多様な文化・価値観の共存する世界か、それとも単一の文化・価値観の強要か?
【書評】『アメリカの20世紀』(上・下)−有賀夏紀著・中央公論新書/02年10月刊―
21世紀の今日、世界秩序はアメリカのブッシュ政権の「単独行動主義」によって根底から揺るがされている。世界は、その中でもとくに日本は、国際連合を中心とした世界システムが、世界の安全保障を確保してきたという「幻想」の中に浸ってきたが、それが真に幻想でしかなかったことをアメリカのブッシュ政権の行動によって突き付けられ、右往左往している。
国際連合による世界「平和システム」が機能しているという「幻想」が成り立ってきた20世紀の世界はまた、「パクス・アメリカーナ」と呼ばれる、アメリカの(力による)平和とも呼ばれる時代であった。これがどのような構想により、そしてどのような社会的・経済的・政治的基盤にたって成り立ってきたのか。それもアメリカ一国内および世界規模でどう成り立ってきたのか。そしてそれはどう変容してきたのか。
今後の世界を展望するときには、この問いは避けては通れない。本書は、この問いを考える時に、得がたい視点を提供してくれるものである。
▼ アメリカが分解する危機 ―19世紀末・20世紀末のアメリカ−
本書の上巻は、1890年から1945年までをあつかっている。つまりアメリカ資本主義が急速に成長し、工業生産力では先行する諸国、とりわけ世界を支配してきたイギリスとヨーロッパの新興国ドイツをも凌駕し、事実上の世界の工場の位置に踊り出た19世紀の末期。この時期から、第1次と第二次の世界大戦を経て、卓越した力を背景に世界をアメリカ的に再編成する過程に入るまで、つまり「パクス・アメリカーナ」の形成までの過程を取り扱っている。
言い換えれば、パクス・アメリカーナを実現する基盤となるアメリカ社会の様相を分析した巻である。
そして下巻は、1945年から2000年まで。つまりパクス・アメリカーナと呼ばれる時代の成立とその後の変化を追っている。
この本の記述を通読してみて、興味深い指摘がなされていることに気づくだろう。それは、アメリカは20世紀の前半、1910年代から40年代にかけて徐々に世界をアメリカ的に再編成しようと行動するわけだが、この動きに至る背景には、19世紀末から20世紀初頭のアメリカが分解の危機にあったという指摘である。そして著者は、これは100年後の今日のアメリカの単独行動主義によって世界を再編成しようとする動きの背後にも、同じようなアメリカの分解の危機があると指摘する。
これはとても重要な指摘であると思う。
▼民族と階級に引き裂かれたアメリカ
19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカの急成長を支え、またそれによって促進された傾向は、ヨーロッパの各地からの大量の移民であった。
アメリカは主としてイギリス系のいわゆるアングロ・サクソン系の西ヨーロッパ移民によって作られた国であった。もちろん先住民であるインディアンや奴隷としてつれてこられたアフリカ系の人々もいたが、アメリカの工業的発展の時代以前には社会的にも少数であり、大きな関心は持たれなかった。
しかし19世紀末から20世紀初頭のアメリカの社会的様相は、それ以前とは、特に都市で一変していた。たとえば、1900年に350万人近くあったニューヨーク人口の80%は、フランス・ドイツ・イタリア・スペイン、ボヘミアやロシアそしてユダヤ系というように、南・東ヨーロッパからの新たな移民の1世・2世とアイルランドなどの北欧系とアフリカ系で占められていたのである。「都市にはアメリカ人はいない」とまで言われた。
ここで言うアメリカ人は、先来のイギリス系の人々を指している。そしてニューヨーク人口の80%を占めた新来の移民たちは、急速に拡大する工業の基盤としての未熟練労働者を供給するのだが、充分な給与を得られないために貧しい生活しかできず、このために各民族ごとのコミュニティーを形成し、イギリス的なアメリカ文化には融合せずに都市のスラムを形成していたのである。
その一方ではアメリカ国内における貧富の格差は拡大していた。都市の中心部には、産業投資の成功によって財を成した富豪たちの、ヨーロッパの王侯貴族をも上回る豪華な邸宅が立ち並び、そのまわりには貧困層のスラムが広がり、都市の郊外には、産業発展によって生まれた商店や工場の経営者、医者や弁護士などの専門職そして公務員などの中間層、いわゆる中産階級がしゃれた一軒家に住むという形で、アメリカは階級に分裂していたのである。
さらに特徴的なのは、社会的闘争の激化である。産業発展から取り残された農民層、そして産業発展にも関わらず低賃金で劣悪な条件下に置かれたままの産業労働者層、さらには差別の中で虐げられたアフリカ系の人々や新たな移民層と女性たち。このような社会的弱者がさまざまな団体を組織し、社会的な、経済的な、政治的な平等を求めて闘争を始めたのも19世紀末から20世紀初頭であった。
そしてこれらの闘争を激化させるもう一つの要因として、世紀末ヨーロッパで拡大しつつあった過激思想、無政府主義やマルクス主義の流入があった。
まさにアメリカは、分解する危機にあったのである。
▼革新主義と大衆消費社会による解決
この危機の中で、アメリカの古き良き伝統を守れという保守主義も台頭し、広がるカトリック系やマイノリティーに対応したプロテスタント系のキリスト教原理主義的運動も起きてきたが、これと戦って勝利し20世紀初頭のアメリカを主導した思想は、「革新主義」と呼ばれるものであった。
これは個別の改革を求めようとする傾向と、資本主義を社会主義にかえようとする傾向と、さらには資本主義体制に適合する新たな社会秩序を打ち立てようとする三つの傾向を内包しており、相互に影響しあって発展した思想傾向ではあるが、主流は第三の傾向、すなわち成長しつつある資本主義に適合した形で国家・社会を改革して行こうとする動きであった。
この動きが求めた新しい秩序とは何か。著者は以下のように要約している。
『企業、政府、研究・教育機関が一体となって、科学的知識・技術を活用して、社会の発展を推進していくようなシステム』と。つまりそれは『政府の統制の下に、資本の力と専門家の知識を合わせて経済を発展させ、経済発展に付随する社会問題を解決し、さらに国際社会における国の安全を保障していく』システムであると。
そしてこの革新主義にたつ運動を担ったのは中産階級であり、これが様々な改良の運動を繰り広げ、それを地方の州政府で実施して実績をあげて、やがては連邦政府をも動かして社会システム全体の革新を実現し、彼ら中産階級の価値観や生活様式を新しいアメリカ的なものとして広めていったのである。
この革新主義を実行した最初の大統領が1909年に大統領となった共和党のセオドア・ルーズベルトであり、彼以後の多くの大統領は、共和党であれ民主党であれこの革新主義にたって行動したのである。
しかしこの革新主義がアメリカ合衆国全体を包みこむ基盤を与えたのは、20世紀初頭における資本主義のさらなる発展であった。
それはオートメーションシステムを採用したテーラーシステムという新たな労働管理組織よる大量生産と、それを担う労働者への比較的高い給与の支給、そしてローンなどの大衆金融を背景とした大衆消費社会の実現であった。いわゆるフォーディズム資本主義である。労働者階級上層にまで中産階級的な生活を保障することを通じて、アメリカ社会の統合が進められたのである。
だがそれでも労働者階級の多くは、低賃金と差別に苦しんだままであった。
こうした人々をもアメリカへと統合したのは、1929年の世界恐慌からの脱却を模索する中で、民主党のフランクリン・ルーズベルトを中心としてなされた「ニューディール」と呼ばれる一連の社会改革であったことについては多言を要しないだろう。そしてこの体制のもとにアメリカは、世界のアメリカ化に向けて動いて行ったのである。
▼ 多様な民族の並存と価値観の分裂
では約100年後の今日、アメリカにおける新たな分裂とはどのようなものなのか。
一つは人口構成の劇的な変化である。19世紀末から20世紀初頭の移民の波は、南・東ヨーロッパを中心としたものだったが、20世紀の60年代以後の移民の波は、中南米とアジアを中心とした新たな流れであった。
とりわけ中南米系のラティーノと呼ばれる人々の割合は急増し、2000年にはアフリカ系を凌駕して人口の約12.5%を占めるに至った(アフリカ系は12.3%)。そしてアジア太平洋系も3.4%を占め、ヨーロッパ白人以外の人々が全人口の24.9%を占めるに至っている。しかもこの傾向は都市でもっとも激しく、ロサンジェルスではラティーノが46.9%、白人が46.5%と人口をほぼ二分し、ニューヨークでは白人が35%しかおらず、ラティーノが27%、アフリカ系が24.5%、アジア系が10%弱に至っているのである。
そしてこの人口における多様な人種・民族が並存する状況は、価値観・生活様式における分裂と直結している。
ラティーノとアジア系は都市のスラムにコミュニティーを形成して生活しており、故国の言語・宗教・生活様式を保持したまま暮らしており、従来のアメリカ的生活様式に溶け込んではいない。そして先来の少数民族であるアフリカ系、さらには比較的経済的な成功を収めているアジア系との間で民族的抗争を繰り広げている。
さらに同じ状況が白人の間でも起きており、これは60・70年代の公民権運動とベトナム反戦運動によって生じたアメリカ的生活様式の拒否をも含んでおり、同時に新たに進行しつつある社会における貧富の格差の増大ともあいまって、アメリカ社会の分裂は複雑な様相を帯びているのである。
▼ 多文化主義と新保守主義の対立
アメリカが幾つにも分解しそうな状況は、思想状況において深刻な対立を生んでいる。総じて言えることは、このアメリカ社会における文化の多様化は、多様な文化・価値観の並存を認め、その総体としてのアメリカがアメリカだとする文化多様主義(多文化主義)という新しい価値観を生んでおり、アメリカは一つという保守的な従来の価値観と衝突しているのである。
この時、多文化主義は伝統的なリベラルを基盤としており、保守主義は新たな保守主義を基盤に拡大している。
その新たな保守主義とは、新保守主義(ネオ・コンサーバティズム)と呼ばれ、これは以下のような価値観であると著者は要約している。
すなわち、『経済政策に関しては富の再配分よりは富の拡大を主張し、政府の経済活動への介入をできるだけ抑える立場に立ち、平等に関しては、機会の平等は支持するが結果の平等まで政府が保障することには反対し、福祉国家指向を否定』する。そして『開放的な性の関係や、家族の変容、若者たちのライフスタイルには批判的』であり、総体としてはアメリカ的な『文化的伝統、民主的資本主義、世界において自由とアメリカの利益を促進する外交政策』を支持する傾向である。
そしてこの、多文化主義を容認するリベラルとそれを否定する新保守および伝統的な保守との闘争は70年代からはじまり、80年代のレーガン政権において初めて新保守主義が連邦政府の政策となり、その後ブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(ジュニア)と政権は推移したものの、アメリカの分解をさけるためには多文化主義ではなく、伝統的なアメリカ的なものを維持しこれを世界に広めて行くことが必要だとする新保守的傾向が、連邦政府においては基調となる傾向となったのであると、著者は分析している。
著者は述べている。20世紀最後の大統領選挙となったゴアとブッシュの戦いは、この多文化主義か新保守主義かという「文化戦争」の一つの表現であり、この「戦争」は21世紀の今日もアメリカ社会の各所で激しく戦われているのだと。
▼国内階級闘争と外交の弁証法
書評の範囲を越えて、著者が20世紀アメリカ史を通じて描き出したことを要約してしまったがお許しいただきたい。
著者が描く「アメリカの分解」とも言える状況が、今日のブッシュ政権の単独行動主義の背景を考察する上での一つの重要な事実を提供していると考えたゆえに、詳しく紹介した次第である。
アメリカ外交史では、アメリカが世界に目を向けて世界をアメリカ化しようとするときには、アメリカの内部に深刻な分裂を抱えている。これを解決するために世界を改造しようとアメリカは動くということは、従来から言われてきた。
この意味で本書が描くアメリカ社会の様相とその変遷は、アメリカ社会の変化とその内政政策および外交政策が密接に絡み合っており、階級闘争に伴って相互に弁証法的に影響を与えながら変化していくという事実を見事に描き出しており、アメリカと世界の行く末を考える上での格好の材料を提供していると言えよう。
今や多文化主義とアメリカ的文化の押しつけ主義とが、アメリカ国内だけではなく、世界規模で行われていると言っても過言ではない。
是非、ブッシュ政権のアメリカ一国支配に対抗する新しい世界を構想する人々に読んでもらいたい著作である。
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