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平家琵琶とは
「平家琵琶」という言葉から、皆さんは何を連想しますか?
冒頭の「祇園精舎」ですか? それとも小泉八雲の「耳無し芳一」でしょうか?

平家琵琶とは、平家物語を「平家琵琶」の伴奏で語るものです。
鎌倉時代に成立して以来、盲人が中心になって伝承してきたものです。

伝承していたのは 盲人だけではありません。
少なくとも江戸時代が始まる頃には、晴眼者(=目のみえる人)たちも伝承していました。
大名・武家・文化人(=茶人・歌人)の教養としての伝承が 今日まで続いているのです。

平家琵琶に対する誤解
現代、伝承できる人(=相伝者)も、史料も少ないせいでしょうか、
「盲人=貧しくて無教養な人種」だとか「文化人の教養=目あきの道楽」などと
誤解している記述に出くわすことがあります。

たしかに、「貧しい盲人」や「趣味で習う目あき」は存在していたと思います。
でも、そのような人たちが、あの膨大な平家物語を語れたのでしょうか?

多くの研究で、この疑問点が見過ごされてきた理由は
おそらく、文学の「平家物語」と、音楽の「琵琶」が 別々に研究された結果、
平家琵琶をひとつの文化と捉える機会がなかったためだと思われます。

どんな人びとが平家詞曲を守ってきたのか
私は 小学校6年生の1月から 平家詞曲を習い始めました。
母方の先祖が代々平家詞曲を伝承していた、と聞いて、興味を持ったのです。

大学に入るくらいまでは、変体仮名で書かれた譜本を解読するのが精一杯で
平家物語の内容や 複雑な音楽構造に 疑問を抱くことすらできませんでした。
しかし、大学卒業頃から、平家物語の中に漢詩・和歌・管絃・仏教思想が含まれることに、
全200句を修得する頃には、「秘曲」の中に天皇家の歴史があることに、気づきます。

平家詞曲の相伝には、詩歌管絃などの素養と、天皇家のことを語るだけの身分が必要なのです。
平家詞曲を守ってきたのは
盲人では検校(=盲人の最高位)、晴眼者では大名・武家・文化人といった
高い位と高い教養とを身につけた人びとだったのです。

このホームページの目的
このホームページは、平家詞曲を一つの伝承文化ととらえ、
より多くの方に、より正しく理解していただくために
私 madokaが 前田流平家詞曲相伝の立場から作成するものです。

現在、日本文学や日本音楽史の分野で研究されている論は、
それぞれに根拠がありますので、すべてを否定するつもりはありませんが、
平家詞曲の正しい理解をめざすため、定説と相反する記述をすることもあります。
どうぞ、このホームページの目的をご理解の上、内容をご覧下さいますよう
お願い申し上げます。


Copyright:madoka 初版:2000年3月24日


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