「教育改革」に抗する全国陣形へ

ー日教組・文部省の和解と教育体制の危機ー

 

 すでに7月25日の新聞報道で明らかなように、日教組は9月に行われる定期大会で、文部省との協調・参加路線に踏み込むことを明記した運動方

針を決定する。

 この方針の従来の方針との違いは、次の5点に要約される。

1)学習指導要領の法的拘束性を認め、これに基づいて実践活動をすることを明記。2)文部省・教委の主催する初任者研修などの現職研修を容認

 し、積極的に参加していく事を明記。

3)校長を教育活動のリーダーとして認め、職員会議を最高議決機関であるとする従来の立場を放棄することを明記。

4)任命主任制度の定着を理由として、これに反対する闘争を終結することを明記。5)日の丸・君が代の強制に反対する闘争について、運動総括や

 方針に全く記述せず反対闘争の棚上げを図っていること。

 これは日教組の文部省への全面屈伏であり、従来の闘争方針の全面放棄に他ならない。しかしこの事は予想された事であり、驚くに値しない。

 戦闘的教育労働者にとって今必要なことは、この路線転換の意味と背景について冷静に事態を分析し、その上で日教組運動の積極的な面とそれ

を担った運動体・個人を防衛する手立てを考え、その実現のために直ちに行動を起こすことである。

和解を促した教育の体制的危機

 今回の路線転換には裏取り引きがある。それは、過去のストなどによる処分者の給与延伸分を取消すことで億の単位となって日教組の財政を圧

迫している救援資金問題を解決するかわりに、運動方針に従来の運動を全面転換することを明記するというものである。

 なぜ双方は、この露骨な裏取り引きをしてまで和解をすすめようとしたのか。組織率が減り、弱体化しつつある日教組の組織状況の中にあって、

日教組右派官僚が、従来からの「国家機構の一部としての労働組合とそれを統制する国家官僚としての労働組合官僚」化という路線にそって、国

家に自己を売りつけようとしているのは明白である。

 では文部省が和解を必要としているのはなぜか。それは、深刻な教育体制の危機とその体制改革が日本資本主義にとって急務であることに由来

している。

 国際的分業に基づいた日本産業の高度な知識集約型への転換が急務である。しかし、それにとって不可欠の科学技術の高度化に必要な知識エ

リートの深刻な不足と質の低下が問題となって久しい。つまり、現行教育体制の内容が産業構造の転換を阻んでいるのである。 そして不登校・いじ

め・教師の暴力に代表されるように、今や子供にとっての地獄と認識され、国民意識の統合と階層分化の促進装置としての役割をも危うくしかねな

い危機を孕んだ教育体制。この二つの問題を解消するために、学校体系の複線化と新しい学力観に基づく教育改革が打ち出されている。

 しかし、この教育改革を実行していくためには文部省・委員会官僚、現場の管理職や指導的教員のどの場面においても、教育改革の理念と実践

力を併せもった人材の決定的な不足という大きな壁に直面している。そしてこの事に関わって、膨大な資金を今後投入して短期間に改革を実行して

いくためには、内部に労働争議の火種を抱えたままでは、早急な改革はたちゆかない事態に到っているのである。

「教育改革」は成功するのか?

 では文部省と日教組の歴史的和解によって、この教育改革は円滑に実施しえるのだろうか。

 そうではない。

 「個性尊重」とか「個の自立をはかる」とか、教育改革が全ての子供に人間的な教育を与えるものであるかのような幻想がふりまかれている。しか

し、一定程度教育内容と現場の「自由化」が進んでも、教育体制が階層分化の促進装置である性格が不変であることに阻まれ、それはかなり限定

的なものであり、かえって能力主義による選別が激化するものであることは日々明らかになっていくであろう。そしてこのことにより、いじめも不登校

も、けして根絶できるものではないことも、日々明らかになってくるであろう。

 さらには、この教育改革は、現場の教職員にとっては、労働強化以外の何者でもないことも、すぐに明らかになるであろう。

 大蔵省は教育改革の全ての分野に巨額の予算を注ぎ込む考えはない。予算配分は限定的であり、エリート教育の場には注ぎ込むが、その他へ

の増額は少ない。現状に毛の生えた程度の職員数で、多様化された教育内容への対応を迫られ、それと併せて、事務職員や現業職員の削減によ

る仕事の増大が追い討ちをかける。そして同時に、度重なる研修と、さらには、地域の文化センターとしての学校という掛け声の下に、教職員は地

域活動まで強いられる。

 このような教育改革の矛盾の噴出に対して文部省に全面屈伏した連合日教組は、対案と闘いを提示する力はもちあわせてはいない。そして、連

合日教組以上に参加と協調の路線的体質をもった全労連・全協も、対応する力を持たないことは明白である。

 さらに、このような矛盾の噴出を、今日では学校内部で糊塗することは不可能である。すでに様々な市民運動となって、現在の教育体制の歪みを

討つ闘いが繰り広げられ、その運動の側から、すこしでも現状の教育の子供に対する破壊的作用を押さえるための様々な提案がなされている。

 文部省・日教組という身内の所で矛盾の噴出を抑えこもうとしても、これらの社会的な反対運動との拮抗は不可避であり、その拮抗を通じて、教育

体制の階級的性格は暴かれてしまうであろう。

独立的全国潮流の形成

 戦闘的教育労働者にとって今必要なことはすでに矛盾を噴出しつつある教育改革に対して、社会的な視点にたった対案と闘いを提示できるよう、

直ちに準備することである。

 その対案の性格は、現行憲法・教育基本法の理念をさらに継承発展させ、文字どうり一人一人の子供の自立と連帯を促すものでなければならな

い。そしてその取り組み自体が、現行教育体制の階級的性格、つまり、国民意識の統合と階層分化の促進装置としての性格と日常的にぶつかり、

それを白日のもとに曝すものでなければならない。そしてそのような対案の萌芽は、日教組運動や様々な教育運動・市民運動の内部に蓄積されて

いる。

 日教組運動や様々な民間教育運動、そして近年の市民運動の成果を合流させ、発展させるための全国的組織と運動の構築が、今や求められて

いるのである。

 その運動の第一歩として必要な事は、前述した文部省と日教組の和解の第2項「文部省研修の容認」の裏に隠されている教研集会の解体・消滅

のねらいに抗して、日教組左派教組を中心とした独自の全国的結合を追及し、これの堅持と発展をめざすことである。それは、教育労働者の自立

的な運動と連携の動きを促進・結合することを視野に収めた、独立組合を含む先進的教育労働者による全国的な潮流形成を、改めて急務なものと

して提起しているのでもある。

 


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