スノーメン タイトル



お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
「子育ての面白さをお父さんに伝える」 ことを目指します。
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「 YouTube アップ中の動画」 
             最新作ご案内「工作で工夫を身に付けよう」
                      (BGMは、著作フリーを使用しています)
「教育」と「子育て」の違いを知って、心の強い子に育てよう!
         ページ■「キャンプじぃじの子育て論」
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〜子育てを意識した親子キャンプの動画〜

「プロローグ」                「工作で工夫を身に付けよう」

「初級編」 「中学生の心を育てる親子キャンプ」

「自立に向けた親子キャンプ」 「遊びの進化」 「雪中キャンプ」 

「親子キャンプ」 「刃物と火力の取り扱い」 「14 カレー作り」

「14流しそうめん」「14芋煮&手打ちうどん」「14けんちん汁&餅つき」

「15 灯篭作り&キャンプファイヤー」 「15 ハイキング」

「エピローグ」  さぁ、繰り出せ親子でフィールドへ 「アウトドアーの効用」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に掲載
● 木曜日には、「ビデオマンの日記」・・・・ビデオ屋を目指す方へ
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」・・・子育て真っ最中の方へ
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」・・・・老後の提案
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15/4/30(木)朝 復活サイクリストの日記

下見サイクリング。

昨日のあの天気の良さは、ジッとしていろというのがむり〜〜〜。

もうどこでもいいから、ペダルを踏みたくなった。
それで、とりあえず「手賀沼」を下見しようと思いついた。
ばぁばをオートサイクリングで連れて行くのに丁度いい季節だ。

それで、さらに思い付いた。

今度の金曜日に、幼稚園の遠足で船橋市にある「アンデルセン公園」に行くことになっている。
初めての現場なので、
ついでにそこも下見をすることにした。

それは、ビデオの撮影はしない。
年少、年中さんの親子遠足で、
僕はそれの「救護係」で行く。

自前の救急用品と、簡易ベッド、それを持って、
万一、具合が悪くなった人を救護する。
とくに、今頃は、熱中症が心配だ。

だいぶ前だが、
フィリッピンのママが、ハイヒールで来て、
ヒールが折れて、スニーカーを買いに行きたいというのをフォローしたことがある。

呑み屋さんで隣にフィリピーナが座ってくれたら、
それなりに楽しいわけだが、
真昼間、助手席にフィリッピンのママが座っていても、
ただのトラブルなわけだが、「人は状況によって感情が変わる」ということを痛感したことがある。

「アンデルセン公園」「手賀沼」を下見して、
帰って来た。

夜は、休暇でいる末っ子と、次男坊を迎えて、
鋭意激励の飲み会をした。

古い友人、大家のおばぁちゃんも誘ってワイワイと楽しんで、
その勢いで、カラオケ屋さんへ行ってしまった。

僕は、風呂のない二間のボロアパート住まいの貧乏人だが、
「人生を工夫して愉快に過ごす」天才だと自負している。

若いころに乗り越えた「艱難」や「苦労」、
これらは、歳をとってから「心の豊かさ」に昇華をする、これを実体験している。
若いお父さんがこのことを意識して子育てをしたら素晴らしいね。

「気楽」「簡単」「便利」「快適」に成長はない。
「辛い」「苦しい」「大変」
これを乗り越えたときにだけ「心の成長」が起こるものだ。

「子育て」という状況を、「つまらない」と思うのか、
「面白い」と思うのかでは、
子供の成長がまるで違ってしまうということは、理解できるでしょう。


15/4/29(水)朝 キャンプじぃじの日記

突然、末っ子が帰って来た。

まだ少し反抗期の余韻が残っているものの、
だいぶ大人っぽい感じはでてきたと思う。

まだ23才なので、幼稚なところがまだあるのはしょうがない。
そういう僕自身も、振り返ると、
同じ年頃のときには、非常に幼稚だった。

この「大人の幼稚」こそが、子供の成長に悪影響をした。
僕の四人の男の子の内、上、二人がグレてしまったのは、
僕の「大人の幼稚」が原因だ。

僕は、こういうことで「ダメおやじ」の頭だ。

この反省があるので、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

というボランティア活動をしているわけだ。
懺悔の気持ちをもって、毎回行っている。
僕と同じドジを若いお父さんが踏まないように・・・・
これが活動の原動力だ。

それでも、ここにきて次男坊が大人しくなって帰ってくるようになった。
このことがとっても僕に活動する勇気をくれている。

しかし、長男は音信不通のままだ。

この長男の音信不通は、僕に日々反省を求める天の声に聞こえる。

子供を

「自立をした一人の大人の社会人」

これをシッカリと自覚をして育てよう!

子供の育ち具合は、100%親次第だ。
だから僕は、父親にこだわっているわけだ。
今年度、その花が咲きますように。


15/4/28(火)朝 キャンプじぃじの日記

今回の「カレー作り」は、
3人の幼稚園の年長さんたちだった。

その中の一人は、もう僕の活動に何回も参加をしてだいぶ慣れてきた。
この子が、ムードメーカーになって、
他の二人を引っ張っていた様子だ。

歳は同じでも、そこには「異年齢交流」の効果があったようだ。

おおむね、小学校2〜3年生ぐらいの作業量をこなせていた。

子供の成長は、凄い。

ママやパパたちもこの活動の趣旨を理解してくださっているようで、
「指示待ち」は、なかった。
なるべく子供に作業をさせていた。

それでいて、子供ができないところをママやパパがフォローするという理想的な運営が出来たと思う。
これが根付いてくれれば非常に嬉しいんだが、
今年度は、飛躍したい。

ところで、僕は「自分のこと」ではないところに、
「生きる面白さ」を見出せているよね。

これが「子育て」の本質だね。

親が自分の「楽しみ」で頭がいっぱいの状態では、子育てにならない。

「我慢」をするのではない。

子供の成長を願って、「自分以外」のことに夢中になれる。

これこそが「親の成長」なんだな。

このことに気付くことができれば、
子育てに感動を親が味わえるんだよ。

この感動は、「物を手に入れて嬉しい」というような陳腐なものとは、
全く違う。
それこそ「生きている喜び」だ。

これにお父さんたち気付けば、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」ということに成功する。
なんとしても、この挑戦に勝利したい。


15/4/27(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、恒例の「日曜晩餐会」をやった。

僕とばぁば、中学からの友人に大家のおばぁちゃん、
そして、昨日は、高校の時からの友達も来た。

もう、こいつらとは、45年ぐらい一緒に遊んできた。

古い友達はいい。
僕は、普段、ここに「自分と物との関係」ではなく、
「自分と人との関係」で幸せを築こうと訴え続けている。

家や車で幸せを手に入れようとしても、「四苦八苦」するだけだ。
でも、

「自分と人との関係」で幸せを築くと、とっても豊かな人生が出来上がる。

それで、最も重要な「自分と人との関係」は、自分の子だ。

子供は、順調に心の成長をすると、
だいたい小学校高学年ぐらいから「親」と一緒より「友達」と遊ぶ方がよくなっていく。

だからこそ、小学校四年生ぐらいまでは、
たくさん自分の子と遊ばないと、
自分の子との関係で「自分と人との関係」が築きにくくなってしまうんだよ。

どれだけ、
小学校四年生までにお父さんが子供と遊ぶ体験を積み上げられるのか・・・・・
僕は、本当にこれこそが本物の「幸せ」を得られると思う。
子供を

「自立をした一人の大人の社会人」

に育てると、元気よく親から子供が去っていく。

でも、子供が次第に大人になって古巣を思い出す時がくる。

そうして戻ってくる子供に僕は、人生の本当の豊かさを味わったよ。

「エピローグ」


15/4/26(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

昨日は、これで4回目になる「カレー作り」を「さぎ山野営場」で行った。

年度初めに行うこの活動は、
「さぎ山野営場」に慣れていただくことが、目当てだ。
だから最も簡単な調理である「カレー」を作った。

3人の幼稚園年長さんと、そのパパ、ママ、が参加をしてくださった。

年長さんが何かの作業を継続できるのは、
幼稚園のプロの先生でも、「集中」できるのはせいぜい30分。
かなりのベテランで、1時間だろうか。

でも、昨日は、所々で子供たちが飽きてしまったこともあったが、
おおむね、買い出しから調理、食器洗いまでをこなすことが出来ていた様子だ。

ボーイスカウトでは、一番年齢の低い「ビーバースカウト」に当たるが、
その上の「カブスカウト」の内容をこなせた。

「大はなまる」だ。

昨日の参加者の中に、ボーイスカウトだったパパがいた。
話しが弾んで僕も滅茶苦茶楽しかった。

ボーイスカウトでは、「子供の訓育」が目的だ。
僕の活動は、「子育ての面白さをお父さんに伝える」こと、
やっていることは、同じでも、「目当て」が違う。

これをそのパパに説明した。

なんだか、今年度は、エキサイティングに面白くなりそうな雰囲気だ。
期待、しちゃおうかな。


15/4/25(土)朝 Snowmen Camp Club

本日、予定通り「カレー作り」を「さぎ山野営場」で行います。


その「さぎ山野営場」の動画をアップしました。

「工作で工夫を身に付けよう」


15/4/24(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、今度の活動の準備の前の「さぎ山野営場」の整備をした。

草刈をした。
そして俗称「いぬしで」という木から落ちて来たフサフサした実だか何だかが落ちていて、
それが、地面に大量に張り付いている。
ブロアーでは、飛ばせないので、
これも、草刈機で地面から引っ剥がす。

箸よりも重いものを持たない僕が、この肉体労働をしたので、
滅茶苦茶、腰が痛くなった。

僕は、ギックリ腰の癖があるので、
昨日は、いつもの銭湯の湯船に、いつも以上にタップリ浸かって、
バンテリンをたっぷりと腰に塗った。

効果があって、今朝は調子がいい。

今日は、「さぎ山野営場」に「カレー作り」のための資材搬入と、
大量の水、20gタンクを9本持って行く。

今夜も、バンテリンのお世話になりそうだ。


15/4/23(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

僕は、「卒業ビデオアルバム」を専門にしたビデオ屋だ。

この仕事の商品開発だけで、脱サラをして7年かかった。
その間、バイトをしたり、零細のビデオ屋からギャラ仕事を貰ったりしながら生き延びた。

どうしてもこの仕事をしてみたいという強い意志がなければ、
「気楽」「簡単」「便利」「快適」ということに溺れていては、
決して耐えられなかっただろう。

「商品開発」だけでは、喰っていけない。

それを売り込む「営業」ができなければ、
この仕事に限らず、あらゆる商売が成り立たない。

食べていけるだけの顧客確保に、飛び込み営業をたくさんした。
辛い飛び込み営業を「実行」するためには、
「自立」と「強い心」が不可欠だ。

こういう「辛い」「苦しい」「大変」などを元気よく乗り越えた者だけが、
「生き延びる」ことができる。

「卒業ビデオアルバム制作」

こういう「生き方」には、本物の「自由」がある。
正しく「命がけ」の人生だった。
それで得られたものは・・・・・

「仕事のあるのんきな余生」だ。

「15 筑波山」


15/4/22(水)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、筑波山までサイクリングをした。

それまでの雨で、そこら中にぬかるみがある。
僕は、ロードで砂利道を走るが、
タイヤが細いので、深い砂利道は走れない。

それと、砂の上も無理だ。
土のぬかるみもダメ。

こういうことで、昨日はあまり土手を走れなかった。
アスファルト・オンリー。
ロードだから、当たり前か・・・・・

気温は、少々低めだが、走ってちょうどいい感じだ。
寒くもなく、暑くもない。
自然に、ペダルに力が入って「快走」そのものだった。

筑波山の裏道の急坂は、若かったころは、自転車をこいで登れたものだが、
もうダメ。
自転車を押して歩いても、しんどかった。

どんどんと歳をとって、いろいろなことが出来なくなっていく。
これはしかたがない。
だからこそ、動けるうちにたくさんサイクリングを楽しんで、
天国へのお土産にしたいものだ。

「年老いていく」

こういう条件の中に「工夫」して人生を楽しむ能力。

「幸せは、それを感じ取る能力の問題」

このことを身に付けることで、「若いころと同じ」ではないことに、
「人生の豊かさ」を見出せるわけだ。

質素な生活の中に「工夫」して、人生を「作る」感覚を
僕は、自転車遊びで覚えた。

おかげで、老後が愉快だ。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

こうして育てられた人は、
晩年も「豪華、贅沢」の限りをし続けないと人生に満足を覚えられなくなる。

その「豪華、贅沢」を手に入れ続けられる分には、
いいのだろうけど、
そういう人は、それほど多くないでしょう。

その「豪華、贅沢」を追い求めているうちに破産・・・・・
ありがちな話しではないかな。

それだけではない。
そういう「豪華、贅沢」を追い回す分、子供に目がいかない。
子育てを他人任せにしやすくなるでしょう。

無理をして家や車を手に入れた分、子供に寂しい思いをさせてしまう。
僕は、こういう人を見たことがある。

サイクリングよりハイキングの方がもっとお金がかからない。
ハイキングより、子供の手をギュッと握って散歩をするのは、
まったくお金がかからない。

僕は、朝から子供の手を握って一時間以上毎日散歩をしたものだ。
本物の「幸せ」を毎日味わった。

そして僕の子供たちは、自立していなくなった。


15/4/21(火)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園は、それぞれに「教育目標」がある。

鼓笛隊に力を入れているところ、
体育教育に力を入れているところ、
お受験幼稚園、
人間関係に力点を置いているところ、
宗教教育を盛り込んでいるところ、
etc,

それぞれに主張がある。

でも、どこもハッキリした共通点がある。

それは、子供にテレビゲームをさせていないことだ。
僕は、幼稚園を相手にしたビデオ屋だ。
この商売をして、早、四半世紀になろとしている。
たくさんの幼稚園を見てきた。

それで、間違えなく幼稚園では、テレビゲームはさせていない。

どういう意味でしょうか?

それは、子供の成長にテレビゲームが必要ないからだ。

いや、正確には、子供の成長にテレビゲームは、有害でさえある。

でもどうでしょうか?
「みんなが持っているから」という理由、
「子供が一人遊びをして子育てが楽だから」という理由、

どういう理由かは分からないけど、
親が子供にテレビゲームを与えているよね。
親が与えない限り、子供はテレビゲームをしない。

実際は、僕の子の場合、友達に古いテレビゲームをもらって、
陰でしていたということもある。
理由をハッキリと説明した上で、テレビゲームを廃棄したものだ。

テレビゲームの一番の弊害は、「対人関係」が苦手になってしまうことだ。
当然のことながら「会話」も内容のないものしかできなくなりやすい。

昔の子供は、
「自分のおもちゃは、自分で作る」ものだった。
テレビゲームほど過激ではなくても、
今の子供のおもちゃは、ほとんど「出来上がっている」ものばかりだ。

「工夫して作る」

こういう体験も極端に少なくなった。

本当に子供の「成長」を願うなら、
ぜひこのことを熟考して欲しい。

親が「楽」だからと言って、
子供に「簡単」で「楽しい」というテレビゲームや、「出来上がったおもちゃ」を
与えることに、ぜひ疑問を持ってほしい。

せっかく幼稚園で「脱テレビゲーム」に取り組んだ生活を子供にさせても、
家庭で親が子供にテレビゲームを与えていたのでは、
元も子もない。

「スマートフォン」も同じこと。

顔と顔を突き合わせて、「生の会話」ができなくなるよ。

「英語」を子供に押し付ける以前の問題だよな。

戸田市の「道満グリーンパーク」で「親子で工作」のボランティア活動を、
かれこれもう10年以上やり続けてきた。
お父さんと子供がスキンシップをとりながら、小さな工作物のおもちゃを作る。

とっても小さな活動だが、そこに含まれるものは、意味は、実は大きい。


15/4/20(月)朝 復活サイクリストの日記

貧乏年寄りのささやかな、お金のかからない楽しみ。

「15 巾着田〜川越サイクリング」

でも、とっても心は豊かになれるんだな。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

ばぁばと二人でこうしてサイクリングで遊んでいる分には、
地球環境をそれほど悪くは、しないでしょう。

「親の最大限の豪華、贅沢」

これがどれほど地球環境悪化をしていることでしょうか。
本当にこれからを生き抜く子供たちのことを、真剣に考えたら、

「質素な生活で、工夫をして愉快に過ごす」

ことがいかに重要かが分かるよね。

今朝の読売一面に、
「危険空き家 判定基準」という記事が出た。

サラリーをはたいて、やっとの思いで買ったマイホーム。
でも、その親が死に、子供は別の「豪華で贅沢」な家に住むことで、
「空き家」は、2013年には、820万戸もあるそうだ。

これも「環境悪化」の要因になっている。

本当にこれからを生き抜く子供たちのことを真剣に考えたら、
「質素な生活で、工夫をして愉快に過ごす」べきでしょう。

お墓の問題もそうだね。
「先祖代々」がもうすでに崩れてしまった「お墓」。
草ぼうぼうになっている。

その「親の豪華、贅沢」を得るために、
子育てさえ「他人任せ」になっていないだろうか?

僕が一番問題に感じていることは、これだ。

夕食には、一家団欒で愉快に過ごす。

「物」を得るために、これがないがしろになっていないだろうか。

僕とばぁばは、安上がりに、でも心は豊かに愉快に過ごせているよ。

「エピローグ」


15/4/19(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、ばぁばと二人でサイクリングをした。

国道16号線で荒川を渡ったところまで車で行って、
そこから、「巾着田」までサイクリングをした。
「オートサイクリング」だ。

そして、ばぁばは、走るのが遅いので、僕はミニサイクルで走る。
ロードだと、遅すぎてお尻が痛くなるからだ。
でも、昨日は、ミニサイクルでもお尻が痛くなった。

なぜ、お尻が痛くなるかというと、
それは、「ピッチ」が低く、ペダルを踏む力が少ないからだ。

普通にロードで走ると、
僕の場合、ツーリングでだいたい、70〜90回転/1分間だ。
これだと、常に軽くお尻が浮いた状態になる。
それで、お尻がペダルから離れている分、痛くならないという訳だ。

一日中、真っ青に晴れ渡って気持ちのいいサイクリングだった。
帰り道に「川越」に寄った。

ここにある、おしんこ屋さんで「青唐辛子」を買った。
実は、今回のサイクリングで一番目指していたのは、この「青唐辛子」だ。

サイクリング自体は、ばぁばの「お守り」だった。
気を使って生きていくのは、大変なんだよ。

近々、動画をアップします。


15/4/18(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日のサイクリングを動画でアップした。

「15 自然の中を遊ぶサイクリング」

今、大宮にあるファミレスから書き込む。
これから、ばぁばと二人で「巾着田」までサイクリングをする。

ここのところ、いろいろな事情で自転車に乗れなかった。
それの欲求不満が一気に爆発した感じだ。

若いころに覚えた趣味は、本当にいい。


15/4/17(金)朝 復活サイクリストの日記

今頃は、「卒業ビデオアルバム」のDVDのマスターが出来上がって、
それを必要数量のDVDに作る「後処理」の仕事をしている。

簡単に言えば、内職だ。

ボロアパートの中に一日中こもって、DVDを焼いたり、
また、そこに盤面印刷をしたり、
表紙を印刷したり
そして、パッケージする。

僕のようにアウトドアーが好きな者にとって、
この「部屋にこもる」というのがとっても辛い。

昨日は、午前中撮影があって、
それなりに、楽しかった。
午後からは、この「後処理」をするつもりだった・・・・・

しかし!
昨日のあの青空。
暖かい空気。
ムズムズするな、という方がむり〜〜〜。

と、いうことで、早めにお昼を食べて、
愛車、ロードにまたいだ。

もうどこでもいい。
ともかく、ペダルを踏んで空気をかき分け、かき分け、走りたかった。

古利根川を上って行く。
春日部あたりで、「中川」が、古利根川に接近する。
そこで、
古利根川の土手から、中川の土手に乗り換えて、
今度は、中川を下って行く。

気持ちいいのなんのって、もう最高!
土手ばかりでは飽きるので、
一般道を避けながら、小道を選んで走る。
いったいどこをどう走ったのか、サッパリ分からない。
ただ、方位磁石で方向だけは、アバウト確認した。

でも、昨日のように晴れていると、「影」だけでもだいたいの方向は分かる。

急に暑くなったせいか、疲れ方がだるくなった。
これからは、「熱中症」に気を付けなければならない。

ちょうどいい具合に発散できたところでボロアパートに帰還。

それから、大人しく内職仕事をしたよ。
睡魔と闘いながら、一所懸命に内職をした。

そうしている内に、ばぁばが仕事から帰って来て、
二人でいつもの銭湯に行って、
いつものように、「ビールもどき」でつまみを食べながら、
内職の続きをした。

僕は、仕事熱心だ。

なぜか、誰にも言ってもらえない。

業務連絡
こういうことで毎日、夕方6時〜7時ごろには、
銭湯の湯船に浸かっていますので連絡が取れません。
悪しからず。


15/4/16(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

この数年は、
保護者が不法コピーで海賊版を作ってばら撒き、
DVDが売れなくなった取引先を整理した。

その分、新規開拓をして、売り上げを確保できた。
幼稚園で2件、小学校を1件、新たに取引をした。

これから、どんどんと歳をとって動けなくなるから、
「仕事量」は、制限せざるを得ない。
その分、「仕事の質」を高めるというのが、
今後の僕の戦略だ。

老後は、のんびりがいい。

こうして、自分の仕事を自分でコントロールできるところが、
自由業の最大のメリットでしょう。
勤め人では、こんな贅沢なことは、できないだろう。

しかも、僕には「定年退職」なるものがない。
生きている限り、働く。

だから、自分で気に入った仕事だけを残していくわけだ。

「働く」ということの意味をタップリと味わっている。

「働く」ことをしないで「楽」をする・・・・・・
これを「幸せ」だと思ってしまう人は、
よっぽどもそれまでの仕事が本人に向いていなかったからだろう。
そういう「生き方」は、辛かっただろうね。

僕は、「自分に向いた仕事」を開拓するのに命がけで取り組んだ。

だから、僕の今の仕事は、100%やり続けたい仕事だ。
もう生きがいだ。
だからこそ、嫌な仕事は整理した。

僕と同学年の人は、今年60才になる。
定年退職で何もすることがない人も出てくる。
僕には、そんなつまらない人生は、辛すぎるな。

「働く」という意味。
「日用の糧を得る」これが直接的では、非常に重要なところだ。
でも、
それだけでは、「生き生きと生きる」ことが出来ない。

「人はパンだけでは生きられない」
自分という存在価値を「働く」ことで得られる。
これは、「心」の問題だ。

一番惨めなのは、
「物」を得るために、これを目標にした人生だと僕は思っている。
それは、「物」を得たところで空しいからだ。
所詮、それは、「消費」を追い回しているだけに過ぎない。

そこには、なんの「成長」もないからだ。

自分の好きな仕事で「働く」ことによって、「成長」が得られる。
この「成長」にこそ、生きる感動がある。

「14太平山」


15/4/15(水)朝 キャンプじぃじの日記

「心」を強く育てられないと、
当然のことながら

子供は、
「大変なこと」より「気楽」を追い求める。
そこに何らかの「成長」は、起こらない。

だから、学問に興味がなく学ぶ気のない子を、
「どこでもいいから大学さえ出せば子育てをしたつもり」
をすると、見事にその子は、大学生活で享楽にふけってしまう。

難しい仕事にチャレンジなんてできない人に育ちやすいでしょう。
それでいて、プライドばかりは高い。
どういう職場でも、「使い物にならない」というレッテルが貼られやすい。

僕は、高卒だが、
高校を卒業した時点で「自立」した。
そして、いつかはきっと
「自分で満足できる仕事、やり甲斐のある仕事」を見付けるという強い意志があった。
それで、今の商売を立ち上げ、継続できた。
人生の充実感を味わっている。

確かに、物質的には貧乏だが、心の豊かさを手に入れた。

「心」を強く育てられないと、
当然のことながら、

子供は、
「不便」に耐えられなくなり「快適」を貪欲なまでに追い求めるようになる。
そこに、何らかの「工夫」は、身に付かない。

これから、「個人の能力」が今まで以上に問われる日本社会になるのは、
目に見えている。
それなのに、「工夫」する「能力」を身に付けていないと、
あらゆる「技術職」には、就けないでしょう。

僕は、高卒だが、
「卒業ビデオアルバム」制作という真似がされにくい商品開発や、
「一人3カメ」という撮影技法を編み出した。
「技術」を磨くことに「快感」がある。

確かに、物質的には貧乏だが、心の豊かさを手に入れた。

「気楽」で「快適」だからこそ、地球環境が悪化するんだよ。
早く多くの人がこのことを認識して欲しいね。
それでないと、これからを生き抜く子供たちの環境がますます悪くなってしまう。

「大変」なことを乗り越える強い「心」に子供を育てよう。

「不便」に耐えることが出来る「心」に子供を育てて「工夫」を身に付けさせよう。

それには、子育てを強く意識した「親子キャンプ」が非常に有効だ。
僕は、これを実践したのさ。

プライベイトのキャンプ場「さぎ山野営場」に来れば、
具体的にそれがよく分かると思う。

「さぎ山野営場」


15/4/14(火)朝 お弟子さんの日記

 先週末に熊本で知人の結婚式に撮影でお邪魔しました。

僕は今映像の世界に身を置いていますが、
映像といっても殆どが結婚式で幼稚園がたまにといった感じです。
それ以外のジャンルは未経験です。

そんな少なく短い経歴ですが僕は結婚式の仕事が好きです。
何が好きか?
結婚式場はロケーションの条件が良い所ばかりなので必然的に綺麗な画が撮れるということもありますが、
それよりも僕はお客さんとの距離感が好きです。

話をして撮影をして完成したものを見てもらってダイレクトに感想をもらえる。
その距離感が好きです。

テレビや映画などは規模が大きい分色んな役割に分かれています。
それはそれでみんなで協力して作り上げて行く楽しさなどがあってやりがいを感じると思います。
ですがダイレクトな反応というのはないのではというのが僕のイメージです。

いろんな人との繋がりで今の仕事に辿り着いたわけですが、
こんなにやりがいを感じることが出来るのは本当に幸運だと思っています。

熊本での撮影も知人だからということを抜いても終始一緒に楽しく撮影することが出来ました。
幼稚園もこの感じに似たダイレクトな反応を体感出来るジャンルだと思います。

悩むことはあれど撮影をする度に同じ事を感じるということは
これこそ自分のやるべきことなのだと思います。

未熟な部分は非常に多いです。
だからといって弱気にはなりません。
挑戦し続けます。


15/4/13(月)朝 キャンプじぃじの日記

ばぁばの肺炎が良くなって、
昨日は、「日曜晩餐会」ができるようになった。

僕とばぁば、
うつ病の古い友人に、もう90才になる大家のおばぁちゃん、
この四人で食卓を囲んだ。

僕は、子供がいたときには、「孤食」はさせなかった。
ボロアパート住まいの貧乏でも、
普段の生活では、子供に「心の貧しい」思いはさせないようにした。

とくに、「食事」は、家族の「一家団欒」という大切な意味があるので、
これを非常に重要にした。

このことは、僕の父親の影響が非常に強い。
僕は、知らず知らずのうちに、父親に「生きる価値」を学んでいたのだ。

子供が小学校高学年・・・5年生以上ぐらいからは、
父親自らの「言葉」で、
子供に「生き方」「生きる意味」「生きる価値」を教えられるようになろう。

そういう「本物のオヤジ」にお父さん自身が成長しよう。

僕は、高卒だが、自分で出来る限り、これを実行したよ。

「中学生の心を育てる親子キャンプ」

子育てで、何が本当に重要なのかを見極めよう。


15/4/12(日)朝 キャンプじぃじの日記

4月25日(土) 「さぎ山野営場」 (さいたま市内)で、

「14 カレー作り」 をします。

お問い合わせ、お申し込みは、channel@camel.plala.or.jp までどうぞ。

お待ちしています。

この活動は、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」ことを目標にしています。


15/4/11(土)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園で新年度が始まった。

入園式では、新品の「ヒト」がたくさん集まってきた。

これからを生き抜いていく「新品人類」たち、

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

ことに犯されずに、

「質素な生活で、人生を工夫して愉快に生きる」

ことができるように、祈らざるを得なかった。

地球温暖化は、

快適を追い求める人類の「心」が原因であることに気付いて欲しい。

親子キャンプで、おおいに大自然の中で遊んで、

この大自然を肌身で感じられるように育ちますように。

「15 渡良瀬遊水地」


15/4/10(金)朝 復活サイクリストの日記

天気予報が、昨日の晴れ間を有効活用するように伝えた。
それで、僕は、実行をした。
とっても素直だ。

「15 渡良瀬遊水地」


15/4/9(木)朝 お弟子さんの日記

 来週からスタートする4回目の営業準備に追われています。

都心から離れた地域で80件をピックアップしたのですが、
地域によっては幼稚園が数件しかない地域もありかなり広範囲になってしまいました。

移動距離が伸びればそれだけ一日に廻れる件数は減ってしまうことになります。
時間は予想よりも長くかかりそうです。

逆に捉えると丁寧に営業を掛けることが出来ます。
密集しているとどうしてもスピードを上げて廻ろうとしてしまいます。

ですが移動距離があれば気持ちもリセットできますし、
時間があるだけ工夫も思いつくかもしれません。
案外良い結果が出るかもしれません。

取り敢えずは残りのダイレクトメールを作り終え発送に備えます。
新年度を向かえあっという間に次はお泊まり保育の季節です。
目の前の営業も大事ですが、
今年は3件のお泊まり保育の仕事が控えています。
予習も含めて段取りを組み立てます。


15/4/8(水)朝 復活サイクリストの日記

サイクリングは、とっても気持ちいい。
そして自転車だからこそ、見えてくるものがある。

「15 御宿」


15/4/7(火)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、やっと自転車でツーリングが出来た。

JR「五井駅」から、小湊鉄道に乗り換えて「上総牛久駅」まで輪行した。
そこで、ガストで遅い朝食。

一路「御宿」を目指してペダルを踏む。
途中のダムや養老渓谷は、時間的に無理なので無視。

御宿の観光名所の「月の砂漠」とスペイン帆船が沈没して、
その時に地元の海女さんたちが乗組員を救助したという記念碑で記念写真を撮った。

それから、今回のお目当てに向かった。

それは、お隣の「大原漁港」だ。

ここのお土産屋さんで売っている「アジの開き」が旨い。
今朝は、これからこれを頂く。

近日中にこれの動画を YouTube にアップします。


15/4/6(月)朝 復活サイクリストの日記

今日、一日、なんとか天気がもちそうだ。
行くぞ!
いざ、御宿へ!!


15/4/5(日)朝 キャンプじぃじの日記

さぎ山野営場にある 12畳の大型テント「竹ハウス」の建て替え

「15竹ハウス」

「竹ハウス」を建て替えている最中に・・・・ばぁばのお守りとは・・・

「15お花見サイクリング」


15/4/4(土)朝 キャンプじぃじの日記

竹ハウスの建て替え作業が完了するはずだったが、
「簡易ベッド」を竹で工作をしたのに、
時間がかかって終わらなかった。

今日も、さぎ山野営場に行って、今日こそ作業を完了させる。
結局、今週は、毎日キャンプ場通いだった。

僕の一番の願い事は、
バーテープが新品になったドロップバーを握ってサイクリングすることだ。
ず〜〜〜〜と、お預けを喰らっている。

来週、前半は「雨」だそうで、
とうとう、春休みが終わって新学期が始まるよ。

「仕事のある隠居生活」は、「生き延びていく緊張感」があるからこそ、
「生きる面白さ」が味わえる。

体が動く限り、「生き生きと生きる」ことができる。

物質的には、貧乏生活をしているけど、
だからこそ、

本物の「自由」もタップリと得ることが出来た。

「貪欲」では、これらを得ることは、まず無理だろう。

「自分以外」のことを「考え」「実行」できる能力を少しずつ身に付けることで、
僕と同じような「心の豊かさ」を得られるのだろうと思う。

「自分以外」のことを「考え」「実行」できる、
最も身近な存在が「自分の子供」でしょう。

「自分の子供」を真剣に、

「自立をした一人の大人の社会人」

に育てることこそが、最も分かりやすい「自分以外」のことだ。

子供が「自立」を果たせられるかどうか・・・・
これは、親の責任だ。
今現在の日本の子育てで、なぜか、これがないがしろになっている。

子供がいなくなった今、
最近では、自分の神様の奴隷にやっとなれたような気がする。
神様の「くびき」は、驚くほど軽い。 本当にそうだ。

ちょっとサイクリングを我慢すればいいだけだ。


15/4/3(金)朝 キャンプじぃじの日記

スノーメン・キャンプ・クラブのプライベイトのキャンプ場「さぎ山野営場」
に常設してある12畳の大型テントの建て替えは終わった。

そして、それの中に棚を、昨日、作った。
今日は、今までの備品を「竹ハウス」に戻して、完了する。

前の「竹ハウス」は、側面が迷彩柄だった。
今度は、「白」のシートにしたので明るい。
さらに床部分に、今までフライシートにしていたものを敷いたので、
さらに明るく感じる。

ここで、今年度、第二回目の「年間プログラム」にそって活動をする。

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

を目標に活動をする。


15/4/2(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

日本の教育は、
産まれたときから徹底的に「集団主義」を植え付けていると思う。

「三本の矢」は、一人では簡単に折れてしまうが、
三本を束ねれば、簡単には折れなくなるという例えだ。
こういう具合に「集団主義」を植え付けられてしまっている。

黒沢の映画「乱」の冒頭にこのシーンがあって、
「三本の矢」を簡単に折ってしまう。
そして、それから、兄弟同士で文字通りの骨肉の争いが始まる。

この「集団主義」は、
バブル経済の時には、「会社に忠誠を誓う」というメリットを生んだが、
これからの時代で、
もし「能力主義」の方向になったときは、
「一人では何もできない」人材というデメリットが目立つようになるだろう。

「自分の責任で、その責任を最大限使って新たな仕事にチャレンジする」

「集団主義」で育てられるとこれが、
まったくできない人になってしまうだろう。

僕のところに、お弟子さんが来た時に一番最初に注意したこと、
「この講習会は、仕事の成功を保証するものではない。」だった。

成功するかどうかは、まったくの「自己責任」だと教えた。

それで、お弟子さんは、すでに「自立」を果たしていたからこそ、
その後、飛び込み営業に歯を食い縛って頑張った。

「学校の成績だけ」で、育てられても、これが出来ないだろう。

また、
「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」
こういう教育を受けてしまった人も、
「プアライド」ばかり高くて挑戦できないだろう。

「個人事業」では、
恥も外聞もなく一人で何でもこなす非常に強い「心」が求められる。

「集団主義」の影響が少ない人こそが、
ビデオ屋に限らず、個人事業に向いている。

「卒業ビデオアルバム制作」


15/4/1(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、予定通り「竹ハウス」の建て替え作業を始めた。

だが・・・・・

うちのばぁばが、晴れるのが昨日までだから、
「お花見サイクリング」をやるのに、「昨日」休みをとったと喜んだ。

まったく・・・好き勝手をやってんじゃないよ・・・

こういうことで、昨日の午後から「お花見サイクリング」をした。
と、言うより、ばぁばの、お守りをさせられた。
ばぁばは、肺炎で二か月も仕事を休んだ時にも、
僕は、ばぁばのお守りをさせられた。

おかげで、僕自身のソロ・サイクリングは、お預けのままだ。

暗い人生を送っている。

今日は、猛ダッシュで「竹ハウス」を建てるぞ!


15/3/31(火)朝 お弟子さんの日記

 ついに取引先が1件取れました!

正確にはほぼほぼ確定といったところです。
発表会とお遊戯会を撮る流れで話が進みました。

ここの幼稚園は営業に行った際に業者を変えようと考えていたところでした。
たまたまですが絶好のタイミングであったわけです。

こんな感じで地道に件数を増やして行く
時間は掛かりますが決まってしまえば長く息の続く仕事となるのが幼稚園です。

もちろん良い仕事をすることが前提です。

とりあえずこのまま話が進めば11月が初撮影となります。
発表会です。

これまで練習は幾度かやってきましたがまだまだ荒削りの状態。
さらに練習を重ねなければいけません。

その前に4月早々には4回目の営業がスタートします。
そしてそれが終わればお泊まり保育の季節が待ち構えています。

去年と比べるとやることがはっきりと明確に見えてきたような気がします。
自惚れずに自分に鞭打ってさらなる営業拡大を狙って行きます。

「お弟子さん」

師匠より
おめでとう。

子育ても、お弟子さんの商売立ち上げも、最も重要なのは、「自立」です。


15/3/30(月)朝 キャンプじぃじの日記

プライベイトのキャンプ場「さぎ山野営場」に、
広さ12畳のテントが常設してある。
これは、市販シートと大量の竹とロープで作ってある。

僕の子供と開発をしたものだ。
名称は、「竹ハウス」。

建てっぱなしで、おおむね2年間で建て替える。
それで、今年がその建て替えだ。

フライシートは、12畳の銀色の市販シートを買った。
テントの周りのシートは、
強度が必要ないので、薄いものを用意。
高さが、180pで、横2.7mのものを、タコ糸で5枚、つなぎ合わせた。
これが一番大変な作業だ。

大量の竹は、すでに「さぎ山野営場」に運び込んである。

昨日は、9mmфのクレモナロープを10mにして、
これを4本作った。 末端処理もした。
そして、6mmфのクレモナロープ、約4メートル、を8本作った。

竹のポールをそのまま地面に建てると、腐ってしまうので、
12p×15pぐらいの防腐処理をした板を用意する。
隅にドリルで穴を空けて、そこに鉄のペグが刺さるようにする。

それぞれの竹のポールの上部には、
竹を割ったものを横に取り付ける。
本体の竹の外径が、その横の部品の竹の内径に合わせるように作る。

これは、映像で説明します。
「遊びの進化」

その横の部品の竹は、太いモウソウ竹で作る。
古い友人が造園業の会社に勤めているので、
彼に頼んで、明日、それを1本貰いに行く。

これで、材料は、一揃いとなり、
明後日以降に「竹ハウス」を建て替えられる。

前に、ボーイスカウトの子に教えながら建て替えたことがあるのだけど、
どうしても、隙間が大きくなってしまう。
だから、建て替えは、僕一人でやるしかないんだな。

今年は、ボーイスカウトで、世界大会がここ日本で開催される。
ボーイスカウトの大会のことを「ジャンボリー」と呼ぶ。
どこかで聞いたことがないでしょうか?

世界ジャンボリーが日本であるということなのでか、
知り合いのところが、今年目一杯、さぎ山野営場で活動する計画を立てた。

だから、なるべく今週中の平日に「竹ハウス」を建て替える必要がある。

「仕事のある隠居生活」
のはずなのだが、棚上げだ。

でも「たいくつな隠居生活」よりは、よっぽども面白い人生でしょう。


15/3/29(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

3月28日(土)、道満グリーンパークで「親子で工作」実施

いい天気で、アウトドアーの季節到来を感じた。
昨日は、リピーター親子が来るという連絡があったので、
旗を揚げて一般の親子を受け付ける前の午前中に来てもらった。

これは、この活動をしていて初めてのことだった。
三組の親子のうち、
一組は、もう10年ぐらい前に来て、
最後は5〜6年ぐらい前に参加をした親子だった。

子供が年長さんの時に初めて来て、もうその子は中学三年生になる。
大きくなっていた。

もう二組は、この間のハイキングに参加をしてくれた親子だった。
子供が、今度、年長さん。
たくさん来てくれたら、これからが楽しみだ。

この二組の子供たちは「水鉄砲」を作っていった。
中学生の子は、「枝笛」を作った。

もうここまでで十分に面白く活動が出来たので、
一瞬だけど、撤収して帰ってもいいと思った。

でも、早く帰ってもやることがないし、つまらない。

やっぱり予定通り、午後から旗揚げをして、
ばぁばがパンフレットを持って、そこら中のサイトへ「営業」をしに行った。

少なからず、多からず、の親子が参加をしてくれた。
パパが夢中になっていた。
中には、いつの間にか、じぃちゃんが孫を放って夢中になっていた。

「親子で工作」

もうこの活動をし続けて10年。

すっかり、この活動は、僕の「楽しみ」になってしまった。
親子で愉快に工作をしている光景には、「心の豊かさ」の幸せが漂っている。

これを見たさに僕は、活動しているようなものだ。
これは、僕の「生きる価値」になっている。

こういうものがあることを、若いお父さんに伝えられたらいいね。


15/3/28(土)朝 キャンプじぃじの日記

本日、

戸田市にある 「道満グリーンパーク」

で、「親子で工作」の活動を予定通り行います。


15/3/27(金)朝 キャンプじぃじの日記

地球温暖化

明らかに人類が「快適」を求めることで起こっている。

絵本 「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」

汐文社刊 くさばよしみ 編 中川学 絵 1,600円+税

親子でぜひ読んで欲しい絵本だ。
2014年3月に初版第一刷を発行して、
2015年3月10日には、第八刷を出している。
「amazon」総合ランキング第一だそうだ。

「貧しい」のを我慢するのではなく、それで十分な生活。
「足るを知る」生活。

これが最も地球に負荷が少ない。

もう一冊、

絵本 「ユーバおうの ふしぎな たね」

世界文化社 刊 たち くれない 作 牧野鈴子 絵 1,000円+税

「物」の豊かさと「心」の豊かさの違いを表現している。

「14相模湖」

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

これで、地球温暖化に歯止めがかからない。

キャンプ遊びをたくさん子供に体験させよう。
これは、子供にとって「疑似貧乏生活」になる。
それでも、お父さんと一緒にキャンプができて、
それでとっても楽しい思い出を作ろう。

「貧乏」=「不幸」ではないこを子供が体験で分かるようになれるでしょう。

僕は、風呂のない二間のボロアパート住まいの貧乏人だ。
この環境で僕は、一度も自分が「不幸」だと感じたことがない。
逆だ。
僕の今の「生き方」には、十分以上に満足をしている。
本物の「自由」を味わって生きているからだ。

そして、僕と同じ貧乏だが、
子供たちが「自立」して生きてくれているので、
とってもラッキーだ。

本物の「自由」「自立」、生きていて最高に気持ちいい。


15/3/26(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

たいがいの人は、途中で嫌になるので何事も成就しない。

僕が脱サラをして30年以上、今の仕事を目指し、継続できたのは、
諦めずに、しつこく、意地になって、やり続けたからだ。

あらゆる「諦める」状況を、元気よく乗り越えた。

「生きる条件」を限りなく無くして、
この仕事を立ち上げることだけを追い求めた。
このことに「心」を集中させたのでできた。

「こうだから、出来ない」

「僕のプライドが許さない」

「みっともない」

「むり〜〜〜」

こんな気持ちがまったくなかったからこそ、今の仕事がある。

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

こう育てられらた人には、
「生きる条件」が多いので、物事に対して挑戦さえできなくなる。

僕の今の仕事に限らず、
あらゆる「新しい仕事」の開発では、
「たとえどんな条件でも」元気よく挑戦できることが不可欠だ。

「裕福な気持ち」
こういう気持ちで生きている人には、出来ない仕事。

「一生涯安泰」ということを生きる価値にしていたら出来ない仕事。

これで僕が得たものは、本物の「自由」だ。

会社という組織にも、
「豪華」という状況にも、
「見栄」を張るという空しい努力にも、

まったく関係のないのびのびとした本物の「自由」を得ることが出来た。

気に入らない仕事は、蹴飛ばすことができる自由だ。
一度、これを味わったら会社勤めはできなくなる麻薬だ。

「生きる充実感」は、フルタイム味わえる。

「みんなの力を合わせて、せ〜〜〜の」
という「集団主義」、

「会社が伸びれば給料が上がる、だ・ろ・う」
という「社会主義」、

ではなく「自分が成長した分、生き延びられる」
という非常に厳しい世界だ。

でも、その分、本物の「自由」がある。
せっかく生きていて、これを味わえるかどうかは、「自己責任」だ。

「責任」と本物の「自由」は、表裏一体のものだ。


15/3/25(水)朝 復活サイクリストの日記

やっと、自転車に乗ることが出来た。

「15手賀沼」


15/3/24(火)朝 お弟子さんの日記

 明日、発表会のDVDの説明をしにある幼稚園へ行ってまいります。

前回の営業で反応のあったところです。
そのときの話ではちょうど業者を変えようと思っていたらしく、
まさに絶好のタイミングでした。

詳しい話はまだしていないのでなんともいえない部分が多くあります。
しかし、谷口さんの経験談からすると可能性は充分にあります。
誠意を前面に出して行ってまいります。

もちろんしつこくない程度に・・・。

話は変わりますが、
次年度の入園式が終わり間をおいたらすぐさま4回目の営業をスタートさせます。

ある本に書いてあった言葉で「後一回の積み重ねが大きな結果を呼び寄せる」というものがありました。

谷口さんも同じ事を仰っていたことです。
営業をやっているとリンクする場面が何度もあります。
断られ続けたとき次の一件で良い反応があるかもしれない。
遅い時間になったときもしかしたら次の一件で何かあるかもしれない。
などです。

やめるのはいつでも出来ます。
ですがやらないとやってみないと起きることも起きません。
だから動くしかありません。

人よりも動けばきっとそこに良くも悪くも結果が出てくるはずです。

僕はそう信じています。
下手でも馬鹿でもとにかく行動に移してがむしゃらにがんばります。
なぜならこの仕事を続けたいからです。

今年度は結果を出して次のステップへ進みます。


15/3/23(月)朝 キャンプじぃじの日記

「学問」も「財産」も「権力」も「教養」も「お金」も何にもない。

でもいくらでも人生を豊かに生きられる。 工夫次第だ。

いや、そんなものがないからこそ「自由」なんだよ、心が。

「エピローグ」

僕は、子供たちに、「兄弟が仲良く生きていって欲しい」と
常に言い続けている。

何もなくても、兄弟同士がこうして愉快に生きていくことこそが、
本物の「幸せ」だと、僕は子供たちに教え続けている。

そういう「生きる価値」を子供にしつこく僕は、訴えている。

「中学生の心を育てる親子キャンプ」

「オヤジの小言と冷酒は、あとで効く」


15/3/22(日)朝 キャンプじぃじの日記

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

これを目標にボランティア活動をしている。
そして、26年度には、「年間プログラム」で行うことが出来た。

27年度は、この活動が根付くかどうか・・・・・
勝負の年になりそうだ。

この「子育ての面白さ」というのは、
レジャーランドのような「気楽で簡単、刺激的で楽しい」というものではない。

「気楽で簡単、刺激的で楽しい」これが溢れかえっている今、
そうではない活動を、どうやってお父さんに興味を持ってもらえるのか。
ここが一つの「壁」だ。

「大変だけど面白い」

これが「子育ての面白さ」と、気付いてもらいたい。

このことをなんとか理解してもらうのに、
一番いいだろうと思えるものが「ハイキング」なんだな。

「15 ハイキング」

それで、年プロの最後にこの「ハイキング」を企画した次第だ。
これは、
企画段階で、参加者はいないだろうと思っていた。

「つまらない」

たいがい、
こういうことで参加をしようとは誰も思わないだろうと覚悟をしていた。

しかし、
熱心なママが、パパやお友達を連れて来てくれた。
もうこれは、奇跡以外の何物でもない。

年度初めには「カレー作り」だ。
これは、
水もトイレもない「さぎ山野営場」に慣れる、ということを目標に、
最も簡単な料理を親子で作る。

「不便」なキャンプ場に慣れてもらいたい、こういう目当てがある。

こうして、この活動に年間で参加をしていただくことで、

「お父さんが子供と遊ぶ『習慣』」

を身に付けてもらいたい、と願っている。

「お父さんが子供と遊ぶ『習慣』」、これで、
自分の子の「個性」を感じ取れるだろうと考えているからだ。

子供の「個性」に合った「教育」こそが、
その子を伸ばす。

例えば、
「暗記」が苦手な子に無理矢理「知識」を押し付けたら大変なことになってしまう。

こういう場合、「体験」で覚えさせるという方法が非常に有効だ。

これは、僕の子に実際に行ったことだ。
「学習障害」を専門家に指摘された子を、
どういう特徴があるのか、僕は、自分なりに理解することから始めた。

そして、
「自立をした一人の大人の社会人」
これを目標に「親子キャンプ」で育てた。

いくら頭が良くても「Hikikomori」になってしまったら、
どんな「教育」でも、まったく意味がなくなるでしょう。

「子供の個性を見抜く」

お父さんが自分の子とたくさん遊ぶことで、少しずつ分かってくるよね。

これが僕のボランティア活動の、最大の願いだ。

「子供の個性を見抜く」

ここから、本当の子育てが始まる。

若いお父さん、
さぁ、今日、子供の手をギュッと握って繰り出せフィールドへ!!

このことで子供に父親の「愛」が伝わっていく。


15/3/21(土)朝 キャンプじぃじの日記

お詫びと訂正

昨日、倫理研究所に熱心な幼稚園の卒園式を撮った。
それで、この間の例えに間違いがあることが分かった。

間違え 3/17(火)の書き込みに「子供は親の鏡」

正しくは、「子は親の心を実演する名優である」

倫理研究所の方がお読みでしたらお詫びします。

意味としては大きく間違っていないようです。
正しい方が、どこか芸術っぽい表現です。

これは、「万人幸福の栞」という17ヶ条からの「信条」で、
その中の6ヶ条目にあります。
「朝の集い」という早起きの実践で、
これを毎日集まった方が唱和します。

僕は、20年以上前に数か月通っただけなので、
他の信条のフレーズが混じってしまっていました。

僕がここで「親が成長した分、子が育つ」と書き込み続けている、
これが根拠です。

そして、
幼稚園でたくさんの子供に「大きくなったら何になりたいの?」
というインタビューで、
その答え方に「親の影響がものすごく大きい」ということを感じます。

例えば今年は、拝金を漂わせるフレーズが何人かいました。
親の影響です。

自分の「夢」を堂々と言う子もいます。
年々少なくなるような気がします。

中には面白いものも・・・・
「卒業ビデオアルバム」の制作をし続けて概ね四半世紀。
この中に、そのインタビューがあるのですが、
ある男の子は、
「僕は大きくなったら、・・・・・ちゃんと結婚します!」
とハッキリと宣言しました。

大笑いです。
でも、本人は大まじめです。
本当に結婚したら・・・・・・
なんでも、二人の間では、子供の名前まで決まっているのだとか!

その二人が結婚できるころまで、僕は、生きていないだろうなぁ。

時代は、巡り巡っていく。
その限られた一人の「人生」をどう「生きる」ことができるのか。
「拝金主義」で一生を終えることほど惨めなことはないでしょう。

子供の様子を見ていて、
親が、ますます「物質主義」が強くなっていると感じるのは、僕だけだろうか。

「知識偏重教育」の根底には、
「少しでも豪華な生活」を求めている親の心があるでしょう。

「物」や「金」に人生の本当の豊かさは、ないことに親が気付けば、
子供が親の真似っこをするでしょう。

「親が成長した分、子が育つ」とは、こういうことです。

子供の「心」がどう育つのかは、「親次第」なのです。

本当に

「子は親の心を実演する名優である」とは、良く言い当てている。


15/3/20(金)朝 キャンプじぃじの日記

僕には、四人の男の子がいる。

その内、長男だけが音信不通だ。
この子が産まれたときには、僕は、24才だった。

今から思うと、非常に幼稚だった。
子育てをサボってスキーをしていた。
スキーは、僕自身の「消費」でしかなかった。
子供を一緒にスキーに連れて行っても、
それは、まったく「子育て」には、なっていなかった。

この「大人の幼稚」こそが、
子育てにおいて多くの問題を起こすことになる。

「親が成長した分、子供が育つ」

「心の成長」は、目に見えないし、点数化できない。

「自分の消費で頭がいっぱい」
これが「大人の幼稚」の正体だ。

若い内からシッカリとボランティア活動をさせて、
これを身に付かさせたいものでしょう。

また、親がボランティア活動をしていれば、
それを子供が見て、真似っこしやすくなるでしょう。

「自分以外の人のことを考え行動する能力」

この能力があるのかどうか・・・・
これが「子育て」の能力に関係していることが分かるでしょう。

子供を

「自立をした一人の大人の社会人」

に育てることで本物の「オヤジ」に成長できるものだと思うね。


15/3/19(木)朝 キャンプじぃじの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

年度末の「山」は、無事越したのだが、
今週は、幼稚園の卒園式のオンパレードだ。

式中に、
ウッカリ自分の子のかわいかったころを思い出してはいけない。

それでも、先生たちの涙に、つい・・・・
「僕には関係ない」と自分に言い聞かせる。

毎年、毎年、ついにとうとうこの仕事を四半世紀作ってしまった。
この卒園式の感動は、

間違えなく「成長の感動」だ。

成長にこそ「感動」がある。

「物」を手に入れた。
「金」が手に入った。
「うまいもの」を食べた。
「気に入った服」を手に入れた。

これらすべて「嬉しい」のであって、「感動」ではないでしょう。

「自分の成長」「子供の成長」「ファンになっている選手の成長」

「14太平山」

ここのところ、売れない仕事を整理している。
当然、売り上げが減るが、
ばぁばと二人が生き延びられればいい。

それよりも、
身軽にして、お弟子さんを立ち上げさせるための営業に本腰で力を入れる。
「お弟子さんの成長」を目指す。

成功させて、人生の感動を味わいたいね。

「自分のこと」だけしか考えられない年寄には、なりたくないものね。
これは、「僕の成長」だ。

若いお父さんが「自分の消費で頭がいっぱい」、ではなく、
自分の子とたくさん遊ぶことで、

「子供の成長」だけではなく、
「父親の成長」もできる。

これと同じ原理だ。


15/3/18(水)朝 お弟子さんの日記

 本日は卒園式の現場へと行って来ます。

谷口さんは別件の撮影の為僕が代役としてアルバム用の撮影を行うことになりました。
卒園式はアルバム本編の冒頭と末尾に入る重要なイベントです。
差し替えは利きません。

それなので予習を繰り返しております。

今回の幼稚園は独特な部分があり、
横に広いステージに子供たちが向き合うように上手と下手に分かれております。

合唱の際にズームインして顔を狙いますがステージ真ん中には子供はいません。
ズームインした状態でパンをすると間が空いてしまいます。

見本のDVDは2カメ撮影なのかタイミングを合わせて引き画に切り替えていました。
しかし、今回は1カメでの撮影です。

なので間の部分はズームを調整し出来るだけスムーズなパンで繋げようと考えております。
見本を見ていた中で一番大変そうに思えたのが保護者の謝辞です。

ステージ上でこちらに背を向けての挨拶となるので園長の顔も見えませんし、
勿論映って挨拶者の背中となります。

それを後方からそのまま撮れば園長先生と被ってしまいます。
見本ではそのシーンで斜め後ろに移動し手持ちでの撮影になっていました。

ここが今回の一番の難所であると思っています。
三脚での撮影自体が初めての本番で緊張しておりますが、
ガチガチな動きにだけはならぬようにリラックスして挑もうと思います。


15/3/17(火)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、仕事柄いろいろな幼稚園と取引をしてきた。

今は、やっていないけど、その中に浄土真宗の幼稚園があった。
職員室でそこの園長先生につかまっては、
仏教の話しを聞いたものだ。

一番驚いたことは、
浄土真宗では、
本当は「お盆会」(おぼんえ、と読む)をしてはいけないということだった。

「転生輪廻」という大切な教えがあるが、
これは、「先祖崇拝」をしてはいけないということになるそうだ。
このことを親鸞聖人が気付いたという。

日本仏教界の宗教改革だったらしい。
キリスト教会では、マルチンルターが有名だね。

同じように「倫理研究所」に熱心な幼稚園と今でも取引をしている。

これは、「宗教」ではなく「道徳」なのだという。
でも、僕にはどうしても宗教に見える。
ここの教えの一つに、

「子供は親の鏡」というような言葉のものがある。

もうかれこれ、
そこに連れて行ってもらったのが20年以上前なので正確ではないかもしれないが、
これの意味は、
「子供の育ちは、親の影響が非常に強い」
ということだったと思う。

僕がここに何回も、
「親が成長した分、子供が育つ」
と書き込んでいるのは、こういうことでだ。

僕は、カブスカウトの活動を年間70日もエキサイティングにやった。
確かに、子供たちの「心の成長」が手に取るように分かる。
それで、ますます活動が面白くなっていった。

しかし、その子たちのその後の成長は、
やっぱり圧倒的に「親の影響」を強く受けていった。

「心の成長」が低い状態を「幼稚」と呼ぶ。

聖書には、ハッキリと「幼稚であってはならない」と書いてある。

この大人の「幼稚」こそが、
あの「オウム真理教」を生み出していったと複数の記事にあった。

これにハマった信者には、
「知識教育」は非常にすぐれていた者が多かったという。
化学プラントを自前で作るほど、「頭」は良かったそうだ。

しかし、「心の成長」は、極めて「幼稚」だ。

このことで、「知識」と「心」は、
まったく別物の「教育」が不可欠だということが分かるでしょう。

日本人は、集団主義で「自立」に無関心だ。
しかし、
本当にこれからの日本社会は、この「自立」が問われる時代になるでしょう。

「能力による報酬」とは、「個人の自立」が前提になっている。

「就社」ではなく本物の「就職」、
「職」に「就く」ことが求められる時代になるだろう。

「生き方」「生きる意味」「生きる価値」
これを小学校高学年から教えられるのは、

父親の役割だ。

学校では、表面の綺麗ごとでしかない「道徳」までしか教えられない。

お父さんが「家庭教育」で、「生き方」「生きる意味」「生きる価値」
これを教えよう。

親子キャンプでたき火を囲んで、オヤジの説教を子供に聞かせよう。

これができる父親は、幼稚ではない。
本物の「オヤジ」だ。

レジャーランドにいくら連れて行っても、
「子供の心の成長」には、役に立たないものだからね。

「大学」という名称の「レジャーランド」もある。

お父さんがどれだけ本気で「家庭教育」で子育てができるのか、
それは、とりもなおさず、父親の本物の「愛」のなせる業だ。

オヤジの「愛」に気付いた子供は、非常に強く生きていけるようになるものだ。
これを目指そう。


15/3/16(月)朝 キャンプじぃじの日記

2015年度のスノーメン・キャンプ・クラブの活動予定を載せました。

「キャンプじぃじ」で検索をして、一番上位にあるものをクリック!


15/3/15(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、越谷市の隣にある吉川市の幼稚園へ申込用紙を届けに行った。

完成車で6万円の安さだったロードレーサーの自転車は、只今修理中。
そこで、
ばぁばと二人でサイクリングをする時に使うミニサイクルで取引先まで行った。

ロードの感覚でつい走ろうとすると、
重いので、思いっきり足に負荷が起こる。
心臓、バクバク・・・・・

ばぁばのあのトロトロとゆっくりな走りだから、
このミニサイクルが丁度いい。

でも、土手の砂利道や泥んこのろころは、このミニサイクルがご機嫌だ。

そうして、脇道、寄り道、をしながら幼稚園まで行った。

天気が良かったので、
そのまま江戸川を渡って、流山市にある「清水公園」まで足を延ばした。

気分最高! 久しぶりだよ最高!

この冬には一回もサイクリングができなかった。
去年の今頃には、サイクリングのスライドショーを何本も作っていたのに、
ばぁばの肺炎騒ぎでボロアパートに閉じこもっていた。

冬の季節がスキップして、もう土手には菜の花が咲き乱れていた。
サイクリング最高の季節到来だ。
早くロードの修理ができないかなぁ・・・・・

修理と言っても、前後のタイヤ交換、
そして、
ハンドルが鉄製で内径が大きくてハンドルバーの末端に取り付けるプラスチックの蓋がすぐ取れてしまう。
同時に鉄製なので外径が小さく、ステムの径に合わなくてバーがすぐ下がってしまう。
そこで、ドロップバーをアルミ製に交換をしてもらうことになった。
バーテープもボロボロなので張り替えてもらう。

早く出来ないかなぁ、楽しみなんだよなぁ。

僕は、「自転車」という「物」で気持ちがワクワクしているのではない。
その自転車でツーリングに出ることを思い描いていて、
その「旅」が待ち遠しい。

「旅」は、人生の一コマの「体験」だ。

「14奥多摩湖」

いろいろな「体験」を積み重ねて「人生を作っていく」ものだと思う。
ここなんだな。
「知識偏重」の「教育」には、この「体験を積み重ねる」ということがない。

「心の成長」が「知識偏重教育」では、得にくいんだよ。
それでも、
見栄えがいいので「知識偏重」の子育てをしてしまうんだな。

気を付けよう。

今日、子供の手をギュッと握って、小さい子と散歩をしよう。
そこには、子供にとってたくさんの「体験」がある。

歩き疲れて、でも頑張った体験。

自然の中にいる鳥や、桜のつぼみ。

なによりも、子供にとってお父さんと一緒に遊んだ思い出は、
これこそが、一番大切な宝物になるのでしょう。

「15 ハイキング」

さぁ、子供と一緒に繰り出せフィールドへ!


15/3/14(土)朝 キャンプじぃじの日記

類人猿から「ヒト」に進化をするときに、
「ヒト」は、「好奇心」が非常に強かったからと、聞いたことがある。

知りたがり屋で、遠くのものを眺めるのに「二足歩行」も始めたのだとか。

何に興味を持つのか・・・・
これは、千差万別だ。

僕の場合、
高校を卒業して10年、都内の小さな会社に勤めた。
とりあえず、社会勉強をするという目標で、
広告物の営業をやった。

そこで、自分の気に入った仕事を見付けるつもりだったが、
ワクワクするような職業を見出せなかった。

精神的にこの時は、辛かったのを覚えている。

ひょんなことで、
「見つからない」のなら「自分で仕事を作る」という発想転換をした。
ここらへんは、「広告物」を扱う仕事だったので、できたのだろう。

では、どんな仕事を作れるのかを考えた。

そのためには、そのころの日本社会について詳しく調べる必要があった。

今から31年前の日本社会。

バブル経済が崩れ落ちる寸前だった。

「年功序列」の賃金体系がなくなり「能力給」になると、
マスメディアがしきりに伝えていた。

「大量生産」から「少量高付加価値」の商品開発の時代。

それで、これからは、
「隙間産業」という言葉が生まれた。

実際は、30年もかかって、やっとその兆候が現れた感じがする。

「三洋」がなくなるそうだ。
「SONY」は、大企業病に陥った。
「日立」が元気だ。
イギリスに、電車の車輛の初荷を輸出できたそうだ。
「小ロット」でもたくさんの「夢」を本家のイギリスに届けたとニュースにでた。

今から31年前。
すでに僕には三人の男の子がいた。
当時、滅多に持っていない「家庭用ビデカメラ」があって、
それで自分の子供を撮った。

写真とは全く違う「面白さ」をビリビリと感じた。

それで、この刺激的な面白さは、何だろうかと調べた。
当時、「家庭用ビデオカメラ」の購買理由は、
ダントツ、「子供の成長記録」であることを突き止めた。

でも、まだまだ、「家庭用ビデオカメラ」は、普及していなかった。

と、ここまで調べ上げて・・・・

それでは、
「親の代わりに子供をビデオで撮る商売」が成立するはずだと、
僕は、考えた。

周りのすべての人に「そんな商売はない」と言われた。
これからそういう仕事を「作る」のだから、
今までにないのは、当たり前だ。

しかし、
いったいどうやって「子供をビデオで撮って売る商売」を構築できるのか、
サッパリ分からないし、道筋さえまったくなかった。

子供が三人もいて、飯を喰わせなければならない。
そこで、
都内の写真屋さんに就職をした。
この時に、
「写真」での「卒業アルバム」の制作の仕事の「いろは」を覚えることが出来た。

僕の脳みそに小さな電燈がこのときに灯ったね。

「卒業アルバム」で、「写真」を「ビデオ」に置き換えればいい!!

「卒業ビデオアルバム」を商品化しよう、こう決心した。

当時にも「卒業ビデオアルバム」という名称のものはあった。
ただ、それは、写真のスライドショーでしかなかった。
「動画」で「卒業ビデオアルバム」を作る、これが僕の夢だった。

「夢」は、「祈り」や「行動」というスパイスで「現実」になった。

僕は、「卒業ビデオアルバム」の制作でもう25年間、
生計をこれで立てることが出来た。

風呂のない二間の貧乏生活だが、
僕は自分の夢を実現させた充実感をタップリ得た。
生きていて、こんなに愉快で面白いことはない。

最近では、お弟子さんもできた。

僕の商品開発の初めにあったこと・・・・・「好奇心」だ。

子供の個性を見ぬくこともせずに、
親の「欲目」や「都合」で、子供の好奇心にない「教育」を押し付けても、
決していいことはない。

こういうことで日本には「Hikikomori」が大量発生した。
僕には、こう見える。

父親が子供の個性をよく観察をして、
子供の「好奇心」を満足させる「教育」をしよう。
これを「家庭教育」でしよう!

そして、子育ての目標を、
「自立をした一人の大人の社会人」にハッキリと見据えよう。

「Hikikomori」になることはないでしょう。
お父さん次第だよ。

こういう「家庭教育」の一つの具体的なものとして、
子育てを強く意識した「親子キャンプ」をお勧めする次第だ。

「親子キャンプ」

こうして、僕の子供たちは、30才を過ぎても「仲良し」を大切にするようになった。

「エピローグ」

「見栄え」は、良くなくても、
「見栄え」が悪くても、

子供たちの兄弟仲良しこそ「幸せ」に直結するでしょう。
仲のいい子供たちを見ていて、僕はこの世の幸せを独り占めでもした気分だ。
「物」や「金」では味わえない。


15/3/13(金)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、写真屋さんの手伝いで、現場から書き込む。

変な夢を見た。
大学生にしきりに「気楽」に生きるのではなく、
何かに向かって必死に生きろと、一所懸命に迷惑な説教をしている夢。

なんだろうか、こんな夢を見て。

いろいろな父親がいるけど、
中には、
「子供のために金を使った」
から子育てをしたつもりになっている人がいないだろうか。

いくら金を使っても、まったく子育てになっていないことはある。

逆に、極めて質素でもとってもいい子育てがある。
親子でハイキングをするのは、このいい例だ。
ほとんどお金を使わずに済む。

「15 ハイキング」

「物」や「金」=「幸せ」

と信じて疑わない人が、
「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」
これをしてしまいやすいのだろう。

バブル経済は、とうに過ぎたが、その悪影響が残っているのだろうか。

本物の幸せは、「自分と人との関係」で作れるものだ。
「作るもの」だから、上手、下手、がある。

でも大丈夫。
その上に「自分と神様との関係」というものもあって、
それに成功すれば、何もなくても幸せは手に入る。

「欲」を捨てれば、簡単にそれが手に入る。

「幸せは、それを感じ取る能力」ということが分かる。


15/3/12(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

本日、年度内納期のものを無事届けられる。

安堵。


15/3/11(水)朝 キャンプじぃじの日記

来週は、幼稚園では、たいがい卒園式があって年度が終わる。

つまり、今週中が年度内納期ということになる。
それで、
金曜日は、写真屋さんの仕事の手伝いが入っているので、
明日、年度内納期のものを届けられなければ・・・・・
考えたくないことが起こる。

昨日の夜、この年度内納期の仕事の二件にやっとメドがついた。
安堵。

プリンターが調子悪くて、ブッ叩いたら、もっと調子悪くなった。
さらにブッ叩くいたら・・・・・壊れるかと思ったら動き出した。

こういうことで間に合わせることが出来た。

ついこの間は、ばぁばが肺炎で二か月寝込むというトラブルがあった。

まぁ、商売をやっているので問題解決は、年中やらなければならない。

「問題解決」を元気よくできる「心」

少しでも都合が悪いとまるで幼児がダダをこねるように、
大騒ぎする人がいる。
これを「モンスター・ペアレント」と呼ぶ。

そういう「心」の親に育てられている子供が非常に気の毒だ。
子供は、親を選べない。

子供が勝手に「自立」できるものではなく、
子供が「自立」出来るように親が子育てをしなければならない。
それなのに、
子供は、親を選べない。

こういうことで、「Hikikomori」がやたらにここ日本に多いのでしょう。

生きている限り、実は程度の差こそあれ「問題解決」は、
し続けなければならない。

積極的な問題解決が、「商品開発」「販路開拓」「商品化」と、
考えることが出来る。

政府がしきりに「地方創生」を訴えているが、
正しく、これが地方の自助努力で出来るようにとも言っている。
地方の「自立」を促すと報道している。

本当に日本人はこの「自立」が極めて苦手だ。

しかし、これからの時代の流れは、
この「自立」を無視して生き延びることができなくなる。

父親がシッカリと子供を、
遊びで「子供の自立」の訓練ができるかどうか。

「自立に向けた親子キャンプ」

母親は、どうしても子供を自分の「所有物」にしてしまうから、
子供の自立の訓練は、お父さんがしなくて、
だれが出来るのでしょうか?

国や学校では、間違っても「子供の自立」をしてくれないよね。

「子供の自立」は、親の仕事だよね。 家庭教育の問題でしょう。

「自立をした一人の大人の社会人」

に子供が育つからこそ、
「問題解決」を「自分」で元気よくできるようになるのでしょう。
違う?

嫌がられても、じぃじは、これを言い続けなければね。


15/3/10(火)朝 お弟子さんの日記

 今回の営業で自分自身のことで見直さなければいけない部分がいくつもあるのだと強く感じました。

時間がないことを理由にダイレクトメールを印刷で手抜きをしたり、
資料を用意していなかったり、
営業に必要のないものを身に着けていたり、
自分の仕事を取るという意識が低かったのかもしれません。

根拠のない自信・プライドがあると指摘も受けました。
何も言い返せません。

次からを確実に実行するのみです。

営業先へのアポ取りと卒園式の撮影の予習、
次回営業準備、ブライダルの仕事とアルバイト、
その他もろもろ、全部やります。確実に。

全部やりきってからです。
やりきって結果を出します。


15/3/9(月)朝 キャンプじぃじの日記

僕が、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

活動を年間プログラムで始めたキッカケは、
僕が「父性教育」の重要性について考えているときに、
ある人が、興味を持ってくれて、
このことを幼稚園でその人がセミナーを企画したのが始まりだった。

「父親」をターゲットにしたそのセミナーは、
僕が全面バックアップして、彼が行った。
ぜんぜん父親が集まらなかった。

そこで、
僕は「今現在の父親は、子育てがおっくう」という現状に突き当たった。

ならば、「面白そう」というのが伝わりやすい活動で、
「父親と子供」を集めてみようと思いついた次第だ。

幼稚園の先生の指導のもと、
こういうことで「年間プログラム」で今年度初めて活動をした。

きわどかった。

興味を示してくれたママたちが引っ張ってくれて、
なんとか、この年プロをこなすことが出来た。
本当に奇跡的と言っていい。

今年度の年プロを「実績」の第一歩にして、
'15 の年プロも予定を組んだ。
ほとんど、同じ内容、同じ予定日だ。

そして、
一回だけ幼稚園の園庭を借りて「流しそうめん」を企画するのだが、
そこの保護者だけではなく、
「スノーメン・キャンプ・クラブ」の活動の常連さんなども参加できるようにそこの幼稚園に交渉する予定だ。

地道にこの活動を進めていき、
将来は、熱心な父親たちにこの活動の企画、運営、実行をお願いしていきたい。
だから、
僕が生きているうちに、お父さんたちにバトンタッチすることが目標だ。

子供にとって「父親」の存在がどういうものなのか、
これを分かってもらいたい。

子供の「心」の成長に「父親」がどう重要なのかを知って欲しい。

日本の「Hikikomori」は、家庭にいても「父親不在」ということが、
根本にあるということを僕は、訴えたいね。

子供に「生き方」「生きる意味」「生きる価値」を教えられるのは、
その子の「父親」の仕事なんだよ。
これに気付いてもらいたい。

「中学生の心を育てる親子キャンプ」


15/3/8(日)朝 キャンプじぃじの日記

ひょんなことで「ひきこもり 国際比較」を検索してみた。

ナント「Hikikomori」という言葉が国際的に認められている。

いろいろな資料が出て、
日本では、少ない数で Hikikomori は、50万人。
多い数で、100〜200万人いるそうだ。

実態は「不明」というのが現状らしい。

海外では、この現象は、
日本独特のものと初めのうちは考えられていたそうだ。
しかし、主に社会的弱者の貧困層にアメリカでも確認できたという。

でも、やはり目立って多いのは、ここ・・・にっぽん・・・らしい。

ある資料によると、
親が子供に要求するものが大きいという家庭環境を原因に挙げていた。
それを僕なりに読み替えると・・・・・

「子供の自立を無視した子育て」で、「子供を親の所有物」にしている。
になった。

ヨーロッパやアメリカでは、「個人」を非常に伸ばす子育てをしていると聞く。
ここ日本では、集団主義だと指摘されている。

僕は、日本のこういう集団主義は、
たぶん、儒教思想が根強く影響をしているのだと思う。

「沈黙の宗教−儒教」 加地伸行 著 ちくまライブラリー刊 1,350円+税

「年功序列」という労働形態も、この儒教が根底にあると思えてならない。

いくら最高級の「教育」をしても「Hikikomori」になってしまっては、
元も子もない。
本当の子育てにならないでしょう。

日本の「Hikikomori」の特徴は、貧困層ではなく中間層なのだそうだ。

ここで僕は、
「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てることこそが、
本当の「子育て」だと訴え続けてきた。

でも普通の日本人には、受け入れがたい「感覚」なのだろうか?

遅くとも20才では、親から「自立」させるという「意識」は、
教授と言えども受け入れがたい「感覚」なのだろうか?

僕は、学習障害を専門家に指摘された子をどうやって「自立」させることができるのか、
暗中模索で必死にその子の子育てに取り組んだ。

具体的な方法は、「親子キャンプ」だった。
これで「生き方」を訓練した。
そのときに「夜話」で「生きる心構え」を僕自身で子供に語った。

こうして障害を乗り越えてその子は、親から「自立」を果たした。

本当に子供のことを思うのなら、
子供を自立に向けて育てられるはずだ。

「14相模湖」

子供を自立させないのは,親のエゴではないだろうか。
子供が勝手に自立できるものではない。
子供が自立できるように親が育てるものだ。
子供の自立は、100%親の責務だ。

今日、小さな子の手をギュッと握って、公園を散歩しよう。
小さい内にたくさんスキンシップをとって、

反抗期あたりから、

親自身で子供の自立に向けて・・・・「自立の訓練」をしよう。
親子キャンプは、これに非常に有効な遊びだ。


15/3/7(土)朝 キャンプじぃじの日記

お弟子さんの営業展開、今回は件数が少なかったので、
昨日、廻り切った。
見込みではなく、「脈あり」を一件見出した。

親がビデオ屋のDVDを買わずに、コピーしまくって、
ビデオ屋が撤退したと思われるところが、
目立って多かった。

そういうところは、商売にならないから売り込むだけ無駄。

と、普通は思うけど、お弟子さんと車の中での発想は、
その逆を思い付いた。

もし、これから「自分たちで撮ってます」というよな断り文句があったら、
セールストークで、
「それでは、ビデオの撮り方を無料でご指導します」
と言おう、と、こういうことになった。

所詮、素人が撮ったビデオは、編集が出来ないほどひどいものだ。
そこで、
「ビデオの撮り方」の基本を保護者に教えることで、
それの難しさを分からせる。

それでも「タダ」の方がいいと思うか、
せっかくの思い出を、業者に頼んでシッカリ作ってもらったほうがいいのか、
こういう選択肢を提供しようということになった。

それでも「タダ」の方がいいと思うようなところは、
間違っても取引はしないけど、
そういうところばかりではないだろうと考えた。

実際に、一件の「脈あり」は、保護者が撮っているという。

今年、僕も、
DVDをコピーしまくって売れなくなったところを一件撤退をする。
その分を、
お弟子さん以外にも自分自身の売り上げのために営業展開を始めなければならない。

「今まで通り」

これは、バブル経済のころには通用したが、
これからの日本社会では通用しない。

商売は、よく「生き物」だと言われる。
時代とともに変化をする。
その変化にどう対応できるのか・・・・・・
商売は、継続していくことに、ここに難しさがある。

どんな商売でも、仕事でも、
時代に合わせた商品開発、販路開拓、商品化。
そしてリスクマネージメント。

こういうビジネスセンスが問われる。

「こんなに立派なカメラで撮る」
こんな気持ちのビデオ屋は、決して商売を立ち上げ、継続はできないだろう。

これは、例えば、
「僕は、大学を出たんだ、だからそんな仕事はできない」
ということに共通点がある。

「実力が伴わないプライド」だ。

実社会を生き抜く「実力」。
これは、決して学校では教えてくれない。

どうやってこれからの日本社会を生き延びていけるのか・・・・

子育てで、このことを親が真剣に捉えられるかどうか・・・・・

「今まで通り」

こんな心で子育てをしていたらどうなるのか?

「自立をした一人の大人の社会人」

これを目指した子育てがいかに重要か、分からないだろうか。
「自立」、今までの子育てで意識されなかった「概念」でしょう。
でも、「自立」という言葉だけはある。

これをシッカリ、ハッキリ、意識できるかどうか。

そのためには、

その子の「個性」を親が把握することがいかに重要か分からないだろうか。

残念だが、日本の学校教育では、この「個性」について、
ほとんど無知の状態が現状だ。

だからこそ、シッカリとこのことを「家庭教育」で取り組む必要がある。
僕は、「家庭教育」で、子供の「個性」に合わせて子育てをして、
子供を自立させた。

具体的には、「親子キャンプ」で

「生き延びる力」を子供に訓練をした。

僕はこのことに、40才ごろ気付いて実践し始めた。
今からもう20年ちかく前になる。

「初級編」

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

これの意味をぜひよく考えて欲しい。

子供が「裕福感」を覚えてしまうと「生き延びる力」は、身に付かないものだ。
それが立派なカメラという「物」なのか、
大学を出たという「資格」かは、違っていても、
「裕福感」がある限り「成長」が出来ないということを考えてみて欲しい。

お弟子さんと車の中で発想したこと・・・・
生き延びるのに「必死」だからこそ、思い付けるんだよ。
「裕福感」に犯されていたら思いつかない。

子供の育ち具合は、ほとんど親次第だ。「家庭教育」次第。


15/3/6(金)朝 キャンプじぃじの日記

今、お弟子さんの営業展開のフォローをしている。

前回同様、
「保護者が撮っている」とか、「自分たちで作っている」
という断り文句が目立った。

ビデオ屋が商売にならないので撤退していったところが、
こんなにも目立つとは。

時代の流れの一つだ。

こういう環境の中をどうやって営業展開をすればいいのかを考える必要がある。

ここだ。
「生き延びる力」
これがないと、

こういう条件だから「できない」と考えてしまう。

これは、あらゆる、どんな商売、仕事でも共通することでしょう。

たとえどんな悪条件でも、英知を絞って、工夫をして「生き延びる力」

このことは、決して学校では教えてくれない。

「生き延びる力」

だから、「家庭教育」でシッカリ子供に教えたいところだ。
具体的には・・・・・

大自然の厳しさをたくさん体験することで「生き延びる力」を身に付ける。

この「大自然の厳しさ」を逃れるために「快適」な生活をしているのでしょう。
「快適」な普段の生活をしていたら、
その分、シッカリと

「大自然の厳しさ」を子供に体験させる必要があるでしょう。

「14 九十九里」

今年度から、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

この活動を「年間プログラム」で行った。
この活動には、

「だんだん暗くなって寒い屋外」を体験した。

「ただ、トコトコと歩くだけで、
  レジャーランドのような刺激的に楽しいというものがまったくない体験」

「真夏の炎天下、汗だくになって工作物を作る」という体験もした。

こういう「大変」「辛い」「苦しい」ということを
大自然の中で体験することで「生き延びる力」が身に付くのでしょう。

どんなに最高な「教育」でも、
子供の個性に合っていなければ「子育て」にはならない。

親がアウトドアーの遊びが嫌いでは、この「教育」も無駄になる。

それで、僕は、
初めに親に「デイキャンプ」を体験してもらいたいと思って活動している。
その上で、こういう体験が子育てにどういいのかを知って欲しい。

今月中には、来年度の「年間プログラム」を掲載します。

ぜひメールで、お問い合わせ、お申し込みをください。


15/3/5(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

一昨年の営業展開で一件の幼稚園の仕事をとれた。

この間、そこで二回目の発表会を「一人三カメ」で撮って、
今日、その見本を届けに行く。

発表会当日、となりに写真屋さんが来た。
どうやら、この写真屋さんが12月のクリスマス会をビデオで撮っているらしい。

それでその写真屋さんが、
3月の発表会は、納期的にできないと断ったので、
僕のところに仕事が舞い込んだということらしい。

写真屋さんが作るビデオ・・・・・
なんとなく日本蕎麦屋さんがラーメンを作るのに似ている。
ラーメンが「かつおだし」だったりして・・・・

しきりにその写真屋さんが「クリスマス会」の仕事もとられはしないかと心配しているので、
僕は、こう言った。
「12月の仕事も打診されたけど、その時期は忙しいからと断っている」

きっと写真屋さんは、安心したことでしょう。

3本のビデオカメラをその写真屋さんが見て、
「一人で3本、回すんですか?」
と、ビックリしていた。

それだけではないと思う、驚くのは。
無指向ダイナミックマイク2本、プレッシャーマイク1本をステージに仕込んであって、
25年使ってきたミキサーで「音の管理」までも一人でこなす。

たぶん、写真屋さんレベルでは、案外、カメラマイクだったりして・・・・
客席の赤ちゃんの泣き声にクレームがついたと言っていた。

たぶん、ビデオ屋の撮り方を初めて見たのだろうか?
カルチャーショックだっただろうね。

ちなみに、今年度までは、僕は、「4:3」のサイズでNTSCの出荷しかしていない。
写真屋さんは、ブルーレイだそうだ。

「画質」ではなく「撮り方」で僕は、差別化してきた効果がハッキリとでた例だ。

「音」も十分に差別化しているのだが、
見えないだけに、顧客が気付かない様子だ。
そこで、
「うちは、こういう台詞劇に強いんです。マイクの仕込みを見てください」
と、園長先生に伝えた。
マイクは、見えるから分かりやすいでしょう。

でも、本当の僕の実力は、

「子供を見る力」なんだと思っているんだけどなぁ・・・・・

今日、新しい動画を YouTube にアップした。
「子供の撮り方」の参考にして欲しい。

「15 ハイキング」


15/3/4(水)朝 キャンプじぃじの日記

お弟子さんは、僕が無理にハッパをかけなくても、
自ら「やる気」をなんとか出そうとしている様子が手に取るように分かる。

本人に興味がないのに、
これでもか、これでもか、・・・・・
こうして、詰め込み教育をすると、いつかその子は潰れやすい。

「詰め込み」がその子の個性に、まれに合うこともあるかも知れないが、
それは、非常にレアケースだろう。

「暗記」が得意だからと言って、安心してはいけない。
「アスペルガー」もしくは、
その傾向が強いという「個性」の場合があるからだ。

だいたい「育児書」の類のものは、「発達障害」または、
その傾向がある「個性」について、
まったく考慮に入れていないことが多いようだ。

本人の「やる気」を引き出すためには、
その人の「個性」を見抜かなければ、まず無理だ。
千差万別。

もう一度言う、子供の様子をよく観察をして「個性」を見抜く。

これが出来なければ、ミスマッチな子育てをしてしまうことになる。

例えば、
「音楽」に敏感な家族でもないのに、
ピアノを子供に無理知恵を付けても、
「教育的」かも知れないが「子育て」にはならない。

両親が運動大好きでもないのに、
子供にスイミングを無理矢理押し付けても、
「教育的」かも知れないが「子育て」にはなっていない。

ましてや、お友達の子が、「〜〜〜」を習っているから、
うちの子もそれを習わそう・・・・・
最も下手な「子育て」になる。

本人自らそれに強い興味がある。

そして、本人に「ハングリー」がなければ、

「生きるパワー」が出てこない。

「貧乏」

これは、日本では「貧困」ではない。
この「貧乏」というのが、「やる気」が起こる源となる。
「ハングリー精神」だ。

だから、「裕福」な気持ちであると、この「パワー」は、出ない。

「親の最大限の豪華、贅沢は、その子にとって生きる最低限の条件になる」

これの意味が、このことで分からないだろうか?

お弟子さんは、普段の苦しい生活に耐えて、
自分の仕事を勝ち得ようとしているでしょう。

そこには、「命がけ」「必死」
こういう心の状態でしょう。
決して「裕福」な気持ちではないでしょう。

だからこそ、お弟子さんは、これから伸びるチャンスがあるわけだ。

大きく「成長」する可能性が高い。

子供の様子をよく見て、その子の「個性」を親が把握できるかどうか。

「子育て」の一番最初にこれがないと、子供を潰すことになる。

僕は、この25年間、幼稚園の子供をたくさん見てきた。
子供の様子を見ていて、
本当に「親の影響」が最も強く出るということが分かる。

それは、「遺伝的」なものと、
後天的な「親の心」と、二つの影響が子供にとって強烈だ。

これをぜひ分かって欲しいね。
その上で、
「子供の個性」をよく知った上で、「教育」すると非常にいい。
とっても素晴らしい「子育て」になるでしょう。

僕の「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動では、
父親に可能な限りこのことを知らせていきたい。
だから、
「親は、手を出さず、口を出さず、見守って」と訴えているわけだ。

そして、「貧乏」体験。

キャンプ生活は、デイキャンプでもこの「貧乏」を子供に疑似体験させられる。

だから僕の活動では、極力「便利」を排除する。
調理で「皮むき器」を使わない理由だ。

「手打ちうどん」で、伸ばし棒を使わずに、
サランラップの芯を使ってみるというのも、
「便利な道具」がなくても「工夫」して作れるという体験だ。

こういうことで、子供が小学校高学年になったら、
市販されている「キャンプ用品」でキャンプをするのではなく、

椅子もテーブルも、カマドも、ごみ入れも、
テントさえも、
全部、子供自身で工作ができるようなキャンプ遊びができるといい。

急には、無理だ。

少しずつ「工作」ができるように教えるといい。

それで、戸田市の道満グリーンパークで「親子で工作」というボランティア活動をしている。
もう、10年ぐらい続けてきた。

プライベートのキャンプ場「さぎ山野営場」に来れば、
それら工作物の見本がある。

ここでは、その気になれば「トイレ」も自作できる。

母親では、ついてこられないでしょう、野性的な父親なら出来る。

地面に穴を掘って、シャワー用のテントをそこに張って用をたす。

僕は、子供にこれを体験させるために、僕自らこれをやったよ。

「雪中キャンプ」


15/3/3(火)朝 お弟子さんの日記

 第三回目となる営業が間近となってきました。

今回は少ない数に絞っての営業となります。
地域的に古い町並みを狙いアルバムの獲得を狙う予定です。

谷口さんの下での講習が週1ペースに切り替わってから現場へ足を運ぶ機会がガクッと減りましたが、
反対に自分の仕事に対してのことを考える時間が増え考えることが多くなりました。

これからどうやってフリーとして仕事をしていくのかということです。

今やっているブライダルの撮影はほぼギャラ仕事です。
ですが、地道にクチコミで宣伝した効果なのか少しずつ直受けでの撮影も増えてきております。

幼稚園は確約こそもらってはいませんがアルバムの契約が取れる可能性が見えてきました。
それに夏場はお泊まり保育の撮影を3園頂けたこともあって暇だった夏場をカバーすることができます。

焼き鳥屋のバイトは当分やらない生活が保てないのが現状です。
取りあえずはふわふわしているアルバムの仕事を明確なものにするために営業で獲得する必要が急務だと思っています。

それが出来れば来年にはビデオカメラも手に入れられるでしょう。
貧乏暇なしという言葉がありますが・・・それは本当だとつくづく思います。

忙しいとは言わずに営業に備えて下準備をしっかりし挑みます。
そろそろ自分の仕事を決めてやります。


15/3/2(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、二か月ぶりぐらいに「日曜晩餐会」をやった。

僕とばぁば、古い友人に大家のおばぁちゃん、
この四人で久しぶりに食卓を囲んだ。

「一人では寂しい」

だからこうして気が合う仲間でひと時を過ごすわけだ。

「一人では寂しい」

だからこそ、結婚をする、こういう一面があるでしょう。
旧約聖書の初めに
「人が独りでいるのは良くない」とある。

都会では、
物が豊かになり過ぎて、
いくらでも夜遊びが出来る。

そこで、
禁断の実である「豪華・贅沢」を食べてしまって、
「はだか」であることに気付いてしまう。

豪華・贅沢を手に入れたくて・・・・・
子育てが疎かになる。

こうして僕は、
「寂しさ」を紛らわしてしまった。
バカなことをした。

でも、そういう不自然な「寂しくない」ことには、
たいがい金がかかる。
僕は、いったい、
「のれん」をくぐって今までどのぐらいの金を使ってしまったことだろうか。

でもそこに行けば、僕と同じように「家に帰りたくない」同僚がいた。

中には、サラリーをはたいてやっとの思いで、家を買ったのに、
「家に帰りたくない」人もいた。

でも、僕はやっと大人になれて、
のれんをくぐらなくても、
こうして年寄りばかりで心温まるひと時を得られるようになった。

やっと大人になれたよ。
「じぃじ」だからと言って「大人」だとは限らないものだ。

ただ、歳をとっただけでは「大人」にはなれない。
当たり前のことでしょう。

でもみんな、歳をとれば自動的に「大人」だと思っている。
そんな馬鹿な話はないさ。


15/3/1(日)朝 キャンプじぃじの日記

「豪華・贅沢」=「幸せ」

こういう気持ちで子育てをしていると、

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件」

になるさ。

これをそうではない、と、ある意味「悟る」のに非常に有効なのが、
子供と一緒にハイキングすることだ。

ハイキングと、言っても、
子供が小学校二年生ぐらいまでは、「散歩」で十分。
ともかく、お父さんが子供の手をギュッと握って一緒に歩けばいい。

何回もやっていれば、
これこそが「本物の幸せ」であることに気付くはずだ。
「豪華・贅沢」=「幸せ」ではないことが分かってくる。

でも、子供が小学校二年生以上では、
子供の成長具合を考えると、「散歩」だけでは、
ダイナミックさに欠けてくる。

そこで、子供が二年生以上ぐらいからは、
親子で「デイキャンプ」をするととってもいい。

「デイキャンプ」では、いろいろな作業がある。

タープ張り、調理、撤収・・・・・

これを父親自身で子供に教えられれば、
非常にいい親子の交流を得ることが出来る。

「初級編」

しかし、子供が小学校高学年になると、
デイキャンプのレベルでは、「冒険」にならない。
そこで、小学校五年生ぐらいを目安に「一泊キャンプ」を始めると丁度いい。

これは、僕が考えたことではない。

ボーイスカウトの世界では、
小学校五年生ぐらい以下の「カブスカウト」では、
基本的にまだ泊りのキャンプを「してはならない」ことになっている。

カブスカウトでは、「舎営」と、言って、宿に泊まる「キャンプ」をする。

テントに泊まり始めるのは、小学校高学年以上の「ボーイスカウト隊」からだ。

この年齢的発達に合わせて、自然体験を高度にしていくやり方は、
本当に驚くほどよく考え抜いてある。
「発達心理学」的にも、よくできている。

だから、
子供が小さい内は、親子で「散歩」から初めて、
次第に距離を伸ばして親子で「ハイキング」に発展させると丁度いい。

さらに、「スノーメン・キャンプ・クラブ」で行っているような、
親子で「デイキャンプ」をして子育てを行うと、無理がなく面白くできる。

こうして、子供が小学生のうちに、
父親がシッカリと子供とアウトドアーで遊んで子育てをすれば、
子供が中学生になっても、回数は少なくても、
父親と一緒にキャンプができるようになる。

「親子キャンプ」

このときにこそ、父親が子供に「夜話」を語って、
「生き方」を教えるチャンスになる。
これを他人任せにしたらどうなるのか・・・・・・

子供は、父親に生きる上で重要なアイデンティティを得ようとするものだ。

もし、父親自身で子供に「生き方」を教えることが出来ないと、
子供は、

「なんで生きているのか」

「どうして働くのか、その意味」

「本当の幸せとは」

これがサッパリ分からないので、
そのことで一生涯を的外れな「生き方」をしてしまうわけだ。
ひどい場合、
子供が「豪華・贅沢」を自分の稼ぎで得られないと分かると・・・・
引きこもる、こういうことも起こり得る。

「人生の充実感」

子供は、これを得にくくなる。

子供が中学生ぐらいになったら、
回数は少なくても親子キャンプでたき火を囲んで、
ぜひ、

父親自身による「夜話」で情操教育をやって欲しい。

最高の「家庭教育」になる。

子供が高校生ぐらいになったら、
キャンプの「計画」「準備」「実行」まで、
すべて子供ができるように育てられれば、

非常にいい「自立」の訓練になる。

そして、僕は、「自己責任」で、
子供に「ソロキャンプ」を体験させて、

子供を自立させた。

「自立に向けた親子キャンプ」

子供に大自然の厳しさをたくさん体験させないと、

「生きているのが当たり前」

という「高慢ちきな心」になってしまいやすいよ。

「親の最大限の豪華・贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

とは、子供が「高慢ちきな心」になってしまうという意味だ。

僕の「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動と
ボーイスカウトの活動で何が違うのか・・・・

やってることは、似たようなものだが、
僕は、「父親自身で子育てをする」、
このヒントにしていただきたいというところが、
BSの活動とまったく違うものだ。

「子育てを他人任せにしないで父親自身で行う」

実は、このことで父親自身が大きく「心の成長」を遂げる。

これに父親が気付けば、きっと、子育てに感動を覚えるはずだ。
ぜひ、覚えて欲しい。