スノーメン タイトル



お子さんと一緒にキャンプで遊ぼう!!
「子育ての面白さをお父さんに伝える」 ことを目指します。
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「 YouTube アップ中の動画」 

「教育」と「子育て」の違いを知って、心の強い子に育てよう!
         ページ■「キャンプじぃじの子育て論」
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〜子育てを意識した親子キャンプの動画〜

「プロローグ」                「工作で工夫を身に付けよう」

「初級編」 「中学生の心を育てる親子キャンプ」
「自立に向けた親子キャンプ」 「遊びの進化」 「雪中キャンプ」 
「親子キャンプ」 「刃物と火力の取り扱い」 「15 カレー作り」
「15流しそうめん」「14芋煮&手打ちうどん」「14けんちん汁&餅つき」
「15 灯篭作り&キャンプファイヤー」 「15 ハイキング」

エピローグ
「自分と子供の関係」 「自分と友人の関係」 「高校生で自立の訓練」

親子キャンプの基本を体験できます。 冬でも雨でも平日でも受付可能。
将来、
パパ自身で自分の子にキャンプを教えられるように、その技術をパパが体験します。

「パパだけキャンプ」 お問い合わせ・お申し込みは、メールでどうぞ

さぁ、繰り出せ親子でフィールドへ
       「アウトドアーの効用」 「サイクリング講習会」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜MENU 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
● SCCキャンプの活動報告は、実施日の次の日に掲載
● 親子キャンプ、子育ての話題は、「キャンプじぃじ」・・・子育て真っ最中の方へ
● 大流行、年寄りサイクリングの話題は、「復活サイクリスト」・・・・老後の提案
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15/12/31(木)昼 Snowmen Camp Club 活動報告

昨日の「けんちん汁&餅つき」は、大人と子供で総勢45名の参加だった。
キャパオーバーで、押しまくって午後2時ごろの昼食となった。

ただのレジャーキャンプではないことが伝わっただろうか?

この勢いで、これからも活動出来たらとっても嬉しいね。

今朝の4時まで、呑んで具合が悪い。 お終い。


15/12/30(水)朝 Snowmen Camp Club

本日、「けんちん汁&餅つき」を「さぎ山野営場」で行います。

また、
キャンプ・クラブの前身である「Snowmen Ski Club」の忘年会を
午後5時より「みさき」で行います。


15/12/29(火)朝 キャンプじぃじの日記

明日の「けんちん汁&もちつき」は、予定通り実施します。

「さぎ山野営場」に9時集合です。


15/12/28(月)朝 復活サイクリストの日記

新たに一本動画をアップしました。

「15 清水公園」


15/12/27(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、野田市の「清水公園」までばぁばと二人でサイクリングをした。

車の往来が少ない裏道や土手の上を走って行った。
ばぁばに合わせた走りなので、ほぼ一日がかりだ。
ただ、
上り坂では、僕の自転車がミニサイクルなので、置いてきぼりになりそうになった。

いつも二人でサイクリングをする時には、
おもちゃのインカムで通信できるようにしているのだが、
昨日は、ウッカリと忘れてしまった。

案の定、途中でばぁばがモタモタして、
ついてこられなくて迷子になって携帯がなった。
やっぱり、ばぁばには、インカム必携だ。

とても12月とは思えない暖かさで、のどかなサイクリングが出来た。
今日あたりに動画をアップしたいね。

「豊かさ」を「モノ」で得なければ気が済まない人は、多い。
そのために、子育てを疎かにしていないだろうか。

僕は、40才代では、子育てのためのキャンプをするために仕事量を制限していた。
それで、貧乏人なわけだ。
具体的には、カブスカウトのリーダーになって、その活動を年に70日もしていた。

僕は、「豊かさ」を「モノ」以外に求めたのさ。

それで、今ののどかな隠居生活を得ることが出来た。

人生の「豊かさ」を得られたんだよ。


15/12/26(土)朝 キャンプじぃじの日記

そもそも、「Snowmen Camp Club」というのは、
「Snowmen Ski Club」という仲間が前身だ。

そのスキー・クラブは、僕が高校の時にできた。
「Snowmen」という名前には、
「元気よくドンドンとコケてスキー遊びをしよう」という意味を込めて命名した。

「コケる」つまり転ぶということは、「失敗」を指す。

元気よく失敗をする。

そのことで、転ばないスキーが身に付くものだ。

これは、真理だ。

例えば、
乳幼児が二足歩行を始めだす時に、
何かにつかまって立ち上がっては、転ぶでしょう。

その「転ぶ」ということを体験で子供が学ぶので、
転ばないように歩くことができるようになれるのだそうだ。

だから、「歩行器」を使って、簡単に子供が歩けるようにしてしまうと、
大人になって、危ない転び方をしやすくなるそうだ。

実際に、そういう人に出会ったことがある。
転ぶときに、手を出して被害を最小限にするということができなくて、
顔面から転んで、顔中血だらけになった人を見たことがある。

子供が転んで、すぐに手を出す幼稚園の先生や親がいるが、
よほどひどい怪我をしていない限り、
子供自身で転んだら起き上がることを覚えさせなければ、
ちょっとしたことで、すぐに泣きだす子供になるでしょう。

「失敗体験」は、
生きていく上で非常に重要なものという「心構え」が必要でしょう。

そういうことで、僕は、小さい子を持つ親によくこう言う。

「失敗しないようにしてあげる子育ては、
              確実に失敗した子育てになる」とね。

「失敗を乗り越える強い心」に育てるのが本当でしょう。

こういうことで「Snowmen」という名前には、
この「失敗」を肯定的に捉えて、
それを「乗り越える」ということを身に付けるという意味が込められているんだな。

「乗り越える」

ここにこそ「成長」が起こるものだ。

「メゲない」、ここにこそ、飛躍のチャンスがある。

「乗り越える」


15/12/25(金)朝 キャンプじぃじの日記

メリークリスマス!

ぬくもりのある昨日の夜を迎えられたでしょうか?

子供がいなくても、ケーキがなくても、
じぃじとばぁばには、とっても素晴らしいクリスマスになりました。
目の前で、バイオリンとチェロの演奏も聞くことが出来ました。

さぁ、「パパだけキャンプ」を推し進めるぞ!


15/12/24(木)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、「さぎ山野営場」を整備した。
たぶん、
あと一回「けんちん汁&餅つき」の直前に整備する必要がありそうだ。

キャンプ場は、大きなおもちゃだ。
年中、手入れが必要なおもちゃだ。
でも、
おかげで、「子育ての面白さをお父さんに伝える」という活動ができる。

僕の人生が、こうなるとは、まったく想像できなかった。

考えてみると、
子供の障害も、なければ、
「子育て」についてこれほど深く分かることはなかっただろう。

人生で起こるいろいろなこと、
その一つひとつが、とっても不思議なことだらけだ。

目の前に起こる、どちらかというと、「トラブル」の類のものを
ポジティブに、そのまま、ありのまま、「受け入れる」ことができると、
不思議な方法で人生の「益」となる体験をしてきた。

奇跡の連続を感じるね。

「奇跡って、それを感じ取る能力だと思う」


15/12/23(水)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、無事、青唐辛子の漬物を川越まで買い出しができた。
国道を避けて北へ大回りをした。
もちろん、当てずっぽうで、桶川を抜けて自転車で走った。

そのあと、ばぁばが仕事で帰りが遅くなるというので、
風呂上がりに、最近オープンした居酒屋で呑んだ。
そこに、知り合いのカメラマンが来て、
愉快な夜を過ごした。

呑み過ぎた。 お終い。


15/12/22(火)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、見沼代用水コースをサイクリングした。
玄関から全走した。

自然の空気をタップリ吸って、気持ちいいのなんのって、もう最高。

今日は、「青唐辛子」を買いに川越までサイクリングをしたい。
調子が良ければ、全走したい。

歳をとって、どんどん体力が落ちるのが分かる。
走れるうちに、後悔のないようにたくさんサイクリングしたいね。
若いころに覚えた趣味は、本当にいい。

健やかで、あと10年ぐらいしか働けないだろう。
もうカウントダウンさ。
それまでに、
フルタイム人生を思いっきり生きていきたいね。
「パパだけキャンプ」も大いに盛り上げたい。

子供たちとの思い出を土産に天国へ、行けるかな?・・・・
ダメ?・・・・

ちなみに、多くの日本人は、天国へは行けないことを知っているでしょうか?
多くの日本人は、
死んだら「彼岸」へ行くことになっています。

「彼岸」に渡るのに「三途の川」があるんだな。
生前、良いことをした人は、楽ちんに橋を渡って「彼岸」へ行けます。

しかし、モンスター・ペアレントみたいに人に迷惑をかけた人は、
その「罪」に応じた裁きがあるんだな。
詳しくは、お寺で聞いてください。

日本神道を信仰している人は、死んだら「草葉の陰」に滞在します。
詳しくは、神社へ行って聞いてください。

死後の世界を目の前にしているキャンプじぃじでした。
みなさん、子供との思い出をたくさん作って、よい人生を。

建物や車といった「モノ」は、彼岸に持って行けませんからね。


15/12/21(月)朝 キャンプじぃじの日記

毎年のことながら、昨日は「クリスマス」のハシゴだった。
ちなみに、お釈迦様の誕生日は、4月8日ね、甘茶を飲んで祝うものさ。

いつだったか、韓国人のおばさんがやっている居酒屋で呑んだことがある。
その韓国人に、
「なぜ日本人はクリスチャンでないのに教会で結婚式をするのか?」
と、尋ねられた。

答えは、簡単だ。
信仰なんて関係ない。
ただ、楽しければなんでもいいだけのことだ。

その韓国人は、とっても不愉快そうだった。
日本の常識、世界の非常識が、日本の個性だ。

その最たるものが、「子供を自立させる気がない」ということだろう。

そういう中、
今年は、
「パパだけキャンプ」で子供の成長を願ってパパたちがロープワークに挑戦した。
それも三回もできたことは、本当に嬉しい。

僕の活動のこれが飛躍の年となりますように。

そして、ここを読んでくださっている方の上にも、
とっても大変だけど、「自立」の素晴らしさが伝わりますように。

今度は、「けんちん汁&餅つき」の企画準備だ。
すでに参加者がオーバー気味。
あとは、「天気」次第だ。


15/12/20(日)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、高校を18才で卒業をして、すぐ自立を果たした。

だからこそ、
自分の力で自分の人生を切り開くことが「当たり前」に思っている。

10年間のサラリーマン生活、脱サラ、今の仕事の商品開発、販路拡大、
子供がグレてしまって、
本当の子育てを考え実行もした。

もちろん、子供たちには、積極的に自立を促し、
子供が自立を果たした。

それで、アッという間に「じぃじ」になった。

全人生を見渡して「自立」が根底にあったからこそ、今の「自由」がある。

これの逆を多くの日本人がしていることを、
最近になって理解することが出来た。

親も子も「自立」できないまま、
ベタベタと一緒に暮らすことを「正義」にしている様子だ。

子供は、婚期を外しやすくなり、
自立が出来ない親の介護に振り回され、
子供にとって、ひどく残酷な人生を強要している親が多いと思う。

子供は、親の所有物ではない。

子供には、子供の人生がある。
それを不純な「親孝行」を振りかざして、
まるで子供は、親の奴隷に僕には、見える。

僕は、「子供の自立」を考えて、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」ボランティア活動を始めて、
今年、三回も最大の目当ての「パパだけキャンプ」ができた。

しかし、この活動に興味を持つ父親は、非常に少ない。

なぜだろうか、
考えてみたら「親が自立できていない」ことが原因であることが分かった。

「パパだけキャンプ」では、
「子供の自立」だけではなく「親の自立」についても語っていきたい。

「親子の共依存」という負の世代間連鎖を起こしている。
それで、結果として、
「親殺し」「子殺し」がここ日本には、やたらに多いのでしょう。
ここに注目して欲しい。
これ、不幸でしょう。

生きている間に、「パパだけキャンプ」が軌道に乗りますように。
僕の人生最後の挑戦だ。

親も子も・・・・「自立」しよう!


15/12/19(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、この間の「パパだけデイキャンプ」のDVDが出来上がった。
非公開のため、それのナレーションだけだが、ここに掲載します。

15-3 パパだけデイキャンプ ナレーション

この「パパだけデイキャンプ」は、
パパが将来、子供にキャンプを教えるために、
パパ自身がキャンプ技術を体験で覚える企画です。

パパにキャンプを教わる子は、とっても幸せですね。

親子キャンプは、いろいろな体験をとおして親子で成長できるものです。

まず初めに親子キャンプの基本中の基本、タープ張りです。

おやおやおや・・・・
キャンプじぃじが「もやい結び」を忘れてしまいました。
「ボケ」も自然現象ですね。

次に、テーブルを竹と紐で工作をします。
「角結び」を体験しました。

どう? テーブルを工作しましたよ、パパの株がアップ、アップ、です。

さぁ、これから昼食準備です。
少量の炊飯に挑戦します。
二つのコッヘルで、それぞれ1合半の米を炊きます。
合計三合ですね。

米は、こうして、シェイク、シェイク、して研ぎました。
だいたい三回で研げます。
この少量の炊飯では、米と水の分量を正確に量らなければなりません。
米、1.5合に対して、水はそれの1.2倍です。
ですから水は、324ccになります。
これより若干多い分には、OKです。

米を浸している間に、買い出しです。
「きのこ鍋」を作ることになりました。
スノーメン・キャンプ・クラブで他の活動では、
この買い出しを子供にやらさせます。

子供が間違ってもいいのです。
その間違いをとおして、子供たちは「間違えないよう」にすることを学びます。
ここがとってもいい「子育て」になりますね。
ご家庭でも同じようにしましょう。

コッヘルには、個人用のコッヘルセットと、
このようにグループ用のコッヘルセットがあります。
グループ用のもので調理をして、個人用のコッヘルは、配膳に使います。

紙コップ、紙皿、などは使わないようにして、
子供に資源の無駄遣いは、よくないね、と、パパが教えられたら最高ですね。

さぁ、1.5合の少量を炊飯しますよ、うまくできるかな?

調理の前に、手洗いを確実にしましょう。
手のあらい方も、手の平、甲、指の間、つめ、最後に手首もよく洗いました。
これは、普段の家庭生活で即実行できますね。
風邪予防にもなります。

ダシは、沸騰している湯に、花かつおを入れて、再沸騰したら、
弱火で2〜3分煮込むと濃いものができます。
アウトドアーでは、味は濃い方がおいしいものです。

おいしそうな「きのこ鍋」ができました。

工作したテーブルに配膳して、いただきま〜す。

食べ終わったら、すぐにこうしてコッヘルをティッシュで汚れをふき取ります。
こうすることで、洗い水が少なくて済みます。
基本的に、キャンプでは、環境保護のために洗剤を使いません。
ぜひ覚えておいてください。

子供と有意義な、子育てのためのキャンプを目指して、
こうして、パパ自身がキャンプ技術を体験しました。
子供思いの素晴らしいパパたちでした。


15/12/18(金)朝 キャンプじぃじの日記

今から20年以上前のことだ。
今の商売を立ち上げるために、僕は必死で「飛び込み営業」をしていた。

どんなことでも「必死」に取り組める「心」次第で成就するでしょう。

おかげで、今まで幼稚園専門のビデオ屋で生活をすることが出来た。
その「飛び込み営業」で得た顧客の内、
園児数が80名の小さなところがあった。

そこは、年長児数、30名ぐらいだったと思う。
それでも、ここで「卒業ビデオアルバム」を作った。
売り上げでたった十万ちょっとで、一年間を取材した。

誰がどう考えても「商売」にならない。

なぜ、ここで「卒業ビデオアルバム」を作ったのかというと、
それは、

「職員室」の雰囲気が気に入ったからだ。

当事者では、気が付きにくい「空気」がある。
僕のように、たくさんの職員室を見てくると、
そこの園の「雰囲気」がよく分かるものだ。

そこの職員室は、古くて、とても立派とは言えなかったが、
何か、エネルギッシュなものを僕は、感じた。
僕自身、スタートアップして伸びようとしていたから、大いに共感した。

20年以上たって、そこは園児数で300名を越す大所帯になった。
僕の「勘」が大当たりした。

何かに「必死」に取り組む姿は、周りに感動をふりまくものだ。

子育てで最も重要なのは、
「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てて、
「何かに必死に取り組む」ことが出来るようにすることでしょう。

しかし、今の子供に多いのは、「そんなの、おっくう」を連呼する。
冷めている子が多いことではないかな。
これは、親の影響が大きい。

その必死に取り組む「何か」は、
親の好みではなくて、子供自身がやってみたい仕事であるべきでしょう。
ここのところに「親の自立」も必要になるね。

園児数が、80名から300名まで引き上げた先生が、
僕の活動、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

このボランティア活動を支援してくれたんだな。
そのおかげで、
今年、

「パパだけキャンプ」の企画を三回も実行できた。

パパが子育てに情熱的に取り組めば、
必然的に、のびのびと思いっきり生き抜く子が育つことでしょう。

子も親も、「自立」出来ていれば、
親も子も「生きる充実感」が得られるでしょう。

その情熱的に保育に取り組んだ先生だからこそ、周りが成長した。

つまり、

お父さん自身が子育てに情熱的に取り組むことで子供が育つんだよね。
簡単なことだね。


15/12/17(木)朝 キャンプじぃじの日記

年内の取材は、昨日で終わった。
編集が溜まっているけど、これから三週間以上 off る。
人気のないカメラマンなんでね。

子供がいたころは、この「off」が恐怖に近かったけど、
子供がいない今は、「隠居生活」を楽しめる時間となった。

今日は、お昼から、松戸市にある「北小金」の通称「アジサイ寺」の参道にある店まで、
「青唐辛子のしそ巻」を買いに行く。
「アジのなめろう」に使うのがマイブームだ。

もちろん、久しぶりに自転車に乗って行く。

のどかな余生さ。

仏教でいう「煩悩」に囚われなければ、本物の「自由」が手に入る。

キリスト教では、「あらゆる被造物を拝むな」と教えている。

同じ意味でしょう。


15/12/16(水)朝 キャンプじぃじの日記

「就活」

僕の時代にこんな言葉は、なかった。
この「就活」こそ、社会に子供が出て最初の「営業」だ。

だから、
あらゆる仕事の、職種の、一番初めにあるものがこの「営業」となる。

例外もあるらしい。
「試験」に合格さえすれば、「職業」が与えられる仕事。

こういう場合、「営業」を体験しないのだから、
そこに必要な「心構え」を学ぶことができないことになる。

はたして、
そういう「営業」ができない人が「グローバル」社会で生き延びられるのでしょうか?

いくら、「英語」が喋れても、「営業」の能力がなければ、
現実社会では、相手にされない場面がかなり多いでしょう。

今は見かけなくなった「13日間、地獄の特訓」と題した「営業スキル」の講習会があった。
聞いた話では、
企業の中堅の社員にこれを受けさせると、脱サラされてしまうとか。
それが原因かどうかは、知らないが、最近にはこの講習会の案内がなくなったね。

名の通った企業、例えば「SONY」とか「東芝」とか・・・
そこに「就社」できたから、
「これで一生涯安泰」というわけにはいかなくなったでしょう。

こういう「今」の現実社会をよく考えて「子育て」をしなければならないことが分かるでしょう。

だからこそ、

「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てることがいかに重要かも分かるでしょう。

「自立」ということが日本人の苦手であることが、
これからを生き抜く子供たちにとって、
どれほど足かせになってしまうことでしょうか。

「営業力」これは、
「交渉力」や「問題解決能力」「アイディア創出能力」「提案」、
こういった「人と直接かかわる」能力の総合なのです。

「暗記」だけでは、太刀打ちならない能力。

僕は、「親子キャンプ」を通して、子供にキャンプというプロジェクトの

「下見」「計画」「準備」「安全対策」そして「感想文」という作業の流れを教えた。

最後の「感想文」は、ボーイスカウトでは「評価反省」になるし、
企業では、「報告書」になるでしょう。

これで、学力最下位だった子が「自立をした一人の大人の社会人」になったよ。

レジャーが目的のキャンプではなく、
子育てを強く意識した「親子キャンプ」という遊びは、
「生き延びる」ためのあらゆるスキルを体験で覚えることができるのさ。


15/12/15(火)朝 キャンプじぃじの日記

足の「浮指」

小学校の合奏を撮るのに、
マイクケーブルを体育館の床に這わせたのだが、
子供たちが、その5_ほどのマイクケーブルに足をひっかけて、
たくさんの子が転んだ。

ある日の読売に、今の子供の8割りは、足が「浮指」なのだそうで、
不安定な状態で歩いているそうだ。

原因は、「子供が足を使わなくなった」ことだそうだ。

昨日、クリスマスを撮るのに、ある幼稚園に行っていた。
小学校と同じように、幼稚園のホールにマイクケーブルが這わせてある。

2時間近く観察をしていたが、
どの子もマイクケーブルに足をひっかけて転ぶことがなかった。

実は、この幼稚園の園庭が凸凹していて、
毎日そこで子供たちが走り回っている。

聞いた話では、
わざわざ園庭を凸凹させているそうだ。
だから、そこの幼稚園に初めて子供が通う頃は、コケまくっているのだとか。

凸凹園庭で、鍛えられて足の「浮指」が補正されているらしい。

凸凹という「快適」ではない環境だからこそ、
「足」が鍛えられて転ばない子が育っているわけだ。

身体的なことだけではないでしょう。

些細なことで大騒ぎをする「モンスターペアレント」は、
「快適」が「当たり前」に生活をしているうちに、
「耐える」ことが出来ない「心」になってしまっているでしょう。

そういう親に育てられる子供がどうなってしまうのか・・・・・

「高慢ちき」

こうして、まだ小さい内にこれを身に付けてしまうものらしい。

そのまま大人になってしまうと、
「能力がないのに、空威張り」するようになるのでしょう。

世代間連鎖が起こりやすくなる。

男の子なら、
人気テレビ司会者のドラ息子を思い出すといい。

女の子なら、婚期を外しやすくなる。
晩婚化の問題は、本当はこれが一番の原因と思えてしょうがない。

凸凹の「快適」ではない園庭だからこそ、子供が育つ。

「心」も、「不便」「大変」「辛い」これらを乗り越えたときにのみ、
些細なことに大騒ぎするような人ではなく、
「耐える」ことのできる強い人に育つのでしょう。

僕が仕事を立ち上げる時期には、しきりに「飛び込み営業」をした。
「心」が貧弱では出来ない。

「飛び込み営業」

「能力がないのに空威張り」する人が、まず出来ないことでしょう。

「快適」な生活をしていれば、しているほど、
親子キャンプで、「不便」な生活環境をたくさん体験させるべきだね。

子供をワイルドに育てよう!


15/12/14(月) Snowmen Camp Club 活動報告

12月13日 「パパだけデイキャンプ」実施

三回目の「パパだけキャンプ」ができた。
今年から SCC の企画に参加をするようになったパパと、
知り合いのカメラマンのパパの二人に参加をしてもらった。

旗揚げをパパにしてもらった後、
その二人で、「タープ張り」と「テーブルの工作」、
「昼食準備」をした。

少量の米を炊くコッヘルで炊飯の練習をした。
二つのコッヘルで、1.5合ずつ3合を炊いた。
この「少量」では、正確に分量を量らないと失敗をする。

僕は、1合の半分の量の米を炊くことが出来るから、1.5合は簡単だ。
そのノウハウを伝授した。

今年から参加をするようになったパパは、
前回の「パパだけ」で「手打ちうどん」をやったのだが、
家庭でもそれに挑戦したそうだ。

僕のこの活動で得たものを家庭でフィードバックする・・・・・

ぜひ、キャンプ技術だけではなく、
「子育てのノウハウ」もフィードバックできるような活動にしていきたいね。

「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てる。

これを目標にした「親子キャンプ」をパパが目指してもらえたら、
この活動が成功する。

おぼろげながら、成功が見えてきたね。
なんて愉快な人生なのでしょうか・・・・・

自分の「夢」を実現化する面白さは、格別だ。

「生き方」

「モノ」に執着するのではなく、「生きるソフトウエアー」を磨く人生。
こういうのもパパたちに伝えられたら、
鼻血が出そうなぐらい嬉しいね。


15/12/13(日) Snowmen Camp Club

本日、

「パパだけデイキャンプ」を実施します。


15/12/12(土)朝 キャンプじぃじの日記

明日、「パパだけデイキャンプ」を予定している。

この活動は、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

ことを目標に行う。

「面白い」ということには、能動的な愉快さが言葉にあるでしょう。
能動的というところには、何らかの「大変」「辛い」「苦しい」があるのだけど、
それを元気よく乗り越える、こういった意味合いがあるでしょう。

パパが元気よく不便なキャンプに挑めば、
自ずと子供も、それを真似っこをする。
こうして、
親子で「心が強く」なるわけだ。

父親が、「快適」な生活に溺れるようにしていると、
子供も、当然のように「不活発」になってしまいやすいでしょう。

「便利」「簡単」「快適」

これを「当たり前」にして生きていきやすくなるでしょう。

「おっくう」・・・・これの原因になる。

子供の「足の浮指」という現象は、
この十年で倍増して約8割の子供がなっているそうだ。
主な原因は、

子供が足を使わなくなった。

ことだそうだ。

この事実は、
いかに今の子供が「快適」に溺れて生活しているのかを証明しているでしょう。

その子にとって丁度いい
「大変」「辛い」「苦しい」という体験。

その子にとって丁度いい
「満たされない」「不足」した体験。

こういう体験こそが、
その子に「生きようとするエネルギー」が芽生えるのでしょう。

キャンプは、
こういうことで今の子供の「満たされ過ぎ」を補正する貴重な体験になるわけだ。

たくさんキャンプ体験を積み重ねて育った子供は、
人生を送る上で必ず遭遇する「大変」「辛い」「苦しい」ことに強くなるのさ。
鍛えた分、人生の逆境に強くなれる。
簡単なことだよね。

パパの「やる気」次第さ。


15/12/11(金)朝 キャンプじぃじの日記

子供が幼稚園に通うぐらいの小さい内に、
パパが子供と遊ぶ習慣を持つ。

このことで、小学校に子供が通うようになっても、
レジャーランドへ連れて行くのではなく「子育てを強く意識した子供との遊び」
が出来るようになるのでしょう。

そこで、
幼稚園で「子育ての面白さをお父さんに伝える」という活動を、
ある先生の非常に協力的なご好意で、
活動のパンフレットを配らせていただいている。

約100園児中、2〜3家族の反応がある。
かなり少ないパーセンテージでしょう。

大方が活動の意味が分からないということだろうと思うが、
「父親がおっくう」というのも多そうだ。

この「おっくう」という気持ちこそが、
僕の大きな壁となって立ちふさがっている。

それでも、その数パーセントの家族が、
逆に熱心で、
この間の「芋煮会&手打ちうどん」に参加をしてくれた親子が、
今度の「けんちん汁&餅つき」にも来てくれる予定となった。

わずかながら、すこしずつ「根が下す」傾向になってきたようだ。
とっても嬉しいね。

僕が今の仕事を立ち上げるとき、
しきりに「飛ぶ夢」を見ていた。
心理学的に、何か飛躍をしようとする時に「飛ぶ夢」を見るそうだ。

昨日の夜、
僕は、高いところが嫌いなはずなのに、
参加者の子供を抱いて、大空を飛ぶ夢を30年ぶりに見た。

30年ぶりに飛ぶ夢を見たんだよ。

とっても愉快で清々しい朝を迎えることができたさ。
なんて、僕は、貧乏でも滅茶苦茶、幸せなのでしょうか。
僕自身の家族のことではなくても、夢が見られるなんてね。

「モノ」に執着した生き方ではなくて、本当に良かった。

本当に大切なものは、目には見えないものさ。
それは、心の中にいつの日か宿ってくれる。


15/12/10(木)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園での仕事をしているわけだが、
来週の金曜日には、どこも終業式になる。
僕の今年の仕事は、だからそこまでだ。
もうちょっとで、隠居生活になる。

そういう中で、今度の日曜日には、
「パパだけデイキャンプ」がある。

当日には、夕方に「クリスマス」を撮るために幼稚園へ仕込みをする。
ヘビーなスケジュールだが、
この活動こそが、僕の目指す最大の目標になるので頑張っちゃうわけだ。

目標
「子育ての面白さをお父さんに伝える」

気楽で簡単で楽しいのではなく、
子育てが大変なんだけど、面白い。
辛いことや不便なことがあるのだけど、それがワイルドで面白い。

こういう「面白い」を親子キャンプをとおして、パパに伝えたい。

「大変」「辛い」「不便」があるので、
「快適」に溺れるように生活をしている人には、嫌われる活動だ。

「気楽で楽しい」主義の人から強烈な抵抗にもあっている。
こうなると「反対勢力」だ。

でも、それをどう乗り越えられるのか・・・・
若いお父さんの見本になるだろう。
そして、「乗り越え方」をお父さんが子供に教える教材になるだろう。

貴重な教材になるから、克明に記録したい。

「大変」「辛い」「不便」
これらを「乗り越える」ときにだけ、「心の成長」が起こる。

「心の成長」こそ、
本人はもとより、周りの人々に「生きる感動」をまき散らすものだ。

この「心の成長の感動」を味わうことで、
親も子も情熱的に人生を送って行けるものでしょう。

ぜひ、「パパだけデイキャンプ」でこのことをパパに伝えていきたい。


15/12/9(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、予定通り「見沼代用水路コース」を久しぶりにサイクリングが出来た。
完全冬モードだった。
足ホカロンにシューズカバー、ネックウオーマー、スキー用手袋、ニット帽子、
ドロップバーを握って、とっても気持ちよかったね。

そして、キャンプ場整備。
これで一日が終わった。

最近、晩御飯は僕が作っている。
「家庭の主夫」をやってるんだよ。
オリジナルの鍋だしで、鶏団子鍋を作った。
あと、「あじのなめろう」、「ナスのバターみそ炒め」、
これらをビールもどきのつまみにした。

ばぁばと二人暮らしだ。
二間のボロアパートで十分だ。

みんな、僕のように「貧乏でも幸せ」を得られる生活をすれば、
地球環境が悪くならないのだが。

みんな、僕のように「貧乏でも幸せ」に生きられれば、
これこそが本物の「平和」を得られるのだが。

「富」「豪華絢爛」を追い求めるところに「争い」や「戦争」が起こる。

最近では、「大塚家具」で、親子の「争い」があったね。
税務署の方の話しでは、
相続で一億以上あると、だいたい兄弟の仲が悪いそうだ。
これ、いくら豪華な生活をしていても「不幸」でしょう。

国の「富み」こそが、戦争の火種になる。
これだけ、「富」を日本が得てしまったのだから、
何らかの「争い」を避けられなくなってきている。

「富」こそがあらゆる「争い」の火種になる。

僕の貧乏生活には、「平和」が漂っているよ。

みんな「質素な生活」を始めれば、「平和」が得られるのさ。

そうだな・・・「断捨離」をよく読むといいと思うね。
まったく同じことが出来なくても、

「欲しいモノ」は、「不要なモノ」に気付けるようになれるさ。
「質素な生活」の第一歩だ。

これからを生き抜く子供たちには、

「質素で十分に幸せ」を得られるように育てるのが、
正真正銘の「親の愛」でしょう。

「モノ」や「金」「権力」で子供に「幸せ」だね、なんて言葉や態度を示すと、
いとも簡単に、
「高慢ちき」な子供になってしまうよ。

人気テレビ司会者のように、ドラ息子の「高慢ちき」で仕事が干されるという、
「不幸」を味わう羽目になりかねないよ。

親子キャンプという「疑似貧乏生活」で、
子供に「質素」でも、とっても面白いということを覚えさせたいね。
パパ次第だ。


15/12/8(火)朝 キャンプじぃじの日記

今度の日曜日、12/13 には、「パパだけデイキャンプ」を予定している。
前日の、金曜日と土曜日の天気予報が雨なので、
キャンプ場整備を今日しなければならない。

たぶん、今から整備しても、当日には落ち葉が積もってしまうだろうなぁ・・・・

ついでに、久しぶりに「見沼代用水路コース」を自転車で走ろうと思う。

「モノ」や「金」を追う人生でなかったから、
遊びのノウハウをたくさん得られたんだよ。

家のローンでいっぱいで、
「遊び方」のノウハウが得られないで定年になると、
とたんに「やること」や「目指したいこと」がなくなる人たちがいる。

「モノ」中心に生きて、
人生の「ソフトウエアー」に無関心だったんだな。

何か特技があれば、少しはましな人生になるね。

最近、著作で「モノ」離れしようというものがチョクチョクと見かける。

「欲しいモノ」は、たいがい無駄なモノ。
その「無駄」に人生のエネルギーを使い果たしてしまうので、
「本当に必要なモノ」や「生きるノウハウ」が得られないということでしょう。

「必要なモノ」

なぜか、僕にはキャンプ用品が揃っているよ。
キャンプ場まである。
これ、でかいおもちゃだ。
手入れが大変。

子育ても同じだね。
「モノ」に執着するから「子育てがおっくう」になるのでしょう。


15/12/7(月)朝 キャンプじぃじの日記

年内の納期のものが、やっとメドが立った。
安堵。

こういうことで、ちっともサイクリングが出来ない。
もう空気が「冬」だ。

もうちょっとで、隠居生活再来だ。
今日も一日頑張るぞ!

あと、何年こうして生きていられるのだろうか・・・・
限られた余生を思いっきり面白がって生きていきたいね。
陳腐な仕事はしたくない。

「楽しい」ということと「面白い」という言葉は、
どこか響きが違うでしょう。

「楽しい」という言葉には、受け身的な喜びを指すような感じがする。

それに対して、
「面白い」という言葉には、どこか能動的な喜びが漂っている。

そこで、僕は、ここの書き込みには「面白い」という表現を多用している。
「楽しい」というフレーズを使うときには、

ただの「消費」で楽しい。

こんな具合にしてきた。

「子育てがおっくう」
こういう父親の真似っこを子供が始めると、
子供は、

「そんなの、おっくう」とか、「そんなの、めんどう」と言い始める。

「消費」主体の普段の生活態度で、こうなりやすくなる。

逆に、父親が積極的に物事にトライしていて「面白く」生きていて、
さらに、その情熱を子育てにも父親が挑戦すると、

子供がそれを真似っこして、物事に挑戦できるようになる。

いくら学校で最高級の「教育」を受けても、
父親の愛情をタップリと子供が感じられないと「おっくう」になる。
それで、
こういう子は「楽しい」という受け身の刺激を求めやすくなるのでしょう。

ディズニーランドで「楽しかった」ね。
こんな具合だ。

父親自身で自分の子供の子育てを情熱をもってやると、
子供は、いつしか、
「面白い」という能動的なことを求めて生きやすくなるのでしょう。

テーブルを工作して、ワイルドなキャンプができて、
チョウ面白かったな。

「楽しい」だけを求めて生きたのと、
「面白い」を求めて生きたのでは、
人生の充実感がまるで違うだろうことは、容易に想像できるよね。


15/12/6(日)朝 キャンプじぃじの日記

「高慢ちき」の「個性」は、ほぼ幼児期に固まってしまうように見える。

「モノ」で「立派」とか、
「権力」で「空威張り」する「個性」は、
幼児期には、もう出来上がってしまうように見える。

「塾通い」をこどもが「ステイタスシンボル」にしてしまうこともありそうだ。

同じ意味で、大学で何も身に付けないのに「大卒」をステイタスにしてしまう。

「モノ」や「金」「権力」、
こうしたことで「子供に幸せだね」と言葉がけや態度で親が示すと、
それがこういう「子育て」になるわけだ。

さらに、そこに「父親の愛」が欠如をすると、
子供は、本当は「父親の愛」に飢えているのだが、

「モノ」や「金」や「権力」で、それの代償にしてしまうものらしい。

問題は、こう育てられた人が、人の上に立つ時だ。

「問題解決能力」「リーダーシップ」「人の観察力」
こういったリーダーに絶対欠かせない能力がないまま、
「モノ」や「金」や「権力」で、集団を操ることになる。

そこに雇われている人たちは、不幸を散々味わうことになる。

「能力」「実力」が伴わないリーダーは、極めて社会的に問題があるね。

「モノ」「金」「権力」
これらを「ハードウエアー」だとしたら、

「能力」「実力」は、ソフトウエアーになるでしょう。

このソフト力こそが、「子育て」になるんだな。

「子育てを他人任せ」にして「モノ」や「金」で、高慢ちきに子供が育ってしまったら、
その家族は、本当の不幸を味わうことになる。

人気テレビ司会者のドラ息子が東京大学を卒業してはいても、
職場で「高慢ちき」を繰り返し、
挙句の果て、
社会的失態をしでかし、父親の人気テレビ司会者が、仕事を干された。

この「高慢ちき」がいかに社会的に問題があるのか、
とっても、分かりやすい事例だ。

父親自身でシッカリ子育てに挑み、

「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てよう。

これには、ノウハウがあるさ。
それを、

「パパだけキャンプ」

で伝えていきたい。

父親が真剣に自分の子育てに挑むことで、

父親自身が本物の「オヤジ」に成長できるものなのさ。

歳相応の「成長」がないことを「幼稚」と呼ぶ。
「幼稚」は、本当に恐ろしいことだ。


15/12/5(土)朝 キャンプじぃじの日記

僕の四人の男の子の内、
上、二人がグレてしまって、僕は子育てを失敗する体験をした。

その反省で、下、二人は、ボーイスカウトに入れて、
僕自身もそのリーダーをやったわけだ。

この体験で、僕は、
子育てには間違えなくその基本があると、ここで訴え続けている。
生きている限り、しつこく言い続けるさ。

「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てる。

これを父親が真剣に取り組んでいれば、大きな失敗は、まずないだろう。

僕は、子育てでとんでもない失敗と、
子育てに真剣に取り組んだのと、
どれほどの違いがあるのかを身をもって知っている。

昨日の夜は、その放蕩息子の内の次男坊と酒を交わした。

次男坊がここにきて大人しくなったのは、
次男坊が小さかった頃の、僕との「思い出」があるからだ。
子育てが極めて下手くそだった僕との思い出だが、
次男坊にも、
サイクリングやキャンプの思い出がたくさんある。

年に一度、豪華絢爛な海外旅行やレジャーランドでのものではない。
とっても質素なアウトドアーでの思い出がたくさんある。

豪華賢覧な遊びは、子供を高慢ちきにしやすい子育てだ。
気を付けた方がいい。

それだけではない。
何の不便もなく「快適」を浴びるように子育てをすると、
やはり、子供が高慢ちきになりやすい。
さらに、子供が「不活発」にもなりやすい。

これは「知識的教育」ではなく「心の成長」の問題だ。

人生を元気よく思いっきり生き抜くためには、
だから、
「不便」「大変」「辛い」「苦しい」
という「人生の訓練」が不可欠なんだな。

「艱難は幸いです。それで人生が鍛えられると本物の希望を手に入れられます。」

放蕩息子だった次男坊と、居酒屋で酒を呑み交わすことが、
僕にとってどれほどの、本物の幸せなのか、
とても書き表すことが出来ないのが、歯がゆいね。

長男だけが、未だ音信不通だ。
子育ての失敗の痛みは、まだ続いている。

「パパだけキャンプ」を何が何でも軌道に乗せる。
これの動機になっているのでしょう。

僕の「希望」は、ここに行き付いたのさ。
人生は、滅茶苦茶面白いね。


15/12/4(金)朝 キャンプじぃじの日記

今日は、「さぎ山野営場」の地主さんに、挨拶をしにいく予定だ。

キャンプ場を開墾して、今度の正月で満6年になる。
初めは、知り合いのボーイスカウトの活動のために開いたのだが、
最近は、滅多に使っていない様子だ。

だから、
キャンプ場整備も、必要な時にだけするようになった。

開墾当初は、面白くて毎日キャンプ場整備をしていたものだ。

逆に、「Snowmen Camp Club」では、ここを年間5回程度使うようになった。
来年度は、
「流しそうめん」や「パパだけキャンプ」で「さぎ山野営場」を使うようになれば、
BSよりもはるかに多く利用する見込みになる。

僕は、子育てが終わって、
子育てのためのキャンプをもう止めるつもりだったのにね。

キャンプにとりつかれているようだ。

僕の趣味は、サイクリングなんだがなぁ・・・・
ここのところ、ちっとも自転車に乗れないでいる。

思ったようにならないのが人生だ。

人生を仏様に委ねることを「他力本願」と言う。
人生を神様に委ねることを「しもべ」と呼ぶ。

どちらも、「自分中心」に生きることを放棄することで、
本物の「自由」が得られると教えているのさ。


15/12/3(木)朝 キャンプじぃじの日記

北京での大気汚染が深刻な状態だそうだ。

市民がマスク無しで外に出られないとテレビの中で不平を言っていた。
その市民自体が大気汚染の原因であることには、まったく無頓着だ。

地球温暖化の問題は、このようにして人類の「快適」で、
たった100年かそこらで急激に悪化している。

ちょっと前に流行った「自己ちゅう」・・・自己中心

これは、個人がシッカリと「自立」をする「個人主義」とは、別物だ。

自分さえよければいい・・・・これが自己中心でしょう。

幼稚園では、モンスターペアレント、
一般企業では、ヘビークレーマーと呼ばれる人が、これに当たる。

今、カメラを修理でメーカーに出すために電話をかけると、
必ず、「この電話を録音します」という自動案内になる。

この間、文句タラタラの取引先でこの手を使ってみた。
とたんに大人しくなったね、その効果絶大だ。
笑えるほどだった。

そのヘビークレーマーは、「先生」だよ。
先生がこれだものね・・・・
キッパリともう取引をしないと宣言した。

2〜3年前の話しだが、
幼稚園のお泊まり保育で箱根に行ったときのことだ。

僕の取引先の幼稚園では、事前に体育館を予約していた。
その日、雨模様になったので、
子供たちを体育館で遊ばせようということになった。

僕がフロントの前を通り過ぎようとしたときに、
小学校の女の先生が、なにやらホテルの方に、怒鳴りつけている。
大声で、そこに居合わせたすべての人が聞こえる声でね。

そのクレームの内容は、
「なぜ雨なのに体育館を使わせないのか」ということだった。
ホテルの方が、体育館は予約制です、と、説明していた。

確かに、先生の中には、熱血教師も存在するけど、
「粒ぞろい」には、決して出来ない事実がある。
中には、「知識的」だけでの教員免許で働いている人もいる。

そんなことより、
教育界は、そんなものだという認識を保護者の方が持つべきだろうね。
「子育てを他人任せ」にすることは、
だから非常に危険だ。

僕の四人の男の子の内、
次男坊が最近になって小学校のころ「いじめ」にあっていたことを言い出した。
今こそ「いじめ」は、問題になるけど、
当時は、そういう概念がなかった時代だ。

何があったのか、
次男坊のクラスの小学校の先生が一年に二回も担任が代わっていた。
次男坊のその後の「問題行動」は、これが引き金になった。

僕は、当時、子供の様子をよく観察できなかったので、
この子の子育ては、みごとに失敗したわけだ。

これは、僕の実体験だ。

だからここで訴えているわけだ。

父親自身でシッカリと子供の特徴、個性を見抜いて、
それに合わせた子育て、教育、をしようとね。

子育てを他人任せにすると、とんでもないことになりかねないよ。

父親の役割は、自分の子の子育てで、

総合ディレクターと言えば分かりやすいかな。

プロ野球での「監督」と言えばいいのかな。

プロの監督は、選手の個性とその時のコンディションを熟知しているよね。

父親が「子育てがおっくう」では、いくら最高級の教育をしても、
子供の「心」が育たないんだよ。

ぜひ、

「パパだけキャンプ」

これを見て、パパと子供の心が通う子育ての参考にして欲しいね。
この「パパだけキャンプ」に参加をしてくれたパパは、本当に子供思いでしょう。
僕の方が心が熱くなったね。

これが本物の幸せだね。


15/12/2(水)朝 キャンプじぃじの日記

小学校の合唱を撮るのに、機材を仕込む(セットする)わけだが、
その時に、マイクケーブルを床に這わせなければならないところがあった。
もちろん、養生テープで固定をしている。

そのたった、5_程度のマイクケーブルに足をひっかけて転ぶ子供が、
ビックリするほど多かったことをここに書き込んだ。

答えが分かった。

昨日の読売の朝刊「足指浮いた子ども増加」

専門家によると、
子どもたちの 8 割りに、足指が地面に着かない「浮き指」が見られるそうだ。
これは、10年前に比べ倍増したという。

この「浮き指」で歩いているので、マイクケーブルに足をひっかけて転ぶ。

この「浮き指」が増えた背景には、

「子どもが足を使わなくなった」

ことがあるそうだ。

学校帰りに「道草」をして、「鬼ごっこ」をして、
そこら中を走り回って遊ぶ子が極端に減ったことを証明している。

スマホでゲームをしている子。

塾通いで机にしがみ付く生活だけの子。

こういう風景が目に浮かぶ。
子供が思いっきり外遊びをしないので、
「浮き指」という身体的な変化が起こったわけだ。

それでは、そういう子の「心」には、どういう変化が起こるのだろうか・・・・

毎日「歩く」「走る」という「辛い」ものがない生活・・・・
そう、快適な生活で子供の「心」がどうなってしまうのか・・・・・

物事に対して「不活発」になるだろうことは、容易に想像できる。

「そんなの、おっくう」「そんなの、むり〜〜」
こういう不活発な言葉に「ステイタス」さえ覚えてしまいそうだ。
僕がカブスカウトのリーダーをしていて、散々聞いたフレーズだ。

その活動で、初めにしたことが、
子供から活動中、テレビゲームを取り上げることだった。
でも、普段の生活に子供が戻れば、元の木阿弥。

だから、ここで訴え続けているわけだ。

子育てには、間違えなくその基本がある。

「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てることだ。

そのためには、特に父親が自分の子供の特徴をよく理解しなければ、
子供に合った「教育」ができない。
子育てに失敗すれば、子供が「自立」できなくなってしまう。

「子育てがおっくう」

父親がこれをやっていれば、
ほぼ確実にこどもが「おっくう」を言い出すでしょう。
そういう「生き方」を子供が父親の「真似っこ」をするでしょう。

大自然の中で、
「辛い」「苦しい」「大変」な体験。
こういうことで「心」を鍛えることができる外遊び。
これが、子育てを強く意識した「親子キャンプ」なのさ。

これは、父親も「辛い」「苦しい」「大変」がある。

「父親が成長した分、子どもの心が育つ」ものさ。

パパにやる気があるのなら、
僕は、いつでも「パパだけキャンプ」をやるよ、雪中キャンプだって、
要望があれば実行するさ。

「パパだけキャンプ」では、この僕もキャンプするわけだよね。
僕は、ヘッチャラさ。

「パパだけキャンプ」


15/12/1(火)朝 キャンプじぃじの日記

昨日の、あの青空・・・・
でも僕は、ボロアパートの中で暗く編集をしていた。

「日用の糧」を得るために働くことは、重要だ。
でも、あの青空が僕を誘っていたのになぁ・・・・・残念。

今日も一日編集だ。
仕事がある内が華だ。
そう思っても、早く自転車に乗りたい気持ちが邪魔をする。

人間だものね、自分の「気持ち」は、案外コントロールできないよね。

自分の子供以外に「気持ち」が向いている間は、
例えば、「欲しいモノ」や「消費」「旅行」に「気持ち」がある間は、
「子育てがおっくう」になってしまう。

昨日、若い夫婦がスマホのゲームに夢中になって、
泣きじゃくる幼い子を、うるさいからダンボールに押し込めて、
窒息死させたという事件を聞いた。

幼稚な親に育てられる子供が極めてかわいそうだ。

「幼稚であってはならない」

子育てを通して、「親が成長」するものなんだよ。

このことを、パパに気付いてもらうのが、
僕の活動の核心になるんだな。
それで、気の遠くなるような、乗り越えられそうもないデカイ壁をここに感じる。
諦めないさ、死んでも。

これからを生き抜く子供たちにも、
こういう「志」を教えたいものだね、もちろん、パパの言葉で。

「幼稚」・・・恐ろしいことだよ。


15/11/30(月)朝 キャンプじぃじの日記

12月は、13日に「パパだけデイキャンプ」を
30日には、「餅つき&けんちん汁」の活動を予定している。

活動は、
ばぁばに写真を撮ってもらって、
それを僕が編集をしてDVDにして参加者に配っている。

若いパパへのメッセージを下手なりにでも込めている。

そしてそのDVDは、子供が親になった時にもぜひ見て欲しいね。
今、幼稚園の年長の子たちが、親になるころには、
もう僕は、この世にいないでしょう。

つたない僕のDVDでも、子育てに参考にして欲しい。
僕が死んでも、僕の作ったDVDが生き残ってくれる・・・・・・
これに気付いたら、なんだかとっても嬉しくなってきた。

本当に子育てで重要なこと・・・・

「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てることだ。

親子の共依存は、決していいことはない。
しっかりと、親も子も「自立」を目指そう。


15/11/29(日)朝 キャンプじぃじの日記

昨日とは別の幼稚園の園長室から書き込む。
今日も発表会の撮影だ。

面白い仕事なんだが、いったいあと何年できるのだろうか。
と、言うか、僕の人生はもうカウントダウンで、
いったいいつまでこの地球の空気を吸っていられるのだろうか。

死ぬまでには、「パパだけキャンプ」を軌道に乗せるのが今の僕の夢だ。

「モノ」を手に入れるのとは違う、本当の夢だ。

この夢のおかげで、今日もハッスルした人生が送れる。

本物の夢・・・・・
これからを生き抜く子供たちにもぜひ、
「モノ」や「消費」、ではない夢を持ってもらいたいね。


15/11/28(土)朝 キャンプじぃじの日記

今朝は、幼稚園のホールから書き込む。

これから発表会を撮る。

世間並みに師走の慌ただしさだ。

あといつまでこうして元気よく働けるのだろうか。
神のみぞ知る。
「今」を感謝して個人事業だからこそあみ出せた「一人3カメ」の手法で
気持ちよく仕事をしよう。

「今」を大切に、今日一日を精いっぱい生きよう。

若くても、明日のことなど誰にも分からない。
だからこそ、「今」を思いっきり生きよう。

大切な自分の子と、思いっきりアウトドアーで散歩から始めよう。
この「今」は、もう二度とこないから。


15/11/27(金)朝 キャンプじぃじの日記

「快適病」

定義は、不必要なまでの「快適」がなければ、心が発作を起こす病理。

こんな病気があるのか、ないのか、
でも、実際には、こういう「状態」の人がいる。

モンスターペアレントとか、ヘビークレーマーと言われる人たちだ。
面白いことに、
こういう人たちは、「類は友を呼ぶ」ように特定の集団に集まりやすい様子だ。

「良い実は、良い木から実る」

その反対は、「悪い木からは、悪い実しかならない」だ。

「快適病」に犯されている集団からは、身を引かざるを得ないね。
これが例えば、自分の会社だったら、どうするのでしょうか?

僕は、高校を卒業して「実社会」を学ぶために、
都内の小さな会社で「営業」を体験した。
そこは、長くても6年勤めて、さらにキャリアアップするつもりだった。

しかし、バブル経済で給料が良くて、
ダラダラと10年もその会社にいてしまった。
魅力的な仕事が見つからなかったこともある。

でも、ひょんなことで、今の仕事を立ち上げることが出来た。
とってもラッキーだ。

そのあとで、その会社は、潰れやしなかったが、
年間の売り上げが、40% も占めていた取引先がなくなったようだ。
相当のスッタモンダがあったでしょう。

いつまでも「悪い木」にぶら下がっていたら、
今頃どうなってしまったことやら。

脱サラができたのは、間違えなく僕に「自立心」が身に付いていたからだ。

これからの日本社会は、いくら名の通った会社でも、
いつ、「リストラ」させられるのか分からないでしょう。

「自分の身は、自分で守る」

そのためには、どれほどこの「自立心」が必要なのかが分かるはずだ。

子育てを強く意識した「親子キャンプ」という遊びは、
「不便」「不自由」なキャンプ生活を通して、こういう「心」を鍛えることが出来る。

鍛えるのだから、「辛い」ものがある。
辛いキャンプ生活を、元気よく父親ができれば、
必然的に子供もできるようになれるさ。

さぁ、デイキャンプから始めよう「親子キャンプ」を!


15/11/26(木)朝 キャンプじぃじの日記

人気テレビ司会者がいた。

かなり稼いで、鎌倉に豪邸を建てたということだ。
聞いた話では、そこに帰っていたのは、一日3時間だか、4時間だったとか。

息子がいて、東京大学を卒業させて、意気揚々だったらしい。

しかし、そんな調子だから、父親が直接子育てに関わらなかったのだろう。
そのドラ息子が、テレビ界で高慢ちきを繰り返したうえ、
ついに、
そのドラ息子の失態の責任が問われて、
その人気テレビ司会者自身が、仕事を干されたという。

子供を自立に向けてシッカリと子育てをしないと、
こうなってしまうという、分かりやすい例になった。

父親が直接子育てに関わらない・・・・
いくらでも、「金を払って子育てを他人任せ」にできる、ここ日本だ。
父親が「簡単」「便利」に子育てを済ませてしまう。

いつか、きっとそのツケは、父親自身が味わう日がくるものでしょう。
自業自得だ。

僕は、自分の子育てをするうえで、
カブスカウトのリーダをして、年に70日も活動をした。
そのために、
仕事量を減らしてまでも取り組んだ。

なにも、そこまでしなくてもいい。
せめて、自分の子供だけでもシッカリと関わって、
その子の個性・・・・特徴を把握して、

その子に合った「教育」をしていこう。

「教育」と「子育て」の違いがこれで分からないだろうか?


15/11/25(水)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、キャンプそのものが大好きというわけではない。
もちろん、
嫌いではないが、積極的にこれで遊ぼうとは思わない。

僕の好きな遊びは、サイクリングだ。

子供の心を育てるのに、「親子キャンプ」をたくさんやってきた。

自分の楽しみではなくて、子育ての一つの有効な方法として取り組んだ。

大自然の厳しさの中だからこそ「心」が鍛えられる。
これは、
子供だけではなくて、大人でも同じだ。

普段の快適な生活だけでは、「心」が退化するでしょう。
ここなんです、「親が成長した分、子が育つ」ということは。

親子キャンプは、親も辛いところがある。

「心」が強くなる・・・・・
一番わかりやすいのが「飛び込み営業」だろうと思えます。

「飛び込み営業」

厳しい大自然の中でキャンプをするのと、
この「飛び込み営業」は、なんら関係がないように見えますが、
実は、
「心構え」では、同じだと僕は、感じます。

僧侶が山奥で修業をするのにも、どこか共通のものを感じます。

それは何か・・・・

たぶん「自分の甘え」を克服する「心」に「成長」することだろうと思えます。

「甘え」を克服する・・・・これは「自立」です。

僕は、この「飛び込み営業」をして、今の仕事を立ち上げたのです。
18才で自立をしていたからこそ「飛び込み営業」ができた。
それで、今の隠居生活が手に入ったのです。

子供を自立に向けて育てられるかどうかは、父親の「心」にかかっているのです。


15/11/24(火)朝 復活サイクリストの日記

この間のサイクリングの動画をアップしました。

「15 元荒川〜新方川」


15/11/23(月)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、恒例の「日曜晩餐会」をやった。
知り合いのカメラマンが、それが終わるころ知人を連れて来た。

彼は、この間の「パパだけキャンプ」に参加をしてくれた「お客さん」でもある。

知り合ってもう、5〜6年経って、
一緒に「さぎ山野営場」を開墾してきた遊び仲間だが、
ここにきて急に「子育てのための親子キャンプ」に目覚めた。

子育て以外の「楽しみ」や「欲しいモノ」が溢れかえっていて、
そういうことに心を奪われている間は、
父親が直接子育てをしないということが最近よく分かったが、
何かの拍子に、父親が子供に注目するようになることがある。

これからは、そのキッカケになる活動ということを強く意識して、
Snowmen Camp Club の活動に取り組みたい。

父親が自分自身で親子キャンプを通して子供の心をたくましく育てて欲しい。

「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てて欲しい。


15/11/22(日)朝 キャンプじぃじの日記

「モノ」で満足するように教わった子。

もし、将来、
子供が満足できる「モノ」を手に入れることができなかったとしたら・・・・

子供は、ふてくされてしまうよね。
ニートの出来上がりだ。


昨日は、ばぁばと二人で近場をサイクリングした。
貧乏でも、いくらでも人生を豊かに作ることができる。

いや、むしろ、貧乏だからこそ平安なんだな。
税務署の人がこう言った。
「だいたい資産相続で一億以上あると兄弟の仲が悪い」

僕の子供たちは、貧乏だからこそ仲がいい。

その「仲がいい」ということに満足して生きていって欲しい。


15/11/21(土)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、やっと痛風の薬を貰うことが出来た。
そのときに、ドクターに
「これからは、この薬を、4日飲んだら、1日飲まない日にしてください。」
と言われた。

一週間がたった一日に感じるほど、毎日がアッという間に過ぎているのに、
そんな器用なことは、出来そうにもない。
だから、せめて、一週間に一日薬を飲まない日を作る・・・・
これなら出来そうだ。

たぶん、ドクターに言わせれば、それでは意味がないというところだろうね。

「自己流」

自分の子供だから、自分が思ったように育てる。
これ、「自己流」です。
子育てのそこら中に、やってはいけないことだらけです、大概。

子育ての基本・・・間違えなくあります。

それは、

「自立をした一人の大人の社会人」に子供を育てることです。

これを目標に、その子の個性を親が感じ取って、
子供の個性にあった「教育」を与える。

親、とくに父親がこの子供の個性に無頓着だと、
「子育てを金を払って他人任せ」をやりだしやすいものです。
その方が、父親が「簡単」「便利」だからです。

父親が自分の欲しいモノ、自分の楽しみ、
これらで心がいっぱいだと、子育てが面倒になりやすくなりますね。

母親は、子供を苦しんで産みますので、
心が病んでいない限り、子供の世話をします。
世話をすれば、するほど、母親が子供に対する愛着心が強くなっていきます。

こういうことで、母親は、子供をどうしても自分の所有物にしやすくなる。
「母子癒着」が起きやすくなるわけです。

だからこそ、
父親こそが子供の自立を真剣に考えて子供と接する貴重な役割があるんだな。

それを他人任せにするとどうなるのか・・・・
子供が自立困難になりやすくなる、こういう危険が増すわけだ。

父親は、母親のように苦しんで子供を産まないので、
子供が産まれた直後から、父親が子供に関わらないと、
父親の心に「父性」が育たなくなりやすい。

「父親」としての愛情を子供にかけなくなりやすい。

僕の四人の男の子の内、末っ子が産まれた産婦人科の病院では、
これを防ぐために、
産まれてすぐ、「へその緒」を僕に切らせる体験をさせました。

そこの院長先生の方針です。
父親が子供に関わる重要性を訴えていました。

そのおかげか、僕は末っ子に異常と思えるほど「愛おしさ」が起こりました。
産まれてすぐ、毎日、何回も、末っ子に「チュー」をし続けて、
ついには、末っ子が小学校四年生になった時に、
末っ子に「気持ち悪い、やめろ」と言われるまで「チュー」をやってしまった。

毎朝、一時間以上の散歩を末っ子とした。
お手手をつないで、とっても幸せだった。

もしかしたら、末っ子は、これで「おかま」になってしまうかも知れない、
そう思っても、末っ子の顔をジッと見ているうちに、
その顔に「ブチュー」とやっていた。

そこの産婦人科の院長先生の方針がみごとに実りました。

「へその緒」だけではありません。
子供が小さい内に、どれだけたくさん父親が子供と関わることができるのか、
このことで、「父親」が本物の「オヤジ」に育っていくものです。

子供と関わることが少ない父親は、
幾つになっても本物の「オヤジ」になれなくて幼いままになってしまう。

さぁ、今日、子供の手をギュッと握って、繰り出せ大自然のまっただ中へ!


15/11/20(金)朝 復活サイクリストの日記

毎日飲む痛風の「ヤク」が切れそうだ。

昨日、午後から病院でそれを貰おうと思っていたら、休診。
やむなく自転車に乗った。

自転車で散歩することを「ポタリング」と呼ぶ。
さらに、
無目的地で走ることを、僕は、「猫ラン」と命名した。

単純に走ることだけを楽しむもので、
猫の行動のように「気に入る」道を見付けては、そこを走って行く。

「元荒川」の土手を走って行く。
そのままこの川を行くと岩槻に出るのだが、
いささか飽きた。

そこで途中に小道を見付けて、南西に向かう。
そうしたら、浦和のサッカー場が見えてきた。
だいたいの見当で走って、「さぎ山野営場」に行くときの道に出た。

「さぎ山野営場」にどのくらいの落ち葉が溜まっているのか、
見に行くことにした。

そうとうひどいのだろうと思っていたら、そうでもない。
本当に今年は、葉が落ちるのが遅い。

状況を見て、しばらくは整備しなくても大丈夫だと判断した。
もし、ダメだったら、今日、整備しなければならなかった。
こういうことで、今日の午後に病院へ行って、痛風の薬が貰えそうだ。

「ヤク」が今日、切れるのでギリギリセーフだ。

「さぎ山野営場」からは、見沼代用水のコースを走って帰って来た。
ほんの少しでもサイクリングで自然の空気を吸うのは、とってもいい。

若いころに夢中になって遊んでいたこのサイクリングは、
歳をとった今、
とっても人生を豊かにするものになった。

若いころに覚えた趣味はとってもいい。

「復活サイクリスト」で今でも人生を面白く作っていける。
「モノ」の豊かさではなく、「人生の豊かさ」とは、こういうことだ。


15/11/19(木)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、雨だという予報だったので、
早朝から、たまっている編集をしていた。

しかし、朝8時ごろ窓を見ると日が差している。
外に出たら青空だ。

自転車で大自然にスクランブル発進をした。
午後からは、本気で雨が降ると言うので、
近場を「猫ラン」する。

越谷市から流山市へ、街中をウロウロして野田市へ、
そこから越谷市へ戻ってきた。
午後1時には、帰って来たのだが、そのまま昼寝をしてしまった。

ここ日本では、なんてのどかな隠居生活が出来るのでしょうか。
拳銃でさえ簡単には手に入らないこの国は、
これだけ「富」を得ていながらも平和だ。

「富」と「戦」は、
切っても切れない関係であることを忘れないようにしよう。
黒沢の映画「乱」を良く見よう。
「ヒト」の「欲望」で「富」を得ては、「戦」を繰り返す様が描かれている。
今こそ、この映画を見る時ではないかな。

米国の 9,11 のときには、この日本も標的にされていた事実がある。

「富」を握りしめながら「戦争反対」は、現実的ではない。
ここにこそ、本当の恐ろしさがあると思う。

僕と同じレベルの「貧乏」をみんながしていれば、
これこそ「戦争」に無関係になれるだろうに。
しかも地球温暖化の問題にも有効に解決できるだろうに。

でも、「快適」という「富」を手放すことは決してできない。

いや、ほんの一部の人が気付いて「断捨離」という本がヒットした。
大量消費のけん引役であるアメリカ人でさえも、この本を読む人がいるそうだ。
ほんの少しだけど、ここに希望があるね。

「モノ」で幸せになんかならない。
目の前にいる自分の子供とたくさん遊ぶことに幸せがある。
僕は、「モノ」を追い求めずに、
子供とたくさん遊んだので、今の隠居生活を得られたんだよ。

不必要な「モノ」に執着しなかったからこそ、平和が見えた。
障害のある子が、自立し、元気よく生きている。
僕は、このことだけで十分だ。

それで仕事量を減らしてサイクリングをした。
僕の「貧乏」は、平和そのものなんだけどなぁ・・・・・・
今、乗っている車は、その子の「お下がり」なんだよ。
とっても嬉しいね。 幸せだ。

何のために極端に無理な労働を、長時間労働を、
するのだろうか・・・・・

「欲しいモノ」を手に入れるのではなく「自分の子供とたくさん遊ぶ」ようにすれば、
必然的に「労働」に対する考え方が変わるだろうに。

黒沢の映画「乱」の最後は、
「本当に大切なこと」を巻物と一緒に落としてしまう人間の性が描かれていた。


15/11/18(水)朝 キャンプじぃじの日記

昨日は、この間の「芋煮会&手打ちうどん」の後片付けをしていた。

ズンドウ鍋やタンクを洗ったり、
資材をレンタル倉庫にしまったり、
最後にサイトと地主さんの小さな神社を整備した。

道路に面したところは、時間がなくて整備できなかった。

これからは、「さぎ山野営場」を使おうが使うまいが、
頻繁に整備をしなければならない。
地球温暖化でだろうか、今年は落葉が遅い。

この「地球温暖化」は、人類の「快適」によって起こっている。
先進国を中心にした「快適な生活」が根本的な原因だ。

ぜひ、親子キャンプをたくさんやって、この「地球温暖化」がなぜ起こっているのか、
子供たちに教えてあげて欲しい。

そういう家庭教育が行われれば、
きっと、無駄な「快適」を追い回さなくなるでしょう。
気の遠くなるようなことだが、これは「家庭教育」で行う以外方法がない。

なぜなら、
「快適」を追い求めなければ気が済まないという「心」の問題だからだ。

11月18日付読売朝刊 p13 「特別面」「基礎からわかるCOP21・温暖化予測」


15/11/17(火)朝 復活サイクリストの日記

昨日、やっと自転車に乗れた。
気の向くまま無目的地のサイクリング「猫ラン」だ。

古利根川の土手を上って行き、
それが、「青毛掘川」になり、さらに上って行った。

この間は、線路に遮られて断念して、
葛西用水沿いのコスモスがたくさん咲いているところを走った。

昨日は、迂回しながらも、「青毛掘川」を見つけ出して走った。
最後は、土手がなくなって、追跡困難になった。
そこから北へ走っていたら、「加須はなさき公園」に着いた。

大きい公園で、有料施設があったが月曜日で休みだった。
その有料施設の周りが散歩コースになっていて遊具もあった。

そこから「全走」で帰ると、この時期では、最後には暗くなってしまうので、
電車を探して走る。
そうしたら「会の川」に出た。
その川は、方向的に栗橋へ向かっていたので、それの土手を行く。
この川も、最後には土手がなくなってしまった。

方向だけを頼りに走っていると、今度は「中川」に出た。
これを下って行けば帰れる。
それで、ほとんど習慣的にそれの土手を走ったが、
「全走」しないことを思い出して、栗橋方面を目指して方向をとる。
うまい具合に「栗橋駅」に到着、そこから輪行で帰って来た。

昨日は、10月中旬の気温だったそうで、Tシャツでサイクリングが出来た。
気持ちいいのなんのって、もう最高!
貧乏生活でも、いくらでも人生を豊かにできるのさ。

「モノ」の豊かさと「人生」の豊かさは、まったく別物だ。


15/11/16(月)朝 キャンプじぃじの日記

Snowmen Camp Club での活動は、すべて動画で見られるようになった。
今回の「芋煮会&手打ちうどん」も YouTube で見られる。

そこで、これからは、新たに動画をアップしないことにした。
それを DVD にして参加者だけに配る。
子供とパパが一緒に活動をしている写真は、たぶん、その家族の「家宝」になるだろう。

でも、パパにたくさん子供と遊んでもらいたいという
僕の心からの願いで作った動画の内容をここの読者の方にも伝えたい。

そこで、今回から DVD を作るときのナレーションだけをここで公開しようと思う。

<15 芋煮会&手打ちうどん> DVD ナレーション

今回は、小雨模様の中6家族の参加でした。
雨に負けない元気で活動しよう。

集合してすぐにこうして、子供たちに走り回らせました。
これ、重要です。
子供は、ジッとしているのが嫌いです。
こうして大いに発散させましょう。
これで、これからの作業を大人しく出来るようになれる・・・かも。

解散の時に親から子へ木のメダルで表彰します。
それをパパやママが作りました。

近所の公園に水洗便所があります。
「さぎ山野営場」のトイレは・・・・

作業開始です。
初めは、掘ってきたばかりの「里芋」の土を取り除きます。
子供たちは、これで大自然の恵みを感じ取ってもらいたいですね。

子供たちがビニールの手袋をして、子供たちが作業をします。
パパやママは、手を出さず、口を出さず、子供たちの作業を見守っていますね。

このときに、親が自分の子供の特徴を観察出来たら、とっても素晴らしいです。
他の子供と比べて優劣をつけるのではなく、
もう一度言いますよ、優劣をつけるのではなく、
子供の個性を見抜く。

この親の観察力で、その子に合った子育てができますね。
よく観察をすれば、一人として同じ個性がないことが分かるでしょう。
どういう個性が自分の子供にあるのか・・・・

大人しい子、活発な子、慎重な子、おませな子、
甘えん坊、やんちゃな子、おしゃべりな子、そうでない子、

ともかく一人ひとりみんな個性が違いますね。
それをパパやママが、こういうときにこそ自分の子の個性を把握できるチャンスです。
一人ひとり違う、その個性に合わせて家庭教育をしてください。

さぁ、買い出しに行きます。
今回は、小学校一年生が一人、
幼稚園に通う前の子が一人、
あと6人は、全部幼稚園の年長さんです。

だから、まだ計算ができませんので、できないところだけ、パパに活動の補助をしてもらいました。
小学校高学年の子がいたら、そういう子にリードしてもらえますね。
こういうのを「異年齢交流」と言います。
幼稚園では、「タテ割り保育」とも呼んでいます。

今回は、残念ながら大きいお兄ちゃんやおねぇちゃんがいませんでした。
それでも、レジでの支払いは競うように子供が払っていました。

子供たちが買い出しに行っている間、
ママたちで「手打ちうどん」をこねていました。

それが終わらなかったので子供たちに手伝って? もらいます。

パパが2バーナーのタンクに給油をします。
着火方法を教わります。

マグネシュームを粉にして、それで薪に着火します。

芋煮のだし汁を作ります。

こちらは、うどんの生地を60℃のお湯で湯せんします。
これでグルテンの生成が早くなります。

子供たちが調理に挑戦です。

まずは、手洗いです。

パパやママに補助をしてもらって調理開始。
里芋は、皮むき器を使わずに包丁でやりました。
便利な皮むき器だと、包丁の使い方が上達しませんね。

なんでもそうです。
便利なものでは、上達できません。

不便なところに、上手になる、器用になる、チャンスがあるものです。

時間がかかってでも、こうして包丁で皮をむきました。

パパやママに補助をしてもらって、とっても幸せな子供たちです。

カマドの火に引きよせられて、子供が近づいてきました。
調理に飽きたんでしょう。
たいがいこういうのは、男の子なんだな、なぜか。

切った具材をズンドウ鍋に入れます。
美味しくできますように。

次の作業は、うどんの生地をこうしてサランラップを使って伸ばしました。
専用の伸ばし棒がなくても、こうして工夫して代用品でも作れますね。

切れたうどんを10分間湯がきます。

子供たちが、テーブルと椅子をセットします。
テーブル拭きも子供がしました、とってもいいですね。

出来立ての「芋煮」に「手打ちうどん」です。
頂きます!
大人も頂きます。

食べ終わった食器は、こうしてティッシュペーパーで汚れを落とすのがキャンプ技術ですね。
このことで洗い水が少なくて済むのです。

よく頑張って作業をした子供にパパやママから木のメダルで表彰です。
雨でも、とっても面白かったでしょう。

まったね〜〜〜!


15/11/15(日)朝 Snowmen Camp Club 活動報告

11月14日(土) 「芋煮会&手打ちうどん」を実施

小雨が降る中、6家族の参加をいただいた。
中には、小雨でも決行して欲しいというメールがあったので、
ただのレジャーキャンプではないことが理解されたようで、
とっても嬉しくなったね。

子供は、8名。
その内、一人は小学校一年生、
もう一人は、まだ幼稚園に通う前の子。

残りは、全部、幼稚園の年長さんたちだった。
そういうことで、作業は、時々中断して子供たちが走り回っていた。
この年代で何か作業を一時間以上させるのは、プロの幼稚園の先生でも難しい。

昨日は、午後からの活動を午前中にしたので、
おしても、大丈夫だった。
だから、途中で子供が飽きてしまっても、また作業に復帰するまで待つことが出来た。

その割には、順調に「遅めのお昼」が食べられた。
僕は、今まで子供のこういう活動で、
何回か、「お昼ごはん」が「夕ご飯」になる体験をしたことがあるが、
それと比べれば、非常に優秀だったでしょう。

機会があるごとに、パパやママにこの活動の趣旨を説明した。
そして、「パパだけキャンプ」をアピールした。
これから、この活動をとおして、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

ことが順調にできるようになりますように。


15/11/14(土)朝 キャンプじぃじの日記

本日「芋煮会&手打ちうどん」を実施します。

午後集合の予定を、朝9時集合に変更して行います。

アウトドアーの活動では、

こうして「天候に合わせて活動」するものです。

自分の都合や、要望は、大自然を相手には通用しないことを
子供たちに教えていきたいものですね。


15/11/13(金)朝 キャンプじぃじの日記

明日、

「芋煮会&手打ちうどん」

を実施します。

予定では、午後からの活動でしたが、天気の都合で、
朝9時に集合しようと考えています。

予定変更は、参加者全員に電話で知らせる予定です。

「企画力」

これも親子キャンプで、それぞれの家族が身に付けられたら素晴らしいですね。


15/11/12(木)朝 キャンプじぃじの日記

「芋煮会&手打ちうどん」の準備は順調だが、
実施日の土曜日の天気模様が怪しい。

そこで、「キャンプ場で暗くなる」という体験もこの活動でしたかったのだが、
早めて、少し遅いお昼に食べられるような計画変更を検討している。

「キャンプ場で暗くなる」というのは、一つのリスクだ。
そこに「雨」というもう一つのリスクが重なると、
危険度は、飛躍的に増す。

そこで、「雨」は、避けられなかったら、
もう一つのリスクを回避する。
つまり、
「暗い」を回避して日中の活動にする。

参加予定の方々に、明日、説明してみようと思う。

「子育て」のために、多少のリスクは、体験として必要だ。
僕が中学生の末っ子を鍛えていたときには、
わざわざ雪の中でキャンプをしたものだ。

しかし、今回の参加予定の方々は、みんなキャンプ初心者だ。
だから、無理は禁物。

「雨の中の活動」も、子供の心を鍛えるのにいいものだ。
ちょっと辛い体験は、こうやってやる。

大自然の中での遊びは、臨機応変に活動をする。

こういう物事の捉え方自体を子供に教えれば、
「リスク・マネージメント」になるでしょう。

僕は、フリーランスで30年以上生き延びてきたが、
この能力がなければ、とうの昔に継続できなくなっていたでしょう。
学校では、こういうのを教わらないよね。

こうやって、子供たちに「生きる術」を親子キャンプで教えよう。


15/11/11(水)朝 キャンプじぃじの日記

仕事が一段落した。
実は、昨日、雨になったので取材がなくなった。
そのおかげで、今度の「芋煮会&手打ちうどん」の準備がすすんだ。

今日は、
「さぎ山野営場」の整備と資材搬入、「里芋」を畑に行ってもらってくる。
こういう作業で一日が終わる予定だ。

里芋は、買ってくるものではなく、
葉っぱも泥もついたままのものを子供たちに与えて、
その泥を落として皮をむくという作業を体験させる。

買ってきた里芋では、こういう「大変」がないでしょう。

こうして「便利」ではなく「大変」を子供にたくさん体験させよう。
普段の生活でも、

この「便利」が溢れかえっているでしょう。

これを「大変」「不便」にして子供に体験させよう。

同じ意味で「うどん」も買って済ませない。

「手打ち」にする。

ここに生きる「面白さ」があるんだよ、やれば分かる。

キャンプの面白さだ。


15/11/10(火)朝 キャンプじぃじの日記

この「キャンプじぃじの日記」が続いているということは、
自転車に乗れていないからだ。

二つの原因がある。

一つは、コンディションの関係だ。
雨、病気など。
もう一つは、本当に仕事が続いている。

僕は、10年間サラリーマンをしたことは、したが、
営業職だったのでフリーランスに近かった。
一応、タイムレコーダーなるものがあったが、直行直帰は当たり前の世界。

まだ携帯がなかった頃で、「ポケットベル」を持たされていた。
一歩、会社を出たら何をしているのか分からないものだった。

仕事は、「終わるまで」で、
要領を外すと納期が迫って大変なことになる。
街の生地に印刷する工場を借りて、
僕は、徹夜で印刷をしたことがある。
普段、興味があってよく見ていたのでできた。
おかげで納期に間に合った思い出がある。

普段は、朝から晩まで根を詰めて働くということはなかった。
たいがい、午前中は、喫茶店で日経新聞を読んでいた。
社長が「分からなくてもいいから日経を読め」という指示に忠実に従っていた。

こういうことで、ここのところの仕事に追いまくられるのは辛い。
こういうのに体が慣れていないんだよ。

普段の生活で、子供に家事をたくさん手伝わさせることは、
非常に重要だ。
子供の内に、
朝から晩まで働くことに、少しずつ慣らさせよう。

もしくは、「営業職」ができるように「心構え」を鍛えるか・・・・

どちらにしても、子供に「快適」を与え続けたら、
よく働く人になりにくいということを覚えて欲しいね。

親子キャンプで、
小学校低学年から少しずつ「キャンプ技術」をお父さんが教えて、
子供が中学生ぐらいになったら、

「計画」「準備」「安全対策」そして実行、
さらに「評価反省」または「感想文」を書けるように育てましょう。

こういう「仕事のプロセス」を中学生ぐらいで何回も体験させましょう。

子供に「企画力」が身に付くでしょう。

これを他人任せにせず、
お父さん自身で子供に関わり育てましょうというのが、
Snowmen Camp Club の活動の具体的な目標なのです。

今度の土曜日には「芋煮会&手打ちうどん」の企画があるが、
この企画・運営、自体もお父さんに見てもらい、将来真似っこして欲しいね。

予報では、天気が悪い。
こういう条件でも遊べるようにしたいが、
初めての方は、メゲてしまうのが心配される。


15/11/9(月)朝 キャンプじぃじの日記

ここのところ、隠居生活棚上げで仕事に精を出している。
生活の糧をこうして得られるのは、とってもいい。

犬に何か芸を覚えさせるのに、餌を与えないで空腹にさせて、
少しずつ「芸」ができたときに餌を与えて覚えさせるよね。

満たされ過ぎた犬は、「芸」をしないでしょう。

生活費を稼ぐためにこうして一所懸命に働くのは、
いい仕事をこなす上で、だから必須だ。

今の日本の普通の家庭では、
この「満たされ過ぎ」の傾向があるのではないだろうか。

大学を出ても就職先が見つからない・・・・
中には、100社も就活してもダメだなんてニュースにでたりして。

100社の面接官が、働いてくれそうにないと思われてしまう学生は、
どういう人なんだろうか?

僕には、この現象は、
育て方が悪くて「満たされ過ぎ」の生活をしてきたタイプの人ではないかと推測している。
または、
本人の能力以上の「高望み」の仕事を欲しがっているのかも知れない。

僕は、脱サラをしてから「現場のたたき上げ」で仕事を覚えて生きてきた。
H3年度から「卒業ビデオアルバム」の制作をし続けて、
今年、H27年度を完成させると、この仕事を25年続けたことになる。

商品開発、商品化、顧客開拓、
全部、自分でやった。
こういう「生きるエネルギー」が猛烈になれる「生き方」は、

「大変」「辛い」「不便」

これを乗り越え、乗り越え、さらに乗り越えて身に付くものだ。
「気楽」「簡単」「便利」を「当たり前」にして生きていたら、
まず「チャレンジ」は、できなくなる。

子供に何か本物の「芸」を身に付けさせるためには、
だから、
「満たされ過ぎ」は、禁物なのさ。

「快適」な生活をしていたら、
子供が本物の「芸」をしなくなってしまいやすいのさ。

そういう生活を子供がしていたら、
なおさらのこと、
「大変」「辛い」「不便」な親子キャンプの体験が必要でしょう。

この体験によって、
「大変」「辛い」「不便」に耐えることのできる「心」に育つ。

とっても簡単な原理だね。


15/11/8(日)朝 キャンプじぃじの日記

筋肉に「運動」という負荷を与えることで、筋肉が付くでしょう。

それと同じで、

「心」も、「大変」「苦しい」「辛い」・・・・

こういう「負荷」によって、「強い心」に育っていくものだ。

ただし、「しつけ」と称した「虐待」であっては、いけない。

その子にとってちょうどいい「適度」な「負荷」が重要でしょう。

どの程度が、その子にとって「適度」なのか、

それを観察して理解するところに親の「愛」がある。

だから親子キャンプで子供の様子を「見守って」欲しいんです。


15/11/7(土)朝 キャンプじぃじの日記

何年か前にこういうことがあった。

それは、幼稚園でのお泊まり保育でのことだ。
公園のような広場で子供たちが走り回っていた。
すると、同じところで子供が何人もコケる。

そこを見ても、特にコケるようなものはない。
ほんの少しだけ地面が盛り上がっているだけだ。
そこにつまずいてコケていた。

「何人も」だから、子供の走り方に異変が起こっているように感じた。

昨日、小学校の合唱を体育館で撮った。
マイクケーブルなどを這わせて、そこを養生テープで固定してある。
マイクケーブルだから、数ミリの段差だ。

そこに子供が足を引っかけ、低学年の子は、コケる子が何人もでた。
高学年の子は、ケーブルに足がひっかかるのだが、
体重と力があるので、養生テープごとひっ剥がす。

別の小学校の仕事でも、
やはりケーブルに足をひっかけていた。

今の子供の傾向であると僕は、考えた。

この傾向は、この2〜3年ぐらいで顕著になった。
仕事自体は、もう20年以上前から同じことをしてきているので分かる。

この段差とも言えない凹凸に足を引っかけてコケる・・・今の子供。

産まれたときから、カンナで削ったような真平らのところしか、
歩いたり、走ったりしてこなかったのが原因だと思える。

歩きにくい砂利道や、ぬかった道、草ぼうぼうの道、
こういう自然界の道を歩く体験がない・・・・

つまり、歩くということに「快適」な環境だけで育ってしまった結果だろう。

別の話しだが、今の幼稚園の子供が動物園へ行くと、
鼻をつまんで「臭い」の大合唱を始める。
これは、普段の生活で完璧なまでの「消臭」という快適な環境で育ってきた証拠だ。

蟻。
幼稚園の子供たちが遠足へ行ってレジャーシートの上でお弁当を食べる。
このときに、蟻ぐらいでも、「きたならしいもの」がシートに入ってきたと騒ぎだす。
一人や二人ではない。
何人もの子供に見受けられる。

「些細なことに大騒ぎして耐えられない」

これって、モンスターペアレントそのものでしょう。
そこで、
そういうモンスターペアレントに育てられる子供は、見えるところでは、
こういう風に育ってしまうということが推測できるようになった。

そういう親に育てられると、はたして見えない「心」は、どうなってしまうのだろうか・・・

当然、そういう家庭では、子供が欲しがるままを与えられている可能性が高い。
「些細なことに大騒ぎをして耐えられない」子供の「心」に、
殺人シーンのリアルなゲームをし続けたら、
なんらかの影響があって不思議ではないはずだ。

この数年に、「殺してみたかった」という理由で中学生ぐらいの子供が、
殺人事件を起こすようになったでしょう。

何の理由もないのに殺された方は、無念以外なにものでもない。

殺人者は、「自分の都合100%」でやってしまったわけだ。

親殺しも、子殺しも、最近顕著だ。
これは、「親子の共依存」または、「親子の癒着」が背景にあるが、
「心」が本当の「大人」に親子で育っていなかったと思える。

いんしんな「いじめ」も目立ってきたのは、間違えなく「心」の問題だ。

こういう現象のすべての背景に「快適」があると僕は、観察している。

この「快適」を得るために、収入のすべてを使ってしまう。
子供の「心」という目には見えないものに、ほとんど関心がない。

今まで、モンスターペアレント自体が問題になってきたが、
これからは、
そういう親に育てられた子供の心が問題になりそうだ。

「快適」のあくなき欲求は、こういう事態を招いている。

僕は、強くこう思う。

「不便」「大変」「辛い」
こういう体験を子供が面白ながらできる「親子キャンプ」。

レジャーキャンプではなく、
子育てを強く意識した「親子キャンプ」。

子育てを他人任せにするのではない「親子キャンプ」。

子育てに、これがいかに有効か、早くパパに気付いてもらいたい。

父親の心が育った分、子供の心が育つ。
親子キャンプでは、親子でチャレンジして強い心になれるでしょう。
一刻も早くこの「快適」ではない体験を、
たくさん、たくさん、たくさん、親子でして欲しいね。

たかがマイクケーブルぐらいの段差で、子供たちがコケるなんて・・・・・


15/11/6(金)朝 キャンプじぃじの日記

僕は、高校を卒業して10年間、サラリーマンをした。
広告物の営業をした。
名のある企業の宣伝部や、販売促進課、広告代理店、
こういうところを廻っていた。

そこで人生の「学び」をしたので、
脱サラをして今の仕事を「飛び込み営業」で顧客開拓が出来るようになった。

「飛び込み営業」

今の仕事は、脱サラをしてから零細のビデオ屋を渡り歩いて、
技術的なことを覚えた。
現場のたたき上げだ。

これで、商売を立ち上げ、継続できるようになった。

僕は子供の障害を乗り越えるために、
子供をボーイスカウトに入れて、自らリーダーになった。
正確には、リーダーに「させられた」。

このときに、BSの「リーダー研修」を受けることになる。
三泊四日の「子育てのためのキャンプ」に参加をした。
那須にその研修所がある。
レジャーキャンプとは、まったく違う世界だ。

そして、僕は、カブスカウトの活動を年に70日もやってしまった。
ありとあらゆる「子育てのための活動」をした。
それで、僕に「子育てのノウハウ」が身に付いた。

今は、
「子育ての面白さをお父さんに伝える」
ことを目標にした活動をし続けて、
今年、
「パパだけキャンプ」という本命の活動が二回も出来た。

「気楽」「簡単」「便利」「快適」を目的に生きていたら、
決して僕のような「挑戦」はできない。
なぜなら、
僕の生き方は、

「辛い」「苦しい」「大変」

の健康盛りだったからだ。

「辛い」「苦しい」「大変」を乗り越えた時にのみに、
本当の個人の「成長」が起こる。

これは、大人でも子供でも同じだ。
艱難を乗り越えたときにのみ「人生の成長」が起こる。

この本当の個人の「成長」によって、さらなる「希望」が生まれる。
この本物の「希望」は、「欲望」でも「うぬぼれ」でもない。

本物の「希望」は、「生きるエネルギー」となる。

こういうプロセスで「生き生きと生きる」ことが出来るわけだ。
こんなことを説明できるようにもなれた。

いい余生だ。

これからのグローバルな世界で戦わざるを得ない時代を
堂々と子供たちが「生き生きと生きる」ことができるように育てるためには、

子供にとって「適度」な、
「辛い」「苦しい」「大変」な思いを乗り越える体験が不可欠でしょう。

これを面白くできるのが、「子育てを強く意識した親子キャンプ」になるわけだ。

他人任せにせず、父親自身でこれに挑戦すれば、
父親が「人生の成長」を果たす。

父親が成長した分、子供が成長するものだ。


15/11/5(木)朝 キャンプじぃじの日記

昨日、モンスターペアレントに育てられる子供がかわいそうだと書き込んだ。

昨日のニュースで、
40才代の父親が中学生の娘を監禁したということで逮捕された。

病的に幼稚な男だ。

僕が40才代のころは、カブスカウトの活動を年に70日もやっていたころだ。
僕自身以外の「自分の子供」「他人の子供」のために一所懸命に生きていた。

その男は、「父親」ではない。
変態だ。
子供を「自分のペット」「自分の所有物」にした。

親が「自分の都合100%」で生きているのは、本当に恐ろしいことだ。

この間、「パパだけキャンプ」に参加をしてくれたパパは、
素晴らしい。

自分の子供とどう遊べばいいのか、素直に「学ぶ」ことをしていた。
たぶん、「パパだけキャンプ」は、父親自身がちょっと辛かっただろうと思う。
「自分の時間」を割いてでも子供のために、
タープ張りや、テーブル作りに挑戦した。

非常に少ないようだが、
こういう心のあるパパをこれからも諦めずに探し出したい。

それで、

「子育ての面白さをお父さんに伝える」

を目指したい。


15/11/4(水)朝 キャンプじぃじの日記

自分のことしか考えられない人

仕事柄、モンスターペアレントに遭遇してきたが、
もう、そういう仕事は、ほとんど整理した。

そういう親は、「自分の都合100%」で生きている。
たぶん、子供が反抗期を迎えるころに、
そういう親は、今度は、自分の子供にクレームを付けるようになるのだろう。

モンスターペアレントに育てられる子供がとってもかわいそうだ。

親が欲しくてしょうがないもの、
それは、子供にとって必要なモノではないことが多い。

本当に子供の心を育てるのに必要なモノではない。
でも、親が「我慢」できなくて、自分の都合で欲しいものを手に入れる。
その結果、収入に見合わないことをしてしまうことがあり得るわけだ。

または、収入に見合わないのに欲しがるわけだ。

母親が父親に、
欲しいものが手に入らないので大クレームをつけるのを見たことがある。
離婚の原因になるでしょう。

目の前でこれを見た。

子供の存在は、親が「自分以外の人」を強く意識できる重要なものだ。
子供を自ら育てることで、
親自身がこの「自分以外」のことを考え、実行できるようになれる。

僕は、自分の子供の成長を願って「親子キャンプ」をやってきた。
学習障害の子が自立できた時には、ホッとしたね。
その時に僕は、「燃え尽き症候群」を体験するぐらい子育てに打ち込んだ。

子育てを金を払って他人任せにしていたら、
だから、親自身が育たないんだよ。

子供は、親の背中を見て育つ。

親が「自分の都合100%」で生きていたら、子供はそれを真似てしまうでしょう。
世代間連鎖だ。

下手でもいい。
いや、初めから上手な人は誰もいない。
下手でも、パパ自身が子供に関わり、
子供に「生きる意味」「生きる価値」「生き方」をパパの言葉で教えられれば最高だ。
下手でもいい、パパ自身でやろう。

親子キャンプで、たき火を囲んでパパが自分の子供に語って欲しい。
その子が、30才を過ぎたころ、
パパの心に人生の本物の豊かさが染み込むでしょう。
とっても幸せだよ。

「モノ」で幸せになんか、ならないことが、その時にハッキリと分かるさ。


15/11/3(火)朝 キャンプじぃじの日記

子育てを強く意識した「親子キャンプ」は、
レジャーではないから、
親も「辛い」「苦しい」「大変」を体験することになる。

僕の場合、
子供が中学生ぐらいだったころ、年に一度「雪中キャンプ」をやっていた。

「雪中キャンプ」

予算の都合で、二人の子供には羽毛のシュラフを買い与えていたが、
僕は、ロジャースで5千円で買った安物のシュラフで、この雪中キャンプをした。

雪中キャンプだけではなく、
冬季キャンプは、全部この安物シュラフで僕は寝ていた。

寒かったよ。
お蔭で、冬のキャンプでは、いつも風邪をひいて帰って来ていた。

現場では、車の運転以外のすべての作業を子供がこなしていたから、
僕は、何もやることがない。

ひたすら、雪の上で酒をチビチビとやりながら子供の作業を見守っていた。
あまりに寒いので、
最初は、家庭用の石油ストーブを持ち込んだこともあった。
でかくて荷物になるので、1シーズンでそれは止めた。

ボンベガス式のストーブも試した。
おもちゃだ。
何にも役立たなかった。

そこで、「マナスル社」製の灯油のキャンプストーブを買った。
普段は、コンロとしても使える。
着火にコツがいるのと、やたらにうるさいのを克服すれば、
滅茶苦茶、暖かかったね。

今、持っている「マナスル」は、二代目だ。
でも、子育てが終わって、使うことがなくなった。

親の僕自身が「大変」「辛い」「苦しい」を親子キャンプでたくさん体験した。
本当に子供のことを思っていたからこそできた。

子育てを他人任せにしなかった。
下手でも、親の僕自身でやった。

子供たちは、末っ子を除いて、30才代のおじさんになった。
長男以外は、僕のところに、たまにだが、遊びに戻ってくる。
子供が小さくてかわいかった頃の思い出話を、ツマミに子供たちと酒を呑みかわす。

これ以上の幸せはないね。

親自身が大変だったことを子供が分かるときが必ずやってくる。
親が欲しいモノ、親が楽しいこと、
そうではなくて、子供のために苦労をしたことが、子供が分かるときがやってくる。

このときに、幸せさ。


15/11/2(月)朝 キャンプじぃじの日記

幼稚園の発表会のシーズン到来だ。
明日、その一本目の撮影がある。

この発表会での撮影では、「一人3カメ」という方法を編み出した。
一人で、3本のカメラを操る。
普通は、一人で1本のカメラを扱うものだが、
このことで「人件費」を浮かす。

福島の震災前からやっているから、
たぶん、7〜8年前からこの方法で撮っていると思う。

「言われたことしかできない」

こういう人を見かけないだろうか。
こういう人は、仕事を「創意工夫」することがないでしょう。
なぜ、こういう人が育ってしまうのでしょうか?

「生きる意欲がない」

こういう心の状態で「言われたことしかできない」人になりやすいのではないだろうか。
小さい内から、親に「こうしろ、あぁしろ」と言われ続けて、
自分の好きなことに夢中になって遊ぶ体験がないと、
なりやすいのではないだろうか。

もちろん、子供の好き勝手を放っておけば、
わがままな子になりやすいだろう。

たぶん、「遊びの大枠」は、パパがシチュエーションとして用意して、
その中で、「安全上ダメなこと」を教えて、
具体的な行動は、

「親が手を出し、口を出し」しないで、作業を見守る。

これができればいいと思うよ。
具体的には、これを「親子キャンプ」でするのさ。

子供に出来そうな作業をドンドンと子供にやらさせて、
危なくないかどうかをパパが「見守る」わけだ。

小学校高学年になったら、そうして親子キャンプの体験を重ねれば、
ほとんどの作業が出来るようになる。

さらに、子供が親子キャンプを重ねて体験していけば、
中学生ぐらいで、子供自ら、キャンプの企画を立てられるようになる。

さらに、僕の場合、
親子キャンプの体験を重ねて、ついに子供に「ソロキャンプ」をさせた。
こうして、段階的に少しずつグレードアップしたキャンプをしてきた。

このことで、僕の子供が学習障害なのだが、
「自立をした一人の大人の社会人」に育っていったんだよ。
僕は、命がけでこれに取り組んだのさ。

それで、今の余生になった。

歳をとった時のサイクリングの楽しみ方をこの数年で「開発」できた。

つい最近では、
「店で出せる調理」を目指して「商品開発中」だ。
昨日の「日曜晩餐会」では、僕が作った昼食の「野菜スープ」の余りで、
ばぁばがチャッカリと、それを鍋のダシに使っていた。

仕事、子育て、サイクリング、調理・・・・
僕は、誰に言われるまでもなく、自ら「学ぶ」ことをして、実行、
そして「応用」してきた。

僕は、高卒だよ。

無目的に大学さえ出せばいいのとは違うと思うね。

「生きる意欲」さえあれば、人は、必ず自分に必要な「学び」を始めるさ。
それで、「生き生きと生きる」ことを身に付けるさ。

「生きる意欲」

満たされ過ぎていたら、出てこないよね。
「不足」があるからこそ、「意欲」が湧くよね。
簡単なことさ。

キャンプ生活は、「不便」「大変」「辛い」があるからこそ、
子育てにいいのさ。
これを「面白く」パパが誘導すればいい子育てになるさ。


15/11/1(日)朝 復活サイクリストの日記

昨日は、ばぁばが仕事に出た後で、
サイクリングをし始めた。

目的地がないままペダルを漕ぐ。 猫ランだ。
気の向くまま走る。
それで、また江戸川の土手を走っていた。

もうどの方角へ行っても新鮮味がない。

走っている最中、ずっと「かつおの粉末」のことを考えていた。
やすり掛けをすれば、粉末が作れる・・・・ここまで走りながら考えた。

思い付いたらやってみたくなるものだ。

サイクリングをさっさと止めて、そのままスーパーへ行った。
たった2時間ちょっとだけのサイクリングになった。

スーパーで「かつおの塊」を買って、
ボロアパートに帰り、早速「手打ちうどん」を作って、
それの汁にその「かつおの塊」から粉を削り出してみる。

レザーマンのツールナイフに付いているヤスリで、かつおを削る。
ものすごく、硬くてなかなか削れない。
1g を削り出すのに腕が疲れる。

あのラーメン屋さんの汁のように、丼の底に「漂う」ほど削り出すのは、
とても無理そうだ。

なんとかそれを、5g を削り出して嫌になった。

どういう汁にするのか・・・・・野菜たっぷりの汁にすることにした。
イメージとしては、あのラーメン屋さんの汁だ。

200ccの水に、
キャベツの細切れ、ニンジンのみじん切り、そこに鳥の皮を 20g 細かくして、煮込む。
材料が煮立ったところで、
ネギの乱切り、玉ねぎ1/8、
そして、醤油とみりん、酒、塩、ここに「カツの粉末」を入れて一煮立ちした。

鶏の皮の強い油と、塩の強い醤油味だ。
これに負けない「かつおダシ」を目指す。

このつけ汁に手打ちうどんを付けて食べてみた・・・・・
ダメ。
かつおが負けている。
粉末の量が不足している。

そこで、夕食は鍋にすることにして、再挑戦することにした。
ツールナイフのヤスリでは、仕事にならない。
普段持っているヤスリでは、汚すぎる。
そこで、
ホームセンターへ木工用のヤスリを一本買いに行った。

そのヤスリでかつを削る。
ナイフのものよりは、作業効率がいいけど、それでも、かつおが硬くて大変。

で、妙案を思い付いた。
それは、かつおダシを普通に作って、
そこに、かつおの粉末を加えるというものだ。

かつおダシを煮込むのは、だいぶこなして自分のものに出来た。

450ccの沸騰した湯に、かつお節を普通に入れて、
再度、沸騰したところでかつお節を漉すでしょう。
それを煮詰めるのが、今までのテクだった。

今度は、それをさらに 3分間、弱火で煮込む。
その上で、かつおの粉末を 5g入れて、鳥皮を加えた。
あとは、鍋風に具材と調味料を入れてみた。

今度は、かつおダシを煮詰めるよりは、強いダシの味になった。

研究は、さらに続く・・・・・

何かを掘り下げて、こうして遊ぶのは面白い。

YouTube に動画をアップするのが面白くなったのも、
最初は、写真のスライドショーにハマって始めた。
その一番最初の作品・・・・

「御宿」

この作品から、ついに 79タイトルをアップした。
初めは、「写真のスライドショー」がたまらなく面白かったが、
それに飽きて、
今では、ビデオ屋の作りになった。
ただ、「写真」も使う編集というところが、商売のビデオ制作とは大きく違う。

味付けでも、ビデオ制作でも、夢中になって「作る」喜びを身に付けると、
面白い人生になる。

「そんなの、おっくう」とか「そんなの面倒」と言う子供がいる。
「生きる」ことに冷めているのが「かっこいい」と勘違いをしている。
毎日、毎日、「気楽」「簡単」「便利」「快適」に生活をしていることを、
子供が「ステイタス」にしたら、当然、そういうフレーズを言い出すでしょう。

このことが理解できないだろうか?

「生き生きと生きる」
「命がけで生きる」

こういう「生きる」ことに前向きになるように子供を育てるためには、

「満たされ過ぎない」

ことが、たぶん、絶対条件だと僕は思う。

不自由な生活体験・・・・・・「満たされない生活」
これこそが、
「ハングリー精神」を子供に身に付けさせることができるものだ。
こういうことで、
「不自由」で「大変」なキャンプ生活の体験が今の子供に必要になるわけだ。

味付けでも、ビデオ制作でも、僕が夢中になれるのは、
「満たされ過ぎる」子供時代ではなかった僕の体験で身に付いた。

さらに、「自分の人生を作っていく」という「生きる感覚」も手に入れた。

さぁ、子供を大いに大自然の厳しさの中で心を強く育てよう。
親子キャンプにチャレンジしよう。

そうすれば、ナント、パパ自身も成長できるさ。
これに気付けばビックリ仰天するだろう。