皇太子婚約フィーバーの陰影
ー現代家族の危機と天皇制の役割ー
皇太子徳仁の婚約が成立して以降、女性たちの皇室への関心は高まり、皇太子の人気は急上昇中である。
この現象を具体的に追ってみることを通じて、その背景にある社会の変化とそれに対応した、現代の天皇制の役割や性格などを、明らかにしてみ
たい。
1) 女性たちの皇太子評価
新聞の投書やインタビュー記事を見る限りでは、女性達の皇太子の婚約に対する関心は高い。また、筆者の周辺の女性達の反応を見ても、同じ
ことが言える。では、女性たちは、皇太子の婚約を、どのように見ているのだろうか。
そこで、共通する事は、将来の皇太子妃への評価が極めて高いことである。「しっかりしている」「自分の考え方をきちんと言える」「外交官としての
キャリァを、皇室による国際親善に生かして欲しい」等々。そしてこの事は、このような、仕事への自信と知識を持ち、人格的にも高く評価される、し
っかりした女性を選んだ皇太子への評価の高さと一体であるようだ。女性たちは、この婚約のどの点を評価しているのだろうか。
彼女たちの評価の基準は、「皇太子妃としてふさわしいかどうか」という点よりも、「一人の男性が、一人の女性をパートナーとして選んだ、その基
準」であり、「将来にわたって、人間として、どのような関係を作っていこうとしているのか」という、夫婦や家族観に関わるものに重点が置かれている
ように思える。
具体的にあげてみれば、次のようになろうか。
そして、このような皇太子に対する好意的な評価と表裏一体の関係にあるものとして、「男の人って、かわいいとか、控え目とかいうことを気にする
けど、相手の考え方や仕事を理解しようとしないし、共感するとか心の高まりを大切にしない」というように、世間一般の男性に対する、批判的な評価
が存在するのである。さらに、上に述べたような評価は、既婚・未婚や年齢を問わず、多くの女性に共通している所に特徴がある。
つまり、女性たちの皇太子に対する評価の基準は、自分の結婚・夫婦・家族のありかたに対する考えであり、自分の周囲の現状とひき比べて、相
対的に進歩的な皇太子の対応を、評価しているのである。
2)「個」の成熟と既成家族の危機
では、女性たちの皇太子に対する好意的な評価は、結婚・夫婦・家族のあり方の、どのような状況が反映しているのであろうか。
現在、家族は危機に瀕していると言われている。それは、「定年と同時に、妻から離婚を申し渡される」例の急増とか、女性の晩婚化など、女性の
結婚観の変化に、最も良く表されている。
1990年6月に、毎日新聞社が行った「全国家族計画世論調査」の結果に、次のようにデーターがある。
(問)あなたは結婚したいと思いますか?
(答)なるべく早く結婚したい〔29.7%〕
今はしたくない 〔64.1%〕
一生結婚しない 〔 4.9%〕
(問)なぜまだ結婚したくないのですか?
(答)〔二つ以上解答〕
今は仕事や勉強がしたい 〔34.4%〕
今は趣味を楽しみたい 〔12.1%〕
自由がなくなるから 〔24.7%〕
経済的に余裕がなくなる 〔 6.1%〕
結婚資金が足りない 〔 5.4%〕
若すぎる 〔34.6%〕
ふさわしい相手がいない 〔30.9%〕
(問)あなたが働いている主な理由は?
(答え)こずかいを得るため 〔39.4%〕
結婚資金をためるため 〔23.7%〕
結婚相手を探すため 〔
1.5%〕
学資を得るため 〔
0.5%〕
家計を助けるため 〔
6.7%〕
家業だから 〔
1.0%〕
能力を生かすため 〔12.7%〕
経済的に自立したいから 〔27.4%〕
生きがいだから 〔
8.9%〕
社会的視野を広げるため 〔34.6%〕
これは、16才〜50才の未婚女性978人に対するアンケートの一部である。将来結婚するが今はしたくない理由の上位に、「仕事や勉強がした
い」「結婚すると自由がなくなる」がならんでいることが特徴的である。さらに、その仕事をする理由の上位に、「社会的視野を広げる」「経済的な自
立」が並んでおり、女性の人生観が、自分を大切にする方向にあることが見てとれ、「結婚・子育てが人生の目的」ではなくなってきていることを示し
ている。
同様の傾向は、既婚女性にも現れている。1992年3月の「全国家族計画世論調査」によると、既婚女性で家事以外に仕事を持っている人の、働く
理由は、1位が「子供の教育費をえる」(30.3%)だが、2位に「社会的視野を広げる」(22.0%)が入っている。しかし、この年の調査で興味深いのは、
この調査に解答した2329組の夫婦の夫の解答である。
(問)あなたは妻が働くことに賛成か?
(答)賛成 〔53.8%〕
反対だがやむをえない 〔22.9%〕
反対 〔15.6%〕
(問)賛成、やむをえないの理由は?
(答)家計の助けになる〔40.6%〕
生きがいに結びつく 〔23.5%〕
社会的視野を広げる 〔23.3%〕
子供の教育費を得るため〔17.9%〕
経済的自立は良いことだ〔16.1%〕
(問)反対する最も大きな理由は?
(答)経済的には困らない 〔
7.3%〕
妻は家庭を守る事が大切〔53.3%〕
子供の世話が疎かになる〔34.4%〕
妻が働くことを認めていても、その半数は「家計の助け」にすぎないのである。反対者の理由が「妻の仕事は家庭を守ること」とあるが、妻が働くこ
とを認める夫の大半にも共通する考え方であろう。
「男は仕事、女は家庭」という役割分担は、いまだに根強くあり、特にこの考えは、男性の方に強く、自分自身を大切にしつつある女性との間に、意
識の大きな隔たりができているのである。したがって、夫が家事を分担することは、あまりなく(前記の調査では、「ほとんどしない」が60%強である)
その上に老人の世話はほとんど妻まかせの現状が加われば、「女性にとっては結婚生活は、ほとんど自由がない」状況になってしまう。
このように、女性が「個」として自立・成熟しつつあるのに反して、どっぷりと、性別役割分担の上に立つ、現在の家族制度に漬かった男性との間
に、結婚や夫婦・家族のありかたについて、意識の上で大きな断絶が生じている。そして、このような、女性の「個」としての自立した意識を、世間の
男性の多数が受け止めようとしない現実。この現実の存在こそが、皇太子徳仁のお后選びにしめした対応を、より理想に近いものとして、女性たち
の目に映らせていったのである。
もっとも、この男性の意識の遅れには、社会構造としての根拠が存在することも、忘れてはならない。日本の戦後社会は、「民主的な」憲法を持っ
たにもかかわらず、旧来の村社会的構造を温存し、むしろそれを企業を中心とした人間関係の中に組み込むことを通じて、他の先進資本主義諸国
には見られないほどの、企業の発展と個人の幸福を同一視する企業忠誠心を産み出した。
家族もまた例外ではない。60年代の主婦という言葉の定着が、端的に現しているように、「女性は家事、男は仕事」という性別分担に依拠した家
族が、高度成長を支えていたのである。ただし、その後、労働力不足が深刻化し、家事労働が機械化されると共に、女性を労働力として、しだいに
期待するように社会は変化した。しかし、その際も、それは、結婚までの腰掛か、子育てを終了した主婦のパートタイマーとしてしか期待されてなく、
女性が生涯にわたって仕事を持ち、結婚して子供を育てることを支援する社会制度の整備は、遅々として進んでいない。
皇太子の結婚に対する姿勢を理想的なものとして受け止めた女性たちの反応は、世間の男たちへの批判的姿勢であると同時に、あいかわらず
女性には補助的存在としての役割しか期待しない社会制度への反感をも、その内に潜ませているのである。
3)社会の危機に対応した天皇制の変貌
戦後社会がその内に温存させた、村社会的構造。その頂点に立つのが、天皇制である。天皇位の決定が国民の意志とは関わりなく、「血の原理」
によって、連綿として継承されていく事に明らかなように、天皇とは、人事を超越した、不可侵の存在である。この事は、社会のあらゆる分野におい
て、その構成員を超越した絶対的存在を○○天皇と呼ぶことからも証明される。このような戦後の「民主主義原理」の対極に立つ天皇制の内部か
ら、極めて「民主主義的」装いをもった結婚劇が演じられることは、けして偶然ではない。むしろ、天皇制が民主主義原理をも超越した存在であるか
らこそ生じた現象であると言わざるをえない。
村社会的構造を温存したまま、急速な経済的成長を達成した戦後日本社会。しかし、その急速な経済成長を背景にして、村社会的構造を破壊す
る新たな社会的勢力を、その内部にかかえるという危機の構造に、それは転化した。
経済成長は、生活を豊かに安定したものにすると共に、雇用機会を拡大し、家父長的な保護者のもとでしか暮らせなかった人々に、経済的自立の
基盤を与えた。農村の2・3男・女子に都市での経済的自立を与えた経済成長は、既婚女性にまで経済的自立を与えるとともに、障害者を始めとす
る社会的な弱者にも、自立した生活へと踏み出す基盤を与えた。そして、この事を背景にして、都市を中心として、自分自身の人生を大切にする価
値観を持った、自立した個人を大量に産み出しつつあり、この人々は今、戦後社会が、その看板とする憲法の精神に反して、民主主義に反する構
造を持っていることに気付きつつある。若者を中心とした企業忠誠心の衰え。障害者や先住少数民族の権利回復の運動。そして、日本の過去現在
にわたるアジア諸民族への圧迫の歴史を見直す動きや消費者運動・環境保護運動にまでいたる、様々な住民・市民運動の高まり。これら全てが、
「個」の成熟と、基本的に差別を内在化させて発展してきた戦後日本社会との軋轢の発展を示している。さらにこの動きは、89年の衆議院議員選
挙での社会党の躍進という現象を始めとして、今や政治の世界にまで及び、その村社会的利益誘導・調整の腐敗した政治構造を痛打するまでにい
たっている。
この「民主主義」を要求した、自立した個人による運動の先頭に立ち、そのもっとも能動的な人材を供給しているのが、都市の主婦層を中心とした
女性たちである。今や女性たちの目は、家族制度や、企業を中心とした社会、そして政治の世界も、全て差別に満ち満ちた構造であることを暴き出
し、その暗部を注視しつつある。
この女性たちを、どの社会勢力(政治勢力)が獲得するのか。今これが、焦眉の課題であるが、政治の世界で自民党が女性には不人気であるに
もかかわらず、既成政党のいずれもが女性を引きつけられず、社会党に到っては、この4年間のテストに不合格となる状況。この政治の世界が象
徴するように、自立しつつある女性達を既成の社会勢力は、つつみこむことができないでいるのである。しかしだからこそ、この既成の社会勢力を超
越した存在(であるかのように作られた)である天皇制の側が、社会の安全弁として、作動しつつあるのである。
天皇制とは、そもそも、そのような社会の安全弁的な存在であり、天皇家自身が、社会の危機にあたっては、積極的に支配階級の利害を擁護しつ
つ、社会的な力関係が爆発して、社会の支配関係が崩壊しない方向に、人々の意識を持っていく役割を、歴史的にも果たしてきたのである。
天皇明仁が、1989年1月9日の即位後の朝見の儀で述べた言葉が象徴的である。
「(大行天皇の)いかなる時にも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ、皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす
ことを誓う」と。
そして、天皇明仁がまだ皇太子時代の1987年9月の訪米前に語った「国民の善意が広がり、長い目、広い視野から見て望ましい方向に進むよう、
精神的な助けになることができたらと願う」という言葉に、天皇制の果たす役割が、明示されている。
かえりみれば、13才の皇太子(当時)明仁にアメリカ人家庭教師をつけ、学習院の中等科・高等科・大学と、皇居内での帝王教育ではなく、一般教
育を施した時から、支配体制の側では、今日の事態を予測していたに違いない。1959年の美智子妃との結婚。その後3人の子供を皇太子夫婦自
身が育てていくという、マイホーム型の家族像をアピールしてきたこと。現天皇には、「常に家庭を大切にしてきた」というイメージが付与されている。
そして、天皇明仁が常に深い関心を寄せてきた問題に「被爆者」「沖縄」「障害者」がある。天皇は、「平和を愛し、家族を愛し、人々の権利と幸福の
増進に努めるひと」というイメージも、同時に付与されてきた。
先年の次男礼宮文仁の結婚の時にも、今日の皇太子の時と同様に、「本人同士の気持ちを大切にする」話しの分かる進んだ父親という役割を、
天皇明仁は演じてきた。
この天皇明仁の長男として育てられてきた皇太子徳仁は、学習院中等科3年の時から、皇室外交を展開し、数多くの国々を訪問している。現在、
天皇は「国家元首」への道を歩んでおり、先般の中国訪問や、韓国との戦後処理の問題における発言など、日本の戦争責任の取り方の問題をあい
まいにする役割を積極的に演じている。そして、日本国民の多くは、国民・国家を超越した存在としての天皇が謝罪をしたということをもって、戦後は
終わったかのような受け止めかたをしており、中国・韓国の人々の受け止め方と、好対象をなしている。
天皇制は、今、家族の危機にあたり、どのような役割を果たそうとしているのであろうか。
社会の差別的構造を問題にし、権利の確立をはかってきた女性たちの運動にも、弱点がある。その一つに、若い層への浸透度が今ひとつなこと
がある。そしてもう一つは、現在の経済・社会・国家構造をそのままにした上で、その政治に参加することで、発言権を強化しようとする傾向が、運動
の内部に根強く存在していることである。
この弱点を利用し、女性に対する差別が、今の社会体制の改革で実現するかのような幻想を与えること。その支配的な勢力と妥協し、その恩恵と
して権利増大をはかることを、運動の究極の目標とさせること。このような役割を、天皇制は今、果たそうとしているのではないだろうか。(もちろんこ
の事の実現には、既成の政治勢力の枠を超えて、女性が問題にしてきた事を政治課題に取り上げようとする、新たな政治勢力が出現することが、
不可欠な条件であり、日本新党を中心とする動きを注視しなければならない)
皇太子徳仁の「(雅子さんに)大きな苦労があった場合には、私がそばにいて全力で守って、助けていってあげたい」という言葉が、以上のような目
論見を明確に物語っているのではないだろうか。