阪神大震災(4)(まえ)
 
 神戸と大阪を結ぶ国道2号線と直結する国道1号線が会社の前を通っているが地震翌日の午前中はいつもなりの渋滞で特別な状態ではなかった。救急車やパトカーのサイレンがひっきりなしになっていることだけが地震のあったことを物語る唯一のものといった状態がその日のお昼頃まで続いていた。
 お昼ご飯を食べている頃、だんだん、世間の様相が変ってきた。いつもならスムーズに流れている国道1号線がだんだん込み出したのだ。「何でだろう?」と会社のみんなと話しているとラジオから神戸方面へ救援物資を運ぶ自動車が交通渋滞で現地に到着しないと言っているのが耳に入った。
「これがそうなんだ!」
と言いながら僕達の会社の関係者でも大変な人がいるからその人達に物資を運ぶ方法を考えなきゃと言うことに成った。
 自動車はダメなので他の方法でと言うことでバイクで運ぶことに成った。しかし僕の会社は自動車は他人に貸すほど持っているがバイクは一台も持っていない。バイク屋さんで買いたくても同じことを考える人は一杯いるので既に売りきれ。次の納品も道路がこんな状態だからいつになるか分からないといわれしょうがない、従業員が持っているものを借り上げて何とかしようと手当たり次第、従業員に貸してもらえないか問い合わせた。しかし大部分はその人の生活に使っているため借りるのは難しかった。交通機関が役に立たないのにバイクまで使えなかったらその人達も生活できないのは当然の状況だった。
 それでも、2台ほどほとんど使っていないバイクを調達できた。それも持ち主がレンタル料など要らない。それだけでも役に立てれば良いといって無料で貸してくれた。現地の人達に一番必要なものはなにかを聞いてみた。有線の(従来の)電話は全く役に立たなかった。いつ掛けても回線が込み合っています。時間を置いて掛けなおしてくださいとアナウンスが流れるだけだった。まだ、あまり普及していなかった携帯電話からは普通に掛けることが出来たのでそれを使った。この携帯電話も会社は禁止していたので全て従業員の私物の電話で通話料金も個人の負担になった。それでも持っている人は快く使わせてくれた。
 そうして分かったことはとにかく「水!」が必要だと言うことだった。お米も火もあるが水が無い。風呂にも入りたい。せめて頭を洗いたいと使い道はそれぞれだがとにかく水が欲しいということだった。
 地震から一日半たって「バイクで水を運ぶ」ことが決まった。しかし既にコンビニに水は無かった。代用にしたかった灯油缶(水を入れて運ぶ)も売りきれていた。飲み水をいれる入れ物を探すことから僕達の救援活動は始まった。
 
つづき