「能力」差別の中での死  

ー〔神戸高塚高校・女子生徒圧死事件@〕ー       

 

 高校一年生の女子生徒が、校門「指導」を行っていた教師の動かした扉にはさまれて圧死するという事件は、人々の前に「教育」の異常な姿をさら

けだした。

 校門をくぐっている生徒がいるにもかかわわらず扉を勢いつけて閉めるのも異常だが、遅刻者に校庭10周の罰を課すのも異常だし、事件後の学

校の対応も異常であった。

 さらにもう一つ衝撃的な事は、このような「体で感じさせる教育」が共産党主導下の兵庫県高教組によっても推進されていた事である。

 何故にして「教育」において「管理主義」が横行するのか。そして、教育労働運動の側が、何故この事態を阻止しえなかったばかりかそれに加担し

てしまったのか。この点こそ、今明らかにされねばならない。

1. 教育「荒廃」と「管理」主義の台頭

 「形から入る指導」「体でぶつかる指導」という名の「管理主義」は、かなり昔から教育現場の一部に存在した。しかし、「一人一人を大切にする教

育」というたてまえ上から、それは日陰の身であった。その「管理主義」が横行するようになったのは、70年代にはいってからである。

 70年代に入って、学校の中で喫煙が横行し、万引・窃盗・恐喝が日常茶飯事のようにして起こり、授業妨害やエスケープ、生徒間の暴力事件、そし

て対教師暴力へとエスカレート。「競争」からすでに脱落させられた子供達、そして「競争」の未来に希望を持てなくなった子供達の中に、「競争」を基

本とする学校秩序に対する反抗が広がり始めたのであった。成長神話の崩壊によって未来に夢が持てなくなった社会状況をそれは反映していた。

 これに対応して陽のあたる位置に躍り出てきたのが「管理主義」である。「能力」による競争主義や、以前からあった生徒の自主性をおしつぶす様

々な規則を改めるという教師にとって最もしんどい方向、しかし、子供たちと本質的に共に歩める方向を取ることなく、最も安易に、力で制圧する方

向。これこそが、教育における「管理主義」なのであった。

 しかし,もう一つ忘れてはならないことは、この「管理主義」の台頭は、国家主義の台頭と軌を一にしていた事である。

 67年の「期待される人間像」は、「心に日の丸、手に技術」という青年像を、教育において形成すべきものとして措定した。経済の高度成長・海外へ

の「発展」という事態にみあった労働者の供給という客観的要請と秩序にたいする反乱が蔓延することへの恐怖がその背景にあった。戦後教育が、

個人の立身出世の意欲を鼓舞するのみで、国民的意識を解体してしまったことへの反省の始まりでもあった。

 そして75年の主任制度化に続いて、77年、文部省は、学習指導要領の中に君が代・日の丸を「法制化」し、道徳教育の強化、そして歴史教育にお

ける「国家的・民族的偉人」の事跡の徹底化、現実を解剖する科学としての社会科の解体を打ち出してきた。教育における「管理主義」が台頭してき

たのは、ちょうどこの時期であった。学校現場では、卒業式等における日の丸・君が代の問題が争点となると同時に、生徒に対する規則によるしめ

つけが強化され、教職員組合主催の教育研究集会でも、教科指導の分科会よりも、生徒指導の分科会が盛況をはくし、いかにして「荒れ」を抑えた

かが得々として語られた。「管理主義」は「国家主義」の台頭と対であったのである。

 そしてこのような方向への事態の推移を支えたのが、74年の共産党による「教師聖職論」の提起であった。青少年の価値感の「乱れ」を問題とし、

「非行」を撲滅する立場に教師を立たせる考え方の提起。教職員組合の教育運動に大きな混乱を引き起こし、「管理主義」の台頭を許す動きであっ

た。

 しかし、「管理主義」が横行した結果はどうであったのか。たしかに「校内暴力」という形は大幅に減少したが、それは「いじめ」「登校拒否」に形を変

えただけであり、問題はむしろ深刻化している。

2.「能力」差別を拡大した臨教審の教育改革

 このような事態のさらなる悪化状況の中で、教育に根本的なメスを入れようとしたのが臨時教育審議会であった。この「教育改革」の目的は、低成

長の中で、技術立国をはかるしか未来展望がないという事態の下で、技術エリートと、フレキシブルな技能労働者(つまり、刻々と激変する産業界の

状況にあわせて、様々な職種へと移動できる労働者)の育成をはかるというものであった。そして同時に、産業界の要請にあわせて人材を作る教育

機能すら破壊しかねない教育の「荒廃」状況にメスを入れることも、その目的の一つであった。あまりに過度な競争と管理主義の結果、主体的に問

題に対処していく力を失ったエリートが大量にできてしまっていた。現存の教育秩序を維持しつつ、教育の「荒廃」状況をどう克服するか。これが臨教

審の課題の一つであった。

 しかし、臨教審の取った解決策は、今まで以上に「能力」差別を拡大し、「能力」による別学体制を確立する方向であった。

 中学校における「能力」別学級編成の導入や高等学校の多様化。中高一貫の6年制学校の導入。大学の選別と研究機関と教育機関の分離。中

等教育の初期の段階から「能力」による別学制を敷き、そこから選別されたエリートには、競争を免除し、エリートとしての意識教育を図るというもの

であった。

 一方、この選別の結果、エリートコースから排除された子供たちはどうなるのか。将来の職業にみあった多様な特色をもった高等学校の設置と、

道徳教育の強化・国民意識の高揚がその回答であり、「生涯学習」の導入による「いつでも学習できる体制」の確立であった。一層の「能力」差別の

拡大である。

3. 「能力」差別の中での死

 しかし、この方向の行き着く所は明らかである。すでに高等学校は、その入学試験の所で「能力」によって輪切りにされ、ランクづけられている。「底

辺校」では、就職に有利なように少しでも特色を出そうとするが、お定まりのコースに子供たちは素直には乗らない。この学校に通う目的すら定かで

ない子供たちが数多く存在する。そしてこのような高校は、「形から入る指導」を標榜しがちである。「おまえらには、それぐらいしか価値はない」とい

う言葉が、教師によって生徒にあびせかけられる。規則づくめの処罰をちらつかせた「生徒指導」が学校教育の中心となり、「体をはって生徒を指導

できる」教師が、職員室で幅を効かせる。生徒は自立した一人の人間として遇されるのではなく、まるで動物のように「調教」される毎日となる。「非

行」は悪という観念が教師の間で多数派となり、教職員組合もこの価値感に与している現状は、この事態を一層加速化すらする。

 神戸・高塚高校も、このようにして「能力」によって差別され、選別された生徒達のあつまる学校の一つであった。       

 神戸・高塚高校における女子生徒の死は、このような「能力」による別学体制強化の流れの中で起きた、象徴的な事件である。「管理主義」の権化

と化した一教師によって彼女は殺されたわけだが、その一教師が「体をはって」、無意識のうちに守ろうとしたものこそ、「能力」によって子供を差別

する教育制度・「能力」による別学体制であったのである。

 しかし、何故このような事態を教師たちは許してきたのだろうか。ここには、教育労働運動が今日かかえている根本的な問題が存在している。稿を

改めて論述しよう(以下次号にて)。 


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