スノーメン タイトル



お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
「子育ての面白さをお父さんに伝える」 ことを目指します。
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「 YouTube アップ中の動画」 
             最新作ご案内「15 土浦城サイクリング」
                      (BGMは、著作フリーを使用しています)
「教育」と「子育て」の違いを知って、心の強い子に育てよう!
         ページ■「キャンプじぃじの子育て論」
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〜子育てを意識した親子キャンプの動画〜

「プロローグ」                「工作で工夫を身に付けよう」

「初級編」 「中学生の心を育てる親子キャンプ」

「自立に向けた親子キャンプ」 「遊びの進化」 「雪中キャンプ」 

「親子キャンプ」 「刃物と火力の取り扱い」 「15 カレー作り」

「15流しそうめん」「14芋煮&手打ちうどん」「14けんちん汁&餅つき」

「15 灯篭作り&キャンプファイヤー」 「15 ハイキング」

エピローグ
「自分と子供の関係」 「自分と友人の関係」 「高校生で自立の訓練」

さぁ、繰り出せ親子でフィールドへ
       「アウトドアーの効用」 「サイクリング講習会」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に掲載
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」・・・子育て真っ最中の方へ
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」・・・・老後の提案
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15/8/31(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の「日曜晩餐会」は、「海鮮鍋」を作った。

実は、「ダシ」を煮詰めたのだが、思うようには出来上がらなかった。
しかし、
具材のうまみがそれをフォーローしてくれて、結果良しだった。

「味」の世界は、奥が深いね。

僕は、23才の時に、ばぁばにうまいこと丸め込まれて以来、
「調理」をしないで済む人生を歩んできた。

そして、子供がいたころのキャンプでは、子供に調理をさせたので、
やはり僕自身は調理をしなかった。

こういうことで、キャンプ生活をするのに、
「工作」は、随分と面白がってやったので出来るようになったが、
「調理」は、まったくの未開拓分野だった。

そこで、料理教室に三年通ったのだが、
「真剣」に取り組んでいたわけではなかったので、
あまり身に付くものはなかった。

今年は、どういう風の吹き回しか、
孫娘たちが何回もやって来た。

「この子たちに和食の基本を教えたい」

こう思ったとたんに「調理」に対する気持ちがガラッと変わったんだな。
「誰かのために」
こう思うと実行能力が自分でビックリするほど高くなる。


母親は、苦しんで子を産むので、子供への愛着心が生まれやすいのだそうだ。
その点、
父親は、種まきしかしないので、
そのままだと、子供への愛着心が生まれにくいのだそうだ。

だからこそ、父親は、子供が産まれてすぐに、
子供とのスキンシップをたくさんしないと、
ひどい場合、父親が子供に対して愛着心を失ってしまうものらしい。

父親が仕事で忙しくて子供と触れ合うことがない・・・・・

バブル経済のころは、これが当たり前で、むしろ美化された。
そして、
「母親が家を守り子育てをし、父親は稼ぐことに専念する」

という「教え」がまことしやかに正当化された。

母親は、父親よりも強烈に子供に愛着心がある分、
子供を親の「所有物」にしてしまいやすい。
父親がいても、
「父親不在」の家庭が多くなり、「母親任せ」の子育てになる。

こういうことで、子供は親の所有物となって「自立が困難」になった・・・・・

「自立」を教えられ、訓練できるのは、だから父親の役割でしょう。
これが「子育て」についてのこの50年間のあらましだ。

戦前は、長男以外、否が応でも子供は「自立」させられていた。
この事実を覚えよう。

バブル経済の「負」の一面。
親の心が「金」「モノ」に注目した分、自立に向けた子育てが疎かになった。
それを今でも引きずっているように見える。

「子供の心の成長のために」

これにお父さんが気付けば、きっと自ら子育てをしたくなるはずだ。

忙しくて子供と遊べない・・・・
「忙しい」という漢字は、「心」を「亡くす」と書くのだけど、
よく言い当てているでしょう、違う?

「子供の自立のために」

これを目指した子育てをしよう。
これが父親の愛だ。


15/8/30(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日も雨模様だった。
調理実習だ。

気晴らしに、
それに取り組む前に玄関の前にキャンプ用の椅子を出して読書としゃれこんだ。

「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」
樋野 興夫 著  幻冬舎 刊  1,100円+税

著者は、がんが専門の医学博士だ。
死体解剖をたくさんしてきたそうだ。
それで、「生きること」「死ぬこと」について若いころから散々考えさせられたという。

サブタイトルに、
「人はどう生き、死ぬまでに何をするべきか。」
「命よりも大切なものがある。
  品性ある人生こそが、大事な人への贈り物になるのです。」
とある。

僕は、ここで年齢相応の「成長」があり、
その「成長」を怠ったところで幼稚な大人になる。
という意味のことを書き続けている。

そして、
この「成長」を止める最大の要因が、つまり「快適」だとも書いてきた。

さらにこの「快適」を貪欲にも追い求めるので、「地球環境」悪化が起こっている。
しかも、その「快適」という「富」こそが戦争の本質的な火種とも書いた。

「富」を握りしめながら「戦争反対」は、現実的にナンセンスだ。

「快適」を捨てる・・・・・親子キャンプは一時的にしろこれを体験できる。

この本には、
20才代、30才代、の「成長」のありかたについて書いてある。
40才代の「成長」、
50才代の「成長」、
60才代では、こう記している。

「60代になっても自分のことしか考えていなかったら恥と思え」
と、僕よりも厳しく言っている。
「自分のことしか考えない」とは、つまり幼稚な大人ということだ。

この本を一気に読んでしまった。

そこに大家のおばぁちゃんが出てきた。
10時を回ったところだったので、
おばぁちゃんに「コーヒーを飲む?」と尋ねた。

おばぁちゃんは、僕がドリップでコーヒーを落とすのだろうと思ったらしい。
違う。
セブンのコーヒーが滅茶苦茶うまいので、それを二つ買ってきた。
宇治抹茶入りのチョコも一緒に買った。

それで二人、玄関の前で一服をした。
「ゆとり」とは、こういう時間の使い方だと感じた。

おばぁちゃんが「十割そば屋」が最近オープンしたという情報をくれた。
おばぁちゃんだから、どこにあるのかハッキリしない。

僕は、目下、「だし汁」を研究中だ。
そば屋さんのつけ汁がどんなものなのか、産業スパイがしたくなった。

そこで、それらしきところへ行くと、そば屋さんが一軒あった。
そこに入って「ざる」を注文する。
愛嬌のいいオヤジさんがいて話しかけてくる。

僕は、そばを食べる前に「つけ汁」の味見をする。
「ダシ」がハッキリと出た味だった。
それで、僕は「いいダシの味が出ている、ダシを煮詰めているの?」と尋ねた。

オヤジさんは、何のためらいもなく、そうだと答えた。

僕の一番知りたかったことは、これだ!
やっぱり「ダシ」を煮詰めるのだ!

僕が通った料理教室は、「和食基本」で、そこまでやらなかった。
教室の別のコースに「そば、うどん」があるので、
たぶん、そこで「つけ汁」を教えるのだろう。
僕は、これが分からなかった。

ところで、そのそば屋さんは、麺が十割ではなかった。
そこで、店を間違えたことを知ったので、
さらにその「十割そば」の店を探した。
あった。
8月8日にオープンしたばかりだ。

「じろう」 048-940-8390

この店で「ざる」を注文した。
僕は、何回か「十割蕎麦」を食べたことがあるが、ビックリしたね。
店の自慢文句通り、
艶、透明感、コシ、そば角・・・・・

うまい蕎麦とは、こういうものだと感じた。

それで肝心な「つけ汁」は、「ダシ」の味が控えめだった。

「ダシ」を前面に出すのかどうかは、その店の「顔」だと分かった。
僕は、アウトドアー大好きの雑な男なので、
「ダシ」の味が前に出たのが好きだ。

つけ汁に「わさび」を入れずに蕎麦を食べた。
つけ汁の味がよく分かる。

次に「わさび」を入れて蕎麦を食べてみる。
驚いたね、僕は。
「わさび」を入れると「つけ汁」の味が死んでしまう。

僕は、還暦になって初めてこのことを知った。
しかも、この歳になって初めて「そば屋」のはしごをした。

もちろん、昨日の夜も「ぶり鍋」を作って「ダシ汁」の研究に励んだ。
昨日は、600ccの合わせだしを作り、
それを200ccまで煮詰めた。

うまいには、うまかったが、「ダシ」の味が前に出ない。
今夜の「日曜晩餐会」でも鍋を作って研究をしたい。

一昨日は、1/2に煮詰めて、昨日は、1/3だった。
今夜は、1/5まで煮詰めてみようと思う。

今夜はゲストがいる。
どういう反応があるのか、それが楽しみだ。
ゲストの反応・・・・・僕は自分以外のことを考えた。 60代だから当然だ。


15/8/29(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、調理実習をした。

お昼には、手打ちうどんとその汁、
夕方には、ギンダラ鍋を作った。

急に涼しくなって、みんな「鍋」を囲んだのだろうか、
近所のスーパーから「白菜」が売り切れになって、みごとになくなっていた。
白菜のない鍋を作った。

白菜から出る水分を考えて鍋の汁を作ったので、
塩気が強くなってしまった。

鍋の汁は、これから冬に向かって重要な研究課題だ。

昔から子供たちとよく行く店「みさき」での鍋はうまい。
あの味をなんとか再現したい。
いつだったか、それとなく企業秘密を訪ねたことがある。

店の奥さんに「ダシは、煮詰めているの?」と聞いたら、
奥さんがちょっとうなずいたあと、それをごまかす仕草をした。

どうやら、そうらしい。

そこで昨日は、800ccの水で、昆布のダシを取ったあと、
かつおダシの合わせにする。
それを400ccまで煮込んだ後、醤油大さじ1と1/2。
料理酒、みりん、大さじ2。
塩と砂糖を味を見ながら加えた。

「みさき」で鍋を注文して食べる前に、鍋の汁を味見したことがある。
その段階では、塩味が強いことに気付いた。

白菜さえあれば、いい感じだったような気がする。
釣りそこなった魚は、でかかった、かな?

今現在、僕ができる調理は、
キャンプ用コッヘルで5石の米を炊くこと、
手打ちうどん、
うどんの汁、
味噌汁、
軟骨入りつくね、
まだ数品だね。

自転車に乗れないときには、調理にトライする。

目指せ! 居酒屋!
ばぁばは、「絶対」を付けてダメだってさ。


15/8/28(金)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、50才になる前から「キャンプじぃじ」を名乗った。

さすがに「青二才」の「じぃじ」だった。
背伸びをしていたと思う。
でも、嘘ではなかった。
そのころ、本当に孫がいた。

最近は、「じぃじ」が板についてきたようだ。
幼稚園の子供に「名前はなぁ〜に?」と尋ねられて、
「じぃじだよ」と僕が答えても、なんら違和感がなくなった。
子供も納得をしている。

僕の歳で「お兄さん」と呼ばれて喜んでいたら、ひどく幼稚だ。
僕の歳で「おじさん」と呼ばれて納得をしていても幼稚でしょう。

歳相応の「成長」を楽しむことが出来る。

昨日、アップした動画は、「じぃじなりのサイクリング」という内容だ。

結構な歳になったのに、若いつもりでいるのは、みっともない、違う?
歳相応の「成長」。

大人がこれを出来なければ、
そういう大人に育てられている子供はどうなるのでしょうか?

歳相応の心の「成長」


15/8/27(木)朝 キャンプじぃじの日記

一本アップしました。

「15 土浦城サイクリング」


昨日は、雨模様だったので調理実習をした。
手打ちうどんとそれの汁をダシからとった。

11月に「芋煮&手打ちうどん」を予定しているが、
去年は、市販の汁を使ったのだが、
今年は、それを作ってみたい。

たまたま今年、孫娘を相手に「手打ちうどん」をやったのだが、
子供が女の子の場合、
親子キャンプで「調理」を父親から学ぶのもいいと考えた。

そこで、この「調理」で、「和食」の基本中の基本「ダシ」に注目をした。
はてさて、いったいこの僕がどこまで出来ることやら・・・・・

人生、「成長」だよ「成長」。


15/8/26(水)朝 復活サイクリストの日記

昨日も、とても8月とは思えない涼しい日だった。

国道を避けて、古利根川から、道の駅「おおとね」までサイクリングして、
「久喜駅」から輪行で帰った。

猛烈な暑さがあったかと思えば、急に最高気温が25℃の涼しさだ。
その差、10℃はある。

僕が子供のころは、夏の暑い日でも、せいぜい30℃をちょっと越す程度だった。
間違っても35℃になることは、なかったと思う。

海水温が上昇して、今年の夏、サメが海水浴場に来て、遊泳禁止になった。
初めて聞くニュースだ。
サンマがそういうことで北から下りてこないという。

いよいよ「地球温暖化」が深刻になってきたね。
人類のあくなき「快適」の追求が原因でしょう。

そしてこの「快適」だけで子供が育つとどうなってしまうのか・・・・
地球環境と同じで、
子供の心がどうなってしまうのか、

「ひきこもり」「クレイジー・クレーマー」「殺してみたかった殺人」

この時代を反映している。

政府は、女性の積極活用と訴えているけど、
「ひきこもり」にならないように人を育てるだけで、
少なくても70万人、学者によっては、200万人の労働力が確保できるんだがね。

「ヒト」は、辛いこと、苦しいこと、大変なこと、それらを
「乗り越える」ことをしたときに「成長」するようにできている。
「快適」に溺れるように生活をしていたら、何の「成長」もなくなる。

この単純明快なことに早く気付いた父親が、いい子育てをするのでしょう。
大自然の厳しさの中で親子キャンプをすることがいかに重要なことでしょうか。
そんなことを考えながら大自然の風を切ってサイクリングをした。


15/8/25(火)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、天気予報通り涼しい一日だった。

このチャンスを逃してなるものか、
「土浦城」、通称「亀城」というところへサイクリングで行った。

いつもそうだが、目的地はさほど重要ではない。
そこまでの道中がサイクリングで面白いわけだ。

人生も同じだ。
100% 人は「死」に向かって「生きる」ことをしているのだが、
この「死」を意識するのは大切で、だからこそ「今」を大切に生きられる。

しかし、過剰に「死」を考えすぎていると、「今」が怖くなってしまう。

それでは、目的地の「死」ばかりが気になって、
人生の道中の「今をどう生きるのか」が疎かになる。

最近では、「死」どころか「快適」を失う恐怖で生きている人もいそうだ。

「今をどう生きるのか」
これは、自分の「今」をまるごと受け入れることで出来る。

これは、子育てでも共通しているところがある。
自分の子を、まるごと「受け入れる」ことで、
子供を本当の意味で「愛」せるものだ。

条件付きの「愛」は、本当はありえない。

ありのままをまるごと「受け入れる」能力があるね。

この能力が低いと、子供が反抗期になって、アタフタするんだろうね。
その結果、子供の個性にミスマッチした子育てをしてしまうことになる。

「モンスター・ペアレント」別称「クレイジー・クレーマー」は、
自らを終いには「クレーム」を付けざるを得なくなる。
「自分のまいた種は、自分で刈る」という意味を嫌というほど知ることだろう。

こういう大人にしたくないよね、自分の子供を。

大自然の厳しさ・・・・・
夏の猛暑という厳しさ。
湿気という厳しさ。
冬の寒さという厳しさ。
真っ暗な自然という厳しさ。

子供の内にたくさん、これらを体験させて、
「心の強い人」に子供を育てよう。

サイクリングもキャンプも、これに最高だよ!


15/8/24(月)朝 復活サイクリストの日記

新しく一本アップしました。

「15 ばぁばの初輪行」


15/8/23(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、
本当は、中禅寺湖から奥日光へサイクリングをするつもりでいた。

しかし、一昨日の夜、ばぁばが仕事から帰るのが夜になると言う。
僕に「餌」を与える意思がないメールがきた。

当然のことながら、餌を求めて街を徘徊するのだが、
昔はいくらでもあった赤ちょうちんが、
片手の指で数えるほどもなくなっている。
その貴重な店に行って、カラオケで盛り上がり・・・・
結果、昨日は二日酔いだ。

こういうことで、昨日は起きるのが遅かった。
ばぁばも、一応仕事疲れで朝が遅かった。
とても日光まで遠征できない。

そこで、昨日は近場をサイクリングすることにした。
思い付いたところは、
どこももう行ったことがあるところばかり、新鮮味がない。

そこで、ふと、アイディアがうかぶ。
それは、ばぁばは、まだ一度も「輪行」をしたことがないことに気付いて、
どこでもいいから、「輪行」をしようと思い付いた次第だ。

僕の四人の男の子たちは、全員、中学生になった時にこの「輪行」を体験している。
ばぁばだけが、これを知らなかった。

最も近場で、コースの景色がいいところ・・・
「古利根川」を上って行って春日部に行くことにした。
そして、「春日部駅」から輪行で帰るという、小学生レベルのルートを考えた。

ばぁばの自転車は、車輪がボルトで固定されているので、輪行ができない。
そこで、僕は、愛車のロードで、
ばぁばは、折り畳みのできるミニサイクルを使うことにした。

そのミニサイクルでの「輪行袋」は、
僕が二十歳のころ使っていたものを倉庫から引っ張り出した。

近日中にこれの動画をアップしますので見てやってください。


15/8/22(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日の午前中に「見沼代用水コース」を一周、サイクリングをした。

湿度が高かったけど、涼しいとこんなにもサイクリングが気持ちいいものか、
感動さえ覚えるものだった。

お昼に「さぎ山野営場」の近所にある友人の勤める造園の会社に行き、
真竹を頂いた。

次の僕の活動は、戸田市にある「道満グリーンパーク」で「親子で工作」だ。
前回、
「水鉄砲」の工作が大人気で、材料がなくなってしまい、
それでも、この工作を目当てにやって来た親子がでた。
材料がないので、ガッカリして帰って行った。

こういうことがあったので、
気合を入れて「水鉄砲」の材料である「真竹」を手に入れた。
晴れれば、9月でも暑いので、
たぶん、うけると思う。

月一回のペースで僕は、活動をしているが、
ついに、今年は「パパだけキャンプ」の企画も立てた。
予定では、
9月と10月に、参加者ができた。

この「パパだけキャンプ」は、

将来、子供にキャンプ技術を教えるために、
パパ自身がキャンプ技術を身に付けるものだ。

タープ、テントなどの設営、火起こし、野外料理、安全対策などを
パパが実体験する。

ナント、10月に参加予定のパパは、元ボーイスカウトだ。
ロープワークなどの復習をバッチリやりたい。
なんだか、僕の方が滅茶苦茶ワクワクする。

この「パパだけキャンプ」は、
通年、希望者がいればいつでも行いますので、興味のある方は、ご連絡をください。

channel@camel.plala.or.jp

これは、僕がパパにワンツーマンで行いますので、内容が濃いと思います。


15/8/21(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、小雨模様の天気だったので、
午前中、調理実習をした。

料理教室に通っていた時には、ハッキリとした目標もなくやっていたので、
予習、復習は、一切しなかった。
だから、
「なんとなく学ぶ」状態だった。

たぶん、レジャーランド化した大学に通っているのに似ていたのだろう。
何も身に付くことがなかった。

しかし、今は、可能な限り孫娘が来たら、
「和食の基本」を教えたいという確固たる目標がある。

こういうことで、昨日は、また「手打ちうどん」をやった。
それと「だし汁」の練習にうどんの汁を作った。

勢い、夕食の準備もした。
「銀だら鍋」を作った。
「だし汁」の練習だった。

午後のひと時は、玄関の前にキャンプ用の椅子を持ち出して、
そこで読書としゃれこんだ。
国語が大嫌いだった僕が、この歳で読書をするなんてねぇ・・・・・
自分で不思議でしょうがない。

今、流行っているらしい。

「流」 東 彰良 著 講談社刊 1,600+税

まだ全部を読み切っていないが、途中で亡霊につかれたように、
ゴキブリの大量発生のシーンに、ゲラゲラと笑ってしまった。
そこが、玄関の前だったことに気付いて、周りを気にした。
ちょうど、通行人がいなくてよかった。

台湾人、中国本土の人、隣国の庶民の生きる感覚がよく分かる一冊だ。

たぶん、僕は、変わった視点で読んでいると思う。

それは、ある学者が言っているのだが、
全世界の人類の特徴を「宗教面」で分類しているものだ。
中国、台湾、韓国、日本、
これらは、「儒教文化圏」になるのだそうだ。

そう考えると、台湾人と日本人に共通した「生き方」が見えた。
それは、「個人の自立の概念が低い」ということだ。

この本を読んでいて、これに気付いた。
ちなみに「イスラム教」では、確か、15才で「成人式」をやる。
非常に厳しい「自立」を促す社会だ。

僕は、ここで、子育ての目標を、

「自立をした一人の大人の社会人」

に据えて育てましょうと、訴えても、
生活習慣でこれがピンとくる日本人が少ないのは、こういう理由らしい。

まぁ、15才で「自立」は、厳しすぎる感じがするが、
せめても「20才では自立」を目指したいものだ。
そうでないと、「幼稚な大人」に育ってしまうよ。

大人になれない幼稚な心・・・・・
こういうことで、うつ病や引きこもりが多くなってしまうのだろうと思える。
いくら「モノ」で豪華、贅沢がきても、
「心」が弱弱しく、病気を起こしてしまったら、とても「幸せ」ではないでしょう。

「幸せは、それを感じ取る能力」と言った人がいるけど、
幼稚な心では、この能力が低すぎることが容易に想像できる。

さぁ、子供の心を強く育てられるのは、父親の役目だ。
大自然の厳しさの中で、親子で遊んで、心の強い子に育てよう。


15/8/20(木)朝 復活サイクリストの日記

昨日の午前中は、「見沼代用水コース」を一周サイクリングしていた。

あの殺人的猛暑ではなくなった。
空気が違うと、こんなにも気持ちがいいものかと気付かされた。

国道R-16号線と東北本線が交差しているところを、
田んぼ越しに眺められるところで、いつものように休んだ。
田んぼに「かかし」が立っていた。
黒いビニールが、カラスのようになっていて、竹に吊るしてあった。

台風の直撃がなければ、もう少しで刈り取りだ。

午後からは、さぎ山野営場で、撤収作業をして、備品を倉庫にしまった。
この間、倒した樫の木の枝を「親子で工作」に使うために、
丁度いいものを、見繕って切った。

これで一日がお終い。
こんな調子で僕の人生もお終いになりそうだ。

生きているうちに、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動を軌道に乗せたいね。

昨日、一本新たに動画をアップした。

「15流しそうめん」


15/8/19(水)朝 キャンプじぃじの日記

孫娘のために、さぎ山野営場に準備をした資材を撤収しなければならない。
せっかく、20gのタンクを10本の水を用意したが、
使わずじまいで廃棄だ。

流しそうめんの台も分解して来年に向けてしまわなければならない。
タープもたたんで倉庫へ運ぶ。

アウトドアーの活動は、
常に「設営」「撤収」が付きまとう。

これ、僕の商売にも言えることだ。
とくに発表会の撮影は、いろいろな機材を、「仕込み」「撤収」する。

だから、いかに要領よく「撤収」できるのかを考えて「設営」なり「仕込み」をする。
こういうことで、
「ロープワーク」は、この「撤収」がしやすいように結ぶ。

「角結び」のように完全に固定をしてしまうものは、
「割り」のところをナイフでバッサリと切る。
すると早くバラせる。


15/8/18(火)朝 キャンプじぃじの日記

今朝は、御殿場市のファミレスで朝食をとっている。
三番目の子が、来いと親を呼び出すんだな、まったく・・・・

昨日は、「さぎ山野営場」で「手打ちうどん」をやろうと思っていたが、
「大雨警報」が出るまでになったので、危険回避でボロアパートで行った。

次男坊と孫娘二人を最寄りの駅まで迎えに行って、
「手打ちうどん」と「だし汁」の作り方を孫娘に教えた。

女の子は、
大人しくて扱いやすいね、何を考えているのかは分からないが・・・・
午後からは、どこかの施設で孫たちがローラースケートをしたいと帰って行った。

次男坊は、離婚したわりには、子供と遊ぼうという意識があるようだ。
次男坊が小さかった頃、
僕とたくさん遊んだ思い出があるので、次男坊は、子供と遊ぶのだろう。

父親に遊んでもらった体験がないと、
その子は、大人になって子供と遊びたがらなくなるようだ。

夕方、その次男坊が、今付き合っているおばさんと二人でまた来た。
この子は、気立てがいいので僕も気に入っている。
その二人と僕の三人で夜、カラオケに行って騒いだ。

結局、僕の人生は、子供に振り回されるようにできているらしい。

それにしても、三男坊は、親を呼び出すとんでもない子だ。


15/8/17(月)朝 キャンプじぃじの日記

いろいろ事情があって、今まで孫に会うことがほとんどなかった。

でも、ここにきて頻繁に会えるようになった。

今日は、孫娘たちと次男坊、僕とばぁばの5人で、「さぎ山野営場」で、
「手打ちうどん」と「天ぷら」を作る予定になっている。

しかし、雨模様だ。

でも、この雨の中でも活動できれば、「心の成長」で「忍耐」が鍛えられる。
僕は、自分の子供の心を鍛える目的で、雪中キャンプもやった。

「雪中キャンプ」

孫娘たちと次男坊が、どこまでやる気を起こすことが出来るのか・・・・・
この「生きる意欲」に関係することで、チャレンジできるかどうか・・・・・・

あまりに無理そうだったら、僕のボロアパートで「手打ちうどん」をやろうと思う。

ただのレジャーキャンプではないのが、こういうところでの「心構え」でしょう。
毎日、
浴びるように子供が「快適」な生活をしていれば、しているほど、
この大自然の厳しさをたくさん子供に体験させましょう。

「心を強く育てる」というのは、こういう具合にすればいいでしょう。

親子で大自然の中へGO!


15/8/16(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、さぎ山野営場で薪割りの続きをした。

汗、ビッショリ。
黄色い皮の手袋をしていたのだが、
汗で、手袋がビショビショになり、手が黄色く染まるほどだった。

顔も、滝のような汗が出て、眼鏡に汗が降りかかり視界が悪くなる。
薪割りでは、距離感がつかめないと危ない。
そういう中、一所懸命に薪割りをした。

お蔭で、薪置場が、満タンになった。
乾くまで、早くて半年はかかる。
一年は干したいところだ。

薪が乾くまでの燃料に、古くなった竹を整理して保管した。

市販されている一番大きいプラスチックの籠が、
いつのまにやら、ごみ箱になっていた。
一度、全部中身を出して、竹を適当な長さに切って、入れ直した。

竹は、そのまま火にくべると、竹の中の空気が熱で膨張して爆発する。
だから、太いものは、縦に割っておく。
細いものは、手斧で叩いて割れ目を入れて、空気が出るようにする。

この作業は、午前中いっぱいかかった。

今日は、明日の準備をする。
明日、孫娘たちがこの「さぎ山野営場」で、「手打ちうどん」と「天ぷら」を作る予定だ。

それで、今日中に、20gのタンクに水を入れて、
それを10本、キャンプ場に搬入しなければならない。
その他の準備物も搬入する。

男の子だったら、何か工作物を作らせてロープワークを覚えさせたいところだが、
女の子だ。
だから、「調理」を中心にした活動にしようと思いついた。

うどんの汁は、ダシから作る。
このために、この間、僕はこれのリハーサルをした。
料理教室に三年通ったのが、役に立つときが来た。

男の子と女の子とでは、活動の内容を替えた方がいい。
女の子は、「調理」が将来「女の武器」になるでしょう。

どちらにしても、「何かを作る」ことが子育てで非常に重要だ。
このことを強く意識することで、ただのレジャーではなく、
その遊びが「子育て」となるものだ。

そして、できたら「ハイキング」もたくさん子供に体験させたいね。
「ヒト」も動物だ。
「歩く」ことをしないと、退化してしまうでしょう。
これは、冗談ではなく、本当に必要なことだ。

さらに、子供に父親が「夜話」をして、
「生きる意味」「生きる価値」「生き方」を教えたいところだ。
こここそが、父親の出番。
「父性教育」の要のところだ。

スノーメン・キャンプ・クラブの年間プログラムでは、
これらをバランスよく活動して、お父さんと子供が体験できるようにしている。

ぜひ、子育ての参考にして欲しい。

「親子キャンプ」


15/8/15(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、迷わず「見沼代用水コース」を自転車で走った。

その途中、電話がある。
古い友人からだ。
「さぎ山野営場」で遊ぼうというお誘いだ。

昨日は、そこに車を停めて周回コースをサイクリングしていたので、
一時間半ぐらいで、キャンプ場に戻ると友人に伝えた。

自転車に乗って、「小春日和」で汗を流すつもりで着替えを持って行ってたので、
友人とキャンプ場で落ち合ったときに、
無理矢理にその天然温泉に入りに行った。

それで、二人で中国人がやっているラーメン屋さんでお昼を食べた。

ノンアルコールだが、運動の後の風呂上がりに呑むビールは、最高だった。

さて、そこでこの後、どうしようかと友人と相談する。
とりあえず、キャンプ場に戻って、
セブンのコーヒーでも買って飲んで、マッタリしようということになった。

それで、それを実行した。

コーヒーをキャンプ場で飲みながら、
薪割り場を眺めていた。
ボーイスカウトの連中が、
ガッサリと薪を持って行ってしまったことを友人に伝える。

薪は、乾くのに一年ぐらいかかる。
11月と12月に、僕の活動で使いたい薪がなくなってしまった。

まぁ、それでも、大量に出た古い竹があるので、それでなんとかなる、
そんな話をしていたら、
友人は、何を思ったのか、これから薪割りをしようと言い出した。

サイトに一本、樫の木が邪魔くさくあるので、これを倒そうということになる。
せっかく天然温泉に入ったのに、また汗だくになった。

倒した木を適当にスライスをして、薪割り場へ運ぶ。
初めは、「木割矢」でそれを半分にする。
久しぶりの「木割矢」での薪割りだったので、最初は外す。

3.5`のハンマーで「木割矢」を叩きそこなうと、
「カッキーン」という金属音で「木割矢」がすっ飛んで行く。
この「木割矢」というのは、1.5`のクサビだ。
十分に殺傷能力がある。

一回だけ、僕の方に飛んできた・・・・・コワ〜〜〜。

何発か叩いているうちに、勘所を取り戻して、
サクサクと薪を半分にした。
汗、びっしょり。

それで、それをさらに斧で割るのは、友人に振った。
やっこさんは、これをしたかったのだ。

何発か、斧で友人が薪割りをしたところで、
僕が「薪割り」の指導をした。
最初は、ぎこちなかったが、その内にいいフォームになった。

本人は、そこで気持ちよく薪割りができて快感がはしったようだ。

安上がりに、こうして友人と二人でキャンプ場で遊んだ。
今日は、これから昨日の薪割りのやり残しを片付けに行く。
本当にいい老後を楽しめている。

僕は、「モノ」に執着した生き方ではなく、
「生き方」自体にこだわった人生を作って来て、本当に良かった。
これからを生き抜く子供たちに
ぜひ、自分の「生き方」を作り上げていく感覚を身に付けて、
充実をした人生を歩んで欲しいね。

父親次第だ。

「自分と友人の関係」

「モノ」という「富」こそがあらゆる争いの始まりだ。
友人との関係を大切にする「生き方」に「平和」がある。
個人でも国家でも、これが言えるでしょう。


15/8/14(金)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、天気が良くないので調理実習をした。

お昼には、「手打ちうどん」と「てんぷら」を作った。
なぜか、材料費に、2,800円もかかってしまった・・・・・・

・・・・そういう問題ではない。

「必要なモノ」と「欲しいモノ」との区別。

これを自分自身で把握できるのが「大人の条件」だと思う。

そんな材料を僕は、「欲しいモノ」ではないが、
調理実習に「必要なモノ」と考えれば、「授業料」になる。

子育てで、子供にとってお父さんに遊んでもらうことは、「必要なモノ」だ。
しかし、
収入以上の「家」や「車」は、親が「欲しいモノ」と、こうなるでしょう。

そういう「欲しいモノ」に振り回されていて、子供と遊べないのは、
子育てということについて、本末転倒であることが分かる。

子供が高校生ぐらいになったら、
親が本気で「子供の自立」を考え実行をするべきだ。

「自立」しそこなった人は、非常に窮屈な人生を歩みやすい。
「自立」に向けて育てられなかった人は、「人生の充実感」が得にくい。
僕は、こう思って、末っ子に「自立」に向けた訓練を実行した。

「高校生で自立の訓練」

「自立をした一人の大人の社会人」

に子供を育てることは、「必要なモノ」だ。
そのためにかかる費用は、子供と親の「授業料」になる。

昨日の「手打ちうどん」の汁は、ダシから作った。
昆布とかつおの合わせだ。
市販の汁とは、一味違ったよ。

夜には、「軟骨入りつくね」を作った。
これには、定評がある。

「モノ」を手に入れるより「成長」の方が人生豊かになる。


15/8/13(木)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、「見沼代用水コース」をポタリングした。

夏の暑さでは、
ここの木陰をサイクリングするのが一番いいということを体験で分かった。

このコース上に「大崎公園」があって、そこに車を停めて自転車をこいだ。
一周して、そこの近くにあるお風呂に入った。
入館料が、1,500円もする割に露天風呂がない。

よく見たら、ここは、「プール」が売りの施設のようだ。
お風呂目当ての僕が行くところではなかった。

やっぱり「さぎ山野営場」に車を停めて、
「小春日和」の天然温泉に入るのが、王道だと分かった。

今日、そうしようと思ったら、雨が降っている。

そこで、
今日は、一日、「調理実習」をすることにした。
「雨プロ」は、これに限る。
孫娘が、今度の月曜日に来るらしい。
予定では、「手打ちうどん」を「流しそうめん」のように、
流してみたいのだそうだ。

とりあえず、「手打ちうどん」の作り方の復習をする。

ちなみに、昨日の夜は、「あじのなめろう」を作った。
「しその葉っぱ」を使うところを、
日光名物「しそ巻とうがらし」を使った。

つい最近、「おおば」と「しその葉」は、全く違うものであることを知った。
確かに、「おおば」は、香りがない。
でもスーパーで「しその葉」は、売っていない。
この日光名物を使うのは、理に適っているでしょう。

フルタイム「成長」だよ、人生は。


15/8/12(水)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、暑さを避けて朝早くペダルを漕ぎだした。

走りながらどこへ行こうか考えた。 「ねこラン」だ。

なんとなく、江戸川に出たので、
そのまま川の土手を上って「渡良瀬遊水池」に行くことにした。

最初は、気持ちよかった。
わずかな北風っぽく、涼しい風が心地いい。
そこら中で「コオロギ」が鳴いている。
秋が近いのかなぁ・・・・

ところが、太陽が次第に昇ってくると、暑さがジリジリと押し寄せる。
そのときに失敗に気付く。
江戸川の土手は、まったく木陰がない・・・・・

じぃじの照り焼きができそうだ。

渡良瀬遊水池に、やっとの思いで到着して、
道の駅「きたかわべ」でアイスを食べてクールダウン。
「やぎゅう駅」から輪行で帰った。

クーラーが効いた電車の中で爆睡した。
今日は、木陰の多い「見沼代用水コース」を走る。

「15見沼代用水コース」


15/8/11(火)朝 キャンプじぃじの日記

夏バテだ。

これに立ち向かうべく、ほんの少しだけでもサイクリングをする。
若いころに覚えた趣味は、本当にいい。

まさか、老後にこんなに役立つとは、思いもよらなかった。

「15 日光サイクルリング」


15/8/10(月)朝 キャンプじぃじの日記

次男坊と末っ子が、昨日、海で遊んでいたようだ。
それで、末っ子だけが昨日の夜、帰って来た。

僕は、子供たちに兄弟仲良くしろと言い続けてきた。

「中学生の心を育てる親子キャンプ」

「オヤジの小言」は、子供の心の成長に不可欠だ。


15/8/9(日) Snowmen Camp Club 活動報告

8月8日(土) さぎ山野営場で「流しそうめん」実施

今年は、これで3回目の「流しそうめん」だ。
前回、幼稚園でのものに参加できなかった家族のために特別に企画した。

年長の男の子、二人の参加だった。
人数が少ないと、
子供たちで「奪い合う」面白さが少なくなってしまったようだ。

注意をしなくても、すくったそうめんをちゃんと食べていた。

前回とはまったく違う様子だった。
われ先にそうめんをすくおうとして、すくっているだけで、
そうめんが、竹を切って作った「マイカップ」からはみ出るほどになっていた。

子供は、子供同士で切磋琢磨を体験して育っていくものだと改めて感じた。

昨日は、猛暑がいくぶん収まり、
しかも、さぎ山野営場の木陰のおかげで、とっても涼しかった。
時折、風が吹くと、清々しいほどだった。

来年からは、この活動を「さぎ山野営場」で行うことにしたが、
ここで「流しそうめん」をやるためには、水道がないのでどのくらいの水が必要か、
その加減を見図ることもしていた。

昨日は、人数が少なかったので、20gタンクを10本で、2本以上余ったが、
人数がいると、たぶんこれでは足らなくなる恐れがある。
都合でタンク12本必要だろうと割り出した。

こうして、僕は遊びを真剣に取り組むことで、
「さぎ山野営場での流しそうめん」の企画力が身に付いたわけだ。
直接「金儲け」に関係がないが、
僕の大切な「成長」になる。

この「成長」にこそ、人生ドラマを面白くする舞台になるものだ。
「モノ」や「金」では味わえない、「人生の豊かさ」のベースがここにある。

そして、同じ「遊び」に共鳴して集まる「仲間」という「人間関係」が、
「心の豊かさ」になる。
これが本物の「幸せ」を生み出す。

「人間関係で、幸せを見出すことこそ、本物の平和につながっていく」

「自分と子供の関係」


15/8/8(土)朝 キャンプじぃじの日記

プライベイトのキャンプ場「さぎ山野営場」は、
もともとは、知り合いのボーイスカウトのために開墾をした。

このボーイスカウトの活動は、「子供の訓育」が目的だ。

活動内容は、似たようなことをしている僕の活動は、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」ということで「父親」が目当てだ。

それで、今年度は、キャンプ技術をパパが覚えて、
パパが子供にキャンプ技術を将来教えたいという人が二人も現れた。

僕は、鼻血をだしそうなくらい嬉しいね。

そこで、「パパだけキャンプ」の企画を新規に立てることになった。

これは、通年随時行いますので、
興味のあるパパは、ぜひ、メールでお問い合わせください。

子供にとって、パパに教わるキャンプ技術は、
ただ単に技術が伝わるだけの話しではない。

パパが子供に対する「愛」、これが伝わる。

そして、ぜひパパだからこそできること・・・・子供の自立を目指して子育てをして欲しい。

「自立をした一人の大人の社会人」

これを目指して欲しい。
子供の自立への訓練は、高校生ぐらいでは実行しよう。

「高校生で自立の訓練」


15/8/7(金)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、「流しそうめん」の準備で一番大変なものを運ぶ。
20gタンクを10ヶ、水を入れて「さぎ山野営場」に搬入だ。
「そうめん」を食べるだけの話しだが、準備が大変。

真剣に「遊ぶ」ところに、何かが身に付くものだ。
「遊ぶ」ということを「気楽」「簡単」までしかできないと、
そこには、何にも「成長」が起こらない。

「気楽」「簡単」ばかりで生きていたら、
ずっと「何らかの成長」がないまま歳をとることになる。
「ひきこもり」や「新型うつ病」の温床になるでしょう。
テレビゲームは、「気楽」「簡単」の部類だよ。

だから僕は、若いころから「遊び」を真剣に取り組んできた。

例えば、
僕は、昔、スキーのサークル活動をしていた。
活動を盛り上げるために、
当時、初めてこの世にでてきた「家庭用ビデオカメラ」をレンタルで借りて仲間を撮った。
真剣に僕は、遊びのサークル活動を盛り上げることに挑戦をしていた。

後に、僕は、これがキッカケで「ビデオ屋」になった。

同じ遊びをしていても、
真剣に取り組むのか、それともただ楽しいだけで遊ぶのかでは、
人生に「成長」が起こるのか、それとも何もないのかの大きい違いになる。
これのいい例だ。

歳をとっても、「成長」を目指す。
ここに人生の面白さがでるのさ。
さぁ、タンクを運ぶぞ!

子育ても「気楽」「簡単」ではなく、「大変」だからこそ面白いものだ。
僕は、子育てに夢中になるがゆえに、
カブスカウトの活動を年に70日もやってしまった。
真剣に取り組んだ。
それが、今の「子育ての面白さをお父さんに伝える」活動になった。

「お金」ではなく、父親の本物の「愛」で育てられた子は、幸いだ。

このことをぜひ子供たちにも伝えたいね。

本物の「愛」の世代連鎖、これが本物の「平和」につながる。

「富」にこそ「戦争」が起こる。
「富」を握りしめたまま「戦争反対」は、ナンセンスだ。

「富」ではなく、つまり「物質的豊かさ」ではなく、

子供を

「自立をした一人の大人の社会人」

に真剣に育てよう。
ここに父親の「愛」がある。  「自立」だ、子も親も。

「15 銚子サイクリング」


15/8/6(木)朝 キャンプじぃじの日記

今度の土曜日にも「流しそうめん」を行う。

今度は、「さぎ山野営場」でだ。

そのための資材をキャンプ場に搬入した。
今日は、タープを張ったり、
もうそう竹の新しいものを切り出しに行ったりと、準備に追われる。

最後に、「小春日和」という天然温泉の下見をする。
「パパだけキャンプ」で、ここに入るので下見が必要だ。
僕は、遊び熱心だよなぁ・・・・・


15/8/5(水)朝 キャンプじぃじの日記

この間の「流しそうめん」での活動で、
最後に
「子供が大きくなった時に、子供にキャンプを教えられるといいですね。
 そのために、子育てのためのキャンプ技術をパパが身に付けましょう。」
と、僕が挨拶をしたら、
やる気ムンムンのパパで「子育てのためのキャンプ」を覚えたいという人が出た。

僕のこの活動の趣旨は、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」
だが、この目標を一つ、達成できそうだ。

滅茶苦茶嬉しい!

嘘みたいな話、奇跡だ。
そこで、急遽、「パパだけキャンプ」の企画を昨日、立てた。

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「パパだけキャンプ」(通年)

この企画は、「子供にキャンプ技術をパパが教えるために、
         パパ自身がキャンプ技術を身に付けるものです。」

実施場所は、専用キャンプ場「さぎ山野営場」です。

タイムテーブル

 9:00am  さぎ山野営場集合(参加者の方のみに現場を案内)
         開村式、諸注意(安全対策について)
 9:20am  
 ↓       タープ、テント設営
10:40am  食材買い出し
12:00pm
 ↓       調理・昼食
13:00pm
 ↓       食器洗い、片付け
13:4opm
 ↓       テーブルの工作、キャンプファイヤー準備
15:30pm
 ↓       天然温泉「小春日和」入浴
16:30pm
 ↓       食材買い出し
17:00pm
 ↓       反省会、キャンプファイヤー
終わるまで  テント泊

翌日、朝食の後、片付けをして解散

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この企画は、通年いつでも、お一人様のパパを対象に行いますので、
興味のある方は、ぜひお問い合わせください。


15/8/4(火)朝 キャンプじぃじの日記

猛暑が続く。

やっぱり銚子市の方が涼しかった。

「地球温暖化」

著作「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」
汐文社 刊 1,600円+税

みんな自分は悪くないと思っているでしょう。
僕も、毎日車を使ってガソリンを燃やしている。
毎日、電気を使わなければ生活が出来ない。

これが「地球温暖化」の原因であることを「直視」すれば、
自分こそがこれの原因を作っていることを受け入れることができるでしょう。

もし、本気で「地球温暖化」の原因に自分がいるということを感じたとしたら・・・・

「豪華」「贅沢」を追い求める気がしなくなるはずだ。
「物質主義」に疑問を持てるようになるはずだ。
煌々と明るい東京の夜・・・・これに疑問が出るはずだ。

そういうことでだと思う。
敏感な人が、「モノ」を捨てて生きる喜びを見出し始めた。

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」
佐々木 典士 著  ワニブックス刊 1,000円+税

「断捨離」
やました ひでこ 著  マガジンハウス刊 1,200円+税

近代の「快適」こそが、地球温暖化の原因でしょう。

タバコが有害であることは、誰でも知っている。
それでも、たばこが生産されて、それを消費し続けている。

それと同じでしょう。
「地球温暖化」は、誰でも知っている。
それでも「快適」を貪欲なまでに追い求めている。

そのために、
「モノ」を得るために、
「仕事が忙しい」。
「忙しい」から、子育ては、他人任せで済ませたい・・・・
違う?

もし、「快適」を捨てたら、時間が出来る。
その時間で、子供と大いに遊べる。
僕は、カブスカウトの活動を年に、70日もやってしまった。

それで、貧乏人だ。
「貧乏」は、僕の勲章さ。

よく見てみて・・・・・

「忙しい」という漢字は、「心」を「亡くす」と書くんだよ。


15/8/3(月)朝 復活サイクリストの日記

新しく1本アップした。

「15 銚子サイクリング」


キャンプじぃじの日記

昨日は、孫娘たちがゲリラのように現れて、工作をしていった。
女の子は、手がかからなくて楽ちんだね。

料理が上手というのは、女の武器になるだろうから、
少しずつ調理を教えた方がいいと次男坊に僕が言った。

そこで、
キャンプ場で「手打ちうどん」と「天ぷら」をやろうということになった。
汁も、ダシから作ってみようと提案をした。

何かを「作る」という行為には、
完成させるまでの「忍耐」が鍛え上げられる。
正確に作るためには、「精度」が要求される。
このときに、否が応でも「算数」「計算」などが必要になる。
出来上がった時の「達成感」が味わえる。

何かを「作る」ということは、「創意工夫」の力が身に付く。

こういうことで、
子供にはたくさん何かを「作る」体験をさせる子育てが非常にいい。

男の子だったら、
「工作で工夫を身に付ける」

女の子の場合、何だろうかと考えた。
それで「調理」が最高だろうと思いついた次第だ。


15/8/2(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、銚子までオートサイクリングをしに行った。

予報では、現地は、一日曇り空で、最高気温が28℃のはずだった。
しかし、
一日、ピーカン、真っ青な空。
気温がグイグイ上昇した。

「銚子駅」に車を停めて、そこから「犬吠埼」までの往復をサイクリングした。
ヤッパリ、外房の景色はいい。
道中にちょっとした岩場があって、そこを登ると360度のパノラマを見ることが出来た。

犬吠埼の灯台に上ることが出来て、そこからの景色も素晴らしかった。
近日中にこれの映像をアップしたい。

犬吠埼には、昔、同業者の集いで行ったことがある。
ホテルでの宴会で大騒ぎをしただけで、観光はあまり覚えていない。
たぶん二日酔いだったのだろう。

サイクリングだと、ジックリとそこの自然を堪能できるね。

子供が小さかったら、子供の手をギュッと握って、
そこら中を探索するといいでしょう。
派手にお金を使って「レジャー」をすればいいというものではないと思うよ。

アウトドアーの遊びでは、そこでの「遊びの工夫」の能力が問われる。
この能力が高ければ、
何にもなくても、いくらでも面白く一日を遊べる。

こういう能力を親子で磨こう。


15/8/1(土)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、さぎ山野営場に車を停めて、
「見沼代用水路コース」をサイクリングした。
真っ青の空だったので、桜並木が多く日影があるこのコースにした。

ほんの数百メートルの間、バス通りを走ったら、
アスファルトの照り返しがすごくて、グロッキー寸前になった。
夏は、木陰の多いコースが「基本」であることを突き止めた。

走行距離はたいしたことがなくても、熱中症との戦いだ。
これも「自然」を楽しむメニューの一つ、克服策を編み出していきたい。

今日は、これから、ばぁばを連れて「銚子」へ行って、
そこをサイクリングしたい。
その途中の「柏駅前」のファミレスから書き込む。

昨日、ネットで調べたら、標高千数百メーターある中禅寺湖でも、
今日の予想最高気温は、33℃だそうだ。
しかし、「銚子」のそれは、28℃ということだ。
外房の大自然を楽しみたい。


15/7/31(金)朝 復活サイクリストの日記

昨日も、暑さの中のサイクリングに慣れるためにポタリングをした。
無目標地で気の向くまま、おもむくまま、走り出した。
「走る」のが最大の目的だから、行先はどこでもいい。

僕は、このことを「ねこラン」と呼ぶことにした。

西に向かって走っているうちに、
中川を越して、吉川市に入り、江戸川を渡った。
なんとなく「清水公園」が近いので、そこに行こうと江戸川を走っていたら、
通り越してしまった。

江戸川の土手から、珍しく下りて、
街中を気の向くまま走っていたら、国道R-16にでた。
これも越して走ると、距離が多くなりすぎるので、そこから南下。

ふと、手賀沼まで行こうかな?
こう思ったけど、これも距離が多すぎるので却下。

東に向かって帰ることにした。
そうしたら、どこをどう走ったのか「清水公園」に着いた。
ここで冷やし中華を食べた。

お昼を食べたら天気がピーカン、太陽サンサン。
急激に気温が上がる。
それまで曇り空の恩恵で走ることが出来ていたが、ヤバくなった。

熱中症というオーバーヒートギリギリで、
ペダルを真剣にこいだ。
無事、ボロアパートに帰還した。
グッタリだ。

そこで、天然温泉「ゆの華」に入った。
本当に風呂はいい。 生き返った。

それからちょっと昼寝をして、
夕方に幼稚園での盆踊りを取材しに行った。
ちゃんと仕事もしているでしょう。

今日も、太陽の出具合を見極めながら、どこへ行こうかな・・・・
夏のサイクリングは、
「曇り空」がベストコンディションだ。
これをどう読み取れるのか、こういう技術をこれから身に付ける。

僕は、研究熱心だよなぁ。
誰にも褒めてもらえないから自分で言っちまおう!

「15秋葉原サイクリング」
貧乏人の人生の楽しみ方だ。


15/7/30(木)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、朝早く「見沼代用水コース」を自転車で走った。

熱中症のおそれがでたところで、ショートカットしようと思っていた。
周回コースの利点だ。
ところが、
曇っていて気温が急上昇、ということがなかった。

普通にコースを一周できた。

ただ湿気がすごかったね。

僕は、夏の暑い時期、若いころは「ナイトラン」と言って、
涼しくなる夕方からサイクリングをし始めて、
早朝帰ってくるという走り方をしていた。

越谷市から鎌倉方面、三浦半島方面、へよく行ったものだ。

子供がいなくなって、今の走り方を始めたときには、
マザー牧場でキャンプスタッフをやっていたので、
8月にサイクリングをすることはなかった。

こういうことで、
8月の日中のサイクリングは、僕の人生では初めての体験なんだな。
どうすれば、熱中症を避けることができるのか・・・・・
新たな研究開発をする。

人生はこうやって面白くする。

朝11時には、帰って来た。
ポンコツのエアコンが効かない。
とても編集の仕事をする気になれなかった。

そこで、本屋さんへ行って一冊の本を買って読むことにした。

「悲しみの底で猫が教えてくれた大切なこと」
SB Creative 刊 1,200円+税
瀧森 古都 著

帯にある通り、泣けたよ。
僕には、珍しくフィクションだ。
まるで推理小説のような綾があって、それが面白い。
登場人物、それぞれの視点で描くという、僕には初めての構成だった。
ビデオ屋では、こういうのを「パラレルアクション」と呼んでいる。

お昼におそばを食べて、一気に読み切った、ボロボロ涙を流しながら。

この小説のシチュエーションに「新越谷駅」がでてきた。
僕の縄張りだ。
ビックリした。

たくさんの「艱難」を登場人物が克服していくストーリーだ。
一つのストラッグルに、登場人物それぞれの視点で克服する。
その葛藤は、すべて「人間関係」だった。
だから、ちょっとドロドロしている。
不思議な文体だ。

僕が子供のころには、家庭環境が非常に悪かったので、
僕の感情移入は、現実味があった。


つまる話し、
「幸せは、それを感じ取る能力」ということではないだろうか。

「辛い」「苦しい」「悲しい」「不愉快」
こうした感情にたくさん、たくさん、体験を重ねることで、
「幸せは、それを感じ取る能力」であることが分かるものなのだろう。

この小説は、それの疑似体験ができるものだ。

また、子育てを強く意識した「親子キャンプ」でも同じ体験ができる。

「快適」な生活だけで暮らしてしまうと「心」が成長できないものだ。

「15 思川サイクリング」


15/7/29(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、「卒業ビデオアルバム」用の取材が中止になった。

そこで、
一昨日出来なかったキャンプ場整備をしに「さぎ山野営場」へ行った。

今度の土日に、ボーイスカウトがキャンプをするというので、
どうしても今週中に整備する必要があった。

いくぶん、暑さが和らいだと言っても、ヤッパリ暑い。
汗だくだ。

ばぁばが、リハビリを受けるという理由で仕事に行かなかったので、
夕方の四時に、「健美の湯」というスーパー銭湯に二人で入った。
生き返った気分だ。
お風呂はいいね。

今日は、「見沼代用水コース」のショートカットをポタリングしたい。

僕の学年は、還暦だ。
定年退職をした人がいると思う。

でも、僕の場合、自営業なので生きている限り働いて、
日用の糧を稼がなくてはならない。
でも、
この「生き延びる」ところに「生きる意欲」がでるものだ。

仕事のある余生は、適度な緊張感があっていい。

仕事が、offったら、即サイクリングできるのもいい。

「モノ」に執着しないで、自分の好きな仕事を命がけで開拓をした、
これが天からのプレゼントだ。
ラッキーな人生だった。

「15 鬼怒川サイクリング」

「思いっきり生きる」
自分の好きなことだからこそできる。
これからを生き抜く子供たちに伝えたいね。


15/7/28(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、「流しそうめん」で使った、
高さ約180pのタンクの台を「さぎ山野営場」に持って行った。

8月には、そこでも「流しそうめん」をやろうと思う。

台を持って行くついでに、キャンプ場整備をしようと思ったけど、
あの暑さだ。
メゲて帰って来た。

向かいの家の奥さんが、
この間のボロアパート前でやった「流しそうめん」がとってもおいしかったと言う。
自分の家で「そうめん」を食べてもおいしくないそうだ。

僕は、今まで「そうめん」を家で食べることはまずないので分からなかったが、
似たようなことは、僕も体験したことがある。

それは、「おにぎり」だ。
子供と一緒に、外で食べるはずだったのが、
何かの都合で家でおにぎりを食べたことがある。

「まずい」に近かったのを覚えている。

食べ物は、同じでも、
環境が違うと食べ物の「おいしさ」はまるで変ってしまうということに、
ビックリした。

そういう意味でも「孤食」は、決していいことではないことが分かる。

「モノ」を手に入れるために「忙しい」人が多いのではないだろうか?

生きる「おいしさ」、人生の「おいしさ」は、決して「モノ」では味わえない。
それは、豊かな「人間関係」で得やすいだろう。

しかし、ときに「人間関係」で自分が傷つき、知らぬ間に人を傷つけたりもする。
それで、「ヒト」よりも「モノ」で「幸せ」になりたくなる心理が働くのだろうか。

でも決して「モノ」で幸せになることはない。
それは、「モノ」を手に入れたときの瞬間に「嬉しい」という気分になれるだけだ。

「モノ」で幸せを得られると勘違いしている人は、
この「嬉しい」というのを「幸せ」と錯覚をしているのでしょう。
また、子供の内に、そう育てられてしまったのでしょう。

「親の豪華、贅沢は、子供にとって生きる最低限の条件にする」
とは、こういうことだ。

「ミニマリスト」や「断捨離」という「生き方」をしている人たちは、
このことに気付いたのだと思う。
「モノ」で幸せは得られないということを。

僕の場合、
そもそも風呂のない二間のボロアパート住まいで「貧乏」をやっているから、
「モノ」への執着心が低かった。

だからこそ、そこに「自由」があることを若いころから味わってきた。
そこに仕事自体がフリーランスのカメラマンで「自由」を満喫した。

一度、この本物の「自由」を手に入れたら、
「モノ」とは比べ物にならない「人生の愉快さ」が味わえる。
これは、同業者でよく聞くことだが、
「サラリーマンから自営業にはなれるけど、その逆は辛すぎる」

この「自由」というのは、裏腹に「自己責任」が伴う。

自分の責任で生きるからこそ「自由」が手に入る。

つまり、「自立」だ。

子供を「自立をした一人の大人の社会人」に育てるとは、
子供に思いっきり生きる「自由」を与えるということだ。

子供を親の「所有物」にするのではなく、
下手くそでいいから、子供には、思いっきり「自由」に生きて欲しいと、
僕は願って、僕の子を育てた。

そのための絶対条件が「自己責任」だね。


15/7/27(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、幼稚園でやった「流しそうめん」の資材一式を、
僕のボロアパートの前に持ってきて、
玄関の前でも「流しそうめん」をやった。

僕の古い友人がこれを目当てにやって来た。
その友人の娘も駆け付けた。

大家のおばぁちゃんが友達を誘った。
向かいに住む家の方も来た。

みんなで、「流しそうめん」を楽しんだ。
要するに「そうめん」を食べるだけのことだが、
このバカバカしさが面白い。

人生でも、「遊び心」で生きれば、愉快極まりない人生が出来上がる。

夕方には、恒例の「日曜晩餐会」をやった。

今年は、8月のマザー牧場でのキャンプスタッフがなくなったので、
急遽、

8月8日(土)、9日(日)、の両日にも
「さぎ山野営場」で、「流しそうめん」をやることにした。

参加希望の方は、メールでお申し込む下さい。
ふるってご参加をください。
お待ちしています!


15/7/26(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

7/25(土) 流しそうめん

軽い熱中症にかかる子がでる厳しい暑さの中、無事活動が出来た。

正直なところ、僕が一番ヤバかったかも知れない。
この夏の暑さという「自然」を全員体験した。

参加者は、5家族で、ちょうどいい人数だった。

友人二人が手伝ってくれて、本当に助かった。
「遊び」だけど、僕は、この「遊び」を真剣に取り組むのが好きだ。
そもそも、
この「Snowmen Camp Club」の前身は、「Snowmen Ski Club」だった。

少ない年でも30日、多い年には40日、ゲレンデにいた。
結婚をして子供がいたのにもかかわらず、真剣に遊んでいた。

まったく馬鹿げていたけど、その癖が、
今のこの活動でもビョウキが「再発」している。

真剣に遊んで、面白い人生を組み立てるのがたまらなくいい。

昨日も、集まってきたパパと子供たちの嬉しそうな顔を見ることが出来た。
「幸せ」がそこら中にあふれ出ていた。
本当に「モノ」では味わえない「幸せ」があった。

子供が小さい内に、こうした本物の「幸せ」をたくさん、たくさん、
子供たちに味わせてあげて欲しい。

心にパパの「愛」が届く「遊び」をたくさん、たくさん、子供に味あわせてやって欲しい。
このことによって、子供たちは、
「モノ」で幸せを得ようという空しい心にはならないと思う。

パパの本物の「愛」を感じることで、
「物で嬉しい」のと「愛」の違いをハッキリ区別できるようになると思う。

パパの本物の「愛」によって、その子は「爆買い」する必要がなくなるでしょう。
必要なモノだけで十分に幸せな人生を築くことが出来るようになれるでしょう。

そういう子供の人生を見て、パパは、
心から豊かな人生に感謝せざるをえなくなるでしょう。

「モノ」が溢れている今の日本社会では、
「心」が極めて殺伐としてしまった。
これは、紛争の火種にもなるし、
環境悪化の根源でもあるし、
心通わすという人間関係の稀薄化にもなってしまう。

でも、昨日のパパたちは、活動の後、自分の子供に木のメダルで表彰をした。
それは、
パパの「愛」の印しだ。

本当の平和は、ここにある。
とっても幸せな気分を僕にも、ばぁばにも、手伝ってくれた友人にも味わえた。
最高!

口先だけで「戦争反対」を言うのではなく、
具体的な「対案」を示し、実行をするべきだ。
口先だけで、何も「平和」の実行をしないのは、極めて偽善者だ。
「平和」は、ここにある。

パパの「愛」だ。

僕は、昨日、これを見ることが出来た。


15/7/25(土)朝 Snowmen Camp Club

本日予定通り「流しそうめん」を行います。


復活サイクリストの日記

幼稚園の先生の学会発表の映像の編集は、
ギリギリセーフでできた。
昨日の夜、それを発表したはずだ。
「流しそうめん」の準備も、昨日までのものがすべて、先方に搬入できた。

そこで、本当に久しぶりに自転車に乗ることが昨日、できた。
古利根川をポタリングした。

久しぶりにとっても気持ちがいい。
しかし、気温がグイグイと上がる。
ついに、軽い熱中症を感じた。

「幸手駅」で、メゲて輪行で帰って来た。
今日の活動もこの熱中症との戦いになる。


15/7/24(金)朝 キャンプじぃじの日記

キャンプ生活は、疑似貧乏生活が体験できて、
これがとっても心の成長にいい。

普段の生活で子供が「快適」を浴びるようにしていれば、しているほど、
この疑似貧乏生活の体験が必要になるだろう。

ここでいう「貧乏」とは、「貧困」とは違う。

そしてここでいう「貧乏」とは、
僕の生活ぶりぐらいのもので「困る」ほどではないことを指す。

「貧乏生活」=「不幸」と思う人には、信じられないかもしれないが、
実は、

「物が豊か」を追い求めてやまない、「物」を渇望する生き方より、
はるかに人生が「自由」で「面白い」ものだ。

これを証明してくれる本に出合った。

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」
佐々木 典士 著  ワニブックス刊 1,000円+税

この本で僕は、「ミニマリスト」という言葉と生き方があることを知った。
どうやらこの世界でもいろいろな流派があるようで、
著者は、

「中道ミニマリスト」ということだ。

「ミニマリスト」の定義は、

「本当に自分に必要なモノが分かっている人」
「大事なもののために減らす人」

だそうだ。

子供の心を育てるために重要なヒントが健康盛りの一冊だ。

実力が伴わないでプライドばかり高くなってしまう、
「お嬢様」「おぼっちゃま」に育てたいのなら、
「物で空威張り」する教育が効果的だろう。
こういう育て方では、「夢中になって働く人」になりにくいだろう。

しかし、「質素」を身に付けて、本当の「自分」を見出し、
自分に合った仕事で、

「自立をした一人の大人の社会人」

に子供を育てようとするのなら、ぜひこの本を読んだ方がいい。

根底に「断捨離」と共通するものがあると思う。

「断捨離」
やました ひでこ 著  マガジンハウス刊 1,200円+税

「物」で幸せになることはない。
なぜなら、
「幸せは、それを感じ取る能力」だから。

物質主義的な生活からは、「高慢」な人が育ちやすいでしょう。

「14 相模湖」


15/7/23(木)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、あの猛暑の中、「流しそうめん」で使うタンクの台を工作していた。
高さが約180pのところにタンクが置けるようにする。

水道水をホースで・・・・・
これでは面白くない。

何でもそうだ、「簡単」「便利」は、つまらない。

工作をすること自体が、脳みそを活性化させるでしょう。
そういう「刺激」が、「創意工夫」に結びついていく。

「工作で工夫を身に付けよう」

キャンプは、生活をするのに「大変」「辛い」があるからこそ、面白いのでしょう。
「簡単」「便利」なキャンプでは、意味がない。

泳ぐのが大変だからといって、
モーターボートに乗って「簡単」「便利」をしたのでは「運動」にならないでしょう。

ペダルを漕ぐのが大変だからといって、車に乗っていても「運動」にならないでしょう。

「快適」「簡単」「便利」を子供の時から浴びるようにして育てられたらどうなるのか?
命がけで働くことができなくなりそうだ。

一所懸命に働くことが出来る人に育てられるかどうか・・・・・
ここに「父親の子育て」があるわけだ。

親子キャンプをとおして、大いに子供と一緒に「工作」をしよう!


15/7/22(水)朝 キャンプじぃじの日記

今度の土曜日に「流しそうめん」を幼稚園の園庭を借りて行う予定だ。

そのための準備を昨日、やった。
資材を幼稚園の倉庫まで運んだ。
車が小さいので、何回も運ばなければならない。

幼稚園で参加希望の子供やママに会った。
とっても楽しみにしてくれている。
遣り甲斐がでてくるね。

誰かの役に立つことが出来る・・・・
このことによって「自分が生きている喜び」を得られるわけだ。

僕は、自分の子供を育てることで、これを何年も反復練習をしたので、
ついに、
自分の子ではなくても、同じ「快感」を子育てに感じるようになった。
「物」で偉そうにして自己実現するのとは違って、
心の底からの喜び・・・・「幸せ」が得られるんだよ。

この本物の「幸せ」を子育てに感じてもらいたいというのが、
僕の活動の趣旨だ。

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

「物」を得るという喜びは、「嬉しい」という感情でしょう。
「幸せ」ではない。

「14 太平山」


15/7/21(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、滅多に会えない孫娘が来た。
小学校六年生と二年生の二人だ。

カレー作りをしたいというので、
「さぎ山野営場」へ連れて行った。
ボーイスカウトが一泊していたようで、
入れ違いでボーイが撤収をしていった。

僕とばぁばと次男坊と孫娘二人で、近くのスーパーへ買い出しに行く。
カレールーの箱に書いてあるレシピ通りに食材を子供が買う。

ここが「子育て」になるところだ。
可能な限り子供にさせる。
買い出しでは、例えば肉の場合、必要量を割り出さなければならないでしょう。
「生きた算数」になるんだな。

「15 カレー作り」

買い出しからキャンプサイトに戻って、
調理開始だ。
僕のキャンプ用の小さな折り畳みのまな板に、
オピネルのナイフで、皮をむいたり、切ったり、
もちろん子供に体験させる。

小学校二年生の子は、4合の米を洗う体験をした。
それをアルミ製のダッチオーブンで炊く。

昨日のあの暑さは、キャンプ場では、木陰があって2℃ほど涼しく感じる。
そこに風が吹けば、とっても気持ちがいい。

子供たちは、豚肉をフライパンで炒めて、野菜と一緒に煮込み始めた。
カレールーは、ナイフで細かく刻んでおけば溶けやすいことを教えた。

上手にカレーが出来て、みんなで食べた。
次男坊と孫と一緒に食べるカレーは、格別だ。

そのあと、虫取りをしたいというので、
越谷市の健康福祉村という公園まで移動した。
僕の子供が小さくてまだかわいかったころ、そこに連れて来たものだ。
蝶々がいるところへ子供たちを案内した。

僕が持っている虫網は、「志賀昆虫研究社」製のマニアックなものだ。
それを子供に貸してあげたら、重いという。

100均で買ってきた小さな虫網を振り回していた。
なんとなく「ボーズ」になりそうなので、
僕は、「シジミチョウ」、たぶん「ゴマダラ」、「キアゲハ」、
「クロアゲハ」、「カラスアゲハ」、「トンボ」をゲットして、
子供の虫かごに入れてあげた。

「クロアゲハ」と「カラスアゲハ」の違いを子供たちに見せた。
「カラスアゲハ」は、青く光っているように見えて綺麗だろ、と教えた。

「さぎ山野営場」と違って、そこの公園は、非常に暑かった。
僕は、少々グロッキー気味だ。

ボロアパートにみんなで帰った。
近所のスーパーの前で「ドジョウすくい」をやっていた。
孫娘たちが、夢中になってドジョウを捕まえて、
なんと、それを持ち帰ってきた。

僕は、ドジョウは、食べない。
結局、子供たちが学校へ持って行って飼うことに落ち着いた。

子供がいるからこそ、キャンプが面白いんだな。

「物」を手に入れるのとは、まったく違う「豊かさ」があった。

若いお父さんがこのことに早く気付いた分、
心の通ういい子育てをするんだろうね、きっと。


15/7/20(月)朝 キャンプじぃじの日記

これだけ富んだ日本、その富をねたんだり、奪おうとするのが、
戦争になるわけだ。
それは、武器による戦争だけではない。
経済的な摩擦でも同じことだ。
本気で「戦争反対」を訴えるのなら、その「富」を捨てればいい。

「富」こそが戦争の火種の元々だ。

日本人全員、僕と同じ貧乏生活で十分にハッピーに生活をしたとすれば、
戦争に無関係になれる。
「富」を握りしめたまま「戦争反対」は、現実的にナンセンスだ。

口先だけで、本質的なことを考えないで「戦争反対」をわめくのは、
偽善者でしょう。

「反対」の「対案」を考え訴えるべきでしょう。

僕は、「富」を捨てて、昭和30年代当たりの質素な生活を国民全員が送れば、
本物の幸せを見出せる人生になると思えるね。
現実的ではないけどね、残念ながら。

第二次世界大戦だって、一部の「富を握りしめた人」の欲望こそが原因でしょう。
終戦で財閥が解体させられた事実が、このことをよく物語っている。

僕は、戦争を肯定したいのではない。
その戦争の「大本」つまり「富」を得ようとする「ヒト」の欲望こそが問題だと言いたい。

この「欲望」こそが、
「子育てを他人任せ」で気楽に生きたいと思ってしまうものでもある。

稼ぎに見合わない「富」を得ようと思うその「心」が離婚の原因にもなるでしょう。
お父さんの稼ぎぶりに不平不満だらけ・・・・・
離婚の原因になるでしょう。

こういった「心」こそが「戦争」の大本になるのさ。
「欲望」こそがあらゆるいざこざの大本だ。

仏教では、「煩悩」(欲望)があるからこそ「四苦八苦」すると教えているではないですか。
キリスト教では、「富と神の両方に仕えることはできない」と戒めている。

「欲望」ではなく「生きる意欲」を得るためには、
何らかの本物の「愛」に触れるといい。
このことで「生き生きと生きる」ことができるようになれる。
そして子供を、
「自立をした一人の大人の社会人」に育てることもできる。

本当の平和は、こうして築いていけばいい・・・・
「甘やかし」ではなく本物の「愛」だ。


15/7/19(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の幼稚園のお祭りの準備は、大変だった。
台風の後の風が強いので、テントが飛ばされないように補強をした。

僕が建てた24畳の広さの「竹ハウス」は、
ポール全部にロープで固定をする構造なので、
比較的風に強いのだが、
その他のマーキーテント(運動会用のテント)は、
まったくロープで固定されていない。

去年だか、一昨年の小学校の運動会で竜巻が起こって、
それと同じテントが飛ばされたということがあった。
「竜巻」では、どんなテントでも飛ばされてしまうが、
昨日の風では、何もしないと危ない感じだった。

マーキーテントのポールのところに運動会で使う長いペグを斜めに打つ。
そこをロープで固定した。
文章ではこれだけだが、それが何張りかあった。

「竹ハウス」を建てた後にその作業をした。
そして祭りが終わって、それの撤収をした。
十分にくたびれたな。

昨日のお祭りは、「卒業ビデオアルバム」用にビデオで取材をしたのだが、
それは、10分も回さなかった。
僕は、いったい何屋さんなんだろうか?
分からなくなる一日だった。


15/7/18(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、取引先のお祭りの準備を手伝った。
そこの先生が、
ある学会で発表をするのに映像を上映するためのものを編集した。
編集用のPCを幼稚園に持ち込んでやった。

そして「竹ハウス」を建てる予定だったが、
台風の風があって出来なかった。

今日、これからそれを建てる。
全部、ボランティアだ。
お終い。


15/7/17(金)朝 キャンプじぃじの日記

キャンプは、疑似貧乏生活を体験できて、これがいい。

たくさん親子キャンプを積み上げるようにたくさん体験することで、
無駄な「富」が必要なくなる。

このときに気を付けなければならないのは、
「キャンプ用品」という「物」を買い揃えないことだ。

それは、結局「物」という「富」に執着していることになるからだ。
だから、
親子キャンプで、椅子でもテーブルでも、キャンプグッズを「工作」すると非常にいい。

「物を買って済ます」のではなく「物を作る」といい。
手先が器用になるだけではなく、
このことで「工夫」の力も身に付く。

「工作で工夫を身に付けよう」


15/7/16(木)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、歴史について勉強不足だが、
それでも、確実に言えることがある。

「富」こそが戦争の火種だ。
家族でも「富」こそが、不和の原因だ。

「富」があってもなくても、それを貪欲に求めるところにいざこざが起こる。

「富」を握りしめたまま「戦争反対」は、極めてナンセンス。
真剣に「戦争反対」なら、「富」を捨てればいい。

このようにして、「ヒト」の争いの原点は、「富」なんだけどなぁ・・・・

昨日の夜は、放蕩息子だった次男坊とカラオケ屋さんで騒いだ。
僕は、「富」と無関係だからこそ、次男坊と遊べた。
幸せだよ。


15/7/15(水)朝 キャンプじぃじの日記

僕の「流しそうめん」の活動で協力してくれている幼稚園で、
今度の土曜日にお祭りを予定している。

そのときに、24畳の広さがあるフライシートを出店用に張ることになっている。
台風の影響でどうなるのかは、分からないけど、
それの資材を昨日、幼稚園まで届けた。

24畳の銀色の市販シートと、
竹で作ったポール17本、ロープとペグを搬入した。

竹のポールは、「さぎ山野営場」の倉庫にあって、
昨日の午前中は、それの補修作業をしていた。
レンタル倉庫にあるシートやペグを引っ張り出して、
幼稚園へ持って行ったのだが、一日仕事になった。

このフライシートは、僕の子供と一緒に開発したもので、「竹ハウス」と呼んでいる。
「流しそうめん」でもこれを建てる。
予定では、次の週の土曜日だ。

「竹ハウス」

これ、とっても実用的だ。


15/7/14(火)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園の園庭を借りて「流しそうめん」を予定している。

これは、幼稚園に通う子供を持つお父さんに、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」のに非常に有効だろうと考えて、
これのアピールが最大の目的だ。

ところが、100名の子供の家族にパンフレットを配って、
反応があるのは、数パーセントだ。

日本の父親の大多数は、
子育てを母親任せで済ませるという風習があるからだろう。

「父親不在」

これが言われだして随分と経つ。
確かに、「父親参観」や「入園式」「卒園式」に父親が来るようになった。
僕の時代よりはるかに多くの父親が来るようになった。

しかし、普段の生活で、子供と積極的に遊ぶ父親は少ない様子だ。

父親の存在は、子供の「自立」に非常に重要な役割がある。

「自立」を意識できない今の日本社会と「父親不在」には、
相関関係があると思えるね。

自分の人生に「充実感」を得るためには、
家や車といった「物」を手に入れるのではなく、

「自立をした一人の大人の社会人」

これを目標にした家庭教育が必要でしょう。


15/7/13(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、恒例の「日曜晩餐会」をやった。

うつ病の古い友人、大家のおばぁちゃん、
僕とばぁばのいつものメンバーで玄関の前でBBQをした。

そこに、僕のボロアパートの上に住んでいるおじさんに出会ったので、
誘った。
昔は、居酒屋を何店舗かを経営していたそうだ。
それが僕と同じボロアパート住まいとなった。

人生いろいろ〜〜〜。

さらに、近所に住む「働くことが出来ない人」が来た。

彼の話しでは、25才まで会社員で働いていたそうだ。
それで、失恋がキッカケで働くことができなくなったそうだ。

僕の古い友人と同じような「うつ病」らしい。

でも彼の場合、僕が見た感じでは「自閉症」の傾向が見受けられる。
いつも彼は、僕のボロアパートの前を歩いている。
そこで、初めて彼も日曜晩餐会に誘った。

近所では、敬遠されているからこそ、誘うべきだと思った。

そのあとは、酔っぱらいすぎて覚えていない。
目が覚めたら朝だった。

僕は、今まで、かなりいい加減な人生を歩んできた。
命がけで必死にいい加減をやった。

それでも、この「貧乏生活」を初めからベースにしてきたので、
生活をする上での「固定費」が低くいので面白い人生になった。

稼いだお金は、全部遊んだ。
子供がいたころは、大いにアウトドアーで子供たちと遊んだ。

会社員のころは、スキーに年に最低でも30日、多い年には40日した。
自分の気に入った仕事を探し出せなかったので、自分で仕事を作った。
カブスカウトの活動を年に70日もやって、他のリーダーのひんしゅくを買った。

それで、なぜか昨日は、社会的にはみ出してしまった人を日曜晩餐会に誘った。

僕は、思いっきり生きて満足しているからこそ、
社会的弱者の人が気の毒に思った。


15/7/12(日)朝 キャンプじぃじの日記

今回の幼稚園のお泊まり保育のDVDは、
明日、納品できるように作業を頑張っている。

つい、一昨日の出来事が、試写すると遠い昔話に見えてくる。
思い出って、何だろうかね?

僕は、子供の思い出を残す仕事をしているわけだが、
いつも、この不思議な感覚が何なのか考えている。

三年前の大震災でも、ボランティアの人々が、
がれきの中から「家族写真」を探し出しているニュースが流れた。

聞いた話では、この幼稚園でのお泊り保育の体験は、
小学校四年生あたりで忘れ去られるらしい。
個人差が非常に大きいと思えるけど、
だいたいその頃、忘れてしまうものらしい。

ある子が、小学校四年生になって、
たて続けにそのお泊まり保育のビデオを見たそうだ。
親がビックリして、幼稚園にそのことを知らせに来たという。

幼稚園の子が親から離れて、お泊まりするのは、
命がけの大冒険であるに違いない。

それに挑戦をした自分の勇気をビデオで見て、思い出すのだろうか。

僕の子供も、この間の正月に、
子供たちが小さくてかわいかった頃のビデオを見せた。

「15 Yeti でスキー」

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

この僕の活動でも、
活動をばぁばが写真に撮ったものをスライドショーにし、
それをDVDして参加者に差し上げている。

子供がパパと一緒に遊んだ思い出を、忘れたころにぜひ見て欲しいね。
「心の豊かさ」は、ここにあるでしょう。


15/7/11(土)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園のお泊まり保育でも、
僕の子供たちとの親子キャンプでも、
「キャンプ明け」は、体がボロボロだ。

思いっきりくたびれた。

お終い。


15/7/10(金)朝 キャンプじぃじの日記

四泊五日の幼稚園のお泊まり保育の仕事は、今日で終わる。

あぁ、越谷市に帰らなくては・・・・
夏休みの間、ずっとここにいて子供たちと遊んでいたいよ。

奥日光の大自然の中を子供と一緒に遊ぶのは、とっても面白い。
大人だけでは、「何が起こるのか分からない」というスリルがないでしょう。

僕の好きなサイクリングもそう。
自転車で大自然の中をツーリングするのは、
「何が起こるのか分からない」から面白い。

「答え」が「知識」で出てこないところが面白い。

子育てもそうだ。

親の思うとおりに子供を育てようとしたら、
たいがいは、自主性のない人に育つことでしょう。

自分の人生を自ら開拓するという能動的な人生を送りにくくしてしまう。
それでは、
自分の人生に「充実感」を得られないでしょう。

親が子供と一緒に大自然の中で親子キャンプをするのは、
この「不確実性」との戦いによって、
「耐える」力が、
「工夫」する力が、
子供にも、親にも、身に付くものだ。

こういうプロセスで「心」が成長するようにできている。

「快適」な生活だけでは、決してそういう「心の成長」は、望めない。

今度の休みには、子供の手をギュッと握って、
繰り出せ大自然のまっただ中へ!!


15/7/9(木)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園のお泊まり保育で、ここ日光に来て4日目。
疲れが溜まってきた。

思うように編集が進んでいない。
あぁ、眠い。

お終い。


15/7/8(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、幼稚園の経営者の先生と夕食をしているときに、
急に思い出したように幼稚園でのお祭りのイベントに、
大型テントを張って欲しいと依頼があった。

普通のテントではなく、
市販のシートと竹で作る。
それも24畳の広さのテントを張って欲しいという。

これは、
僕と僕の子供たちで編み出した「竹ハウス」のフライシートだけのものだ。

「15 竹ハウス」

動画では、12畳の広さだが、これの倍のものが欲しいという。
実は、二年前にも園庭にこれを建てて、よかったらしく、去年のお祭りにも張った。
だからこれで3回目だ。

幼稚園での僕の活動「流しそうめん」でもこれを張って日よけにする。
とっても実用的だ。

「14流しそうめん」

さて、今日はこれから、幼稚園のお泊まり保育で、
二泊三日をこの奥日光で過ごした子供たちが帰って、
次のお泊まりを体験する子供たちがやって来る日だ。

子供たちの入れ替えの日。
僕も含め先生たちも疲労が溜まってきているのだが、
何食わぬ顔をして次の子供たちに接していかなければならない。

でも、子供たちの顔を見ていると不思議なパワーがでてくるものだ。

僕の子供たちを「子育てを強く意識したキャンプ」でしごいたが、
ヘビーな親子キャンプをしても、
それで、嫌になることはなかった。

冬季キャンプは、僕は何もしないでひたすら寒い屋外で日本酒で暖まりながら、
一日中、子供の作業を見守っていたものだ。
それで、いつも風邪をひいて帰った。

僕自身も「辛い」「苦しい」「大変」がたくさんあった。

だから、ここで訴えているのさ。

子供も大人も、この

「辛い」「苦しい」「大変」

を乗り越えるときにこそ「心の成長」が起こるものだ。
「快適」に成長は望めない。


15/7/7(火)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園のお泊まり保育の仕事で、奥日光にいる。

昨日は、小雨が降ったり止んだりする天気の中を、
無事キャンプファイヤーができた。

日中の活動も予定通りできた。

そして、ビデオの編集用PCも持ってきて、
すでに昨日の編集を始めている。

もう20年以上これを繰り返しているうちに、
「じぃじ」になっちゃったよ。

なんでしょうか、
ちびっちゃい子を見ていると「生きる意欲」が湧いてくるね。
今日の活動も頑張るぞ〜〜〜。

気に入った仕事を手に入れられて幸せだ。
これからを生き抜く子供たちにもぜひ、
「物」ではなく「生きがい」を大切にした「生き方」を身に付けて欲しい。


15/7/6(月)朝 キャンプじぃじの日記

これから幼稚園のお泊まり保育の取材に行く。

二泊3日のお泊まりを、二回連ちゃんだ。
だから僕は、四泊5日を奥日光で過ごす。

カブスカウトでの言い方をすれば、「舎営」だ。
車に着替えやら、機材やら、満載した。

この仕事が面白くて、ビデオ屋になったようなものだ。
それでは、いざ、出陣!


15/7/5(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、小雨が上がったすきに「見沼代用水コース」をポタリングした。

今年の夏は、暑くなる前の午前中にここをサイクリングしようと思う。
周回コースなので、
例えば熱中症の危険があるときには、ショートカットすることが出来る。

自転車に乗ってボロアパートに帰ってきたら、また雨が降り出した。
そこで、玄関の前にキャンプ用の椅子をだして、
そこで読書と、シャレこんだ。

セブンでコーヒーを買ってきた。
ここのコーヒーは、ビックリするほどうまいねぇ。

ただ、僕はアメリカンをブラックで飲むのが好きなので、
ちょっと濃すぎる。
そこで邪道だろうけど、ちょっとお湯で薄めると最高だ。

そして、抹茶チョコをコーヒーに添えた。

ドアー、1枚を越して玄関の前でも、十分に「アウトドアー」になる。

面白い本を読んだ。

「国家がよみがえるとき」
古市 憲寿、トゥーッカ・トイボネン、他、共著
マガジンハウス刊 1,500円+税

サブタイトルに、
「持たざる国であるフィンランドが何度も再生できた理由」

この本を読んでいて、僕の「生き方」は、西洋風だったことがよく分かった。
フィンランドでは、18才ぐらいでは、親から自立するのが当たり前で、
いつまでも親の庇護を受けているのは「恥ずかしい」という意識があるそうだ。

僕の生きる感覚と同じだ。

しかし、「今」の日本では、
子供が30才を過ぎても自立させないで平気なことが多いでしょう。
「自立」の概念がないのかと思えるほど、
「親と子供」が相互に依存しあっている。

ここに「生き延びる」という生命体本来の「生きる意欲」が奪われる原因になっていると強く思えるようになった。
その結果、
「Hikikomori」という言葉が学術用語で国際的に通用するに至った。

でもこの現象は、あくまで「今」の日本でのことでだ。
つい、70年以上前までは、長男以外の子供は自立をして家をでるのが当たり前だった。

♪ うえのは〜おいらの〜こころのえきだぁ〜くじけちゃいけない・・・・♪

長男以外は、中学を卒業して東京に上京してこうして自立をした。

「親と子供の共依存」
「甘やかし文化」
「富を握りしめたまま戦争反対」

これらの根底にあるものは、
「自立」できない「心」だろうと思えてしょうがない。

「自立」を無視してフィンランドの教育を表面だけ真似っこしても、
それは、無理だ。
「自立」こそ子育ての本質だ。

これからを生き延びていく子供たちには、
ぜひ、
「自立をした一人の大人の社会人」を目指して子育てをしよう。

そしていつ潰れるのか分からない会社に「依存」して生きるのではなくて、
それぞれの子が自分の特技を身に付けて、
たとえ会社勤めでも「自立」した人に育てよう。

これからの時代は、今、大企業と言えどもいつ潰れるのか分からないよ。
ギリシャという国でさえ潰れそうではないですか。
どう?


15/7/4(土)朝 キャンプじぃじの日記

7月3日の読売朝刊「社会面」に「成田で爆買い 出発遅れ招く」

中国人の所得が増え、日本に「買い出し」に来ているという。
それが飛行機の出発時間を遅らせるまでになっているそうだ。

お金が手に入り「爆買い」をするのは、
なにも中国人だけではない。

アメリカ人は、
不動産を「爆買い」したのが破たんをしてリーマンショックを招いた。

日本人もバブル経済で「物」を「爆買い」しだした。
当時は、「爆買い」ではなく「大人買い」と言っていたが、同じことだ。

「爆買い」は、どこの国民でもやりだすものだ。

「15 江の島〜鎌倉」

それのしわ寄せは、「子育て」に出る。

一家団欒の楽しいひと時に、お父さんとお母さんと一緒に子供が過ごす。
こういう家族の大切なコミュニティを失いやすい。
これを犠牲にしてまで「物」を買いたくなってしまう。
「爆買い」でしょう。

それで、どこが「幸せ」なのでしょうか?
僕には信じられない、
「物で幸せを得る」ことが。

僕には、四人の男の子がいるが、
食べ盛りの時には、一週間で米を30`消費していた。
牛乳は、朝から1gパックを、2本、3本、毎日消費した。

もちろん、一家そろって毎日食事をした。
今、思い返すと、賑やかで「心豊か」な日々だった。
本物の「幸せ」を送っていた。

当時は、気が気ではなかったけど、
今、思い返すと、本物の「幸せ」があった。

僕は、上二人の子育てに、ドジを踏んだので猛省して下二人を、
アウトドアーの遊びで、「子育てを強く意識する」活動をした。

カブスカウトのリーダーを自らした。
年に70日も活動をした記録がある。

僕は、自分の子を自らの手で育てた。

今、思い返すと、賑やかで「心豊か」な日々だった。
本物の「幸せ」を送っていた。

僕は、このために、仕事量を減らした。
ここだ、僕は仕事量を減らしてまで子供に関わった。
それで、貧乏生活をずっと送っている。

この僕の貧乏生活は、僕にとって「勲章」だ。
「物」ではなく「自分の子」という関係を非常に重視した「生き方」をした証だ。

それで今、「心豊か」な老後を手に入れた。

若いお父さん、ぜひ参考にして欲しい。


15/7/3(金)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、予報で天気がいいらしいというのでペダルをこいだ。

晴れると熱中症の危険が出るので、
なるべく早い時間に走って、お昼には帰る・・・・
そこで、
移動距離に制限があるので、いつもの「見沼代用水コース」を走ることにした。

「15 見沼代用水コース」


マザー牧場の「ごちそうサマーキャンプ」のスタッフを、9シーズンやったが、
今年は、中止になった。
さて、この8月は、何をしようかな?

もうすでに仕事量を減らしたので、かなり暇が出来た。
そこで、大好きなサイクリング三昧ができるようになった。

生きている限り「生き生きと生きる」。

「生き生きと生きる」ということは、アクティブな人生を作り続けるということだ。
「気楽」「簡単」「便利」「快適」で怠けて生きることではないと思う。
そういう生き方に「成長」は、望めない。

「不便」「大変」「辛い」「苦しい」
これらを乗り越え、乗り越え、そう生きることだと思う。
だから、何らかの「成長」があって、それが面白い。

「生きる意欲」

これが原動力だ。

これは、「欲望」ではない。
自分の意志で、何らかの「成長」を勝ち得ようという気持ちが「意欲」だと思う。

「欲望」で生きている人は、金にならないボランティア活動をしないでしょう。
「生きる意欲」が旺盛だから、ボランティア活動をしてみたくなるものだ。

「欲望」で生きている人は、「募金」「献金」はしないでしょう。
「生きる意欲」が旺盛だから、誰かの「成長」のために、
それを捧げたくなる。

「欲望」で生きている人は、こういうことで「物」にこだわるのでしょう。

「生きる意欲」で生きている人は、自分の子供の心の成長のために、
夢中になって一緒に子供と遊びたくなるものでしょう。
ぼくは、そうした。

子供たちは、僕から自立をして生きられるようになったさ。
僕は、これから自分のためにも、サイクリング三昧をするのさ。

ただ自分のためだけではない。
僕の子供たちは、僕の生き方を見ている。

子供は、父親の生き方を真似っこするものだ。

こういうことで、この8月は、サイクリング三昧だ。
何も難しいことはない。


15/7/2(木)朝 復活サイクリストの日記

サイクリングの動画を1本、アップしました。

「15 がんこおやじに会う」

千葉駅まで輪行して、そこから九十九里浜、大原、までサイクリングの旅。
気持ちのいい海が見られます。


15/7/1(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、夜中の2時に起きて、それで日光へ行った。

とんぼ返りだったのだが、帰りの車の運転の眠さに辛かった。
今朝は、思いっきり寝たよ。

昨日の帰り道に、「志そまきとうがらし」をお土産で買ってきた。
この間のサイクリングで見つけた。

「15日光サイクリング」

伝統のある店らしい。

「落合商店」

サイクリングでの「目線」だからこそ、この店を見付けることが出来た。

「子供とたくさん遊ぶ父親の目線」

このことによって、子供を、

「自立した一人の大人の社会人」

に育てることが出来る。