【書評】浜矩子著「グローバル恐慌」

幻想の需要に依存した金融資本主義の破綻

−世界恐慌からの脱却の道をさぐる−

2009年9月


 政権交代が実現した今日、新政権の中心を担う民主党の政策について、かなり厳しい批判が各方面から相次いでなされている。とりわけその経済政策については、自民党や財界や官僚から「成長戦略がない」「政府が直接企業を援助してこそ国民生活は再建できる」との批判が出され、「公共事業の見直しでせっかく回復途上にある景気が腰折れする」懸念すら指摘されている。
 世界的な不況の中で、個々の国民の生活再建が大きな課題と目された今回の総選挙前から、自公政権による同様の批判がなされていたが、いよいよ民主党を中心とする新政権が成立する事態となって、今度はマスメディアと財界と官僚が中心となって、ますますこの批判のボルテージは上がる。
これに対して民主党は、「何もしないで経済成長が図れる時代は終った。また公共事業や企業を直接援助することの経済効果が、一般家庭に波及して需要が拡大する構造も終っている。この方法では一部の企業を利するだけで、国民の生活は破壊される。子供を持つ世帯や農家など個々に手厚い援助をすることで内需を拡大して始めて、日本経済が潜在的に持っている成長力が実現できる」と、時代の転換を前面に掲げ、個々の国民の生活を再建できるように政府が支援することによる内需拡大によってこそ、一定の経済成長が実現すると主張している。

自民党と民主党そして財界と民主党は、なぜ経済政策を巡って厳しく対立するのだろうか。今後の経済政策をめぐるこの対立の背後には、現在起きている世界的な不況の性格の認識において、根本的に相異なる認識が存在するのだ。
財界や自民党やマスメディアの認識は、今回の不況は、アメリカ発の金融危機で一時的に物が売れなくなっただけ。政府の手厚い需要創出政策によってこの一時期を凌げば、やがて世界の景気は回復するというものだ。これに対して民主党の認識は、今回の不況は、世界的な市場の狭隘化を金融バブルで補い、人為的に需要を喚起してきた体制が崩壊して起きたもの。このため新たな市場を創出したり国内消費を喚起したりしないと、個々の国が持っている潜在的な成長力すら実現できないというものだ。
では、この相対立する認識をどう評価したらよいのか。
この問題を考える上で格好の参考書が、同志社大学大学院ビジネス研究科教授の浜矩子が、昨年秋の金融危機以後の世界的な不況を受けて、ことし1月に岩波新書より緊急出版した本書である。

▼戦後経済史を踏まえた分析

 本書は、1月の発売以来ベストセラーを続け、多くの人々に読まれている。
 その理由は、本書が難しい経済原則を身近な例を使って説明しているのでとても読みやすく、4時間もあれば一気に読める本だということもあるが、同時に、この世界不況をはっきりと「グローバル恐慌」として、世界が一つになった新しい時代における「恐慌」だと断言していることに見られるように、他の論者と明確に異なった切り口で分析していることにある。
そしてその分析は、ルポルタージュ風にリーマンショック以来の金融危機・世界不況の姿を生き生きと描き出すだけではなく、その歴史的な背景をきちんとつかまえているところに特徴があり、さらに、世界不況の性格把握に基づいて、今後の処方箋のヒントも提示しているところにある。
まず、本書の目次を見てみよう。

はじめに−恐れ慌てる世界
第1章 何がどうしてこうなった
 1、地獄の扉が開いた日
 2、事の起こり−証券化という名の錬金術
 3、グローバル・バブルの背景
第2章 なぜ我々はここにいるのか
 1、原点はニクソンショックにあった
 2、金利自由化から金融証券化へ
 3、金融が地球を一人歩きする時
第3章 地球大の集中治療室
 1、迷走するアメリカ
 2、足並み乱れる欧州
 3、擬似体験者、日本のお粗末
第4章 恐慌を考える
 1、恐慌とは何か
 2、歴史が語ること
 3、二一世紀型グローバル恐慌とは
第5章 そして、今を考える
 1、金融サミットの残された課題
 2、グローバル恐慌、モノの世界に及ぶ
 3、引きこもる地球経済
おわりに−金融暴走時代の向こう側

 「はじめに」「第1章」「第3章」「第5章」が、金融危機に始まる世界不況の実情をルポルタージュ的に描いたもの。そして「第2章」が、今回の恐慌を生み出した歴史的背景の考察。さらに「第4章」は歴史的な恐慌と現在の恐慌との共通点と違いとを理論的に整理したもの。最後に「おわりに」で今後の世界を素描している。
 本書での著者の主張を要約すれば、世界経済は金貨ではなくドルを仲立ちとして動き始めたことによって、実態経済と金融の乖離が生まれた。そして早くも70年代から80年代にかけて先進国市場が飽和状態になるに従ってますます経済が金融に依存するようになり、アメリカが典型的だが、金利の人為的操作によってアメリカに世界の余った金を集中させ、この金をローンを組むことでアメリカ国民一人一人に振り分け、人為的に巨大な需要を作り出した。
 この人為的な需要向けに、日本やEU、また中国などの新興国の輸出産業が膨大な数の商品を生産して流しこむ。そしてこれらの国にも、原料や半製品が流れ込む。こうして世界経済は、金融によって人為的に生み出された需要で回るようになったのだ。これが今日のグローバル経済の姿である。
 しかしこの金融の根幹にウソがあった。本来はローンを組めない低所得者に対して住宅や車や家電製品のローンが組まれ、いつ焦げ付くかわからないこれらの危険なローンが証券化され、様々な金融商品の中に忍び込まされた。
 だからこれらのローンが大量に焦げ付き始めたとき、世界中の金融会社に破綻の危機が及び、幻想の需要が崩壊して輸出産業が突然止まり、これらの金融会社から資金を借りていた企業も危機に陥ったと。
 著者がいう「グローバル恐慌」とは、金融によって人工的に作られた需要で回転することによって一つになった世界経済が、金融恐慌によって機能不全に陥った状態である。だからこそ金融危機はそのまま、生産業の恐慌にまで繋がっていったのだ。
 最後に著者は、「おわりに」で、以上のようなグローバル経済の構造を変えない限り、今回のような恐慌は何度でも起こると警告する。ではそれを防ぐには? このヒントは本書の各所に散見される。

(K)


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