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日常のつれづれ(衣食住や時事的な話題が中心です)
001 2004年(8月-)

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東急ハンズ (2004-10-24)

とある用事があったので,ひさびさに東急ハンズに行った.

いやぁ,僕,ハンズのような生活雑貨って結構好きなんですよ.
だからいつの日か女の子とハンズデートがしたいわけですよ.
各フロアけっこうゆっくり見て,見終わったらちょっと疲れたねえってお茶でもするようなデートが,したいわけですよ.

週末の街には,「THE デート服」ってな感じのやや丈の短いスカートだの,よさげなブーツだの,何かはわかんないけどとにかくいつもより輝いている女の子がでつがいでうようよしていて,なかなか気持ちを曇らせるわけですが,そんななか,偶然知人がつがいで歩いてるとことか見ちゃうと,ダメージ大きいですな.

冬に向けて購入した静電気除去グッズとか,『アイスエイジ・グレイシャルウォーター』(ミネラルウォーターで硬度1.18.こないだ『コントレックス』買ったらあまりの硬度の高さ(1551)で飲みきれず,今度は思いっきり軟水を飲んでみようと購入)とかを単身買い込んでる自分が,なんだか必死にさびしさを紛らわせてるみたいに思えてきてせつなくなってしまいました.


バブルの本当の怖さ. (2004-10-10)

最近立て続けに,「バブルの頃からおかしくなった」という話を耳にしたので,同じことを考えている人は多いのだなあと思った.

おかしくなったというのは,人々の考え方のことだ.
自分自身,バブルでお金を手にした人間でないからわからないが,日本の高度経済成長の最後のお祭りとも知らずに,人々は「楽してお金が手に入る」快楽を知ってしまったのではないかと考える.
あのバブルのとき何を感じどう行動したかによって,今の行動は全然違ったものになってしまっているんではないかと.

一度知った快楽は,簡単に手放せない.
酒やタバコが容易にやめられるものではないことは皆が認めるところであろう.
覚醒剤などがやめられないのも,強い習慣性があるからだ.
脳は強い快感を決して忘れず,理性を抑圧してでも再び快感に浸ろうとする.
贅沢な暮らしというのも,やはり例外ではないのだろう.

バブルの頃,身の丈に余る贅沢を経験してしまった日本人の多くがいま,贅沢依存症になってしまっているのではないだろうか.
本来なら仕事に不釣合いな収入を自分の真価と勘違いし,少しでもラクをしながら少しでも収入や休暇が手に入らないかと考えるようになってしまった.
そしてそれより下の世代も,「あれくらいの働きぶりであの暮らしなのだから,私はそれよりはいい暮らしができるはずだ.」と考え,そうならないことを社会のせいだと考える風潮が蔓延しているのではないだろうか.

贅沢な暮らしを求めるなかで,確実に取り分は減ってくる.
そこで贅沢依存症者はどうしたか.
お金に見境無くなったのだ,と私は思う.
お金に心を売った,もしくは心を担保にかけがえのない価値をを切り崩したといえばいいのだろうか.
贅沢依存症者は生きていくために必要なお金よりも,もっと多くのお金がなくては「生きていけない」.
そこで,心をお金に変えて生き永らえているのではないか.
「拝金主義」と言いかえれば理解しやすいか.
お金こそがすべてに優先され,お金イコール幸せと解釈されるようになってきた.
「お金のためなら嫌なことも我慢する」
「自分の利益のために他人が不幸になっても仕方の無いことだ」
「ラクと収入と,両方を手に入れたい私ってわがまま?」
世の中がどんどん汚い考えに染まっているような気がする.

今の世の中,結婚しない女性が多くなっているのは,結婚によって経済的な豊かさが損なわれるからなのではないだろうか.
婚期が遅れる女性が合言葉のように言っている言葉がある.

「贅沢な暮らしは望まないけど,生活レベルを落としたくは無いの.」

今までの贅沢な暮らしがニセモノだということに,そろそろ気付けよと.
一昔前に夢見ていた「普通の暮らし」を維持するために,どれだけの安らかな時間や家族とのコミュニケーションやら,ゆとりを犠牲にしているか,そろそろ冷静に見つめなおせないのか?
贅沢依存症は,目先の贅沢に哀しいくらいに執着する.社会全体がこの何十年もの間に失ってきた「心のインフラ」を食いつぶしてもなお,目先の贅沢という快楽に依存してしまっている.
こんな快楽漬けでは心が腐ってしまう.
それとも,もう腐ってしまっているのだろうか.
快楽の誘惑に負けず身の丈にあったつつましい生活を送ることのできた方々よ.
どうか,明るい世の中を取り戻せますように.

なお,結婚しない男性が増えている理由については長くなるのでまたそのうち.


土曜日のお気に入り (2004-10-02)

実験のたてこんでる土曜日.
今日なんかがまさにそうだったのだけど,そんな日の僕のお気に入りは行きつけの喫茶店で,流れてくる『サントリーサタデーウェイティングバー アバンティ』(TOKYO FM系 北海道Air-Gでは午後5時から)に耳を傾けながらビッグコミック(小学館)を読むのがお気に入り.
週末のちょっとした孤独感と肩肘張った自分の緊張感がほぐれて,次への活力が湧いてくるのがいい.

喫茶店だって全然おしゃれじゃないし,その喫茶店で出てくるランチだって学生街にふさわしくひたすら量が多いし,かわいいウェイトレスがいるわけでもない.
だけど,そのひとときはそんな日常を「いとおしい」と思わせる何かがある.
そんな「小さな奇跡」をいっぱい知ってるオトナになりたいと願う今日この頃.

ま,ランチの量の多さはダイエットの敵なんだけどね….


※追記 その喫茶店は私が札幌を去るのとほぼ時を同じくして店じまいしてしまいました(2006年4月頃).懐かしいなぁ『喫茶エマイユ』….


修理屋 (2004-09-20)

金曜の夜,腕時計が止まっていることに気づいた.

午後8時を過ぎていたのだけど,通りがかった駅地下の時計屋に持ち込んでみた.
そこには30代であろうか,それとも40代なのかもしれない,若々しいヒゲの職人さんが時計修理用のルーペを片目にはめながら熱心に小さい時計を直していた.
自分の番になって「電池が切れたかもしれない」といって腕時計を渡すと,慣れた手つきで小さな小さなネジをはずしていく.

腕時計は親から誕生日にもらったアナログ式のものだ.そう長く使っているわけではない.普段は腕時計をしない生活をしているので,外で人に会うときだけ,その腕時計をする.
「形見ならともかく,日常する腕時計くらい自分で選ぶか….できれば,彼女からのプレゼントなんかだといいんだけどな.」

そんなことを考えていると,その修理屋はすまなそうに「すいません.おそらく電池切れだと思うんですが,ちょうどこの機種に合う薄型の電池を切らしてしまっていて….明日の午後には入荷するんですが….ですがお客様お急ぎですよね? 申し訳ないですけどこのまま元に戻しておきますね.ほかをあたってみてください.すいません」と言った.
確かに僕はこれから電車に乗るところだったのでうなずいてしまったのだが,とても器用に,そして丁寧に腕時計を扱うその修理屋の対応に,僕は酔ってしまっていた.小さい頃,興味本位に時計を分解しては,何台か壊してしまったことを思い出していた.そのなかには両親が結婚したときの記念のアナログ時計もあった.もっとも,その時計が大事なものだったことを知ったのは,ずっと後になってからで,それを知ったときには申し訳ない気持ちと,興味を持ったことをとことんやらせてくれた親への感謝の気持ちで胸がいっぱいになったんだった….

「やっぱり,あの修理屋さんに直してもらおう.」
駅に向かいながらも,気持ちはすでに固まっていた.
時計を大事に扱われることが,こんなにも心地の良いことだったなんて.
今まで,腕時計にカネをかけてる奴の気持ちなんかまったくわかんなかったのに.

****

3日ぶりに腕時計を持っていったら,その修理屋がいて,時計のことを覚えてくれていた.
そしてものの1分足らずの早業で電池を換えてくれて,「ご迷惑おかけしましたから」といって消費税分をおまけしてくれたのだった.
電池交換の代金はそのショッピングモールの買い物カードを見せるだけで100円引きになるらしかったが,そんなこと気にならなかった.

僕はとても楽しい気分になって,その修理屋を後にした.


札幌の被害@台風18号 (2004-09-08)

瞬間最大風速50.2m(11時20分)ってすごいなあ.
もちろん観測史上記録です.
10時台に49m台が出てたのが,あっというまに更新されちゃった.

H大のポプラ並木は,倒壊のニュースが流れてからは学内・学外問わず黒山の人だかりになってました.
散歩がてら,私もパチリ(写真1).

写真1

H大の名物ポプラ並木
2004年9月8日

写真2

大学内メインストリート
2004年9月8日


学内中とにかく木が倒れまくり(写真2).
場所によっては幹の下をかいくぐり,枝を踏み分けなんとか行き来がやっとな状態.
枝が折れてる,というよりは根っこごとえぐられてる感じ.
いやぁ,僕のどさんこ人生でこんな強風の台風直撃したのはじめてですよ.

復旧までは時間かかるよなあ….


トレートパーマと金銭教育 (2004-08-13)

もしも私に娘ができて,中学か高校にはいって
「あたし,ストパにしたいんだけど」
と言ってきたらどうしようか.と思った.

おそらくこういうのは父親にではなく,母親にいうんだろうから,そういうときにこういうふうに答えてくれるような女性を妻にしたい,と思った.

「どうしてストパにしたいと思ったの? みんなやってるからって理由だけではお金出してあげられないよ.どうしてしたいか理由をよく考えて,それでもしたいと思ったら,自分のお金でやりなさい.」

流行にながされっぱなしの子供にはしたくないし,そもそも自分のやりたいことが簡単に親の金で解決すると思われては困るからだ.仮にそれが「利害が一致」することでも,親は子供に言われたくらいで簡単に財布の紐を緩めてはいけない. もちろんこんな言い方であしらっていてはまっとうでないお金の稼ぎ方に目をむかせてしまうことになるので,日ごろからお金に関する考え方はきちんと学ばせる. 子供が非行に走ったり,働く気が起きずにだらだらしているのって,親の金銭教育がしっかりしていないことが多いのではないかと思うのですよ.

単にお金を「あればあるほどいいもの」「お金こそ正義」みたいなふうにしか捉えていない親だと,その子供は確実にお金で不幸になる(お金に心をのっとられてしまう,といえばわかりやすいだろうか…)のじゃないのか.私はそう思えてならない.

今の小中学生の親世代って,バブルの「いい頃」を体験しているために,お金についての考え方がとても楽観的な気がする. 「お金って怖いもの」「お金は手段であって目的ではない」「お金は必要だが,人を不幸にするものでもある」 そういうお金の違った一面を教えることこそが,子供を商業主義から守り,個性を伸ばし,ひいては人間らしくあるためには必要不可欠なのではなんだろうか…?

ポストバブルのパパママこそが,日本を立て直す陰の主役だ!

というのは単純すぎるかな? ご清聴ありがとうございました.