米大統領選挙の結果をにらむ米朝両国政府の外交駆け引き

− 模様眺めの6カ国協議で不透明化する拉致問題の解決 −


▼「話し合いの継続」だけを確認

 2004年2月28日、昨年夏の第1回開催いらい開かれなかった北朝鮮核問題を中心とする6カ国協議の第2回協議が終了した。
 今回の会合は、昨年10月にブッシュ米大統領が「文書による安全保障」の可能性に言及し、一方の北朝鮮は昨年12月にはじめて、平和利用も含めた「核開発の凍結」を提起したという事情を背景として、北朝鮮核問題に大きな前進があるのではないかとの期待の下で行われた。
 しかし会議は、平和利用も含めた全ての核開発の放棄を迫るアメリカと、「核兵器開発」の凍結という形で従来の主張をトーンダウンし、平和利用での核開発は放棄しないとする北朝鮮との溝が埋まらなかったため、具体的成果はなかった。そして議長役の中国外務次官は、議長総括という形でこの会議を以下のようにまとめた。
 『4)6者は、朝鮮半島および地域全体の平和と安定を維持するため、核兵器のない朝鮮半島を実現すること、および、相互尊重と対等な立場での協議という精神の下、対話を通じ、平和的に核問題を解決することに向けたコミットメントを表明した。5)6者は、平和的に共存する意志を表明した。6者は核問題に対処すべく調整された措置をとること、および、関連する懸案に対処することに合意した。6)6者は、協議のプロセスを継続することに合意し、原則として、第3回6カ国協議を、北京において、2004年第2四半期末までに開催することに合意した。6者は、全体会合の準備のため、作業部会の設置に合意した。作業部会の検討すべき事項は、今後、外交チャンネルを通じて決定される』と。
 要するに、6者は今後も核兵器のない朝鮮半島を実現するために平和的に話し合いを継続する意思があることを確認し、早急に具体的措置を検討する作業部会を設置することと、今年の6月末までに次回会合を開催することが確認されたということである。
 端的に言えば『中身なしの話し合いの継続』。これが今回の6カ国協議の結果である。

▼アメリカの強硬姿勢の背景は?

 「核開発」の廃棄に向けた具体的進展が期待された会合が、なぜ「協議の継続」だけの結果に終わったのか。その理由を「北朝鮮特有の譲歩と脅しの外交」にあり、「強い措置」を取らなければ進展はないとする意見もあるが、これは事態の本質と経過を無視した、ためにする議論に過ぎない。
 会合の経過を見れば、米朝双方が対立したのは「核の平和利用」の問題である。なぜに今回の協議でこの問題で米朝は対立しなければならなかったのか。
 これは協議再開の直前に行われたブッシュ大統領による「核不拡散のための新たな枠組み」の提案であり、その直前のパキスタンからの核技術の拡散と中東での「核の闇市場」の存在の曝露という事態が背景にあると考えられる。
 2月11日に出されたブッシュ大統領の提案は、非核保有国による原子力発電用の核燃料生産の規制や、国際原子力機関(IAEA)の機能強化などを盛り込んだもので、すでに核技術を持つ国の核燃料生産を制限するとともに、「核の闇市場」に対する国際的な取り締まりを強化して核兵器の秘密開発を防ぐのが狙いである。この声明の中で大統領は、パキスタンのカーン博士を中心とした「核の闇市場」を通じて、どのように核技術が拡散したのかを詳しく述べるとともに、北朝鮮やイランが平和利用を隠れみのに核開発に取り組んだことを非難し、核不拡散のための現行の仕組みには不備があるとして、この新たな提案を行った。
 しかしこの提案の実現可能性には疑問がある。とくに、平和利用のための核技術開発をすでに核を保有している国々だけに限定することは、平和利用のために核技術の開発に入っている多くの国の反発を呼び起こすことが予想され、またこれらの国々に核技術移転で利益をあげようとしている国々の反発も予想される。したがって核不拡散のための新たな国連安保理決議もこれらの国々の反対で実現はしないだろう。
 それゆえこの提案の実質的な意味は、現に核の平和利用を名目にした核兵器開発を疑われている、反米路線を明確にしている保守派が実権を握ったイランと、「核開発」でアメリカに脅しをかけてくる北朝鮮に圧力をかけることに過ぎない。
 だからこそ北朝鮮はすぐさま反発したのだし、6カ国協議で「核兵器開発の凍結」のみを強調し平和利用をしてなぜ悪いかと強硬な対応を取ったのである。
 ではなぜブッシュ政権は、6カ国協議再開の直前になって北朝鮮を硬化させる措置を表明したのだろうか。はっきりしていることは、イラク戦争の開戦理由となった大量破壊兵器の存在がそもそも虚偽の理由であったことが曝露されたことで、政権とこの路線を推進してきたネオ・コンと呼ばれる勢力が窮地に陥っている状況の中でこの新たな提案はなされたということである。
 そしてこの「核不拡散の新たな枠組み」提案の中では、現在核不拡散のための国際条約にも加盟することなく核を大量に保有しアラブの国々にとって脅威となっているイスラエルの存在が不問にされていることからもわかるように、この声明はイスラエル寄りの外交路線をとるネオ・コン路線の延長上にあることがわかる。この声明は、アメリカの利害が他の何物にも優先するとする一国主義的な外交政策を今後も継続するとのネオ・コンの宣言である可能性が高い。
 進展が予想された6カ国協議の直前に核の平和利用も許さないという強硬な姿勢を打ち出し、北朝鮮の反発を口実に6カ国協議の実質的前進を阻んだのは、国防総省を基盤とするブッシュ政権内のネオ・コン勢力だったのであろう。だから国務省が主導する今回の第2回協議は実質的な前進は最初から望めず、協議の継続だけが当初からの獲得目標となっていたに違いないのである。

▼進展は大統領選挙の結果次第?

 この意味で次回第3回協議が、議長総括にあった「2004年の第2四半期の末」までに開かれる可能性は少ない。開かれたとしても大きな前進はないだろう。具体的な合意までの手続きを協議する「作業部会」は開かれるであろうが、アメリカ政府の腰が定まらない限り具体的前進はないだろうからである。
 11月に行われるアメリカ大統領選挙は、現職の共和党候補ブッシュと、野党民主党のケリー候補の一騎打ちになることが確定している。その中で当面の焦点は副大統領候補を誰にするかに移っている。
 ブッシュ陣営では当初は、現職のチェイニー副大統領を候補から降ろすことが画策されていた。彼こそが、国防省のウォルフォウィッツや国務省のボルトン、そして前国防委員のパールなどを中心とした政権内ネオ・コン一派の最大の庇護者であるからである。
 しかしこの画策は失敗に帰したようである。チェイニーは次の任期も副大統領を務めることを表明し、就任以来政治の表舞台にはほとんど出ずに非常事態に対応すると言われる影の政府を束ねることに専念してきたのだが、この春、同盟諸国を歴訪するという形で、その存在をアピールしている。政権の継続のためには、外交政策としては単独行動主義ではなく伝統的な多国間協調主義へ戻ることを明確にする必要があり、そのためには、政権内のネオ・コンとその庇護者を放逐することがその外交路線の転換の確実な担保となるのだが、どうやらこの画策は激しい抵抗にあったのであろう。
 したがって11月の大統領選挙でブッシュが勝利すれば政権内にネオ・コンは強固な基盤を持ったままとなり、アメリカ外交の揺れは当分続くことになり、北朝鮮核問題の解決はますます先行き不透明になるわけである。逆に民主党のケリーが勝利すれば、アメリカの外交路線は明確に多国間協調に戻り、アメリカ政府の腰の据わらない外交路線も修正されることで、6カ国協議の実質的な進展も期待される。
 今回の6カ国協議終了直後の2月29日、北朝鮮外務省の「会談が続けられても問題が解決するという期待を持つのは難しい」との失望感の表明や、「今後の解決いかんは米国の態度変化にかかっている」という発表は、上に述べたような大統領選挙の結果待ち、できれば民主党勝利を期待する表明と受取るのが妥当であろう。そして同じく28日の米国務省のバウチャー報道官の「米国は結果を歓迎する」との声明や、3月2日の米上院外交委員会の公聴会でケリー国務次官補が「北朝鮮が今回は単にウラン濃縮計画の存在を否定し続けた」だけと指摘し、「この否定は他の参加国の応援を得られなかった」「北朝鮮はこれをもう少し分析し、最終的解決に含める道を見いだすかもしれない」と期待を表明した発言は、多国間協調路線に戻りたい国務省として、協議の進展が今後のアメリカ政府の姿勢しだいにかかっていることを表明したものであろう。それは11月の大統領選挙しだいであることを意味しているのであろう。
 この意味で同じく6カ国協議後、ロシアのロシュコフ外務次官が2月29日に行った「北朝鮮の核開発問題の年内解決は困難」との発言は、的を射た発言であったと思う。

▼拉致問題解決を頓挫させた日本政府

 北朝鮮の核開発をめぐる問題が当分の間進展を見せないとするならば、日本にとっての懸案の問題の一つの拉致問題はどうなるのであろうか。
 拉致問題は核問題の解決の中でしか進まないので慎重に事態の進展を見守るという政府の公式の見解に対して、家族会や支援する会、そして拉致議連などのグループは、「北朝鮮に対する送金の停止や北朝鮮船舶の日本への来航禁止」などの強権を発動して経済的制裁を課すことで北朝鮮に譲歩を強要しろという見解を表明している。
 しかしどちらの意見も、拉致問題をめぐる事態の経過と性格を見誤った議論であると思う。
 拉致問題はすでに解決済みの問題だと北朝鮮は表明する。その根拠は2002年9月に締結された「日朝平壌宣言」にあることは言うまでもない。このための会談において金正日国防委員長は「拉致」を謝罪し、拉致したと北朝鮮当局が認めた人々の安否情報を公開するとともに、5人の拉致被害者の帰国を約束した。そして10月中における国交正常化の交渉の開始が合意されたのであった。そしてこの合意に基づいて2002年10月15日に拉致被害者5人が「一時帰国」したのであった。
 しかしここで事態はストップした。北朝鮮の国家犯罪に反発する「世論」とアメリカのブッシュ政権に追随する政府内の強硬派におされる形で、10月24日、日本政府は拉致被害者の永住帰国と5人の家族の即時帰国を北朝鮮に要求。北朝鮮が「約束違反」を盾にその要求を蹴るや、事態の進展は頓挫。その後に行われた国交回復のための会合も非難の応酬に終わり、拉致問題の解決への歩みは完全にストップし今日に至っている。
 この経過を振り返って見るならば、拉致問題の解決への道筋をストップさせたのは、日本政府である。
 もちろん拉致被害者5人の一時帰国というあいまいな対応を認めたのは政府のミスである。生存が確認された5人の拉致被害者とその家族の即時帰国を平壌会談で要求し認めさせなかったのは、政府の判断ミスである。拉致は犯罪であり、どんな理由をつけても被害者とその家族の即時帰国は北朝鮮当局が認めざるをえない要求である。それを一時帰国でお茶を濁したのは、長年の無策によって拉致を許しつづけてきた政府の責任が追求されることを恐れ、なおかつ北朝鮮に対する追随的政策を続けようとする政府・外務省の姑息な対応が背景にあったことは確かであろう。
 しかし拉致被害者とその家族に対して長年の無策をわび、その上で平壌での約束を履行することが「解決」へ向けた1歩であることを被害者とその家族および国民へ説得することもなく、一度約束したことをすぐ反故にする無責任な態度は、北朝鮮の対応を一変させ態度を硬化させてしまった。
 アメリカのブッシュ政権に「悪の枢軸」と名指しされ武力攻撃の危機に瀕していた北朝鮮当局が、国家犯罪である拉致を認めて謝罪し国交の正常化へ向けたテーブルを自ら設けた理由は、その犯罪を認めることで日本への誠意を見せ、今後行われるであろうアメリカとの交渉において日本に仲介役を頼むとともに、戦後保障の名の下で経済再建のための助力を期待したのであろう。だからこそ平壌宣言で「朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を順守することを確認した。また、双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した」との1項を入れ、核問題でも国際法を順守することを前提に関係諸国間の協議を通じて平和的に解決していくことを提示したのであろう。
 日朝平壌宣言の精神を踏みにじり、事態の打開の道を閉ざしてしまったのは、「強硬な世論」を口実に、実態はブッシュ政権の単独行動主義に追従する日本政府の不誠実な対応にあったのである。
 藁にもすがる気持ちで国家犯罪を認め、日本の助力を期待した北朝鮮当局の日本政府への不信感は、期待した分だけ根深いものがあろう。

▼進展は日本政府の決断しだい

 したがって拉致問題解決へと事態を進展させられるかどうかは、日本政府の決断に掛かっている。
 今回の第2回6カ国協議に先立って、北京で拉致問題などを協議する日本と北朝鮮との2国間政府協議の開催に北朝鮮が応じたのは、拉致問題の解決への過程が頓挫したままの状態が喉にささった魚の骨の如く、核問題において北朝鮮の不誠実を攻撃し交渉を進展させないブッシュ政権の交渉遅延の良い口実になっているからである。
 そして核開発を持って北朝鮮がアメリカを脅す目的は、体制の保障とともに、それの基盤ともなる経済援助の獲得なのであるから、日本から援助を得られればアメリカを脅す必要も減じるからなのである。核協議とは相対的に別個に拉致問題の解決を進め、その交渉の過程で核問題も協議し、日本による戦後保障や経済援助を獲得することが現在の北朝鮮にとって死活の問題なのだ。しかし日本政府はこの会合においても、自らの非を認めず、核問題でもアメリカの主張の繰り返しをするという強硬な姿勢を崩さず、実質的に何も進まない結果に終わった。
 拉致問題は、帰国した5人の家族の帰国だけが問題のすべてではない。死亡したとされている拉致被害者の正確な安否の確認と、さらにはもっと多くの人々が拉致されたのではないかという疑惑の解明、そしてそれらの問題を解明するために日本政府の当局者や拉致被害者の家族などが北朝鮮に自由に往来して現地調査を実施し、北朝鮮当局にそれに協力させることなどの問題も控えている。
 そして拉致の問題は、その先にある国交正常化の問題と戦後保障と経済援助の問題、そして核問題解決への入り口である。拉致問題の進展なくしてその他の問題の進展はありえない。拉致問題の進展のないままでは、核問題の解決はアメリカの姿勢に依存するしかないのである。
 さらに北朝鮮との戦後保障の問題は、日本政府が戦後アメリカの庇護と恫喝の下にアジア各国への戦後保障を値切り、さらには被害者個々人への保障を放棄してきた問題の解決にも繋がる一歩である。
 世界が緊密に繋がり、国境を超えた多国籍資本の活動によって一国の経済の安定が損なわれる危険を孕んだ現在、日本やアジアの諸国がこの多国籍資本の跳梁から自国を守り、さらにはこの多国籍資本を援助すべく「市場経済の拡大」を名目に「市場の開放」を押しつけてくるアメリカ政府から自国を守るためにも、アジア規模での共同市場の形成が不可避な情勢となっている。
 しかしこのアジア経済共同体の形成の大きなネックになっている問題の一つが、先に述べた日本の戦後保障のあいまいさに起因するアジアの民衆の反日感情と、日本政府の共同市場形成への亀の歩みにも似た受動的な対応である。
 日朝平壌宣言に基づいて、北朝鮮と国交を結び、戦後保障の問題を解決していくことが、北朝鮮の核問題を解決する上で大いなる基盤を作ることに繋がるし、そこで醸成される日本への信頼を基盤に、日本が中国と手を携えてアジア経済共同体形成のイニシアチブをとる第一歩となる。
 日本政府は拉致被害者の一時帰国という約束を違えたことを率直に謝罪し、拉致被害者5人が平壌空港まで迎えに「帰国」することで北朝鮮の面子を立て、これと引き換えに5人の家族の即時帰国を要求することで、拉致問題解決へむけた道筋への歩みを切り開くべきである。そしてその要求と交渉の過程で、6カ国協議とは相対的に切り離した形での日朝間の国交回復へと向けた政府間協議の再開を日本政府から提案すべきである。
 国交回復を前提とした2国間協議ならば、より率直に双方は問題の解決に向けた協議が行えるはずである。そこにおいては平壌宣言の条文に依拠して、北東アジアの地域の平和と安全を保持するために双方が対等な関係で、核問題についても自立的に協議できる。
 この道をとることが、日本が北朝鮮核問題を、中国の仲介やアメリカの圧力に頼って取り組むのではなく、自立的な戦略方針に基づいて、北東アジアの安定、さらにはアジア地域の安定に向けて、真に自立的な外交を行う道である。この路線に基づかない限り、拉致問題の解決へと向けた動きも見えてこないであろう。
 ただ、ブッシュ政権の単独行動主義と先制攻撃主義を奇貨とし、長年の夢であった海外派兵のできる軍隊をもった「強い国家」へと日本を脱皮させることのみに腐心する小泉自民党政権には、この道を取ることは、清水の舞台から飛び降りる以上の決意を必要とすることである。
 したがって事態はほとんど絶望的とも言える状況ではあるのだが、日朝関係の閉塞状況を打開し、日本が北朝鮮核問題の解決を自らのイニシアチブで解決へと導くために拉致問題を進展させる方向に動き出す決断を下すことが、必要なことだけは確かである。

(3/20)


論文topへ hptopへ