【書評】「日本的経営の明暗」【筑魔書房)

新たな労働運動の参考になる労作

 

 『日本的経営の明暗』は、著者が70年代の末以来一貫して追及してきた「日本の労働者像」についての著者の第3部といえよう。第1

部は81年に出版された『日本の労働者像』、第2部は86年の『職場史の修羅を生きて』である。そして第3部が本書である。

 この3冊の書物を通読してみると、本書の特徴はきわめてはっきりとしたものとなる。この3冊の著作の共通した目的は、日本の労

働者の現状の分析を通じて、停滞している日本労働運動をどのように再生するのか。その道筋を明らかにしようとするものである。

 第3部にあたる本書が、以前のものと大きく異なるところは、日本労働運動を再生する基盤と著者が考えているものが大きく変化し

たところにある。従来の熊沢氏の主張は、資本主義社会の中で、支配階級とは対抗的は価値観と生活様式を備えた「労働社会」をもっ

た労働運動のあり様にこそ展望があるとしていた。しかし本書では、そのような展望は完全に否定されている。

 本書第2部の冒頭の論文、「国鉄『改革』・1987年日本」において、国鉄労働組合の体質を「現時点では真剣にみなおされるべき『55

年体制下の左派』的体質」と規定している。それは著者の言葉を借りると「平和と民主主義」という戦後直後の勤労国民を包摂した価値

観が、その後の高度経済成長期を通じて支配階級によってかなり大福に意味付与がなされ、すでに総評左派的「労働者意識」との大きな

乖離がおきていることへの無自覚である。

 国労は、現場協議制をテコに職場における労働条件の決定権をかなりの程度労働者が握る状態を獲得していた。そこでは、経営者の論

理による合理化や職場運営が通らない状況があった。しかしこの状況は、日本全体の労働者階級から見れば完全に〃異端者〃であった。

ほとんどの民間企業の職場では、労働者は「会社人間」として生きなければならない程、職場は全面的に資本の側が管理していた。経営

者の論理から自立した発想にもとづく「労働社会」が形成されている職場は、無いに等しい状況だったのである。

 「55年体制下の左派」はこの状況、労働者の多くが経営者の論理を受け入れ、際限のない競争の中に身をおいていることに無自覚で

あり、したがって自己の闘いが労働者全体にとってもつ意義をたゆまず訴えていく努力などを忘れ、「一般に組合が『平和と民主主義

の陣営にあるゆえに、そのまま国民の支持を受けるはずだ」と思い込んでいたのだった。

 熊沢氏は「55年体制下の左派」の体質を以上のように捉え、この克服の必要を説く。ここに従来の氏の主張との大きな違いが見てと

れるのである。

 では著者は、今後の日本の労働運動の未来をどこに託そうとしているのか。

 それは「日本の企業社会の中に、従来の企業の要請に包摂されない人々、すなわち、女性や、労役の提供だけを期待される非正社員、

『会社人間』から自立した価値観を持つ若者、そして海外の日系企業で働く欧米・アジアの労働者などが増大していること」である。そ

の意識のあり様は、「人生の多様性や個性のかけがえのなさを絶対的に擁護しながら、労働組合や諸アソシエーションの活動、社会保障

や自然環境の保全によってすべての生活の基礎を守るという方向性」を持つ状況に、今後の労働運動の未来はあると著者はしているので

ある。

 『日本的経営の明暗』と題した本書は、著者のこうした労働運動の未来に関する新たな展望を、著者自身がどのような時代状況の分析

を通じて獲得するに至ったかが語られているのである。著者のこの作業とそこから出された結論は、総評労働運動が解体され、連合が出

発した状況の中で、新しい労働運動をつくりあげようとする私たちにとっては、非常に興味深いものである。著者が大いに期待していた

総評労働運動、さらにそれ以上に熱い眼差しで見ていたイギリス炭労の闘い、この両者が決定的敗北を被ったとき、その根源をもとめて

著者の作業は開始されたといえよう。

 労働者の大部分を包摂してしまった日本的経営とはいったい何だったのか。それはどのような性格をもち、その展開は労働者の意識に

どんな変化を与えたのか。この問題意識の答えを求めて、著者はヨーロッパ進出の日本企業とアジア進出の日本企業、そして国内企業の

経営のあり方の比較を行う。その結果から明らかになった事は次の通りである。

 「日本的経営」は、労働者を単なる労役提供者以上の存在とみなし、企業に働く労働者の階層をこえて、それを総てにわたって平等に

取り扱おうとする。忠実な企業人として生きる限り、「職工」の子も「職員・幹部」になれる可能性。たとえそれは無理でも「職工」

「職員」の区別なく総てが同じ「社員」として処遇され、一生懸命働けばかなりの程度の生活が手に入るという期待。「日本的経営」は

従来の企業経営者のように労働者をー方的な搾取の対象にするのではなく「人間として尊重する」顔を持っていたのである。

 この「人間尊重」の顔こそ戦後の日本資本主義の顔だったのである。激しい戦後革命の嵐をくぐり抜けた資本主義は、戦前とは大きく

労働者支配の顔を変えてきたのである。それを可能にしたのが高度経済成長の実現だった。だからこそこの過程を通じて労働者の意識に

大きな変容がおき、「会社人間」とも言える事態が生み出されたのである。

 しかし経済が「高度成長」から「安定成長」へと変化する中で、以上の状況に亀裂が生じてきている。その亀裂の中から「企業」意識

に囚われない新しい労働者の層と新しい生活スタイルが生み出されている。その方向を解明しようとしたのが、本書の最後の論文であ

る「『組合ばなれ』の『民主主義』」である。

 本書は社会学の書物である。そしてこれは、著者がー貫して追求してきた、戦後の日本の労働者の職場における生活史の総括でもあ

る。今後の労働運動のあり方を考える時、戦後労働運動の総括は不可欠の作業である。この実証的な論考の中には、その総括の視点が、

明確に語られている。そして本書はそこに止どまらず、今新たに起こりつつある底流をも探ろうともしている。新しい労働運動を考える

時、大いに参考になる労作である。

 


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