教育の個性化・国際化と新しい教育労働運動の可能性

 

1)矛盾をはらむ教育政策の転換

80年代の臨時教育審議会の答申以来、国家の教育政策は大きく転換し始めている。そしてこの転換をさして、およそ100年前の明治時代の国家

的な教育政策の制定以来の「国家100年の計」を定める歴史的転換と、国家官僚たちは評している。それが、この間いわれている、教育の「個性

化」「自由化」「国際化」を目指した転換を意味しているのであれば、正しい評価と言えよう。

しかしこの教育政策の転換がなんの矛盾もなく行われていると考えたら誤りである。むしろ、現在出されている教育政策自身の内部に、極めて深刻

な内部矛盾が孕まれ、それは教育政策策定と実施の両面において、国家の支配層内部の不一致を反映するものである。その対立を極端に単純化

していえば、通産官僚と文部官僚の対立とでも言おう。

a)通産官僚の主張:教育の「個性化」「自由化」「国際化」

〜単線型の児童生徒全員を能力主義に基づく競争にぶちこんで選別  していく教育体系の根本的転換の主張〜

☆「個」を重視し、児童生徒の主体的な学習意欲を育てる教育

☆児童生徒の「人権」を保障する教育

☆教育体系の複線化

〜「飛び級制」「中高一貫6年制学校の設立」

「大学特進コースの設置」

☆私立学校設置基準の緩和と教育を市場として解放する政策。    

 この主張をつきつめていくと、国家による教育の統制の緩和=自由化へとつながる。これは、学習指導要領の簡略化と学習内容の大幅削減と教

科の統廃合。そして各地域・学校の裁量権の拡大という形で、現実のものとして進行しており、今後は、教科書検定制度の廃止など、ますます拡大

していくことであろう。

b)文部官僚の主張:「自由化」「個性化」は国家の支配装置としての公教育を崩壊させる。

☆「愛国心」の高揚による国民統合の必要性

〜君が代・日の丸の強制〜

〜道徳教育の強化〜

☆文部省─教委─校長による管理命令系統の維持強化

☆教員研修の強化

☆教員統制の強化と身分制の導入

80年代以降に出された教育政策は、この両者のアマルガムであり、妥協の産物である。しかし、度重なる答申の提案や各規定の改定を通じて、文

部官僚の抵抗は後退を続け、教育の「個性化」「自由化」「国際化」が徐々に進行している。

2)資本の国際競争の激化────教育政策転換の国際的背景────

明治以来の教育の国家統制を緩和する政策の転換がなぜなされようとしているのか。それは資本主義の世界市場の狭隘化と、それに伴う競争の

激化という状況に、日本資本主義が対応する必要から生まれている。

第二次世界大戦後の世界資本主義体制は、生産組織の改変と労働者の生活改善をテコとした国内市場の拡大と、後進諸国の工業化とによって市

場を大幅に拡大し、しかも不断の急速な技術革新を行うことによって、その市場を絶えず更新し拡大するという方法によって、過剰生産恐慌の勃発

を回避し、絶えず発展をとげてきた。そして東欧・ソ連圏の崩壊によって、この地域をも世界資本主義体制に組み入れ、一時期、資本主義の勝利と

も言われた状況をつくりだした。

だが、その「発展」の裏側では、巨大な矛盾が蓄積されていた。国際経済の発展とその中での国際的な分業体制の拡大は、世界の諸国をより緊密

に結びつけ、一国の景気の後退がただちに全世界に波及する体制を作り出した。そして後進諸国の工業化の進展は世界市場をめぐる競争を一層

激化させることによって、技術革新をさらに急速なものとして、絶えず高度に発展した生産システムを破壊せざるを得ない危険性を増大させている。

(このような事態は、1973〜79年の2次にわたるオイルショックの過程で明らかとなってきた)

しかも工業的に発展をとげつつある後進諸国の多くのものや新たに組み込まれた旧「社会主義」諸国とは、国内に大きな矛盾を抱え、その経済体

制は破産寸前という状況であり、その破産はすぐさま国際経済に波及するという構造を持ってしまった。

そのため先進資本主義諸国は、世界的な矛盾の爆発を共同で抑える政策をとる一方で後進諸国との緊密な経済ブロックをつくりつつ、他の先進資

本主義諸国との激烈な市場争奪戦を演じるという事態となっている。アメリカは中南米諸国とのブロックを形成しEUはアフリカ・東欧圏とのブロック

を形成してアジア市場を争奪するという構図である。

この中で日本資本主義は東・東南アジア地域との経済ブロックを形成すると共に、アメリカ・EUとの国際競争に勝ち抜くための技術開発力の強化が

要請されており、これは日本の閉鎖的な市場に対する開放要求が高まる中で、一層緊急の課題となっている。しかし、これは日本にとって、国家体

制の根本的な改変を意味する。日本は経済体制のみならず、官僚機構や教育機構にいたるまで、未だに後進国型のシステムになっている。関税

障壁に加えて、官僚機構に直接指導されて、様々な慣行という名の規制による自由競争の排除で守られた巨大企業。そして、自前の技術開発に巨

額の資金を投入することなく、アメリカの特許技術を適用応用するだけの安上がりの技術革新。そのため、教育機構は、基本パターンの習得とその

応用力の育成だけのシステムとなっている。さらには、アメリカの世界戦略と核のカサとに守られて、自前の世界戦略も自前の軍隊も開発せずにき

たことは、官僚機構の新たな事態にたいする対応力のなさとなって今日にいたっている(これは、自衛隊の海外派兵の問題や、住専やエイズなどの

問題で、日々白日の下にさらされつつある)。

教育機構の問題のみに絞ろう。自前の技術開発力をつけるためには、今日の単線型の単純競争の教育体系では、それは不可能である。幼少時

からの過酷な競争は、その競争の階段を昇っていく間に、鋭い発想・研究の能力も削られ、他人との共同の能力も失いただ利己的で保守的で、さら

には、勤労意欲すら持たない者を大量に生み出してしまっていることは、事実でもって明らかとなっている。

ここに今日、「個性化」「自由化」というキーワードで語られる、教育体系の根本的な改変が要請されている理由がある。そして工業化しつつあるアジ

ア諸国との経済ブロックの形成のためには、日本人の意識を変えることも課題となっていく。ここで要請されているのは、文化の異なる人々とも共同

して動ける能力。自国の文化を深く認識すると共に、他国の文化をも受け入れ理解するちから。これが「国際化」がさけばれる背景である。

3)将来の国家像を巡る不一致

しかし、日本資本主義の国際化に対応した、制度の転換は、国家体制の転換をも伴うために、支配階級内部で深刻な不一致・対立が起きている。

(現在の政党再編の過程における、「小さな政府」「大きな政府」、そして「小さな国家」「普通の国家」の論争はこのことの現れである。)

そしてこの対立は、教育体系の転換にも貫かれている。先に、通産官僚と文部官僚の対立という形で極端に対比させた意見の違いがそれである

(現実にはこんなに単純な構図ではないが)

a)通産官僚の主張=日本資本主義の国際化にストレートに対応した見解。

────それゆえ、この主張が基本的には貫徹していく性格をもつ────  

b)文部官僚の主張=旧来型の国家統制システムを固守しようとした見解。

────それゆえ、この主張は不断に妥協と後退をし続けざるをえない────

☆「君が代」「日の丸」の強制と、いまだに侵略の事実学習を教育課程に組み込もうとしない姿勢などは、アジア諸国との経済ブロックの形成という

課題に対する、巨大な阻害要因となっており、少しずつ後退をしなければならないだろう。

しかし、この頑迷な文部官僚の主張にも客観的な根拠がないわけではない。60年代後半の青年の急進化の中で、かって彼等が危惧した問題は、

現実のものとなりつつあるといっても過言ではない。70年代以降急速に拡大した、教育における人権の確保を求める様々な民間運動の発展がそ

れである。

○障害者の権利を保障させる運動                      

○「校則」の見直しを進める運動                      

○いじめ・教師の暴力を追及し、子供の人権を確立しようとする運動      

○公教育の枠を外れ、様々な自由主義的教育観に立つ、私立学校建設の運動   

○教育行政の民主化を求め、教育委員の公選化などを求める運動

教育の「個性化」「自由化」の流れは、確実にこれらの運動の影響力が直接的に学校教育の内部に波及してくる可能性を強める。そしてこれに、戦

争責任を問う運動やアジアの人々や日本国内の差別を打つ運動が結合したら・・・(しかもこれらの運動の背後には左翼がいる)。結合を阻止する

ためには、「愛国心」の砦だけは強化し、この運動を学校に還流させる可能性のある組合は潰しておかねば・・・・。梶山自民党幹事長の「有事発言」

に見られるような危機意識と同根の発想がここにはある。

4)従来の教育労働運動に欠けていたもの   

 80年代以降の教育体系の転換の事態に対して、私たちはどのように闘ってきただろうか。私たちは、以上のような状況を体制の矛盾としてとらえ

る視点を持っていなかったと思う。従って私たちの戦いは、ただ「反対」を叫び、組合機関内で激しく闘うというレベルに止まり、様々な民間の運動と

連携しつつ、体制の矛盾を拡大するという戦いではなかった。

しかし、これは私たちだけの問題ではなく、教育労働運動における全ての左翼的勢力に共通した対応ではなかったろうか。

○共産党:現状の教育体制の枠内で、矛盾の噴出を押さえられる教師としての、教師の専門性を強調する傾向(社会党の右派と同じ)

〜党派利害にたって労働運動の右派による一元支配には反対〜

○社会党左派、新左翼系:「臨教審」による教育再編策を「能力主義の強化拡大」とのみうけとりそれに反発するのみ。矛盾をつく実践・運動はせず。

〜管理統制強化、国家主義的政策にはとりわけ強く反発し、闘う。

※公教育に対する広汎な不満や批判を、強力な反対勢力として結集出来ず、それぞれの殻にこもった形で孤立せざるを得なかった。

〜なぜこうでしかなかったのか?〜

それには、日教組運動の歴史を振り返り、その運動の質と性格を確認しておく必要があると思う。

a)日教組運動は、その内部に国家の教育政策と対決する質を持っていた。

───その原初的スローガン─=「教え子を再び戦場に送るな」─    

───その実態的な場=全国教研

───具体的には=「自主編成運動」=指導要領を認めない

b)しかし、その質は50年代後半からの「国民教育運動論」=「教師専門職論」が運動の基調となるに従い後景に退

き、日教組運動総体は教師の勤務条件の改善闘争が基調となり、国家の能力主義教育に協力する性格を色濃くす

る。     

c)この状況に変化を与えたもの=60年代の反戦運動・新左翼運動───時代状況の変化が教組運動内部に政治

的飛躍を強制          

〜その突出点=福岡伝習館高校の闘いと全国的な支援闘争〜   

☆この新たな運動は国家との協調路線を歩む日教組中央と激突

───伝習館救援会が各単組内の反対派として形成されていく─     

しかし、政治的に国家の教育政策と対決し単独決起という傾向が強く、大衆的には拡大せず。〜オール3記入など〜

───この状況の中で、共産党は国家との協調へと急速に転換─

d)日教組運動における左派の性格

日教組運動総体の枠の中での改良派。 とくにその取り組みは、教師に対する管理統制強化に反対するというものに限定され、その労働の質を問

うような傾向は弱い。      

新左翼系は、その左派の中の戦術左翼にすぎず、その急進主義的な傾向ゆえに政治的課題に対してはよく闘うが、教育労働の質、とりわけその社

会的役割を問い直していくような実践的取り組みは個別のものと化し、総体としては無自覚的なものとなる。

☆70年代後半の主任制度化攻撃にたいしては、「無主任化」という戦術的対応に止まり、その闘いを「教育実践」と結合できずに敗北。

☆労働戦線再編攻撃にも、職場や地域レベルで公教育への不満や疑問を結集できず、組合レベルでの空中戦になる傾向強く、敗北。

☆80年代初頭からの教育再編攻撃には、管理主義・国家主義の部分への実力闘争を含む戦術的対応。日教組中央が政府と協調し、しかも現場

レベルで、教育の複線化への賛成が強い中で、完全に孤立。

5)教育労働運動の再生に向けて

今必要なことは?   

  1)教育運動の展開                           

   〜キーワード〜「人権」「自立・自己決定」「連帯」        

  ─このキーワードに基づき、児童・生徒の権利の拡大保障をおこなう教育実践・運動を進める。─

─これと一体のものとして、教育労働者の権利保障の闘いもすすめる─                        │

  2)教育運動を展開するための、全国的な協同研究機関の設立       

 

a)先に述べた情勢認識にたち、国家の教育政策の矛盾をつき、それを拡大する運動をすることが可能になるし、この

 矛盾によっておこる、多くの疑問や不満を結集する基盤を構築することが、可能ともなる。

b)文部省─教委は、日本資本主義の国際化から必然的に要請されている教育体制の転換に、充分に対応できる状

 態ではない。対応する必要を理解し、そのための理念と実践力をもった、官僚も教員も不足している。そして、それ

 が育つのを待って、教育改革を進めるほどの余裕は、日本資本主義にはない。このことの表現が、「臨調」─「臨教

 審」という、官僚機構から独立した機関による、上からの行政改革─教育改革という構図自体に、如実に表現されて

 いる。そして、総資本の側も、文部官僚だけに教育改革をまかせておく事の危険性を認識し、独自に動き出してい

 る。日本経済新聞が、95年初頭より、新たに「教育欄」を新設し、教育の崩壊状況を具体的にレポートし、その解決

 の方向を根本的な教育改革にあることを長期にわたってキャンペーンしていることも、その現れである。そして、そこ

 に登場する医者や精神科学者や教育評論家の多くが、従来であれば、体制外で活動してきた人々で占められてい

 ることも、事態の深刻さを物語っている。

c)総資本は、官僚機構にのみ依拠せず、広汎に広がった公教育への批判勢力の一部をも取り込み、社会的圧力をか

 けながら、断固として教育改革を進めようとしている。

すでに、この状況を理解した官僚の一部は、各地に教育研究機関を設立しつつ、そこに、様々な教育運動の経験を持った人材を吸収し、教育改革

を進めつつある。

d)政府がためらいながらも、「児童の権利条約」を批准したことも、以上の状況の現れである。ここに、私達が介入する

 余地が開けている。そしてこれは、急速な転換であるために、必ず大きな混乱を教育現場にひきおこす。さらに同時

 に、教育体制の硬直化と矛盾の爆発は、これと平行して加速度的に深化している。官僚機構が対応能力に欠けて

 いる状況は、大規模な大衆的不満・疑問を引き起こす。この時、官僚機構には対応する力が欠け、いまやその一部

 となりつつある日教組にも、対応能力は不足している。(日教組の中でこのことを認識している労組官僚がいるなら

 ば、かならず従来の左派系の活動家を、活用しようとはかるはず)

e)おこりつつある矛盾の爆発をうけとめるにたる教育運動と、それを担う機関の構築にむけて、動き出す時である。

 


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