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Cell_雀 不定期コラム 第四十弾! |
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私の職場では、高齢者の方とよく話す機会があります。 もっぱら、PC&インターネット関連の話題で盛り上がります。 そこでよく感じるのが高齢者のインターネットの捉え方に対する「違和感」です。 なにを「違和感」として感じるかというと…。 ネットコンテンツに対して高齢者の方がよくいうセリフに…、 「それはタダ?」 「武藤さん、それはタダなの…?」 「へー! それがタダなんだ!」 …ね、違和感、感じるでしょ?(笑) もちろん彼らも、通信費とか電気代のことをいってるわけじゃないんです。 純粋に「そのコンテンツが無償で提供されているか?」ということをいっているのです。 そしてもちろん、ネットの世界には様々な無償&有償サービスが存在していることもまた事実です。 でも…やっぱり違和感を覚えてしまいます…。 それは多分、高齢者のインターネットのイメージって「インターネット株式会社」なるものが存在する。 …かのようなイメージなんですよ。まるで。(笑) なるほど会社ならサービスを提供することに対して当然対価を要求してきますし、サービスが「純粋に」無償提供されることは基本的にありえないでしょう。 …で、ご存知のようにインターネット株式会社は存在しません。 本当は「インターネット」すらどこにも存在しないのです。 あるのはただ無数のコンピュータの接続によって生み出される「空間」であり「環境」であり、我々が勝手に "インターネット"と呼んでいるのにすぎません。 ではインターネットは概念的な存在として…それは誠に特異な性質をもっているといえます。 既存のどのメディアにもなかった、その著しい特性とは? それを一言でいうのは難しいですが…あえていうなら 「インターネットは媒体を持たない」 …と、これにつきるのではないかと思います。 既存のメディアとは明らかに違うこの特性…これはいったい我々になにをもたらすんでしょう? 既存のメディアはその流布媒体に制約を受けました。 文章や画像ならそれを定着させる紙媒体が、音楽や動画ならCDやDVDのような記録媒体が必要でした。 インターネット以外のメディアは必ず媒体を持っていました。 それは…、そこに産業が発展する可能性を示唆し、業界なるものを存在させ、顧客層を創出し経済活動を生み出したのです。 インターネットに媒体はありません。 あるのはTCP/IPのルールにのっとったパケットの送受信が在るのみです。 コンピュータですら媒体ではなく、媒体のコンバータとして一時的に利用されているに過ぎません。 将来はPCを超えるツールがインターネットシーンの主役になっているのかもしれないのです。 媒体をもたないインターネットは産業としては成立しがたい存在かもしれません。 しかし産業にならないが故にインターネットには既存のメディアを駆逐する大きな可能性があります。 インターネットは今、黎明期を終え成熟期を迎えようとしています。 ユーザーの利用フェーズもその内容も、今後ますます変化していくことでしょう。 今から10年後にネットの世界はどーなってるんでしょうか? 無数のSNSに細分化され、日常の記憶やデータのほとんどをアップロードし、現実世界とリアルタイムに進行していくネットワーク社会が創出されているのでしょうか? 既存のメディアはすべてネットの中に飲み込まれ、法律や著作権は形骸化し、この新しい電脳社会に対応する新しいルールと枠組みが求められるようになるのでしょうか? 人間は棒切れがあれば、それで穴も掘れるし、火もおこせます、獲物だってしとめられます。 インターネットのよーな便利な棒切れでなにをしでかすかは…おのずと想像がつきそうです。 |
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