広がりのある教育労働運動を

ー反差別・人権・共生・自己決定のネットワークをつくろうー

 

 4回のリレートークのまとめとして、私のこれまでの取り組みを報告しながら、教育をとりまく状況の変化と今後の教育労働運動の方向性を考えて

みたい。

   「学習指導要領改訂」で・・・

 私が以前勤務していた中学校はかなり組合の強い職場であった。75年の主任の制度化に対しては職場討論を重ね、主任の公選制を含め、各人

の希望を組合で公開・調整して校長に出し、校長はこの案をほぼ全面的に飲まざるをえないという職場であった。そして諸行事における君が代の斉

唱と日の丸の掲揚については、職員会議で反対票が過半数を占める職場でもあった。

 しかし、この状況は77年の学習指導要領改定で君が代・日の丸が事実上義務化されると大きく変化した。職員会議の表決で棄権が過半数を占

めるようになった。

 同じ状況は職場の教育活動においても進行した。様々な宿泊行事は全て服装は私服であり、規則は生徒実行委員会の指揮の下、生徒の討論に

よって決められてきた。しかし、学年会や職員会議での討論において回を重ねるたびに沈黙するものが増え、やがて「きまりは教師が決める」派の

意向が幅をきかせ、私服の禁止・おやつの禁止、そして校則の強化へと、学校は変化していった。

 81年の卒業式をひかえた職員会議の席では「日本国民なのになぜ国旗や国歌に反対するのか」という意見が公然と出され、表決では日の丸・君

が代に賛成の者が過半数を占めるまでになった。

 わずか4年にして職場状況は大きく変化し、組合活動は大幅な後退をよぎなくされた。文部省─教委─校長会─組合の圧力の前では「しかたがな

い」という意識が多数を占めてしまうのである。

   「教育実践」の経験から

 この頃、職場の中心メンバーの間で何度も話しあいがもたれ、職場の多数派を再度形成するには、「教育実践」を中心にすることが大事だと決ま

った。「しかたがない」派にしても、子供たちが生き生きと動ける学校をつくりたいという願いは共通のものであり、後退したとはいえ、校則にかかわる

事以外では、全ての行事は生徒の手で企画運営されていた。

 以後君が代・日の丸などでの正面対決はさけ、生徒会活動と行事を中心として、生徒主体の学校をつくろうと日夜努めた。若い教師をこの生徒活

動の中で鍛えあげ、少しずつ政治的に討論できるようにもした。そして行事活動では、例えば文化祭は2日間とし、生徒たちは様々な自主グループ

を結成して展示や演技の活動をし、2日間どこにいても自由という楽しい活動をつくりあげた。さらにこうした生徒主体の動きにはPTAも賛成し、老人

会や町内会も協力するなどかなり大きな渦をつくることができた。

 こういった活動の中で生徒たちもかなり自由活発に発言行動できるようになっていた。定期テストや市下一斉テストなどを「差別・選別のためのテ

スト反対」と言って白紙答案を出した者。校則の改正を公約に生徒会選挙を勝ち抜いたグループ。このような子供たちの力は、教師の不正との対決

にもおよんだ。なんの罪もない一人の生徒を罵倒した教師の授業ボイコットや、唯一私服が認められていた卒業遠足での私服禁止という暴挙に対

しては、3年生全員による反対署名をつきつけて、教師が撤回しない場合は、卒業遠足をボイコットし別の場所で自主的に卒業遠足をするということ

までやってのけてしまった。85年の3月のことである。

 しかし、このような取り組みは途中で挫折した。教育委員会─校長会はこの職場の解体に乗り出した。まず教育活動の中心にいた者を脅して転勤

させ、そのことで「しかたがない」派を沈黙させ、次に学級減を理由として次々と活動家を転勤させ、かわりに組合の支部長などを経験した者や体育

会系の者など校長会の息のかかったものを次々と送り込み、職場の多数派を握ってしまったのである。

   学校をとりまく状況は

 今私がいる学校は、転勤当時は市内でも指折りの「荒れた」学校であった。校内では教師の暴力が横行し、その反動として生徒が荒れ、教師への

暴行がしばしば繰り返される学校であった。88年のことである。

 しかし、学校をとりまく状況はこの頃から大きく変化しはじめていた。教師の暴力が横行していることを教えてくれたのは、PTA役員の父母であった

し、教師の暴力で歪められた子供達の父母からも学校の裏の実態を詳しく教えられた。そして多くの体罰死事件や横行するいじめへの社会的批判

があいつぐ中で、職場内で「暴力反対」を言うことは容易になり、暴力教師を公然と批判することで、「体罰」派を沈黙させることも可能になってきた。

こうした中で文部省が大きく転換し、「子供の興味・関心・自主性」を伸ばす教育を進めるようになったことは、「子供主体」派が動く余地を広げた。

 今では諸行事は生徒主体に企画運営され、校則も毎年生徒の手で検討され改正されはじめている。また授業でも、知識注入型のものは否定さ

れ、教科書を使わずに子供たちに調べ発表討論させる授業が推奨される。そして校内の評価の学習会の中で、公然と5段階相対評価の問題性が

語られるという状況になってきた。

   教化・注入型教育を変えるには

 しかし、今までの教化・注入型の教育を変えるためには一つの学校の実践だけでは不充分である。少なくとも地域の小学校や中学校や高等学校

との連携も必要であるし、父母の積極的関与が必要である。現在川崎では、地域教育会議という形で地域の教育力を高める取り組みが始まり、文

部省─教委もこの事の重要性に気付いているようである。

 この意味でリレーシンポの中で龍さんが提起した「職場や組織、父母と教師の関係を越えて出会える場としての“塾”」の建設は、文部省─教委の

動きを利用しながら自立的な教育改革のための実践を展開していくために不可欠であると思う。

 そしてこのような地域活動を推進していくための組織としてこそ労働組合や組合内のグループの存在価値はあるのではないか。組合内反対派か

ら脱却し、「人権・反差別・共生」をキーワードに地域の人々と交流・共闘していこうという佐藤さんの提起は、今後の労働組合のありかたを提起した

ものとして注目に値する。

 大阪の山下さんの言う「教育の規制緩和─民営化─リストラ」の進行という状況把握は、文部省が従来の中央一元統制の単線型の国家的管理教

育を転換し、各学校・地域に独自性を持たせると共に、教育体系の複線化を進めるだろうという意味では正しい。そしてこの状況は、私たちが「反差

別・人権・共生」をキーワードに、自立的な教育改革運動を推進しようとする時、きわめて有利な状況となるであろうことも疑いない。ただし、このこと

をもって「国家の死滅」というのはおかしい。国家の統制形態が変化し、単純な上からの統制ではなくより参加型の統制形態の国家へと変化する過

程だと捉える必要があるだろう。

 今、文部省が進める教育改革は極めて矛盾が多く、今後の統一的な展望も、そしてそれを推進する人材も極めて不足している。だからこそ下から

の参加が要請されているのであろう。

 この状況を利用し、文部省が考えている以上に教育改革をすすめる自立的な教育運動をつくるために、もう一つキーワードがある。「自己決定」。

子供にも教師にも父母にも、国家から自立して教育を行う権利があるというスローガンが重要だとおもう。

 


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