、まさしくこの「創意工夫」の積み重ねだ。
僕が子供だった頃、しきりにプラモデルを作って遊んでいたことを思い出す。

プラモデルのキットを、組み立て説明図通りに作るのでは、
「与えられたおもちゃ」だ。

僕は、キットを改造して、より本物っぽく作るのが好きだった。
ドイツのジープ「キューベル・ワーゲン」の 1/35 スケールのモデルでは、
ドアの開閉が出来るように三方向の蝶番をプラスチックの板で作った。

おおむね、3mm角の大きさに、三方向の蝶番を作った。
板を削りだして作るのだが、10ヶ作って1ヶが使えるものが出来る確率だった。
これを4つ完成品を作った。

失敗の数は、30ヶ以上ということになる。

板を剃刀で削っていった。
ピンバイスという 0.3mmのドリルで穴を空ける。

こういうこだわりが、僕の今の「編集」に生きていると感じる。
「編集」は、プラモデルを作る感覚に非常に似ている。

まさかの僕の人生の展開だ。

子供は、何もないからこそ「創意工夫」の能力が身に付く。

ただ、トボトボと歩くだけ。
レジャーランドのような「刺激的な楽しさ」は、まったくない。

だからこそ、子供は、そこに「面白さ」を見出そうとし始める。
何回もハイキングをしていれば、だんだんとこれの能力が高くなるものだ。

「何もない」これが本当に子育てにいいんだよ。

ただ、親の方がこの「つまらない」に耐えられないだけだ。
それだけ、大人の方が「快適」「簡単」「便利」に溺れた生活をしているということだ。

スノーメン・キャンプ・クラブの大取の企画は、だから「ハイキング」なんだな。

若いお父さん、
このハイキングは、子供の手を握って散歩をする延長線にあるんだよ。

僕は、末っ子の時には、毎日、朝、1時間半ぐらいの散歩をしたものだ。
子供の手をギュッと握って、幸せだったなぁ。
毎朝、幸せだった。


15/2/16(月)朝 キャンプじぃじの日記

子供のハイキング

今度の土曜日には、「6.8`ハイキング」を予定している。
このハイキングの歴史について・・・・・

登山ではなく、ただ「歩く」ことを目的にしたこの「ハイキング」は、
イギリス人が始めたと言う。
ぜんぜん面白くないので、流行らなかったらしい。

この「つまらない」ハイキングを掘り起こしたのは、
ボーイスカウトの創始者ベーデン・パウエルだとリーダー研修で教わった。

レジャーランドのような「刺激」的に楽しいものは、一切ない。
もちろん、テレビゲームはご法度だ。

「気楽」「簡単」「快適」で、「楽しい」というものが一切ない。

ここが非常に子育てにいいわけだ。
その「つまらない」ハイキングを子供自身がどう気持ちを「楽しく」できるのか、
ここに重要な「教育目標」があるわけ。

でも、まず心配はない。
よほど重症の「快適病」ではない限り、
子供は、「遊びを創造する」天才だからだ。

むしろ付き添う大人の方がただ「辛い」だけになりやすい。

この刺激的に楽しいものがないところがいい、というのは、
実は、「禅」にかなり共通すると僕には感じる。

「禅」は、さらに歩きもしないでしょう。

何もしない。
そこに「心」が浄化されるんだな。

あまりにもたくさんの「刺激的な楽しい」が溢れかえっている今、
この「刺激的に楽しい」をなくしてしまう体験・・・・・
これこそが「子供のハイキング」だ。

自然観察でもなければ、体力作りでもなければ、何でもない。

ただ、ひたすら「歩く」。

BSの団で活発に活動をしているところでは、
「ナイトハイク」をやっているところがある。
30`〜40`を夜中中歩くハイキングだ。

ひたすらトコトコと歩くだけ。
夜中だから眠くなる。
僕の三番目の子だけがこれを体験した。
歩きながら居眠りをして側溝に落っこちたそうだ。

BSでのこのハイキングでは、子供自身で読図をして歩く。
ミスコースをしたら、とんでもないところへ行ってしまう。
大人リーダーが付き添っているけど、
ミスコースをしても黙ってスカウトに付いて行く。

「間違え」の体験もさせるわけだ。

今度の土曜日のハイキングは、そこまでヘビーにはやらない。
おおむね、幼稚園の年長さんの体力に合わせた距離だ。

でも今のところ、なぜか年中さんの参加申し込みがある。
そこで、僕のミニサイクルに子供を乗せて、
ハンディキャンプにすることにした。

もうずっ〜〜〜〜と、ボロアパートの中なので、
このハイキングが楽しみでしょうがない。

さて、「スノーメン・キャンプ・クラブ」では、
このハイキングで「年間プログラム」がほぼ完了する。
(3月は、道満グリーンパークで「親子で工作」)

どういうふうにプログラムを組んだかと言うと、

初めは、さぎ山野営場で「カレー作り」だ。
最も簡単な料理を行うことで、「さぎ山野営場」に慣れていただく。
ここは、水もトイレもない。
この「粗末」なキャンプ場に慣れることが目的だ。

そのあと、「流しそうめん」を幼稚園の園庭を借りて行う。
そこの幼稚園の保護者にこの活動のアピールをするのが目的だ。

そして、8月は、マザー牧場の企画「ごちそうサマーキャンプ」の
スタッフを僕がやるので、「SCC」の活動はお休みだ。

そして、さぎ山野営場で「芋煮」や「餅つき」といった「食べ物」で、
大人の興味を引くようにした。
案の定、これらが一番参加者が多い。

でも、「SCC」のメインは、
前回の「キャンプファイヤー」と今度の「ハイキング」だ。

「キャンプファイヤー」では、「夜話」の代わりに「紙芝居」をする。
家族で親子キャンプをする場合、

ぜひ、お父さんが「夜話」を実行してもらいたい。

こういう僕の願いを込めている。
今度の「ハイキング」は、「歩く禅」だと思って欲しい。
「刺激的に楽しい」から「何もなくても楽しい」というふうに、
子供を育てて欲しいという僕の切なる願いだ。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

「生きる条件」が多いので、晩婚化、少子化、といった問題が起こっていると、
僕には思える。

また、「生きる条件」が手に入らないので、子供がふてくされてしまう。
場合によっては、それで引きこもってしまう。

どうでしょうか?

「何もなくても人生をハッピーにできる」能力を子供に付けさせましょう。

「15 Yeti でスキー」

どうでしょうか?


15/2/15(日)朝 キャンプじぃじの日記

最近聞かなくなったが、「13日間地獄の特訓」というものがあった。
「ぬるま湯」に浸かっている状態の「心」をトレーニングし、
営業戦力として使い物になれるようにするものだ。

僕は、これではないが、似たようなセミナーを受けたことがある。

そこでは、名刺の交換のときにどう相手の目を見るのか、
握手の仕方、
そうした営業スキルを学び直すことが出来た。

また、多くの例え話も聞かさせられた。
「潜在能力」がどうあるのか、具体的に聞いた。

例えば、
自分の乳児がマンションの四階だったか五階だったか、
ベランダから落ちてくるのを、
地面にいた母親が腕で受け止めて無事だったという。
このときの衝撃は、確か、何トンもの重さに匹敵するという。

よく耳にするのは、「火事場のクソ力」だ。

この潜在能力は、
「気楽」「簡単」「快適」では、決して引き出すことは出来ない。

僕は、やらなかったが、駅前で大声を出す訓練もあったという。

これは、僕は、元々声がでかいから訓練しなくても出る。
カブスカウトの活動で、駅前募金をやったが、
初めから得意だった。

そのときに、
違う団体の募金活動もあって、
見ていられないので、
その団体に声の出し方の指導をその場でしたこともある。

「声のでかさ」は、生物体として必死に生き延びようとするものだ。
普段は、嫌われるけどね。

こういったようなセミナーを脱サラしたての頃、受けた。

それまで、広告物の営業を会社で10年やってきていたが、
自分の甘さを思い知らされたことを思い出す。

このセミナーは、即効で役に立った。
その後、僕は、飛び込み営業をバンバンできたのは、
これのおかげだ。

その時に、今の顧客を得ることが出来た。

偶然に、営業展開がうまくできたのではない。
「強い心」が求められた。

今、お弟子さんがこの飛び込み営業を実地で教えているけど、
お弟子さんは、
「一人だったら心が折れた」とここに書き込んでいる。

でも、彼は、メゲずに「個人事業のビデオ屋になる」という夢に向かって、
元気よくバイトに精を出している様子だ。
彼も少しずつ「強い心」を会得しだしている。

僕は、
自分の子供を「自立」させるのにも、同じ「強い心」を訓練した。
それで、障害を乗り越えて自立を果たした子がいる。
「潜在能力」のすごさだ。

「命がけで生きる」「必死に取り組む」
こうして生きるからこそ、「人生の充実感」が得られるようにできている。

古典的なカーネギーの「成功哲学」にも、
よく読めば似た原理があることを記してある。

こういうことで、
「平和ボケ」や「世間知らず」こそがこの国を内部から崩壊させる原因になることを
僕は、よく分かっているんだ。

戦争がアッパーパンチなら、
これは、強烈なボディブローだ。
どちらもノックアウトする。

これは、冗談ではない。
例えば、大企業病を起こしている SONY を見れば、
「一生涯安泰」の意識の幹部が、
昔の SONY の商品開発力を殺してしまったとみることができるでしょう。

例えば、「日産」だって、一時は「お役所」になっていたが、
ガイジン社長が大ナタを振るって改革をしたでしょう。
そこにぶら下がっていた下職が、そのあおりを喰らった。

例えば、朝日新聞だって、
あれだけ騒ぎを起こしていながら、責任を取ろうとしない元社長がいた。
やっと、辞めさせられたようだけど。
それだって、突き詰めれば「平和ボケ」でしょう。

「若い内は、買ってでも苦労させろ」

こういうことで若い内から「強い心」に鍛えることが、
いかに重要か理解できないだろうか。

子供に毎日、「気楽」「簡単」「便利」を与え続ける恐ろしさに、
ぜひ、若いお父さん、気付いて欲しいね。

だからこそ、「大変」「辛い」「苦しい」体験が、子育てに不可欠なんだよ。
こういう厳しさの体験を、
面白くやるのが、そう、「子育てを強く意識した親子キャンプ」なのさ。

これは、親も辛い。
親も苦しい。
親も大変だ。

でも僕は、子供の心の成長のために、他人任せにせず、自分でやったさ。

どうやら、このことで子供に僕の愛が伝わったようだ。
生きている喜びをタップリ味わえた。

若いお父さん、重い腰を上げて、さぁ繰り出せフィールドへ!
今日、子供の手をギュッと握って北風と親子で戦ってこよう!
親子で自然の厳しさに立ち向かってこよう!

こうして、子供も親も「心」を鍛えよう。

「14 印旛沼」

僕は、言うだけではない。
今度の土曜日には、「6.8`ハイキング」を実行するよ。
ばぁばのお守りで、もう一か月以上部屋に閉じこもっていて、
その距離を僕が歩けるかどうか・・・・
一番ヤバイのは、この僕だ。

でも、僕は、「実行」するよ。
空威張りしている場合じゃないと思うね、実行あるのみ。


15/2/14(土)朝 キャンプじぃじの日記

「世間知らず」は、見ればお分かりの通りの人のことを言う。

「平和ボケ」の人とは、
「生きているのが当たり前」の感覚で生きている人を指す。

戦争の中を生き抜く人たちは、いつ自分が死んでしまうか分からない。
だから、そういう人たちには、
「生きているのが当たり前」という感覚は少ないはずだ。

平和なここ日本でも、
例えば僕のようにフリーランスで生きていれば、
「生きているのが当たり前」とは、思わなくなれる。

フリーランスは、
生き延びるためにともかく「必死」でなければならない。
だからこそ、
人生に充実感が生まれるわけだ。

高卒の僕でも簡単に理解できることだ。

ところが、大学をただ出ただけでは、これが分からないらしい。
「僕は、大学出だ。そんな仕事はできない。」
こういう実体のないプライドだけが大きくなってしまう。

実力が伴わないプライドだけが膨らんでしまう。

世の中に自分の気に入った仕事がなければ、
お部屋の中に閉じこもってしまう・・・・・・
こんなシナリオを描くのに苦労はない。

既得権益にぶら下がろうという「楽」は、
時代とともになくなるでしょう。
そうでなければ、この日本という国が潰れる。

「国鉄」が「JR」に、
「郵便局」が、民営化、
次は、農業改革だそうだ。

方や、「脱時間給」というフレーズもでてきた.

これらの流れでハッキリしているのは、「能力主義」だ。
もういい加減に「年功序列」は、なくなるでしょう。
これは、
30年以上前に盛んにマスコミに取り上げられていたことだ。

でも、この30年間、ヌクヌクと「年功序列」をやり続けてしまった。
もう無理だよ。

「働く能力」「働く実力」が問われる時代にならなければ、
日本は、本当に潰れてしまう。

こういう時代の流れに合った子育てができない親は、
僕ぐらいの歳になった時に、大いに反省せざるを得ないでしょう。
でも、
それは、「自己責任」だ。 そういう感覚の「自分」が悪い。

ぜひ、そうではなくて、
これからの時代を堂々と生き抜く人に、子供を育てよう。
「強い心」に子供を育てよう。

「気楽」「簡単」「便利」「快適」を浴びるように子供を育てて、
はたして、「強い心」に育つかな?
ここのところを良く考えよう。

「不便」「大変」「辛い」をタップリ体験できるキャンプは、
だから本当にいい子育てになる。
僕は、自分で実際にやってみて、確信がある。

ただ、親が辛くて子供と一緒にキャンプが出来ないだけなんだろうね。

ともかくこれからは、

「能力主義」「自己責任」「自立」がキーワードになる。

滅茶苦茶大変だけど、本物の「自由」が手に入るさ。
そして、
必死に生きた分、人生に充実感が生まれる。
これは、確かだ。

こういうことを考え実行できる賢い親に成長しよう。
子供の育ち具合は、「親の成長」にある。

それで、「子育ての面白さをお父さんに伝える」ことをしているわけ。

もう一度言う、高卒の僕でもハッキリ分かることだ。
「働く能力・実力」。


15/2/13(金)朝 キャンプじぃじの日記

ばぁばのおかげで、ず〜〜〜〜っとボロアパートの中に閉じこもっている。

真昼間、建物の中に閉じこもるのは、僕にとって地獄だ。
それで、昨日は、隣町の春日部の取引先まで注文を取りに行くのに、
自転車を使った。

行きは、文教大学の前の土手を走り、
帰りは、古利根川の土手を行った。
たった37`だったが、久しぶりのサイクリングでとっても気持ちよかった。

昨日は、雲一つない青空で、風もなく、
とっても暖かかった。
タイツを履いていたら、汗ばんだ。

もう春だ。
じぃじにも春がやってっくる。
なんだかウキウキするでしょう。

春になると、鎌倉方面へサイクリングをしたくなる。
さっさと、ばぁばが調子よくなればいいのだが、
ポンコツでしょうがない。

そういう僕もかなりのポンコツだ。

幼稚園へ行くと、新品の「人間」がたくさんいるんだよね。
これからの時代を生き抜くための「子育て」が不可欠なんだがなぁ・・・・

バブル経済の悪習「普通にしていれば大丈夫」という「教え」は、
これから間違えなく通用しなくなる。
でも実際は、
「普通に大学さえ出れば大丈夫」という子育てが多いのではないかな?

それでレジャーランド化した大学で享楽癖だけが身に付いてしまったら・・・
よく考えよう。
大学は、「学問を学ぶ」ところだったんだよ。

僕は、高卒だ。
でも、
僕は、自分の人生を思いっきり生きたので、
たっぷりと人生に充実感がある。
もう十分に人生をゲームした。

「14渡良瀬川」

この日本は、「快適」過ぎる。
それで、「平和ボケ」「世間知らず」を生んだ。

どう生きようと本人の自由で、本人の「自己責任」だ。
僕ぐらいの歳で、
水っぽい人生を送るのは、「気楽」「簡単」だったかも知れないけど、
人生に充実感がないのは、とっても気の毒だね。

いつかは、確実に100%「死」を迎える。
この事実に目を背けていては、人生を充実させることはできない。
この有限の人生の時間をどうゲームできるのか・・・・・
こういう「気持ち」をこれからの子供たちに伝えるべきでしょう。

有意義な人生を子供たちが手に入れて欲しい。
人生の大冒険にチャレンジして欲しい。
僕は、自分の人生が充実したので、
これからを生き抜く人たちにこう心底願っている。

ばぁばの肺炎騒ぎは、
これから人生の末期を迎えるリハーサルなのかも知れない。

そう思ったら、
動けるうちにたくさんサイクリングをしてぇ〜〜〜。
こういう結論が出る。


15/2/12(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

これからを生き抜く子供たちには、

「就社」ではなく、本当の「就職」をして「自立」した大人に育てよう。

僕が、今までカメラマンで生き延びられたのは、
「誰も真似がしにくい」ところに活路を見出せたからだ。

僕が作っている「卒業ビデオアルバム」は、
動画による取材で、年間を取材し、
それを「まとめる」ものだ。

写真のスライドショーを「卒業ビデオアルバム」と呼ぶ業者が多い中、
「動画での取材」をする。

これをギャラを払っていたら、まったくの赤字になる商売だ。
でも、
この仕事で、20年以上続けて生計を立ててきた。

こういうことで、
僕の仕事は、「会社組織」では、作れない。
ここに「誰にも真似がしにくい」という差別化ができた。

発表会の撮影では、「一人3カメ」という技法を編み出した。
今、お弟子さんがこれの特訓を受けている。

これも「誰にも真似がしにくい」ものだ。

例え、サラリーマンになるにしても、
常に「誰にも真似がしにくい」という「自分の武器」を身に付けた人が、
これからの時代を堂々と生きていけるでしょう。

どこでもいいから、会社勤めで「一生涯安泰」の意識を
親に植え付けられてしまった子供は、非常に生きにくくなる時代だ。
そういう意識は、親の責任だ。

自分の個性を自ら引き伸ばすことができる人。

自分で自分を成長させることが出来る人。

そのためには、

「大変」「苦しい」「辛い」ことを元気よく、
乗り越え、乗り越え、さらに乗り越える「生きる力」が不可欠だ。

この「生きる力」は、学校ではまず教えてもらえない。
スローガンを掲げても、ほとんど実効性がない。

これを子供が身に付けられるのは、「家庭教育」以外にないからだ。
とくに、
この時に「父親の存在」が最も影響力がある。

今、お弟子さんにいろいろ教えてはいるが、
彼の「生きる力」は、僕のところに来る以前に備わっていた。
だからこそ、
僕は、彼を受け入れたんだ。

どんな職種でも、
これからは、本物の「就職」、
「職」にしっかりと「就く」ことが求められる時代になる。
その仕事の「スペシャリスト」を目指せる「心」が必要になる。

「心を育てる」、これは親の責任だ。
学校では、できない。
「道徳」ぐらいのレベルでは、本当には子供の心は育たないだろう。

子供の「生きる力」は、100%親の責任だ。

これを理解出来たら、子育てを他人任せにできなくなるでしょう。
少なくとも、僕はこれに気付いて、自分で子育てをした。
子育てを強く意識した親子キャンプで、子供の心を鍛えた。

僕は、子供をビデオで撮って売る商売をしている。

だが、「撮影」に興味があるのではない。

子供、そのものに興味があって撮っている。

被写体に興味があるので「撮る」という行為をするわけだ。

それで、機材オタクが嫌いなわけ。
「物」で立派な人が上手であったためしがない。

人生も同じだ。
「物」中心に生きている人で、本当の幸せは、手に入れにくいだろう。


15/2/11(水)朝 キャンプじぃじの日記

そういうつもりで、料理教室に通っていたわけではないが、
ここのところ、僕が作れるわずかながらのレシピが役立っている。

もちろん、調理器具はすべてキャンプ用だ。
「ダシ巻き卵」だって、そのために専用の器具は買わない。
キャンプ用コッヘルセットのフライパンを使う。

形は悪いが、味はどんな器具を使っても同じだ。
僕は、
「物」で立派、とか、「物」で便利、という「物」中心で生きるのが嫌いだから、
調理は、キャンプ用品で十分以上だ。
台所だって、僕には必要がない。
小さなちゃぶ台で調理をしている。

しかも、面白い。

毎朝の一合の炊飯も、お昼兼夕食の手打ちうどんも、かなり手馴れてきた。

病人のばぁさまが、うどんがいいと言うので、本当に毎日・・・・
昨日は、さすがに僕が嫌になって、
ラーメン屋さんへ行ったよ。
ただのラーメン、これが滅茶苦茶うまい!! 喰いたかったぁ〜〜〜。

アジの開きを焼くのは、
キャンプ用のボンベガスのコンロを玄関前に持って行って、
キャンプ用の「焼き物」用の遠赤外線がでる網の上で焼く。
さらに、別の遠赤の網をバナーであぶって、アジの開きを上からも焼く。

これ、さんまを焼くので覚えたテクだ。
煙が少なく焼ける。
しかも綺麗に焼ける。

面白い。

手打ちうどんは、汁物で作る。
「すき焼き風」「けんちん汁風」「寄せ鍋みそ味風」

面白い。

たぶん、自分一人のキャンプでは、めんどくさいからやらないだろう。
病人のばぁばに食べさせなければならないので出来る。

食べてもらえるので作る気が起こるわけだ。

子育ても、
子供がいたから、「親子キャンプ」をやった。

「雪中キャンプ」は、僕の好みではない。
子供を鍛えようという一心でやった。

「雪中キャンプ」

でも、それで育ったのは、他でもない、この僕自身だった。
調理の「ウデ」もばぁばのおかげで、めきめきと上達している感じがする。

「自分と物」との関係で生きるのではなく、
「自分と人」との関係で幸せを築けるのは、とっても愉快だ。

お父さんと自分の子供との関係。

子育てをとおして、ぜひ豊かな人生を作って欲しいね。

「物」ではなくて「子供」に人生の軸足をもっていこう。
本物の幸せが見えてくるさ。
本当だ。

面白かったなぁ・・・・親子キャンプ。


15/2/10(火)朝 お弟子さんの日記

 先週の日記にも書きましたがバリバリバイトで働いております。

久しぶりに接客をやっていて感じたことがあります。
最後に接客をしたのは22歳の頃です。

それから5年経っての接客、随分と自分の物腰が変わったと実感しております。
当時は上司から雰囲気が硬すぎるとか指摘を受けるときの態度が悪いとか散々ダメ出しを受けていました。

いい歳になったこともあってかこれらのようなことはなくお客さんに合わせた雰囲気で話も出来るようになったと思いますし、
年下が多い職場ですが、
新人らしく素直にアドバイスを受け入れられるようになっていることが何より社会人として成長したのかなと思える部分です。

僕の本業はビデオカメラマンです。
ですが、一歩店に入ればそんなことは関係なく一人のサービスマン。

お客さんからしてみたらお店のことに詳しい店員さんです。
それはそれ、これはこれです。

バイト中は本業のことは忘れて接客に徹します。
谷口さんが言っていました。
「頑張ったことは血となり骨となって付いてくる」と。

きっと今後の営業の場面で活かせる時がくると思います。
生活費を稼ぐというのがそもそもの目的ですが、
それだけじゃ面白くありません。

やるからには全てを自分の武器にしていく気持ちで頑張ります。


15/2/9(月)朝 キャンプじぃじの日記

肺炎で、ばぁばがずっと寝込んでいる。
それで、毎日朝は、一合の炊飯をキャンプのコッヘルでやっている。
毎日、手打ちうどんも作っている。

ハッキリ言って、ソロキャンプの方が楽だよ。

去年の夏、マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」という
初心者親子キャンパー向けのキャンプの企画で、
受け入れスタッフをやっていたときのことだ。

僕は、24畳のフライシートを市販のシートで設営するために、
前泊をしていた。

一昨年までは、一般客を入れていなかったけど、
去年は、けっこうな数の親子キャンパーが企画とは別に、
僕が前泊していた時に来ていた。

僕は、前泊の夜、いつものように食材の買い出しに行って、
いつものように「君津の湯」で汗を流した後、
サイトに戻って、いつものように「手酌酒」でビールを呑んでいた。

しかも、いつものように演歌を聞きながら・・・・
まったく演歌の歌詞通りだ。

これは、普段の僕の生活でも同じ。
いつものように毎日、僕は「手酌酒」なわけ。

ただ、背景が大自然か、ばぁさまか、の違いがあるだけだ。

何の不自由もない。

それで、マザー牧場でも、何不自由なく景色を眺めながら
演歌を聞きながら、ビールを呑みながら、
キャンプ用の椅子で、そのまま寝込んでしまった。

とっても幸せな気分だった。

次の朝、僕のサイトの近くでキャンプをしていた親子の犬が、
なつっこく僕にジャレてきた。
懐かれれば、とってもかわいいものだ。
人間の子供もそう。

あやしているうちに、飼い主のママが近づいてきてこう言う。
「一人でキャンプをして寂しくないんですか?」

まったく、僕は、思ったこともない意表を突かれた感じだ。
ばぁばと二人でボロアパートにいるよりは、
滅茶苦茶楽しいでしょう、キャンプ場の方が。

それで、どこが、「寂しい」というのでしょうか?

僕は、答えようがないので、
「ごちそうサマーキャンプ」という企画の準備で前泊をしているだけのことです。
と、そのママに伝えた。

本当だよ、よっぽどもマザー牧場のキャンプ場でソロキャンプをしていた方が、
どれだけ楽しいことやら・・・・・
あぁ、現実は、キビシイィィ。

僕にとって、ここのボロアパートは、キャンプ訓練そのものだ。
昨日、右手の親指をキャンプナイフで切ってしまった。

調理で、ではない。
僕が調理で使っているナイフは、「OPINEL」だ。
フランス製の鋼鉄でできている。

鉄だから手入れが悪いとすぐ錆びてしまう。
梅干しの肉をこのナイフでほぐしていると、数分で錆びてしまうほどだ。

それで、昨日の夜、調理が終わってすぐナイフの手入れをしていた。
ナイフをよく洗って、乾かし、
そしてティッシュにオリーブオイルを染み込ませて、
ナイフの刃にオイルを塗る。

このときだ、熱心なあまりに歯の部分を丁寧に何回もこすっているうちに、
手を切ってしまった。
ちなみに、数日前には、右手の人差し指を切った。
このときには、小さい切り傷で、しばらく怪我をしていたことに気付かなかった。

ナイフの歯をよく研いであるので、最高の切れ具合だ。
ちなみに、よく切れる歯だと、切れたときに痛くないものだ。
昨日の傷は、たいしたことがない割に、よく血が出た。
スッパっとよく切れた証拠だろう。

僕の感覚では、このボロアパートが牢屋で、
キャンプ場が「シャバ」なんだよねぇ。

ばぁばのお蔭で、サイクリングもお預けを喰らっている。
なんてひどい話しなんだ!

さぁてと、これからコッヘルで飯を炊かないと・・・・お終い。


15/2/8(日)朝 キャンプじぃじの日記

色々な方法で「ヒト」を分類できる。

「男」と「女」 「大人」と「子供」 「有色人種」と「白人」
「考える人」と「考えない人」・・・・・・

こういう中に「自分のことしか思えない人」と
「自分以外の人のことを思うことが出来る人」に分けることもできる。

心の成長で、前者を「幼稚」、後者を「大人」と区別できる。

「異年来交流」を小さい内からたくさん体験をすると、
自然に「自分以外の人を思うことが出来る人」に成長しやすい。
ただし、遺伝的な特徴でそれが無理な人もいる。(アスペルガーなど)

兄弟が多いと、自然に後者の人に育ちやすい。
もともと大家族では、毎日「異年齢交流」が盛んだからだ。

しかし、兄弟がいない一人っ子や、兄弟がいても少なかったり、
兄弟同士の歳が離れて疎遠だったりすると、
家庭内では「異年齢交流」が難しくなる。

すると、確率的にたぶん、
「自分のことしか思えない人」になりやすくなるのではないだろうか。

子供を「異年齢交流」で子供の心を育てようと考え実践しだした組織が、
ボーイスカウト運動だ。
今から100年以上前から心理学者の意見を聞いて、
ベーデン・パウエルという人が始めた。

「自分以外の人」を考えたり、思ったりできる能力。
聖書では、このことを「隣人愛」と呼んでいる。

学校の成績だけに注目して、「自分と他人」の優劣を強く意識した子育てでは、
「自分以外の人」は、ただの競争相手にしか思えなくなりそうだ。
こういう環境は、「親」の影響が最も大きいでしょう。

父親が自分の子を「自分のことのように」考え実行できる。
これが父親の本当の愛だ。

父親が楽しいのでレジャーランドへ子供を連れて行く。
一見、子供のためにしているようだが、実は、父親の「自分のこと」だ。

僕は、戸田市にある「道満グリーンパーク」で、
「親子で工作」というボランティア活動を、もう10年ぐらいしている。

そこには、天気がいいとたくさんの親子連れがやって来る。

でも、それぞれのサイトをよく観察すると・・・・・・

父親が楽しくてタープを張って、キャンプ用品を並べて・・・
その間、子供は退屈しのぎに、
買ってもらったラジコンカーで遊んでいる。

こんな光景がたくさんある。
父親が子育てのために、子供に何かを教えたり、一緒に遊んであげる、
こういうことは滅多にない。

子供を公園に連れて行っても、こういうことで、
「子育て」にはなっていないことが圧倒的に多い。

ぜひこういう視点で公園に来る親子を観察して見て欲しい。

これは、公園に限らず、レジャーランドでも、派手な海外旅行でも、
「子育て」には、なっていないことが多いと推測できる。

つまる話し、
父親がどれだけ自分の子のことを、
「自分の子」という「自分以外の人のことを考える」ことができるかどうかだ。

「親子キャンプ」

これを何回も、子供の成長に合わせて実行をすると、
実は、父親の心に、

「自分以外の人のことを真剣に考える」ことが少しずつ出来るようになれるわけだ。

つまり、父親が「子育て」を自ら行うことで、
「父親が本物のオヤジ」に成長するわけ。

僕は、このことに気付いて、子育てに「感動」を覚えた。
子育てで、僕は、自分も「成長」できた。
ここに感動した。

「子供との思い出−筑波山」

「子育ては、ある一線を越すと快感になる」

これを体験で僕は、よく分かるようになった。
これこそ、揺るがない本物の幸せだ。

このことを父親に気付いてもらいたい・・・・それで、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動を始めたわけだ。
これは、僕の「自分のこと」ではないでしょう。

ほんの少しだけだが、この活動に「異年齢交流」が芽生え始めた。

「15 灯篭作り&キャンプファイヤー」
僕は、この映像に感動したよ。 子育てって面白いでしょう。

「自分の消費で頭がいっぱい」の大人には、なりたくないよね。
子供の存在が教えてくれるさ。


15/2/7(土)朝 キャンプじぃじの日記

この間の雪の日に取材があったが、延期になった。

ばぁばと二人でボロアパートに缶詰・・・・・・
なんだか檻に入れられているみたいだ。

でも、「その条件で何とかする」主義の僕は、
ふと、「YouTube」にアップした動画をDVDで見てみようと思いついた。
オリジナルの暇つぶしだ。

「 YouTube アップ中の動画」

46タイトルと、非公開の2タイトルを見た。
ナント、6時間半かかった。

もう二度としたくない。


15/2/6(金)朝 キャンプじぃじの日記

毎日のように、キャンプのコッヘルで米一合の炊飯をして、
手打ちうどんを作っている。

それだけではなく、
副食やみそ汁を時間軸で要領よくどうできるのか、
考えて作れるようになった。

もちろん、キャンプ用のボンベガスのバーナーを一つでこれらをこなす。
折り畳みのまな板にキャンプナイフで調理をしている。

台所にあるばぁばの調理器具は、一切使わない。
これらは、「便利」「簡単」だがつまらないんだ。

ここだ。
「便利」「簡単」は、つまらない。

キャンプ用品は、ちょっと慣れないと使いにくいが、
そこがとっても面白いんだ。

なんでもそう。

バイクや車は、「便利」だが、つまらない。
自転車は、大変だからこそ、それが面白い。
それで、僕はサイクリングに夢中なわけ。

テント生活も、大変だからこそ、それが面白い遊びだ。

僕の体験では、
個人事業の今の仕事を立ち上げるより、
はるかに子育ての方が大変だった。

だからこそ、子育てが面白かったんだよ。

「子育ては、ある一線を越すと快感になる」

本当にそうだ。

これを父親が味わうためには、
ともかく子供が小さいうちに、たくさん父親自身で直接遊ぶことで手に入る。
親子の交流が不可欠なんだよ。

でも、
父親が、子供のころに、その父親、
つまりおじいちゃんに遊んでもらった体験が少ないと、
どうしても、父親は子供と遊びたがらなくなるようだ。

それで、今の日本社会では、思いっきり子供と遊べる父親が少ない様子だ。
しょうがない。

そこで、完全に父親だけを対象に、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動は、
しばらく無理と考えるようになった。

これを理想としながらも、
母親だけでもしょうがないと軌道修正することにした。
子供にしてみれば、それらの活動が面白い体験となって心に刻めれば、
いいでしょう。

来年度の活動の年間プログラムを決めたが、
基本、父親のための活動だが、母親でも「可」でいこうと思う。

本当は、子育てがとっても大変だからこそ、面白いんだがなぁ・・・・・


15/2/5(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

お弟子さんは、大きく次のステップに入った。

今までは、技術的なこと、商売についての全般など、
「準備体操」をしてきた。

初めの営業展開は、
あくまで「飛び込み営業」の体験をさせることの方が目的だったが、
前回、二回目の営業展開は、本気で仕事を取ることを目指している。

つまり、最初のものは「講習内容」だが、
二回目以降は、いよいよ商売を立ち上げることに全力で取り組む。

これは、お弟子さんに「やる気」が十分にあること、
親から自立をしていること、
社会人として問題がない(少ない?)こと、

これらの条件が整っているので、
僕はこれから「営業支援」を本腰で始めることにした。

僕は、個人事業で登録はしていないが、
「Channel」というブランドにして使っている。

これの意味は「道筋」だ。

僕は、「卒業ビデオアルバム」の仕事を立ち上げる時点で、
この仕事の「道筋」も視野に入れていた。
いよいよ、僕の本丸攻略だ。
生きているうちに、何としても見える形に残したい。

こういう目標は、生きる上で僕に活力がでる。
すでに、目標を掲げた時点で人生の一つの勝利だ。

自分の消費のことしか考えられない年寄にはなりたくない。

四人の男の子を育てたこと、
お弟子さんがいること、
なんて人生が豊かなんでしょうか。

「物」ではなく「人」との関係で人生を豊かにする。
僕は、口先で言うだけではない。
実行をする。


15/2/4(水)朝 キャンプじぃじの日記

ばぁばは、肺炎のため、もう2週間以上寝込んでいる。

毎朝、キャンプのコッヘルで1合の炊飯をし、
昼兼夕食は、毎日、手打ちうどんだ。

ばぁばに、いい加減にうどんは、飽きない? 
と尋ねても「うどん」がいいと言う。
おかげで、キャンプモードの炊飯と手打ちうどんの「ウデ」が上がったよ。

さて、ばぁばが寝込んでいるのを三番目の子が知って、
夜勤あけでそのまま御殿場市から越谷市にすっ飛んで来た。

一昨日、三番目の子が来て、一晩泊まっていった。

来たからと言って何か用を足せるものではないけど、
僕が仕事に出かけている間に、
その子が出来る限りのことをしていった。

空き缶の処分や、細かいところで出来る限りのことをして行った。

僕の四人の男の子の内、下二人は、ボーイスカウトに入れた。
それで、なぜか、入団したところでは、キャンプをあまりやらない。
しかたなしに、僕は、自分の子を相手に「親子キャンプ」を
BSに習って行ったわけだ。

それで、
それが面白くなってエキサイティングに四六時中、親子キャンプをした。

これは、レジャーキャンプとは、中身が全く違う。
「自立に向けた子育て」の方法として親子キャンプをやった。

それの延長線に今のボランティア活動があるわけだ。

ところで、その下二人は、ボーイスカウト特有の訓練も受けた。
その効果だと思える。
ばぁばが具合悪いと知って、ただちに三番目の子が心配をしてやって来た。

僕も、今の商売を立ち上げていく上で「行動力」には、
自信があるが、それでもその子の行動力には驚いた。

四人の僕の子の内、長男が音信不通のままだ。
カッコ悪くて顔を見せたくないのだろう。

次男坊も三番目も、末っ子も、僕も、ばぁばも、
みんな長男を尋ねに行ったが、「居留守」だ。

そういう中、
三番目の子だけが長男のところで2時間張って、長男に会うことに成功をしている。
すごい。

学校の成績だけで子育てをしていては、こういう風にはならないだろう。
「心の成長」
これをないがしろにして、決していいことはない。

僕は、長男と次男坊では、この「心の成長」に取り組むことが出来なかったので、
グレてしまった。
だからここで訴え続けているんだ。

それにしても、三番目の子の行動力に、
心が熱くなったよ。 親バカだ。

子育ては、本当に感動させられるんだよ。
三番目の子は、学習障害だが、元気よく自分の力で生きている。
十分だ。


15/2/3(火)朝 お弟子さんの日記

 谷口さんの下での講習が週一になり、
生活費を稼ぐ為あれやこれやとバイト面接を受けました。

土日のシフトが入れたり入れなかったりすることの印象が悪いのか立て続けに断られてしまいました。
もしかしたら僕自身の印象のせいなのか・・・それはわかりません。

そして5回ほど断られた後、地元の居酒屋へ面接に行きました。
話を聞くと地元で一番盛り上がっているお店だそうです。

店長の歳は恐らく僕のちょっと上くらいだと思います。
気さくな方で気が合いそうです。

色々とお話をさせてもらったのですが、
その中でも一番印象に残った話があります。
接客についての心構えです。

店長さんは、
楽しく仕事をすることも大事だけどお客さんが喜んでくれなきゃ意味がない。
お客さんの「美味しい」・「また来るね」の一言を聞きたい。
それが一番うれしいこと。
それを聞くために頑張るのが楽しいこと。
とおっしゃっていました。

物凄く共感しました。
僕もブライダルの撮影現場でたまにこんなカメラマンを見かけます。
機材や自分の技術を自慢する人です。

完全に自己満足の話でそこにお客さんの気持ちは何も入っていません。
僕はカメラマンの個人的な感情は不必要だと思います。

新郎新婦(お客さん)の気持ち・要望があってそれに応えたいという気持ちがマッチして良い画が撮れたり、
もしくは感情として出てくるのだと思います。

これが、店長さんの言う接客のお話と通ずるものがあると感じました。
カメラマンだって接客業です。

そして、シフト面で引っかかる部分は多少あったかと思いますがその場で採用して頂きました。
2/3から働かせて頂きます。

欲しいもの(自転車)もできたことですし、
楽しんでもらえる接客をして自分の懐を元気にします。


15/2/2(月)朝 キャンプじぃじの日記

戦争は、人類史上絶えることはない。疑いようのない事実だ。

これは、物質的な「富」と関係をしているでしょう。

盗人は、金持ちを襲う。

それだけではない。

平和ボケ。

これも人の「心」を亡ぼすものだと、僕は思う。

「世間知らず」

本当に怖いものだ。 戦争と肩を並べるほど恐ろしいものだ。

仏教には、「中道の教え」がある。

「過ぎたるは、猶及ばざるが如し」

黒沢の「乱」は、人の「貪欲」を描いている。名作だ。

大金持ちになるわけでもなく、貧困になるわけでもない、中間。

欲を張らずに、・・・・ここだ、欲を張らずに、
貧乏生活でも十分。
少なくとも、僕の貧乏は、「我慢」をしているわけではなく「十分」だ。

みんながこうして暮らせば、戦争がなくなるだろうし、
生き延びるのに必死な貧乏人だから「平和ボケ」にもならない。

聖書には、「貪欲を捨て去りなさい。貪欲は、偶像崇拝にほかならない」
と、「貪欲」を禁じている。

「富」が、紛争の火種だよ。

普通の人の「豪華・贅沢」のことさ。

これこそが子供の心に「生きる最低限の条件」を植え付けている。

「生きる最低限の条件」を稼ぐことができなかったら・・・・
どうするのでしょうか?


15/2/1(日)朝 キャンプじぃじの日記

子供が産まれてすぐから、たくさん父親が子供と交流できないと、
父親は、自分の子に愛着を持ちにくくなってしまう。

これは、末っ子が産まれたときの産婦人科のドクターの主張だ。

それで、そこでは、子供が産まれてすぐ、
父親である僕が呼び出されて、
「へその緒」をはさみで切るということをさせられた。

それの効果が絶大だったのか、
幼稚園のお泊まり保育の仕事で4泊の出張中、
末っ子に会いたくて、会いたくて、
枕元に末っ子の写真を飾って寝たものだ。

僕は、40才を過ぎてホームシックを体験した。

その後も、自分で異常と思えるほど末っ子がかわいくてしょうがなかった。

末っ子が産まれてすぐから、僕は「チュー」をし続けた。
末っ子が生後10ヶ月を過ぎたぐらいで、末っ子が風邪をひいた。

母乳の免疫がだいたいそのころ切れるのだそうだ。
ナント、人体実験をしてしまった。

末っ子と「チュー」をしなくなったのは、
この子が小学校四年生のときだった。
子供が「気持ち悪い、やめろ」と訴えた。

確かにそうだよね。
僕だってオヤジと・・・・・・気持ち悪〜〜い。
このことで、僕は、
子供の心の大きな変化が、10才ごろにあるということを
人体実験で追試して理解できた。

小学校高学年から「自立」に向けた訓練を少しずつ始める。

これは、僕が実行をしたことだ。

具体的には、親子キャンプでやった。

初めから高度なことをさせるのではない。
少しずつキャンプ技術を身に付けさせていく。

「初級編」

そして、中学生ぐらいで「下見」「計画書」を作れるようにさせた。

さらに、高校生では、
子供に思いっきり部活をさせるために親子キャンプの回数を減らした。
その分、親子キャンプの内容を濃くする。

具体的には、市販のキャンプ用品を使わずに、
竹で工作した、椅子・テーブル・カマド・タンクの台、
ゴミ入れ・シャワーのタンク台・物干し・・・・などを使ってキャンプをした。

これらは、ボーイスカウトの活動のパクリだ。

「遊びの進化」

それで、四泊のキャンプをした。

「親子キャンプ」

そして最後には、子供に「ソロキャンプ」を何回か体験させて、
「自立のリハーサル」をして、
末っ子は、自立をしていった。

「子供との思い出、筑波山」

「子供が勝手に自立できるものではない。
   子供が自立できるように親が育てるものだ。」

子供の自立は、親の責任だ。

学校では、このことを教えてくれることは、まずない。
しかし、これが子育ての基本でしょう・・・・子供の自立。

そのためには、父親がどれほど子供に愛着心があるのか、
残念ながら、
多くの父親は、「子育てがおっくう」で「他人任せ」を願っている様子だ。

ある人がこう言った。
「子育ては、ある一線を越すと快感になる。」

これは、男の心理だ。
その一線を越してもらいたくて僕の活動を始めた。

「子育ての面白さをお父さんに伝える」


15/1/31(土)朝 キャンプじぃじの日記

男は、女と違って子供が産まれるときに、
痛い思いをするわけでもなく、辛い思いをすることもない。

だから、父親が子供に「愛着」を覚えるのは、
子供が産まれた後の「父親と子供の交流」によらなければ持てなくなる。

しかし、
ここ日本では、「父親は働いて、母親が子育てをすればいい」という、
習慣が、バブル経済で強烈に根付いてしまったと思える。

バブル経済を支えたものは・・・・・

テレビに映る「アメリカ人のような豪華な生活ぶりをしたい」
それで、子育てなんかより「長時間労働」で、ともかく稼ぐ。
こういう国民意識。

こうだったとも言えるのではないだろうか。
それで「皆中流意識」が誕生した。

「物」だけが豊かになって「快適」になった。

しかし、その結果を見た方がいい。

「働こうとしない人」がやたらに増えた。

働いていても、
「一生涯安泰」で、「命がけで働く」ことをしない人が増えた。

どうしてだろうか?
たぶん、「物の豊かさ」に子供が溺れるようにして育てられたので、
「気楽」「簡単」「便利」「快適」「安全」が当たり前だからではないだろうか。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

それで、新規の事業なり、斬新な商品開発が苦手になった。
「既得権益」にすがり付くことしかできなくなってしまった。

なぜなら、新規事業なり、斬新な商品開発には、
「気楽」「簡単」「便利」「快適」「安全」なことではないからだ。

時代は、「大量生産」「大量消費」ではなくなってきている。
人工が減り続けている以上、「大量消費」ではなくなる。

「少量生産」「高付加価値」の時代になりつつある。

この時代の流れに鈍感で、子育てを「今まで通り」で、
本当に大丈夫?

もっとこれからの日本社会を生き延びられるように子供を育てるのが、
本当の親の愛なのではないかな?

子育てを他人任せにして、本当にいいのかな?

ぜひ、若いお父さん、ここに気付いてもらいたい。
時代は、常に変わるんだよ。
それに合わせた子育ては、その子の親の責任だ。国ではない。
「自分の身は、自分で守る」ものだ。

バブル経済は、「物」以外にも「快楽的刺激」ももたらした。
「簡単」「楽しい」というレジャーランドの登場だ。

それの延長戦に、
学問に興味がなく学ぶ気もない子が、大学で遊ぶようになった。
大学の「レジャーランド」化だ。
実際に、そういう流行語が出来た。
今から40年前にだ。

レジャーランドが、子供の情操教育に役立つという根拠をぜひ知りたい。

子供が「簡単」「楽しい」ことしかしなくなるのではないかね?
これが進化をして、
子供の「テレビゲーム」依存が起こったのではないかな?

ハイキングは、「簡単」「楽しい」ことではない。
刺激的な何かがあるわけではない。
ただ、淡々と歩くだけの話し。

歩いているうちに、ちょっと「辛く」なる。

ゆえに「つまらない」となる。

これは、子供より大人の方が「快適」に溺れた分、辛いだろう。

部屋の中でぬくぬくとテレビゲームをしていた方が、
「簡単」「楽しい」ということになるのではないかな。

大人もその方が「簡単」「気楽」だ。

♪こうえんに いきましょう ・・・・
   こんなおてんきなのにねぇ おうちのなかばかりじゃ〜♪

さぁ、子供の手をギュッと握って繰り出せフィールドへ!
厳しい寒さを吹き飛ばして、大自然の空気を胸いっぱいに吸おう!
生きる元気を取り戻そう!

こういうことで、次回の活動は、2月21日(土)に
「6.8`ハイキング」をします。
概ね、幼稚園の年長さんを意識した距離です。

登山ほどヘビーではありません。
子供と交流できるチャンス。
家庭でも出来るよね。


15/1/30(金)朝 キャンプじぃじの日記

子育ての奥義・・・・・要領を得れば誰でもできる。

子育てを他人任せにするのは・・・・・後で後悔するよ!

チャレンジ!!

動画■「15 灯篭作り&キャンプファイヤー」


手打ちうどん TAKE-6

僕は、そこまで極めるつもりではなかったが、
寝込んだばぁばのお蔭で、お店に出せるうどんを作れるようになった。

「手打ちうどん」 スペシャル・レシピ

用意するもの

チャック式のポリ袋・小麦(中力粉:一人分)100g
水50g・塩5g・氷・片栗粉

グループ用コッヘルセット(4人用)・キャンプコンロ・菜ばし
キャンプナイフ・水温計(燻製の時の温度計)・まな板
サランラップの中身だけ

まず、5gの塩を50gの水でよく溶かしておく。
チャック式のポリ袋に 100gの小麦粉を入れる。
そこに、初めに少しだけ塩水を入れて、
袋の底を手でポンポンと叩くようにしてなじませる。
また、少し塩水を加えてポンポンと叩く。
残った塩水を全部入れて、
今度は袋に入れたまま手のひらで小麦粉をこねる。
このときに、袋をきれいな台でこねる。
途中、親指でこねる・・・・ここ重要。
また、手のひらでこねたら、5分以上そのまま生地を寝かす。
コッヘルセットの一番大きい鍋にタップリと湯を沸かす。
このときに 60℃ピッタリの温度にして、火からコッヘルをおろす。
その湯で、こねたうどんを5〜10分間、湯銭をする。
湯せんが終わったら、コッヘルセットの中鍋に氷と水を入れて、
そこにポリ袋のままのうどんの生地を入れて冷ます。
十分に冷めて生地が冷たくなったら、常温で5分以上ぐらい寝かす。
中ごねをする。
5分ぐらい寝かす。
ポリ袋の大きさにもよるが、
うどんをポリ袋いっぱいに伸ばす。
5p×10pぐらいに袋のまま切る。(適当)
まな板に片栗粉をまんべんなく振りかけておく。
そこにポリ袋から出したうどんの生地をのせて、
両面に片栗粉を生地に付ける。
サランラップの中身を使って生地を適当な長さに伸ばす。
このときに極力きれいな長方形に生地がなるように努力する。
一辺がだいたい30pぐらいまで延ばせればOK。
それを三つ折りにする。
キャンプナイフで、適当な太さに切る。
三つ折りの折り目を手でなでて、なくす。
コッヘルセットのざるに切ったうどんを入れる。
そうして、生地を全部切る。
60℃の湯せんに使ったコッヘルの湯を完全に沸かす。
そこに、うどんをザルごと入れて、約10〜13分間、茹でる。
茹であがったうどんは、水でよく冷やす。
出来上がり。

ぜひ、追試してみてください。
ばぁばの病気がうかばれます。

子育てにも間違えなくレシピがあります。
子育てを他人任せにしないで、父親自身で行うことで、
子供に父親の愛が伝わっていきます。
それを感じ取った子供は、強く生きていける!


15/1/29(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

この間の「お弟子さんの日記」では、

本人が持てる最高のモチベーションを感じないだろうか?

「苦しい」「辛い」「大変」を乗り越え「成長」しようとしている様子を感じないだろうか?

第三者が読んでもそこに、何か感動を感じないだろうか?

子供を育てるのも、お弟子さんを育てることも、実は基本があって、
それは、まったく同じだ。

お弟子さんには、
僕の子供にした「夜話」の代わりに普段、「車の中」とか、
「喫茶店」で、

「生き方」について語ってきた。

手とり足とりで彼を指導しているのではない。
お弟子さんは、自ら持てる「やる気」で「成長」しようとしている。

どうやっているのかと言うと・・・・・

まず初めに必ず「デモンストレーション」をしてハッキリと見せる。
よい「見本」を必ず見せる。

そして学習者がそれを「真似っこ」できるようにする。

どの程度なら「真似っこ」できるのかを見極めて行う。
そして、徐々に高度な技術を見せるようにしていく。

「体験学習」だ。

ところで、
お弟子さんは、高校を卒業して熊本から上京した。
その時点で「自立」をお弟子さんは、果している。
そして、新聞配達の辛いバイトで食いつなぎ専門学校へ通った。

正しく「苦学」を一度体験して身に付けている。

今、お弟子さんが僕のところで「修業」をしているわけだが、
今までギャラを払う仕事を与えていない。

厳しいでしょう。 
「餌」を与えると、そこには「甘え」が生じるからだ。
そう、檻の中のライオンになってしまう。

「命がけで」や「必死」になる「気持ち」「モチベーション」が
それでは、育たなくなる。

子育てもそう、
普段「気楽」「簡単」「便利」「快適」を子供に浴びるように生活させて、
さらに「物で幸せだね」なんて、言葉がけをして、
どうして「生き延びる力」が育まれるのでしょうか?

「若い内は、買ってでも苦労させろ」

これが、ここ日本に昔からある格言だ。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

お弟子さんは、僕の貧乏ぶりを見ている。
僕の風呂のない二間のボロアパートに来て学んでいる。
最初に「よくこんな貧乏なのに来られるね」と尋ねたぐらいだ。

それでも、お弟子さんは、僕のところに通い続けた。

ここだ!!

お弟子さんにとって「ビデオ屋の成功」のハードルが、
僕の貧乏生活を見て非常に低くなっているんだよ!!

「これなら、僕にも実現が可能だ」そう、思わせる効果がある。

それで、僕が不幸のどん底をあえいでいたら、
お弟子さんは、やる気を失うだろう。

彼は、僕の「本物の自由」を目の当たりに見た。
彼は、僕の「本当の豊かさ」を目の当たりに見た。

「よい見本を見せる」

このことによって、子供も、お弟子さんも「成長」をする。

文明(物の豊かさ)が栄えると、その国が亡びる。

これは、世の東西を問わずに繰り返し人類はし続けている。

「物の豊かさ」は、「ヒト」の心を亡ぼすんだよ。
だから、
お弟子さんに初めに教えたこと・・・・・
「カメラを買うな。機材を手に入れることを目標にするな」だった。

子育てと同じだよ。


15/1/28(水)朝 キャンプじぃじの日記

生きる条件が多い人は、気の毒だ。
そういうふうになるように育てられた。

ここのところ、ばぁばが具合悪くて寝込んでいる。

こういう「条件」の中をどう面白く生きられるのか、

「生きる条件が多い人」は、
こういう「悪条件」を乗り越えることが困難になる。
場合によっては、
「悪条件」に耐えられなくなって心のトラブルを起こしてしまう。

僕は、アウトドアーでこの「悪条件」と戦ったり、
逆に応用したりと、チャレンジするのが「好き」だ。

「14牛久沼」

さて、家事不能のこの悪条件下をどうやって乗り越えるのか・・・・・

谷口家では、昔から具合の悪い者がでると「うどん」を食べるのが習慣だ。
ご飯より、なんとなく消化にいいような気がする。
まったくなんの根拠もないが、病人=うどん なのだ。

そこで、これは料理教室ではなく古い友人に教わったレシピで「手打ちうどん」を作ることになった。

この間の SCC のデイキャンプ「けんちん汁&手打ちうどん」と同じレシピ。
その時には、参加者に好評だった。

しかし・・・・・・

一回目、60℃の湯せんを5分間のところ、
湯銭をしているのを忘れて、軽く10分以上湯につけてしまった。
食べられるけど・・・・NG。 トホホホ。

二回目、今度は、湯せんした時にチャック式のポリ袋のチャックがちゃんと閉まっていなくて、
お湯が生地に染み込んでしまった・・・・・もっと、トホホホ・・・・

三回目、やっと普通のうどんが出来た。 安堵。
でも、納得できるコシではない。

四回目、こうなると意地だ。
できたよ、ちゃんと!!

こうして、僕は、悪条件を乗り越えるのではなく「成長」に応用した。
面白いでしょう。

さらに、ぼちぼち「うどん」から「ご飯」に変えることにした。
まぁ、離乳食のような感覚だ。

僕は、米5石(1合の半分)を炊く訓練を何年か前にした。

最初は、薄くできたチタンニュームのコッヘルで炊く訓練をした。
ものすごく大変な思いをした。
何十回となく失敗をしたものだ。

それで、キャンプ用品の店員に尋ねたら、そのコッヘルでコメを炊くのは無理と教わった。
どんなことでも「基本」や「方法」があるものだ。
それを知らないということは、「的外れ」をし続けることになる。

そのことに無知・・・・・「くたびれ儲け」だ。

そこで、少量のご飯が炊ける肉厚のアルミ製のコッヘルを買った。

これでも、「炊き方」がある。
米を30分間、水に浸かす。
火力は、ボンベガスのキャンプコンロで調節する。

初めチョロチョロ、中、パッパ。
弱火で炊き始め、
コッヘルの蓋が蒸気で少しガタガタしだしたところで、
中火にする。

ここまでは、ちょっと昔のガスの炊飯器と同じだ。

これからが僕のテクだ。

炊き上がりは、キャンプナイフで蓋を抑えて、
その振動の具合で判断をする。
これは、相当の訓練が必要だった。

そして、炊き上がりのその瞬間を逃すことなく、
バーナーからコッヘルをおろす。

そして、これが非常に重要なことなのだが、
すぐにそのコッヘルに乾いたタオルで覆う。
マジックテープでタオルを固定する。

こうして約15分間を蒸らす。

部屋の中では、常温でも蒸らせるが、寒いアウトドアーでは、
蒸れる前にご飯が冷えてしまうので、このテクを編み出した。

こうして、一回目の炊飯は、成功をした、一発で。

今、二回目の炊飯で、米をコッヘルの中で水に浸けているところ。
味噌汁は、ネギの乱切りにホウレンソウにする。

部屋の中で僕は、こうしてアウトドアーの訓練に勤しんでいるわけだ。

「生きる条件」の多い人は、
「悪条件」に不平不満を周りの人にぶつけるという迷惑をかけるしか能がなくなる。
仕事柄ときどき遭遇するモンスター・ペアレントね。

キャンプやアウトドアーで「大自然」でときどき「悪条件」を乗り越える体験を積み重ねてくると、
こうして、
「悪条件」の中でも遊べてしまえる。

いつだったか、一週間の入院生活だった時に、
たまたまいた中学生の男の子を相手に、
ロープワークを教えて遊んだものだ。

「悪条件」を乗り越える。

「悪条件」を応用する。

僕は、これで今の商売を立ち上げ継続できたんだよ。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

このことをよく考えて子育てをしよう。

子供を育てるのに、大金を使うのではなく、
親のエゴでも見栄でもなく、

本当の親の「愛」で子育てをするといい。
子育てに「無知」であることがないように。

実社会というジャングルで子供が生き生きと生きていけるように育てよう。


15/1/27(火)朝 お弟子さんの日記

 営業78件を廻り切りました。

かかった日数は4日間、
2回目ということもあってか予想よりかなり早く廻り切ることが出来ました。

結果だけ言いますと2件脈アリです。
その片方は卒業ビデオアルバムを売り込みに行ったのですが、
「発表会の業者を変えようと思っている」とのことで、
谷口さんが仰っていた絶好のタイミングにまさかのヒットという形になりました。

詳しい話はこれから行っていくところです。

何度も言われてきていることですが、「営業は続けることが大事」

これが出来るか出来ないかで、
フリーとしてやっていけるか大きく変わってくる。

今回の営業を通して感じたことがあります。
日頃接しているブライダル撮影のフリーカメラマンの一部は大体が自己満足の画を撮ることしか考えていない様な気がします。

もちろん中には、
別の仕事を自分で取ってきて稼がれている方もいらっしゃいます。

ですが大半が前者あり、
営業のようなことは何もされてない方ばかりです。

そうなると当然ギャラ仕事だけになります。
僕も一人では営業できません。心が折れます。

しかし、谷口さんという存在がいるので続けられます。
営業先であしらわれて嫌になっても、
車に乗れば谷口さんがいて問答無用で次の営業先に向かいます。

決して嫌々やっているわけではありません。
このサイクルが「やりたい事があるならやるしかない」という気持ちに行き着かせてくれるのです。

だからやるしかないんです。
今後は週3回の練習・勉強だったものを週1に減らし営業を増やしていきます。

仕事を取って並行して技術を磨いていくという考えです。
僕もアルバイトの時間を作って生活費を稼がないと非常に厳しい状況だったので助かります。

ですが、あくまでアルバイト。
本業はカメラマン。目標を逸らさず両立していきます。


15/1/26(月)朝 キャンプじぃじの日記

「三つ子の魂、百までも」

幼児期は、人格形成に重要だということを聞くでしょう。
確かにその通りだ。

それで、その影響は、圧倒的に「親」であることは、
あまり語られない。
遺伝的にも、後天的な習慣も、親の影響は絶大だ。

また、子供の成長で、「重要ではない時期」なんてあり得ない。
それぞれの年齢に合った「成長」があるわけだから、
それは、あり得ない。

よく有り勝ちなパターンは、
幼稚園で金がかかって、
公立の小学校で「お金がかからなくなった」ので、ホッと一安心。
と、いう心理状態ではないだろうか?

僕は、カブスカウト(主に小学生)を相手にリーダーをやってきた。
年に70日も活動をしてみた。

それでハッキリと分かったことが、
「子供の成長は、親次第」という結論だ。

確かに、僕が率いるカブスカウト隊での活動の中では、
それぞれの子が、大人がビックリするほど伸びた。
ここで言う「成長」とは、学校の成績のような「知識」面ではない。

「心の成長」だ。

しかし、残念だが、
親の影響の方が圧倒的に強いことを嫌というほど味わった。

年に一度だけだが、曹洞宗のお寺に「座禅」体験をさせてもらった。
これは、非常に効果が高い。
普段、やんちゃな子供たちが背筋を伸ばしてビッシとする。

とっても凛々しくなる。
でも家に帰れば元の黙阿弥。
これ本当のことだ。

だからここで訴えているんだ。
「親が成長した分、子供が育つ」とね。

ここで言う「親の成長」とは、ズバリ子育ての能力のことだ。
「能力」だから個人差が大きい。

とくにここ日本では、「父親が稼いで母親が家を守る」習慣と、
バブル期の「物質主義」(大量生産、大量消費)の習慣で、
「父親は、子育てをしない」ということが当たり前になってしまった。

その結果は、「自立できない大人」が大量発生したと僕は、考えている。
さらにそういう大人の中から心のトラブルを起こしやすくなった・・・・

これからの日本社会は、
「成果による報酬」「女性の進出」・・・・・
こういったフレーズで読み取れる「能力主義」の方向になるでしょう。

この「能力主義」は、今から30年前にもしきりにマスコミで騒いでいたことだ。
しかし、
相変わらず「年功序列」のバブル期の悪癖を残していたので、
この20年間の不景気を招いたのではないだろうかね。
僕は、そう思う。

日本社会をよく見てみよう。
「国鉄」が「JR」で民営化をした。
「郵便局」も民営化をした。
今度の標的は「農協」でしょう。

つまり「一生涯安泰」の職場が、国家的に変えられる時代だ。

いい、悪い、ではない。 これは時代の変化だ。
民間の会社だって、
例えば車の「日産」は、ガイジン社長が大ナタを振るって改革した。

徹底的に「日本的商習慣」を変えてしまった。

「SONY」も今や大企業病であえいでいる。
このままでは、昔のような商品開発ができなくなりそうだ。
いや、僕が見た感じでは、もう機能不全を起こしている。

こういう時代背景の中で、
今の子供たちが「生き延びる」ことをしていかねばならないんだよ。

このことを真剣に考え子育てが出来ない親には、
それなりの子が育つよ。
「社会を見抜く」ことができない人になってしまうよ。

本当に、それで大丈夫?

こういうことに鈍感なことを「世間知らず」と呼ぶのさ。

もう「今まで通り」は、通用しなくなる。
もししたら、日本は潰れる。

新しい商品開発、商品化、
に命がけで取り組める「心の強さ」が求められる時代だ。

こういう時代は、子供の「好奇心」や「冒険心」を伸ばす子育てが
とっても有効だろうと僕は、思うね。

そして、そこには「自己責任」「自立」ということが必ずあることを、
「覚悟」できる「心の強さ」が必要でしょう。

「生きているのが当たり前」ではない。 ここにとんでもない間違えがある。

「必死に生き延びる力」を子供に身に付けさせるべきでしょう。
親次第だ。
「親が成長した分、子供が育つ」


15/1/25(日)朝 キャンプじぃじの日記

ネットで「コインランドリー」を調べたら、
ここは埼玉県なのに九州へ飛んだ。

検索のときに「この地域」にチェックを入れるのを忘れていたからだ。
けっこう、ビックリした。

そこにチェックを入れて、再度検索をしたら、
ナント、歩いて2〜3分のところにコインランドリーがあった。

まったく普段、コインランドリーに興味がなかったので、
すぐ近所にあっても気付かなかった。
こういうことは、よくあることだ。

動画■「14手賀沼」

母親は、大変な思い、痛い思い、をして子供を産むので、
必然的に子供に興味関心が起こる。

その点、父親は種まきしかしないので、
そのまま放っておくと、子供に関心が持てなくなる。
これが、父親の「子育てがおっくう」になる原因だと思う。

父親は、だから、
子供が幼児期から小学生ぐらいまでにどれだけたくさん遊んだのか、
その体験量で子供に愛着をやっと覚えるようにできているらしい。

これに僕は、気付いたので、
幼稚園に通うぐらいの子供がいる父親をターゲットに、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

活動を、目的を一つにして、ハッキリさせて行うようになった。
つまり、
僕の活動理念だ、これが。

このためにそれぞれの活動を実行しだした。
これは、「戦術」に当たる。
それぞれの「戦術」にも小さな「目当て」があるが、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」
という理念から外れては、NGだ。

商売で、さんざん、「理念」「戦略」「戦術」の使い分けと実行をしてきたので、
ここでも、シッカリとこれを踏まえたい。

僕がこれを身に付けられたのは、「たくさんの体験」による。

体験で覚えることを「体験教育」とも呼ぶ。

これの対義語が、「知識教育」ということだ。
学校の成績「だけ」にこだわった子育ての恐ろしさはここにある。
知識ばかりで、「世間知らず」の大人になってしまう。

恐ろしいことだよ、この「世間知らず」は。

だからと言って「知識」がダメということではない。
「知識」によって、物事を理路整然と「考える」ことができるようになれる。

もし、理路整然と考えることが出来ない「知識」だったら、
それは、何の利用価値もない。
ただ、「知っている」というだけのことだ。

暗記する能力は、個人差が非常にある。
それは、主に遺伝的なことであるらしい。

例えば、僕の子供のように「学習障害」もしくは、
その傾向が強くある子供は、「覚える」ことが非常に苦手だ。

僕は、このことを三番目の子が小学校に入るころに「知った」。
そこで、
僕は、家庭内で「体験教育」を徹底的に行ったわけだ。
具体的には、
「子育てを強く意識した親子キャンプ」を実行した。

非常にこれの効果が高かった。 よかった。

それで、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」ための具体的な方法として、
「親子キャンプ」をまた目指すことになった。

僕は、キャンプが嫌いではないけど趣味にするほど好きではないんだよ。

でも、非常に効果があるので、またこれを始めた次第だ。

行動をとるためには、その事象に「興味」がなければできない。
僕は、自分の子育ての時には「子供」に興味があった。
今は、「父親」にそれがスイッチした。

昨日、興味のなかったコインランドリーを使ってみた。
便利だね、これ。
興味がわいたので、3回も使ってみた。

それで分かったことは、なるべく洗濯物を15`になるまで溜めて、
それを一気にデカイ全自動でやっつけるのが合理的、経済的であるということだ。

どんなことでも、「興味」がわけば面白くなる。

父親は、そのままでは子供に興味関心が低いものだ。

まずここからスタートしよう。

だからこそ、幼児期のうちにたくさん子供の手を握って(スキンシップ)、
アウトドアーで(子供がもやしっ子にならないように)遊ぶのがいい。

毎朝、犬ではないけど子供と一緒に手をつないで散歩をするのだって、
派手ではないけど非常に有効だ。

そのうちに、パパは、スナック通いより子供と朝、散歩をする方が、
だんだん楽しくなっていくものでしょう。

少なくても僕は、これで「朝型」の生活になった。
朝5時半起床の生活になった。
子供の存在は、ビックリするほど大きい。 これに気付いた。


15/1/24(土)朝 キャンプじぃじの日記

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

僕は、高校を卒業した18才で親から完全に自立をした。
どんなことも自分で解決をせざるを得なかった。

それで鍛えられて、10年務めた会社を脱サラできたのだと思う。

自分の「理念」を強くシッカリと握りしめることが出来た。
けっして、それがブレルことなくできたので、
今まで続けることが出来たのだろう。

商売を立ち上げ、さらに継続できたのは、「自立」のお蔭だ。

これを僕は、実行をして熟知しているので、
ここに何回も子供を「自立」に向けて育てるように訴えているわけだ。

しかも、僕の子供も稼ぎは低くても、自立させることができた。
自立をしてから戻って来る子供と遊べるようになった。
これは、愉快だよ、人生の豊かさだ。

子供は、自分で勝手に自立できるものではない。
子供がシッカリと自立できるように、
小学校高学年から「訓練」して育てるものだ。

子供の自立は、小学校高学年から無理なく少しずつ始めるものだ。

もう一度言う、小学校高学年からは、
「子供の自立」に向けて「訓練」をするものだ。

このときに、子供に「生きる条件」が多ければ多いほど、自立が困難になる。
一度味わった「豪華、贅沢」を子供は、「生きる条件」にしてしまう。

ここ日本の晩婚化の本当の理由は、これだ。
「生きる条件」が多くなるように子育てをしていること。

少子化の問題も、
「大人の心が幼い」がゆえに、「子供一人で精一杯」になってしまうのだろう。

仕事柄、モンスター・ペアレントに何回も遭遇してきたが、
騒ぎたてるのを聞いて、本当に幼稚な理由ばかりだ。
「大人の幼稚」が少子化の本当の理由でしょう。

僕は、脱サラをして収入が不安定な中、四人の男の子を自立させた。

いや、逆だ。
「親の最大限の豪華、贅沢」が貧乏でなかったので、
「子供の自立」にそれが有利に働いたわけ。
分かるかな? この理屈。

子供の自立に失敗をして、親が歳をとり悲しい思いをしている人をよく見かける。
そういう人が、そこ、ここ、にいる。

「親離れ」をさせることが出来ない人は、たいがい「子離れ」も出来ていない。

親子そろって「依存しあう関係」がある。
このことを「相互依存」と呼ぶ。
「母子癒着」という言葉もある。
それほど、父親より母親の方が「依存心」が強いのだろう。

だから!
子供の自立に父親が関わって欲しいわけだ。
子供の自立は、だから父親次第だ。


ばぁさまが寝込んで、
おかげで、家事がマヒ状態になった。
僕は、ばぁばにかなり依存していることが分かる・・・・・
自立したいけど、
ばぁさまは、スッポンのように僕にかぶりついて離れないんだよ・・・・

こういう悪「条件」でも、
人生を面白くするのが僕の信条だ。

さて、洗濯機の使い方が分からないので、
コインランドリーへ行ってこようと。
やったことがないから、面白そうでしょう、コインランドリー。


15/1/23(金)朝 キャンプじぃじの日記

ばぁさんが具合が悪くてここのところ何日も寝込んでいる。

それで、気付いたことがある。
今までは、ばぁさんが夕食の支度をしないときには、
さっさと居酒屋へ直行したものだが、
最近、近所の居酒屋がみんななくなって駅まで遠征しなければならなくなったせいか、
出歩かなくなった。

たんに歳をとったからかも知れない。
やっと大人になったのかね・・・・・

もともと、子供が大勢いたころから、「夕ご飯」は食べていなかった。
ビールとつまみで結構十分だ。

それで、つい、ビールの消費量が増えた。
ヤバイ、僕は、痛風なんだよ。

今日、絶対に普段飲む痛風の薬を貰いに行かなくては・・・・
この薬、数日前に切れているままだ。

年度末のところに、お弟子さんの営業に付き合っていて時間がなかった。
なにがなんでも今日、ドクターのところへ行って薬を貰わなくては。

ヤバイ。

ばぁさんは、とりわけ何もヤバイことがなく寝ている。
気楽でいいよなぁ・・・・・
趣味の出産で四人も子供を産んで人生を楽しんでるよなぁ・・・・
産み足らなくて想像妊娠までしている。

ヤバイ上にたまらんよ。


15/1/22(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

二回目の飛び込み営業をお弟子さんがこなした。

過去に何人かの若い人が僕のところで学ぼうとしたが、
結局、この「飛び込み営業」が出来ないので去って行った。

「営業」が出来ない限り、決して商売を立ち上げることは出来ない。

とっても簡単で分かりやすいことだが、「営業」が出来ない。

これは、「生き延びる力」に関係をしている。
過保護に育てられているから「営業」ができない。

この「営業」は、言うならば、
「実社会」というジャングルで狩りをするようなものだ。

いくらライオンでも、檻の中で飼われていたのでは、狩りが出来なくなる。
毎日、毎日、何の努力もなしに餌が貰える生活。
これを、
産まれたときからしていたのでは、狩りが出来るはずがない。

動物園の檻の中のライオンは、「生き延びる力」がほとんどないわけだ。

そう考えると、今度のお弟子さんは、
二回も「飛び込み営業」をこなして、
どう実社会というジャングルで狩りをすればいいのか、
体験で覚えた。

営業をして仕事を取ってくれば、
「技術」や「機材」は、そのあとからくっ付いてくるものだ。
そうして商売を立ち上げていく。

機材マニアが商売を立ち上げられないのは、ここにある。
「営業」ができない。

ところで、すべての商売には、必ずこの「営業」がある。
職種によって、その方法は違えども、必ず「営業」がある。

学問に興味がなく学ぶ気もない子を
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」で育てて、
さらに、
檻の中のライオンのように子供を過保護に飼育して、
はたして、実社会のジャングルでどうやって「生き延びる」ようになるのでしょうか?

そう育てられた人が「ブラック企業」にひっかかるのでしょう。
「正社員」という名称の奴隷制度は、
檻の中のライオンをターゲットにしているのでしょう。

自立心が強い人は、そんな会社に興味を持たないものだ。

ちなみに、動物園のライオンは、腹を出して昼寝をすることがあるそうだ。
野生界では、そういう無防備はありえない。

こういうことで、学校の成績だけで育てられた人は、
「生き延びる力」が育っていないことが多いんだよ。

まぁ、それで僕は、
自分の子供に大自然の厳しさをたくさん体験させた。
これで、子供に「生き延びる力」を鍛えて育てた。

子供は、自立を果たした。

大自然の厳しさは、子供より大人の方が辛いものだ。
なぜなら、
大人の方が「快適」をたくさん浴びてしまったからだ。

「快適」をかなぐり捨てて「生き延びる力」を得たものが、
実社会をのびのびと生きていける。

一時、流行った「断捨離」も同じ原理で「生き方」を提案していたのでしょう。

子供を引きこもりにさせたかったら、
たくさんの「物」で「気楽」「簡単」「便利」、そして「快適」
を毎日、毎日、与え続ければ簡単になると思えるよ。

今、若者のニートではなく、
40才を過ぎた「引きこもり」がたまげるほど多いらしい。
僕の古い友人の一人もそうだ。

「甘やかし」「快適」
文明が栄えると、国が亡びる・・・・・これを人類は飽きもせず繰り返している。

ヤバくない? ここ日本。
今、小さい子たちには、適度な、もう一度、「適度な」
「辛い」「苦しい」「大変」「不快」を乗り越えさせる体験をたくさんして、
「強い心」に育てたいものだ。

そう、子育てを強く意識した親子キャンプのこと。

そしてうちのお弟子さんのように元気に「営業」ができるように育てよう。


15/1/21((水)朝 キャンプじぃじの日記

僕が今の仕事を立ち上げるときには、
頻繁に空を飛ぶ夢を見た。

僕は、高いところが嫌いなんだよ。
それでも空を飛ぶ夢を見た。

これは、心理的に飛躍しようとしているので見るらしいと聞いたことがある。

確かに、今の仕事が軌道に乗ってからは、
サッパリと飛ぶ夢を見なくなった。

ところが昨日、
たぶん正確には、
寝起きのころで、久しぶりに空を飛んでいる夢を見たことを思い出した。

この正月に、
僕の子供三人とばぁばと僕が富士山をバックにした集合写真を撮った。
そこには、富士山をバックに御殿場市も広がっているのが見える。

この写真をPCの壁紙にしているのだが、
これを見て、今朝、空を飛んでいる夢を見たことを思い出した。

今、お弟子さんの営業廻りのサポートをしている。
僕の立ち上げ期と同じように飛び込み営業を二人で一所懸命にしている。
これがキッカケで、飛ぶ夢を見たのだろう。

僕の深層心理に「飛躍」をしようとしていることが客観的に分かった。

生きるのって、滅茶苦茶、面白いでしょう。

僕は、風呂のない二間のボロアパート住まいの貧乏人だが、
「物」で立派そうにしたり、それで幸せを得ようとはしてこなかった。
こういう「生き方」にこだわって生きてきた。

だからこそ、僕は今の仕事を手に入れることが出来た。
自分の好きな仕事で老後を楽しめる人生になった。
自分の夢を実現させる喜びに満ち溢れることができた。
なんて幸せなことでしょう。

「成長」にこそ人生の本物の感動があることを僕は、
こうして体験で熟知している。

だから、僕は、お弟子さんの「成長」に感動を覚えるのでしょう。
それで飛ぶ夢を見た。
写真にあるような御殿場市を見下ろすように空を飛ぶ夢を見た。

「幸せは、それを感じ取る能力の問題」

それで、

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

「生きる条件」は、多ければ多いほど、
「幸せを感じ取る能力」が低くなるものだ。
僕は、高卒だが、人生を学んでこれを理解できるようになった。

「金」や「物」をたくさん手に入れて豪華な暮らしがしたい・・・・・

これをやればやるほど、
そこに育つ子供は、「金」と「物」で幸せを手に入れようと思ってしまう。
こういう気の毒な「生き方」のプロセスがある。

僕は、風呂のない二間のボロアパートで十分以上の幸せを手に入れた。

これからを生き抜く子供たちには、
お金がなくても、「物」がなくても、
「生き方」を「工夫」して幸せに生きていって欲しいと熱望するね。

バブル経済の悪癖である、「物で幸せ」という「物質主義」は、
アメリカ人の真似っこは、
そろそろ止めて、
「成長」にこそ「感動」があることを子供に教えよう。

日本人には、もともと「もったいない文化」があったでしょう。
「清貧」という言葉が日本語にあるでしょう。

「物」ではなく、人生の「充実感」を得られるように子育てをしよう。

そのためには、
本当の「人」の成長は、「自立」が基本であることを覚えよう。
僕は、脱サラという「自立」をしたので今の仕事を手に入れたんだよ。
「正社員」という名称の奴隷に子供がならないように「自立」を目指そう。

子供を、

「自立をした一人の大人の社会人」

これを目標に子育てをしよう。

本当に今朝は、大空を飛んでしまったのですがすがしいよ。


15/1/20(火)朝 お弟子さんの日記

いよいよビデオアルバムの営業がスタートしました。

3日間で65件回ったところです。
そのうち7件が興味を示して頂きました。

前回のお泊まり保育と比べビデオアルバムの話を顔を見て話してみると確かに反応が違いました。

大体は断られるのですが、
少し敏感な園の方は「え?なにそれ?」というような目になられます。

やはり浸透していないのだということが見受けられました。
続けていけば必ずどこかにヒットするはずです。
気持ちを切らずに根気強くいきます。

さて、営業の合間にビデオアルバムに収録する子供達のインタビュー撮影にお邪魔させて頂きました。

先生が簡単な質問を3つ問いかけそれに応えるというものです。
それを4クラス分、
僕は1クラス目の3巡目まで谷口さんの後ろに座り見学させてもらいました。

そして、4巡目からは交代してそのまま最後のクラスまで撮りました。
ズームのスピード、パンのタイミング、本番で修正しながらなんとか撮りました。

谷口さんは操作の合間に子供の目線をカメラに向かせるために大きく手を振ったりします。
僕は三脚で固定はさせているもののカメラがブレたりしないかが怖くて出来ませんでした。

それくらいと思う方もいるかもしれませんが、実際難しいものです。

下手な例えですが、
自転車の手放し運転ができるかできないかの差だと思います。
要は場数です。

インタビューで子供達と向き合っているとつくづく子供って無邪気で良いなと感じます。
早く自分も仕事として撮りにいきたいと切に思いました。
営業頑張ります。


15/1/19(月)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

5月18日「灯篭作り&キャンプファイヤー」を実施

3組の親子が参加をしてくれた。
ただ、みんなママだった。

冬の夕方、子供のためにキャンプ体験をさせよう、
こう熱心になるのは、
やはりママの方だった。

それでも、参加者がいてくれたのは、奇跡的だ。
二日前までは、一組しか応募がなかった。

たった一人の子を相手にどうキャンプファイヤーをやれるのか・・・・
これは、かなり難しい。
頭を抱え込むような難題だった。

だから、当日になって三組の参加者になって、
非常に嬉しくなったね。

灯篭作りは、
前回、本当の「角結び」をやったら、参加者にとって難しすぎたようで、
時間が押してしまった。

そこで、昨日は、「筋交い結び」を簡単にした結びを教えた。
そうしたら、今度は、早く出来過ぎて、
午後4時前には、みんな出来上がった。

今頃は、午後5時でもまだ明るい。

1時間以上、たき火をみんなで囲んで暖をとった。
小学校3年生の男の子と幼稚園年中の男の子は、
サイトを走り回っていた。

何にもなくても、こうして子供は遊び上手なんだよ。
ここを大人は大いに見習うべきでしょう。

小学校5年生の女の子は、全部自分で灯篭を作れた様子だった。
男の子たちは、いくつか結びにチャレンジしたけど、
飽きてしまったようだ。
残りは、全部ママが結んでいた。

竹の骨組みに半紙を巻いて、
それの一面に自分の名前をマジックで書いた。
反対側に、自分の夢を書かせた。

パパが大工さんのところでは、
その子供が大きく「大工」と書いていた。
パパが見たら喜ぶだろう。

子供の、特に男の子のアイデンティティは、
こうして父親に子供が求めるものだ。
これのいい例になった。

年中さんの男の子にとっては、
一つか二つ、結びをしていたけど、
これは、その年にはかなり難しいことだっただろう。

年中の子は、幼稚園では、
やっと「はさみ」を使って工作ができるようになれるレベルだ。

そういうレベルで「結び」に挑戦をした。
ちなみに、ボーイスカウトで、
「筋交い結び」を習うのは、小学校二年生ぐらいになってからだ。
それだって、それに挑戦するだけで出来なくてもいいというものだ。

工作をしたサイトから、キャンプファイヤーの会場のサイトまで、
作った灯篭を並べて、
そこを一列になって歩く。

決して声を出してはいけない。
しゅくしゅくと歩いて行く。

このことで、子供に「儀式の緊張感」を体験させる。

そして、キャンプファイヤーでは、ハチャメチャに騒ぐ。
この「緊張感」と「ハチャメチャ」のメリハリが、
実は非常に重要だ。

ダラダラとだらしなくしてはいけないことを体験しつつも、
「つまらない」のでは、いけない。

「キャンプだホイ」を歌って、(と、言っても誰も知らないので僕のアカペラ)
「じゃんけん列車」で一列になってキャンプファイヤーを囲んだ。

そして定番の「アブラハム体操」
「TOTO便器」・・・・・・
これは、ママばっかりだったので引かれてしまった。

あるボーイスカウトの団では、
スカウトに「裸踊り」をさせるのが伝統になっているところがある。
BSの活動は、決して全部が「上品」ではない。
つい、その癖を披露してしまった。

ちなみにその踊りを最初に考えたのは、BSらしい。

キャンプファイヤーが終わって、
工作をしたサイトに戻る。
このときには、灯篭に自分の夢が書かれているわけだ。

神秘的でしょう。

市販シートと竹で作った12畳の大型テントの中で、
紙芝居をした。
そして、記念の木のメダルで親が子供を表彰して解散した。

次回のこの企画は、午後2時集合にしよう。


15/1/18(日)朝 キャンプじぃじの日記

本日

「灯篭作り&キャンプファイヤー」

を、さぎ山野営場で行います。


15/1/17(土)朝 キャンプじぃじの日記

子供の個性は、「遺伝」×「体験」で決まるそうだ。

僕は、障害のある子をどう自立させることができるのか、
本当に命がけで取り組んだ。
その子は、なんとか自立をして自分の稼ぎで生きるようになった。
安堵。

この障害は、「遺伝」だ。
障害まではいかなくても、そういう傾向がある状態。
これも「個性」と呼ぶ。
狭い意味での「個性」だ。

次に「体験」が子供の個性に関係をする。

子供に、最も強く影響をする体験が「親との関係」だ。
仕事柄、たくさんの子供・・・・5歳児をよく見る。
一人ひとりを見ると、
明らかに親の影響を強く受けていると思える行動や言動がある。

もう5歳児ぐらいになると、かなり個性が固まりつつある。

それまでにどう親の愛情をタップリと感じて子供が生活できたのか、
このことで子供の情緒が安定をするということは、
たいがいの育児書に書いてある。

問題は、5歳ぐらいから10歳ぐらいまでの期間だ。

この5年間のうちに子供が父親と遊んだ経験、思い出、が強くあれば、
その後に現れる反抗期と、
それを過ぎたあとの子供の様子に強い影響があるようだ。

子供にとって、その5年間に父親に遊んでもらった体験、思い出、
これがないと、どうやら反抗期を過ぎたあとで、
父親のところに戻らなくなるように思える。

これは、「実家に戻る」という「物」に戻るのではなく、
父親の「心」に戻るという意味だ。

父親の心に戻った子供は、力強く「生き延びる」ことができるように
なるものらしい。
子供のアイデンティティに父親の影響があると強く生きられる、
こういう意味だ。

5歳から、10歳までにたくさん父親と遊んだ経験、思い出、
これがあると、
場合によっては、
子供が反抗期になって、父親に反抗をしながらも父親の「言葉」を聞く。

でもそれで言うことを子供が受け入れるわけではない。
なんてったって、反抗期だから。

でも、

「オヤジの小言と冷酒は、あとで効く」

と、言われる通り、反抗期を過ぎてから子供は、
父親の「言葉」を受け入れるようになるようだ。

この子供が反抗期のときの「オヤジの小言」こそが、
そのことこそが子供にとって「生き方」を学ぶ重要な時だ。

子育てを強く意識した親子キャンプで、
ぜひキャンプファイヤーを囲んで、子供に父親自身で夜話をしよう。

この夜話が「オヤジの小言」になる。

明日行う「灯篭作り&キャンプファイヤー」では、
キャンプファイヤーの後でキャンプじぃじが紙芝居をする。

これは、「オヤジの小言」のデモンストレーションだ。

普段の生活でもできる。
就寝前の本の読み聞かせがこれに当たる。

でも、反抗期ではもう無理だ、こういうの。
そして、どちらかと言うとこれは母親が担うことが多い。

キャンプファイヤーを囲んだ時こそオヤジの出番だ。
反抗期でも、子供は、聞かざるを得なくなる。
子育てを強く意識した親子キャンプのハイライトだ。

これがなかったら、ただのレジャーキャンプになってしまう。

動画■「中学生の心を育てる親子キャンプ」


子供にこうして「生き方」を教えよう。
僕は、これを実行した。
それで、障害を乗り越えて子供が自立を果たした。

学校の成績以外の重要な子育てだ。
このことをより多くのお父さんが気付きますように。


15/1/16(金)朝 キャンプじぃじの日記

「14 けんちん汁&餅つき」 をアップしました。

動画■「14 けんちん汁&餅つき」

今年度初めて「年間プログラム」を立てて活動をした。
残すところ、

今度の日曜日の「灯篭作り&キャンプファイヤー」

2月21日(土)の 「6.8`ハイキング」

3月28日(土)は、道満グリーンパークで「親子で工作」

来年度も日にちがちょっと変わるだけで同じように活動したい。

この年間プログラム自体に「目当て」がある。
道満グリーンパークでの「親子で工作」は、
もう10年ぐらい続いている活動で、
真夏と真冬を避けて活動をする。

さぎ山野営場では、初めに一番簡単な「カレー作り」で、
デイキャンプに慣れることが目当てだ。

そのあと、7月の「流しそうめん」では、
「猛暑」という自然の厳しさの中で、それを体験する。

11月の「手打ちうどん&芋煮会」では、
キャンプ場でだんだん暗くなる体験をする。
これは、子供よりたぶん親の方が辛いだろう。

そして、今度の日曜日には、「灯篭作り&キャンプファイヤー」は、
暗くて寒い夕方を体験する。
これも、子供より親の方が辛い。

こういう大自然の厳しさを体験することで、
普段、当たり前にしている「快適」ではなくても活動できるような習慣を身に付けることを年間プログラムに組み込んでいる。

普段の「快適」な生活は、
「気楽」「簡単」「便利」を浴びるようにしていることが多いと思う。
この環境で子供が毎日過ごしていたら、どうなるでしょうか?

「気楽」「簡単」「便利」でないと何もできなくなってしまわないだろうか?

それがエスカレートすれば「新型うつ病」に行き付く・・・・・
「気楽」「簡単」「便利」でなければ、「うつ」状態になってしまう。
または、引きこもりやニートといった心のトラブルを起こしやすくなるのではないだろうか。

大自然の中の厳しさを体験することで、
「気楽」「簡単」「便利」ではなくても何か活動できるように子育てをしましょう。

今、仕事でお弟子さんと一緒に「飛び込み営業」を展開しているが、
これは、一日中断られる体験をする。
非常に「心の負荷」が高い「嫌な思い」をする。

「気楽」「簡単」「便利」ではないこの営業展開にお弟子さんは元気よく耐えている。
ここです!
どんな仕事でも、「辛い」「苦しい」「大変」がある。
大自然の厳しさで子供の心が「耐える」ように育てましょう。

まず、親自身がこれに「耐える」ことで、子供に身に付くようになれるでしょう。
キャンプじぃじは、率先してこの活動をやってるよ。
僕は、子育てのために「雪中キャンプ」もやった。

これが「生き延びる力」です。

大自然の厳しさを子供と一緒に親もたくさん体験しよう。


15/1/15(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

お弟子さんの二回目の営業展開が始まった。

僕自身の直近の営業展開は、一昨年だった。
それで、発表会を一件獲得した。

その前は、もう7〜8年前だろうか、だいぶ前だ。
不景気だと言われるこの20年間、僕はこの営業力で生き延びた。

お弟子さんの営業展開に付き合っていて、
昔と違う大きな点に気付く。
それは、
「自分たちで撮っています」とか「保護者が作っています」というフレーズだ。

ビデオ屋が入っていないところが増えたように感じる。
コピーガードを付けても、
それを外して大量にコピーして海賊版を配る親がいる。

そういうところでは、ビデオ屋は商売にならない。
そこで、親自身で記念のビデオを作りだしたようだ。
僕も、その理由で、今年度を最後に取引を辞めるところが一軒でた。

時代の流れだろう。

同業者と競って、作り具合で負けないように付加価値を作っているが、
保護者が作る「タダ同然」の単価には、勝てない。

ちょっと器用な趣味のおじさんが作れば、
エフェクタだらけで、
ちょっと見た目では派手な視覚効果を作ることもありそうだ。

でも、僕は、そういう安芸が嫌いだから、
極めてオーソドックスに作っている。

僕の作り方は、10年後、20年後に、
久しぶりに見たときに耐えられるようにしている。

だから、出来上がった直後では、
目先の刺激のエフェクタ浸けの方が派手だ。

昨日、幼稚園の先生が僕に話しかけてきた。
その人は、僕の初期の「卒業ビデオアルバム」を持っていて、
懐かしく見たらしい。
嬉しそうだった。

その子は、インタビューで「幼稚園の先生になりたい」と言ったらしい。
その年度で、そう言った子がいたことを僕はおぼろげながら覚えている。

それで、本当にその子は、そこの幼稚園の先生をした。
幼児期の印象の強さというものを感じる。

エフェクタ浸けの作風は、時間が経つにつけそこが臭くなる。
だからこそ、オーソドックスな作りこそが時間とともに、
作品が「熟成」するものだ。

安ければいいという価値観のところが幼稚園で増えた。
そういうところは、さっさと身を引かないといけない。

その分、新規開拓をしていくわけだが、
僕は今、お弟子さんの開拓で自分自身のものができない。

お弟子さんを育てるのは、こういう目には見えない負担がある。
子育てとまったく同じ。

「生き延びる力」に余裕がなければ、「育てる」ことができない。


15/1/14(水)朝 キャンプじぃじの日記

僕には、四人の子供がいる。

どの子も、小さい内にはキャンプや自転車で遊んだ。
今、思うと日本の平均的な父親より、
かなり多く子供と一緒に遊んでいたようだ。

ただ、四人のうち、上二人の時には、
一緒に遊んではいたが「子育て」にはなっていなかった。
それで、上二人は、グレた。

動画■「子供との思い出−筑波山」

そこで僕は、猛省して、下二人はボーイスカウトに入れて自らリーダーをした。
このときに僕は、「子育て」の方法を学んだ。

親子キャンプをしていても、
それが、ただのレージャーなのか、子育てなのか、
何がどう違うのか・・・・・

人生の勉強をその時にさせてもらえた。

それで今、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

ボランティア活動を始めたのだが、
大きな壁にぶつかった。

それは、多くの父親が「子育てがおっくう」という意識があることだ。

これは、掘り下げると、
その父親自身が、その父親に遊んでもらって育たなかったことが原因らしい。
それで「子育てがおっくう」になってしまうらしい。

僕の四人の男の子の内、
長男は音信不通のままだが、
最近になって次男坊が大人しく帰ってくるようになった。

鮭が生まれた川に戻るように帰って来た。
たぶん、子供のころに父親である僕と遊んだ思い出をとりもどしたのだろうか。
大きな心の変化が次男坊に起こった。

小さいうちに父親とたくさん遊んだ思い出・・・・
こんな効果があるんだよ。
建物や車といった「物」では、帰ってこなかっただろう。

レジャーランドへ連れて行っても、
たぶんそれは、「子育て」にはなっていないことが多いだろう。
派手な海外旅行でも、ウッカリすると、

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

ことになりかねない。
「子育て」を意識した遊びには、それのノウハウがある。

次回の「灯篭作り&キャンプファイヤー」の企画は、

冬の夕方の寒さの中で親子で遊ぶ。
そのままだとただ寒くて辛いけど、
キャンプファイヤーで遊べばヘッチャラだ。 こういう体験を親子で味わう。

灯篭作りそのものには、「ロープワーク」を体験する。
キャンプファイヤーの後に紙芝居をするが、
これは、
父親の夜話の代わりのものになる。

プログラムに「子育ての目当て」があるんだよ。
こういうのをお父さんに伝えられればいいのだが・・・・・・

冬の夕方の寒さは、大人の方が「辛い」。
でも、キャンプじぃじは、元気だよ。


15/1/13(火)朝 お弟子さんの日記

 明けましておめでとうございます。

2015年になり早々からいよいよ営業がスタートします!
獲得目標は2件です!

基準などはわかりませんが今回の全体件数と卒業ビデオの物珍しさからイメージして2件の目標を立てました。

これを達成させれば来年度の自分の行動にも大きく変化が出てくるはずです。
きっと大忙しでしょう。
という妄想はさておき、
年初め1回目の日記ですので今年の目標を掲げたいと思います。

・仕事面
 上にも書きましたが「取引先2件獲得」です。
仮に早々に達成したとしても営業を定期的に続け増やしていくスタンスです。
撮影術・知識などの勉強は一生の課題、仕事を取っていく事がメインテーマです。

・生活面
 いきなりやってしまったのですが「遅刻等の時間厳守」です。
社会人として基本的なところ、人に言われてではなく自分自身でどうにかします。
 そして「目標体脂肪率15%」
これは色々と理由があるのですが、
30歳までに理想的な体作りに励もうというのが一番の理由です。
諸事情でバイクから自転車へ乗り換えることにしたので食事をしっかりとりながら体を絞っていきます。

以上、達成へ向けて動き出します。
谷口さんの下での勉強も残り半年弱とあっという間に過ぎてきております。
先々のビジョンをイメージしながら今週からスタートする営業、
そして恐らく最後となる発表会の撮影練習など、集中して取り組んでいきます。


15/1/12(月)朝 キャンプじぃじの日記

スポーツ選手は、
「辛い」「苦しい」「大変」を乗り越えるからこそ、
それを見ている人々が感動をするのでしょう。

何の努力もなしに、調子よく大金をつかんだ話し・・・・
宝くじを当てたとか、
ギャンブルで稼いだ、
こんなことに感動はないでしょう。

人間は、そのままでは、わがままだ。
いかに、
「気楽」「簡単」「便利」「快適」
に過ごせるのかを、つい追い求めてしまう。

でも、そうだからこそ「成長」できなくなってしまう。
それらは、「心の砂糖」だ。
摂り過ぎれば、心の糖尿病・・・・・うつ病などの心のトラブルを起こす。

本当にこのことを分かって欲しい。

仕事柄、ときどきモンスター・ペアレントに遭遇するが、
わめきたてるその内容は、実に幼稚そのものだ。
ビックリするほど幼稚。

「快適」に溺れた普段の生活の恐ろしさを感じるね。

「若い内は、買ってでも苦労をさせろ」

若い内に「自立」に向けた訓練で、
子供に「大変」「辛い」「苦しい」という体験を、
虐待ではなくさせることの重要性を訴えたい。

僕は、身近にうつ病の古い友人がいて、
僕には、どうにも手を差し伸べる術がないもどかしさを味わっている。

育てられ方・・・・甘やかし・・・・過保護・・・・・
これがいかにひどいことなのか、それを目の当たりに見ている。

学問に興味がなく学ぶ気がない子を、
「大学さえ出せば子育てをしたつもり」をしてしまうのは、
非常によくない子育てだ。

子供を
「自立をした一人の大人の社会人」に育てよう!!!

「辛い」「苦しい」「大変」をたくさん乗り越える体験を子供に与えて、
子供の心を強く育てよう!

こういうことで、
子育てを強く意識した「親子キャンプ」は、
非常に有効な子育ての一つの方法だ。

ただ、これは、親も辛い、大変だ。

親も大いに「成長」できる。

「親が成長した分、子供が育つ」

次の企画は、冬の夕方の寒さの中でキャンプファイヤーをする。
親の方が辛い企画だ。

でも、子供は大喜びをたいがいする。


15/1/11(日)朝 キャンプじぃじの日記

「正社員」という名の奴隷制度ではないの?

どこでもいいから「正社員」

そんな風潮を感じるのは、僕だけだろうか。
個人に「自立」の意識がないから、
何が何でも、どこでもいいから「正社員」で「一生涯安泰」・・・・・

今、小さい子が30才になるころには、
僕のようなじぃさんが人口比率でどこの国も体験したことがないほど多くなる。

そこにもってきて、働き盛りの人口は、極端に減る。
そして、
消費の中心であるその年代が少ないということは、
「大量生産」の商品が間違えなく売れなくなる。(国内で)

こういう時代背景に「一生涯安泰」の意識の人からリストラされるのは、
ハッキリしているでしょう。
必要な社員は、

「実践力」のある人材だ。

「僕は、四年制大学を出たんだ。 そんな仕事はできない。」
こんな人材は、不要になる。
いや、たぶんすでに会社のお荷物になっているのではないだろうか。

バブル経済を支えてきた「大量生産」「大量消費」は、確実になくなる。

この時代の変化を考えずに、相変わらず、
「大学さえ出せば、子育てをしたつもり」を現在進行形で子育てをしていないだろうか。

いまや、少子化で希望すればどんなに学力がなくても、
日本の大学に「全入」できる。

一流大学の首席あたりなら「大学出」の価値は高いだろうけど、
三流以下に、しかも相応の学問を学べない子が、
どうやって、一流企業に入れるのでしょうか?

現実的には、
いつ潰れるのか分からない会社になってしまわないだろうか?

今のかなりの親の子育ては、根本的なところで、
「的外れ」をしているように見えるよ、僕にはね。

今、小さい子がこれからの日本社会を「生き延びる」ことができるように子育てをするべきでしょう。

「自立をした一人の大人の社会人」

これを目指して子育てをしましょう。
そのためには、
その子の「個性」をどれだけ親が把握できるのか・・・・
ここが最初に最も重要なことになるのです。

その子の「個性」に合わせた「教育」をして、

「自立をした一人の大人の社会人」

に育てるのです。
だから、
学問に興味がなく学ぶ気がない子を大学へ通わすことは、
間違えであることが分かるはずです。

僕の古い友人が「大学さえ出せば子育てをしたつもり」で育って、
うつ病で働こうとしていないので、
声を大にしてこれを訴えたい。

僕には、学習障害の子がいる。
けっして金持ちになるような仕事をしていないが、
「自立をした一人の大人の社会人」になった。

一所懸命に働いて人生をエンジョイしている。 十分だ。

「自立」

僕は口先で言うだけではない。
今から30年前に10年務めた会社から脱サラをした。
それで今の商売で生計を立ててきた。
「自立」したさ。 貧乏でも「自由」を得た。

古い友人の「大学出」のプライドで生きてきたのと、
高校卒業で「自立」を果たした僕の人生とでは、
まるで真反対の豊かさが起こった。

どうやら、その古い友人は、持ち金を使い果たしそうだと言う。
どうなってしまうのだろうか・・・・・

「大学さえ出せば子育てをしたつもり」
本当にひどい子育てだ。

親の「欲目」ではなく、
もう一度言う、親の「欲目」ではなく、

その子の個性に合った教育をしよう。
「自分と物」ではなく「自分と人」との関係で幸せを築けるように子育てをしよう。


15/1/10(土)朝 キャンプじぃじの日記

小学生が下校しているときの会話で、
「僕は、〜〜〜に通ってるんだ。」
「わたしは、〜〜〜〜習ってるんだ。」
という具合に自慢話をしていた。

習い事自体は、
その子の「個性」に合っているのなら有効な子育てになるだろう。
あくまでも「その子の個性に合っている」ならばの話しだが。

さて、問題はここだ。
「僕は、四年制大学を出たんだ。 そんな仕事は出来るはずがない。」

四年制大学を出たということで「高慢」を身に付けてしまっている。
本人の「仕事の能力」がこれから問われるというのに、
その「働く能力」がなくても、
本人は、プライド高く「仕事を選べる権利」を主張するようになる。

ところどころの職場でこういう高慢ちきの話しを聞くことがある。

僕の身近にもいる。

小さいうちから「僕は、〜〜〜に通っているんだ。」というプライドは、
将来、「仕事を選べる権利」になってしまわないだろうか?

例えば、僕のような個人事業では、
商売の立ち上げ期には、仕事を選んでなんかいられない。
収入が足らない分、あらゆるバイトで食いつなぐ時期がある。
夜中の仕分け作業をやった。
誘導棒を持って、交通整理のバイトもした。

技術職には、必ず何らかの「修業期間」がある。
高慢が身に付いてしまった人は、この「修業」が出来なくなる。

実際にこういう人に僕は、会ったことがある。

修業なしに、技術職に就くなんてまったくのナンセンスでしょう。

結婚も似たような症状を起こしているのではないだろうか。

「わたし、〜〜〜大学の卒業ですの。
  惨めな収入の男なんて嫌だわ。 私に相応しい人がいないかしら。」

少なからず、僕は、こういうタイプの人を何人も見た。

「高慢」

これを子供が身に付けてしまったら、
その後の人生を大局的にみて、いいことはない。
けっしていいことはないでしょう。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする。」

これが「高慢」の発生原因だと僕は、強く思う。

大自然の厳しさを子供に体験させる。
そうすれば、
つい、うっかり、「高慢」が張り付きそうになっても、
子供の心からひっ剥がしてくれる。

あとは、父親の「言葉」でさらにその「高慢」を綺麗に取り切ってしまえるだろう。

大自然の厳しさの体験は、

子供より大人の方が辛いものだ。

なぜなら、大人の方が「快適」に溺れた生活が長いからだ。

「気楽」「簡単」「便利」「快適」に「成長」はない。

「辛い」「苦しい」「大変」を乗り越えたときにこそ、

何らかの「成長」が起こる。

僕の活動の「子育ての面白さをお父さんに伝える」のだって、
一つの「成長」を目指すわけだが、
当然のことながら、
そこには、ちょっと「辛い」「苦しい」「大変」がある。

次の活動の冬の夕方の寒さの中での「キャンプファイヤー」や、
その次の「ハイキング」には、
大人の方が辛いものがある。

子供の「成長」のために父親がどこまでできるのか、
金で教育を買って済ませるのではなく、
父親が直接どう子供に関わって子育てができるのか、

そして子供の自立がどう重要なのか、

僕の挑戦は、これを分かってもらいたいがために行っている。
非常に難しい挑戦だ。

僕は、自分の子のためにやったよ。
「子育て」が目的の雪中キャンプ。

動画■「雪中キャンプ」


15/1/9(金)朝 キャンプじぃじの日記

これからの日本社会がどうなっていくのか

このことを考えずに、
ただ大学さえ出せば子育てをしたつもりの親は多い。

本当に大丈夫?

今、子供が小さかったら、ぜひここをよく読んで欲しい。
そして、
これからの日本社会を「生き延びられる」ように子供を育てよう。

形式的に「学力」さえ高めればどうにかなる・・・・これが今の子育てで多い。

そうではなく、
これからの社会で「生き延びる」ことができる心に子供を鍛えるべきだと思うね。

この二つの違いを知って欲しい。

形式的な方は、バブル経済の悪癖だ。

「生き延びる」方は、
これからの「成果で報酬」「労働の流動化」「女性の活躍」
こういうキーワードで読み取れる「能力主義」の社会で「生き延びる」という意味だ。

僕の子のように学習障害か、その傾向がある子でも、
これからを生き抜く力。

これのパワーは、どれだけ父親に「生き方」を子供が教わったのか、
これによって決まると僕は、思う。

子育ての目標を「自立」に据えれば、その子は本当の自由を得やすい。

「自分と物」とではなく「自分と人」との関係で幸せを築ければ、
心の豊かな人生を歩める。

そもそも「幸せは、それを感じ取る能力の問題」だ。

「気楽」「便利」「簡単」「快適」に「成長」はない。

「大変」「苦しい」「辛い」ということを乗り越えたときにこそ
なんらかの「成長」が起こる。
この「成長」にこそ、生きる感動がある。

僕の子は、僕のこの考え方の影響を受けている。

僕の子たち、
けっして、金持ちにはならないけど、人生は豊かにして欲しい。
僕の祈りだ。

せっかくの人生だ。 「快適」ではなく、感動のある人生を送って欲しい。


15/1/8(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

僕の住む埼玉県、ここに「さいたま市」がある。

盆栽で古くから有名だそうだ。
それで、フランスはパリで、
この盆栽の展示販売のアンテナショップを開くという。

まぁ、商品化できるかどうかは、分からないが、
日本の優れた商品を積極的に全世界に売っていく・・・・・

このことがこれからの日本を支えるものだ。

全世界を相手に「いいもの」なり「いいデザイン」を売っていく。

和食も世界の文化遺産になった。

商品開発、商品化、をしていくためには「一生涯安泰」の意識では、出来ない。
命がけに仕事に取り組む心の強さが求められる。
そういう「心の強さ」は、「個人の自立」があって身に付くものだ。

「簡単」「便利」「気楽」「快適」

これで育った人が、こういう「自立」や「心の強さ」で仕事ができるかどうか、
真剣に考えよう。

僕ぐらいの歳になると、
その人の生き方の姿勢が結果として出てくる。

それは、金持ちになったかどうかではない。

「自分と人」との関係で、心の豊かな人生を築けたかどうか、
この答えが出てくる。

若いころから「自分の消費」以外に考えたことがないまま歳をとると、
そういう人は、見ていて惨めだ。

個人事業のビデオ屋も、
こういうことで「機材」に囚われている人は、早晩、行き詰る。

人生なら「生き方」というソフトウエアーに、
ビデオの仕事なら、作品作りに、このソフトウエアーの能力が問われる。

「ソフトウエアー」とは、「利用技術」とか「応用技術」という意味だ。

それに対して「物」のことを「ハードウエアー」と呼ぶ。

ハードウエアー依存からソフトウエアーへ意識を変えた人が、
これからの日本社会を支えていく。
いかざるを得ない。

こういうことを理解できる若者をビデオ屋に育てていきたい。
「物」の呪縛に囚われている人は、僕は、嫌いだ。 
話をしていてつまらない。

人生のソフトウエアー。 ここを育てるべきでしょう。


15/1/7(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、2月の企画「ハイキング」のコースの下見をした。
初めての企画だ。

幼稚園に通う子を対象にした内容にしたいので、
距離を5`ぐらいと初めに想定したが、
5`では、「ハイキング」の感じにならない。

でも8`以上だと、大人は大丈夫だが小さい子では、ちょと難しい。
そこで、6`以上8`未満のコースを探し出した。

さぎ山野営場をベースキャンプに、
用水路沿いに周回コースを見つけ出した。
距離は、実測で6.8`だ。 丁度いい。

車の往来が少なく、しかもその途中、
ほんの少しだが雰囲気だけアドベンチャーな道もある。
そこは、普段のサイクリングで見つけたものだ。


今月の「灯篭作り&キャンプファイヤー」は、
活動自体にお父さんの補助を体験するという目当てがあるが、
この企画は、冬の夕方なので、
自然の中で次第に暗くなることと、だんだん寒くなる、
こういう自然体験も重要な要素だ。

それでいて、夕方の6時には、終了予定だ。
夏では、もっと遅くなってしまう。
カブスカウトの活動を年に70日もやっていた時のノウハウだ。

これは、子供より慣れていない大人の方が辛いことがある。
子供の方が順応性が高い。
そこにもってきて、大人の方が「快適」に犯されているから、
だから、大人の方が辛い。

食べ物系の企画と違って、
インパクトが低い上に辛そうだから参加者がいるかどうか・・・・
次の「ハイキング」も同じだ。

しかし、この二つの体験こそ子供に必要な自然体験になる。
このことに気付いて親が奮起をすればいいのだが・・・・

僕は、子供の訓育のため雪中キャンプをやった。

動画■「雪中キャンプ」

これは、僕の趣味でも楽しみでもなかった。
子育てのためだけに実行をした。


15/1/6(火)朝 キャンプじぃじの日記

この正月休みには、
普段会うことがない子供たち、古い仲間に会って酒を酌み交わした。
孫にも会えた。

一度自立を果たした子供と一緒に生活をしたいと思わない。
これは、子供にとっても同じだろう。

「親離れ」「子離れ」をシッカリ果たしたからこそ、
久しぶりに会えるのがとっても楽しみになる。

でも、兄弟同士はどうだろうか。
僕は、自分の子に「せっかくの兄弟なのだから、仲良く遊べ」と言い続けている。

「兄弟」は、親子関係ではない。
どちらかと言うと、「仲間」だ。

この間の忘年会は、
「 Snowmen Camp Club 」の前身である「 Snowmen Ski Club 」の古い仲間だった。
だいたいが高校の時のクラスメイトだ。

その内の二人がいまだに継続して一緒に遊んでいる。
「けんちん汁&餅つき」のボランティア活動も彼らが手伝ってくれた。

そして、僕の子は、これをま近に見た。
「兄弟」の理想をこうして僕は、古い仲間で子供に見せた。
これの効果を期待したいところだ。

子供は、父親の真似っこをして育つ。

だから「父親が成長した分、子供が育つ」わけだ。
金で教育を買っても、子供は、それを身に付けることが少ない理由だ。

子育ての目標は、「子供の自立」にある。
そしてこの「自立」に向けて父親がどれだけ適切に子供を訓練できるのか、
ここが非常に難しい。

「教育」って、子供の自立を促すための各論でしかない。
だから子供の「個性」に合わせた「教育」をしなければ、
まったく、子供にとって無駄なことになることがある。

「子育て」と「教育」の違いを理解できた父親がいい子育てをするだろう。


15/1/5(月)朝 キャンプじぃじの日記

そもそも、僕がビデオカメラを買った理由は、
スキー仲間を撮ることだった。

それで、「子供をビデオで撮って売る」商売を思い付いて、
それで生計を立てているうちに、
今度は、オッチャンになった自分の子をビデオで撮った。

動画■「15 Yeti でスキー」

それで、宿で、小さかった僕の子供の映像をPCで再生して、
オッチャンになった子供に見せた。

自分の思い出をどう見たのだろうか・・・・
写真なりビデオなり、
子供のかわいかった姿を残せるのは、不思議な人生の効果がありそうだ。

かわいくないオッチャンになった子供でも残せれば、
何かの効果がありそうだ。

思い出って何だろうか?
僕の仕事の永遠の不思議だ。


15/1/4(日)朝 キャンプじぃじの日記

今年の正月も、

自立をしていなくなった子供たちとバカ騒ぎをして遊んだ。

今日あたりにその動画をアップしたいね。

すっかり、これ、僕の新しい趣味になった。


15/1/3(土)朝 キャンプじぃじの日記

僕の四人の男の子は、

♪ じんせい いろいろ ♪ で生きている。

僕を頼らずに生きている。
みんな自分勝手に生きている。

でも、こうして家族が集まってバカ騒ぎを楽しんだ。
長男だけが音信不通だが・・・・・・

昨日の夜は御殿場市の宿で、「谷口Fの歴史」というDVDで盛り上がった。

子供に飯を喰わせていたときは、
何が何でも稼がなければ・・・という気負いで緊張した人生だったが、
僕は、もういつ死んでも大丈夫だ。

滅茶苦茶面白い人生だった。
でも、まだ地球の空気を吸って生きている僕。

今年も「子育ての面白さをお父さんに伝える」を生きている限り挑戦するぞ!

子供を自立に向けて「訓練」をして育てましょう!!


15/1/2(金)朝 キャンプじぃじの日記

僕の四人の男の子の内、三番目の子が御殿場市に住んでいる。
今、その御殿場市のファミレスから書き込む。

そこで、三番目の子と合流して朝食をとった。
三男坊は、これから介護の仕事でご出勤だ。

ばぁばと僕、次男坊と末っ子の四人で

「Yeti」

へスキーをしに行く。


15/1/1(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

先日、古い仲間の忘年会があった。
よく分からないが、僕と同じで何か商売をしている者、
不動産業を営んでいる者、
うつ病で働いていないヤツ、
サラリーマンが一番多くいる。

60才で定年になってどうするのか尋ねたら、
継続をして働く意欲は、みんな少ない様子だった。
仕事内容に魅力がない、
賃金が安い、
そういうことらしい。

未だ根強くあるらしい「終身雇用」「年功序列」で、
我慢をして会社に仕えてきたのに、それでは寂しすぎないだろうか。

僕は、生き延びていくために、
体を動かし働き続けなければならない個人事業だ。

でも、
そうしたサラリーマン事情を聞いて、
好きな仕事で適度な緊張感があって、
このことで生きている実感がある今がとっても幸せに感じた。

生き延びてくる間にいろいろなことを覚えた。
これはただの知識ではなく、やってきたことだ。

「商品開発」「商品化」「差別化」
「理念」「戦略」「戦術」これの使い分けと実行

どういう商売でもこれが基本中の基本だ。
個人事業でも、会社経営でもこれは同じ。

これからは、会社組織の中でも、
サラリーマンでも、
これらを身に付けた方がいいと、僕は、本気で思っている。

会社組織の中であっても「個人の自立」が求められると思う。

いつでもその会社をスピン・アウトできる能力を身に付けた方がいいと思う。

「自立」・・・・そこには本人の「責任」が問われる。
だからこそ本物の「自由」が手に入る。

これからの時代を生き抜く子供たちに、
ぜひ身に付けて欲しいことだ。

そのためには、父親自身がこのことに気付く必要がある。
今までの「働き方」は、政府も必死に変えようとしているでしょう。
今まで通りの働き方では、国の存続が危ないからだ。

大学さえ出せば子育てをしたつもり・・・・・滅茶苦茶リスクがある。
そうではなく、
その子の個性に合った特技を身に付けさせるべきだと強く思うね。

誰にも負けない特技を子供に身に付けさせた方がいい。

「自立」に向けて育てられた人は、幸いだ。
若い内は、非常に辛いだろうけど、本当にそう育てられた人は、幸いだ。

「若い内は、買ってでも苦労をさせろ」

今の子育てで最も重要な格言だと思うな。
「気楽」「簡単」「便利」、
強いて言うなら「快適」に成長は起こらない。

「大変」「困難」「辛い」「苦しい」
これらを乗り越えたときにこそ「成長」がある。
人生、一生涯成長だ。

この何らかの「成長」にこそ、生きる感動があるのさ。

お弟子さんが喰っていけるようにどう出来るのか・・・・・
僕は今、これに挑戦をしている。
これの成功は、僕の成長でもあるわけだ。

面白い人生さ。