阪神大震災(5)(まえ)
 地震から一日半たって「バイクで水を運ぶ」ことが決まった。しかし既にコンビニに水は無かった。代用にしたかった灯油缶(水を入れて運ぶ)も売りきれていた。飲み水をいれる入れ物を探すことから僕達の救援活動は始まった。
 まずは水を入れる容器を探さなければ。しかし大阪中の人が同じことを考えて容器と言う容器は売り切れでした。バイクに乗って手当たり次第、容器を求めて大阪中を掛けまわりました。そうしている間にも神戸の状況は刻一刻と悪くなっているような気がしてとてもあせりました。全身から脂汗が流れ出し緊張もどんどん高まって行きました。
 何時間か走りまわってやっと見つけたポリタンク。しかしこれはもともと灯油缶で飲料水を運ぶ安全性は保障されません。もちろん新品なので油が浮くことは無いのですがこの容器の水が現地で役に立つかどうかとても疑問です。それでも出発するしかありません。飲み水にならなくても何かの役には立つだろうと取り敢えず18リッターの水とコンビニの袋一杯のおにぎるをバイクに積んで頭に向けて出発しました。
 50ccのバイクで行くには神戸はとても遠かった。道路は地震の最中の様に振幅2〜3mの波を打っていてまるでジェットコースター。エンジンが焼きつくのが早いか到着が早いかと言った状態でとにかく向った。
 到着した場所は同僚の家ではなく「家の跡」だった。唖然とした。こんな状況だったなんて知らなかった。言葉が出なかった。仕方なくただ黙ってポリバケツを渡そうとした。そこにいる見ず知らずの人たちがきらきらとした目で笑った。ほんの数滴ずつまるで宝石を扱う様に大切にその水を使ってくださった。すでに同僚もその家族も親戚の家に避難した後だった。電話が通じないので状況は把握できなかった。とにかく持ってきた。それが役に立っていた。自分が必要とされている満足感と達成感があった。皆さんにたくさんお礼の言葉を頂いた。「お礼は不用です。こんど誰かが困っている時今度は一緒に助けに行きましょう。」などと格好と付けて大阪へ帰った。帰りの道すがら格好をつけた自分が恥かしかった。生死の間をさまよいながら必死で生きる人達に対してとても恥かしかった。
 
つづき