スノーメン タイトル



お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
「子育ての面白さをお父さんに伝える」 ことを目指します。
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             最新作ご案内「15 がんこおやじに会う」
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「教育」と「子育て」の違いを知って、心の強い子に育てよう!
         ページ■「キャンプじぃじの子育て論」
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〜子育てを意識した親子キャンプの動画〜

「プロローグ」                「工作で工夫を身に付けよう」

「初級編」 「中学生の心を育てる親子キャンプ」

「自立に向けた親子キャンプ」 「遊びの進化」 「雪中キャンプ」 

「親子キャンプ」 「刃物と火力の取り扱い」 「15 カレー作り」

「14流しそうめん」「14芋煮&手打ちうどん」「14けんちん汁&餅つき」

「15 灯篭作り&キャンプファイヤー」 「15 ハイキング」

「エピローグ 自分と子供の関係」  「エピローグ 自分と友人の関係」

さぁ、繰り出せ親子でフィールドへ
       「アウトドアーの効用」 「サイクリング講習会」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に掲載
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」・・・子育て真っ最中の方へ
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」・・・・老後の提案
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15/6/30(火)朝 キャンプじぃじの日記

今、朝の5時半だ。

奥日光の湯ノ湖湖畔にいる。

幼稚園のお泊まり保育の取材できた。

販売用ではなく、「卒業ビデオアルバム」用の一コマの絵を撮る。
今頃、子供たちは宿の中で寝ている頃だ。
ノソノソと起きだしたところを撮る。

「ここはどこ?」そんな顔で子供たちが起きる。
興奮して起床前に騒ぐ子もいれば、
揺り動かしても起きようとしない兵もいる。

起床の様子を撮ったら、屋外での活動を撮る。
編集では、逆さにして、屋外で活動した後、
一泊して朝を迎えたようにする。

嘘もいいところだ。

ドキュメンタリーだからと言って、「嘘」がないというのはウソだ。

大御所、ロバート・キャパだって、
「倒れし兵士」はインチキだったと聞いたことがある。

僕がばぁばに真実を訪ねたことがある。
「結婚する時に、美人は三日で飽きるが、
  ブスは三日で慣れるって言ったじゃないか?」

うちのばぁばが、こう言った。
「こんだけ経ちゃぁ、諦めがつく」

格言は、大ウソだったわけだ。

まぁ、大概の人は、ひどい勘違いをするからこそ結婚しちゃうんだよな。

そんな、くだらないことを考えながら、
お湯を沸かしてドリップコーヒーをすすりながら、

ヒンヤリした湖畔を眺めるのもおつなものだ。


15/6/29(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、恒例の「日曜晩餐会」をした。

中学の時の古い友人、高校の時からの古い友人、大家のおばぁちゃん、
そこに次男坊が来た。

三男坊を慰めた功績をたたえて、次男坊にたらふくバーベキューを食べさせて、
僕と次男坊の二人でカラオケで騒いだ。

こういうことで、また呑み過ぎ。
お終い。


15/6/28(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、三番目の子を見舞ったのだが、
朝8時には、御殿場市でその子と別れた。

それで、真っ直ぐ帰っても中途半端なので、
小田原〜湘南方面へドライブすることにした。

時間はタップリある。
高速道路で、ビュ〜〜〜ンなんてつまらない。
サイクリングで鍛えた「方向だけが頼り」のドライブを御殿場市から始めた。

山の中をグルグル車で走り回った。
方位磁石がないので、方向は、山の地形で判断した。

すると、ほどなく、国道R-246号線に出た。
山中でウロウロしていると、ヤバイ状態で迷子になりかねない。
天の助けだと思い、大人しくその国道を走った。

途中で「小田原」方面へ道を替えた。

小田原は、そうとう昔、
僕が若くてパワーがあったころ、
サイクリングで箱根の峠に挑戦する前に一休みした思い出がある。
今から40年ぐらい前の話しだ。

たしか、そのころ、
なぜか、小田原城の天守閣の前に「像」を飼育していたと思う。
どこかと間違えて覚えているのかも知れない。
そこで一休みした思い出がある。

そして箱根の峠にトライした。
「行き」の上り坂は、サドルから立ち上がってペダルを漕ぐこと、4時間。
「帰り」の下り坂は、ブレーキをかけっぱなしで1時間かかった。
その下り坂では、振動で手がしびれて握力がなくなり、
暴走してしまった恐ろしい思い出がある。

日光のいろは坂では、ヘアピンカーブで前輪のタイヤが外れて、
そのヘアピンに突っ込んだ恐怖の体験もある。
たまたま、そこが「砂場」だったので一命をとりとめた。

どちらの体験でも、まったく「死んで当然」の状況だったが、
ついに僕は還暦まで生き延びてしまった。

昨日は、ばぁばと二人でその小田原城を観光した。

僕は日本史がまったく苦手だ。
「赤点」の原因だった。

それで、小田原城についての歴史を、そこで読んだ。
北条という城主は、温情のある一族だったそうで、
財産分与でもめることがなかったそうだ。

これは今の税務署の人の話しだが、
だいたい、1億円以上の財産があると、財産分与で兄弟の仲が悪くなるそうだ。
「お城」という財産は、今の1億円なんてものではなかったでしょう。
5階建てぐらいの小さなビルでも、1億円で建つかどうかというところでしょう。

財産は、兄弟の絆をみごとにそぎ落とすものでしかない。
これが兄弟間の取り返しのつかない「喧嘩」の元だ。

黒沢 明 監督の「乱」という名作も、これを題材にして、
「欲望」と「戦」の切っても切れない関係を描いている。

ドロボーは、僕のような貧乏人のところを押し入らない。
彼がターゲットするところは、「金持ち」だ。
これ、常識でしょう。
それで、家庭用セキュリティをお金を使って取り入れる。
「防衛」でしょう。

国家レベルでも、
「富」があるからこそ、狙われる。
小田原城も、その例外なく徳川家康らによって奪われたという。

日本も、「戦争反対」を訴えるのなら、
「富」を捨てれば、その必要がなくなる。

「富」を握りしめたままで、「戦争反対」を訴えるのは、
「猫の鼻先三寸」みたいなものだ。
ドロボーを前にして、金庫を開けるようなものだ。

ちょっと前の「ブータン王国」は、貧乏な国だった。
だから、平和を満喫できたらしい。
しかし、今の「ブータン王国」には、「物質主義」の洗礼を受けつつあるという。
イナターネットの普及で「贅沢」を国民が知ってしまったからだという。

まるで、禁断の実を食べて、
「はだか」であることを知ってしまったアダムとイブのようだ。

本当に「戦争反対」なら、率先して「富」を捨てるしかない。
そして、僕と同じ貧乏生活で面白い人生を築けばいい。
本当の自由、充実した人生、
貧乏生活で僕は得た。

黒沢の「乱」のテーマだ。
「欲望」と「戦」。


15/6/27(土)朝 キャンプじぃじの日記

三番目の子が御殿場市に住んでいて、
この子が二つの問題を抱えていたので、そこにやって来た。

一つは、おばさんと同棲していたのが、うまくいかなくなったことだ。
これは、僕がでしゃばると、余計にこじれる話だ。
次男坊に、振った。

次男坊は、世間を図々しく泳いできているので、
この手の問題をなだめるのが上手だ。
元のさやに納まっていた。

もう一つは、デブが原因で脂肪の塊ができたのを取る手術があった。
ダイエット本で、無理のなさそうなものを選んで買ってやった。

そして、デブ(95`だそうだ)が原因で、
これからもいろいろな病気になると忠告をした。

今朝は、その三男坊と一緒にファミレスで朝食をとって帰る。

まったく、30才も過ぎたオッチャンなのに世話の焼ける話だ。
一応、自立させたのだが、
どこかで甘えている。


15/6/26(金)朝 キャンプじぃじの日記

今日、卒業ビデオアルバムのチョイ撮りがあった。
忘れるところだった・・・危ない、あぶない。

さて、昨日は、さぎ山野営場の整備をしていた。
月曜日に地主さんに挨拶をしに行くのに、綺麗でないとまずい。

そこで、キャンプサイトより、道路に面したところと、
地主さんの小さな神社を優先的に綺麗にした。

キャンプ場開墾したてのころは、毎日そこに通っていたので、
年中整備したてだったから、一回の整備は簡単だった。

しかし、最近は少々飽きてきて、用事がなければ行かなくなった。
だから、落ち葉が積もって、それが腐葉土化して、
大変な量になっていた。

雑草は、それほど生えていないのでたいしたことはないのだけど、
この腐葉土を取り除くのに手間取った。

草刈機で、その腐葉土を掘り起こす。
そして、雪かき用のスコップで腐葉土を一輪車に乗せて、
それを山の中に捨てる。

これの繰り返しを何十回となくやる。

朝8時から初めて、お昼は「かっ込み」で食べて、
夕方の4時にやっと、
その腐葉土が大変な、道路に面したところをやっつけた。

神社のところは、いつもだったらたいしたことはなくて済む。
はずだったのだが・・・・・

地主さんが、キャンプサイトに隣接したところの雑木林を売ったのだが、
そこがお墓になった。
それで、雑木林がなくなって、日が良く当たるようになった。

今まで、神社のところは、日が当たらなかったのに、
太陽サンサン、バッチリ日が当たるようになった。

それでそこに行ってみると・・・・・
雑草が・・・・・・
今までそこを草刈りしたことがなくて済んでいたのに・・・・・

もうすでに4時を軽く回っている。

草刈から始めなければならなくなった。
しかも、木が一本倒れている。
チェーンソーも用意する羽目になった。

ヘトヘトになった。
そして、その過酷な肉体労働を一所懸命にやっていたら、
もう10年以上愛用していたレザーマンのツールナイフを
どこかに落としてしまった。

キャンプサイトから、その神社までの雑木林のところに落としたと思えるので、
必死に探したが・・・・NG。

疲れるは、ショックだは、
散々の一日だった。

キャンプサイトの整備は、月曜日だな。

今日は、これから忘れるところだった取材をした後、
三番目の子の様子を見に、御殿場市へ行く。

のどかな余生は、こういうことで棚上げだ。


15/6/25(木)朝 復活サイクリストの日記

この梅雨の時期に、昨日の天気は最高だった。

この最高の天気を逃すのは、サイクリストの名誉に傷がつく。

こういうことで、九十九里浜の先にある「大原」へ向かって、
輪行で千葉駅まで行って、そこからサイクリングをした。

青い海

これを見たくてしょうがなかった。
大原について、いつものお土産屋さんで「アジの開き」を買った。
これ、うまいんだ。

そしてこの店のキャッチ・・・・・「がんこおやじ」だ。

「がんこ」が「オヤジ」の必須だな。
フニャフニャしている男を「オヤジ」とは、呼ばない。

僕も頑固に、ここで「本当の子育て」を訴え続けたい。
たとえ、嫌われ者になろうと、
これからの時代を生きていく子供たちのために伝えたい。

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

今日は、これから専用キャンプ場「さぎ山野営場」を整備しに行く。
いい余生だ。
仕事も遊びもこんなにも充実するなんて、思いもよらなかった。

「物」ではなく「生き方」に若いころから、こだわって生きてきたおかげだ。


15/6/24(水)朝 キャンプじぃじの日記

猫を挟んで「川」の字に寝るじぃじとばぁば

なんてわびしいのでしょうか。 やってられないよ。


ばぁばがまだ寝ているうちに、
これから、ここを脱獄して九十九里へ向かう。

プチ家出だ。

そこでサイクリングというものをする。
サイクリングし終わった後は・・・・・考えたくない。
それまでは、自由の身を味わう・・・・ラッキ〜〜〜〜!


15/6/23(火)朝 キャンプじぃじの日記

天気次第の取材で、プールのものが昨日撮れた。
もし、絵が足らないといけないので、
帰ってから即効で編集をしてみた。

大丈夫だ。
そこそこの感じでそこのシーンが仕上がった。

今日は、延び延びになっているジャガイモ掘りの取材がある。
これを無事撮れれば、6月の取材は、一通り終了だ。

今年もまた、いよいよ幼稚園のお泊まり保育の取材が控えている。

この緊張感がいい。

仕事だから「気楽」「簡単」ではない。
思いっきり「大変」「辛い」がある。

でも、好きな仕事だから、面白い。
体の調子を整えて、死ぬ直前までこの仕事をしていたい。
願いどおりになるかどうかは、サッパリ分からない。

自分の願いを仏様に委ねる意識のことを、
「他力本願」という。
これは、「他人任せ」とは、全く違うものだ。
意味をシッカリ理解をすることが大切でしょう。

キリスト教では、
自分が積極的にキリストの「しもべ」になることが求められる。

「しもべ」だから、自分の「願い」をシッカリと訴えていいのだが、
それを叶えるかどうかの主権は、キリストにある、と考える。

どちらも「願い」は、持っていていいのだが、
「願い」が叶わないからといって、
何かの、誰かの、せいにはしなくなる。

ここが古くからある宗教を身に付けると、
とってもいいところの一つだ。

もし、これを身に付けないと、
だから「ヘビー・クレーマー」をするわけだ。
こういう人は、
早晩、反抗期の自分の子供に、ヘビーなクレームをつけるようになる。
結果として、最悪な子育てをして、
僕ぐらいの歳になった時に、子供に何らかの逆襲を受ける羽目になるわけだ。

自分でまいた種は、自分で刈り取るということだ。

悪い木からは、悪い実がなるものさ。
良いブドウの木からは、良い実がなるものさ。

また、「気楽」「簡単」に手入れをした木からもいい実はならない。
良い実は、必ず「大変」「苦労」した手入れで実るものでしょう。
これが本当の子育てでしょう。

親自身で出来うる限りを尽くして、子供の育ちに手入れをするものさ。
不思議なことに、
このことによって、親自身が成長するようにできている。


15/6/22(月)朝 キャンプじぃじの日記

天気が良くて爽やかだったら、
とってもじゃないけどジッとしていられない。

でも昨日は、ぐずついた天気だったので編集の仕事がはかどった。
結構なことだ。
たとえ、天気が良くなくても、昨日一日を有意義に生きることが出来た。

最近、僕は歳をとったので、どうやって上手に死ねるのか、
その準備を始めようと思うようになった。
歳相応の成長をしたい。

そこで、ここのところ何冊かの本を読んでみたのだが、
面白いことが分かった。

どうやら僕は、普通の日本人の死生観と真逆の感覚で生きてきたようだ。

「自分の死」を考えることと「子育て」を考えることに、
僕は、「自立」を前提で掘り下げて考える。

しかし、詰まる話し、平均的な日本人には、
この「自立」という概念がなく生きているらしいことがよく分かった。

「おもてなし」

これをよくよく考えると「甘やかし」という方向があることにも気付いた。
「甘やかし文化」、こういう表現も出来るようだ。

どんなことでも、いい面と悪い面がある。

この「甘やかし文化」も、東京でオリンピックがあるときには、
ガイ人観光客を引き寄せる「魅力」になることだろう。
それだけこの「甘やかし文化」は、世界的に見て珍しいものということだ。

しかし、悪い面もある。

例えば、親と子供が「共依存」することが「絆」だと勘違いすることだ。
お互いに「甘やかし」することが正しいと考えている。
この感覚が「自立」を阻害しているわけだ。

例えば、「死」は、忌み嫌うもの、塩を振って追い払うものという感覚だ。
だから「死」を積極的に避けることをする。
これが無意味な延命治療になっていくわけだ。

絶対に避けられない「死」を無視するということは、
一日一日を享楽的に過ごすことしか思いつかなくなる。
その日一日を有意義に生きることが難しくなる。


僕は、「自立をした一人の大人の社会人」に、
子供を育てることが親の責務で愛情だと感じる。

僕は、「死」は、その人のフィニッシュ・・・・完成だから、
どうやって自分の人生を完成させられるのか、
結構、今、真剣に考えている。
決して、自分の「死」を忌み嫌ってはいない。

大概の日本人は、「物」に執着して人生設計するが、
僕は、「物」は、そのときに、ただ便利に使うものでしかない。
それより「生き方」にこだわった人生を歩んだ。

何冊かの本を読んでいて、
こういうことで、
大概の日本人は「自立」に無頓着であることが分かった。

しかし、それらの著作を書いたのも日本人だ。
僕と同じ感覚で生きている。
僕は、嬉しくなった。

「日本の常識は、世界の非常識」と言われる根本は、
だから「個の自立」にあると思えるんだ。

僕は、「じぃじ」でしょう、嫌われることが言えないとね。
普通の日本人の感覚に不快感があるかも知れないね。
でも、このことをよく理解できないと、
本当の意味で「グローバル」になれないさ。 違う?


15/6/21(日)朝 キャンプじぃじの日記

まぁ、僕も還暦で、
どう死ねるのかということに現実味を帯びてきた。

あとよっぽども健やかで20年ぐらいだ。
今日死んでもおかしくはない。

思いっきり人生を生きて、十分以上に充実感がある。
満足度100%だ。
「物」ではなく「生き方」にこだわって生きたので、
本物の「自由」を得ることが出来た。

しかも、自分の気に入った仕事と趣味で、
今でも思いっきり生きられている。
最高だよ。

死ぬときには、ポックリと逝きたい。
大概の人がこう思うのではないだろうか?

しかし、現実は「延命」で非常に苦しんで死ぬことが、
ここ日本では多いということが分かった。

「欧米に寝たきり老人はいない」
宮本 顕二 宮本 礼子 共著  中央公論新社 刊 1,400円+税

日本の子育ての多くは、「自立」に無頓着でしょう。
親と子供が「共依存」することが「絆」だと勘違いしている。

その「甘え」が、この「死」にもある。

体が衰弱して、もう「死」を迎えているのに、
人工的に「延命」するのが優しいことだと勘違いをしている。

その結果は、非常に苦しむ闘病生活になるそうだ。
死なせてくれない苦しい「死」。

しかし、
欧米では「死」に対する考え方や「気持ち」が日本とまったく逆だ。

だから、延命をしないのが正しいという「死」を迎えられるそうだ。
そういう自然な「死」には、「安らか」なものがあるという。
苦しんで、ひきつってはいないそうだ。

僕もこういう「死」を選びたいと切に願うが、
ここ日本にいる限り「延命」させられてしまうという。

日本人の「死」の捉え方が、「延命」に走らせているようだ。

「死」・・・・忌み嫌うもの、塩をふって御払いをする邪気なもの。
これが平均的な日本人の感覚でしょう。

生きている限り、当然いつかは「死」を迎えるもの。
その「死」までに人生を思いっきり生きて充実した「生き方」を楽しむもの。
これは僕の感覚だ。
だからもう十分に人生に充実感があるから絶対に「延命」して欲しくない。

日本で「延命」をしない「死」を迎えるのには、そうとうの努力がいるようだ。
「リビング・ウィル」や「エンディング・ノート」にいくら「延命」を拒否しても、
法的に、日本人の生きる感覚的に、医療の都合的に、
「延命」させられてしまうことがあるそうだ。

うちのばぁばは、介護の仕事をしている。
キリスト教の介護施設で働いている。
そこでは、一切「延命」を行わないというのがポリシーだそうだ。
だから、安らかに「死」を迎える人が多いそうだ。

三番目の子も介護の仕事をしている。
日本の普通の介護施設だそうだ。
間違えなく、「延命」の処置がされるのだそうだ。
その「死」は、苦しそうだという。

「死」を考えること・・・・・
それは、とりもなおさず「今を生きる」ことを考えることだ。

「気楽」「簡単」「便利」「快適」な生活に溺れていると、
いつしか「死」を無視して生きることになる。

それは、結果として「今を生きる」ことを考えずに、
その場の享楽を追い回す人生になりやすいのではないだろうか。

人生の「充実感」を得にくい「生き方」に、なりやすいのではないだろうか。

さらに、子育てで「気楽」「簡単」「便利」をしてしまうのではないだろうか。
金を払って子育てを他人任せ・・・・・

子育ては、本来「大変」だ。
だから面白い。

父親がこの「大変」な子育てを自ら行うことで、
父親自身が「成長」するものがある。

これに気付けば、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」ことになるんだけどね。

「死」と「子育て」は、「生きる感覚」なんだよ。
どういう「感覚」で生きられるのかが重要なのさ。
その「生きる感覚」次第で充実感がある人生を作ることが出来る。

父親の「愛」が伝わる子育てにもなる。


15/6/20(土)朝 キャンプじぃじの日記

ここのところ、天気次第の取材が重なっている。

大がかりではない小さな「遠足」のようなもの、
ジャガイモ掘り、
プール、

梅雨だからね、思ったようには晴れてくれない。

子供に飯を喰わせるために、一時、10件の「卒業ビデオアルバム」を制作していた。
自分で、どこをどうやって仕事をこなしたのか・・・・覚えていない。
必死に命がけで取り組んでいたので、できた。

今は、子供がいなくなったので、
売れないところを整理して、
たったの3件しか「卒業ビデオアルバム」を作っていない。
それでも、この梅雨の時期はハンドリングが大変だ。

安全ではないからこそ、人は命がけで必死に生きようとする。
そうして「大変」「苦しい」「辛い」を乗り越えたときにのみ、
「心の成長」が起こるものだ。

その年齢、年齢、にあった「心の成長」というものが、
この「大変」「苦しい」「辛い」を「乗り越える」ことで得られる。

だから、
「気楽」「簡単」「便利」「快適」な生活だけで「ヒト」を育てるとどうなってしまうのか・・・・・

僕は、そんなひどい人体実験をする必要はないと思うけどね。
「成金趣味」に陥った人は、平気で子供にこの環境を与えている様子だ。

僕は、取引先をここのところ随分整理したが、
ただ「売れない」というだけで取引を辞めたわけではない。

「モンスターペアレント」が多いのか、少ないのか、
これが一番の基準で整理した。

この「モンスターペアレント」とは、
別には「クレイジークレーマー」とも呼ぶそうだ。
凄まじいよ、こういう人は。

ときに、幼稚園を潰しにかかることさえある。
ましてや、そこにぶら下がっているビデオ屋は、「いじめ」の格好の対象だ。
さっさと辞めた。

この別称「クレイジークレーマー」という人は、
早晩、反抗期を迎えた自分の子に対しても、その毒牙が向けられる。

最近「毒親」という言葉を目にすることが多くなった。
同じことを差しているのだと思う。

「気楽」「簡単」「便利」「快適」を「当たり前」に育てるので、

ちょっとしたフラストレーションに耐えることが出来なくなって大騒ぎするようになるのでしょう。

生きていくのに、やたらに「条件」が多くなるのでしょう。

そしてそういう生活習慣は、「世代間連鎖」を起こすのでしょう。

恐ろしいことだよ。
家族の間で、やたらに殺人が多いのは、こういうことでだと思う。

だからこそ、子供と一緒に、

「不便」「大変」「辛い」がある「親子キャンプ」という処方箋が必要なんだよね。

親も子もこのキャンプ生活で、「気楽」「簡単」「便利」「快適」を
放り捨てて、大自然の中の厳しさ、美しさ、面白さをたくさん体験しよう!

これで「心が強く」育っていくものなのさ。


15/6/19(金)朝 キャンプじぃじの日記

「反抗期」は、子供が親から「自立」をしたいという「心の成長」で起こる。

だから、
「自立をした一人の大人の社会人」になるためには、不可欠なものだ。

ところが、
ここ日本は、親と子供の「共依存」が「絆」だと勘違いをしている人が多い。

積極的に「子供を自立させない」という子育てさえある。
(これは、本当の子育てではない)

子供には、子供の人生がある。

それをたとえ親と言えども親の都合で奪ってはいけないでしょう。

日本の親子関係を考え直すいい本がある。

「家族という病」 下重 暁子 著
         幻冬舎新書 刊 780円+税

「老後はひとり暮らしが幸せ」 伯井 俊明 著
         水曜社 刊  1,400円+税

両方とも日本人が書いている。
両著とも、背景に「自立を無視した子育て」があることに気付く。

国際的に見て「ひきこもり」という心のトラブルは、
日本の特産らしい。
学術的に「ひきこもり」という言葉が使えると聞いた。

「Hikikomori」は、少なくて70〜80万人。
学者によっては、100〜200万人も日本にいるという。

この「ひきこもり」という現象は、間違えなく「親子の共依存」で起こる。

いくら「物」で豊かになっても、これでは幸せとは言えないでしょう。

子供をシッカリと「自立」に向けて育てるのが本当の子育てだ。

遅くとも「20才では、自立させる」べきだと思うが、
選挙権が18才に引き下げられるのだそうだ。

国際的に見て、「自立」が当たり前の子育てだからこそ、
18才で選挙権がある。
でもここ日本では、
「自立」できない親と子供の社会で、本当に大丈夫なんだろうか?

「若さ」は、学生運動でよく分かるように「過激」に走りやすい。
本当に大丈夫だろうか?


15/6/18(木)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、急に取材をして欲しいというので、
予定をしていたサイクリングを諦めていた。

そこにまた一本の電話があった。
「取材は畑の状態が悪いので延期です」

ラッキー!
ただし、天気の様子が怪しいので、ポタリングをすることにした。

とりあえず江戸川の土手に出る。
北を見上げると重く黒い雲が漂っている。
南の方は、それほどでもない。

そこで、江戸川の土手を下ることにした。
洗車したてのロードが快調だ。
千葉の松戸を過ぎて、中山も過ぎた。

とうとう「稲毛」に着いた。

ここは、普段通過点でしかないが、ここでお腹が減ったので
京成「稲毛駅」近くの中国人がやっている店に入った。
中国人がやっている店は、たいがい料金の割にボリュームがあって、
しかもうまい。
「ニラレバ炒め」の定食を食べた。

お腹が満たされて、疲れもちょっと出たので少々かったるくなった。

そこから、数`、海へ向かって走って、「稲毛海岸」に行く。
内房で、千葉のコンビナートを控えている割には、景色が良かった。
しばらく稲毛海岸を眺める。
やっぱり水平線を見るのはいい。
僕が死んだら、この海に散骨をするように子供に頼んである。

僕は、「物」にしがみ付く生き方が嫌いだ。
「家」や「車」、「機材」、すべての被造物を「生きる価値」にはしない。
だから、僕にとって「骨」は、ただの物質でしかない。

僕が死んだときに、霊魂があったとしたら、
骨にはなく、まったく別のところに行く。
だから、散骨を望む。
そして、僕の子供には、これを真似して欲しいと強く願っている。

だるいので、京成「稲荷駅」から輪行で帰ることにした。
「江戸川駅」というのがあるので、そこで電車から降りて、
今度は、江戸川の土手を上って行こうと考えた。

しかし、電車に乗ってすぐ、ドシャ降りの雨。
間一髪セーフだった。

その電車は、「上野行き」だったので、
「上野」で、日比谷線に乗り換えて帰ろうと考え直した。

そうしたら、「千住大橋駅」で雨が上がる。
ここで降りて、輪行袋から自転車を引っ張り出して、国道R-4号線を北へ向かう。

すぐに、また雨がポツポツと降り出した。
そこで、東武線の「北千住駅」からまた輪行して帰った。

ナント、僕の住む「蒲生駅」では、雨が降っておらず、
アスファルトがドライだった。

ボロアパートに帰って、ばぁばが干していた洗濯物を取り込んだら、
ザーザー降りの雨になった。

なぜか、きわどく雨を避けることが出来た、それも何回も。
とっても不思議な天気だった。

僕がビデオ屋で生き延びられたのも、
今から思うと奇跡の連続だった。
「奇跡」は、それを望んでいては、決して起こらない。

命がけ、必死に取り組むときにのみ、突然奇跡が起こるものだ。
この奇跡の連続だったことを、思い知らされた。
間違えなく、僕を操る霊を感じざるを得ない。

「15鬼怒川サイクリング」


15/6/17(水)朝 復活サイクリストの日記

この間の「思川」でのサイクリングで、
ぬかるみに落ちて自転車が泥だらけになっていた。

それで、昨日は、自転車を「洗車」した。

若いころに覚えたサイクリングという遊びで、
昔は、月に一度ぐらいの割合で自転車をオーバーホールしたものだ。

当時のベアリングは、玉が一つ一つバラバラに組み立てられていて、
それを丁寧に雑巾で磨くように綺麗にしたものだ。
ボトムブラケットだけは、工具がなかったのでしなかった。

いつだったか、
カンパニョロ製の、
しかも「スパーレコード」というグレードのペダルをバラして、
グリスアップしていたときに、
そのベアリングの一つの玉が行くへ不明になったことがある。

真っ青になって探したのを覚えている。

かなりマニアックに自転車を整備してきた。
しかし、
これまでに自転車を「洗車」したことはなかった。
昨日、産まれて初めてそれをした。

それほどに泥んこの塊がへばり付いていた。

それで、今日、本当は九十九里方面へサイクリングしようと考えていた。
自転車の整備に目標があると精が出る。
チェーンやチェーンホイール、スプロケットも灯油で洗った。

そこに一本の電話がかかってくる。
ナント、今日、ジャガイモ堀の活動を幼稚園でやるので取材をしろという。
この間、聞いた話では、来週だったのに・・・・・

しかも雨天の場合、明日に順延だそうだ。
明日は、別件の取材があるのに・・・・・

たった一本の電話で、僕の人生は、天国から地獄に落ちた。

今まで生きてきて、
ちょっと人生の歯車が狂うと、とんでもない地獄を散々見てきた。
それが決まって、それを忘れたころに起こる。

人生は、逆境の時にこそ、その人の生き様がハッキリと出るものだ。
人生と自転車でのツーリングは、本当によく似ている。
ぬかるみに落ちたときの動画をぜひ見てやって欲しい。

「15 思川サイクリング」


15/6/16(火)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、フリーランスのカメラマンだ。

この30年以上、経済的に「生き延びる」ことに必死だった。
初めは、10年間、会社勤めをした。
脱サラしたてのころは、「給料袋」を貰える夢を頻繁に見たものだ。

「月給」、これを貰えるのが「当たり前」の生活を10年もしたので、
そういう「生活習慣」から、
「成功報酬」になかなか「心」を切り替えることができなく苦しんだ。

今、歳をとって、
生命そのものの「生き延びる」ことに考えさせられる。

「生きているのが当たり前」

若い内は、そう思っていた、というより、そんなことを考えもしなかった。

しかし、今、生きているのは「当たり前」ではないことに気付かされる。
たくさんの内臓と、たくさんの細胞と、
なにより「心」というつかみどころ無いものと、
すべて「順調」で、「生きる」ことができている。

これにやっと気付くことで「生」に対して感謝の念が起こる。

人によって、このことにいつ気付くのかはまったく違うものらしい。
若い内に気付く人もいる。
宗教家だ。

一生涯気付かない人もいるようだ。

僕は、生きているうちに気付くことができた。
歳をとる・・・・・このことに気付くことで豊かになるものらしい。

仏教で「煩悩」(欲)があるから「四苦八苦」すると教えている。
これの意味がよく分かるようになった。

キリスト教では、
「あなたの神以外に誇ってはならない」とある。
これも良く分かるようになった。

「15鬼怒川サイクリング」


15/6/15(月)朝 キャンプじぃじの日記

最近、幼稚園の先生に貰ったピンクの車を乗り換えた。

僕の四人の男の子のうち、三番目の子が四駆を買うので、
それまで乗っていた車を買ってくれというので、
言われるまま買った。

こういうことで、
子供のお下がりの車に今、乗っている。

その三番目の子が、おばさんと同棲をしてきているのだが、
どうやら、うまくいっていない様子だ。

そこで、昨日の夜、
恒例の「日曜晩餐会」にやってきた次男坊に、
三番目の子の相談にのってくれと頼んだ。

子供の私生活に僕が出ると角が立つ。
だから、やんわりと電話をするように頼んだ。

次男坊は、手の付けられないヤンチャをやって、
僕が「勘当」したのだが、
最近になって、借りてきた猫のようになついてくる。

どうやってなつかせたのかというと・・・・

子供のころは、「飴玉」で言うことを聞かせたものだが、
30才も過ぎたおっちゃんの子だ。
「飴玉」では無理だね。

そこで「ちょっと一杯」で子供を釣る。

こういう「報酬」は、与えすぎてはいけない。
もう一度言う、
「与えすぎ」は、逆効果を招く。

ここぞというときに、最低限の「報酬」を子供に与える。
笑えるよ。
効果絶大だ。

こういうことで、昨日の夜は、
僕と、最近知り合ったカメラマンと、次男坊の三人で
二次会にカラオケ屋さんに行った。

兄弟で仲良く生きていって欲しい。

これが僕の願いだが、願いを子供たちがかなえてくれている。

「中学生の心を育てる親子キャンプ」

「冷酒とオヤジの小言は、あとで効く」
笑えるよ。 人生は滅茶苦茶面白い。

と、こういうことでまた呑み過ぎた。
子育ては、「た・い・へ・ん」だ〜〜〜〜!


15/6/14(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

6月13日 「親子で工作」実施

昨日は、大入り満員

「水鉄砲」の準備を多めにしておいたのがヒットして、
次から次へと親子がやって来て、
アッという間に材料がなくなってしまった。

材料がなくなっても、親子が来たので違う工作物を案内した。
しかし、それが目当てだったようで、帰ってしまった。

材料がないのが伝わったのか、それ以後親子は来ないので閉店をした。
おおむね、40人ぐらいの子供がやって来たようだ。
記念の木のメダルが底をついた。

このあと、9月も道満グリーンパークで「親子で工作」を行う予定だが、
暑かったら、もっと多めの「水鉄砲の材料」を用意しようと思う。

夜、ばぁばと二人で打ち上げをした。
この活動のおかげで、人生にメリハリが出来て面白い。

こんな具合に、
父親が自分の子の面倒を見ることに「面白さ」を感じてもらいたい。

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

これは、子育てを「気楽で簡単に楽しく」ではなくて、
子供の成長を目指して父親が子供と一緒に遊ぶのが「大変」なのだけど、
そこに「オヤジの面白さ」を感じ取ってもらいたいというものだ。

僕の活動と同じで、
そこに人生のメリハリが出来て面白さを見出してもらいたい。
これを願って活動を続けている。


15/6/13(土)朝 キャンプじぃじの日記

新しく1本をアップした。

「15 思川サイクリング」

子供の内の「体験」は、その子のその後の「物事の捉え方」に強い影響がある。

小さい内から「気楽」「簡単」「便利」「快適」を浴びるように育てられて、
どうして、
「大変」「辛い」が必ずある自分の人生を開拓できるというのでしょうか?

「大変」「辛い」を乗り越えるときに、本人の本物の「成長」があるのでしょう。

僕は、じぃじになっても「チャレンジ」しているよ。
サイクリングをとおして「チャレンジ精神」を磨いているよ。
この心構えは、きっといい仕事をするのに役立っているはずだ。

親が「気楽」「簡単」「便利」「快適」に溺れた生き方をしていれば、
それを子供が真似っこをするのは当然でしょう。
何の「心の成長」も、そこにはないよ。

今日、子供の手をギュッと握って、親子で繰り出せ大自然の中へ!!

本日、

戸田市の道満グリーンパークで、

「親子で工作」を行います!


15/6/12(金)朝 キャンプじぃじの日記

明日、

戸田市の「道満グリーンパーク」で、

「親子で工作」の

活動をします!

「子育ての面白さをお父さんに伝える」ことを目指します。


15/6/11(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

この間、中学生の時の同窓会があった。
全部の人に聞いたわけではないけど、
予想外に自営業の人が多かった印象がある。

サラリーマンでも、小さい会社のところでは、
「定年退職」が緩い傾向があるのだろうか、
深刻な顔はしていなかった。

もっとも、
同窓会に「生きるので精一杯」の人は、参加をしないのかも知れない。

僕の生き方は、「お金」には余裕がないけど、
「生きる」こと自体には、昔から好きにやってきた。
これを「自由」とも呼ぶ。

本物の「自由」には、確実に「自己責任」が伴う。
この「自己責任」の使い方に慣れることで、
本物の「自由」が手に入るともいえる。

あらゆる「失敗」は、自分のもの。
だからこそ、その挑戦で得られる「成功」も自分のものとなる。

僕は、まる10年間サラリーマンをして脱サラで今の仕事を得た。
脱サラしたてのころは、
この「自己責任」の感覚が持てなくて精神的に辛かったのを覚えている。

俗に言う「サラリーマン根性」にスッカリと染まっていた。
これからの脱皮が大変だった。

つまり「心のありよう」に自分自身が負けそうになった。

だからここで訴えているわけだ。

初めに「理念」ありきだ。

「理念」がシッカリしていないので、
たいがいフリーランスで生きていけなくなる。

「15鬼怒川サイクリング」


15/6/10(水)朝 復活サイクリストの日記

栃木県の今日の天気予報、OK

自転車の整備、OK

僕の二日酔い、なし

コンディション、ALL OK

さぁ、行くぞ「思川」へ!

若いお父さんも、
こうして子供の手をギュッと握って繰り出そうフィールドへ!
始めは、近所の「散歩」で十分だ。

子供と触れ合おう!


15/6/9(火)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、本当は「思川」をサイクリングするつもりだった。
でも、
二日酔いで、目が覚めたのが朝の10時。

「見沼代用水コース」でアルコールを抜くサイクリングをした。

そのあと、玄関の前でポールモーリアを聞きながら本を読んだ。
その本を一気に読み切った。

何一つとして「豪華」なものはない。
しかし、
とっても豊かな老後の一日を得た。

子育てに「豪華」「贅沢」をすると、
高慢ちきな人に育ちやすいよ。

「高慢ではなく謙遜」を自ら学び取れるように子育てができるといいね。

「親の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

「生きる条件」が多いことで「高慢」になるんだよ。


15/6/8(月)朝 キャンプじぃじの日記

新しく1本、アップした。
「15 伊佐沼サイクリング」

昨日は、還暦を迎え記念の中学生の時の同窓会があった。
みんなもう60才。

この歳には、
それまでにどう生きてきたのか、その答えがそれぞれの人に現れる。

人間観察の絶好の機会だった。

中で驚いたのは、ヤンチャだったヤツが、
ちゃんと普通の会社員をして、お嬢様と結婚、
女房に縛られて生きているというのがあった。

でも、会社で「ヤンチャ」をやっていて、社長に嫌われているそうだ。
ここらへんは、中学生の時のそのままの感じだ。

ソイツは、高校も僕と同じだったので、
ここ数年続けている古い友人の忘年会に誘うことになった。
この忘年会の中心メンバーは、高校の時の友人たちだからだ。

子供が30才になっても結婚の気配がないことを訴える人もいた。

その年になっても親と一緒に生活をしている。
「自立」を目指さない子育ての弊害だと思った。
日本の今の少子化は、
「結婚しにくい環境」とされているが、僕は違うと思う。

本当の理由は、
子供を「自立をした一人の大人の社会人」に育てられないことだと思う。

30才を過ぎても親の庇護を受けている状態では、「自立」ではないでしょう。

目先の「成績」や「消費」ではなく、子供を「自立」に向けて育てよう。


15/6/7(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、
ばぁばと二人で「戸田市」から「伊佐沼公園」の往復をサイクリングした。

北風があって、とっても涼しくて気持ちが良かった。
荒川の土手を上って行ったのだが、
でかい川の割に土手が走れなくなってしまった。

行は、「右岸」を走った。
それで途中から一般道を行ったら迷子。

帰りは、「左岸」を走ったら、こちら側も土手が途中で「進入禁止」。
そこを無視して行くと、
大きな土手を登ったり、下ったり、結構アドベンチャーの雰囲気だった。

今朝は、これからそれの動画を編集してアップする。
なんだか、これ、思いっきりハマってるね。


15/6/6(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、「見沼代用水コース」を自転車でポタリング(散歩の意)をした。
「15 見沼代用水コース」

このコースは、ツーリングへ出る前の練習コースだ。
それでも、とっても景色がいいので、このコースを見付けた時には、
年中走っていたことがある。

時に、一日に2周も走ったことがあった。
走り過ぎて、ここのところ飽きていた。
でも、やっぱりたまにはいい。

僕にとってサイクリングは、
「体の健康」よりも「心のよりどころ」といった、
メンタルなところでの効果が大きい。

若いころに覚えた趣味なので、サイクリングは「ほっと安心」する。

昨日、僧侶が人殺しをしたという今まで聞いたことがないニュースが流れた。
僧侶と言えどもただの「ヒト」だ。

「ヒト」の心は、このようにもろく弱いものだということがよく分かる。

「ばく喰い」に走る僕の子供は、
「心のよりどころ」を失っているからだろうと思う。

「人は、パンだけでは生きられない」
「心のよりどころ」が不可欠だね。

その子のところへ出向くことにした。


15/6/5(金)朝 キャンプじぃじの日記

僕の子供たちは、僕からは自立をして、
稼ぐようになった。

お金を手に入れられるようになると、
それで嬉しくなって「ばく買い」を始める。

今、収入がよくなってきた中国人が、日本に観光で来て、
この「ばく買い」をしているそうだ。

「15 江の島〜鎌倉」

この「ばく買い」をしていると、自分の人生で何が本当に大切なのかを見失う。
頭の中は、「消費」のことで一杯の状態。

昨日、子供が「ばく買い」の一つである「ばく喰い」で体重が95`にもなってしまったのを
なだめ、健康に悪いことを電話で伝えたのだが、
聞く耳を持たない。

「消費」中毒だな。
これをどうやって「成長」に心を向かわせるのか・・・・・・
気が遠くなりそう。


15/6/4(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

昨日、1本アップした。
「15 日光サイクリング」

最初は、写真のスライドショーを作るのにハマって、
それから、写真と動画の組み合わせ、
そこにナレーションも加えるようになった。

記念の一作目は、
「御宿」

写真だけのスライドショーは、
だいたい100カット以上の写真を撮らなければならなかった。

サイクリングをしながら、それだけ撮るとなると、
ちょっと走っては、写真をパチリ、またちょっと走っては、パチリ、
ほとんど、サイクリングにならなかった。

それで、だんだんと動画を取り込むようになった。
そして、ビデオ屋だから、ナレーションも加えるようになった。

情熱的に作っていたのは、ヤッパリ初期のものだね。
最近は、粗製濫造ぎみだ。

でも、作る面白さは味わっている。
本業より、楽しい。

「出来具合」は、ともかく、
一応、「起承転結」をしているので、
どう構成をしているのか参考にしてください。

なるべく「写真」の良さを出しているつもりです。
「写真」と「動画」の違いにも見比べると面白いと思います。


15/6/3(水)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、日光へサイクリングに行った。

連日のサイクリングは、いくら好きでも珍しい。
理由がある。

今日は、雨模様だ。
いいかげんに、仕事の編集が溜まっている。
体が疲れていないと、
ジッと編集をしないだろうという僕の性格を読んでのことだ。

作戦通り、くたびれた。

とりあえず、昨日のサイクリングの動画を今日、アップします。

なんで、サイクリングの動画の編集が、先に終わるんだ?
「別腹」か?


15/6/2(火)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、江戸川を上って渡良瀬遊水地までサイクリングをした。

一昨日の「日曜晩餐会」で、
次男坊や最近知り合ったカメラマンが、また来て、盛り上がった。
そのついでに、またカラオケ屋さんに行ってしまったので、
昨日は、二日酔いぎみだった。

そこで、気の向くままポタリングをした。

いい余生だ。
今日は、日光駅まで輪行をして、そこからダウンヒルを楽しむ。
「漕がないサイクリング」をやろうと思う。

僕は、20代、30代、40代、と
それぞれの年代を命がけで生きてきた。
必死に生きた。

それでこの余生を手に入れた。

「14渡良瀬川」


15/6/1(月)朝 復活サイクリストの日記

2本の動画をアップしました。

「15 見沼代用水コース」

「サイクリング講習会」


15/5/31(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、まだ5月なのにまた30℃を越したらしい。

そこで、熱中症にならないよう涼しいところをサイクリングしようと考えた。

去年の今頃、同じことで「日光」へオートサイクリングをした。
「14 中禅寺湖」

しかし、昨日は、ばぁばが仕事へ行ったふりをしていなかったので、
そこまで、出かける元気がなかった。

地図とニラメッコをしたのだが、どこも暑そう。
国道122号線も考えたが、
熊谷方面だ。 論外の暑さのところ。

さんざん考えた挙句の果て、「見沼代用水」をやっと思い出せた。

春、桜がすごいのだが、そのイメージで、夏は木陰ができることを
なかなか思いつけなかった。

「灯台下暗し」だ。

こういうことで、「見沼代用水路コース」をフルコース走って、
それを写真やビデオで撮ってきた。
今日中ぐらいにアップできそうだ。


15/5/30(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の幼稚園の遠足では、
帰りがけ、雨に降られた。

僕は、いつものポンチョで身をくるみ、
子供たちは、思い思いの雨具を着た。

「お泊り保育」の天気次第の活動では、
年がら年中、雨具を着たり、脱いだりしてきた。

それの予行練習みたいだった。

この幼稚園のお泊まり保育をビデオで撮りだして、
早30年。
すっかりこの仕事にハマってしまったわけだ。

子育てで、ボーイスカウトの活動に夢中になったり、
自分の子供を「親子キャンプ」でしごいたり、
今では、子供がいないので「Snowmen Camp Club」で、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」というボランティア活動をしたり、
辞められなくなっている。

大自然の中の厳しさによって、子供の心が強く育つ。

「気楽」「簡単」「便利」「快適」を追い回す生活をしていては、
子供の心は、弱いまま成人してしまうよ。

このことにお父さんが気付けば、
僕のように、子供と一緒に大自然の中へ飛び込みたくなるはずだ。

雨の中、思い思いの雨具を着た子供たちがバスに向かって歩いて行く。
「雨」自体は、ちょっと辛い体験だけど、
色とりどりの雨具を着た子供たちを見ていると、
とっても楽しそうに見えてくる。

「幸せは、それを感じ取る能力の問題」

これの意味がよく分かる光景だった。


15/5/29(金)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、幼稚園の遠足を取材する。

茨城県の自然博物館へ行く。

今日は、ビデオの取材があるので、
どこかで子供たちの顔を全部撮らなければならない。

それで、こういう大きい施設では、中に入ってしまったら、
全員を撮るのが困難になる。
そこで、観光バスを降りてから自然博物館に入るまでの「道行」で顔を狙う。

それは、特段に難しいことではないが、
なぜか、僕は、伝統的にお弁当を食べる場所の、
場所取りをすることになっている。

大きいブルーシートをどれだけ早く敷いて場所を確保できるのか・・・・

前回、グリーンセンターでは、
ブルーシートを台車乗せて、
開門と同時に僕は、走ったのだが・・・・・

上には上がいて、別の幼稚園さんでは、
若くてパワフルな先生が、一人1枚のブルーシートを持って、
猛ダッシュで走って、アッという間に僕を追い抜いて、いい場所を取ってしまった。

その苦い経験で、
今日は、でかいブルーシートを2枚、
僕と経営者の二人で、一人1枚を持って、場所どりする作戦をたてた。

なんか、仕事よりよっぽども大変なんだよね、この場所どり。

もっと大変な幼稚園の「お泊まり保育」のシーズンが今年も目の前に迫ってきた。
いったい、あと何年、こんなことが出来ることやら・・・・・・
若いビデオマンが欲しいよ。


15/5/28(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

一件の取引額が、数百万円になるような商いでは、
個人事業は、信用してもらえないだろう。

しかし、額がせいぜい10万円ぐらいから、多くて数十万円ぐらいの
僕の仕事では、個人事業でも上手に「信用」を勝ち得ることができれば、
商いが成立する。

これは、幼稚園で仕事をしている「写真屋さん」と同じ規模だからだ。
だから、学校を相手にした仕事でも同じだ。
僕の場合、古いところではもう20年を越して取引をしている小学校がある。

ただし、
個人事業では、仕事が重なったらできない。
ここが個人事業の最大の弱点だ。

そこで、自分と同じレベルの技術を持った同業者のブレーンが必要になる。
だから、どうしても「弟子」が欲しいところだが、
なかなかどうして、今まで生きてきてこれが一番難しい。

すでに開業をしている同業者もいるのだが、
僕と同じようには撮れない。
みんな、「自分流」を持っているからだ。

発表会で「一人3カメ」を頼めることは、まずない。
「一人2カメ」なら、結構たくさんの同業者がしているが。

運動会の撮影でも、一人で撮って、
90分ぐらいに「まとめる」ことができるビデオ屋は、
今のところ出会ったことがない。

個人事業のいいところは、
自分の作りたいように出来ることだ。

発表会や運動会では、「記録性」が高い仕事なので、
ある意味、誰が撮っても大差ないけど、
幼稚園の「お泊まり保育」や「卒業ビデオアルバム」のような、
「作り込む」ことが出来る仕事では、
自分のイメージを出せるから面白い。

極端な場合、
「卒業ビデオアルバム」での1シーンを編集するのだって、
その日の「気分」で出来上がりが違ってしまう。

ここらへんが「奥が深い」ところで、
飽きないで商いをし続けることができるものだ。
定年退職がないところも、僕の歳になるととってもいい。
これが今一番嬉しいことだ。

仕事がある内が華だよ。


15/5/27(水)朝 キャンプじぃじの日記

歳をとると、朝早く目が覚めてしまう。

今、朝の4時40分。
ばぁばは、いびきをかいて、まだ寝ている。

「卒業ビデオアルバム」の取材は、ほとんど午前中の2時間だ。
あとは、off っている。

だから普段は、とっても、のんびりなわけ。
自転車に乗りたいけど、
今週は、まだ5月だというのに、30℃の夏日が続くそうだ。

冬の寒さの中をサイクリングすることは出来るが、
こう暑くては、熱中症の危険が大きすぎる。

さて、どうしようかな、今日一日。

異常気象は、人類の「快適」で起こっているんだよね。
今、一人ひとりの「快適」が、この異常気象を起こしているんだよね。

今の小さい子たちの時代には、
もっと気象が悪くなるのだろうか?

いったい、いつ、
「快適」ではなくても「幸せ」をつかむ術に気付くんだろうか。
僕のように、貧乏でも十分に人生を面白く生きられるのに、
いったい、いつ、このことに気付くんだろうか。

5月なのに連日30℃だよ。
いったい、いつ・・・・・・・
子供たちがかわいそうじゃないの、その「快適」。

親子キャンプで、親子でその「快適」をかなぐり捨ててしまおうよ。
断捨離だよ。


15/5/26(火)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園の先生に貰ったピンク色の車は、
7万`で貰ったものを16万`まで使って、昨日、廃車した。

今日からは、子供のお下がりの車に乗る。

僕は、車は何でもいい。
商売上、車がなければならないが、
「車」で幸せを得ようとは、一度もしたことがない。

こうして、車を最後の最後まで使い切って僕の人生に役立てる。
車は、所詮、「道具」だ。

「車」「家」こうした「物」に執着しないで、
僕は、自分の人生をどう面白く生きられるのか・・・・
この一点にこだわってきた。

だから、「貧乏」という状況を恐れることなく、
「生きがい」という生きる価値をずっと、追い求めてきた。

それで、今の「好きな仕事が適当にある余生」を得ることが出来た。
とっても、のどかな余生だ。

「物」ではなく、こういう「生き方」を追い求めたので、
これを得ることが出来た。

この「生き方」を得るためには、
あらゆる「辛いこと」「苦しいこと」「大変なこと」を
乗り越え、乗り越え、さらに乗り越えて、「今」にやって来た。

この「乗り越える」ことをしたので、
その分、僕に「成長」が起こった。

「気楽」「簡単」「便利」「快適」に成長は起こらない。

仕事でも、遊びでも、子育てでも、僕にピッタリの「成長」をもらった。
これが人生の本当の「豊かさ」だよ、
「物」では、決して得ることは出来ない「生きる豊かさ」だ。


15/5/25(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、恒例の「日曜晩餐会」を開いた。

僕の四人の男の子の内、
上、二人はグレたのだが、その内、次男坊がここにきて、
飼い猫のように、オヤジの僕になついてくる。

昨日も、やって来て、最近知り合ったカメラマンも来て、
カラオケで騒いだ。

どうも、子供たちを見ていると、
「反抗期」は、30才ぐらいで収束するものらしい。

それを過ぎると、「自立」していながらも、親のところに子供が戻ってくる。

と、言うことは、30歳になっても「反抗期」がない場合、
極端に子供が親に依存するようになってしまうものなのかも知れない。

僕の子供は、みんな勢いよく「反抗期」があったので、
それがない子供をよく観察をする機会がなかったのでここら辺は、推測でしかない。

地球上の動物で、「自立」が出来ないことがあるのが、「ヒト」だろう。

でも、

「自立をした一人の大人の社会人」

に、子供を育てられないと、歪んだ親子関係になってしまうでしょう。
その一つの例が「マザーコンプレックス」だ。

大概の女性は、マザコン男を嫌うけど、
マザコンに育てているのは、母親という女性だ。

だから父親という存在こそ、「子供の自立」に欠かせないのさ。
これは、学説ではない。
僕の体験談だ。


15/5/24(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、幼稚園の年長さんの子に「サイクリング講習会」を開いた。

補助輪なしで自転車に乗れるように子供がなると、
それだけで、「自転車に乗れる」と言うでしょう。

間違ってはいないけど、
それだけでは、安全にサイクリングは出来ない。

自転車の整備から始まって、ライディングポジション、
正確な左折、直進、
並列走行は、ダメなこと、直列に並んで走ること、
最後にスラロームをやった。

その子のママは、まだ幼稚園の年長さんなのに
この間、40`近くその子と自転車で走ったと言うので、
この講習会を緊急で開いた次第だ。

ママは、何が危険なのかをまだ把握していない様子なので、
僕の方が焦った。

でも、たった一回の講習会だったが、
サイクリングに「基本」があることに気付いてくれたようだ。
安堵。

どんなことにも「基本」がある。
この「基本」を学ぶことで、人生がもっと、もっと、面白くなるんだな。

「生き方」にも「基本」が間違えなくある。
これを無視して「豊かな人生」を得ることはできない。

それの最も最初にあるのが、
「自分と物との関係」で生きていては、
本物の「豊かな人生」は手に入らないということだ。

「自分と人との関係」
これが上手にできるようになって、「心の豊かさ」を得ることが出来る。
それの一番分かりやすいのが、

「自分と子供の関係」だ。

それで、「親子癒着」や「親子の相互依存」という関係ではなく、

「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てるという意識の強い親と、
子供との関係は、
涙が出そうなほどの感動がある。

昨今の「親殺し」「子殺し」は、
親も子供も「自立」ができていないことで起こっていることを、
よく調べて覚えて欲しい。

「親子癒着」「親子の相互依存」は、「絆」ではない。
ただ、お互いに「甘える」ことをしているだけだ。
けっして、いい結果は得られない。

これが「基本」中の「基本」だよ。

「15 鎌倉〜江の島」


15/5/23(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、午後から off っていたので自転車に乗った。

中川から、古利根川に出て、「栗橋」に向かって走った。
気の向くままに走ったので、
どこをどうやって行ったのか・・・・サッパリ分からない。

ポタリングだ。

天気が良くて、4時間以上の時間があれば、
サイクリングという遊びができる。

しかも、ほとんどお金がかからない。
子供と一緒に走れば、とってもいい子育てにもなる。

でも、派手なレジャーランドに気が向くんだろうね・・・・
派手な海外旅行に夢中になるんだろうね。

「親の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

著作「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」
汐文社 刊 1,600円+税

「心」にいい子育ては、
実は、たいがいお金がかからない。

それはなぜか?

直接、親が子供と関わるのが一番いいからだ、子育ては。
とくにお父さんが子供と関わることがとっても必要だ。

それは、子供にとって将来「自立」を教えてくれるからだ。

おにぎりを持って近所の公園へピクニックするのだって、
子供にとっては、最高にいい日になる。

今日は、これから僕の活動にたくさん参加をしてくれた親子を相手に、
「自転車講習会」を開く。

年間プログラム以外に、こうして活動するのは初めてのことだ。


15/5/22(金)朝 復活サイクリストの日記

豪華、贅沢な「旅」ではないサイクリング。

でもそこには、自転車の旅でなければ見えてこないものがある。

「15 鬼怒川サイクリング」


15/5/21(木)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、東武線の「新越谷駅」から「鬼怒川温泉駅」まで輪行して、
「鬼怒川」を下って行くサイクリングをした。

ばぁばが仕事に出かけるのを見届けてから出発。
ばぁばが仕事から帰ってくる前に帰還予定だった。
しかし、
タイムキーパーに失敗して、ばぁばより遅く帰った。
ばぁばの顔に「私は働いてるのに、一人で遊んでんだから」と、
ありありとでていた。
おぉ、嫌だ。

さて、「鬼怒川」の上流は渓谷なので「土手」がない。
鬼怒川に沿った道だろうところをサイクリングする。
それで、「鬼怒川」を見失った。

進む方向は、正しいのだが、
「鬼怒川」は、大きく東へ曲がって流れている。
それで、見失った。

走っていて「大谷川(だいやがわ)」に出くわす。
この川は、日光駅の脇を流れていて、最後は「鬼怒川」に合流をする。
「大谷川」に沿っているだろう道を走ればいつかは「鬼怒川」に出られるはずだ。

そういうことで、随分と寄り道をして時間が押してしまったわけだ。

なんとか、「鬼怒川」に出て、土手があったのでそこを走る。
とんでもない砂利道が永遠と続く。
700Cの細いタイヤが悲鳴を上げる。
僕からは、本物の悲鳴が飛び出した。

その時点で、帰るのが夕方6時を過ぎそうになるのが分かったので、
「宇都宮駅」に向かって、アスファルトの土手を走った。

そうしたら・・・・
土手がスッポリとなくなる!

どうにか、こうにか、一般道に出て「宇都宮駅」に急いで目指す。
そしてそこから輪行で帰った。

こうして予定より30分押しで帰って、不機嫌なばぁばの顔を拝んだ。
思った通りにならないのが、アウトドアーの遊びだ。
僕の人生とまったく同じだ。


15/5/20(水)朝 キャンプじぃじの日記

ここのところ、子供たちに振り回されるように呑み歩いた。

今日こそ自転車でツーリングをするぞ。
いつまでもガキンチョ相手にバカ騒ぎしていられない、と
思えるようになった。

やっと僕の「子離れ」ができたのかな?

「子離れ」の有効な手段は、
別の「生きがい」に夢中になることだ。

こういうことで、僕のサイクリングは、
「子離れ」するための重要な処置だ。
ただの遊びではない。

ばぁばが仕事に出かけた後で、コッソリと行くぞ!


15/5/19(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の夜は、三男坊が僕に中古車を売りつけに、
御殿場市からやって来た。

そこに次男坊も加わって、
また、居酒屋を徘徊することになってしまった。

次男坊と僕は、そもそも二日酔いだったので、
ローテンションだ。

しかし、三男坊がカラオケをしようとうるさい。

僕の子は、自立を果たして普段はあまり会わないが、
こうして何かの拍子でエンジンがかかると、底なしに騒ぐ。

よくよく考えてみたら・・・・・
僕が若かったころにソックリ。

恐ろしいぐらいに、子供は父親に似た「生き方」をするものだ。
とくに、「悪いこと」をよくまねる。
お終い、もう眠い。


15/5/18(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、恒例の「日曜晩餐会」をやった。

僕とばぁば、大家のおばぁちゃんに、いつもの古い友人、
そして昨日は、
別の古い友人が来た。

さらに、古い友人の子供・・・と言ってももう23歳だそうだが、
女の子と僕の子・・・・もう33歳のオッチャン、
が加わった。

暑かったので玄関の前で賑やかにやった。

けっして「物」では味わえない心の豊かさがあった。
また呑み過ぎた。
お終い。


15/5/17(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、予定していた「親子で工作」が、雨天中止になり、暇になった。

車に満載をした「親子で工作」用の資材をレンタル倉庫にしまって、
ボロアパートに落ち着いたところで雨が上がった。

冗談で、ばぁばに「サイクリングするかよ?」と尋ねたら、
行くという。
それも洗濯物をしないで行くという。

それから今度は、車のキャリアに2台の自転車を積んで、
「さぎ山野営場」に車を停めた。
途中、最近ハマっている中国人のラーメン屋さんによってお昼を食べた。

一周約40`の「見沼代用水路コース」は、
ばぁばには、ちょっときついので、それのショートカットコースを走った。

僕は、ミニサイクルではなくロードに乗った。
と、言うか、ロードに乗りたかった。
これで、ばぁばと一緒に走ると、あくびが出る。

ツーリングをしたいなぁ・・・・


15/5/16(土) Snowmen Camp Club

本日の道満グリーンパークでの「親子で工作」は、

雨天のため中止です。


15/5/15(金)朝 復活サイクリストの日記

川越のお土産屋さんで「青唐辛子」を売っているところがある。

昨日は、それを買いに、利根川に車を停めて、
自転車で川越へ行った。
とてもサイクリングとは呼べない短い距離。

でも、ここにきての30℃の暑さで、十分に辛かった。

一昨日は、古利根川をサイクリングした。

「15 古利根川サイクリング」


昨日の夜、
僕の古い友人が次男坊に釣りの本を持ってきてくれたので、
それを取にくるように、次男坊に電話をした。

昨日の夜は、日中の猛暑が部屋にこもっていて、
暑いので、玄関の前で晩酌をしていた。
とっても気持ちがいい。
これもアウトドアーだ。

次男坊と祝杯を交わしているところに、
この子の古い友人が、仕事帰りに歩いてくる。

そいつらに、川越の地ビールを勧めながら、
この間の鎌倉へ行った時の動画を見せた。

「15 鎌倉〜江の島」

次男坊とその友人は、小学校からの友達だ。
僕と同じように、竹馬の友をし続けるように二人に訴えた。

本当の人生の豊かさは、「物」ではなく、そこにあることをじぃじらしく
しつこく訴えた。

それで、エンジンがかかって、僕と次男坊、
その友人の三人でカラオケ屋さんへ行ってしまった。

愉快な人生だ。
また呑み過ぎた。


15/5/14(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

まぁ、「自己責任」なんて怖いことをしたくないから、
サラリーマンに甘んじたいと考える人が少なからずいるんだろうね。
最近にもそういう人が現れたな。

それは、本人の「自由」だ。

ただ、そういう意識で生きていては、「本物の自由」は手に入らない。
不本意な「束縛」が本人に降りかかってしまうのは、しょうがないでしょう。

嫌でも「お断り」できないことが多いでしょう。

僕には、何件もの取引先があるが、
園児数が60名ぐらいなのに、発表会でDVDが40本売れているところがある。
それも、そこの園長先生がとっても喜んでくださっている。

もちろん、DVDの販売数量は、年間で最低ラインがあるが、
そうして喜んでくださるところは、
販売数量は、それほど多くはなくても、
「販売率」で喜んで下さる保護者の方が多いことが良く分かる。

ビデオ屋としては、そこの仕事は、
「遣り甲斐」が大いにあるというわけだ。

こういう基準で、この数年間にだいぶ取引先を整理した。

「自己責任」だ。 だからこれが出来る。

整理した分、「遣り甲斐」のある仕事を「丁寧」に出来るでしょう。
目先の「売上」ではなく、
自分の「仕事ぶり」を大切にしたいという、これは「理念」だ。

子供に飯を食べさせていたころには、
とてもこんなことは出来なかったが、
人生の終盤で、悔いのない仕事がしたい。

なんて贅沢な人生でしょうか。
物質的には貧乏でも、これこそが「心の豊かさ」というものだ。

僕の歳で、「遣り甲斐」のある仕事で生きられるのは、
「生き生きと生きる」源になっている。

若いチャレンジャーがいたら、ぜひこのことを伝えたいね。
今のところ、夢でしかないけど。


15/5/13(水)朝 キャンプじぃじの日記

僕のようにフリーランスで長く生きてくると、
「自己責任」は、当り前のものになる。

生きるも、死ぬも、自分の責任。

商売がうまくいくも、いかないも、すべて自己責任。

この「自己責任」と本物の「自由」は、表裏一体だ。

この「自己責任」を貫くためには、
「大変」「苦労」「辛い」などなどを「乗り越える」ことをし続ける。

だからこそ、そこに本人がビックリ仰天する「成長」が起こる。

とうとう、僕は脱サラをして30年以上フリーランスをし続けてしまった。
商売を立ち上げるのにも、大きな壁と戦ったが、
商売を継続するのは、もっと「大変」だった。

中学生のときの同窓会の案内がきた。
「この度還暦を迎えるにあたり同窓会を催すことになりました。」
おおむねサラリーマンだと定年退職の年齢になった。

この「自己責任」を使うことなく生きたのか、
「自己責任」で生き抜いたのか、
その違いを見ることができそうだ。

僕の場合、体が動く限り「現役」。
だからこそ、自分の仕事に「思い入れ」が重要になる。
嫌いな仕事では続けられない。

こういうことで、今までの仕事を整理して、
「面白い」仕事だけを残したわけだ。

「自己責任」

これを貫くには、非常に「強い心」が要求される。

ところで、本当のことを言うと、僕には、そんな「強い心」なんかはない。
それで、心の底から「頼る」ものが絶対に必要だった。
それが宗教だ。

米粒よりもはるかに小さい「信仰」が、
「強い心」のない僕を支えてくれた。
これは理屈ではない。
本当のことだ。

この「自己責任」を学べるのが、アウトドアーでの遊びだ。

「15 カレー作り」


15/5/12(火)朝 復活サイクリストの日記

この間の、カレー作りの動画をアップした。

「15 カレー作り」

昨日は、久しぶりに「見沼代用水路コース」をサイクリングした。
日向だと、日差しが強烈で暑いのだが、
桜並木の木陰に入ると、ヒヤッと涼しい。
空気のコントラストがハッキリしていて面白かった。

チェーンホイール(前のギャー)、スプロケット(後ろのギャー)、チェーン、
これらを石油で洗って、一晩干して、CRCを差したので、
変速が快調だ。

僕のロードは、完成車で6万円の安物だが、
それでも、僕にとって自転車は、スポーツ器具なんだな。
メンテをしたら、早く乗りたくてしょうがない。

どこへツーリングしようか、考えるだけでも楽しい。
若いころの趣味は、本当にいい。
僕の大切な「財産」だ。


15/5/11(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の読売の朝刊にこんな記事が出た。

「埼玉東」の地域面で、「自然体験観光 進化に情熱」

飯能市在住の、平井純子さん(45)が、
自然豊かな地域で子供を育てることが大事だ。
ということで、飯能市に住んでいるそうだ。

僕には、四人の男の子がいるが、
上二人を育てているときには、僕自身が非常に幼稚だったので、
グレてしまった。

上二人も、スキーやキャンプ、サイクリングを僕と一緒にした。
しかし、それは、「子育て」にはなっていなかった。
自然の中に、そうして連れて行っていたが、
父親の僕が幼稚だったので、「子育て」にはなっていなかった。

「大自然の中で子供を訓育する」
これは、ボーイスカウトの創始者ベーデン・パウエルの理念だ。

でも、子供の成長具合は、リーダーの手腕による。

「自然の中」というハード面は、子供が育っていく上で、
非常に重要な体験になるが、
子供を育てる上での「ソフトウエアー」が非常に要だ。

僕の体験では、
僕が率いるカブスカウトの子供たちは、面白いように心の成長をした。
しかし、親のところに戻れば、「元の木阿弥」を嫌というほど体験した。

こういうことで、僕は、「子育て」に父親こそが、
その役割が大きいことを知ったわけだ。

それで、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

ことを思い付いた次第だ。


15/5/10(日)朝 キャンプじぃじの日記

タイトル「精神病は病気ではない」
萩原 玄明 著  ハート出版刊 2,000円+税

僕の宗教と違うけど、所々に本物の訴えを感じた。
「精神病」までとはいかなくても、
今の日本の「気楽」「簡単」「便利」「快適」な生活が心を蝕むという
ここでの書き込みに励ましをいただいた。

「モンスター・ペアレント」とか「クレイジー・クレーマー」
と呼ばれる人に、仕事柄ときどき遭遇するが、
心のトラブルを起こしている。

些細なことに耐えられない未熟な心

そういう心の未熟な親は、
始めは、弱い者いじめで他人を責めるのだが、
早晩、その矛先が自分の子供に向くのは時間の問題だろう。

そういう親に育てられている子供が非常にかわいそうだ。

親自身、「心の成長」が未熟な家庭では、
子供の「心の成長」はありえないでしょう。
ますますひどい「クレイジー・クレーマー」が育つのは目に見えるようだ。
これが物質的にだけ豊かな今の日本社会の本質的な問題点だ。

子供がよっぽども賢くて、
自分の親を「反面教師」と捉えられれば別の話しだが・・・・

「ひきこもり」は、ここ日本に非常に多い。
その根本的な問題点でしょう、このことが。

いくら最高級の「教育」を金で買っても、
「ひきこもり」に子供がなってしまったら、
いったいその「教育」に、何の意味があるというのでしょうか。

親こそが、大自然の厳しさの中でキャンプをして、
「大変」「苦しい」「辛い」体験を「乗り越える」訓練をして欲しいぐらいだ。

ここだ、重要なのは「乗り越える」訓練だ。

辛い飛び込み営業を元気よく「乗り越える」者のみに、
フリーランスという「自由」が天から与えられる。
これは真理だ。

その本に
p.171 「苦しみ」は学びのための修行
とあるが、見事に僕の言いたいことを表わしてくれている。

また、p.170 には、
人生というのは苦労という体験を通じて魂の修行をする場
ともある。

子供の「心」を家庭で育てるのは、非常に大変だ。

でもこの「苦労」をお父さん自身で体験することで、

とりもなおさず、父親自身が成長する。

このことに気付けば、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」ことになる。

お父さんが子育てに感動を覚える。

決して「簡単」「気楽」なところに本物の「感動」はない。

人生の感動は、「成長」にこそある。

これに、お父さんが気付いてもらいたい。

今日、子供の小さい手をぎゅっと握って、繰り出せフィールドへ!!


15/5/9(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、秋葉原までマイクケーブルを買いに行った。

天気がいいので、自転車で行った。
これをサイクリングとも呼ぶ。

「15 秋葉原サイクリング」


15/5/8(金)朝 復活サイクリストの日記

ミニサイクルでのサイクリングばかりで飽きた。

「快走」を楽しむのは、やっぱ、ロードだね。

「15 渡良瀬遊水地 TAKEU」


15/5/7(木)朝 ビデオマンの日記

ここは、個人事業でビデオ屋を目指す方に向けて書き込みます。

お弟子さんは、フリーランスを断念した。

飛び込み営業、4回目を始める初日に、メゲてしまった。
でも、それを3回は、こなした。
過去最高だ。

今まで2回以上、飛び込み営業にトライした者は、いなかった。
彼は、3回、飛び込み営業をした。
それで、1件の顧客を得たのだが、フリーランスを断念した。

僕の場合は、「食べられる」まで、必死にこの飛び込み営業をし続けた。
つい、一昨年にも実行をして、1件の顧客を得た。

「生きる気持ちが裕福」だとこの飛び込み営業が出来ない。
本当にこうだ、

「親の最大限の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」

こうして育てられた人は、「生きる気持ちが裕福」になってしまう。
「ハングリー精神」が身に付かない。

どんな仕事でもこの「営業」こそが「入口」であり「仕事の始まり」だ。

なんでも、ここ日本の技術力は、素晴らしいのだが、
この「営業」を国際舞台でできないそうだ。

「営業」ができない。
日本人の「負け」の根本だな。
悔しかったら、この「営業」に強くなろう。

「卒業ビデオアルバム制作」


15/5/6(水)朝 復活サイクリストの日記

豪華絢爛の自転車でないとサイクリングができない・・・・
かなり「物質主義」になっているよ。

ミニサイクルでだって十分にサイクリングが出来る。
40年以上の友人と、とっても豊かに遊べるさ。

「15 江の島〜鎌倉」

「物」ではなくて「人」との関係で豊かな人生は出来上がるさ。
このことを身に付けたお父さんこそが、
心温まる子育てをするんだろうね、きっと。

バブル経済は、とうに過ぎたことだし、
ぼちぼち「成金趣味」を捨てようよ。
ヨーロッパみたいな成熟した生活に気付こうか。


15/5/5(火)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、「江の島〜鎌倉」方面へサイクリングした。

古い友人を迎えて、僕とばぁばの三人で走った。
この三人は、一昨年にもそこをサイクリングした。

去年は、連休前に僕とばぁばで、そこを走ってしまった。
それで古い友人が、連休に「江の島〜鎌倉」をサイクリングしたいと言い出した。
同じところを二回も走るのは、なんだか気が乗らない。

こういうことで、去年は、古い友人が走りそこなった。
それで、今年は、連休まで「江の島〜鎌倉」方面にはサイクリングをしないで、
とっていたわけだ。

この古い友人は、「道満グリーンパーク」での「親子で工作」をずっと手伝ってくれていた。
しかし、僕の住む越谷市に古い友人もいたのだが、
隣町の春日部市に引っ越しをしてからというもの、
疎遠気味になっている。

でも、こうして、一緒に、未だに遊んでいるわけだ。

それだけではない。
「さぎ山野営場」での活動では、時々手伝ってくれている。

別の古い友人と、大家のおばぁちゃん、僕とばぁばの四人でしている
「日曜晩餐会」もその古い友人は隣町から時々やってくる。

古い友人がいるのは、とってもいい。

僕はここで、
「自分と物との関係」ではなく、「自分と人との関係」で幸せを築こうと訴えてきた。

僕は、自分の人生で「家」や「車」を手に入れる目的では生きてこなかった。
「自分と人との関係」を強く意識して、これを大切にして生きて来た。

この延長線上に「子育て」もあった。

僕は、こうして人生の本当の「豊かさ」を手に入れたのさ。
それだけではない。
僕は、「自分と神様(仏様)との関係」もやっと、歳をとってから、
大切にできるようになった。

これは、いつか100%確実に死んでしまうことへの準備だな。
各自、自己責任だ。

その古い友人とは、もう40年以上一緒に遊んできた。
スキーに、キャンプに、サイクリングに、
ボランティア活動に、
古い友人がいることは、本当にいい。
自分の神様(仏様)がいることは、もっといい。


15/5/4(月)朝 復活サイクリストの日記

今朝は、神奈川の八景島付近のファミレスから書き込む。
今、朝の6時だ。

これから、逗子市に車を停めて、
江の島〜鎌倉方面へサイクリングをする。

毎年、今頃この方面に来ている。
今日は、古い友人をゲストに迎えて、ばぁばと僕の三人で走る。

この間の手賀沼サイクリングの動画をアップした。

「15 手賀沼周回コース」


15/5/3(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、「手賀沼」の湖畔一周サイクリングをした。

何回かそこを走ったので、だいぶ勝手がわかってきた。
道の駅に車を停めて、
時計回りに走る。

湖畔沿いにファミレスは、たぶん、一軒しかなく、
そこでかなり早い昼食を。

日差しが強く、暑いのだが、
その割に空気はカラッとしていて気持ちよかった。

「水の館」や「鳥の博物館」に、ばぁばを連れて行った。

グルッと回って、最後の方は、ちょっと熱中症ぎみになり、
だるくなった。
まだ体が暑さに慣れていないから、ヤバイ。

たいした距離ではなかったので休まずに走り切った。

最後は、車を停めた道の駅の反対側に、
天然温泉「満天の湯」があって、そこで汗を流した。

サイクリングというより観光をした気分だ。

子供が小学校低学年でも走れそうな距離で、
家族でサイクリングをするのにちょうどいい。


15/5/2(土)朝 復活サイクリストの日記

今日は、これから、ばぁばを連れて「手賀沼」湖畔一周サイクリングをする。

はずなのだが、
大いびきで、ばぁばはまだ寝ている。

お金がなくても、「人生を工夫して愉快に過ごす」
これの実現にサイクリングは、最高だ。

さっさと起きろってんだよ、まったく・・・・

15/5/1(金)朝 キャンプじぃじの日記

一昨日の夜、次男坊と末っ子を相手に遅くまでカラオケで騒いだ。
そのおかげで、昨日は、一日二日酔いで具合が悪かった。

こういう日は、内職仕事に限る。
DVDの表紙を印刷したり、DVDを焼いたり・・・・

今日はこれから幼稚園の遠足に行く。
撮影ではない。
公園での「場所取り」と「救護係り」だ。

何か問題が起こらなければ、とっても暇な一日になる。
そこで、読みかけの本を持って行くことにした。

青空の下、読書というのもオツなものだ。